« November 2010 | Main | January 2011 »

December 28, 2010

わらや一つ石楠花を持つ

Santouka081130061

―四方のたより―

寒風が吹きつけるEVEの夜、予想通り?数のうえでは寂しい客席だっが、
演者たちは舞も奏も心を尽していい出来だった。
約束の会合があるのですぐにも退散しなければと云っていたOさんも、
気の毒に?その機を逸したまま最後までご覧になっていた。

Dancecafe20101224a404

終ってからオーク1階の居酒屋でお疲れさん会、
一年の垢を落とすがごとき仲間との語らいは熱く、終電近くまで続いた。

―日々余話― Soulful Days-45- Postscipt-あとがき-

  詩人田村隆一の「四千の日と夜」のなかに
一篇の詩を生むためには、
われわれはいとしいものを殺さなければならない
これは死者を甦らせるただひとつの道であり
われわれはその道を行かなければならない
   という四行がある。          

  詩と死――
  不慮の事故、逆縁の死
  などという災禍が降り来たった
  その母は、また、その父は
  語るべき言葉など、ほんとうはなにもない
  ただ、それぞれの残された生に
  言葉にはなりえぬ、
  無言の詩を刻みつけるだけなのだ。

―山頭火の一句― 行乞記再び -132
5月16日、晴、行程4里、三隅宗頭、宮内屋

すつかり初夏風景となつた、歩くには暑い、行乞するには懶い、一日も早く嬉野温泉に草庵を結ぼう。
けふの道はよい道だつた、こんやの宿はよい宿だ。
花だらけ、水だらけ、花がうつくしい、水がうまい-酒はもう苦くなつた-。
途上で、蛇が蛙を呑まうとしてゐるのを見た、犬養首相暗殺のニユースを聞かされた。

※表題句の外、4句を記す

12271

Photo/長門市三隅上宗頭にある宗頭大歳社

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 24, 2010

葉桜となつて水に影ある

Dc091226101

-表象の森- 親鸞の悪人と凡夫
今村仁司「親鸞と学的精神」より

<悪人―存在>
親鸞の「悪」は存在論的概念
「屠はよろづのいきたるものをころしほふるものなり、これはれうし-猟師-といふものなり。沽はよろづのものをうりかうものなり、これはあき人-商人-なり。かやうのものどもは、みないし-石-・かわら-瓦-・つぶて-礫-のごとくなるわれらなり」
親鸞のいう「われら」とは現世-五濁悪世-において煩悩に縛られ、すべての煩悩をかかえたままに生きる「例外なくすべての人間たち」である。
現世のなかにいるかぎり「汚染され濁った人間」つまりは「悪であるほかはない人間」であり、「悪人」の対概念は「善人」ではなく「浄人」あるいは「覚者-覚醒した人」である。
人間はおしなべて例外なく「悪-人」である、人間であることは悪人である宿命を免れることはできないのだ。
問題は自分が世俗的本質、世俗的人間としての本質を自覚するかどうかであり、社会的規定が何であれ自分が世俗的人間であるかぎり、全面的に悪人であると自覚する者だけが、自我に執着して自己の力量を自慢し誇示することの絶対的不可能を認識し、自力救済の不可能の確信から他力への信頼を腑に落ちるようにして自覚できる。
救済とはこの我執的存在をはっきりと知るに至りながら、我執を自分で取り去ることができないという根源的な事態に直面する人、これが悪人であり、その人だけが厳密な意味で救済の対象になる。
この臓腑的知こそ親鸞が力説する「信」である。

人間なるもの-凡夫
凡夫とは「煩悩具足」の存在であり、煩悩とは玄奘の訳語で云えば「計所執性」
遍計所執性とは
1. 遍く計らうことであり、これには、①-自己を計らうことと、②-自分以外の周り-対象を-計らうこととがある。
2. はからうことに執する-はからう自我に執する
3. はかられたものに執する-はかられたものに執する-はかられた対象に執する。
4. 執することに執する
「我はからう」-根源的な「生きる欲望」-「力への意志」

―四方のたより― DANCE CAFÉ 2010 EVE

Dancecafe20101224web07


―山頭火の一句― 行乞記再び -131
5月11日、12日、13日、14日、15日

酒、酒、酒、酒、酒、‥遊びすぎた、安易になりすぎた、友情に甘えすぎた、伊東君の生活を紊したのが、殊に奥さんを悲しませたのは悪かつた、無論、私自身の生活気分はメチャクチャとなつた。‥‥
いよいよ15日の夕方、大田から1里ばかりの山村、絵堂まで送られて歩いた-このあたりは維新役の戦跡が多い、鍾乳洞も多い-。
秋吉台の蕨狩は死ぬるまで忘れまい。
しつかりしろ、と私は私自身に叫ぶ外なかつた、、ああ。

――赤郷絵堂、三島屋

※表題句の外、16句を記す

12231

Photo/高杉晋作の奇兵隊ゆかりの大田・絵堂の戦の本陣跡

12232

Photo/現・美祢市美東町の赤郷八幡宮

12233

Photo/秋吉台の原生林、長者ケ森

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 22, 2010

けさの風を入れる

Dc09092658

―四方のたより― DANCE CAFÉ 2010 EVE

Dancecafe20101224a401


―山頭火の一句― 行乞記再び -130
5月10日、晴、2里ばかり歩いて3里は自動車、伊東宅-大田-

樹明君がどうでも大田までいっしょに行くとの事、職務妨害はいけないと思ったが-君は農学校勤務-、ちつとも妨害にはならないといはれるので、一杯機嫌で伊東君の宅へころげこんだ、幾年ぶりの再会か、うれしかつた。
街の家でまた飲む、三人とも酒豪ではないが、酒徒であることに間違はない、例によつて例の如く飲みすぎる、饒舌りすぎる。

葉山葵はおいしかつた、苣膾-チシャ-はなつかしかつた

※句作なし、表題句は5月9日所収の句
小郡は、この後、山頭火が其中庵を結び、6年間におよび常住する地であるが、昭和40年代、50年代の時ならぬ山頭火ブームの所為だろう、今では市内各所に20数ケ所の句碑を数えるという。

12212

Photo/小郡市内にある山頭火句碑の変わり種、「ポストはそこに旅の月夜で」

12211

Photo/同じく、「蛙になりきって跳ぶ」

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 19, 2010

こんやはここで寝る鉄瓶の鳴る

Santouka081130060

―日々余話― 嵐山花灯路

昨夕、親子三人連れで、嵐山の花灯路へ行ってきた。
さすがに阪急電車のに乗った段階からかなりの混みようで、桂からの嵐電はさらに輪をかけて満杯状況。
渡月橋は人、人、人であふれかえり、左側通行に規制された歩道は数珠つなぎで、ぞろぞろと歩いては止まり、また歩いては止まりで、ただ渡りきるだけで20分近くかかったのではないか。
天竜寺の門前を通り、竹林の小径、大河内山荘、常寂光寺、去来ゆかりの落柿舎と経めぐって、また門前へと戻ってくるのに1時間半は要したろう。

Dscf1376

ほっと息抜きのつもりで出かけたのだが、豈図らんや、かえって疲れを溜め込んだような始末。
とんだ災厄となったのは子どものほうで、よほど消耗したとみえて、しばらくご無沙汰だった喘息の気が、昨夜の就寝前からまたぞろ出てきたようだ。
かほどの人出を予想しなかった私のしくじりと、反省しきり。


