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February 27, 2009

酒ではげたるあたま成覧

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Information-四方館 DANCE CAFE –「Reding –赤する-」

―世間虚仮― Soulful Days-19- 在日の影

その疑いは不意にやってきた。
52人の在日第一世代が、日本の支配下で貧困ゆえにやむを得ずあるいは強制されて故国を出奔、この列島に渡り来て幾星霜、晩年を迎え異郷での来し方、分断されたままの祖国に望郷の想いを抱きつつ異邦人として暮してきた辛酸の日々をさまざま語りおこした「在日一世の記憶」も、あと何人かを残しほぼ読み了えようとしていた先日-2/23-の昼近くのことだった。

彼ら在日の人々が辿ってきた来し方は、あくまでそれぞれに個別の、過酷で悲惨な日々であり、厳しい闘いの足跡でもある。そんな生々しい52の証言にはちがいないのだが、それら語りの数々が重畳してどうしても浮かび上がってくるのは、日本によって植民地化された半島という歴史的背景のなかで、どこまでもマイノリティとして強いられ定めづけられてきたきわめて特殊な刻印を帯びた世界であるだけに、彼らの居住地の散らばりとはうらはらに、どうしても収斂してくる心のありようであり行動の様相であり、また彼らをつなぐ精神的紐帯の強靱さであるのだが、それらが現実の相としては、戦後の解放から生まれた朝鮮総聯や民団の諸活動及びその変遷史に色濃く重なっていることだ。

おそらくは携帯電話が原因であったろう直前の脇見運転が大いに疑われる事故の相手方T-当時27歳-の父親、書面で二度、直に会ったのも二度の、神経質そうな紳士然とした物言いの彼が、ひょっとすると在日の人でないかという疑念が、ふと脳裏をかすめたのである。

高卒で百貨店の大丸に入社して、ながらく大丸ホームショッピングの通販業務を担当してきた経験を活かしてのものだろう。定年退職してからはじめたという個人会社は、全国の食品物産を仲介する通販業とかで、日本各地の仕入先をめぐり歩くのが日常の仕事のようであった。初会の折、彼から貰った名刺には、ソウルに出先オフィスの連絡先が記されているのを眼にはしていたのだけれど、会社のHPに韓国産の岩海苔も主要品目として掲載されていたことから、これまではとりたてて不審を抱くこともなく合点していたのだった‥。

あらためて、彼の会社のHPを詳しく見た。会社情報の頁には彼の略歴が箇条書きされている。そこでひときわ眼を惹くのは韓国関連の事項だ。曰く「95年、韓国大教グループ、コンサルティング」「98年、韓国三星物産、コンサルティング」、さらには「99年、(株)ファーストリテイリング、コンサルティング」etc.。

三星物産とは韓国トップ企業のサムソン電子を擁する大財閥グループだし、世界進出めざましいユニクロの親会社ファーストリテイリングの創立者も韓国出身者とされている。名もなき一介の個人会社の代表者にすぎない者が、これら大会社のコンサルティングとはいかにも釣合わず不自然きわまりない。彼自身が在日の一世か二世で、その狭隘で緊密なネットワーク、人脈の存在ゆえかと考えないわけにはいかない。

私が親しく付き合っている人に、年齢はちょうど私より一回り下だが、在日二世の友人がいる。厳密には、彼の場合すでに帰化し日本国籍を有しているはずだから、厳密には在日というべきではないとも思われるが‥。
その年下の友人に尋ねてみた。その応答をここに詳述するのは控えるが、私を暗澹とさせるに充分すぎる内容のものであった。

私が疑念を抱いたように、仮に事故の相手方Tの父親が在日で、それもかなりの有力者だとすると、偶然のこととはいえ皮肉なことにはRYOUKOの乗っていたタクシー会社がMKタクシー、その経営トップは在日の著名人たる御仁なのだから、この構図、我々が求める事故原因の究明にとって、これを遅滞させるばかりか事件の真相を覆い隠すものになるやもしれぬ。検察に送られた捜査資料のままに、ひとり運転手Mの過失ばかりが主因とされ不当な刑に服さねばならなくなるという危惧は否めないのだ。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-24

  手束弓紀の関守が頑なに  

   酒ではげたるあたま成覧  曲水

次男曰く、それらしき人物をあしらった軽口の付である。鑓句といえば鑓句だが、初裏以下十七句、けっこう気の張った付合の連続できた。曲水のこの打崩しは時宜になったものだろう。

「渺々-バラバラ-と尻をならぶる田植かな」、同じ作者の洒脱ぶりである。この関守は根がお人善し、禿にも一徹な禿げっぷりがあるらしい、と想像させるところにユーモアがある。先の長嘯子の歌はこの禿頭の年酒でいっそう活きる、と。

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February 26, 2009

手束弓紀の関守が頑なに

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Information-四方館 DANCE CAFE –「Reding –赤する-」

―表象の森― 赤い唄たち

「赤」を題に含んで唄われ親しまれてきた曲は、おそらく青や黄など他の色名に比べても、白と双璧をなしてよほど多いにちがいない。なにしろこの国の旗とされる「日の丸」が「白地に赤く」なのだから、赤と白の対比は、この国の文化のかたちにさまざま象られ遺されている。

さしずめ童謡ですぐ念頭に浮かぶのは、
「赤い鳥小鳥 なぜなぜ赤い 赤い実を食べた」
「夕焼小焼の、赤とんぼ 負われて見たのは、いつの日か」などか。

「ふしぎな橋がこのまちにある」と唄い出される浅川マキの「赤い橋」には、その二番あたりで
「赤く赤くぬった橋のたもとには
紅い紅い花が咲いている」の一節が登場する。

流行り唄ではないが、同声二部合唱曲「赤い屋根の家」というのがある。
「でんしゃのまどから 見える赤いやねは
小さいころ、ぼくが すんでた あの家」とはじまり
「ずっと心の中 赤いやねの家 赤いやねの家」とリフレインされて、いまもう跡形もない幼い頃を過ごした家の赤い屋根が、少年時の自身の姿と重ね合わせられように立ち上がってくる。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-23

   熊野見たきと泣給ひけり  

  手束弓紀の関守が頑なに  珍碩

手束弓-たつかゆみ-

次男曰く、「吾が背子が跡ふみもとめ追ひゆかば紀の関守い留めてむかも」-万葉・巻四-、天皇の行幸に従って紀伊の国に下る夫に贈るとして、女に成替り笠金村が詠んだ歌である。

「紀の関-原文、木乃関-」は、大化2年に定められた畿内四囲の南限の背山かと思われるが、むろん関趾など残っていない。「い」は主格の下に付く強意の助詞。成替って詠むということは面白いもので、依頼者と作者との間にも問答のくすぐりを生む。「留めてむかも」、引留めるだろうか-通してくれるものでないかしら-女--いや通してくれぬかもしれんよ-作者-。

右の歌は「夫木和歌抄」にも採っているし、珍碩はこれを下に敷いて「熊野」との連想で付けたと考えてよかろうが、「紀の関守」と「手束弓」は寄合の詞である。

「あさもよひ紀の関守が手束弓ゆるす時なくまづ笑める君」-初見は源俊頼の歌学書「俊頼髄脳」永久3年頃成るか-。「あさもよひ」は「き」の枕詞。歌意は定かには捉えられぬが、次のような話を添えている。

「むかし男ありけり。女を思ひて深くこめて愛しけるほどに、夢にこの女、我は遙かなる所に行きなんとす、ただし形見をば留めんとす、我が代りにあはれにすべきなりと言ひける程に夢さめ、驚きて見るに女は無くて、枕に弓立てり。あさましく思ひてさりとて如何せんとて、その弓を近く傍らに立てて、あけくれに取り拭いなどして、身をはなつことなし。月日ふる程に又白き鳥になりて飛びいでて、遙かに南の方に雲に随きて行くを、尋ね行きて見れば、紀伊国に到りて人に又成りにけり。さて、この歌はその折に詠みたりけるとぞ」。

歌も話も伝承だが、その後これは「奥義抄」「今鏡」「袖中抄」なども載せ、
「引きとむる方こそなけれ行く年は紀の関守が弓ならなくに」-藤原俊成、長秋詠藻-
「引きとめよ紀伊の関守が手束弓春の別れを立ちや返ると」-藤原家隆、壬二集-
というような写しが詠まれる。下って、木下長嘯子にも
「雪の内に押しても春のたつか弓紀の関守や今日を知るらん」-挙白集-、がある。

前二者が歳暮と暮春の歌ならこれは立春に目をつけた云回しだ-春立つ、手束弓-、というところが工夫のみそで「手束弓紀の関守」と続けた歌はほかに無いようだ。
珍碩は、「挙白集」の初に収める年内立春の歌を知っていたのではないか。ならば、「頑に-押戻す-」と翻した俳はいっそう面白く読める、と。

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February 25, 2009

熊野見たきと泣給ひけり

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Information-四方館 DANCE CAFE –「Reding –赤する-」

―表象の森― どちらが先か?-F.ヴァレラ「身体化された心」より

「世界とイメージと、どちらが先か」という問いに対するほとんどの視覚研究の答えは、認知主義者であれ、Connectionistであれ、それぞれ研究テーマの名称から明らかである。彼らは「明度差から形状を」「運動から奥行きを」「さまざまな照明から色を」回復することを研究する。このスタンスを<鶏の立場>とすれば、

<鶏の立場> そこにある世界は所与の特性である。それし認知システムに投影されるイメージに先立って存在するのだから、認知システムの課題は-記号によって、あるいは全体的な準記号的状態によって-世界を近似的に回復することだ。

