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September 26, 2011

どかりと山の月おちた

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―表象の森― 蛇状曲線的-痙攣的

対比-コントラスト-と逆説-パラドックス-の「蛇状曲線様式」による幻視者的な「高速度撮影-像」は、ヨーロッパ精神史の中でいくつかの頂点を閲している。こうした「爆発的に凝固した」頂点の一つがティントレットの傑作、ヴェネツィアのスクオーラ・ディ・サン・ロッコの「キリスト昇天」である。天使の翼の「爆発」に目をとめるがいい。これは全ヨーロッパ芸術の中にみずからの姿に似たものを探し求める一種の「異常-静力学(パラ・スタティック)」である。つぎにやや奥まった画面の中心点を見よう。すなわち「イデア」の世界からきたエーテル様の、テレプラズマ風なものの像-かたち-、さらにまた画面下方に重心をおく古典的構図が右手でなく左手へとずらされている点に注目しよう。すぐれて反古典的なのは天使の足である。それはまるで天使らしい点がないという怪物性を物語るように、エーテル様の中央のものの像をおそろしく非審美的な仕方で脅かしている-左画面の縁の上半-。何という対比、何という独創的な逆説! 対比と逆説はティントレットにおいて、-グレコにおけるとともに-当時のマニエリスムの頂点に達した。

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 -「キリスト昇天」ティントレット(1518-1594)-

フランスとイタリアのマニエリスムを識っていたグレコは、瑕瑾のない創造的な純粋性のうちに、このヨーロッパ的様式を適用し、ゴンゴラとともに、「形式と内容」のある醇乎たる、幻視者的な一致に到達したのであった。その蛇状曲線様式の傑作「ヨハネ幻視」は、グレコの先行者たちにとってのラオコオン群像のように、後の時代にとってひとつの「原像」となった。その今日の例としては、ピカソの「アヴィニヨンの娘たち」やマックス・エルンストの「動かない父親の幻視」などが挙げられる。
而して、ドヴォルシャックとともに、こう断言して差し支えないだろう―「芸術的幻想はマニエリスムにおいてこそ、先行する幾世紀の間に創られたもの一切をささやかな序曲と想わせる飛翔にまで高められる」と。

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 -「ヨハネ幻視」エル・グレコ(1541-1614) -
  ―G.R.ホッケ「迷宮としての世界-上-」岩波文庫より


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-248

9月14日、晴、多少宿酔気味、しかし、つつましい一日だつた。
身心が燃える-昨夜、脱線しなかつたせいかもしれない、脱線してもまた燃えるのであるが-、自分で自分を持てあます、どうしようもないから、椹野河へ飛び込んで泳ぎまはつた、よかつた、これでどうやらおちつけた。-略-
いつもリコウでは困る、時々はバカになるべし-S君に-。
イヤならイヤぢやとハッキリいふべし、もうホレタハレタではない-彼女に-。
大きな乳房だつた、いかにもうまさうに子が吸うてゐた、うらやましかつた、はて、私としてどうしたことか! -略-
月がよくなつた、蚊もゐなくなり、灯による虫も少くなかつた、暑くなし寒くなし、まことに生甲斐のあるシーズンとなつた、かうしてぶらぶらしているのが勿体ないと思ふ。
新町はお祭、月夜、四十八瀬川のほとりに組み立てられたバラツクへ御神輿が渡御された、私も参拝する、月夜、瀬音、子供の群、みんなうれしいものだつた。
此頃はよく夢を見るが-私は夢中うなるさうな、これは樹明兄の奥さんの話である-、昨夜の夢なんかは実に珍妙であつた、それは或る剣客と果し合ひしたのである、そして自分にまだまだ死生の覚悟がほんとうに出来てゐないことを知つた。
夢は自己内の暴露である。 -略-

※表題句の外、11句を記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―ランプの宿・森つべつのロビーにて-’11.07.26

