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August 31, 2011

雨の蛙のみんなとんでゐる

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―四方のたより― 大塔村星の国

後醍醐の皇子護良親王が拠った大塔宮にその名を由来する大塔村は、地図上ではすでに姿を消してしまっている。
旧大塔村は、隣接した吉野郡西吉野村とともに、’05年9月、五條市に合併編入されていたのだ。現在は五條市大塔町。
その大塔町にある星の国へ、二日つづきの晴天に満点の星空など子どもに鑑賞させてやれればと、昨夕、家族とともに車を走らせた。
ところが出かける頃から、夕空には雲がちらほらとと目立つようになってきた。午後7時にはまだ少し間のある頃、目的の地に着いたが、暮れかかった空は雲にさえぎられわずかにしか望めない。

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正面円形の建物は道の駅「吉野路大塔」、右の坂が星の国へのアプローチ。

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坂を登っていくと左右にいくつかのドーム付バンガローやログキャビンが配され、登りきった辺りに天文台、その奥手にロッジがある。

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天文台に入って望遠鏡を覗くも、まったく星は見えず、やむなくプラネタリウムへと移動、スクリーンでの星座鑑賞と相成ってしまった。


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-234

8月31日、曇后晴。4時半起床、朝食7時、勤行8時、読書9時、散歩11時、それから、それから。‥‥
裸体で後仕舞いをしてゐたら、虫が胸にとまつた、何心なく手で押へたので、ちくりと螫された、蜂だつたのだ、さつそく、ここの主人にアンモニヤを塗つて貰つたけれど、少々痛い。
駅まで出かけて、汽車の時間表をうつしてくる、途上で野菜を買ふ、葱1束2銭也-この葱はよくなかつた-。
川棚から小郡へきた時、私の荷物は三個だつた、着物と書物とで岳行李が一つ、蒲団と机とで菰包みが一つ、外に何やら彼やらの手荷物一つである、ずいぶん簡単な身軽だと思つてゐたのに、樹明兄は、私としてはそれでも荷物が多過ぎるといふ、さういへばさうもいはれる。
ざーつと夕立がきた、すべてのものがよろこんでうごく、川棚では此夏一度も夕立がなかつたが。
午後、樹明さんが黒鯛持参で来訪-モチ、銘酒註文-、ゆつくり飲む、夕方、山口まで進出して周二居を驚かす、羨ましい家庭であつた、理解ある母堂に敬意を表しないではゐられなかつた。
そけから-、それからがいけなかつた、徹宵飲みつづけた、飲みすぎ飲みすぎだ、過ぎたるは及ばざるにしかず、といふ事は酒の場合に於て最も真理だ、もう酒には懲りた、こんな酒を飲んでは樹明さんにすまないばかりでなく世間に対しても申訳ない、無論、私自身に対し、仏陀に対しては頭を石にぶつけるほどの罪業だ。
我昔所造諸悪業、皆由無始貪瞋癡、従身語意之所生、一切我今皆懺悔、
―ほんとうに、懺悔せよ。

※表題句の外、1句を記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―函館、トラビスチヌ修道院-’11.07.24

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August 30, 2011

稲妻する過去を清算しやうとする

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-表象の森― 今月の購入本

・B.エルンスト「エッシャーの宇宙」朝日新聞社
エツシヤー自身との共同作業で、その全作品の制作動機やアイデアなどの成長過程をまとめあげた労作。訳は坂根巌夫、初版’83年刊の第15刷版-‘90-の中古書
・ヘーゲル「歴史哲学講義 上」/「 々 下」岩波文庫
長谷川宏という訳者を得て、新しい読者層をひろげたヘーゲルの世界史講義。

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・G.ブルーノ「無限、宇宙および諸世界について」岩波文庫
地動説や宇宙の無限を唱え、異端者として焚刑に処された修道士ブルーノの、長らく禁書とされてきた書。

・長谷川宏「いまこそ読みたい哲学の名著」光文社文庫
アラン・シエークスピアにはじまりウイトゲンシユタイン・M.ポンテイまで、12著作を採り上げた鑑賞ガイダンス。

・竹下節子「聖者の宇宙」中公文庫
驚いたことに巻末には50頁に及ぶ詳細な聖者カレンダーなるものが併載されている。

・秋山巌「山頭火版画句集-版画家・秋山巌の世界」春陽堂
100の句と版画を掲載した廉価版の秋山巌版画集

・「つなみ-被災地のこども80人の作文集」文藝春秋


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-233

8月30日、風が落ちておだやかな日和となつた、新居三日目の朝である、おさんどんと坊主とそして俳人としてのカクテル。
今日もまた転居のハガキを書く-貧乏人には通信費が多すぎて困る、といつて通信をのぞいたら私の生活はあまりに殺風景だ-。
樹明兄から、午後1時庵にふさはしい家を見に行かう、との来信、一も二もなく承知いたしました。大田の敬坊-坊は川棚温泉に於ける私を訪ねてくれた最初の、そして最後の友だつた-から、ありがたい手紙が来た、それに対して、さつそくこんな返事をだしてをいた。-
‥‥私もいよいよ新しい最初の一歩-それは思想的には古臭い最後の一歩-を踏みだしますよ、酒から茶へ-草庵一風の茶味といつたやうな物へ-山を水を月を生きてゐるかぎりは観じ味はつて-とにもかくにも過去一切を清算します。‥‥
-略-、樹明兄に連れられて、山麓の廃屋を見るべく出かけた、夏草ぼうぼうと伸びるだけ伸んでゐるところに、その家はあつた、気にいつた、何となく庵らしい草葺の破宅である、村では最も奥にある、これならば「其中庵」の標札をかけても不調和なところはない、殊に電灯装置があつたのは、あんまり都合がよすぎるよ。
帰途、冷たいビール弐本、巻鮨一皿、これだけで二人共満腹、それから水哉居を訪ねる-君は層雲派の初心晩学者として最も真面目で熱心だ-。
樹明兄の人柄が渾然として光を放つた、その光に私はおぼれてゐるのではあるまいか。
其中庵、其中庵、其中庵はどこにある。
廃屋から蝙蝠がとびだした、私も彼のやうに、とびこみませう。
水哉居でよばれた酢章魚はほんたうにおいしかつた、このつぎは鰒だ。
ふけてから、ばらばらと雨の音。
今夜は寝つかれさうだ、何といつても安眠第一である、そして強固な胃袋、いひかへれば、キヤンプをやるやうなもので、きたないほど本当だ。

※表題句のみ記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―函館、トラビスチヌ修道院にて-’11.07.24

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August 29, 2011

風のトマト畑のあいびきで

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―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-232

8月29日、厄日前後らしい空模様である、風のために木まで動く、炊事、掃除、読書、なかなか忙しい。
処方の知友へ通知葉書を出す、三十幾つかあって、ずゐぶん草臥れた。-略-
新居第一日に徹夜して朝月のある風景ではじまつた。
あせらずにゆうゆうと生きてゆくこと。
夜おそく、樹明兄来訪、友達と二人で。
いろいろの友からいろいろの品を頂戴した。樹明兄からは、米、醤油、魚、そして酒!
友におくつたハガキの一つ。-
「何事も因縁時節と観ずる外ありませんよ、私は急に川棚を去つて当地へ来ました。庵居するには川棚と限りませんからね。ここで水のよいところに、文字通りの草庵を結びませう、さうでもするより外はないから。山が青く風が涼しい、落ちつけ、落ちつけ、おちつきませう。」
いつとなく、なぜとなく-むろん無意識的に-だんだんふるさとへちかづいてくるのは、ほんとうにふしぎだ。
野を歩いて、刈萱を折つて戻つた、いいなあ。
どこにもトマトがある、たれもそれをたべてゐる、トマトのひろまり方、。たべられ方は焼芋のそれを凌ぐかも知れない、いや、すでにもう凌いでゐるかも知れない。

※表題句の外、3句を記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―小樽運河、中央橋より-’11.07.30

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August 28, 2011

秋風のふるさと近うなつた

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―四方のたより― 琵琶のゆかた会

今夏で3回目となる筑前琵琶奥村旭翠門下の「ゆかた会」が、今日の午後、藤井寺駅近くの料亭こもだで催された。
毎年2月の「びわの会」は欠かしたことはないが、このゆかた会に関しては前2回とも失礼してきた。三度目のなんとやら、今回はひょいとその気になって、出向いてみた。
会場は、普段は宴会場に供されるのだろう、ずいぶんと広い和室。プログラムは全12曲、末永旭濤ことJunkoは4番目の登場で、演目は明智光秀の最期を詠ずる「小栗栖」、山崎旭萃の代表曲にも数えられる作品だから自ずと稽古にも身が入っていたろう。
旭翠師についてすでに10年、発声は学生演劇から鍛えているから一応問題なしだが、歳も四十を越えたことだし、そろそろ節に艶が欲しい頃ではないか、というのが第一感。

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「ゆかた会」そのものについて一つ難を挙げれば、会場が座敷であること。12曲延べ3時間余を座敷で聴くのは些か堪える。いや聴くほうだけではない、演ずるほうも先番たちを聴きながら同じ座敷で出番を待つのはやはり堪えよう。実際、出番が後になるほど、年期の入ったベテランなのだが、それにもかかわらず少々集中力を欠いていたように見うけられた。
そんななかで、ひとり存分に演じていたのは新家旭桜のみである。彼女には自身の技倆的課題がつねに明確に見えているからだ。琵琶の奏法については余人の追随を許さず、すでに群を抜いた存在である彼女であってみれば、語りにおけるいわば心技体がいかにあるべきか、といった地点に向かっているからだ、と思われる。
宴会用の広い座敷は、本来当座の一同みな胸襟を開いて和やかに、さらにはくだけてよしとする空間だ。そんな場所で、長時間の集中を持続させるのは甚だ難しい、我知らずどうしてもダレが忍び寄るというものだ。
「ゆかた会」を今後も継続していくとすれば、会場については一考されたほうがよいだろう。


