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June 30, 2010

物乞ふとシクラメンのうつくしいこと

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―表象の森― いまさらこの年齢で‥
今年上半期は石川九楊の書史論に明け暮れた感だが、
このところは、PCトラブルも影響しているが、それよりも近年にない不快きわまる蒸し暑さがきわだつ梅雨空の下で、根と集中力の要る本格派読書はぐんと低調、iPad相手に「青空文庫」の諸本を-こちらは一編々々ごく短いという所為もあるのだが-、気楽に読むなど、のんびりと取り組めるものにならざるをえない。

そんなのんびりペースのなかで軸に据えてみたいと思っているのが「数学ガール」シリーズ、いまさらこの年齢で、半世紀も前に眠りこけてしまったままの「数学センス」がいささかなりとも目覚めてくれれば、と半ば期待しつつ、そんなのもう無理にきまってるさ、と半ば諦めつ、ぼちぼち繙いてゆこうか、と。

―今月の購入本―
・結城浩「数学ガール」ソフトバンク・クリエイティブ
’02年から著者のWebで綴られてきた「数学ガール」が、若い読者らの評判と熱い支持で出版されたのが’07年、以後、’08「数学ガール-フエルマーの最終定理」、’09「々-ゲーデルの不完全性定理」と続刊され、初巻の「数学ガール」はすでに初版15刷となるベストセラー。近くは電子書籍化もされ話題になっている。ネタの多くは「コンピユータの数学」-R.L.グレアム、O.パタシュニク、D.E.クヌース-に依っているとされるが、ともあれコンピュータ科学の世界で必要とされる数学的センスが身につくこと請合いと好評。

・保阪正康「昭和史の深層」平凡社新書
「昭和史を語り継ぐ会」を主宰するという著者は、その収集した膨大な資料・記録を「昭和史講座」に集約しようと壮大な計画を試みている。本書は副題に「15の争点から読み解く」とあるように、太平洋戦争、東京裁判、南京事件、慰安婦問題、強制連行、沖縄戦、昭和天皇etc.‥各章表題を掲げ、客観的に史実を整理しつつ問題の本質を絞り込んでいく。

・前田耕作「玄奘三蔵、シルクロードを行く」岩波新書
仏法を求めてシルクロードを踏破、遥かにインドまで旅をした玄奘三蔵、それは文字通り命がけの冒険であった。じじつ彼以来、誰一人として同じ道を通ったことはなく、部分的なルートでさえ未だに踏査されていない箇所がいくつも残されているという。本書は、文化史の立場からも検討が行われ、玄奘の残した「大唐西域記」は、もはや単なる古代の旅行記にとどまらず、その正確無比な記述は考古学の手がかりになり、また人類学の貴重な記録としても精彩を放つ。

―図書館からの借本―
別冊太陽「宮本常一-『忘れられた日本人』を訪ねて」
  々 「土門拳-鬼が撮った日本」
  々 「長谷川等伯-桃山画壇の変革者」

―山頭火の一句― 行乞記再び -88
3月29日、からりと晴れてゐる、まだ腹具合はよくないが、いよいよ出立した、停滞する勿れ、行程3里、相ノ浦、川添屋

恋塚といふ姓、夫婦株式会社といふ看板、町内規約に依り押売・物貰・寄附一切御断りといふ赤札。
今晩は飲みすぎた、地球が急速度で回転した、私自身も急速度で回転した、一切が笑つた、踊つた、歌つた、そして生滅してしまつた!-此貨幣換算価値55銭-
酔ひざめの夢を見た、息づまるほど悲しい夢だつた、ああ生れたものは死ぬる、形あるものはくづれる、逢へば別れなければならない、-しかし、ああ、しかしそれは悲しいことである。

※句作は表題句のみ

佐世保市内には旧石器終末期頃の洞窟遺跡が計25箇所あるという。松浦西九州線を佐世保駅から5km余り北へ行くと泉専福寺駅があり、その駅近くには12000~3000年前といわれる世界最古級の豆粒文-とうりゅうもん-土器が出土した泉福寺洞窟がある。

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Photo/泉福寺洞窟と、復元された豆粒文土器

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佐世保市相浦町は、その泉専福寺駅から西へ8kmほど歩いたあたりの港町。

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Photo/相浦の港

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June 26, 2010

寒い夜の御灯またゝく

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―日々余話― いつものように、いつもの宴が‥

例年の決まりごとになったかのように、市岡OB美術展打上の懇親会、一年ぶりの酒宴は、いつもの場所でいつものように、懐かしくもありまた馴れあいからくる些か気重さの匂いも残すといった感がある。
喜寿を迎えた梶野さん-旧師-の記念講義(?)は、レジメも配られるほどにずいぶんと心の準備はあったろうに、やはりいざとなるとお馴染みのカジノ流に終始する。ならばもう少し時間を短くして、焦点の定まった一滴を示して欲しかったが‥。
この十年余、外観はなにごとも変わった様子をみせてはいないが、ただ年経りきたったばかりではない内からの変容が感じられてならないのは、私だけではないだろう。

梅雨だから、あたりまえだといえばそうなのだろうけれど、それにしてもよく降りつづく‥、この鬱陶しさは、ちょっと堪らないものがある。

―山頭火の一句― 行乞記再び -87
3月28日、曇后晴、病痾やや怠る、宿は同前、滞在。

午近くまで寝てゐたが、行乞坊主が行乞しないのは一種の堕落だと考へて、3時間ばかり市街行乞、今日一日の生存費だけ頂戴した、勿体ないことである、壮健な男一匹が朝から晩まで働き通して80銭くらいしか与へられないではないか-日雇人足-、私は仏陀の慈蔭、衆生の恩恵に感謝せずにはゐられないのである-これを具体的にいへば袈裟のおかげである-。-略-

行乞中、いただかなければならない1銭をいただかなかった、そしていただいてはならない50銭をいただかなかつた-行乞相はよかつたのである、与へられるだけ、与へられるままに受けるべき行乞でなければならない、行乞はほんたうにむづかしいと思ふ。