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September 17, 2011

鳴くかよこほろぎ私も眠れない

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―行き交う人々― 浜田スミ子篇

RYOUKOの命日も近い10日だった。
長年音信の途絶えていた人から供物が届けられた。中身はお線香。
届け主は浜田スミ子、もう25、6年は逢っていない。

添えられた書面には、
「逆縁」拝読しました。
本のタイトルに心がざわつきました。
その扉をそっと開けると、すっかり大人になった私の知らない僚子さんがいました。
その下に゛RYOUKOよ、おまえは悲母観音になるのだ」とありました。
僚子さんが亡くなったのだと想いました。
本の内容は心に重くのしかかり、父としての思いの深さが伝わってきました。
この訃報に接したとき、ご命日に何かお届けしようと考えていました。
‥‥、などと綴られていた。

浜田スミ子-
彼女が私の作品に初めて登場したのは、’77年秋の「太陽のない日-One day the Sun has gone.」だった。
稽古場に初めてやってきた頃の彼女は、軽い対人恐怖症のようなところがあるように見受けられた。そんな気質を少しでも積極的な性向になれるようにと、友人に勧められて門を叩いてきたらしかったが、芯の強さはあったのだろう、つねに控えめではあったが、真面目な姿勢で励み、徐々に頭角を現してくる。
メロス以後、’80年に入って、稽古場では即興的な表現が中心になっていくが、そんななかで彼女の資質は開花してくる。’80年、尼崎ピッコロシアターでの「アンネ・ラウ」で体現してみせた山中優子との対照は、この作品の中軸を成したし、’84年、島之内小劇場での「秋夜長女芝居女舞三噺篇-少女貝/道成寺絵解/水蜜桃」のなかで、Solo「天国の駅」は、その持ち味に適った佳品であった、と思う。
‘86年頃までのほぼ10年、それは私自身の破綻と再生を挟んだ10年であるが、彼女の20代前半から30代前半を、自身のもっとも華やいだ季節として、私とともに歩んでくれたことになる。

そんな彼女に、お礼の文を綴る-
些か驚きつつも、
お供えの品、ありがたく頂戴しました。
私の家には、仏壇や位牌はないのだけれど、
彼女の写真と、小さな小さな遺骨の入ったロケットが、
机の前の書棚にあります。
なるべく一輪挿しの花を絶やさぬように、
また、日々、お線香を薫らせてもいます。
過分なお志とともに、御文しみじみと拝読、感謝。
ありがとう。


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-247

9月13日、起きたい時に起き、寝たい時に寝る、食べたくなれば食べ、飲みたくなれば飲む-在る時には―である-。-略-
めづらしい晴れ、ときどきしぐれ、好きな天候。
摘んできて雑草を活ける、今朝は露草、その瑠璃色は何ともいへない明朗である。
母屋の若夫婦は味噌を搗くのにいそがしい、川柳的情趣。
白船老から来信、それは私に三重のよろこびをもたらした、第一は書信そのもの、第二は後援会費、第三は掛軸のよろこびである。
蛇が蛙を呑んだ、悲痛な蛙の声、得意満面の蛇の姿、私はどうすることもできない、どうすることはないのだ!
廃人が廃屋に入る、―其中庵の手入れは日にまし捗りつつあると、樹明兄がいはれる、合掌。-略-
いやな夢ばかり見てゐる。‥
唖貝-煮ても煮えない貝-はさみしいかな。
根竹の切株を拾ふ、それはそのまま灰皿として役立つ。

※表題句の外、15句を記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―釧路湿原展望台-’11.07.26

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September 14, 2011

樹影雲影に馬影も入れて

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―日々余話― たまらぬ残暑に‥

からだが怠い、いささか夏バテ‥‥。とにかく蒸し暑い‥、今日はいったい何日だっけ?
9.14‥、とたんにはっと気づいた、RYOUKOの‥‥。
そうだ、礼状を書かなければ‥、遠い昔の知友から供物の線香が届いていた、二、三日前だ。
春先に送った書への応当だが、それが半年も経てとなったのは、即座に読むに重すぎた所為だろう。平静さを取り戻してから、じっくりと読んでくれたと見える。添えられた短い書面からもそのことは覗える。
6月29日から「山頭火の一句」の日付と同じく、道行と洒落込んでブログの更新を励んできたのに、とうとうその禁を破ることに‥。