―四方のたより DANCE CAFÉ 2010 EVE

Dancecafe20101224web06


―山頭火の一句― 行乞記再び -129
5月9日、曇、歩いて3里、汽車で5里、樹明居-小郡-

文字通りの一文なし、といふ訳で、富田、戸田、富海行乞、駅前の土産物店で米を買うていただいて小郡までの汽車賃をこしらへて樹明居へ、因縁があつて逢へた、逢ふてうれしかつた、逢ふだけの人間だから。
街の家で飲んで話した、呂竹、冬坊、俊の三君にも逢つた、呂竹居に泊る、樹明君もいつしよに。
戸田ではS君に逢ひたくてたまらなかつた、君は没落して大連にゐるのに。
椿峠で二人連れのルンペンに逢つた、ルンペンらしいルンペンだつた。
今日の行乞相は90点以上。
防府を過ぎる時はほんたうに感慨無量だつた。
樹明居は好きになつた、樹明君が好きになつたやうに。

※表題句の外、17句を記す

12191

Photo/周南市と防府の境の椿峠あたりから富海の海を望む

12193

Photo/富海宿の本陣跡

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 17, 2010

ふるさとの夢から覚めてふるさとの雨

Dc091226183

―日々余話― Soulful Days-44- 事の本質とは
この稿は、今年3月に書きかけていたのを補綴し言挙げするものである。

交通法規以前の、法以前の、事の本質というものを考える
たとえば、小沢一郎問題、
仮にこのまま政治資金規正法等からは罪に問われず落着したとしても、これはやはり、悪徳きわまるものと受けとめざるをえない。それが事の本質だ。
新生党や新進党あるいは自由党と、立党解党を繰り返したはてに、政党交付金の余剰を5億あるいは6億と懐にしたと巷間伝えられる。立証は出来ないがさりとて逆の証明もできない、疑いなく事実であろう、と世間はみなそう考えている。政党交付金という国民の血税をも含めたカネが原資となって、10億の不動産へと化け、陸山会に帰属せしめているという事実、しかも政治資金管理団体は不動産を登記できないから、小沢一郎名義の登記物件だ。
これらを決して私しない、と検察特捜部に一筆取られたというから、政治資金管理団体陸山会への帰属は動かせなくなるだろうが、小沢はそんなこと端から百も承知、私することなど要せず、どこまでも陸山会所有のままでよい、これら不動産が政治団体帰属であるなら、小沢一郎個人の登記物件であろうとも、個人財産として相続税の対象にはならない、政治団体はただ継承されるものなのだから、仮に小沢の親族が後継となれば、不動産もろともそっくりそのまま引き継がれることになる。
法にはかからぬが、こんな全容を知れば、いやおおかたの国民はすでにそんなものかと推量していようから、多くの人がこんな悪はないと思っているだろう。

さて、RYOUKOを死に至らしめた事故の、事の本質とは‥
現場は中央大通りという阪神高速の高架も走る広い道路、速度制限は60km/h、その辰巳橋南詰交差点内、
RYOUKOを乗せたタクシー-M車-が最徐行しながら、右折から直進行為に入った時、直進の対抗車-T車-が後部左側に激突した。衝突時、直進車の速度は時速70km/hだったと推定され
ている、制動操作はまったく間に合わなかったのか否か‥。
交通法規においては、直進車優先の原則があるが、午後8時15分頃という事故発生時において、この直進車が無灯火であったり脇見運転であったりすれば、どういうことになるか。
そういった法以前の、事実関係のみでいえば、最徐行で右折から直進へと移行しつつあったM車に、その横合いからTが急ブレーキも間に合わないままぶつかってきたもので、このとき、正確には衝突の1.0秒前から1.5秒前、T車は次の瞬間に起こる出来事を予知できている訳である。一方、MがぶつかりくるT車にどの時点で気づきうるかと考えると、T車が前照灯を灯火していれば、横合いからとはいえ迫り来るその灯りを2秒前にも気づくことはありうるが、仮に無灯火であった場合にはぶつかってくる瞬間まで気づきえないことになる。ましてや乗客であったRYOUKOにとってはまったく無防備なままに激突の衝撃をまるごと受けることになる。
もはや避けえない衝突を、ほんの一瞬とはいえ直前に予知できたT車の運転手は、次の瞬間に起こる衝撃に対し咄嗟に身構えることも出来るが、M車の運転手とその乗客RYOUKOにとっては、そのわずかな抵抗すら、咄嗟に怯むことさえ不可能である。
この違い、この差は、決定的に大きなものではないだろうか、と私は思う。

この事故を考えるとき、私は過去の私自身の経験のなかでの二つの出来事を思い出さずにはいられない。
ひとつは、まだ幼い頃の遠い昔のこと、私が小2の時であった。朝、学校へ登校してまもない始業前の時間、たくさんの児童が運動場で遊んでおり、何をしていたか記憶にないが、私も校庭に居た。そこへ突然、背後から強い衝撃に襲われ転倒、固い地面に頭部を打ってそのまま気絶してしまったのである。
当時、上級生の男子ならほとんどだれもが遊んでいた、軍艦ごっことか水雷・艦長と呼ばれた遊び、これに興じて走り回っていた6年生の男子が、なにかほかに気を取られていたからだろうが、私にぶつかってきたというのが事の経緯だった。
気を失ったまま眠り込んでしまっていた私が、気がついたのは1時間後だったかそれとも2時間後だったか、気がついたとき真っ先に眼に映ったのは、私の顔を心配そうに覗き込んでいる次兄-当時6年生だった-の姿だった。

もう一つは、私が40歳を過ぎたばかりの頃、居眠り運転で自身が乗っていた車を大破させてしまった事故のことだ。当時の私は自宅で小さな学習塾をしていたのだが、収入も心許ないことから深夜のアルバイトを始めてまだまもない頃で、たしか2週間目くらいだったと記憶する。私が運転していたのは積載1屯の保冷車、時間は午前0時を30分もまわっていたろうか、梅田の北側のコンビニに配達をして次の店に向う途中、高速の高架下を走っていたのだが、睡魔に襲われフッとなっては眼を凝らすといったことが二、三度繰り返されただろうか、ハッと気がついたとき暗い前方に停車している大きな車-ダンプ車だったか工事用の大型車両だったか-が眼に入った、大慌てで急ブレーキをかけたがもう間に合わない、ガシャーンと金属音をたてて衝突、運転していた保冷車は大型車の後部へめり込むようにへしゃげて止まった。ほんの数秒気を失っていたと思うが、ペシャンコになった運転席で気がついた私は、容易に身動きはならないのだが、身体にはほとんど異状がない、車前部大破で保冷車はそのまま廃車となった損傷の大きさに比して、軽い打ち身や擦り傷はあったものの五体満足、ほんの一瞬の差で大怪我ともならず命拾いをしたのだった。

この二つの事例からみても、能動的に自らぶつかりゆく者と受け身的にぶつけられる者、その違いが事故の衝撃によって受ける損傷において、被害の度合を大きく分け隔てることにもなるのは明白だろう。
ぶつかり来たった者=Tは、その一瞬先に起こる衝撃に対し、身を挺しつつぶつかりゆくのであり、ならばこそその衝撃に比し軽傷で済む場合は多々あり得るが、ぶつけられた者=RYOUKOは、まったく不意を突かれることであってみれば、その激しい衝撃を100%そのまま身に蒙らざるを得ないのだ。

