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July 31, 2009

砂掘れば砂のほろほろ

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―山頭火の一句―昭和5年の行乞記、10月12日の稿に
10月12日、晴、岩川及末吉町行乞、都城、江夏屋

9時の汽車に乗る、途中下車して、岩川で2時間、末吉で1時間行乞、今日はまた食ひ込みである。-略-
今夜は飲み過ぎ歩き過ぎた、誰だか洋服を着た若い人が宿まで送つてくれた、彼に幸福あれ。
藷焼酎の臭気はなかなかとれないが、その臭気をとると、同時に辛味もなくなるさうな、臭ければこそ酔ふのだらうよ。-略-
夕方また気分が憂鬱になり、感傷的にさへなつた、そこで飛び出して飲み歩いたのだが、コーヒー1杯、ビール1本、鮨一皿、蕎麦一椀、朝日一袋、一切合財で1円40銭、これで僕はまた秋風落寞、さつぱりしすぎたかな-追記-。
※表題句の外、23句を記す

―今月の購入本―

・猪木武徳「戦後世界経済史」中公新書
自由と平等の視点から、と副題。第2次大戦後の60年はかつてない急激な変化を経験した。そのKeywordは民主制と市場経済。本書では「市場化」を軸にこの半世紀を概観、経済の政治化、Globalizationの進行、所得分配の変容、世界的な統治機構の関与、そして自由と平等の相剋―市場Systemがもたらした歴史的変化の本質とは何か。

・鹿島茂「吉本隆明1968」平凡社新書
「吉本隆明の偉さというのは、ある一つの世代、具体的にいうと1960年から1970年までの十年間に青春を送った世代でないと実感できないということだ」という団塊の世代の著者が、吉本隆明はいかに「自立の思想」にたどり着いたか、著者流の私小説的評論を通して、その軌跡をたどる。

・白川静「漢字の世界 1」平凡社ライブラリー
漢字はどのようにして生まれたのか。甲骨文字・金文資料を駆使して、神話・呪詛・戦争・宗教・歌舞などの主題ごとに、漢字のもつ意味を体系的に語る。古代人の思考に深くわけ入り、漢字誕生のプロセスを鮮やかに描出。

・白川静「漢字の世界 2」平凡社ライブラリー
象形文字である漢字は、中国古代人の目に映る世界の象徴的表現であった。「字統」において詳説された漢字の意味を、本書は系統的・問題史的に語ってゆく。博識と明快な論理で、単なる字形の解釈を越え、ことばの始原に行きつく無類のことば・ことがら典。
他に、広河隆一編集「DAYS JAPAN」7月号

―図書館からの借本―

・斎藤環「文学の徴候」文藝春秋
著者は、ラカン研究者の宮本忠雄が提唱する「エピパトグラフィー」を、作家の創造行為の中の病理的表現を個人の病理としてでなく、その関係性から考え ようとした点で画期的だったと評価し、作家個人の人間関係だけでなく、作家と作品、作家と共同体、作家と社会といった様々な関係性が、創造の孵卵器としての環境に転ずると、本来は健常であった作家の作品が、病理的なエレメントをいっぱい孕んだものへと変質する。その一種の相互作用に似た仮説的な場を「病因論的ドライブ」と呼ぶ。

・斎藤環「文脈病-ラカン・ベイトソン・マトゥラーナ」青土社
ベイトソンの学習理論、フロイト‐ラカンのシニフィアン理論、マトゥラーナのオートポイエーシス理論などと、分裂病や神経症の臨床経験を独自に重ね合わせ、精神病理学理論に新たな地平を拓き、吉田戦車、D.リンチ、F.ベーコン、H.ダーガー、宮崎駿、庵野秀明など、特異な作家達の描く「顔」のなかに、 人間の本質と文化の現在を読み解く。とくに序章と13章は著者独自の思考ドライブを辿るによくまとまっている。

・梅原賢一郎「カミの現象学」角川書店
宮古島の「六月ニガイ」、宮崎県の「銀鏡神楽」、長野県の「遠山の霜月祭り」など、日本各地の祭りや神楽、宗教的な儀礼や行法から、子どもの遊びといった日常の行為まで、「自分と自分以外のものとの間の回路」としての「穴」をKeywordに、宗教と芸術の隙間を思考し、いわば身体に埋蔵された日本文化を解明してゆく。著者は梅原猛の息子。

・藤井直正「東大阪の歴史」松籟社
著者は東大阪市枚岡に住む考古学者だが、私の中学時代の社会科教師でもある。本書は大阪・市史双書シリーズの2として編まれ、1983年初版発行された。

・「昭和30年代の大阪」三冬社
「東洋の奇跡」と称された高度経済成長を強力に牽引した頃-1955~64-の大阪を彷彿とさせるフォトグラフ。

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July 30, 2009

今のまに雪の厚さを指てみる

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<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「空豆の巻」-25

   客を送りて提る燭台  

  今のまに雪の厚さを指てみる  孤屋

次男曰く、「送りて」とあるから付けて作りは送られる客の体である。
「今のまに」とは、時間の経過、雪の降り様、積り様を予測したことばだが、この雪は夜更にかけて深くなると考え、帰路の難波を気にかける人の様子も自ら現れている。「指てみる」はむろん深さを棒などで測ってみることで、方向を指すことではない。

婚礼の宴でもよいが、話をドラマティックに拵えたければ謀議と眺めるのも面白かろう。「今のまに」が、沈々として凍てる夜の緊張をよく伝えて、これはよいはこびだ。取込事にせよ相談事にせよ、当座は無事に済んだが後始末はまだ残っている。それが辞して帰る客の側の心のことであれば、自家の工夫の重みがそこにのぞく。今晩は大雪になりそうだというのは単に表面上のことにすぎなくて、そう口にする人のこれからが大変だという心の奥をあれこれと想像させる。興をそそる句だろう、と。

―四方のたより―今日のYou Tube-vol.26-
「KASANE-2-Scene.3-in Alti Buyoh Festival 2008」

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July 29, 2009

泣く子叱つてる夕やみ

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―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、10月11日の稿に
10月11日、晴、曇、志布志町行乞、宿は同前-鹿児島屋-

9時から11時まで行乞、こんなに早う止めるつもりはなかつたけれど、巡査にやかましくいはれたので、裏町へ出て、駅で新聞を読んで戻つて来たのである。-略-

今日はまた、代筆デーだつた。あんまさんにハガキ2枚、とぎやさんに4枚、やまいもほりさんに6枚書いてあげた、代筆代をくれやうとした人もあるし、あまり礼をいはない人もある。-略-

隣室に行商の志那人5人組が来たので、相客2人増しとなる、どれもこれもアル中毒者だ-私もその一人であることに間違ひない-、朝から飲んでゐる-飲むといへばこの地方では藷焼酎の外の何物でもない-、彼等は彼等にふさはしい人生観を持つてゐる、体験の宗教とでもいはうか。

コロリ往生-脳溢血乃至心臓麻痺でくたばる事だ-のありがたさ、望ましさを語つたり語られたりする。
酒壺洞君の厚意で、寝つかれない一夜がさほど苦しくなかつた、文芸春秋はかういふばあいの読物としてよろしい。-略-
※表題の句は、10月10日付に記されたものの一句

―四方のたより―今日のYou Tube-vol.26-
「KASANE-2-Scene.2-in Alti Buyoh Festival 2008」

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July 28, 2009

客を送りて提る燭台

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―世間虚仮― 振込め詐欺、やっと減少傾向

本日、’09年版の警察白書が閣議に報告された。

‘04年以降、毎年250億円超の被害を出してきたという振込め詐欺、その検挙率-‘08年-は全刑法犯に比し10point低く21.5%にとどまっているそうだ。犯人らの検挙をすれどもすれども、手口の多様化や巧妙化も相俟って一向に被害は減らず、まるで鼬ごっこのごときこの数年間だったが、今年上半期-1~6月-の被害は昨年同期比で3分の1と減少傾向を示しており、年間換算では100億円超の見込みとか。

