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November 27, 2007

花咲かば告げよと言ひし‥‥

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-表象の森- ベジャール逝く

先週の金曜日(23日)だったか、「20世紀バレエ団」を率い前世紀後半の舞踊界に君臨してきたモーリス・ベジャールの死が報じられていた。享年80歳だったとか、つい先頃まで本拠たるスイスのベジャール・バレエ・ローザンヌにて指導していたという。
出世作となった「春の祭典」の振付には偶々見た鹿の交尾に想を得たという話があるが、成程鬼才らしい伝説かと思われる。また哲学者であった父の影響で東洋思想にシンパシィを抱いていたともいわれ、「ザ・カブキ」や三島由紀夫を題材にした「M」などの作品や、能の様式に示した並々ならぬ関心もそのあたりに伏流があるのだろう。
映画「愛と哀しみのボレロ」の振付では舞踊界のみならず世界的名声を獲たが、今世紀に入ってからの晩年は、新作の発表もあるにはあるが、若い生徒たちで創ったカンパニーで後進の育成にもっぱら精を出していたとみえる。
古典的でありつつもモダニズムに溢れたベジャールの作品は、とくに80年代以降、日本のバレエ界に鮮烈な刺激となって、ずいぶん影響を与え活況をもたらしたようであった。以後、コンテンポラリーのひろがりと相俟ってダンスとバレエの離反もかなり近接したかのようにみえる。

そういえばベジャール訃報の数日前、ピナ・バウシュに京都賞授与のニュースが報じられていた。
稲森財団による京都賞はまだ20年余りの歴史にすぎないが、古都京都人の進取性も感じられ国際的な評価も高い。先端技術や基礎科学の他に思想・芸術部門が設定され三つの部門で毎年3人が選出されている。歴代の受賞者一覧を見れば音楽家が突出しており、以下哲学や思想家たち、美術や建築、それに映画界の巨匠が居並ぶ。
ベジャールも99年に受賞しており、これで舞踊界からは2人目の受賞となり、演劇界からの選出が唯一ピーター・ブルックのみというのに比して際立つ特色ともいえそうだ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-83>
 花咲かば告げよと言ひし山守の来る音すなり馬に鞍おけ  源頼政

従三位頼政卿集、春、歌林苑にて人々花の歌詠み候しに。
邦雄曰く、兼ねての約束通り山守が蹄の音も高らかに罷り越した。今に「花咲き候」と、朗らかに告げることだろう。待つこと久し、馳せ参じようぞ。今宵は宴、照り白む桜花のしたで明かそうよ。白馬に金覆輪の鞍を置け。弾みに弾む四句切れの命令形止め。武者歌人の面目躍如たる雄々しい調べは比類がない。76歳で以仁王を奉じ、宇治平等院にて敗死、と。

 いざ今日は春の山べにまじりなむ暮れなばなげの花の蔭かは  素性

古今集、春下。
邦雄曰く、雲林院皇子即ち仁明帝皇子の常康親王のお供をして、北山へ花見に行った折の作。日が暮れたからとて花陰が消えてなくなるわけでもあるまいと、放言に似た、屈託のない下の句が、繊細を極めた春の歌群に交じって、かえって快く響く。「思ふどち春の山べにうち群れてそことも言はぬ旅寝してしが」も春下に見え、愉しくかつ微笑ましい、と。

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November 20, 2007

あだにのみ移ろひぞ行く‥‥

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-世間虚仮- インフルエンザ

北極振動の影響とかで強い寒冷前線が列島北部に大雪を降らせている。
足取りの遅い紅葉前線にやきもきしていたかと思えば急変の寒波到来に思わずブルッと身震いをした。
そういえばインフルエンザもすでに流行の兆しとか、例年になく早いペースで、学級閉鎖も各地で起こっているという。
インフルエンザといえば近頃読んだ池内了著「科学を読む愉しみ」に「四千万人を殺したインフルエンザ」(著者ビート・ディヴィス)なる書が紹介されていた。
俗にスペイン風邪と呼ばれた、第一次大戦の終りの頃、1918年から翌年にかけて未曾有の大流行をしたもので、感染者6億人、死者4000万~5000万人に及んだという。当時の世界人口が精々12億人までだったとされており、2人に一人が感染し、60人に一人がこれによって死んだことになるのだから、凄まじいの一語に尽きる。
スペインが発生源でもないのにそう呼ばれるようになったのは、当時のスペイン国王アルファンソ13世が罹患し、宮廷が大騒ぎとなったことからしく、実際の流行のきざはしはアメリカのシカゴ近辺だったからというから、スペイン国民にとっては迷惑このうえない濡れ衣だろう。
後に、このスペイン風邪のウィルスは鳥インフルエンザウィルスに由来するものと証明されているようである。それまでヒトに感染しなかった鳥インフルエンザウイルスが突然変異し、感染するようになったわけだ。
ウィルスの突然変異による新型インフルエンザが突然猛威を奮い出す危険性はつねに潜んでおり、容易に変異しうるウィルスは、決して我々人類に白旗をあげることはないのだ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-82>
 あだにのみ移ろひぞ行くかげろふの夕花桜風にまかせて  一條實経

