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December 28, 2009

寒ン空、二人連れは男と女

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―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より-15-
1月11日、曇つて晴れる、雪の後のなごやかさ。

いつものやうに、御飯を炊いて、そして汁鍋をかけておいて湯屋へ。-
あんまり寒いから一杯ひつかける、流行感冒にでもかかつてはつまらないから、といふのはやつぱり嘘だ、酒好きは何のかのといつては飲む、まあ、飲める間に飲んでおくがよからう、飲みたくても飲めない時節があるし、飲めても飲めない時節がある。‥

事実を曲げては無論いけない、といつて、事実に囚へられては、また、いけない-句作上に於て殊に然り-。

※表題句の外、8句を記す

-四方のたより- 今日から

一年の垢落としという訳ではないけれど、ちょいと小旅行に出かけます。
元日に帰阪の予定、それまでブログはお休み。

-今月の購入本-
・藤井直敬「つながる脳」NTT出版
脳科学の行く手にたちはだかる大きな壁-、技術の壁、スケールの壁、こころの壁、社会の壁。これらの壁に対して、最前線の脳科学者たちは、どのように問題を解決しようとしているのか。自由意志や社会的適応、ココロの理論、あるいは脳科学の実験環境や、話題のブレイン-マシン、インターフェイスなどを押さえながら、「脳と社会」の関係性から脳の解明を目指す気鋭の論考。

・東浩紀・北田暁大編集「思想地図 vol.3-アーキテクチャ-」NHKブックス
建築から社会設計、コンピュータ・システムまで、私たちの「生」をコントロールする、その多様なあり方に迫る。アーキテクチャの権力にどう対峙するべきか。イデオロギーが失効した時代の批評の新たなる可能性を切り開こうと‥。

・東浩紀・北田暁大編集「思想地図 vol.4-想像力-」NHKブックス
情報や消費環境の変化により、個人はそれぞれの「心地よい」島宇宙に自閉し、社会は分断されてしまった。「大きな物語」が機能不全に陥ったこの時代、 われわれの想像力は、はたしてどのような未来を描きうるのか。村上春樹から政権交代、折口信夫からエヴァまで、さまざまな領域を横断しながら、ときに「未成熟」と批判される日本的想像力のありかたを徹底的に吟味することで、未来を切り開く知の可能性を。

・池澤夏樹「ぼくたちが聖書について知りたかったこと」小学館
池澤夏樹が自身の従兄弟でもある聖書学者・秋吉輝雄に聞く聖書の読解法。どちらかといえば旧約が専門の秋吉は、ユダヤ人とは何なのか?という解等困難な問いを常に意識しつつ、彼らの言語や生活習慣や世界認識の特殊性を様々な角度から説明し、その物語が発生した同時代の文化状況や、それが「書」として編集され人々に受容されていく過程での政治的な諸力の、いわば織物として出来上がっているという歴史的な事実を平易に伝えてくれる。

・渡辺公三「闘うレビュ=ストロース」平凡社新書
レヴィ=ストロースの壮大な思想は、安易で図式的な理解を拒む。百年を超える生涯を通じて、彼は何と闘ってきたのか。野性の生きものとの接し方に看取されるレヴィ=ストロースの「世界との接し方」と、構造主義と呼ばれる「ものの見方」とのあいだに存在する関係とは何か。 あるいは、「彼らとの出会いの場」を「私によって私の位置」において作出するというレヴィ=ストロースにとっての人類学の企図が、どのような種類の、どれほどの知的な作業を必要とされるものだったか。

・スガ秀実「1968年」ちくま新書
世界史を画する歴史的なTurning Pointだった-1968年、前史としての<60年安保>から、ベ平連や全共闘運動を経て三島事件と連合赤軍事件に終わるまでの激しい時代を、新たに発掘した事実を交えて描く。

・山城むつみ「文学のプログラム」講談社学芸文庫
「書くこと」でいかに「戦争」と拮抗しうるのか、小林秀雄、坂口安吾、保田與重郎の戦時下における著述を丹念に辿ることで、時局に追従する言説と彼らとの距離を明らかにし、保田の「万葉集の精神」を起点に、日本文を成立せしめた「訓読」というプログラムの分析へと遡行する評論。1995年の大田出版刊が底本。

・関幸彦「百人一首の歴史学」NHKブックス
中世史を専門とする歴史学者ならではの、栄華を誇った王朝の記憶のTapestryたる「百人一首」の歴史的読解。

他に、広河隆一編集「DAYS JAPAN -2010/01」

-図書館からの借本-
・野田正彰「教師は二度、教師になる」太郎次朗社
子どもとの関わりのなかで、人はいかにして「教師になる」のか。副題に「君が代処分で喪ったもの」とあるように、国旗・国家の強制と処分によって精神の危機に曝された教師たち13人への詳細な聞取りを通して、彼らの教育観と生き方を伝え、その葛藤のありようを精神医学の視点から読み解く。

・石川九楊「書の終焉-近代書史論-」同朋社
毎日新聞の書評「今週の本棚」における年末特集、評家書誌による「今年の三冊」で、何人もがともに挙げていた「近代書史」。おそらくはその助走の著と目されよう「書」の近代史論考。