ここには滞在しすぎた、シケたためでもある、病んだためでもある、しかしだらしなかつたためでもある、明朝は是非出立しよう。

夜に入つてからまた雨となつた、風さへ加はつた、雨は悪くないけれど、風には困る。雨は心身を内に籠らせる、風は心身を外に向はしめる、風は法衣を吹きまくるやうに、私自身をも吹きまくる、旅人に風はあまりに淋しい。-略-

※句作なし、表題句は3月20日記載の句

佐世保市の中心街を国道35号線に並行して伸びる全長960mのアーケード街は、戦前から本通り沿に発展した三ヶ町商店街と四ヶ町商店街を接続一体化したもので、1997-H9-年には中間点の佐世保玉屋を含め「さるくシティ4○3」と総称するようになった。「さるく」とは地元の方言で<歩き回る><散歩する>の意味、「4○」3の4と3はそれぞれ四ヶ町と三ヶ町を、○は玉屋を表わす、という。

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Photo/さるくシティ4○3のアーケード街

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June 24, 2010

よろこびの旗をふる背なの児もふる

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―日々余話― iPadの青空文庫
iPadで読む青空文庫、そのアプリ「i文庫HD」600円也をdownloadしてみる。成程これはスグレモノだと思う。
すでに著作権が消滅した明治から昭和初期の文芸作品が大部分を占めるが、現在、収録作品は9000に余るという。そのすべてをダウロードしたとしても130MBほどにすぎないというから、動画などに比べればわずかなものだ。
それらを現に本のページをめくるように読めるこのすぐれたデザイン環境で享受できるとなれば、話題にもなろうというものだ。
早速、山頭火の著作をすべてdownloadしてみた。

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「砕けた瓦」-或る男の手帳から-

 私は此頃自ら省みて「私は砕けた瓦だ」としみじみ感ぜざるをえないようになった。私は瓦であった、脆い瓦であつた、自分から転げ落ちて砕けてしまう河原であったのだ。
 玉砕ということがあるが、私は瓦砕だ。それも他から砕かれたのではなくて、自から砕いてしまったのだ。見よ、砕けて散った破片が白日に曝されてべそを掻いている。
 既に砕けた瓦は粉々に砕かれなければならない。木端微塵砕け尽されなければならない。砕けた瓦が更に堅い瓦となるためには、一切の色彩を剥がれ、有らゆる外殻を破って、以前の粘土に帰らなければならない。そして他の新しい粘土が加えられなければならない。

 家庭は牢獄だ、とは思わないが、家庭は沙漠である、と思わざるをえない。
 親は子の心を理解しない、子は親の心を理解しない。夫は妻を、妻は夫を理解しない。兄は弟を、弟は兄を、そして姉は妹を、妹は姉を理解しない。―理解していない親と子と夫と妻と兄弟と姉妹とが、同じ釜の飯を食い、同じ屋根の下に睡っているのだ。
 彼等は理解しようと努めずして、理解することを恐れている。理解は多くの場合に於て、融合を生まずして離反を生むからだ。反き離れんとする心を骨肉によって結んだ集団! そこには邪推と不安と寂寥とがあるばかりだ。

Evreryman sings his own song and follows lonely path.-お前はお前の歌をうとうてお前の道を歩め、私は私の歌をうとうて私の道を歩むばかりだ。驢馬は驢馬の足を曳きずって、驢馬の鳴声を鳴くより外はない。
私達は別れなければならなくなったことを悲しむ前に、理解なくして結んでいるよりも、理解して離れることの幸福を考えなければならない。

 男には涙なき悲哀がある、女には悲哀なき涙がある。
 自殺は一の悲しき遊技である。
 溢れて成った物は尊い、絞って作った物は愛せざるをえない、偽って拵えた物は捨ててしまえ。
 人生はミラクル-奇蹟-ではない、ローカス-軌跡-である。
 真実は慈悲深くあり同時に残忍である。神に真実があるように悪魔にも亦真実がある。
 苦痛は人生を具象化する。

 酔わないうちに胃が酒で一杯になった、ということは悲しい事実である。

-荻原井泉水主宰の「層雲」-大正3年9月号-に所収された山頭火の短編寄稿文の抜粋である。
山頭火年譜によれば、大正3年といえば数えの33歳、若旦那として家業の種田酒造場の経営に携わりつつ、前年の初めより井泉水に師事して「層雲」に投句しはじめ、俳号に山頭火を用いるようになっていた。また彼の住んでいた防府で俳句・短歌の同人椋鳥会を主宰もしていた。


―山頭火の一句―
行乞記再び -86
3月27日、曇、終日臥床。

とうとう寝ついてしまつたのだ、実は一昨夜つい飲んだ焼酎が悪かつたらしい、そして昨日は食べた豆腐があたつたらしい、夜中腹痛で苦しみつづけた、今日は反省と精進とを齋らす。

旅で一人で病むのは罰と思ふ外ない。
病めば必ず死を考える、かういふ風にしてかういふ所で死んでは困ると思ふ、自他共に迷惑するばかりだから。
死! 冷たいものがスーツと身体を貫いた、寂しいやうな、恐ろしいやうな、何ともいへない冷たいものだ。

今日はさすがの私も飲まなかつた-飲んだのはアルコールでなくて水ばかりだつた-、飲みたくもなく、また飲めもしなかつた。早く嬉野温泉に落ちつきたい、そして最少限度の要求に於て、最少範囲の情実に於て余生を送りたい

※表題句のみ記載、旗行列と註記あり

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Photo/佐世保駅のすぐ近くに聳え立つカトリック三浦町教会
三浦町教会の前身は現市役所に近い谷郷町に明治30-1897-年に建てられた。その後、昭和6-1931-年には現在地へと建替えられることになり、同年10月竣工したというから、この真新しい荘厳たる偉容に接して山頭火はなにを思ったか‥。

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June 21, 2010

をとことをんなとその影も踊る

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―山頭火の一句― 行乞記再び -85
3月26日、晴、いよいよ正真正銘の春だ、宿は同前。

いやいやながら午前中行乞-そのくせ行乞相はよろしいのだが-、そし留置郵便をうけとる、緑平老からのたよりはしんじつ春のおとづれだつた、うれしくてかなしうなつた。
一風呂浴びて、一杯ひつかけて、そして一服やるのは何ともいへない、まさに現世極楽だ、極楽は東西南北、湯坪にあり、酒樽にあり、煙管にありだ!