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-231

8月28日、小郡町柳伊田、武波憲治氏宅裏。
朝から二人で出かける、ちようど日曜日だつた、この雑座敷を貸していただいた-ここの主人が樹明兄の友人なので、私が庵居するまで、当分むりやりにをいてもらふのだ-。
駅で手荷物、宿で行乞道具、運送店で荷物、酒屋で酒、米屋で米。
さつそく引越して来て、鱸のあらひで一杯やる、樹明兄も愉快さうだが、私はよつぽど愉快だ。夜、冬村君が梅干とらつきようを持つて来て下さる、らつきようはよろしい。
一時頃まで話す、別れてから、また一時間ばかり歩く、どうしても寝つかれないのだ。

※表題句の外、1句を記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―札幌自動車道、金山PAにて-’11.07.29

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August 27, 2011

けふはおわかれのへちまがぶらり

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―四方のたより― ご帰還

先週来トラブルのPCが修理を終え、ご帰還あそばした。
修理報告書に曰く、マザーボードとパワーサプライを交換した、と。
今夏の暑熱地獄ではかなくも炎上?したものとみえる。
保証期間を2年としていたからよかったものの、でなければ2、3万円を請求される憂き目をみたことだろう。
使用者としては、マシンのデリカシーというものにもう少し気を配れないといけないのだが、なかなか‥。


―表象の森― <日暦詩句>-43

  「大儀」  山之口獏

躓いたら転んでゐたいのである
する話も咽喉の都合で話してゐたいのである
また、
久し振りの友人でも短か振りの友人でも誰とでも
逢へば直ぐに、
さよならを先に言ふてゐたいのである
すべて、
おもふだけですませて、頭からふとんを被つて沈殿してゐたいのである
言ひかへると、
空でも被つて、側には海でもひろげて置いて、人生か何かを尻に敷いて、膝頭を抱いて
その上に顎をのせて背中をまるめてゐたいのである。

   -「山之口獏詩文集」講談社文芸文庫より



―山頭火の一句―
行乞記再び-昭和7年-230

8月27日、樹明居。
晴、残暑のきびしさ、退去のみじめさ。
百日の滞在が倦怠となつただけだ、生きることのむつかしさを今更のやうに教へられただけだ。、世間といふものがどんなに意地悪いかを如実に見せつけられただけだつた、とにかく、事ここに到つては万事休す、去る外ない。
  けふはおわかれのへちまがぶらり –留別-
これは無論、私の作、次の句は玉泉老人から、
  道芝もうなだれてゐる今朝の露
正さん-宿の次男坊-がいろいろと心配してくれる-彼も酒好きの酒飲みだから-、私の立場なり心持なりが多少解るのだ、荷造りして駅まで持つて来てくれた、50銭玉一つを煙草代として無理に握らせる、私としても川棚で好意を持つたのは彼と真道さんだけ。
午後2時47分、川棚温泉よ、左様なら!
川棚温泉のよいところも、わるいところも味はつた、川棚の人間が「狡猾な田舎者」であることも知つた。
山もよい、温泉もわるくないけれど、人間がいけない!
立つ鳥は跡を濁さないといふ、来た時よりも去る時がむつかしい-生れるよりも死ぬる方がむつかしいやうに-、幸にして、私は跡を濁さなかつたつもりだ、むしろ、来た時の濁りを澄ませて去つたやうだ。
T惣代を通して、地代として、金壱円だけ妙青寺へ寄附した-賃貸借地料としてはお互いに困るから-。
  ふるさとちかい空から煤ふる –再録-
  この土のすゞしい風にうつりきて –小郡-
小郡へ着いたのが7時前、樹明居へは遠慮して安宿に泊る、呂竹さんに頼んで樹明兄に私の来訪を知らせて貰ふ、樹明兄さつそく来て下さる、いつしよに冬村居の青年会へ行く、雑談しばらく、それからとうとう樹明居の厄介になつた。

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Photo/北の旅-2000㎞から―小樽のガラス市で-’11.07.29

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August 26, 2011

いつも一人で赤とんぼ

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―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-229

8月26日、川棚温泉、木下旅館
秋高し、山桔梗二株活けた、女郎花一本と共に。
いよいよ決心した、私は文字通りに足元から鳥が飛び立つやうに、川棚をひきあげるのだ、さうするより外ないから。‥‥
形勢急転、疳癪破裂、即時出立、-といつたやうな語句しか使へない。
其中庵遂に流産、しかしそれは川棚に於ける其中庵の流産だ、庵居の地は川棚に限らない、人間至るところ山あり水あり、どこにでもあるのだ、私の其中庵は!
ヒトモジ一把一銭、うまかつた、憂鬱を和げてくれた、それは流転の香味のやうでもあつたが。
精霊とんぼがとんでゐる、彼等はまことに秋のお使いである。
今夜もう一夜だけ滞在することにする、湯にも酒にも、また人にも-彼氏に彼女に-名残を惜しまうとするのであるか。‥‥

※表題句のみ記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―旭山動物園-’11.07.29

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August 25, 2011

一人となればつくつくぼうし

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―表象の森― 感覚と脳と心と

人間の知覚システムの研究が進むに従って、知覚と実在の関係そのものが変わってきた。色や味や音や匂いは、人間の脳が処理して初めて「存在」するからだ。物質の塊があってそこから揮発する分子があったからといって、「匂いが存在する」とはいえないし、空気や地面が震動するからといって「音が存在する」とももういえない。匂いも音も、色も味も、知覚する人間の存在と無関係に存在するという考え方は、たとえ自然に思えても実は正しくない。たとえばバラの花を見る人間は、素朴には、バラによい香りがついていて、美しい色がついていると思うが、実はバラの香りも色も、人間の知覚器官と脳の働きを離れて外界に「実在」するものではない。それは、たとえ人がバラの棘に指を指されれば「痛い」と感じるとしても、「痛み」がバラの棘の中に内在しているわけではないのと同じことである。また、匂いや音や痛みを認識したとしても、それをどのように受け止めるかという主観的内容までは説明できない。

見神者による神の存在の知覚と認識についても同じだ。人によって「何かが存在する」ことは、物理的刺激を人間の感覚受容細胞が生体の電気信号に変換したものを通じてキャッチされるわけであるが、たとえそのように「神」をキャッチしても、そのクオリア-実感-の量的質的な計測は不可能である。実際、脳科学が発達したといっても、たとえば「心」がどのようなものかは、科学の言葉によって表現できていない。脳の活動は心の生成の「必要条件」ではあるが、「十分条件」であるかどうかについては、証拠もなければ理論もない。

世界を分節して法則を発見し単純化しようとした科学は、発展するに従って、世界が決して単純なハーモニーやシンプルな秩序で構成されているわけではないことを明らかにした。科学の対象は、全体から分けられて切り出されるものではなく、常にさまざまな要素が複合的に作用しあう「複雑系」の世界にあるのだ。それでも、この世界を解明していくには、科学研究の鉄則として、正しいタイミングで正しい問題に取り組み、その問題を正しいレベルに設定して問うということが要求される。

  -竹下節子「無神論」-P255-「素朴実在主義と神の存在の問い」より


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-228

8月25日、朝の散歩、そして朝の対酌、いいですね!
彼は帰る、私に小遣までくれて帰る、逢へば別れるのだ、逢うてうれしや別れのつらさだ、早く、一刻も早く、奥さんのふところに、子供の手にかへれ。-略-
残暑といふものを知つた、いや味つた。
「アキアツクケツアンノカネヲマツ」
 -秋暑く結庵の金を待つ- 緑平老へ電報
夕方、S氏を訪ねる、これで三回も足を運んだのである、そして土地の借入の保証を懇願したのである、そしてまた拒絶を戴いたのである、彼は世間慣れがしてゐるだけに、言葉も態度も堂に入つてゐる、かういふ人と対座対談してゐると、いかに私といふ人間が、世間人として練れてゐないかがよく解る、無理矢理に押しつけるわけに行かないから、失望と反抗とを持つて戻つた。
夜、Kさんに前後左右の事情を話して、此場合何か便法はあるまいかと相談したけれど乗つてくれない-彼も亦、一種の変屈人である-。
茶碗酒を二三杯ひつかけて寝た。

※表題句の外、1句を記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―層雲峡・銀河の滝-’11.07.28

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August 24, 2011

家をめぐる青田風よう出来てゐる

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―表象の森― <日暦詩句>-42

  「崖」  石垣りん

戦争の終り、
サイパン島の崖の上から
次々に身を投げた女たち。

美徳やら義理やら体裁やら
何やら。
火だの男だのに追いつめられて。

とばなければならないからとびこんだ。
ゆき場のないゆき場所。
(崖はいつも女をまっさかさまにする)

それがねえ
まだ一人も海にとどかないのだ。
十五年もたつというのに
どうしたんだろう。
あの、
女。

  -茨木のり子「言の葉Ⅱ」より-石垣りん詩集「表札など」-S43年刊-


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-226
8月23日、何となく穏やかでない天候だつたが、それが此頃としては当然だが、私は落ちついて読書した。
旅がなつかしくもある、秋風が吹きはじめると、風狂の心、片雲の思が起つてくる、‥しかし、私は落ちついてゐる、もう落ちついてもよい年である。
此句は悪くないと思ふが、どうか知ら。

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-227
8月24日、晴れてきた、うれしい電話がかかつてきた、-いよいよ敬坊が今日やつてくるといふのである、駅まで出迎に行く、一時間がとても長かつた、やあ、やあ、やあ、やあ、そして。――
友はなつかしい、旧友はとてもなつかしい、飲んだ、話した、酒もかういふ酒がほんとうにうまいのである。