圓明寺関白集、春、夕花。
邦雄曰く、散る花と移ろう花の微妙な差を、もの柔らかな二句切れに暗示した。第三・四句に渡る「かげろふの夕花桜」は、枕詞の意外な復活活用に、眼を瞠るような効果あり、まことに脆美の極み、13世紀末の春の歌の中での、人に知られぬ絶唱の一つか。作者は一條家の祖、寛元4(1246)年23歳で摂政となった人。新古今の明星、良経の孫にあたる、と。

 契りおく花とならびの岡の辺にあはれ幾世の春を過さむ  兼好

兼好法師集。
邦雄曰く、仁和寺の北、雙ケ岡に墓所を作り、そこに桜を植えた時の詠。死後も共にあろうと花に約束したと歌うのも心に沁むが、死後あの世で、さていかほどの歳月をと推量するあたり、ひそかに慄然とする。「花とならびの」に、冥府での姿も浮かんでくる所為であろう。徒然草の作者で、後二條院に仕えながら、30歳前後で出家して、雙ケ岡に庵した、と。

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November 18, 2007

思ひ寝の心やゆきて尋ぬらむ‥‥

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-世間虚仮- 出口調査のフライング

大阪市長選の投票日でもあった今日の大阪は西北の風が吹いて冬近しの感。
立候補者5人と久し振りのにぎやかさで、おまけに自・公推薦の現職に対抗馬が民主推薦と共産推薦と市民派の3人が相応の有力候補とあってか、期日前投票も前回比1.7倍の11万6000人に及んだというが、さて結果はどう出ることかと思っていたら、投票締切の午後8時を過ぎたばかりで早くも毎日放送元キャスターの「平松候補が現職を破る」とのテロップが流れた。近頃過熱気味の出口調査によるものだろうが、まだ開票にまったく着手できていない段階でのこの報道には些か首を傾げざるを得ない。
投票総数の分母に対して一定量のサンプル調査をすればほぼ100%正確な結果を統計的に確率的に導けるとしても、それはあくまでも予測に過ぎないものなのだから、出口調査によれば当選の模様とすべきところだろう。
こういった報道姿勢にも問題を感じるが、出口調査からはたんに当落の結果だけでなく、いろいろな角度からの分析も得られるから各候補者や推薦政党にとっても貴重なデータとなるのは当然至極で、それが外部に漏れるということは一切ないのかどうか。どことはいわぬが近頃のマスコミの偏向ぶりを思量すれば、そんな疑念まで起きてくるのは些か妄想癖に過ぎないのだろうか。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-81>
 思ひ寝の心やゆきて尋ぬらむ夢にも見つる山桜かな  藤原清輔

続千載集、春下、題知らず。
邦雄曰く、山桜、山桜と憧れて夢に見る、「思夢」のあはれ。「心やゆきて尋ぬらむ」の第二・三句のねんごろな
修辞に、清輔独特の句風が見られる。清輔朝臣集にはこの歌に続いて、新後撰集入選の「小泊瀬の花の盛りやみなの河峯より落つる水の白波」も見える。二条院崩御により、折角選進した「続詞花集」も、勅撰集にならなかった悲運の人、と。

 幾年の春に心をつくしきぬあはれと思へみ吉野の花  藤原俊成

新古今集、春下、千五百番歌合に、春歌。
邦雄曰く、山家集の「梢の花を見し日より」と呼応するかの切々たる真情の吐露。千五百番歌合、時に俊成87歳、初句「幾年の」も重みを持ち、第四句「あはれと思へ」の念押しも、むしろ頷かせる。本歌は金葉集・行尊の同趣の山桜歌だが、縷々たる調べは遙かに勝る。歌合の番は具親の梅花に鶯をあしらった凡作であるにも拘わらず、忠良の判は持、と。