・石川九楊「一日一書 -02-」二玄社
歴史・文化・芸術・生活‥、あらゆる分野を縦横に駆けめぐりつつ、毎日一文字の「書」との出会いが一日を豊かにしてくれる。「京都新聞」連載のコラムに大幅に加筆、単行本化したシリーズの第2弾。

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December 27, 2009

吹雪吹きこむ窓の下で食べる

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―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より-14-
1月10日、雪が積んでゐる、まだ降つてゐる、風がふく、寒く強く。

近来にない寒さだつた、寒が一時に押し寄せたやうだつた、手拭も葱もご飯も凍つた、窓から吹雪が吹き込んで閉口した。

ありがたいことには炬燵があつた、粕汁があつた。

朝湯朝酒は勿体ないなあ。

今日は金比羅さんの初縁日で。おまゐりの老若男女が前の街道をぞろぞろ通る、信仰は寒さにもめげないのが尊い。

隙洩る風はこの部屋をいかにも侘住居らしくする、そしてその風をこらへて、せくぐまつてゐる自分をいかにも侘人らしくする。‥

寒いにつけても、ルンペン時代のつらさを思ひ出さずにはゐられない。

酒ほどうまいものはない、そして酒ほどにがいものはない、-酒ではさんざ苦労した、苦労しすぎた。‥

※表題句の外、4句を記すが、その中に
「安か安か寒か寒か雪雪」がある。

-四方のたより-

ささやかながら、新しい年へと踏み石ともなる、本年最後のDance Cafeでありました。

私自身、「山頭火」に加えて、やっと第二のレパートリーを獲たという僥倖に感慨もひとしお、祭りのあとの余韻にひたりおります。

しかもこの新しい演目は融通無碍、あるいは変幻自在、さまざまいかようにも取り組みようがあるとも思えるところ、いかにもたのしみ多く、心中快哉の声をあげんばかりの境。

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December 26, 2009

縫うてくれるものがないほころび縫つてゐる

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Information – 四方館の DANCE CAFE –’09 Vol.4-
出遊-二上山夢験篇-

あそびいづらむ-ふたかみやまゆめのあらはれへん-
Date :12/27 –Sun- PM2:30 Space : 弁天町市民学習センター

愈々、明日に迫ったDANCE CAFEだが、偶々、毎日新聞の今夕刊「万葉のとびら」に採られた歌は、有間皇子の
「岩代の浜松が枝を引き結びま幸くあらばまた帰り見む」

大津皇子と同じように、謀反の罪に捕らえられ、悲運の死を遂げたのは紀州藤白坂-現在の和歌山海南市-、658年のことだが、これは大津の死に先立つこと26年だ。
蘇我赤兄に謀られた孝徳天皇の子、有間皇子を死に追いやったのは中大兄皇子、後の天智天皇だが、
天武天皇崩御の直後、謀反の疑いをかけられ賜死した大津皇子は、叔母にあたる鵜野讃良皇女-後の持統天皇-が自身の子、草壁皇子を皇位に即かせるために謀ったとされる説が有力だ。

―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より-13-
1月9日、雨、曇、晴、曇、雨。

起きると、そのままで木炭と豆腐とを買ひに行く、久しぶりに豆腐を味はつた、やつぱり豆腐はうまい。

あんまり憂鬱だから二三杯ひつかける、その元気で、彼女訪ねて炬燵を借りる、酒くさいといつて叱られた。
帰家穏坐とはいへないが、たしかに帰庵閑坐だ。

昨夜も今夜も鶏が鳴きだすまで寝なかつた、寝られなかつた。

※表題句の外、3句を記す

-四方のたより- 「鎮魂と飛翔-大津皇子」二上山の章Scene.7
「山越の阿弥陀」

 光り、始源の
 響き、生誕の
 山の端に伸しあがる日輪の思われる
 金色の雲気

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December 24, 2009

送つてくれたあたゝかさを着て出る

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Information – 四方館の DANCE CAFE –’09 Vol.4-
出遊-二上山夢験篇-

あそびいづらむ-ふたかみやまゆめのあらはれへん-
Date :12/27 –Sun- PM2:30 Space : 弁天町市民学習センター

―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より-12-
1月8日、朝のうちはうららかな晴だつたが、午後は曇つた。

今朝は嫌な事と嬉しい事とがあつた、その二つを相殺しても、まだまだ嬉しさが余りあつた、-略-、嬉しい事といふのは、郷里の妹からたよりがあつたのだ、ゲルトも送つてくれたし、着物も送つてくれた、私はさつそくその着物をつけて、そのゲルトで買物しいしい歩いた、ああ何といふ肉親のあたたかさだらう!

