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November 30, 2018

<閉店セール>の効果テキメン!!

案内文の末尾近く

「この公演を最後の舞台公演にしたいと思っています。
 これからは “勝手気儘におどり旅” を続けていきます。」と

‘90年頃からか、神沢創作舞踊研究所を離れ、
独自の舞踊活動を続けてきた高山明美――

最後の公演と謳い、おまけに神澤宅最寄りの学園前ホールとあらば
茂子夫人も不自由の身を押してでもお出ましなさろう
コレは面倒でも出かけねばなるまい……

なるほど、閉店セールの宣言効果は侮りがたいものだ
舞台のほうは見るほどのこともないのだが
客席のほうはなかなかの賑やかさで
その顔ぶれも多士済々、よく知る人の多かったこと――

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「ご免なさい、おケイさん!」 -2008年10月08日記
アーア、またも失敗である。
こんどこそ是非この機会にと思っていた、河東けいさんのひとり芝居「母」を、またも見逃してしまった。

ワーキングプアの社会問題化からにわかに注目を集めた戦前のプロレタリア作家小林多喜二の母を描いたもので、原作は三浦綾子、脚色と演出をふじたあさやが担当、もう十数年前から全国を廻って演じられてきたものだ。

たしか10月の公演だったが、はていつだったかと気になりだして、午後になって原稿作りも一段落したところで、ここ3ヶ月ばかりの間に、机の上に溜りに溜った書面や資料などの整理を始めたのだが、件のチラシを見た途端、顔色を失ってしまった。公演は10月4日、先週の土曜だったのだ。これからも近場で観る機会などそう多くはないだろうに、まったくドジな野郎だ、「おケイさん、ご免なさい」と、心のなかで手を合わせる始末である。嗚呼!

もう一つ、高山明美の舞踊公演「水の環流」も同じ日にあった。
こちらは夜の6時開演だから、仮におケイさんの芝居を茨木で午後3時から観て、その帰りに立ち寄ることも可能だった訳である。とはいってもこちらのほうはそう食指が動いたものでもなかったから、彼女には悪いが忘れてしまっていても後悔するほどのことはない。

<今月の購入本>-2013年05月

201305

◇アレハンドロ.ホドロフスキー「リアリティのダンス」文遊社
◇加治 将一「幕末-維新の暗号」祥伝社
◇「逆引き広辞苑-普通版」岩波書店辞典編集部
◇井上 勝生「開国と幕末変革 <日本の歴史>18」講談社
◇佐々木 隆「明治人の力量 <日本の歴史>21」講談社
◇伊藤 之雄「政党政治と天皇 <日本の歴史>22」講談社
◇有馬 学「帝国の昭和 <日本の歴史>23」講談社
◇河野 康子「戦後と高度成長の終焉 <日本の歴史>24」講談社
◇広岡 敬一「戦後性風俗大系―わが女神たち」小学館文庫
◇鈴木三重吉「古事記物語」Kindle版
◇和辻 哲郎「古寺巡礼」Kindle版
◇「宇宙図2013-A1判」 科学技術広報財団
◇「ヒトゲノムマップ-A1判」 科学技術広報財団

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遠い昔話……

<吃又と浮世又兵衛> ――2006.04.29記

 浄瑠璃狂言「吃又-どもまた」のモデルが、「浮世又兵衛」こと江戸初期の絵師.岩佐又兵衛だったとは思いもよらなかった。
岩佐又兵衛については先頃読んだ辻惟雄「奇想の系譜」にも「山中常盤絵巻」などが採り上げられ、その絢爛にして野卑、異様なほどの嗜虐的な画風が詳しく紹介されていたのだが、浮世絵の開祖として浮世又兵衛の異名をとった又兵衛伝説が、近松門左衛門の創意を得て「吃りの又平」こと「吃又」へと転生を果たしていたとは意外。