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November 16, 2007

春はなほわれにて知りぬ‥‥

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-世間虚仮- SUDOKU

このところ暇つぶしにSUDOKU=数独に嵌っていた。
もう20年も昔のことだが、ふとしたことからやはり暇つぶしに囲碁を覚えてみようと思い立ち、いくつかの本を買い込んでは我流で手習いをしたことがあるが、これはあまりに奥が深すぎるというか、19×19の盤面上に数限りないほどの手を読むことなど実践も積まない独り遊びではとても上達するものではない。
駆け出しの素人に何度か実践の相手をしてくれた人も居るにはいたが勿論歯が立つ訳もない。そうこうしているうちに暇を持て余し気味だった身分にも大きな変化が起き、やたらと忙しくなってしまって、いつしかその独り遊びも沙汰止みとなってしまい、久しく今日まで遠のいたままだ。
賭け事やゲームなどには向かない気質や性向というものはあるだろうし、自分はそういう類なのだと決めつけて何かに凝ったり嵌ったりなどはまったくといっていいほど縁のない人生だ。だって昔なら河原乞食と他人からは白い眼で見られてきた芝居や踊りの道楽に預けたきたこの身だもの、日々のリズムも思考の関心もその道楽事がどこまでも中心にめぐっていては、たとえ暇つぶしとて凝り型になることはまずあり得ない。
そんな我が身がこの2ヶ月近く、新聞で見かけた数独にひょいと手を出してみたのがきっかけで嵌ってしまったのは、別なことからくるストレスが些か溜まっていた所為なのかもしれない。
お誂え向きにネットでそのものズバリ「SUDOKU数度句」なる無料サイトを見つけたものだから、これがいけなかった。難易度も初級から中・上、さらには上+まであって問題量も豊富で至れり尽くせり。単純なゲームだがやってみると難易度があがると意外に苦闘する。苦闘するほどに意地ともなる。まあ悪循環のようなものでとうとう凝り型になってしまった次第。
こんなことを臆面もなく記しているのは、大概やり尽くしたようだし、そろそろ退き時と見えるからなのだが‥‥。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-80>
 春はなほわれにて知りぬ花ざかり心のどけき人はあらじな  壬生忠岑

拾遺集、春、平貞文が家の歌合に。
邦雄曰く、拾遺集は忠岑の立春歌を巻首に置く。この桜花詠は、古今・業平の「世の中に絶えて桜のなかりせば」と同趣の、逆説的な頌歌である。心のどかなるべき春を、花に憧れ、思い煩い、却って愉しまぬ。他ならぬ自らが思い知った、世の人も同じかろうと、殊更に深刻な詠歌を試み、春花の歓びを強調する。類想はあるが意表を衝く歌、と。

 見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりけり  素性

古今集、春上、花ざかりに京を見やりてよめる。
邦雄曰く、紅葉を秋の錦繍に見立てるのは最早常道、和漢朗詠集の「花飛んで錦の如し幾許の濃粧ぞ」に見るように、桃李も錦、柳桜もまたその光輝と精彩を誇ると感じたのだ。新しい美の発見につながる。詞書の通り「京を見やりて」、即ち都から離れて、高見から見渡し見下ろす、パノラミックな大景である点も、この歌のめでたさ。作者は遍昭在俗時代の子、と。

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November 13, 2007

花のうへはなほ色添ひて‥‥

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―表象の森― マルチチュード

アントニオ・ネグリとマイケル・ハートによる「帝国」の最終章は「帝国に抗するマルチチュード」と題されていた。
グローバル化した世界の新秩序たる<帝国>に対抗しうるデモクラシー運動を根底的に捉えるために、彼らが導入したのは17世紀の哲学者スピノザに由来する「マルチチュード」という概念であった。
ネグリとハートのコンビによる「帝国」に続く書「マルチチュード」はNHKブックスの上下本として05年10月に出版され、私の書棚にも2年近く積まれたままにあったのだが、このほど走り読みながら上巻をやっと読了。

