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October 29, 2007

朝夕に花待つころは思ひ寝の‥‥

Nosenosato071028_2

-世間虚仮- 吾れは思案投げ首、幼な児は溌剌元気印

4日ぶりの言挙げである。
このところ書くことが疎かになっているのには二つばかり理由がある。
その一つは、近頃読んだ蔵本由紀著の「非線形科学」(集英社新書)に自身の思考回路が乱れているからだ。
非線形科学とは、生命体のリズムや同期現象、カオスやゆらぎ、フラクタルやネットワーク理論など、非線形・非平衡系現象における数理学の総称だが、本書はこれらの理論について極力数式を用いず解説してくれた画期的な教科書といってもいいだろう。
あえて教科書と称するのは、本書を教材として可能なかぎりにおいて理解すべきもの、そう自身に課さねばと一読して思ったからだ。しかし理数系の思考回路は遠く眠りに墜ちたままでどうにも理解が及ばぬ、判然とせぬまま時間ばかりが過ぎてゆく。
理数得意の頭脳明晰なる御仁あらば、誰か本書に基づきつつ私に講義でもしてくれないものかと、そうでもしないかぎりまがりなりにも本書をマスターすることなどおよそできそうもなく、他力本願に縋ってみたくもなっているのだが、さてどうしたものか‥‥。

もう一つは、
このブログを書き始めてよりすでにまる3年が過ぎたが、つい先日、これをすべて紙ベースに打ち出してみた。
A4にて計1174頁、一部私のブログに対する他者からのコメントも含まれるから、全てが私自身の書き残したものではないが、それにしても書きも書いたり、よく綴ってきたものと感心したり呆れたり。
このところ時間をみつけてはそのファイルをざっと読み返したりしているものだから、新しく筆を起こすのになかなかエンジンがかからないという始末なのだ。
他者からのコメントが豊富なのは書き始めてから3ヶ月ばかり経った04年12月頃から05年6月頃までの半年余りに集中している。この頃のエコログ、Echo空間はコメントにおける対話もまた濃密なもので、いま読み返してみても興の削がれることがなく、なかなかの味わい。一時期にせよネットでのコミュニケーションがかくも濃密にあり得たことの果報はまこと捨て難いものと思い新たにしているこの頃でもあるのだ。

さて、話題は転じて幼な児のことなど。
昨日の日曜は伊豆諸島から房総沖を快足で通過した台風20号の影響か、近畿地方はまさに爽風秋天。蒼空の秋日和を満喫しつつ能勢方面へと車を走らせた。めざすはアスレチックセンターのある「能勢の郷」。
阪神高速の11号池田線から能勢方面へと延伸された道路を走れば、池田の五月山公園を越えたあたり、国道173号線に出て能勢電と並行するように走ることとなるから、能勢行きもずいぶん近くなったものである。渋滞さえなければ自宅から所要時間1時間余りで着く。
今夏、信州行きの旅で、戸隠のチビッ子忍者村でアスレチックに興じた幼な児は、今度は幾分か難易度の上がった本格派(?)のコースに、初めのうちこそ恐る恐るの態で臨んでいたが、計50近くもある各ポイントのいくつかを巡るうちに度胸もついてきたかとみえて、しばしの休憩を挟んで延べ3時間ほども費やして完全制覇。各ポイント通過するたび入場の際に貰ったカードに母親と一緒に自分で○をつけていくのだが、どうやらこの子は「よく出来ました」とばかり○を獲得することとなるとやたら情熱を燃やす性向があるらしく、山道のアップダウンもものともせず後半になるほどに調子を上げていたのには、その根性たるや恐るべしと連れ合いと顔を合わせては笑ったものである。
そういえば、毎週通うピアノ教室でも、この教室では楽譜を演奏するばかりか、五線譜を書いたり音符を読んだりといくつもの教材が与えられているのだが、彼女は一つ仕上げるたびに先生から○を貰うのをやはり格別の励みとしているようで、教室から帰るたびに「るっちゃん、ぜんぶ○をもらったよ」と得意げに報告するのがいまや習慣となっている。
何事によらず幼児期におけるこういった達成感への歓びと拘りは、大なり小なり誰しもが示す性向だろうが、彼女の場合、未知の新しい場面では必ず緊張や強ばりを示しなかなか自身を開放できないという、決して順応性の高くない身であってみれば、その反動としてこういった性向が強くなってくるのかもしれない。