米を買つた、一升16銭だ、米はほんたうに安い、安すぎる、粒々辛苦、そして損々不足などと考へざるをえないではないか。

どうも通信費には困る、毎日葉書の5.6枚、手紙の2.3本書かないことはない、今日は葉書6枚、手紙3本書いた。

※表題句の外、3句を記す

-四方のたより- 「鎮魂と飛翔-大津皇子」二上山の章Scene.5
「死者と生者の相交」

 天空の光りの輪が仄かに揺れて
 招来と歓喜
 彼の人にとって、おもいびとがそこに在り
 女にとって おもかげびとがそこに在った
 うねり、流れ、交わり
 可視の空間の向こうに、見いだす拡がりのなかに
 ともにやすらうのだ

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December 23, 2009

尿する月かくす雲のはやさよ

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Information – 四方館の DANCE CAFE –’09 Vol.4-
出遊-二上山夢験篇-

あそびいづらむ-ふたかみやまゆめのあらはれへん-
Date :12/27 –Sun- PM2:30 Space : 弁天町市民学習センター

―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より-11-
1月7日、曇、后晴、寒くなつた、冬らしくなつた-昨日から小寒入だ-

銭がなくなつた、餅もなくなつたし米もなくなつた、-銭は精確にいへば、まだ13銭残つてゐるが-。

朝は腹も空いてゐないからお茶を飲んですます、午後は屑うどんを少しばかりかつて買つて食べる。夜は蜜柑の残つたのを食べる、お茶がやつぱり一等うまい。

昨日も今日もアルコールなしだつた、飲みたいとも思はなかつた、私もやつとアルコールだけは揚棄することが出来たらしい、そして昨日も今日も私一人だつた、訪ねてもゆかず、訪ねてくる者もなかつた、ただ一人ぢつとして読んでゐた、考へてゐた、そして平静だつた。

※表題句の外、9句を記す

-四方のたより- 最後の‥

27日の日曜は、本年の掉尾となるDANCE CAFEゆえ、20日に続き今日も稽古とした。今年最後の稽古だ。

是れにインド舞踊の茶谷祐三子が姿を見せた。3人がそれぞれ交互に踊ってみせる即興の申し合いともいうべき小一時間の稽古は、若いAyaも含め、互いにいい刺戟となったようだった。

本人の弁に因れば、最近いささか行き詰まりの如きものを感じているといっていた茶谷祐三子に、私はある感想とともに一つのSuggestionを与えてみたのだが、その後の即興では別人の観さえある表象をものしていた。

こういう刺戟に富んだ稽古をしたあとは、爽やかな気に充たされてすこぶるここちよいものだ。
あと3日、こんどは私の番、自ずから気力を高め、語り世界へと充填せしめねばならぬが、さてさて‥。

「鎮魂と飛翔-大津皇子」二上山の章Scene.5
「幻影的な旅」その2

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December 22, 2009

食べるもの食べつくしてひとり

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Information – 四方館の DANCE CAFE –’09 Vol.4-
出遊-二上山夢験篇

あそびいづらむ-ふたかみやまゆめのあらはれへん-
Date :12/27 –Sun- PM2:30 Space : 弁天町市民学習センター

―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より-10-
1月6日、雨、何といふ薄気味の悪い暖さだらう、そして何といふ陰鬱な空模様だらう。

昨日は大金-私の現状では-を費つたが、今日は殆ど費はなかつた、切手3銭と湯銭3銭とだけ。

隔日に粥を食べることにしてゐる、経済的には僅かしか助からないけれど、急に運動不足になつた胃のためにたいへんよろしい。

次朗さんに手紙を書いた、-その心中を察して余りある事も感傷的になつては詰らない事、気持転換策として禅の本を読まれたい事、一度来訪ありたき事、等、等。

苦痛のために身心を歪曲されるやうでは駄目だ、人生といふものはおのづから道が開けてくるものである、といふよりも、人間は自分自身の道を見出さずには生きられないのである。

※表題句の外、4句を記す

-四方のたより-「鎮魂と飛翔-大津皇子」二上山の章Scene.4
「幻影的な旅」その1

 こう、こう、こう
 魂呼ぶ声に誘なわれて
 不思議な夢の
 冥界への旅だち
 揺りから揺られ
 女がひとり、幻想に舞う

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December 21, 2009

霧の朝日の葉ぼたんのかがやき

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Information – 四方館の DANCE CAFE –’09 Vol.4-
出遊-二上山夢験篇-


あそびいづらむ-ふたかみやまゆめのあらはれへん-
Date :12/27 –Sun- PM2:30 Space : 弁天町市民学習センター

―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より-09-
1月5日、霧が深い、そしてナマ温かい、だんだん晴れた。

朝湯へはいる、私に許された唯一の贅沢だ、日本人は入浴好きだが、それは保健のためでもあり、享楽でもある、殊に朝湯は趣味である、3銭の報償としては、入浴は私に有難過ぎるほどの物を与へてくれる。

次朗さんから悲しい手紙が来た、次朗さんの目下の境遇としては、無理からぬこととは思ふが、それはあまりにもセンチメンタルだつた、さつそく返事をあげなければならない、そして平素の厚情に酬ゐなければならない、それにしても、彼は何といふ正直な人だらう、そして彼女は何といふ薄情なひとだらう、何にしても三人の子供が可愛相だ、彼等に恵みあれ。

午後はこの部屋で、三八九会第1回の句会を開催した、最初の努力でもあり娯楽でもあつた、来会者は予想通り、稀也、馬酔木、元寛の三君に過ぎなかつたけれど、水入らずの愉快な集まりだつた、句会をすましてから、汽車弁当を買つてきて晩餐会をやつた、うまかつた、私たちにふさはしい会合だつた。

