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March 31, 2010

寒い空のボタ山よさようなら

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-表象の森-「中国書史」跋文より-承前

編集者八木俊樹による幾つかの帯文

・書の回遊魚たちに対して-
書と道と生の哲学-宗教-を巡る凡ての言説は見え透いた意匠に過ぎない。文字の整調と階調とあるいは変形美-デフォルマシオン-を競うのは、実用性から見ても歴史的に見ても、日常性の誤りのない算術である。ただ、教育家と僧侶とこの世の美の請負人-アーティスト-が、芸術としての書の独立や自立を強いられたとき、文字や言葉や書する劇-ドラマ-の解析学や微積分学を推進めて考える労を取ることなく、文字の美的工夫や造形美の表面-うわべ-と取引して、己の地位や商売や趣味を保守せんがために美に雄弁たらんと、修練や仏教的呪文や、書は散也懐抱を散ずる也の曼荼羅を唱え、また心的に行動的に形容し死化粧したに過ぎない。

・文字と言葉と意識-社会-について-
一般的に言えば、文字は外化された言葉であり、言葉は外化された意識である。逆に言えば、文字は言葉という星雲の、言葉は意識宇宙-社会-の原子核である。この順逆の、陰陽の構造を明らかにしたものは誰もいない。言葉の肉体-陰-を書する逆説-パラドクス-、書の本質を問うことによって、文字と言葉と意識-社会-の構造をもはじめて露わにすることができるに違いない。

・書する人々に-
書とは如何なる芸術-アルス-か-。ここに、書と書する自己の半ば無意識のうちに緘黙していた美を解剖して、書の理論-テオリア-と書的行為-プラクシス-と技法-テクネーの三位一体の、凡ての逆説にみちた脈絡と必然性が微と細の極限まで辿られ視覚化された。ここに、書の美は書家たちの曖昧に装飾語たることを脱し、、書の現代に立ち会うことができる。

・異境の職人たちへ-
書とは言語-詩-の逆説であり肉体であり、社会への距離の函数の、陰画-ネガ-からの対照法である。文明に対する根源的な懐疑とその一般化が現代であるとすれば、書と書的思考はそれ故、言語という陰画-ネガ-世界をも蝕筆し相対化するものである。本書は、蝕筆によって現代を計量する異彩の文明論であり、反時代的考察でもある。

―山頭火の一句― 行乞記再び -19-
1月10日、晴、2里、散策、神湊、隣船寺。
-記載なし-

1月11日、晴、歩いたり乗つたりして10里、志免、富好庵。
-記載なし-

1月12日、雨后晴れ、足と車で10余里、姪ノ浜、熊本屋
此三日間の記事は別に書く。

※表題句の外、2句を記す

山頭火は、10日には俊和尚が寺に帰ってくる、と和尚の妻から聞いていたのだろう。この日、隣船寺へと戻って俊和尚と再会をはたし、うちとけた嬉しい時間を過ごしたとみえる。

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俊和尚は田代宗俊、彼は俳人としての山頭火を高く買っていたらしい。この邂逅の翌々年、昭和9年には、隣船寺境内に「松はみな枝垂れて南無観世音」の句碑を建立している。もちろん山頭火生前のうちに建立された句碑は、この1基のみである。斯様な二人のあいだであってみれば、俊和尚と別れたあとも山頭火の心は、あれこれと想いは涌きたちよほど昂ぶっていたのではないか。ましてや二人の邂逅の直前には、「鉄鉢の中へも霰」の自信句も得ている。10、11日と記載なく、12日には「別に書く」としたは、心の昂揚ぶりをあらわす証左だろう。
現在の宗像市神湊の隣船寺は、禅宗大徳寺派、海岸線より200mも離れていない海辺の寺である。鳥の囀りと海潮音のみが聴こえる静かな境内の梵鐘の傍らにひっそりと立つ句碑は、石に刻まれた文字も些か判じがたいほどに風化している。

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March 30, 2010

暮れて松風の宿に草鞋ぬぐ

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-日々余話- 書と気力

偶にでしかないが、書道教室に通っている子どものKAORUKOと習字ごっこをすることがある。概ねは子どもの筆の持ち方や運びに注文をつける役回りなのだが、自分でも2枚や3枚書いてもみる。そんな折に、とりわけ臨書よろしくモデルを見ながら書いたりすると、まあとんでもない、頗る気力を要することに気づいては今更ながら愕然としている自分が居るのだ。ほんの数分とはいえ、こんなにも緊張と集中を迫られ、気力を振り絞っている自身の姿は、もはや古層と化した遠い記憶の彼方にしかないような、そんな気さえしてくるのである。

勿論この背景には、このところずっと石川九楊に導かれながら、彼の説く書論や書史にどっぷりと浸ってきている日常が大きく与ってあるのだろう。そうに違いないのだけれど、それにしてもこの気力の再発見は、すでに六十路半ばを過ぎようとしている自身にとって、意外に大きな出来事なのかもしれない、とそんな想いにとらわれたりもしているのだ。

どうやら、近頃の私は、またぞろ転換期に差しかかっているらしい、おそらく人生三度目か、四度目の‥。

-今月の購入本-
今月もまた石川九楊オンパレード、これは否応なく翌4月にも及ぶこと必至。

・石川九楊「中国書史」京都大学学術出版会
大著「書史」三部作の第1作は'96年刊。本書の刊行は京都大学学術出版会であるのに対し、続く「日本書史」、「近代書史」が、なぜ名古屋大学出版会の刊行となったのか、疑問に思っていたら、この「中国書史」の編集を担当した八木俊樹なる人物は、石川九楊の友人でもあったらしく、めずらしいことに本書巻末の跋文を書いてもいるのだが、この出版後まもなく死亡したとみえ、そういった事情が背景にあるようである。

その跋文に曰く
宣言文-マニュフェスト-として-
書ははじめてその理論をもった。書史ははじめてその論理と文体をもった。ここに書が自らを定立する体系が提示されている。

定式-テーゼ-風に-
従来のすべての書論や書史の主たる欠陥は、書が、筆触と筆蝕が、ただ文字の形態美すなわち直感の形態のもとにのみとらえられて、書する現実性としてとらえられず、書が主体的に逆説的にとらえられないところにある。従って、書の主体的営為は観念的に、人格と心理と感情の抽象的様相や形として解釈されたに過ぎず、書史は又、書の便覧とその訓詁と注釈の展覧となる他はなかったのである。

著者の代理人-エージェント-として-
書の主語とは何か、書の述語とは何か、書するとは何であるのか、これらの根底の問いと謎に応接することによって、書的表出を筆蝕と角度による放縦で慎重な戦術と、それに機能的に領導され、それを領導し返す構成と断定するに到った。私なりに解して、ここに、書の自立を宣言する、書の言わば哲学大系を叙述し、書的表出の哲学史を遠近しえたと思う。書が書の近代の不在という貧困に孤独であったとすれば、これによって私は、漸う書の現代に直面し、そこに自己と世界を賭けることができるであろう。

・「石川九楊の書道入門」芸術新聞社
本書では、楷書の手本として褚遂良の「雁塔聖教序」を採っている。欧陽詢の「九成宮醴泉銘」の楷書では、点画がやや直線的で硬く、石に刻った姿が色濃く投影されている形象と見る。これに比して、「雁塔聖教序」は筆で字を書いたそのままの姿が石碑に刻られているものと見え、行書や草書への階梯もわかりやすくより役立とう、としている。

-図書館からの借本-
・石川九楊編「書の宇宙 -13-書と人と・顔真卿」二玄社
・石川九楊編「書の宇宙 -14-文人の書・北宋三大家」二玄社
・石川九楊編「書の宇宙 -15-復古という発見・元代諸家」二玄社
・石川九楊編「書の宇宙 -16-知識の書・鎌倉仏教者」二玄社
・石川九楊編「書の宇宙 -17-文人という夢・明代諸家」二玄社
・石川九楊編「書の宇宙 -18-それぞれの亡国・明末清初」二玄社

-表象の森- 筆蝕曼荼羅-八大山人
石川九楊編「書の宇宙-№18-それぞれの亡国・明末清初」二玄社刊より

八大山人「臨河序」
臨河序とは蘭亭序の異文、八大山人が長い条幅に書いた-1700年-ものを、短い条幅に仕立て直している。突然現れた、稚拙、舌足らずの、滋味溢れる、ちっぽけな表現世界。その世界は、対象-紙-に対して角度をもたずに突き立てたままの垂直状態の筆の尖端を用いて、ちびちびと、こすりつけるような均等圧の書きぶりに生じている。字画は均一な太さとなり、転折は曖昧化する。八大山人の癖ともいうべき<口>の部の描法、ちびたけちな寸足らずの造形‥。

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永和九年暮春。/會于會稽山陰之/蘭亭。脩禊事
也。羣賢畢至。少/長咸集。此地酒峻/領崇山。茂林脩

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竹。更清流激湍。暎/帶左右、引以/爲流觴曲水。列坐其
次。是日也。天朗氣/清。恵風何暢。娯目/騁懐。洵可樂也。

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雖無絲竹管絲之/盛。一觴一詠。亦足/以暢敍幽情已。故
列序時人。録其/所述。/ 庚辰至日書。 八大山人。

・寸足らずの造形-力動感の感じられない<暮><會><崇>などは、子供が筆をもって書いたような字。寸足らずで、均衡を欠いた均衡を見せるといった、奇なる造形と化している。
・均一な太さの字画-<亭>や<脩>は、まるでサインペンで書いたかのよう。
こすりつけるような筆蝕-<賢><脩><日>などは、筆尖のちびた筆に少量の墨をつけて、こすりつけるように書いたかのようなケチな表情。
・歪む口部-<和>をはじめ<羣><右>など、例外なく口部が左短右長-縦筆・上急下緩-横筆-の歪んだ癖のある表現と化している。癖とでも呼ぶべき表現は、この時代に本格的に登場する。
・筆蝕の必然性なく揺れる画-<帶>の最終画のゆれは、臨場からくる速度や力の必然から生まれているのではなく、垂直・均等圧の筆蝕で、揺れるように姿を作為的に描き出しているもの。
・垂直・均等圧の筆蝕-垂直・均等圧の筆蝕で書かれているため、<地>や<氣>や<風>の辶部の中ほどの曲がり部分に力の抜けが出現せず、同程度の太さで書かれている。
・転折が曖昧-筆蝕が力動性を失うため、どのような表現も可能となり、ここでは転折が曖昧化している。<賢>の貝部や<崇><朗>はその典型。
・清朝碑学の書の魁-明末連綿草とは異なる、八大山人の垂直・均等圧の筆蝕の延長線上に、清朝碑学の無限微分筆蝕による書が生まれることが理解される。

―山頭火の一句― 行乞記再び -18-
1月9日、曇、小雪、冷たい、4里、鐘ケ﨑、石橋屋

とにかく右脚の関節が痛い、神経痛らしい、嫌々で行乞、雪、風、不景気、それでも食べて泊るだけはいただきました。

今日の行乞相はよかつたけれど、それでもそれでも時々よくなかつた、随流去! それの体現までいかなければ駄目だ。

此宿はわるくない、同宿3人、めいめい勝手な事を話しつづける、政変についても話すのだから愉快だ。

同宿のとぎやさんから長講一席を聞かされる、政治について経済について、そして政友民政両党の是比について、-彼は又、発明狂らしかつた、携帯煽風機を作るのだといつて、妙なゼンマイをいぢくつたり図面を取り散らかしてゐた、-略-

昨夜はちぢこまつて寝たが、今夜はのびのびと手足を伸ばすことが出来た、「蒲団短かく夜は長し」。此頃また朝魔羅が立つやうになつた、「朝、チンポの立たないやうなものに金を貸すな」、これも名言だ。

人生50年、その50年の回顧、長いやうで短かく、短いやうで長かつた、死にたくても死ねなかつた、アルコールの奴隷でもあり、悔恨の連続でもあつた、そして今は!