○ばかり貰っていたってご機嫌の幼な児、その溌剌とした日々に比べ、前述の如く私のほうはこのところ些か低空飛行気味か。このぶんではとても○など貰えそうもない。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-73
 朝夕に花待つころは思ひ寝の夢のうちにぞ咲きはじめける  崇徳院

千載集、春上、百首の歌召しける時、春の歌とてよませ給うける。
邦雄曰く、思ひ寝の花は現実にさきがけて夢の中で咲きはじめる。心の沖を薄紅に染めて、そのはるばると華やぐ光景は、あるいはうつつの姿に勝ろう。久安6(1150)年の崇徳帝は31歳、平治の乱の十年前である。千載集では、御製の前に同百首の藤原季通作「春はなほ花の匂もさもあらばただ身にしむは曙の空」が見え、共に清新な調べである、と。

 うつせみの浮世のなかの桜花むべもはかなき色に咲きけり  安達長景

長景集、春、花歌。
邦雄曰く、桜の花のめでたさはさまざまに歌われてきたが「はかなき色」と嘆じた作は珍しかろう。儚さは主として咲けばたちまちに散る花の命への言葉であった。第一・二句の同義反復語が、第四句に色濃く翳りを落とし、異色の花の歌となった。作者の母は新古今歌人飛鳥井雅経の息女。北条時宗の死に殉じて出家、鎌倉御家人中では随一の重臣であった、と。

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October 25, 2007

木々の心花近からし昨日今日‥‥

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-世間虚仮- ニュース三題

「金大中事件」
34年前(73年8月)の金大中拉致事件は、当時の韓国大統領朴正熙の関与したものであろうとは事件直後から推測されていたことだが、昨24日、韓国情報院の調査委がKCIA犯行説を結論づける報告書を公開したことでその蓋然性は愈々高くなったとみられる。
事件2年前の大統領選において民主党の金大中候補は現職の朴正熙に97万票差に迫る支持を得ていた。この選挙直後、大型トラックが金大中の乗る自動車に突っ込み、死者3人を出すという事故を起こしている。幸いにも金大中は死を免れたが、腰や股関節に障害を負った。ずっと後に政府は、KCIAによる事故を装った暗殺工作であったことを認めている。
同じ年、朴政権は非常事態宣言を布告、戒厳令を敷いた。いわゆる十月維新である。身に危険の迫る金大中は海外へと亡命生活を余儀なくされ、主に日本やアメリカに滞在することになる。

「学力テスト」
今年4月に全国の小6・中3生を対象に実施された学力テストの調査報告が文科省から公表されている。
実施されたテストは、国語と算数・数学ともに、A=知識、B=活用に分けられていたらしい。応用ならともかく「活用」とは耳慣れないが、近頃の指導要領ではそういうことなのか。
小6国語A=81.7%、B=63.0%、算数A=82.1%、B=63.6%
中3国語A=82.2%、B=72.0%、数学A=72.8%、B=61.2%
とそれぞれの正答率が示され、基礎たる知識は結構だが活用は苦手の傾向と報じられてが、私などには正答率の高さにむしろ驚いているくらいで、基礎と応用のこれくらいの落差は取るに足らぬごく常識的なものではないかと思われる。
地域間格差も昔に比較すれば非常に縮まっているという。然もあろう、結構なことではないか。犯罪や自殺の低年齢化と学力の低下傾向などはそんなに短絡的に結びついているものでもない。昔に比べて世界水準のなかで子どもたちの学力が相対的に低落傾向にあることなど、高度成長期の頃じゃあるまいし、そうムキになって目くじら立てるほどのことではなかろう。
安倍宰相の置土産のようなこの学力テスト、文科省は今後も毎年続ける意向のようだが、果たしてそんな必要があるのか大いに疑問。

「新幹線・栗東駅」
もったいないとばかり嘉田新知事を誕生させた、新幹線の新駅誘致騒動に揺れた滋賀・栗東駅問題にやっと終止符が打たれた。
この春の統一地方選挙で、新知事への抵抗勢力たる県議会の自民勢力が大幅に後退したのが分岐点となっただろう。
抑も建設費約240億円を地元負担で誘致しようというこの計画、地域活性化を新幹線の新駅でと巨費を投じようとの構想自体、時代の要請に逆行する発想としか思えぬが、中止と無事決着をみたことはよかったのではないか。
それにしても地元負担による誘致駅を「請願駅」と呼ぶようだが、国と地方の権力構図そのままにこんな呼称が罷り通っているなんて溜息の一つも出てこようもの。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>
秋の歌も前稿で最後となり、夏・冬・恋・雑とともにすべて完、あとは春の歌を七十数首残すのみとなった。これから晩秋を経て冬の到来となるというのに、時節柄不似合いな春の歌を紹介していかねばならないのは些か恐縮ではあるが‥‥。