空に飛行機、海に船、街は旗と人とでいっぱいだ。
午後は風が出てまた孤独の旅人をさびしがらせた。
季節は歩くによろしく乞ふにものうい頃となつた。
行乞流転に始終なく前後なし、ちぢめれば一歩となり、のばせば八万四千歩となる、万里一条鉄。
方々へハガキをとばせる、とんでゆけ、そしてとんでこい、そのカヘシが、なつかしい友の言葉が、温情かよ。

-略- 夕食後、佐世保会館を訊ねて行く、-略-、会館は堂々たる建物だつた、ホールも気持がよかつた、支那事変傷痍軍人後援会主催、全国同盟新聞社、森永製菓株式会社後援、映画と講演の夕といふのである、ざつくばらんにいへば、後援と商売とを一挙両得しようといふ愛国運動である、I大佐の講演では少しばかり教へられた、軍事映画では大に考へさせられた、「日本人が一番日本人を知らない」といふ言葉は穿つていると思つた。

※この日句作なし、表題句は3月24日付記載

佐世保の街は、明治になってからの海軍の軍港として建設が始まった当時は、人口1000人余りの寒村にすぎなかった。明治22-1889-年の鎮守府設置以後、急速に海軍施設と街の整備が進められ、同35-1902-年には村から一足飛びに市制を施行したほどに、九州でも五指に入る大都市に発展し、大正9-1920-年には九州初の百貨店となる「デパート田中丸呉服店-現在の佐世保玉屋-」が栄町に鉄筋4階建で開業するほどに繁栄していった。
この年-昭和7年-の5月25日、日本人初の国際的オペラ歌手として活躍していた三浦環の「蝶々夫人」公演が佐世保会館で昼夜2回行われており、この折の木戸銭は1円50銭という高額なものだったという。
3年後の昭和10-1926-年3月16日、この佐世保会館において火災事件が起こつている。この日映画鑑賞会が開かれていたのだが、フイルム引火による火災発生で、観客だった小学生40名余りが死傷したというもの。

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Photo/夜の佐世保川と灯籠流し

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Photo/佐世保川と佐世保公園

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June 20, 2010

ヒヨコ孵るより売られてしまつた

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―表象の森― 市岡高校OB美術展はじまる

恒例の、とはいえ、会場の都合からか、昨年の5月から、今年は6月へとひと月ずれ込んで、2010市岡高校OB美術展は今日から一週間、例年のように西天満の現代画廊ではじまった。
今年の作品の寄り具合は、また出来具合はどんなものか、まだ私はなにも観ていないし、知らないのだから語るすべもないのだが、最終日の26日、土曜の午後には、これまた恒例の、関係者一同に会しての懇親会もあることだから、その折りまで鑑賞の愉しみはとっておこう。

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―山頭火の一句― 行乞記再び -84
3月25日、晴、夜来の雨はどこへやら、いや道路のぬかるみへ!

今日も行乞しなければならない、食べなければならないから、飲まなければならないから、死なないから。‥
同宿の活弁の失業人と話し込んでゐるうちにもう11時近くになつてしまつた、急いで支度をして出かける、行乞相はよかつた、所得もよかつた、3時過ぎ戻つた。
例の塩風呂に浸つてから例の酒店で一杯やる、この店は安い、一合でも二合でも喜んで燗をしてくれる、-略-

九州西国27番清岩寺へ拝登した、なかなかよいところである、堂宇をもつと荘厳したらよからうと口惜しかつた。

夜は万歳大会を観た、どうも此頃どうかしたのかも知れない、見物気分がいやに濃厚になつてゐる、が、とにかく愉快だつた、人間は何も考へないで馬鹿笑ひする必要がある、時々はね。

※表題句のみ記す

佐世保市内の街中にある九州西国27番札所の福石山清岩寺は俗に福石観音と称される。JR九州の佐世保線に沿った市街地の一角だというのに、小高くなった岩山に幅50m/奥行き7m/高さ3mほどもの海食洞の岩室があり、この中の十一面観世音を本尊としているそうだ。

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Photo/福石観音こと清岩寺本殿

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Photo/海食洞の岩室に並ぶ五百羅漢

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June 17, 2010

水が濁つて旅人をさびしうする

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―山頭火の一句― 初期不良につき‥

15日-火曜-、新PC到着、
いろいろ迷った挙げ句、買い求めたのはEee Boxシリーズの新機種EB1501、Mouseはワイヤレスで動くが、keyboardのほうは動かない‥、まあ、この程度の初期不良は、ネット情報でも散見されることだから、ありがちなことだろうとこちらも驚かない。

まずは、Internetを接続したり、Partitionを改変したり、さらにはDataの入った外付Harddiscを接続、Fileの配列などを整える。
そんなこんなにずいぶん時間をかけて、やっと周辺整備完了、さあ、手持ちのApplication SoftをInstalしようとするが、DVDドライブ殿が起動はすれどもいっかな読み取りしてくれない、暫時空回りしては、呑み込んだCDを吐き出してござる、アプリのCDをいくつか取り替えてみるが同じことを繰り返すばかり‥。
こりゃ、魂消た、よりにもよってDVDドライブまでが初期不良かい、こっちは徹夜同然でここまでこぎつけたっていうのに、この始末とはそりゃないだろうぜ、こいつあしくじった、一等初めにcheckすべきだった、と後悔するもあとのまつり‥。

すぐにも発売元のコールセンターへTEL、曰く、修理ないし部品交換して戻ってくるまでに十日はみてくれ、と悪びれた様子もないのには呆れかえるばかりだが、いかんとも仕方がない、とこれが昨日のこと。
今日の午前、手配された宅配業者に引き渡したが、さて、無事にご帰還なされるは一週間後か、はたまた二週間後か‥。

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そんなこんなで、この記事をupしているのは、少々作業効率の悪い、予備の古いPC、いささか疲れます。