この数年、日常茶飯化した振込め詐欺の蔓延が、もっぱらターゲットにされてきた世の高齢者たち、好々爺の謂のごと、心穏やかによき人と余生を過ごすべきすべての人々を、警戒や猜疑心をつのらせてはどれほど暗澹とした気分にさせてきたか。それを思えば、詐欺とはいえこの犯罪、このうえなく非道のものと断罪されるべきだろう。

―四方のたより―今日のYou Tube-vol.25-

今日のVideoは、’08年アルティ・ブヨウ・フェスティバル参加の「KASANE Ⅱ-襲-」
ベースは例によってImprovisation Danceだが、一部に構成振付を施したもので、
全体は21分余あり、3Sceneに分割してuploadした。
「KASANE-2-Scene.1-in Alti Buyoh Festival 2008」

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「空豆の巻」-24

  着のまゝにすくんでねれば汗をかき  

   客を送りて提る燭台  岱水

次男曰く、「着のまゝにすくんで」寝るのは商人の旅寝の体だけではない。取込事の最中、予想できる変事に対する備え、などと考えてもよい。

人の出入があると見定めた場の転、人物の取替だが、前句に寝た人の姿があればこれを起すのは付句の自然であるから、「送りて」とまず地拵えをしている。送る人は家人か従者か。その家の主でもよい。工夫が「提る燭台」にある。

灯火具を油皿、蝋燭、松材のいずれを用いるかによって灯台、燭台、松明に分ければ、短檠-たんけい-や行灯は灯台、手燭や掛燭や雪洞は燭台である。提灯も手燭の工夫と見てよいだろう。脂燭、篝火は松明の一種である。

これらの名称のなかには岱水の句に取入れて用いてよいものがいくつもあり、なかでも短檠などは口調の良さは燭台にまさる。「客を送りて提る短檠」と作れば、なかなか洒落た表現になる。なぜ、わざわざ「提る燭台」と作ったのか、と考えたくなる。

云わんとするところはどうやら裸灯らしい。「着のまゝ」との対照である。「すくんで寝る」に対して、形状の直なる印象も伝えたいらしい。「燭台」はここでは手燭である。

燭台が用いられるようになったのは鎌倉時代末頃から、はじめはもっぱら置燭台で社寺の用だったが、近世以降一般にも普及し、手燭もその頃からのものだ、と。

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July 27, 2009

故郷の人と話したのも夢か

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―山頭火の一句―昭和5年の行乞記、10月10日の稿に
10月10日、曇、福島町行乞、行程4里、志布志町、鹿児島屋

8時過ぎてから中町行乞2時間、それから今町行乞3時間、もう2時近くなつたので志布志へ急ぐ、3里を2時間あまりで歩いた、それは外でもない、局留の郵便物を受取るためである、友はなつかしい、友のたよりはなつかしい。-略-

安宿の朝はおもしろい、みんなそれぞれめいめいの姿をして出てゆく、保護色といふやうなことを考へざるをえない、片輪は片輪のやうに、狡いものは狡いやうに、そして一は一のやうに! -略-

自動車が走る、箱馬車が通る、私が歩く。
途上、道のりを訊ねたり、此地方の事情を教へてくれた娘さんはいゝ女性だつた。禅宗-しかも曹洞宗-の寺の秘蔵子と知つて、一層うれしかつた、彼女にまことの愛人あれ。-略-
※揚げた句の他に「秋風の石を拾ふ」など20句を記す

―四方のたより― 事件性はある

地下鉄本町-四つ橋線-の駅から近く、中央大通りに面したビルの地下1階に綺羅星-きらら-ホールという空間が登場したのはいつからか、ついぞ知らなかったのだが、25-土-、26-日-の両日、VIA LACTEA DANCE と題したダンス公演が催されていた。VIA LACTEAとは天の河の意味らしい。関西に滞在し活動している外国人Dancerたちが寄った企画だが、これに角正之君が協力して即興performanceを加えた催しである。

前半のA-proは外国人Dancerたちを中心とした振付作品が並び、後半B-proは角正之がCoordinateした即興世界だが、25-土-と26-日-では顔ぶれをがらりと変え、先は男たち中心、後は女たち中心といった趣向。
25-土-の顔ぶれは、レナート.レオン/カミル.ワルフルスキー/フラビオ.アルビス/ピーター.ゴライトリー/中田一史/ザビエル守之助/斉藤誠/角正之に、女性ゲストとして森美香代/ミナル-川西宏子-/Heidi.S.Durningが参加。
26-日-は、小谷ちず子/越久豊子/山田いづみ/三好直美/北垣あや/福原幸/黒田朋子に、加わる男性がレナート.レオン/中田一史/ヤザキタケシ/角正之。

私は先のほうを観、Junkoが後のほうを観た。幼な児が居るため分かれて観ることにしたのだった。
振付作品のA-proはどれも言うべきほどのことはなにもない。ミラノ・スカラ座バレエ学校を首席で卒業し、欧州や南米のバレエ団で活躍して後、’07年帰国したという中田一史の柔軟な身体能力が眼を惹いた程度で、soloにせよDuoにせよ、作品はなべて古臭いセピア色した風景ばかりだ。

だが、B-proの即興は一見の価値はあった。なにしろキャリアも技法も異なる11人のDancerが一堂に会しての競演である、それだけで事件性はある、といえよう。事実、始まってからの10~15分ばかりは、かなり愉しめるperformanceを供しえたといっていい。これには男性8人に女性3人という配合のバランスも貢献したものと思われる。

女性中心の26-日-のほうを観たJunkoに言わせれば、期待したほどのことはなく、観ること自体かなりきつかったと、報告している。こちらは女性7人に男性4人だ。キャリアも技法も異なるそれぞれのDancerが、その固有な動きを繰り延べたとしても、その差異は男性ほどにはclearなものにはなりにくいという負が、加法・乗法に働かず、減法・除法となって、ただ煩いものに堕してしまいがちになるものだ。

このあたりの事情を、Coordinator角正之はどう推量していたのか。そう容易には成り立たぬ折角の集合の機会が、両夜においてかほどに落差のある結果を呈しては勿体ないというもの、もう少し緻密な計算をしておくべきではなかったか、惜しまれてなるまい。

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July 24, 2009

着のまゝにすくんでねれば汗をかき

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―世間虚仮― シャープ新工場とシベリア抑留

今夕刊によれば、府内の市民団体「シャープ立地への公金支出をただす会」が、大阪府や堺市に対し、建設中のシャープ新工場への補助金や税優遇措置が違法として、差し止めを求める訴えを大阪地裁に起こしたという。
以前から問題にはなっていたのは承知していたが、とうとう訴訟にいたったわけだ。

訴状によれば、大阪府はシャープや関連企業の進出に伴い総額244億円の補助金を、堺市は固定資産税などを10年間、約8割減免するとしており、この額およそ245億円、加えて、周辺に路面電車を285億円かけて敷設することになっている。これほどの補助金や税優遇などが、はたして費用対効果において適正なものといえるのか、その判断がついに司法に委ねられることになった。

もう一つ眼を惹いた記事が、第二次大戦でシベリアに抑留された人々70万人の資料がモスクワの公文書館で保管されていたというもの。
記事によれば、厚労省では日本人の旧ソ連抑留者を約56万人-うち死者約53,000人-と推定されており、発見された資料の分析が進めば変わってくる可能性もあると。