※表題句のみ

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March 29, 2010

木の葉に笠に音たてゝ霰

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-日々余話- 大和都市管財破綻、国賠闘争の記録

もう2週間ほどになるか、嘗て木津信抵当証券の被害者救済訴訟で苦楽をともにした櫛田寛一弁護士から一冊の新刊書が贈られてきた。

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花伝社刊の「闇に消えた1100億円」、著者今西憲之はどうやらフリージヤーナリストのようである。一昨年の9月、大阪高裁判決で、国の監督責任を認めさせ、一定部分といえ国賠訴訟に初の勝利をものした、被害者17000人余を数えた大和都市管財破綻事件における被害者救済の闘争記録である。帯に「原口一博総務相推薦!」と大書してあるのは、彼自身、この救済問題に当初から関心を寄せ、政府への請願や交渉に協力してきた、そんな経緯があってのことのようだ。

大阪・東京・名古屋の三都市で組織された被害者弁護団が合同して、管轄官庁たる財務省近畿財務局の監督責任を問い、国家賠償請求訴訟へと展開していったわけだが、その初期においては弁護団としても勝訴への確信はほとんど持ち得ていなかっただろうと、当時の報道などを見るにつけ私などにはそう思わざるを得ず、またしても火中の栗を拾った闘志の人櫛田弁護士も、今度ばかりは報いられえぬ苦労に終始するのではないかと、他人事ながら要らぬ心配をしながら関係報道に注目してきたものだ。

大和都市管財が破綻したのは平成13年4月、だがそれよりずっと以前、平成7年8月、近畿財務局は業務改善命令を出す筈であったにもかかわらず、どういう背景からかこれを撤回してしまっていたらしい。もうこの頃から危険視され、破綻も時間の問題とみられていたのだろう。それを6年も7年も生きながらえさせ、被害を甚大なものにしてしまったのはなぜか、近畿財務局や財務省に決定的な落ち度はなかったのか。

本書によれば、国側の責任を認めさせたこの判決をもたらす突破口となったのは、大勢の関係官僚の中からたった一人現れ出た参事官の、その勇気ある証言によるものだった、という。まさに救世主あらわるだが、このあたりの事情についてかなり詳しく書いてくれているのが、ルポルタージュとしてもたのしめる要素ではある。


-表象の森- 筆蝕曼荼羅-明末連綿草、その3

石川九楊編「書の宇宙-№18-それぞれの亡国・明末清初」二玄社刊より

傅山「五言律詩」
狂草的に動き回る愉快な明末連綿草。どこまでも作為的な王鐸の臨二王帖とは異なり、傅山のこの作は、速度や臨場によってもたらされる自然な表現も見られるが、それでもやはり全体を作意が貫き、時折、場面転換も姿を見せている。一筆書き風であるにもかかわらず、実際には、それほど連綿連続していない。
行書体を基礎に書かれていることもあって、既に書き終えた画を次の画が平気で横切るなど、王鐸よりもいっそう筆路が迷路化している。
王鐸とは異なり、筆尖がやや角度をもって紙-対象-に対するところから、痩せた書線ながらも、筆蝕の揺れ、また筆毫の割れも生じている。速度を主体とする表現であるため、ハネやハライが、まったくといっていいほど深度をもたない。

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月黒一綫白。林底林端榮。木心信石路。只/覺芒鞋平。雲霧遮不断。禽獣蹂/不奔。侶伴任前後。不譲亦不爭。/樵徑一章。 傅山。

錯綜する筆路、そして筆毫の割れ

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傅山「五言律詩」部分
遮不断/不譲亦


―山頭火の一句― 行乞記再び -17-
1月8日、雪、行程6里、芦屋町

ぢつとしてゐられなくて、俊和尚帰山まで行乞するつもりで出かける、さすがにこのあたりの松原はうつくしい、最も日本的な風景だ。

今日はだいぶ寒かつた、一昨日6日が小寒の入、寒くなければ嘘だが、雪と波しぶきとをまともにうけて歩くのは、行脚らしすぎる。

ここの湯銭3銭は高い、神湊の2銭があたりまへだらう、しかし何といつても、入浴ほど安くて嬉しいものはない、私はいつも温泉地に隠遁したいと念じてゐる、そしてそれが実現しさうである。
万歳!

-略-、途上で、連歌俳句研究所、何々庵何々、入門随意といふ看板を見た、現代には珍しいものだ。

※表題句の外に、代表句として人口に膾炙した
「鉄鉢の中へも霰」を記す

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March 28, 2010

遠く近く波音のしぐれてくる

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-四方のたより- 無為なるを知る‥か

昨日の午後、KAORUKOを連れて生國魂神社の坂下、應典院に出かけた。無論、小嶺由貴の公演、そのゲネプロを観るためである。着いたのは2時過ぎ、かなりの樹齢とみられる一本の桜木は、もう三分咲きほどにもみえた。

二階のホールではすでにキッカケ合せがはじまっていた。舞台奥には、3尺幅ほどの布かと見紛う-実際、最初はそう思ったのだが-紙が、少し間隔を空けて5本、天井から降りている。これがスクリーンとなって、静止画像が映し出されるのだが、画像自身もまた転換も、さほど煩くもなく抑制されているのが、心象風景づくりの補助として活きていたのではないか。

バックに画像スクリーンというプランが、衣装の色の選定に影響したか、D.マリィも小嶺も、基調はBrown、それもかなり濃色、これが悩ましかった。というのも、スクリーン画像を除けば、背景色はどこまでも黒基調、その空間比は黒基調のほうがずっと大きい、そこへ踊りの衣装は両者とも濃いBrownなのだから、これは計算ミスではなかったか。

作品構成は、時間にして50分ほどか、小嶺の頭の中で考えられ、計算された構成はごくシンプルなもので、D.マリィ、小嶺、そしてD.マリィと短いSceneで積み上げる前半が、Imageの筋売りの役割を果たしたうえで、後半の長いSoloパート-もちろん小嶺の踊り-へと凝縮、昇華させようというものだが、ここではからずも露呈してしまったのは、小嶺自身が、四方館から離れざるを得なかったこの1年半近い歳月を、いかに日常的に、踊ることそれ自体から遠ざかってきたか、ということだ。

彼女自身、怠りなくトレーニングはつづけてきたにちがいない、それは彼女の気性からしても充分察しのつくところだし、彼女なりに思料しうる身体的な技法の錬磨も重ねてきたにはちがいない。そうにちがいないが、自身が踊ることそのもの、つねに、現に踊る、その心機を鍛えこむこと、その現場性をいかように保証しつづけるかを、どうやら彼女は自ら課してはこなかったようである。

昨晩と今日、ささやかなりとはいえ自身の進退を賭した筈の、さりながらまた無為ともいうしかないような孤独な闘いの、2回のステージを終えて、いま、彼女にいかなる想念が去来しているか‥。高価な授業料とはいえ、その無為なるを思い知ったとすれば、それはそれで一功あり、といえようけれど‥。

-表象の森- 筆蝕曼荼羅-明末連綿草、その2

石川九楊編「書の宇宙-№18-それぞれの亡国・明末清初」二玄社刊より

王鐸「臨徐嶠之帖」
作為的で多彩な書きぶりをみせる、書線の肥痩落差が極端な徐嶠之の臨書。
王鐸の書は基本的に垂直方向から筆圧が加わるため、均一な書線の表現が多くなる。<都>にみられる作為的な倒字なども、他の明末連綿草には見られない、作意に満ちた表現が誕生している。

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春首餘寒。闍棃安穏動止。弟子虚乏。謬承榮寄。/蒙恩奬擢授名。一歳三遷。既近都邑。彌深/悉竊。戰懼之情。弟子徐嶠之。 王鐸為/晧老先生詞壇

王鐸「臨二王帖」
一筆書きのごとき王鐸の臨二王帖は、草書体で書かれた正真正銘の明末連綿草。
南宋代の遊糸書や明代の連綿草と決定的に異なるのは、先行の書が書字の臨場と速度の必然によって一筆書き化しているのに対して、本作では、脈絡-連綿や筆脈-と字画を等質に描き出そうとする意志が成立し、筆路そのものが書であるという構造に至っている点である。
そのため、連綿と字画の区別がなくなり、筆路に場面転換が挿入され、迷路のごとき作為的な筆路や連綿が挟み込まれている。

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豹奴此月唯省一書。亦不足慰懐邪。吾唯辨ヾ。知復/日也。知彼人巳還。吾此猶往就。其野近當往就/之耳。家月末當至上虞。亦倶去。 癸未六月極熱臨。/驚壇詞丈。

・一筆書き-書き出しは8字、次いで1字、さらに5字という具合に、基本的に文の切れ目まで連綿連続している。
・字画と筆脈の区別が無くなる-<匈奴>の間、<省一>の間、<知彼>の間の連綿が、自覚的に書かれることによって棒状の姿を晒し、字画と筆脈の区別を喪失している。
・場面転換-字画と筆脈とが区別を喪失したこともあって、<野>では終盤で墨継ぎし、作為的な場面転換が出現している。<往就>部で<往>の連綿を長く伸長させた後、新たに墨をつけなおしているにもかかわらず、この連綿に連続するかのごとく<就>字を書き出す。
・迷路のごとき筆路-<豹奴此><慰懐><野>などは、これほどまで連綿しなくともと思えるほどの、迷路のごとき筆路で書かれている。
・筆毫の表裏の無法化-字画と脈絡の等質化によって、筆毫の表裏を無視して均一な太さの書線を用いる無法の書法が、<還>字に見られる。
・垂直筆-紙-対象-に対して垂直に筆圧が加わる垂直筆主体で書かれていることが、<豹><一><猶>などの均一な太さの書線からわかる。
・大回りする筆蝕-豹奴此><吾此猶>などにみられるように、書字の速度の必然からではない、作為的な大回りの筆路が覗える。

―山頭火の一句― 行乞記再び -16-
1月7日、時雨、休養、潜龍窟に蛇が泊つたのだ。

雨は降るし、足は痛いし-どうも-脚気らしい-、勧められるままに休養する、遊んでゐて、食べさせていただいて、しかも酒まで飲んでは、ほんたうに勿躰ないことだ。

※表題句の外、1句を記す

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March 27, 2010

咲き残つたバラの赤さである

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-表象の森- 筆蝕曼荼羅-明末連綿草

石川九楊編「書の宇宙-№18-それぞれの亡国・明末清初」二玄社刊より

・張瑞図「飲中八仙歌巻」部分

鋭い鋒の剣の乱舞、あるいは剃刀の舞いという趣き、緊張感溢れる張瑞図固有の筆触からなる明末連綿草。杜甫の飲中八仙歌を書いた名作-1627年-。
左右に拡張し縮退する横筆を主体とした、直線的な思い切りのよい力動から成立し、回転部が角立つ緊迫した姿態を晒している。連綿の字画化と、字画の連綿化が見られ、また時折、偏大旁小の大胆な構成を見せる。

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咽。焦墜/五斗方卓

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然。高談/雄辯驚


―山頭火の一句― 行乞記再び -15-
1月6日、晴、行程3里、神湊、隣船寺。

赤間町1時間、東郷町1時間行乞、それから水にそうて宗像神社へ参拝、こんなところにこんな官幣大社があることを知らない人が多い。

神木楢、石碑無量寿仏、木彫石彫の狛犬はよかつた。

水といつしよに歩いてゐさへすれば、おのづから神湊へ出た、俊和尚を訪ねる、不在、奥さんもお留守、それでもあがりこんで女中さん相手に話してゐるうちに奥さんだけは帰つて来られた。、遠慮なく泊る。

※表題句の外、2句を記す

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March 26, 2010

旅人は鴉に啼かれ

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-四方のたより- Unit U Performance

明日、明後日と、應典院で、小嶺由貴が踊る。
ここ数年、彼女はカルメンへの思い入れが強いらしい。
タイトルも、Liberte selon CarmenⅡ、としている。
デカルコ・マリィが共演、
演奏には大竹徹と田中康之の両氏と、この人は存じないが、Fluteの津上信子。

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-表象の森- 筆蝕曼荼羅-明代の書、徐渭

石川九楊編「書の宇宙-№17-文人という夢・明代諸家」二玄社刊より

徐渭「美人解詞」
徐渭の美人解詞は、展度、捩度など、対象に対するあらゆる攻略法が寄せ集められた筆触曼荼羅、書史上の奇書である。

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鑼皷聲頻。街坊眼漫。不知怎上高騎。/生来少骨多(飛)筋。軟斗騰飜。依稀畧借鞭和/轡。做時鶻打雪天風。依猶燕掠桃花地。下地。不亂些/兒珠翠。湛描能舞軍装伎。多少柳外妖嬌。樓/中埃指。顛倒金釵墜。無端歸路又逢/誰。斜易繋馬陪佗酔。  青藤道士。