この立場はとても理に適っているように聞こえるし、事物が他のやり方で存在しうると想像することはとても難しい。他の選択肢としては<卵の立場>しかないと考えてしまう。

<卵の立場> 認知システムはそれ自身の世界を投射する。故にこの世界の見かけの実在性はこの内的な法則の反映にすぎない、と。

しかしながら、色は、知覚、認知能力から独立して「外のそこ」にあるのでもないし、我々を取り囲む生物学的、文化的世界から独立して「内のここ」にあるのでもない。色は、客観主義的な見方に反して、経験的なものであり、主観主義的な見方にも反して、我々の共有された生物学的、文化的な世界に属するものである。

所与の外的世界の回復としての認知-実在論-と、所与の内的世界の投射としての認知-観念論-という、これら両極は<表象>をその中心概念としている。前者では外にあるもの回復するために使われる表象、後者では内にあるものを投射するために使われる表象である。

Enactive approach を標榜する我々の意図は、認知を回復や投射としてではなく、<身体としてある行為>として研究することにより、この内側対外側という形式的な対立を回避することにある。

<身体としてある行為>とは、第一に、各種の感覚運動能力を有する身体のさまざまな経験に、認知が存在すること。第二に、これらの感覚運動能力自体が、より包括的な生物的、心理的、文化的コンテキストに埋め込まれていること。

感覚と運動の過程、知覚と行為が生きた認知においては根源的に不可分であること-両者は個人において偶発的に結びついているだけでなく、一体化して発展してきたのだ。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-22

  羅に日をいとはるゝ御かたち  

   熊野見たきと泣給ひけり  翁

次男曰く、前二句を「平家物語」巻十、屋島を落ちた小松三位中将維盛の高野山剃髪、熊野参宮の俤と見做して、その入水を知らされた北の方・若君姫君の悲嘆のさまを付けている、と私なら読む。

ここのところ、打越以下三句が同じ人物と読まれ易いはこびである。いきおい、打越と前を身分ちがいで所詮かなわぬ恋をたねにした向付、前とこの句を同一人の高貴な女性と考える説や、打越と前を深窓佳人の二句一意、この座を熊野詣を趣向にして、女旅を男旅に読替えたと考える説-中村俊定-も生れる。いずれも、俤を引出すということの面白さがわかっていないようだ。

「熊野見たきと泣給ひけり」を維盛北の方の俤と読んでいる宮本三郎注-校本・芭蕉全集第四巻-でさえ、打越と前を男女の向付と解している。そうではあるまい。

維盛は重盛の長子、病と称して一ノ谷の合戦にも加わらず、一門より先に屋島に逃れた、かの優男である。「抑もこれより江戸を厭ふにいさみなし。閻浮愛執の綱つよければ、浄土をねがふも物うし。ただこれよりや山伝ひに宮こへのぼつて、恋しきものどもをいま一度みもし、見えての後、自害をせんにはしかじ」-巻十、首渡-と悲嘆にくれる男が、さんざ迷ったあげく高野に上り滝口入道の導きで剃髪した、という哀話を諸注はおろそかにし過ぎている。

熊野はもともと土着信仰だが、院政期、阿弥陀信仰と習合して行事化されるに及んで、貴賤男女の別なく往来が繁くなり、世に蟻の熊野詣と呼ばれた。そのなかから俤の一つもさがすなら、よほどの説話的要素がなければなるまい。維盛入水を除いて有ろうとも思われぬ、と。

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February 24, 2009

羅に日をいとはるゝ御かたち

Zainichi

Information-四方館 DANCE CAFE –「Reding –赤する-」

―表象の森― 在日、語りの群れ

12月に購入していた「在日一世の記憶」を昨夕やっと読み了えた。有名無名のさまざま52人の在日第一世代の証言を集めた本書は新書版ながら781頁という大部のオーラル・ヒストリー。

序において姜尚中が、
「在日一世たちの証言-その肉声は、<観念の嘴>から滑らかに押し出される声ではない。それは、うめきや叫び、嘆息や怒り、悲しみや喜びに満ちた、全身を痙攣させるように絞り出される肉声である。ここに収められた彼らの証言には、饒舌なおしゃべりとは正反対の、言葉のいのちが宿っている。たとえ、それが彼らの経験が脳に刻み込んだ一般的偏見を免れていないとしても。」と記しているように、一人一人の語り手、その言霊は肉の重さをもってひしひしと伝わってくる。

歴史に向かうあるべき精神を、姜尚中流に「歴史の痕跡を示す証言に問いかける包容力」といってみるならば、本書もまたよくこれを鍛え打ってくれる書であり、この列島の近現代における実相を照射してやまぬ良書の一つとして、渡辺京二の「逝きし世の面影」や宮本常一らの監修になる「日本残酷物語」-5巻本-に、本書を加えておきたいと思う。

―今月の購入本―
・H.マトゥラーナ/F.ヴァレラ「知恵の樹」ちくま学芸文庫
システムが自分自身の組織を形成し変化させていく閉じた環のなかにとどまり、その循環をよき環として捉え直そうというオートポイエーシス論の提唱者たる二人の原理的入門の書。

・A.M.ヴァールブルク「蛇儀礼」岩波文庫
恐怖の源か、不死の象徴か。世紀末のアメリカ、ブエブロ・インディアンの仮面舞踏や蛇儀礼は、やがてギリシア・ローマやキリスト教の蛇のイメージと交錯し、文化のなかの合理と非合理、その闘争と共存を暗示する。

・堀田善衛「上海にて」集英社文庫
1945年3月東京大空襲の後、上海に渡って敗戦の前後1年余を過ごした堀田善衛が、十年を経て再訪した際にものした回想紀行。

・坂部恵「かたり-物語の文法」ちくま学芸文庫
「歴史学は客観主義、実証主義の過度の呪縛から逃れ、小説の手法を用いながら、具体的な効果を現す」べしとした折口信夫の論を承け、虚構-実録の双方根底に<かたり>という共通の基盤を見出した著者が、和洋垣根のない柔軟な発想で<かたり>の位相や地平を論じる。

・西垣通「こころの情報学」ちくま新書
情報なるもの‥、その意味解釈や処理加工は、生物の身体内に蓄積されてきた情報系に基づいて実行され、結果として情報系自体も変化する。こういった累積効果こそが<情報>の基本的な性格なのだ。

・木田元「なにもかも小林秀雄に教わった」文春新書
ハイデガー思想やフッサールやM.ポンティの現象学を専らとしてきた哲学者の読書体験を軸にした自伝的回想録。

・三浦雅士「漱石-母に愛されなかった子」岩波新書
漱石作品を貫く<心の癖>-それは母の愛を疑うという、ありふれた、しかし人間にとって根源的な苦悩であった。彼の小説の数々を、この<心の癖>との格闘に貫かれたものとして読み解き、人間への鮮烈な問いとして現前させる新しい漱石像。

・入江曜子「紫禁城-清朝の歴史を歩く」岩波新書
清朝280年波乱に満ちた王朝の歴史、その出来事の数々を重ねつつ、壮大な紫禁城を隈なく訪ね歩く。

・湯浅誠「反貧困-「すべり台社会」からの脱出」岩波新書
いわずと知れた「年越し派遣村」村長である著者の、反-貧困の実践十余年の活動から問う社会と政治へのプロテスト。
他に「DAYS JAPAN」2月号、月刊「みすず」1/2月合併号

―図書館からの借本―
・J.デリダ他「アルトー/デッサンと肖像」みすず書房
「残酷の演劇」狂気の芸術的天才アルトーが遺したデッサンの数々に触発されて書き上げられた300枚におよぶジャック・デリダの文章が添えられたという類例のない画集。

・F.ヴァレラ「身体化された心」工作舎
紹介済み

・いしいしんじ「みずうみ」河出書房新社
少年の目線でもって社会との関わりを意識して描いた作品が多く、優しい表現の裏に切実に人間を生きる姿勢が印象的な作家といわれる、いしいしんじ07年初版の小説。

・金子邦彦・池上高志「複雑系の進化的シナリオ」
複雑系科学としての理論生物学の可能性、共生-多様な相互作用世界、ホメオカオス、繰り返しゲームにおける開放的進化、コミュニケーションゲームにおける進化、などを論じる。

・水墨美術大系第11巻「八大山人・揚州八怪」講談社
17世紀後半の明代末から清代初期、花卉や山水、鳥や魚などを題材としつつ、伝統に固執しない大胆な描写で水墨山水の新たな地平を拓いた八大山人の画集。

・加藤哲郎「ワイマール期ベルリンの日本人」岩波書店
副題に「洋行知識人の反帝ネットワーク」とある。大正後期から昭和初期にかけて、ワイマール・ドイツに滞在する日本人1000人近くに達した。その学者や芸術家たち、政治的に先鋭化してゆく者、その対立批判派、あるいは中立派などの動向を伝える。

・小松和彦/関一敏編「新しい民俗学へ-野の学問のためのレッスン26」せりか書房
これまで民俗学において生み出されてきた数多のキーワードを、現在の文脈のなかで、その堅さをほぐしつつ、再生を図ろうとする事典的コラージュ。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-21

   文書くほどの力さへなき  

  羅に日をいとはるゝ御かたち  曲水

次男曰く、羅-ウスモノ-は平安末の辞書「名義抄」にも「ウス物」として載せるが、連・俳の詞として取出したのは元禄11年-1689-刊の連歌学書「産衣」が最初か。
「羅-ウスモノ-白く紋なき絹也」として「とる袖も羅匂ふ扇かな-宗祇」を例に挙げている。但し、季の詞とも雑の詞とも云っていないし、第一これは俳諧書の手引書ではない。季語としての初出は「俳諧通俗史」-享保元(1716)年-らしく、仲夏として挙げる。

