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October 31, 2009

死ねない人の鈴が鳴る

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Information – CASO版/四方館 Performance
「二上山夢験」-ふたかみやまゆめのあらはれ-
折口信夫「死者の書」より
語り-林田鉄/舞い-末永純子/奏で-田中康之
10/31-SAT- PM7:00~

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、12月6日の稿に
12月6日、雨、福岡見物、彷徨5里、時雨亭居。

眼がさめて、あたりを見まはすと、層雲文庫の前だ、酒壺洞は寝たままでラヂオを聞いてゐる、私にも聴かせてくれる、今更ながら機械の力に驚かずにはゐられない、9時、途中で酒君に別れて、雨の西公園を見物する、それからまた歩きつづけて、名島の無電塔や飛行場見物、ちようど郵便飛行機が来たので、生れて初めて、飛行機といふものを近々と見た。

時雨亭さんは神経質である、泊るのは悪いと思つたけれど、やむなく今夜は泊めて貰ふ、酒壺洞君もやつて来て、12時頃まで話す。

今夜は朝のラヂオから夕の飛行機まで、すつかり近代科学の見物だつた、無論、赤毛布! いや黒合羽だつた!
時雨亭さんは近代人、都会人であることに疑いない、あまり神経がこまかくふるへるのが対座してゐる私の神経にもつたはつて、時々私自身もやりきれないやうに感じるけれど、やつぱり好意の持てる人である。

※表題句の「鈴」は-レイ-と訓む、外17句を記す

Casocandle

Information-土曜の夜-10/31-は、Candle Night Performance

絵画・造型、写真、音楽、舞踊、演劇
多ジャンルの多彩な顔ぶれが集合
CASOにおける「デカルコマニィ的展開/青空」展
野外篇パフォーマンス
When?-10.31-SAT- PM8:00~PM8:45
Where?-CASOのある海岸通散歩道埠頭広場にて

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October 29, 2009

十二月の風も吹くにまかさう

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Information - CASOにおける「デカルコマニィ的展開/青空」展

「土曜の夜-10/31-は、Candle Night Performance」
絵画・造型、写真、音楽、舞踊、演劇
多ジャンルの多彩な顔ぶれが集合
CASOにおける「デカルコマニィ的展開/青空」展の
野外篇パフォーマンス
When?-10.31-SAT- PM8:00~PM8:45
Where?-CASOのある海岸通散歩道埠頭広場にて

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、12月5日の稿に
12月5日、曇、時雨、行程3里、福岡市、句会、酒壺洞居。

お天気も悪いし、気分もよくないので、一路まつすぐに福岡へ急ぐ、12時前には、すでに市役所の食堂で、酒壺洞君と対談することが出来た、-略-、退庁まではまだ時間があるので、後刻を約して札所めぐりをする、九州西国第三十二番龍宮寺、第三十一番は大乗寺、どちらも札所としての努力が払つてない、もつと何とかしたらよささうなものだと思ふ。

夜は酒壺洞居で句会、時雨亭さん、白楊さん、鳥平さん、善七さんに逢つて愉快だつた、散会後、私だけ飲む、寝酒をやるのは良くないのだけれど。‥

さすがに福岡といふ気がする、九州で都会情調があるのは福岡だけだ-関門は別として-、街も人も美しい、殊に女は! 若い女は! 街上で電車切符売が多いのも福岡の特色だ。

存在の生活といふことについて考へる、しなければならない、せずにはゐられないといふ境を通つて来た生活、「ある」と再認識して、あるがままの生活、山是山から山非山を経て山是山となつた山を生きる。‥

-略-、ただこの二筋につながる、肉体に酒、心に句、酒は肉体の句で、句は心の酒だ、‥この境地からはなかなか出られない。‥

※表題句の外、21句を記す

―四方のたより― おいそが氏、昨日・今日

昨日の午後は、河内長野のラブリーホールへ、車でちょうど1時間。用向きは、茶谷祐三子が出演する「亜細亜RONDO」の打合せだったが、一時間ほどで了るとみていた此方の目算が外れて、帰宅が6時半になってしまった。

その所為で泣きべそをかく羽目になったのがKAORUKO。この日初めて鍵っ子体験をさせたわけだが、「5時に帰るから」と書置きしておいたのに、一時間半も遅くなったのだから、そりゃさぞかし心細かったにちがいない。帰路の家も近づいた頃に電話を入れたら、私の声を聞くなり泣き出していた。

今朝は先ず、大阪府議会が85億円で買取りを決議したばかりのWTCへ。市港湾局が39~41階に入っており、先日来手続きしていた、土曜日の埠頭使用許可証を貰うためだったのだが、地上55階建、高さ256mで、総事業費1193億円をかけた超高層ビルも、’95年の竣工からわずか14年、85億という安値で売り飛ばされるかと思えば、なんだか妙な感懐を覚えつつ、エレベータの窓外からの風景を眺めたものだ。

その後は待ち合せていたCASOへ。二時間ばかりビラ配布に精を出したのだが、24℃の陽光の元ではすぐにも汗ばむほどで、ちょっぴり疲れた。

CASOでは2時頃、大竹徹さんの演奏で、高島明子が踊るのを観た。どうやらシチュエーションを想定しているものと覗えるが、その所為であろう、動きが身振り的レベルで終始している。動きがそれ自身動きを紡ぎ出すように、もっと踊って欲しいものだが‥。

昨日に続いて子どもを鍵っ子にさせるわけにはいかないから、一旦帰宅して、夕刻から、今度はKAORUKOを連れて、本日二度目のCASO推参。

6時30分からの森島Ekoや井下ヒデらによる「ダンス&能管のコラボ!」は、CASO玄関前でのPerformanceとなった。踊り手は7人、ほぼ振付構成されたもの、管理者側からのクレームで止むなく屋外に出たのだが、踊りとしては夜景を取り込めて、かえってそのほうがよかっただろう。演奏メンバーが充実していたのに、彼らのSessionがノリきらぬままに踊りが終わってしまったのは、いかにも勿体ない。こういう場合、前もって描き込まれたものがそれまでであったとしても、endを決め込まずに、ノリに委せる柔軟さが欲しい。あと10分とはいわぬまでも、最低5.6分は、演奏とのSessionを愉しんで貰いたい。

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October 27, 2009

また逢ふまでの霜をふみつつ

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Information – CASO版/四方館 Performance

「二上山夢験」-ふたかみやまゆめのあらはれ-
折口信夫「死者の書」より
語り-林田鉄/舞い-末永純子/奏で-大竹徹・田中康之
10/31-SAT- PM7:00~

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、12月4日の稿に

12月4日、晴、行程6里、汽車でも6里、笹栗町、新屋。
冷たいと思つたら、霜が真白だ、霜消し酒をひつかけて別れる、引き留められるままに次良居4泊はなんぼなんでも長すぎた。

11時の汽車に乗る、乗車券まで買つて貰つてほんたうにすまないと思ふ、そればかりぢやない、今日は行乞なんかしないで、のんきに歩いて泊まりなさいといつて、ドヤ銭とキス代まで頂戴した、-略-

次良さんよ、幸福であつて下さい、あんたはどんなに幸福であつても幸福すぎることはない、それだのに実際はどうだ、次良さんは商売の調子が良くないのである、日々の生活も豊かでないのである。-略-