<中埃>の<中>の右上から左下へ向かう筆触、<埃>の最終筆の右上から左下へ向かう、筆毫の表裏状態に頓着しない筆触に見られるように、裏技も使うといった体。最終部<馬陪佗酔>は、筆毫が捩れたままでも強引に書き進んでいる。
捩れもあれば捻りもあり、正攻もあれば、横ざまに斬り込むことも、反攻もある。呼気で対することもあれば、吸気で返す力を使うということもあるといった趣き、無法の書の極致である。

徐渭「行書七絶詩」
美人解詞と比較してみると、筆触上の多彩、多様な面白さは少ない。それでも、書き始めの<一>から書き終わりの<仙>まで、ほとんど対象に対して筆毫が正対することがなく、いつも斜めの角度で対しているという書きぶりである。

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一篙春水半渓烟。抱月/懐中枕斗眠。説/與傍人揮不識。英雄/回首即神仙。 天池。

<水>の最終画、<月><枕><眠>の細い斜筆や縦の筆、<英>などに、斜めの角度で切り込む姿が覗見される。それは、いわゆる側筆というようなものではなく、対象-社会-に対して斜めの角度で対する姿の露岩なのだ。
明代になると対象-社会-も明瞭な姿を現わし、また、作者の側もこれに対する明瞭な角度-スタイル-を持つようになったことの現れである。

―山頭火の一句― 行乞記再び -14-
1月5日、晴、行程9里、赤間町、小倉屋。

歩いた、歩いて、歩いて、とうとうここまで来た、無論行乞なんかしない、こんなにお天気がよくて、そして親しい人々と別れて来て、どうして行乞なんか出来るものか、少しセンチになる、水をのんでも涙ぐましいやうな気持ちになつた。

※表題句は、12月31日付記載の句。

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March 25, 2010

ラヂオでつながつて故郷の唄

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-表象の森- 筆蝕曼荼羅-明代の書

石川九楊編「書の宇宙-№17-文人という夢・明代諸家」二玄社刊より

東アジアでは、画は書に含まれる、書の一変種である。書の表現の要である筆蝕は、画の筆蝕へと枝分かれし、書を書くように、画を描くことが始まつた。その筆蝕の分化を通じて、書の筆蝕もまた幅を広げ、「アタリ」や「コシ」の行儀良さを超える直接的、比喩的にいえば絵画的筆触をも大幅に含み込むことになり、書はずいぶんと画と化した。同時に、書から生まれた画の方は、いつまでも書との臍帯を絶つことができずに、文人画、水墨画という、西欧のようには対象を描かず、色彩もさしたる意味をもたず、西欧画の観点からいえば絵画とはとうてい考えられないような特異な絵画とその歴史を生むことになったのである。

祝允明「杜甫秋興詩」

明代に、書の表現領域は大幅に拡張された。筆を開ききった展度の筆触、筆毫の捩れをものともしない捻度の筆触、開いた筆を強引に回転する筆触、ねじこみ、こすりつけるような筆触、力を内に貯めた厳しい筆触、ピシッと打ち込まれる点、なめらかな筆触の舞い‥。

祝允明の杜甫秋興詩は、速度、深度、角度、さらには展度や捩度-Twist-、捻度-Drive-など、筆触のあらゆる可能性が解放されている。戦後前衛書道並の表現といっても言い過ぎではなく、伸び、縮み、右に倒れ、左に倒れる構成展開の妙味、等々‥。

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昆明池水漢時功。武帝族旗在眼中。/織女機絲虚夜月。石鯨鱗甲動/秋風。波漂菰米沈雲黒。露冷蓮房/墜粉紅。關塞極天唯鳥道。江湖満地/一漁翁。 枝山。

<米>の第1、第2画などは、起筆や点を打つときのピシッという音が聞こえ、筆毫の開く様子が見えるようであり、<鳥>や<湖><翁>などでは、無理に筆毫を捩り回転させる。<月>の、打ち込んで擦過するような書きぶりは、この時代になって初めて表現されるようになった、絵画的筆触である。ほとんど行間が見えず、行が明瞭に立ち上がらないが、これも絵画的構成の書への侵入である。

―山頭火の一句― 行乞記再び -13-
1月4日、晴、行程わづかに1里、金田、橋元屋

朝酒に酔つぱらつて、いちにち土手草に寝そべつてゐた、風があたたかくて、気がのびのびとした。
夜もぐつすり寝た。
此宿の食事はボクチンにはめづらしいものだつた。

※表題句は、前日記載のもう一つの句。

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March 24, 2010

ボタ山の間から昇る日だ

Dc090926148

-温故一葉- 何人かの友人へ

同封チラシは、小生デザインのものです。
私が斯様な企画に若干の関わりがあるというのも些か意外なことでしょうが、ご案内言上致します。

Miyakodinnershow1

松浦ゆみは、往年のオールデイーズポツプス出身の歌手で、歌唱力には定評のあるところ。
彼女は以前より市内港区に在住していることもあり、私が‘88年より‘00年までの12年、港区選出の市会議員奥野正美君-若かりし頃の演劇仲間-の事務所活動に携わるようになってから、いろんなイベント絡みで関わり合うようになったもの。今では結構長い付合いとなりました。
下積みの長かった苦労人も、桂三枝の作詞「もう一度」の曲を得てメジャーデビューとなったのがちょうど10年前、この年のデビュー公演から以後、この手の世界とは門外漢の私ながら、ディナーショーなどさまざまに、企画制作や演出面をサポートしてきたといった間柄です。

この2月、彼女は積年の持病であった心臓の手術をしました。このまま放置すれば、「数年で死は免れ得まい」との医師の宣告を受けての、往きて戻りえぬかも知れぬ、覚悟の手術だったようです。
この企画、その手術前からすでに立ち上がっていたものですから、きっと彼女は、無事生還しなければまさに死人に口無し、「ご免なさい、みなさんサヨナラ」の心境だったのでしょう。
先日、久しぶりに会った彼女は、「歩くとまだ胸の傷に響くの」と言いつつも、開き直ったような一皮剥けた明るい表情を見せていたのが強く印象に残ったものです。

もう日時も迫っておりますが、偶さか時間も合って金銭にも余裕あって、ひとつ参じてやろう観てやろうかと思し召しの節は、私方までご連絡を。
  2010年3月.春分玄鳥至    林田鉄 拝

-表象の森- 一休宗純の書
石川九楊編「書の宇宙-№16-知識の書・鎌倉仏教者」二玄社刊より

一休宗純「霊山徹翁和尚、示栄衒徒法語」

この書は、一休宗純が宗峰妙超の弟子・徹翁義亨の戒語を記し、後に「工夫‥」以下の詩-偈頌-を付したもの。
狂雲子とは一休自らが名告つた号だが、まさしく<狂>の名にふさわしい書である。
楷・行・草、単体・連綿、直・曲、大・小、疎・密、肥・痩、潤・渇、筆毫の開・閉、さまざまな要素がこきまぜられた筆触曼荼羅の趣き。

起筆を明らかにしない草率な書きぶりには、中峰明本、宗峰妙超とのつながりが感じられ、かすれの多用は、張即之、蘭渓道隆の匂いがある。近世日本の禅僧の、文字の骨格に頓着しない「書ならざる書」といってもいい無法の書-墨跡-のはしりではあるが、諧謔があり、余裕があり、その気宇は壮大である。
使用印の輪郭が格別に太く、元代の九畳篆風である。

14ikkyu

凡参禅学道之輩。須日用清浄。不可日用不浄。所謂日用清浄者。究明一則因縁。到無理會/田地。晝夜工夫不怠。時々裁断根源。佛魔難窺處。分明坐断。往々埋名蔵迹。山林樹下。擧/楊一則因縁。時無雑純一矣。謂之日用清浄人也。然而稱吾善知識。撃杖拂。集衆説法。魔魅/人家男女。心好名利。招學者於室中。道悟玄旨。使參者。相似模様。閑言語。使教/者。片个情也。這般輩非人也。寔日用不浄者也。以佛法爲度世之謀。是世上榮衒之徒也。凡有身/無不着。有口無不食。若知此理。豈衒於世哉。豈諛於官家哉。如是之徒。三生六十劫。/入餓鬼。入畜生。可無出期。或生人間。受癩病之苦。不聞佛法名字。可懼々々。/右霊山徹翁和尚。示榮衒徒法語。一休子宗順謹題。后云工夫不是涅槃堂。名利/耀前心念忙。信道人間食籍定。羊糜一椀橘皮湯。

一休宗純「初祖号」

近世に入ると、茶席に禅僧のいわゆる一行書を掛ける習慣が日本に定着するが、その走りともいうべき書。
字画のはっきりしない荒々しいかすれから、竹筆-竹を割き、叩き、繊維状にした筆毫の筆-を用いて書いたものと思われる。

この書の最大の見所は<達>。<達>の前半部は、おそらく逆字-裏字-で書かれている。ここに一休の逆転の意志を読取ることは許されよう。書き慣れない書法のため、意識的に書かざるを得ず、速度は落ち、墨がくっきりと濃く付着している。<辶>部の最終筆が揺れながら、しかも筆毫を開いたまま右上に押し上げ放たれている筆触は、狂雲子の名通りの、ま狂中の狂。右上から右下へ向けてすばりと斬り込み、筆毫を開ききったままはらう<堤>の最終画も無法。

15ikkyu

初祖菩提達磨大師

―山頭火の一句― 行乞記再び -12-
1月3日、晴曇さだめなし、緑平居。

終日閑談、酒あり句あり、ラヂオもありて申分なし。
香春岳は見飽かぬ山だ、特殊なものを持つてゐる、山容にも山色にも、また仏説にも。

※表題句の外、1句を記す

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March 23, 2010

風にめさめて水をさがす

Dc090707127

-表象の森- 親鸞の書

石川九楊編「書の宇宙-№16-知識の書・鎌倉仏教者」二玄社刊より

親鸞の正像末和讃は、整った文字でも、また端正に書かれた文字でもないが、細身の書線と字姿の陰に勁-つよ-い言葉の存在感があり、目の覚めるような鮮やかさがある。
横画や右ハライにいくぶん和様の匂いがあるが、反りと撓みをもつ強靱な横画、切り込むがごとき鋭い左ハライ、また大きくふりまわす左ハライの筆触は、厳しく勁い。

細いことは弱いことに結びつきやすいものだが、ここでは逆に、細いけれども勁いという、逆転が生じている。それは、筆尖と紙-対象-との接触点-面-とは別に、作者でも対象でもなく、その両者を生む筆毫の「当たり」が存在するからである。その当たりは、作者と対象の間に挟入された「言葉」の比喩。たしかな言葉が、書に姿を変えて表現されている、と。

12shinran

 五濁悪世ノ衆生ノ
 選釋本願信ズレバ
 不可稍不可説不可思議ノ
 功徳ハ信者ノミニミテリ

13shinran

 像末法五濁ノヨトナリテ
 釋迦ノ遺教カクレシム
 弥陀ノ悲願ハヒロマリテ
 念佛往生トケヤスケレ


―山頭火の一句― 行乞記再び -11-
1月2日、時雨、行程6里、糸田、緑平居。

今日は逢へる-このよろこびが私の身心を軽くする、天道町-おもしろい地名だ-を行乞し、飯塚を横ぎり、鳥尾峠を越えて、3時にはもう、冬木の坂の上の玄関に草鞋をぬいだ。

この地方は旧暦で正月をする、ところどころに注連が張つてあつて国旗がひらひらするぐらゐ、しかし緑平居における私はすつかりお正月気分だ。

自戒三則-
一、腹を立てないこと
二、嘘をいはないこと
三、物を無駄にしないこと-酒を粗末にするなかれ!-

今日は、午前は冬、午後は春だつた。

※表題句は、日記途中に記す

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March 22, 2010

水音の、新年が来た

Santouka081130027

-日々余話- Soulful Days-32- 略式起訴!