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実在の岩佐又兵衛自身、数奇の運命に彩られている。
天正6(1578)年に生まれ、父は信長家臣の伊丹城主荒木村重と伝えられる。その村重が信長に反逆し、荒木一族は郎党・侍女に至るまで尼崎・六条河原で処刑虐殺されるという悲運に遭うのだが、乳母の手で危うく難を逃れたという当時2歳の又兵衛は、京都本願寺に隠れ母方の姓を名のり成長したという。京都時代は織田信雄に仕えたともいい、また二条家に出入りした形跡もあるとされる。元和元(1615)年頃、越前北ノ庄(現・福井市)へ移り、松平忠直・忠昌の恩顧を受けて、工房を主宰し本格的な絵画制作に没頭したと推測されている。忠直は家康の孫、菊池寛「忠直卿行状記」のモデルとなった人物だが、この忠直と又兵衛の結びつきも互いの運命の数奇さを思えば故あることだったのかもしれない。又兵衛はのち寛永14(1637)年には江戸へ下り、慶安3(1650)年没するまで江戸で暮らしたものと思われる。

徳川幕府の治世も安定期に入りつつあった寛永年間は、幕府権力と結びついた探幽ら狩野派の絵師たち、あるいは経済力を背景に新たな文化の担い手となっていった本阿弥光悦や角倉素庵、俵屋宗達ら京都の上層町衆らと並んで、数多くの風俗画作品を残した無名の町絵師たちの台頭もまた注目されるものだった。又兵衛はこの在野の町絵師たちの代表的な存在だったようで、彼の奇想ともいえるエキセントリックな表現の画調は、強化される幕藩体制から脱落していく没落武士階級の退廃的なエネルギーの発散を象徴しているともみえる。
「浮世又兵衛」の異名は又兵衛在世時から流布していたとみえて、又兵衛伝説もその数奇な出生や育ちも相俟って庶民のなかに喧伝されていったのだろう。近松はその伝承を踏まえて宝永5(1708)年「傾城反魂香(けいせいはんごんこう)」として脚色、竹本座で初演する。その内容は別名「吃又」と親しまれてきたように、庶民的な人物設定をなし、吃りの又平として、不自由な身の哀しみを画業でのりこえようとする生きざまで捉え直されている。

 実はこの浄瑠璃「吃又」については私的な因縁噺もあって、岩佐又兵衛=吃又と知ってこの稿を書く気になったのだが、思い出したついでにその因縁について最後に記しておく。
私の前妻の祖父は、本業は医者であったが、余技には阿波浄瑠璃の太夫でもあり、私が結婚した頃はすでに70歳を越えた年齢だったが、徳島県の県指定無形文化財でもあった。その昔、藩主蜂須賀候の姫君が降嫁してきたという、剣山の山麓、渓谷深い在所にある代々続いた旧家へ、何回か訪ねる機会があったが、その折に一興お得意の「吃又」のサワリを聞かせて貰ったこともあり、ご丁寧に3曲ほど録音したテープを頂戴したのである。余技の素人芸とはいえそこは県指定の無形文化財、さすがに聞かせどころのツボを心得た枯れた芸で、頂戴したテープをなんどか拝聴したものである。もうずいぶん以前、20代の頃の遠い昔話だ。

  ―――参照「日本<架空・伝承>人名事典」平凡社

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2013.04<今月の購入本>

◇白川 静「回思九十年」平凡社
◇大城 立裕「小説 琉球処分<上>」講談社文庫
◇大城 立裕「小説 琉球処分<下>」講談社文庫
◇小林 深雪「泣いちゃいそうだよ」講談社-青い鳥文庫
◇小林 深雪「もっと泣いちゃいそうだよ」講談社-青い鳥文庫

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November 29, 2018

7年ぶりの神戸酒心館

7年ぶりとなる神戸酒心館行であったが……

「葵上空間」と題された今宵の演目は
残念ながら瑕疵の目立つものであった

とりわけお粗末だったのは
女性のシテ方が演じた、素面による演能だ

声も立たず、メリハリも効かず
姿も小柄に過ぎては、救い難いというモノ

素面による演能を、見世物として成らしめるには
どれほどの達者を要するか――

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―表象の森― Turbulent Flow-乱流  -2008.02.26記