それが、この事故の、法以前における、事の本質なのだ、と私は思う。
RYOUKOを帰らぬ人としてしまった直接の原因は、脳外傷による急性の硬膜下出血であり脳浮腫であったが、治療にあたった医師の説明によれば、他に、肝臓部に外傷、脾臓にも傷痕、ともに変色がみられ、左胸部肋骨の上部に骨折、骨盤の仙骨部左右が骨折、右脚部膝下部位に骨折、と身体の各所に異状や損傷が見られたという、その衝撃の凄さと悲惨さを物語るものであった。

―四方のたより― DANCE CAFÉ 2010 EVE

Dancecafe20101224a401


―山頭火の一句― 行乞記再び -128
5月8日、雨、しようことなしの滞在、宿は同前。

終日読書静観、ゲルトがないと坊主らしくなる。
同宿4人、みんな世間師だ、世間師はそれぞれ世間師らしい哲学を持つてゐる、話してもなかなかおもしろい、世間師同士の話は一層おもしろい-昨日今日当地方の春祭だから、それをあてこんで来たものらしい-。

痔がいたむ、酒をつつしみませう。
この宿のおかみさんはとても醜婦だ、それだけ好感が持てた、愛嬌はないが綺麗好きだから嬉しい。
世間する、といふ言葉は意味ふかい、哲学するといふ意味のやうに。

※表題句の外、2句を記す

12171

Photo/厳島の合戦で毛利元就に敗れた陶晴賢の居城だった周防若山城跡、二の丸から市街地を望む

12172

Photo/陶の道とよばれた嘗ての武者道は、徳山の陶氏居館跡とをつなぐ

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 15, 2010

バスが藤の花持つてきてくれた

Dc090926302

―日々余話― Soulful Days-43- これで終り?

先の11月29日午後2時、損害賠償請求の民事訴訟における最後の公判期日。
この日も前々回に続いて、一方の被告T.K本人が出席した。無論、過保護な親の意向が強く働いていたこととはいえ、これまでは親任せ、代理人任せにしていた訴訟ごと万事が、最後の最後になって、和解調停の解決へと運ぶ関門として、遺族と対面して直々に詫びの言葉を、という裁判官からの要請によって、やむなく公判の席に臨んだ9月のときから、自己の社会的責任において否応もなく逃れえぬ最低限のこと、そんな場面に初めて彼は立たされた訳だし、その延長として自ら出席することを選択して来たのだろう。

数日後、K弁護士から、この日の公判で成立した和解条項の、正本の写しが送られてきた。
<和解条項>
1. 被告両名は、原告らに対し、本件交通事故に基づく損害賠償債務として、連帯して、既払金を除き、合計××万円の支払義務があることを認める。
2. 被告両名は、原告らに対し、連帯して、前項の金員を平成22年12月30日限り、原告ら代理人の指定する下記記載の銀行口座に振込んで支払う。ただし、振込手数料は被告両名の負担とする。
3. 被告M株式会社と被告T.Kとは、本件事故の過失割合が、訴外M.M7割、被告T.K3割であることを相互に確認する。
4. 原告らは、被告両名に対するその余の請求をいずれも放棄する。
5. 原告ら、被告両名及び利害関係人は、原告らと被告両名との間及び原告らと利害関係人株式会社Nとの間において、本件交通事故に関し、本和解条項に定めるもののほか、何らの債権債務のないことを相互に確認する。
6. 訴訟費用及び和解費用は各自の負担とする。

これで刑事民事双方に及んだ訴訟事は、すべて終り、幕は降りたのだ。
RYOUKOがその命を落とすこととなった事故の顛末は、顛末という限りにおいては、その事故の当事者、M.MとT.K双方の、それぞれの向後の人生に降りかかる軛の重さ、その軽重に、その明暗にどう考えても不条理としか思えぬ大きな差違を残しながら、すべて終ったのである。
そしてわれわれ遺族、同じ遺族とはいえ母のIkuyoと父の私は、すでに一つの家族として共にはなく、IkuyoにはIkuyoの孤独な軛が、生きている限り逃れえぬものとしてのしかかり、ただひたすら哭くしかない日々がずっと続くのだろう。
そう、彼女には、同じ<な>く行為だとしても、<哭>という表記がふさわしい、と思われる。
そして私はといえば‥。


―四方のたより― DANCE CAFÉ 2010 EVE

Dancecafe20101224web04


―山頭火の一句― 行乞記再び -127
5月7日、晴、行程2里、福川、表具屋

ほがらかに眼はさめたのだが、句会で饒舌りすぎ、夜中飲みすぎたので、どこかにほがらかになりきれないものがないでもない。
さうさうとして出立する、逢うてうれしさ、別れのつらさである、友、友の妻、友の子、すべてに幸福あれ。
富田町行乞-そこは農平老の故郷だ-、そして富田よいとこと思つた、行乞相は満点、いつもこんなだと申分ない。

けさ、立ちぎはの一杯二杯はうれしかつた、白船老の奥さんは緑平老の奥さんと好一対だ。
ここまで来るとS君のことが痛切に考へられる、S君よ健在なれ、私は君の故郷を見遙かしながら感慨無量、人生の浮沈を今更のようにしみじみ感じた。

此宿は飴屋の爺さんに教へられたのだが、しづかできれいで、気持ちよく読んだり、書いたりすることが出来る、それにしても私はいよいよ一人になつた。

※表題句のみ記す

12151

Photo/富田は現在の周南市富田だろう。この町には中央に大きな風車を設置した永源山公園がある

12152

Photo/その永源山公園から周南市街地や瀬戸内海を望む

12153

Photo/公園から西南の麓には山崎八幡宮があり、その節分祭風景

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 14, 2010

そよいでる棕櫚竹の一本を伐る

Santouka081130059

―表象の森― <見る>ことを超え出て
辻邦生ノート「薔薇の沈黙-リルケ論の試み」より –参-

<見る>とは、対象の外-前-に立って、対象をそこに現前させることだ。<見る>行為は、その意味では、対象-世界-を現象として浮かび上がらせるが、対象から離れることはできず、むしろ対象に依存-従属-している。いかに視覚が働こうと、事物がなければ何も見ることはできない。同時に、最後まで自己性を超えられないゆえに<見る人>は<対象>-世界-の前に立つのであり、対象-世界-と外面的な関係を持つに過ぎない。世界とのいかなる内的関係も失って、世界自体の合理性の上に築かれた<近代>社会では、人間は<見る人>であることを強いられる。誰もが<見る>以上のことはできない。だが、それは人間が根源的に排除・疎外されている証拠でしかない。

「マルテの手記」以来、リルケが<愛する女><内から外へ溢れる薔薇><天使>の映像で<純粋意欲>―欲求対象を決して所有しない、自己性を克服した純粋活動としての意欲―を追求したのも、ただひたすら近代人を孤独と窮乏の中に投げこむ<近代>を克服するには、それによるほかに方法はないと、確信できたからだった。というより、リルケがパリの孤独と<誰のでもない死>から自らを救い出そうとして苦悩するあいだに、救済の道としてみえてきたのが、この休止することのない<純粋意欲>だったというべきだろう。それはニーチェの「力への意志」とほとんど同質の「生への意欲」といっていいものであった。