※表題句のみ記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―網走の監獄博物館-’11.07.28

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August 22, 2011

逢うて別れる月が出た

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―表象の森― 金子光晴Memo

「おれは六十で
 君は、十六だが、
 それでも、君は
 おれのお母さん。
 ‥‥‥‥‥‥‥ 」 -光晴「愛情2」

金子光晴を語ろうとすることが、われにもあらず、なぜ日本男性攻撃へと傾くのだろうか? このたびの、これは一つの発見だ。-茨木のり子

「男とつきあわない女は色褪せる
 女とつきあわない男は馬鹿になる」-チェホフ

「大統領と娼婦とは本来同じ値打だ」-ホイットマン

「金子さんほど歩き廻る日本人は見たことがない」-魯迅

「堕っこちることは向上なんだ」-光晴「人非人伝」

「僕が死んだら、よく考えてみて下さい」-光晴

  -茨木のり子「言の葉2」より


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-225

今日も家の事で胸いつぱいだ、売家が二つ三つある、その一つが都合よければ、其中庵も案外早く、そして安く出来るだらう、うれしいことである。

※表題句のみ記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―カムイワッカの湯の滝-’11.07.27

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August 21, 2011

星あかりをあふれくる水をすくふ

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―四方のたより― 丸一年でPCダウン

私が日ごろ主に使ってきたPCは、DELL製品のInspiron Desktop 580S、いわゆるスリム型というやつ。
昨年8月上旬に購入したものだから、ちょうど1年経ったばかりというのに、あろうことかこ奴、一週間ばかり前に突然ダウンした。起動してもプログラム修復の画面が立ち上がるだけで、以後は空回りするだけ、ONとOFFを数秒ごとに繰り返すのみ。BIOS画面へも移れないし、リカバリDISKもまったく受けつけないという始末。

Dell580s

そんな訳で、この1週間は、予備にあるASUSのEee Boxの世話になっているのだが、此方のほうはメモリが2GBで、処理速度が少々遅いので、ちょいと焦れ気味に作業をしている。

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DELLのカスタマーサービスには、なかなか繋がりにくいのだが、19日の深夜になってやっと繋がった。保証期間が2年なので、さしあたり引取修理の運びとなったが、なお10日間くらいは、不便ながらこのままいくしかないだろう。


―表象の森― 壁は厚く高く‥

今日はいつもの稽古を早めに切り上げて、まこと久しぶりに大宮の「芸創」に足を運んだ。JUNKOもAYAも一緒だ。
「息吹の生まれるところ」と題されたダンス公演。
主催は森洋子という若手だが、彼女の師にあたる中川薫と、近大で神澤の薫陶を受けた村上和司が、この新人をサポートしている。

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出演も3人、Solo三題とDuoひとつ。実時間なら40分ほどか。
参ったのは音の選曲、どれもhardで重たい。
創作舞踊というものの骨法が、Dancerたちの主観的なやや観念過剰ともみえる呪縛のなかで、古色蒼然とした世界をしか現出しえぬものと見えてくるとしたら、それは方法論の瑕疵ではなく、表現主体の側の問題だ。
主題性やイメージに必要以上に拘泥するまえに、まずは身体や動きの過剰なまでの奔出を望みたいものだが‥、なかなかそうはいかないのです。

会場で出会した、懐かしい顔ふたつ-I女とF女。


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-224

8月21日、ほんとうに秋だ、なによりも肌ざわりの秋。
正さん-此宿の二男-と飲んだ、お嫁さんのお酌で、気持よく飲みあつた、ちと新課程を妨げなかつたでもないらしい。
売家があるといふので問合にいつた。

※表題句は8月1日付の句

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Photo/北の旅-2000㎞から―知床半島の主峰、羅臼岳-’11.07.27

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August 20, 2011

うぶすなの宮はお祭のかざり

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―表象の森― <日暦詩句>-41

  「他人の空」  飯島耕一

鳥たちが帰つて来た。
地の黒い割れ目をついばんだ。
見慣れない屋根の上を
上つたり下つたりした。
それは途方に暮れているように見えた。

空は石を食つたように頭をかかえている。
物思いにふけつている。
もう流れ出すこともなかつたので、
血は空に
他人のようにめぐつている。
      <すべての戦いのおわり Ⅰ>

  -飯島耕一詩集「他人の空」-S28-より


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-223

8月20日、やつと心機一転、秋空一碧。
初めてつくつくぼうしをきいた、つくつくぼうし、つくつくぼうし、こひしいなあ。
いよいよ身心一新だ、くよくよするな、けちけちするな、ただひとすぢをすすめ。

※表題句は8月4日付の句

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Photo/北の旅-2000㎞から―長大な砂嘴、野付半島-’11.07.27

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August 19, 2011

ふるさとの空の旗がはたはた

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―四方のたより― 橋下知事のいかがわしさ

どうも夏バテのようだ、この二日、寝ると爆睡といった調子だし、起きても身体が怠いし重い。

ところで、橋下知事がWTCへの府庁舎移転を断念した、のニュースが朝から躍っている。
3.11の東北大地震の際、震度3で思わぬ被害を出したWTCであってみれば、本来この時点で断を下すべきだったにもかかわらず、これまで頑なに拘泥しつづけた挙げ句、今に到っての断念は笑止千万というしかない。
この男の饒舌、上滑りのお調子乗りにすぎないことは、マスコミの寵児となっていた頃から明々白々のことだろうに、堺屋太一なんぞが持ち上げるに及んで、圧倒的支持を得て知事にまでなってしまった。
そして今、知事・市長のダブル選を仕掛けるなか、これを目前にしつつ180度の政策転回=移転断念をするなら、その反省の弁はどれほどの言を費やしても言い尽くせるものではないと思われるが、この男、多くを語らず、イケシャーシャーとしてござる。
この期に及んでの断念は、救いがたい失政であり、政治生命が断たれるべきものである筈、と私などにはどうしても映るのだが、マスコミはじめ府政周辺での反応がどうにも鈍いのはどうしたことか。


―表彰の森― 秋山巌の版画世界

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「山頭火版画句集-版画家秋山巌の世界-」春陽堂刊-1575円

山頭火の句を独自の世界へとさまざまに変奏した秋山巌氏の版画が計100作品掲載されている。氏の版画世界を知るには格好の書であり、かつ廉価版なのがうれしい。
あとがきで氏は、「長い生涯の中で、私は二人の師と出会った」といい、その一人は棟方志功であり、もう一人は山頭火であった、と綴られている。
志功師の口癖にも似た「化けものを観ろ、化けものを出せ」の言が、後年、山頭火の句との出会いによって交錯、火花散らすことになったのであろう。このあたりの創造の契機というものは、よくわかるような気がする。本来関わりのない、結びつく筈のない二つのものが、氏の内部で突然結ばれる。氏にとって<山頭火の句=化けもの>は電撃的な閃きであったのだろう。以来、氏は、氏の<化けもの>を顕わにせんと、山頭火の句を板に彫りつづけ、今日に到る。


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-222

8月19日、何事も因縁時節、いらいらせずに、ぢつとして待つてをれ、さうするより外ない私ではないか。
入浴、剃髪、しんみりとした気持になつて隣室の話を聞く、ああ母性愛、母といふものがどんなに子というものを愛するかを実証する話だ、彼等-一人の母と三人の子と-は動物に近いほどの愛着を体感しつつあるのだ。‥‥
父としての私は、ああ、私は一度でも父らしく振舞つたことがあるか、私はほんとうにすまなく思ふ、私はすまない、すまないと思ひつつ、もう一生を終わらうとしてゐるのだ。‥‥

※表題句は8月4日付の句

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Photo/北の旅-2000㎞から―神秘的な水面の摩周湖-2-’11.07.27

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August 18, 2011

けさも青垣一つ落ちてゐて

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―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-221

8月18日、近来にない動揺であり、そしてそれだけ深い反省だつた、生死、生死、生死、生死と転々とした。
アルコールよりもカルチモンへ、どうやらかういふやうに転向しつつあるやうである、気分の上でなしに、肉体に於て。
待つ物来らず、ほんとうに緑平老に対してすまない、誰に対してもすまない。

※表題句は8月16日付の句

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Photo/北の旅-2000㎞から―神秘的な水面の摩周湖-’11.07.27

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August 17, 2011

あてもない空からころげてきた木の実

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―表彰の森― 聖職者ジャン・メリエの悲劇

ジャン・メリエ-1644~1729-、フランス北東部アルデンヌ地方の寒村で、一介の司祭としてなんの波風もなく40年間の長きを務めあげた彼は、その陰で「すべての宗教は誤謬とまやかしとペテンにすぎない」といった驚くべき文書を営々と綴っていた。
神々と宗教の虚妄なることを論証したこの遺言の書というべきこの手稿は、全8章からなる長大なもので、その死後、彼が属した教区裁判所の文書課に託されたのだが、非合法の地下文書として秘かに流布していく。早くも1730年代にはその写本をヴォルテールの知るところとなり、後-‘61-2年-に、彼によってその抜粋「ジャン・メリエの見解抜粋」が秘密出版され、部分的ながらその思想が知られるようになっていく。

全8章の章立ては以下の如く-
1. 宗教は人間の発明である
2. 「盲目の信心」である信仰とは、誤りと幻想と詐欺の原理である
3. 「見神」や「啓示」と称されるものの誤謬
4. 旧約聖書における預言と称するものの虚栄と誤謬
5. キリスト教の教義と道徳の誤謬
6. キリスト教は権力者の悪習と暴政を許す
7. 「神々」の存在の虚偽
8. 霊性の概念と魂の不滅の虚偽

表面的にはあくまでも忠実なる神の僕として寒村の一司祭の役割を生きるしかなかった彼が、その陰で黙々と書き綴った無神論或いは先駆的唯物論の書、その全訳書は「ジャン・メリエ遺言書-すべての神々と宗教は虚妄なることの証明」として、’06年に法政大学出版局から刊行されている。なんと1365頁の大部の書で、税込31,500円也だ。