とうとう、というより、やっと、というべきだ。
20日夕刻、我々が刑事告訴してきた事故相手方T.Kに対しての処分通知書が、大阪地検より郵送されてきた。
内容のほどは、この手の官庁文書のこととて簡潔このうえない。

「処分通知書」と標題した上部に小さく、様式第96号、括弧して、刑訴第260条、規程第58条、とある。
刑事訴訟法第260条の条文は「検察官は、告訴、告発又は請求のあつた事件について、公訴を提起し、又はこれを提起しない処分をしたときは、速やかにその旨を告訴人、告発人又は請求人に 通知しなければならない。公訴を取り消し、又は事件を他の検察庁の検察官に送致したときも、同様である。」と、また規程とは、法務省訓令として「事件事務規程」なるものがあり、その第58条は「検察官が刑訴第260条の規定により処分の通知をする場合には,処分通知書(様式第96号)による。」とあるのみ。

書面には、大阪区検察庁担当検察官の記名押印があり、さらに「貴殿から平成21年2月10日付けで告訴のあった次の被疑事件は、下記のとおり処分したので通知します。」とあり、つづいて「記」以下、

1 被疑者 ○○○○
2 罪 名 自動車運転過失致死傷
3 事件番号 平成22年検 第######号
4 処分年月日 平成22年3月19日
5 処分区分 起訴

と箇条書きされているばかり。
起訴とはいうものの略式起訴である、決して納得のいく結果ではない、むしろ敗北感に近いものがある、
とはいえ、事故より1年と6ヶ月、やっと大きな関門を抜けたことにはちがいない。


―山頭火の一句―
行乞記再び -10-
昭和7年1月1日、時雨、宿はおなじく豆田の後藤といふ家で。

何としづかな、あまりにしづかな元旦だつたらう、それでも一杯ひつかけてお雑煮も食べた。
申の歳、熊本の事を思ひだす、木の葉猿。
宿の子供にお年玉を少しばかりやつた、そして鯉を一尾家の人々におごつた。
嚢中自無銭、五輪銅貨があるばかり。

酒壺洞文庫から借りてきた京洛小品を読む、井師のー面がよく出てゐる、井師に親しく面したやうな気持がした。
飲んで寝て食べて、読んで考へて、そして何もならない新年だつたが、それでよろしい。

私が欣求してやまないのは、悠々として迫らない心である、渾然として自他を絶した場である、その根源は信念であり、その表現が句である。歩いて、歩いてむ、むそこまで歩かなければならないのである。

※表題句は、この日の日記冒頭に掲げられている

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March 21, 2010

旅から旅へ山山の雪

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-日々余話- 舞禅-まいぜん-とや

今日の稽古を明日に振替えて、まことに久方ぶりのドーンセンターへと出かけた。
写真の如き件のEventに、インド舞踊の茶谷祐三子が出演しているためである。
チラシには「はてしなきインド文化の流れの<うち・そと>ジヤンルを超えて共演」とあるが、出演の顔ぶれは此方の食指をそそるようなものではない。出番はプログラムの2番目だという彼女の舞台のみを観て、あとは客席ロビーでのんびり過ごす。

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彼女の作品は創作・舞禅-まいぜん-と謳い、神奈川からクラシツク系のDancer大谷綾子を招き、Duoを踊つた。時間は10分弱、結果からみると、一定のまとまりある世界を構築するにはなおもう一展開あるべきところで、些か尻切れトンボの印象に終った。

Dawn_center03212

茶谷自身もClassicの基礎は有しているものの、インド舞踊や瞑想的即興を主軸としてきたこの20年に、その動きはClassic的なるものとはずいぶんと遠離った世界と化している。いわば異質の動きを有する二人が、舞禅としてどのような共同作業をなすかと考える時、たんに心象風景的なものを共有すれば事足りるというものではないだろう。そのあたりに発想の甘さが潜んでいたように見受けられた。
今後、この二人が同じ地平をめざして共同作業を続けていこうとするなら、その核となる部分でお互いの変貌が必要なのではないか。


-表象の森- 顔真卿/送裴将軍詩、続編其ノ3

Ganshikei116

「奴不敢敵、相/呼歸去来。」

Ganshikei117

「功成報天子。/可以畫/麟臺」


―山頭火の一句― 行乞記再び -09-
12月31日、快晴、飯塚町行乞、往復4里、宿は同前。

昨日は寒かつたが今日は温かい、一寒一温、それが取りも直さず人生そのものだ。
行乞相も行乞果もあまりよくなかつた、恥づべし恥づべし。
昨夜は優遇されたので、つい飲み過ごしたから、今夜は慎んで、落ちついて読書した。
此宿は本当にいい、かういふ宿で新年を迎へることが出来るのは有難い。

「年暮れぬ笠きて草鞋はきながら」、まつたくその通りだ、おだやかに沈みゆく太陽を見送りながら、私は自然に合掌した、私の一生は終つたのだ、さうだ来年からは新しい人間として新しい生活を始めるのである。

―以下、自嘲と前書した「うしろ姿のしぐれてゆくか」の外、句稿整理したとみえる21句を書き連ねた後に―
まづ何よりも酒をつつしむべし、二合をよしとすれども、三合までは許さるべし、ショウチュウ、ジなどはのむべからず、ほろほろとしてねるがよろし。

いつも懺悔文をとなふべし、四弘誓願を忘るべからず。-

 我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋癡
 従身口意之所生 一切我今皆懺悔
 衆生無辺誓願度 煩悩無尽誓願断
 法門無量誓願学 仏道無上誓願成

一切我今皆懺悔――煩悩無尽誓願断――

※表題句の外、21句を記す

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March 20, 2010

身にちかく山の鴉の来ては啼く

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-日々余話- 1年で11㎝!!

3学期も明明後日の終業式を残すのみ、春休み突入となったKAORUKO、4月には3年生だ。

1年で11㎝とは、この1年間で伸びた身長が11㎝という訳だが、第2次成長期ならいざ知らず、まだ8歳の彼女がこんなに急激な伸び方をするとはちょっと驚き。1年前の1月時点、123㎝だった彼女が、今年の1月にはもう134㎝という急成長で、どうやらクラスでも一番の成長ぶりのようだが、それにしても自分たちの子ども時代を思えば、近頃の子どもの発育リズムときたら、こちらの予測を超えてあまりあるというものだ。

身体の発育が急激なだけに、精神面での成長とのアンバランスが、親としては些か気にかかる。
以下、3葉の写真は、昨日、彼女が学校から持ち帰ったもので、この3学期に描いたらしい図画の作品だが、いずれをとってみてもまだまだ幼さが眼につくといった印象だ。どうしても心と身体の成長リズムは同期しないもので、先刻承知のこととはいえ、この発育上の齟齬に、面白がっては眺めつつも、ちょっぴり不安を覗かせもするのは、これぞ親心。

K1003191

A-芋掘りの絵、だという。
大きな芋を真ん中に、両足を広げて芋を掴み取る姿がクローズアップされている大胆な構図に感心、親バカを発揮して大いに誉めてやったところが、なんのことはない、どうやらあらかじめ先生がこんな構図で書きなさいとみんなに指導していたものらしい。

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B-栗とトンボは一目瞭然だが、画面中央を占めるのは、彼女自身に言わせると彼岸花とのこと。乱雑な描きぶりだが、そう聞かされてみれば合点はいく。

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C-たくさんの色づかいで、いったい何を描いたものか判じがたいが、カラフルな怪獣なのだという。
成程、上の途切れた部分は頭部らしく、黒く眼のようなもの描かれている。下には同じ色で尻尾らしきものも付いてござる。これまた先生から、色をいっぱい使って、カラフルな怪獣を描いてみよう、と課題を与えられたものと思われる。


-山頭火の一句― 行乞記再び -08-
12月30日、晴れたり曇つたり、徒歩7里、長尾駅前の後藤屋に泊る、木賃25銭、しづかで、しんせつで、うれしかつた、躊躇なく特上の印をつける。

早朝、地下足袋を穿いて急ぎ歩く、山家、内野、長尾といつたやうな田舎街を行乞する、冷水峠は長かつた、久しぶりに山路を歩いたので身心がさつぱりした、ここへ着いたのは4時、さつそく豆田炭鉱の湯に入れて貰つた。
山の中はいいなあ、水の音も、枯草の色も、小鳥の声も何も彼も。-

このあたりはもうさすがに炭鉱町らしい。
夫婦で、子供と犬とみんないつしよに車を引つぱつて行商してゐるのを見た、おもしろいなあ。

何といふ酒のうまさ、呪はれてあれ。
持つてゐるだけの葉書を書く、今の私には、俳友の中の俳友にしか音信したくない。

※表題句は、同前、12月31日付記載の句

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March 18, 2010

雨の二階の女の一人は口笛をふく

Santouka081130033

-日々余話-Vital React

一言で云えば、カイロプラクテイツク-Chiropractic-の発展系といえようか、コンピユーター制御による機器導入で、不調の因となっている脊椎などへの手技施療から、より精度を高めた治療効果が得られるというもの。
身体が重い、或いは痛い、痺れが増す、とこのところ頻りに不調を訴える重度身障者の友人-岸本康弘-を車に乗せて、京阪電車の萱島駅傍にある風間鍼灸整骨院へと同道した。

施療前の頚部レントゲン撮影や施療システムの長い説明やらで、初診の日はずいぶんと時間がかかると聞いていたから、実際の施療に至るまでに、9時半に着いて2時間余を要したのにはさして驚きもしなかったが、やっと受けた施療の、そのシンプルさと時間の短さには、さすがに驚き入ったものである。

Vital-React-生命力の活性化、ようするに生命体本人の内在的な自然治癒力をα波などの微振動刺激で呼び覚まし、不調の原因を減衰させていこういうものだ。理屈の上からは、不調の改善、施療効果の可能性はあり得るだろうと推量されるが、実際の効果のほどは、数回通いながら本人の自覚で確かめていくしかないのだろう。

保険の適用範囲外の施療もあるから費用はどうしても少々かかる。症状によっては劇的な効果を得られる場合もあろうが、なかなかそうはいかない場合もあるだろう。費用対効果はcase-by-case、しばらく様子を見守るしかない訳だが‥。

-表象の森- 顔真卿/送裴将軍詩、続編其ノ2

石川九楊編「書の宇宙-№13」二玄社刊より

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「陣破驕虜/威聲/雄震雷/一射百馬倒」

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「千射萬/夫開。匈」


―山頭火の一句― 行乞記再び -07-
12月29日、曇、時雨、4里、廿日市、和多屋。

10時、電車通で別れる、昨夜飲み過ぎたので、何となく憂鬱だ、どうせ行乞は出来さうもないから、電車をやめて歩く、俊和和尚上洛中と聞いたので、冷水越えして緑平居へ向ふつもり、時々思ひ出したやうに行乞しては歩く。

武蔵温泉に浸つた、温泉はほんたうにいい、私はどうでも温泉所在地に草庵を結びたい。

※表題句は、同前、12月31日付記載の句

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March 16, 2010

枯草に寝ころぶやからだ一つ

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-日々余話- このところ酷使がつづく

徹夜した朝の2時間ほどを仮眠したあと、茫とした心身で、それでもパソコン相手になんとか残務をこなし了えた夕刻から、こんどは車に乗って、上六の都ホテルに向かった。
21階でバイキング料理に舌鼓しながら、とある打ち合わせに3時間。身体は重い感覚なのに、それでいて浮遊しているような‥、そんな感じでちょっとフラフラしながらkeyboardを叩いている。

その打ち合わせのタネは、下のチラシ画像

Miyakodinnershow1


―山頭火の一句― 行乞記再び -06-
12月28日、晴、汽車で4里、酒壺洞居。

9時の汽車で博多へ、すぐ市役所に酒君を訪ねたが、忙しいので、後刻を約して市街を行乞する。今夜はよく飲んだ、自分でも呆れるほどだつた、しかし酔つたいきほひで書きまくつた、酒君はよく飲ませてもくれるけれど、よく書かせもする。

市は市のようにハジキが多い、十軒に一軒、十人に一人ぐらゐしか戴けない、ありがたかったのは、途上で、中年婦人から5銭白銅貨を一つ、田舎者らしい人から1銭銅貨を3枚喜捨せられた事だつた。

この矛盾をどうしよう、どうしようもないといつてはもう生きてゐられなくなつた、この旅で、私は身心共に一切を清算しなければならない、そして老慈師の垂誨のやうに、正直と横着とが自由自在に使へるやうにならなければならない。

