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March 31, 2008

捨し子は柴苅長にのびつらん

Db070510090

―表象の森― 前向きか、後ろ向きか

3月も末日、先日卒園式を迎えたK女は、保育園のこととてその後も連日通い、自転車で送り迎えをしてきたのだが、それも今日で最後、長年お世話になった保母さんたちや一緒に遊んできた仲間たちとお別れの日だ。
「何時に、お迎え行こうか?」と声をかけると、
間髪入れず「7時!」と答えが返ってきた。
子ども心に名残が尽きないのか、保育園に居られる時間はギリギリ目一杯みんなと一緒に居たいらしい。
その小さな胸が熱くなっているのが傍らの私にも微かに感じられた。
そりゃそうだろう、6年も毎日遊び馴染んできた世界だもの、その脳裏にはさぞ愉しかった記憶がいっぱいに詰まっている筈で、なにやらザワザワ、心落ち着かぬ様子がありありと見て取れた。

「前向きか、後ろ向きか」とはサルとヒトの出産の違いのことだ。
別冊日経サイエンス№151「人間性の進化」を読んでいると、進化の過程のなかで、なぜヒトだけが他の多くの霊長類とは違って、特異な形で胎児が母体から出てくるようになったか教えてくれている。

サルの胎児は母親の骨盤と尾骨で囲まれた広い後部に幅広い後頭部を押し当て、頭から先に産道に入り、そのまま母体と向き合う形で出てくる。
サルは後ろ脚でしゃがむか、四つん這いで出産する。子どもが出てくると、母親は手を伸ばして産道から出てくるのを助けてやり、自分の乳首へと導いてやれる。サルの新生児は、ヒトの場合ほど未熟児ではないから、力も強く、いったん手が外に出たら、母親の身体にしっかりと掴まり、自分で産道から出てこられる。

ヒトの出産も、サルと同様、母体に向き合う形で出てくるとすれば、分娩時の介助も要らず、母親の苦労や胎児の危険も大いに少なくてすむのだろうが、二足直立歩行と脳の肥大化の代償として、後ろ向き-母体と反対の向き-で出てくるという出産を余儀なくされてきた。

二足直立歩行はヒトの骨盤口を捻れさせ、胎児の出てくる産道を複雑にさせた。大きな脳を持つようになったヒトの胎児は、頭と肩を産道内で回旋させる必要があり、母体とは逆向き-後ろ向き-に生まれてくるようになった。

大きな脳をもつ胎児、直立歩行に適応した骨盤、胎児が母体に対し後ろ向きに生まれてくる回旋分娩という、ヒトの出産における三重苦は、他者の介助がなければ胎児にとっても母体にとってもきわめて危険のともなう難事となってしまった。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霽の巻」-23

   庄屋のまつをよみて送りぬ   

  捨し子は柴苅長にのびつらん   野水

捨-すて-し、柴苅-しばかる-長-タケ-に

次男曰く、訳あって捨てた子が、拾われて今では庄屋の許に養われている、ということを内容とした相対-あいたい-の付である。話としてはつまらぬが、父親の俤は家康の父松平広忠だろうと考えれば、この捻りもわるくない。

諸注は成行上、「左辺の匂」付-秘注-、「起情の附也。他のことぶきによみ送りたる松の狂歌より、ふと吾子の事を思ひ出たるなるべし」-升六-、「前句を遠き境より庄屋が家の老松を詠じて贈りたると見て、其歌を贈りし人の心の中の想を叙べしなり。‥旧家の老松といふによりて案じたるなるべけれど、たゞにそれのみならず歌といふところに深くくひ入りて、一句の姿を映りよく作り出したれば、再三吟誦するに、其人其事其情、目前に髣髴として現れ、そゞろに人をして堕涙せしむるに足る」-露伴-というような解になる。いずれも二句同一人と読んでいる、と。

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March 30, 2008

庄屋のまつをよみて送りぬ

Db070509t117

―表象の森― 生命の非平衡性、創発性 

寒の戻りか、思いのほか冷え込んだ朝。車を検査受けに出しているため、地下鉄で稽古へと出かける。
外へ出たらポツリポツリとしのつく雨、傘を持たずに飛び出したのを悔やんでみたがもう遅い。ままよ長くは降るまいと高をくくったのが運の尽き。夕方近くなっても雨はやむどころか、かえって本降りの体。
ふだん車で通うものだから、空模様に頓着しない習性がついてしまって、こんな抜かりをしてしまうのだ。

<A thinking reed> S.カウフマン「自己組織化と進化の論理」より

生命の法則‥‥。「創発理論」の探求

予測の不可能性-
第一の根拠は、原子より小さな世界における基本的な非決定性を保証している量子力学である。
この非決定性は巨視的な結果に影響を与える-たとえば、ランダムな量子的事象はDNA分子における突然変異を引き起こすことができる-ために、すべての分子や超分子の事象に関して、詳細な特定の予測をすることは基本的に不可能である。

第二の根拠は、カオス理論。
いわゆるバタフライ効果を考えれば理解できる-カオス的な系においては、いかなる小さな変化も、大きく増幅された効果をもちうるし、実際にそれが普通なのだ。

生物は単純でランダムな系ではない。ほぼ40億年かけて進化してきた、高度に複雑で不均一な系なのである。たとえば、受精卵が成体へと成長する個体発生は、体内の各細胞内における遺伝子とその生成物のネットワークによってコントロールされている。

もしこの発達が、ネットワークのあらゆる状況に依存しているとしたら、生物の秩序を理解するには、これらすべてを詳細に知らなければならないが、成長の際にみられる秩序の多くは、相互作用し合う遺伝子のネットワークがたがいにどのように関連しているかと無関係に生ずる。

こうした秩序は強靱であり、創発的であり、自発的な構造が集団的に結晶化した構造といえる。そしてその秩序の起源や性質が、個々の詳細とは独立に説明されることが期待できるのである。

自然淘汰は、この自発的に生じた秩序に対して働きかけを行うに過ぎない。

宇宙が進化するのは、究極的には、宇宙が平衡状態にないことの自然な現れではないのか。
150億年前のビッグバンの閃光によって生み出された宇宙は、現在も膨張し続けており、おそらくビッグクランチへと再び収斂することはないだろうと言われている。

宇宙は非平衡状態にあり、最も安定的な原子である鉄よりも、水素原子やヘリウム原子のほうが過剰に存在している。何も形成されない可能性もあったのに、実際はさまざまなスケールの銀河や銀河団が存在している。また、宇宙には、仕事を行うために用いることのできる非常に豊富な自由エネルギーが存在している。

われわれのまわりの生命は、おそらく、形のある物質と自由エネルギーが結合したことの、当然の帰結であったに違いない。

秩序が生まれる際の二つの代表的な形式-
その一つは、低いエネルギーをもつ平衡状態である。
ウィルスは、核を形成する繊維状のDNAあるいはRNAからなる複雑な分子システムである。核のまわりには繊維状の尾や頭部構造、その他の特徴を形成するためにさまざまなタンパク質が集まっている。水に富んだ適当な環境下では、DNAやRNAの分子と構成要素のタンパク質が、ちょうど鉢の中のボールのように最もエネルギーの低い状態を探し、自発的に集合することによってウィルス粒子が作られる。
一度ウィルス粒子が作られると、維持するのにそれ以上のエネルギーは必要ない。

二番目の形式では、秩序化された構造を維持するために、質量あるいはエネルギー、またはその両方の供給源が必要となる。これらは鉢の中のボールとは異なり、非平衡状態における構造である。
浴槽の中の渦巻が、水が連続的に供給され、排水管が開いたままになっていれば、この非平衡の渦は長い間安定に存在できる。

このように維持された非平衡の構造の例で、最も驚くべきものが木星の大赤斑だろう。大赤斑は、あの巨大な惑星の大気の上層部にできた渦巻であり、その寿命は一つの気体分子の平均的な時間よりも遙かに長いもので、物質とエネルギーの安定な組織であり、物質もエネルギーもその中を流れていく。

構成要素である分子が、一生のうちで何度も交換される人間の組織は、これと類似の性質をもつと見做しうる。

大赤斑のような非平衡状態における秩序は、物質とエネルギーが継続的に散逸することによって維持される。

散逸構造は、平衡状態にある熱力学的な系とは、まったく対照的である。
この構造では、系の物質とエネルギーの流動が、秩序を生み出す推進力となっている。

自由な生活を営む生物システムは散逸構造になっており、物質代謝を行う複雑な渦巻である。
ウィルスは自由生活を営む存在ではない。複製を作るためには、細胞を侵略しなければならない寄生者である。

細胞は低エネルギー状態の構造ではない。複雑な化学物質のシステムとして活気にあふれており、内部構造を維持したり複製したりするために、持続的に物質代謝している。
細胞は非平衡状態で生じた散逸構造なのである。ほとんどの細胞にとって、平衡状態は死を意味する。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霽の巻」-22

  おかざきや矢矧の橋のながきかな  

   庄屋のまつをよみて送りぬ    荷兮

次男曰く、景から情を引出した、其人の付。
「たちわかれいなばの山の峰に生ふるまつとしきかばいま帰りこむ」-古今・離別-、ご存じ「百人一首」の在原行平の歌だが、これり捩-もじ-りだろう。

因幡山-歌枕-を「庄屋」に読替えればよい。むろん「まつ」は松、待つの掛である。この付句によって、その名も松平家康の望郷の謎かけは愈-いよいよ-はっきりする。「庄屋」はさしずめ今川義元と読めばよい。

「庄屋の松-待つ-」にひとしい身は、岡崎からも、待つという便りが届くのを首を長くして待っている、というのである。
「まつ-松、まつ、松平-」は、尾張藩の根をたどって思付いた軽口だ。