マルチチュードとは<多>なるものである。
人民・大衆・労働者階級といった社会的主体を表すその他の概念から区別されなければならない。
人民=Peopleは、伝統的に統一的な概念として構成されてきたものである。人々の集まりはあらゆる種類の差違を特徴とするが、人民という概念はそうした多様性を統一性へと縮減し、人々の集まりを単一の同一性とみなす。
これとは対照的に、マルチチュードは、単一の同一性には決して縮減できない無数の内的差違から成る。その差異は、異なる文化・人種・民族性・ジェンダー・性的指向性、異なる労働形態、異なる生活様式、異なる世界観、異なる欲望など多岐にわたる。マルチチュードとは、これらすべての特異な差違から成る多数多様性にほかならない。
大衆=Massという概念もまた、単一の同一性に縮減できないという点で人民とは対照をなす。たしかに大衆はあらゆるタイプや種類から成るものだが、互に異なる社会的主体が大衆を構成するという言い方は本来すべきではない。大衆の本質は差違の欠如にこそあるのだから。すべての差違は大衆のなかで覆い隠され、かき消されてしまう。大衆が一斉に動くことができるのは、彼らが均一的で識別不可能な塊となっているからにすぎない。これに対してマルチチュードでは、さまざまな社会的差違はそのまま差違として存在しつづける―鮮やかな色彩はそのままで。したがってマルチチュードという概念が提起する仮題は、いかにして社会的な多数多様性が、内的に異なるものでありながら、互にコミュニケートしつつともに行動することができるのか、ということである。

―今月の購入本-
広河隆一編集「DAYS JAPAN -食べ物と人間-2007/11」ディズジャパン
宮本常一・山本周五郎他監修「日本残酷物語-5-近代の暗黒」平凡社ライブラリー
加藤郁乎「江戸俳諧歳時記-下-」平凡社ライブラリー
西原克成「内蔵が生みだす心」NHKブックス
氏家幹人「サムライとヤクザ -「男」の来た道」ちくま新書
沖浦和光「日本民衆文化の原郷 -被差別部落の民族と芸能」文春文庫
池内了「科学を読む愉しみ -現代科学を知るためのブックガイド」洋泉社新書
他、ARTISTS JAPAN38-梅原龍三郎/39-速水御舟/40-鈴木春信/41-川合玉堂/42-池大雅/43-横山操

―図書館からの借本―
小田実「大阪シンフォニー」中央公論社
小田実「玉砕/Gyokysai」中央公論社
松下貢編「非線形・非平衡現象の数理-2- 生物にみられるパターンとその起源」東京大学出版会

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-79>
 あはれしばしこの時過ぎてながめばや花の軒端のにほふ曙  藤原為子

玉葉集、春下、曙の花を。
邦雄曰く、桜花さまざまの中に、これは軒近く咲く眺め、「この時過ぎて」の躊躇に、曰く言い難い風趣と、屈折した余情が見え、それもまた玉葉時代の歌風の一典型だ。玉葉集選者京極為兼の姉、伏見院・永福門院の女房として、殊に新風樹立に精彩を加えた歌人。藤大納言典侍歌集にも「はなもいざただうち霞む遠山の夕べに盡す春の眺めを」がある、と。

 花のうへはなほ色添ひて夕暮の梢の空ぞふかく霞める  伏見院

伏見院御集、春歌中に。
邦雄曰く、桜を眺めながら花を歌わず、梢を歌おうとして実はその彼方に霞む夕空を、まことに瀟洒に、淡々と描く。交響楽中に、一瞬諸楽器が音を絶ち、木管楽器のピアニシモを聴かせる、あの張り満ちた弱の強さを感じる。「四方山に白雲満てり昨日今日花の盛りに匂ふなるべし」も同題中の一首、鋭い二句切れが見事に効いて、二首は佳き照応をなす、と。

