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March 28, 2009

ならべて嬉し十のさかづき

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―世間虚仮― 格差は格差のままに、か

ETCさえ搭載していればなべて休日の高速道路-旧道路公団関係など-料金を一律1000円にするという、不人気をかこつ麻生内閣の景気対策の目玉というべき高速道路値下げが一斉に始まったが、時事通信社の時事ドットコムによれば、その出足、前年比の1~5割増の賑わいだが、GW並みというには及ばず、道路各社が事前に予測していたほどのものではなかったらしい。

そりゃそうだろう、今日から始まったのは普通車限定だというし、昨秋から続くこの深刻な不況感がこの程度の思いつき的な景気刺激策で一気に払拭できるとは到底思えぬが、道路各社など関係機関ではGW並のラッシュをも想定していたというのだから、その大甘の認識ぶりには畏れ入る。

マンションなど住宅取得者への所得税大幅減税をしたし、なりふり構わぬ大判振舞いの麻生内閣、次なる景気対策は富裕高齢者層を狙い撃ちとばかり、贈与税の大幅減税を本格検討という。子や孫世代の住宅や車の購入資金に対し、贈与税をゼロ乃至大幅減税をというのだ。

かたや、規制緩和の派遣法で、雪崩的に大量の貧困化現象を生ぜしめた果てに襲いかかった大不況のなか、元凶たる派遣法改正には一向手が付けられず、急場しのぎ的としかいいえぬ失業手当の拡充や緩和策の雇用保険法改正でお茶を濁しているにすぎず、バブル崩壊以後、大量発生させてしまった貧困層、それ自体を底上げしようという抜本的な対策はまったく省みられていない。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「灰汁桶の巻」-04

  新畳敷ならしたる月かげに  

   ならべて嬉し十のさかづき  去来

次男曰く、「ならべて」は「敷ならしたる」の、「嬉し」は「新畳」のうつり、与奪して一首の和歌の姿に作っている。連句というより、むしろ連歌の体である。芸といえば、「並べて嬉し四つ-四人-の盃」と作りたくなる筈のところを、抑えて、
作意と見せる数を取出したところか。

十という数は十全を現すが、めぐって再び一-はじまり-に続くところが、目付のみそだ。「十」は、次座-芭蕉-に対する、去来らしい持成の工夫だろう。「嬉し」さの度のみに心を向けているわけではない。句意は、明日の祝事-茶事とはかぎらぬ-をひかえて、饗膳の引盃を新畳の部屋に並べてみている、と読んでおけばよい。

「前句に新宅のさまありありと見ゆれば、此句には宴のさまを附けたり」-露伴-、「自分のところへたくさん-宴会の-盃が集まってきて、ほくほくしている。‥自分を祝う盃が、おのずから自分をとりまいた」-折口信夫-、と。

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March 27, 2009

新畳敷ならしたる月かげに

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―四方のたより― ネットで繋がる予期せぬ糸

昨日の昼下がり、突然かかってきた電話-、その声の主は葛城市の青年会議所の者だと云っていた。JC=青年会議所の構成は20歳から40歳までとされているように、電話の声は若くはきはきとして、姿は見えぬまでも好感の持てる明朗闊達な青年なのだろうと、見知らぬ突然の電話に些か戸惑いながらもそう感じさせるに充分なものだった。

奈良県葛城市は、金剛・葛城山脈の北端、二上山の麓、中将姫伝説で名高い当麻寺のある當麻町とこれに隣接する新庄町が’04年に合併して誕生した市である。

電話の用向きは、その葛城青年会議所の主催事業なのだろうが、この秋9月に小学生高学年の児童たちを対象としたイベントで、地元の史跡文化に親しく触れようと、当麻寺や二上山の大津皇子の墓所などを巡るウォーキングをするのだが、その出発セレモニーの中で万葉にのこる大津皇子にまつわる悲劇などをちょっとした実演で子どもたちに紹介できたらと、そんなモティーフで劇団関係をネットで検索していると我が四方館にいきあたり、相談というかお願いというか、不躾ながらひとまず電話をしてきたというものである。

私が折口信夫の「死者の書」と謀反の嫌疑で刑死させられた大津皇子の悲劇、万葉にのこる姉大来皇女との相聞歌などを材に劇的舞踊を作ったのは’82年と3年、すでに四半世紀も経た昔のことで、藪から棒の話に些か面喰らいながらも、趣旨のほどはよくわかったから、かなり暗くて重い私の大津世界が小学生の子どもたちに親しめよう筈もないので、そういった旨を話して丁重にお断り申し上げるとともに、葛城とは最寄りの平群や生駒あたり、地域の演劇にネットワークを有する演出家の熊本一さんならきっとなんらかプロモートされるだろうと思い、ご本人には多少ご迷惑となるやもしれぬが、彼の連絡先を紹介しておいた。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「灰汁桶の巻」-03

   あぶらかすりて宵寝する秋  

  新畳敷ならしたる月かげに  野水

次男曰く、「新畳」を「宵寝する秋」の理由とした会釈-あしらい-と読めば、意味は簡単に通じるから、ついうっかり嵌りそうになる。

平句ならともかく、連句の事実上のはじまりである第三の作りをまず後付-逆付-にたよるようでは、先行き思いやられるだろう。といって、夜長に敢て宵寝を決めこんだ閑情を具象化する付だ、と気分に頼って順に考えれば、これはこれで作者がとくに「新畳」を敷き均したくなった、興の説明にならぬ。

新畳という季語はないが、藺刈は「毛吹草」「増山の井」以下に晩夏の季とする。刈取ってそのまま乾すと茶色になり品質も悪くなるから、泥染してゆっくり陰干し、仲・晩秋の頃青々とした畳表に作る。句は、脇の作り様に深秋の情を見定めて、興のうつりを新畳にあしらっているとわかるだろうが、その作者が余人ならぬ野水だということが、この第三の、いかにも相伴たるに相応しい見どころだ。

口切-初冬-という季語がある。風炉の名残-晩秋-とともに茶方にとって大切な行事で、真の初釜は正月よりもむしろ口切の茶事である。備えて炉を開く。概ね陰暦10月1日-古伝に9月1日とも云う-、または立冬、10月初亥の日などをえらんで開くが、むろん先立って茶室の畳替も行う。

「新畳敷ならしたる月かげに」とは、口切の大事を脳裡に描いて、宜斎野水の祝言だと読めばこの句はよくわかる。畳に冠した「新」に新風興行のめでたさも含ませ、重宝な挨拶としている。「月かげ-光-」は、したがって、兼三秋の遣方ではあるがとりわけ後の名月-九月十三夜-あたりにかけての上弦の月が相応しい。「宵寝」とも釣合うだろう。