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March 29, 2008

おかざきや矢矧の橋のながきかな

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―世間虚仮― A.ネグリの来日中止

この20日には来日して、昨日は京都大学で、今日29日は東京大学でのシンポジウムや東京芸大で歓迎イベントなどが催される筈だった「帝国」や「マルチチュード」の著者A.ネグリ氏らの来日が、外務省と法務省入国管理局の演じたドタバタ劇で直前にして中止された、という。

抑もこの来日は財団法人国際文化会館による招聘で半年ほど前から予定されていた。EC加盟国の外国人が報酬の伴わぬ形で来日する場合には入国査証は必要ないということだったが、直前の17日になって査証申請が要求された。

その根拠となったのが入国管理法第5条4項「上陸の拒否」-1年以上の懲役もしくは禁固またはこれらに相当する刑に処せられたことのある者は本邦に上陸することができない-だそうだ。たしかに彼は政治犯として祖国イタリアで刑に服した前歴がある。ところでこの第5条4項には「政治犯罪により刑に処せられた者は、この限りではない」という但し書きがあり、政治犯には「特別上陸許可」が認めれる。これを根拠に入国管理局はネグリ氏に対し「政治犯」であった「書類上の根拠」を示せと要求したらしい、彼が政治犯として服役したというのはあまねく周知のことだろうにだ。03年の釈放以来フランスに在住する彼に直ちに「書類上の根拠」を示せる筈もない。急遽来日は断念せざるを得なくなったというわけである。

以下は「日本の友人たちへの手紙」と題し、財団法人国際文化会館に寄せられたたネグリ氏らからの一文抜粋。

まったく予期せぬ一連の事態が出来し、私たちは訪日をあきらめざるを得なくなりました。この訪日にどれほどの喜びを覚えていたことか! 活発な討論、知的な出会い、さまざまな交流と協働に、すでに思いをめぐらせていました。
およそ半年前、私たちは国際文化会館の多大な助力を得て、次のように知りました。EU加盟国市民は日本への入国に際し、賃金が発生しないかぎり査証を申請する必要はない、と。用心のため、私たちは在仏日本大使館にも問い合わせましたが、なんら問題はありませんでしたし、完璧でした。

ところが2日前の3月17日(月)、私たちは予期に反して査証申請を求められたのです。査証に関する規則変更があったわけではないにもかかわらずです。私たちはパリの日本大使館に急行し、書類に必要事項をすべて記入し、一式書類(招聘状、イベントプログラム、飛行機チケット)も提示しました。すると翌18日、私たちは1970年代以降のトニの政治的過去と法的地位に関する記録をそれに加えて提出するよう求められたのです。これは遠い昔に遡る膨大な量のイタリア語書類であり、もちろん私たちの手元にもありません。そして、この5年間にトニが訪れた22カ国のどこも、そんな書類を求めたことはありませんでした。

飛行機は、今朝パリを飛び立ち、私たちはパリに残りました。

   2008年3月19日 パリにて。
       ジュディット・ルヴェル/アントニオ・ネグリ

文中にあるように釈放後の5年の間に22カ国を訪れているというそのなかには中国や韓国も含まれていると聞く。グローバル化した世界で知識人・文化人たちの交流を阻む此の国の壁はかほどに厚く高いとあらためて思い知らされ暗澹とさせられる。

予定されたシンポジウムでパネリストとして参加する筈だった東大の姜尚中ら19人の関係諸氏が24日付で、「来日直前にビザ申請などを要求したのは事実上の入国拒否であり、自由の侵害だ」として抗議声明を出した、というのも無理からぬ話だ。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霽の巻」-21

   真昼の馬のねぶたがほ也   

  おかざきや矢矧の橋のながきかな  杜国

矢矧-やはぎ-

次男曰く、前を日永もきわまると見た、場の付である。「矢矧の橋」は東海道岡崎の西、矢作川の架橋で長さ208間、扶桑第一の長橋とされた。平句とはいえ、初五に「-や」と遣い句留を「かな」と作るなど平句の作法に反するが、それほど長さをもてあます情を誇張し滑稽化して連衆に伝えたかったか。

因みに岡崎は家康の祖父松平清康が居城を構えてより三代、徳川氏発祥の地である。6歳で今川氏の人質となった家康が晴れて岡崎城に戻れたのは14年後、義元の桶狭間敗死によってだった。尾張衆がこういう句を詠んで、神君家康の若き日の望郷の念を含ませぬはずがない。

「やとかなを重用してその如何にも長々しき気分を出せる手段巧を極め、特にながきかなのかなが取って付しように不随にぶら下れるが半ば眠り居る気分によくうつりてまことに妙なり」-樋口功-、と。

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March 28, 2008

真昼の馬のねぶたがほ也

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―表象の森― 自然淘汰と自己組織化

このところの陽気で桜前線は一気に北上しているそうな。
昨日、一昨日と、K女の通うピアノ教室の送り迎えに自転車を走らせたが、ちらほらと開花した桜木が不意に眼に飛び込んできては、もうそんな時期かとちょっぴり面喰らったものである。
季節の移ろいはまことに無常にして迅速、無粋者の私などはほのかに忍び寄る気配などほとんど察知していないから、いつも突然の嘱目となって驚かされる羽目となる。
さて今年は宇陀の又兵衛桜でも見に出かけてみようか。

<A thinking reed> S.カウフマン「自己組織化と進化の論理」より

「自己組織化と自然淘汰が生物世界の秩序を生んだ」

ダーウィン以前には、合理主義的形態学者と呼ばれる人々が、種は、ランダムな突然変異と淘汰の結果なんぞではなく、時間の概念を含まない形に関する法則の結果であるという考え方に満足していた。

18世紀、あるいは19世紀において最も優れた生物学者たちは、生き物のもつ形態を比較し、いまも残るリンネの分類学に基づいた階層的なグループにそれらを分類した。

ダーウィンの進化論-ランダムに突然変異したものに作用する自然淘汰説
「進化とは、翼を得た偶然である」-ジャック・モノー
「進化とは、がらくたを寄せ集めて下手にいじくりまわすことである」-フランソワ・ジャコブ

ここには、偶然の出来事、歴史的偶発、除去によるデザイン設計といった概念が含まれている。
深遠な秩序が、大きな、複雑な、そして明らかに乱雑な系で発見されている。
このような創発的な秩序が、生命の起源の背後に存在するばかりではなく、今日生物でみられる多くの秩序の背後にも存在するのではないか。

自然界の秩序の多くは、複雑さの法則により、自発的に形成されたもの-自己組織化-である。
自然淘汰がさらに形を整えて洗練させるという役割を果たすのは、もっとあとになってからのことなのだ。
自己組織化と自然淘汰をともに包含する枠組み-自発的に秩序が生じ、自然淘汰がそれを念入りに作り上げる。
生命とその進化はつねに、自発的秩序と自然淘汰がたがいに受け入れあうことによって成り立ってきたのである。

「創世記‥‥」

19世紀に生まれた二つの系統の概念が合流し、その結果、星が渦巻くこの世界において、われわれは孤立した偶然の存在であるという観念が完成したといえる。

二つの系統とは、一つはダーウィンの理論であり、もう一つはS.カルノーやR.ボルツマン、J.W.ギブスらが構築した熱力学・統計力学である。後者は、一見神秘的な熱力学第二法則-エントロピーの法則-を提供した。

物質代謝や生殖の能力があること、進化できることなどを、われわれは生きている状態に特有の性質と考えている。たがいに相互作用し合い、これらの性質を示すのに十分なほど複雑な初期の分子集団から進化したものの中で、細胞は最も成功を収めたものであるにちがいない。

その一方で、細胞の形成以前に生じた生命体の起源も、まだ生物が存在しなかった世界の化学進化において、最も成功したものである。原子の地球におけるガス雲の中にあった限られた種類の分子から、生命、すなわち自己複製能力のある分子系へとつながっていく、多様な化学物質が作られた。

30億年-地球の年齢の大部分に相当する年月、単細胞生物という生命形態だけが存続した。
8億年ほど前、多細胞生物が出現した。
およそ5億5000万年前、カンブリア紀の「生物種の大爆発」-生物の主要な門のほとんどすべてが、この進化の創造の爆発で作り出された。
2億4500万年前の二畳紀における絶滅の危機-すべての種のうち96%が消えてしまったが、その反動期、多くの新しい種が進化した。

カンブリア紀の上から下へという進化の爆発の方向性と、二畳紀の下から上へと種の多様化が進んだ、その非対称性の不思議。

「最適化」問題-爆発的な多様な種の誕生と絶滅のパターン、生態系と時間の双方にまたがる雪崩的現象は、自己組織的であり、集団的創発現象であり、複雑さの法則の自然な現れであるようにみえる。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霽の巻」-20

  うれしげに囀る雲雀ちりちりと  

   真昼の馬のねぶたがほ也    野水

次男曰く、さえずるヒバリは揚雲雀、眠たげな貌の馬は俯き。時刻を見定め、春昼気分にも自ずと上下の別があると対にして付けている。二句一章の遣句と云ってよいが、只打添うて取出しているわけけではない。「-馬も-」と作らなかった所以だ。

ヒバリが空でさえずるのも自然の営みなら、春昼それをよそに馬が眠たげにうつむくのも自然の営み、馬耳東風とはまさにこれだわい、と眺めやっている。滑稽のたねに李白の詩句から出た格言を含ませたところがみそだ。

「前句の長閑を眠る馬也、余情に人あり」-秘注-、「東海道を春の好き日に旅するがごとき心地す」-露伴-、「真に暖和の光景を描き尽して居る」-穎原退蔵-などと云っても解にはならぬ、と。