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-246

9月12日、晴曇不定、厄日前後らしい天候である。
昨夜は蚊帳を吊らなかつた、昼でも障子を締めておく方がよい時もある。
自己勘検は失敗だつた、裁く自己が酔ふたから!
樹明兄から米を頂戴した、これで当分はヒモじい目にあはないですむ、ありがたや米、ありがたや友。
憤独―自己を欺かない、といふことが頻りに考へられた、一切の人間的事物はこれを源泉としなければならない。
古浴衣から襦袢一枚、雑巾二枚を製作した。
夕ぐれを樹明来、蒲鉾一枚酒一本で、とろとろになつた。
今日の水の使用量は釣瓶で三杯-約1斗5升-。
近来少し身心の調子が変だ、何だかアル中らしくもある-ただ精神的に-。
今夜も楽寝だつた。

※この日句作なし、表題句は9月10日記載の句

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Photo/北の旅-2000㎞から―釧路湿原駅-’11.07.26

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September 11, 2011

萩の一枝にゆふべの風があつた

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―日々余話―
たった一泊の白馬、あわただしい休日-

ラフオーレ白馬美術館でChagallを鑑賞、銅版、木版の、多くの板画が展示されていた。彼の生涯と作品を解説する映像は、入門には好適。

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宿泊のログハウスは、もうかなり年代物だが、それでも家族水入らずの一夜には快適に充分愉しめる。
明くる朝はレンタサイクルで2時間ほど白馬遊輪-とくれば爽快感あふれそうだが、まだ暑気もたっぷりで汗びっしょりと青息吐息、帰路の長丁場の運転が堪えたこと。

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―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-245

9月11日、曇、夕方から雨、ほんとうに今年は風が吹かない。
ふつと眼がさめたのは4時、そのまま起きる、御飯をたいて御経をあげて、そしたらやつと夜が明けた。-略-
昨日の日記を読んで驚いた、それは夢遊病者の手記みたいだつた-前半はあれでもよからう-、アルコールの漫談とでもいはうか、書かなくてもよい事が書いてある代りに、書かなければならない事が書いてない。-略-
昨夜、樹明兄を見送つて、日記を書きはじめたのは覚えてゐる、書いてゐるうちに前後不覚になつたらしい。
意識がなくなる、といつては語弊がある、没意識になるのである-それは求めて与へられるものぢやない、同時に、拒んで無くなるものでもない-。
その日記を通して自己勘検をやつてみる。
案山子二つ、‥赤いとあるだけではウソだ。
その前のところに、―即今無-とある、無意味だ、といふよりも欠陥そのものだ、無無無といつた方がよいかも知れない、とにかくムーンだから! -略-

※表題句の外、11句を記す

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Photo/白馬村―薬師の足湯に居並ぶ石仏たち-’11.09.11

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September 10, 2011

また逢ふまでのくつわ虫なく

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―表象の森― <日暦詩句>-45

 「眼」  西脇順三郎

白い波が頭へととびかゝつてくる七月に
南方の奇麗な町をすぎる。
静かな庭が旅人のために眠つてゐる。
薔薇に砂に水
薔薇に霞む心
石に刻まれた髪
石に刻まれた音
石に刻まれた眼は永遠に開く。