この<純粋意欲>が「転向」では<愛>という言葉でよばれている。<見る仕事>が終り<心の仕事>を始めなければならないとは、<見る>ことが宿命的にもつ「物の外にあること」と「物への依存」を超えてゆくことにほかならない。そしてそれは<見る>ことの制約を確認することから始まる。「転向」における「見ることには一つの限界がある」と「よく見られた世界は/愛のなかで栄えたいと願う」という詩句は、リルケが直覚した<見る>の限界の一地点を示している。それからあとは、<見る>営みが「物たちが愛のなかで栄える」ことを目ざして、<愛>の力を借りつつ自己超克してゆくプロセスとなってゆく。<見る>はこうして「物の外にある」ことを超えて「もののなか」へと入ってゆく。「外」とは、近代人の無関心、いかなる熟視も内側に抱え込んでいる無関心のことだ。「転向」において「それらは/お前が擒にしたものでありながら さて、お前はそれを知ってはいない」と表現されている近代人の無知のことだ。それを愛の熱情で溶かし、無関心の原因である自己性を解体・超克してゆく。

青空を見るとき、われわれは単に青空がそこにあると思うにすぎない。家を見るとき、単に家がそこにあると思うにすぎない。だが、<見る>を超えた感受にとっては「青空」は何かそれによって心をときめかせるものとなる。「家」は寛ぎと強く結びついた存在となる。すくなくとも、それはただ空が青いという現象的事実ではなく、その青さによって絶えず無限の物想いを語りつづける存在となる。それは時にゴッホの画面に深く沈むオーベールの麦畑の上の青空のように、無限の悲しみを語りつづける。またセザンヌの「大水浴」の遠い青空のように地上の悦楽の極点にある至福を象徴する。

ここでは<見る>は「青空という物」の外にあるのではないし、その現象的事実に従属しているのでもない。逆に、そこに「青空」という新しい現実を生みだし、われわれはその中に入り、無限の内容を生き始めるのだ。「青空」はもはや現象的事実ではなく、感受力は現象する青空の単一性を超え、そこに無限に開かれる青空の映像を映してゆくことになる。それは喜びから悲しみまであらゆる調音を響かせるが、その根底には存在の歓喜が横たわっている。なぜなら<見る>を超えた感受力は、何よりも、存在に内在する生命力と交歓するからだ。それはパリ時代のリルケがロダンのなかに鋭く見出していったものであった。

―四方のたより― DANCE CAFÉ 2010 EVE

Dancecafe20101224a405

―山頭火の一句― 行乞記再び -126
5月6日、曇、后晴、ふつてもふいてもよろしい白船居

悠々として一日一夜を楽しんだ、洗濯、歓談、読書、静思、そして夜は俳句会へ。
糞ツ南無阿弥陀仏の話はよかつた、その「糞ツ」は全心全身の声だ、合掌して頂戴した。
句を拾ふーこんな気持にさへなつた、街から海へ、海から森へ、森から家へ。
――
棕櫚竹を伐つて貰ふ、それは記念の錫杖となる。
よく話した、よく飲んだ、よく飲んだ、よく話した、そしてぐつすり寝た。

※表題句の外、11句を記す

久保白船は、山頭火と同様に句誌層雲の同人、また選者としても活躍した。後の昭和15年、山頭火が四国松山の一草庵で急死した際、報せを聞いて駆けつけ、遺体を荼毘に付したという生涯の友。その彼もまた翌年に急逝している。

12141

Photo/白船が住んでいたのは現在の周南市徳山、その岐山地区に白船の句碑が立つ

12142

Photo/白船の生地は、周南市よりさらに南東部の平生町、その沖合に浮かぶ佐合島。

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 12, 2010

あざみあざやかにあさのあめあがり

Dc09122693

―表象の森― リルケにとってのロダンとセザンヌ

・辻邦生ノート「薔薇の沈黙-リルケ論の試み」より –弐-

リルケはマルテと一体化することによって、<近代>の空虚な生を徹底的に経験することになるが、同時に、その空虚な拡がり・深化のなかで、それに匹敵する強度をもって、それを克服する力-求心力-を探求しなければならなくなる。
いわばこの圧倒的な水圧に抵抗して、必死で克服するプロセスが、リルケを単なる詩人から、「ドゥノイの悲歌」の詩人へと鍛え上げてゆく。というのは、問題の全体を意識しうる地点に登高する苦悩に満ちた過程で、リルケはマルテと別れ、自ら生き残る道を見出し、同時に、それが後期の詩的世界へつながることになるからだ。

この<近代>の空虚化・疎外化する生を克服するとは、リルケ=マルテにとって、生の内実・プロセスを、内側から満たすという形による快復に他ならない。それは<近代>の要求する業績-仕事の成果-万能主義に対して、仕事のプロセスこそが意味を持つとする生き方の確立だった。「ひたすら活動しつつ決して自己意識に戻らず、全的に外に向って開いた精神」―それこそがリルケ=マルテが願った生き方だった。外に向って<働く>けれど、<働いた結果>を顧慮しない意識、<見る>けれど、<見られる>ことを期待しない意識、<愛する>けれど、<愛される>ことを乗り超えた意識―それが<近代>の空疎化された生を、根底から逆転する道だった。

リルケはこの反転の契機をロダンとセザンヌから学んでゆく。それは芸術制作の場だけではなく、時間の性格をも、空間の意識をも、<近代>のそれと決定的に異質なものに変えてゆく。時間でいえば、ロダンの不屈な忍耐力、セザンヌの孤独な持続力は、計量化された<近代>的時間意識からは理解できないし、だいいちそれを実践することなど思いも及ばない。また空間における<近代>性の特徴とは、都市のビルが典型的に示すように、そこから生の内実を消去して、空虚な計量的・幾何学的・非生命的な空間となってゆくことだ。その空間を反転させ、ロダンがいかに豊穣な官能生と精緻な運動感で満たしていったか、彼の多彩な彫刻群を見れば納得がゆく。セザンヌの絵画空間の根源的な透明な重さも同じような空間の生命化の意志から生れている。そこに湛えられているのは「神さまから、永遠のむかし、わたしにつくれと命ぜられた甘美な<蜜>」なのである。この二人は<近代>の空虚化の圧力に抵抗し、心の内部をかかる<生命>の<蜜>で満たしながら、それを孤独な仕事を通して、内から外へ実現-レアリザシオン-してゆく。リルケが「マルテの手記」のなかでマルテと同化しながら一つの典型として示すのは、この<内から外へ>を純粋に徹底して成し遂げた人間たちーすなわち<愛する女>とは芸術家の原型といってもよく、<近代>が歪める以前の、人間の本源の在り方といってもいいものなのだ。それはハイデッガーが「元初の能力、それぞれのものをそれ自身へ集中する能力」と呼んだものであり、「存在者はすべて、存在者として意志の中にある」と規定した「意欲するもの」の根源の姿なのである。

―四方のたより― DANCE CAFÉ 2010 EVE

Dancecafe20101224web03


―山頭火の一句― 行乞記再び -125
5月5日、雨、破合羽を着て一路、白船居へー。

埴生―厚狭―舟木―厚東―嘉川―8里に近い悪路をひたむきに急いだ、降る吹くは問題ぢやない、ここまで来ると、がむしやらに逢ひたくなる、逢はなくてはおちつけない、逢はずにはおかない、といふのが私の性分だから仕方がない、嘉川から汽車に乗る、逢つた、逢つた、奥様が、どうぞお風呂へといはれるのをさえぎつて話しつづける、何しろ4年振りである。―