「大きな渦は、その勢いに力を得て
 ぐるぐるまわる小さな渦を含み
 その小さな渦の中には、これまた
 ひとまわり小さな渦がある。
 こうしてこれが遂には
 粘度となっていくのだ」 ――ルイス・F・リチャードソン

量子力学学者W・K・ハイゼンベルクは死の床で「あの世に行ったら、神にぜひとも聞きたいことが二つある。その一つは相対性のわけ、第二は乱流の理由だ」と。そして「神のことだからまあ第一の質問のほうには答えてくれるだろうと思うね」と結んだそうである。
乱流の理由など、神様のほうでも取るに足らぬと思し召して相手にはしてくれまい、とでもH氏は考えたか。
ことほどさように、20世紀前半の物理学者たち、その大多数にとって乱流などに時間をとられるのは剣呑にすぎると思われていたのか。

それにしても乱流とはいったい何だろうか?
大きな渦のなかに小さい渦が含まれているように、乱流とはあらゆる規模—Scale-を通じて起こる混乱のことだ。乱流は不安定であり非常に散逸的だが、散逸的とはエネルギーを消耗させ、抗力を生じるということである。
その乱流の起こりはじめ、つまり遷移のところが科学の重大な謎だった。

<Strange Attractor>
これは現代科学の最も強力な発明の一つである位相空間という場所に住んでいる。
系のエネルギーは摩擦によって散逸するが、位相空間ではその散逸はエネルギーの外域から低エネルギーの内域へと、軌道を中心にひきつける「ひきこみ」となって現れる。
エドワード・ローレンツが作った骨組だけの流体対流の系は三次元だったが、それは流体が三次元の空間の中を動いていくからではなく、どんな瞬間の流体の状態をも正確に決定するためには、三つの異なった数-変数-が必要だったからである。

  ――参照:J.グリック「カオス-新しい科学をつくる」第5章-ストレンジ・アトラクタ p209~

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<今月の購入本>-2013年03月

◇副島 隆彦「世界権力者 人物図鑑-世界と日本を動かす本当の支配者たち」日本文芸社
◇こうの史代「夕凪の街 桜の国」双葉社アクションコミックス
◇米田 憲司「御巣鷹の謎を追う-日航123便事故20年」DVD-宝島社

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November 27, 2018

愚にかへる-<一茶と山頭火>

……苦行は今日もつづく……

<一茶と山頭火>

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-表象の森- 愚にかへる -2006.05.06記

  春立つや愚の上にまた愚にかへる

文政6(1823)年、数えて61歳の還暦を迎えた歳旦の句である。
前書に「からき命を拾ひつつ、くるしき月日おくるうちに、ふと諧々たる夷(ヒナ)ぶりの俳諧を囀りおぼゆ。-略-今迄にともかくも成るべき身を、ふしぎにことし六十一の春を迎へるとは、げにげに盲亀の浮木に逢へるよろこびにまさりなん。されば無能無才も、なかなか齢を延ぶる薬になんありける」と。自分の還暦に達したことを素直に喜びながら、それも「無能無才」ゆえだと述懐している。

また文政5(1822)年の正月、「御仏は暁の星の光に、四十九年の非をさとり給ふとかや。荒凡夫のおのれのごとき、五十九年が間、闇きよりくらきに迷ひて、はるかに照らす月影さへたのむ程の力なく、たまたま非を改めんとすれば、暗々然として盲の書を読み、あしなへの踊らんとするにひとしく、ますます迷ひに迷ひをかさねぬ。げにげに諺にいふとほり、愚につける薬もあらざれば、なほ行末も愚にして、愚のかはらぬ世を経ることをねがふのみ」とあり、ここにも愚の上に愚をかさねていこうという覚悟は表れているが、その胸底には、非を改めようとしても改めきれない業のごときものへの嘆きが、切実に洩らされているのだともいえようか。
類句に「鶯も愚にかへるかよ黙つてる」-文政8(1825)年作-がある。