曲水の句は、諸注いずれも夏としているが、雑と見るべきものだろう。因みに、この巻の以下を見ると表八句目まで雑、九句目-「中なかにと土間に居-すわ-れば蚤もなし-曲水」-が夏である。雑を何句間に持っても季が動いたことにはならぬ。況や、前後同季-夏-の作者が同じ-曲水-などというぶざまなはこびはありえまい。

されば、この「羅」は着衣ではない、被りものである。
二句一章として、男か女か、いずれ身分高き人であろう、俤のひとつも、催促していると覚らせる作りである。うまい会釈-あしらい-付だ、と。

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February 22, 2009

文書くほどの力さへなき

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Information-四方館 DANCE CAFE –「Reding –赤する-」

―表象の森― F.ヴァレラ「身体化された心」より

・色視覚の次元性

われわれ人間の視覚は「三色性」である。その視覚システムは三つの色チャンネルへ交差結合される三種の光受容体から成っている。

もちろん三色性は人間固有のものではない。むしろほとんどすべての動物群に三色性をもつ種がいる。だが、興味深いことは、「二色性」や「四色性」を有する動物群もあり、さらには「五色性」の可能性のある動物もいるとされていることだ。
二色性には、リス、兎、ツバイ、ある種の魚、おそらくは猫、ある種の新世界猿が、四色性には、金魚のように水面近くで生きる魚、ハトやカモのような昼行性の鳥などだが、昼行性の鳥においては五色性の可能性もあるというのだ。

われわれ人間の視覚が三次元であるように、二色性の視覚を表すには二次元、四色性には四次元、五色性には五次元が必要となるわけだが、その基礎となる神経系の作用はわれわれのそれとはまったく異なるものにちがいない。
仮に、四色性=四次元の色視覚を、われわれ三次元の視覚に時間次元を有したものと想像してみるなら、色は四番目の次元値に応じて異なった度合で点滅するといったことが起こり、たとえば「速い-赤」とか「遅い-赤」といわねばならないようなことになるだろう。

このような動物界の多様な色視覚の存在は、鳥、魚、昆虫、霊長類の非常に異なる構造的カップリングの歴史によって、それぞれ異なった知覚される色の世界を創出してきたものと見るべきだろう。
したがって、われわれ人間の知覚する色世界が、けっして進化論的な最適の適応と見なしてはならないわけである。われわれの有する色世界は、生きている存在の進化論的な歴史のなかで実現された、一つの存続可能な系統発生的な経路の成果にすぎないのだ。

・認知科学におけるenactive approach-行動化アブローチ-

Q. 認知とは何か?
A. 行為からの産出-enaction-。世界を創出する構造的カップリングの歴史である。

Q. それはどう機能するのか?
A. 相互連絡した感覚運動サブネットワークの多重レベルからなるネットワークを介して。

Q. 認知システムが十分機能しているときをどうやって知るのか?
A. あらゆる種の若い生物のように進行中の存在世界の一部になるときか、進化の歴史で起こるように新しい世界が形成されるとき。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-20

  何よりも蝶の現ぞあはれなる  

   文書くほどの力さへなき  珍碩

次男曰く、恋句に奪って二ノ折入の展開としている。

余情を汲んだ遣句体ながら、このはこびのよろしさは、既に芭蕉の句作りが期待した筈のものである。人物はひとまず女と見たくなるが、そうと限ったわけではない、と。

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February 20, 2009

何よりも蝶の現ぞあはれなる

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Information-四方館 DANCE CAFE –「Reding –赤する-」

―四方のたより― びわの会

桃の節句が近いこの頃、例によって奥村旭翠一門総出による筑前琵琶の演奏会が、明後日の22日-日-、午前11時から夕刻近くまで、国立文楽劇場3階の小ホールで催される。
もちろん邦楽や邦舞のおさらい会のように、こちらも入場は無料の公演だ。

演目は全18曲、連合い殿が稽古に通い出してもう7年余りが経つから、概ね何度か耳にした馴染みの曲目がプログラムに連なるが、なかで眼を惹いたのは「項羽」なる演題。はて三国志ものなど珍しくこれまで耳にしたことがない。ちょいと後ろ髪引かれる思いがするけれど、このたびは3月のDance Caféを控えて、5番目登場の連合い-末永旭濤-殿の演目を見とどけたら直ぐに稽古に駆けつけなければならないから、拝聴は別の機会を期さねばなるまい。

先年、山崎旭萃嫗が逝かれ、その門下の師範3名が奥村旭翠さんに師事するようになって、門下に師範6名を擁する陣容を誇る充実ぶりは、琵琶の世界にあっていよいよ一門の存在を重くしているのだろうが、語り芸の奥行きはかぎりなく深い。旦那芸の趣味や嗜好レベルでは、ただ歳月ばかり重ねても、そうそう達意の芸と成りゆくものではない。
彼らの行く末や一門の隆盛あるも一に、師たる旭翠さん自身の、おのが芸の深みゆくを奈辺に見定めるか、そのまなざしその一念に掛かってこよう。

ともあれ、会を直前に控えての紹介なれど、関心ある向きは公演詳細を確認の上、運ばれてはいかがとお奨めする次第。

Information-「奥村旭翠びわの会」公演詳細-

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-19

   巡礼死ぬる道のかげろふ  

  何よりも蝶の現ぞあはれなる  翁

次男曰く、名残折立である。

無常観相の付、拠るに「荘周夢に胡蝶となる故事」-斉物論篇第二-を以てしている。生死無覚、夢現不二、物化こそが実存世界だと云いたいわけだが、二句一章の嘱目としてもありえない景ではない。

天和2年、「虚栗」所収の其角・芭蕉両吟「詩あきんど」の巻-歌仙-に、面白い其角の付がある。
「芭蕉あるじの蝶丁-たたく-見よ」
荘周の蝶にたわむれる人の戯れざまを見ろと云っているのだが、角のこの批評に芭蕉はその後もいろいろに答えている。
「二の尼に近衛の花のさかりきく-野水-」-「蝶はむぐらにとばかり鼻かむ-芭蕉-」-狂句こがらしの巻-
「霜にまた見る蕣-あさがお-の食-杜国-」-「野菊までたづぬる蝶の羽おれて-芭蕉-」-はつ雪の巻-
「いろいろの名もむつかしや春の草-珍碩-」-「うたれて蝶の夢はさめぬる-翁-」-春の巻-など。

荘子の斉物思想の喩のなかから特に蝶を取出して句材にしたのは、季語に遣えるという事情もあったろう。「花見の巻」の「何よりも蝶の現-うつつ-ぞあはれなる」は最も成功した例である、と。

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February 19, 2009

巡礼死ぬる道のかげろふ

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Information-四方館 DANCE CAFE –「Reding –赤する-」

―表象の森― Seeing Red/感覚論
Memo:N.Humphrey「赤を見る」から

・自分自身において、局所的になにが起きているか、を問うときに求められる答えは
定性的で、現在時制で、一過性で、主観的なもの -<a>
ところが、外の世界でなにが起きているか、を問えば
 定量的で、分析的で、恒久的で、客観的なもの -b
この<a>と<b>の分離、感覚=<a>と知覚=<b>は、別個の道筋をたどって進化してきた。

・反応-感覚的な活動は、長い進化の歴史の中で、まるごと脳内に「潜在化-Privatise-」された。

・感覚は、気分の変化や幻覚剤に影響を受ける。
-メスカリンやLSDのような幻覚性の薬物は、知覚にはほとんど影響を与えないのに、感覚経験の質を変える。鬱状態のような内因性の気分の変化も、同じように感覚経験の質を変える。
ときには、感覚が完全に自己生成する場合もある。
-幻覚や夢の中で、鮮明な心像の核を成しうる
人は、夢の中で感覚を作り出せ、それは現象的にとても豊かなものである。
さらに、感覚は、他者の精神状態をSimulationする能力の鍵となる役割を果たしている、とも考えられる。
実際、身体表現としての感覚は、投影的な共感に、お誂え向きのように思える。

・意識には時間の「深さ」という特異な次元がある。
-現在という瞬間、感覚にとっての「今」は「時間的な厚み」をもって経験される。
-現在の経験には少なくとも二つの異なる時間が含まれるため、人はこれを、瞬間的に切り取った時間としてではなく、ひろがりのある時間、すなわち「今」と「今でない」要素の両方が統合された即時的な表象として経験する。-(N.Newton)
ひろがりのある現在-「意識の厚みある瞬間」

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-18

  千部読花の盛の一身田  

   巡礼死ぬる道のかげろふ  曲水

次男曰く、「花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」と願うのは西行ばかりではない、と付けている。

この歌仙のはこびは自ずとそこに誘うが、群参のなかには実際にも、一身田を死場所と定めて混った巡礼も居たに違いない。
二句一章とした仕立に、作者曲水の死生観も覗いて見えるように句である、と。

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February 18, 2009

千部読花の盛の一身田

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Information-四方館 DANCE CAFE –「Reding –赤する-」

表象の森― 色はどこにあるか

図書館からの借本だが、オートポイエーシス-Autopoiesis-理論の提唱者F.ヴァレラの「身体化された心」-01年工作舎刊-を何日かかったか、やっと読了。
副題に、仏教思想からのエナクティブ-行動化-・アプローチとあるように、認知科学の前提に根本的な疑問を投げかける著者が、仏教思想の「三昧/覚思想」を手法とし、認知を「身体としてある行為」と捉えつつ、世界認識のパラダイム転換を問う書、といったところか。

そのなかで、色知覚の問題から視覚システムについて論考した箇所から、以下抜粋紹介しておく。

色知覚の完全な喪失について考えてみると、色知覚が他の視覚的モダリティと感覚モダリティの両者と協同することが痛感される。

事故によって完全に色盲になった患者、いわゆる後天性色盲というこの特定の症例がきわめて興味深いのは、これが特にカラフルな抽象画で知られた画家に起こったからである。自動車事故によって、この人物はもはやどんな色も知覚できなくなった。白黒テレビにも似た視覚世界のなかで暮らすことになったのである。

