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December 31, 2008

いろふかき男猫ひとつを捨かねて

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―世間虚仮― ‘08逝き去りし人々

本年の物故者たち一覧を見つつ。

今年の上半期は大規模な天災、5月、ミャンマーを襲った大型サイクロンと中国四川省の大地震、二つの自然災害報道が世界を駆けめぐった。下半期は地球規模の人災、9月のリーマン・ブラザーズ破綻に端を発した米国発の金融危機がEU・日本に波及、出口の見えない世界同時不況となって長期化必至の深刻な様相を呈している。

2月、独文学者で文芸評論の川村二郎-80歳-、哲学者渡邊二郎-76歳-、映画監督市川昆-92歳-、釜ケ崎詩人の東淵修-77歳-、フランスのヌーボーロマン作家A.ロブグリエ-85歳-、

3月、「一揆論」の詩人松永伍一-77歳-、石井獏の愛弟子で戦前・戦後の現代舞踊をリードした石井みどり-94歳-、’97当時大阪文化祭の審査員として私の「走れメロス」を強く推奨したと伝え聞く宝塚歌劇団の演出家渡辺武雄-93歳-、「2001年宇宙の旅」のA.C.クラーク-90歳-

4月、「ノンちゃん雲に乗る」の石井桃子-101歳-、「ベン・ハー」のチャールトン・ヘストン-84歳-、森進一との確執で騒がれた「おふくろさん」などの作詞家川内康範-88歳-、作家小川国夫-80歳-、随筆家の岡部伊都子-85歳-、

5月、ポップアートのR.ローシェンバーグ-82歳-、歌やバラエティ番組の元祖放送作家塚田茂-82歳-、

6月、ファッションのイブ・サンローラン-71歳-、少女小説作家の氷室冴子-51歳-、京都のAlti Buyoh Fesの仕掛人として長年貢献してきた照明家の船阪義一-64歳-

7月、日本語の起源を古代タミル語にあるとした国語学者大野晋-88歳-

8月、「天才バカボン」の赤塚不二夫-72歳-、戦前・戦後を通じクラシックの大衆化に努めた作曲家服部正-100歳-、ロシアの作家A.ソルジェニツィン-89歳-、松本サリン事件の被害で闘病14年、意識不明のまま逝った河野澄子-60歳-、夫の義行氏は被害者でありながら事件当初犯人扱いされた

9月、国文学者の西郷信綱-92歳-、映画俳優ポール・ニューマン-83歳-

10月、新国劇から巣立ちTV・映画の大俳優となった緒形拳-71歳-、ロス市警の留置場で自殺した三浦和義-61歳-、歌手フランク永井-76歳-、

11月、TBSニュースキャスターだったジャーナリスト筑紫哲也-73歳-、東大紛争時の総長だった民法学者加藤一郎-86歳-、奇書「家畜人ヤプー」の作者沼正三と目される天野哲夫-82歳-、

12月、「日本文学史序説」の著者加藤周一-89歳-、引退していたTVタレント飯島愛-36歳-の孤独死、英国の不条理劇作家ハロルド・ピンター-78歳-、「文明の衝突」のS.ハミルトン-81歳-、

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霜月の巻」-33

   伏見木幡の鐘はなをうつ  

  いろふかき男猫ひとつを捨かねて  杜国

次男曰く、「いろふかき男猫-オネコ-」即季語というわけにはゆかぬが、例によって季の句続の約束を利用して「猫の恋」-春-と読ませた作りだ。恋猫は、江戸時代も安永頃になると初春からの季としているが、古くは仲春に扱っている。

「鐘はなをうつ」の余韻を探って思付いた趣向らしく、鐘の音色から「いろふかき」を、鐘を撞き捨てるから「捨かねて」を引出した呼吸に俳がある。

一巻も余すところ三句となって恋句を出すなど、危険なわざである。充分その辺を承知したうえで、作っているらしい。かりに初五を「恋ふかき」「妻を恋ふ」などとしても意味は変りはないが、捨不捨、恋悲恋の狭間をくぐり抜けることにした、告げているように読める。花と無常を表裏に裁った、艶なる句だろう、と。

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December 30, 2008

伏見木幡の鐘はなをうつ

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―四方のたより― 一年の垢落し

昨日今日と、竹野海岸の民宿へと一年の垢落しとばかり蟹三昧に舌鼓の、一泊二日の小さな旅。

昼前に家を発って、帰省の渋滞もなく順調すぎるほどの走行に、途中ゆったりと休憩もはさんで、午後4時には目的の宿に着いた。
北前館の湯は、ぬるま湯好きのこの身には熱すぎて、温泉気分満喫とはほど遠く、ちょっぴり不満を残したが、宿での蟹三昧の晩餐は、2時間あまりもかけて、これ以上の満腹はなかろうというほどに堪能。部屋の戻って窓を開ければ、冷たい風が心地よく肌を刺す。

冬の日本海、それも波の音ばかりの黒々とした夜の海となると、束の間の小旅行といえど、一瞬のうちに底なしの旅情に誘われる。ふと、親父がこの世に生きた生の分だけ、いつのまにか私自身もまた、すでに生きてしまっていたのだ、と思い至る。

2008年の印象は、8月の信州方面への旅以降、9月から歳末にかけてのこの4ケ月にすべてが集約されているかのごとく感じられ、それ以前の出来事が遙か遠く薄靄のなかに霞んでしまっているかのよう。ことほど左様に、この4ヶ月に起こった出来事は、一つ一つはそれぞれ別事である筈なのに、縒り合さるようにして一塊の特別な重量感をもって、私の背後にへばりついているような、そんな感さえするのだ。