<春-73>
 木々の心花近からし昨日今日世はうす曇り春雨の降る  永福門院

玉葉集、春上、花の歌よみ侍りける中に。
邦雄曰く、春上の巻軸に近く、桜花やうやく咲き出る前駆の歌として現れる。開花を誘う春雨の歌として八条院高倉の「ゆきて見む今は春雨ふるさとに花のひもとくころもきにけり」がこれに続くが、「木々の心」と六音初句で歌い出す永福門院の、至妙の修辞とは極めて対照的に温順な調べだ。第四句の「世はうす曇り」も一首にふくらみと重みを加える、と。

 桜咲く遠山鳥のしだり尾のながながし日もあかぬ空かな  後鳥羽院

新古今集、春下。
邦雄曰く、新古今・春下巻頭第一首。藤原俊成の90歳の賀を祝った時の屏風歌、「山に桜咲きたるところ」。山鳥の尾の第二・三句が人麿の本歌取りであることなど、霞んでしまうくらい悠々として長閑に、かつ艶な眺めであり、帝王の調べといえよう。建仁3年霜月、後鳥羽院23歳、賀歌はそのまま院の、春たけなわの世の風光であり、心の花の色であった、と。

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October 23, 2007

野分せし山の木の間を洩る月は‥‥

Himawari

-世間虚仮- 禁煙ならぬ「禁煙法」のすすめ

10月1日からとうとう大阪市でも路上喫煙禁止条例が施行された。とりあえずの禁止地区は御堂筋全域と市庁舎付近一帯とか。やがて市内全域における路上禁煙となるのは時間の問題なのだろうが、喫煙者にとっては愈々肩身の狭い世間となってきたものである。
違反者には罰金1000円也が課されるというが、そういえば施行初日の朝、2時間半の取締りで30人近くが過料となったと報じられていたったけ。
日本専売公社が日本たばこ産業(株)=JTと民間の特殊法人となったのが1985(S60)年4月1日だから、すでに20年余が経つが、この間の欧米諸国から波及してきた喫煙有害キャンペーンの高まりは止まることを知らず、全国各地にあったJTのたばこ製造工場も年々閉鎖されており、現在17工場を残すのみとか。
年間の国内販売数量も96年から06年の十年余で、3,483億本から2.700億本と22%もの減少となっており、その背景には健康志向の高まりによる禁煙率の上昇と相次ぐ値上げとが大きく影響しているとしか思えぬ。
その健康志向からの厚生省の指導ゆえとは判っていても、生産者であり売り手であるJT自らが、その自社製品を健康に有害であるから吸い過ぎに注意と、パッケージに警告の文言が付されるという、矛盾このうえないまことに奇妙な事がなされるようになったのはいつの頃からだったか。
自販機から落ちたタバコを手にし、ふとその文言を眼にするたび、ちょっとした奇異感を抱いたものだが、それもいつしか倣いとなって、眼に入れど眼中になし、といった体でやり過ごすようになってずいぶん久しいものだ。
ところが、なぜだか今日は外出から帰ってきて椅子に腰掛けた瞬間、なにげなくふとそのパッケージに書かれた文言に眼がいって読んでしまったのだが、初期の頃の申し訳程度のキャンペーンからいつのまにこんなにまで徹底したものになったものかと、その変容ぶりに気づいてビックリした次第。
曰く「人により程度は異なりますが、ニコチンによる喫煙への依存が生じます。」
その裏には「喫煙は、あなたにとって脳卒中の危険性を高めます。」とあり、さらにその下には「疫学的な推計によると、喫煙者は脳卒中により死亡する危険性が非喫煙者に比べて約1.7倍高くなります。」と丁重なるご忠告。
偶々、まだ捨てずにあった空き箱も含めて4つのパッケージを見比べてみれば、これが驚きで各々みな書かれていることが異なっている。
曰く「喫煙は、あなたにとって肺がんの原因の一つとなります。」その下の解説では同様に「約2倍から4倍」と。
また曰く「妊娠中の喫煙は、胎児の発育障害や早産の原因の一つとなります。」その下には同様に「約3倍」と。
さにらまた「喫煙は、あなたにとって心筋梗塞の危険性を高めます。」また同様に「約1.7倍」と。
さらにさらに「たばこの煙は、あなたの周りの人、特に乳幼児、子供、お年寄りなどの健康に悪影響を及ぼします。喫煙の際には、周りの人の迷惑にならないように注意しましょう。」などとまことにヴァリエーション豊富なのには畏れ入った。
300円のたばこに6割余の税をかけ、2兆円余の税収を得ながら、かほどにまで健康被害を云々し節煙・禁煙キャンペーンをはらねばならないというのもずいぶん人を喰った話だが、その矛盾はさておき、ならば昔あったアメリカの「禁酒法」よろしくとっとと「禁煙法」なり「たばこ販売禁止法」なりを政府主導で作ってしまえばよかろうもので、順法精神の旺盛とはいえぬまでも自らすすんで違法行為なぞできぬ小心者の私など、「禁煙法」成立とあれば万事休すと禁煙せざるを得ないというものではないか。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-134>
 ふるさとは散るもみぢ葉にうつもけて軒のしのぶに秋風ぞ吹く  源俊頼