彼の言説から、色知覚に他の経験モダリティが関与していることが明らかである。色が失われたために、彼の経験の全体的な性格は劇的に変化した。見るものすべてが「味気なく、薄汚い様子だった。白はぎらつき、無色でも灰色っぽく、黒には空虚感があった。すべてが間違っていて、不自然で汚染されていて、不純だった。」
食べ物にはうんざりし、性交は不可能になった。もはや色を視覚的に想像できず、色のついた夢を見ることもなかった。音楽鑑賞力も損なわれた。楽音を共感覚的に色の戯れへ変換して経験することができなくなったからである。

徐々に「夜型人間」になるにつれ、彼の習慣、振舞い、行為が変化した。
彼の言葉によると、「夜が愛しい‥惹かれるのは、日の光を見ることがなく、そのことが満更でもない、夜働く人だ‥夜は別世界だ。広い空間があって、街や人に縛られることがない‥まったく新しい世界。私は次第に夜行生物になりつつある。かつて、私は色を心地よく感じていた。それがとても楽しかった。はじめのうちはそれを失って悲しかったが、今やその存在すらわからない。幻影ですらない。」

この言説が伝える劇的な変化は、われわれの知覚世界が、感覚運動活動の複雑精妙なパターンによって構成されていることへ思い至らせる希有な例である。
われわれの色づいた世界は、構造的カップリング-struktuelle Kopplung-の複雑な過程によって産生される。これらの過程が変化すると不可能になる行動形式もある。また、新しい条件、状況に対処するようになるにつれて人の行動は変化する。そして、行為が変化すると、世界の感じ方も変化する。この変化が、「彼」が色を喪失したように、あまりに劇的であると、異なった知覚世界が生み出されるのである。

色は表面に知覚されるだけの属性ではない。それはまた空のような量感が知覚される属性でもある。また、残像の属性としても、夢、記憶、共感覚のなかでも色は経験される。これらの現象にわたる統一性はある非経験的な物理的構造のなかにではなく、ニューロン活動の創発的パターンを通して形成される経験の一形態としての色に見出されるのである。

視覚システムは単に所与の物体のもたらすものでは決してない。物体が何で、どこにあるかの決定は、その表面の境界、肌理、そして相対的な方向性-および知覚される属性としての色の全体的なコンテクスト-とともに、視覚システムが不断に成し遂げなければならない複雑な過程なのである。これは、すべての視覚モダリティ間の能動的な対話を含む複雑な協同的過程から生じる。

「知覚される物体をその色から分離することは不可能である。なぜなら、色の対比そのものから物体が形成されるのだから」-P.グーラスト&E.ツレンナー-というように、色と表面は相伴う。両者はわれわれの身体としてある知覚能力に依存するのである。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-17

   雁ゆくかたや白子若松  

  千部読花の盛の一身田  珍碩

次男曰く、花の定座である。「雁ゆく」を秋から春-帰雁-にとりなして、季移り-雑の句をはさまぬ付-としている。月・霞-四季-や露-三季-などは執成容易だが、渡鳥の来る・帰るに目をつけた例は珍しい。白子は一身田より北、若松は白子よりもさらに北に当る、というところが地名取出しのみそだ。雁は北に帰る。

秀吉の命名と伝える一身田の専修寺は、天正、正保二度の堂宇焼亡を経て、寛文6-1666-年、津藩主藤堂高次が今の御影堂を建立し、伽藍も整えられた。「千部読」は追善・供養のための経典読誦法会で、千は必ずしも実数を意味しないが、千人一部、一人千部、百人十部など形式はいろいろある。

ここは浄土宗が所依とする浄土三部経を一部として反復読誦する法会を云い、春秋の二度各五日間以上勤修され、江戸時代には信者群参のため春の花どきなど一ヶ月にわたって続けられることも珍しくなかった。千部会は各宗それぞれに修するものだが、浄土宗でとりわけ重んじられた行事である。

句は、それらを踏まえて、老若男女群参する「花の盛」をうまく捉えている。一身田が白子・若松より南にあっても、それだけではこの二句の付合は成立たぬ、と。

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February 16, 2009

雁ゆくかたや白子若松

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Information-四方館 DANCE CAFE –「Reding –赤する-」

―表象の森― あかあかや

「あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月」
いわずもがな、月の光の明るさ、冴えわたるさまを詠んだ鎌倉期の僧明恵の作で、対象-月-に向かいおのれを全投入して言葉を発すればこうなると、いかにも禅機めいた詩句だが、嘗てノーベル賞を獲た川端康成が、その授賞式のスピーチで引用紹介したことでも知られる歌だ。

西行が花-桜-詠みの人なら、月の歌人とも賞された明恵。山本七平によれば、その伝記-明恵上人伝記-ついて、明治期になるまではおそらくもっとも広く読まれていた一書であったとされ、彼の40年にも及ぶ観行の日々での夢想を書き遺したとされる「夢記」については、ユング派の心理学をもって精緻な解釈を試みた河合隼雄の著作「明恵-夢を生きる」が良書として知られる。

その晩年を高尾山の奥、栂尾の高山寺に住した明恵が、その清規-しんぎ、寺の規律-を記した今に残る欅の掛け板には「阿留辺機夜宇和-あるべきようは-」と記されている、という。

この清規について明恵は「伝記」において、「我に一の明言あり。我は後生資-たす-からんとは申さず。只現世に有るべき様にて有らんと申す也。聖教の中にも、行ずべき様に行じ、振舞ふべき様に振舞へとこそ説き置かれたれ。現世には左之右之-とてもかくても-あれ、後生計り資かれと説かれたる聖教は無きなり。云々」と語っているが、
これを引きつつ河合隼雄は、明恵の板書が「あるべきやうに」ではなく「あるべきやうは」とされていることは、たんに「あるべきやうに」生きるのではなく、時により事により、その時その場において「あるべきやうはなにか」という不断の問いかけを行い、その答えを生きようとすることこそ大事と、今日的に言えばきわめて実存的な生き方を提唱している、と解している。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-16

  秋風の船をこはがる波の音 

   雁ゆくかたや白子若松  翁

次男曰く、「三冊子-赤-」に、「前句の心の余りを取て、気色に顕し付たる也」と注する。其人の意中を、目に見る景色に托した付、と云うのだろう。

季節は晩秋-雁の渡来する頃-、目ざす船掛りは桑名と大湊のちょうど中頃にある参宮街道沿の宿場町が相応しい、と芭蕉は考えたか。旅の目的が遷宮見物とすればこれはうまく話が合うが、周知のとおり「細道」の旅を終えた俳諧師は、つい先頃、二十年めごとのこの晩秋行事を拝んだばかりである。句はこびのたねとして容易に思付いた筈の含みだろう。

白子、若松-南若松-共に中世以来栄えた古い港町だが、とりわけ近世に入り伊勢湾と江戸との廻船が発達するに伴い、伊勢木綿・伊勢型紙・江戸積干鰯などの積荷問屋と廻船問屋が軒を並べ、併せて、伊勢詣の盛行により参宮筋宿場町としても名を売った所である、と。

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February 14, 2009

秋風の船をこはがる波の音

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Information-四方館 DANCE CAFE –「Reding –赤する-」

―表象の森― 視覚、身体としての
「余白の芸術」-李禹煥-より

近代主義の視覚とは、同一性の確認のための眼差しである。言い換えれば、自己の意志で対象物を措定しておき、それを見るという意味だ。
ルネサンス以後の遠近法の発達で解るように、意志的な視覚主義は、客観性と科学性を標榜した脳中心思想からきたものである。それを合理的に図式化した人がデカルトであり、彼において、見るということは、egoによる視覚の規定力を指している。

ところで、広い世界を前にしたごく限られた眼は、逆遠近法的に開いている。自分の眼の前のものより遠いところをもっと広く思い、そのように見るということは誰でも知っており経験していることだ。もちろん具体的な対象世界において、近くのものが大きく見え、ずっと遠いものは小さく見えるということが科学的であることは明らかだが、眼の限定性からくる感じ-思い-が、その反対であることもまた否定できない。

最近では、古代社会の絵画や中世のイコン、または東洋の山水画などの分析から、逆遠近法の考え方が再照明されていることも注目に値する。むしろ近代の遠近法というものが、人類文化史の中では特異な時代の産物であるという者さえいる。

今日、視覚という時、何処に焦点を置くかによって、正反対の言葉になってしまう。近代的な遠近法的視覚とは、こちらからあちらを一方的に捉え定めることをいう。対象物自体とか世界が重要なのではなく、見る主体の意識と知識による規定力が決定的であるということだ。ここでは見るということが、設定された素材やデータで組み立てたテクストと向き合う態度である。

これに対し、逆遠近法では、反対に、向こうからこちらを見ている形であるため、世界の側が圧倒的に大きく扱われる。それゆえ見る者の対象物に対する限定力は、曖昧で弱くなるしかない。このような視覚は、受動性が強く、偶然性や非規定的な要素の作用が著しくなりがちだろう。

ここで私は、受動性と能動性を兼ね合わせた身体的な視覚を重視したい。人間は意識的な存在であると同時に、身体的な存在でもある点を再確認すれば、どちらにしても見るということが一方的であってはなるまい。身体は私に属していると同時に、外界とも連なっている両義的な媒介項である。だから身体を通して見るということは、見ると同時に見られることであり、見られると同時に見ることなのだ。 -略-