翌朝、帰路には廻り道となるが、余部鉄橋の下を通って、湯村温泉をめざした。7年前、生後6ヶ月くらいであったろうKAORUKOを抱いて3人で湯元の足湯に浸かったのが懐かしく想い出されて、再びの推参と相成ったのだった。

それからは、竹野行の帰りにはもう定番となった出石へと一目散だ。いつもの店でいつものように出石そばを食したあと、45年ぶりに復館なって今夏柿落しをしたという芝居小屋の永楽館を参観した。

出石から福知山へ、舞鶴自動車道には上がらず、国道9号線をひた走り、それから173号線へと走り継いで、阪神高速空港線へ。午後5時45分帰宅。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霜月の巻」-32

  元政の草の袂も破ぬべし  

   伏見木幡の鐘はなをうつ  荷兮

次男曰く、花の定座を引上げた心は元政に寄せた挨拶と見てよいが、じつは「冬の日」興行は第四の巻まで、4人の名古屋衆のうち野水・杜国・重五がそれぞれ二度の花を務めている。荷兮のみ一度だ-霽の巻-というところに、挙句前を殆どきまりとする名残花の座を野水が譲ったわけがある。

加えて、五歌仙の締括りの花が荷兮-正客、発句-という趣向は尤もだろう。一同この巻にきて急に気付いたわけでもなさそうだ。

伏見も木幡も上人ゆかりの深草に近く、句は、元政の開いた瑞光寺の鐘がここまで聞こえてきて折からの花を散らせる、と云っているのだろう。尤も、このあたり寺は多い。どこかの寺鐘を瑞光寺のそれと、と連想したと考えてもよい。

天和・貞享頃と推定される芭蕉の句に、「鐘消て花の香は撞く夕哉」。荷兮の「鐘はなをうつ」は、「草の袂も破ぬべし」のうつりと読めば、この蕉句までゆきつく。そう解釈してよいだろう、と。

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December 29, 2008

元政の草の袂も破ぬべし

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―四方のたより― 転位-関係のフォルムから空間のフォルムへ

26日付の項で、即興において「場面の創出」こそめざされなければならぬ、と記した。
だが、この課題は並大抵のことで実現=肉化=するものではない。いわば我々四方館にとっては超課題にもひとしく、その道程には峻険な階梯が立ち塞がっていよう。
そこで私の作業仮説だが、ある一つの転位=関係のフォルムから空間のフォルムへ=、が大きな手がかりになる筈だ、と考えてきた。

関係的表象、そのフォルムは、かりにAとB、1対1の表象世界なら、その変容はだれでも容易に把握できるだろう。瞬間的になら、逐次的におもしろいこと、意外性に満ちたことをも、さまざま生み出していくことはそれほど難しいことではない。短い時間の即興なら、お互いがある程度の発想の柔軟さ、自在さを持ち合わせてさえいれば、かなり洒脱な表象世界をものすることができる。

しかし、そのおもしろさを、意外性を、いくら積み重ねていっても、関係的な表象がどこまでもそこにとどまっているかぎり、「場面の創出」には至らない。いやむしろ重ねられるにしたがい、おもしろさや意外性の効果は減殺されるもので、初発の斬新さはどんどん色褪せていく。

関係的なフォルム、その表象は、あるとき、どこかで、空間のフォルムへと転位されなければならない。架橋されなければならない。その転位が起こったとき、その架橋がなされたとき、はじめて「場面の創出」を孕む契機となりうるのではないか、ということだ。

この作業仮説、さしあたりはAとB、1対1ではじめていくのが、なんといってもわかりやすい。二人のあいだでこの転位が肉化されるとすれば、次にSoloへと、そしてさらにTrioへと、困難さは増すばかりだが、道はひらけてきうる筈だ。

私が神澤師から学んだことは、この一点に集約しうる、といっていい。

先夜のDance Caféを経てほっと一息、昨日-28日-は今年最後の稽古だったが、些か強引に過ぎようかとの思いを抱きつつ、この作業を課していくことにした。
みじかい時間だったが、次への、たしかな一歩を踏み出した。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霜月の巻」-31

   豆腐つくりて母の喪に入  

  元政の草の袂も破ぬべし  芭蕉

破-ヤレ-ぬ

次男曰く、名残ノ裏入。芭蕉も、前句を母と子の二人暮しと読取ったらしい。
元政-ゲンセイ-は深草の上人。俗名石井源八郎元政、元和9年に京都で生れ、幼少の頃から彦根藩主井伊直孝に仕えた。詩文を好み、生来多病だったといわれるが、その後、日蓮宗に帰依して25歳の時致仕、妙顕寺の日豊に就いて出家した。深草に称心庵を結び、石川丈山・陣源贇・熊沢蕃山らとの親交が知られる。また、元政の長姉は井伊直孝の側室春光院となって、藩主直澄を生んだ人。元政は寛文8年の没、享年46歳。父母はいずれも長寿だったが、母親の死は息子の死より僅かに早く、後を追うようにして元政も死んでいる。

その元政の親思いは有名な話である。とりわけ、父の死後、母尼に仕えた孝養ぶりはその遺された詩文や和歌の随所に見られる。五男二女の末子として生れたが、晩年の元政と老母とのあいだは、事実上母ひとり子ひとりの信風月だった。そういう男の服喪の心を、芭蕉は付けている、と。