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March 27, 2008

うれしげに囀る雲雀ちりちりと

Db070509t083

―世間虚仮― 道路特別財源から省職員の人件費

今日の朝刊、
道路特定財源の一般化をめぐって紛糾、国会は膠着状態のまま、いよいよガソリン税など暫定税率の期限切れを迎えそうだが、そんな渦中に、問題の財源を原資とする道路特会-道路整備特別会計-から関係省職員の人件費に充当されていた額が創設当初より49年間で2.3兆円にのぼる、との報道。
この措置が特別会計法に照らして問題はない、合法だ、と国交省は曰っているのだから、まこと官僚の論理とはわれわれ無辜の民の論理とかけ離れているものだと驚き入る。
現国交省に属する職員約4万人の、その2割に相当する約8000人分の人件費で、06年度で約680億円の支出だともいう。

成程こんな構造だから、頑ななまでに一般財源化を拒絶するのも無理はない、まるで省益の守護神の如く答弁に立つ冬柴国交相の渋面のこわばった表情がまざまざと思い出されもする。
だが、今頃になってこんな事実が表沙汰になるというのは、評論家やマスコミも含め、一体どういう事なのだろう。長年、行革やら財政改革が叫ばれつづけてきたなかで、こんなことは評家諸氏、政治部や国会詰めの記者なら百も承知のことでなければなるまいと思うのだが、本当にこれまで知らなかったとすれば、日々一体なにを追っかけてきたのだろうか、まこと不可解なことこのうえない。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霽の巻」-19

   五形菫の畠六反      

  うれしげに囀る雲雀ちりちりと  芭蕉

囀-さえず-る、雲雀-ひばり-

次男曰く、二-名残-ノ折入。執筆の正平が実は亭主-重五-の仮の名だとすれば、「五形菫の畠六反」はいっそう興に乗せて読めるだろう。たぶんそうだったらしい、と思わせる芭蕉の作りである。雲雀揚るうらうらとした景を句の表にして、和気藹々とした一座の情を裏に含ませている。

   仏喰たる魚解きけり      芭蕉
  県ふるはな見次郎と仰がれて   重五
   五形菫の畠六反        杜国
  うれしげに囀る雲雀ちりちりと  芭蕉

というはこびは、偶々五吟の順の定法に従ってそうなったまでだが、一巻の見どころを成す。
とりわけ花の綴じ目-初折の折端-に機転の妙手が出ただけにこの移りはいっそう効果的で、芭蕉は重五・杜国の付合に上々機嫌と見える。

諸注、「註に及ばず、其場なり」-秘注-、「五形菫の咲揃ふ野づらの暖なる気色を附たり」-升六-、
「前句をよく味わへば、此句は解を須たずして詩趣現前すべし」-露伴-、
「前句の景気に付しまでにて別意なく、解くまでもなし」-樋口功-、
「前に大魚の奇警に人を驚かした芭蕉は、ここではただ軽い捌きを見せて居る」-穎原退蔵-
などと云うが、果たしてそうか、と。

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March 26, 2008

五形菫の畠六反

Db070510127

―表象の森― 金子光晴の未発表詩集

太平洋戦争末期、金子光晴が妻の森三千代と息子の乾とともに疎開し、山梨県の山中湖畔で暮らしていた1944(S19)年12月からの1年数ヶ月の間に、親子三人でたがいに綴った私家版の詩集が、昨年の夏、東京の古書市で発見され、このほど未発表詩集「三人」として講談社から刊行された、と毎日新聞の夕刊(昨日)が紹介していた。

  父とチャコとボコは
  三つの点だ。
  この三点を通る円で
  三人は一緒にあそぶ。」
    -略-
  三点はどんなに離れてゐても
  やがてめぐりあふ。
  三人はどれほどちがってゐても
  それゆえにこそ、わかりあふ。

チャコは妻の三千代、ボコは息子乾の愛称で、互いにそう呼び合っていたらしい。
この疎開暮しのさなか、息子へ二度目の召集令状が届いて、徴兵忌避のため金子が苦心惨憺奔走する話を思い出したが、詩に表れた溺愛とも云いうるような家族への拘りと執着が、戦時下という暗い狂奔の時代と対置されたとき、
抵抗の人金子光晴の相貌がきわだって立ち顕れてくるような気がする。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霽の巻」-18

  県ふるはな見次郎と仰がれて 

   五形菫の畠六反      杜国

五形-ゲンゲ-菫-スミレ-の畠-ハタケ-六反-ロクタン-

次男曰く、折端-おりはし-で、花見次郎其人のあしらいである。会釈-あしらい-付は下手に使うと三句がらみになり屋上屋を架するだけだが、正客-発句、杜国-の亭主-脇、重五-に対する、合せて芭蕉に対する二重のねぎらいがここでの作分だと気付けば、「五形」「六反」の思付は卓抜な気転だとわかる。

あるじが花見次郎と仰がれる御仁ともなれば、五人で蓮華草を摘む遊に六反の畠を提供してくださる、と読めばよい。ゲンゲが緑肥・飼料として盛んに栽培されるようになったのは江戸時代になってからである。

五吟による歌仙は-三十六句-は七巡と一句余る。通例、初折の表六句目に執筆の座を設けるが、いずれにせよ五吟の歌仙には六名の参加を必要とする。単なる数字の序列だけで五を六につないでいるわけではない。当句の趣向は絶妙の思付だと合点がゆくだろう。

ゲンゲは仲乃至晩春の季、今の歳時記では「紫雲英」として掲げ、「五形花-ゲゲバナ-」、「蓮華草」を傍題とする。五形のゲンゲは本草書や辞書には見えず、固有の方言でもない。これまた先の霽-シグレ-と同じ新在家文字と見做してよかろうが、いろいろ調べてみても杜国に先立って遣われた例が見つからない。どうやら「五形」は五人を云わんがために、芭蕉の「霽」にあやかって思付いた杜国らしい作り字の工夫だったらしい、と。

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March 24, 2008

県ふるはな見次郎と仰がれて

Sotuensiki

―世間虚仮― 凝り型の卒園式

生後6ヶ月から丸6年ものあいだ毎日通い続けた保育園の、今日はハレの卒園式だった。
この日をともに迎えた同級の園児たちは39名、定員120名で0歳児から年長組の5歳児までが洩れなく通うこの園で39名というのは、例年になく多い園児が巣立つことになる。

それにしても園を挙げての一大セレモニーであった。
縦割り保育という特徴と玄米食や有機野菜を主体に乳幼児の食育に格別の配慮をした独自な保育方式に強い理念性を込めた園長自身の、園児たちの胸にしっかりと刻み込まれる日となることを、幼な心にも記憶に残るセレモニーをとの思い入れが随所にあらわれた、卒園児たちの入場から始まって最後の記念撮影が終るまで3時間半にも及ぶ長丁場のもので、さすがの私も畏れ入るほどの凝り様の演出であった。

園長自ら一人一人に修了証を手渡す授与式。
一人ずつ名前が呼ばれ演壇に立つと会場はその都度暗転となって、その子の園生活での想い出のショットが4葉、コマ送りでスクリーンに映し出される。スライドと同時進行で、その子について、ああだったネ、こうだったネ、と短いコメントが進行役の保母さんの口から語られる。その間30秒ほどか。と演壇はすぐにも明かりが灯され、名前、生年月日を園長自身に読み上げられ、向かい合った園長から子どもへと修了証が手渡されるのだが、これでまだ終らない。さらに園長は小声で子どもになにやら二言三言話しかける。その内容は離れた父母の席までは聞こえてこない。その子どもとの園長流の私的な交わり、秘密の会話なのだ。そうしておいて二人はいかにも仲間同士なんだとばかりハイタッチをして、子どもは回れ右、演壇を去り際にもう一度立ち止まって、「ぼくはポケットモンスターの??になりたいです」とか「わたしはケーキやさんになりたいです」とか、客席の父母たちに向かって思い思いの宣言をして立ち去るといった段取りで、やっと一丁あがりなのである。

こんな調子だから、一人の名が呼ばれ次の子が呼ばれるまでにほぼ3分弱はかかったろうか、39人の園児すべてが一巡するまで2時間近くを要する始末で、いくらなんでもこの趣向は些か凝りすぎの演出だろう。

可哀相だったのは、残る園児たちの代表としてこの式に付き合わされた年中組の20名ばかりの子どもたちだ。彼らの出番はたった一ヶ所、このあとに輪唱した送る歌のみで、そのために延々と長い時間、固い木の椅子に座らされてつづけていたのだから。
狭い会場の両サイドにずっと立ちん坊だった20数名の保母さんたちにとってもかなりの苦行だったにちがいないが、彼らにとっては長い日々の労苦の末に迎えたけじめのハレの日とあれば、さまざまに想いもよぎるとみえ、最後に演壇に上がって保母さんたち全員でこれまた別の送る歌を輪唱したときには、それぞれみな感極まった様子で、セレモニーは大団円のクライマックスを迎えていた。

そして屋外に出て春うらら蒼天の下で出席者全員の集合写真、さらには一人一人の子と親と園長とで記念撮影と順番を待つことしきり、これにおよそ30分近くは要したか。
9持30分に始まってもうとっくに昼時だが、ここまでやるともう果てしがない。親たちも子どもそれぞれにゆかりの保母さんたち一人一人と想い出の記念写真をと次々に撮りまくるといった光景が続いて、やっと三々五々帰りゆく。

まあ、なんとも驚きの卒園式、ハレの半日だったこと、わが家では一回こっきり、これっきりのことゆえ、バカバカしいとシラけきる訳にもいかず、ほのかな感懐とともに過剰さゆえの倦怠がないまぜになった奇妙な気分が漂う。

園長坂下喜佐久氏は、兵庫県教育大学大学院を修了、社会福祉法人喜和保育事業会理事長、傍らPL学園女子短期大学教授を務めるという。昭和52年に大阪市南港ポートタウンにて「きのみ保育園」を開園、手作りの日本食の給食を提供し続けている。また今年で開園12年の姉妹園「きのみむすび保育園」は大阪で数少ない年中無休の保育園として地域に無くてはならない存在となっている、と。