今日ほど途中いろいろの事を考へたことはない、20数年前が映画のやうにおもひだされた、中学時代に修学旅行で歩いた道ではないか、伯母が妹が友が住んでゐる道ではないか、少年青年壮年を過ごした道ではないか-別に書く-。

峠を4つ越えた、厚東から嘉川への山路はよかつた、僧都の響、国界石の色、山の池、松並木などは忘れられない。
雨がふつても風がふいても、けふは好日だつた。
端午、さうだ、端午のおもひでが私を一層感傷的にした。-略-

話しても話しても話しつきない、千鳥がなく、千鳥だよ、千鳥だね、といつてはまた話しつづける。
長州特有のちしやもみ-苣膾-はおいしかつた、生れた土地そのものに触れたやうな気がした、ありがたい、清子さんにあつく御礼申上げる。

※表題句の外、11句を記す

12121

Photo/西国街道-旧山陽道-の嘉川~厚東間の山路にある熊野神社

12122

Photo/その街道筋に「どんだけ道」と呼ばれる山路が今に残る

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 11, 2010

露でびつしより汗でびつしより

Dc090926203

>―日々余話― Walkingと朝湯

とりあえず三日坊主を克服? Walkingは5日目。
眼が覚めたのは5時、小一時間は読書、東の空が少し明るくなるころ家を出る、玄関ロビーの時計を見ると6時15分だった。
いまのところコースは住吉公園と住吉大社廻り、公園に行き着くまでに15.6分かかる、ぐるりと園内を廻る、園の中央辺りに設置されたスピーカーからラジオ体操の放送が流れ、広い園内のあちらこちらで、延べ数十人くらいだろうか、三々五々体操をしているなかを、此方はただひたすら歩きつづける。
大社の境内も公園に比すほどに広い、初詣などでは太鼓橋を渡って、本殿たる4つの本宮を廻る程度だが、摂社・末社やさまざまな石碑の類、付随の施設など、まあいろいろとあるものだ。
帰り道の粉浜や東粉浜の町は、戦後の区画整理事業の区域外なのだろう、狭い路地ばかりの街並みだから、コースのVariationはいくらでもあり、それもまたよろし。
7時半頃帰宅、きょうは朝風呂をゆったりと堪能、これ極楽々々。

―四方のたより― DANCE CAFÉ 2010 EVE

Dancecafe20101224a406


―山頭火の一句― 行乞記再び -124
5月4日、曇、行程8里、埴生、今井屋

行乞しなければならないのに、どうしても行乞する気になれない、それを無理に行乞した、勿論下関から長府まで歩くうちに身心を出来るだけ調整して。

長府はおちついた町で感じがいい、法泉寺の境内に鏡山お初の石塔があつた、乃木神社二十周年記念の博覧会-と自称するもの-が開催されてゐた、それに入場する余裕もないし興味もないので小月まで、小月では宿といふ宿から断られた、しようことなしにここまで歩いた、電灯がついてから着いて、頼んで泊めて貰つた、何といふ無愛想な、うるさい、けちな宿だらう!-しかし野宿よりはマシだ、30銭の銅貨は泣くだらうけれど-

どこへ行つても日本の春は、殊に南国の春は美しい、美しすぎるほど美しい。

※表題句の外、3句を記す

12111

Photo/室町の大内氏、戦国の毛利氏らの城下町長府には著名な神社仏閣が多い、その内の一、攻山寺は奇兵隊の高杉晋作決起の寺としても知られるが、写真はその参道。

12112

Photo/長府の街並み古江小路の風景

12113

Photo/毛利綱元建立の覚苑寺にある狩野芳崖の像

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 09, 2010

晴れておもひでの関門をまた渡る

Santouka081130057

―表象の森― 森そのものが神だった

岡谷公二「原始の神社をもとめて」は、副題の「日本・琉球・済州島」が示すように、海洋でつながる朝鮮半島や沖縄諸島、あるいは北九州及び近郊の島々などに伝わる古層の神々のかたちに、さまざまに共通なものを見出していく旅といったもので、刺激的な知見が随所にみられる地道な労作。

以下、本書の目次各章に掲げられた小見出しを網羅すれば、その射程のひろがりと具体的な個々の内容がかなりの部分想像できようか。

1.済州島の堂との出会いー堂という聖地/済州島へ/蜜柑畑の中の堂/島の北西岸の堂/海女の村々/忘れ難い堂
2.韓国多島海の堂―閑麗水道の島々/智島の堂の森/祭天の城あとと乙女の亡魂を祭る堂/羅老島の馬神/済州島とほかの島々の堂との相違
3.済州島の堂とその祭―堂の種類とその立地/堂に祀られる神々/司祭者神房/ピニョムとクッ/迎燈祭
4.沖縄の御嶽―御嶽の発見/御嶽に残る古神道の俤/社殿のない神社/神社と女人司祭/御嶽の神社化/斎場御嶽/琉球王国の神女組織/御嶽のありよう/御嶽の起源
5.済州島と琉球―済州島と日本/済州島・琉球・倭寇/済州島と沖縄の相似/済州人の沖縄漂着/琉球人の済州島漂着
6.神社と朝鮮半島―渡来人が祀った神社/奈良―三輪神社その他/京都―賀茂神社、平野神社、松尾大社、伏見稲荷、八坂神社/伊勢神宮と朝鮮半島/堂信仰のあらまし/堂と神社
7.神社をめぐるいくつかの問題1-縄文・弥生と神社―神社の起源は縄文時代か/神域内に縄文遺跡のある神社/諏訪信仰の問題/弥生時代と神社/縄文土偶をめぐって
8.神社をめぐるいくつかの問題2-神社は墓かー死穢観念の成立/古墳の上に建つ神社/裏手に古墳のある神社/山頂や山の中腹の古墳を祀る神社/名高い神社と古墳/御嶽葬所起源説/堂と墓
9.聖なる森の系譜―貝の道高麗瓦その他/対馬の天道山/ヤボサ神/薩摩・大隈のモイドン/種子島のガロー山/トカラ列島の女人司祭/奄美の神山/藪薩の御嶽
付.神社・御嶽・堂-谷川健一氏との対話―済州島というトポス/堂の祭/御嶽の発生/聖地とは何か/御嶽の聖性/対馬の問題/五島列島と済州島/問いとしての御嶽

―四方のたより― DANCE CAFÉ 2010 EVE

Dancecafe20101224web02


―山頭火の一句―
行乞記再び -123
5月3日、晴、行程7里、下関市、岩国屋

よい日だつた、よい道づれもあつた、11時頃小倉に入つた、招魂祭で人出が多い、とても行乞なんか出来さうにないし、また行乞するやうな気分にもなれないので、さらに門司まで歩く、ここから汽船で白船居へ向ひたいと思つてゐたのに、徳山へは寄港しないし、時間の都合もよくないので、下関へ渡つていつもの宿へおちつく、3時前とはあまりに早泊りだつた。
同宿十余人、同室弐人、おへんろさんと虚無僧さん、どちらも好人物だつた。-略-