此宿はよくない、お客さんは私一人だ、気儘に読んだり書いたりすることが出来たのは勿怪の幸だつたが。
さみしいなあ-ひとりは好きだけれど、ひとりになるとやつぱりさみしい、わがままな人間、わがままな私であるわい。

※表題句の外、16句を記す

―四方のたより― CASO週間の幕開け

兪々、CASOにおける「デカルコマニィ的展開/青空」展が、幕を開けた。
今日はPM5:00頃から、小嶺由貴がデカルコ・マリィと踊っている筈だ。

私は、夕刻からはインド舞踊の茶谷祐三子の稽古に付合うと約していたので、昼間に冷やかし気味のお邪魔をしてきた。今回は作品を出品している松石君も顔を出していた。

「2時過ぎに帰らなくちゃならないから」と言ったら、デカルコ・マリィが「それじゃ」と、帰る間際に、短い時間ながら踊って観せてくれた。相変わらずのサービス精神、これが彼の真骨頂だ。

なにより関係者自身がそれぞれに、この一週間を愉しめばいい、そういうイベントだ。

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October 26, 2009

雑巾がけしてる男の冬

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Information-土曜の夜-10/31-は、Candle Night Performance

絵画・造型、写真、音楽、舞踊、演劇
多ジャンルの多彩な顔ぶれが集合
CASOにおける「デカルコマニィ的展開/青空」展の
野外篇パフォーマンス
When?-10.31-SAT- PM8:00~PM8:45
Where?-CASOのある海岸通散歩道埠頭広場にて

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、12月3日の稿に
12月3日、晴、一日対座懇談、次良居滞在。

今日は第48回目の誕生日だつた、去年は別府附近で自祝したが、今年は次良さんが鰯を買つて酒を出してくださつた、何と有難い因縁ではないか。-略-

ポストへ行く途上、若い鮮人によびとめられた、きちんとした洋服姿でにこついてゐる、そしておもむろに、懐中時計を買はないかといふ、馬鹿な、今頃誰がそんな詐欺手段にのせられるものか、-しかし、彼が私を認めて、いかさま時計を買ふだけの金を持つてゐたと観破したのならば有難い、同時にさういふイカサマにかかる外ない男として、或は一も二もなくさういふものを買ふほどの-世間知らず!の-男と思つたのならば有難くない。

夜は無論飲む、次良さん酔うて何も彼も打ち明ける、私は有難く聴いた、何といふ真摯だらう。
※表題句の外、5句を記す

―四方のたより― 歩々到着

昨日、CASOのある築港界隈を歩いた、ビラを持って、AyaちゃんとKAORUKOを連れて。
午後になる頃を見計らって、「みなアート会」を主導されていると聞く、築港温泉の店主、福田さんを訪ねた。
一見の不躾な訪問にもかかわらず、2階の広い居間に3人を招じ入れて、丁重に応接して下さった。

ほぼ私と同年配、2歳くらい上かなと思われるこの街場の銭湯を営む主人は、意想外のダンディな御仁であった。いわゆる趣味人であることが、細身の身体を上下のジーンズで包んだその風采や物腰、会話の様子から匂い立つ。

港区の街場の人々には、かなり広く見知ってきたつもりだったが、まだまだ狭いと、つくづく感じさせられた遭遇であった。

人は、やはり、よく歩かねばならない、といまさら思いいたる。
歩けばこそ、日々、いたるところ、歩々到着があるというものだ。

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October 24, 2009

猫もいつしよに欠伸するのか

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Information – CASO版/四方館 Performance
「二上山夢験」-折口信夫「死者の書」より
語り-林田鉄/舞い-末永純子/奏で-大竹徹・田中康之
10/31-SAT- PM7:00~

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、12月2日の稿に
12月2日、曇、何をするでもなしに、次良居滞在。

毎朝、朝酒だ、次良さんの行為をありがたく受けてゐる、次良さんを無理に行商へ出す、私一人猫一匹、しづかなことである、夜は大根膾をこしらへて飲む、そして遅くまで話す。-略-

或る友に与へて-
私はいつまでも、また、どこまでも歩きつづけるつもりで旅に出たが、思ひ返して、熊本の近在に草庵を結ぶことに心を定めた、私は今、痛切に生存の矛盾、行乞の矛盾、句作の矛盾を感じてゐる、‥私は今度といふ今度は、過去一切-精神的にも、物質的にも-を清算したい、いや、清算せずにはおかない、すべては過去を清算してからである、そこまでいつて、歩々到着が実現せられるのである、‥自分自身で結んだ草庵ならば、あまり世間的に煩はされないで、本来の愚を守ることが出来ると思ふ、‥私は歩くに労れたといふよりも、生きるに労れたのではあるまいか、一歩は強く、そして一歩は弱く、前歩後歩のみだれるのをどうすることも出来ない。‥

※表題句の外、19句を記す

―日々余話― 朱の海と、彷徨える山頭火

この数日、ゆっくり新聞を読む暇がない、ニュースを見る時間もない、もちろん読書からも遠離っている。時ならぬ閑中忙?である。

そそくさと拾い読みした昨日の朝刊、丹砂-水銀朱-で赤く塗り込められた、桜井市にある茶臼山古墳の石室の模様が報じられていたが、この水銀朱の使用量が200㎏に相当するという破格のものらしい。丹は、道教でいえば、不老長寿の仙薬、始皇帝の墓にはこの朱色の海があるという史記の故事もある。3世紀末から4世紀初頃とされる茶臼山古墳にも、規模の彼我はあれど、その石室一面に朱色の海がひろがっていた、というのは驚き。

こうして、山頭火の行乞記を追って綴っていると、彼のバイオリズムといったものがほの覗えてくる。句作の知人・友人たちの歓待にしばしのやすらぎを得ては、却って一所不在の徹底が揺らぎだし、自身の矛盾撞着が露呈してくる。自ら草庵を結び、孤高に生きんとする理想形に執着する念が、どうしても頭を擡げてくる。

山頭火は、この後、月末にも、別れたサキノも居る、長年親しみ住んだ熊本市内に「三八九居」を構えることとなるが、わずか半年ほどで、おのれの甘さゆえ、またも取り返しのつかない失態を演じては、窮地に追い込まれ、挙げ句の果て、新しい草庵を求めて、またも旅に出る。

彼が、生まれ育った故郷近くの小郡に、ようやく「其中庵」と名づけられた安住の地を得たのは、昭和7年9月のことである。

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October 23, 2009

捨炭車ひとりで上下する月の捨炭山

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Information-土曜の夜-10/31-は、Candle Night Performance
絵画・造型、写真、音楽、舞踊、演劇
多ジャンルの多彩な顔ぶれが集う
「青空展」番外篇パフォーマンス
When?-10.31-SAT- PM8:00~PM8:45
Where?-CASOのある海岸通散歩道埠頭広場にて

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、12月1日の稿に
12月1日、曇、次良居滞在、読書、句作、漫談、快飲、等々。

次良さんは今日此頃たつた一人である、奥さんが子供みんな連れて、母さんのお見舞に行かれた留守宅である、私も一人だ、一人と一人とが飲みつづけ話しつづけたのだから愉快だ。