美術は視覚と不可分の領域である。 -略-

私と外界が相互関係によって世界する、という立場からすれば、作品もまた差異性と非同一性の一種の関係項である。 -略-

作品において、知的な概念性とともに、感性による知覚を呼び起こすことが出来るということは、そこに未知的な外部性が浸透されているということであり、だから、見る者と対話が成り立つのだ。見るという行為は、身体を媒介にして対象との相互関係の場の出来事を招く。作品が、出会いが可能な他者性を帯び、見るということが両義性を回復する時、新しい地平は開かれよう。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-15

   月見る顔の袖おもき露  

  秋風の船をこはがる波の音  曲水

次男曰く、

旅体を以て恋離れの工夫とし、
  「ほそき筋より恋つのりつゝ」
 「物おもふ身にもの喰へとせつかれて」
  「月見る顔の袖おもき露」 -A-

 「物おもふ身にもの喰へとせつかれて」
  「月見る顔の袖おもき露」 
 「秋風の船をこはがる波の音」 -B-

「せつく」に「こはがる」-強しから転義して中世頃より怖しの意に遣う-と当世話を釣合せ、AからBへ話を奪ったはこびである。船旅としたのは、陸路は既に第三の句に出ているからだが、二度とも曲水がかまえた旅体だ、というところに格別の模様がみえる。

女とその連れの慣れぬ船旅、わずらうのは恋ならぬ船酔のせいだと読んでおけばよく、女の境遇などここでは探る必要のないはこびだが、それでも猶面影の一つも添わせてみたければ、「平家物語」の「福原落」-巻七-でよい。

「‥渚々によする波の音、袖に宿かる月の影、千草にすだく蟋蟀のきりぎりす、すべて目に見え耳に触るる事、一つとして哀れをもよほし心を痛ましめずといふ事なし。昨日は東関の麓にくつばみをならべて十万余騎、今日は西海の波に纜を解いて七千余人、雲海沈々として、青天すでに暮れなむとす。孤島に夕霧隔て、月海上に浮かべり。極浦の浪をわけ塩にひかれて行く船は、半天の雲にさかのぼる。日数ふれば、都は既に山川程を隔て、雲居のよそにぞなりにける。はるばる来ぬとおもふにも、ただつきせぬ物は涙也。浪の上に白き鳥の群れゐるをみ給ひては、かれならん、在原なにがしの隅田川にて言問ひけん、名もむつまじき都鳥にやと、真也。寿永二年七月二十五日に、平家、都を落はてぬ」、と。

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February 13, 2009

月見る顔の袖おもき露

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―四方のたより― Reding –赤する-

次回のDance café、お題は「Reding –赤する-」とした。
哲学者であり心理学者でもあるNicholas Humphreyの著作「赤を見る」から拝借。
いつもなら「なにもない空間」を常とするわれわれの即興世界だが
このたびは「Reding –赤する-」に寄せて、赤いBallをobjectとして置いてみよう。
なろうことなら、観るほうも、じっと座ってばかりいないで
ゆっくり歩きながら見たりすると、さらにおもしろいのだけれど‥。

-Information- 四方館 Dance Cafe

四方館 DANCE CAFE -’09 vol.1-
「Reding –赤する-」

Date : 3/15 –SUN- PM2:30
Space : 弁天町市民学習センター
Admission fee : \1,500

Seeing Red
 赤を見ているS=主体に起きていること
 -感覚と身体表現の共時性

V.Kandinskyは言った
 色は魂を直接揺さぶる力だ
 色は鍵盤、眼はハンマー
 魂はたくさんの弦を張ったピアノである、と

Isaac.Newtonの深紅の家具調度
Henri.Matisseの赤いAtelier

そして此処では
赤い、大きなBallたちと‥

Dance : 末永純子
     岡林 綾
     ありさ
     仮名乞児
    制多迦童子
   デカルコ・マリィ

Sound-viola : 大竹 徹
   piano : 杉谷昌彦
   percus : 田中康之
   voice : 松波敦子

Coordinate : 林田 鉄

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-14

  物おもふ身にもの喰へとせつかれて  

   月見る顔の袖おもき露  珍碩

次男曰く、「物おもふ身」を月に寄せ、月光-つきかげ-を袖の露に-涙-に結んだだけの付で、遣句としても只事に過ぎるが、はこびが月の定座に当っていたから、珍碩は敢て前と二句がらみで、次句に対する恋離れの誘いとしたか。

ならば、下敷は西行の「嘆けとて月やは物を思はするかこち顔なる我涙かな」だろう。「月前恋といへる心を詠める」と詞を置いて俊成が「千載集」に選び、自ら晩年の「御裳濯-みもすそ-川自歌合」に入れ、定家が「百人秀歌-百人一首-」にも採った歌である。「深き山に澄みける月を見ざりせば思出もなき我身ならまし」と詠んだ男にとって、月は求道の鏡であり、月に寄せた恋歌は数奇以上のものだった。

いま一つの見どころ。ここまではこんで来て、この巻の発句以下第三までの趣向は、やはり「木のもとに旅寝をすれば吉野山花の衾を着するはるかぜ」の、時分を夜から昼に取替えての捩りだったか、あらためて気付かされる。「花の衾」は「ひさご」衆の願だった、と考えればわかる。「月待て仮の内裏の司召」という初座の俳もわかる、と。

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February 12, 2009

物おもふ身にもの喰へとせつかれて

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―世間虚仮― Bush fire

オーストラリア南東部を襲った記録的猛暑から自然発火したという山火事が、なお燃え続けて鎮火する気配がない。州都メルボルンのあるビクトリア州に集中しているようで、この州だけでもなんと400ヶ所で発生したという。

Netで「Victoria Fires Map」なるページがあった。Googleの地図を利用した山火事発生の各地域が示されたものだ。メルボルン北部に集中してある6ヶ所ほどの赤いマークは火災が続いている地域を表しているのだろう。

猛暑の乾燥期とユーカリの木が圧倒的に多い森林地帯という風土がもたらす自然災害ということだが、油脂を多く含むユーカリの木はとかく自然発火しやすく、風土と生態系がもたらす循環という自然の摂理だとしても、一方、最終的に死者400名を数え史上最悪の被災になるだろうと云われる、その失われし人命を思えば、もっと人知を尽くしてなんとか防止策はないものかと情けなくも悔しいではないか。

ユーカリの花言葉の一つに「再生」があるそうだ。炎で熱せられることで新芽が出やすくなる特性が、ユーカリにはあるという。逞しいその生命力で、灰燼と化した大地にも、やがては緑が復活、再生されるのだろうか。

ブッシュ・ファイヤーの呼名に、不謹慎にも先の米大統領を連想してなにやらザワザワと嫌な感触を抱いてしまったが、bushは灌木や低木のことだから、Bush fireと呼ばれているのだと思い至り納得。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-13

   ほそき筋より恋つのりつゝ  

  物おもふ身にもの喰へとせつかれて  翁

次男曰く、其人の付だが、あしらい-もの食う-を介添の趣向としたところが工夫である。

仮にここを「物おもふ身に箸とるも苦労にて」とでも作れば、三句、同じ人のくどくどとした性情の付伸しにしかならない。「せつかれて」留は後付とも読め-せつかれればいっそう恋しさがつのる-、翻って、一途な物思をほぐしにかかったとも読める-恋離れを促す-作りである。同じ「て」留でも「苦労にて」では後付の方が消える。「せつく」に微妙なはたらきがある。

其人が女らしいと覚らせるのもここでの連想によるもので、「ほそき筋より恋つのりつゝ」だけでは男女いずれとも決めかねる。

「物」「もの」の重複が気になるが、物思と喰物とでは相容れないという滑稽を、むしろ意識的に合せのたねにしているようだ、と。

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February 11, 2009

ほそき筋より恋つのりつゝ

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―表象の森― Mondrian
「余白の芸術」-李禹煥-より

モンドリアンの絵画の軌跡は、まさに近代のDestiny Story-運命の物語-のようだ。

初期の絵画は、外界への素朴な関心の表明と言っていい。
風景や人物を愛情に充ちた眼差で眺め、あまりデフォルメせず朴訥に描いている。

それが次第に、あの「一本のリンゴを巡る試み」で解るように、対象物をその構造の法則や秩序を探るように整理していく絵に変わる。

そして対象物と向き合うことから離れて、初めから自立した構造としてのクールな画面があらわれる。いわゆる色彩と平面の構成による絵画の成立である。

ところが、晩年になると、ニューヨークシリーズが示しているように、この内面的な閉じた構成が揺らぐ。そして再び、外界としての都市の風景と連動する。ニュートラルな格子状の絵画-それはもはや自立した構成ではない-を試みるようになるのである。

そう、モンドリアンの後期までの作品は、見事な近代化への道程そのものではないか。
1. 外界との素朴な関わりから
2. 外界の一部を対象として捉えるようになり、
3. またその対象を構成概念とダブらせながら整理して、
4. こんどは構成概念だけの展開図として絵画が仕組まれる。つまり領域としての外界は、やがて限定された対象として切り取られ、そして内的な構成概念と二重写しの段階を経てついに対称性の消滅にとって代わり、内面の構成概念が全面化するということだろう。

モンドリアンはこの自立した絵画によって注目されたが、それが出口のない自閉空間であることに、誰よりも早く気づいた。
外部性のない絵画は、透明な認識のテクストではあっても、未知なもの、不透明な世界との出会いを不可能にする。外部性のない内面の全面化の歴史は、人間を窒息状態に追い込んだのだ。

格子縞に敷き詰められた無数の色彩が点滅する光景は、概念性や自立性を保ちつつも、自足的な完結性から一歩出て、外に向かって開かれた感じを与える。碁盤状のメカニックで華やかな画面は、ニューヨークという開放的で未知的な都市の様子とまさによいアンサンブルを成している。