関門を渡るたびに、私は憂鬱になる、ほんたうの故郷、即ち私の出生地は防府だから、山口県に一歩踏み込めば現在のわたしとして、私の性惰として憂鬱にならざるをえないのである、といふ訳でもないが、同時にさういふ訳でもないこともないが、とにかく今日は飲んだ、飲んだだけではいけないので、街へ出かけた、亀山祭でドンチヤン騒ぎ、仮装行列がひつきりなしにくる。‥
-略-

※表題句の外、4句を記す。

12092

Photo/下関市中之町の、関の氏神こと亀山八幡宮

12091

Photo/境内から鳥居越しに望む関門海峡

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 07, 2010

あるけばきんぽうげすわればきんぽうげ

Dc0912266

―表象の森― 不壊のものへ、捨身の生
辻邦生ノート「薔薇の沈黙-リルケ論の試み」より -壱-

「どのような小さなかけらのなかにまで、充実したレアリテ-現実-が存在する。どんな場所を歩こうと、僕にはよろこびがあり、愉悦があつた」と1907年6月にクララに宛てて書くとき、彼は<もの>の本質を透視し、いわばセザンヌが絵の中に封じこめた<もの>の生命観をセザンヌ展に先駆けて予感的に掴んでいたといっていい。このように「その日常的なリアリティは最終的な「絵画的な実存」のためにすべての重量を失っている」とセザンヌの絵画の本質を的確に示しえたのは「マルテ」をかかえたリルケが、同じ質のレアリテに達しようと苦悩していたからである。リルケはセザンヌが通念的な日常的現実の一切を排除し、物の本質へ迫るという意味での<即物性>に強く共感する。「最初はまずこの仮借なさから出発せねばならぬ。芸術の「見る」ということは、おそろしいもの、一見いとわしいもののなかに、「存在者」を見るまでの、苦痛な自己克服の道なのだ」。

この「自己克服」の対象となる自己とは、なお主観の圏内に真実を探し、自己を他者や<もの>たちに対する意味の根拠と信じる主体に他ならない。芸術家は「存在者」という「新しい祝福」-通念的現実の奥に見透かされる本質-に達するために、この自己を破壊・克服し、「あらゆるものと伍し、目立たず、言葉なく、孤独に生き抜く愛」に生きる。それは本質への捨身の生といってもいい。だが、この「苦しいこころみに耐える」ことができるのは、<もの>の運命を見ぬき、それを最後まで担ってゆく意志だけだ。主観性と結びつく愛をすら芸術家は越えてゆかなければならないことをセザンヌは教える。彼は愛を示すのではなく「愛も何もかも仕事の中に溶けてしまって、初めてかかる絶妙な<もの>が生れてくる」のを教えるのだ。リルケはセザンヌの絵の前で突然このことに気づく。自己をほとんど無と見なし、一切の評価、生活、愛を無視し、ただ「存在者」を掴み、それを作品という「不壊のものに高めるためのレアリザシオン」を貫くことーそれがセザンヌの仕事だった。リルケはセザンヌが叫んだ「他人のことにいらぬ心配はするな。君の仕事をはげんで強くなれ」という言葉を引用している。だが、それはよほどの忍耐と不屈の意志がなければ不可能な道だろう。

―四方のたより DANCE CAFÉ 2010 EVE

Dancecafe20101224web

―山頭火の一句― 行乞記再び -122
5月2日

5月は物を思ふなかれ、せんねんに働け、といふやうなお天気である、かたじけないお日和である、香春岳がいつもより香春岳らしく峙つてゐる。
早く起きる、冷酒をよばれてから別れる、そつけない別れだが、そこに千万無量のあたたかさが籠もつてゐる。
4里ばかり歩いて歩いて、ここまで来て早泊りした、小倉の宿はうるさいし、痔もよくないし、4年前、長い旅から緑平居へいそいだときの思出もあるので。-略-

今日の道はよかつた、いや、うつくしかつた、げんげ、たんぽぽ、きんぽうげ、赤いの白いの黄ろいの、百花咲きみだれて、花園を逍遙するやうな気分だつた、山もよく水もよかつた、めつたにない好日だつた-それもこれもみんな緑平老のおかげだ-、朝靄が晴れてゆくといつしよに歯のいたみもとれてきた。
麦の穂、苗代つくり、藤の花、鮮人の白衣。

此宿の田舎らしいところはほんたうにうれしかつた、水もうまかつた、山の水としてもうまかつた、何度飲んだか分らない、何杯も何杯も飲んだ、腹いつぱい飲んだ、こんなにうまい水はめつたに飲めない。-略-
今夜といふ一夜は幸福だつた、地は呼野、家は城井屋、木賃30銭、中印をつけて置くが上印に値する、私のやうなものには。

※表題句の外、12句を記す。

緑平居の糸田から香春町へ出ると、国道322号線に寄り添うように日田彦山線が走っている。

12071

Photo/香春岳全景、右手から一の岳、二の岳、三の岳

12072

Photo/一の岳の麓にある香春神社、その参道から社殿へ

12073

Photo/その鳥居からは一の岳が覗く

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 06, 2010

夕空、犬がくしやめした

Dc09092648_2

―表象の森― EVEの夜に

いっかな御輿を上げないままとうとう師走がきて、今年唯一のDANCE CAFÉは、会場取りの関係もあって、EVEの夜となってしまった。
きのう作ったその案内ページを以下にご紹介しておく。

Dancecafe20101224web_2

―山頭火の一句― 行乞記再び -121
5月1日、まつたく五月だ、緑平居の温情に浸つてゐる。

熱があるとみえて歯がうづくには困つたが、洗濯したり読書したり、散歩したり談笑したり。
彼女からの小包が届いてゐた、破れた綿入を脱ぎ捨てて袷に更へることが出来た、かういふ場合には私とても彼女に対して合掌の気持になる。

廃坑を散歩した、アカシアの若葉がうつくしい、月草を摘んできて机上の壺に挿して置く。
放哉書簡集を読む、放哉坊が死生を無視-敢て超越とはいはない、彼はむしろ死に急ぎすぎてゐた-してゐたのは羨ましい、私はこれまで二度も三度も自殺をはかつたけれど、その場合でも生の執着がなかつたとはいひきれない-未遂にをはつたのがその証拠の一つだ-。

筍を、肉を、すべてのものをやはらかく料理して下さる奥さんの心づくしが身にしみた-私の歯痛を思ひやつて下さつて-。
緑平老は、あやにく宿直が断りきれないので、晩餐後、私もいつしよに病院へ行く、ネロ-その名にふさはしくない飼犬-もついてくる。
緑平居に多いのは、そら豆、蕗、金盞花である、主人公も奥さんも物事に拘泥しない性質だから、庭やら畑やら草も野菜も共存共栄だ、それが私にはほんたうにうれしい。

※表題句の外、7句を記す。

12061

Photo/山頭火と木村緑平

12062

Photo/緑平は柳川の人、その終焉の地に立つ顕彰碑

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 03, 2010

窓一つ芽ぶいた

Santouka081130056

―表象の森― 辻邦生の小説世界と現代詩の森

きのうに続いて11月の購入本など。
この月は辻邦生特集といった趣き。それと30年代から60年代へと現代詩が辿った変遷、詩人ら51人を網羅したアンソロジー「言語空間の探検」など、学芸書林の「全集現代文学の発見」シリーズに特色。亀井孝ら編集の「日本語の歴史」シリーズもいずれ読んでみたい。