  ―詩集「Ambarvalia」所収-昭和9年-


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-244

9月10日、とうとう徹夜してしまつた、悪い癖だと思ふけれど、どうしてもやまない、おそらくは一生やまないだらう、ちようど飲酒癖のやうに。 -略-
身辺に酒があると、私はどうも落ちつけない、その癖あまり飲みたくはないのに飲まずにはゐられないのである、且浦で酒造をしてゐる時、或る酒好老人がいつたことを想ひだした、-ワシは燗徳利に酒が残つてをつてさへ、気にかかつて寝られないのに、何と酒屋は横着な、六尺の酒桶を並べといて平気でゐられたもんだ、―酒に「おあづけ」はない! -略-
今夜は此部屋で十日会-小郡同人の集まり-の最初の句会を開催する予定だつたのに、集まつたのは樹明さん、冬村さんだけで-永平さんはどうしたのだらう-、そして清丸さんの来訪などで、とうとう句会のほうは流会となつてしまつた、それもよからうではないか。
みんなで、上郷駅まで見送る、それぞれ年齢や境遇や思想や傾向が違ふので、とかく話題はとぎれがちになる、むろん一脉の温情は相互の間を通うてはゐるけれど。 -略-
焼酎のたたりだらう、頭が痛んで胃が悪くなつた、じつさい近頃は飲みすぎてゐた、明日からは慎まう。

※表題句の外、6句を記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―富良野麓郷、五郞の石の家-’11.07.25

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September 09, 2011

起きるより土をいぢつてゐるはだか

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―日々余話 三年前の今日

とうとう、か‥、やっと、か‥、
とにかくも、あの夜から、丸三年が経った

あの、忌まわしい事故が起きたのは、午後8時15分頃
私の携帯に、報せが入ったのは、午後9時を少し過ぎていたか‥

事故直後より、おまえは、ただ眠りつづけ、5日後に逝った
その一周忌に、私は、「おまえは悲母観音になるのだ」と祈った

今日、久しぶりの墓参、ただ独りきり、花を手向け、観音経を読誦したが‥

おまえは、もう、悲母観音になったかい‥‥

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―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-243

9月9日、相かはらず降つてゐる、そしてとうとう大雨になつた、遠雷近雷、ピカリ、ガランと身体にひびくほどだつた、多分、どこか近いところへ落ちたのだらう。
午後は霽れてきた、十丁ばかり出かけて入浴。
畑を作る楽しみは句を作るよろこびに似てゐる、それは、産む、育てる、よりよい方への精進である。
出家-漂泊―庵居-孤高自から持して、寂然として独死する-これも東洋的、そしてそれは日本人の落ちつく型-生活様式-の一つだ。
魚釣にいつたが一尾も釣れなかつた、彼岸花を初めて見た。
夕方、樹明兄から珍味到来、やがて兄自らも来訪、一升買つてきて飲む、雛鳥はうまかつた、うますぎた、大根、玉葱、茄子も、そして豆腐も。
生れて初めて、生の鶏肉-肌身-を食べた、初めて河豚を食べたときのやうな味だつた。Comfortable life 結局帰するところはここにあるらしい。

※表題句の外、8句を記す

09091

Photo/「Soulful Days 逆縁-或る交通事故の顛末-」表紙

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September 08, 2011

日照雨ぬれてあんたのところまで

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―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-242

9月8日、酔中、炊いたり煮たり、飲んだり食べたりして、それを片付けて、そのままごろ寝したと見える、毛布一枚にすべてを任しきつた自分を見出した。
雨がをりをりふるけれど、何となくほほゑまれる日だ。 -略-
其中庵へ行つた、屋根の葺替中だつた、見よ、其中庵はもう出来てゐるのだ、夏草も刈つてあつた、竹、黄橙、枇杷、蜜柑、柿、茶の木などが茂りふかく雨にしづもり立つてゐた。‥
米はKさんが、塩はIさんがあげます、不自由はさせませんよといつて下さる、さて酒は。‥
百舌鳥の最初の声をきいた、まだ秋のさけびにはなつていない。 -略-
けさ撒いてゆふべ芽をふく野菜もある、昨日撒いたのに明日でなければ芽ふかないのもあるといふ、しよつちゆう、畑をのぞいて土をいぢつて、もう生えた、まだ生えないとうれしがつてゐる、私までうれしくなる。 -略-
いろんな虫がくる、今夜はこほろぎまでがやつてきて、にぎやかなことだつた。