ああ酒、酒、酒、酒ゆえに生きても来たが、こんなにもなつた、酒は悪魔か仏か、毒か薬か。

※表題句は、同前、12月31日付記載の句

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March 14, 2010

しぐれて反橋二つ渡る

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-表象の森- 顔真卿/送裴将軍詩、続編

・顔真卿「送裴将軍詩」部分
 /石川九楊編「書の宇宙-№13」二玄社刊より

Ganshikei110

「臨北荒、恒/赫耀英」
Ganshikei111

「材。剣舞/躍游雷。随」
Ganshikei112

「風榮且廻。/登高望/天山。白雲」


―山頭火の一句― 行乞記再び -05-
12月27日、晴后雨、市街行乞、太宰府参拝、同前。

9時から3時まで行乞、赤字がそうさせたのだ、随つて行乞相のよくないのはやむをえない、職業的だから。‥‥

太宰府天満宮の印象としては樟の老樹ぐらいだらう、さんざん雨に濡れて参拝して帰宿した。

宿の娘さん、親類の娘さん、若い行商人さん、近所の若衆さんが集まつて、歌かるたをやつてゐる、すつかりお正月気分だ、フレーフレー青春、下世話でいへば若い時は二度ない、出来るだけ若さをエンヂョイしたまへ。

※表題句は、同前、12月31日付記載の句

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March 13, 2010

ふるさと恋しいぬかるみをあるく

Santouka081130088

-表象の森- 至高の草書「李白懐旧遊詩巻」

・石川九楊編「書の宇宙」シリーズ-二玄社刊-、№14「北宋三大家」より

「李白懐旧遊詩巻」は、唐代の李白の詩を黄庭堅が書いたものである。残念なことに前半部が逸失しているが、黄庭堅の草書中、最高の書であるにとどまらず、書史上においても、文字通り空前絶後の作品である。

張旭や懐素の狂草体が一旦、この李白懐旧遊詩巻に集約され、その後、元代、そして明末の多彩な連綿狂草体へと展開する。その草書体の集約点にありながら、この書の姿が孤絶しているのは、書史上、唯一の多折法によって書かれた草書体だからである。

元・明代の草書体が、二折法-王羲之書法=古法-で書かれるのに対して、この書においては、二折法的な古法的表現を払拭し、徹頭徹尾、新法=三折法、新々法=多折法に依拠して書かれており、新法草書の極限といってもいい。

黄庭堅「李白懐旧遊詩巻」

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到平地。漢東/太守來相迎。紫陽/之眞人。邀我吹玉

Kohteiken06

笙。湌霞樓上/動仙樂。嘈然宛似/鸞鳳鳴。長袖

この書は西暦1100年段階においては、西欧を含めて、あらゆる芸術分野をながめてみても、おそらく人類最高の表現であったと断言できる。

唐代の懐素の自叙帖は、ベートーベンやモーツァルトなど西欧古典交響楽なみの複雑な展開をもった表現であり、この李白懐旧遊詩巻は、それをはるかに凌駕する水準の表現であるからだ。

伏波神詞詩巻にも見られた多折法、垂直筆、複雑・緻密の力線展開に合せて、筆触の強弱、字画の肥痩、文字の大小・長短、構成の疎密、さらには踏韻展開と、当時の世界最高水準の動的なめくるめく表現がここにある。


―山頭火の一句― 行乞記再び -05-
12月26日、晴、徒歩6里、廿日市、和多屋

気分も重く足も重い、ぼとりぼとり歩いて、ここへ着いたのは夕暮れだつた、今更のやうに新人の衰弱を感じる、仏罰人罰、誰を怨むでもない、自分の愚劣に泣け、泣け。

此宿もよい、宿には恵まれてゐるとでもいふのだらうか、一室一灯を一人で占めて、寝ても覚めても自由だ。
途中の行乞は辛かつた、時々憂鬱になつた、こんなことでどうすると、自分で自分を叱るけれど、どうしやうもない身心となつてしまつた。

禅関策進を読む、読むだけが、そして飲むだけがまだ残つてゐる。

毎日赤字が続いた、もう明日一日の生命だ、乞食して存らへるか、舌を噛んで地獄へ行くか。‥‥

-略- 床をならべた遍路さんから、神戸の事、大阪の事、京都の事、名古屋の事、等、等を教へられる、いい人だつた、彼は私の「忘れられない人々」の一人となつた。

※表題句は、同前、12月31日付記載の句

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March 12, 2010

越えてゆく山また山は冬の山

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-表象の森- 「宋=意」、士太夫・文人の書

・石川九楊編「書の宇宙」シリーズ-二玄社刊-、№14「北宋三大家」より

中国の書論には、「晋=韻、唐=法、宋=意、明=態」という、時代と書の特徴を比喩する言葉がある。
「晋=韻-晋代の書の本質は韻である-」という場合の「韻」の内実とは、強大で圧倒的な政治の陰に時折垣間見せる、老いや病苦をかこつこともできるようになった人間の意識によって裏づけられている。六朝時代の政治家を貴族と呼ぶが、この貴族とは、病苦や老苦さえ言葉にすることのできる政治家の別名である。

「唐=法-唐代の書の本質は法である」とは、神の代理人、あるいは神に仮託された王や政治ではなく、六朝時代に表現できるようになった人間的意識をまとめ上げて生まれた新しい国家と皇帝と法と政治の出現を意味している。唐の太宗皇帝が、王羲之の書を愛し、総合したのは、この流れの中の出来事であり、唐代の政治を貴族政治と表現するのはそれゆえである。

唐代の欧陽詢の九成宮醴泉銘は、漢代とは異なった政治を賛える文が刻り込まれている。そのような法と政治と国家を通過して、さらに一段ときめ細かな人間的な意識が涵養され姿を現わした書、それが「宋=意」である。そこでは、顔真卿に胚胎した意識をさらにおしすすめ、王羲之の段階よりもさらに一段進んだ人間的意識による政治的挫折のの詩-それは政治の中の非人間性-政治苦-を詠いあげることを意味し、政治の人間化が一段と進んだことを意味する-が書かれることになった。

「晋=韻、唐=法、宋=意」なる書論の背後にある姿を、書を通して考察すれば、前提、所与のものとして存在する圧倒的政治の下での、いわば政治戦略や戦術、方針の化身とでもいうべき政治家に、老苦、病苦など人間的意識が芽生え、表現できるようになったのが「韻」であり、それを背景として誕生する書体が、二折法=古代の草書である。そのような人間意識を宿すに至った政治家-貴族-や皇帝からなる新たな国家と法の形成を意味するのが唐の帝国であり、皇帝である。

草書体によって横画が右に上がることは、横画の右下方に手-作者=主体=人間-の存在を暗示し、つまりは、中国の政治家・官僚に新たな人間的意識が芽生えたことを証している。唐代に比類なき形で生まれた楷書が、後世の現在もなお基準となっているのは、横画水平の単なる政治文書とは異なり、この横画右上がりの草書体を吸収することによって成立しているからである。

宋代になると、士太夫や文人と言葉が新しい意味を盛るようになるが、これを、詩書画、あるいは琴棋書画を愛する知識人と、日本的に理解するのでは不十分である。苛烈な政治国家・中国の高級官僚政治家の中から、政治の中での挫折を手がかりに、人間的な苦悩にとどまらず、政治そのものの非人間性を詠う詩が生まれた。その言葉が人間の姿形をまとって出現した存在、つまり、反政治的、脱政治的人間、つまり人間的政治家の別名であって、日本で想像されがちな高等遊民の別名ではない。この種の新生の反および脱政治的人間の比喩が「意」にほかならない。そこに過度の緊張をもった初唐代の楷書とは異なる、抑揚をもった宋代の伸縮する筆触と、それによってもたらされる書も生まれたのである。

黄庭堅「黄州寒食詩巻跋」

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東坡此詩似李太白/猶恐太白有未到
處。此書兼貌魯/公楊少師李西臺

Kohteiken04

筆意。試使東坡/復爲之。未必及此。它日
東坡或見此書。應/笑我於無佛處/稱尊也

蘇軾の「黄州寒食詩巻」の後に添えられた跋。
大意は「此の書-蘇軾の黄州寒食詩巻-は、顔魯公-顔真卿-、楊少師-凝式-、李西台-建中-の筆意を兼ね、試みにもう一度書いてみても、これほどのものは書けないだろう」と激賞している。

垂直筆が基調となった中に、<到>や<臺>などの草書風書体も交り、伏波神詞詩巻よりもさらにくだけた書きぶり。

文字の頭を左に倒した-右上がり構成の-<似>を、頭を右に倒した<李>で受けて均衡をとる構成は絶妙であり、均質な太さの垂直筆の<處>や<楊><少>には骨格芯の通った伸長感があり、また<李西臺><書應笑我>などの渇筆にも見所がある。

構成についていえば、第五画の横画を左に長く伸長した<意>の姿態には舌を巻く。

<復爲之>と縦に長い文字を連ね、一転して<未必及此它>と横長に綴っていく展開も見事の一語につきる、と。


―山頭火の一句― 行乞記再び -04-
12月25日、曇、雨、徒歩3里、久留米、三池屋

昨夜は雪だつた、山の雪がきらきら光つて旅人を寂しがらせる、思ひだしたやうに霰が降る。

気はすすまないけれど11時から1時まで行乞、それから、泥濘の中を久留米へ。

今夜の宿も悪くない、火鉢を囲んで与太話に興じる、痴話喧嘩やら酔つ払いやら、いやはや賑やかな事だ。

※表題句は、同前、12月31日付記載の句

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March 11, 2010

星へおわかれの息を吐く

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-表象の森- 多折法、筆触のひろがり

石川九楊編「書の宇宙」シリーズ-二玄社刊-、№14「北宋三大家」より

宋代-960~1127(北宋)-、蘇軾-ソショク-・黄庭堅-コウテイケン-・米芾-ベイフツ-の、いわゆる北宋の三大家の書によって、書の書きぶりはがらりと一変し、書史の軸はいっきに移動する。

王羲之の書-古法、いわゆる晋唐書-の書と比較すると、三者の書に共通する特徴は、筆蝕が波立つように揺れ、字形が歪み、文字が倒れ、行が傾く。これらの書は、「蚕頭燕尾-サントウエンビ-」とよばれる筆蝕段階の顔真卿の書をふまえ、拡張することによって生じ、王羲之の表現と、顔真卿の表現と、さらにつけ加えれば李邕-リヨウ-の表現-この二者ないし三者の函数である。

王羲之と顔真卿の両者を二つながらにふまえながら、顔真卿の書の「蚕頭燕尾」に隠れた、抑揚の大きな筆蝕を拡張したのが蘇軾であり、顔真卿の「蚕頭燕尾」の、筆尖を立てる垂直筆にアクセントを置き、これを拡張し、多折法という新たな筆法段階に導いたのが黄庭堅である。この二者に対し米芾の場合、蜀素帖などにおいては、顔真卿の「蚕頭燕尾」の影響は背後に隠れ、前面に李邕の不均等比例均衡の姿が現れ、あるいはまた草書四帖や行書三帖などでは、翻って王羲之の姿が直截に露岩してくる。

三折法の段階の草書である狂草の影響下に生まれた顔真卿の「蚕頭燕尾」、その拡張によって生まれた多折法段階の書は、字形や字画、筆触において自在に伸縮するという表現の拡張をもたらすとともに、俄然、表現密度を高め、演劇的展開性までをも孕むことになった。

黄庭堅「伏波神詞詩巻」より

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園辞石柱。/筋力盡炎

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洲。一以巧名/累。飜思馬

「見るたびに新しい」とは、伏波神詞詩巻に対する高村光太郎の感想である。

垂直筆と多折法から、きわめて複雑な表現が展開されている。
余裕と余力をもった伸び伸びとした筆触と、長かった王羲之-唐・太宗的な「一対一」「左右対称」の基準均衡とでもいうべき構成法を打ち破って登場した、おおらかな構成こそが最大の魅力であり、また後世の範ともなったものである。