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―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-220

8月17日、やつぱりいけない、捨鉢気分で飲んだ、その酒の苦さ、そしてその酔の下らなさ。
小郡から電話がかかる、Jさんから、Kさんから、-来る、来るといつて来なかつた。
また飲む、かういう酒しか飲めないとは悲しい宿命である。
此句には多少の自身がある、それは断じて自惚れぢやない、あてもないに難がないことはあるまいけれど-あてもないは何処まで行く、何処へ行かう、何処へも行けないのに行かなければならない、といつたやうな複雑な意味を含んでゐるのである-。

※表題句の外、句作なし

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Photo/北の旅-2000㎞から―津別の森の散歩道-’11.07.27

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August 16, 2011

虫が鳴く一人になりきつた

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―四方のたより― ゲノム解析

私の読んでいるメルマガ「明快!森羅万象と百家万節の系譜」によると、ゲノム解析はめまぐるしく進み、そのコストは飛躍的に安価になってきているという。以下は8/13付のメルマガから-

「DNA を読み書きするためのコストは、この10 年間で100 万分の1 になりました。そのスピードは、LSI上のトランジスタ数が、時間経過とともに指数関数的に増加するという<ムーアの法則>を超えているそうです。
そのおかげで、たくさんの一般的な病気への「罹りやすさ」を決める遺伝子変異がすごい勢いで発見されています。ただ、それぞれの遺伝子変異はご く限られた貢献度しかもっていないらしく、総合スコアで罹りやすさを計算します。例外的には、病気の罹りやすさをほぼ決定する遺伝子変異(遺伝病の原因遺伝子)があります。
個人のゲノムを決めても現在では100万円ほど。ゲノム・データはマイクロSDに入ります。あらゆる病気に対する罹りやすさを計算することができるので、健康を維持するための注意をあらかじめ知ることができます。人間的な一生を全うするための強力な武器となることでしょう。さらに、健康保険の費用を大幅に節約できるならば、健康保険程度の費用で運営できるかもしれません。
個人ゲノムをベースにした健康管理システムを利用するには、たくさんの人がこのシステムを利用し、疫学データと遺伝情報データを一定の期間、蓄積する必要があります。すなわち、個人のすべての病院名、受診結果、健康診断の結果、投薬を記録する必要があります。データ管理のために、ICカードが保険証に組み込まれます。診療報酬のレセプトも含めてシステムに組み込めば、費用の節約になります。ドクターショッピングや過剰診療の防止に役立つことになります。」


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-219

8月16日、いよいよ秋だ、友はまだ来てくれない、私はいわゆる「昏沈」の状態に陥りつつあるやうだ。
待つてゐる物が-それがなければ造庵にとりかかれない物が来ない。
今日もやつぱり待ちぼけだつたのか。

※表題句の外、1句を記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―雄阿寒岳と阿寒湖-’11.07.26

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August 15, 2011

ふるさとの蟹の鋏の赤いこと

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―四方のたより― えっ、朝刊休み?

今日は終戦記念日だが、新聞大手五紙は休刊となっている。
はて、こんなことはこれまでにあったのだろうか? どうも記憶がないが‥、初めてじゃないのかしらん、とすると少々問題だろう、なにも今日でなくとも、8日でも22日でもよかったのじゃないか。

昨日早朝から、単身、車で出かけた。京都東から湖西道路を走り、敦賀へと抜け、越前海岸を北上、越前岬の少し向こうまで。復路は、敦賀から若狭へと足を伸ばし、三方五湖を廻り、鯖街道を走り、湖西道路は渋滞とみて、琵琶湖大橋を渡って、栗東から名神に上がった。Uターンラッシュで名神の渋滞を観念していたが、案に相違、スムーズに流れて、午後8時半ほどに帰着できたのは幸い。延べ500㎞余りの行程で、おまけに前夜は寝不足だったから、途上、睡魔に襲われては小休止を繰り返したものだった。
と、日帰りの強行軍といった次第だったから、もうヘロヘロだった。とうとう今朝まで起き上がれなかったので、昨日は言挙げできず。異例だが、山頭火の日記も昨日と今日、二日分を掲載しておく。

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Photo/三方五湖を望む-‘110814

今日、15日付の、山頭火の日記では、川棚での一向にはかどらない造庵の件に業を煮やしたか、絶叫にもひとしい自棄気味の詞を連ねている。
「やつぱりムリがあるのだ、そのムリをとりのぞけば壊滅だ、あゝ、ムリか、ムリか、そのムリは私のすべてをつらぬいてながれてゐるのだ、造庵がムリなのぢやない、生存そのものがムリなのだ。」
私のひとり語りでも、この詞を挿入しているが、ご覧になった方にはご記憶があるかもしれない。


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-217

8月14日、朝から墨をすつて大筆をふりまはす、何といふまづい字だらう、まづいのはいい、何といふいやしい字だらう。
うれしいこころがしづむ、晴れて曇る!

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-218

8月15日、何といふ苦しい立場だらう、仏に対して、友に対して、私自身に対して。
やつぱりムリがあるのだ、そのムリをとりのぞけば壊滅だ、あゝ、ムリか、ムリか、そのムリは私のすべてをつらぬいてながれてゐるのだ、造庵がムリなのぢやない、生存そのものがムリなのだ。
茗荷の子を食べる、かなしいうまさだつた。

※この両日句作なし、表題句は8月4日の句。

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Photo/北の旅-2000㎞から―釧路湿原-’11.07.26

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August 13, 2011

夏草ふかく自動車乗りすてゝある夕陽

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―四方のたより― 闘病、この残酷なるもの

妹の亭主殿、ようするに義弟だが、今年64歳の彼が、昨年11月末頃に肺癌を発症した。健康診断のレントゲンでひっかかり、精密検査をしたところ判明したわけだが、それより以前のほぼ2年間、彼は糖尿病の新薬であるDU-176bの治験をしていたという。見つかった癌の診断は小細胞型ですでに最悪のステージ4だった。

以後、今年の6月までに、抗癌剤の治療をほぼ毎月のように6回受け、7月になって今度は脳への転移-脳腫瘍-が見つかった。時に歩行バランスが取れなくなったりして、ある日突然倒れ込むような発作が起こって、緊急入院した所為で判明したのだった。彼にとっては最初の衝撃からさらに加えて第二の衝撃に見舞われたわけだが、入院直後に訪ねた時の彼の様子たるや、正視するに耐えぬものがあった。

その後、一週間ほどのあいだか、脳部には放射線治療が施され、肺癌にはまた抗癌剤治療が施されたという。
それらの治療が功を奏したか、一応の小康状態を得て、一週間ほど前から退院して自宅療養していると聞いたので、今夕、久しぶりに見舞いに行ってみた。

元々、身長185㎝ほど、体重は90㎏を越す巨躯の持ち主であったが、それが60㎏余りにまで痩せて、腕も脚もこそげるように筋肉が落ち、関節裏は皺だらけになってしまっている。ところが本人はいたって元気そうに振る舞っており、いつになく饒舌すぎるほどによく喋るのである。妹と一人娘の二人を相手に、お互い歯に衣着せぬ悪態をつきあっているのだ。

私は、この様子を見ながら、痛烈に思い到ったのだった-闘病というものの苛酷さ、残酷さに‥。
突然降りかかった最初の衝撃、手術のすべもない、もはや抗癌剤治療しか手段のない手遅れという事態に、遅かれ早かれ否応もなく死と直面せざるをえないその事態に、彼の心はうち萎れていたはずだ。

ところが巨漢ゆえに体力は人並み以上に恵まれていたか、過度に負担のかかる度重なる抗癌剤治療にもよく耐え得てきたのだろう。だからこそか、そして第二の衝撃、追い打ちをかけるように脳への転移が襲いかかった。これはもう絶望以外のなにものでもない。神は我を見捨てたもう、だったろう。だから、彼はいま、開き直っている。死はすでに約束されている。ならば生きられるだけを、生ききるしかない、そうはっきりと思い知ったのだろう。それが病者と介抱者たち、家族三人の、悪態にも似た言いたい放題ぶりの姿なのだ。
そして、これが闘病というもの、その本質なのだ。

彼は、この23日、またも抗癌剤治療のため一週間ほどの入院をする、という。これで8回目か9回目の投与となる筈だが‥、この是非についても熟慮が必要だろう。

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―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-216

8月13日、空晴れ心晴れる、すべてが気持一つだ。
其中庵は建つ、-だが-私はやつぱり苦しい、苦しい、こんなに苦しんでも其中庵を建てたいのか、建てなければならないのか。―

※表題句の外、句作なし。

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Photo/北の旅-2000㎞から―ノロッコ号の走る釧路湿原の駅-’11.07.25

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August 12, 2011

ふるさとの水だ腹いつぱい

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―四方のたより― KAORUKO紙芝居板「北の旅」最終篇

 「六日目 七月二九日」

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 宿のすぐそばに黒岳ロープウェイの乗り場があります。私たちもロープウェイに乗って、山に行き景色を見たり散歩をしました。
 層雲峡から旭川の旭山動物園までは一時間くらいで行きました。動物園は人、人、人がいっぱいそれにとても暑かったけれどお母さんと一緒に、ペンギン、アザラシ、レッサーパンダ、チーター、キリンなどいっぱい見てまわりました。ここでは「もぐもぐタイム」といって、いろんな動物のエサやりを見せてくれるのですが、その時はどこも人がいっぱいで、並んで待つのが大変でした。お父さんは「暑さにダウン」といって、途中から車の中で休んでいました。
動物園のそばにある中華のお店で昼食をとって、それからは小樽をめざしてまっしぐらです。高速の道央道に入ると、スピードもどんどん上がります。四時前にはホテルにチェックインして、すぐ市内見物に出かけました。ちょうど「小樽がらす市」というのがあって、いろんなガラスのお店が並んでいました。私はあるお店でマグネット作りを体験しました。四センチの四角のガラス板に、色とりどりの小さな丸いのや三角のガラス玉を自由に並べてもようを作るのですが、材料がいっぱいあって、あれかこれか迷っては、なかなか形が決まりません。おもしろいけれど意外とむずかしいものです。
それから町を歩いて、いくつかお店を見てまわりましたが、ホテルの夕食の時間が迫ってきて、ゆっくりできなかったのはちょっと残念でした。