―山頭火の一句― 行乞記再び -83
3月24日、晴、春風が吹く

9時から3時まで市内行乞、行乞相は悪くなかつたが所得はよくなかつた。
此宿もうるさい、早く平戸から五島へ渡らうと思ふ、それにしても旅はさみしいな、行乞もつらいね。
塩湯にゆつくり浸つてから二三杯かたむける、ありがたい。
近来、気が滅入つてしようがないので、夜はレビューを観た。
花はうつくしい、踊り子はうつくしい、ああいふものを観てゐると煩悩即菩提を感じる。
蛙の踊、鷲の踊、さくら踊などが印象として残つた。

※表題句の外、2句を記載

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Photo/佐世保の中心街から佐世保湾を望む

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Photo/佐世保市八幡町にある亀山八幡宮

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Photo/亀山八幡境内に立ち並ぶ屋台

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June 14, 2010

骨となつてかへつたかサクラさく

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―表象の森― 日本語とはどういう言語か-06-

・漢語、漢詩、漢文と和語、和歌、和文-二併の平安日本語
平安時代中期は、歌合、詩合、詩歌合、絵合、貝合、さらに和漢朗詠集などの「合-あわせ-」の時代であった。
「合」とは、漢字を媒介として漢語-音語-と和語-訓語-を合わせる二併性の象徴である。漢語と和語、つまり音と訓を背中併せに貼りつけた漢字=日本文字-女手の書きぶりを忍び込ませ、もはや漢字とは思えぬ軟性の姿で現れた漢字-と漢字・漢語の中に収めきれない意識の結晶、露岩体である女手、さらには漢詩、漢文を日本語として開く文字である片仮名の三種類の文字が生まれ、二重複線言語たる日本語が姿を現した。

平仮名-女手-は、片仮名やハングルとは異なり、漢語からはみ出す部分を定着せんとする文字-これは片仮名で足りる-ではなく、それ自体が語をなし、詩文をつくらんとする自立的指向性をもった野心的な文字である。それゆえ日本には二つの仮名文字があり、平仮名は、語をなさんとして連続する姿をとどめている。つまり漢文、漢詩、漢語とは異なるもう一つの文と詩と語をつくらんとするところに、片仮名やハングルとは異なった女手-平仮名-の特異な性格がある。訓文、訓詩、訓語をつくらんとしたところが女手成立の意味である。誤解なきよう触れておけば、訓はむろんあくまで裏側にある漢字-音-を前提として存在している。

この女手その名称から女性の意識の表出の文と詩と語をもたらし、性愛-エロス-の文学と、四季賛美の歌と、女手の延長線上に派生的に生まれた仮名文字葦手に象徴されるところの、絵画的具象に関わる言語の豊穣という日本語の特質を生むことになったのである。
  -石川九楊「日本語とはどういう言語か」より

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/伝藤原公任「葦手古今集切」-11世紀中 頃-

―山頭火の一句― 行乞記再び -82
3月23日、雨后曇、休養、漫歩、宿は同前

小降りになったので、頭に利休帽、足に地下足袋、尻端折懐手の珍妙な扮装で、市内見物に出かける、どこも水兵さんの姿でいつぱいだ、港の風景はおもしろい。

プロレタリアホールと大書した食堂もあれば、簡易ホテルの看板を出した木賃宿もある、一杯5銭の濁酒があるから、チョンの間50銭の人肉もあるだらう!

安煙草はいつも売切れだ、口付は朝日かみのり、刻はさつき以上、バツトは無論ない、チエリーかホープだ。
塩湯へ行つた、よかつた、4銭は安い、昨日の普通湯4銭は高いと思つたが。

佐世保の道路は悪い、どろどろしてゐる-雨後は-、まるで泥海だ、これも港町の一要素かも知れない。
同宿は佐商入学試験を受ける青年二人、タケ-尺八吹-、そして競馬やさん、この競馬は面白い、玩具の馬を走らせるのである、むろん品物が賭けてある、1銭2銭の馬券で1銭から10銭までの品を渡すのである。

※表題句のみ記す、佐世保駅凱旋日と註がある

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Photo/佐世保市内中心部の四ケ町商店街入口

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Photo/佐世保市内を完全武装で行進する、戦前の水兵さんならぬ、西部方面普通科連隊-有事即応の対テロ特殊部隊の隊員

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June 13, 2010

ゆつくり湯に浸り沈丁花

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―世間虚仮― PC寿命はどんどん短く‥

昨日は一日中、PC不調に振り回された。
数日前から、突然止まったりとトラブルは続いていたのだが、電源を入れても、空回りのごとくrunningすれど、一向に起動しなくなってしまった。何度試してもごの仕儀でお手上げ、まだ1年半だというのにだ。

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GatewayのFX7028i、写真と同じもので発売は08年3月だから、とくに型落ちでもないのにこのありさまはなんとも情けない。
メーカー・サポートに電話をしてみたが、保証期間1年を過ぎているので承れない、修理をするにせよ、まず新たにサポート申請をして料金の振込を確認できてから、サポートに応じますと宣うのにはアタマにきた。
そんな手間隙をかけて、修理に何万といわれてもあとの祭り、すぐに2週間や、悪くすればひと月以上もかかるだろうことは眼に見えている。

こいつはおシャカにするしかないと諦めたが、それからが大変、とにかく積もりに積もったデータだけは無事に避難させなければならない。桿体を開けてハードディスクを取り出す。もう一つのASUSのEee Boxがあるので、一時しのぎとはいえ、此方で使えるように配備する。Eee Boxにはアプリケーション・ソフトが少ないから、最低限のものにしぼってインストールするとかなんとか‥、まったくかかりっきりの一日。

たしか、Dellは4年以上もった。次のMouseはちょうど2年だった。そしてこのGatewayは1年と6ヶ月の寿命とは、人間の寿命はずいぶんと伸びて、私もまだ10年やそこらはPCを相手に時間潰し-?-をしているだろうに、PC寿命がこんなに短くなっているのなら、これは機種選びも含めてよくよく考え直さなければならないのじゃないか、などと思案に暮れる始末だ。

―山頭火の一句― 行乞記再び -81
3月22日、曇、暖か、早岐町行乞、佐世保市、末広屋

たしかに春だ、花曇と感じた。
行乞相がよくない、よくない筈だ、身心がよくないのだ。

佐世保はさすがに繁華街だ、なかなか賑やかだ、殊に艦隊が凱旋してきたので、町は水兵さんでいつぱい、水兵さん大持てである。

留置郵便落手、緑平老、俊和尚、苦味生君、いつもあたたかい人々である。

夕食後、市街を観て歩く、食べもの店の多いのと、その安いのに驚く、軍港街の色と音とがそこにもあつた。
いっぱいひつかけて寝る、新酒1合6銭、ぬた一皿2銭!