これまでのところ、推定死亡者約53,000人に対し、従来ロシア側から提供されていた死亡者名簿は約41,000人で、しかもこれらを照合しても特定できない不明数が約21000人もあるそうだが、さしあたりこの不明分から300人を抽出し、新資料との照合をロシア側に依頼した結果、25人分を確認できたという話だ。

遙か戦後65年を経てのこの話題、抑留されたまま彼の地で散り逝きし多くの死霊たちが、なお闇の中に埋もれたままなのだ。

―表象の森― 新境地「耳なし芳一」

一昨夜は7月恒例の琵琶五人の会。年に一度の会もなんと重ね重ねて20回目だという。
今年の演目は、「耳なし芳一」-加藤司水-、「土蜘蛛」-奥村旭翠-、「戻り橋」-杭東詠水-、「羅生門」-竹本旭将-、「茨木」-中野淀水-と、いわゆる琵琶曲らしい鬼や怪奇の世界を揃えた。

なかで加藤司水の「耳なし芳一」はめずらしく創作ものだったが、これはある意味で彼の新境地を拓くものであったろう。伝承や古型を重んじる世界とはいえ、この人はこういう方向で行くべしという思いを強くした。

琵琶世界を詳しく知るものではないが、この五人のうち中野、杭東、加藤の三者は、ともに永田錦心が始めた薩摩琵琶の一派、錦心流琵琶全国一水会の流れ。そのなかで彼は些か異色とも云える存在であろう。

これは他人聞きで正確を期せないが、先年、西宮支部を統べていた楊師から後継を望まれていたが、加藤司水はこれを固辞したと伝え聞く。琵琶だけでなく尺八や三味線、あるいはさまざまな民族楽器などをも奏する多趣味多芸の彼のこと、後継となっては琵琶一筋へと強いられもしようと、彼流の名より実を取ったものと思われる。

彼の「耳なし芳一」は、その選択によって到達しえた、いい意味での開き直りから、自ずと生まれたものではなかったか。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「空豆の巻」-23

   置わすれたるかねを尋ぬる  

  着のまゝにすくんでねれば汗をかき  利牛

次男曰く、置忘れに懲りて、着のまま財布をしっかり腹に巻きつけておく、と作っている。
前句を身の縮む思と読んだか、それとも気の弛みと読んだか、いずれにしても「すくんで寝る」がことばの呼応だが、前者なら話の付伸し、後者なら向付の一体になる。

「汗をかき」は句仕立のうえでのあしらいで、いろいろに置換のきくところだが-この「汗」は季語ではない-、向付と読めば忘れ金を探す冷汗とは別の汗だと軽口をたたく気分が現れる。この方が面白かろう。

旅用らしい滑稽の作りは両替商に相応しい日常の心構えで、これも「炭俵」衆ならではの思付である、と。

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July 22, 2009

まゝよ法衣は汗で朽ちた

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―山頭火の一句―昭和5年の行乞記、10月9日の稿に
10月9日、曇、時雨、行程3里、上ノ町、古松屋

嫁の開けないうちに眼がさめる、雨の音が聞こえる、朝飯を食べて煙草を吸うて、ゆつくりしてゐるうちに、雲が切れて四方が明るくなる、大したこともあるまいといふので出立したが、降つたり止んだり合羽を出したり入れたりする、そして2.30戸集まってゐるところを3ヶ所ほど行乞する、それでやつと今日の必要だけは頂戴した。-略-

今日の道は山路だからよかつた、萩がうれしかつた、自動車よ、あまり走るな、萩がこぼれます。-略-

一昨日、書き洩らしてはならない珍問答を書き洩らしてゐた、大堂津で藷焼酎の生一本をひつかけて、ほろほろ気嫌で、やつてくると、妙な中年男がいやに丁寧にお辞儀をした、そして私が僧侶-?!-であることをたしかめてから、問うて曰く「道とは何でせうか」また曰く「心は何処に在りますか」道は遠きにあらず近きにあり、趙州曰く、平常心是道、堂済大師曰く、逢茶喫茶、逢飯食飯、親に孝行なさい、子を可愛がりなさい-心は内にあらず外にあらず、さてどこにあるか、昔、達磨大師は慧可大師に何といはれたか、-あゝあなたは法華宗ですか、では自我偈を専念に読誦なすつたらいゝでせう-彼はまた丁寧にお辞儀して去つた、私は歩きつゝ微苦笑する外なかつた。-略-

※揚げた句の他に「ゆつくり歩こう萩がこぼれる」
また訂正二句として、次の2句を記す
「酔うてこほろぎと寝てゐたよ」
「大地したしう夜を明かしたり波の音」

―世間虚仮― 前代未聞解散

国会がとうとう解散した。’05年の小泉総理による解散も、郵政改革に反撥する党内勢力を一掃しようとした前代未聞のものだったが、それから4年、小泉、安倍、福田、麻生と、一年毎に表の顔を掛け替えてきて、とうとう任期満了の際にまで至ってのこのたびの解散も、いろいろな意味で前代未聞の解散劇だ。

そもそも昨年9月の福田退陣から麻生総理誕生の交代劇は、直ちに解散総選挙を想定されたものであった筈なのに、秋、年末そして今年の春と、麻生内閣はその機を先送りしてきた挙げ句の、いわばもう逃げられぬ土壇場に追い詰められての解散である。

「予告解散」-党内の麻生降ろしの機先を制して東京都議選惨敗翌日というタイミングで発した前代未聞の解散予告、これにはマスコミもわれら国民もみな唖然とさせられたものである。

その直後から演じつづけられた反麻生グループとの党内抗争もなんとか制圧しての衆議院解散の詔勅-8月18日告示、々30日投票の、40日間というこれまた現憲法下最長の、長い長い夏の闘いのはじまりだ。

このたびの解散で政界を引退する自民党議員は、小泉純一郎をはじめ18人にのぼるという。そのなかの一人、河野洋平-衆議院議長-は退任会見で「衆院が新しい意思、要請に耳を傾ける大事な選挙だ。国民の負託に応える立派な国会であってほしい」と言ったという。

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July 20, 2009

置わすれたるかねを尋ぬる

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―四方のたより― 成田屋、稽古、そして‥

一昨夜、3月以来のD.マリィらの「成田屋騒動」第2弾、いや今回は「鳴動!成田屋」と謳っていたか、を観るべく新世界へ。その前に丑の日も近いとて早い夕飯を四ツ橋のうな茂さんで食していたから、交差点の植栽の縁に腰掛けて満腹気味の倦怠感に襲われながら、暮れゆくなかでの待ち時間がちょっと辛かったのだが、いざperformanceが始まると、まあ20分程の短い時間だし、結構愉しめる鑑賞となった。

地の利、時の利、信号が赤になるたび通行人が立ち止まって貯まるから、否応もなく彼らの眼に耳に飛び込んでくる。通りがかりの人々の、十人十色のリアクションを見ているだけでも愉しいものだし、刻々と夜の帳がおちゆくにつれ、街のネオンや外灯に照り映えていくperformanceの変移もまた愉しい。

昨日の稽古は、ありさと純子のみ。来週から夏の特別講習会二つに参加するため東京へと出向くありさは、3週間お休みとなるから、彼女に的を絞ってちょっぴりしごいた。

たとえばありさの即興を見れば、動きから動きへのその移り、次の動きを思いついた瞬間が、此方には手に取るようにわかる。さすれば、そのひとつひとつの動きは、つねに完璧なものを求められることになる。ひとつひとつが隙のない見事な体技でなければ、観る者を納得させられはしない。