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November 10, 2007

香を尋めて行く空もなし‥‥

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-表象の森- 梨壺の五人

下記紹介の清少納言の父清原元輔の歌の塚本邦雄解説に「梨壺の五人」と耳慣れぬ謂いがある。
平安京の頃、天暦の治(950年頃)と称された村上天皇の代、御所七殿五舎の一の昭陽舎に和歌所が新たに置かれた。その寄人は大中臣能宣、源順、清原元輔、坂上望城、紀時文の五人だったが、この昭陽舎には梨の木が植えられていたことから、彼ら和歌寄人を「梨壺の五人」と呼ぶようになったといわれる。
この五人を中心にして万葉集の訓詁と勅撰集の選進編纂が行われ、藤原伊尹が別当として統括、古今集成立から40年余を経て「後撰集」が奏覧された。
ここで目を惹くのは、前の古今集や後世の勅撰集と異なり、選者の役目を負った寄人ら梨壺の五人の歌は一切採られていないことである。古今時代の紀貫之や伊勢など先代の歌人が中心といえばそうともいえるが、当代の歌人も少なからずあり、身分の高い権門たちの歌あるいは当代女流の中務や右近などの歌が入集している。
彼ら五人に秀歌がなかったわけではあるまい。げんに藤原公任選といわれる拾遺集(1006年頃成立)には大中臣能宣59首、清原元輔48首など多く入集している。
このあたりの事情には、新たに設けられた和歌所に寄人として任じられた五人の選定は、歌人としてよりもむしろ学者としての評価に重きが置かれていたのであろうし、能宣が従五以下、源順や元輔が従五位という身分も関わって、あくまで選考の役にのみ与る黒衣役として期待されたものとみえ、なお唐風の官僚制の残り香が窺えそうである。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-78>
 さだかにも行き過ぎめやはふるさとの桜見捨てて帰る魂  清原元輔

元輔集、ひんがしの院の桜を。
邦雄曰く、本によっては「三月ばかり院の桜折りに罷り侍りて」とある。東院は大内裏神祇官の一院で、神祇伯らの勤める場所。死者の精霊が、花盛りの桜を楽しむこともなく、黄泉へ行くさまを歌った。まことに稀少で特殊な主題であり「魂」の古典用例にも引用される作。清少納言の父としての見識と蘊蓄がこの一首にも察せられる。梨壺の五人の一人、と。

 香を尋(ト)めて行く空もなし磯近き夜の泊りの花の衣手  貞敦親王

貞敦親王御詠、恋中花。 長享2(1488)年-元亀3(1572)年。戦国の世、伏見宮邦高親王の第一王子。
邦雄曰く、旅の道すがら見る桜、それね海浜の桜は珍しい。花の衣手は華やかな衣裳であり、背後には勿論満開の桜が霞んでいる。上句の甘美な表現は絶妙。同じ題の「散れば咲くところ変へても馴れきつる花の旅寝の幾日ともなき」も佳き調べ。歌は三条西実隆に学び、その御詠は秀作に富む、と。

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November 08, 2007

あさみどりいとよりかけて白露を‥‥

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-世間虚仮- 小沢一郎のカタルシス

民主党代表の辞意撤回をした小沢一郎の記者会見、そのTV中継のほぼ全容を見た。
こんな小沢一郎を見たことはない、と私には思われた。
一問一答、記者団の質問に、神妙な面持ちで訥々と、されど真摯に率直に語りつづける姿勢は、嘗て彼に纏い続けた既存のイメージを払拭させるに充分なもの、と余人はいざ知らず私にはそう映った。
政界の寝業師といわれ、百戦錬磨の政界の大立て者、65歳の小沢一郎が、初体験ともいえるカタルシス効果を経て、いま此処に全身をマスコミの前に曝し続けている、それが彼の記者会見を見ての私の第一感だ。

余人を交えぬ福田首相との党首会談で、あり得べきもないはずの自・民大連立へと、誰かに嵌められたか否かはともかく、思わず前のめりに走りすぎてしまった小沢自らの目を覆うばかりの失態に、代表辞任の表明をしてからのここ二、三日の彼は、よほど自身の不甲斐なさやら判断の甘さに自らを責めるばかりであったろう。直情型でもあろう気質を思えば、自身を鞭打つしかない情けなさやら悔しさに、独り吼えるほどに涙したかもしれぬ。
そんな醜態を曝したはてに、そのあと訪れる静かな虚脱感のなかで、裸形の自分自身を見出だすのだ。

かようなカタルシスを経た小沢は、こんどこそ少なからず変身を遂げるにちがいない。
雨降って地固まるなど甘いと、マスコミは民主党のダメージを喧伝してやまないが、私に映ったとおりの変身・小沢ならば、早晩それも杞憂にすぎないものとなるだろう、と敢えて言挙げしておく。
政治家小沢一郎にも、民主党にも、格別肩入れしなければならない義理なぞなにもないけれど、次の衆院解散・選挙までは、小沢を軸に注視の要ありだ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-77>
 あさみどりいとよりかけて白露を玉にもぬける春の柳か  遍昭