猫が一匹飼うてある、きいといふ、駆け込み猫で、おとなしい猫だ、あまりおとなしいので低脳かと思つたら、鼠を捕ることはなかなかうまいさうな、能ある猫は爪をかくす、なるほどさうかも知れない。

※表題句は、捨炭車-スキップ、捨炭山-ボタ山、と読む。外4句を記す

―四方のたより― 土曜日の夜は‥

日時が切迫していてずいぶん慌ただしい交渉だが、波止場の使用許可も間に合わせて貰えそうだ。

海岸通のCASOの「青空展」の一週間、27日の火曜日からはじまるが、その週末、土曜日の夜は、キャンドルナイトのパフォーマンス。

この日、MusicianとDancerたちだけでもおそらく20人は集うだろう。祭りの後の仲間内の愉しいイベントといった乗りでいいのだが、折角やるのだから、少しは付近住民もターゲットにしてみたいと思う。

CASOのあるこの辺りは、海岸通散歩道といって臨港緑地として整備されている。
聞けば「天保山みなアート」なる街興し人興しのNPOが、今年の6月、赤レンガ倉庫裏の広い波止場で、市民参加型の「発光みなアート」と題したイベントをやったそうな。

そんな前例があるのなら、住民も少しは反応があるかも。そんな淡い期待も込めて、時間もなくてやっつけながら、ちょいと遊んでみよう。

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October 21, 2009

笠も漏りだしたか

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Information – CASO版/四方館 Performance
「二上山夢験」-折口信夫「死者の書」より
語り-林田鉄/舞い-末永純子/奏で-大竹徹・田中康之
10/31-SAT- PM7:00~

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月30日の稿に
11月30日、雨、歓談句作、後藤寺町、次良居

果たして雨だつた、あんなにうららかな日がつづくものぢやない、主人公と源三郎さんと私と三人で一日話し合ひ笑ひ合つた、気障な言葉だけれど、恵まれた一日だつたことに間違はない。

夕方、わかれわかれになつて、私はここへきた、そして次良さんのふところの中で寝せてもらつた、昨夜の約束した通りに。

飲みつづけ話しつづけた、坐敷へあがると、そこの大机には豆腐と春菊と蜜柑と煙草とが並べてあつた、酒の事はいふだけ野暮、殊に私は緑平さんからの一本を提げてきた、重かつたけれど苦にはならなかつた、飲むほどに話すほどに、二人の心は一つとなつた、酒は無論うまいが、湯豆腐はたいへんおいしかつた。-略-

※表題句の外、17句を記す

―四方のたより― CASO版 Performance

CASOにおける「デカルコマニィ的展開/青空」展も、いよいよ来週の火曜日から幕を開ける。
四方館としては、土曜日-10/31-の午後7時から、ちょいと登場させて貰おうと思っている。この際、私自身が今一番やってみたいことを、不消化を承知で出してみることにした。

題して「二上山夢験」、
折口信夫の「死者の書」を引っ張り出してきて、語り用にまとめてみた。

もう一つ、急に思い立って、いま仕掛けていることがある。
ギャラリーCASOは海岸通りにあるのだし、折角アーティストたちが大勢集まるこの機会、会場傍の赤レンガ倉庫裏の広い波止場を使って、みんなでキャンドル・ナイト・ショーと洒落込んで、お客さんたちに楽しんで貰おうと、そんな算段。

但し、この企画には、埠頭のこととて管轄-市港湾局-の使用許可が要る。OKが取れるか否か、一両日中にもはっきりするだろう。

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October 19, 2009

ボタ山のまうへの月となつた

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Information - CASOにおけるデカルコマニィ的展開「青空」展

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月29日の稿に
11月29日、晴、霜、伊田行乞、緑平居、句会

大霜だつた、かなり冷たかつた、それだけうららかな日だつた、うららかすぎる一日だつた、ゆつくり伊田まで歩いてゆく、そして3時間ばかり行乞、-略-

行乞は雲のゆく如く、水の流れるやうでなければならない、ちよつとでも滞つたら、すぐ紊れてしまふ、与へられるままで生きる、木の葉の散るやうに、風の吹くやうに、縁があればとどまり縁がなければ去る、そこまで到達しなければ何の行乞ぞやである、やつぱり歩々到着だ。

-略-、枯草の上で、老遍路さんとしみじみ話し合つた、何と人なつかしい彼だつたろう、彼は人情に飢えてゐた、彼は老眼をしばたいてお天気のよいこと、人の恋しいこと、生きてゐることのうれしさとくるしさとを話しつづけた、-果たして私はよい聞手だつたらうか-

夜は緑平居で句会、門司から源三郎さん、後藤寺から次良さん、4人の心はしつくり解け合つた、句を評し生活を語り自然を説いた。

真面目すぎる次良さん、温情の持主ともいひたい源三郎さん、主人公緑平さんは今更いふまでもない人格者である。

源三郎さんと枕をならべて寝る、君のねむりはやすらかで、私の夢はまどかでない、しばしば眼ざめて読書した。

日が落ちるまへのボタ山のながめは、埃及風景のやうだつた、とでもいはうか、ボタ山かピラミツドか、ガラ炭のけむり、たさがれる空。

オコリ炭、ガラ炭、ボタ炭、ビフン炭-本当のタドン-、等、等、どれも私の創作慾をそそる、句もだいぶ出来た、あまり自信はないけれど。

※表題句の外、28句を記す

―表象の森― ちぎれぐも、何処へゆく

一昨日-土曜-の夜、はて3年ぶりかあるいは4年ぶりか、「犯友-HANTOMO-」の野外劇「ちぎれぐも」を観に、難波宮跡地の公園へと出かけた。

久し振りに観た犯友芝居を辛口に評すなら、以前に比べて、役者群の総力が落ちてきたな、という慨嘆をどうにも禁じ得ない、先ずこのことに触れざるを得ない。戯作と演出を一手に引き受けつづける武田一度君の劇作法は、役者一人ひとりへのあてこみともいえる人物描写と、自家薬籠中となった演出技法とが一体化しており、それがある種いい意味でのマンネリズムを生み出してもいるのだが、それにしても中軸となりうる数人の役者と脇の役者群における力量の落差がちょっと大きすぎるという点が、見逃しきれぬ負材料となってしまっている。

武田一度の役者育て、役者のつくり方は、昔から一貫したものを有しており、素材のキャラを活かしながら、それぞれ独自の型へと架橋していくあり方そのものは、そういう手法があってもいいのだが、その前段に発声なり滑舌なりまた動きなり、最低限の基本技を日常的な訓練としてもう少し課していってもらいたいと思う。

その武田独自の役者育てで、主演を張る女優彩葉の演技はずっと造られてきているのだが、これくらいのキャリアを積んでくると、さすがに私もこのあたりで注文をつけたくなってしまう。啖呵芝居ともいえる彼女の演技の型に、もっと柔軟さが欲しい、軽さやしなやかさを望みたいのだ。そういったものから匂い立つような色香が解き放たれてこようと思うのだが、このままではそんな期待も望めそうもない、いまや彼女の啖呵芝居は凝り型ともなってきており、厚い壁の存在がどうも露わになってきた、そんな気がするのだ。