ところが、動きの移り、その転の瞬間を不透明に、いわば故意に隠蔽させつつ転じてゆく、そういう動きかたがありうる。動きがどの瞬間に思いつかれたものかまるで判然としない、だがいつのまにか動きは移っているのだ。そういうことが自在に出来るとしたら、動きの移り-転-の強度を最大値10からはてしなく0に近い微弱なものにまで変容させつつ繰り延べていくことが可能になる筈だ。
この話、純子には概ね了解がいったようであった。ありさには‥? まだまだ少女期の彼女には難解に過ぎようものだ。

昨夜来、頼まれものの宣材のレイアウト作業に没頭していた。やはり素人は素人、とにかく効率が悪すぎるのには、我ながらほとほと滅入るばかりだが、こんな仕事でなにがしかのお足にありつけるのだから、ありがたいと思ってがんばった。
それもひと区切り、なんだか頭も身体のほうもボーッとしながら、これを書いている。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「空豆の巻」-22

  泣事のひそかに出来し浅ぢふに  

   置わすれたるかねを尋ぬる  孤屋

次男曰く、「梅が香の巻・空豆の巻」、「閉関」の心境に発した二様の句作りを、連衆は其れと知っていたに違いあるまい。そうでなければ、同想異曲の句を以てした付が片や名残7.8句目、片や名残3.4句目に符節を合せて生れる筈がない。

野坡の句は「ひらふた金で表がへする」、孤屋の句は「置わすれたるかねを尋ぬる」。いずれも籠居の情を俗へ取戻す工夫で、手立に金銭の力を借りる思付は両替商の手代ならではの生活の智慧である。重くれを破るのに、芭蕉が野坡たちに目をつけた訳が見える付だ。気分転換の手段が金は金でも「ひろうた金」「置わすれたるかね」でなければ、閑情が閑情でなくなる。死に金を活かす目付が両句共通のみそだ、と読めてくるだろう、と。

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July 18, 2009

窓をあけたら月がひよつこり

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―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、10月8日の稿に
10月8日、晴、后曇、行程3里、榎原、栄屋

どうも気分がすぐれないので滞在しようかと思つたが、思ひ返して1時出立、少し行乞してここまで来た、安宿はないから、此宿に頼んで安く泊めて貰ふ、一室一人が何よりである、家の人々も気易くて深切だ。-略-

日向の自然はすぐれてゐるが、味覚の日向は駄目だ、日向路で食べもの飲みものの印象として残つてゐるのは、焼酎の臭味と豆腐の固さとだけだ、今日もその焼酎を息せずに飲み、その豆腐をやむをえず食べたが。

よく寝た、人生の幸福は何といつたとて、よき睡眠とよき食慾だ、ここの賄はあまりいい方ではないけれど-それでも刺身もあり蒲鉾もあつたが-夜具がよかつた、新モスの新綿でぽかぽかしてゐた、したがつて私の夢もぽかぽかだつた訳だ、私のやうなものには好過ぎて勿躰ないでもなかつた。
※掲げた句のほかに1句
「こんなにうまい水があふれてゐる」を記す

―四方のたより―今日のYou Tube-vol.24-
「NOIR,NOIR,NOIR-黒の詩- Scene.2-連句的宇宙by四方館 Vol.6」

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July 17, 2009

泣事のひそかに出来し浅ぢふに

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―世間虚仮― A Flash of Memory

服飾デザイナー、世界のミヤケこと三宅一生が、ニューヨークタイムズに寄稿した話題の文章、そのタイトルが「A Flash of Memory-閃光の記憶-」だ。

広島で7歳の時に母とともに被爆、3年後その母は原爆症で死亡したという被爆体験、71歳になるこれまで自ら口外することなく内に秘めつづけてきた彼を、いったいなにが衝き動かしたのか。
それは、今年の4月、オバマ大統領が核兵器廃絶への決意を語ったプラハ演説だった。

IN April, President Obama pledged to seek peace and security in a world without nuclear weapons. He called for not simply a reduction, but elimination. His words awakened something buried deeply within me, something about which I have until now been reluctant to discuss.

I realized that I have, perhaps now more than ever, a personal and moral responsibility to speak out as one who survived what Mr. Obama called the “flash of light.”  -以下略-

文の後半では、8月6日の原爆の日に、オバマ大統領招来を切望している運動に触れ、オバマ氏が広島を訪れれば「核の脅威のない世界への、現実的でシンボリックな第一歩になる」と訴えている。

―四方のたより―今日のYou Tube-vol.23-
「NOIR,NOIR,NOIR-黒の詩- Scene.1-連句的宇宙by四方館 Vol.5」

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「空豆の巻」-21

   はつち坊主を上へあがらす  

  泣事のひそかに出来し浅ぢふに  芭蕉

次男曰く、「はつち坊主」が相手なら胸の内を気楽に打明けられる、ということを通いにして愚痴ばなしの内容を立腹から哀傷へ転じたとも、世間をはばかる供養があって鉢坊主を上げたとも読める。いずれにしろ、思いきり泣きたい気分が兆していたところへ、運良く来合せた。門付を表からというわけにはゆかぬから、裏口からこっそり上げる。「ひそかに」とは、その気分的映りの工夫だ。句姿は女に相応しいが男でもよい。

この作りには、6年3月の桃印病死に端を発した「閉関」中の芭蕉の心証も微妙ににじみ出ているだろう。この句と次句「置わすれたるかねを尋ぬる」との付合は、同年春の両吟「梅が香の巻」の名残7.8句目「門しめてだまつてねたる面白さ-芭蕉」「ひらふた金で表がへする-野坡」と見合の趣向のようだ。

句作りは「出来し-ことよ-」、むろん句切れがある。「出来し浅ぢふに」と続けて読めば、「上へあがらす」の補足となり三句は同一人物、転じにならない。一読王朝の情景を容易に誘う句姿だが、先の「源氏」を踏まえた印象的な展開と合せ考えれば、ここは俤など必要とせぬ当世風と読むべきところだ、と。

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July 15, 2009

酔ひざめの星がまたゝいてゐる

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―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、10月7日の稿に
10月7日、晴、行程2里、目井津、末広屋-

雨かと心配してゐたのに、すばらしい天気である、そここゝ行乞して目井津へ、途中、焼酎屋で藷焼酎の生一本をひつかけて、すつかりいい気持になる、宿ではまた先日来のお遍路さんといつしよに飲む、今夜は飲みすぎた、とうとう野宿をしてしまつた、その時の句を、嫌々ながら書いておく。

-以下「酔中野宿」と題し
「酔うてこほろぎといつしよに寝てゐたよ」他4句を記す。

-略-、今日の珍しい話は、船おろしといふので、船頭さんの馴染女を海に追ひ入れてゐるのを見たことだつた、-略-。
このあたりの海はまつたく美しい、あまり高くない山、青く澄んで湛へた海、小さい島-南国的情緒だ、吹く風も秋風だか春風だか分らないほどの朗らかさだつた。
※他に2句を付記している

―四方のたより―今日のYou Tube-vol.22-
連句的宇宙by四方館「Interlude-間奏曲-」

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July 14, 2009

はつち坊主を上へあがらす

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―表象の森― NO NAME

弱冠19歳の新人漫画作家が誕生、その名は大島千春-Pen name-、小学館の新人コミック大賞を受賞したという彼女の作品「 NO NAME」が、週刊BIG COMICスピリッツ7月20日号に掲載されている。

漫画・劇画の類で記憶に残ると云えば、古くは白戸三平の「忍者武芸帖」や「カムイ伝」、少し時代が降って山岸涼子の「日出処天子」くらいで、めずらしく最近になって「へうげもの」に食指を動かしてみたのは、直木賞の「利休にたずねよ」を読んだ所為で、20年このかたとんと縁なき衆生が、突拍子もなくなぜこの話題かといえば、このデビュー少女、メル友G「市岡芋づる」メンバーのお嬢さんで、グループ内でひとしきり話題になったからだ。

