« May 2009 | Main | July 2009 »

June 30, 2009

茶の買置をさげて売出す

Santouka081130026


Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

―表象の森― 読書三昧にはとおく‥

60年代、70年代ならいざ知らず、80年代、90年代以降の現代美術の動向にはまったく不案内の身であれば、23人もの現代作家たちへのインタビューと精神科医独自の作家論が響きあう、斎藤環の「アーティストは境界線上で踊る」は、現在進行形のさまざまなアートシーンに通暁するという意味ばかりではなく、ずいぶんと刺激的な読書であった。
その名も初めて耳にした精神科医西丸四方の自叙記とも思われる「彷徨期」を求めたのも、本書の草間彌生インタビューに紹介された話題からだった。

―今月の購入本―
・西丸四方「彷徨記」批評社
信州は東京から近いようで、最も遠い所にある、と語る精神科医が、信州松本にあってその生涯を、狂気の分析と治療に一切の情熱を傾けた、苦悶の彷徨記。-中古書-

・P.シャモワジー・R.コンフィアン「クレオールとは何か」平凡社ライブラリー
歴史に蹂躙され、歴史に忘れられた、地球上の小さな片隅、カリブ海地域で、300年ばかりのあいだに堆積し、だれにも属さない経験に耕され、地と汗と涙の滲みた大地から、やがて多彩な言葉の花が咲き匂う‥-裏表紙コピーより-。

・白川静「文字遊心」平凡社ライブラリー
中国人のこころの諸相を捉えた「狂字論」「真字論」、古代人の生活誌ともいうべき「火と水の民俗学」、あるいは「漢字古訓抄」や漢字の諸問題など、広大にして豊饒な漢字の世界に遊びつつ、中国の歴史の深処にせまる。

・白川静「漢字百話」中公文庫
太古の呪術や生活の姿の伝える、漢字の世界-厖大な資料考証によって、文字の原始の姿を確かめ、原義を鮮やかに浮かび上がらせる、10章各10話、100話の短章集。

・上野和男「縄文人の能舞台」本の森
考古学と民俗学の領野から、縄文期以来、この国の無意識を連綿と貫く宗教の本質を、「付会・習合・形の呪術」の三つの要素を媒介に解読を試みる。

・楠見朋彦「塚本邦雄の青春」ウェッジ文庫
「水葬物語」で鮮烈なデビューを果たした塚本邦雄の、謎に包まれた青年期あるいは習作期、知られざるその素顔に迫る。

他に、広河隆一編集「DAYS JAPAN 」6月号、山田芳裕「へうげもの 5-8巻」講談社

―図書館からの借本―
・丸谷才一「後鳥羽院」筑摩書房
後鳥羽院は最高の天皇歌人で、その和歌は藤原定家の上をゆく、と称揚する著者の院を中心に据えた文学史論。73年初版の増補版。

・斎藤環「アーティストは境界線上で踊る」みすず書房
草間彌生・できやよいから、岡崎乾二郎にいたる現代美術の作家たち、現代日本のartist23人のインタビューと著者による作家論を並置した批評集。現代美術論として以上に、千差万別の個性が煌めくartistたちの肉声の記録として読み応えがある。

・鈴木博之他「奇想遺産Ⅱ-世界のとんでも建築物語」新潮社
世界中の奇妙な建築、可笑しな家・不思議な家を網羅した奇想遺産シリーズのⅡ、朝日新聞日曜版の特集企画もの。

・j.ホール「西洋美術解読辞典」河出書房新社
キリスト教や古典文学など西洋美術に特有の主題・象徴・人物・動植物・観念・持物などについて、図像学の成果に基づきながら解説した、イメージを読むための美術基礎事典

―四方のたより― 今日のYou Tube-vol.13-
林田鉄のひとり語り「うしろすがたの‥山頭火」Scene.3


<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「空豆の巻」-14

  鯲汁わかい者よりよくなりて  

   茶の買置をさげて売出す  孤屋

次男曰く、打越の人茶舗のあるじらしき人に奪った付で、三句同一人物ではないが、景の句と違い人事句を渡りに使うと、はこびはとかく同じ一人の行為なり感想の付伸しと読まれやすい。それでは連句にならぬことぐらい、承知して作っている筈である。

「ながれたあとを見に行」と「さげて売出す」も、同巣と読まれかねない。捌きの考え方のむつかしいところだが、「家のながれた」は天災、「買置をさげて」は人情、と考えればきわどいところで縺れを避けた工夫も納得できる。どじょう汁で精力がついたら茶趣味がしらけた、という老人心理は納得がゆく。

新茶・古茶という季はあるが-初兼三夏-、茶、茶の買置は季語ではない。ないが、三句自ずと梅雨期頃と知られる遣方で、若返ったから古茶の大売出をしよう、と句は読んでよい。むろん新茶が含みだ、と。

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 29, 2009

波の音たえずしてふる郷遠し

Santouka081130021

Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、9月30日の稿に

9月30日、秋晴申分なし、折生迫、角屋
いよいよ出立した、市街を後にして田園に踏み入つて、何となくホツとした気持になる、山が水が、そして友が私を慰めいたはり救ひ助けてくれる。-略-

今日、求めた草鞋は-此辺にはあまり草鞋を売つていない-よかつた、草鞋がしつかりと足についた気分は、私のやうな旅人のみが知る嬉しさである、芭蕉は旅の願ひとしてよい宿とよい草鞋とをあげた、それは今も昔も変らない、心も軽く身も軽く歩いて、心おきのない、情のあたたかい宿におちついた旅人はほんとうに幸福である。-略-

夜おそくなつて、国政調査員がやつてきて、いろいろ訪ねた、先回の国勢調査は味取でうけた、次回の時には何処で受けるか、或は墓の下か、いや墓なぞは建ててくれる人もあるまいし、建てて貰ひたい望みもないから、野末の土くれとの一片となつてしまつてゐるだだらうか、いやいやまだまだ業が尽きないらしいから、どこかでやつぱり思ひ悩んでゐるだらう。-略-

青島即事と前書して「白浪おしよせてくる虫の声」他5句記している。

―四方のたより― 今日のYou Tube-vol.12-

林田鉄のひとり語り「うしろすがたの‥山頭火」Scene.2

―表象の森― 「群島-世界論」-18-

こころみに「幸福」という言葉を英訳してみよう。おそらく誰もがごく自然にとするだろう。それは私たちのときに荒れ果ててもいる日常の、ささやかな憧れの表明でもある。だがもしと答える者がいれば、その人はずっと詩人に近いところにいる。happinessの幸は悲しくも軽く通俗的だが、blissの幸はたとえ一瞬であろうとも天上的で陶酔的な得難い至福の謂いである。happinessが求められるものであるとすれば、blissは思いがけぬ不意の到来である。他にもgood, welfare, well-beingといったそれぞれに文脈やニュアンスを異にする訳語が容易に浮かんでくる。「幸福」という言葉のこうした多様な変異が示すように、幸福は単一の感情へと収斂しえない、それ自体群島のような情動の揺れを抱く感情複合体である。幸福という真実に行き着く経路もまた、近代の歴史や宗教・信仰の道筋、さらには日常生活の刹那に訪れる得心のか細い稜線といった無数のルートを含みこんでいる。群島の想像力は、こうした感情語彙を多様な可能性に拓いてゆくときにも、私たちの内部でたしかにはたらいている。

詩は大陸から孤絶した島である。わが群島のさまざまな方言-Dialect-は、私にとって彫像の額の上の雨滴のように新鮮に思われる。それは威圧的な大理石の古典的な奮発による汗ではなく、雨と塩という清冽な要素の凝縮そのものである。-D.ウォルコット「The Antilles: Fragments of Epic Memory」
 -今福龍太「群島-世界論」/18.ハヌマーンの地図/より

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 28, 2009

鯲汁わかい者よりよくなりて

Santouka081130064

Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

―表象の森― した、した、した‥

彼の人の眠りは、徐-シヅ-かに覚めていった。
真っ黒い夜の中に、更に冷え圧するものの澱んでいるなかに、眼のあいてくるのを覚えたのである。
した、した、した‥、耳に伝ふやうに来るのは、水の垂れる音か。ただ、凍りつくやうな暗闇の中で、おのづと睫と睫とが離れてくる。

いわずと知れた折口信夫の「死者の書」、その冒頭部分である。初出は1939-昭和14-年、当時の総合誌「日本評論」だというから、もう70年が経つ。

私が本書に想を得て、「大津皇子―百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや」あるいは「大津皇子-鎮魂と飛翔」と二度にわたって、劇的舞踊として舞台化したのは’82年の秋、そして翌年の春であったから、四半世紀あまりを経て、あらためて本格的に挑んでみたいものと、まるで胸中深く眠っていたかのごとき熾火が、このところその姿を顕しはじめている感があるのだ。

このたびのDANCE CAFÉ「出遊-天河織女篇-」では、いわばその端緒をひらくそのまた掛かりを、といった態ほどにしかならないだろうが、まずはひと振り試しておこうと思っている。乞ご期待、というには烏滸がましいに過ぎようが、まあ観てやって戴ければと、これは前口上。

―四方のたより― 今日のYou Tube

品はかわって今日からは「山頭火」シリーズ、昨秋の、九条MULASIAでの舞台記録から。
林田鉄のひとり語り「うしろすがたの‥山頭火」Scene.1

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「空豆の巻」-13

   家のながれたあとを見に行  
  鯲汁わかい者よりよくなりて  芭蕉

次男曰く、早起老人の弥次馬根性と見定め、行ってみたら家は流されて代りに鯲-ドジョウ-がたくさん取れたと付けている。むろん、前句の起情を受けて、きれいさっぱり流された後に始まるのは精気を養う新しい工夫だ、という観相の含みがある。浮舟入水も当世風にもじれば、ここまで滑稽咄に持込める。薫=俳諧師が考えついた宇治十帖余聞だ。

どじょう汁のことは「守貞漫稿」-嘉永年間成-に詳しく誌し、文化・文政頃から三都で大いに嗜好されたらしい。季語としては、青藍の「栞草」にもまだ見えず雑の詞だが-今は夏季-、出水を五月川と見究めた付だろう。因みに「夢の浮橋」も蛍の頃であるから辻褄が合う。

「よくなりて」とは文字とおりとも読めぬことはないが、「わかい者より」とあるからここは、飲食が進む意味だろう。もともと酒について用いられる上方ことばで、酒のなる口-なる、なる口だけでも遣う-といえば上戸とか酒の手があがることである。「よくたべて」でもよいところを「よくなりて」としたのは、「炭俵」時期特有の俗語の取入れには違いないが、「なる」とは酒食に限らず色恋に用いてもよいわけで、前田勇「近世上方語辞典」に「おれを見ると附けつ廻しするに依て、こいつ成る口ぢやと思うて」という用例が挙げている、と。

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 27, 2009

お茶をくださる真黒な手で

080209106

Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

-山頭火の一句- 昭和5年の行乞記、9月30日の稿に

9月29日、晴、宿は同前-宮崎市.京屋-
気持ちよく起きて障子を開けると、今、太陽の昇るところである、文字通りに「日と共に起き」たのである、或は雨かと気遣つてゐたのに、まことに秋空一碧、身心のすがすかしさは何ともいへない、食後ゆつくりして9時から3時まで遊楽地を行乞、明日はいよいよ都会を去つて山水の間に入らふと思ふ、知人俳友にハガキを書く。-略-