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December 28, 2008

豆腐つくりて母の喪に入

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Information-四方館DanceCafé「五大皆有響」-
08年を締括るeventも恙なく終え
わざわざお運びいただいた方々及び関係者のみなさんに感謝。

―表象の森― 近代文学、その人と作品 -8-
吉本隆明「日本近代文学の名作」を読む。

・島崎藤村と「春」
「春」には藤村自身が岸本捨吉という名前で登場する。北村透谷をはじめ、平田禿木・戸川秋骨・馬場孤蝶など文芸雑誌「文学界」の主だった同人たちをモデルに描かれている。
このグループにおける日本の文芸の近代化とは、キリスト教的な教育実践と先駆的な女子教育だった。生活様式も西欧的なスタイルをとることであり、また恋愛至上主義でもあった。なかでもその近代化の理念にあまりに急進的だった透谷が、この小説の中心人物となっている。
藤村の小節の中で「春」は登場人物がもっとも生き生きとしている。漱石をはじめ「破戒」を評価する声は高かったが、ではなぜ藤村はその後、「破戒」のような社会思想的な意味を含んだ小説を書かなかったか。本来的には藤村自身がそうした社会思想や差別問題に一貫した関心を持っていたわけではなかったからだ。その後、自分の書きたいものを初めて書いたのが「春」であり、一番主要な作品だと思える。

・二葉亭四迷と「平凡」
二葉亭四迷は日本のおけるロシア文学受容の最初の人といってもいい。英文学の夏目漱石、独文学の森鴎外に匹敵する大知識人だといえる。
自伝的作品の「平凡」において、彼は文学に対して大鉈を振るう。さまざまな角度から、文学者や文芸作品を全面的に否定する論議が展開されている。その弾劾は徹底して恐ろしい感さえ受けるほどだ。重要なのは、彼が自分自身への批判、否定とともに、他の文学者たちへの弾劾を深めている点だ。
「平凡」を論じるためには、二葉亭だけでなく、日本の近代文学全体を視野に入れた研究や批評が必要だと思う。彼の文学への弾劾をどう受け止めるかは、なお今後の課題となるだろう。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霜月の巻」-30

  釣柿に屋根ふかれたる片庇  

   豆腐つくりて母の喪に入  野水

次男曰く、雑、豆腐つくるという季はない。「片庇」を見込んだ付には違いなさそうだが、さて「片庇」をどう読んだのかということがわからない。

闌更-ランコウ-の「冬の日句解」に、「片庇の家を喪屋に見替たるか、喪屋古代は殯-もがり-といへり、極て片庇に造るもの也」とあり、「片庇」を服喪に結びつける考はその後も受入れられているが、古代の喪屋-荒城、殯-を片廂に設けたという記録はない。その後、喪屋の意味が墓守ふうに変ってからもそういう文献はないようだ。

野水は、「片庇」つまり片割れと見込んだのではないか。豆腐作りを生業としてささやかに世を渡る、母子二人暮しの一人が欠けた、と読めばよくわかる。豆腐屋が、母親に死なれてみると今更のように豆腐のよさがよくわかった、という孝養心がおのずと現れていればそれでよいと思うが、そういう解はどこにもないようだ。母と子の二人暮しだったのだと気付けば、「豆腐つくりて」はなかなか芸のある素材になる、と。

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December 26, 2008

露おくきつね風やかなしき

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Information-四方館 Dance Café 「五大皆有響」-

―表象の森― 即興における場面の創出

Contemporary DanceとともにImprovisation Danceは、いまやPerformanceやDance Sceneとしては何処でも見られる世にありふれたものとなっているのだろうが、我が四方館の即興- Improvisation Dance –は場面の創出にその力点を置いている点において、世にさまざまあるそれらとは趣を異にするものと私は考えている。

ならば、即興における場面の創出とはどのようにして起こりうるか、と問うてみたところで、そこに明瞭な答えを引き出すことはむずかしく、とても言葉になるものではない。

ただ言いうることは、5分であれ10分であれ、あるいは15分であれ30分であれ、またそれ以上に長い時間を費やす場合においても、Dancerがおのずと動きを紡ぎ出していく流れのなかで、その長短に関わりなく、かならずや新しい場面が生まれ出づる瞬間がやってくるものだ。それがDancerのあらかじめ意図したもの、計算の内にあったものだとしたら、その即興はたいして面白くもないもの、意外性を孕むものではない。

じつは、意外性に満ちた新しい場面が生まれ出づる瞬間が訪れた時、初めてそれまでなにほどもなく経過してきた流れが、Dancerにおいてもそれを観てきた者たちにおいても、共時的に遡行されて、あるまとまりをもった形象世界が、一定の相貌をもったもの世界が、立ち上がってくるのである。

ようするに、新しい場面へと転なる一歩が踏み出された瞬間に、即興世界は全体として初めて、それ以前とそれ以後に分かたれ、対照的であったり対比的であったりする二つの場面が一挙に生まれ出づるのだ。

即興- Improvisation Dance –が表現行為としてなされるかぎりは、この場面の創出がめざされなければならないとするのが、終始一貫私の立つところであり、四方館の即興世界であるが、さて、今宵のDance Café、いかなることになろうか。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霜月の巻」-29

  しづかさに飯台のぞく月の前

   露おくきつね風やかなしき  杜国

次男曰く、「のぞく」の含みを見咎めた付である。人も月も飯台をのぞくよりは月だけにのぞかせ-人は寝にやって-、のぞきの新しい仲間は別に求める、という所作は芸になる。