保育のあり方、園の運営の仕方は、中小の企業同様に、良きにつけ悪しきにつけその経営者、中心となる人物の刻印を色濃く帯びているということを、ここでもまたつくづく痛感。しかしことが保育や教育といった現場であればこそ、個人の影を帯びた独善の弊に対して、つねに当事者は敏感でなければなるまいが、権威というわけの判らぬ付加価値が却ってこれを野放しにしがちなものだ。

前夜いつもより遅い就寝についたK-幼な児-はやはり少しばかり昂ぶっていたのか、朝食のあと食べたものをすっかり吐いてしまっていた。そんなことがあったから、この長丁場の進行に無事付き合いきれるのかと心配されたのだが、成長というものは体力も気力も伴うもので、昂ぶりは昂ぶりのままにこのハレの長い時間を享受しきったようで、その躁状態は保育園を去ってからも終日続き、長く記憶に残るべき一日を彼女なりに満喫したのではなかったか。

それにしても6年という月日、毎日々々、子も母も父も、通ったも通ったり、まこと三様にご苦労さんであったことよ。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霽の巻」-17

   仏喰たる魚解きけり    

  県ふるはな見次郎と仰がれて  重五

県-あがた-

次男曰く、初折の花の定座で、見所は二つある。一つは、「仏喰たる魚解きけり」を花の賞翫につないだ目付、いま一つは「はな見次郎」といあ渾名の趣向だ。

「ほとけにはさくらの花をたてまつれわが後の世を人弔はば」-山家集・春-という西行の有名な歌がある。俊成が「千載集」にも撰んでいるもので、前者の思付の拠所はこれだろう。「仏」と云い「解きけり」と云った芭蕉の句作りが、津波による一珍事にとどまらず、煩悩の解脱を含とした、花の句前の興だったとも改めて覚らされる。

後つまり「はな見次郎」の方は、当五歌仙の初巻-狂句こがらしの巻-初折の表三句目で、荷兮が「有明の主水に酒屋つくらせて」と既に作っていたと思い出してもらえばよい。片や月の座を取り込んで趣向とした渾名の思付で、こういうとき俳諧師は間違っても「月見次郎」などとは作らぬ。又、工夫に先例があれば「花見太郎-三郎、四郎-」とも作らぬ。

句はホドク其人の付で、芭蕉を賞めそやしている。「はな見」とした表記がみそだ。連句には差合を嫌って、句去-隔-という約束がある。たとえば同季は通例五句去、同字もこれに準ずる-三句以上隔-。当歌仙は「紅花買みちに」から数えて花の座は五句目、花見次郎を「はな見」と表記した所以だろう。

「県ふる-旧る-」は、その地方で古くから名を知られている意で、県居-田舎暮し-から派生した連語だろう。

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March 23, 2008

仏喰たる魚解きけり

Fugakusuwako

写真は富嶽三十六景、藍摺10葉の内「信州諏訪湖」

―表象の森― 富嶽三十六景

北斎の富嶽三十六景が46葉もの景から成っていたとは、その一葉々々を順繰りに眺め渡してみるまで気がつかなかった。
勿論、当初は板元もその名の通り36葉の景で終結とする予定だったが、評判が良すぎた所為で10枚が追加されたという。あとから追加の10葉を「裏富士」と呼ぶそうな。
これらの全容を見るのに便利なsite-「葛飾北斎 富嶽三十六景」-があった。勿論商用のsiteなのだが、まことに懇切丁寧な作りで感心させられた。
北斎といえば西欧から入ってきた「ベロ藍」の導入が思い出されるが、「東都浅草本願寺」に始まり「信州諏訪湖」や「甲州石班沢」などを含むその「藍摺」10葉が別掲で纏められている頁もあってなかなか愉しめる。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霽の巻」-16

  まがきまで津浪の水にくづれ行  

   仏喰たる魚解きけり     芭蕉

仏-ホトケ-喰-くう-たる魚-ウオ-解-ほど-きけり

次男曰く、津浪の拾いものに人喰い鮫が揚がった、と付入って興じている。作意は「仏喰たる」で、これは、喰われてホトケに成ることを転置した云回しの面白さだろう。打揚げられた大魚を取囲んで、人間を食べたに違いない、と気疎げにのぞきこんでいる人垣のさまがよく出ている。手足の一つも出てくるかもしれぬという好奇心と怖れはあるだろうが、腹を割いてみたら現にそれらしい物が出てきたと云っているのではない。

「くづれ行」に「解きけり」は、詞のひびきをうまく利用した観相付の展開である。「ほとけ」は「解-ほと-け」に通じる。

古注以下殆どの評家は、打揚げられた大魚を瑞祥とでも眺めたか、「仏」は仏像と読んでいる-樋口も穎原も同じ-。捌いてみたら尊像が出てきたという縁起話は、漁村の寺などにはよくあることだから、そうも読めるが面白くはない、と。

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March 20, 2008

まがきまで津浪の水にくづれ行

Kanikisuru_enku

―表象の森― 「歓喜する円空」ならぬ、歓喜する梅原猛か

否応もない呪縛からやっと解放され自由な時間が取り戻せた。
この間に図書館からの借本の返済期限を気づかずにやり過ごしてしまったのが一冊、慌てて返しに走る始末。
読みかけたままに打棄った本が2冊、これまた返済の期限が迫っているから、これまた走り読まねばなるまい。

それにしても梅原猛の「歓喜する円空」には彼一流の大仰な論理構築に些か食傷気味の幻滅感に襲われる。その語り口は嘗ての「隠された十字架」や「水底の歌」とさほど変わりはしないが、対象に肉迫する論理の積み重ねにおいて緻密さに欠けるように感じられて仕方がない。
本書における円空への梅原の過大に過ぎよう止揚ぶり、その構築の論理を図書新聞の書評がよく語り得ており、大家梅原古代学への追随ぶりと併せて、一読に値しようか。

「十二万体の異形の木彫仏をつくった円空とはいかなる僧だったのか。-略-
本書は、円空に関する伝承に着目しつつ先行の諸論を整理。一部これまでの虚像や錯誤を糺し、その謎多き生涯に鮮烈な眼光を当てる。絢爛と混沌の円空芸術の創造の源流が、土俗の内部のドラマとともに理路整然と説き明かされてゆくのである。
まず、著者の関心をよんだのは、円空が白山信仰の修験者であり、「神仏習合の先駆けであり、それは日本宗教史において最も重要な問題」であるからであった。白山信仰の創始者である泰澄は同時に木彫仏制作の 創始者であり、さらに造寺や架橋などで諸国を行脚した行基は、泰澄から木彫仏制作を学んでいる。ゆえに、円空は「神仏習合思想と木彫仏の制作」において、泰澄、行基の伝統の上に立つ。すなわち、著者にとっては、円空こそ「神仏習合思想の深い秘密を教える哲学者」なのである。
かくて、円空は「神仏像・絵画・和歌の三位一体」のものとして、総合的に解明されなければならないとする著者の慧眼が行間に熱く滲む。
その放浪の足取りは生まれ故郷の美濃を旅立ち、関東、東北、北海道を経て、飛騨や吉野に分け入り荒行をつづけ、一片の素木に彫る造仏に一切衆生の救い祈りを 籠めていった。著者はそれら奉納された造仏を訪ね、その制作年代の確定や作風の変遷などに厳密な考証を行い、流離の運命の諸行について独自の瞑想的洞察を馳せる。
「大般若経」写本の見返しに貼られた百八十四枚を始めとした絵画に、円空における仏教思想の根幹を突き詰めようと精緻な論証を行う。そのために、絵を三カ月も四カ月もひたすら穴の開くほど眺め続けるのである。さらに、近年発見された千六百首の和歌の研究が必要であると取り組み、西行の歌より円空のほうが面白く、「雄大な世界観が脈打っている」と指摘。孤高の造仏聖に迫る著者は、滔々たる「梅原日本学」の山脈を基層に、旧に変らぬ息軒昂に満ちている。
それに本書の何よりの核心は、円空が思想的に一大転換をなしとげる美と文化の重層的な軌跡を明らかにしていることだろう。ここに、狂気と情熱に駆り立てられ、放浪をつづけねばならなかった苦行僧の真実とし て、新たに男盛りのエネルギッシュで無類にポジティブな相貌が、歴史の襞の燦然たる闇の中からくっきりと浮かび上がってくるのだ。
当初は忠実で写実的な傾向の強い仏像制作であった。だが、やがて変革し、破壊への証として「円空仏のエッセンス」である護法神の誕生を経て、まもなく「自由 境地となり、自在な作風の仏像」が精力的につくられるようになる。こうした数々の円空仏に対面して、「ユーモアと慈悲」、「遊びと荘厳」の芸術創造の真髄を見出す著者の熱狂が、一読、爽やかに噴きこぼれるように伝わってくる。
現実への深い絶望と理想の世界を前に歓喜する仏の躍動するエネルギーは、大いなる笑いになって現れる。現実を絶対肯定する精神の表現として、これこそ「哄笑の交響楽」であり、「円空の思想の中心は生きている喜び、楽しみを礼賛すること」であるという。
「心に花を絶やさず、心はいつも花であった」円空の創造と苦悩の根源的エロスは、常にまばゆい祭典のように光輝いている。神と仏の共感のシンフォニーを肉声とする強靭な現実肯定の精神とは、永遠に遊び狂いつづける清らかさということであろうか。
「私もこの歳になってようやく菩薩の遊び、円空の遊びがわかってきた」のであり、「私は円空の思想の中心は生きている喜び、楽しみを礼賛することであると思う」という論述には、並々ならぬ躍動感が漲る。
また本書には、著者・梅原猛の生の悲しみの水脈に沿う蒼白の呼吸遣いが静かにとおりぬけてゆく。弾ける歓喜とともに、円空の抱えた深い闇に、著者の悲哀が重なる。
「まつばり子の悲しみは、まつばり子同士でなければ分からないかもしれない。私もまた円空と同じ星の下に生まれたので、まつばり子の気持ちが痛いほどよく分かる」という。円空が慕う泰澄・行基もまたまつばり子であった。
一巻は天を衝いて歓喜大笑する円空と、永遠のディオニュソスの使徒たる著者の法楽の遊びの華やぎに満ちている。」 ―図書新聞2006.12.20書評―