山頭火もまた「愚にかえれ、愚をまもれ」と折につけ繰り返したが、その山頭火が一茶に触れた掌編があるので併せて紹介しよう。

  大の字に寝て涼しさよ淋しさよ

一茶の句である。いつごろの作であるかは、手許に参考書が一冊もないから解らないけれど、多分放浪時代の句であろうと思う。
一茶は不幸な人間であった。幼にして慈母を失い、継母に苛められ、東漂西泊するより外はなかった。彼は幸か不幸か俳人であった。恐らくは俳句を作るより外には能力のない彼であったろう。彼は句を作った。悲しみも歓びも憤りも、すべても俳句として表現した。彼の句が人間臭ふんぷんたる所以である。煩悩無尽、煩悩そのものが彼の句となったのである。
しかし、この句には、彼独特の反感と皮肉がなくて、のんびりとしてそしてしんみりとしたものがある。
「大の字に寝て涼しさよ」はさすがに一茶的である。いつもの一茶が出ているが、つづけて、「淋しさよ」とうたったところに、ひねくれていない正直な、すなおな一茶の涙が滲んでいるではないか。
切っても切れない、断とうとしても断てない執着の絆を思い、孤独地獄の苦悩を痛感したのであろう。一茶の作品は極めて無造作に投げ出したようであるが、その底に潜んでいる苦労は恐らく作家でなければ味読することができまい。
いうまでもなく、一茶には芭蕉的の深さはない。蕪村的な美しさもない。しかし彼には一茶の鋭さがあり、一茶的な飄逸味がある。

ちなみに「大の字に寝て」の句が詠まれたのは、文化10(1813)年、一茶51歳の時。人生五十年の大半を、江戸に旅にと、異郷に暮らし、しかも義母弟との長い相剋辛苦の末に得た故郷信濃の「終の栖」に、「これがまあつひの栖か雪五尺」と詠んだ翌年のこと。
この点は山頭火の記憶違いである。

   ―――参照 加藤楸邨「一茶秀句」、種田山頭火「山頭火随筆集」

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<今月の購入本>2013年02月

◇吉岡 忍「墜落の夏―日航123便事故全記録」新潮文庫
◇飯塚 訓「墜落の村-御巣鷹山日航機墜落事故をめぐる人びと」河出書房新社
◇河 信基「代議士の自決―新井将敬の真実」三一書房
◇栗原 俊雄「20世紀遺跡-帝国の記憶を歩く」角川学芸出版
◇帚木 蓬生「閉鎖病棟」新潮文庫
◇帚木 蓬生「安楽病棟」新潮文庫
◇檜垣 立哉「子供の哲学-産まれるものとしての身体」講談社選書メチエ

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November 26, 2018

露の世は露の世ながらさりながら

この三、四日、果てしのないような資料整理に明け暮れている。
まだ、いつ終わるか見通しが立たない……

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一茶の、喜びも悲しみも ――2006.04.19記

  這へ笑へ二つになるぞ今朝からは

文政2(1819)年、「おらが春」所収。前書に「こぞの五月生れたる娘に一人前の雑煮膳を据ゑて」とあり元旦の句。一茶はすでに57歳、老いたる親のまだいたいけな子に対する感情が痛いくらいに迸る。