芭蕉自ら亭主-脇-となり、京撰者二人をもてなした「猿蓑」の三歌仙は、「市中の巻」-凡兆・芭蕉・去来-を除いて各一名を加えている。張行の変化をもとめるためには違いないが、その一つは去来には芭蕉、凡兆には史邦を介添として老若のペアを競い-鳶の羽の巻-、いま一つは、新風興行の相伴を求めるなら此人を措いて他にはない、と肯かせる珍客を迎えて第三に据えている。秋発句で始まる歌仙では、初折の表の月を第三に執成した例が多く、その常套的手法を利用すれば、遠来の客に対するもてなしになる。そこまでは誰でも思付くことだが、当日の会は四吟である。月の初座はもともと芭蕉に当っていた。意はかさねてそこに生れるだろう。

去る6年前-貞享元年冬-、「野ざらし」の風狂人を尾張に迎えて「五歌仙」の旗を揚げさせた勧進元は野水だった。「灰汁桶」にはいずれ、彼の日の思出に因んだ両人のたのしい応酬がみられる筈だ、と覚らせる第三の句ぶりで、片やさりげなく月の座を譲って謝辞に替えれば、片や茶人ならではの会釈の工夫を以て、そつのない祝を陳べるものだ、と。

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March 25, 2009

あぶらかすりて宵寝する秋

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―表象の森― 反貧困ネットワーク

徹夜が続いたりする忙しさもなんとか峠を越えたところで、昨年暮れの「年越し派遣村」から全国各地に拡がった「駆込み相談会」など反貧困ネットワーク運動の旗手、湯浅誠の岩波新書「反貧困」をやっと読了。その第一感、69年生れという今年40歳になるという若い著者は、この世代にはめずらしいほどの、骨太の思想家であり活動家だと受けとめ得た。

本書の内容について云々することなど必要はあるまい。私の手許の本書が12月5日発行の第5刷とあり、さらに刷を重ね、なおベストセラーであり続けていようから、より広汎に多くの読者を獲得されることを期するのみだ。

此処では彼らの活動に共鳴とともに讃を表するため「反貧困ネットワーク」のシンボルマークをHPより拝借して掲げておきたい。
写真にある「ヒンキー」と名付けられたシンボルキャラクターはオバケだそうだ。なぜオバケか、著者に云わせれば、貧困は「ある」と「ない」の間にあるからだ、と。貧困の最大の特徴は「見えないこと」であり、最大の敵は「無関心」だ。社会のみんなが無関心だと、ヒンキーオバケは怒ってどんどん増殖していくだろう、みんなが関心を寄せ合って、このオバケをどうするか、あの手この手を考えていけば、いずれ安心して成仏してくれるだろう、と。

―今月の購入本―
・J.B.テイラー「奇跡の脳」新潮社
脳出血によって言葉や記憶、歩行能力を失った脳科学者の回復体験を綴った注目の書。言葉を失い、それを取り戻す過程を、脳と関連付けて語ってくれる体験録は、人間らしさには言葉が不可欠ということが、それを失ったことでわかると同時に、言葉以外にどれだけ大事なメッセージがあるかを具に明らかにしてくれる。

・山本兼一「利休にたずねよ」PHP研究所
昨年下期の直木賞受賞の時代小説。利休好みの真っ黒な水指と棗-なつめ-を初めて眼にしたとき頭に浮かんだのは、利休につきものの侘びたメージではなく、全く逆の艶っぽさであったという作者。その艶やかさの根源は何なのかを追い求め、これまでにない利休像を作り上げた。

・梅原猛「京都発見 -8- 禅と室町文化」新潮社
嘗て京都新聞に連載された京都発見シリーズの8。鎌倉時代に日本にもたらされ、室町時代の京都でその魅力を大きく開花させた臨済禅。後醍醐天皇を鎮魂する天龍寺、足利氏の相国寺や金閣・銀閣、一休など反骨の禅僧を輩出した大徳寺ほか、妙心寺や龍安寺etc. 庭、茶、書画 といった諸芸を吸収し発展させた禅寺のさまざま、その魅力を説く。

・竹内整一「日本人はなぜ「さよなら」とわかれるのか」ちくま新書
アメリカ人の女性飛行家A.リンドバーグを「これまでに耳にした別れの言葉のうちで、このように美しい言葉をわたしは知らない」と言わしめた別れの言葉-「さよなら」の持つ人間的な温かみと人知を超える厳しさ、そして生と死の「あわい」で揺れるその両義性‥。

・井上繁樹「はじめてのLAN-パソコンとパソコンのつなぎ方 Vista版」秀和システム
Home NetworkのHow Toもの。
他に、広河隆一編集「DAYS JAPAN 」3月号

―図書館からの借本―
・陶山幾朗「内村剛介ロングインタビュー」恵雅堂出版
深い共感が導き出した稀有な記録、と吉本隆明に言わしめた、少年時より渡満し、哈爾濱学院に学び、シベリア抑留を経て、戦後日本を生き急ぐ日々の中で、遂にソ連崩壊を見届けるに至る内村剛介の歩んだ軌跡。ここには20世紀という時代が負った痛切な軋みが反響している。

・宮地尚子「環状島=トラウマの地政学」みすず書房
戦争から児童虐待にいたるまで、トラウマをもたらす出来事はたえまなく起き、今日の社会に満ちている。トラウマについて語る声が、公的空間においてどのように立ち現れ、どのように扱われるのか。被害当事者、支援者、代弁者、家族や遺族、専門家、研究者、傍観者などは、それぞれどのような位置にあり、どのような関係にあるのか。

・F.ダイソン「叛逆としての科学-本を語り、文化を読む22章」みすず書房
20世紀が生んだ物理学の巨人の一人であり、奔放な想像力と鋭利な哲学的思索でも知られるイギリス人著者の精選書評・エッセイ集。「ラマンやボース、サハといった、20世紀のインドの偉大な物理学者にとって、科学はまずイギリス支配に対する、そしてまたヒンドゥー教の宿命論的な価値観に対する、二重の叛逆だった」。

・A.モール他「生きものの迷路」法政大学出版会
副題に空間-行動のマチエールと、劇場・美術館・庭園・街路・都市・観光の島etc. 多様な日常的空間をミクロ心理学からアプローチを試み、社会という巨大な空間・迷路のなかでの人間行動を分析・追求する。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「灰汁桶の巻」-02

  灰汁桶の雫やみけりきりぎりす  

   あぶらかすりて宵寝する秋  芭蕉

次男曰く、其場の景を探って人情を取出した、典型的な打添えの脇である。「雫やみけり」-元桶の枯れ-に「あぶらかすりて」と合せたか、「やみ-けり-きり-ぎり-す」の細りを無聊の「宵寝」につないだか、二つの想はいずれ不可分だが、「宵寝する秋」は秋の夜長・夜鍋があってのことだ。