字画が比較的均質な太さで現れているのは、筆尖と紙-対象-とが垂直に近い状態、垂直筆を基調に書かれているからである。

新たに生まれた多折法は、表現の幅を広げ、横画を長く伸ばし、左ハライ、右ハライを長く伸ばし、また逆に、筆触が凝縮する大きな「点」の表現ももたらし、偏と旁が落差をもった大胆な構成も可能にし、さらに渇筆の表現も出現している。


―山頭火の一句― 行乞記再び -03-
12月24日、晴、徒歩8里、福島、中尾屋

8時過ぎて出立、途中ところどころ行乞しつつ、漸く県界を越した、暫らく歩かなかつたので、さすがに、足が痛い。

山鹿の宿もこの宿も悪くない、20銭か30銭でこれだけ待遇されては勿体ないやうな気がする。

同宿の坊さん、籠屋のお内儀さん、周旋屋さん、女の浪花節語りさん、みんなとりどりに人間味たつぷりだ。

※表題句は、同前、12月31日付記載の句

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March 10, 2010

どこやらで鴉なく道は遠い

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-表象の森- 日本語とはどういう言語か -05-

・音声、音韻は文字がつくる
日本語の音節は、表記としての平仮名・片仮名が生まれたことによって、子音と母音とを切り離せない一体として成り立ってきた。中国語とは一線を画する日本語の平板な発音-一般に強弱アクセントではなく高低アクセントとみられる-は、平仮名が生まれた後、平仮名の綴字発音として生まれ、固定された結果であると考えるほうが理に適っている。

子音と母音の一体化した音節発音成立の事情は、孤島の発音がもともと音節的発音であったと捉えるよりも、未だ西欧アルファベットのごとき音素表記法=音素を単位とする音韻認識を知り得なかった段階において、一語=一音節を単位からなる漢字を崩す-応用的に文字を創る-場合に、いっきに音素文字をつくりだす観念が生じず、音節を単位とする文字が生れるしかなかったのである。

東アジアで漢字を崩して生まれる表音文字の第一段階は、この平仮名・片仮名のごとき音節文字であり、次いでこの音節単位をさらに分解することによって、無論そこには西欧アルファベットの音素表記法を知ったことがあるのだが、15世紀後半の挑戦の音素ハングル文字はは生まれたのである。

東アジアでは、表語文字=漢字-大陸-、→音節文字=仮名-孤島-、→ハングル-朝鮮半島-が生まれるという過程を順にたどらざるをえなかった。ここに、日本語と朝鮮語の発音上の差が両語を必要以上に隔たった言語と感じさせることになった。

表記としての文字=綴字は、その属性として、ひとつの言語の発音を根底から変えてしまうのである。否、言-はなしことば-の発音は、文字によって初めて固定され、自覚的なものと化するのである。強いていうならば、無文字時代の言語には、有文字段階のわれわれが考える発音と呼ばれるような確定的なものは存在しないのである。

日本での表音文字の成立がもう少し遅ければ音素文字が生まれ、日本語は音素発音的な、現在の朝鮮語のような発音であったろうし、逆に挑戦が東アジアでいちはやく、10世紀頃に音節文字を開発していれば、朝鮮語は日本語のごとく、子音と母音の一体化した平板な音節発音の言語と化したことは容易に想定できる。ここから有文字段階のすべての言語の発音は綴字発音であると結論づけられよう。だとすればアルファベットから導き出された、言語の声を子音+母音と考える単位はより相対化されるべきである。

たとえば、「雲」が「kumo」と発音されていると考えるのは、あくまで音を子音+母音からなるとの観点からの便宜的な分析にすぎない。むしろ日常では「kmo」と発音されているというのが真相に近い。
また、「雲」の発声は、さらに微細にみていけば、口辺筋肉の運動を伴う発声にほかならないから、筋肉運動と声との中間的発声を含み、「kumo」という音素以下の「wuikwunnmmwoaow」などと発音されているともいえる。

このようにみてくると、声明、朗詠、披講、小唄、端唄、都々逸、謡曲、さらには浪曲、演歌と、日本語には、言葉を引き延ばし、ゆさぶるなどの不思議な声の芸が生まれてきたのもその必然として理解できよう。この音を引き延ばし、ゆさぶり、うねる声は、アルファベットの子音や母音で写し取られるような単純な音ではなく、さらにそれ以下の微少な単位が露出した音声である。


―山頭火の一句― 行乞記再び -02-
12月23日、晴、冬至、汽車で3里、山鹿、柳川屋

9時の汽車で山鹿まで、2時間ばかり行乞する、一年ぶりの行乞なので、何だか調子が悪い、途上ひよつこりS兄に逢ふ、うどんの御馳走になり、お布施を戴く。

一杯引つかけて入浴、同宿の女テキヤさんはなかなか面白い人だつた、いろいろ話し合つてゐるうちに、私もいよいよ世間師になつたわいと痛感した。

※このたびの行乞記では、句が記されていない日も多い。表題句は12月31日付に記されたものだが、この日の掲載は実に計22句を数える。日記とは別にメモされていたものから、それなりの推敲を経たうえでここに集録したものと思われる。

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March 09, 2010

死をまへの木の葉そよぐなり

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―山頭火の一句― 行乞記-再び -01-

三百余日の空白の後、昭和6年の12月22日より再び行乞記として日記が始まっている。
日記の冒頭に、表題句の外、次の3句を掲げている

 死ぬる夜の雪ふりつもる
 陽を吸ふ
 生死のなかの雪ふりしきる

12月22日、晴、汽車で5里、味取、星子宅。

私はまた旅に出た。-
「私はまた草鞋を穿かなければならなくなりました、旅から旅へ旅しつづける外ない私でありました」と親しい人々に書いた。
山鹿まで切符を買うたが、途中、味取に下車してHさんGさんを訪ねる、いつもかはらぬ人々のなさけが身にしみた。
Sさんの言葉、Gさんの酒盃、和尚さんの足袋、‥すべてが有難かつた。
積る話に夜を更かして、少し興奮して、観音堂の明けの鐘がなるまで寝つかれなかつた。

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March 08, 2010

雨のおみくじも凶か

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-日々余話- Duorest Chair

もう十数年、長年愛用してきたデスクワーク用の椅子
-これはある知人筋から貰い下げてきた麻雀用の椅子で、とにかくパソコン相手のデスクワークにはすぐれもので、徹夜同然の長時間作業もこの椅子のお蔭でいくたび助けられてきたことか-
が、さすがにとうとう寿命が尽きたか、半年ほど前に壊れてしまって、偶々所有していた些かアンテイツクな木製のものを臨時に使っていたのだが、このところ続いたハードな事務作業に身体のほうが悲鳴をあげて降参、
年も年なれば、とにかく身体に少しでも負荷のかからぬ椅子をと、昨日、稽古場の帰りに買い求めてきたのが、Duorest Chairなるもの。

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写真のごときものだが、購入してきたのは肘掛け部分がちょっぴり異なるタイプ。開発したメーカーはドイツの会社らしいが、この正規版はずいぶんと高価なもので、どうやらこっちは追随の海賊版メーカーのものかと察せられるが、それでもお値段、19900円也、こいつもなかなかにすぐれものではある。

とにかく、なお暫時は続くハードな作業も、この椅子を頼りに乗り切らずばなるまいと、朝の6時までかかってしまった昨夜に引き続き、今夜もまだこんな時間まで起きて、こんな気晴らしを綴っているしだいだ。

―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より-40-
2月5日、まだ降つてゐる、春雨のやうな、また五月雨のやうな。

毎日、うれしい手紙がくる。
雨風の一人、泥濘の一人、幸福の一人、寂静の一人だつた。

※表題句の外、2句を記す

「三八九日記」は、このあと空白の15頁を残し、最終頁に以下の句が記されている。

  味取在住時代 三句
久しぶりに掃く垣根の花が咲いてゐる
けふも托鉢、こゝもかしこも花ざかり
ねむり深い村を見おろし尿する

  追加一句 -味取観音堂の耕畝として-
松はみな枝たれて南無観世音
  行乞途上
旅法衣ふきまくる風にまかす

山頭火の三八九居における一見のびやかそうにみえた日々も4ケ月と続かなかつた。
「結局はよくなかつた。内外から破綻した。ただに私自身が傷ついたばかりでなく、私の周囲の人々をも傷つけるやうな羽目になつた。
事の具体的記述は避けよう、過去の不愉快を繰り返して味はひたくないから。
私はまた旅に出るより外はなかつた。」
と別なところ-随筆-で記している。

またしても泥酔の果ての失態事であったか、この年の4月の末頃だろう、警察の留置場に何日か打ち込まれていたようで、木村緑平宛のハガキでそれと知れる。

そのハガキに記された2句は、留置場内での作である。
裁かれる日の椎の花ふる
暗い窓から太陽をさがす

6月、とうとう山頭火は三八九居にも住めなくなつて引き払う。彼はまたサキノの許に転がり込んだ。彼自身本意ではなかつたろうが、サキノにとっても迷惑至極、またぞろの家庭復帰が立ちゆくわけもない。
年初の個人句誌「三八九」発刊は、自立・自活をめざしたものであつたが、3号で止まつた。
句作も行き詰まつたか、以後、半年ほどの間、ほとんど消息が伝わらない。

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March 06, 2010

ひとりはなれてぬかるみをふむ

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-表象の森- 顔真卿の劇的な書

石川九楊編の「書の宇宙」シリーズ-二玄社刊-、№13は「顔真卿」

顔真卿、初期の「多宝塔碑」部分

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均整や均衡がとれた端正な初唐代の楷書と較べると、顔真卿の楷書はいささか野暮にも思える。
末行の「十」や「力」の第二画の起筆は、力こぶの入った「蚕頭-さんとう-」。
第4行の「之」の、収筆部で極端に太くなり、その後、力を緩めてはらわれる姿は「燕尾-えんび-」のはしり。
「蚕頭燕尾」とは、このような字画の形状をもたらすところの、力の抑揚落差の大きい-筆尖が絶えず緊張と弛緩の微動をもつ-筆蝕の全体を指す。
ここに、端正なたたずまいと緊張感をもつ初唐代の楷書に代わって、力のみなぎりあふれるさまを露わにする、筆蝕の新段階が始まった、と。

晩年期の「送裴将軍詩」は、貴重な狂草の遺品で、劇的な展開の表現は見所も多い。

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「裴將軍。/大君制六」

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「合。猛將/清九垓。戰」

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「馬若龍/虎。騰」

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「陵何壯哉。將軍」

書き出しの「裴」をはじめ、次行の「大」の第一、二筆の力こぶのような姿から明らかなように、筆蝕は「蚕頭燕尾」に貫かれている。
長く伸びた第三の「將」のように基調は狂草だが、「裴」や「制」のような楷書風もあり、楷行草各体が混在している。

横画が右上がりというよりも水平に近いのは、起筆部で強く垂直に対象-紙-の奥に向かって突き込むため。
強く突き込むことによって、対象を識り、対象を識ることによって、主体が姿を現わす。
主体=文体-スタイル-が出現しはじめた段階を物語る書である。

一部に、これを空海に共通する雑体書ととらえる説もあるが、楷書風、行書、草書の各体、いずれも奇怪なところのない正格の書きぶりであり、一種の狂草体と解する方がよい。

痩せた書線からなる連綿草の錯乱の美、この次々と展開する構成の魅力、変転の美学。


―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より-39-
2月4日、雨、節分、寒明け。

ひとりで、しづかで、きらくで。

※表題句のみを記す

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March 05, 2010

ここに住みなれてヒビアカギレ

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-表象の森- 日本語とはどういう言語か -04-

「第1章-日本語とはどういう言語か」

・すべての言-はなしことば-は、抱合語的、孤立語的、膠着語的、屈折語的である
音声中心主義を内省することに欠けた言語学者ソシユールは「一般言語学講義」の中で、「言語と書は二つの分明な記号体系である。後者の唯一の存在理由は、前者を表記することだ。言語学の対象は、書かれた語と話された語との結合である、とは定義されない。後者のみでその対象をなすのである」と語つているが、時日はまったくその逆であつて、言語とは言-はなしことば-と文-かきことば-の有機的統一体であり、文-かきことば-誕生以来は、文-かきことば-言-はなしことば-を規定し、領導すると定義づけられるのである。