ある造型が成ったとき、その粘土の含む水分がほぼ気化して固形化するものだが、その形を些かなりとも変えるとなると、水をやって粘土を柔らかくしてやらなければどうにもならないが、その粘土と水のようなもので、たえず素材としての粘土へとたちもどさせる水分の役割を、日常の稽古の現場でどう保証しているのか、このあたりが武田君の役者育てに欠けたる部分ではないか、と推察されるのだが‥。

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October 18, 2009

谺谺するほがらか

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Information – 四方館のWork Shop

四方館の身体表現 -Shihohkan’s Improvisation Dance-
そのKeywordは、場面の創出。
場面の創出とは
そこへとより来たったさまざまな表象群と
そこよりさき起こり来る表象群と、を
その瞬間一挙に
まったく新たなる相貌のもとに統轄しうる
そのような磁場を生み出すことである。

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月28日の稿に
11月28日、晴、近郊探勝、行程3里、香春町

昨日もうららかな日和であつたが、今日はもつとほがらかなお天気である、歩いてゐて、しみじみ歩くことの幸福を感じさせられた、明夜は句会、それまで近郊を歩くつもりで、8時緑平居を出る、どうも近来、停滞し勝ちで、あんまり安易に狎れたやうである、一日歩かなければ一日の堕落だ、-略-

朝霧にほんのりと浮びあがる香春、一ノ岳二ノ岳三ノ岳の姿にもひきつけられた、ボタ山が鋭角を空へつきだしてゐる形もおもしろい、-略-

街を出はづれて、高座寺へ詣る、石寺とよばれてゐるだけに、附近には岩石が多い、梅も多い、清閑を楽しむには持つてこいの場所だ、散り残つてゐる楓の一樹二樹の風情も捨てがたいものだつた、-略-

一浴一杯、それで沢山だつた、顔面頭部の皮膚病が、孤独の憂鬱を濃くすることはするけれど。
※表題句の外、10句を記す

―表象の森― サティの音に即く

先週と今週-今日-の稽古では、高橋悠治が演奏する「サティ=ピアノ作品集3」を使って、音の刺戟に対して即くこと-音の変化転調に即応した動きの紡ぎ出し-を試みている。

このCDは「四手のためのピアノ作品集」と副題されており、ジャン・コクトーのテーマにもとづくバレエ音楽「パラード」や「梨の形をした3つの小品」、「不愉快な感じ」、「風変わりな美女-真面目な幻想-」を収録している。

その調性から外れた自由な音の連なりは、大胆な転調をいたるところに生じさせているから、その変化に即いて動きを紡ぎ出すことなど、従来の我々のWorkshopでは大きく反対の極に振れた要請ということになるから、動き手のほうは大変だ。まず呼吸の対応がどうしても瞬間的に激しくなるから、身体への負荷がまるで違ってくる。当然、動きのリズム変化も振幅の激しいものになるので、瞬間のDynamism-身体の瞬発力と即応性-がつねに準備されていなければならない。

これは、Improvisation Danceの前・準備的Workとして、かなり有効な手続きだ。今日のJunkoなど、動きのContinuityが普段見られぬほどの豊かさをみせて面白くなっていたが、そのことを指摘してみても、本人はまるで自覚がないといった躰で、ちょっと腑に落ちないというふうだった。その訳は、踊るときの本人の意識なり感覚が、いつもとは異なってやけにcoolで醒めていたからだ。この主観評価と客観評価の乖離を克服していくことが課題となるが、彼女自身、このあたりのことがどうも苦手とみえる。

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October 17, 2009

夕日の机で旅のたより書く

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Information - CASOにおけるデカルコマニィ的展開「青空」展

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月27日の稿に
11月27日、晴、読書と散歩と句と酒と、緑平居滞在

緑平さんの深切に甘えて滞在することにする、緑平さんは心友だ、私を心から愛してくれる人だ、腹の中を口にすることは下手だが、手に現はして下さる、そこらを歩いて見たり、旅のたよりを書いたりする、奥さんが蓄音機をかけて旅情を慰めて下さる、――ありがたい一日だつた、かういふ一日は一年にも十年にも値する。

夜は二人で快い酔にひたりながら笑ひつづけた、話しても話しても話は尽きない、枕を並べて寝ながら話しつづけたことである。

糸田風景のよいところが、だんだん解つてきた、今度で緑平居訪問は4回であるが、昨日と今日とで、今まで知らなかつたよいところを見つけた、といふよりも味はつたと思ふ。

※表題句の外、9句を記す

―表象の森― 空中Performanceのお好きな芸術祭

メルボルン国際芸術祭が今月9日から24日まで開催されているが、このフェスティバル、ずいぶんとサーカスまがいの空中ショーがお好きなようで、そのオープニングイベントの模様が話題を呼んでいる。

写真はその一部だが、これを演じているのはフランスの劇団「Transe Express」で、ドラマやオーケストラの要素にアクロバットを取り込んだ表現として考案されたものらしい。詳しくは「Melbourne International Art Festival」公式サイトで見られる。とくに空中Performanceについては-FREE EVENT-の項をクリックすれば20枚近い写を見られるから、まあ一度ご覧じろ、理屈抜きに愉しめることは請合いだ。

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October 15, 2009

ボタ山の下でまた逢へた

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Information – 四方館のWork Shop

四方館の身体表現 -Shihohkan’s Improvisation Dance-
そのKeywordは、場面の創出。

場面の創出とは
そこへとより来たったさまざまな表象群と
そこよりさき起こり来る表象群と、を
その瞬間一挙に
まったく新たなる相貌のもとに統轄しうる
そのような磁場を生み出すことである。

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月26日の稿に
11月26日、晴、行程8里、半分は汽車、緑平居-うれしいといふ外なし-

ぐつすり寝てほつかり覚めた、いそがしく飲んで食べて、出勤する星城子さんと街道の分岐点で別れる、直方を経て糸田へ向ふのである、歩いてゐるうちに、だんだん憂鬱になつて堪へれないので、直方からは汽車で緑平居へ驀進した、そして夫妻の温かい雰囲気に包まれた。‥‥

昧々居から緑平居までは歓待優遇の連続である、これでよいのだらうかといふ気がする、飲みすぎ饒舌りすぎる、遊びすぎる、他の世話になりすぎる、他の気分に交りすぎる、勿躰ないやうな心持になつてゐる。

山のうつくしさよ、友のあたたかさよ、酒のうまさよ。
今日は香春岳のよさを観た、泥炭-ボタ-山のよさをも観た、自然の山、人間の山、山みなよからざるなし。

駅で、伊豆地方強震の号外を見て驚いた、そして関東大震災当時を思ひ出した、そして諸行無常を痛感した、観無常心が発菩提心となる、人々に幸福あれ、災害なかれ、しかし無常流転はどうすることも出来ないのだ。

緑平居で、プロ文士同志の闘争記録を読んで嫌な気がした、人間は互いに闘はなければならないのか、闘はなければならないならば、もつと正直に真剣に闘へ。

此の二つの記事が何を教へるか、考ふべし、よく考ふべし。

※表題句の外、16句を記す

-表象の森- ダ・ヴィンチの絵?