  露の世は露の世ながらさりながら

同年、6月21日、掌中の珠のように愛していた長女さとが疱瘡のために死んだ。
三年前の文化13(1816)年の初夏、長男千太郎を生後1ヶ月足らずで夭逝させたに続いての重なる不幸である。
「おらが春」には儚くも散った幼な子への歎きをしたためる。
「楽しみ極まりて愁ひ起るは、うき世のならひなれど、いまだたのしびも半ばならざる千代の小松の、二葉ばかりの笑ひ盛りなる緑り子を、寝耳に水のおし来るごとき、あらあらしき痘の神に見込まれつつ、今、水膿のさなかなれば、やおら咲ける初花の泥雨にしをれたるに等しく、側に見る目さへ、くるしげにぞありける。是もニ三日経たれば、痘はかせぐちにて、雪解の峡土のほろほろ落つるやうに、瘡蓋といふもの取るれば、祝ひはやして、さん俵法師といふを作りて、笹湯浴びせる真似かたして、神は送りだしたれど、益々弱りて、きのふよりけふは頼みすくなく、終に6月21日の朝顔の花と共に、この世をしぼみぬ。母は死顔にすがりてよゝよゝと泣くもむべなるかな。この期に及んでは、行く水のふたたび帰らず、散る花のこずえにもどらぬ悔いごとなどと、あきらめ顔しても、思ひ切りがたきは恩愛のきづななりけり」と。

幼い我が子の死を、露の世と受け止めてはみても、人情に惹かれる気持ちを前に自ずと崩れてゆく。
「露の世ながらさりながら」には、惹かれたあとに未練の思ひを滓のやうにとどめる。

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2013.01<今月の購入本>
◇篠田 正浩「河原者ノススメ―死穢と修羅の記憶」幻戯書房
◇江刺 昭子「樺美智子-聖少女伝説」文藝春秋
◇中谷宇吉郎「科学の方法」岩波新書
◇ローラ.カジシュキー「春に葬られた光」ソニーマガジンズ


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<愛国百人一首>をご存じか?

嗚呼、腹立たしや、情けなや……
Wikipediaでは百人百首が総覧できるよ

<愛国百人一首>をご存じか? ――2006.04.15記
 身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留置かまし大和魂  吉田松陰
太平洋戦争のさなか、小倉百人一首に擬して「愛国百人一首」なるものが作られていたというが、吉田松陰の一首もこれに選集されたものである。
対米開戦の翌年、日本文学報国会が、情報局と大政翼賛会後援、東京日日新聞(現・毎日新聞社)協力により編んだもので、昭和17年11月20日、各新聞紙上で発表された、という。
選定顧問に久松潜一や徳富蘇峰らを連ね、選定委員には佐々木信綱を筆頭に、尾上柴舟・窪田空穂・斎藤茂吉・釈迢空・土屋文明ら11名。選の対象は万葉期から幕末期まで、芸術的な薫りも高く、愛国の情熱を謳いあげた古歌より編纂された。

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柿本人麿の
 大君は神にしませば天雲の雷の上に廬せるかも  
を初めとして、橘曙覧の
 春にあけて先づみる書も天地のはじめの時と読み出づるかな
を掉尾とする百人の構成には、有名歌人以下、綺羅星の如く歴史上の人物が居並ぶのだ。
どんな歌模様かと想い描くにさらにいくつか列挙してみると、
 山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも  源実朝
 大御田の水泡も泥もかきたれてとるや早苗は我が君の為  賀茂真淵
 しきしまのやまと心を人とはゞ朝日ににほふ山ざくら花  本居宣長
ざっとこんな調子で、「祖先の情熱に接し自らの愛国精神を高揚しよう」と奨励されたという「愛国百人一首」だが、いくら大政翼賛会の戦時下とはいえ、まるで古歌まで召集して従軍させたかのような、遠く現在から見ればうそ寒いような異様きわまる光景に、然もありなんかと想いつつも暗澹たるものがつきまとって離れない。

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<今月の購入本>-2012年12月
◇川村 湊「牛頭天王と蘇民将来伝説―消された異神たち」作品社
◇本橋 哲也「深読みミュージカル -歌う家族、愛する身体-」青土社

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November 24, 2018

なんだか空騒ぎを揶揄するかのように…

朝刊には「25年 大阪万博」と
夕刊にも「25年万博 大阪歓喜」と
一面に大きな見出しが躍っているが
なんだか空騒ぎを揶揄するかのようにすきま風が吹きぬける感。
大阪に居ながら一度も足を運ばなかった70年万博
仮に2025年になお生きていたとしても、足を運ぶことはあるまい。