両手が急に黒くなつた、毎日鉄鉢をささげてゐるので、秋日に焼けたのである、流浪者の全身、特に顔面は誰でも日に焼けて黒い、日に焼けると同時に、世間の風に焼けるのである、黒いのはよい、濁つてはかなはない。
行乞中、しばしば自分は供養をうけるに値しないことを感ぜざるをえない場合がある、昨日も今日もあつた、早く通り過ぎるやうにする、貧しい家から全財産の何分の一かと思はれるほど米を与へられるとき、或はなるたけ立たないやうにする仕事場などで、主人がわざわざ働く手を休ませて蟇口を探つて銅貨の一二枚を鉄鉢に投げ入れてくれるとき。‥ -略-

―四方のたより― 今日のYou Tube-vol.9-
「Reding –赤する-」終幕のScene.7

―表象の森― 「群島-世界論」-17-

サンタ・マリア-Santa Maria-、この地名をもつ土地だけを世界地図の上で点で示した地図があったとしよう。白地図の上に落とされた点の固有の密度と特異な地理的偏差の絵柄に、誰でもきっと眼を奪われるにちがいない。規範的な世界地図の見慣れた大陸と島々の構図を突き破って、一つの地名が描き出す未知の群島がそこに出現するからである。

「聖マリア」を意味するこの言葉のラテン的出自に対応して、スペイン・ポルトガルにはSanta Mariaなる地名が数多く点在する。だがそこから世界へ向けてのこの地名の拡がりには眼を見張るものがある。まずイベリア半島から大西洋上に千数百キロ沖に出れば、かつて捕鯨基地として沸いたポルトガル領アソーレス諸島の最南端に浮かぶサンタ・マリア島がある。ついで同じ大西洋上の西アフリカ沖、奴隷交易の中継地だったカーボ・ヴェルデ群島を構成するサル島の港サンタ・マリア。ついで大西洋を渡りきって中南米に眼を移せば、北はメキシコから、コロンビア、アルゼンチン、そしてブラジルに至るまで、聖マリアの名に因む町や村はそれぞれの国内におびただしく散在し、それが持つ歴史的願意をさまざまに分泌する。そして驚くべき反響は太平洋海域にまで達し、フィリピン群島各地にもSanta Mariaを名のる大きな町だけで8ヶ所、さらにはメラネシア、ヴァヌアツ共和国北端のバンクス諸島にあるガウア火山島もまた別名をサンタ・マリア島という。そして最後に、ガラパゴス群島において最初に拓かれたチャールズ島も、そのスペイン語名をサンタ・マリア島というのであった。

このSanta Mariaの群島は、その名辞の胚胎するコロニアルな記号としての含意と隠喩によって、近代植民地主義の一つの写し絵となる。歴史を群島のVisionによって転位する可能性は、まさにこうした歴史的名辞の偶然でアイロニーに満ちた飛躍的連接を「いま」に召還する想像力にかかっている。
 -今福龍太「群島-世界論」/17.痛苦の規範/より

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 26, 2009

家のながれたあとを見に行

Db07050910084

Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

―表象の森― 山頭火のepisodeひとつ

先日、U君から届いた書面に、近況を知らせる文面とともに、山頭火の心暖まるほのぼのepisodeが添えられていた。語り手は山頭火と直かに交わりのあった大山澄太、詳細は「致知」で出逢ったいい話としてネットでも見られるようだが、大山澄太といえば、「俳人山頭火」や「俳人山頭火の生涯」、また山頭火行乞記と副題する「あの山越えて」などの著作で知られ、昭和30年代の第一次山頭火ブームの火付け役ともなった御仁である。

大山澄太-岡山県に生まれる。戦後愛媛県にて著述と社会教育に専念、教育文化賞を受ける。雑誌「大耕」主宰。平成6年(1994)逝去とあって、享年85歳というから、生年は1908年か09年、山頭火より26.7歳下となる。

この親子ほども若い大山澄太と山頭火との交りは、やっと故郷近くの小郡に落ち着けた其中庵時代にはじまる。当時、澄太は広島逓信局に勤める役人であったが、俳誌「層雲」の同人でもあった。其中庵に落ち着いた山頭火を囲んで、「層雲」主宰の井泉水はじめ、同人の仲間たちが集って句会を催したのが昭和8年3月、この折に若い澄太も混じっており、山頭火との初めての出会いであったとみえる。

以前から山頭火の句風と放浪の生きざまに憧れ、敬愛していた澄太は、以後、しばしば広島から訪ねてくるようになる。U君が紹介してくれたepisodeは、その昭和8年も暮れようとする12月の其中庵訪問記のようだ。

以下、書面より
ある年の暮れ、仕事で山頭火の庵の近くまで来たので、酒を持って訪ねました。夜まで話が弾み、さて帰ろうとすると、
「澄太君、すまんが長い間、人間と一緒に寝ておらんので、寒いぼろの庵だが、ここへ泊まってくれ」という。
寂しがる先輩を残して帰るのもなんだから、「それでは泊まろう」ということになったが、いざ寝ようとしたら蒲団が一つしかない。
山頭火が、「君が泊まるので嬉しいから寝ずに起きとる」というので、蒲団に入ったが、小さくて薄い蒲団のため寒くて眠れない。
「どうも寒くて、眠れそうにない」というと、山頭火は泣きそうな顔をして「済まんことだ」といいながら押し入れから夏の単衣を出して私にかける。
私は「まだ寒い」というと、紐のついた物を持ってくる。ようく見ると赤い越中ふんどしなんです。それを私の首に巻く。臭いことはないが、いい気持ちはしないので、「それはいらん」と取って外す。
そのうちに酒の酔いも手伝って寝てしまいました。
東側の障子がわずかに白んだ、夜明けの4時頃だろうか、私はふと目が覚めた。山頭火はどこかとこう首を回して捜すと、すぐ近いところで僕の方を向いて、じーっと坐禅を組んでいる。
その横顔に夜明けの光が差して、生きた仏さまのように見えましたなあ。妙に涙が出て仕方ない。私は思わず、彼を拝んだもんです。
さらによく見ると、山頭火の後ろに柱があり、その柱がゆがんでいる。障子を閉めても透き間ができ、そこから夜明けの風が槍のように入ってきよる。それを防ぐために山頭火は、自分の身体をびょうぶにして、徹夜で私を風から守ってくれたのです。
親でもできんことをしてくれておる。私はしばらく泣けて泣けて仕方がなかった。こういう人間か、仏かわからんような存在が、軒に立たねば米ももらえんし、好きな酒も飲めん。
そのとき私は月給の4分の1を山頭火に使ってもらうことに決めました。
山頭火が死ぬまでそうしました。

―四方のたより― 今日のYou Tube-vol.8-
「Reding –赤する-」のScene.6

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「空豆の巻」-12

  風細う夜明がらすの啼わたり  

家のながれたあとを見に行  利牛

次男曰く、流されたものを人から家に奪った目付がよろしく、これは俤を滑稽化し、無常を忘れるうまい工夫だ。「ながれたあとを見に行」好奇心には、むろん事件の見聞だけではなく新しく始まるものへの期待がある。つまり起情の句だ。句の解は、風も収まった明方にカラスがしきりに騒ぐから、聞咎めて出水の跡を見に行った、でよいだろう、と。

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 25, 2009

放ちやる蝗うごかない

Dc090315114

Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、9月28日の稿に

9月28日、曇后晴、生目社へ。-宿は宿は同前京屋か-
お昼すぎまで大淀-大淀川を東に渡ったところの市街地-を行乞してから、誰もが詣る生目様へ私も詣った、小つぽけな県社に過ぎないけれど、伝説の魅力が各地から多くの眼病患者を惹きつけてゐる、私には境内にある大楠大銀杏がうれしかつた、つくつくぼうしが忙しくないてゐたのが耳に残つてゐる。-略-

今日はしつかり労れだ、6里位しか歩かないのだが、脚気がまた昂じて、足が動かなくなつてしまつた、暮れて灯されてから宿に帰りついた、すぐ一風呂浴びて一杯やつて寝る。-略-

大淀の丘へ登つて宮崎平原を見おろす、ずゐぶん広い、日向の丘から丘へ、水音を踏みながら歩いてゆく気分は何ともいへないものがあつた。もつもとそれは5.6年前の記憶だが。-略-

「途上即事」として、表題の句と
 「笠の蝗-イナゴ-の病んでいる」
 「死ぬるばかりの蝗-イナゴ-を草へ放つ」の3句を記している。

―四方のたより―

You Tubeは昨日に続く「Reding –赤する-」のScene.5-2
デカルコ・マリィ十八番芸その2である-Time 5’13

―世間虚仮― 大阪市有地の不正転貸

昨夕刊と今朝の朝刊と一面を飾っている大阪市有地の転貸問題。
条例違反と挙げられていた2社が、ともに嘗て私の知るところの人や会社であっただけに驚かされつつ記事に見入ってしまった。なにしろ88年から00年までの丸12年の間、港区の奥野市議の事務所に在って、日々舞い込んでくる相談ごとから後援会などのことども一切、また4年に一度めぐりくる選挙関係の諸事全般を経験してきた身であれば、港区の人々や会社については、直接知るもの間接知るもの数多で、否応もなく今なお大脳辺縁系に刻まれているらしく、こんな記事に出会してはその当事者や関係者の人品骨柄が思い出されてくるのである。

もとは土地区画整理事業から派生してきたものと思われる「大阪海陸運輸協同組合」への市有地賃貸が、組合加盟会社の特権的事項ともなって、いつのまにか私有財産として利得の温床となったまま長年にわたって見逃されてきたことだ。

調べてみると「公正職務審査委員会」なるものによってすでに平成19年度、「臨港地区市有地において転貸等の不適正事例が多数ある」ことが勧告されている事案である。自治体の癒着や不正に喧しいご時世のことだから、以後、管轄の港湾局においても是正指導しようと努めてきたには違いないが、にもかかわらず頑なにこれに抵抗、転貸解消に応じようとしてこなかったのが、どうやらN産業とK運輸の2社ということらしい。

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 24, 2009

風細う夜明がらすの啼わたり

Dancecafe081226129

Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

―表象の森― 期待はずれ「海神別荘」

15日に観たのだからもう旧聞に属するし、印象も希薄になってきているが、遊劇体の「海神別荘」について二、三書き留めておきたい。

昨年の精華小での「山吹」において鮮烈な印象を残しただけに、観る前から今度はどんな造形的演出が見られるか、期待も膨らんでいたのだが、やはりウィングという狭小な空間が演出の想像力の翅を充分に羽ばたかせなかったか、海神別荘なる海の底の世界とて、舞台前面に水槽を配すなど、成る程と思わせる演出もあるにはあったけれど、総じていえば期待に違えぬというにはほど遠い結果であったというしかない。

私にとって見過ごしならぬ耐え難い演出と映ったのは、地上とは隔たった海の底の、いわば異界の表象として演者たちにWireless Mikeを使用したか、なべて拡声器を通した<声=台詞>としたことである。その演出の意図は見え見えだが、この劇場がもっと広い空間ならばそれも効あったやに思われるが、此処ではその狭小な器と拡声器を通した<声>に見過ごしできない違和が生じていた。とても聞き苦しい、苦行にも似た観劇を強いられ続けたといわざるをえない。これが演出上の瑕疵として真っ先に挙げねばならない問題点だ。