<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-12

  いふ事を唯一方へ落しけり  

   ほそき筋より恋つのりつゝ  曲水

次男曰く、前をホラ吹きと見定めて「ほそき筋より」と立向わせ、「落しけり」には「つのりつゝ」と逆っている。その趣向を恋としたところがうまい。

むろん、合せれば山伏から奪って、窮屈な恋にはまった男か女か、まわりの云うことなどには耳を藉さぬ体に読める。山伏に法螺貝は付物だとまず閃かないと、この奪い付の面白さはわからない、と。

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February 10, 2009

いふ事を唯一方へ落しけり

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―世間虚仮― Soulful Days-18- 告訴すれど‥

本日午後3時、大阪地方検察庁へと出向き、担当検察官に直々告訴状を手渡した。
本文5頁からなる長文の告訴状は、K弁護士の手になるもの。

以前から知るKは闘志の人というに相応しい熱き女性弁護士である。嘗て30名余を擁して木津信抵当証券の被害者訴訟を闘った弁護団の一人でもあった彼女は、当時の私の眼からすれば、大深団長や櫛田弁護士とともに、その存在感を強く印象づけられた人であり、大阪高裁における平成13年12月の鍵弥元理事長実刑判決に至る最終的な解決まで6年余を要した訴訟を闘いぬいた、いわば同士であり中核的仲間の一人でもあった。木津信との訴訟が賠償問題において一応の和解解決をみた折り、その訴訟記録を一冊の本に上梓すべく計画立案に集った十余名の弁護士たちに私も交じって、有馬の温泉だったか、一泊二日の合宿に参加したことがあったが、もちろん彼女もそのメンバーの一人だった。

そんな協働の経験をしてきている所為もあってだろう、彼女の書いた告訴状は、これまで私がものしてきた事故に関するメモや訴状原案などを元に、脇見運転や無灯火など重過失の疑惑のみならず、もらい事故発言や元医学生にして国家試験云々などといった道義的問題まで、要点を漏らさず整然と論理構成されており、格調高くそして熱く、よく意を尽くした一文であった。

この稿が私の手許に届けられた先夜、不覚にも私はこれを読みながらどうにも涙が込み上げてくるのを抑えることができず、遺影に向かって観音経を読誦するも、なお昂ぶった心は収まらず、あれやこれやともの思うては涙し、涙してはまたもの思うを繰り返しては、とうとう夜を明かしてしまったのだった。

告訴はあくまでも乙-T-のみを対象とした。その一方で、搭乗していたタクシーの運転手である甲-M-に対しては、減刑の嘆願書を出している。

西署から送致された捜査報告では、どうやら甲において重過失とされ、乙の過失は軽いものとされており、いまのところ検察での取り調べもその延長で進行していると察せられる。
刑事事件としての交通裁判ではあくまでも甲乙双方の過失に対しての審判であるから、被害者遺族はどこまでも争点の当事者ではない。争われるとすれば甲乙双方の過失の比であり量である。
一方的に重過失とされている甲がこれを争うべく起ち上がらなければ、このたびの告訴状も無為に帰すわけだが、甲においてはいまだその明確な意思表示はなされていない。もちろん甲はこの不当な捜査報告を覆したいと願っているし、そのために弁護士にも相談しているが、なお勝算を得るにいたらずなのであろう、はっきりとした動きはない。
私は告訴状の写しを参考として甲にも送っているが、それが決め手になるほどの力を発揮するとはかぎらないし、たしかに現況を打破・逆転させるのはずいぶん困難なことなのだろうと思われる。

きっと彼はいま暗い穴底にいるような思いに囚われているのではないか。彼の苦悩は深い。それを思うとまた気鬱にもなる。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-11

   中にもせいの高き山伏  

  いふ事を唯一方へ落しけり  珍碩

次男曰く、「高き」というから「落し」と応じ、入込にありそうな風俗スケッチとした二句一章の作りである。「中にも」を思案して「唯一方へ」と活路をひらいたところが、滑稽の工夫だ。

弱気や迷いがあっては山伏などつとまるまい、修行につれて弁舌も自ずから立ってくる、という通年をなぞったまでの遣句だが、この「唯一方へ」は、珍碩自ら洒落堂に書した、「分別の門内に入事をゆるさず」とうそぶいた男の満足げな表現らしい、というところが面白い、と。

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February 09, 2009

中にもせいの高き山伏

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―表象の森― 余白の芸術

李禹煥-1970年代、有機的な組替えやズラしによって、外の空気を浸透させ他を受け入れる作品を精力的につくり、あるがままをアルガママにする仕事をした「モノ派」、その運動の柱として活躍した李禹煥。
その著「余白の芸術」を読む。

「カンバスの上に一つの点を打つと、
辺りの空間が動き出す、
一筆のストローク、一個の石、一枚の鉄板は、
外との対応において力に漲る生きものとなり、
物や空間が呼応しあって、
鮮やかに響きわたる余白が生まれる」

「点から始まり点に帰る。
点の離合集散が森羅万象の様相であり、その繰り返しが宇宙の無限を示す。
絵画における無限概念を表す一つの方法は、絵画を反復させることである。生まれては消え消えては生まれる生命現象のような反復性は、一瞬一瞬を一回性として非連続に連ねなくてはならない。一筆一画が独立していながら連結されていく有機的な仕組は、画面を緊張感に充ちたものにしてくれる。
私は80年代初めまでは、無限概念の展開図として絶えず反復的な絵画を制作してきた。それがいつの間にか地が露わになると共にフィールドこそが無限を表出するものであることに気づく。限定された一筆一画は、次第に私から解放されふかぶかとこの空間を呼吸しつつもっと大きな生命感を得たように思う。
つまり無限は、私のアイデアとか一般概念ではなく、まさに概念の外、場の無限定性として表れるようになるのである。」

「私は、存在感で人を圧倒する作品は好きではない。
だからといって理念や論理を押しつけてくる作品も嫌いだ。
いずれにせよ作者の全存在全人生のような
オールオーバーな作品は、文化の衣を借りたファシズムだ。
私は絵画にせよ彫刻にせよ、
表現の場において手を触れない部分を積極的に認め、
出来るだけ自己の表現を限定したい。
私の限られた考えと行為がきっかけとなり場が息づき広がって、
無限を呼吸する絵画的な彫刻的な空間性を
開示するものであってほしいと思う。
しょせん作品は、現実そのものではないし、
観念の塊であるわけではない。
それは現実と観念の間にあって、両方から浸透され、
また両方に影響をおよぼす媒介的な中間項なのだ。
この中間項的な要素こそは、
作者を越え日常離れした作品領域なのである。」

「見ることには幾つかの段階がある。
対象の言葉を見る。
対象を見る。
対象を無としてみる。
第一段階は言語論的であり、
第二段階は実存論的であり、
第三段階は場所論的である。
美術にふさわしいのは場所論的な見方である。」

「エネルギーに充ちた点を打つこと。それは私の絶え間ない筆力の訓練に依る。しかし点がもっと大きな生命力をもつためには、私以外の多くのものの存在やその働きを学び、自らを開いてそれらの力を含ませることである。
たった一つの点が生まれるためには、さしあたってカンバスと絵具と筆と手の力と頭の力と空気が要る。それだけではない。仕事場や食事や病気や排泄や犬の啼声や雷や友人や死者や石や樹や酒…が要る。そもそも描くことへの懐疑や反省が伴う。
これだけのものが滲み込み練られて出来る初めの一点は、それに対応する次の点を呼び、そしてさらに別の点を呼んで、血の通う絵画になってゆく。絵画が客体として、生きるか死ぬか、良いか悪いかは、私を越え出る構造的な関係として点が生き生きと機能する空間になるか否かに関わっていよう。
それにしても、さまざまな点の打ち方やその位置方向をめぐって、どんなに論理を磨いたとて、それが定まる場が絶えず変化にさらされる外部性を含んだ世界であることを知るほどに、なにものかの予感を待つような気持ちでいつも制作に挑まなくてはならぬことのなんと辛いことだろう。」

「八大山人-
何千年かの中国絵画史のなかでも、山人ほどの高い志、生気あふれる画境を見せた画家は少ない。
筆や墨を彼ほど惜しんだ画家も珍しい。
一筆一画に画家のすべてが凝縮される。単純に描くために筆や墨を惜しんでいるのではなく、画面をより本質的に気高いものにするために凝縮へと向かう力こそが、必然的に単純化を招いている。
一筆一画が精神という血で滲んだように鮮やかで、画面に張りつめた空気が漂うのはまさしくそのためである。
どこにもおのれの現在性を認めることの出来ない不在感に震えつつ、はるか不動のものを追い、それを凝視してやまぬ画家なる精神。この引裂かれんばかりの疎外感と矛盾律こそが、それゆえ異様なほどに激しく絵という不可思議な宇宙に救いを求め続けさせたのかも知れない。
絵とは、まさしく彼岸と現実をつなぐ大いなる橋、か。」

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-10

  入込に諏訪の湧湯の夕ま暮  

   中にもせいの高き山伏  翁

次男曰く、「三冊子-赤-」に、「前句にはまりて付たる句也。其中の事を目に立ていひたる句也」と評するが、それは付合の技法のことであった、「はまり」「其中の事を目に立」てさえすれば言葉の興になるというものでもない。

「入込」と云うから「中にも」と分け、「湧湯」と沈んでみせるから「背高」とそびえ、その身分の名も「山に伏す」ならどうだ、と掛合っている。意味は同じでも「修験者」「野伏-のぶせり-」では俳にならぬ。「入込」から「中にも」を取出したのがとりわけうまい、と。

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February 08, 2009

入込に諏訪の湧湯の夕ま暮

Santouka081130009

―世間虚仮― Soulful Days-16- 脇見と無灯火?