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  --写真は、前方に夢洲、後方は舞洲--

「ライオンは同化された羊から‥‥」-2006.01.04記
  --出典は平凡社ライブラリー「ヴァレリー・セレクション 上」より

 文学。――他のだれかにとって<形式>であるものは、わたしにとって<内容>である。
もっとも美しい作品とは、その形式が産み出す娘たちであって、形式のほうが彼女たちより先に生れている。
人間がつくる作品の価値は、作品そのものにあるのではなく、その作品が後になってほかの作品や状況をどう進展させたかということにあるのだ。

ある種の作品はその読者によってつくられる。別種の作品は自分の読者をつくりだす。
前者は平均的な感受性の要求に応える。後者は自分の手で要求をつくりだし、同時にそれを満たす。
ほかの作品を養分にすること以上に、独創的で、自分自身であることはない。
ただそれらを消化する必要がある。ライオンは同化された羊からできている。

<今月の購入本>-2012年10&11月
◇服部 英雄「河原ノ者・非人・秀吉」山川出版社
◇重信 メイ「<アラブの春>の正体-欧米とメディアに踊らされた民主化革命」角川新書
◇ハウC.S・白石 隆「中国は東アジアをどう変えるか-21世紀の新地域システム」中公新書
◇塩野七生「『ローマ人の物語』-スペシャル・ガイドブック」新潮社

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November 23, 2018

琵琶の世界もいろいろござる

盲僧琵琶の古層を伝える<平曲>

薩摩島津藩の武士たちにひろまり伝えられてきた<薩摩琵琶>

長唄.小唄などの三味線の調弦を採り入れ、明治の半ば過ぎに登場した<筑前琵琶>は、娘琵琶として女性層にひろまっていく


<線についての考察> -2005.10.27記

ここにあらゆる表現行為に通じる一考察、否、人が生きるなかでのすべての行為を表象の位相で捉えなおすならば、およそ人のなすあらゆる行為にも通じる考察というべき掌編を紹介したい。
市川浩がその著「現代芸術の地平」岩波書店刊の冒頭に掲げた短い一文だが、煩瑣を省みず全文を引用掲載する。

 空白にひかれた一本の線ほどおどろくべきものがあろうか? それはどのような出来事にもまして根源的な出来事であり、世界の誕生を――ものとしるしとの誕生を告げている。

 それはものである。一本の線はわれわれの視線を吸収し、もろもろの存在を背景へと押しやり、動かしがたいそれ自体の存在を主張する。それは何ものをも、自己以外の何ものをも指示しないのである。

 それはまたしるしでもある。一本の線は空白を分割し、みずから背景へとしりぞくことによって、空間を生みだす。あたかも永遠に逃げてゆく地平線のように、それはもっぱら天と地を、世界の区画を、彼方と此方とを指示するのである。そして幾何学上の線のように、自らはものとしての存在を失おうとする。

 しかし一本の線は、単にそれ自体で存在するのでもなければ、もっぱら空間を分割するのでもない。それは同時に空間を結合し、天と地を、彼方と此方とを、分かちえないものとして溶融しているのである。一歩の線はあちらとこちらとを分画した瞬間に、あちらでもあればこちらでもあることによって、自らを失う。

 それは<永遠の今>にあって凝固しているようにみえるが、この不動性はみせかけにすぎない。線は<生ける現在>によって支えられ、自ら延長し、線となる。ここから予測しがたい線の散策がはじまる。

 かぎりなく延長する線があり、足踏みする線がある。炸裂し、溶融する線、そして旋回する線がある。線に内在するこの運動によって、線の決定論はその一義性を失う。<生ける現在>は休みなく自らを更新し、あるときは季節の移りのように緩慢に、あるときは日の変わりのように、またあるときは火箭のようにすみやかに、すべての線を活性化する。

 こうして上昇する線と下降する線、現れる線と消えゆく線、直行する線と彎曲する線の対位法が生ずる。もっとも単純な一本の線のうちにも、追いつ追われつするフーガのように、線化のヒステレンス=履歴現象ともいうべき内面的構造がひそんでいる。