※句作なし、表題句は3月20日記載

今も昔も佐世保の港は軍港であるが、地図を見ると一目瞭然、米軍基地が港の中央部を広く陣取り、周辺にはその関連施設と海上自衛隊の施設がひしめく。

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Photo/弓張岳展望台から望む佐世保港

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Photo/同じ弓張岳から眺めた佐世保港夜景

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Photo/’07年2月24日、佐世保に入港する原子力空母ロナルド・レーガン

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Photo/佐世保基地の35番錨地付近に停泊するロナルド・レーガン

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June 11, 2010

ふるさとは遠くして木の芽

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―日々余話― 84歳、なお矍鑠たり

昨日、大阪地裁に行った折、裁判所の地下1階で、偶然にもばったりと大和田幸治さんと出会した。もう何年もお見かけしてなかったので、つい声をかけて立ち話に及んだが、どうやら連合大阪を相手取って訴訟を起こしている要宏輝氏の公判に来ていたらしい。

失礼千万なことだが、あらためて歳を確認させてもらって驚いた。昭和2年生れというから、誕生日がくれば84歳になられるのに、いまなお全金港合同の事務局長や田中機械支部の執行委員長の職をまっとうしておられる。この闘志の人には引退の二文字は眼中にないのだろう、よしんば病に倒れるようなことがあっても、象徴的なまでの圧倒的な存在の大和田幸治その人を、周囲の人々は到底現職から外せないのではないかとさえ思われる。

私が大和田幸治の存在に触れたのは、関西芸術座の創作劇「手のひらの詩」の、劇中の主人公モデルとしてであり、田中機械の労働組合のなかで、社外工の本工化・女性差別賃金撤廃など、先進的な労働条件改善を実現していく運動を描いたものであった。1970年のことで、この時の演出は道井直次氏、脚本は柴崎卓三氏だ。

そして時が流れて、劇中のではなく現実の大和田幸治本人とまみえたのは88年になってからのことだと思うが、この折の印象は、眼光人を射るがごとくの強い眼差しに、まことに鮮烈なものがあり、脳裏に描いてきた想像の人物像が、眼前の人物と見事に重なり合ったような気がしたものだった。

その大和田さんが関与しているらしい要宏輝氏の連合大阪訴訟がどんなものか、ネットで調べてみた。
要宏輝自身が立ち上げているWebサイトがあり、訴訟等についても詳細な報告がある。
これによれば、大阪地裁では、昨日-6/10-の午前10時から午後4時まで、被告側2名と、原告-要氏-側1名の証人尋問があり、大和田さんはその原告側証人として法廷に立っていたことになるのだ。

―山頭火の一句― 行乞記再び -80-
3月21日、晴、彼岸の中日、即ち春季皇霊祭、晴れて風が吹いて、この孤独の旅人をさぴしがらせた、行程8里、早岐の太田屋といふ木賃宿へ泊る

少しばかり行乞したが、どうしても行乞気分になれなかつた、嬉野温泉で休みすぎたためか、俊和尚、元寛君の厚意が懐中にあるためか、いやいや風が吹いたためだ。

夕方、一文なしのルンペンが来て酒を飲みかけて追つ払はれた、人事じやない、いろいろ考えさせられた、彼は横着だから憎むべく憐れむべしである、私はつつましくしてはゐるけれど、友情にあまり恵まれてゐる、友人の厚意に甘えすぎてゐる。

※表題句の外、句作なし

山頭火はこの日、嬉野から県境を越えて長崎県の波佐見町を通り抜け、現在の佐世保市三河内へと入り鉄路に沿って早岐へと歩いたか。

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Photo/早岐-はいき-の町から見た佐世保市

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Photo/現在では早岐駅のすぐ隣駅がハウステンボスだ。

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June 10, 2010

湯壺から桜ふくらんだ

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―世間虚仮― 50円コピー、早々とダンピング

今朝、司法協会から電話あり、判決等の法廷資料の謄写が出来ました、と。
大阪地裁へと到着したのは、ちょうど昼休みどきだったが、さっそく地下一階の司法協会窓口へ。

先月の中旬頃だったか、前回の場合は、証拠資料などが入っていて、ずいぶん分厚いもので、5000円余りを請求されたが、今回はわずかA4版14枚のみで、490円也という。
まてよ、ということは、一枚35円ではないか。

行政刷新会議の事業仕分の最終日-5/25-に、コピー代50円は高額すぎると槍玉に挙がって、いたく話題になった司法協会の事業である。これが早々と50円から35円へと、大幅ダンピングをなさったという訳か。
なんともはや、手回しのよいことで、こいつはオドロイタ。

だけど、大部とはいっても100頁もある筈のない前回のコピー代に5000円も請求なされたのは、どうしてなのかなあ? まったく利用者には得体の知れぬ伏魔殿のようなものだネ、公益法人てやつは。

―山頭火の一句― 行乞記再び -79-
3月20日、曇、小雪、また滞在してしまつた、それでよかよか。

老遍路さんと別離の酒を酌む、彼も孤独で酒好き、私も御同様だ、下物は嬉野温泉独特の湯豆腐-温泉の湯で煮るのである、汁が牛乳のやうになる、あつさりしてゐてうまい-、これがホントウのユドウフだ!