次に衣装、とりわけ6人の侍女たちのそれは、これまた目と鼻の先で演じられるがため、趣味の悪さ、作りの粗さが眼につくばかりで見るに忍びないものがあった。

最後に、ヒロインの美女役こやまあいの演技、彼女の演技については前作の「山吹」においても苦言を呈しておいたが、漁師の父親に人間界から海の底へと売り渡され、海底を支配する龍宮城の乙姫様の弟君たる貴公子の許へと輿入れする薄幸の花嫁といった設定のヒロインに、その細身の大柄な姿形は一応見映えはしようが、それだけのこと。柄の大きさが可能性を秘めるというのは、まあいえなくもなかろうが、台詞の口跡も、所作の振も、大柄ゆえに咀嚼することの困難さは他人以上につきまとうもので、まだまだ無理がある未熟さだ。そしてまたウィングの狭小さがここでも大柄な彼女の演技を空間に馴染みつつ棲まうことを阻害しているのだ。

ところが、その彼女が第11回関西現代演劇俳優賞-09年2月-において女優賞を獲ているという。選考の評家諸氏が彼女の何を買ってのことか解らぬが、受賞の根拠となったのがなんと「山吹」の演技であったとされているから、此方としては二度ビックリである。おそらくこの受賞は、女優としての彼女の演技にというよりも、昨年の関西新劇において到底無視しえない「山吹」の舞台成果そのもの、それを根底から支えた演出の功に与えられたものなのだろう。


―四方のたより―
デカルコ・マリィの十八番芸

今日のYou Tubeは「Reding –赤する-」のScene.5-1
特別出演のデカルコ・マリィには、この時とくに彼の十八番芸を披露して貰ったのだが、そのsolo Sceneは12分ほどあるため、<5-1>.<5-2>と分割編集した。-Time 6’26

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「空豆の巻」-11

   僧都のもとへまづ文をやる  

  風細う夜明がらすの啼わたり  岱水

次男曰く、「いつしか待ちおはするに、-使ひの君が-かくたどたどしくて帰りきたれば、すさまじく中々なり、と-薫は-思すことさまざまにて、-浮舟を-人の隠し据ゑたるにやあらむ、とわが御心の、思ひ寄らぬ隈なく、落し置き給へりならひにとぞ」。
「源氏」54帖の結の描写である。あまりの呆気なさに肩すかしをくわされた感がつよくのこるが、夢から醒める醒め方の工夫としては、これでよいのだろう。後日譚は、読者がそれぞれに楽しんで設ければよい。

「風細う夜明がらすの啼わたり」はどんな人情句にでも付く。遣句もここまであっけらかんと、融通無碍に作られると、前後の句を取持つための殆ど合の手にすぎないが、気分を一新させるすがすがしさの効果はある。
「風細う夜明がらすの」は、物語の上の結によく似合うだろう。因みに細風-微風-を和様に遣った例は、「舟出し侍りつるにあやしき風ほそく吹きて、この浦につき侍りつること、まことに神のしるべたがはずなむ」-源氏物語・明石-のほかには見た記憶がない。岱水は意識的に裁入れて冠としたのではないか、と。

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 23, 2009

草を草鞋をしみじみさせるほどの雨

080209102

Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、9月26日の項に

9月27日、晴、宿は同前-宮崎市.京屋-、宮崎神宮へ。
今日は根気よく市街を行乞した、おかげで一日や二日、雨が降つても困らないだけの余裕が出来た。
帰宿したのが4時、すぐ湯屋へ、それから酒屋へ、そしてぶらぶらと歩いて宮崎神宮へ参拝した、樹木が若くて社殿は大きくないけれど、簡素な日本趣味がありがたかつた。

この町の名物、大盛うどんを食べる、普通の蕎麦茶碗に一杯盛つてたつた5銭、とにかく安い、質と量とそして値段と共に断然他を圧してゐる、いつも大入だ。

夜はまた作郎居で句会、したたか飲んだ、しやべりすぎた、作郎氏とはこんどはとても面接の機があるまいと思つてゐたのに、ひよつこり旅から帰られたのである、予想したやうな老紳士だつた、2時近くまで4人で過ごした。

―四方のたより― 踊ることと演じることと

7月7日のDance Cafeもずいぶん近づいてきている。案内ハガキの発送は、遅まきながら今日やっと済ませた。
ArisaやAyaに発声の手ほどきをはじめたのが5月。ことのついでにこのたびは冒頭に言葉のSceneを置くことにした。彼女らに演技経験もして貰おうという訳だが、この稽古はなかなか厄介なもので、それだけに愉しい一面もある。

踊ることと演技することと、おのれ自身がその心と身体をもってすなるものならば、似て非なるものとはいえ、その懸隔はさほどのことはあるまいと思われるものだが、なかなか、演技における声と身振りの、心身をまるごと伴った変わり身というものは、そう容易くは体得できるものではない。その突破口を少しでも開かれればと、稽古場の壁をどんどん叩くようにして演ってみせれば、ちょっぴり功を奏したか、吹っ切れたようなイイ感じをひととき見せてくれた。見せてはくれたが、も一度といえば、これが再現できないのである。偶然の初発を自身の技や術へと結びつけるのはたしかに難しいことだが、その初発さえ起こすこと-経験-が出来ないようではなにも生み出し得ない。

今日のYou Tubeは「Reding –赤する-」のScene.4
Arisaのsolo part-Time 4’54

―表象の森― 「群島-世界論」-15-

海面下における群島的統一と、それを見えなくさせている大陸と海の抗争をめぐる主題が重層的に渦を巻く意識の大海を縦横に遊泳するのが、鯨という存在である。人類の想像力のなかで、鯨はつねに具体と観念とが交錯・反転する認識の海原をゆったりと横断・回遊しながら生き続け、歴史に介入し、権力を準備し、産業に革命的影響を与え、文学的イマジネーションを鼓舞し、一方でDialectによって生きる小さな民に向けて聖俗ないまぜになった日々の恩寵を与えつづけてきた。

メルヴィル「白鯨」の、死者が落ちてゆく冥府のようなあるいは始原の母胎のような鯨の腹のなかで三日三晩呑み込まれた予言者ヨナの物語。
また、その物語が過去の追憶として語られながらも、鯨という存在をあくまで人間の肉体が対峙する<具体>の生命として無時間のなかに描ききろうとした希有な小説、L.クレジオの掌編「パワナ」-Pawana--。
 -今福龍太「群島-世界論」/16.イデアとしての鯨/より

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 22, 2009

僧都のもとへまづ文をやる

Db07050910113

Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

―四方のたより― 岡本寺の彫刻たちと滝谷のほたる

奈良明日香の岡本寺で、国内外の彫刻家17人の作品30点を集めた「飛鳥から奈良へ-国際彫刻展序章」が開かれている。平城遷都1300年の来年、奈良市で開催予定の「奈良国際彫刻展」に向けたプレイベントというべきものとかで、栄利秋さんからご案内いただいていた所為もあって、一昨日-6/20-の土曜日も午後になってから観に出かけた。

寺の本堂へ上がって鑑賞していたら、折良く栄さんが姿をあらわした。彼の案内で別会場にも足を伸ばしたうえで、ゆっくりとお茶しながら久しぶりに近況など話し込む機会を得た。
奈良市とオーストラリアの首都キャンベラは姉妹都市だそうで、キャンベラ奈良公園彫刻コンクールの話題や栄さん所有する月ヶ瀬の工房の変貌ぶりなど供され、元気人栄利秋の近況に触れた愉しいひとときであった。

その彼と別れ、宇陀の室生寺方面にある滝谷花しょうぶ園を目指して車を走らせたのは、どんよりと曇った暮れ方の6時半頃であったか、長谷寺の山門前を通り抜け初瀬街道-国道165号-を、榛原、磨崖仏の大野寺付近とうちやり、目的の地に着いたのはすでに7時を少し過ぎていた。
大人800円・小人400円、親子3人〆て2000円也の入園料は、ちと高いと思われるが、蛍を見るなぞむろん初体験の子どもに加え、あとで知るところとなったのだが、連合い殿までこの歳にして初体験とあっては、充分対価に見合うひとときの興ではあった。

まだ明るさののこる広い園内に、咲きほこる数々の菖蒲や紫陽花を歩き見て、高台にある休み処で夜のとばりの降りいくをしばし待つ。と小さな光がふわりと浮かんでは消える、一つ二つ、また一つ‥。
この自然に生息する蛍はヒメボタルか、態も小さくその光もあえかでよわいようで、とてもカメラになど収まりそうもないだろう。数はそう多くもないが、といってまあ少なくもないようで、あちらにほう、こちらにほうと、浮かんでは消えゆくたまゆらの光を追うこと暫時、初体験の彼女らにはかなり堪能できたかと思われる。

今日のYou Tubeは「Reding –赤する-」のScene.3">「Reding –赤する-」のScene.3
Ayaのsoloから、Junko& AyaのDuoへ-Time 10’06


<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「空豆の巻」-10

  娣をよい処からもらはるゝ  

   僧都のもとへまづ文をやる  芭蕉

次男曰く、僧都は僧正に次ぐ僧官の第2位、娣と見合にした思付である。
「文をやる」も前句恋のうつりだろう。恋の相手ならぬ僧都の許へ文をやる、というくすぐりは、其人の付と読んでそれだけでも連句の趣向になるが、如何せん、良縁をお坊さんに報告した-もしくは相談した-これなら後付になる-という話作りは芸が無さすぎる。芭蕉の付句とも思えぬ。

第一「娣」は「妹」でよい筈だ。そう思って句姿を眺めていると、ある俤が立ってくる。
「源氏」宇治十帖の終章-夢の浮橋-には、入水して救助された女のその後の消息をもとめて、薫が横川の僧都を訪うくだりがある。出家し小野に隠れ住む女の心を測って、僧都は手引を拒む。薫は歌を添えて-「法の師と尋ぬる道をしるべにて思はぬ山に踏み惑ふかな」-小野へじかに文をやるが、彼女は「昔のこと、思ひ出づれど更におぼゆることなく、怪しういかなりける夢にかとのみ、心も得ずなん」と、使としてたずねて来た吾が弟にも会おうとしない。女は浮舟、宇治八宮の姫君である。大君と中君との異母妹にあたり、亡き大君に生写し。

孤屋・芭蕉の付合は、薫をめぐって大君から中君へ、中君から浮舟へ、という姉妹の情に浮舟入水から蘇生までの顛末を絡ませれば、話が宇治十帖のクライマックスであるだけに充分に俤仕立と読める。
「よい処からもらはるゝ」の真骨頂は、この世の男などではなく、御仏の許に貰われた女の至福と考えざるをえない。「僧都のもとへまづ文をやる」は、人物を取替えて、釈教含みの思い切った恋離れとした手立てだ、と私には読める。僧都をなかにして、男の未練ゆえに女の道心が愈々堅固になる、とはまったくうまい。恋を離れるにはかくありたい、と妬かせる工夫の妙である、と。

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 20, 2009

秋暑い窓の女はきちがひか

Dc090315064

Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、9月26日の項に

9月26日、晴、宿は同前-宮崎市.京屋-
9時から3時まで、本通りの橘通を片側づつ行乞する、1里に近い長さの街である、途中闘牛児さんを訪ねてうまい水を飲ませて貰ふ。
宮崎は不景気で詰らないと誰もがいつてゐたが、私自身の場合は悪くなかつた、むしろよい方だつた。
夜はまた招かれて、闘牛児さんのお宅で句会、飲み食ふ会であつた、紅足馬、闘牛児、蜀羊星、みんな家畜に縁のある雅号である、牛飲馬食ですなどといつて笑ひ合つた。-略-

―四方のたより―
今日のYou Tubeは「Reding –赤する-」のScene.2、Junkoのsolo


―表象の森―「群島-世界論」-15-

島尾敏雄はポーランドを再訪、三訪することで、民族と国家と歴史的主体をめぐる彼の固有かつ地域的な問いを、より広がりのある知的射程へと導くことができることを知った。琉球弧、フィリピン、ハワイ、プエルトリコと並んで、ポーランドは、彼にとってのそうした世界を浮上させる特別の一地点として、自身の群島地図にある時浮上したかけがえなき島だったのである。