 すでに引かれた線は、線化の進行に応じて再編されつつ、遅れた効力を発生し、線化の先端へと飛躍する無数の力線を生み出す。一歩の線は変容をかさねながら、終りのない運動をもつ魔術的な幻惑をくりひろげ、世界の生成を通じて世界の<彼方>へと、時のきらめきを通じて<永遠>へとわれわれをいざなうのである。

 キャンヴァスにだまされてはならない。キャンヴァス上の収斂する線は、その不動のみせかけによってわれわれをキャンヴァスの上にとどめるが、それはキャンヴァスの手前へと、あるいはキャンヴァスの彼方へと空間をくりひろげるためにほかならない。われわれはキャンヴァスのこちら側に居合わせると同時に、キャンヴァスの彼方に立ち合っているのである。これは<眼だまし>であるが、絵画は<眼だまし>であることによって、われわれをめざめさせ、われわれに<見ること>の本質を開示する。

 線はこうして出現するやいなや、自らを超越する。たとえ<眼だまし>であろうと、一本の線は絶対的なはじまりである。それは自己を確定することによって、もろもろの可能な線を浮かび上らせ、再び自らを仮設的な存在へと、一つの出来事へと送りかえす。

 ここにわれわれの世界の創造の秘密、その両義性、絶対の弁証法ともいうべき転換が存在する。一本の線の出現は<サンス=意味>の誕生である。しかしそのサンス=意味は、空白の<ノン・サンス=無意味>の海のなかでしか<サンス=意味>でないことを認めなければならない。<サンス=意味>としての一本の線の出現は、ただちに空白を<サンス=意味>としての空間にかえる。一本の線は新たな<サンス=意味>を誕生させる<シニフィカシオン=意味作用>となるのである。そしてこの新たなサンス=意味の誕生は、引かれた線がみずから<ノン・サンス=無意味>へと後退することによってあがなわれなければならない。

 存在は<サンス=意味>と<ノン・サンス=無意味>とのたえまない転換のうちにある。われわれは、両者が交錯するこのような存在に名づけるべき適切な言葉をもたない。ただそれを現示し、その客観的相関物を創造することができるだけである。


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<今月の購入本>-2012年09月

◇藤巻一保「古事記外伝」学習研究社

◇亀山郁夫・リュドミラ.サラスキナ「『悪霊』の衝撃」光文社新書

◇Dai Fujikura-藤倉 大-作曲「Secret Forest」CD


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午後は心斎橋大丸へ――

連れ合い殿の師匠、筑前琵琶の人間国宝-奥村旭翠さんの独演会だ。

遠い昔、小沢昭一が全国を訪ね歩き編集した「日本の放浪芸」の中で、肥後浪曲師として紹介されていた山鹿良之の琵琶弾き語りとの出逢いは嬉しいものだった。

90年代には薩摩琵琶の加藤司水さんと知己となり「山頭火のひとり語り」に演奏をして貰うようになり、その縁で「琵琶五人会」を毎年のように鑑賞するようになった。

その挙げ句、連れ合い殿に琵琶弾き語り芸を修得すべく奨めると、一も二もなく彼女は奥村旭翠さんに師事するようになった、という次第。

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November 22, 2018

<海神の馬> とジャポニズム=浮世絵の世界

遅れていたきしもと学舎会報の送付作業を
偶々やってきたM君に託せたのは、予期せぬ幸運――
宝塚へとわざわざ出向いてよかった、よかった~~

<海神の馬> とジャポニズム=浮世絵の世界 -2006.05.04記

 19世紀末のイギリスで活躍した絵本挿絵画家ウォルター・クレインが残した油絵の代表作に「海神の馬」というよく知られた幻想的な作品がある。絵を見れば記憶のよみがえる人も多いだろうが、海岸に打ち寄せる波の、その砕けた波頭が、たてがみをなびかせて疾走する無数の白い馬に変身しているという絵だ
 辻惟雄の「奇想図譜」では、このほとばしる波が疾駆する馬へと変身するという奇怪な着想の先駆をなした絵師として曽我蕭白の世界に言及する。