「七日目 七月三〇日」

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朝早く起きたお父さんは、ひとり車で出かけ、小樽運河などを見てきたそうです。
お母さんと私は八時過ぎに起きましたが、そのときにはもうお父さんは帰りのしたくをしていました。朝のバイキングをしっかりと食べて、ホテルを出たのは九時過ぎでした。
車は昨日通ってきた道央道を引き返します。飛行機の時間のこともあって、今日はどこへも立ち寄れません。車を返して空港に着いてから、お母さんといっしょに、いろんなお店を歩きながら、おみやげやお弁当を買いました。
飛行機は長いかっ走路を走って、勢いよく空へ飛び立ちました。高い空の飛行機の窓から北海道の景色が見えます。心の中で私は「さよなら」とお別れを言いました。


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-215

8月12日、曇、よいおしめりではあつた。
今朝の湯壺もよかつた、しづかで、あつくて、どんどん湯が流れて溢れてゐた、その中へ飛び込む、手足を伸ばす、これこそ、優遊自適だつた。
緑平老から返信、それは珍品をもたらしたのである。
早速、小串町まで出かけて買物をする、両手にさげるほどの買物だ、曰く本、曰く線香、曰く下駄、曰く何、等、等、等。
南無緑平老菩薩! 十万三世一切仏、諸尊菩薩摩訶薩、摩訶般若波羅蜜。

※この日句作なし、表題句は8月4日の句。

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Photo/小串の駅舎-小串町は昭和31年豊浦町に編入された

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Photo/机に盆の花-ぽんぽん菊

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August 11, 2011

朝焼すゞしいラヂオ体操がはじまりました

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―四方のたより― KAORUKO紙芝居板「北の旅」その3

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 「四日目 七月二七日」 
 宿を出たのは八時。曲がりくねった峠を越えると、屈斜路湖が見えてきました。湖を左に見ながらしばらく走って、摩周湖の展望台に着きました。摩周湖は不思議な湖です。水面がちっとも波立たないで、静かに空の雲を映していて、湖を見ているのか、空を見ているのか、わからなくなります。
 神秘の湖にサヨナラして、次に向かったのは野付半島です。一時間あまり走っていると、前の方に青い海がどんどん広がってきました。お父さんが「オホーツク海だ」と言いました。どこまでも長くつづく野付半島は、砂しでできているそうです。砂しというのは、海から運ばれた砂や土が、何万年もかけてたまってできた、鳥のくちばしのような形の砂地です。
半島の途中にあるレストランで食事をしてから、いよいよ知床半島に向かいます。急にお父さんが眠たくなって、運転をお母さんと代わりました。海に沿って走りつづけ、羅臼に着いたところで、眠気の取れたお父さんがまた運転をしました。
 知床峠で見た羅臼岳は、山の頂上に雲が少しかかってはっきり見えませんでした。峠を越えて、今度は半島の奥へ奥へと進みます。細い山道をどんどん行くと、とうとう行き止まりになりました。そこがカムイワッカの滝でした。裸足になって、お母さんといっしょに、温かいお湯が流れる滝をそろりそろりと登って行きました。すると滝つぼのように広くなったところに出ましたが、そこでは泳いだりして遊んでいる人が何人もいました。
 今度は道を引き返して、知床五湖へ行きました。鹿を何度も見かけました。小さな子鹿がおいしそうに草を食べていました。親子づれの鹿も見かけましたが、見つけるたびワクワクドキドキしました。
そのあと宿の岩尾別温泉に行きましたが、それは知床五湖からすぐのところでした。

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 「五日目 七月二八日」
 遊覧船で半島めぐりをしようと、朝早くから出発して、ウトロの港に行きました。黄色い救命具を着て、小さい船に乗りました。めずらしい岩や小さな滝を見ながら、船はカムイワッカの滝のところまで行って、もどってきました。
 それから海にそって北へ北へと走り、網走まで行き、監獄博物館を見学しました。たくさんのマネキンで監獄の様子を表わしているのが、とても気持ち悪かったです。
 お昼は能取湖のレイクサイドパークで食べ、それからまた北に向かって走り、サロマ湖の展望台に上がりました。広いサロマ湖のその向こうにオホーツク海が広がって、水平線が見えました。
 今度は西へ西へと走ります。山と山の間を通りぬけ、長くてけわしい峠を越えると、そこは二つの大きな滝がある層雲峡でした。勢いよくまっすぐに落ちる流星の滝、途中で岩にさえぎられて「く」の字に曲がって落ちてくるのが銀河の滝です。
 そこから宿の朝陽亭まではすぐでした。夕食のあと、ロビーで花火を見て、それからビンゴゲーム大会に、私たちも参加して楽しみました。


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-214

8月11日、コドモ朝起会の掃除日ださうで、まだ明けきらないうちから騒々しい、やがてラヂオ体操がはじまる、いやはや賑やかな事であります。
何となく穏やかならぬ天候である、颱風来の警報もうなづかれる、だが其中庵は大丈夫だよ。
若い蟷螂が頭にとまつた、カマキリ、カマキリ、ウラワカイカマキリに一句デヂケートしようか。
宿のおばさんが「あかざ」の葉をむしてゐる、あかざとはめづらしい、そのおひたし一皿いただきたい。
今日此頃は水瓜シーズンだ、川棚水瓜は名物で、名物だけの美味をもつてゐるさうだが-私は水瓜だけでなく、あまり水菓子を食べないから、その味はひが解らない-。
1貫12銭、肥料代がとれないといふ、現代は自然的産物が安すぎる。
刈萱を活けた、何といふ刈萱のよろしさ!
今日は暑かつた、吹く風が暑かつた、しかし、どんなに暑くても私は夏の礼讃者だ、浴衣一枚、裸体と裸体のしたしさは夏が、夏のみが与へる恩恵だ。

※表題句の外、1句を記す。

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Photo/北の旅-2000㎞から―TV「北の国から」の五郞の石の家-’11.07.25

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August 10, 2011

去る音の夜がふかい

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―四方のたより― KAORUKO紙芝居板「北の旅」その2

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「二日目 七月二五日
 朝食の後、すぐに出発して、一時間くらい走ったら、支笏湖のそばにある苔の洞門に着きました。苔だらけの大きな岩がいっぱいでびっくりしました。案内のおじさんが三人の写真を撮ってくれました。
それから湖のそばを走って、峠の山道を越えて、札幌へ向かいました。時計台に着いたのはもう十二時ごろでした。平日なのに観光の人が次々と来ていました。私たちは時計台のそばのお店に入って昼食にしました。私はまたマグロとサーモンのお寿司を食べました。
それからまた車で移動です。二時間あまりかかって、やっと富良野に着きました。
ファーム富田に行って、広いお花畑の中を歩きました。紫、黄、赤、白、いろんな花がいっぱい咲いていました。
それから五郎の家にも行きました。富良野演劇工場にも寄ってみました。宿のノースカントリーに着いたのは六時半ごろでした。

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「三日目 七月二六日」
 富良野の宿を出たのは八時。今日のはじめの目的地は釧路湿原で、その距離は二七〇㎞もあります。高速の道東道を走りましたが、十勝平野は見わたすかぎり緑の畑と牧草地で、建物が一つも見えませんでした。
 やっと釧路湿原駅に着いたのは、もう十二時をすぎていました。車を降りて森の小道を歩くと、アブやヤブカの虫が次から次とおそってきて、はらいのけるのに大変でした。
今度は湿原の道路を走って、丘の上の展望台の方へ行きました。湿原というのは、草原が広がっている湿ったところだそうです。釧路湿原は、ものすごく広くて、展望台から見てもずっと草原がつづいていました。その後下のレストランでやっとお昼を食べました。
 それからまた車で走って阿寒湖に行きました。阿寒湖では、白鳥の足こぎボートに乗りました。お母さんと一緒でしたが、三十分こぎつづけるのは、とてもしんどかったです。でもすごく楽しかった!
 そしてまたどんどん車を走らせて、奥屈斜路温泉の森つべつの宿に着いたのは六時ごろでした。ランプの宿という名がついていて、そのロビーは、いろんな電灯で、とてもやさしいふんいきでした。


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-213

8月10日、晴れて、さらさら風がふく、夏から秋へ、それは敏感なルンペンの最も早く最も強く感じるところだ。
昨日今日、明日も徴兵検査で、近接の村落から壮丁が多数やつて来てゐる、朝湯などは満員で、とてもはいれなかつた。
妙青寺の山門には「小倉連隊徴兵署」といふ大きな木札がかけてある、そこは老松の涼しいところ、不許葷酒入山門といふ石標の立つところ、石段を昇降する若人に対して、感謝と尊敬とを捧げる。-略-
Sからの手紙は私を不快にした、それが不純なものでないことは、少なくとも彼女の心に悪意のない事はよく解つてゐるけれど、読んで愉快ではなかつた、男の心は女には、殊に彼女のやうな女には酌み取れないらしい、是非もないといへばそれまでだけれど、何となく寂しく悲しくなる。
それやこれやで、野を歩きまはつた、歩きまはつてゐるうちに気持が軽くなつた、桔梗一株を見つけて折つて戻つた、花こそいい迷惑だつた!
夕の散歩をする、狭い街はどこも青年の群だ、老人の侵入を許さなかつた。
真夜中、妙な男に敲き起された、バクチにまけたとか何とかいって泊めてくれといふ、無論、宿では泊めなかった、その時の一句が前記の最後の句-表題句-である。