「群島=多島海」-Archipelago-という語彙が、ヨーロッパ=地中海世界における始原の海エーゲを指す西欧的用法を超えて、近代世界における島嶼の連なりを指す一般名詞として広く流通するために寄与した最重要の書物のひとつが、博物学者A.R.ウォレスによる「マレー群島」である。この書の愛読者であり、まさに言語的変異の坩堝のようなこの海域を船員として往還したJ.コンラッドが、ボルネオ島東部域の海と川を舞台に一人の孤独な夢想家商人の野心と没落を描いた処女作が、「オルメイヤーの阿呆宮」であった。

群島の言語-。「大陸」の原理が抑圧する言語のひとつは国家的枠組みを欠いたDialectという消えかける地方言語であり、もうひとつがPidgin=Creoleというどこにもnativeな帰属を持たない浮遊する混淆言語である。そうした大陸言語の抑圧のもとに上書きされて見えなくなっていたくぐもった異語の肌理が、いま群島のVisionのなかで浮上しつつあるとはいえないだろうか? この、完全に文字言語によっては征服され得ない群島の言語を、彼らを先達として聴き取ることの可能性こそが、いま私たちのまえに拓かれてあるといわねばならない。
 -今福龍太「群島-世界論」/15.言語の多島海/より

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 19, 2009

娣をよい処からもらはるゝ

Dancecafe080928103

Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

―四方のたより― こんどはVideo

You Tubeにuploadできる動画はおよそ10分前後以内となっているらしい。したがってDance Cafeや舞台の記録を全編uploadしようと思えば、いくつかのSceneに分割編集しなければならない。時間ばかり費やして私などにはこれが意外と面倒な作業なのだが‥。
という訳で、本日は「Reding –赤する-」Video篇のOpening Scene。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「空豆の巻」-09

   晩の仕事の工夫するなり  

  娣をよい処からもらはるゝ  孤屋

次男曰く、「晩の仕事の工夫する」人を女と見定めた物思の体。薪の下、晩の仕事、娣-いもうと-と移したはこびに目配りがある。

娣と妹は同義ではない。中国古代の辞書「爾雅」の「釈親篇」によれば、娣とは同腹に生まれた姉が妹を呼ぶ称である。男が複数の妻をもつ風習のなかで生まれたことばの使い分けで、ひいては異母妹・族妹を呼ぶ場合にも、同一夫に仕える妻妾ののうち年長者が年少者を呼ぶ場合にも用いられる。正妻が妾を指して娣と呼ぶこともある。いずれにしても女同士特有の呼称であって、兄と妹という意味合はこのことばにはない。

孤屋の思付か、芭蕉の手直しか、珍しいところに目を付けたものだが、句作りは同夫に仕えるもしくは同じ男に思いを寄せる姉妹の情を云うのだろう。気遣う姉の情には内心でほっとしている安堵感もある筈で、うれしいような悲しいような、微妙な女心が伝わってくる面白い付である。「妹」ではまったくつまらぬ、と。

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 18, 2009

馬がふみにじる草ははなざかり

080209101

Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、9月24日の項に

9月25日、雨、宮崎市、京屋
けふは雨で散々だつた、合羽を着けれど、草鞋のハネが脚絆と法衣をメチヤクチヤにした、宿の盥を借りて早速洗濯する、泣いても笑つても、降つても照つても独り者はやつぱり独り者だ。

ここは水が悪いので困る、便所の汚いのにも閉口する、座敷は悪くない、都城での晴々しさはないけれど。
-略-、雨は世間師を経済的に苦しめる、私としては行乞が出来ない、今日も汽車賃80銭、宿料50銭、小遣2~30銭は食ひ込みである。幸いにして2、3日前からの行乞で、それだけの余裕はあつたけれど。

-略-、夜になつて、紅足馬、闘牛児の二氏来訪、いつしよに笑楽といふ、何だか固くるしい料理屋へゆく、私ひとりで飲んでしやべる、初対面からこんなに打ち解けることが出来るのも層雲-荻原井泉水主宰の俳誌-のおかげだ、いや俳句のおかげだ、いやいや、お互いの人間性のおかげだ! だいぶおそくなつて、紅足馬さんに送られて帰つて来た、そしてぐつすり寝た。-略-

―四方のたより― You Tube 第2弾

昨日に引き続きYou Tubeにupload、第2弾は昨秋の山頭火公演のPhoto Album篇。
劇中で使った山頭火の俳句をカットカットに配したもの、音は冒頭の琵琶の演奏を、最後の台詞はご愛嬌、所要時間は7分13秒、お愉しみ願えれば嬉しいかぎり。

―表象の森―「群島-世界論」-13-

歴史とは、スティーヴンは言った、ぼくがそこからなんとかして目覚めたいと思っている悪夢なんです。
-J.ジョイス「ユリシーズ」

そして塔はみな宙空に逆さまに浮かび
追憶の鐘を鳴らし、時を刻んだ
干上がった貯水池や涸れた井戸の底から歌う声が聞こえた
 -T.S.エリオット「荒地」

原住民を人類の歪曲された子供っぽい戯曲であるかのように描く説明を許容する時代はすでに去った。この絵はまちがっている。
-B.マリノフスキー「西太平洋の遠洋航海者」

ああかがやきの四月の底を
はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのか
 -宮沢賢治「春と修羅」

あるとき、ひとつの固有の年が群島のような姿をとって私の認識地図の海原のそこここに忽然と浮上することがある。いくつもの出来事がひとつの同じ年に収斂して生起すること-「歴史的同時現象」

この出来事は、だがむしろ、それが空間的な多様性を持った偶発的な同時性とともに生起したという地理的事実によって、私の想像力を豊かに刺戟する。「時代」という暦の支配者の見えざる操作によってそれらの同時並行現象の隠れた連関を説明する歴史的言説は、私をかえって頑なな反歴史主義者へと変節させるだけだ。なぜなら、均質で空虚な時間を満たすために招集された過去の出来事の蓄積である歴史の光景のなかにこの同時性の群島的展開をあっさりと従属させてしまうならば、出来事はすべて過去の通時的な因果関係と影響関係の問題へと還元されてしまうからである。

だが、時の群島の出現とは、むしろ私たちの「いま」が希求するアクチュアリティの意識においてはじめてその深い通底の谺を響かせる、徹底して現在時の現象なのではないか。暦年から通時的な歴史の文脈をはぎ取ったあとの、きわめて抽象的なその数字の並び合いのある瞬間に、ちょうどスロットマシンの絵柄が偶然重なるようにして、世界という海のあちこちに時を同じくして浮上する島々-。そして、それらの時の島々がいまこの現在時において、不意にあるアクチュアリティの相のもとに未知の群島=星座をかたちづくるとき、表層の歴史の因果関係を超えた時の航跡による海図が、新たな「発見法」のための地図として私たちの前に到来するのである。
 -今福龍太「群島-世界論」/14.1922年の贈与/より

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 17, 2009

晩の仕事の工夫するなり

0509rehea0107

Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

―四方のたより― You Tube

Dance Café のPhoto AlbumをVideoにしてYou Tubeにuploadしてみた。
まずはこの3月に行った<Reding-赤する>から。
所要時間9分30秒、お時間ある方はご鑑賞下さい。


<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「空豆の巻」-08

  きりぎりす薪の下より鳴出して  

   晩の仕事の工夫するなり  岱水

次男曰く、「薪」から夕餉の支度を思寄せたか、薪の下で鳴出したきりぎりすに夜なべの情が動いたか、前者なら女ということになるが、後者なら男女いずれでもよい。

作りは、時分を付けて景に人情を添えただけの遣句のように見えてじつは、「晩」すなわち物の「下」を見咎めた裏入の起情だろう。老獪な介添ぶりである、と。

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 16, 2009

芋虫あつい道をよこぎる

Dc090315029

Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、9月23日の項
9月23日、雨、曇、同前-都城市・江夏屋-

8時から2時まで都城の中心地を行乞、ここは市街地としてはなかなかよく報謝して下さるところである。
今日の行乞相はよかつた、近来にない朗らかさである、この調子で向上してゆきたい。
一杯二杯三杯飲んだ-断つておくが藷焼酎だ-いい気持ちになつて一切合切無念無想。

-略- 同宿の坊さんはなかなかの物知りである、世間坊主としては珍しい、ただものを知つてゐて物を味はつてゐない、酒好きで女好きで、よく稼ぎもするがよく費ひもする、もうひとりの同宿老人は気の毒な身の上らしい、小学校長で敏腕家の弟にすがりつくべくあせつてゐる、煙草銭もないらしい一服二服おせつたいしてあげた。
酔ふた気分は、といふよりも酔うて醒めるときの気分はたまらなく嫌だけれど、酔ふたために睡れるのはうれしい。アルコールをカルチモンやアダリンの代用とするのはバツカスに対して申訳ないが。

―表象の森―「群島-世界論」-13-

語り、歌うこと‥。ことばが純粋な口誦性のなかで完結していた長い時の堆積をもつ文化においては、人間同士をむすびあわせる身体と感情と思考の環は、ほとんど例外なく物語と歌謡のなかで創造されてきた。そのとき物語とは双方向的な即興性に満ちた対話のことであり、歌謡とは旋律にのせた自由なことばの掛け合いのことであった。

アイルランド古来から、ゲール語で「オダース・ベール」-oideas beil-と呼ばれる知恵は、「口誦の教え」と直訳できるその意味からも解るように、もっぱら口と耳を回路とした声の伝達を媒介とするコミュニケーションの形式だった。歌、神話語り、物語り、地名の喚起、叙事詩の朗誦といったかたちをもって行われたこの「教え」は、大陸近代が創造した制度的「教育」がもっぱら文字言語に依拠した思考回路を想定していたのに対し、思考=イデアの口誦的な伝達に信をおいた、群島的な学びの方法論だった。そこで言葉は、大気の震動として運ばれてゆく声であり、息として外に向かって発せられる律動であり、抑揚をともなって聞き手の耳に歌いかけられる音楽であった。この音としての物質性こそが言葉の唯一無二の本姓であり、それは恣意的な表記の記号性のなかに取り込まれることを永遠に拒むvernacular-土着的-な原理だった。

言語の肉体性、それを誰よりも微細に感じとるのがDialectの群島に家を持つ詩人たちである。大陸的原理に冒された国家語の浸透がいまだ不完全な、ゆらめくDialectの島では、言葉は肉体的な存在そのものであり、それが「舌」と呼ばれてきた身体語彙の由来を証明してもいた。その意味で、大陸と群島のせめぎ合いの界面で起こる言語をめぐる葛藤と紛争は、いわば舌の疾患であり、その治療のためには時に思い切った手術が要請されることもあった。
 -今福龍太「群島-世界論」/13.音楽の小さな環/より

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 15, 2009

きりぎりす薪の下より鳴出して

Dancecafe081226008

Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

―四方のたより― 飛んで火にいる

高校時代の追憶と、ずっと後の舞台で縁のあった大津皇子や折口信夫の「死者の書」に描かれた中将姫伝説や當麻曼荼羅、その懐かしの二上山へ、連れ合いも久しぶりの休みとあって、急に思い立って出かけてみた。
大津の墓のある山頂まで行きたかったのだが、山道を30分余も上ると、日頃の不摂生が祟って、どうにも息が上がってしまい敢えなく頓挫、情けないことこのうえないが山腹でへたり込んでしまった。