句は、のぞいた狐の貌が、射し入る月のほかには気配もない食堂-じきどう-から、いっそう念入りに人間の影を消してくれる。何句がいいと前句もよく見える。評家は前句の姿も玄、この句の作も妙と眺めているが、そうではあるまい。

「前句に荒廃の大寺の風情無きにしもあらず。此句はそこへ付けて、覗くの一語を狐に奪ひたり。巣居は風を憂ひ、穴居は雨を悲しむことなるに、風やかなしき例の俳諧にして、老狐の月下に立つは云古したる談なり」-露伴-。「荒廃の大寺」とはかぎらぬがこれは良い、と。

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December 24, 2008

しづかさに飯台のぞく月の前

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Information-四方館 Dance Café 「五大皆有響」-

―表象の森― 近代文学、その人と作品 -7-
吉本隆明「日本近代文学の名作」を読む。

・志賀直哉と「暗夜行路」
なぜ、志賀直哉は大家と言われるのか? その理由は、日本文学には伝統的ともいえる家庭小説を書いていながら、文体が私小説的な情念に陥らないためだ、と言えよう。
この作家は西欧的な教養や知識が自分の欲望の自然さとひとりでに合致しているかのように血肉化している文体で、作品が書けるのだ。
優れた作家だが、彼の文体を形作っているのは、判断力の屈折を生活上必要としなかった出自の無意識だと思える。
祖父と母の過失の結果、生まれた時任謙作が、結婚してから妻の過失に苦しむことになる、その「暗夜行路」の筋の展開は、親と子の葛藤、男女の軋轢など、近代文学の主要なテーマが私小説の規模で、単純な形で示されている。
謙作は作品の最後で、大山の自然によって慰撫され、精神の平衡を得ることになる。人間のエゴとエゴの間に自然が介在して、軋轢を溶かしてゆく。ところで、気になるのは、主人公は、妻が密通したということの何に苦しんだのか、女性は自分に背かないと思っていたのが裏切られた、ということに傷ついたのではないだろうか。
もし、そうでないのなら、妻との葛藤が、今ある形よりも、さらに一段深い形で表されてくるはずではないか。ここから、もう一度、自我が夫婦ともにぶつかり合うところも、深く突き詰められるのではないだろうか。
この小説では、そうなる前に、人間と人間の精神的な葛藤を、自然を介在させることによって溶かしている。

・田山花袋と「田舎教師」
花袋は、日本で初めて旅の概念を近代的に新しくした作家だ。それまで、精神的な動機から旅をした日本人はほとんどいなかったと言ってもいい。西行や芭蕉は、といえば、西行には高野山への寄付を集めるという用件が、芭蕉は各地の俳句愛好者に呼ばれ指導する、といった実際的な目的があって旅をしたとも考えられる。
花袋は、近代の鬱屈から逃れ、精神的な開放感を得るために旅をした。彼の近くにいた北村透谷や島崎藤村、柳田国男たちも花袋から近代的な旅を教わったと言っていい。
似たような意味で、精神的な慰謝を求めて、初めて散歩をしたのは国木田独歩だ。
「田舎教師」における、自然の草や花についての描写は、過剰と言ってもいいほどに細密で詳しい。その過剰さは逆に魅力なのだ、それが独特な叙情を生み、作品の魅力になっていると思える。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霜月の巻」-28

  しづかさに飯台のぞく月の前  

   釣柿に屋根ふかれたる片庇  羽笠

次男曰く、秋四句、釣柿は晩秋の季語、甘干・烏柿-あまぼし-・吊し・白柿・枝柿・ころ柿などとも云うが、「毛吹草」や「増山の井」にはまだ「甘干」しか載せていない。「釣柿」の名が見えるのは「本朝食鑑」-元禄8年-あたりからか。羽笠の句は早い使用例である。

釣柿で屋根を葺くことはない。釣柿と屋根「ふかれたる-葺かれてある-」片廂との取合せと読んでも、下12文字は徒事-ただごと-である。句意は、大切に守るために釣柿に屋根を葺いてやった-ように見える-、としか解きようがない。「ふかれたる」は扱の情を持たせた表現である。景としては片廂に葺いた粗末な家の軒に甘干が吊してあるというだけのことで、先の「水のみくすり」同様くつろぎを持たせた云回しだ。表現の曲を当てたのは住む人の生活の奥ゆかしさを推し測ったからだとも考えられるが、じつは前句の情を汲んだ工夫だろう。

前句は素材と云い語法と云い、中世和歌の一節で、たとえば、
「ふる寺の軒のひはだは草あれてあはれ狐のふしどころかな」-藤原良経-
をかすめて仕立てた、と読んでもわかる。たぶんそうだろう。歌の方がむしろ侘びていて、荒れはてた古寺の軒下ならぬ大寺の食堂に現れた狐がかえって面白く眺められるだろう。

羽笠は、そういう「きつね」の今宵の寝所が気になったから、「釣柿」に奪って軒をさし掛けたのだ。とすると、「片庇」を歌語から借りたというようなこともあるかもしれぬ、と思って調べてみると、
「しづの家はもとは蓮のかたびさしあやめばかりをけふは葺かなむ」-法性寺入道関白-
「山里の柴の片戸のかたびさし徒げに見ゆる仮のやどかな」-常磐井入道太政大臣-
作者は前が藤原忠通、後は西園寺実氏-公任の子-。藤原為家-定家の子-の歌集に、「あな恋しこやの戸いでしかたびさし久しく見ねば面影ぞ立つ」という例もある。
歌はいずれも鳥羽・崇徳時代以後のもので、片廂という歌語は概ね、中世の山里思想の産物と見ておいてよいのだろう、と。