新古今集、秋下、障子の絵に、荒れたる宿に紅葉散りたる所をよめる。
邦雄曰く、千載集にも見る俊頼の紅葉は「秋の田に紅葉散りける山里をこともおろかに思ひけるかな」と、着目の面白さが修辞の理がましさで死んでいたが、この障子歌は景色を叙したのみで一切説明は消し、惻々たる侘びしさを伝えているあたり、新古今歌人の好尚に合致したのであろう。上・下句の対照によって秋の心を強めているが、即き過ぎの感もある、と。

 野分せし山の木の間を洩る月は松に声なき雪の下折れ  三条西実枝

三光院詠、秋、山月似雪。
邦雄曰く、異色ある眺めと意外な表現を求めながら、あくまでも作法の則は越えまいと苦心した結果、渋く微妙な味わいの、この雪折れ松のような歌が生まれる。第四句の「松に声なき」あたり自信のある技巧と思われる。惜しむらくは上句の説明臭だが、これもまた16世紀後半の特徴の一つか。作者は細川幽斎に古今伝授をした歌人として令名を謳われる、と。

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October 20, 2007

影をだに見せず紅葉は散りにけり‥‥

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-表象の森- 「KASANE Ⅱ-襲-」構想メモ

京都 ALTI BUYOH FESTIVAL 2008への出演作品のために、とりあえずの。

春ならば桜萌黄や裏山吹など、秋ならば萩重や女郎花など、襲(かさね)の色はこの国特有の美学だが、その美意識は蕉風俳諧の即妙の詞芸にも通じていよう。
このTrioによるDance Performanceは、三者の動きの、その絶えざる変容と重畳がとりどりの襲となって、森羅万象、襲の色の綴れ織りとも化そう。

ギリシア劇が三人目の登場人物(俳優)を獲てはじめて世界の実相を映すまさに演劇として成立したように、自と他に、もうひとりの他者が現前することはこの世界を表象しうる根源的な要件となる。ならばこそ芭蕉の連句も、稀に二者で成ることもあったがこれは例外的で、三者以上で巻くことを本旨としたのだろう。舞踊における連句的宇宙をめざすわれわれのImprovisation Danceもまた三人目の登場人物(Dancer)を獲ることは必須の要件であった。
襲(かさね)の色もAとBとの対照で成り立つかのようにみえるが、そこではAでもなくBでもない異なるC群、無数の他者の存在を前提とも背景ともしている。すなわちもうひとりの他者Cは有限個でありつつ無限の他者ともなりうるのだ。そこにわれわれ人間世界の秘密がある。われわれは森羅万象の世界へと旅立ち、宇宙の曼荼羅へとも飛翔しうる。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-133>
 影をだに見せず紅葉は散りにけり水底にさへ波風や吹く  凡河内躬恆