―今月の購入本―
S.J.グールド「ワンダフル・ライフ」ハヤカワ文庫
副題は「バージェス頁岩と生物進化の物語」。カナダのバージェス頁岩に見出されたカンブリア紀の動物群を詳細に紹介しつつ、進化のシナリオに偶然性の関与が大きいことを解く93年初訳の文庫化本。自然陶太の作用を最大限に重視する漸進的進化論者のドーキンスに対して偶発性も重視する断続的進化論者グールドの代表作とされる。

S.J.グールド「フルハウス-生命の全容」ハヤカワ文庫
副題は「四割打者の絶滅と進化の逆説」。著者曰く前著「ワンダフル・ライフ」に対をなす書と。生命の進化がランダム・ウォーク-酔っぱらいのヨロヨロ歩き-と同じであることを詳細に論証し、生命の進化は偶然が支配してきた複線的かつランダムな確率過程であって、決して人類は必然の存在ではなく、生命世界の全容-フルハウス-から見れば微々たる存在に過ぎないと説く。

D.タメット「ぼくには数字が風景に見える」講談社
映画「レインマン」やTVドキュメント「ブレインマン」で知られたサヴァン症候群のD.タメットが自ら語る心の遍歴。

脳科学総合研究センター「脳研究の最前線 -上」ブルーバックス
脳科学研究センター「脳研究の最前線 –下」ブルーバックス
創立10周年を迎えたという産学官協働のセンター監修による「脳とこころ」問題の最新理解を12名の研究者が集積する。上巻の副題は「脳の認知と進化」、下巻においては「脳の疾患と数理」と題される。

吉田簑助「頭巾かぶって五十年 -文楽に生きて」淡交社
文楽の人形遣い吉田簑助が芸歴50年を経て紡ぐ芸談の数々とその半生記。

広河隆一編集「DAYS JAPAN -沖縄・海と人々-2008/03」
他にARTISTS JAPAN 56-藤島武二 57-坂本繁二郎 58-長谷川潔 59-竹内栖風 60-浅井忠

―図書館からの借本―
S.カウフマン「カウフマン、生命と宇宙を語る」日本経済新聞社
副題に「複雑系からみた進化の仕組み」。著者はウィトゲンシュタインの「探求」に動かされつつ、複雑系の思考を基に、物理学をはじめとした自然科学の前提そのものを問い直し、生命科学、宇宙論、はては経済学にも新たな洞察を与えようとする。

J.ダイアモンド「銃・病原菌・鉄 -下」草思社
下巻ではとりわけ言語表記の問題を軸に人間の歴史における各大陸間のさまざまな差違とその成り立ちを明らかにしていく。

梅原猛「歓喜する円空」新潮社
人生の晩年に至って著者梅原猛は「まつばり子-私生児-」円空の境涯に自身の身の上を重ね合わせては、その謎多き生涯や数多の木像仏の芸術性、さらには彼の宗教思想を読み解きながら、はては大胆にも円空を日本文化史上の重要人物として仮構しようとする、些か思い入れ過剰気味の梅原流円空論。

尼ヶ崎彬「ダンス・クリティーク-舞踊の現在/舞踊の身体」
団塊世代の著者は80年代の小劇場演劇ブームに共感をもって迎えたと云い、続いて登場する90年代Contemporary danceに至って「ダンスマガジン」に舞踊批評を書き継いでいったらしい。

別冊日経サイエンス「感覚と錯覚のミステリー」
事故や病気で失った足の痛みを感じたり,音楽を聞くと色が見えたり,単語を聞くと味を感じたり,といった不思議な例があるように,人間の感覚はまだまだ多くの謎を秘めているらしい。神経科学や脳科学,分子生物学など,さまざまな視点から感覚をめぐるミステリーを網羅する。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霽の巻」-15
   命婦の君より来なんどこす   

  まがきまで津浪の水にくづれ行  荷兮

次男曰く、二句一章を山里から海辺へ移し、「米」を救難見舞ら読替えた趣向だが、雛作りはもともと形代流しの祓行事であるからこの場移しは絶妙に利く。
「しのぶまのわざとて雛を作り居る」人は、実方だけではない須磨流謫の光源氏も亦そうだ、と下敷の連想が自ずとはたらくように句は作られている。

三月-やよひ-の朔日に出で来たる巳の日-上巳、後には三月三日と定める-‥‥、舟にことごとしき人形のせて流すを見給ふにも、よそへられても、しらざりし大海の原に流れ来てひとかたにやは物は悲しき、とてゐ給へる御さま、さる晴に出でて言ふよしもなく見え給ふ。-源氏・須磨-

海辺は海辺でも津浪とまで大きく曲を設けたのは、荷兮らしい警策だ。
諸注「前二句一章也。命婦ノ君ヨリ見廻ニヨコシタルトミテ附タルナリ」-秘注-、「爰は津浪に一郷一群の荒たるさまを附て、前句の米を禁裡よりの御救ひ米と執なしたるなり」-升六-、「前句とのつづき、おのづから明らかにて、とかうを論ずるにも及ばざるべきなり」-露伴-、「是も面白からぬ付方なるも是非なし」-樋口功-、「全くの心付で附味は浅薄を免れない」-穎原退蔵-、など、わかっていない、と。

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March 18, 2008

命婦の君より来なんどこす

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―表象の森― 定説を覆すlesser blain

別冊日経サイエンス「感覚と錯覚のミステリー -五感はなぜだまされる-」のなかの「小脳の知られざる役割」-J.M.バウアー/L.M.パーソンズ-の小論はかなり関心を惹くものだった。
「little」の二重比較級「lesser」-より劣った、より小さい-些か情けなくなるような語を冠せられた「lesser blain-小脳-」は、ヒトの後頭部、脳幹の上に、大脳半球を覆う皮膚の下に位置する脳組織で、大きさは野球のボールほど、劣ったちっぽけな脳と名づけられているにも拘わらず、これを平たく延ばしてみると、その表面積は、大脳の左右半球の片側に匹敵するほどの広さに匹敵する、というのにまず一驚。

小脳が運動を司るという仮説は19世紀半ば、複数の生理学者によって提唱された。小脳を取り除くと身体の動きの統御がうまくとれなくなることが判ったからだ。
しかし最近の研究から、それは過去の常識となりつつある。ここ15年間ほどの最近の研究では、小脳に損傷を負うと、言語や視覚・聴覚など五感にさまざまな障害が起きることが判ってきた。
最近では、小脳がワーキングメモリーや注意力、計画や予定の立案といった知的活動、情動の制御などと関係していることを示す研究が増えている、と著者らは曰う。

触覚刺激に対して小脳はとりわけ活動が活発化するらしい。
その活性化マップは、刺激を受けた体表の位置とその信号を受けとる脳の領域との空間的な位置関係が対応している大脳の場合とは異なって、バラバラに断片化された配置図となっている、という。
この事実に表れていることは、五感の知覚情報などに対し、小脳と大脳が互いに機能分化しているのではなく、階層的な構造を有している、ということになるのだろう。
どうやら小脳は、従来の定説から大きく逸脱して、触覚を中心に五感の知覚情報をコーディネートすることを担っているとみえる。

小論の末尾あたり、とりわけ私の関心を惹いた著者らの作業仮説を惹いておく。
運動機能の統合に冠する研究によると、小脳に損傷を受けた人は動きが鈍く単純になる。これし質の高い知覚情報が得られなくなったことに対処するための合理的な戦略だ。この考えをさらに敷衍すると、興味深いことに、小脳を完全に取り去るよりも、欠陥のある小脳が機能し続ける方が、より深刻な問題を引き起こすと考えられる。
感覚情報の制御機構を敢然失ったときは脳の他の組織が補えるが、不完全な制御機構が動いていると別の領域が質の悪い情報を使おうとする結果、機能障害が続くだろう。この種の影響によって、知覚情報にうまく応答できない自閉症のような疾病と小脳の関係を説明できるかもしれない。

些か怖くなるよう仮説だが、もしこれらのことがよくよく解明されれば、知的障害者への外科的治療などという行為も近未来起こり得ることになるのかもしれない。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霽の巻」-14

  しのぶまのわざとて雛を作り居る 

   命婦の君より来なんどこす   重吾

命婦-みょうぶ-

次男曰く、都も恋し、人も恋し、雛人形などこしらえて無聊を紛らしている昨今だ、と伝えてやったら、命婦の君が歌の代りに米を送ってよこした、と付ている。命婦は令制で五位以上の女官を云うが、ここは前の句を貴種流離、男-実方とは限らない-と見定めて、その位取りに持ち出した句材だろう。ある女房とでも読んでおけばよい。

前句は恋ではないが、それらしい仕掛はある。「米なんどこす」は、贈答ふうに、誘いを躱-かわ-し惚-とぼ-けて仕立てたところがみそで、作者重吾は雛人形作りを実の行為と見たとも虚と見たとも云っていないが、女の気を惹くために云い遣った「雛を作り居る」と読んだ方が問答の面白さを生む。同情の思案に困って米を贈ったと読んでもそれはそれで解釈にはなるが、例によって絵空事で暮しの足しに人形作りなどしている筈がない、と見抜いたうえでの米贈りならみごとな恋の冷ましになる。実方のほととぎすの歌の披露に始まり、その恋遊び上手は当座の話題になった筈だ。

「しのぶ間の業はあまたあらんに、雛を作るとある其職のやさしければ、そこを御所浪人と見て、ゆかりの命婦より助力せらるると附たるなり。此句の賞する所は、前句雛とあれば、誰とても春季を附べき所なるに、是は雑の句として次を附たる心の扱ひ甚だおもしろし」-升六-