とんだ醜態を晒しておのが今のありのままを思い知らされるところとなった訳だが、山道で座り込んだまま日頃の会話不足の解消とばかり、このところちょっと考えていたことをひょいと口にしたはずみで、話は予期せぬとんでもない方向へと走ってしまった。

ここで詳しく書きようもないが、えらいことになったもの、まったく、とんだところへ北村大膳である。
山腹から引き返した所為で余った時間を、もう何年ぶりか、当麻寺へと足を運んで、本堂を観たり、中之坊の庭園を観たりと、余禄を楽しんでから帰路についた。

夜は、遊劇体の「海神別荘」を観るべく周防町のウィングフィールドへ。
この年になって三線は習い出すや、能の舞台には通うは唐十郎の芝居も観る、なんでも貪欲に喰らいついて衰えを知らぬ高校時代の女友だちに声をかけたら、私がご推奨ならばとふたつ返事で自分の旦那や友人まで誘い出してくれたので、心斎橋で待ち合わせをしていたのだが、きっかり約束の時間に着くともう彼らは其処で待っていた。

昨年観た「山吹」の、なかなか見事な結晶ぶりに誘われての今回の観劇だが、その鑑賞記については日をあらためて。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「空豆の巻」-07

   どたりと塀のころぶあきかぜ  

  きりぎりす薪の下より鳴出して  利牛

次男曰く、初折裏入、台風一過のあとの静寂と見究めて二句一章に作っている。「きりぎりす塀の下より鳴出して」と誰しも作りたくなるところだが、そうはさせてくれぬところが連句である。

「きりぎりす」はコオロギとかぎらず秋鳴く虫のいろいろでよい。だだ広い無用の長物も細分すれば用が生まれる、と悟らせる移し方が面白い。「薪」思付のきっかけはいずれ、倒れた木塀は薪にでもするしかないという程度の連想だろうが、「薪の下より鳴出して」には意外性と萎りがある。きりぎりすを詠んでこういう趣向は、山家好みが流行した新古今以後といえども、和歌に例を見ない、と。

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 14, 2009

旅のすゝきのいつ穂にでたか

080209097

Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、9月17日の項に

9月22日-晴、曇、都城市、江夏屋
7時出立、谷頭まで3里、道すがらの風向をたのしみながら歩く、2時間行乞、例の石豆腐を食べる、庄内町まで1里、また3時間行乞、すつかりくたぶれたけれど、都城留置の手紙が早くみたいので、むりにそこまで2里、暮れて宿に着いた、そしてすぐまた郵便局へ、――友人はありがたいとしみじみ思つた。
同宿十余人、同室1人、隣室2人、それぞれに特徴がある、虚無僧さんはよい、ブラブラさんもわるくない、坊さんもわるくない、少々うるさいけれど。

―四方のたより― 補助線

次のDance CafeのInstallationを考えるのに環境の確認をというので、今朝は稽古場へ行く前に、plannerの神谷君と会場で待ち合わせた。

布やnetを主に使うつもりだが、容易い仕込で効果的な造形がどうすれば可能か、踊りとの絡みも想像しながらあれこれ喋っていると、互いの思い描く像がかなり重なってきたようだ。この作業が補助線のようにはたらいて、踊りのほうも課題が鮮明になってきた。これが協働作業の効果というもの。

前半の構成はほぼイメージできていたのだが、午後からのworkでは、後半部についてもoutlineの見当がついてきた、といってももちろん今のところ私の頭の中でだけのこと。あと3週間余、そのplanに基づきつつ、Dancerたちに具体的な像を結んでいってもらわなければならないが、時間はそれほどあるわけではない。

―表象の森―「群島-世界論」-12-

 私は舌だ、私はあらゆる魚を捕獲する網だ。
  私はいかなる国家よりも高貴だ
  教会よりも高貴だ
  無気力な愛国主義者よりも高貴だ
  私は魔女でもなく、古代の鬼婆でもない
  薔薇でもなく、賢い老女でもない
  私は女王のごとく歩みはじめた処女ではない。
 あらゆる舌はどんな部族の誇りよりも高貴だ
  いかなる政府が指示する夢よりも。
   ―略―
  教会は殉教からつくられた
  愛国者は棍棒からつくられた
  ゲール語話者は聖なるものからつくられた。
  だ私は淫らな舌だ
  反-アイルランド国の-
  暴力的なアングロ主義からはできていない舌だ。
  私は時流の召使女ではない
  うぬぼれた信者でもない
  私はパブにこだまする呪いであり邪悪な言葉だ
  私は魂の叫びであり、美しく歪んだ旋律だ。
   ―略―
 私は舌だ、私はあらゆる魚を捕獲する網だ。-マイケル・ハーネット「私は舌」
  -今福龍太「群島-世界論」/12.わたしは舌である/より

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 13, 2009

どたりと塀のころぶあきかぜ

0509rehea0046


Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

―表象の森― 真と仮とのあいだ

中国の古代歌謡、「詩経」の周南、漢江に、
「南に喬木あり 休 -いこ-ふべからず 漢に遊女あり 求むべからず」の詩句がある。

南に喬木あり、とは女神出現の暗示である。喬木は神の宿る木であり、近づいてそれに休むことのできない、神聖な木のこと。また、漢水や洛水など、河川では古くから水神の祭祀が行われ、その神は女神であった。江・河のような滔々たる大河には男神、清麗な水の流れには女神が住む定めであった。

女神は、常には幽処に身を隠し、年に一度だけ、農耕祭祀の豊饒神として人々の前にあらわれる。漢水に遊ぶものはその女神であり、女神に対する祭式は恋愛的な表現をもつが、求むべからず、人神の世の異なるがゆえに、その思慕の遂げがたいことを嘆くのである。

かくて「遊女」とは出行する女神である。のちに遊行女婦とされるものの原型は女神であり、江口の君はその末裔の姿である。

遊女は、おそらく地上が再び若々しい生命力を蘇らせてくる次の春まで、深い幽暗のうちに身を隠すのであろう。かように隠れるもののみが遊行することができる。幽顕の世界に自在に往来することが、遊であり、逍遥であった。
それはまた、真と仮との間である、といえよう。
 -白川静「文字逍遥」-遊字論-より抄書-

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「空豆の巻」-06

  寝処に誰もねて居ぬ宵の月  

   どたりと塀のころぶあきかぜ  孤屋

次男曰く、投込の「あきかぜ」を野分と読めばよくわかる。野分に宵の月は寄合とされるが-類船集、延宝4年刊-、じじつ二百二十日頃は仲秋の宵の月である。

第三の句以下、「上張を通さぬほどの雨」と云えば、「酒の最中」と云い、「寝処に誰もねて居ぬ」と云えば「どたりと塀のころぶ」と云い、外から内へ、内から外へと目配りを移しながら、虚-実、虚-実と付遣って興のたねをさぐっている。野分に吹倒された塀を「どたりところぶ」と云えば俳になる。籬-まがき-や立蔀-たてじとみ-の破れではこうはゆかぬ、と。

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 12, 2009

霧島は霧にかくれて赤とんぼ

Dc090315116

Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

―山頭火の一句―
昭和5年の行乞記、9月21日の項
-曇、雨、彼岸入、高崎新田、陳屋

9時の汽車で高原へ、3時間行乞、そして1時の汽車で高崎新田へ、また3時間行乞。
高原も新田も荒涼たる村の町である、大きな家は倒れて住む人なく、小さい家は荒れゆくままにして人間がうようよしてゐる、省みて自分自身を恥ぢ且つ恐れる。

霧島は霧にかくれて見えない、ただ高原らしい風が法衣を吹いて通る、あちらを見てもこちらを見ても知らない顔ばかり、やつぱりさびしいやすらかさ、やすらかなさびしさに間違いない。
此宿は満員だというのに無理に泊めて貰つた、よかつた、おばあさんの心づくしがうれしい。

―世間虚仮―Soulful Days-24- 内奥の傷痕

他者の心は量りがたい。ましてや内奥の傷痕からくるであろう呵責や痛苦など、たとえ自身の苦しみや悲しみに照らしてみたところで、到底推し量れるものではない。
昨夜、M運転手に、この1週間ばかりの動きについて、報告のメールを送ったのだが、その返信を読むなり、そんな思いに捕らわれてしまったのだ。

-私からの往信「先週末の弁護士同士の初会談では、賠償の金額提示などはまったくなかったと。コチラの弁護士が、相手方Tの重過失疑惑や不誠実な態度に、怒りと幻滅を抱いていることを言ったからでしょう。強制賠償は双方のが使えるということもあるし、どうぞ提訴してください、とそんな調子だったと。まったく保険会社やその弁護士というのは、そんなものですかネ。コチラは刑事のほうもまだ時日がかかりそうだし、この報告以前に、貴方を除いて、MK会社サイドと相手方Tを民事でも提訴しようと決めていたので、その旨弁護士に依頼しています。来週にも提訴の運びになるでしょう。

それと、母親と息子に、一度ゆっくりと貴方と話し合う機会を設けたいと言ってます。私とばかりでなく、二人と腹を割って話せば、貴方の心の傷や凝りも少しは軽くなるかも知れないし‥。いまでは母親の思いも、我々と同様、貴方もまた被害者だ、と受け止めています。だから、貴方と一緒に奥さんとも会いたいと言ってます。この機会については、あらためて連絡、相談するつもりです。」

-Mからの返信「ご連絡有難うございます。私にも公安から通知がありましたが、取消処分に変わりないと、との判断でした。基本的に最初の警察調書からの判断・裁定ですから、警察が惰性で作文したものに、日時や場所の記述を差し替える手法で、当事者の真情や表現はあまりにも反映されていないことが、根本的におかしいですし、検察もほぼ同様に感じられます。

また会社は、社保の個人負担費用のことをこちらから散々問い合わせしている時はなかなか返事をせずに、突然何ヶ月とまとまった金額を全額決済しないと、労災手続きの書類に押印しないと、訳のわからないことを平然と言ってきています。現在、私の生活費は給付金であることをわかったうえで、尚且つそんな話です。降格されたKの後任部長職が、我が身の保身を優先し、指示をしているとのことで、さすがに私も家内も体調を崩してしまい、折角の治療も後退してしまい、担当医もびっくりしていました。労災担当の方からも心療内科に労災手続きが出来る指定医に転院して、精神的にケアを奨められました。

本当に色々とご心配戴き有難うございます。大変息苦しい状態で、本当に折れそうな今日この頃です。有難うございました。」

公安のあるいは検察の審判が、事故当事者たる運転手双方の過失をどのように裁定したとしても、人ひとりの生命を理不尽にも奪い取ってしまったことの重さ-罪悪-からは逃れようもない、というのが人間としての本分だろう。しかしこの当事者たちMとTは、事故直後よりずっと、対照的な、真逆といっていいほどのリアクションに終始してきたように思われる。一方は自己保身と防衛のためにいち早く固い鎧に我が身を包み込んでしまい、そこから一歩も出ようとしない者、他方は直き心でというか、率直に真摯に事態を受け止め、心身もろともにその責め苦に向き合いつづけようとする者。むろん後者がMで、前者がTそのものだと私は捉えているのだが。

それにしても、私にとって到底量りがたいものがあるというのは、まず、その事故自体の、生の具体的な経験そのもの、その衝撃の強度は、それぞれM固有のものであり、T固有のものである筈で、その消し去りようのない生の衝撃と、第三者-RYOUKO-の死を招来してしまったという悲惨事が直結してしまっているという事態、この事態を正面切って受け止めてしまっては、心というもの、その内奥にどれほどの傷痕を残すものか、それはたとえ不条理にも突如家族を奪われてしまった此方の痛苦や悲しみからでも想像しうるものではあるまい、と私には思われる。