従来は19世紀ドイツ人画家の作品とされてきたルネサンス期の女性の横顔を描いた絵-縦33cm×横23cm-が、実はレオナルド・ダ・ヴィンチの絵だった、と話題を呼んでいる。

科学的な根拠は絵の左隅に残された指紋が、ダ・ヴィンチのものと極めて酷似しているのだという。彼の指紋はバチカン美術館にある絵画「聖ヒエロニムス」に残されており、これとほぼ合致。さらに放射性炭素年代測定によれば、15~17世紀に制作されたものと判定されており、ダ・ヴィンチの絵であるのはほぼ間違いあるまいというのだ。描かれている横顔の女性は、当時ダビンチの後援者だったミラノのルドビコ・スフォルツァ公の娘の可能性が高いと、そんな説も唱えられている。

これがほんとうにダ・ヴィンチの作品となれば、1億Euro-133億円-以上の価値にもなろうというのだから、時ならぬ騒ぎとなるのも無理はない。無理はないのだけれど、画面で覗えるかぎりこの絵、人物はともかく、その背景は粗書きのままのようで、未完の習作ではなかったかとも思われる。

この騒ぎに、地下に眠るダ・ヴィンチ先生、ひょっとすると迷惑顔をしているやもしれない。

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October 13, 2009

まつたく裸木となりて立つ

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Information - CASOにおけるデカルコマニィ的展開「青空」展

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月25日の稿に
11月25日、晴、河内水源地散歩、星城子居、雲関亭、四有三居

ほがらかな晴、俊和尚と同行して警察署へ行く、朝酒はうまかつたが、それよりも人の情がうれしかつた、道場で小城氏に紹介される、氏も何処となく古武士の風格を具へてゐる、あの年配で剣道六段の教士であるとは珍しい、外柔内剛、春のやさしさと秋のおごそかとを持つ人格者である、予期しなかつた面接のよろこびをよろこばずにはゐられなかつた、稽古の済むのを待つて、四人-小城氏と俊和尚と星城子とそして私と-うち連れて中学校の裏へまはり、そこの草をしいて坐る、と俊和尚の袖から般若湯の一本が出る、殆ど私一人で飲みほした-自分名ながらよく飲むのに感心した-、-略-

河内水源地は国家の経営だけに、近代風景として印象深く受け入れた-この紀行も別に、秋ところどころの一節として書く-、帰途小城さんの雲関亭に寄つて夕飯を饗ばれる、暮れてから四有三居の句会へ出る、会する者十人ばかり、初対面の方が多かつたが、なかなかま盛会だつた-私が例の如く笑ひ過ぎ饒舌り過ぎたことはいふまでもあるまい-、12時近く散会、それからまたまた例の四人でおでんやの床几に腰かけて、別れの盃をかはす、みんな気持よく酔つむて、俊和尚は小城さんといつしょに、私は星城子さんといつしよに東と西へ、-私は
ずゐぶん酔つぱらつてゐたが、それでも、俊和尚と強い握手をして、さらに小城さんの手をも握つたことを覚えてゐる。

※表題句の外、13句を記す

―世間虚仮― 繁昌亭の繁昌

天満天神の繁昌亭が、文字どおり繁昌しているそうな。建設資金の殆どが市民らの寄付カンパで成った落語の定席小屋だし、06年9月の杮落し以来、ずっと続いているというその盛況ぶりは喜ばしい限りだし、このほど累積入場者数も50万人を超えたと、結構なニュースである。

この間、通算100回目の来場を果たした剛の者がおり、この御仁に感謝状が贈られた、ともあるのだが、この剛の者が堺市役所の職員と書かれてあるのを見るに及んで、途端に興醒め。そりゃ好きで通いつめた結果ではあろうが、その御仁がなんだよ公務員かい、時間もあれば金銭にもゆとりあり、まことに結構な身分でございますな、と外野から半畳も入れたくなろうというものだ。

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October 12, 2009

逢ひたうて逢うてゐる風

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Information – 四方館のWork Shop

四方館の身体表現 -Shihohkan’s Improvisation Dance-
そのKeywordは、場面の創出。

場面の創出とは
そこへとより来たったさまざまな表象群と
そこよりさき起こり来る表象群と、を
その瞬間一挙に
まったく新たなる相貌のもとに統轄しうる
そのような磁場を生み出すことである。

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月24日の稿に
11月24日、曇、雨、寒、八幡市、星城子居

今日も亦、きちがい日和だ、裁判所行きの地橙孫君と連れ立つて歩く、別れるとき、また汽車賃、弁当代をいただいた、すまないとは思ふけれど、汽車賃はありますか、弁当代はありますかと訊かれると、ありませんと答へる外ない、おかげで行乞しないで、門司へ渡り八幡へ飛ぶ、やうやく星城子居を尋ねあてて腰を据える、星城子居で星城子に会ふのは当然だが、俊和尚に相見したのは意外だつた、今日は二重のよろこび-星氏に会つたよろこび、俊氏に会つたよろこび-を与へられたのである。-略-

ずゐぶんおそくまで飲みつづけ話しつづけた、飲んでも飲んでも話しても話しても興は尽きなかつた、それでは皆さんおやすみ、あすはまた飲みませう、話しませう-虫がよすぎますね! -略-

省みて、私は搾取者ぢやないか、否、奪掠者ぢやないか、と恥ぢる、かういふ生活、かういふ生活に溺れてゆく私を呪ふ。‥
芭蕉の言葉に、わが句は夏炉冬扇の如し、といふのがある、俳句は夏炉冬扇だ、夏炉冬扇であるが故に、冬炉夏扇として役立つのではあるまいか。
荷物の重さ、いひかへれば執着の重さを感じる、荷物は少なくなつてゆかなければならないのに、だんだん多くなつてくる、捨てるよりも拾ふからである。

八幡よいとこ-第一印象は、上かんおさかなつき一合十銭の立看板だつた、そしてバラツク式長屋をめぐる煤煙だつた、そして友人の温かい雰囲気だつた。

※表題句の外、14句を記す

―四方のたより― ヤレヤレ、無事終了

松浦ゆみのDinner Show、大過なくまずまず賑やかなうちに終了、なにはともあれお疲れさんだ。

なにしろ専属のマネージャーも居なくて、いつも歌手本人が独りきりで手売り、それで成り立っているのだから、いざとなると制作面から演出面やProgramの進行まで此方にかかってくる。本番の日ともなると、実際いっさいの仕切りが此方の役回りとなるのだから、よほど草臥れるものである。

とはいうものの、エンタテイメントとしての彼女は大したもの、これだけの仕掛けを独りで発信し且つ独りで手配もしているのだから、なかなかようやるものだ。しかも、歌は演歌からPopsまでなんでもこなして、しかもかなり上手いときている。関西に居る所為でなかなか有名歌手にはなれないが、いつもながらえらいもんだと感心させられる。
もうひと伸び、ふた伸び、成るか成らないか、彼女もいよいよ正念場といったところなのだろう。業界からは門外漢でしかない私などには、まああまりしてやれることはないのだけれど‥。

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October 11, 2009

雨の一日一隅を守る

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Information - CASOにおけるデカルコマニィ的展開「青空」展

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月23日の稿に
11月23日、曇、時雨、下関市、地橙孫居