※表題句の外、3句を記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―富良野、フアーム富田にて-’11.07.25

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September 07, 2011

枯れようとして朝顔の白さ二つ

Santouka081130097

―日々余話― 由らしむべし知らしむべからず

そのとき、私は愕然とした――

そうか、そうだったのか、それが事の本体か‥、なんということ、これは‥、この問題は、そういことだったのか。

問題の渦中にある者、それがのっぴきならない問題であればあるほど、肝心の当事者が、その問題の本質を見きわめるということはほんとうに難しい、困難極まることだと、つくづく思い知った。

事はもう25年前、’86-S61-年5月の出来事、一方の当事者は私自身である。それは一定の法的手続きが採られるに至ったことなのだが、その手続きの採りよう、それがどうしても臓腑にしっかりと落ちず、小さな瘡蓋のようなものになったまま、とうとう今日まできてしまったのだが‥。

この両三日ほど、否やもなくまたぞろこの問題に向き合わねばならなくなって、それこそ文字どおり肚を据えて考えていたのだが、雷にでも打たれたかのごとく突然、問題の本質が見えたのだった。それはまさに有ってはならぬ、人としてとんでもない事なのだが、その事にはっきりと思いあたったのだった。

これはまさしく「由らしむべし、知らしむべからず」の支配者の論理-
人が他方を人として侮り、知-無知の、支配-被支配の構図に置かなければ、けっして為しえないこと――それが事の本質だったのだ。

考えてみれば、仮に私が当事者ではなく、交わりのあるなしに拘わらず他者からの相談ごととして、このような類似の問題に第三者として直面していたとすれば、おそらく大した苦労もせずその問題の本質を見ぬき得ていた筈だろうに、当事者であったがゆえに私は、四半世紀もの間、見れども見えぬ、朦朧とした雲霞のなかにうち過ごしてきてしまったのだ。

 ――この件については、あまりに極私的ゆえ、これ以上具体的には綴れないのです――


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-241

9月7日、朝、天地清明を感じた、いはゆる秋日和である、寒いほどの冷気だつた。
-略-、今日の午後は、樹明さんと冬村君とが、いよいよ例の廃屋を其中庵として活かすべく着手したとの事、草を刈り枝を伐り、そしてだんだん庵らしくなるのを発見したといふ、其中庵はもう実現しつつあるのだつた、何といふ深切だらう、これが感泣せずにゐられるかい。
明日は私も出かけて手伝はう、其中庵は私の庵じやない、みんなの庵だ。
樹明さんからの贈物、-辛子漬用の長茄子、ニンヂンのまびき薬、酒と缶詰。
真昼の茶碗が砕けた、ほがらかな音だつた、真夜中の水がこぼれた、しめやかにひろがつた。‥
一つの風景-親牛仔牛が、親牛はゆうゆうと、仔牛はちよこちよこと新道を連れられて行く、老婆が通る、何心なく見ると、鼻がない、恐らくは街の女の成れの果だらう、鐘が鳴る、ぽかぽかと秋の陽が照りだした、仰げばまさに秋空一碧となつてゐた。‥

※表題句の外、4句を記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―札幌の時計台-’11.07.25

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September 06, 2011

まがつた風景そのなかをゆく

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―四方のたより― 樹木希林のCM-雑草篇

「やっぱりひとりがよろしい雑草」と、山頭火のよく知られた句を呟く樹木希林――
バツクには福山雅治が歌う「家族になろうよ」が流れ、
ややあって、前句をひとひねりしたかのように「やっぱりひとりじゃさみしい雑草」と呟く――、
そんなモノローグのCMがこのところ眼を惹くが、これはどうしても耳に触る。