いまどきのタクシーにはカメラ付のドライブレコーダーを搭載している車が多いと聞く。

RYOUKOが搭乗して事故に遭ったMKタクシーの車にもこのドライブレコーダーが搭載されていた。事故当時の映像記録によれば、甲-M-が右折しようとした際、対向車線よりの直進車1台を認め一旦停止した。乙-T-の車が激突したのは、その停止より2~3秒後であった、という事実を、先日-2/2-のM運転手とMKタクシー労組委員長の両人と面談した際に知るところとなった。

さらに、彼らからの報告に拠れば、その記録画像を、西署の事故捜査官数名がMKタクシー北営業所において実況検分したのは事故発生から4日後、9月12日の午後3時前頃であった。この席で捜査官らはVideoを参考資料として任意提出するべく準備するよう指示して帰った、という。ところが、その指示に従いMK側はVideoを複製準備していたにもかかわらず、西署からの提出要請は一向なされぬままに、捜査はどんどん進められていったのである。

ドライブレコーダーの記録は、画像の改竄が比較的容易であることから、裁判において証拠能力の高いものとはされないとも聞くが、目撃者も無く、数日後の府警科捜班による事故現場の捜査と、事故当事者甲乙の供述のみというものでは、事故原因の真相は藪の中だ。実際に甲と乙の供述には矛盾が大きく露呈している筈で、この画像記録はその矛盾を明らかにしうる唯一の証拠でもあったろう。それを、あとを絶たぬ数多の事故処理に追われる捜査の、効率優先の習性からか、西署は一顧だにせず闇から闇へ葬り去ったのである。

事故当時の記録画像に語る、甲車の一旦停止から乙車との衝突までの時間は2~3秒というのは些かアバウトに過ぎ、画像の詳細を再確認することで、さらに精確な時間を得られようが、いまは与えられたこの数値で事故原因を推測してみるしかない。

府警科捜班の鑑定によれば、衝突時直前の乙車の速度は70km/hだったと、N検察官から聞いている。衝突時点が甲車の停止してより2秒後なら40m手前、3秒後なら60m手前で、乙は甲車を現認しなければならないが、乙は20m手前で気づき、咄嗟にブレーキ動作に入ったが間に合う筈もなく空走のまま衝突したというのが、同鑑定の結果である。
ならば、その直前、乙は脇見運転! をしていたことになる。

さらにいうなら、甲は先行の直進車を見送ってから後、当然あらためて左方向を安全確認している筈である。停止して2~3秒というのはドライバーにとってちょっとした時間だ。私も車を運転する者だが、ドライバーの習性としてこのちょっとした時間に、対抗車の有無、左方確認をしない筈はない、というものだ。だが、この時、甲は乙車の存在にまったく気づいていない。いったい何故だ? この事実は、乙の車が無灯火走行していた! との疑いが非常に濃いものとなる。

これらの推定が隠された事実だったとすれば、乙の直前の脇見運転さえなければ、さらに無灯火運転もなければ、事故自体避けられたかも知れず、また避け得なかったとしても重傷にいたるようなものであり得ず、いまごろRYOUKOは私らや友人たちを前に、鷹揚として変わらぬあの元気な姿を、子どもの頃から人好きの愛嬌者であったあの笑顔を振りまいているのに違いないのだ。

5日の午後、私はRYOUKOの母親と二人して、事故の賠償交渉を委任しているK弁護士の事務所を訪ねた。
被害者の遺族が、甲乙の刑事責任を問う刑事裁判において、両者をではなく、乙のみを告訴するというのは珍しいことではあろうけれど、警察における捜査の不備とこれを受けた検察の一般的な過失判断でこのまま進行するのを見過ごすわけにはいかないから、告訴状の下書きを準備して持参していた。文意が重複するが以下はその要点のみ。

<告訴状>

平成20年9月9日、大阪市港区波除1丁目、辰巳橋南交差点における、MKタクシーM運転の車-と、乙-T運転の車-の衝突により甲の搭乗者-RYOUKO-負傷、意識不明のまま同月14日午後7時14分死亡した交通事故につき、乙において重大な過失のある疑いが生じたため、精確な審理を尽くし、厳罰に処されんことを願いたく、これを告訴いたします。

<付記> 乙における重大な過失の疑い

「脇見運転」- 事故当時、甲運転の車に搭載されていたドライブレコーダーの記録によれば、右折の甲車が一旦停止して後、2~3秒後に乙車が衝突しているという事実。
しかるに、乙は、甲車が急停止したのを見て、急ブレーキを踏んだが間に合わなかったと言い、その発見地点は衝突地点より20mほど手前であったというのが、科捜班による現場検証の鑑定結果と聞く。
この二つの事実は大いに矛盾している。乙車が70km/hで走行していた場合、甲車が停止して2秒後なら約40m手前、3秒後なら約60m手前でこれを現認しなければならないが、発見地点が20m手前であることは、必定その直前に脇見をしていたことになる。

「無灯火走行」- 甲は、車を一旦停止させて、別の直進車1台を見送っている。そしてその後あらためて左方向を確認するも、乙車を現認していない。
この事実は、事故発生が午後8時15分とされる夜間にも拘わらず、乙車が無灯火で走行していたと推定するに足るものである。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-09

   名はさまざまに降替る雨  

  入込に諏訪の湧湯の夕ま暮  曲水

湧湯-いでゆ-

次男曰く、「入込-いりこみ-」は男女などの差別なく入混ること、室町頃より遣われた言葉らしいが、江戸時代には入込湯という名も生れている。句は「さまざまに」「替る」を見咎め、「振替る雨」を入りわる人にとりかえて-雨宿りも入込だろう-仕立てている。

下諏訪は古くから温泉で知られた、中山道の宿駅だが、湯が道べりに自噴しているため、往来の繁くなかった近世初には上湯と下湯を分け、下は旅人雑人誰でも自由に浸れる露天の入込湯とした。芭蕉も曲水も入ったに違いない温泉である。それというのも、東海道・中山道を通して宿場がそのまま湯の町になっているところは下諏訪しかなく、東西の交通にわざわざ中山道を利用する楽しみの一つは、そこにあったと云っても過言ではない。「入込」と「諏訪の湧湯」は格別の親しみである。

二句は、天文-雨-に寄せた無常迅速の観相を巧みに旅の人情に移して、肩寄せ合うにふさわしい時分-夕ま暮-の見定めで治めている。「杣がはやわざ」の句もいいが、「三歳駒」以下、しみじみと、なつかしく、本情にとどくじつに好いはこびの流れである、と。

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February 07, 2009

名はさまざまに降替る雨

080209030

―表象の森― 書物の森

小誌「月刊みすず」1/2月号の読書アンケート特集を走り読む。
各界諸家151名が2008年に読んだものから印象にのこる5点ほどを選んでコメントを寄せたものだから、まるで茫々たる書物の樹海をあてどなく徘徊しているかの感。

昨年の暮に逝った加藤周一の代表作「日本文学史序説」や、一昨年に逝った今村仁司の遺作「社会性の哲学」などが複数の人に挙げられているのが眼を惹く。また、越境する文化人類学者今福龍太の「群島-世界論」やC.レヴィ=ストロースとの共著となる『サンパウロへのサウダージ』も何人かに触れられており、その存在がきわだっている。

そんななかで一つ眼を惹いた書評を挙げておく。
生物エネルギー工学の松野孝一郎氏は、永井均「なぜ意識は実在しないのか」-岩波書店-、入不二基義「時間と絶対と相対と」-勁草書房-、原書のHenry.P.Stapp「Mindful Universe:Quantum Mechanics and the Participating Observer」の3書を挙げ、

「意識にあっては、常に前述語判断が先行する。二人称に配されたなにものかが「そのように」に立ち現れる、との一人称経験、運動が意識に先行する。永井は、前述語判断が運動であることを強調した。
述語判断は、恐らく、言葉を操るわれわれ人間の独壇場である。しかし、前述語判断に眼を転ずるならば、われわれの優位は消える。生物はいずれも、前述語判断に長けている。加えて、運動である前述語判断は、時間とのかかわりあいを避け難くする。
入不二による時間特有の変化とは、現実の現在-一つなるもの-が可能的な現在-多のなかの一つなるもの-に転生することを指す。現実の現在を、可能的な現在に繋ぐのが前述語判断である。前述語判断は生物を含む物質界に広く行き渡っている。
前述語判断の物質化、自然化へ先鞭をつけたのは、フォン・ノイマンである。自然化への礎を、量子論に由来する射、あるいはprojectionと呼ばれる操作に求めた。Stappは、このprojectionが、現実の現在を可能的な現在に接続する鍵であると見なす。それを物理的に実現する典型例が、神経細胞間の信号伝達を担うカルシウム・チャネルである。現実の現在に対してはカルシウム・イオンの波動性を、可能的な現在に対してはそれの粒子性をあてがう。」
と具体例を引きつつ3書を関連づけた解説をしており、その手際の良さに感心させられた。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-08

  鞍置る三歳駒に秋の来て  

   名はさまざまに降替る雨  珍碩

次男曰く、青・赤・黒・白、葦毛・鹿毛・栗毛、馬の毛並の「名はさまざま」だ。三歳駒の成長ぶりを引移して、季節を追うて変りゆく雨の名をさぐる無常迅速の興につないでいる。秋の雨についても、野分の雨、豆花の雨、後の村雨、秋霖、秋時雨など、いろいろ降替わる。

時候-秋-に天文-雨-を以てした付には違いないが、「名はさまざまに降替る雨」でも「降替る雨名もさまざまに」でも同じというわけにはゆかぬ。

露伴は「秋の天の定め無くて、ひと村雨のさつと降り来れるなり。御降りといひ、春雨といひ、卯花くたしといひ、五月雨といひ、今ここに卒然として至れる雨は秋雨なり。名もさまざま、降りざまも様々、サッと降来れる雨に、今や三歳駒の勇ましきに乗らんとして平首掻撫でたる人の、乱るる雲の足早き空を仰ぎ見たるさま、如何にも面白き附句なり」と云う、と。

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February 04, 2009

鞍置る三歳駒に秋の来て

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―世間虚仮― スズメが1/10になった!