春季を以て継がなかったのは、以下、花の座-裏十一句目-まで四句春-雛作りを春と見れば五句春-とせざるを得ぬ重くれを嫌ったからだろう。表も四句春である。
「職」であろうと手すさびであろうと、雛作りを雑と読むことに格別の違はない。
また、露伴、樋口功、穎原退蔵ら諸注いずれも前句の人を女と見て、まったくつまらぬ解釈をする、と。

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March 16, 2008

しのぶまのわざとて雛を作り居る

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<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霽の巻」-13

   紅花買みちにほとゝぎすきく  

  しのぶまのわざとて雛を作り居る  野水

次男曰く、ほととぎすは夜更・早暁に鳴き渡ることの方が多いから、古来、都では待侘びて聞くのを習とした鳥である。里村紹巴の-じょうは-の連歌書「至宝抄」にも「かしましき程鳴き候とも、希にきゝ、珍しく鳴、待かぬるやうに詠みならはし候」と云っている。

時鳥の名の如く、夏の訪れを告げる初音としてよろこばれた所以で、卯の花陰、隠れる、忍ぶ-忍び音-などは、いきおいその寄合の詞となる。
「卯の花は品おとりて何となけれど、咲くころのをかしう、郭公の陰に隠るらむと思ふに、いとをかし」-枕草子-、
「鳴く声をえやは忍ばぬほととぎす初卯の花の陰に隠れて」-新古今・夏-。
そういう鳥を、紅花買と縁づけて道の奥-みちのく-聞くと曲を設けたところが、前句荷兮ぶりである。承けて野水は、聞くのは紅花商人だけではない。訳あってみちのくに「しのぶ」人も亦そうだ、と付ている。そこが読み取れると、藤原実方が詠んだほととぎすの歌を、検べてみたいと思わぬ方が不思議だろう。

「みちのくの任に侍りけるころ、五月まで郭公きかざりければ、都なる人に便につけて申しつかはしける――
 みやこには聞き旧りぬらむほととぎす席のこなたの身こそつらけれ 
続後撰集-十代-の「夏」の部に「ほととぎす勿来の関の無かりせば君が寝覚にまづぞ聞かまし」という「返し」-詠人知らず-と合せて選び、「実方集」にも見える歌だ。下敷はこれに違いない。-「狂句こがらしの」でも野水は実方のほととぎすの歌を俤として付ている-

円融・花山両院の寵を承けた名門貴公子が、左近中将を解かれ陸奥守に任ぜられたのは長徳元(995)年、その3年後には任地で客死したが、業平と並んで後世数々の伝説で飾られた人物である。贈答歌の才を以てとりわけ後宮サロンに名を流したから、謫居のつれづれが雛人形作りというのはいっそう実方らしい面影を浮かび上がらせる。紅花買からのうつりもある。

諸注いずれも、西行が「朽ちもせぬその名ばかりをとどめ置きて枯野のすすき形見にぞ見る」と哀傷した男の、ほととぎすの歌はむろん、面影にも思及んだ解はない、と。

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March 14, 2008

紅花買みちにほとゝぎすきく

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-世間虚仮- 京と宮

明午前0時を期して「大津京」駅が誕生する。
JRの湖西線「西大津」駅の改称で、考古学者や歴史家から、大津「宮」は確かに存在したけれど、条坊跡が見つかっておらず、律令制都市としては歴史的に存在しなかった大津「京」を冠し、街おこしのためとはいえ歴史を歪曲するのは問題と反対の狼煙があがってから、推進派・反対派と喧しく論争の的になってきたが、当局たる大津市とJR西日本は黙殺したまま到頭「大津京」へと衣替えするというのだ。

この問題、抑も初めから大津「京」ではなく大津「宮」としておれば、どこからもクレームなどつく問題ではなかった筈。
歴史ロマンを喚起させる駅名で街おこしのシンボルにと望まれた改称だが、なにゆえ歴史的事実を歪めるという瑕疵ある呼称の「京」でなければならないのか。私などからみれば、歴史的にもなんら問題のない「宮」で、推進派のいう効も充分に発揮できようものを、こうまで物議をかもして「京」にしてみたところで、瑕疵は瑕疵、どこまでもついて廻ることだろう。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霽の巻」-12

  朝月夜双六うちの旅ねして   

   紅花買みちにほとゝぎすきく  荷兮

紅花-ベニバナ-買-かふ-みちに

次男曰く、月は四季賞翫、そこに目を付け双六打が「ほととぎすきく」と季移り-戻り-に作ったのは、「百人一首」の後徳大寺左大臣の歌を捩-もじ-ったものだ。

「ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞのこれる」-千載・夏-。

紅の花なら朝露のまだ乾かぬうちに摘む、ということも「朝月夜」のうつりにしている。そして、双六打の旅寝に相応しいのは寺坊などよりも紅花買が泊まる旅籠だろう、と打越を奪って優にはこんでいる。双六は奈良時代以前に中国より入った室内遊戯具だが、江戸初には絵双六も考案され、後者はとりわけ婦女子の遊として流行った。双六も紅花も女の用だというところがみそである。句姿は優しいが荒業師らしいと読ませる前句から丁半に血走った目をうまく消している。

双六打-采-サイ-という連想は、振り出した目によっては道の口-信楽-から道の奥-紅花買う道-まで流れてゆく、というふうにもはたらく。振り分けるという思付はこの付のもう一つの作文と読んでよいようだ。

「延喜式」に見える紅花の貢納国は常陸から西は安芸まで二十四カ国にのぼるが、出羽はまだ入っていない。最上紅花の生産が全国一を誇るようになったのは近世初で、元禄頃には全国総高の二分の一を占めるように至った。「紅花買みち」とはその最上あたりと考えてよい。

五年後、この地の豪商で旧知の島田屋清風をたよった芭蕉は、尾花沢から立石寺への途で「まゆはきを俤にして紅花-べに-の花」と詠むことになる。元禄2(1689)年5月27日-旧暦7月13日-のことだった、と。

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March 13, 2008

朝月夜双六うちの旅ねして

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<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霽の巻」-11

   蕎麦さへ青し滋賀楽の坊   

  朝月夜双六うちの旅ねして   杜国

朝月夜-あさづくよ-

次男曰く、「つゆ萩の」以下秋三句、「燈籠ふたつになさけくらぶる」を雑の作りと読んでよい所以だが、それとも、表の春四句に合せて秋四句としたか。これは連衆に直に聞いてみるしかないことだ。

二度目の月の定座を-初裏八句目-を上げたのも、表の扱い-五句目から発句へ-に合せたと見られようが、先に他季-冬-の月を取り出している以上秋月とするしかなく、ならばその座もここを措いて他にない。霽の月に続いてもう一つの月を杜国に詠ませたのは、計算された連衆の譲り合いだったようだ。五吟歌仙の巡については改めて説く。

朝月夜は夕月夜の対、朝月に同じである。ここは月の残っている明方の意だ。信楽郷の茶栽培の歴史は古く、慶長検地帳にも朝宮の茶園が記されているが、とりわけ茶陶の特産地としてよく知られている。又この地は奈良・平安初、阿星山を中心に盛時三千坊を数えたと云われる寺院址があり、「信楽の外山」が歌枕になったのもそのことと無縁ではない。問屋や仲買人、窯ぐれと呼ばれる窯場の渡職人などの出入は頻繁だったに相違なく、なかには博徒の類も混じっていたろうが、「双六うち」直ちに博打打と云うわけにはゆかぬ。

信楽は茶陶のほかあらゆる日用雑器も焼き、北国・西国まで急速に市塲を拡げたが、備前などと違って江戸末に到るまで多くは農家の副業だった。いきおい、他国者の窯ぐれに頼る度合も大きかった。「双六うち」実は窯ぐれ、と読んでおいても大過あるまい。

寺とは名ばかりとはいえ、もとは由緒ある寺坊に双六打が泊まる、空には残月、という取合せには無常迅速の匂がある、と。

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March 12, 2008

蕎麦さへ青し滋賀楽の坊

Db070509t077

―世間虚仮― 我慢の日々

普段なら自由な時間に事欠かぬ身の上なのだが、例年のことながら此の月だけは忙しく、このところ寝不足の日々が続いて疲労困憊気味、頭も身体もいささか朦朧としている。
折角図書館から借りだした本たちも、横に積み置かれたまま手も出せない。
あと一週間もすればこの辛苦も抜け出せようから、いましばらくは我慢々々。

昨日の朝刊の囲み記事で見たのだが、微生物などによって分解される生分解性プラスチックを強力高速に分解できる酵母がイネの葉から発見された、という。
従来の微生物を使った方法では1ヶ月ほどかけてやっと分解しはじめるのが、この酵母では3日間ほどで分解されたというから、実用化されればプラスチックごみの減量化が格段に期待できるというものだが、ガソリン税の暫定税率問題や日銀総裁人事問題で相変わらず空転がつづく国会や政府も、こういう発見にしっかり後押しをして速やかな実用化を願いたいものである。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霽の巻」-10

  つゆ萩のすまふ力を撰ばれず   
   蕎麦さへ青し滋賀楽の坊   野水

滋賀楽-しがらき-
次男曰く、前句を露と萩の角力、「萩」は青萩と見定めて「蕎麦さへ青し」と云っている。「このゆふべ」の歌が芭蕉の口から一座に告げられたに違いない、と思わせる作りである。

秋蕎麦は初秋に蒔き、仲秋花をつけ、晩秋・初冬の候に刈入れるのを普通とするが、其諺-キゲン-の「滑稽雑談」-正徳3(1713)年序-に、「新蕎麦、‥其茎にある物を振落し、或は焙炉にて乾して、磨きて麪-むぎこ-とす。殊外風味よろし、是を新蕎麦と称し、或は振ひ蕎麦と称す。武州の諸家殊に之を賞す、其釆地の土民に課て、秋月一日もはやきを以て賞翫とす。俳諧に近年用るも、彼地を始、都にも七・八月のS新穀を出して之を鬻ぎ之を賞す、故に秋に許用す。其茎と共に収刈は冬に及ぶ」としるしている。句に云うのは未熟で青々とした、この新蕎麦のことだろう。