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山頭火には、前句に対照するかのように「やっぱりひとりはさみしい枯草」という句があるのを、ご存じの人も多い筈、
ひとりがよろしい雑草-は昭和8年、ひとりはさみしい枯草-のほうは昭和11年と、句作の時期が離れるが、ともに小郡其中庵時代の句作で、後者は、いわば対句のように、前者の存在を抜きにしては生まれ得ない。
CMの制作者も、また樹木希林も、このことを知らぬわけでもなかろうに、あえてそういうデフオルメをしたのだろうが、これでは下手をすると、山頭火の句作においても
「やっぱりひとりがよろしい雑草」-「やっぱりひとりはさみしい枯草」の対照が、
「やっぱりひとりがよろしい雑草」-「やっぱりひとりじゃさみしい雑草」へと転移してしまう誤解が生じかねないし、実際そういう受けとめをしている人たちをかなり生み出してしまっているようだ。


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-240

9月6日、3時になるのを待つて起きた、暫時読書、それから飯を炊き汁を温める。‥
気分がすぐれない、すぐれない筈だ、眠れないのだから。
昨日は誰も訪ねて来ず、誰をも訪ねて行かなかつた、今朝は樹明さんが出勤途上ひよつこり立ち寄られた、其中庵造作の打合せのためである、いつもかはらぬ温顔温情ありがたし、ありがたし。
-略-、夜は樹明、冬村の二兄来庵、話題は例によつて、其中庵乃至俳句の事、渋茶をがぶがぶ飲むばかりお茶うけもなかつた。
今日うれしくも酒壺堂君から書留の手紙がきた、これで山頭火後援会も終つた訳だ-決算はまだであるが-、改めて、私は発起賛同の諸兄に感謝しなければならない、殊に緑平老の配慮、酒壺堂君の斡旋に対して。

※表題句の外、3句を記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―苔の洞門にて-’11.07.25


三日月、遠いところをおもふ

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-239

9月5日、曇、どうやらかうやら晴れそうである。
つつましい、あまりにつつましい一日であつた、釣竿かついで川へ行つたけれど。――
彼から返事が来ないのが、やつぱり気にかかる、こんなに執着を持つ私ではなかつたのに!
ふと見れば三日月があつた、それはあまりにはかないものではなかつたか。――
  三日月よ逢ひたい人がある –彼女ぢやない、彼だ-
  待つともなく三日月の窓あけてをく –彼のために-
この窓は心の窓だ、私自身の窓だ。
-略- とうしても寝つかれない、いろいろの事が考へられる、すこし熱が出てからだが痛い、また五位鷺が通る。
とぶ虫からなく虫のシーズンとなつた、虫の声は何ともいへない、それはひとりでぢつと聴き入るべきものだ。
味覚の秋―春は視覚、夏は触覚、冬は聴覚のシーズンといへるやうに―早く松茸で一杯やりたいな。-略-

※表題句及文中句の外、3句を記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―支笏湖にて-’11.07.25

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September 04, 2011

雨ふるふるさとははだしであるく

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―四方のたより― 鳴り物入りの不発弾

台風12号は山陰沖に去ったというのに、なお近畿南部などには豪雨警報もあり、台風一過とはなかなかいかないらしい。
その台風襲来のなか、3、4日の両夜、木津川縁の一隅で催されているのが件の催し。

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音楽、ダンス/舞踏、パフォーマンス、映像、朗読等、
ミクストメディアのアーティストによるコラボレーション、即興表現の祭典-
その名も「PERSTECTIVE EMOTION WEST」と題されている。
出演のメンバーは全国各地から駆けつけているが、さすがに昨夜は台風の影響で、予定のメンバーが3名欠けたなかで行われた。

さりながらこのイベント、出演者たち関係者たちにとってある種の祝祭空間となりえたとしても、残念ながら、関係者以外の観者らにとっては、はっきりいって苦行以外のなにものでもない。
集まった多彩な顔ぶれも、それぞれにおいて技倆的落差もはげしいのだが、そんなことよりも、この祝祭を貫く方法論的仕掛自体に大いに問題がある、と言わざるをえない。