相変わらずの天候である、浅野関門海峡を渡る、時雨に濡れて近大風景を観賞する、舳の尖端に立つて法衣を寒風に任した次第である、多少のモダーン味がないこともあるまい。

門司風景を点綴するには朝鮮服の朝鮮人の悠然たる姿を添へなければならない、西洋人のすつきりした姿乃至じつしりした姿も-そして下関駅頭の屋台店-飲食店に限る-、門司海岸の果実売子を忘れてはならない。

約束通り10時前に源三郎居を訪ふたが、同人に差閊え多くて、主客二人では句会にならないで、けつくそれをよい事にして山へ登る、源三郎さんはりゆうとした現代紳士型の洋装、私は地下足袋で頬かむりの珍妙姿、さぞ山の神-字義通りの-もおかしがつたであらう。

下関から眺めた門司の山々はよかつたが、近づいて見て、登って観て、一層よかつた、門司には過ぎたるものだ。
「当然」に生きるのが本当の生活だらうけれど、私はただ「必然」に生きてゐる、少くとも此二筋の「句」に於ては、「酒」に於ては!

※表題句の外、20句と改作3句を記す

―四方のたより―名古屋・大須観音界隈を歩く

名古屋へと、車で日帰りの旅。先にも触れた、名古屋は大須観音界隈で毎年行われている、今年は32回目を迎えるという、大須大道町人祭を見物に出かけた、いわば物見遊山だが、その初期の頃から常連として出演しているデカルコ・マリィら一党のPerformanceを観るのも兼ねたものだった。

名古屋行はまる3年ぶり、月に一度しかない開帳日に折角合せて出かけたのに、受付が午後2時までだったかを15分ほど過ぎてしまって、十二神将の円空仏をとうとう見逃してしまったという、笑うに笑えぬ曰く付きの鉈薬師訪問、3年前の8月以来である。

あの日と同じように、名古屋に住むTosikiさんに不躾を省みず案内をお願いした。彼は快く応じてくれ、昼過ぎから夜9時半頃に別れるまで、案内役としてずっと付き合ってくれた。

大須観音の参道であり、東西に走る二本の商店街、仁王門通-東仁王門通と大須観音通-万松寺通、この二つの通りを南北に横切る大須本通-門前町通、裏門前町通、新天地通など、これらの辻々や神社境内、あるいは公園などに設定された催し会場が16ポイント、これらの場所で10日と11日、土日の2日間、40の個人やグループのPerformerたちが入替り立替りその芸を披露、見物人の投銭のみが彼らの実入りとなるというのが原則の大道芸祭り。

デカルコ・マリィ一党は、演舞・演奏・美術など総勢20名余の大所帯での大須乗込みが、ここ数年常態化してきているとみえて、演者たちのほうこそお祭り騒ぎの様相を呈している。その本割りともいうべき午後7時20分からの浅間神社前でのPerformanceは、これまたここ数年、イメージ・ストーリィを明瞭にもった構成となっているようだ。今回の目玉はラストシーンに登場する妖怪仕立ての大型の仕掛人形、これが40分近い演舞、物語の収斂装置だ。

大須観音の本殿、観音堂前の石段で演じられていたのが大駱駝艦の金粉ショー、さすがに人出は多くほぼ境内を埋め尽くすほどの賑わい。大きな社殿をバックに石段の高低差を舞台に総勢7人がライトに照り映えて夜目にもあざやかに浮かんだ金粉の肉体たちは、その舞踏がどうの、演出がどうのと、そんな講釈などさらさら要らぬ、このロケーションだけで絵にはなる、それだけのことだ。

いずれにせよ、32年も続いてきた大須の大道芸祭、一度はこの眼で見ておかねばなるまいとは思ってきた、それをやっと果たせた。

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October 10, 2009

お経とどかないヂヤズの騒音

Dancecafe081226032

Information – 松浦ゆみのDinner Show

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月22日の稿に
11月22日、晴曇定めなし、時々雨、一流街行乞、宿は同じ事

お天気は昨日からの-正確にいへば一昨日からの-つづき、降つたり晴れたりだ、10時近くなつて、どうやら大して降りさうもないので出かける、こんな日は、ひとり火鉢をかかへて、読書と思索とに沈潜したいのだけれど、それはとうてい許されない。

草鞋ではとてもやりきれないので、昨日も今日も地下足袋を穿いたが、感じの悪い事おびただしい。
2時過ぎまで行乞、キス一杯の余裕あるだけはいただいて、地橙孫さんを訪ねる、不在、奥さんに逢つて-女中さん怪訝な顔付で呼びにいつた-ちよつと挨拶する、白状すれば、昨春御馳走になつてゐるし、そのうへ少し借りたのもそのままになつてゐる、逢うて話したいし、逢へばきまりが悪いし、といつてここへ来て黙つてゐる私の心情が許さないし、とにもかくにも地橙孫さんは尊敬すべき紳士である、私は俳人としてでなく、人間として親しみを感じてゐるのである。-略-

生きてゐることのうれしさとくるしさとを毎日感じる、同時に人間といふもののよさとわるさとを感ぜずにはゐられない、-それがルンペン生活の特権とでもいはうか、それはそれとして明日は句会だ、どうかお天気であつてほしい、好悪愛憎、我他彼比のない気分になりたい。

※表題句の外、6句、改作8句を記す

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October 09, 2009

日記焼き捨てる火であたたまる

Dancecafe080928215

Information - CASOにおけるデカルコマニィ的展開「青空」展

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月21日の稿に
11月21日、晴曇定めなくて時雨、市街行乞、宿は同前

夢現のうちに音をきいたが、やつぱり降る、晴れる、また降る、照りつつ降る、降つてゐるのに照つてゐる、きちがい日和だ、9時半から1時半まで行乞する、辛うじて食べて泊つて一杯飲むだけは与へせれた、時雨の功徳でもあり、袈裟の功徳でもある。-略-

下関の市街は歩いてゐるうちに、酒屋、魚屋、八百屋、うどん屋、餅屋-此頃は焼芋屋-、等々の食気屋の多いのに、今更のやうにも驚かないではゐられない、鮮人の多いのにも驚ろく、男は現代化してゐるけれど、女は固有の服装でゆうゆうと歩いてゐる、子供を腰につけてゐるのも面白い-日本人は背中につけ、西洋人は籃に入れてゐる-。

昨日も時化、今日も時雨だ、明日も時雨かも知れない、時化と関門、時化の関門と私とはいつも因縁がふかいらしい。-略-

しぐれの音が聞える、まつたく世間師殺しの天候だ、宵のうちに、隣室の土工さんが、やれやれやつと食ふだけは儲けて来た、土方殺すにや刃物はいらぬ、雨が三日降りやみな殺し、と自棄口調で唄つてゐたのを思ひだす、私だつて御同様、わがふところは秋の風どころぢやない、大時化のスツカラカンだ。

※表題句の外、15句を記す

―表象の森― 瞑想の即興

ここ数年、インド舞踊で全国的に活動の場をひろげている茶谷祐三子が、やっと我が四方館の稽古場に姿を見せた。

Pure Danceと本人が謂うところの即興は、「瞑想の踊り」と形容するに相応しいものであった。踊りに入る時点で彼女はある種の瞑想法ですでに日常性から脱して精神的な高みに達しているかのようにみえるのは、普段の表情とまるで異なる相貌になっているからだ。かといって憑依というべきものではなく、なにやら気品といったものが漂うような雰囲気がある。