 応無所住而生其心 -金剛経

 たゝずむなゆくなもどるなゐずはるな
   ねるなおきるなしるもしらぬも -沢庵

先日来の句を思ひだして書いておかう。

※表題句の外、2句を記す

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Photo/嬉野川沿にある桜並木の遊歩道
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Photo/嬉野川上流約1㎞あたりにある轟滝

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June 09, 2010

さみしい湯があふれる

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―表象の森―言の葉/宮本常一

「日本人にとっての未来は子供であった。自らの志がおこなえなければ、子供にこれを具現してもらおうとする意 欲があった。子供たちにも、またけなげな心構えと努力があった。」/日本の子供たち-1957-

「歩きはじめると歩けるところまで歩いた。そうした旅には知人のいることは少ない。だから旅に出て最初によい人に出会うまでは全く心が重い。しかし一日も歩いているときつとよい人に出会う。そしてその人の家に泊めてもらう。その人によって次にゆくべきところがきまる。」/民俗学の旅-1978-

「日本の村々をあるいて見ると、意外なほどその若い時代に、奔放な旅をした経験を持った者が多い。村人たちはあれは世間師だといっている。
明治から大正、昭和の前半にいたる間、どの村にもこのような世間師が少なからずいた。それが、村を新しくしていくためのささやかな方向づけをしたことは見のがせない。いずれも自ら進んでそういう役を買って出る。政府や学校が指導したものではなかった。」/忘れられた日本人-1960-


―山頭火の一句―
行乞記再び -78-
3月19日、お彼岸日和、うららかなことである、滞在。

今朝は出立するつもりだつたが、遊べる時に遊べる処で遊ぶつもりで、湯に入つたり、酒を飲んだり、歩いたり話したり。

夢を見た、父の夢、弟の夢、そして敗残没落の夢である、寂しいとも悲しいとも何ともいへない夢だ。
終日、主人及老遍路さんと話す、日本一たつしやな爺さんの話、生きた魚をたたき殺す話などは、人間性の実話的表現として興味が深かつた。

元寛君からの手紙を受取る、ありがたかつた、同時にはづかしかつた。

※句作なし、表題句は前日付記載

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Photo/嬉野温泉全景

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Photo/温泉名物の湯豆腐

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June 07, 2010

春が来た旅の法衣を洗ふ

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―世間虚仮― Soulful Days-39-予想外、重い判決

自動車運転過失致死傷事件、M被告の判決が下された。

「禁固1年、執行猶予3年」

前回の公判で、検察の求刑は実刑の禁固1年というものであったのだが、Mに対しもっと軽微な刑を望んでいた被害者側としては、下された判決は予想外に重いものとなった。

判決主文に付し、補足的に語られた裁判官の説明のなかで、私としては聞き逃しがたい事実関係が語られていた。
それは検察が当初より主張していた、右折しようとしていた被告Mが、直進のT車に気づいた時点が、事故発生の2秒前であり、直後にMが制動動作に入ったものの、この時点では事故の避けようがなかったことを、徐行時速や距離関係の数値を挙げて詳細に解説したものであったが、この論理構成自体裏返せば、私が検察などで主張してきたように、ほんとうに2秒前の時点でMが直進のT車に気づいたのであれば、このときMは制動などせずそのまま右折行為を遂行しさえしておれば、事故が起こるはずもなかった距離関係なのだという矛盾を孕んだものなのだが、そのことにはいっさい触れず、事実関係の構成論理としてわざわざ裁判官が言及したことは、前回公判においてドライブレコーダーの記録動画が証拠資料として検察から提出され、わざわざこれをTV画面で検証したことと併せて、裁判官と検察の両者合同による作為を感じさせずにはおかないものである。

ところで、平成21年度犯罪白書によれば、自動車運転致死傷事件-H20年度総件数737,396件-で公判請求されたものは、0.9%の6636件である。要するに6600件余りが起訴され法廷で裁かれた。その判決内容は、6ヶ月以上10年未満の実刑判決が9.7%、残りの90.3%が執行猶予判決だが、その内訳は6ヶ月未満0.6%、6ヶ月以上1年未満22.3%、1年以上2年未満54.0%、2年以上13.4%となっている。
また、飲酒や酒気帯びなどが絡んだ危険運転致死傷事件においては、H20年総件数307件で、内75.9%の267件が公判請求され、96件が実刑判決、171件が執行猶予判決、2年以上の執行猶予は267件中の60件、22.5%となってており、
これらの統計に照らせば、このたびのMへの判決は、その重さにおいて実刑と執行猶予の2年以上を足した23.0%の範囲内にあり、これは危険運転致死傷事件における2年以上の執行猶予件数とほぼ同値となり、危険運転致死傷の場合でさえ2年以下の執行猶予判決が46%もあるという事実と照らせば、かなり厳しいものと言わざるを得ない。

犯罪事件における、警察の捜査、検察による起訴等の処分、そして裁判所の公判及び判決、これら司法三セットの構造システムが、被疑者の人権を守りつつも、つねに夥しい数の事案を処理しなければならぬという状況下で、いかに効率よい処理能力が求められているかを思いやれば、被告自身が根幹の事実関係を争うという訳でもなく、このたびの私などのように、明々白々の事実でもって異議申立てが出来る訳でもなく、少なくとも彼ら司法サイドから見れば、いかにも中途半端な事実認定への疑問なんぞで、本来ならたった1回の公判であとは判決言渡しとなるケースを、さらに余分の公判を煩わせたがために、謂わば見せしめ的に刑が重くせられたのではないか、とそんな下司の勘ぐりもしたくなるような判決ではあった。

―山頭火の一句― 行乞記再び -77-
3月15日、16日、17日、18日、滞在、よい湯よい宿。

朝湯朝酒勿体ないなあ。
余寒のきびしいのには閉口した、湯に入つては床に潜りこんで暮らした。
雪が降つた、忘れ雪といふのださうな。
お彼岸が来た、何となく誰もがのんびりしてきた。-略-

方々からのたより-留置郵便-を受取つてうれしくもありはづかしくもあつた、味々、雅資、元寛、寥平、緑平、俊の諸兄から。
緑平老の手紙はありがたすぎ、俊和尚のそれはさびしすぎる、どれもあたたかいだけそれだけひとしほさう感じる。

ここに落ちつくつもりで、緑、俊、元の三君へ手紙をだす、緑平老の返事は私を失望せしめたが、快くその意見に従ふ、俊和尚の返事は私を満足せしめて、そして反省と精進とを投げつけてくれた。

とにもかくも歩かう、歩かなければならない。
ここですつかり洗濯した、法衣も身体も、或は心までも。-略-

※表題句の外、3句を記す

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Photo/10年前から催されている嬉野温泉の冬の風物詩「うれしのあったかまつり」における灯籠の群れと、面浮立-メンブリュウ-の踊り