だいぶ酔うて街へ出た、そしてまた彼女の店へ行つた、逢つたところでどうなるものでもないが、やつぱり逢ひたくなる、男と女、私と彼女の交渉ほど妙なものはない。

自転車が、どこにでもあるやうに、蓄音機も、どの家庭にもある、よく普及したものは、地下足袋、ラヂオ、等、等。

※表題句の外、7句を記す

-四方のたより-「鎮魂と飛翔-大津皇子」二上山の章Scene.3
「霊のこだま」その2

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December 20, 2009

ひとり住んで捨てる物なし

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Information – 四方館の DANCE CAFE –’09 Vol.4-
出遊-二上山夢験篇-

あそびいづらむ-ふたかみやまゆめのあらはれへん-
Date :12/27 –Sun- PM2:30 Space : 弁天町市民学習センター

―山頭火の一句―「三八九-さんぱく-日記」より-08-
1月4日、曇、時雨、市中へ、泥濘の感覚!

昨日も今日も閉ぢ籠つて勉強した、暮れてから元寛居を訪ねる、腹いつぱいのお正月の御馳走になつ戻つた。
一本2銭の水仙が三輪開いた、日本水仙は全く日本的な草花だと思ふ、花も葉も匂ひも、すべてが単純で清楚で気品が高い、しとやかさ、したしさ、そしてうるはしさを持つてゐる、私の最も好きな草花の一つである。

やうやく平静をとりもどした、誰も来ない一人の一日だつた。

米と塩-それだけ与へられたら十分だ、水だけは飲まうと思へば、いつだつて飲めるのだが。

今夜は途上でうれしい事があつた、Sのところから、明日の句会のために、火鉢を提げて帰る途中だつた、重いもの、どしや降り、道の凹凸に足を踏みすべらして、鼻緒が切れて困ってゐると、そこの家から、すぐと老人が糸と火箸を持って来て下さつた、これは小さな出来事、ちょつとした深切であるが、その意義乃至効果は、大きい思ふ。実人生は観念よりも行動である、社会的革命の理論よりも一挙手一投足の労を吝まない人情に頭が下る。…

※表題句の外、11句を記す

-四方のたより-「鎮魂と飛翔-大津皇子」二上山の章Scene.2
「霊のこだま」その1

 闇い空間に蒼黒い靄の如くたなびくもの
 樹々が呼吸する音に包まれて
 精霊たちが岩窟を満たす
 互いに結ばれた言葉で
 やさしく人馴れぬ言葉で
 彼の人のみ魂と共震する

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December 19, 2009

詫手紙かいてさうして風呂へゆく

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Information – 四方館の DANCE CAFE –’09 Vol.4-
出遊-二上山夢験篇-

あそびいづらむ-ふたかみやまゆめのあらはれへん-
Date :12/27 –Sun- PM2:30 Space : 弁天町市民学習センター

―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より-07-
1月3日、うららか、幸福を感じる日、行きてゐるよろこび、死なないよろこび。

-昨夜の事を考えると憂鬱になる、彼女の事、そして彼の事、彼等に絡まる私の事、-何となく気になるのでハガキを出す、そして風呂へゆく、垢も煩ひも洗ひ流してしまへ-ハガキの文句は、…昨夜はすまなかつた、酔中の放言許して下さい、お互いあんまりムキにならないで、もつとほがらかに、なごやかに、しめやかにつきあはふではありませんか、…といふ意味だつたが-。-略-

恩は着なければならないが、恩に着せてはならない、恩を着せられてはやりきれない、親しまれるのはうれしいが、憐れまれてはみじめだ。

与へる人のよろこびは与へられる人のさびしさとなる、もしほんたうに与へるならば、そしてほんたうに与へられるならば、能所共によろこびでなければならない。

与へられたものを、与へられたままに味ふ、それは聖者の境涯だ。-略-

※表題句には、自嘲一句、と註あり、この句の外、11句を記す

-四方のたより-「鎮魂と飛翔-大津皇子」二上山の章Scene.1

今日からは、折口信夫の「死者の書」を材にした、二部「二上山の章」。

「岩窟の人」
 常闇の世界
 埋葬された彼の人は
 大地の内蔵の中で
 ゆっくりとしたまどろみをつづける
 生きている死の眠り
 やがて、そのみ魂は
 黒の内密性のうちに立ちあがるのだ

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December 18, 2009

お正月の熊本を見おろす

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Information – 四方館の DANCE CAFE –’09 Vol.4-
出遊-二上山夢験篇-

あそびいづらむ-ふたかみやまゆめのあらはれへん-
Date :12/27 –Sun- PM2:30 Space : 弁天町市民学習センター

―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より-06-
1月2日、曇后晴、風、人、-お正月らしい場景となつた。