その仕掛とは、第1部「シャッフル1」Duo、第2部「シャッフル2」Trio、第3部「生まれくる集合による即興」といういたって単純なものだが、私はこれを私流の解釈で、たとえば第1部においては、聴覚系と視覚系のパフォーマーをそれぞれにDuo、すなわちDuo×Duoとして供されるものとばかり思っていたのだが、その予想はまったく外れ、なにもかもひとまとめに、そのなかから偶然のクジにまかせ、単なるDuoを行うものだったのだ。
したがって、聴覚系×視覚系ばかりでなく、聴覚系のみのDuoもあれば、視覚系だけのDuoも生まれるわけだが、この程度の組合せでは、即興表現を成立させる磁場として、あまりにポテンシャルが低いというものだ。なにしろ出演者は20名余りいるから、10組以上の沈滞せるシーンの羅列に延々と付き合わされるのだから堪らない。
第2部のTrioになってもポテンシャルにおいて大差はない。唯一観どころ聴きどころとなりえたのは、偶々ビオラの大竹徹も入った聴覚系のみのTrioとなった演奏、このシーンだけで、この時ばかりは演奏後の拍手も、さすがに客席は正直なもので、他と比べて一段と大きかった。


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-237

9月3日、今朝も早かつた、四大不調は不思議に快くなつた、昨夜、樹明さんからよばれたタマゴが効いたのかも知れない、何しろ、薬とか滋養物とかいふものがききすぎるほどきく肉体の持主だから。
夕立がきた、夕立を観ず、といつたやうな態度だつた。
午後、周二さん来訪、予期しないでもなかつた、間もなく敬治君も来訪、予期したやうに、そして樹明兄は間違なく来訪。
汽車弁当で飲んだ、冬村君もやつてきて、小郡に於ける最初の三八九会みたいだつた。
よい雨、よい酒、よい話、すべてがよかつた、しかし一人去り二人去り三人去つて、私はまた独りぼつちになつた、かういふ場合には私だつてやはり寂しい、それをこらへて寝た、夢のよくなかつたのは当然である。

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-238

9月4日、雨、よう降りますね、風がないのは結構ですね。
午前は、樹明さん、敬治さん、冬村さんと四人連れで、其中庵の土地と家屋とを検分する、みんな喜ぶ、みんなの心がそのまま私の心に融け入る。‥‥
午後はまた四人で飲む、そしてそれぞれの方向へ別れた。
夕方から夕立がひどかつた、よかつた、痛快だつた。
さみしい葬式が通つた。-略-
故郷へ一歩近づくことは、やがて死へ一歩近づくことであると思ふ。
――孤独、――入浴、――どしや降り、雷鳴、――そして発熱――倦怠。
私はあまりに貪つた、たとへば食べすぎた-川棚では一日五合の飯だつた-、飲みすぎた-先日の山口行はどうだ-、そして友情を浴びすぎてゐる。‥‥
かういふ安易な、英語でいふ easy-going な生き方は百年が一年にも値しない。
あの其中庵主として、ほんとうの、枯淡な生活に入りたい、枯淡の底からこんこんとして湧く真実を詠じたい。

※表題句の外、2句を記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―苔の洞門、小さな石ころにも苔が覆っている-’11.07.25

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September 02, 2011

いちじくの実や、やつとおちついた

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―四方のたより― 異常台風

台風12号の上陸もまぢかというのにずいぶんと蒸し暑い。
それにしても異常な進路、うろうろ、のろのろと、今年の台風は従来型からほど遠いのは、どうにも気にかかるが、そういった問題については、気象庁なども情報が乏しい。