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December 22, 2008

しづかさに飯台のぞく月の前

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Information-四方館 Dance Café 「五大皆有響」-

―四方のたより― 音合せリハ

さすがにMusicianたちが参加しての稽古は、気合いも入り充実して愉しい。
昨日は雨模様で出足こそ少し遅れたものの、踊り手たちと演奏者たちの揃い踏み、26日に向けて出演者全員揃っての音合わせを兼ねた一回こっきりのリハーサルを、午後3時過ぎから約2時間半、みっちりとやれた。

我がDancerたちは12時からの稽古でやや疲れ気味の態だったが、K不在の緊張感もあってのことだろう、引き締まった気分が横溢していたように見受けられた。
その雰囲気や良しだが、個々の踊りのほうは未だしの感。Musicioanたちとの合せ稽古を楽しみにしていたという新参のArisaは、いつもとは打って変わったような積極的な動きを見せていたが、二人の先輩は些か考えすぎかあるいはいつもとは異なる生演奏の音世界に自ずと引き籠もってしまったか、やや精彩に欠けた。

残された23日の稽古で、軌道修正がなるかならぬか…。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霜月の巻」-27

   をるゝはすのみたてる蓮の実  

  しづかさに飯台のぞく月の前  重五

次男曰く、abcdef・badcfeによる六吟歌仙の月花は、e-羽笠-が初折-表の月・裏の花、二ノ折-表の月と、三つの定座に当る。前二つをそのままつとめてきた以上、ここでのゆずりは当然のことだが、引上げて長句とするなら二句前のcの座以外にない。

芭蕉が「をるゝはすのみたてる蓮の実」と、夏作業を秋の風物に奪ったのは月前の配慮からで、単なる季の思付ではなかった。

重五の作りは学寮などもある大寺の蓮池を思寄せ、月下無人の食堂にすべてを語らせようという遣句の趣向だ、と。

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December 21, 2008

をるゝはすのみたてる蓮の実

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Information-四方館 Dance Café 「五大皆有響」-

―四方のたより― 曽爾村の四季

一昨日-19日-の金曜日から市岡13期で2年先輩になる中務敦行氏の写真展が開催されている。会場は本町にある富士フイルムフォトサロン。高校の写真部時代から数えて50年という節目を迎えての初個展ということだ。

昨日の午後、2ヶ月前からブラウン管の寿命が尽きてしまったままリビングに鎮座ましますテレビの買換えもあって、家族三人でミナミへ出かけるついでに立ち寄ってみた。「山頭火」を観に来てくれたお返しも兼ねてのことだ。

同志社の学生時代もカメラクラブに在籍、そして読売新聞大阪本社の写真部へ就職、写真部長も歴任し、退職後もカルチャーセンターの講師や、アマチュアクラブの指導に精を出す市井の風景写真家は、そのカメラワークにおいて彼自身の気質骨柄を髣髴とさせる、風景へのさりげない優しさが伝わってくるような写真展だ。

「遠近-おちこち-の景」と題したその展示は、異例と云えば異例か、個々の写真に小題を掲げず、曽爾村の四季、奈良の風景とか中国・北海道・美瑛とおおまかに括られているのみで、たえず写真と小題を見較べては思案に誘われるなどの煩さもない、その展示スタイルも彼らしい一つの見識であろう。

個展開催に合せて出版されたという写真集「曽爾村の四季」2400円也を購入。まだ慣れぬ手つきで署名押印をするその姿がなんとなく微笑ましく映った。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霜月の巻」-26

  芥子あまの小坊交りに打むれて  

   をるゝはすのみたてる蓮の実  芭蕉

次男曰く、「毛吹草」以下江戸時代の季寄は、蓮の実を晩夏、「蓮の実飛ぶ」を秋に扱っている。ここは、雑二句を隔てて前に夏の句が出ているから、秋への移しとしか考えようがない。句に云う「蓮の実」は実の飛び出る候のさまである。尤も、「をるゝ」と云い「たてる」と云えば、茎のことで実そのものではない。じつは花托のことを云っているのだとわかる。

炭団つく臼と蓮の花托、夏の人情と秋の風物、椀形も似ている。片や粉炭のかたまりが片や黒い小さな実が、それぞれの托飛び散る。これは人情句から季のうまい引き出しようだ。

三句について云えばそうだが、芭蕉は二句を「かごめかごめ」の遊と見立てているのかもしれぬ。この遊の起源がいつごろでどんな形だったのかよくわからないが、江戸時代にはかなり広く行われていた。

「嬉遊笑覧」に「まはりのまはりの小仏は、なぜ背がひくい。おやの日にとと喰つて、それで背がひくい」として採録し、尾張地方にもほとんど同じ形が伝えられている。「中の中の小仏は、なぜ背がひくいの。おやの日に海老喰つて、それで背がひくいの」。句は、実の飛ぶ頃の蓮田の風情に合せて子供の遊戯を付けた、と読んでも通じる、と。

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December 19, 2008

芥子あまの小坊交りに打むれて

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Information-四方館 Dance Café-

―四方のたより― 復調の兆し?