吉例によつて、お屠蘇とお雑煮だけは欠かさない、独り者にも春は来にけり、さても結構なお正月で御座います、午後になつて出かける、まづ千体仏へ、老師はお年始まはりで不在、つぎに茂森さん宅へ、ここも廻札でお留守、-歩くのが嫌になつて、人間がうるさくなつて、そのまま帰つて来た、夕方、思ひがけなく元坊来訪、今夜また馬酔木居で会合することを約束する、なにもご馳走するものがないから蜜柑をあげる、私はお雑煮やりそこなひの雑炊を食べて、ぶらぶら新市街の雑踏を歩いて、馬酔木さんを訪ねる、いろいろお正月の御馳走になる、十分きこしめしたことはいふまでもない、だいぶ遅くなつてSの店に寄つた、年賀状がきてはゐないかと思つて、-が、それがいけなかつた、彼女の御機嫌がよくないところへ、私が酔つたまぎれに言はなくてもいい事を言つた、とうとう喧嘩してしまつた、お互いに感情を害して別れる、ああ何といふ腐れ縁だらう! -略-

さきごろまでは何を食べても-水を飲んでさへも-塩つぽく感じたのに、けふこのごろは、何を食べても甘たらしく感じる、何の病気だらうか、しかし近来の私は健康である、今夜も馬酔木居で、肥えたといはれたが、なるほど、私は肥えた、手首を握つて見るに、今までにない大きさである。…

通信費が多いのには閉口する、ここへ移つてから、転居の通知やら、年始状やらで、もう葉書を150枚ぐらいは買ったらう、これではとてもやりきれない-生活費の3割以上を占めるようになる-、早く三八九を出して、それを利用したい。

※表題句の外、10句を記す

-四方のたより-「鎮魂と飛翔-大津皇子」磐余の章Scene.5

「挽歌」
万葉に姉大来皇女のうたう
「うつそみの人にあるわれや
    明日よりは二上山を弟世とわが見む」

 枯れた悲しみの底で 人群れが動く
 野辺の送り
 すべての風景が祈りを捧げる
 深淵のほとりで
 忍耐づよく 冷厳に 押し黙り
 ひたすら立ちつくす女

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December 17, 2009

元日の捨犬が鳴きやめない

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Information – 四方館の DANCE CAFE –’09 Vol.4-
出遊-二上山夢験篇-

あそびいづらむ-ふたかみやまゆめのあらはれへん-
Date :12/27 –Sun- PM2:30
Space : 弁天町市民学習センター

―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より-05-
1月1日、雨、可なり寒い。

いつもより早く起きて、お雑煮、数の子で一本、めでたい気分になつて、Sのところへ行き、年始状を受取る、一年一度の年賀状といふものは無用ぢやない、断然有用だと思ふ。

年始郵便といふものをあまり好かない私は、元日に年始状を書く、今日も50枚ばかり書いた、単に賀正と書いたのでは気がすまないので、いろいろの事を書く、ずゐぶん労れた。

※表題句の外、3句を記す

-四方のたより- 語りを<地>にして

こんどのDance cafeは、いつもとは些か趣向が異なる。
演奏者と踊り手がそれぞれに即興で掛け合うのが習いなのだが、このたびは折口信夫の「死者の書」から採った語り世界が挿入される。「死者の書」という古代の俤を伝える複式夢幻能ともいうべき特異な語りの世界が、いわば全体を通しての<地>ともなる訳だ。

その語り世界に対し、<図>ともなる音や踊りの即興は、どうありうるか。
言葉の世界というものは、否応もなく、観る者の想像力を限定してやまないものだから、音や踊りの演奏者が、<地>の語りに、どんなに即こうとまたどれほど離れようと、その関わりにおいてしか表現は成り立たない。ならば、演奏者たちは、語りの世界に即くことを意図するよりも、むしろ如何に遠離るか、如何に裏切るか、奔放に、自在に演ってもらったほうが、<地>と<図>、語り世界と演奏世界の対比、Dynamismが生まれてこようかと思われるのだが‥。

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December 16, 2009

今年も今夜かぎりの雨となり

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Information – 四方館の DANCE CAFE –’09 Vol.4-
出遊-二上山夢験篇

あそびいづらむ-ふたかみやまゆめのあらはれへん-
Date :12/27 –Sun- PM2:30 Space : 弁天町市民学習センター

―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より-04-
12月31日、曇つて寒い、暮れてからは雨になつた、今年もおしまひだ。

懐中に4銭しかない、3銭で入浴、1銭でヒトモジ一把、文字通りの無一物だ、いかに私でも-師走がない正月がない私でも困るので、夕方、寥平さんを訪ね、事情を明かして少し借りる、いや大いに掠める、寥平さんのすぐれた魂にうたれる。‥

見切の白足袋1足10銭、水仙1本2銭、そして酒1升1円也、-これで私の正月支度は出来た、さあ正月よ、やつてこい! -略-

寥平さんのおかげで、炊事具少々、端書60枚、其他こまごましたものを買ふ、お歳暮を持つて千体仏へ行く、和尚さんもすぐれた魂で私を和げてださった。

あんまり気が沈むから二三杯ひつかける、そして人が懐かしうなつて、街をふらつき、最後にSのところで夜明け近くまで話した-今夜は商店はたいがい徹夜営業である-、酔うて饒舌つて、年忘れしたが、自分自身をも忘れてしまつた。‥

それでは昭和5年よ、1930年よ、たいへんお世話になつた、各地の知友福寿長久、十方の施主災障消除、諸縁吉祥ならんことを祈ります。

※表題句の外、1句を記す

-四方のたより- 磐余の章Scene.4
「死の相聞」その2

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December 14, 2009

あんな夢を見たけさのほがらか

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Information – 四方館の DANCE CAFE –’09 Vol.4-
出遊-二上山夢験篇-