八朔または秋彼岸頃を境にしてよなべを始める風習は、西日本では常識となっている。黒川玄逸の「日次-ひなみ-紀事」-貞享2年-にも陰暦9月の頃に、「この月より諸職人、夜長に乗じ夜半に及ぶまでその作業を勤しむ。これを夜鍋といふ。言ふこころは、夜深きときはすなはち飢うるゆゑに、鍋をもつて物を煮て喰ふ義なり」云々と記している。

宵寝は、仲秋-名月-はもとより初秋にも不束だが、秋作業も終って人々皆夜鍋にいそしむ時季なら、この天邪鬼はは俳になるだろう。一見「あぶらかすりて」を「宵寝」の理由のごとく読ませる作りだが、そうではない。芭蕉は凡兆作の「きりぎりす」を秋深しと弁-みわけ-て、景・情のうつりを以て付けているのだ。

「かする」は掠、本来はかすめとる・軽く触れるなどを意味する。ここは、灯油を節約する・惜しむ意味に借りた当時の俗用か。また、こうも考えられる。自動詞・他動詞の混用は珍しくない。「荒海や佐渡によこたふ天河」は「よこたはる-よこたふ」である。「かする」も「かすれる」の俳諧工夫かもしれぬ。いずれにせよ「かする」は他動詞-四段-だというところが云回しのみそで、自-やむ-に他のはたらきを付けると、合せの妙が生れる。「あぶらかすれて」とあれば、「宵寝」も只の成行きときこえるから、夜長人をよそに見遣る風狂の人体の面白みは現れてこない、と。

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March 24, 2009

灰汁桶の雫やみけりきりぎりす

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―表象の森― 灰汁桶の巻

巻頭に「初しぐれ猿も小蓑をほしげ也 芭蕉」の句を置いた「猿蓑」は、芭蕉の厳密な監修の下、去来・凡兆による編集で元禄4年5月末に選了、同年7月に出版された。

乾坤2冊、うち乾-巻1~4-は諸国蕉門作家118人の発句382句を冬・夏・秋・春の部立順に収め、巻軸は「望湖水惜春、行春を近江の人と惜しみける 芭蕉」である。坤-巻5.6-は発句の部と同順の歌仙4つと芭蕉の「幻住庵記」などから成る。

集の「序」は和文を以て其角がしるし、「跋」は漢文を以て丈草がしるしている。「古今集」の仮名序・真名序の伝に倣ったものだが、選者二人の起用に合せこれまた旧人・新人の取合せにも用意の趣向が見える。

この「灰汁桶の巻」は芭蕉・凡兆・去来・野水を連衆とし元禄3年秋に興行された。野水の現住庵訪問を迎えて義仲寺の宿坊で催されたと考えるのが自然だが、京の凡兆宅とか去来宅という可能性もなくはない。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「灰汁桶の巻」-01

  灰汁桶の雫やみけりきりぎりす  凡兆

次男曰く、
コオロギの声がした。
灰汁桶の雫は止んでいた。
散文で書けばこういうことになる。灰汁桶の雫がしなくなったと思ったら替りにコオロギが鳴き出した、というのではない。「けり」は今まで気付かなかった事実に気付かせられた感動をあらわす詠嘆の助動詞で、動作・作用の単なる完了を確認するものではない。「止みたり」とは違う。

灰汁桶は、衣類の洗いや染に用いる灰汁を採るため水桶に灰を浸したもので、簡便には上澄をじかに汲んで使うが、ここは濾し口を取付け別の桶へ滴らせるようにした仕掛である。土間かそれとも軒下か、いずれにしても雫の音が届く程の場所はそう遠くはないが、コオロギの声が聞えてきたのは軒端の内とは限らぬ。

この「きりぎりす」の実体は厳密にコオロギと考える必要はなく、庭にすだく虫の声だと解しておいてもよい。句眼は、理由は何であれふと耳を傾けさせられた秋の夜の虫の音が、代りに灰汁桶の雫の音が止んでいると、発見させた興の動きにある。

蟋蟀-しつしゆつ-、蟋は「万葉集」ではこおろぎ、「古今集」以来「きりぎりす」として詠み習わされ、いずれも秋に鳴く虫の汎称で-コオロギに限らない-、初乃至仲秋の季に扱うのを通例とする。芭蕉は、この歌仙と前後して、「白髪ぬく枕の下やきりぎりす」と、早々と牀下に入る虫の「あはれ」を詠んでいる。元禄3年8月、義仲寺の吟である。

「やみ-けり-きり-ぎり-す」、末尾イ音を伴う小節の積み重ねが暗示する終熄の予感は、寂寞とした晩秋の情景をも容易に思い描かせるだろう。庭には既に虫の気配なく、戸辺、絶々のコオロギの声を聞いたのだ、と読んでも句の解になる。灰汁桶の滴りのリズムに乗る夜長の興は、初・仲・晩三秋それぞれにある、と云いたげな作りである。

当季の発句には違いなかろうが、凡兆の句ぶりは当座の嘱目に基づくとも云い切れぬようだ、と。

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March 23, 2009

虻に刺さるゝ春の山中

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―表象の森― 夜色楼台図、国宝に

2.3日前だったか、以前にこの場で触れたこともある蕪村の筆になる縦28センチ×横130センチの横長の墨画「夜色楼台図」が、文化審議会答申で八戸市の風張遺跡から出土した合掌土偶とともに国宝になるという記事を見かけた。

文化財保護法による美術工芸品などの国宝指定はこれで864件になるらしいが、たしか「夜色楼台図」は個人蔵であったから、個人所有の美術品が指定されるのはきわめてめずらしいのではないかと思われ、ちょっとググって国宝一覧なる頁で確かめてみた。かの一覧、ざっと見渡してみても、その所有は博物館や美術館、各地の神社仏閣が連なるばかりで、個人蔵は可翁筆の「寒山図」くらいしか見あたらず、あとは刀剣の類が数点あるのみのようだ。それほどに神戸市の個人が所有するという蕪村の「夜色楼台図」、保存もよく美術品として評価が高いということなのだろう。

「桃源の路次の細さよ冬ごもり  蕪村」

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-36

  花咲けば芳野あたりを駆廻り  

   虻に刺さるゝ春の山中  珍碩

次男曰く、「花薄」の句以来、芭蕉と曲水は珍碩を肴にして興じている。「花咲けば」の句は、三人三様に風狂の誓いを新たにしていると読んでよく、「虻-あぶ-に刺さるゝ」は珍碩の謝辞でもある、と。