近所の本屋で買い求めるのさえいささか気恥ずかしい思いをしたものだが、近頃のコミック誌はいざ読む段においてもなかなかすんなりと誌面に入っていきづらいものがあった。
思春期の揺らぎに満ちた少女らしいストーリィも、その心理の揺らぎを感じさせるような画面のタッチも、私のようなoldにはちょっぴり遠い肌合いなのは致し方あるまい。
作品の終りに、「くやしくて、さみしくて、かなしくて、うらやましくて、それでいて、いとおしい」と言葉を連ね、「私はこの感情に、ずっと名前が、つけられずにいる。」と結んでいる。

ここで「NO NAME」のタイトルがあらためてクローズアップされるわけだが、ウィットに富んだ洒落たこの名付けに、その想像力の飛躍に、些か不自然というか違和を感じながら、ふと「NO NAME」でネット検索してみれば、なんと近頃流行りの、パリ発女性用スニーカーのブランド名ではないか。「無印良品」にも似た発想だが、名前のないブランドと逆手を採ったネーミングが功を奏して、そのファッション性とともにブームを呼んでいるものとみえるが、
成程、こういった現象が背景にあってのことかと、恥ずかしながらようやく腑に落ちたしだいである。

―四方のたより―今日のYou Tube-vol.21-
連句的宇宙by四方館「KASANE-襲-」のScene.3


<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「空豆の巻」-20

  不届な隣と中のわるうなり  

   はつち坊主を上へあがらす  利牛

次男曰く、同じ人の行為を趣向とした、前句の付伸しである。「はつち坊主」は鉢坊主の訛音、托鉢僧のこと。立腹の赴くところ、たまたま通りかかった乞食坊主を呼入れて上へあげたと云っているのだが、ハッチという音に捨鉢、すてっぱちの感情をうまく取込み、酔狂で無意味な行為の滑稽を描いている。「不届」は男言葉、不仲になるのは男親と詠みきれなかった諸家は当然この句の景気も見落としている。

此句のいま一つの見どころは、先の恋のはこびが横川の僧都らしき有情の学識僧を狂言廻しに遣っていたのに対応して、名もない乞食坊主を持出したところで、これは作者たちの計算された小道具だろう。但し、利牛がどこの馬の骨ともしれぬ鉢坊主では恋の機微など話しても判らぬと考えているのか、それとも乞食坊主じつは有徳の高僧かもしれぬと眺めているのか、その点はわからぬ。その未知数の面白さを含みとして余情を次句に委せている。愚痴ばなしの相手とばかり読んでいるとそいうことも見えてこない、と。

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July 13, 2009

子供握ってくれるお米がこぼれます

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―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、10月6日の稿に
10月6日、晴、油津町行乞、宿は同前-肥後屋-

9時から3時まで行乞、久しぶりに日本酒を飲んだ、宮崎鹿児島では焼酎ばかりだ、焼酎は安いけれど日本酒は高い、私の住める場所ぢやない。
十五夜の明月も観ないで宵から寝た、酔つぱらつた夢を見た、まだ飲み足らないのだらう。
油津といふ町はこぢんまりとまとまつた港町である、海はとろとろと碧い、山も悪くない、冬もあまり寒くない、人もよろしい、世間師のよく集まるところだといふ。-略-
※表題に掲げた句のほか3句を記している


―四方のたより―
今日のYou Tube-vol.20-
連句的宇宙by四方館「KASANE-襲-」のScene.2

―世間虚仮― リアルな夢?

都議会選挙は民主の圧勝となり、いよいよ衆院解散、8月30日投票、と選挙関連が紙面を占めるなかに、「300万円で夢を買う」と見出し。サマージャンボ宝くじ発売の記事だが、なんと府内会社の女子社員が仕事仲間の代表で300万円分を購入したという話題、1万枚の籤券を段ボールで受け取って帰った、と。

以前から仲間内での団体買い流布していたのは先刻承知だが、300万の投資で仮に3億円を手にしたとしてもたかが100倍にすぎないではないか、ここまでくると「夢を買う」とは到底云えたモンじゃなかろう。
不況の底から這い上がる気配は見えず、夏のボーナスも大幅カット、いまだ八方塞がり世間を映した、いかにも世知辛い噺ではないか。

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July 12, 2009

不届な隣と中のわるうなり

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―世間虚仮― 謝って宮崎へ帰れ!

ビートたけしが、自分を「総裁候補に」と売りつけ、凋落の自民をどっぷりと巻き込んだそのまんま東の騒動に、本人を掴まえて執拗に説教を垂れたという。「逆風どころじゃない、頭の毛が全部なくなるぞ!」とは、蓋し名言とは云えぬが、まあよく言ったとしておこう。

たけし節を散々浴びたそのまんま東、さすが身に堪えたか、一夜明けた愛知県某所の講演では、「県民の意思もあるので、重視しないと…」とこれまでとは一転、弱気発言に終始したというから、身の程知らぬこのバカ騒ぎもほどなく終熄しそうな雲行きである。

―四方のたより―今日のYou Tube-vol.19-

もう2年前になる作品のVideoだが、このほどupしたのでご紹介する
立ち退き騒ぎでいまはもうないが、07年5月、新世界のDance Boxで
「連句的宇宙by四方館」として発表した
二つの作品「KASANE-襲-」と「NOIR,NOIR,NOIR-黒の詩-」の記録だ
先ずは「KASANE-襲-」のScene.1


<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「空豆の巻」-19

   ふとん丸けてものおもひ居る  

  不届な隣と中のわるうなり  岱水

次男曰く、二-名残-ノ折入。物思の原因を隣同士の不仲と見定めた後付と読めるが、「不届」は男の使うことばだろう。「不届な」は「ものおもひ居る」とは似つかわしくない、というところが滑稽のたねか。

隣に住む若い男女の恋-縁-のもつれと前句を読んで、娘の父親がつむじを曲げている、と解すればわかる。若者の恋を親がへだてる。当人同士が気まずくなったから家同士も不仲になったのではないのだ。ことばの釣合を破ってみせたところが工夫だろう、と。

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July 11, 2009

秋暑い乳房にぶらさがつてゐる

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―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、10月5日の稿に
10月5日、晴、行程2里、油津町、肥後屋

ぶらりぶらりと歩いて油津で泊る、午前中の行乞相はたいへんよかつたが、午後はいけなかつた。-略-
秋は収穫のシーズンか、大きな腹を抱へた女が多い、ある古道具屋に「御不用品何でも買ひます、但し人間のこかしは買ひません」と書いてあつた、こかしとは此地方で、怠け者を意味する方言ださうな、私なぞは買はれない一人だ。

同宿のエビス爺さん、尺八老人-虚無僧さんのビラがない-、絵具屋さん、どれも特色のある人物だつた、親子3人連れのお遍路さんも面白い人だつた、みんな集まつて雑談の花が咲いたとき、これでどなたもブツの道ですなあといつた、ブツは仏に通じ、打つに通じる、勿論飲む打つ買うの打つである、またいつた、虱と米の飯とを恐れては世間師は出来ませんよと、虱に食われ、米の飯を食ふところに世間師の悲喜哀歓がある。
※表題に掲げた句のほか6句を記している

―世間虚仮― フルトそろばん、って?