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Photo/嬉野茶の歴史は古く、永享12年(1440年)平戸に渡来してきた唐人が不動山皿屋谷に居住して陶器を焼くかたわら、自家用にお茶を栽培したのがはじまりといわれ、その製法は、日本でも珍しい釜炒り茶製法の流れをくんだ、蒸製玉緑茶が主流、とか。

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嬉野茶の声価は日本的-宇治に次ぐ-、玉露は百年以上の茶園からでないと出来ないさうである、茶は水による、水は小川の流れがよいとか、茶の甘みは茶そのものから出るのではなくて、茶の樹を蔽ふ藁のしづくがしみこんでゐるからだといふ、上等の茶は、ぱつと開いた葉、それも上から二番目位のがよいさうである。

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June 06, 2010

枯草の長い道がしぐれてきた

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―日々余話― 呑むほどに、酔うほどに‥

昨夜の宴、集ったのは一人増えて7人となった。
いずれも昭和19年生れだが、お互いにとっては初めての人間もいる。いずれの者ともすでに面識あるのはMひとりの筈。

日頃、なかなか会えないのだが、それだけに、逢いたい奴と会うというのは、まことに心地よい。
お互いの太い糸、細い糸を手繰り寄せての集いである。これからも各々個別には相見えることはあろうけれど、この7人が一堂に会することは、もう二度と起こりえぬのかもしれぬ、そんな予感さえ孕む一夕。

誰かが、想いのありったけを、語り尽くす訳でもない。この年まで歩みきて、いまさらそんな必要はない。それぞれに空中戦のように飛び交う言葉の切れ端から、茫としたものながらも立ち上がってくるそいつの全体像といったものが仄みえてくる。それでじゅうぶんに堪能、腹が充たされてくるといった感じだ。

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愉しかった。


―山頭火の一句―
行乞記再び -76-
3月14日、曇、時々寒い雨が降つた、行程5里、また好きな嬉野温泉、筑後屋、おちついた宿だ

此宿の主人は顔役だ、話せる人物である。

友に近状を述べて、-
嬉野はうれしいところです、湯どころ茶どころ、孤独の旅人が草鞋をぬぐによいところです。
私も出来ることなら、こんなところに落ちつきたいと思ひます、云々。

楽湯-遊於湯-何物にも囚へられないで悠々と手足を伸ばした気分。
とにかく、入湯は趣味だ、身心の保養だ。

※句作なし、表題句は1月26日付の句

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Photo/武雄から嬉野へ向かう俵坂峠の番所跡

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Photo/俵坂峠にさしかかる嘗ての長崎街道

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Photo/嬉野温泉、嬉野川沿いの露天風呂

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June 04, 2010

ここにおちつき草萌ゆる

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-日々余話- 田の字ばかりの朋輩が‥

富山と石川の県境近く、久利須という山深い地に住む友人が、明日は久しぶりに大阪に出てくるというので、同年の友らで逢おうじやないか、ということになった。
今のところ男女6人の同年の輩が集まるようだが、それにしてもこの顔ぶれ、6人中5人までが「田」のつく苗字であることに、いまさら気づいて吃驚してしまった。

日本の苗字は、佐藤と鈴木の二者が他を圧して多いというのは、昔からよく耳にした噺だが、丹羽基二著「日本人の苗字―三〇万姓の調査から見えたこと」-光文社文庫-によれば、姓にもっともよく使われているのが「田」字、次に「藤」、以下、山、野、川、木、井、村、本、中、と続いているらしい。

ちなみに、明日の夜、相寄る「田」のつく朋輩たちを、苗字の多い順に並べてみれば、田中-4位、石田-59位、上田-60位、飯田-124位、林田-416位とあいなる。

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友が住む富山県小矢部市の久利須村-?-

―山頭火の一句― 行乞記再び -75-
3月13日、曇、晴れて風が強くなつた、行程6里、途中行乞、再び武雄町泊、竹屋といふ新宿

同宿は若い誓願寺さん、感情家らしかつた、法華宗にふさはしいものがあつた。

※表題句は<改作>と註あり、他に句作なし

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Photo/武雄町の遠景

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Photo/武雄神社の大楠

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Photo/大楠の内部には小さな祠が

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Photo/武雄温泉の北はずれ、紅葉に染まる廣福寺の山門

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June 03, 2010

きのふは風けふは雪あすも歩かう

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―表象の森― 「平家物語」と慈円の「愚管抄」

源平両氏が交替で覇権を握るという認識は、平安末期の保元・平治の乱にはじまり、治承・寿永の乱にかけて形成された歴史認識である。しかし内乱の複雑な過程を単純化し、それを源平交替として図式化してとらえたのは平家物語であった。

平家物語の編纂が、比叡山-延暦寺-周辺で行われたこと、とくに天台座主慈円が、その成立になんらかのかたちで関与したことは、「徒然草」226段の伝承―後鳥羽院の御時、慈鎮和尚-慈円-の扶持した信濃前司行長が、平家の物語を作りて、云々とする伝承-からもうかがえ、また、平家物語が延暦寺の動向に詳しいこと、慈円の「愚管抄」との密接な本文関係が指摘されること、からも傍証される。

「愚管抄」が書かれたのは、承久の乱-1221年-の前年、後鳥羽院と鎌倉幕府の関係が、修復不可能なまでに悪化していた時期である。そのような時期に、幕府を敵対的な存在としてではなく、むしろ「君の御まもり」として位置づける慈円の史論とは、現実の危機を歴史叙述のレベルで克服する企てだったろう。

慈円の「愚管抄」によって意味づけられ、平家物語の語りものとしての広汎な享受によって流布・浸透してゆく源平交替の物語とは、要するに、源平両氏を「朝家のかため」「まもり」として位置づける論理であった。いいかえればそれは、武家政権を天皇制に組み入れる論理である。

王朝国家が、武家政権に対して最終的に発明した神話だが、しかしそのような源平交替の物語が、源氏三代のあと、北条氏が桓武平氏を称したことで、以後の歴史の推移さえ規定してゆくことになる。
たとえば、鎌倉末期に起こった反北条-反平氏-の全国的な内乱が、あれほど急速に足利・新田-ともに源氏嫡流家-の傘下に糾合されたこともまた北条氏滅亡ののち、内乱が公家一統政治として落着することなくただちに足利・新田の覇権抗争へ展開した事実をみても、源平交替の物語が、いかに当時の武士たちの動向を左右していたかがうかがえる。