昨日の朝刊で見たのだが、我々が住む大都会のコンクリートジャングルばかりでなく、野や里においても、スズメはめっきり少なくなったそうだ。

記事は立教大理学部特別研究員三上氏の調査報告に拠っている。
調査は昨年の5.6月に実施。秋田・埼玉・熊本の3県を調査地とし、住宅地や農村や森など5様の生息環境について巣の平均密度を算出した。
この調査に基づき全国の総人口ならぬ総雀数を推定すれば1800万羽になるという。この数値は20年前の2割~5割程度、50年前の’60年頃と比較すれば1/10になったのではないかとされている。

昔々、幼い頃の我が家の前には道路を挟んで広い空地があり、大きな石炭山になっていたが、糸の両端に石礫を結び付けたのを空へ投げてスズメを狙ったり、あるいは煉瓦を組んだ仕掛けに米粒を置いてスズメが掛かるのを待ったりと、よく遊んだものだが、そんな光景も全国津々浦々どこへ行こうとも見ることはできないのだろうか‥。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-07

   籾臼つくる杣がはやわざ  

  鞍置る三歳駒に秋の来て  翁

次男曰く、諺に、天高く馬肥ゆとも、秋高く馬肥ゆとも。

「鞍置る三歳駒」は「はやわざ」からのうつり、ひびきである。むろん荷馬・耕馬の類に非ず、駿で「鞍」も初置だろう。

はこび裏入らしい起情のある句だ。前句の「籾臼つくる」から年貢米の連想付などと読む解があるが、こういう付合に話の設けなど全く必要ない。

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February 03, 2009

籾臼つくる杣がはやわざ

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―世間虚仮― Soulful Days-16-「もらい事故」だと!?

RYOUKOを死へと追いやった昨年9月9日の交通事故。
かいつまんで事故状況を記せば、此方はタクシーの搭乗客、M運転手は信号のある広い交差点で右折しようとしていた。青信号で対向車線を直進してきた相手のワゴン車は70㎞/hで走行、一旦停止をしたタクシーを現認したのは20mほど手前、咄嗟にブレーキを踏むも間に合う筈がない、事故現場にブレーキ痕も残さぬまま、タクシーの後部座席に激突した。

府警の科捜班による詳細な現場検証がなされたという警察による捜査もやっと終えて、12月には大阪地方検察庁へ送致されたと聞かされてはいたものの、その後は年が明けても音沙汰なしがつづいていた。

先日-1/30-、RYOUKOの母親と私は、その検察庁からの呼び出しに応じて、’01年の秋に竣工成ったという阪大病院跡地の大阪中之島合同庁舎に、今後の流れがどのようになるのか見当もつかず、なんとなく重い気分に襲われながら赴いたのだった。

事件の担当検察官はN氏、どうやら副検事らしい。
そのN氏に、私は、昨夜のうちに準備した上申書を差し出した。この上申書には、かねてから加害者の一方-相手方車両を運転していたT-とその父親と折衝してきた経緯などを記録した文書や、彼らとやりとりした5通の書面を資料として付しており、全部でA4判8枚に及んでいる。

その表書きに私は、「上申の趣旨は、事故被害者の遺族として、その悲しみのあまり、当該事故の甲乙両者への刑事罰並に行政罰において、必ずしも厳罰を望むということにはあらず、ただ一点、事故直後より意識不明に陥り死線を彷徨ったあげくそのまま逝ってしまった無念の死者とその家族=遺族に対する、事故当初から死に至るまでの数日間における乙の、事態の重大さ深刻さを自らのこととして直視しえなかったゆえの不実ともいうべき姿勢や対処に、その道義的責任において厳正なる注意喚起、ご叱責ご指導を願いたく、以下添付書面を閲覧の上、適正なる対処を請うものであります。」と記した。

だが、N副検事から「彼-T-は元々医学生で、この事故を契機にやはり医師を目指そうと思い直し、今年は国家試験を受けることにします、と反省を込めて云っていた」と聞かされるに及んで、愕然とした。一瞬、耳を疑った。
「エッ、医学生? そんなバカな!」、二の句が継げず、逆上してしまった。

これまでTの父親から聞いてきたのは、学生時代からWakeboardに病みつきになって留年したりしたことや、’07年の夏にそのプロ試験に合格、現在はプロ活動に専念しており、将来はこの趣味を活かした事業展開をしていきたいと望んでいるといったことで、結構なご身分の遊び呆けた道楽息子、どうせロクな大学を出ちゃいまい、と思っていた。

それが医学部の学生だったなどと、トンデモハップン! それも大阪市大の医学部、6年の課程をまあどうにか修了してござるとは、なんてこった! そんな医学の知識もある輩が、死に瀕したRYOUKOに対しての初期対応を、青信号直進の自分に過失はないとばかり無視を決め込んだ態度で終始しやがって、なんて鉄面皮な野郎だ。此奴はどうでも許せねえ! と思ったものの、検事に云わせると「この事故状況における判断としては、仮に遺族が加害者らに厳罰を以て望むべしとした場合、事故当事者双方の科料をともに厳しくせざるを得ないことになる」と。すればこちらが望みもせぬMへの咎めが重くなる、これはジレンマだ。

だから結局は、あらためて「厳罰を以て‥」とは、とうとう云えなかった。
無念さに歯噛みする思いでその場を辞した。2時間半ほどを要した長い聴取だった。

と、ここまでは前段、問題の「もらい事故」についてはこれからだ。
私も日常的に車の運転をする。免許取得は’66年のことだからすでに40年を越えている。その長年月にはいくつかの物損事故も経験しているし、軽微だが人身事故も起こしている。だがこの年になるまで「もらい事故」なんて言葉は寡聞にして知らなかった。初めて聞く語だが、聞けば意味のほどは容易に察しがつく。事故の過失は相手に一方的にあり、こちらに過失はないという場合にそういうのだろう。保険用語としては被害事故とされる語の俗称のようだが、こちらのほうが直感的に分かりやすいか、近頃はかなり流布しているらしいが、耳にしてあまり響きのいいものではない。

検察庁での事情聴取を受けた明くる31日、私は久しぶりにM運転手と会った。これまで遺族の心を刺激するようなことはと差し控えてきた彼が、RYOUKOの仏前にお参りしたい、と申し出てきたからである。
二人して仏前を辞し、別の部屋に移ってから、彼に前日のことを報告がてら話した。もちろんTが医学生だったというのが話の主筋だ。これには彼も驚きのあまり唖然としていた。

それから、彼の訥々とした重い口から飛び出してきたのが「もらい事故」、この言葉だった。
Mが語ったのを要約すれば、事故後のある日、それは9月の終わり頃かあるいは10月上旬の頃だったか、相手方保険会社の事故調査係から面談を求められ会った際に、どういう話のはずみか、T自身が「こっちはもらい事故だから、云々」と語っていたというのを、うっかり口を滑らした、というのである。
人ひとり、無辜の人間を死に至らしめた事故の当事者が、自身の過失の小さいことを主張、抗弁するのはまだよしとしても、これを知ったかぶりの「もらい事故」などと言い放ってしまえるTの無神経にもほどがあるのには、さすがのMも驚いて、「なんということを言っているのか」と咎めだてをしたら、相手の調査員は「しまった」とばかり、その場を言い繕っていた、と。

「もらい事故」、- RYOUKOを死なしめた事故の相手が、まだ27歳の遊んで暮らしているばかりの若造が吐き捨てた言葉‥。そんな奴が「医学生」でもあったという、悪寒が走るようなこの事実。

「許せん、絶対に許せん!」、この時はじめて腹の底から、そう思った。
事故当初よりこれまで、私はその当事者双方を道義的にはともかく、それ以上の責めはするまいとしてきた。双方にそれなりの過失があるにせよ、ともに望んで起こしたものでなく、その時さまざま偶然が折り重なって起きてしまった事であれば、RYOUKOの死は偶然の悲劇。彼らに憎しみや怒りをぶつけてしまうなら、自分のやり場のない悲しみの代償行為にしか過ぎない、と。

だが、これは違う、何パーセントか、いや何割か、RYOUKOは殺された、に違いないのだ。
「もらい事故」と、そんな言葉を吐き捨ててしまえる自己中野郎、この元「医学生」に。
この事故のウラには、きっとTの無謀運転か重大な過失が隠されている、供述書には表れていない大きな穴が。それは此方が立ち上がらないかぎり炙り出されてはこないのだ、次から次と後を絶たぬ死亡事故事件を消化しなければならないこの国の交通裁判では。

私は、この「もらい事故」野郎に、宣戦布告をすることにした。
その夜、RYOUKOの住んでいた家に、遺族3人が寄った。
法廷で争うことを辞さず、と確認しあった。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-06

  月待て仮の内裏の司召  

   籾臼つくる杣がはやわざ  曲水

次男曰く、籾臼は籾摺臼、単に磨臼とも云う。竹や木を円筒形に立て並べ、塩粘土で隙間を埋め固めたものだが、上下二つに作り、上の穴から入れた籾を回しながら摺る。籾摺は古俳書概ね、仲秋の季語とする。

句は司召の祝に新穀の用と思い付き、籾臼を作らせてもさすが杣人の手業は、ひと味違う早さよ、と付けている。

「仮の」を見込んだ作りには違いないが、司召は一夜儀式だということも「はやわざ」には利いているのだろう、と。

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