※表題句の外、3句を記す。

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Photo/北の旅-2000㎞から―中富良野町の富田フアーム-’11.07.25

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August 09, 2011

炎天の電柱をたてようとする二三人

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―四方のたより― KAORUKO、奮闘中

KAORUKOの学校の、夏休みの自由作品に、紙芝居風に「北の旅」のアルバムを作ろうと、本人はもちろんだが、親父殿-私のことだ-も一緒に、只今奮闘中である。
題して「2011夏、北海道2000㎞の旅」」、作品は四切り画用紙8枚の大作?
今日はとりあえずその内の、初めの2枚をご披露。

H20110724

この夏休みは、お父さんと、お母さんと、私と、三人で、「北海道に行く」というのが一番の楽しみでした。
7月24日の朝早くから、それぞれの大きなバッグを持って、北海道に出発しました。帰ってきたのは、30日の夕方、午後四時ごろでした。
ちょうどまる一週間、北海道の広い大地を、西から東、南から北へと、レンタカーの車で走り回ったような、めまぐるしい旅でしたが、その一日一日の記録を、思い出の写真で このようにまとめてみました。
題はお父さんが考えてくれ、「2011夏、北海道2000㎞の旅」と名付けました。」

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「1日目 7月24日」
函館空港について、車をかりて、一番はじめにトラピスチヌ修道院にいきました。次に函館朝市にいって、お昼ごはんにしました。私はお寿司を食べました。
その後に五稜郭タワーに行きました。エレベータで、一番上まで行って、大きな星の形をした五稜郭を見ました。マスコットのGO太くんと写真もとりました。そのあと広い五稜郭の中を散歩しました。
それから車に乗って、大沼湖まで行きました。きれいな湖でした。それからずっと二時間くらい走って、洞爺湖に着きましたが、私は疲れてぐっすり寝ていました。
宿のペンションおおのに着いたのは六時過ぎでした。お母さんと一緒に温泉のお風呂に入って、それから三人で夕食をしたあと、洞爺湖の遊覧船に乗って、花火を見ました。
グーの花火やチョキの花火など変わったのもあって、とても楽しかったです。


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-212

8月9日、朝湯のきれいなのに驚かされた、澄んで、澄んで、そして溢れて、溢れてゐる、浴びること、飲むこと、喜ぶこと!
野を歩いて持つて帰つたのは、撫子と女郎花と刈萱。
夜、掾に茶托を持ちだして、隣室のお客さんと一杯やる、客はうるさい、子供のやうに。-後記-
よいお天気だつた、よすぎるほどの。
ああ、ああ、うるさい、うるさい、こんなにしてまで私は庵居しなければならないのか、人はみんなさうだけれど。
独身者は、誰でもさうだが、旅から戻つてきた時、最も孤独を体験する、出かけた時のままの物すべてが、そのままである、壺の花は枯れても机は動いてゐない、ただ、さうだ、ただ、そのままのものに雪がふつてゐる、だ。
当分、酒は飲まないつもりだつたが、何となく憂鬱になるし、新シヨウガのよいのが見つかつたので、宿のおばさんに頼んで、一升とってもらつた、ちようど隣室のお客さんもやつてこられたので、だいぶ飲んで話した、‥ふと眼がさめたら、いつのまにやら、自分の寝床に寝てゐる自分だつた。

※表題句の外、句作なし。

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Photo/北の旅-2000㎞から―最深363mの支笏湖は、透明度も摩周湖に匹敵する-’11.07.25

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August 08, 2011

秋草や、ふるさとちかうきて住めば

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―表象の森― <日暦詩句>-40

 「卵」  吉岡実

神も不在の時
いきているものの影もなく
死の臭いものぼらぬ
深い虚脱の夏の正午
密集した圏内から
雲のごときものを引き裂き
粘質のものを氾濫させ
森閑とした場所に
うまれたものがある
ひとつの生を暗示したものがある
塵と光りにみがかれた
一個の卵が大地を占めている

  -吉岡実詩集「静物」-昭和30年-より


―山頭火の一句―
行乞記再び-昭和7年-211

8月8日、川棚温泉、木下旅館。
立秋、雲のない大空から涼しい風がふきおろす。
秋立つ夜の月-7日の下弦-もよかつた。
5、6日見ないうちに、棚の糸瓜がぐんぐん伸んて、もうぶらさがつてゐる、糸瓜ういやつ、横着だぞ!
バラツク売家を見にゆく、其中庵にはよすぎるやうだが、安ければ一石二鳥だ。
今日はめづらしく一句もなかつたが、それでよろしい。

※表題句は8月7日の句

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Photo/北の旅-2000㎞から―苔の洞門-’11.07.25

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August 07, 2011

秋めいた雲の、ちぎれ雲の

Santouka081130089

―表象の森― 一抹の違和

「マロニエの花が言った-下巻-」やっと読了。
その終りはやや唐突気味に幕を下ろした感があるが、それにしても愉しくも長い旅路だったように思う。
この詩と散文と批評の壮大な織物が書き起こされたのは1989年、月刊誌「新潮」の1月号からだった。その後、95年7月から数年の中断を挟みつつも、98年5月号に一挙に480枚を上梓し完結編とされた、という。

読後、ふっと心に湧いた小さな疑念がある。それは下巻全体のかなりを占める金子光晴に関する部分においては、藤田嗣治や岡鹿之助、あるいはブルトンらのシュルレアリストたちに触れた他の部分に比して、なんとなく滞留感というか一抹の重さのようなものがつきまとう、そんな気がする。その因は光晴という素材の資質によるものか、あるいはパリにおける嗣治と光晴の、実際の接点があったのには違いなかろうが、他の登場人物たちに比して、その関わりの稀薄さといったものにあるのかもしれない。さらにいえば光晴と三千代のパリ滞在の暮らしぶりやパリ在住の日本人やパリ人たちとの交流ぶりに、資料不足だったのか、嗣治や鹿之助ほどの詳細な活写が乏しいように覗われ、些か精彩を欠いたかのように思われる。

先に挙げた、95年7月の連載中断を挟んで、98年5月に480枚を一挙に掲載して完としたという事情も、このあたりの問題が加味していたのではないか。480枚に相当する部分が終盤の4章「二人の詩人の奇妙な出会い」「『パリの屋根の下』をめぐって」「日本人の画家さまざま」「あとどれほどの夏」にあたるとすれば、そんな小さな瑕疵も止むを得なかったのかと、なんだか腑に落ちてくる気もする。


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-210

8月7日、まだ雨模様である、我儘な人間はぼつぼつ不平をこぼしはじめた。
此宿の老主人が一句を示す。―
  蠅たゝきに蠅がとまる
山頭火、先輩ぶつて曰く。―
  蠅たゝき、蠅がきてとまる
しかし、作者の人生觀といつたやうなものが意識的に現はれてゐて、危険な句ですね、類句もあるやうですね、しかし、作者としては面白い句ですね、云々。
動く、秋意動く-ルンペンは季節のうつりかはりに敏感である、春を冬を最も早く最も強く知るのは彼等だ-。
山に野に、萩、桔梗、撫子、もう女郎花、刈萱、名もない草の花。
焼酎一杯あほつたせいか、下痢で弱つた、自業自得だ。

※表題句の外、2句を記す

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Photo/北の旅-2000㎞から―一日目の宿、壮瞥温泉のペンションおおの-’11.07.24

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August 06, 2011

すずしく自分の寝床で寝てゐる

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―四方のたより― 季節が移りつつ‥

夕食の後、ベランダに出て煙草を一服。かすかな涼風が心地よい。西南の空には八日の月か、右から左から盆踊りの唄が競うように聴こえてくる。この頃になると過ぎゆく夏を感じて、なんだか和やかな気に満たされてくるような、そんな落ち着いた気分になれるものだ。

―表象の森― 岡鹿之助の「積雪」1935年
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画面の中景において右の方から現われた小川は、その真中を下方に向かって縦に流れ、前景にある橋をくぐってまた右に消えて行く。小川の両側には人家がばらばらに立ち、樹木も少しある。遠景には丘や樹木が見える。そのような眺めの全体に降りやんだ雪がたっぷり残って、まったくの積雪の景色であり、遠くの空だけが青い。-この油彩について、鹿之助は後年次のように書く。

「雪の景色を描くつもりではなかった。
自分で拵えたキャンヴァスが、この時は大変に面白くできたので、その白い、少しザラザラした艶消しの面を出来るだけ生かしたのものだと思った。雪の構図はそれから考えついた。白のなかに、ごく僅かな色でリズムやハーモニイをもって、一つの秩序をつくってみようと試みた。」

画家はふつうモチーフからマテイエールへと行くものだろうが、ここでその順序は逆だ。画面における好ましい白というマティエールへの強い関心があり、ついで、それに対応する適切なモチーフとして、雪が過去の記憶のなかから呼びだされているわけである。
これは極度に図式化された言いかただろうが、鹿之助の油彩の美学における一方の真実であるにちがいない。そして、それは思いきり一方に傾いているために、鹿之助がもう一方において白に対し、なんらかの別の特に強い関心をもつという均衡の成立を暗示するものだろう。その均衡こそ、彼の芸術がめざす「静的な浄福」にも深くかかわるはずである。
鹿之助が後年語っているところによれば、あらゆる色彩のなかで、彼にとっていちばん自分の言いたいことがいえるもの、そんな風に基調として親しみやすく、なじみも多く、執着もあるものは褐色であるが、これに対し、いちばん好きなものはほかならぬ白であり、「白の非情なあの美しさを出したい」と思っていたという。
そうなると、「静的な浄福」を画面に実現することをめざす鹿之助が、あるときマティエールとしての白い油絵具を、造形や構図のために雪という対象と広く結びつくかたちで深く望んだとすれば、それは同時に彼が、胸のなかの悲しみや怒り、欲望や失望などを、そのまま秘めるかやがて消すかするために、きびしく抑制あるいは批判していたということだろう。
いいかえれば、「白の非情なあの美しさ」をかたどって降り積もった雪が、画面に浮かぶ具象でありながら一種抽象に近い観照の表情として、画家のそのときの人生に似合わしかったということであるにちがいない。
 -「マロニエの花が言った-下巻-」P506-554「日本人の画家さまざま」より