―11月の購入本―
・辻邦生「背教者ユリアヌス」中央公論社
著者自身の語るところ「時代の大きな変革期には、つねに時代を象徴するごとき人物が、壮大な悲劇を強いられて、歴史の中に立ちはだかる。背教者ユリアヌスが立たされたのは、まさに古代的現実が、激しくゆすぶられ、古代を支配したあらゆる精神、人間観、価値観が危機に立たされた四世紀から五世紀への過渡期である。現在のイスタンブールにローマから都をうつし、コンスタンティノボリスを建設し、キリスト教を国教として承認し、ピザンツ帝国の基礎をひらいたコンスタンテイヌス大帝の甥にうまれ、自らキリスト者として洗礼を受けたユリアヌスは、その燃えつきるような32年の短い生涯を、すべて古代異教の復興に賭け、音をたてて崩れる地中海古代を支えようと最後の悲劇的な苦闘をつづけるのである。」と。「音楽的で絵画的で、光り輝くような、それでいて抑制の効いた文体はそれだけでも至宝のようで、まさに読み終わるのが惜しくなる。辻邦生を読まずして「本読み」というなかれ。」と、旧制高校時代からの親友である北杜夫に絶賛させた長大な叙事詩。72年初刊の中古書。

・辻邦生「辻邦生が見た20世紀末」信濃毎日新聞社
90年代とはどんな時代だったのか、辻邦生が90年8月から99年7月までの10年、信濃毎日夕刊「今日の視角」に連載した433回の掌編エッセー。

12033

・辻邦生/山本容子「花のレクイエム」新潮社
月ごとの花をテーマに、版画家と共作した12の幻想的掌編。96年初版、中古書。

・辻邦生「辻邦生歴史小説集成-1」岩波書店
安土往還記、十二の肖像画による十二の物語、十二の風景画への十二の旅、を収録。93年出版の中古書。

・増谷文雄/梅原猛「知恵と慈悲「ブッダ」-仏教の思想-1-」角川文庫
角川の仏教の思想シリーズ、ブッダの偉大なる知恵と慈悲の思想をギリシア哲学やキリスト教思想と対比しつつ、その現代的意義を探る。

・櫻部建/上山春平「存在の分析「アビダルマ」-仏教の思想-2-」角川文庫
同上第2巻、5世紀頃に輩出した世親の仏教思想を軸にその哲学的側面を根源から捉え直す。

・亀井孝/他「日本語の歴史-1 民族のことばの誕生」平凡社ライブラリー
日本語を日本人の歴史をとおして把握しようとした昭和40年代前半初版の全7巻・別巻1の復刊シリーズ、その第1巻は、日本語の起源と日本人の起源から説き明かす。

・亀井孝/他「日本語の歴史-2 文字とのめぐりあい」平凡社ライブラリー
同上、第2巻は、音韻構造も統語構造も異なる中国の漢字を如何にして数百年の歳月をかけ日本語の文字へと取り込んできたか。

・ミシエル・レリス「幻のアフリカ」平凡社ライブラリー
刊行当初は発禁の憂目にあったという、大戦間期のアフリカの貌が立ち現れる長大な民族誌的日記。1068頁もの大部の文庫本化が話題になっている。

・安西冬衛/他「言語空間の探検 全集現代文学の発見-13」学芸書林
「軍艦茉莉」の安西冬衛や西脇順三郎の「Ambarvalia」など、30年代から60年代に到る現代詩の成立を鳥瞰する51人の詩人、歌人、俳人を網羅する、69年出版の中古書。

・井伏鱒二/他「日常のなかの危機 新装版全集現代文学の発見-5」学芸書林
同上シリーズ全17巻の新装版で、02年から順次再版されているその一、太宰治の「桜桃」、椎名麟三の「神の道化師」など14作を収録、中古書。

・大岡昇平/他「証言としての文学 新装版全集現代文学の発見-10」学芸書林
同上、大岡昇平の「俘虜記」、長谷川四郎の「シベリヤ物語」など15作を収録、中古書。

・吉岡幸雄「日本の色を歩く」平凡新書
著者は京都の老舗染屋の当主、化学染料には出せない日本の伝統の色、朱・赤・藍・黄・黒・白・紫を求め全国を旅するなかで、染色と色の知識が存分に語られてゆく。

・近藤太一「知的発見の旅へ」文芸社
06年初版のツアーコンダクターによるエッセイで著者は高校同期、その誼で中古書を購ってみたが、扉に「ご恵仔」と署名あり、どうやら贈呈本が古書店に廻ったものとみえる。

―図書館からの借本―
・「世界の文字の図典」吉川弘文館
古代文字から現代の文字まで歴史上に現れた全ての文字を網羅、1200点もの図版でわかる、文字の大図鑑。

・横田冬彦「天下泰平 日本の歴史-16」講談社
元和偃武が成り、<東照大権現>の鎮護のもと、対外的には鎖国という虚構の華夷秩序をうち立て、国内には徳川の平和を実現する。武力を凍結された軍事集団、武士は自らをどう変えていくのか。戦乱の世を通じて獲得された人々の自治は、この新しい武家国家とどう折り合いをつけ、近世の町・村の仕組みを生み出していくのか。

・辻邦生「辻邦生全集 15」新潮社
小説への序章-神々の死の後に/森有正-感覚のめざすもの/トーマス・マン/薔薇の沈黙-リルケ論の試み、を収録。

―山頭火の一句― 行乞記再び -120
4月30日、雨后曇、后晴、再び緑平居に入る。

雨、雨、かう雨がふつてはやりきれない、合羽を着て、水に沿うて、ぶらぶら歩いて、緑平居の客―厄介な客だと自分でも思つてゐるーとなる。

雨後の新緑のめざましさ、生きてゐることのよろこびを感じる。
夕方、予期した如く、緑平老が出張先から戻つて来た、酒、話、ラヂオ、‥友情のありがたさよ。

※表題句の外、5句を記す

当時、明治鉱業豊国病院の内科医であった木村緑平は、田川郡糸田町に住んでいた。現在なら平成筑豊糸田線で田川後藤寺駅から大藪、糸田と二駅。

12030

Photo/その糸田駅からほど近い皆添橋のレリーフには「逢ひたい捨炭山が見えだした」の句碑

12031

Photo/その糸田の木村緑平旧居跡下にある緑平の句碑「聴診器耳からはづし風の音聞いてゐる」

12032

Photo/同じく緑平旧居のそばに立つ山頭火句碑「逢うて別れてさくらのつぼみ」

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (1) | TrackBack (1)

December 02, 2010

逢ふまへの坊主頭としておく

Dc09122662

―表象の森― なぜだか‥?
またまた月遅れの購入本などの紹介、とりあえず10月分。
この月はなぜだか仏教及び宗教系がきわだって多くなった。

―10月の購入本―
・吉田武「オイラーの贈物」東海大学出版会
代数、幾何、解析。数学の多くの分野は唯一つの式に合流し、それを起点に再び奔流となって迸る。ネイピア数、円周率、虚数、指数関数、三角関数が織りなす不思議の環=オイラーの公式。本書はこの公式の理解を目標に、数学の基礎を徹底的に解説する。