PCの新機入替えからずっとリズムが乱れっぱなしでどうにもいけません。
読書もいっこう進まないし、ブログへの言挙げもままならぬ。
こうまで乱れたには、PCの所為ばかりではなく、他にも理由があるにはあるが、その事について今は触れまい。
特段の体調不良などには見舞われてはいないから、その点ご心配には及ばない。ただゝゞ煩いの種々は往々にして重なりやすい、ということか。

昨日から気楽に読めるかと思って手にした借本の斉藤環著「生き延びるためのラカン」、筆致は高校生向けのレクチャースタイルだが、どうしてなかなかに奥深く、ラカンを惹きつつ現代人の「こころ」のありようを明瞭に語ってくれて、お奨めだ。
このあたりで徐々にペースを取り戻していきたいものだが、はてさて…。

先月はとうとう書き漏らしてしまった「今月の購入本」と「図書館からの借本」は、2ヶ月分をまとめて連ねておく。

―今月の購入本―・松長有慶「理趣経」中公文庫
・廣瀬陽子「コーカサス国際関係の十字路」集英社新書
・亀山郁夫×佐藤優「ロシア闇と魂の国家」文春新書
・塩見鮮一郎「貧民の帝都」文春新書
・小熊英二・姜尚中編「在日一世の記憶」集英社新書
・辻惟雄「奇想の図譜」ちくま学芸文庫
・D.P.ウォーカー「ルネサンスの魔術思想」ちくま学芸文庫
・山根貞男「マキノ雅弘」新潮選書
他に、広河隆一編集「DAYS JAPAN 」11、12月号

―図書館からの借本―
・多田富雄・柳澤桂子「露の身ながら」集英社
・多田富雄・中村雄二郎編「生命-その始まりの様式」誠信書房
・多田富雄「脳の中の能舞台」新潮社
・多田富雄「能の見える風景」藤原書店
・斉藤環「生き延びるためのラカン」パジリコ株式会社
・丹治恒次郎「最後のゴーガン」みすず書房
・末木文美士「他者/死者/私」岩波書店

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霜月の巻」-25

   萱屋まばらに炭団つく臼  

  芥子あまの小坊交りに打むれて  荷兮

次男曰く、其場を付け伸した人情二句だが、「芥子あま」と季の気分を添えたところがさすが巧者だ。芥子あたまは季ではない-芥子の実は晩夏-。てっぺんだけのこして剃上げにする童あたまの風習は男女双方のものだが、句は女童だけがおけしだと云っている-男の子は坊主あたま-。そこも目の付けどころだろう。

松江重頼の作法書「毛吹草」-正保2年刊-に「芥子-の粒-を千に割るごとし-人喰馬にも合口」という世話の付合を載せる。前は微少なもののたとえだが、それも度を越せば無益にひとしい。後は、翻して、手のつけられぬ暴れん坊もウマが合えば従順になるということだ。この「芥子あま」はきっと、悪童どもを手下にして意のままにうごかす小娘に違いない、と想像させるところに笑いの含みがある。「打むれて」と遣ったところも良い、と。

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December 15, 2008

萱屋まばらに炭団つく臼

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-四方のたより-‘08 Good-bye Event

四方館 Dance Café Information
in 弁天町市民学習センター

「五大皆有響」或は、Solo,Solo and Solo 2008

12/26 –FRI- open:PM7:00/見料:\1000

  五大に皆響き有り
  十界に言語を具す
  六塵悉く文字なり

まさに平成戌子は鳴動して世上暗澹たり
はや年も暮れ暮れてかたときの宴
小人といえど一片の氷心
五体五様の物狂い
見事ひとさし舞ってみせうぞ、とや

Dance: 末永純子
    岡林綾
    ありさ
    仮名乞児
    デカルコマリィ
Sound: 大竹徹-viola
    杉谷昌彦-piano
    田中康之-percuss
    松波敦子-voice
Coordinate:林田鉄

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霜月の巻」-24

  ことにてる年の小角豆の花もろし  

   萱屋まばらに炭団つく臼  羽笠

次男曰く、季-小角豆の花-を、俤から景色に奪って付けている。

炭団つくという季語はとくにないが、炭団は概ね、雨の少ない盛夏のうちに作り、炭の粉を布海苔で以て捏ね固める。小角豆の実入りは夏も末にかけてである。

「ことにてる」-「もろし」-「まばらに」と、季節の移りゆきを読取らせるように言葉を取り回した作り巧い。炭団に目を付けたのは小角豆の白い花との対照でもあるだろう、と。

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December 14, 2008

ことにてる年の小角豆の花もろし

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―四方のたより― 80歳の初心

「林田鉄さま
昨夜は、語りの舞台、楽しませて頂きました。
このごろやっと、舞台で自由に存在することの、楽しさと、怖さ(?)が見えてくるようになりました。
そのことと、役が求める“声”があることも‥‥。
かつて“巡礼”の時、耳にした声と、昨夜の声とは、全く異質のものでした。
声も亦、進化し続けることを確かめられたのは、幸せでした。
ありがとうございました。
ではまた‥‥。」

この短かい文は、初日の「山頭火」を観て、明くる日-11/30-の朝、届けられたFAXだ。
末尾に松田と記名したこの御仁は、松田春子という女優さんで、後半生はもっぱら朗読のほうに力を注いでこられている。