ならば、もう一人のT、さっさと固い鎧のなかに身を隠してしまい「貰い事故」などと何処かで放言を吐いてしまえたような彼は、果たしてその心になんの傷痕も残していないのだろうか、そんなことはあるまい、Mとは異なりもっと意識下に、自身気づきもしない深層の闇深くに、それは隠れてあるにちがいない、とそのようにも思えてくるのだ。

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 11, 2009

寝処に誰もねて居ぬ宵の月

Dancecafe080928221_2

Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

―世間虚仮― ヤン坊マー坊50年

夕方の茶の間、ご飯どきだから否やもなく眼に耳に入ってきた、あの天気予報のヤン坊マー坊が、今日まで生き延びて50年にもなるという。マンネリこそ長生きの秘訣、偉大なるか超マンネリだ。

それにしてもあのアニメキャラを、誕生の50年前から今日までずっと一人で描き続けてきたというイラスト・アニメーター氏が新聞紙面で紹介されていたが、この50年で全207作、一作ごとに1500枚以上のイラストを要するとかで、30万枚は優に越えるというから描きも描いたり、驚き桃の木、69歳でなお現役を務めていらっしゃる。

ヤン坊マー坊の連想で思い出されるのが、NHKラジオ番組でこれまた否応もなく耳に残る「ヤン坊ニン坊トン坊」、
50年前といえば1959年、黒柳徹子らのこの番組は’54年から始まって’57年3月に終了しているから、2年をおいての登場ということになるが、子どもの頃の往時を振り返っても、あのテーマソングが流れるとついつい「ヤン坊ニン坊-」の歌までが耳に重なってきたもので、この類似はどう考えても先行の人気番組から頂戴した企画だったにちがいないが‥、とあらぬことまで思い出される始末。

ついでにググってみれば、「ヤン坊ニン坊-」のシナリオ担当が、かの喜劇作家飯沢匡であったと。彼が放送作家でもあったことは承知していたが、これを手がけていたとは気がつかなかった。多彩をきわめた作家だが、その彼の出自が、警視総監・貴族院議員・台湾総督などを歴任した官僚政治家伊沢多喜男の次男とあって、これまた些か意想外なことに出会した。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「空豆の巻」-05

   そつとのぞけば酒の最中  

  寝処に誰もねて居ぬ宵の月  芭蕉

次男曰く、覗き見を上張の下から寝処-ねどころ-へ奪ったはこびである。宵の月は陰暦3日頃から10日頃までの上弦の月、むろんここは秋の月だ。

前句「酒の最中」とあれば、誘いは仲秋の名月だろう。応じて、待ちきれなくて気の早い酒宴に及んだか、と芭蕉はユーモラスに躱している。「宵の月」取出しはうまい宥めようだが、「寝処に誰もねて居ぬ」とは人ではなく月を主とした観相風の付伸しか、それともちょっと座を外した、とか偶々通りかかったとかした愉快か、いずれにしろ前句の酒宴を覗き込んだ人ではない。打越以下三句同一人物では連句にもならぬ、と。

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 09, 2009

こんなにたくさん子を生んではだか

080209083

Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

―山頭火の一句―
句は昭和5年の行乞記、9月20日の項に

9月20日、晴、小林町-現宮崎県小林市-、川辺屋
夜はアルコールなしで早くから寝た、石豆腐-この地方の豆腐は水に入れてない-を1丁食べて、それだけでこぢれた心がやわらいできた。
このあたりはまことに高原らしい風景である、霧島が悠然として晴れわたつた空へ盛り上あがつてゐる、山のよさ、水のうまさ。
西洋人は山を征服しようとするが、東洋人は山を観照する、我々にとつては山は科学の対象でなくて芸術品である、若い人は山を踏破せよ、私はぢつと山を味ふのである。

―世間虚仮― 脱税の温床?

ほとんど雨も降らぬのに梅雨入り宣言とか、珍しいことだ。それでも昨年より12日遅く、平年より3日遅いのだと。

「宗教法人がラブホテル経営」だと!
見出しに驚かされたが、よくよく読んでみると、狡賢い会社経営者がすでに休眠状態となっていた宗教法人を買収したうえで、脱税に悪用していたらしい。この御仁、計23軒のラブホを実質上経営、宿泊や休憩の全売上のほぼ4割をお布施として除外、14億円も所得隠しをしていたというから、あくどさにかけてはなかなかの剛の者、背任容疑でこのところずっと紙面を賑わしている漢検の私物化親子にも負けてはいない。

宗教法人も公益法人の一つだが、漢検同様、この手の脱税や背任行為、洗い出せばゴマンと出てくることだろう。底なしの不況で税収は悪化の一途なのだから、この際、国税庁は公益法人を徹底して調べ尽くすべし、か。

―表象の森―「群島-世界論」-11-

全編628頁、20万語近い語彙を数えるジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」の大海のなかに、三度にわたってとびとびに、蜃気楼のように揺らめく不思議な島「ブラジル」が登場する。いかにも不意に。その綴りは、BlasilだったりBrasilだったりBreasilだったりと、わずかな変異を繰り返しながら、ジョイス的イマジネーションが新たに創造した未知の世界図のなかで魅惑的な音の群島を形成しはじめる。私の耳は、とりわけこのジョイスのなかのブラジル音の変異に惹きつけられてやまない。

いうまでもなく、サモアをサモアネシア、タスマニアをトスマニア、あるいはオリノコをオロノコとわずかにずらして綴ることで世界中の島や河を因習の地理学から見事に引き剥がし、どこにもないからこそどこでもありうる、「ダブリン」=「世界」そのものの無数の架空名辞を増殖させ繋ぎ合わせてゆくのが「フィネガンズ・ウェイク」である。

すでにアイルランドには、少なくとも14世紀の初め頃から、「ブラジル」乃至「ハイ・ブラジル」と呼ばれる海の彼方にある理想郷、常若の島の伝承が明らかに存在していた。
さらに、5世紀末のアイルランド南西部湖沼地帯に生まれた修道士、聖ブレンダンの伝説的な航海譚にまで遡れば、聖者による約束の土地、楽園の島発見の伝承に惹かれ、いつしか「ブレンダンの島」なる名が、中世期以降の世界地図に登場していたのである。
 -今福龍太「群島-世界論」/11.ブラジル島、漂流/より

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 08, 2009

そつとのぞけば酒の最中

Yugekitaikaizinbesso

Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

-四方のたより- 次は「海神別荘」とや

眠い、怠い‥、身体が重い‥。
数日前、とうとう連合い殿に体重計にのって体脂肪チェックをされてしまった。数値はすでに肥満域に達していることを示していた。腹囲もいつのまにか驚くべきほどになっている。こんな為体ではKAORUKOが成人して嫁入婿取するまで健康体で過ごせるなど、とても覚束ないことだろう、どうにかしないと‥ア、カ、ン。

泉鏡花の戯曲を原文そのままに上演を続けている遊劇体が、その5作目として「海神別荘」を採りあげ、この11日から一週間、心斎橋のウィングフィールで公演する。

送られてきたチラシを一瞥、「海神別荘」てのは、昔、文学座あたりが演ったのじゃなかったか、といっても腰の重い私のこと、わざわざ観に行くなどしていないのだけれど、そんな遠い記憶がよぎったのだが、件のチラシをよく読めば、文学座から別れた劇団雲が74年に今は亡き芥川比呂志演出で上演している。初演はさらに遡って55年、久保田万太郎の改補演出による歌舞伎座での上演、これは花柳章太郎や水谷八重子の新派の舞台だったそうな。

昨年6月、精華小劇場で観た遊劇体の前作「山吹」については、ここでも「抑制された様式性をよく貫徹された演出であった」とその感想を記した。

「深い海の彼方の底には、龍宮城の乙姫様の弟である貴公子が住む別荘がある。そこは果てしなく美しく豊富な宝で満ちた理想郷だ。その海神の御殿へ、漁業で細々と生計を立てていた漁師の娘が輿入れにやってくる。漁師は自分の欲望と引き換えに、娘を売り飛ばしたのだ。」
夢幻能にも似た抑制した様式的演出のキタモトマサヤは、鏡花独特の幻想美の世界を、こんどはどんな手際でものして見せるか、ウィングの狭小な空間が気にはかかるが、楽しみではある。


<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「空豆の巻」-04

  上張を通さぬほどの雨降て  

   そつとのぞけば酒の最中  利牛

次男曰く、俄雨に遇って軒下に駆込み雨のあがりよりも濡れ具合の法を気にしている、と読取って付けたところが作である。濡れるでもなし濡れぬでもなし、なんとなく中途半端な気分の乾きを遣ると、屋内は酒びたしだった、というところが面白い。

尤も、覗きの心理を着物から建物へ移したまではよいが、初折もまだ表4句目のはこびに「酒の最中」などと作る軽躁ぶりはどういうものか、と見咎めていると、次が月の定座だと気付く。月見に酒はつきもの、これは催促の作りである。併せて、「そつと」と「最中」の取合せに滑稽の工夫があるとわかる、と。

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (1)

June 07, 2009

かなかなないてひとりである

0509rehea0013

Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

―山頭火の一句―

句は昭和5年の行乞記、9月17日の項に
行乞記: 9月18日、雨、飯野村、中島屋

濡れてここまで来た、午後はドシャ降りで休む、それでも加久藤を行乞したので、今日の入費だけはいただいた。-略-
朝湯はうれしかつた、早く起きて熱い中へ飛び込む、ざあつと溢れる、こんこんと流れてくる、生きてゐることの楽しさ、旅のありがたさを感じる、私のよろこびは湯といつしよにこぼれるのである。--略-

同宿の人が語る「酒は肥える、焼酎は痩せる」、彼も亦アル中患者だ、アルコールで自分をカモフラージしなくては生きてむゆけない不幸な人間だ。-略-
同宿の人は又語る「どうせみんな一癖ある人間だから世間師になつてゐるのだ」、私は思ふ「世間師は落伍者だ、強気の弱者だ」。
流浪人にとつては食べることが唯だ一つの楽しみとなるらしい、彼等がいかに勇敢に専念に食べてゐるか、その様子を見てゐると、人間は生きるために食ふのぢやなくて食ふために生きてゐるのだとしか思へない、実際は人間といふものは生きることと食ふこととは同一のことになつてしまうまでのことであらうが。
とにかく私は生きることに労れて来た。

―表象の森―「群島-世界論」-10-

群島への旅はDialect-方言-への旅である。近代の国民国家=大陸が認定した公式の「National Language=国家語」の幻影の岸をひとたび離れて海をわたり群島に赴けば、生きられている真の「言語」の内部に孕まれた無数の不連続と縞模様のような変異が、一気にあらわになって私たちの前に迫ってくる。その縞模様の最深部に、日常の土地ことばとしてのDialectが静かに聴こえてくる。群島において、私たちはもっとも口誦的にできあがった言葉の芯に柔らかく触れながら、一方でその周囲を包囲するいくつもの言語的外皮のささくれだった権力のありようにも目覚め、人間の「舌」に侵入しそれを統率してきた言葉の歴史を深く自覚することになる。国家語という理念的でメディア的な構築物からDialectへの距離は、思ったよりはるかに遠く、そのあいだにはいくつもの言語的断絶が走っていた。

カリブ海の口誦的世界、語り部のDialectによる物語行為によって媒介されるような音響の小宇宙、それは死者を追悼する「通夜」-Funeral wake-の場であった。
たとえば、グッドループ島出身のマリーズ・コンデの小説「マングローブ渡り」-1989-に描かれたように、通夜-wake-とは、文字どおり死を媒介にしたあらたな意識の覚醒-wake-を意味していた。