12021

・末木文美士「仏典を読む-死からはじまる仏教史」新潮社
仏教のような宗教では、思想と言いつつも下部構造と深く関わっている。仏典のテキストに即しながら、仏教思想のダイナミズムを時代の変遷とともに明らかにしていく2部13章。

・井上順孝「新宗教の解読」ちくま学芸文庫
新宗教はなぜ生まれ、どのような道をたどってきたのか‥。天理教、創価学会から幸福の科学、オウム真理教に至るまで、時代や社会を反映する<近代日本に出現した新しい宗教システム>としての新宗教を読み解く。

・佐藤任「密教の神々―その文化史的考察」平凡社ライブラリー
聖天さん・馬頭観音・不動明王など、多くの日本人に親しまれてきた多彩な密教の神々を、インドの古代文化に遡って、文化的、歴史的意味を解き明かす。

・松原秀一「異教としてのキリスト教」平凡社ライブラリー
東方の一民族の一小集団の信仰であったキリスト教、異教として新しい世界に入ったこの宗教が、その地の要素をとりこみ、出自の母斑を脱色しながら、少しずつ変容していったありさまをまざまざと映し出す。

・岡谷公二「原始の神社を求めて-日本・琉球・済州島」平凡新書
御嶽、天道山、モイドン、神山、そして堂‥。沖縄にはじまり、済州島にたどりついた、森だけの聖地を求めての長い遍歴の旅。

・武澤秀一「神社霊場 ルーツをめぐる」光文社新書
著者は建築家、日本の神々を訪ね歩き、その絢爛な社殿や伽藍をその職業ならではの知見で分析し、神社・霊場をめぐる旅へと誘う。

・佐々井秋嶺「必生 闘う仏教」集英社新書
煩悩なくして生命なし、必生、この大欲こそが大楽金剛、煩悩は生きる力。流浪の果てにインドへ辿り着いてより40年、現在はインド仏教徒の指導者として活躍する破格の僧侶が、その半生と菩薩道を語る。

・服部正明/上山春平「認識と超越「唯識」-仏教の思想-4-」角川文庫
中観思想とともに仏教思想の最高の理論的達成とされる「唯識」は、日本仏教の出発点であり、またヨーガの実践と深い関わりをもつが、その唯識思想の本質を浮き彫りにする。

・田村芳明/梅原猛「絶対の真理「天台」-仏教の思想-5-」角川文庫
中国仏教哲学の頂点を示す天台教学、「法華経」をもとに天台智顗によって確立され、日本文化の母胎ともなった思想体系を読み解く。

・大畑裕史「太極拳四十八式 DVD付」愛隆堂
74年生まれの著者は、北京体育大学に留学、97年武術太極拳技術等級国家1級取得、98年同大学武術学部卒業して帰国。現在、埼玉県を中心に関東各地で指導を行っている。

―図書館からの借本―
・池上裕子「織豊政権と江戸幕府 日本の歴史-15」講談社
信長の天下布武から、秀吉の検地や刀狩り、そして無謀な朝鮮出兵、さらには家康の身分固定支配などで、民衆はどう生き始めたか。中世から近世への激動を経て、保たれ続けた町村の自治とはどんなものだったか。

・佐黨哲郎「大アジア思想活劇」サンガ
教談師野口復堂、神智学協会オルコット大佐、スリランカ人仏教徒ダルマパーラ、そして田中智学などなど、19世紀から20世紀、明治から昭和を貫く近代仏教の使徒たちが、アジアを股にかけ疾駆する近代裏面史としての仏教絵巻。

・久留島典子「一揆と戦国大名 日本の歴史-13」講談社
応仁・文明の乱を機に、未曾有の地殻変動を経験する中世社会。大名・領主から百姓・町人まで広汎な人々が、支配のため、抵抗のため、自治のため、一揆を結び、近世の夜明け前=新時代に向かって統合の運動を生きる。

―山頭火の一句― 行乞記再び -119
4月29日、晴、後藤寺町行乞、伊田、筑後屋

すつかり晴れた、誰もが喜んでゐる、世間師は勿論、道端の樹までがうれしさうにそよいでゐる。
やつぱり行乞したくない、したくないけれどしなければならない、やつと食べるだけ泊るだけいただく。-略-
歯が痛む、春愁とでもいふのか、近くまた二本ぬけるだらう。

後藤寺町の丸山公園はよろしい、葉桜がよろしい、それにしても次良さんをおもひださずにはゐられない、一昨年はあんなに楽しく語りあつたのに、今は東西山河をへだてて、音信不通に近い。
白髪を剃り落してさつぱりした。-略-

香春岳にはいつも心ひかれる、一の岳、二の岳、三の岳、それがくつきりと特殊なる色彩と形態とを持つて峙えてゐる、よい山である、忘れられない山である。-略-

※表題句の外、句作なし。

12023

Photo/後藤寺町にある丸山公園の桜

12022

Photo/十二祖神社の大鳥居、同公園内

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (1)

December 01, 2010

ぬかるみをふんできてふるさとのうた

Dc09092620

―表象の森― 江戸の御触書

江戸期の三大都市、京都・大坂・江戸の自治と行政のしくみを支えた「御触書-町触制度」について詳しく説いてくれた講談社版の「日本の歴史16-天下泰平」。

秀吉時代の京都でその端緒をひらき、徳川期に入って京都所司代のもと確立していく。家光の寛永年間-1640年代頃-には江戸・大坂にも採り入れられ本格化していった、と。

「触れ」は、町方支配の町奉行所から、京都では<町代>へ、江戸では<町名主>、大坂では<惣年寄>へと示達され、それぞれの町組から各町々へと流され、一両日も経ずに各町の隅々までいきわたるのだが、さしづめ京都でいえば千町を越える町々、約4万軒の町民たちに触れ回ったということになる。

本書では、その量的な変遷ぶりも示してくれているが、これがまた一驚、眼を瞠らされる。例を京都にとると、所司代から町方支配を分離して京都町奉行所が成立した1660年代-万治年間-から急速に増加しはじめ、1700年前後の元禄期には年間50件ほどに、享保期-1720年代-には年100件ほど、18世紀後半の宝暦~寛政期には180~190件ほどにも達している。つまりはこの時期、二日に一度は「触れ」が出され、町方を駆けめぐっていたというわけである。

こういった事情をみれば、町中における寺子屋の普及も察せられようし、幕末期におけるこの国の庶民の識字率が、近代ヨーロッパをもしのぐ高率にあったという事実も肯けようものである。

12011


―山頭火の一句― 行乞記再び -118
4月28日、雨、休養、終日読書、宿は同前、なかなかよい、もつと掃除が行届くといいのだが。

悠然として春雨を眺めてゐられる、それも緑平老のおかげだ、夜はあんまり徒然だから活動見物、日活映画のあまいものだつたが、十銭はとにかく安い。

同宿数人、その中の二人は骨董仲買人、気色が変つてゐて多少の興味をひいた。
ちょんびり焼酎を飲んだら腹工合があやしくなつた、もう焼酎には懲りた、焼酎との絶縁が私の生活改善の第一歩だ。

※表題句の外、4句を記す

120101

Photo/炭鉱の町田川市、昭和前期の風景

120102

Photo/石炭資料館に残る採掘櫓

120103

Photo/彦山川の川渡り神幸祭風景

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« November 2010 | Main | January 2011 »