漢字は好きだが、ちょっぴり計算によわい我が家の2年生、2学期ともなれば九九を習い始めるし、早めの対策を施すかと、6月から近所に今年からopenしたばかりのそろばん教室に通わせはじめたのだが、この教室の指導法が、昔ながらの習うより慣れろで育った父母からみれば、どうも腑に落ちない。週2回通っている子どもが、宿題と云って持って帰るプリントなどを見ても、なにやら理に落ちすぎていやしないかと感じられてしかたがない。

そろばんはデジタル式の計算機だといわれる。いわば電卓の古式版といったところだが、文明の利器たる電卓より優れて暗算能力を高めてくれる。それは視覚において十進法に適っているからだ。特異な暗算能力の持ち主が、脳内でそろばんを弾いているだろうことは、疑いの余地はない。

私なら、いの一番に、1から10まで足すのを、とことん反復させ、指と脳に刷り込ませるところだが、この教室ではそうはなさらないようである。すでに一ヶ月余り過ぎて、昨夜も宿題のプリントをやっていたが、一桁の数字が3つか4つ並んで、引算が混じったものだ。それを彼女は、むしろ頭で先に計算しながら、珠の動かし方を覚えようとしているといった態だ。

仕事で遅く帰ってきた連合い殿をつかまえて、「こりゃちょっとおかしいぜ」と話を振ったら、「この教室、フルトそろばん、と云っているけど、私も首を傾げるところがある」との返答。

Netをググっても頭に冠した「フルト」の由来がまるで見当つかない。カラヤンの前にベルリン・フィルの音楽監督を務めたドイツの著名な指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーは、いまでも熱烈なファンやマニアが多いというが、まさか音楽家の名前に由来するものとは思えない。その彼に数学者の従兄がいた、彼より17歳ばかり年長で、その名はフィリップ・フルトヴェングラー、数論を究めたというこの学者は、半身不随の身で車椅子の学究生活だったらしいのだが、その殆どをウィーン大学にあって、かの不完全性定理のクルト・ゲーデルらを輩出させている。

フルトそろばんの「フルト」と辛うじて結びつきうるとすれば、この数学者の名に由来するものかと思えなくもないが、はたしてどうか、まるで確証はない。

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July 09, 2009

ふとん丸けてものおもひ居る

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―表象の森― 精神分析の臨床と日常語

その著書「甘えの構造」はつとに知られるが、日本の精神分析、その黎明期をリードし後進に多大の影響を与えた土居健郎-5日死去、89歳-を悼む斎藤環の一文が、昨日の夕刊-毎日-に載っていた。
先達土居健郎の、卓越した臨床家としての側面は、名著「方法としての面接」でその片鱗をうかがい知ることができる、として続いた言挙げが判りやすくおもしろいので書き留めておく。

「わかる」という言葉を手がかりに
自分のことが「わかられている」と感じるのが分裂病
「わかりっこない」と考える躁鬱病
「わかってほしい」と訴える神経症
といった区分がなされる。

斎藤は、臨床において日常語がいかに発見的な機能を持っているか、このくだりからだけでも十分にうかがい知れよう、と結んでいる。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「空豆の巻」-18

  雪の跡吹はがしたる朧月  

   ふとん丸けてものおもひ居る  芭蕉

次男曰く、折端、雑。天象を人事に奪い、「雪の跡吹はがしたる」に見合うのは「ふとん丸けて」だと作っている。敷いてないのではない、展べてあるか、展べかけて思い直したか、はだれ雪にさすおぼろな月かげに蒲団を丸める興を誘われた、とまず云っている。そして、じつは「ものおもひ」のたねがあったのだ、と恋含につないである。二句、待人来らず独り寝のさまか、つれなく帰った男に対する思いか、それとも亡き人の思出か、などなど話をさぐらせるところ、芭蕉はやはり恋上手である。尤も、句の人には当世風の女の姿はあるが、かぎる必要はない。

蒲団は現代では冬の季語である。蕪村の頃には冬に扱った例がいくつもあり、元禄頃にもそう見なしたらしい発句がある。支考の「削かけの返事」-享保13年-には「発句にすれば当季となり、平句にすれば雑となる物は、夜着、ふとん、居-すゑ-風呂の類也」と云う。平句では無季に扱うのが普通だったらしい、と。

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July 08, 2009

剥いでもらつた柿のうまさが一銭

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―山頭火の一句―
昭和5年の行乞記、10月4日の稿に
10月4日、曇、飫肥町、宿は同前-橋本屋-

長い一筋道を根気よく歩きつづけた、かなり労れたので、最後の一軒の飲食店で、刺身一皿、焼酎二杯の自供養をした、これでいよいよ生臭坊主になりきつた。-略-

今日は行乞エピソードとして特種が二つあつた、その一つは文字通りに一銭を投げ与へられたことだ、その一銭を投げ与へた彼女は主婦の友の愛読者らしかつた、私は黙つてその一銭を拾つて、そこにゐた主人公に返してあげた、他の一つは或る店で女の声で、出ませんよといはれたことだ、彼女も婦人倶楽部の愛読者だつたろう。-略-

行乞記の重要な出来事を書き洩らしてゐたーーもう行乞をやめて宿へ帰る途上で、行きずりの娘さんがうやうやしく十銭玉を報謝して下さつた、私はその態度がうれしかつた、心から頭がさがつた、彼女はどちらかといへば醜い方だつた、何か心配事でもあるのか、亡くなつた父か母でも思ひ出したのか、それとも恋人に逢へなくなつたのか、とにかく彼女に幸あれ、冀くは三世の諸仏、彼女を恵んで下さい。
※表題に掲げた句のほか9句を記している

特種二つとして、主婦の友や婦人倶楽部の愛読者だろうと決めつける前者と、丁重に十銭玉を呉れた行きずりの娘への山頭火の思い入れ、その対照がおもしろい。
雑誌「主婦之友」は1917-T6-年創刊、そのライバル誌ともいえる「婦人倶楽部」の創刊は1920-T9-年だ。大正デモクラシーの潮流のなかで、大衆的主婦層に向けた生活の知恵、暮しに根ざした教養と修養の啓蒙的雑誌だが、大正末期から昭和初期、飛躍的に愛読者をひろげ、主婦之の友は1934年-S9-新年号で108万部発行にまで至っている。その教養主義の大衆化は、古きよきものをないがしろにし滅ぼしていくことでもあったろうから、山頭火は苦々しい面付でこれを見ていたのだろう。

―表象の森― KAORUKO、出色

いや、驚いた、胸中思わず唸ってしまうほどに、
「天国のお母さん、大切なことを言い忘れました。
私を生んでくださって、ありがとう。」
たった二行の、その発語は、出色のものだった。

板の上にのること、虚と実の二相に引き裂かれつつ身を置くといった、その特異な局面が、我が身に否応もなく、一方で昂揚感をもたらし、また緊張感に包まれもし、我が事にあって我が事にあらず、舞台という世界に潜む遊び神にでもまるで背中を押されたかのように、たとえ幼な児といえど、無自覚なままに豹変、憑依してしまうものなのだ。

まこと白川静の云う「言葉とは呪能」である。そしてまた、身振りとは魂振りであり、際において窮まれる振りとは呪能そのものであろう。

振り返れば、昨年9月、ほぼ2年ぶりに再びはじめたDance Caféも、昨夜でやっと4夜を重ね、これが見事なほどに起承転結に照応していることに、ふと気づかされたものである。

バレエの申し子のように育ってきたありさを、世界もキャリアもまるで異なる此方の手法のなかにどのように棲まわせるか、そんな試行にはじまり、13歳のありさの世代にまで降りてゆけるのなら、8歳のKAORUKOにも届き得ようかというのが「Reding」であり、転でもあった、そんな一面がある。

むろん4夜の起承転結、その照応はこの一事ばかりではない。むしろ核というか本質というか、孕むべき劇的変容はもっと要のところで静かに進行しており、こと此処に到っているのだ。

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July 07, 2009

雪の跡吹はがしたる朧月

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Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

―四方のたより― 今夜はダンスカフェ!