また、アイルランドやスコットランドのケルト系世界で古くから行われてきた通夜-wake-での泣唱-keen-の存在、その役割は、人々の悲嘆の感情を代替したというよりは、むしろwakeという中間的な時空間を現出させるための非日常的noiseとしての、音響的な象徴機能を果たしていたというべきだろう。
 -今福龍太「群島-世界論」/10.薄明の王国/より

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 06, 2009

上張を通さぬほどの雨降て

Dc090315040

Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

―世間虚仮― 近くて遠い、遠くて近い‥

市岡15期会-高校の同期会-の久方ぶりの会合に出かけた。
席上、旧友の思いがけない死を伝え聞いた。Yはいわば幼なじみのようなものである。なにしろ幼稚園で一緒だったし、小学校で離れたものの、中学校でまた一緒になって、高校も同じだったのだから。そんなことで仲も良かったし、YとNとぼくら双子の兄弟は、幼・中・高を共にした4人組だった。高3の夏休みなどは、この4人組で二上山麓の宿坊のようなところに受験合宿まで敢行した仲だったのだ。

お互い生きざまというか、進路などの選択肢が異なっていったから、高校を出てからは遠い存在になって、そのまま数十年生きてきたとしても、昔懐かしい幼い頃をよく知る者が逝ったという事実に触れるということは、少なからず心は動揺し衝撃が走るものだ。

近くて遠いような、はたまた遠くて近いような、死。こういう死に触れると、皮膚感覚や嗅覚にも似たような、そんな感覚レベルで反応している自分がある。
50年ほども昔の二上山を、ふと尋ねてみたくなった‥。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「空豆の巻」-03

   昼の水鶏のはしる溝川  

  上張を通さぬほどの雨降て  岱水

次男曰く、「上張を通さぬほどの雨」とは小糠雨か日照雨-そばえ-か、雑の作りだが前-発句・脇-の季節の余情はあり、「水鶏のはしる」-ハシリ-の見合は入梅前のひとときだろう、と付けている。目にとまらぬものの映りも利かせている。

「川」の寄合を「雨」と思付くのは容易だが、どういう人情含みの句に転じるかが、ここ第三の見どころになる。「上張を通さぬほどの」は、右に左に目配りの利いた上手の芸である、と。

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 05, 2009

雲かげふかい水底の顔をのぞく

Dancecafe090707hy_2

Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

―山頭火の一句―
同前、行乞記、昭和5年9月14日付の項に載る。

山頭火は人吉の宮川屋に3泊し、町内を行乞して過ごした。
行乞記には、「9月16日、曇、時雨、人吉町行乞、宮川屋」とあり、日記の末尾には
「今日は行乞中悲しかつた、或る家で老婆がよちよち出て来て報謝してくださつたが、その姿を見て思はず老祖母を思ひ出し泣きたくなつた。不幸だつた-といふよりも不幸そのものだつた彼女の高恩に対して、私は何を報ひたか、何も報ひなかつた、ただ彼女を苦しめ悩ましただけではなかつたか、91才の長命は、不幸が長びいたに過ぎなかつたのだ」と、書きつけている。

―四方のたより― 次はObjectとともに

6月には次なるDance Caféをと思っていたのだが、少々ずれ込んで7月開催となってしまった。
前回は、動きとともに赤いBallを使ってみたが、今度はInstallationとしてもう少し突っ込んでみたい気がする。存在をぐんと強調するObjectがあってもよいし、環境としての空間全体を造形してみるのもいい。
そんなことで旧知の神谷昌孝君と宇座清君に協力を仰ぐことになった。

Information-四方館 DANCE CAFE -’09 vol.2-
「出遊 –天河織女篇-」
あそびいづらむ-あまのかわたなばたへん

白川静の曰く…
遊、その形は、旗竿を持つ人、を表し
遊とは、古来、神の出行、を意味した
隠れたる神々の、出遊――
それは、彷徨する神々、である

Date :7/7 –Tue- PM7:00
Space : 弁天町市民学習センター
Admission fee : ¥1,500

Dance : 末永純子
      岡林 綾
      ありさ
     制多迦童子
     デカルコ・マリィ
Sound-viola : 大竹 徹
   piano : 杉谷昌彦
   percus : 田中康之
Installation:神谷昌孝
       宇座 清
Coordinate : 林田 鉄

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 04, 2009

昼の水鶏のはしる溝川

Dc090315051

―世間虚仮―Soulful Days-23- 後遺症に苦しむM

昨年の9月9日の事故からもう9ヶ月が経とうとしている。
4月8日に地検を訪ねてから、その後、審理のほどがどうなったのか、その進捗ぶりを確かめるべく、先日、ほぼ2ヶ月ぶりに電話をしてみたら、なんと急な異動があったとかで、担当の検事が変わっていたのには驚かされもしたし、なんだかはぐらかされたようでもあり拍子抜けの躰。
年度代わりのタイミングもとっくに過ぎての異動に、どんな背景なり事情があるのか、部外者には知る由もないし、些か腑に落ちない気もするが、此方からはなにを問うわけにもいかぬ。
新しい担当副検事の言うには、事故時の記録VideoはMK側から府警へすでに渡っているものの、その解析は専門家の手も煩わせねばならず、なお時日がかかるようだという。
なんとものんびりした話に、嫌味の一つも云いたくなるのを抑えて、審理の結果が出次第報告願いたいと申せば、それはもちろん連絡をします、と曰ったので、ではよろしくと電話を切った。
この分ではまだひと月やふた月じっと待つしかないようである。

つづいて一昨日は、事故当事者=MKタクシー運転手のMさんと久しぶりに会ったのだが、その席で、まだ治療に通っている彼の快復状況についていろいろと訊いてみたところ、なお後遺症に苦しむ日々が続いていることに、悲しくなったり悔しくなったり、またぞろ相手方Tへの憤りが込みあげてきたものである。
RYOUKOを乗せて運転していたMさんは、頸椎の3.4.5番が変形損傷しており、いまだ右手に痺れが残っているらしい。事故直後から右腕全体が麻痺していたのだが、肩、肘へと徐々に神経は快復し麻痺部分が縮小してきているという。だが彼の抱える後遺症はこれだけではない。事故直後より彼は、頸椎損傷による整形外科だけではなく、心療内科にもずっと通っており、最近になって心療内科から精神科にかわったというのである。おそらくPTSDの畏れがあるのではないか。その素顔が真面目で誠実な人柄であるだけに、長びく事故解決の道が彼の心に余計な負担を強いているのが気にかかる。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「空豆の巻」-02

  空豆の花さきにけり麦の縁  

   昼の水鶏のはしる溝川  芭蕉

次男曰く、季節の植物に動物を取合せて一風物詩とした、打添の作りだと容易にわかるが、水鶏-くいな=秧鶏-は、「はなひ草」「毛吹草」「増山の井」などいずれも仲夏の季としている。その鳴声が朝夕に人情を惹くのは、麦も既に赤らむ候だ。一方、空豆の花が咲残る風情といえば、せいぜい青麦の穂の出揃う候までである。

発句と脇句を同季に作るという約束は、連句の季続のなかでもとりわけ大切な心構えだから、初夏も仲夏も同じという訳にはゆかぬ。

水鶏たたくは和歌以来のゆるぎない遣方である。
「水鶏だにたたけば明くる夏の夜を心短き人や帰りし」-古今和歌六帖-
「たたくとて宿の妻戸を明けたれば人もこずゑの水鶏なりけり」-拾遺集・恋-
「そこはかとなう繁れる蔭ども、なまめかしきに、水鶏のうちたたきたるは、誰が門鎖してと、あはれにおぼゆ」-源氏物語・明石-

連・俳で水鶏を仲夏の季題とするのは、渡りの生態ではなく、繁殖期に入る鳴声によるが、とくにヒクイナのキョ.キョ-コッ.コッ-と、一声毎に間を置く冴えた声を、戸を叩くと云って古人はよろこんだ。容易に飛び立たず、草むらをくぐり歩く素早さも、この鳥の習性である。当然、昼間でも人目につきにくい。

青麦の畝の間に咲残った空豆の花と、敏捷に溝川を走る水鶏とは気転の取合せと云えようが、「たたく」と遣わず「はしる」とした含みは、初物-はしり-を掛けて「水鶏」を仲夏から奪い、初夏の風物と覚らせる狙いにあるらしい。水鶏はたたく前にはしると云えば、滑稽が現れる。発句の季に合せ、鳥の生態にも適う旨い俳言だろう。むろん、着眼は他に例がなく、芭蕉の造語のようだ。「水鶏はしる」は、初夏の新季語と見なしてよい、と。

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (1)

June 03, 2009

旅のいくにち赤い尿して

Trd0906022003011p1

―山頭火の一句―

前回より10日ほど遡るが、行乞記、昭和5年9月14日付の項に載る。この日の宿は人吉町の宮川屋。

「行乞相があまりよくない、句も出来ない、そして追憶が乱れ雲のやうに胸中を右往左往して困る」と書きつつ、熊本を出発するとき、これまでの日記や手記はすべて焼き捨ててしまったが、記憶に残った句を整理したとして、23句を連ねている。

また「一刻も早くアルコールとカルチモンとを揚棄しなければならない、アルコールでカモフラージュした私はしみじみ嫌になつた、アルコールの仮面を離れては存在しえないような私ならばさつそくカルチモンを二百瓦飲め-先日はゲルトがなくて百瓦しか飲めなくて死にそこなつた、とんだ生恥を晒したことだ!-」と書きつける。

おそらくこの未遂事件は、熊本出奔前のことだろう、むしろこの不始末が直接の引き金となって、このたびの行乞放浪となったとみえる。

―世間虚仮― 不思議の海丘群

八代海南部の海底に世にもめずらしい海丘群があった、という西日本新聞の記事-本日付-

熊本県水俣市から西南西約10kmにある水深約30mの海域に、平たんな海底から盛り上がるように直径50m、高さ約5mの円形の丘が80個近く密集するという、写真のようななんとも不思議な、貝で固めた円形の古墳状が並んでいるような海丘群。但しこの写真あくまでイメージ図で実写ではないそうだ。

もっとも記事によれば、旧日本海軍が1913年に作成した八代海の海図にも海丘群に似た記述があったというから、今回のような実態調査はせずとも、一部にその様態は知られていたのもかもしれない。


―表象の森―「群島-世界論」-09-

「わたしは詩人ではない
     詩人ではない
 わたしはただの一つの声だ。
 わたしはそっくり響かせる
 人々の 想いを
      笑いを
      泣き叫びを
      吐息を‥‥
 わたしは詩人ではない
      詩人ではない
 わたしはただ一つの声だ。」 -オク・オルナラ

つねに<語り部>は傍らにいた。物語る人として。入江の潮騒ぎに向けてことばの倍音をこだまさせる者として。プランテーションの夜の闇に侵入して響きわたる透徹した声として。彼らの口から唱えられるモノガタリのモノとは得体の知れない霊性と聖なる凝集に満ちた未知の生命力の核心であり、時の激烈な流転と場所の自在の交錯とを含み込む可変的な時空間だった。語り部の口からモノが闇夜の真空に忽然と立ち上がるとき、周りを取り囲んで聞き耳を立てていた人々は、おのれの身体の記憶に脈打つ裡なる血流のとどろきの音に震撼した。自らが知り得ぬ出来事と感触の痕跡がその血流のなかにたしかに流れていることを‥。そしてその<時の痕跡>は外部から与えられたものではなく、自己の内奥に古くから潜んでいる未知の何かであるにちがいない、という確信がそこにあった。