「花見の巻」全句

木のもとに汁も膾も桜かな      翁  -春  初折-一ノ折-表
 西日のどかによき天気なり     珍碩 -春
旅人の虱かき行春暮て        曲水 -春
 はきも習はぬ太刀のヒキハタ    翁  -雑
月待て仮の内裏の司召        珍碩 -秋・月
 籾臼つくる杣がはやわざ      曲水 -秋
鞍置る三歳駒に秋の来て       翁  -秋  初折-一ノ折-裏
 名はさまざまに降替る雨      珍碩 -雑
入込に諏訪の湧湯の夕ま暮      曲水 -雑
 中にもせいの高き山伏       翁  -雑
いふ事を唯一方へ落しけり      珍碩 -雑
 ほそき筋より恋つのりつゝ     曲水 -雑
物おもふ身にもの喰へとせつかれて  翁  -雑
 月見る顔の袖おもき露       珍碩 -秋・月
秋風の船をこはがる波の音      曲水 -秋
 雁ゆくかたや白子若松       翁  -秋
千部読花の盛の一身田        珍碩 -春・花
 巡礼死ぬる道のかげろふ      曲水 -春
何よりも蝶の現ぞあはれなる     翁  -春  名残折-二ノ折-表
 文書くほどの力さへなき      珍碩 -雑
羅に日をいとはるゝ御かたち     曲水 -雑
 熊野見たきと泣給ひけり      翁  -雑
手束弓紀の関守が頑なに       珍碩 -雑
 酒ではげたるあたま成覧      曲水 -雑
双六の目をのぞくまで暮かゝり    翁  -雑
 仮の持佛にむかふ念仏       珍碩 -雑
中かに土間に居れば蚤もなし     曲水 -夏
 我名は里のなぶりもの也      翁  -雑
憎れていらぬ躍の肝を煎       珍碩 -秋
 月夜々々に明渡る月        曲水 -秋・月
花薄あまりまねけばうら枯て     翁  -秋  名残折-二ノ折-裏
 唯四方なる草庵の露        珍碩 -秋
一貫の銭むつかしと返しけり     曲水 -雑
 医者のくすりは飲ぬ分別      翁  -雑
花咲けば芳野あたりを駆廻り     曲水 -春・花
 虻に刺さるゝ春の山中       珍碩 -春

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March 21, 2009

花咲けば芳野あたりを駆廻り

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―世間虚仮― 阪神なんば線今昔

以下は昨夜書いてupしようとしたのだが、Internetの接続トラブルで出来ず、一日遅れのup。

暖かいが風吹き荒れ模様の春分の日、イランの暦では元旦にあたるという。
開通した阪神なんば線、今朝の午前4時50分、初発の奈良行普通電車が尼崎駅から発った、と。なにしろ50年越しの難波延伸計画がやっと完結を見たのだからおめでたいというべきか。

昔は伝法線と呼ばれていたという阪神電車の西大阪線、難波延伸計画の第1期工事-千鳥橋-西九条間-が着工されたのは私が高一だった1960-S35-年のことだから遙か遠い昔だ。その完成が64-S39-年で、併せて同じ時にJR環状線が全線複線化され名実ともに環状線となっている。

その後67-S42-年に第2期延伸工事の西九条-九条間が一旦は着工されたのだが、九条新道の商店街を中心に地域住民の反対の声にすぐさま中止され、大阪ガスの工場跡地に大阪ドームが誕生する97-H9-年頃までこの延伸計画が再燃具体化することはなかった。

その30年間における九条界隈の変容、商店街を中心に鉄工所が林立していたこの街の衰微は相当なものである。
この街で生まれ育った者のひとりとしても無関心でいられる問題ではなかったし、おまけに新しく生れた九条駅の地下出入口は我が実家の道路を挟んだ真向かい、旧NTT西局であったから尚更のことであった。

つい昨日もちょっとした所用があったので実家近くを通ったのだが、九条南交差点の角地のビル、古くは戦前からのもので以前は三菱銀行九条支店だったのだが、それがいつのまにか取り壊されコンクリートの残骸ばかりとなっていたのには、車を走らせながら、あの大阪空襲にも焼け残って生き延びてきたビルがとうとう消えゆくかと一瞬感慨がよぎったものだ。

そういえば、毎日新聞の連載シリーズ「わが町に歴史あり-知られざる大阪」ではこのところずっと西区の話題で、今朝も前回に続いて松島新地の由来譚だったから、折しも新旧交錯した九条界隈の噺のタネ、阪神なんば線は50年余を経ての噺だが、後者松島のほうは明治初期の頃まで遡ろうというもので、人住む街のさまざまに折り重なる記憶や痕跡というもの、そういう匂いがするものに触れると我知らずなにやら温もりが身内に生じてくるのが感じられ、こんなのが茫とした生の実感とでもいうものであろうかと思われる。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-35

   医者のくすりは飲ぬ分別  

  花咲けば芳野あたりを駆廻り  曲水

次男曰く、名残の花の定座である。巡りでは珍碩に当るが、譲ってcb入替った所以は先に説いた。

「分別」をどう読取ったかはわからぬが、其人の付である。その他に解を須いぬ。しいて云えば、一巻の起承転結に西行の俤があるか。

「旅に死ぬるは行脚の本意也と、此花は発句に花見と言題に匂て、斯くは附たり」-秘注-、露伴も「遙に花見と題したる発句に呼応して好し」と云っている、と。

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March 18, 2009

医者のくすりは飲ぬ分別

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-世間虚仮- 生命の春なれど‥

連日夜なべで追われた仕事もやっと一息。
昨日今日と連日20℃を越す陽気、各地で桜の開花宣言が相次ぎ、桜前線は一気に加速した模様だ。

そういえば日曜日の新聞だったか、一面トップに「桜前線100年後暴走」などと穏やかならぬ見出しで、思わず眼を奪われてしまったが、記事内容は、九大の気象学教授が九州の鹿児島から本州北端の青森まで温暖化影響下の各地について100年後の開花予測をつぶさにモデル化したもので、近く開催される日本農業気象学会で発表されるという論文を下敷きにしたもの。この説によれば、東北の、それも山里ほど開花時期が早まり、現在に比べて4週間近くも早くなるそうな。

そのバカ陽気とともに大陸飛来の黄砂が列島を覆って空から降りかかっては、折角咲かせた花の色も幾許か色褪せようし、ただでさえ短い花の命がさらに縮まろうというもの。花粉症に悩む多くの人々にとって苦しみは倍加しようし、陽春に誘われそぞろ野や山へなど以ての外、昔懐かし夢のまた夢だろう。

そういえば軽いとはいえアレルギー性小児喘息を患う幼な児のKAORUKOも、この2.3日はいつもより痒がっているようだしなんとなく不調の兆しがみえる。
思えば、西欧近代の、文明の行きつく果て、21世紀に生きるなどということは想像の埒外にあった我が身だけれど、いつのまにかそれも幾年ぞ‥。
そうだ、KAORUKO自身、01年の生まれ、彼女こそ苛酷な新世紀を生きる人であった。暴走の果ての新世紀を否応もなく生きねばならぬ人であった。