<日暦詩句>
台風の所為で海上は荒れに荒れ、強風と豪雨が列島を広範囲に襲っているというのに、あろうことか今夜は、茨木のり子の「四海波静」を挙げる。

  四海波静 -茨木のり子

戦争責任を問われて
その人は言つた
  そういう言葉のアヤについて
  文学方面はあまり研究していないので
  お答えできかねます
思わず笑いが込みあげて
どす黒い笑い吐血のように
噴きあげては 止り また噴きあげる

三歳の童子だって笑い出すだろう
文学研究果さねば あばばばばとも言えないとしたら
四つの島
笑-エラ-ぎに笑-エラ-ぎて
三十年に一つのとてつもないブラック・ユーモア

野ざらしのどくろさん
カタカタカタと笑ったのに
笑殺どころか
頼朝級の野次ひとつ飛ばず
どこへ行ったか散じたか落首狂歌のスピリット
四海波静かにて
黙々の薄気味わるい群衆と
後白河以来の帝王学
無音のままに貼りついて
ことしも耳すます除夜の鐘

  -詩集「自分の感受性くらい」所収-S52-、初出S50.11「ユリイカ」


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-236

9月2日、おだやかな雨、ことに昨夜は熟睡したので、のびのびとした気分であつた。
4時に起きて5時に食べ6時には勤行もすました、この調子で其中庵生活は営まれなければならない。
発熱倦怠、身心が痛む、ぢつとしてゐると、ついうとうとする、甘酸つぱいやうな、痛痒いやうな気分である、考へるでもなく考へないでもなく、生死の問題が去来する、‥‥因縁時節はどうすることも出来ない、生死去来は生死去来だ、死ぬる時は死ぬる、助かる時は助かる。‥‥
事実を活かす、飛躍よりも漸進、そして持続。
快い苦しみ、苦しい快さ-今日一日の気分はかうだつた-。
夕方、樹明さんに招かれて、学校の宿直室で11銭のお弁当をよばれる、特に鶏卵が二つ添へてある、飯盒を貰つて戻る、御飯蒸器では-飯釜を持たないから-どうも御飯の出来栄がよろしくないので。
ごろりと横になつて、襖の文字を読む、―一関越来二処三処、難関再来一関覚悟、
此家の主人が若うして不治の疾にとりつかれたとき書きつけたのださうな。

※表題句の外、1句を記す

09021

Photo/北の旅-2000㎞から―大沼湖-’11.07.24

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September 01, 2011

後悔の朝の水を泳ぎまはる

Santouka081130096

―四方のたより― 茶谷祐三子のインド舞踊講座

インド古典舞踊Odissi Danceを踊る花の宮こと茶谷祐三子から講座開設の案内が送られてきた。

1989(S64)年6月4日の天安門事件、その2週間前の5月19日から24日、われわれ一行は上海・瀋陽・北京を巡っていた。一行とは瀋陽(満州時代の奉天)で開催中の中国評劇交流祭に現代舞踊の公演をするため組織した12名の訪中交流団である。
茶谷祐三子もこの一行の一人であった。彼女はその後、中国西域を経てインドに渡り、Odissi Danceと出会うのだが、そのあたりの事情については以前のBlogで書いているので参照して貰えれば‥。
「行き交う人々」-茶谷祐三子篇


Tyatani01

また、彼女のインド舞踊講座に関する情報は此方-いちょうネット-に詳しく掲載されている。


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-235

9月1日、朝の汽車でいつしよに戻る、そして河へ飛びこんで泳いだ、かうでもしなければ、身心のおきどころがないのだ、午後また泳いだ、六根清浄、六根清浄。
二百十日、大震災記念日、昨日の今日だ、つつましく生活しよう。
今日も夕立がきた、降れ降れ、流せ流せ、洗へ洗へ。すべてを浄化せよ。
とにかく、更生しなければ、私はとても生きてはゐられない、過去一切の舊習を清算せずにはゐられなくなつた。

※表題句の外、3句を記す

09011

Photo/北の旅-2000㎞から―五稜郭の真新しい箱館奉行所-’11.07.24

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