弁天のオーク200でお逢いしましょう。
            四方館亭主 林田鉄

―表象の森― Body Gear、角正之の手法

昨夜は、Dance Caféの前日というに、山田いづみからの熱い誘いもあって、角正之君たちの即興Liveを観に出かけた。
場所は阪急六甲駅そばのLivehouse.Maiden Voyage、午後7時に間に合うように六甲駅に降り立ったが、直ぐ開演かと思いきやなんのことはない、開場が7時で、7時30分の開演だった。

二部に分かれた前半は、部分的にDuo partもあったものの、いわば短いsolo集といったもの。角君も含め、小谷ちず子、越久豊子、三好直美、山田いづみの5人5態、各人の踊り方、個別の骨法の如きものがよく覗えて、それなりに楽しめた。
暫時の休憩を挟んで後半は、女性4人による即興だが、時間にして20分ほどか。演奏トリオはVoiceの北村千絵を軸にした編成で一定のまとまりを有するゆえか、一面聞きやすいが、いくぶん意外性に乏しい。

いつも観念的言辞を弄してやまぬ角君だが、その手法、音と動き、そして空間、それらの関係性や組立ての論理は、どうやら形式的論理の思考で貫かれたものらしい。
あくまで即興の、4人のその踊りは、約束事とて僅かなものしかなかったのだろうが、結果としては、ずいぶんと構成的なものになってしまって、前半を些か楽しめただけに期待は膨らんだのだったが、案に相違、裏切られるかたちとなった。

私の眼からすれば、原因ははっきりしている。4人の動きは、それぞれ2人、3人、また全員と、あまりにも即物的、直接的に、絶えず関係を採りすぎた。個々ひとりひとりの動きの世界が生み出され際立っていくなかで、関係の網の目を形成していこうと、そういう視点に立っていないように、どうしても私には映る。即興をとおしてどんな世界を現出せしめるか、志向しているのか、角君のアプローチと私の方法論の違いが、かなりはっきりと浮かび上がってきた、そんな一夜だったように思われた。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「空豆の巻」-17

   かれし柳を今におしみて  

  雪の跡吹はがしたる朧月  孤屋

次男曰く、根雪かそれとも春雪か、はだらに土の覗くあたりに朧月がさしている、という眺めである。積った雪を風が吹起したとも読めぬことはないが、それなら「雪の跡吹きはがされし朧月」と云えばよい。さてはあの雪を吹きはがしたのは朧月であったか、と見立てるところに俳趣を生む作りである。したがってこの「朧月」は、単に俳諧特有の投込の技法というのとも違う。

孤屋が月の座をこぼして花の跡見とした成行は先に述べたとおり。「雪の跡」と加えて雪月花三位の興の設けとしたところが洒落た工夫で、月花一所のつとめは歌仙に間々見かけるけれど、こういうはこびは他に例がない。古い歌にも雪月花を合せ詠んで成功した例は稀であるから、猶のこと眼にとまる、と。

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July 06, 2009

子供ら仲よく遊んでゐる墓の中

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Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、10月3日の稿に

10月3日、晴、飫肥町、橋本屋
すこし寝苦しかつた、夜の明けきらないうちに眼がさめて読書する、一室一灯占有のおかげである、8時出立、右に山、左に海、昨日の風景のつづきを鑑賞しつつ、そしてところどころ行乞しつつ風田といふ里まで、そこから右折して、小さい峠を二つ越してここ飫肥の町へついたのは2時だつた、途中道連れになつた同県の同行といつしょに宿をとつた。-略-

朝、まだ開けきらない東の空、眺めてゐるうちに、いつとなつて明るくなつて、今日のお天道様がらんらんと昇る、それは私には荘厳すぎる光景であるが、めつたに見られない歓喜であつた、私はおのづから合掌低頭した。-略-
表題に掲げた句のほか8句を記している

飫肥-おび-町は、現在の宮崎県南部、日南市の中心街だが、九州の小京都と称される古い城下町である。古くは戦国の世、伊東氏と薩摩の島津との間で100年にわたる国盗りの舞台ともなった飫肥城は、江戸期になって5万1千石の城下町となって代々伊東家が治めた。1977年には重要伝統的建造物群保存地区として、城下町らしい景観と飫肥城を復元するために大規模な改修が行われている。

その古い町並の静かな佇まいを伝えるPhoto群が<此のサイト>で観られる。

―四方のたより― 今日のYou Tube-vol.18-
林田鉄のひとり語り「うしろすがたの‥山頭火」Scene.8、終幕である。

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July 05, 2009

かれし柳を今におしみて

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IInformation – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

―四方のたより― めずらしく連チャン稽古

昨日は夕刻の5時頃から、演奏の競演者たちに集まって貰ってリハーサル、今日は10時集合でいつものように稽古、わが四方館にすればめずらしい連チャンだが、即興-Improvisation-主体のDance Caféとはいうものの、やはりPlayerとDancerが一応の手合わせをしておくことは収穫があるものだ。

昨日から今日へと、Dancerたちは心的に昂揚もしてくるし、その分集中力も強まってくる。
Playerたちはといえば、昨年9月から常連となってきたvoiceのMさんを今回は余儀なく欠くものの、ほかのお三方は健在、同じ陣容で4回目となる今回、互いの手の内をよく知り得てきたなかで、此方の狙いどころを受けとめて貰いながら、意外性をいかに生み出し、ときに求心力をどう発揮していくかなど、それぞれ脳裡に具体像を結びつつあるのではないか。

残る心配は、会場のレイアウト-Installation-設営ときわめて限られたlight-照明-との兼合いだが、これは現場仕事、当日の設営作業のなかで判断していくしかないが、さて‥。

今日のYou Tube-vol.17-
林田鉄のひとり語り「うしろすがたの‥山頭火」Scene.7

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「空豆の巻」-16

  この春はどうやら花の静なる  

   かれし柳を今におしみて  岱水

次男曰く、花どきも終り新茶が出始める候になったから、古茶の在庫を減らしておこうというのも人情なら、今となってはかえって古茶が懐かしい、というのも人情だろうと含を利かせて作っている。

前が「花の静なる」と云うから、春2句目に、わざわざ「か-枯-れし柳」と逆らって応じて見せたところが滑稽のみそで、「柳枯る」は冬の季語である。「今にお-惜-しむ」のは柳も芽吹いたころ、と覚らせるように強引に季を持たせている。春・秋は三句以上続という連句の約束があって出来る趣向の面白みだ、と。

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July 03, 2009

お経あげてお米もらうて百舌鳥ないて

Santouka081130030

Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、10月2日の稿に
10月2日、雨、午后は晴、鵜戸、浜田屋

-略-、私の行乞のあさましさを感じた、感ぜざるをえなかつた、それは今日、宮ノ浦で米1升5合あまり金10銭ばかり戴いたので、それだけでもう今日泊まつて食べるには十分である、それだのに私はさらに鵜戸を行乞して米と銭を戴いた、それは酒が飲みたいからである、煙草が吸ひたいからである、報謝がそのままアルコールとなりニコチンとなることは何とあさましいではないか! -略-

岩に波が、波が岩にもつれてゐる、それをぢつと観てゐると、岩と波とが闘つてゐるやうにもあるし、また、戯れてゐるやうにもある、しかしそれは人間がさう観るので、岩は無心、波も無心、非心非仏、即心即仏である。-略-

同宿の或る老人が話したのだが-実際、彼の作だか何だか解らないけれど-、
  一日に鬼と仏に逢ひにけり
  仏山にも鬼は住みけり
鬼が出るか蛇が出るか、何にも出やしない、何が出たつてかまはない、かの老人の健康を祈る。-略-