母親がB勤とやらで未だ帰らぬ今宵、少しだけ勉強を見てやり、夕食を済ませてからは「スピード」なるトランプ遊びの相手をしてやり、明日は学校の卒業式とやらで、その連想からだろうか、「賞状ごっこ」をしようなどと言い出したものだから、キーボードを叩いてちょっぴり本格的なのを作ってやった。

「賞 状  KAORUKO殿
  あなたは、四方館のダンスカフェで
  とてもよい演技をされ
  りっぱな成果をあげられましたので
  ここに感謝の言葉とともに
  これを賞し、記念とし本状を授与します。
   平成21年3月18日  四方館亭主 林田鉄」

声を出して読み上げたうえで、式次第よろしく手渡してやったら、なにやら感きわまったか、彼女の眼はウルウルときているようだった。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-34

  一貫の銭むつかしと返しけり  

   医者のくすりは飲ぬ分別  翁

次男曰く、気味で付けた会釈-あしらい-である。必ずしも同一人と読む必要はないが、前と合せて「唯四方なる草庵」の主を自ずと指す作りになっている。珍碩を世に出すための興行なら猶更である。

「分別の門内に入る事をゆるさず」とうそぶく人間にも「医者のくすりは飲ぬ」という分別があるではないか、とからかっている。旅人芭蕉の自画像でもあるだろう。

「雁がねの巻」両吟-貞享5年9月興行-に、「なに事も長安は是名利の地-芭蕉、 医のおほきこそ目ぐるほしけれ-越人」という付合があった。そういう時代風潮に対する諷刺とも取れる。因みに、珍碩も医を見過ぎとしたと伝える。それなら、医者の不養生とも、珍碩輩の処方した薬はうかつに飲めぬとも、「分別」の意味が拡がる。

蕉門に所謂医家は多い。其角・去来は名家の出だが荷兮・尚白・風国・凡兆・木節・朱拙なども町医と伝える、と。

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March 16, 2009

一貫の銭むつかしと返しけり

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―四方のたより― 勿体ない!

休日の昼に、Dance caféなどとは、あまり似合わないのかな?
リハーサルのために朝から繰り出して
準備万端とは云えないまでも
まあ、とにかく、仕上がりはわるくはない筈だったのだけれど‥
客席は、お寒いかぎりの閑古鳥
いやはや、なんとも、勿体ない会であったことよ
些か自棄気味に
終わったあとの虚脱感を埋め合わそうとした訳じゃないけれど
関係者みんなで、階下のカフェに陣取っては
珈琲一杯で、駄弁ること延々2時間近く
それのみが意外にも、結構素敵な時間なのでした

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-33

   唯四方なる草庵の露  

  一貫の銭むつかしと返しけり  曲水

次男曰く、一貫は銭一千文、貫緡-かんざし-とも云い実際には960文を穴繋ぎにして一千文に用いた。明治4年制定の円単位制では十銭として換算した。

「むつかし」は厭わしい、「と返し」たというのだから、貸そうと云ったか呉れると云ったか知らないが、「唯四方なる草庵」住いにはそれさえ煩わしい、と人物の見定めを付けている。

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March 14, 2009

唯四方なる草庵の露

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Information-四方館 DANCE CAFE –「Reding –赤する-」

―表象の森― あか色々-承前-

いよいよ明日、本年第1回のDance Café、Reding -赤する-、乞ご期待!といったところ。

・韓紅/唐紅-からくれない-
紅花の濃染による紅赤色、奈良時代「紅の八塩」と呼ばれた。八塩とは8回染重ねることの意で、濃染のこと。呉の国からやってきた染料ということから「呉藍-くれあい-」と呼ばれ、その読みがそのまま「くれない=紅」と日本語の色名となったといわれる。舶来の意とともに色の美しさを強調して、濃い紅花の赤を韓紅、唐紅と記されるようになった。

・蘇芳-すおう-
蘇芳はマメ科の落葉小高木、インド南部やマレー半島が原産。心材を蘇芳木といい、古くから赤色や紫系の染料に用いた。媒染剤に明礬や灰汁を使って発色させるが、やや青味のある赤色をしている。媒染剤に明礬を使った赤を赤蘇芳と呼んだ。また紅花や紫に代えて染色に用いられたため、似紅-にせべに-、似紫と呼ばれた。

・蘇芳香-すおうこう-
ややくすみ気味の赤褐色だが、香の字が示すように元は香りの良い丁字で染めた「香色」を真似たもの。丁字は高価なため代わりに支子と紅花が用いられたのだが、この蘇芳香は紅花の代わりに蘇芳で染めたもの。

・真朱-しんしゅ-
天然産の良質な「朱砂」の色のような、黒味のある赤色。朱は水銀の硫化物のことで、天然産の硫化水銀の原鉱は朱砂という。

・甚三紅-じんざもみ-
かすかに黄味を含んだ中程度の濃さの紅赤色。紅花染が高価なため、茜または蘇芳を用いた代用紅染だが、「京、長者町桔梗屋甚三郎というもの、茜を洩って紅梅にひとしき色を染出す」との由来から生れた色名。

他に・一斤染/聴色-いっこんぞめ/ゆるしいろ-・紅梅色・退紅-たいこう-・鴇羽色/鴇色-ときはいろ/ときいろ-・桜鼠-さくらねずみ-・長春色-ちょうしゅんいろ-・曙色/東雲色・臙脂色-えんじいろ-・黄櫨染-こうろぜん-・代赭色-たいしゃいろ-・赤白橡-あかしろつるばみ-・紅鬱金-べにうこん-・牡丹・撫子色-なでしこいろ-・躑躅色-つつじいろ-・鴇浅葱-ときあさぎ-・銀朱・紅樺色-べにかばいろ-・今様色・苺色・灰桜色・宍色-ししいろ-/肉色、等々。
  -平凡社刊「日本の色」より

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-32

  花薄あまりまねけばうら枯て  

   唯四方なる草庵の露  珍碩

次男曰く、いつから、どのあたりからともなく、少しはしゃぎ過ぎたようだ、と芭蕉は自戒をこめて云っている。地珍碩の句はそれに応じた反省。「四方-よほう-」は四角、方形の四隅、以て結界となす意を含むから、規を越えずと読んでよい。むろん「草庵」の形容で、「露」にかかるのではない。

「露」は、季を持たせるため、連句特有の投込の手法だが、「人目見し野べの気色はうら枯れて露のよすがにやどる月かな」-新古今、寂蓮法師-を含みとして思付いたのかも知れぬ。三句を見渡してそう思う、と。

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March 13, 2009

花薄あまりまねけばうら枯て

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Information-四方館 DANCE CAFE –「Reding –赤する-」