無文字時代の言語は、抱合語的でも孤立語的でも膠着語的でも屈折語的でもある言語であったと考えられる。ところが、文字を有し、文を有する段階に至った時に、それぞれが整合性を求めて、一定の構造へと収斂するのである。したがって、孤立語や膠着語や屈折語という言語形態は、文字化後に生じることとなる。

あえて言えば、抱合語的、孤立語的、膠着語的、屈折語的要素を含むとしか言いようのない力動的、展開的、流動的な言-はなしことば-に形を与え、具象化し、内省化するもの、それはむろん言葉とのつながりを持ちながらも、その外部に生まれる文字であり、文である。文字通り文法とは文が生まれたあとに生じ、固定されるものであって、無文字時代の言-はなしことば-の文法などというものは、あるとしても、その後に生まれた文法とは相当に異なった、声の強弱、高低、身ぶり手ぶり以前の舞踊や音楽-前舞踊や前音楽-の総合体として存在しているのである。

言葉は、言-はなしことば-と文-かきことば-からなる統合体であり、言法と文法とは、別のものとして峻別が必要であるにもかかわらず、声中心主義の西欧やその影響下の言語学者たちは、この言法と文法を曖昧にしたまま、言語や文法を語っている。しかも、言法といえども、言-はなしことば-内在する法則ではなく、文と化してのち、内省された、つまり文-かきことば-を通して照らし返され明るみに出された法則であり、もはやそれは無文字時代の言-はなしことば-とは違った、文との相互浸透、相互干渉されるに至った言-はなしことば-の法則に他ならないのである。このように言-はなしことば-の分類としての抱合語、孤立語、膠着語、屈折語という分類はさしたる本質的な意味を持たないが、いったんここに文=文字の問題を加味すると、きわめて有効な分類法と化すことになる。それどころか、この分類以外に有効な文法はないといってもいいほどである。

孤立語を、表音の水準から見ていくのでは、何も明らかにならない。孤立語と指摘していい言語はほぼ中国語に限られる。中国語とは、漢字という旺盛な造語力をもつ-偏と旁等の部首の組み合わせと連語=熟語でどんどん増殖していく-文字言語である漢語に吸収されて作られ、固定された言語であると定義づけられる。無文字の大陸地方のさまざまな諸語がもともと単音孤立語的であったと言うよりも、漢字=漢語=漢詩=漢文の孤立語性によって、大陸諸語がもともと有していたと推定される抱合語的、膠着語的、さらには屈折語的性格が吸収されて新たに生まれたのである。

大陸では、漢字・漢語に裏打ちされた文-かきことば-の強さ-水圧-が、いわば言-はなしことば-の抱合的、膠着的、屈折的性格を奪い去り、孤立語へと吸収されたものであり、中国語とは、単音節孤立語である漢語によって吸収され、統合された言語を指し、いわば断固たる「政治語」とでもいうべきものになったのである。

この孤立語・中国語の周辺にあるのが膠着語であり、朝鮮語、日本語、蒙古語、さらにはトルコ語などの膠着語が孤立語の周囲を取り巻く。
大陸中央部で漢字語に吸収され孤立語と化した、その高度な政治語の水圧は、周辺地域に流れ出し、周囲の小さな諸語の存在を圧殺する。周辺地域の為政者は、この中華体制に入り込み、中国語、漢文、漢詩を公用語とする。しかし、周縁部は、大陸内諸語のように、圧倒的な漢字語力に完膚なきまでに圧殺あるいは吸収されたわけではないから、この中国語に対する異和が生じ、そこに異和を挟み込む。この異和こそが漢語語彙の間に挟み込まれる助詞や接辞による膠着構造である。ここで接辞たる助詞が、中国語の断言性への異和の表出語として、採用あるいは新造される。このように、膠着語とは大陸的政治への異和を含み込んだ、孤立語=漢語の植民地言語である。

このように考察してくれば、屈折語の意味も明らかとなろう。屈折語とはアルファベット言語の別名である。アルファベットはむろん文字であるが、漢字のような表意、表語文字とは異なり、無文字時代に鍛えられた発音を写し取るようにして生まれた言語であり、それゆえ屈折が残り、また文字化後には、系統だって記述され、文法を整備するようになるのである。

したがって、抱合語、孤立語、膠着語、屈折語の分類は次のように整理することができる。
1. 文-かきことば-=書き留めたとされる言-はなしことば-が、語から成立し、文=語の構造と見なされる抱合語
2. 文が語の集合と見なされ、文=語+語の構造の孤立語
3. 文中の語が、詞と辞に分類される、文=詞+辞の構造の膠着語
4. 詞は変化を伴う。ゆえに、文は、接頭的変化詞・接尾的変化詞と接頭的変化辞・接尾的変化辞との合体と認識される屈折語。換言すれば、文=変化詞+変化辞の構造の屈折語

例文で示せば、以下のような記述法=書法上の違いにすぎぬということになる。
 「あめがはげしくふるよ」-抱合語
 「あめ○はげし○ふる○」-○部は発声で補う- -孤立語
 「あめ が はげし く ふる よ」-膠着語
 「あめが はげしく ふるよ」-屈折語

すなわち、語が文と明確に分けられないとすれば抱合語と分類され、日本語でいう助詞が声調に溶けてしまい、文字として記されなければ孤立語であり、また助詞が詞と分別できると捉えれば膠着語で、詞と分けられないと捉えれば屈折語と見なされる、ということ以上ではない。


―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より-38-
2月3日、曇、よく眠られた朝の快さ。

生きるも死ぬるも仏の心、ゆくもかへるも仏の心。
不思議な暖かさである、「寒の春」といふ造語が必要だ、気味の悪い暖かさでもある。
馬酔木居を訪ねてビールの御馳走になる、私は至るところで、そしてあらゆる人から恵まれてゐる、それがうれしくもあればさびしくもある。
子供はお宝、オタカラオタカラというてあやしてゐる。

※表題句の外、3句を記す

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March 04, 2010

更けてやつと出来た御飯が半熟

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-表象の森- 日本語とはどういう言語か -03-

「序章-日本語の輪郭」-からのMemo その3

・漢詩、漢文とそれらの訓読体と音語は主として政治的、思想的、抽象的表現を担い、和歌、和文と訓語は主として性愛と四季と絵画的具象的な表現を担う

・このような二重複線の日本語の構造は、平安時代中期に生まれた
女手の成立の時期を絞り込めば、10世紀初頭の「古今和歌集」や「土佐日記」-935年頃-を書いた紀貫之の時代にはすでに成立しており、それ以前の菅原道真の「新選万葉集」-893年-と遣唐使の廃止-894年-の頃がきわめて濃厚であると推定される。

ちなみに女手とは、続け字・分かち書き成立の可能性まで踏み込み、自立した女手文を成立させた仮名の謂であって、漢詩・漢文の書式を真似て一字一音-一音節-の単独の文字が、つながることもなく羅列されるばかりの万葉仮名や真仮名、草仮名とは次元を違えている。

・平安中期に成立した日本語は、中世、近世、近代、戦後、1970年代半ばにそれぞれ転生を遂げている
平安中期には漢字を媒介項として音と訓とが背中合せになり、二併性の二重複線言語、日本語が生まれた。
中世、鎌倉時代に入ると、大陸に蒙古族の元が成立し、これを避けて、宋の言語と語彙、文字と学問が日本に亡命、疎開するに至り、この租界地として、京都、鎌倉の五山や林下禅院が生まれた。五山には、新たな宋語-音語-受容空間でもあるところの文官政治機構が生まれ、平安時代の音訓二併性の日本語の傍らに、さらに宋元詩、宋元文とそれらの訓読体が加わった新たな日本語が生まれ、それらは鎌倉新仏教等によって大衆化され、ここに日中二元性の日本語が成立した。

近世に入ると、禅院の性格は弱体化して日本化し、重箱読みや湯桶読み風の、換言すれば、音語が訓読化し、訓語が音語的歪みをもつ、いわば二融性の近世日本語が成立した。たとえば歌舞伎の「積恋雪関戸-つもるこいゆきのせきのと-」のごとく。

近代に近づくと、中世以来の漢-音-・和-訓-の二元性を踏まえて、漢字の音訓の融合状態から音と訓を原型に復して剥がれやすくし、訓の、意味で西欧語を翻訳し、音の、音で発音する形で、西欧語の日本語への翻訳を実現し、日本は、アジアでいちはやく、西欧化、近代化を達成するに至った。そして、この西欧語化した漢語は、半島と大陸に逆流することにもなった。朝鮮半島の植民地化や大陸侵略はその社会的な現れの一面をもつ。
また、近代において、特記すべきは、近代活字=印刷の成立である。この意味は、平仮名が連続・分かち書きを崩さなかった江戸自体の木版印刷とは異なり、女手、平仮名の文字も一字を単位に分解され、「語」としての連続を解かれた点にある。一字で表語性をもつもつ漢字と、数字連合しなければ表語性をもつことができない平仮名とが、あたかも一字単位で等価であるかのような錯覚が生まれ、ローマ字書き論や仮名書き論が生まれた。

敗戦後の、1-当用漢字による漢字の使用制限、2-歴史的仮名遣いの廃止、3-公用文の横書き化、という三つの日本語政策の導入は、漢語・和語語彙の縮減と西欧語翻訳文体をもたらしたが、必ずしも、日本語における言-はなしことば-の語彙と文体の向上に結実したわけではなかった。

1970年代半ば以後の、資本主義の超高度化=泡沫化、さらには1990年代以降加速した、米軍事技術の廃物利用たる情報化とともに、米語の経済や技術の語彙は、漢字化の余裕なきまでに高速度での言語泡沫化状況をもたらし、いわば文字としての十分な体裁を整えていない軽便な片仮名語が氾濫する一方、生活語は貧弱化の度を加速している。

長期的に展望すれば、詩や言葉が無力であった泡沫の時代は四半世紀ほどももみ合うことはあっても、9.11事件で限界を見せた。再び詩や言葉が希望と理想を語る力をもつ時代の姿はおぼろげには見えてきた。グローバリズム-アメリカの八紘一宇-に代わる民衆の国際連帯は、現在の延長線上に、英語を国際語とするか、新たなエスペラントが採用されるか、あるいは嘗てライプニッツが夢想したように漢字を共通語とするか、それとも共通語を作らずに、宋語翻訳主義を貫くかについては、いまだ語るべき段階に至ってはいない。

―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より-37-
2月2日、また雨、何といふ嫌らしい雨だらう。

私も人並に風邪気味になつてゐる。
ゲルとが入つたので、何よりもまづ米を、炭を、そして醤油を買つた-空気がタダなのはほんたうに有難いことだ-。

※表題句の外、句作なし

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March 03, 2010

笛を吹いても踊らない子供らだ

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-表象の森- 日本語とはどういう言語か -02-

「序章-日本語の輪郭」-からのMemo 承前

・日本語とは、東海の孤島で生まれた言語である
政治的な意味での日本の成立は7世紀後半、これ以前に日本語はない。前日本語としての倭語がこれ以前に存在したことはまぎれもない事実だが、それが現在の日本列島に統一的に存在したかどうか、また、前アイヌ語や前琉球語とどういう関係にあるかは、現在までのところ不明である。
総合的に考察すれば、現在の日本語にまっすぐにつながる新生日本語-語彙と文体-は和歌と和文の生まれた平安中期、つまり女手-平仮名-の誕生期に姿を整え、成立したと考えられる。成立の始まりの象徴は10世紀初頭の「古今和歌集」であり、「土佐日記」・「伊勢物語」を経て、11世紀初頭の「源氏物語」がその仕上げの象徴である。
その新生日本語の姿-書体-は、小野道風の書「智証大師諡号勅書」-927年-、同「屏風土代」-928年-で明瞭な姿を見せ、藤原行成の「白楽天詩巻」-1018年-に完全なる姿を現わす。

・日本語とは漢字と平仮名と片仮名という三種類の文字をもつ言語である
漢語-漢字語-から生まれ、それへの戦略と戦術によって分かたれた中国語と日本語と朝鮮語と越南語は、文字=書字に主律された言語圏の言語である。
たとえば日本語で「ジューキ」と聞いても、「重機」か「銃器」か「戎器」か「重器」「重喜」「住基」-住民基本-であるか解せない。文字を思い浮かべることによってはじめて理解に至る日本語は、文字中心の言語である。したがって、日本語では声ではなく「文字を話し」「文字を聞く」。アルファベットの西欧語は「声を話し」「声を聞く」言語といちおうは規定されようが、それとて「文字を話し」「文字を聞く」側面がないわけではない。
漢字と平仮名と片仮名の三種類の文字をもつという点において、日本語は世界に特異な言語である。この特異性と比較すれば、日本語の文法的な特徴なるものは微々たる役割しかもたない。