文中「巡礼」とあるのは「商船テナシティ」で知られたフランスの劇作家シャルル・ヴィルドラックの作品で、もう昔も昔、神澤師の演出で彼女と競演した懐かしの舞台である。
1965-S40-年の1月だったからもう43年も昔、私はまだ弱冠二十歳、駆け出しの若造だったが、男と女二人の3人だけの一幕物で、私は40歳代の役だったか、田中千禾夫の「父帰る」ではないが、巡礼のごとく長い放浪の旅に出た男が、姉と男の娘の二人きりが住む家へふらりと舞い戻ってくることからはじまる、そんな芝居だった。お春さん-彼女はみんなからそう呼ばれていた-はその姉の役だった。

そのお春さん、たしか神澤師より3つか4つ年上だったから、もう80歳になられたのではないか。そんな超ベテランともいうべき御仁が、「このごろやっと、舞台で自由に存在することの、楽しさと、怖さ(?)が見えてくるように‥」と仰るのだから畏れ入る。

懐かしい人に、遠路わざわざお運び願えたうえ、過分なお言葉を戴いた。うれしいかぎりである。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霜月の巻」-23

   御幸に進む水のみくすり  

  ことにてる年の小角豆の花もろし  野水

小角豆-ササゲ-一般には大角豆と表記、ささぎとも。マメ科の一年草、夏、淡紫色の蝶形花をつけ、秋、莢(さや)を結ぶ。

次男曰く、従者の棒持する姿からササゲを連想し、「小角豆の花」-仲夏-と遣って雑躰の句に季を添わせている。

御幸の途中で小休止をしていると、喉が渇いたと仰ったから、石清水を汲んで差し上げた。野水が読んだ情景の設けは、それだけのことだろう。

その「喉が渇いた」ということばを、「今年の暑さはことにこたえる」、さらに「ササゲの花もしおれる」という暗示的表現に置換え、一方、清水を水の御薬と云えば、従事にも表情が動く。これは、文の芸のと口にする以前に、日常会話の楽しみ方の問題だが、連句の基本もそこにしかない。

故事から離れるに季の会釈-あしらい-を以てした付だが、見どころは炎暑の候の会釈はことばのゆるめよう、緊張のほぐし方にある、と看て取ったところだろう。「水のみくすり」実はただの清水だ、という読みはそこから生まれる。したがって、「水のみくすり」は従者の、「ことにてる」は主人の、暑さの表し方だと考えてよい。共に、ひとふし持たせた表現だ、と。

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December 13, 2008

御幸に進む水のみくすり

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―世間虚仮― 瀬戸内の島々

毎日新聞の本日-12日-付朝刊7面、カラー版いっぱいに瀬戸内の離島マップと題された記事に思わず眼を奪われた。
瀬戸内海に浮かぶ大小727の島々、そのうち人が住む島は150近くだとされ、さらにその中で国の離島振興法の対象地域に指定された島がなんと99にのぼるというのだ。

その島々の所在マップが描かれ、それらの人口事情が島ごとに列記されている。驚くべきは一向に歯止めのかからぬ島々の過疎化と高齢化だ。人口たった2人のみという島が2つ、5人という島もあれば、6人だけという島も2つある。数えあげてみれば人口100人に満たない島々がなんと46もあるのだ。

統計は’05年の国勢調査時、’00年時からの増減数と高齢化率も併せて記されている。人口30人の香川県の志々島は、なんと高齢化率93%とあるから、28人が高齢者ということになる。山口県には17人中15人が高齢者という前島や、14人中12人という笠佐島がある。

過疎化も急ピッチだ。同じ香川県の小手島など、’00年には96人だったのが5年後の’05年には51人にまでなっている。’00年から’05年の間に3割前後の減少を示している島がかなりの数にのぼっており、99の島々の殆どが深刻な人口減少に直面しているのが見て取れるのだが、なかに人口増を示しているのが4島のみ。

変わったところでは愛媛県の赤穂根島、’05年には2人となっており、しかも増減が+2となっているから、以前は無人島であったとみえるこの島に、おそらく夫婦者であろう2人が移り住んできたと云うことになる。

と、瀬戸内の島々の事情が一望できる紙面に、島の暮らしぶりなどさまざま想像を掻き立てられては、しばし釘付けとなってしまった。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霜月の巻」-22

  泥のうへに尾を引鯉を拾ひ得て  

   御幸に進む水のみくすり  重五

次男曰く、先に暁台が「拾ひ得て放す心」と云ったのは、この付にあてはまる。清水に放たれて蘇り王者の風格を取戻した大鯉をそのまま鳳輦-ホウレン-と見立て、霊験あらたかな水-水の御薬-をたてまつる、と作っている。

「続日本記」の霊亀3年9月20日の条には、元正女帝が多度山の美泉に行幸したことを伝え、後の条にその効について詳しく記している。よほどの大瑞だったか、この年の11月17日、霊亀3年は養老元年と改められた。

ここまで説けば前句の仕立に、「荘子-秋水-」篇の故事をからめて霊亀を匂わせた気転も読取れないではない。「尾を途中に曳く」神亀の説話を下に敷いて養老改元の心を詠んだ句、と解しておく。

重五のうまい思付であったか、それとも興の引出しについて連衆の誰かが助け舟を出したか、その辺はわからないが、はじめから杜国の句が「荘子」を下敷にしていると皆が承知していれば付ける楽しみは半減する。

諸注の中では、太田水穂が「神薬の水」とし、改元のことにも説き及んでいる。「前句の、霊亀を俤にした鯉から、美濃の養老滝へ行幸された霊亀の女帝-元正天皇-を現はしてきた‥、この附の神妙さかに驚らかるるのである」-芭蕉連句の根本解説-、と。

