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June 15, 2008

里見え初て午の貝ふく

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<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「鳶の羽の巻」-10

  何事も無言の内はしづかなり  

   里見え初て午の貝ふく   芭蕉

次男曰く、無言といえば山伏の行、山伏といえば吉野の大峰入と見定めた付だろう。

その大峰修験のなかでもとりわけ大事で名誉とされてきたのが、笙の窟の冬籠りである。重陽の節句-9月9日-から、上巳の節句-3月3日-まで、半年にわたる長行を古式とする。

僧正行尊の、大峰の笙の岩屋にてよめる
「草の庵なに露けしと思ひけん洩らぬ岩屋も袖は濡れけり」-金葉集-

日蔵上人の、御岳の笙の岩屋に籠りてよめる
「寂莫の苔の岩戸のしづけきに涙の雨のふらぬ日ぞなき」-新古今集-

前は伝西行の「選集抄」にも、「香は禅心よりして、火なきに煙たえず、花は合掌にひらけて、春にもよらずして三年を送る」云々として見える歌である。白川法皇・鳥羽・崇徳両天皇の護持僧となった天台座主が、三年のあいだ、籠ったというのは笙の窟だけではなかった。熊野と金峰山の真中あたりに位置する深仙-神仙-の堂にも籠っている。

十二支の巡は巳の次は午だ、という俳諧師らしい思付が、正午を告げる興を誘ったようだ。「里見え初-そめ-て」とは上巳出峰の云回しだろう。修験とかぎらず、山歩きで里が見え初めるのは頂上に出たときで、下りではないが、「午の貝ふく」の気分はそこにも体験的に響いている。

諸注いずれも下山の心にのみ急で、静から動へ移る活気が奈辺にあるか、まったく触れ得ていないようだ、と。

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