古今集、春上、西大寺のほとりの柳をよめる。
邦雄曰く、和漢朗詠集にも「青絲繰出陶門柳」などが見え、遍昭はこの糸に露の真珠をつないで、新趣の美を創った。遍昭集ではこの歌を二首目に置き、冒頭は「花の色は霞みにこめて見えずとも香をだにぬすめ春の山風」。古今集序に「歌のさまは得たれどもまこと少なし。絵にかける女を見て徒らに心をうごかすがごとし」の評あり。貫之自身はいかが、と。

 暮れぬとてながめも捨てず桜花うつろふ山に出づる月影  藤原隆祐

生没年未詳、従二位藤原家隆の嫡男、土御門院小宰相は妹。隠岐配流後の後鳥羽院に親近し、歌壇の主流から外れていたため、不遇の身をかこった。勅撰入集41首。
邦雄曰く、花は昼のみかは、月の出の後も一入ゆかしい眺め、それも咲き初めより、やや色の移ろう頃の味わいは格別だ。隆祐は為家の父定家と並び称された家隆の子。隆祐朝臣集にみる「さらにまた契りし月もしのばれず稀なる夢の有明の空」は別趣の作として印象的であり、父の持ち味を伝える。父の名を汚さず、また超えず、歌人としては不遇であった、と。

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November 06, 2007

夕暮や嵐に花は飛ぶ鳥の‥‥

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-表象の森- アイヌと義経神社

イザベラ・バードの「日本奥地紀行」には
「アイヌの宗教的観念ほど、漠然として、まとまりのないものはないであろう。丘の上の神社は日本風の建築で、義経を祀ったものであるが、これを除けば、彼らには神社もないし僧侶もいなければ犠牲を捧げることもなく礼拝することもない。」という件があるという。
宮本常一はこれに関して、「義経記」が400年ばかり前にどういう経緯でかアイヌの世界へ入っていって、ここでユーカラと同じように語り継がれてきた、と記す。
衣川で討たれたはずの義経が津軽海峡を渡って蝦夷へ逃げのびたという義経伝説がいつしかアイヌにまで流布し、古来のアニミズム的な動物たちの神々とともに、いわば勧請神として祀られてきたというわけだ。
バードのいう丘の上の神社とは、日高支庁・平取町にある義経神社のことだが、この創建は寛政11(1799)年、近藤重蔵によるもので、幕府の命で蝦夷探検にきた際、アイヌに流布する義経伝説を知り、江戸の仏師に義経像を彫らせ、これを祀ったと社伝はいう。
この社伝が事実だとすれば、江戸幕府による蝦夷地開拓のためのアイヌへの露骨な懐柔策、煎じ詰めれば侵略策というべきものだろう。時しも北東アジアを南下する帝政ロシアの脅威もあり、北海道における領土権を主張するためには、元来徳川氏は源氏の末裔を称することからして、義経伝説の流布はまことに好都合、そこでアイヌに語り伝えられる英雄神オキクルミに義経を擬えさせ、これを祀らせたというのが真相だろう。

室町時代の御伽草子にはすでに、北方の各地を遍歴する義経の冒険譚がみられるが、この時点においては義経が奥州を逃れたという記述はまだないが、江戸の寛文10(1670)年に林羅山などによって編纂された「続本朝通鑑」では、「俗伝又曰。衣河之役義経不死逃到蝦夷島存其遺種」と記される。
その先には享保2(1717)年「鎌倉実記」に異伝として義経の中国大陸渡航説があらわれ、後に「義経=成吉思汗」説までまことしやかに囁かれ出す。
「義経=成吉思汗」の伝説は、大正13(1924)年、小谷部全一郎著「成吉思汗ハ源義経也」によって愈々決定づけられ、明治の日清戦争以後の近代日本の帝国主義下、大挙して大陸へと向かう日本人たちを鼓舞してやまなかったとされる。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-76>
 夕暮や嵐に花は飛ぶ鳥のあすかみゆきのあとのふるさと  伏見院

伏見院御集、故郷落花。
邦雄曰く、嵐に花は飛ぶ、飛ぶ鳥の「飛鳥」、明日香御幸、明日か深雪の後の降る、縁語と懸詞が錯綜するのみならず、それが現実の事物や現象と結びつき、立体的な色と香と響を持つからくりは、歎息が漏れるくらい見事だ。また「恨みじなよその花をば隔つとも桜にこもる春のふるさと」もあり、これも、殊に下句の巧妙な修辞が、新古今調を超えて面白い、と。