振付の決まった18分余を要するOdissi Dance、この踊りを文字どおりpureに踊りきるのはとても難しい、と私には思えた。所作のたびに足に付けた鈴の音色と伴奏音との微妙なバランス、これは生演奏でなければまず無理だろう。だがそんなことよりも、次から次へ連綿と紡がれる細かい所作の綴れ織りともみえるこのOdissi Danceを、軽快にDynamicにかつ優雅に踊りうる者は、この日本にも小野雅子など何人か居るのだろうけれど、彼女が垣間見せてくれた「瞑想の踊り」のように、その精神の高みにおいて、それは神や仏なるものへの帰依や信仰から発してその化身へと昇華していくようなものでもあろうか、この長丁場を踊りきるのは至難のわざとみえる。

茶谷祐三子のインド生活は、ほぼ10年に及んだという。先師に仕えて踊りの習得に励んできたのは7年間、毎日8時間もの稽古という、ひたすら瞑想と踊りの訓練に明け暮れた日々だったろう。相当の長い年月を身心共にずぶりとその世界に浸りきった、そんな暮しのなかでしか身につけ得ないものがあるだろう。彼女は彼女なりにそういったものを身につけている。

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October 07, 2009

ふる郷の言葉となつた街にきた

Santouka081130038

Information – 四方館のWork Shop

四方館の身体表現 -Shihohkan’s Improvisation Dance-
そのKeywordは、場面の創出。

場面の創出とは
そこへとより来たったさまざまな表象群と
そこよりさき起こり来る表象群と、を
その瞬間一挙に
まったく新たなる相貌のもとに統轄しうる
そのような磁場を生み出すことである。

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月20日の稿に
11月20日、曇、時雨、下関市行乞、本町通り、岩田屋

朝風呂に入れて下さつたのはありがたかつた、源三郎さんといつしょにでかける、少し借りる-何しろ深耶馬を下るためにといふので2円ばかり貯つてゐたのだが、宇島までにすつかり無くなつた、宇島で行乞したくないのを無理に行乞したのは、持金20銭しかないので、食べて泊るだけにも22銭の不足だつたからである-。

駅で別れる、しぐれがなかなかやみさうにもない、気分もおちつかないので、関門を渡る、晴間々々に3時間ばかり行乞、まだ早すぎるけれど、昨春馴染の此宿へ泊る、万事さつぱりしてゐて、おちつける宿、私の好きな宿である。

酒は心をやはらげ湯は身体をやはらげる、身心共にやはらげられて寝たのに、虱の夢をみたのはどうしたことだらう!-もう一杯飲みたい誘惑に敗けたからかも知れない!-

下関はなつかしい土地だ、生れた故郷へもう一歩だ、といふよりもすでに故郷だ、修学旅行地として、取引地として、また遊蕩地として-20余年前の悪夢がよみがへる、‥

秋風の関門を渡る-かも知れませんよと白船君に、旅立つ時、書いて出したが、しぐれの関門を渡る-となつたが、ここからは引き返す外ない、感慨無量といふところだ。

※表題句の外、2句を記す

-世間虚仮- 月額制から時給制へ、非常勤講師のPoor化

大阪府下の小中高に勤務する非常勤講師の報酬が、橋下府政下、本年度より、月額制から時給制へと改められ、実態は2割減の減収になっているという。逆に言えば、府予算における非常勤講師雇用経費を、この変更で2割節減しているということだ。

ずいぶんとケチ臭いところに目を付けたものだと思われるのだが、どっこいどうやらこの傾向は全国的なものらしい。昨年度時点で月額制だった府県はわずかに数ケ所だったという話で、この実情にも驚かされる。

非常勤講師とフルタイムの常勤講師とを含めた、いわゆる非正規雇用の教員も全国的に増加傾向だという。昨年度の全国小中高校教員に占める非正規教員の割合は14.1%。大阪府でも増加傾向にあり、とりわけ府立高校は全教員数のうち27%-今年5月時点-を占めるというから、この実態にも驚かされる。

少人数学級の加速傾向や高校における教育の多様化傾向にあって、教員の絶対必要数は高まる一方、そんな状況下で教員の非正規雇用がいよいよ進行している訳だ。

それにしても少人数学級や教育の多様化が、直ちに非正規化へと接続されるという現実、ここにも豊かな社会から滑り落ち遠離りゆくこの国の姿がある。

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October 06, 2009

蒲団ふうわりふる郷の夢

080209150

Information - CASOにおけるデカルコマニィ的展開「青空」展

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月19日の稿に
11月19日、晴、行程3里、門司、源三郎居、

嫌々行乞して椎田まで、もう我慢出来ないし、門司までの汽車賃だけはあるので大里まで飛ぶ、そこから広石町を尋ね歩いて、源三郎居の厄介になる、だいぶ探したが、酒屋のおかみさんも、魚屋のおやぢさんも、また若い巡査も-彼は若いだけ巡査臭ぷんぷんであつたが-、私と源三郎さんのやうな中流以上の知識階級乃至サラリーマンとを結びつけえなかつたのはあたりまへだらう。

源三郎さんは-奥さんも父君も-好感を持たないではゐられないやうな人柄である、たらふく酒を飲ませていただいて、ぞんぶん河豚を食べさせていただいて、そして絹夜具に寝せていたたいた。-略-
※表題句の外、2句を記す

―四方のたより― 名古屋の大須大道町人祭

名古屋市は大須観音の門前町、大須商店街を中心に、全国から集まった大道芸人たちが繰り広げるPerformanceで毎年賑わってきた大須大道町人祭も、もう32回目を数えるという。

その初期から中期、10年くらい前までは大道芸といっても、嘗てのアングラ系のPerformerがかなりの勢力を占めていた筈だが、今年の出演者たちの顔ぶれを眺めれば、大駱駝艦の金粉ショーと人間美術館の雪竹太郎、そしてデカルコ・マリィ一党の物之怪曼荼羅と三者くらいのもので、年々賑わいを増すほどにPerformerたちの芸質も、毒から薬へと、今様のお笑い芸人たち同様にずいぶんと健全なものに変貌してきているものとみえる。

デカルコ・マリィが、このイベントの初期、いつごろから出演し始めたのか、詳しくは知らない私だが、おそらく20年は優に越え、芸人たちのあいだでは最も長い、連続記録保持者なのだろう。

以前から一度くらいは臨場しておかねばなるまいと思ってはきたのだが、初期の頃の毒気臭がまだ微かには感じられよう今年あたり行っておかねば、すっかりその機も失せてしまいそうだと、そんな予感が擡げてきた。

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October 04, 2009

朝、万年青の赤さがあつた

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Information – 松浦ゆみのDinner Show

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月18日の稿に
11月18日、曇、宇ノ島八屋行乞、宿は同前、いい宿である

行乞したくないけれど9時から3時まで行乞、おいしい濁酒を飲んで、あたたかい湯に入る、そして寝る、どうしても孤独の行乞者に戻りきれないので閉口々々。
※表題句は、16日付記載の中から

―日々余話―運動会中止、新型インフル!