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-209

8月6日、暁の雨は強かつた、明けても降つたり晴れたりで、とても椹野川へ鮒釣りに行けさうもないので、思ひ切つてお暇乞する、ここでもまた樹明さんの厚意に涙ぐまされた、駅まで送つて貰つた。
何といろいろさまざまのお土産品を頂戴したことよ! 曰く茶卓、曰く短冊掛、曰く雨傘-しかも、それは其中庵の文字入だ-、曰く何、曰く何、そして無論、切符から煙草まで、途中の小遣までも。
汽車と自動車だから世話はない、朝立つて昼過ぎにはもう宿にまひもどつた、一浴して一杯やつて、ごろりと寝た。
やつぱり、川棚の湯は私を最もよく落ちつかせてくれる、昨日、学校の廊下で籐椅子の上の昼寝もよかつたが、今日の、自分の寝床でのごろ寝もよかつた。
朝湯と昼寝と晩酌とあれば人生百パアだ!

※表題句の外、1句を記す

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Photo/川棚の湯の神、青竜権現を祀る松尾神社

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Photo/北の旅-2000㎞から―洞爺湖、晴朗ならば左側に羊蹄山が望める筈だが‥-’11.07.24

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August 05, 2011

ふるさとの水だ腹いつぱい

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―四方のたより― おみやげ?
どうせ一回こっきりの北の国への旅なれば、なにがしか記念になるものを購ってもよかろうと買い求めたのが写真の、つがいの島梟とグラスたち。

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―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-208

8月5日、曇、眼がさめるとまたビールだ、かうしたアルコールはいくらのんでもよろしからう。
名残は尽きないけれど、東路君は勤人、私は乞食坊主なので、再会を約して別れる。
8時の列車で小郡へ。―
農学校に樹明さんを訪ねる、いつもかはらぬ温顔温情の持ち主である、ここでもまたビールだ、いかな私もビールよりも巻鮨の方がうまかった!
樹明さんの紹介で永兵さんに初相見した、私たちの道の同行に一人を加へられたことを喜ぶ。
防府で、小郡で、その他、山頭火後援会の会員が10口くらい出来たのは-いや出来るのは-うれしい。
学校として、農学校は好きだ、動物植物といつしよに学び、いつしよに働いてゐるから。
樹明居の一夜は一生忘れることの出来ない印象を刻みつけた、酒もよい、肴もよい、家も人も山も風もみんなよかつた、冬村君もよかつた、君のおみやげの梅酒もよかつた、ああよかつた、よかつた。
あんまり物みなよくて一句も出来なかつた。

※表題句は8月4日の句

国森樹明-じゅみょう-は本名信一(1897-1960)、層雲の同人で、山口農学校の事務長をしていた。
柳井市金屋地区に、白漆喰に入母屋土蔵造りで18世紀後半の建造とされる油問屋だった国森家住宅が、重要文化財として今に残るが、樹明はこの国森家の縁戚に連なる人ではなかったか。

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Photo/柳井市金屋の国森家住宅

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Photo/北の旅-2000㎞から―洞爺湖遊覧船乗場の盆踊り風景-’11.07.24

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August 04, 2011

お墓の、いくとせぶりの草をぬく

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―表象の森― 光晴と貘、承前

1943年ごろ、二人でよく戦争のさなかの東京の町を歩き、二人にしか通じない、そして他の人たちに喋ると危険なことを、まったき信頼のうちに語り合った。それは文壇、詩壇、政治、戦争などを思いきりこきおろし、その後が爽快な気分となるものであった。。
1944年8月、貘・静江夫妻と数ヶ月前に生まれた長女の泉という一家族が、吉祥寺の金子家に同居した。すでに戦局は暗澹とし、空襲の多い東京から地方へ疎開する人たちが多かった。貘の一家は二ヶ月ほど同居したのち、12月には静江の故郷である茨城県結城郡石下に疎開した。金子一家も12月に、山梨県南都留郡中野村平野に疎開した。
戦後の1952年12月、光晴は詩集「人間の悲劇」を出したが、そのなかに「山之口貘君に」という献呈の辞を添えた短い詩を入れた。二人は喫茶店でよくコーヒーを飲みながら雑談したが、その多くの思い出をある一つの情景の幸福感のなかに集中させようとしたような作品である。 
 -「マロニエの花が言った-下巻-」P178-228「恋情と友情」章より

<日暦詩句>-39

  「山之口貘君に」  金子光晴詩集「人間の悲劇」より

二人がのんだコーヒ茶碗が
小さな卓のうへにのせきれない。
友と、僕とは
その卓にむかひあふ。

友も、僕も、しゃべらない
人生について、詩について、
もうさんざん話したあとだ。
しゃべることのつきせぬたのしさ。

夕だらうと夜更けだらうと
僕らは、一向かまはない。
友は壁の絵ビラをながめ
僕は旅のおもひにふける。

人が幸福とよべる時間は
こんなかんばしい空虚のことだ。
コーヒが肌から、シャツに
黄ろくしみでるといふ友は

「もう一杯づつ
熱いのをください」と
こっちをみてゐる娘さんに
二本の指を立ててみせた。


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-207

8月4日、曇、どうやら風雨もおさまつたので、朝早く一杯いただいて出立、露の路を急いで展墓-有富家、そして種田家-、石古祖墓地では私でも感慨無量の体だつた、何もかもなくなつたが、まだ墓石だけは残つてゐたのだ。
青い葉、黄色い花をそなへて読経、おぼえず涙を落した、何年ぶりの涙だつたらうか!
それから天満宮へ参拝する、ちょうど御誕辰祭だつた、天候険悪で人出がない、宮市はその名の示すやうにお天神様によつて存在してゐるのである、みんなこぼしてゐた。
酒垂公園へ登つて瀧のちろちろ水を飲む、30年ぶりの味はひだつた-おかげで被布を大枝にひつかけて裂いたが-。
故郷をよく知るものは故郷を離れた人ではあるまいか。
東呂君を訪ねあてる、旧友親友ほどうれしいものはない、カフエーで昼飯代りにビールをあほつた、夜は夜でおしろいくさい酒をしたたか頂戴した、積る話が話しても話しても話しきれない。
三田君にちよつと面接、ゆつくり話しあふことが出来なかつたのは残念だつた、またの機会を待たう。

※表題句の外、13句を記す

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Photo/防府天満宮の社殿

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Photo/北の旅-2000㎞から―大沼湖-’11.07.24

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August 03, 2011

松もあんなに大きうなつて蝉しぐれ

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―表象の森― 光晴と貘

ひさしぶりに清岡卓行の「マロニエの花が言った-下巻-」を読み継いでいる。
上巻を読み終えたのはもう3年余り前、その折、次いで下巻に取りかかったものの、すぐ積読状態になって、そのまま年月ばかりが過ぎ去ってきたが、それでも鮮烈な印象はずっと脳裏に保持され続けていた。それほど私にとっては類い稀な良書なのだろう。

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下巻冒頭は、パリ国際大学都市で華々しい活躍を見せる日本人大富豪薩摩次郎八の登場に始まり、藤田嗣治・ユキ夫妻の栄光の帰国エピソード、ブルトンらのシュルレアリスム内の対立抗争劇へと分け入っていく。
これらを序章として、いよいよ登場するのが詩人金子光晴だが、以後この巻の大部はほぼ光晴の詳密な評伝と化していくかと見えるのだが、とにかくおもしろい、実作者が実作者について肉薄し掘り下げていく作業というものは、まさに表象世界の内奥に迫って実に説得力ある像を結ばせてくれるものだ、とつくづく感じ入る。

妻の三千代を伴った放浪ともいうべき二度目の長いヨーロッパ旅行から帰国した光晴は、ほどなく8歳下の山之口漠と初めて出会う。以後、貘の胃がん発症による’63-S38-年の死にいたるまでの30年を、光晴と貘は互いに恋情にもひとしい友情に生きたようである。
光晴は、貘の処女詩集「思弁の苑」の序文において、「日本のほんたうの詩は山之口のやうな人達からはじまる」と題し、「貘君がもし、自殺したら、僕は、猫でも、鳥でも、なおほしてんたう虫でも自殺できるものであるといふ新説を加へる」と書き、さらに「貘君によつて人は、生きることを訂正される。まづ、人間が動物であるといふ意味で人間でなければならないといふ意味で人間でなければならないといふ、すばらしく寛大な原理にまでかへりつく」と書いている。

<日暦詩句>-38

 「生活の柄」  山之口貘詩集「思弁の苑」より

歩き疲れては、
夜空と陸との隙間にもぐり込んで寝たのである
草に埋もれて寝たのである
ところ構はず寝たのである
寝たのであるが
ねむれたのでもあつたのか!
このごろはねむれない
陸を敷いてはねむれない
夜空の下ではねむれない
揺り起こされてはねむれない
この生活の柄が夏むきなのか!
寝たかとおもふと冷気にからかはれて
秋は、浮浪人のままではねむれない。