あそびいづらむ-ふたかみやまゆめのあらはれへん-
Date :12/27 –Sun- PM2:30
Space : 弁天町市民学習センター

―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より-03-
12月30日、風は冷たいけれど上々吉のお天気、さすがに師走らしい。

私は刻々私らしくなりつつある、私の生活も日々私の生活らしくなりつつある、何にしてもうれしい事だ、私もこんどこそはルンペンの足を洗ふことが出来るのだ。-略-

師走の人ごみにまじつて、ぶらぶら歩く、買ふ銭もなければ、あまり買ひたいものもない、あんまりのんきな師走の私かな。-略-

午前は元寛さん来訪、夜は馬酔木居往訪、三人で餅を焼いて食べながら話した、元寛さんは元寛さんのやうに、馬酔木さんは馬酔木さんのやうに、どちらともすぐれた魂を持ってゐられる。‥
元寛さんから餅と数の子を貰つた、ありがたかつた。

※表題句の外、17句を記す

-四方のたより- 磐余の章Scene.3

「死の相聞」その1
-書紀に曰く、妃山辺皇女、髪をふり乱して、すあしにして参り赴きて、殉に死ぬ。

女がひとり、走りきた
裳裾をひるがえし
蒼白な面は美しく 昂ぶりは極限にあった
空の高みで雷鳴が轟く
悲しみと憤怒の狂気
彼の人の死に 死をもって相聞した

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December 12, 2009

月の葉ぼたんへ尿してゐる

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―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より-02-
12月29日、晴、紺屋町から春日駅へ、小春日和の温かさ。
或る人へのたよりに、「‥ここへ移つて来てから、ほんたうにしづかな時間が流れてゆきます、自分自身の寝床-たとへそれはどんなにみすぼらしいものであつても-を持つていることが、こんなにも身心をおちつかせるかと、自分ながら驚いてをります。ちょうど、一茶が長年待ち望んでゐた家庭を持つた時のよろこびもこんなだつたらうと、ひとりで微苦笑を禁じえませんでした。‥」 -略-
ルンペンは一夜の契約だが、今の私は来年の15日までは、ここにゐることが出来る、米と炭と数の子と水仙と白足袋とを買つたら、それこそおめでたいお正月だ!-餅はすでに貰つた。酒も貰へるかも知れない、乞食根性を出すなよ-
三八九の原稿を書くのに、日記8冊焼き捨ててしまつたので困つた、しかし困つても、焼き捨てたのはよかつたらう、-過去は一切焼き捨てなければ駄目だから、-放下了也。

―四方のたより― 今年も歳末にDance Cafe
師走も、もう月半ばになろうとしている。
今年も歳末にDance Cafeを行う、最後の日曜日だ。
どんな趣向にしようかとあれこれ思ったが、私自身の拘りの強いものに照準をあてることにした。
という訳で、以下のような次第。

Information – 四方館の DANCE CAFE –’09 Vol.4-
出遊-二上山夢験篇-
Date :12/27 –Sun- PM2:30
Space : 弁天町市民学習センター
Admission Fee : ¥1,500

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December 11, 2009

どしやぶり、正月の餅もらうてもどる

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―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より
昭和5年12月28日から昭和6年2月5日に至る間の日記は、自筆ノートの表紙に三八九日記と注記されている。

12月28日、曇、雨、どしや降り、春日へ、そして熊本へ
もう三八九日記としてもよいだらうと思ふ、水が一すぢに流れるやうに、私の生活もしづかにしめやかになつたから。――

途上、梅二枝を買ふ、3銭、一杯飲む、10銭、そして駅で新聞を読む、ロハだ。

夕方から、元坊を訪ねる、何といふ深切だらう、Y君の店に寄る、Y君もいい人だ、I書店の主人と話す、開業以来27年、最初の最深の不景気だといふ、さうだらう、さうだらうが、不景気不景気で誰もが生きてゐる、ただ生きてゐるのだ、死ねないのだらう!

Sがお正月餅を一袋くれた、餡餅、平餅、栗餅、どれもこれもありがたくいただいた。元坊のところでも搗きたてのホヤホヤ餅をおいしく食べた。‥‥

寝床の中でつくづく考へる、――わたしは幸福な不幸人だ、恵まれた邪宗徒だ、私はいつでも死ねる、もがかずに、従容として! 私にはもうアルコールもいらない、カルチモンもいらない、ゲルトもいらない、‥‥やつぱりウソはウソだけれど、気分は気分だ。

※表題句の外、7句を記す

―四方のたより―">―四方のたより― 「刑死」その2

やっと頼まれごとが一段落、次の手配も了えて、さしあたりは本来の私事に戻れるようになったものの、頭の切り換えがどうもうまくないのは、この歳ゆえの、ちょっぴり溜まった疲れの所為か。

林田鉄、往年の仕事-「鎮魂と飛翔-大津皇子」磐余の章 Scene.2

この「刑死」その2の場面では、今は懐かしの久本勝巳とともに、この4年後だったか、大阪市議となった奥野正美君が語り手として姿を見せている。彼にとっては「走れメロス」-‘78-以来の、久しぶりの舞台だった筈だ。