「波濤群鶴図」屏風がその絵だが、蕭白は18世紀の上方絵師、生没年は1730年-81年で、クレインとは一世紀あまり隔たっている。
波を馬に見立てた蕭白の趣向は、江戸の浮世絵師、北斎に受け継がれているとも見える。

「富嶽百景」シリーズの「海上の不二」では、砕けた波頭のしぶきかとまがう群れ千鳥の飛翔の姿がみどころとなっている。また「神奈川沖浪裏」では、渦巻く波濤と波に揉まれる3艘の舟、そして遥か彼方に富士の山を垣間見るという劇的な構図である。

 クレインが「海神の馬」を描いた19世紀末は、パリ万国博のあと、フランスやイギリスではジャポニズム流行の真っ只中であった。

海野弘も「19世紀後半にヨーロッパ絵画で波の表現が急に増えるのは、おそらく光琳から北斎にいたるジャポニズムの影響と無縁ではないはずである」と指摘している。

時代も空間も隔てたクレインと蕭白の、波が馬にと変身するという着想は、おそらく偶然の一致なのだろうが、クレインの幻想的イメージ形成に、北斎の波の変奏が一役買ったのではないかと想像するのは、それほど突飛なことではあるまい、と辻惟雄は結んでいる。

 想像力におけるシンクロニズム-同時性-や伝播力について、さまざま具体的に触れることはたのしく刺激的なことこのうえない。

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<今月の購入本>-2012年08月

◇三木 成夫「海・呼吸・古代形象―生命記憶と回想」うぶすな書房

◇川村 湊「<大東亜民俗学>の虚実」講談社選書メチエ

◇山岸 俊男「徹底図解 社会心理学―歴史に残る心理学実験から現代の学際的研究まで」 新星出版社

◇江宮 隆之「井上井月伝説」河出書房新社


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November 21, 2018

ふりかえってみれば‥‥

今日は水曜日なれば例によって
車椅子の岸本おじさんが九条にご到来-
コチラはPC相手に徹夜で
朝方にチョイ寝のフラフラの身だったのだが
なんとかいつものように応接をして別れた――

「ふりかえってみれば‥‥」-2005.10.22記
 図書館で借りてきた今は亡き市川浩の「現代芸術の地平」をざっと読了。
彼特有の現象学的身体論でもって60年代、70年代に活躍した建築・美術・演劇・舞踊などの作家たちの仕事を読み解いた論集。演劇でいえば、夭逝した観世寿夫、同じく寺山修司、そして鈴木忠志。とくに「他者による顕身」と題した鈴木忠志論は稿も多く詳しい。利賀山房だけでなく常連のようにその舞台によく親しんだのだろう。
私自身、市川の「精神としての身体」や「身体の現象学」は、メルロ・ポンティの「知覚の現象学」や「眼と精神」とともに教科書的存在として蒙を啓いてもらってきたし、同時代を呼吸してきた身としても、彼らの仕事に対する市川の読み解きはずしりと重さをもって得心させられる。
ふりかえってみれば、戦後60年のなかで、中村雄二郎ら哲学者たち或いは文芸評論家の蒼々たる顔ぶれが、芸術の実作者たちと真正面から向き合い、互いに共振・共鳴しあった、特筆に価する時代が60年代、70年代だった、といえるだろう。

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<今月の購入本>-2012年07月
菅谷 規矩雄「詩的リズム―音数律に関するノート」大和書房:1975年刊
菅谷 規矩雄「詩的リズム・続編―音数律に関するノート」大和書房:1978年刊
イザベラ.バード「日本奥地紀行」平凡社ライブラリー
イザベラ.バード「朝鮮紀行〜英国婦人の見た李朝末期」講談社学術文庫
フィリップ.ボール「流れ/自然が創り出す美しいパターン」早川書房
フィリップ.ボール「枝分かれ/自然が創り出す美しいパターン」早川書房


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