内乱が社会的・経済的要因から引きおこされたとしても、それは政治レベルでは、ある一定のフィクションの枠組みのなかで推移したのである。そしてそのような物語的な現実に媒介されるかたちで、太平記はさらに強固な源平交替の物語をつくりだしてゆく。
  -兵藤浩己「太平記<よみ>の可能性」より

―山頭火の一句― 行乞記再び -74-
3月12日、また雨、ほんに世間師泣かせの雨だ、滞在。

札所清水山へ拝登、山もよく滝もよかった-珠簾庵-、建物と坊主とはよくなかつたが。
終日与太話、うるさくて何も出来ない、私も詮方なしに仲間入して暮らす。
名物小城羊羹、頗る美人のおかみさんの店があつて、羊羹よりいゝさうな!

※句作なし、表題句は2月26日付の句

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Photo/俗に清水観音と呼ばれる九州西国第22番札所清水山宝池院

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Photo/別名珠簾の滝とも呼ばれる名水100選の清水の滝

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June 01, 2010

四ツ手網さむざむと引きあげてある

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―表象の森― 桃中軒雲右衛門と宮崎滔天

幕末の浪人生活のあげくに、上州高崎で門付けのデロレン祭文の芸人となった吉川繁吉という人物がいた。
繁吉の次男幸蔵は、父の家業を継いで二代目吉川繁吉を襲名するが、まもなく新興の浪花節に転向して、桃中軒雲右衛門を名告るようになる。

師匠三河屋梅車の妻と駆落ちして関西へ逃避行をするなど、とかく不行跡の噂の絶えない雲右衛門だったが、明治35-1902-年に支那革命家の宮崎滔天と出会い、滔天のたっての頼みで、彼を一座の弟子に迎え入れる。
「窮民革命」を唱えて日本各地や大陸の満州を放浪していた滔天は、その思想宣伝の手段として浪花節を選んだものらしい。あえて無頼の悪評高い雲右衛門を選んだ理由は、赤穂義士伝を十八番としたその芸風にあったのだろう。仇討ちの大義に艱難辛苦する雲右衛門の語る赤穂浪人は、まさに明治20年代以後の-民権運動に挫折した-鬱勃たる壮士の姿であり、滔天にとって容易に彼自身が重ね合わされるものだったのではないか。

雲右衛門は、明治36-1903-年、滔天の勧めで九州に下り、以後4年近く、博多を中心に活動する。雲右衛門はおもに赤穂義士伝、弟子の滔天こと桃中軒牛右衛門は、支那革命軍談-革命に揺れ動く支那の現状を実録風に-を語るなどして、二人は九州で大成功をおさめた。
その余勢を駆って雲右衛門は、明治40-1907-年6月に上京、東京本郷座を1ヶ月間にわたって大入満員にすることになる。赤穂義士伝-忠臣蔵-は雲右衛門の名声とともにまたたくまに日本近代の国民叙事詩となり、いっぽうの宮崎滔天は、明治38-1905-年に中国革命同盟会の結成に参加しつつ、孫文や黄興あるいは滔天自身などの支那版義士伝を浪花節にのせて語り歩き、革命資金の調達に奔走していた。まさに語り芸の伝統を地で生きたような人物である。

門付け芸人となった浪人の子、雲右衛門が、大陸浪人の宮崎滔天と結びついたことには、やはり語り芸の系譜の因縁めいたものを思わせる。
それにしても、雲右衛門と滔天が同じ総髪姿で高座に上ったというのは、たんに奇を衒ったという以上の意味があると思われる。総髪に紋付袴という雲右衛門のトレードマークともなった出で立ちは、芝居や講談でお馴染みの彼の浪人軍学者由井正雪のそれである。また雲右衛門が好んで用いたその過剰な舞台装飾、演壇中央に極彩色の前幕と後ろ幕がかけられ、舞台両袖には色とりどりの旗や幟などが立て並べられたという。これら過剰な仕掛けは、日本社会の底辺に伏流したある精神の系譜を確実に指し示している。社会の良俗から故意に逸脱していく芸人雲右衛門と革命家滔天は、まさにその過剰・バサラな演出によって<革命>や<解放>のアジテーターとしての位相を獲得するのである。

雲右衛門の浪花節は、その出し物や語り口-節調-も含め、すべての意味において日本の語り芸の行き着いたカタチであった。たとえば雲右衛門の総髪姿に、語り芸におけるある種の先祖返りが覗えるとしたら、雲右衛門や滔天に受け継がれた語りのエネルギーとは、じつは楠木正成や由井正雪をカタルあぶれ者、<ごろつき>たちのエネルギーである。
宮崎滔天の<アジア主義>の理想が、その後継者たちによって、<大東亜共栄><五族協和>の幻想にすりかえられていったことが周知のように、日本社会のネガティブな部分が、歴史的にみてもっともラディカルな<日本>的モラルの担い手であったという構造がある。彼らのアジテートするもうひとつの天皇の物語が、ある種の<解放>のメタファーとして機能したこと、その延長上には、日本近代の<国民>国家のイメージさえ先取りされていたのである。
   -兵藤裕己「太平記<よみ>の可能性」より抜粋

―山頭火の一句― 行乞記再び -73-
3月11日、晴、小城町行乞、宿は同前

ずゐぶん辛抱強く行乞した、飴豆を買つて食べる、焼芋を貰つて食べる、餅を貰つて食べる、そして酒は。…
三日月といふ地名はおもしろい。

此宿はよい、木賃25銭では勿体ない。
同宿5人、みんなお遍路さんだ、彼等には話題がない、宿のよしあし、貰いの多少ばかりを朝から晩まで、くりかへしくりかへし話しつづけてゐる。

※句作なし、表題句は2月28日記載の句

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Photo/町の中心部にある小城公園、現小城市小城町

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Photo/小城町岩藏、江里山の棚田-A

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Photo/小城町岩藏、江里山の棚田-B

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