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December 09, 2009

タドンあたゝたかく待つてゐてくれた

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―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、12月27日の稿に
12月27日、晴、もつたいないほどの安息所だ、この部屋は。

ハガキ40枚、封書6つ、それを書くだけで、昨日と今日とが過ぎてしまつた、それでよいのか、許していただきませう。
‥ようやく、おかげで。自分自身の寝床をこしらへることができました、行乞はウソ、ルンペンはだめ、‥などとも書いた。
前後植木畠、葉ぼたんがうつくしい、この部屋には私の外に誰だかゐるやうな気がする、ゐてもらひたいのではありませんかよ。
数日来、あんまり歩いたので-草鞋を穿いて歩くのには屈託しないが、下駄、殊に足駄穿きには降参降参-、足が腫れて、足袋のコハゼがはまらないやうになつた、しかし、それもぢきよくなるだらう。-略-

※表題句の外、3句を記す

―日々余話― 鬼の撹乱?

日曜-6日-の夜から、ある作業に没頭して徹夜のまま翌日の夕刻までかかずらってしまった挙げ句、なんとか夕食を済ませ、倒れ込むようにして眠り込んだまではよかったが、朝起きてみると、身体は怠いし、頭は重い‥。昼近くには、なんだか熱っぽくなって、ゾクゾク寒気がするようにまでなってしまった。連れ合い殿が帰ってきてから熱を計ってみたら8度3分。大事をとって昨夜は早々に蒲団にもぐり込んだのだった。
今朝、起きてみると、ちょっぴり寒気が残るものの、ほゞ熱は下がったらしく、どうやら新型インフルの心配はないようで、まずは一安心。
まあ、この歳になって無理をすれば、こんな仕儀にもなろうかというもの。鬼ならぬ身であれば、とかく心身の酷使は一過性の撹乱を引き起こすものと思い知るべし。

―四方のたより― 今は昔の‥

今は懐かしの往年の舞台から「鎮魂と飛翔-大津皇子」を紹介しよう。
‘83年の春、当時大阪音大の北野徹氏との共演を得て、パーカッションと現代舞踊の出会いと副題、大阪府芸術劇場の一演目として、府立労働会館Lシアターホールにて上演したもの。
磐余の章、二上山の章の、2章8場からなるが、参考までに、当時のパンフに掲載した「磐余と二上山」の一文を引いておく。

「現在の奈良県桜井市中西部から橿原市東南部にかけての地と考えられる磐余は由緒深い土地柄であった。
それは飛鳥以前の大和の中心的地点であったかもしれない。宮跡は影もかたちもない。もちろん礎石もころがっていない。昔は水都をかたちづくっていた磐余の池も干拓されていまはただの田畑である。飛鳥を古代の陽の部分とすれば、磐余は陰の部分だ。寥々とした悲しさがある。万葉びとの瞑い悲しさがある。

日本書紀によると、朱鳥元年-686-9月9日天武天皇崩御、持統天皇称制、つづいて10月2日大津皇子の謀反発覚、逮捕、3日大津皇子、訳語田-おさだ-の舎にて死を賜う。時に二十四、とある。当時、皇子大津は磐余の一隅、訳語田に生き、死んだのである。

飛鳥から西の方、信貴山から山が切れて亀瀬の峡谷となり、それから南へ低い丘がつづいてふたたび二の峰をもった二上山が高く立ちあがる。さらに南へと大和盆地と河内平野をさえぎっている葛城・金剛の山脈がつづき遠く紀州へと連なっていく。

二の峰のうち高くてまるいほうが雄岳、低いとがったほうが雌岳と呼ばれ、この雄岳の頂きちかく、非業の死を遂げた大津の墓がある。大和盆地から仰げばふたつの馬の背のように見え、雄岳と雌岳のあいだに沈む夕陽は荘厳であり、西方浄土を思わせる。報われずさまよう魂こそこの西方浄土に導かれていくべきだったのか。

中将姫の当麻曼荼羅で知られる当麻寺は、二上山東麓まるく盛りあがる麻呂子山の下にある。横佩の右大臣藤原豊成の娘と伝えられる中将姫は、天平年間に当麻寺へ入山し、生身の如来を拝することを誓願し、一夜にして蓮糸で曼荼羅を織りあげた、という。

折口信夫の想像力はこの二者を結びつけ架橋した。「死者の書」である。
作者の霊妙な招魂のわざによって、物語のなかに現実的な、あるいは夢幻の姿を現し登場する大津や中将姫の遊魂が、鎮められ昇華され、森厳なレクィエムとなって、古代びとの面貌を現前させ、古代を呼吸する稀有の一書を成している。」

林田鉄、往年の仕事-「鎮魂と飛翔-大津皇子」磐余の章より
「刑死」-大津皇子、謀反発覚として死を賜う、時に二十四。

なにもない
なにもない磐余の地
空のなかで鳥が死んだ
黒い獰猛な空から
黙って、残酷に
彼の人は墜ちた

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December 06, 2009

やつと見つけた寝床の夢も

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―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、12月26日の稿に
12月26日、晴、しづかな時間が流れる、独居自炊、いいね。