※文中、表題に掲げた句のほかに、14句を記す

―四方のたより― 今日のYou Tube-vol.16-
林田鉄のひとり語り「うしろすがたの‥山頭火」Scene.6

―表象の森― 「群島-世界論」-20-

意識の多島海にひとたび漕ぎ出せばもはや単純な帰還はない。世界の、海底での連結の事実に気がつけば、故郷という土地は樹々からこぼれ落ちる種子のように海上に散種され、世界の無数の汀へと流されてゆく。振り向いた水平線上から帰るべき陸地が消えた時、人ははじめて未知の自由を得る。<わたし>こそが水平線であることを発見するからだ。一人一人が自らに絡みつく歴史と政治の緯度や経度が錯綜した水平線を舟とともに曳航し、その<わたし>という水平線の出逢う交点に一つ一つ島が出現してゆく。自らが引きずるのと瓜二つの水平線、時空のはてなき拡がりと炸裂のなかで未知のまま結びあっていたもう一人の<わたし>、<わたし>の分身のような水平線がどこかの海から訪れ来る。背後に置いてきた故郷ではなく、前方にかすむ起源が、未来へと向かう水平線の運動のなかに書き込まれてゆく。

「私は群島」-I am the Archipelago-、<わたし>と<群島>とを、実存をしめすもっとも確固たる等号で簡潔に繋ぐこと。このようにシンプルにして果敢な言葉を発した詩人は、エリオット・ローチ以外にいない。
 -今福龍太「群島-世界論」/20.私という群島/より

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July 02, 2009

この春はどうやら花の静なる

Santouka081130016

Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

―世間虚仮― そのまんま劇場、終幕

昨日の朝刊トップ見出しに「東国原氏の入閣調整」と打った毎日新聞、今朝の紙面では一転「東国原氏起用見送り」とせざるをえなかった、そのまんま東の国政転身戦略に踊らされた騒動劇も、この一夜の、泰山鳴動の顛末でどうやら終幕がぐんと近くなったようだ。
ところが本人はまだまだやる気満々、「私が出馬すれば、自民を勝たせられる」と、ご当地の宮崎で県民相手に曰っている。そのOptimistぶり、ノーテンキな軽薄さは、麻生宰相殿といい勝負だ。

そのまんま東が、これまで宮崎県民の圧倒的な支持を得てこられたのも、またその人気がマスコミを通し全国に波及してきたのも、彼のキャラスタイル、下から目線ならぬ下からの物言いが、権力などとはほど遠い無力な存在の一所懸命さやある種の謙虚さを彷彿とさせればこそである。彼自身云うところの「この国を変える、今回が絶好のチャンス」も、かように自ら条件闘争にまみれていってしまっては、傲慢不遜と映るばかりで、正体見たりとなるは必定、ただ失墜あるのみだということに気づいていないらしい。

―四方のたより― 今日のYou Tube-vol.15-
林田鉄のひとり語り「うしろすがたの‥山頭火」Scene.5


<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「空豆の巻」-15

   茶の買置をさげて売出す  

  この春はどうやら花の静なる  利牛

次男曰く、四吟歌仙の巡をabcd・badcの通例に従えば二花三月の定座の人は次のとおり。初折の表5句目・月-芭蕉、同裏8句目・月-孤屋、同裏11句目・花-孤屋、二ノ折の表11句目・月-芭蕉、同裏5句目・花-岱水。利牛の座はない。
二句上げて9句目、利牛の「花」は孤屋の譲によめものだと容易にわかるが、孤屋自身も定座の花の跡見を「朧月」と作っている。8句目で予め月をこぼしておいた所以だ。

「静なる」が見どころ。前句の「下げて」に即応した言葉択びもさることながら、二句上げて譲られた「花」が飲めや唄えの浮れ気分では具合がわるかろう。

句はこの興行で初めての春季である。雑の句からの移りだから進行に問題はないが、前々から時季の含みを以て読むと、いきなり花の座というのは逆接の印象を免れまい。ならば、気早な老人は八十八夜を待兼ねて古茶を売出す、と前句を茶化した滑稽の気転と読めばよい。茶摘は晩春の季である。利牛は「花の」と作って、もとはしていない。分説すれば主観が表に立ち、人情がらみとなる。裏入から人事句で継いできたこの巻のはこびからすれば、観相とはいえ眺めやる写生体の句が欲しい。利牛の眼のはたらきはそこにもあるだろう、と。

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July 01, 2009

泊めてくれない村のしぐれを歩く

Santouka081130036

Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、10月1日の稿に
10月1日、曇、午后は雨、伊比井、田浦といふ家

-略-、朝夕の涼しさ、そして日中の暑さ。今日此頃の新漬-菜漬のおいしさはどうだ、ことに昨日のそれはおいしかつた、私が漬物の味をしつたのは四十を過ぎてからである、日本人として漬物と味噌汁と-そして豆腐と-のうまさを味はひえないものは何といふ不幸だらう。
酒のうまさを知ることは幸福でもあり不幸でもある、いはば不幸な幸福であらうか、「不幸にして酒の趣味を解し‥」といふやうな文章を読んだことはないか知ら、酒飲みと酒好きとは別物だが、酒好きの多くは酒飲みだ、一合は一合の不幸、一升は一升の不幸、一杯二杯三杯で陶然として自然人生に同化するのが幸福だ-ここでまた若山牧水、葛西善蔵、そして放哉坊を思ひ出さずにはゐられない、酔うてニコニコするのが本当だ、酔うて乱れるのは無理な酒を飲むからである-。-略-
文末に掲げた句のほか5句を記している

―世間虚仮― ピナ・バウシュ死す

松岡正剛に「ハイパーピース・ダンス-Hyper Peace・Dance-」と献辞を送らしめた舞踊家ピナ・バウシュ-Pina Bausch-が、昨日-6/30-急死したという。

自らは「Tanz Theater-タンツテアター-」と称した、ラバンやM.ヴィグマンとともにドイツ表現主義の舞踊を築いたクルト・ヨースに学び、独自の方法論として開花させたそのDramaticなDanceは、80年代から90年代、世界のModern Danceに衝撃を与えつづけた、といっていい。

まだ68歳、若すぎる死である。癌だったというが、その告知の5日後の、突然の死であった、と。

―四方のたより― 今日のYou Tube-vol.14-
林田鉄のひとり語り「うしろすがたの‥山頭火」Scene.4

―表象の森― 「群島-世界論」-19-

15-6世紀のVeniceは、ヨーロッパ、アジア、アフリカを結んで地球大の拡がりを持ちはじめた海上交通のほとんど唯一無二の要衝として、世界でもっとも多くの知識と情報と文物を集積する能力を持ったことで、かえって事実の領域の彼方へと逸脱してゆくような白熱した知性を生み出した。「世界」という限定された観念の極限を踏み越えてしまう過剰かつ驚異的な事実の数々が、外界への想像力を意識の内面へと反転させ、未知の世界は謎の群島の連なりとして魂の多島海に浮上した。マウロの地図は、そうした新しい心性そのものを描いた精緻な認識地図だった。

近年の、高橋悠治によるバッハの鍵盤作品の演奏と解体をめぐる一連の作業ほど、私の「群島-世界論」へのVisionを鼓舞するものはない。その試みの先には、近代世界の成立を経てヨーロッパ大陸に収斂してきたあらゆる音楽文化の要素と意匠を、ふたたび群島世界の末端へと谺のように送り返したいという、刺戟的な音楽の反-方法論が見え隠れしている。

もちろんバッハは、はじめから高橋にとって西欧近代音楽の殿堂としての権威や正統性の源泉にはなかった。バッハはむしろ、近代の西洋音楽が平均律やHomophonyといった一元的な法則性や形式的演奏行為のイデオロギーによって自らの「音楽」という制度を確立する前の最期の音楽的混沌を体現する、きわめて豊饒な可能性と逸脱の宝庫として捉えられていた。
 -今福龍太「群島-世界論」/19.白熱の天体/より

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