信楽は平安以降、とりわけ「信楽の外山」として詠まれた近江の歌枕である。外山は人里近い山。暗部山-深山、通説鞍馬山の古名とする-の対だ。先に引いて拠り所とした「勝ち負けもなくてや果てむ君により思ひくらぶの山は越ゆとも」の「くらぶ」を「較」から「暗」に奪えば、信楽取出しは外山を利かせた巧な暗-くらがり-越えということになる。萩はどこにでも生えるが蕎麦は涼しい山あいに栽培される。それらしい地名を求める興が生れてよいが、だからといって「滋賀楽」を只何となくふと思付いたと云うわけにもゆかぬ。「坊」は、商人宿にひとして寺と見ておけばよい

古注以下、信楽を任意に思付いた地名とまず見て、信楽は知られた茶どころだからそれとくらべて「蕎麦さへ青し」と作った、といずれも解している。「このゆふべ」の歌にも、萩がまだ綻ばぬ青萩だとも、気付いていない、と。

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March 10, 2008

つゆ萩のすまふ力を撰ばれず

Db070509t048

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霽の巻」-09

   燈籠ふたつになさけくらぶる  
  つゆ萩のすまふ力を撰ばれず   芭蕉

次男曰く、「大和物語」には、「万葉集」巻九に見える妻争いの長歌-莵原処女ノ墓ヲ見ル歌-から脚色した話を載せる-第147段-。そのなかに、昔を偲んで女宮や女官らが水死した三人の身替り歌を詠み合うくだりがある。その一つ、糸所別当「勝ち負けもなくてや果てむ君により思ひくらぶの山は越ゆとも」。

これを踏まえて、前句の情の含を汲んで季を初秋と見定めた作りだろう。「つゆ萩」とは露に撓った枝を云うのか、それとも露と萩の意なのか判断に迷うが、これも前句の「燈籠」と同じく次句に対する謎掛けの趣向かもしれぬ、と考えるとそれらしい歌の一つも探してみたくなる。
「このゆふべ秋風吹きぬ白露にあらそふ萩の明日咲かむ見む」-万葉・巻十-、寛永板本の訓みも同じである。「つゆ萩」の作意はこれに拠ったものらしい。「あらそふ」は、置きそめた露が咲くを催促すれば青萩が否々をする-初風に揺れる-さまで、「すまふ」は俳言である。猶、相撲も陰暦七月の季語で、うまい恋離れをする。

「俊頼好みてすまふといふ辞を用ゐ、其散木奇歌集に、かくばかりはげしき野辺の秋風に折れじとすまふ女郎花かな。ここは露と萩のすまふを、いづれを勝と撰むべくも無しとなり。-大和物語、糸所別当の-歌を意の下にして、燈籠ふたつと前句の秋の季をおもしろく取入れたるにより、ここに同じ季の景を打添へ作りて、露萩のすまふとは、あはれに附たるなるべし」-露伴-

「露は萩のなよやかな枝を圧へ、萩は露のいささかな重みに堪へようと争ふさまである。‥燈籠は墓前にあっても縁先にあってもよい。萩は手向けたものとも庭に咲いたものとも限るに及ばない。ただ情を比べる燈籠に味ははれた感じが、そのまま露・萩の優しいすまひに移されて居る点に、この附合の妙味は存する」-潁原退蔵-、と。

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March 08, 2008

燈籠ふたつになさけくらぶる

Db070510062

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霽の巻」-08

  らうたげに物よむ娘かしづきて  
   燈籠ふたつになさけくらぶる  杜国

燈籠-とうろ-と読む
次男曰く、「かしづく」を男女の情に執成-とりな-して付けている。客観描写もしくは男の側の競いと読んでも通じるが、女が二人の、二つの情をはかり較べる、というところまで踏込んでよい。

「かしづき娘」に「かしづく」男を一人ではなく、二人と作ったところがミソである。昔物語でよく知られた話を下に敷けば、この恋は成就しないとわかるからだ。また、二人までも争って娘に言寄ってくれば、父親たるもの、かえって秘蔵の思いをつのらせて恋の不首尾をねがう。「かしづく」の両義をめぐるこの綱引きが面白さのタネだ。

連句には、神祇・釈教・恋・無常その他目立つ句ぶりを初折の表にしないというきまりがあるが、通例、これは初裏の二句目あたりまで準じてはこぶ。裏入早々、恋の呼出し・恋と、大胆にはこんだ目配りには、右の冷ましを兼ねて含とした工夫が利いているらしい。

灯籠は、盂蘭盆会に因んで、陰暦七月の季題とされている。藤原定家の「明月記」寛喜二(1230)年七月十四日の条には「近年、民家今夜長き竿を立て、其の鋒に燈楼の如き物を付け、紙張、燈を挙ぐ。遠近之れ有り。逐年其の数多し」と記し、揚灯籠-高灯籠-がこの頃既に習俗化しつつあったことが知られるが、季詞としては連歌にはまだ見えず、初見は立圃-リュウホ-の俳諧作法書「はなひ草」-寛永13年自奥-か。回灯籠・揚灯籠を七月として挙げている。しかしやや遅れて、重頼の「毛吹草-けふけぐさ-」-寛永15年自序-には、右二つに切子灯籠を加え、「只とうろは雑-非季-」と注記している。

灯籠はもともと社寺の用から起こり、照明具として普及し併せて観賞にも供されたものであるから、重頼の分類は理に叶っている。台形と釣型に大別され、材質も銅・石・木、框-かまち-に絵絹や紙を貼ったものなど、いろいろある。「とうろ掛け添へ、火あかくかゝげなどして」-源氏・帚木-と云うのは軒か帷中に釣の数を増やしたことであろうし、「月もなきころなれば、遣水にかゞり火ともし、とうろなども、まゐりたり」-源氏・若紫-と云うのは庭の石灯籠に灯を入れたことを云うのであろう。また、回灯籠は走馬燈のことで、今の歳時記は夏の遊戯具に分類している。盆会の付きものときめてしまうわけにもゆかぬ。

「燈籠ふたつになさけくらぶる」の季は、秋と読みたくなるがひとまず雑の作りとしておく。季の句とするかどうかは、秋三句-以上五句まで-という約束に照して後続のはこびが決めることだ。いきなり「燈籠は盆燈籠なること勿論にて、其娘の母の亡せたること言外にあらはる」-露伴-ではこまる。初裏二句目から哀傷含みの恋句というのも、更に合点がゆくまい、と。

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March 07, 2008

らうたげに物よむ娘かしづきて

Db070510038

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霽の巻」-07

   茶の湯者おしむ野べの蒲公英  
  らうたげに物よむ娘かしづきて  重五

次男曰く、「らうたげ」は可憐な風情。「かしづく」は、慈しみ育てる、大切に世話をする。本来は保護者が被保護者に対して、とりわけ親が子に対して振る舞うわざについて遣われたことばのようだが、転じて、主や夫に仕える意味にも遣う。上下の混用は既に「源氏物語」などにも見える。「かしづき娘」-東屋-と云えば大切に育てている娘、「かしづき人」-真木柱-とあるのは随仕の者だ。

ここはそのかしづき娘のことで、娘が其の人-茶の湯者-に介添しているのではない。前句の野草に寄せる愛情のこまやかさを、人物の上に移して句の位を釣り合せたまでで、とくに解を用いぬが、冬二句・春四句に続けて裏入早々恋の呼出しと容易にさとらせる雑の作りである。

升六の「注解」は「らうたげに」を、「心を労する義なれば爰は物よみに深くなづみし女なるべし」と解し、「前句の茶人、儒者の娘などを誘ひて野べを逍遙する体を附たり」と云うが、はこびを野遊びに娘を伴ったと読む必要はどこにもない。また「娘」はここでは其の人の娘と解しておけばよく、「娘」の身分・境遇などをさぐって話作りのたねにする転合はまさに次句のはたらきである、と。

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March 06, 2008

茶の湯者おしむ野べの蒲公英

Db070510031

―表象の森― ルーブルで人形浄瑠璃

パリのルーブル美術館で、文楽の「曾根崎心中」が演じられた模様が伝えられていた。
このイベント、1858年の日仏修好通商条約に始まる日仏交流150周年を祝う記念行事の一つだとか、「天神森の段」を演じる人間国宝・吉田簑助が遣う「お初」の妖艶凄絶な演技が、詰めかけた600人の観客にどれほど伝わったかはともかく、歌舞伎や能はいざ知らず、たしか人形浄瑠璃はフランスに初のお目見得の筈だから、浄瑠璃の隠れファンとしては、まことに結構なことである。

人形遣いと語りと三味線と、これが一体となった人形浄瑠璃の様式美はすぐれて完成度の高いものと、年を経るにしたがってその思いを強くしてきた。

「松岡正剛の千夜千冊」-第八百二十六夜-でも吉田簑助の著書「頭巾をかぶって五十年」を紹介するのに、「世界のあらゆる芸能芸術のなかで最も高度なのが文楽であると、ぼくはこのところはっきり確信するようになった。」と冒頭に記している。然もありなむだが、はじめ義太夫好きだった彼が浄瑠璃を見るにつけ、やがて人形振りに魅入られ惹きつけられていって、この芸能の深みに開眼していくさまが縷々語られており、傾聴に値しよう。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霽の巻」-06

  馬糞掻あふぎに風の打かすみ   
   茶の湯者おしむ野べの蒲公英  正平

茶の湯者-ゆしゃ- 蒲公英-タンポポ-
次男曰く、扇のあしらいを、門前で慶祝を交す留守居衆から、野遊の茶人に見替えた付である。季節は「蒲公英」とあれば既に晩春。霞-兼三春-からうまく正月気分を-初霞-を拭い去っている。