―山頭火の一句―
行乞記再び-昭和7年-206

8月3日、風、雨、しみじみ話す、のびのびと飲む、ゆうゆうと読む-6年ぶりにたづねきた伯母の家、妹の家だ!-。
風にそよぐ青竹を切つて線香入をこしらへた、無格好だけれど、好個の記念品たるを失はない。
省みて疚しくない生活、いひかへればウソのない生活、あたたかく生きたい。
東京からまた子供がやつてきた、総勢6人、いや賑やかなこと、東京の子は朗らかで嬉しい、姉―彼等の祖母―が生きてゐたら、どんなに喜ぶだらう!
風雨なので、そして引留められるので、墓参を明日に延ばして、さらに一夜の感興を加へた。

※表題句の外、2句を記す

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Photo/大道の種田酒造場廃墟跡の傍にあった酒店-’01.09.06

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Photo/五稜郭に復元された箱館奉行所-’11.07.24

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August 02, 2011

あかつきのどこかで何か搗いてゐる

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―四方のたより― 山頭火ふるさと会のことなど

今日の「山頭火の一句」、その行乞記にあるごとく、この日、山頭火は大種田破産で故郷を追われる直接の因ともなった種田酒造場のあった大道に、妹とその縁戚を訪れているのだが、この一事に因んでちょうど10年前に防府を訪ねたことを思い出しつつ記しておこう。

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Photo/山頭火の家業だった大道の種田酒造場廃墟の跡-‘01.09.06

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Photo/第10回全国山頭火フォーラムの会場-’01.09.06

昭和54-1979-年に発足したという「山頭火ふるさと会-全国山頭火の会-」の、年に一度の催しに私が初めて参加したのは、といってもこれまでのところ後にも先にもこの折の一回こっきりなのだが、先述したように平成13-2001-年の秋、彼の出生地である防府開催のときで、その名も「第10回・全国山頭火フオーラム」と題されたものだった。

一泊二日のあわただしい旅に同行してくれたのはフリーカメラマンの山崎武敏君。4歳下の彼は熊本出身で、実家は代々黒田藩の御殿医だったという家柄で、彼自身も一旦は熊本大の医学部に進んだものの、なにしろ団塊世代のこと、60年代後半に吹き荒れた大学紛争に自らを投入していった挙げ句に、180度ともいえるような転身をしていったのだろう。

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Photo/護国寺の山頭火墓所にて-’01.09.06

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Photo/山頭火の生家跡にて-’01.09.06

そんな彼と同行二人よろしく、山頭火の墓所である護国寺や大道に残る種田酒造場の廃家跡、あるいは防府天満宮など山頭火ゆかりの地を廻りつつ、フォーラムに顔を出し、またその二次会ともいえる懇親のパーティに出席したのだった。
この席上、生前の山頭火と交わりのあった人々、一昨年3月に97歳の天寿を全うされた下関在住の俳人近木圭之介翁や、1915年生れの山口市在住で詩人の和田健翁とお会いしたのをはじめ、山頭火終焉の一草庵を世話した高橋一洵の子息高橋正治氏、山頭火ふるさと会の会長富永鳩山氏ら、さらには版画家秋山巌氏とも面識を得、名刺を交換したりしているのも懐かしい一齣だ。

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Photo/和田健さんと名刺交換の図-’01.09.06


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-205
8月2日、朝から酒-壁のつくろひは泥だといふがまつたくその通りだ-、宿酔が発散した。
11時の汽車で大道へ、追憶の糸がほぐれてあれこれ、あれこれといそがしい。
7年目ぶりにS家の門をくぐる、東京からのお客さんも賑やかだつた、久しぶりに家庭的雰囲気につつまれる。
伯母、妹、甥、嫁さん、老主人、姪の子ら。‥‥
夕食では少し飲みすぎた、おしゃべりにならないやうにと妹が心配してゐる、どうせ私は下らない人間だから、下らなさを発揮するのがよいと思ふけれど。
酒は甘露、昨日の酒、今日の酒は甘露の甘露だつた、合掌献盃。
よい雨だが、足らない、降れ、降れ、しつかり降つてくれ。-略-
樹明兄が貸して下さつた「井月全集」を読む、よい本だつた、今までに読んでゐなければならない本だつた、井月の墓は好きだ、書はほんとうにうまい。
石地蔵尊、その背景をなしてゐた老梅はもう枯れてしまつて花木が植ゑてある、ここも諸行無常を見る、一句手向けよう。

※表題句の外、8句を記す

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Photo/同じく、大道の種田酒造場廃墟の跡-‘01.09.06

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Photo/北の旅-2000㎞から―函館の五稜郭タワー-’11.07.24

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August 01, 2011

逢へてよかつた岩からの風に

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―四方のたより― 螺線館だより

一週間の北の旅に発つ二日前だったか、ベルリンを拠点に活動をつづける「螺線館」の嶋田三朗君から近況を知らせる便りがあった。

 暑中お見舞い申し上げます ―2011年7月22日
みなさまのご活躍とご健康をお祈りします。
 2月に上演した最新作「カフカ開国」は、西ベルリンにある100席の『ベルリン日独センター』で6回上演しました。インターネットなどの情報で見つけてきたという人やカフカに興味があるという人々の合計544人の観客から、「綿密なカフカの理解だ、表現がたくましい、多面的で、深く、オリジナルだ、、」等の批評がありました。
 4月16日に、映画「カリガリ博士」で知られる東ベルリンの『ブロートファブリック劇場』の60席のホールで「サンチョ・パンサ」第一場を2回上演し、「アバンギャルドの洞察」等の意見があり、2回とも満席でした。
 4月30日にベルリンの工場地域にある20席ほどの『ドドハウス劇場』での「旅をする裸の眼」第4章The Hungerの演劇的朗読公演で、「日本的アクセントのドイツ語の違和感を使うのではなく、演劇的に意図されたドイツ語の発音や発声や話し方の効果を使って演じている、ことがはっきりわかる」と好評でした。
 今年3月11日の地震があった時、ドイツ人の共演者やスタッフが知らせてくれました。ドイツのテレビや新聞が速報を出していたからです。私達はテレビを置いていないのでインターネットで地震速報を見ました。12日にはドイツのすべての新聞が第一面で大きな写真入りで報道しました。また、ドイツ、スペインなどの知り合いが、心配してメールを送ってきてくれました。私達の頭によぎったのは、阪神大震災の時のことです。とにかく、遠くても何か出来ること、と考えて、
劇団らせん館は、3月19日(土)に、ベルリンの中心地のひとつであるアレクサンダー広場の、人々が待ち合わせる場所「世界時計」の下で、太鼓コンサートをしました。普通の人々が集まる広場、数々の反戦デモもいつも出発する広場で、地震の経験のないベルリンの人々に切実さを知ってもらいたいと思いました。午後4時から30分ほどのコンサートを2回しましたが、たくさんの人が観て150人ほどの人々が募金をしてくれました。「らせん舘コンサートの観客からの募金」として、日本赤十字に送ってくれるドイツ赤十字に振込みました。

Lasenkansaburoshimada

 このことは、ベルリンのイベント情報誌『Tip』(2011年3月31日発行号)に劇団らせん舘の演劇活動についての嶋田三朗へのインタビューとして紹介されました。
 そのほか、3月25日フンボルト大学の日本学の教員学生の被災者支援募金の催し、4月1日英国大使館勤務の人々の被災者支援募金行事、5月30日ベルリンメトロポリタンスクールのチャリティーバザー、それぞれの催しに協力をして太鼓演奏をしました。
 わたしたちは、太鼓公演のときも、独自の構成や演技、衣裳の工夫で、ヨーロッパ人の従来の「日本らしさ」のイメージをはみ出し、破りつつ、現代のわたしたちの太鼓演奏をしています。それは「何」とも呼ぶことができないで、観客はLasenkan風と呼んで、そのように感じてくれる人々がいます。
 今度の震災と原発についての世界での報道によって、ドイツの人々が日本に対して持っていた考えが、今、変化しつつあります。
そのことを私達も充分に理解して受け止め、これからも、ベルリン・関西・様々な公演地で、Lasenkan風に交流して演劇創造をしていきたいと思います。

Lasenkan01

 これからの予定:
10月12日 兵庫県県民芸術劇場として、小学校公演「泉のそばのガチョウ番の娘」(グリム童話より)
12月8日 ベルリン ブレヒトハウス文学館にて「旅をする裸の眼」第5章 INDOCHINE1992 演劇的朗読公演
2012年4月13日・14日 「白熊のトスカ」(多和田葉子作「雪の練習生 第2部」より)初演
  オペレッタ風演劇公演 演出:嶋田三朗 
  兵庫県立芸術文化センター 小ホール
これからもよろしくお願い申し上げます。
皆様にお会いする日を楽しみにしています。

  劇団らせん舘 嶋田三朗(代表・演出)
  /市川ケイ(俳優・制作部)とりのかな(俳優・制作部)


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-204

8月1日、歩いて3里、汽車で3里、そして樹明居だ、いつもかはらぬ友情にひたつた、うれしかつた。
夜は飲んだ、冬村、二三男の二君来訪、4人でおそくまで話しつづけた。
午前中2時間は厚狹裏町行乞、午後の2時間はまた船木町行乞、時々気分がみだれた、没分暁な奥様、深切なおかみさん、等、等。
昨日は蓮華のうつくしさ、今日は木槿のうつくしさを見た。
糸根-愛寝-といふ紫式部の古蹟、寝太郎餅といふ名物。
馬占山の最後に一滴の涙をそそぐ。
朝御飯がもっともおいしいほどの健康と幸福とを私は恵まれてゐる、合掌。
樹明居、夏はすずしく冬はあたたかい、主人は道としての俳句に精進しつつある、私は是非とも樹明居の記を書かなければならない-緑平居の記、白船居の記、そしてい其中庵記と共に-。-略-

※表題句の外、11句を記す

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Photo/山陽小野田市厚狹の寝太郎権現堂

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Photo/北の旅-2000㎞から―函館の五稜郭-’11.07.24

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