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December 11, 2008

泥のうへに尾を引鯉を拾ひ得て

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INFORMATION
林田鉄のひとり語り「うしろすがたの山頭火」

―四方のたより― ありがとうと自画自賛

ある人曰く
「うしろすがたの山頭火…
もはや「この人こそ山頭火である」という風情。
ああ、こういう人だったんだ。
いまそばにいる。
息の音がする、体の熱がわかる。
目に映じたもの、風のにおい、空の色。
それらが、ああそうだったのですか…というふうに、
伝わってきました。
林田先輩による山頭火の解釈から、一個の「山頭火」が立ち現
れて、ひとつの世界が完結されていました。
ぜひぜひ、みなさまご覧になることをおすすめします。
舞台と客席の境界のない空間で、かなり舞台の領域に侵入し、
行儀悪く体育座りで拝見していました。
想像以上に素晴らしかったです。
林田先輩、ありがとうございました。」

また別な人曰く
「『うしろすがたの山頭火』小生も見てきました。
芝居が終わって、出さた清酒『山頭火』の入った紙コップを手にしたら、
どこかで見た人が‥、 JJさんの@24さんでした。
『 林田先輩による山頭火の解釈から、一個の「山頭火」が立ち現 れて、ひとつの世界が完結されていました。』
というようにうまくは表現できませんが、
私からも 、『 ぜひぜひ、みなさまご覧になることをおすすめします。』
ほとんどがセリフによる表現なのですが、最後のフリも大変印象的でした。
カメラマンである私の視覚からみても、いいなあ、と唸りました。
九条にああいう場所があるというのも新発見ですね。
林田さんありがとう。」

じつは昨夜は最悪のコンデイシヨンであった。
その前夜は2時間ほどウトウトとしたきり、その前は4時間足らずの睡眠、こんなことでは喉によかろう筈もない。

私の声帯は、奇形もゆくところまでいって、もうボロボロである。
そんな喉の状態とはうらはらに、この頃になってようやく、自称「即妙枯淡」の語り、融通無碍の芸の域に達しつつあると自負できるようになったのも皮肉なことだが、まあ万事そんなものかと思う。

演者としての私自身、野に咲く一輪の名もない草にすぎないけれど、近頃は稽古をしていても、自在に、闊達に、もの言い、また動けるようになっているのを覚えるようになっている。
たとえどんな高名な俳優が山頭火を演じたとしても、それに負けぬだけの自負も、いまはもてるようになった。

などと、これを綴っていたのは11月30日の朝であった。
書き留めたもののBlogへupする暇もなく、二日目の舞台を務めるため、こんどの芝居小舎たるMulasiaへと出かけたのだった。舞台の出来は、初日よりもさらに自在境に遊べたようで自身納得のいくものであったと思う。芝居がはねた後の客たちとの酒宴はまことに快く愉しいひとときであった。今は懐かしの九条新道、その道筋の和食の店で遅い食事を摂って帰宅したのは午後11時頃であったろう。

その疲れ切った身体を一息休めてからパソコンに向かったのだが、どうしたことか立ち上がらない、ウンともスンともまるで反応がないのである。
とうとうその夜は諦めてゴロリと横になったが、翌朝になってもPC不調は治まらない。カスタマーサービスに電話などしては、機械内部を触ってみたりと、悪戦苦闘すれど一向駄目である。まだまる2年が過ぎたばかりだというのに、このざまはなんとも情けないが、名もなきメーカーのオリジナルパソコン、どだいMotherboard自体たいした代物じゃない。まして我が使用環境は負荷のかかるずいぶん酷いものであろうから、さらに寿命を縮めたか。

仕方なく新機を求めたが、休眠すること十日余、この間PCのみならず身辺色々あって疲労困憊の体だったが、ようやく本日Blogに復帰、無事生還というわけだ。
今日の連句「泥のうへに尾を引鯉を拾ひ得て」のごとく「鯉を拾ひ得て」となるのであれば万事めでたしなのだが‥。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霜月の巻」-21

   乞食の蓑をもらふしのゝめ  

  泥のうへに尾を引鯉を拾ひ得て  荷兮

次男曰く、陰の極ゆえ陽転の兆しを「しのゝめ」含ませた荷兮の注文を承けて、泥中に思いがけぬ鯉を拾うと作った、瑞祥の趣向である。

とくに巧拙を云うべき句ではないが、前に「乞食の蓑」とあればさっそく奪って己の用とし「泥のうへに」「尾を引」と大鯉魚らしく匂わせたあたり、「しのゝめ」の心をよくつかんでいる。

露伴は「前句を奪ひて転じて附けたり。乞食の蓑に拾得たる鯉を裏-つつ-みて持つとなり。尾を曳く亀は荘子に出づ。寧ろ死して骨を留めて而して貴きを為さんか、寧ろ其れ生きて尾を泥の中に曳かん乎、とあり。それを尾を曳く鯉と作りたるは、例の諧謔なり」と云う。

「荘子-秋水篇-」に見える神亀の説話は升六の「注解」にはじまり、樋口功や太田水穂、天野晴山なども拠所としている。二句一意で大愚大悟の境涯の如くとも読めなくはないが、この杜国の句は面影を云々するほど特徴のある用辞を設けてはいない。次句が見込んで用いればむしろ面白かろう、という性質の寓言である、と。

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