―世間虚仮― Soulful Days-20- Drive Recorder

昨日の午後、事故時の記録画像を、やっと見ることができた。
MKタクシーのK氏やT氏を煩わして2.3週間前から要請していたことだが、ご丁重にもT氏自らの送迎付で大正営業所内の応接室にて、ドライブ・レコーダーに記録されていたという事故時の画像、それは衝突の瞬間に前後するほんの数秒間の記録なのだが、件のビデオと対面したのである。

画像は、RYOUKOを乗せたM氏運転の車が辰巳橋南交差点へ右折しようと進入するあたりから、対向車線を走行してきたT運転の相手車と衝突した直後まで、6.7秒程度のもの。
その短いビデオ画像を何度も繰り返し見た。徐行速度がコンマ秒でわずかに揺れ動くのを、コマ送りで何度も行きつ戻りつしては、克明に脳裏に焼付け、またメモもしてみた。

車は阪神高速の16号大阪港線の高架下を9.8km/hでゆっくりと右折途中、対向車線を走ってきた1台の軽自動車を見送っているのが判る。その軽自動車通過直後から衝突の瞬間まで3.8秒、高架下側道の右折車線に車の先端がかかりだしたかと見られる時点からなら2.44秒程かと推定される。
車は右折して直進横断行為になるあたりから徐々に加速していき、コンマ秒単位で12.7km/h、16.9km/h、21.1km/hを示すが、衝突時より0.5秒直前にほぼ停止状態-5.6km/h-となる。

このことは相手方が供述しているとされる「右折車が横断途中に突然停車した」というものとたしかに符合する。
だが、この主張が矛盾なく成り立つのは事故時から遡って1.0秒乃至1.1秒というほんの短い時間だけのことだ。少なくともその数秒以前、2.7から3.0秒程は右折しようとしている車のヘッドライトが交差点路面を照らしつづけているのだが、相手方はどの時点で右折車の存在に気がついたのか、それが問題だろう。

相手車は衝突時、70km/hの速度だったとタイヤ痕などから計測されている。制限時速60km/hの道路で速度違反としては咎め立てするほどのものではないと担当検事は曰われたが、右折車の直進横断をしつつある車の存在に気がついていながら、速度も落とさず走行しようとするのは危険があまりあるし、自ら事故を呼び込むような行為に等しいというものだろう。

この記録画像から、やはり、どうしても推測されるのは、相手方Tはその走行斜線上に右折行為にあるRYOUKOの乗った車が停止するその時点まで、まったく視認していなかったのではないかということであり、その視認の遅れは直前の脇見運転の疑いをいよいよ大きくさせるものなのだ。

偶然にしても出来過ぎているようだが、昨日の同じ時刻頃、M氏は3度目の呼出しとかで検察庁に出向いていたらしく、私は帰りの車の中で彼からのMailを受け取った。

その報告によれば、検事はこの記録画像を見ていること、さらに本日でもって取り調べを終結し、略式起訴で刑の確定をする意図であったが、Mは弁護士と相談のうえ後日返答したいと申し出た、ということであった。

敢えて裁判へと持ち込むことが、M氏にとって有利にはたらくか、雉も鳴かずば撃たれまいにと、却って刑を重くすることになるか、その判断は微妙で難しいところだが、事故原因の実相に些かなりとも迫るには懼れず火中の栗を拾わざるを得なくなるのではないか。遺族の一人である私との接点を強めれば強めるほど、彼と彼の家族を窮地に陥れる結果を招くことにもなりかねないのだが‥。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-31

   月夜々々に明渡る月  

  花薄あまりまねけばうら枯て  翁

次男曰く、名残の裏入である。
秋三句目で、夜明と覚しき末枯れた野の嘱目を寄せただけのように見えるが、そうではないらしい。花薄は穂に出たススキ、尾花の別名だ。前-端句-の作りを見咎めて、季語取出しにも一工夫があれば、作意にも観相がある。

「あまりまねけばうら枯て」は手詰りとなった前句を衝いた云回しで、ことの起りは珍碩にあるから、窘められているのは珍碩だとも云える。-「招く」は踊の付合-。
ともあれ、月の座も招き過ぎれば末枯れるしかあるまい、と冷かしている。尾花に托した、裏起しの場でのこの捌きはうまい。

中村俊定は「あまりまねけばの詞が月夜々々にに対応してひびいており、この擬人化された表現がこの句の作であるが、同時に景の句の中に人情をこめたおもしろさが出ている」、と。

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March 11, 2009

月夜々々に明渡る月

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Information-四方館 DANCE CAFE –「Reding –赤する-」

―表象の森― あか色々

・紅-べに、くれない-
紅花はエジプト原産のアザミに似たキク科の植物で、「紅」はその花弁から抽出した紅色素-カーサミン-で染めた鮮やかな色。紅花による紅染は褪色しやすいため、鬱金や黄檗など黄色系の染料で下染した後に染色されることが多い。国内産地は山形県最上地方が有名だが、収量は少なく金に匹敵するほど高価だったため、高貴な人のみがこの色の着用を許された。紅花だけで染めた色を紅色、真紅あるいは深紅などという。
・猩々緋-しょうじょうひ-

緋のなかでも特に強い調子の黄味がかった朱色。猩々はオランウータンともされるが、また中国の猿に似た霊獣ともされ、その動物の生き血で染めたという伝説がある。わが国では能に登場する「猩々」の衣装のイメージでもあり、赤毛、赤面、赤装束から由来するという説も。古くから用いられた色で、この猩々緋で染めた羅紗や天鵞絨-ビロード-は武将たちの陣羽織に仕立てられ、戦の場で艶やかな意匠が競われた。

・紅緋-べにひ-
猩々緋とともに鮮やかな緋色に使われる色名で、紅花と鬱金、黄檗、支子-くちなし-を用いて黄味のある赤。古代、「緋」は茜を灰汁媒染-あくばいせん-で染めた赤をさし「あけ」と呼ばれ、女官の緋袴の色も、実際はこの紅緋が用いられた。

・照柿-てりがき-
熟した柿の実からきた色名で、濃い赤味の橙色をいう。「柿」は平安時代から用いられている色名だが、江戸時代には赤味の橙色をさす代表的な色名として使われた。
他に、熟した柿の色に「紅柿」、淡い色では「洗柿-あらいがき-」「洒落柿」があり、「薄柿」や「水柿」などは明るい橙色、濃くなって赤系によったものに「凝柿-こりがき-」「黒柿」がある。

・紅柄色/弁柄色-べにがら/べんがら-
顔料の紅柄の色名からきた赤身の褐色で、弁柄とも。名前の由来は東インドの地名「ベンガラ」からきている。その地で良質の赤褐色の酸化第二鉄が産出され、この産地名-ポルトガル語-が顔料名となった。
江戸時代から弁柄に柿渋を加えた顔料が、町家などの壁や格子戸に塗られ、弁柄格子と呼ばれてきた。