第三以下春四句続き、とはいえ新年は格別であるから、新年-新年-新年・春--春とはこんで治定としている。春・秋の続きは通例三句でよい。

蒲公英は茶席の花になどせぬが、野点の座なら時宜にかなった花と見做せる。茶人は馬糞埃を扇子で掃って野の草をむしろ「愛しむ」と作っている。馬糞も、湯気の立つさま-前句-から陽炎のなかに粉塵となるさま-後句-まである、と読ませるところに滑稽の狙いがある。「あふぎ」-雑-、「打かすみ」-兼三春-、二語のとりなし様がはこびの鍵、と。

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March 05, 2008

馬糞掻あふぎに風の打かすみ

Db070510026

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霽の巻」-05

   北の御門をおしあけのはる   
  馬糞掻あふぎに風の打かすみ   荷兮

馬糞-まぐぞ-掻-カク-あふぎ-扇-に風の打-ウチ-かすみ

次男曰く、新年の行事と時候に続けて、天文の付を以てした春三句目である。一読、季語の扱いが前句と変化に乏しいように見えるが、霞は兼三春の季で、前と合せれば初霞と読め、又、移して夏霞にも執り成しが利く。句材に扇を取り込んだのと共に、次句に対する三季移りの誘い水とも読める仕様である。むろんここは四時正装につきものの扇子で、雑の詞だ。

句は「おしあけのはる」を白扇をひらく動作に移して見合とし、狩立のあとにのこされた馬糞を、初春の縁起物とも眺めやっているらしい作りである。近世、年始回りに扇を配る風習が広く行われ、礼扇と云う。そのめでたい扇を、回礼ならぬまず馬糞掃きの用とした、奇抜な思付に俳がある、と。

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March 04, 2008

北の御門をおしあけのはる

Db070510101

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霽の巻」-04

  歯朶の葉を初狩人の矢に負て   
   北の御門をおしあけのはる   芭蕉

次男曰く、其場のあしらいである。
背に初春を背負うと読んだか、それとも歯朶の別名-裏白-に眼を付けたか、北門から初狩に出る思付はいずれにしろそのあたりからだが、北門は陽-南門-を背にして陰に向いた門である。東・西の門には特別の意味はない。また、めでたい初狩とはいえども殺生には違いないから、「北」とした句作りにはそれやこれやの目配りもある。「御門」は禁門、城門いずれでもよいだろう。

虚を実に執り成した第三-前句-の作意を見抜けば、うまいあしらいだと思うが、そこに気がつかぬと押開きに季-明の春-を取り込んだだけの只の逃句になってしまう。とりわけ、先に「氷踏み行く」と云い、今又「門を押開く」と云う輪廻気味の行為の絡みが気になる筈だが、古注以下、その点を見咎めひるがえって脇・第三の虚実に思い到った評釈を見ない。

「早春の暁天に凛々しく出で立ちたる士の城門を出づるところ」-露伴-と読んで事足れりとするか、さもなければ、「前句は初狩に出づるさまながら、其の出づるに直に門を押開けてと見るの要無く、却ってかく見るは蕉風の真手段よりは不可なること既にしばしば云へるがごとし。祝意正しき歯朶を矢に負へる初狩姿の華々しく礼々しき装ひに、その初狩の獲物より禁裡への新春の貢物を想はむはまことにさるべき趣向なり」-樋口功-と、行為・人体の読替によって三句のもつれを解くかである。

樋口の解は成り立たぬではないが、これはうっかりと初手から句はこびを実と考えて疑わなかったための手詰りの思案である。任意かつ安易な読替は、つねに連句にとって危険な罠だ、と。

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March 03, 2008

歯朶の葉を初狩人の矢に負て

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―世間虚仮― 意外に愉しめた世界卓球TV中継

中国・広州で行われていた世界卓球のTV中継を、女子準決勝と男子準決勝と、卓球の中継映像など滅多にお眼にかかるものではないからか、ついつい誘われて連日観てしまった。
狭い卓球台を囲んでの対戦模様は、映像としてDynamismに欠けるものの、1count毎の勝負が一瞬の隙に決まるだけに、息つく暇もなく眼が離せないもので、意外と面白く愉しめた。

男子の日本選手団には中国出身の韓陽と吉田海偉の2人が主力を占めているし、女子準決勝で対戦したシンガポールは3人とも中国出身という。世界卓球のトップクラスは殆ど中国勢で占められているというのが実情のようだ。
女子のなかで弱冠15歳の石川佳純の善戦ぶりは爽やかな印象を残したが、これと対照的なほどに鬼気迫る表情で闘い続ける平野早矢香の勝負への執念ぶりには少なからず圧倒された。惜しくも敗れ去ったがその闘魂、その集中力には観る者を揺さぶってやまない力があった。
男子の韓国戦では29歳という韓陽が冷静な試合運びで1勝をもぎとったが、ドイツリーグで活躍するという18歳の若きエース水谷隼も奮闘虚しく惜敗、男女ともに決勝に臨めなかった。それにしても水谷と韓国のエース柳承敏戦は見応えのあるものだった。一進一退の勝負の綾、選手心理のデリケートさがよく伝わってくる画面だった。

話は変わって、北京オリンピックも近く、五輪施設の話題が供されることも多いが、これらの競技施設には洋式トイレがない、あるいはあったとしても申し訳程度で極めて少ない、というのが話題になっていた。聞いてビックリである。
デリケートな体調管理にトイレ問題は選手達にとってさぞ深刻なことだろうに、とんでもないことだが、自国選手団は一向に困ることなんかないだろうから、これも中国らしい深謀遠慮かと思えば、笑い話にもならぬふざけたお国柄だが。

新しい五輪の競技施設でさえそうなら、世界卓球の会場となった広州の体育館など、選手にとってさらに劣悪な環境なのだろうと推測される。海外での競技ともなれば、選手たちは闘う以前に、体調維持のコントロールに敗れ去ることも多かろう。ことほど習慣と環境の齟齬は、選手の生命線を奪いかねないと思うのだが‥‥。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霽の巻」-03

   こほりふみ行水のいなづま   
  歯朶の葉を初狩人の矢に負て   野水

歯朶-シダ- 初狩人-ハツカリビト- 負て-オヒて-

次男曰く、「こほりふみ行」の虚を見定め、二句一章の実に奪った句作りである。併せて冬から初春への季移りにこれをつかったところがうまい。狩の目付もよい。歯朶の葉を初山入の籠に負て、などと作れば「水のいなづま」の響きは忽ちに消えるだろう。

初狩という季語はあるが、初-狩人とは云わない。ハツカリビトと訓んでおく。
「貫衆ト書テウラジロトヨム。モロモロヲツラヌクユエ、狩人ノエンギトシテ正月ノ裏白ヲ持出シタルトミテ、転ジタル也」-秘注-、「無常観想の所をさらりと放下して狩人と付たる、其働きあり」-升六、冬の日注解-。

「前句を観れば辞の上には人無けれども、人有りて、人有ればこそ氷も破られ水も迸るなれ。此句は其人を初狩に出づる新年の人として、いさぎよき景色をあらはしたり。‥‥発句脇句の絢爛幻奇とは異りて、平正淡雅の句ぶり、変化の働き特に賞すべし」-露伴-、「巧みに手を移せるが、その自然にして幽渺なる転じ方を看るべし。‥‥新春の祝意を失はず一句をゆつたりと為立てたる手段凡匠の及ぶ所にあらじ」-樋口功-。

句ぶりに惚れても付・はこびの解釈にはならぬ、と。

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March 01, 2008

こほりふみ行水のいなづま

Db070509t057

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霽の巻」-02

  つゝみかねて月とり落とす霽かな  
   こほりふみ行水のいなづま   重五

ふみ行-ゆく-
次男曰く、連俳には「月の氷」という冬の月の傍題がある。和歌で「月の氷に・の」「氷れる月を・の」「月ぞ氷れる」「氷る月かげ・かな」などとして概ね「新古今」以後頻繁に遣われてきた。初見は「千五百番歌合」-建仁元(1201)年-に出詠された「松島や雄島が磯に寄る波の月の氷に千鳥鳴くなり」-俊成卿女-、「冬の夜はあまぎる雪に空冴えて雲の波路に氷る月かげ」-丹後-あたりか。

月と氷は寄合の詞だと知っていれば「こほりふみ行」は、前句と合せて時雨のひまにこぼれる月の光を踏んでゆくことで、まずこれは俳言だと気付く。取合せて、霽をしぐれと云うなら稲妻も空ではなく水にはしる、と前句に応じている。歩いてゆくと薄氷がそこに張っていて踏むと氷裂ができる、という実景が自ずと想像できるが、「こほりふみ行」も「水のいなづま」も、発句にいどまれて生まれるべくして生まれた工夫だと気付かなければこの付の面白みはない。単に景を描き加えて一章にしているわけではないのだ。第一、「こほり」を実と読めば「水」と差し合う無様さが気になる。因みに「月の氷」は、式目に水辺の用にあらずする。

諸注、「氷ニ月ノ移リヲ稲妻トミテ人間ノ身ノ上ハ薄氷ヲ踏ガ如シトナリ」-秘注-、「しぐれのいまだかはかぬ道の氷の上にちらちらと月影のうつるけしきを稲づまに比喩して、本句の余意をかかげたる脇也。いなづまとは無常転変の姿なり」-馬場錦江-、あるいは「人の薄氷を踏む行くに、氷破れ水迸りて、みしみしといふ響につれ、つゝつと氷の上を水の行くをば、氷踏み行く水の電光とは作れるなり」-露伴-、「前句とのひびき電光石火のはたらきありて、遊燕の飛滝をかすむるに似たり-樋口功-などと説くが、いずれも「霽」を見咎めた者はいない。むろん、「月の氷」に気付いた者などいない、と。

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