 山桜咲き初めしよりひさかたの雲居に見ゆる滝の白糸  源俊頼

金葉集、春、宇治前太政大臣の家の歌合に桜をよめる。
邦雄曰く、満山花となる季節には、瀧が白雲の間から落ちてくるようにも見えるという。もともとあった滝ながら、桜故に興趣一入。上下五句を纏綿と連ねて句切れが全くない。描かれた風光と調べが表裏一体をなし、妙なる一首となっためでたい例であろう。前関白師実主催の高陽院殿七番歌合の「桜」。白河法皇の命により金葉集を選進した。源経信の子、と。

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November 03, 2007

見渡せば向つ嶺の上の花にほひ‥‥

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-世間虚仮- 豊作のドングリ

今年はドングリがたくさん落ちていて里山は豊作だとか。
こんな年は、山に棲む野生の動物たちも、里に下りてきて農家に迷惑をかけることは少ないに違いないと。

そういえば、昨日久し振りに幼な児を連れて蜻蛉池公園に行ったのだが、いつもの遊具施設にも遊び疲れた子どもとひとしきりドングリ拾いをしてみたのだが、あるわあるわ、見つけるほどに子どもは興が乗ってしばし夢中になる。このあと二人で数えてみれば大小合わせて100を超えていた。
幼な児は拾い集めたドングリを袋に入れて、帰り道もずっと大事そうに抱えて歩く。樹々の影が長く伸びた秋天のたそがれ時、澄み渡った空気が美味しかった。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-75>
 桜花にほふともなく春来ればなどか歎きの茂りのみする  伊勢

伊勢集、春ものおもひけるに。
邦雄曰く、古今・春上、在原棟梁の「春立てど花は匂はぬ山里はもの憂かる音に鶯ぞ鳴く」を上句に写した。後撰・春中には「よみ人知らず」として入選、それもまた一興、歎きと呼ぶ木が繁るなど、ふと誹諧歌を思わせ、憂愁悲歎の色濃い歌に思いがけぬ微笑を発見した心地。伊勢集は息女中務が編纂、村上天皇に献上したと伝える。冒頭歌30首は歌物語、と。

 見渡せば向つ嶺の上の花にほひ照りて立てるは愛しき誰が妻  大伴家持

万葉集、巻二十、館門に在りて江南の美女を見て作る歌一首。
邦雄曰く、結句七音でこれが桜花ならず、花さながら佳人の隠喩で、第四句までがほとんど序詞に等しいことが判る。だがたとえ詞書にもことわっていても、爛漫の、盛りの山桜を一応はありありと思い描かざるを得ぬまでの、圧倒的な調べをもっていて、それもまた愉しい。江南は揚子江の南岸だが、この歌では単に堀江の南。唐詩的美観は一首に明らか、と。

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November 01, 2007

思ひつつ夢にぞ見つる桜花‥‥

Hisenkeikagaku

-表象の森- 文系脳の非線形科学 №1

11月1日、霜降、紅葉蔦黄ばむ候、愈々今年もあと2ヶ月となった。
先日記したように「非線形科学」を読みおえ、混濁した頭を抱えつつなんとか理解の歩を進めたいと悪銭苦闘しているのだが、なかなかに点と点が結ばれて線へとはならないものである。
これまで科学的な知見に対し、どれほど直感的かつ好い加減に接してきたか、たんなる言語遊戯にすぎなかったのではないかと悔恨しきりである。
だが、このたびはこのままやり過ごすわけにはいかぬ。
あくまでも私なりにではあるが、本書をほぼ理解する必要があると、そんな衝動が、熱が身内を貫いている。
おそらく、これらの理解は、私がずっと拘ってきた身体表現のありように、方法論的な明証さを与えるものとなるはずだ、とそう思うからである。
遅々とした歩みだとしても、ひとまず歩き出さねばならない。