・黄丹-おうたん、おうに-
もとは顔料の「鉛丹」の別名で、紅花と支子で染めた赤味を帯びた橙色。中国より伝来した色名だが、高貴の色とされ、色彩の序列は紫の上に置かれ、着用を親王や皇族に限られ禁色の一つとされてきた。わが国では8世紀以来現在まで、皇太子の正式服色として用いられる。
  -平凡社刊「日本の色」より

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-30

  憎れていらぬ躍の肝を煎  

   月夜々々に明渡る月  曲水

次男曰く、二ノ折の表の端句-十二句目-を、躍に寄せて月の座としている。定座は十一句目で、うごかすことは間々あるが、特別の趣向でもないかぎり端に雫すことはまずない。

作りは前句の人情に景を添えた軽い遣句の体で、月夜月夜と踊り続けてついに有明の月を見る候にまで及んだ-片や時分片や天相-と云いたいらしいが、「月夜」と「月」の差合が誰しも気になるところだ。

「夜ごと夜ごとに明渡る月」、「月夜々々に明渡る比-ころ-」ではいけないのか。と考えたところで気がつく。「憎れていらぬ躍の肝を煎」は要らざるお節介で、云うなれば屋上屋を架すたぐいの行為だ。差合を承知のうえで、「月夜」に「月」を被せた手口は、まずそこを読取って盆踊り頃踊り明かす人情との釣合としたものらしい。

加えて、端句の月を強いられ、曲水としては出し遅れた不手際を繕うしかなかった、という事情がある。破れかぶれと云うべきか、活路と云うべきか、珍しい重ねの工夫はそこに生れた、と。

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March 09, 2009

憎れていらぬ躍の肝を煎

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Information-四方館 DANCE CAFE –「Reding –赤する-」

―表象の森― Goetheの赤

以下はゲーテ「色彩論」における<赤色>談義だ。
「青や黄を濃くしてゆくと、必ずそれとは別の現象が一緒に生じてくる。色彩というものは、最高に明るい状態でも暗い翳りをもつものである。したがって色彩が濃くなれば、ますます暗くなってゆくのは当然である。しかしながら、色彩が暗くなるにつれて、同時に色彩はある輝きを帯びてゆく。この輝きをわれわれは「赤みを帯びた」という言葉であらわしている。

この輝きがだんだん強まってゆき、高昇の最高段階に達すると、圧倒的な力を示す。強烈な光を見た場合には、網膜に真紅を感じる漸消現象が生じる。プリズム黄赤色は-朱色-は、黄色から生じたものだが、黄色を想起する人はほとんどいない。
赤という名称を用いる場合には、黄や青を少しでも感じさせるような赤は除外し、完全に純粋な赤を考えていただきたい。たとえば白磁の皿の上で乾かせた純正のカーマイン-紅色の絵具-のような。古代人の言う真紅が青の側に近いものであったことはよく承知しているが、赤という色彩にはその高貴な威厳のために私はしばしば真紅という名をあたえてきた。

真紅が生れてくる課程をプリズム実験で見た人は、真紅には現実的にも可能的にも他のすべての色彩が含まれているとわれわれが主張しても、牽強付会の言とは思わないであろう。
黄と青の、この二つの極が赤に向かって高昇し、合一するところに、理想的充足と名づけてよいような真の平静さがあらわれると考えることができる。実際、物理的現象においては、それぞれ合一を目指して準備し、一歩一歩進む二つの相対する極がついに出会ったところで、赤という全色彩現象中で最高の現象が生じるのである。

この色彩は、その性質ばかりではなく、その作用も比類がない。この色彩は厳粛で威厳に満ちているというばかりでなく、慈愛と優美を併せ持っているという印象を与える。赤が暗く濃ければ厳粛で威厳があるものになり、明るく淡ければ慈愛と優美に満ちたものになる。このように老人の威厳と若者の感じの良さとが一つの色彩の中に包みこまれているのである。」

連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-29

   我名は里のなぶりもの也  

  憎れていらぬ躍の肝を煎  珍碩

躍-をどり-、煎-いる-

次男曰く、「なぶりもの」というから「憎れて」と承け、前句に嵌って付けている。「いらぬ肝を煎」が、其人を虚から実に執成して人柄を見定めた作で、たねほ踊-初秋-としたのは次に月の座をひかえているからである-踊に月は付合-、と。

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March 07, 2009

我名は里のなぶりもの也

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Information-四方館 DANCE CAFE –「Reding –赤する-」

―世間虚仮― 広島原爆投下前のCG写真

政治団体を隠れ蓑にした西松建設からの巨額献金で、小沢一郎の公設秘書大久保隆規が政治資金規正法違反容疑で逮捕されたこの3日以来、政界には激震が走り、新聞・TVの報道も関連ニュースに賑やかこのうえないが、このところは新聞などとてもじっくりとは読めないような状態だから、一連の騒動を遠くから眺めやるといった態で過ごしている。

そんな朝方の、束の間のほっと一息、眼に映じた紙面トップの写真、原爆投下前の広島の街並み、ドーム界隈から周辺の風景をCGで復元したという一枚が掲載されていた。左側に在りし日のドームを配して、太田川が本川と元安川とに岐れる中州が三角状に延び、当時広島有数の繁華街だったという中島町には、瀟洒な二階建ての木造家屋が立ち並んでいる。遙か前方に広がる、霞むように見える低い山脈は、左に江田島や能見島、右に宮島など、瀬戸の島々だろう。

よくTVなどでCG映像を空撮のごとく動態で見せられることがあるが、この手のHyper Realism?には此方の想像力はちっとも羽ばたかず、却ってリアリティが遠のくばかりに思えてしかたがないのだが、今朝のこの一葉は、その3次元CGで復元した画像にも拘わらず、それをあらためて2次元平面の写真として掲載されていることからであろうか、ふと眼を奪われひとときその風景に見入ったものだった。
 -写真は毎日新聞本日朝刊より

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-28

  中なかに土間に居れば蚤もなし  

   我名は里のなぶりもの也  翁

次男曰く、観相句の面白さは、前後に執成していろいろな世相人情を取出せることである。前句は、今一番と目を血走らせる勝負師に対する冷しにもなれば、偶、それともたわむれにか、知った土間の味が行脚放浪への誘い水ともなるだろう。

里人の一人でも、余所者でもよいが、自ら「我名は里のなぶりもの」と名告る人間はむろん痴愚の徒ではない。「ほそ道」日光山の麓のくだりで「我名を仏五右衛門と云」と名告った宿の主と表裏、同じ伝の人物の取出しである、と。

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March 04, 2009

中なかに土間に居れば蚤もなし

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Information-四方館 DANCE CAFE –「Reding –赤する-」