寒い、寒い、忙しい、忙しい-我不関焉!
これらの句は二三日来の偽らない実景だ、実景に価値なし、実情に価値あり、プロでもブルでも。

※表題句の外、7句を記す

―四方のたより― Sou Mon-相聞Ⅲ、その3-

今日のVideoは、2006年のAlti Buyoh Festival参加作品「Sou Mon-相聞Ⅲ-」のScene.3
小嶺由貴と末永純子によるImprovisation Duo、Piano演奏は杉谷昌彦。

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December 04, 2009

大地あたゝかに草枯れてゐる

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―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、12月25日の稿に
12月25日、晴、引越か家移か、とにかくここへ、春竹へ。

緑平さんの、元寛さんの好意によつて、Sのところからここへ移つて来ることが出来た。‥
だんだん私も私らしくなつた、私も私の生活らしく生活するやうになつた、人間のしたしさよさを感じないではゐられない、私はなぜこんなによい友達を持つてゐるのだらうか。

※表題句の外、2句を記す

-今月-11月-の購入本―
とうとう月を遅れての記載となってしまった。
読書の記録を「Book Diary」と題し、Excelに残すようになってちょうど5年、その間、490册を読んだことになるが、年平均に換算すれば100册に満たない。
買い置いたものの未だ読めぬまま積まれたものも、ずいぶんと嵩高くなったものだ。
そろそろ老い先を数えて生きる日々ならば、これから先、多きを求めても致し方あるまい。ゆったりと愉しむ三昧の境地になりたいものだ。

・西垣通「続 基礎情報学-「生命的組織」のために」NTT出版
情報-その本質は生命による「意味作用」であり、意味を表す記号同士の論理的関係や、メディアによる伝達作用はむしろ派生物にすぎない。言葉の意味はいかにして私の心から他者の心へ伝えられるか。意味内容が他者間をまるごとそっくり移動するなどほんとうに可能なのか。社会的コミュニケーションはいったいなぜ可能なのか。著者はHACS-階層的自律コミュニケーションシステム-に基づいて、「情報」そのものを根底から問い直すことから出発する。生命が、閉鎖的かつ自律的な「システム」であるとしてとらえ、その上で生命の「意味作用」を「情報」であると再認識した上で、生命/心/社会をめぐる情報現象を、統一的なシステム・モデルによって論じようとする。

・廣松渉「事的世界観への前哨-物象化論の認識論的=存在論的位相」ちくま学芸文庫
近代的世界像の抜本的な再検討とそれに代わるべき新しい世界観の構築が哲学の課題となってすでに久しい。本書はそれに応えるべく著された、近代的な世界了解の地平の、全面的な超克を目指した壮大な哲学的営為といえよう。まず、カント、マッハ、フッサール、ハイデッガーの哲学的核心部分を鋭く抉り出し、新しい世界観のための構図と枠組を示す。さらに近代科学的自然像がいかなる変貌を遂げてきたかを追認しつつ、相対性理論、量子力学の提起した認識論的=存在論的な問題次元を対自化し、「物的世界像から事的世界観」への推転を基礎づけた廣松哲学の代表的著作。勁草書房1975年刊を底本とした文庫版。

他に、広河隆一編集「DAYS JAPAN」2009/11月号、高橋悠治の「プレイズバッハ」とジムノペディの「サティ-ピアノ作品集」のCD2枚。

―図書館からの借本―
・大井玄「痴呆の哲学」弘文堂
副題に「ぼけるのが怖い人のために」とある。世界には老人の痴呆を当たり前のこととして受け入れる文化と、忌避する文化がある。人の「人格」は変化し続ける、人格の形成過程も完成期も崩壊過程-痴呆-もすべて「私」なのだ、他との関係性の中にのみ「私」は存在しているのだ。瞑想とは、意識から言葉を消す方法であり、座禅では、呼吸を意識し、空気と身体のつながりを感じ、自他の分離を消去すると、自己も消える。
著者は、「私はいのちを持つ」や「私は生きている」は間違っているとする。いのちが人格を選択するのだ、「いのちが私をする」あるいは「いのちがあなたとして現れている」が適切だという。生命が環境に適応するために生まれたのが精神なのだ、と。

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December 01, 2009

見すぎ世すぎの大地で踊る

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―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、12月24日の稿に
12月24日、雨、彷徨何里、今後もSの厄介、不幸な幸福か。

また清水村へ出かけてA家を訪問する、森の家を借るために、-なかなか埒があかない、ブルヂョアぶりも気にくはない、パンフレツトを出すのに不便でもある、-すつかり嫌になつて方々を探しまはる、九品寺に一室あつたけれど、とてもおちつけさうにない、それからまた方々を探しまはつて、もう諦めて歩いてゐると、春竹の植木畠の横丁で、貸二階の貼札を見つけた、間も悪くないし、貸主も悪くないので、さつそく移つてくることにきめた、といつて一文もない、緑平さんの厚情にあまえる外ない。

※表題句は、12月15日記載の句から

―四方のたより― Sou Mon-相聞Ⅲ、その2-

今日のVideoは、2006年のAlti Buyoh Festival参加作品「Sou Mon-相聞Ⅲ-」のScene.2
小嶺由貴と末永純子によるImprovisation Duo、Pianoの即興は杉谷昌彦。

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