文字に置換しうる「歴史」の論理的な言葉が決して捕獲しえない、古い記憶の混淆と可逆的な運動性とを、語り部の声の織物は示していた。その、薄い皮膜に包まれて漂う謎めいた胎児のような物語は、プランテーションの群島を覆う混濁した豊饒な記憶の森のなかで育まれ、いまだ外界に生まれざる未知の生命の心音だけを静かに刻みながら、人々の耳から耳へ、象徴の森から森へと、胎児の姿のまま運ばれていった。この密やかに遂行された物語の「運搬」こそが、群島のすべての記憶をつくりなす力だった。

「僕は海を愛する銅色のニガーにすぎん
 健全な植民地教育を受けた人間
 オランダ ニガー おまけにイングリッシュの血が入っている
 僕はノーボディか さもなけりゃ一人で国家-nation-だ」 -デレク・ウォルコット「帆船“逃避号”」

「君たちの記念碑はどこにあるのか 君たちの戦は 殉教者たちは?
 君たちの種族の記憶は? お答えします――
 あの灰色の円屋根の納骨堂の中 海です。
 (‥‥)
 それから トンネルの終りの明りのような

 帆船のランタンがあった
 それが創世記だった
 それから ぎゅう詰めにされた叫び声
 糞尿 呻き声があった--

 出アフリカ。
 骨と骨は珊瑚によって盤陀-ハンダ-付けされて
 モザイク模様
 鮫の影の祝福によって覆い包まれて――」 -デレク・ウォルコット「海が歴史である」

歴史的事実が教えるアフリカ人奴隷の大西洋上での受難の物語は、一度海面下に潜伏することで専横的な「歴史」の権力構造から離脱し、別種の力、無名性に依拠する錯綜した<関係>が示す重層的な声の綾織りとしての深い浸透力を獲得したのである。こうした統合的な力の伏在に確信を得たからこそ、ウォルコットは「海は歴史である」と宣言しつつ、自らをノーボディと呼びながら、その無人称性を「国家-nation-」という、もう一つの統合力の怪物に突きつけることもできたのだろう。

 -今福龍太「群島-世界論」/9.誰でもない者-オメーロス-の海へ/より

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 02, 2009

空豆の花さきにけり麦の縁

Dancecafe081226173

―表象の森― 空豆の巻

安東次男の「風狂始末-芭蕉連句評釈」による芭蕉の歌仙めぐりも、この「空豆の巻」をもって掉尾となる。「冬の日」所収の「狂句こがらしの巻」にはじまったのは昨年の1月20日、これまで9つの歌仙、316句を連ねてきたことになる。

「猿蓑」編集を果たした芭蕉は、元禄4年9月膳所の無名庵を出て東下の途につき、10月末には江戸着、細道の旅立から2年7ヶ月ぶりの江戸であった。翌年5月には再興成った芭蕉庵に入っている。同8月に許六入門、9月には膳所から酒堂が下ってきて食客となっている。
6年3月、幼い頃から並々ならぬ愛情をかけてきた猶子桃印-姉の子-が33歳という若さで病没、芭蕉の落胆はよほどのことであったか、7月盆過ぎから約1ヶ月いっさいの客を謝し閉居している。
以後、能役者の宝生暢栄-俳号沾圃-、野坡ら越後屋手代衆、深川茶人衆の杉風一派、彼ら三者三様新風を模索させるべく芭蕉が動き出したのは、同年秋冬の交りからで、翌7年5月にはまたしても西へ上る旅へと。その旅の途上、10月12日大坂で歿した。

歌仙「空豆の巻」を所収する「炭俵」は野坡が主撰者となり、同じ越後屋手代の孤屋と利牛が扶助。元禄6年冬にはじまり、7年6月奥付板。芭蕉指導の歌仙は、夷講・梅が香・空豆の各巻、三歌仙を収める。

・連衆略伝
孤屋-小泉氏、江戸の人、生没年不詳。野坡-寛文2、1662生、当時33歳-より年長か。野坡・孤屋両人共、其角の手ほどきを受けて、貞享3.4年頃ひとまず直門に入ったらしい。彼らが足繁く深川へ通うようになったのは元禄6年の秋以降だが、孤屋・利牛が芭蕉と一座した興行は夷講・空豆の二つしか遺っていない。

岱水-初号苔翠、江戸深川住とのみで生没・経歴詳らかにしない。芭蕉との興行は貞享5年の帰庵以降で、「更級紀行」をほぼその初稿と思われる形で収めて「木曽の谷」-宝永元(1704)年-を編んだ。当歌仙では執筆役か。

利牛-池田氏、江戸の人、生没年不詳。「蕉門諸生全伝」-文政年間-に三井家支配人と記すから、既にこの時期3人の内では上位-番頭-だったのかもしれぬ。「炭俵」以前では其角編「萩の露」-元禄6年刊-に入集1句が知られるのみで、以後元禄末年頃まで句が見られる。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「空豆の巻」-01

  空豆の花さきにけり麦の縁  孤屋

前書に「ふか川にまかりて」と

次男曰く、空豆の花は仲春から晩春にかけて咲く。葉腋に短い総状花を出し、翼弁に黒い斑紋を一つずつ持った白紫色の蝶形花である。豆類の花で春に咲くのはソラマメとエンドウだけで、ほかは夏咲く。そのせいか「豆の花」-春-という特別の季語がある。尤も、これは何でも観賞にしたがる今の歳時記の話で、江戸時代には「毛吹草」-正保2、1645刊-から「栞草」-嘉永4、1851刊-に至るまで、空豆引く-仲夏-、豆引-晩秋-など生活の季題はあるが、豆の花・空豆の花のようなことばはどの季寄せも採っていない。

句の季は、「麦の縁-へり-」と作っているから「麦」が主であり、初夏の候と知られるが、「空豆の花さきにけり」が気になる。「けり」遣いが、今まで気付かなかった事実に気付かせられた感動をあらわす詠嘆の助動詞だ、とは先にも述べたとおりだが-灰汁桶の雫やみけりきりぎりす-、空豆の初咲ならぬ名残を捉えてわざわざ「花さきにけり」と云っている。

発句は当座に叶った客挨拶という約束に照らして、「ふか川にまかりて」とは芭蕉庵庭先の嘱目だと思うが、空豆の花は葉の青々とした時期には目につきにくく、下葉から黄ばみかける晩春・初夏の候になって、むしろ目にとまるものだ。それにしても、ソラマメの茎丈は50㎝くらい、畝の間では青麦の伸びに隠れて、花も見えにくかったろう。

「空豆の花さきにけり麦の縁-へり-」は、一読、目付平凡、季語の扱いも紛らわしく不束に見えるが、句材の珍しさも与って-ソラマメは桃山・江戸初ごろに中国または南方から渡来した-、けっこう興のある挨拶のようだ。

この空豆がいつから芭蕉庵に植えられていたかわからぬが、嘗て孤屋が初めて深川-旧芭蕉庵-を訪れた時には既にあったのではないか。以来7.8年ぶりに、再興成った芭蕉庵に野坡らとともに指南を請うて通うようになった。往時のあの日あの時のまま青麦と空豆の花が眼前にある、と読めばこの挨拶、格別の興が添うてくる。たぶんそう解してよい、と。

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 01, 2009

投げ与へられた一銭のひかりだ

080209070

―山頭火の一句―

行乞記、昭和5年9月24日付の項に載る。
山頭火はこの2日前より、都城の江夏屋に3泊している。町はお彼岸の賑わいであったらしい。
「或るカフェーに立つ、女給二三人ふざけてゐてとりあはない、いつもならばすぐ去るのだけれど、ここで一つ根比べをやるつもりで、まあユーモラスな気分で観音経を読誦しつづけた、半分ばかり読誦したとき、彼女の一人が出て来て一銭銅貨を鉄鉢に入れようとするのを『ありがとう』と受けないで、『もういただいたもおなじですから、それは君にチップとしてあげませう』といったら、笑つてくれた、私も笑った、少々嫌味だけれど、ナンセンスの一シーンとしてどうだらうか」と書いている。
続けて「お寺詣りのおばあさんが、行きずりに二銭下さつた、見るとその一つは黒つぽくなつた五銭の旧白銅貨である、呼びとめてお返しするとおばあさん喜んで外の一銭銅貨を二つ下さつた、彼女も嬉しそうだつたが、私も嬉しかつた」と。

―四方のたより― 徐々に変身

この頃の稽古場では、JunとAya双方ともに少なからず変化が見られる。
それぞれにその背景は異なるのだろうが、姿勢においてどちらも積極果敢になってきているのが一目瞭然だ。
われわれの採る手法がImprovisationであってみれば、本人の積極な姿勢と心の開放度はその成果を決定的に左右する要素だろう。
昨日の稽古でもそうだったが、二人とも、私が言うsuggestionやadviceに素直に耳を傾けつつも、自ずからしたいように、いろいろと試しているといった風情が、見ていて容易に感じ取れる。攻めの姿勢で臨めば臨むほど、当然その分、身体にはきつく負荷も大きくなって堪えるのだけれど、そこは心のありよう次第、それをも自ずとたのしめるようになるものだ。

これからしばらくは、週半ばにもう一回、稽古日を設けていくことにした。曜日は固定せず、お互いの都合でそのたびに調整していくことになろうが、週一から週二の稽古へとなるのは、はていったい何年ぶりのことだろう。

―表象の森―「群島-世界論」-08-

カリブ海の詩人たちは、どこに生まれようと、ついには群島的な出自を持つにいたる。それぞれの故郷である固有の島にたいする生得的な帰属は、あるとき、より広汎で接続的な、カリブ海島嶼地域全体にたいする帰属意識へと置き換えられ、彼らの住み処はこの多東海、この群島全体にひろがってゆく。個々の島々の景観、植生、動物相、人々の相貌や暮らし向き、話されている言葉といったものの差異は、その時二義的なものへと後退する。ただ「歴史」だけが、いや「歴史の不在」だけが、島々をつないでおり、その自覚によって、詩人たちは新しい家を得る。群島という家。その家は、もはや大陸の家のように旅に疲れた魂がその羽を休めるための安住の場ではない。それはむしろ、詩人をさらなる旅に駆り立て、歴史の不在に向けて自らの生存を突きつけるために赴くあらたな戦いの場である。生まれ故郷の島は、その群島の一角にあり、彼らの帰還をいつも待っている。彼らが帰郷者としてではなく、新たな難破者として戻ってくることを。すでに難破者の末裔として生まれ、難破者として離散の途についたのであれば、帰郷は永続的な難破の経験としてしか起こりえないからだ。それが詩人たちの生きる真実であり、彼らが歌う真実でもあった。なぜなら、すでに彼らは固有の出自に守られた世界の輪郭を蹴破って出奔し、時の波浪にもまれながら、ついに群島の子供として転生したからである。終わりなき群島から群島への旅の途上で、島へとたちもどるかつての嬰児たちの陽に焼けた顔を、それぞれの島は待ちわびている‥。

そんな群島的な出自への自覚をみずからの想像の根幹にすえる一人の大柄なカリブ海詩人がデレク・ウォルコットである。その生地セント・ルーシャ島からジャマイカ、グレナダ、そしてトリニダード、ボストンと辿った彼の離散的移動の航跡が、カリブ海と北大西洋を結ぶ、すぐれて群島的な領海を渡るものであったことは、容易に確認できる。
 -今福龍太「群島-世界論」/8.名もなき歴史の子供/より

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« May 2009 | Main | July 2009 »