―四方のたより― 忙中閑あり

数年前に港区で借りていた事務所を引き払って以来、お水取りの頃、2月末頃からこの月末あたりまで、例年きまって私の手内職が繁忙を極める時期なのだが、そんな最中にDance Cafeの企画を入れたものだから、いつもよりきつくなると覚悟はしていたし、早めに着手すべしと心懸けたつもりだった。

ところがそんな場合にかぎって好事魔多し、手内職といってもいわゆる事務屋の仕事で、パソコン相手の明け暮れなのだが、昨年暮れにそれまで使っていたメカが突然ダウンして新機種に入れ替えた際、XPからVistaにしたのがここに至って災い、この仕事に最も要になるソフトがまともに動いてくれないことが迂闊にもいざとなって判明、しばし立ち往生といった始末なのである。

もちろんただ手を拱いていたわけではない。すぐに安上がりのXP導入機購入の手配はしたし、かたわら現状で可能な仕事は手を尽くしてやってはいる。この3日ほどなどずっと朝方まで寝ずで没頭してもきた。お蔭でまだ宵のうちというのに、疲労と睡魔で些か呆としながら、これを綴っている。肝心の新機は明日にしか揃わないし、やれることはやったしで、身から出た錆、おのれの不覚からとはいえ、ここにきて手待ちの状態だ。

忙中閑ありとくれば読書になぞ勤しめばよいようなものだが、今夜はそれほどの気力が湧こう筈もなし、ただぐっすりと眠るしかあるまい。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-27

   仮の持佛にむかふ念仏  

  中なかに土間に居れば蚤もなし  曲水

次男曰く、「仮の持佛」から「土間に居-すわ-れば」を引出し、観相の付としている。前句苦しいときの神頼みに対する冷かしと読んでもよい。

サイコロを拝んでも霊験は怪しいものだが、蚤に責められたら土間に逃げればよい、というのが含ませた意だ。「中なかに」は「むしろ」、予想とは反対の結果になることを表す副詞である。

蚤は「毛吹草」以下に晩夏の季とする。兼三夏、と。

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March 03, 2009

仮の持佛にむかふ念仏

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Information-四方館 DANCE CAFE –「Reding –赤する-」

―表象の森― 道化の笑い

以下は孫引きだが、坂口安吾が笑いについて論じたなかに、諷刺と道化-Farce-の違いをこんなふうに語っているそうな。

「笑いは不合理を母胎にする。笑いの豪華さも、その不合理とか無意味のうちにあるのであろう。ところが何事も合理化せずにいられぬ人々が存在して、笑いも亦合理的でなければならぬと考える。無意味なものにゲラゲラ笑って愉しむことができないのである。そうして、喜劇には諷刺がなければならないという考えをもつ。

 然し、諷刺は、笑いの豪華さに比べれば、極めて貧困なものである。諷刺する人の優越がある限り、諷刺の足場はいつも危く、その正体は貧困だ。諷刺は、諷刺される物と対等以上ではあり得ないが、それが揶揄という正当ならぬ方法を用い、すでに自ら不当に高く構えこんでいる点で、物言わぬ諷刺の対象がいつも勝を占めている。」

「正しい道化は人間の存在自体が孕んでいる不合理や矛盾の肯定からはじまる。-略-
 道化は昨日は笑ってはいない。そうして、明日は笑っていない。一秒さきも一秒あとも、もう笑っていないが、道化芝居のあいだだけは、笑いのほかには何物もない。涙もないし、揶揄もないし、演技などというものもない。裏に物を企んでいる大それた魂胆は微塵もないのだ。ひそかに裏に諷しているしみったれた精神もない。
だから道化は純粋な休みの時間だ。」

最後の一句はとてもくっきりとして秀逸、爽快感が走る。
道化-Farce-の笑いは一瞬の祝祭空間だ。腹を抱えて笑いころげるほどに‥、それがなかなか出来なくなってしまってはなんとも味気なくつまらない。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-26

  双六の目をのぞくまで暮かゝり  

   仮の持佛にむかふ念仏  珍碩

次男曰く、打越と前は時分と気味の付であって、人物とその行為ではない。そこを見定めて双六打の二句一章に作っている。一日打ち暮した勝負のさまである。そう読まぬと三句絡みになる。

「仮の持佛」は、厨子に入れ旅などに持歩く小念持仏と考えてもよいが、御守でも賽でもよい。筒に入れたサイコロを振り拝んで今度こそと、良い目を念じている図は最も俳になる。

初折表五句目で「月待て仮の内裏の司召」と付けたのも珍碩だった。前は実の「仮」、後は虚の「仮」、二度の遣いはむろん意識した興である。

猶、板本に「持佛」「念仏」と遣い分けたのは同字差合を嫌ったからか。いっそ「ねんふつ」とすればよかった、と。

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March 01, 2009

双六の目をのぞくまで暮かゝり

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Information-四方館 DANCE CAFE –「Reding –赤する-」

―表象の森― 天然痘と赤

日本語の赤と英語のRed、両者が指す色は些か異なっているというのをどこかで聞いたことがある。
JISの慣用色名にならえば、赤はマンセル値4R 3.5/11に対して、Redは5R 5/14となっており、Redに比べて赤のほうが少しばかり色濃く、カーマイン-carmine. 深紅色-といわれる色に近似している。

赤にまつわる話でひときわ関心をそそられるのは、人類史上永年の病敵であった天然痘における迷信風習の類だ。
江戸時代の我が国では、天然痘除けとして赤い達磨が用いられたという。痘瘡神が赤色を嫌うとされ、患者も家族もみな赤色の着物を身につけ、赤い布団、赤い玩具と、身の回りの一切を赤い色で覆い尽くすほどに徹底されたというから驚かされるが、それほどにこの病が畏れられてきた証左でもあるのだろう。沖縄でも病人に赤を着せては、歌・三味線で騒ぎ立て痘瘡神をほめたたえ夜伽をするといった体で病魔退散を願った、とそんな風習がごく近い頃まで残っていたらしい。

Wikipediaでは、天然痘と赤にまつわるこういった風習の発祥を、16世紀の神聖ローマ帝国カール5世が幼い時疱瘡を罹患し、その際に赤い衣類を着、部屋の装飾品など一切を赤色にし、赤い光で部屋を充たしたところきれいに治ったという事件に関連づけている。以来この風習はヨーロッパに広く伝わって長く残ってきた、とも。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-25

   酒ではげたるあたま成覧  

  双六の目をのぞくまで暮かゝり  翁

次男曰く、酒灼けした禿頭を属性にして関守を双六打に奪っても、それだけでは俳諧にならない。

「まで暮かゝり」と時分の付としたゆえんだが、併せて「双六に長ずる情を以て、酒にはげぬべき人の気味」-三冊子・赤-の付としている。

いずれも一朝一夕に成ることではない、というところが笑いのみそだ。赤ら顔は日暮になっても覗き込む必要はない、という笑いの含みもあるか、と。

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