<フィードバックシステム>
栄養物の入った容器のなかで増殖するバクテリアは、バクテリアの量が少なく栄養が充分に豊富なあいだはどんどん増殖するが、その限りにおいて増殖の速さはバクテリアの総量に比例するという線形的な法則が成り立っているかとみえる。
しかし、容器内の栄養物が枯渇してくると、この比例関係は成り立たなくなり、増殖は頭打ちとなる。この場合、増殖の進行そのものが増殖を押しとどめる原因となるという、自動調節機構が働いていると考えられるが、この機能をフィードバックといい、事態の進行がその進行そのものを妨げるように働くことを、負のフィードバック=ネガティヴ・フィードバックといい、
その逆に、栄養物が枯渇するまでバクテリアの自己増殖がどんどん促進される、その機能を正のフィードバック=ポジティヴ・フィードバックという。
このように生化学反応における自己増殖や自己組織化にはフィードバックシステムが欠かせない。
生物は熱力学の第二法則に反して、エントロピーの高い状態を保ち続ける物質であり、そのためには、動物の場合の化学エネルギーであれ植物の場合の光エネルギーであれ、たえずエネルギーを必要とする。これらのエネルギーを体内に取り込んでは捨てるという代謝作用が分子的に組みあげられた複合体が生物である。
細胞内ではこれら正と負の2つのフィードバックシステムはさまざまな場面で現れ、細胞の自己組織化をコントロールしている。ネガティブ・フィードバックは代謝反応の制御や細胞増殖の制御に利用され、ポジティブ・フィードバックは情報伝達と応答反応に利用されている。遺伝子発現の制御、複製や細胞分裂など複雑な生命現象では双方が同時的に働き、巧妙な仕組みが成立している。
一般にポジティヴ・フィードバックが働く場合は、それを抑制するネガティブ・フィードバックが備わっていないと破滅的な結果にいたる。正と負の双方のフィードバックをあわせもつ複合的な非線形システムは、自然界において広く存在する。

元来フィードバックとはサイバネティクスにおける用語であるが、この考え方は人間社会でも多く取り入れられている。
分かり易い例を引けば、個人レベルにおける「反省」ということ。反省とは経験から学んだ大切なことを文章にして、他人に伝えることができる形にすることだが、通常、反省はポジティブではなく、ネガティブな経験から教訓を導き出すように使われ、自らの失敗や不十分さを謙虚に認めることや、同じ過ちを繰り返さないために、その原因を分析し明らかにする。
また、さまざまな事象や問題に対する評価や批判は、社会のフィードバック制御であるといえる。
行政の行動に対しては選挙やマスコミによる世論調査、裁判、NGOの活動などがいろいろな評価をする。経済活動に対しては価格や市場、株価などが結果的にポジティブ・ネガティブに作用する。これらは外部の独立した仕組みとしてのフィードバックシステムといえるだろう。実際には、あらゆる組織というものはそれぞれにおいてなんらかのフィードバック・システムを内蔵してその安定を保とうとしているものである。それぞれ固有の歯止めとしてのフィードバックシステムが働かなければ組織がうまく機能しないというわけである。

だが、これら人間社会にもさまざまにみられるフィードバック・システムには、制御の「遅れ」という難題がつねに立ちはだかってもいるともいえる。
近頃の、NOVAの破綻騒動にしても然り、C型肝炎の薬害問題然りで、行政の監視システムや法制上の綻びなどさまざまに複合的な原因が云々されようが、これらすべてフィードバックの制御システムの「遅れ」の問題といえるわけである。
NOVAや薬害問題のごとき大きな事件にかぎらず、いわば新聞紙面やTV報道に日々登場するあらゆる事件や事象のうちに、この制御の「遅れ」という問題が潜んでいるのだ。
  -参照-蔵本由紀「非線形科学」、メルマガ「森羅万象と百家万説」

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-74>
 思ひつつ夢にぞ見つる桜花春は寝覚のなかからましかば  藤原元真

後拾遺集、春上、題知らず。
邦雄曰く、歌仙家集中の元真集には、この勅撰入集作一首だけが見えない。桜花詠は家集中にも秀逸が多く、この歌も現実の花よりは夢の中の憧憬の桜、その幻影を愛し、目覚めのないことを冀うなど、独自の味わいがある。第一・二句の思ひ寝の夢を「思夢」という。後撰集時代の代表的な歌人ではあるが、一首も採られず、入集はすべて、後拾遺集以下、と。

 かねてよりなほあらましにいとふかな花待つ峯を過ぐる春風  守覚法親王

北院御室御集、春、山花未綻。
邦雄曰く、予想の幻の中に、峯の山桜はまだふふみそめたばかりの花を、荒々しく過ぎてゆく風に虐げられ、傷つく。花に盡す心はここまで深まり、先回りをし、その終の姿まで思い描いて厭い悲しむ。守覚は仁和寺の総法務で、世に北院御室と称され、仁和寺宮五十首を催し、俊成・定家・俊恵・重家を始め、新古今成立前後の歌人たちのよき後援者、と。

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