2学期に入ってまもなくから、クラス毎にあるいは学年毎に、ダンスの集団演技や競技の練習を繰り返してきた運動会が、新型インフルエンザの流行でとうとう中止に追い込まれてしまった。

・学校よりお知らせ-PTA携帯連絡網による第1便-10.3.PM3:20-
10月4日-日-の運動会当日、インフルエンザ等による欠席者が多数出ることが予測される事態となりました。
その場合は児童の健康と感染拡大を予防する観点から、プログラムの一部をカットし、午前中に団体競技・演技のみ実施することも考えております。
尚、その場合も、弁当につきましては、希望される方には運動会終了後、運動場・講堂を開放する予定です。
最終判断は明日-10月4日-児童の登校状況を見て行います。-小学校校長

・保護者の皆様へ-PTA携帯連絡網による第2便-10.3.PM7:48-
明日-10月4日-に予定しておりました運動会ですが、現時点でインフルエンザによる学級休業となるクラスが出ることが確実となりました。
つきましては、感染を防ぐため、明日の運動会はとりやめます。
児童は午前中のみの平常授業となります。
後日のことについては、検討後、明日プリントにてお知らせいたします。
急なことでご迷惑をおかけしますが、どうぞ宜しくお願いいたします。-小学校校長

我がマンションは学校正門前に道路を隔ててあるから、運動会の練習など学校の様子が手に取るようにわかる。ブラスバンドの練習などはいささかうるさいほどに聞こえてきていた。

事ここに到る2.3日前、学校から帰ってきた子ども-KAORUKO-の話によれば、隣組さんでは欠席児童が10人、とと聞いていた。児童が30人しかいないのだから、すでに3割を越える欠席率だ、これで学級閉鎖にならないのは、インフルエンザと特定できているケースがなお半数に満たない状況であったのだろう。

KAORUKOによれば、そのクラスの2日-金曜-の欠席は9人だった、と聞いてもおり、学級閉鎖-運動会中止の線は、充分あり得ることと予想もされたのだったが‥。
いざ現実に中止となってみれば、子どもたちの落胆はやはり大きかろう。KAORUKOの場合、以前はあまり早くもなかった駆けっこが、これも成長曲線の不特定さか、近頃はなぜか得意になってきたらしく、トップでテープを切るのを楽しみにしていた節もある。

はたして、たんに延期ですむものか、それとも中止となって、一炊の夢まぼろし、露と消えてしまうのか、学校関係者にとっては悩ましく判断の難しいところだろうが、この分では後者の線が可能性大だろう。

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October 02, 2009

つきあたつてまがれば風

Dc09070757

Information – 四方館のWork Shop

四方館の身体表現 -Shihohkan’s Improvisation Dance-
そのKeywordは、場面の創出。
場面の創出とは
そこへとより来たったさまざまな表象群と
そこよりさき起こり来る表象群と、を
その瞬間一挙に
まったく新たなる相貌のもとに統轄しうる
そのような磁場を生み出すことである。

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月17日の稿に
11月17日、晴、行程1里、宇ノ島、太田屋

朝酒は勿躰ないと思つたけれど、見た以上は飲まずにはゐられない私である、ほろほろ酔うてお暇する、いつまたあはれるか、それはわからない、けふここで顔と顔を合せてる-人生はこれだけだ、これだけでよろしい、これだけ以上になつては困る。‥

情のこもつた別れの言葉をあとにして、すたすた歩く、とても行乞なんか出来るものぢやない、1里歩いて宇ノ島、教へられてゐた宿へ泊る、何しろ淋しくてならないので濁酒を二三杯ひつかける、そして休んだ、かういふ場合には酔うて寝る外ないのだから。-略-

友人からのたより-昧々居で受け取つたもの-をまた、くりかへしくりかへし読んだ、そして人間、友、心といふものにうたれた。-略-

※表題句の外、4句を記す
その中に、「別れてきた道がまつすぐ」の句が見える

―世間虚仮― 芸術性か社会貢献か

橋下府知事が大鉈を振るった文化事業への補助金削減で、存続の危機に晒されてきた大阪センチュリー交響楽団が、知事との最終的な折衝もすれ違ったまま、民営化へと歩まざるを得なくなり、スポンサー探しに乗り出すことになった模様だ。

対立点ははっきりしている、芸術性か社会貢献か。知事側の主張は簡単明瞭、府の文化事業ならば、コンサートホールでの演奏活動よりも学校や病院を訪問して鑑賞会を行うなどの直接サービスを最優先させろ、と曰っているそうな。

センチュリー側としては、20年前の成立経緯からも、また20年の活動の積み重ねのなかで成熟させてきた音楽性を真っ向から否定するかの如き知事の要請を飲むわけにはいくまい。社会貢献の活動を否定しさるものではないが、芸術性あっての社会貢献、主従の別はおのずから決まってこよう。

現状では、センチュリーの年間予算は7億1千万円、H20年度の補助金は3億9千万だったが、H21年には1億1千万に減額されており、このままでは存続し得ないことは一目瞭然、スポンサーを府から民へと乗り換えざるを得ないわけだが、川の流れに身を任せる笹の葉同然、覚束ないことこのうえない仕儀となってしまった。

捨てる神あれば拾う神あり、
以前から大阪府に遺贈の申し出をしていた芦屋在住の老婦人、今年6月に亡くなっているが、生前音楽愛好家だった彼女の遺志は、府の楽団への寄付であったということで、この10月末にもセンチュリーへの贈与が手続きされる運びだ、と。

だが、奇特な浄財でたとえ一時はしのいだとしても、府に替わるスポンサーが現れないことにはたちまち存続不能となる。企業スポーツ崩壊の昨今でもある。はたして企業スポンサーなど、救いの手は伸びるものかどうか‥。

なんだか、橋下府政への呪詛の呻きが聞こえてきそうな、そんな一件だ。

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October 01, 2009

これが河豚かと食べてゐる

Dc090315166

Information - CASOにおけるデカルコマニィ的展開「青空」展

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月16日の稿に
11月16日、曇、句会、今夜も昧々居の厄介になった

しぐれ日和である-去年もさうだつた-、去年の印象を新たにする庭の樹々-山茶花も咲いてゐる、八ツ手も咲いてゐる、津波蕗もサルビヤも、そして柿が二つ三つ残んの実を持つたまま枯枝をのばしている。

朝酒、何といふうまさだらう、いい機嫌で、昧々さんをひつぱりだして散歩する、そして宇平居へおしかけて昼酒、また散歩、塩風呂にはいり二丘居を訪ね、筑紫亭でみつぐり会の句会、フグチリでさんざん飲んで饒舌つた、句会は遠慮のない親しみふかいものだつた。

枕許に、水といつしょに酒がおいてあるには恐縮した、有難いよりも勿躰なかつた-昧々さんの人柄を語るに最もふさはしい事実だ-。

 春風秋雨 花開草枯
 自性自愚 歩々仏土

メイ僧のメンかぶらうとあせるよりも
  ホイトウ坊主がホントウなるらん

 酔来枕石 谺声不藏
 酒中酒尽 無我無仏

※表題句の外、10句を記す

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