・日本語の語彙は漢語=音語と、和語=訓語と、片仮名語=助詞からなる
「雨」という漢字の片面に音語としての「ウ」、また他の面に訓語としての「あめ」があるように、日本語は「音」と「訓」のと二重性、二伴性をもつ。音語たる「ウ」は漢語圏に広がり、訓語たる「あめ」は和語圏に広がる。この場合、漢語を即中国語と言えぬように、和語もまた即和語成立以前からの孤島語=古代倭語と規定することはできない。むろん漢語は元来、大陸・漢に由来する語彙ではあるが、近代において日本で生まれた漢語も多く、しかも、漢語も和語も共に日本語であるから、正確には、音語と訓語と呼ぶ方が間違いは少ないと言えよう。
この見地に立てば、和語=古来からの「美しい」日本語、漢語=中国渡来の「さかしらな」外来語という、本居宣長的歪んだ国粋的誤解も少なくなるだろう。
平仮名は訓語を成立させたが、片仮名は漢詩漢文に挟み込まれた異和であり、漢詩漢文を開き、新しい日本文・漢詩漢文訓読文を作り上げた助詞「テニオハ」の象徴である。

・日本語の文体は、漢詩・漢文体と、和歌・和文体を両極として成立している
日本語の文体は、「委細面談」式の漢詩・漢文体を一方の極とし、「くわしいことはおめにかかったうえで」式の和歌・和文体を他方の極とする広がりの中にある。「委細面談」の付近に「委細ハ面談」式のいわゆる漢文訓読体があり、両極の間には、「委細はおめにかかったうえで」「くわしいことは面談で」等、種々雑多、複数の文体がある。
この複数の文体の同時的存在は、漢字と平仮名と片仮名の三種類の文字を有する日本語に不可避の構造的特徴である。

―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より-36-
2月1日、降つたり霽れたり、夜はおぼろ月がうつくしかつた。

三八九第一集を発送して、重荷を下ろしたやうに、ほつとしたことである、心も軽く身も軽くだ。
今日もまた苦味生さんの真情に触れた。
俳句は一生の道草とはおもしろい言葉かな。

※表題句の外、4句を記す

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March 02, 2010

袋貼り貼り若さを逃がす

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-表象の森- 日本語とはどういう言語か -01-

このところ石川九楊の書論三昧の身であると綴ったばかりだが、ぼつぼつとMemoっていきたい。
これまで読んだところで最も強く印象に残るのは、出版当時サントリー学芸賞の思想歴史部門を受賞したという「書の終焉-近代書史論」-90年同朋舎刊-だが、すでに絶版、中古書でも稀少でずいぶんと高値がついており、図書館で借りて読むしかなく、あらためてMemoの機会を得たいと思う。

それでさしあたりは2006年中央公論社刊の「日本語とはどういう言語か」から。
本書の目次は、以下のとおり二部構成となっている

 「文-かきことば-篇」
  序 章 日本語の輪郭
  日本語とはどういう言語か
  日本語の書法
   第1節 日本語の書字方向
   第2節 日本語の文字
 「言-はなしことば-篇」
  第1講 日本語とはなにか
  第2講 文字とはなにか
  第3講 日本文化とはなにか
  第4講 日本文化論再考
  第5講 日本語のかたち
  第6講 声と筆蝕
  第7講 文字と文明

「文-かきことば-篇」は、雑誌「ユリイカ」など各誌に書き下ろした文章を集めたもので、後半の「言-はなしことば-篇」は見出しに「講」とあるように、京都精華大での講義録が素になっているという。

先ずは「序章-日本語の輪郭」より適宜抜粋、但し文の意味連絡上、一部改変している箇所がある。

極東の孤なりの島嶼には日本語という名で括られる言語がある。
東北、関東、北陸、関西、中四国、九州、沖縄、さらにはより小さな地方語を統合してなる日本語は、単なる一部族言語にとどまらない東アジアの一地方国家語の性質を朝鮮語や越南語と同様に有している。

・言葉は人間の表出と表現の中心に位置する
言-はなしことば-は、声の強弱や高低、身ぶり手ぶりという肉体を必ずまとい、文-かきことば-もまた、書字の強弱や大小、疎密などの肉体をまとう。肉体なくして人間の精神もないように、声や書字-筆蝕-なくして言葉の精神も存在しない。したがって言葉の表出や表現は、言-はなしことば-の周辺の話芸や音楽、舞踊、塑像、スポーツ、また文-かきことば-の周辺の文学や書、絵画、デザイン、彫刻、建築などを引き連れて存在している。

・言葉は言-はなしことば-と文-かきことば-の統合である
言-はなしことば-あっても文-かきことば-のない言語はむろんありうる。それどころか、文字の成立が、わずか数千年前の出来事にすぎぬ以上、人類史のほとんどは言-はなしことば-のみの時代であった。とは言え、文-かきことば-が成立して以降は、文-かきことば-と言-はなしことば-の語彙と文体の相互浸透や、文字が発音を規定する綴り字発音等、むしろ文-かきことば-が言-はなしことば-を根底において支えるという逆転が生じている。したがって、言葉は言-はなしことば-のみによって考察されるものではなく、文-かきことば-の成立以降は、文-かきことば-と言-はなしことば-の統合として考察されるべきである。
われわれは日常において、「あけましておめでとう」と話しても、「謹賀新年」と話しかけることはないように、いまだ文-かきことば-と言-はなしことば-はそれぞれ別々の道を歩んでいるかのように、そのあいだには乖離がある。この乖離傾向は、文-かきことば-においてさえ、漢字文の極と平仮名文の極を有する二重複線言語=日本語においてとりわけ著しいと思われる。
さらにつけ加えれば、言-はなしことば-は市民社会に、文-かきことば-は国家に喩えることができる。

・声が言葉に内在的であると同様に、文字もまた言葉に内在的である
文-かきことば-おける文字-正確には書字-筆蝕--は、言-はなしことば-における声に相当する言葉の肉体である。声が言葉に内在的であるなら、文字=書字もまた言葉に内在的である。
言葉の表出や表現において、言-はなしことば-における声の強弱や音の高低の変相によって、その意味と価値の違いが生じるように、文-かきことば-においても、その文字の書きぶり-筆蝕-の変相によって、同様に意味と価値の違いが生じる。
「ありがとう」という言葉が、その声や音あるいは書きぶりの変相によって、「ありがたくはない」という逆の意味を孕むうるように、「迷惑」という言葉も「感謝」という逆の意味を内に孕みうるものである。
言葉とは、辞書に登載されているような意義とは別に、声や書字の肉体如何によっては逆の意味を盛るところに、その本質が隠れている。この事実に気づかなかったために、音韻と語順と意義の文法言語学が、日本語のローマ字書き、仮名書き論等、不毛な言語論と政策を生んできたのである。

・言葉は語彙と文体からなる
初等教育としてはともかく、言語を考察する上で文法や語順や意義は、さしたる重要な位置を占めない。言葉は、対象を区切り、切りとる語彙と、それらを相互につなげる思想とも言うべき文体とからなる。
ここで言う文体とは、言葉の表出と表現の始発-言葉を引き出す力-であると同時に、その極点-言葉の存在を保証する力-でもあるような、換言すれば、言葉を生むと同時に言葉を支える力の別称である。
たとえば、「雨が降る」という言葉は、「雨」・「降る」という語彙と、この発語に至る以前の始発の漠然とした蠢き、喩えれば糸屑のごとき揺らぎであると同時に、生れたこの文の艶や輝きでもある文体から成ると捉える場に、言葉はその姿を現わす。
発語者以前に語彙と文体は歴史的、社会的に蓄積されてある。発語者は、このすでにある語彙と文体に倣い、これを借りて発語する以外にないが、そこにはいくぶんかの微妙なる異和が生じる。その異和こそが歴史を動かす原動力である。異和はいくぶん語彙や文体に投影され、そこに生れた新たな語彙と文体が、歴史的、社会的に受けとめられるという過程を経て、言葉は展開していく。
自然とともにあり、自然自体である動物は、一声発すればすべてを言い尽くすことができる「完全なる言語」つまり言葉以前をもっている。自然から離脱した人間の言葉は、百万語を費やしても、ついに自然や社会を捉えることのできない不完全言語である。不完全な人間の言葉は、言い尽くせぬゆえに新たな語彙と文体とを永続的に生みつづける。詩や歌に不可避の韻律は、言葉の「言い尽くしえぬ」本質に発する繰り返しと反復を基礎に成立している。

―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より-35-
1月31日

やっぱり独りがよい。

※表題句の外、2句を記す

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March 01, 2010

凩の葉ぼたんのかゞやかに

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-表象の森- 言-ことば-と節-ふし-と手-弾奏-と

山中鹿之助の故事に因んだ「阿井の渡」を謡った高橋旭妙の琵琶演奏を観-聞-終えて、私の脳裏をかすめたのは、見事なまでに流麗な演技を見せたキム・ヨナに完敗を喫した、数日前の、まだ生々しく記憶に残る、あの浅田真央のフィギアだった。

滑りのディテールのひとつひとつにつねに全精力を注ぎ込むかのように、渾身の気力を込めて消化していっていた真央が、そのあまりに緊迫した集中が続いた心身への負荷の所為か、中盤にいたって僅かに零れ落ちるような一瞬の隙を生み、ジャンプで取り返しのつかないミスを犯してしまったように、

旭妙のそれもまた、冒頭より、琵琶の音色をよく抑え、節付にのせて語り紡がれゆく言-ことば-の、長い長い序章のその細部は、いわば文節ごとにまで精確に吟味され、声調はあくまで抑制しつつも、その背後で気根は満ち満ちていたように覗えたのだった。

とかく抑えた演技は、気根が要るもの。15分ほどの構成を序破急とみるならば、序の部分にほぼ2/3を費やし、一転、破調の手-弾奏-がはじめて入った直後の言-ことば-の一節に、僅かな乱れが露わになってしまったのだが、一気に畳みかけるがごとき終盤の波と急に至って、それまでの抑えに抑えた声調のなかで、尽くされ尽くされてきた気根はすでに遣い果されてしまっていたのだろうか、全体の要ともなる転一歩たる一節の僅かな破綻は、いかに些事とみえようとも取り返しはつかない、瞬時に立て直してあとの一節々々をきっちりと謡わんとしても、徹しきれぬ微かな虚ろからもはや逃れがたく、最後まで今ひとつノリきれないもどかしさがつきまとっていたのではなかったか。
私にはそう見えた、惜しい一曲だった。

琵琶曲を演奏という、だが語りものの世界であってみれば、節付とはいえ言-ことば-こそ命、石川九楊に倣えば、節は言-ことば-の筆蝕といえよう、ならば琵琶の音色を現前させる手-弾奏-は言-ことば-の筆蝕たる節を際立たせるものであり、琵琶曲においては言-ことば-なくして節なく、節なくしてまた言-ことば-なく、一体となった言-ことば-と節こそ表現の主体となるべきであり、手-弾奏-はどこまでも従でなければならない。

琵琶世界に参じ、手-弾奏-習いに修行中とはいえ、その修行もそれぞれ3年、5年と経くれば、この一事をしっかりと受けとめて励むべきところだろうが、なかなかそうはなりえていないのが実情なのは、侘びしくもあり残念な思いがつのる。

旭濤ことわが連合い殿においても、言-ことば-=節に手-弾奏-にと、よく励んでいるとはいえ、このたびもまた、手-弾奏-の熟-こな-しに、文字通り手いっぱいのあっぷあっぷといった態で、言-ことば-の筆蝕たる節の調声に気根ははたらくべくもなく、虚しく破綻を繰り返してしまっている。

―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より-34-
1月30日

宿酔日和、彼女の厄介になる、不平をいはれ、小言をいただく、仕方ない。
夜は茂森さんを訪ねる、そして友情にあまやかされる。

※表題句は26日記載の中から

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