躬恆集、上、平中将の家の歌合に、初の秋。
邦雄曰く、躬恆散紅葉の秀作が多い。「風に散る秋のもみぢ葉後つひに瀧の水こそ落としはてつれ」「水の面の唐紅になるままに秋にもあへず落つるもみぢ葉」等、いずれもねんごろな詠風だが、「水底にさへ」の幻想の鋭さと深みは格別だ。花散るさまを夢に見ると歌った作者ならではの発想である。一首の終った時初めて水中の紅葉が眼に浮かぶようだ、と。

 秋もはや末野の浅茅すゑつひに霜に朽ちなむ露のさむけさ  尭孝

慕風愚吟集、応永二十八年五月。
邦雄曰く、同義語の連綿重複によって、秋も終りの侘しさをいやが上にも強調しようとする手法、短調の暗澹たる悲歌を聴く感あり。歌僧頓阿曾孫にあたり二条派歌人の代表と目されていた尭孝の個性がよく覗える。「暮秋」題の一首「誰が方に待つとし聞かぬ秋もはや因幡の嶺の雲ぞしぐるる」も、歌枕をさりげなく生かしており、侘しさの極致、と。

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October 18, 2007

もみぢ葉の流れてとまる湊には‥‥

Kaze2

-世間虚仮- 困った人々

極私的な、あまりに極私的な私信だが、偶さかこんなものを綴ってみなければならない時もある。

From TA
> N君から メイルが2本入っているが、TAには意味不明。
貴君の翻訳 あるいは意見・感想をお願いする。

> まずは、不足額が生じた経緯を説明し、原因や根拠などを幹事全員の確認課題として共有すること。いつもこれがないまま幹事会が終了してしまったり、次に進んでしまう。貴男の取り纏め確認がないので、それぞれが勝手に思い込んで事態が進行してしまっていることが多くないか。そして、幹事の面々から思っていることをさらけ出してもらうこと。多くの人にストレスが溜まっているようです。

> 20日の反省会どうなったのかな?何の資料も届けずに参加だけしてくれなどとは!それに今回は重要な課題があるというのに。清算がうまくいったのなら、多くの幹事が参加しなくてもいいのかもしれないが。とりあえず、やり繰りを教えてください。

From Shihoh to TA
まず、彼特有の拘りの強さ、攻撃的な性格を考慮しても、今回の拘り方は些か過剰気味とは思えますな。
彼の心理的な背景を考えると、二次会で彼自身もなかば強制的に5000円のカンパ(その場の費用を含む)させられていることが、まず引っ掛かりにあるのではと推察しております。
その上に、幹事全員に赤字の穴埋めを強制するのか、そんな法外な話はあるか、というように私には聞こえます。
「清算がうまくいったのなら、多くの幹事が参加しなくてもいいのかもしれないが。」などと言っているのは、20日の土曜日に出席しにくい状況が、喩えばアルバイトなど、あるのではないかな? 赤字清算のために幹事たちに負荷をかけないで済むようなら、自分もわざわざ無理をして出席しなくてもよいかもしれぬ、とこれはあくまでも単なる推測。
大きな赤字を出して、その後始末に幹事全員が穴埋めを余儀なくされるとすれば、問題は大きく、「不足額が生じた経緯を説明し、原因や根拠などを幹事全員の確認課題として共有すること。」というのは、彼流でなくとも一応筋の通った話ではあります。
ただこれほどに拘り、あちこちと連絡を取って、騒ぎを大きくしているのは、正論を通り越して過剰反応、逸脱行為で、その深層の根拠は、始めに記したように「5000円のぼったくり、そりゃないぜ。その上にまだ‥‥そんなバカな!」ということではないかな。
ただ、今次にはじまったことではなく、彼の存在はなにかと周囲を波立てる。
いつかどこかで、これを押さえ込む、封じ込める必要はあるでしょう。それについて今回をひとつの機会とするかせぬか、考える必要はありましょう。
彼のやり口はやり口として、少なくとも代表幹事の進め方には異議申立てをしているのであって、たえず不信任を突きつけているといってもいい訳で、この際、彼の一連の異議申立てを、代表幹事への不信任案として受けとめ、逆手ながら此方側から幹事会に提議し諮る手もありますな。
些か荒療治ですが。

From TA
君の解釈もやっぱり そうか・・・困ったものだ。
10/17の代表幹事会にてメイルを公開し、協議も考えたが、彼に同調しつつある彼女がいるのでいかがなものかと思い、貴君に相談した次第。
荒治療が必要かもしれない。しかしあくまで最後の手段としたい。半日考える。

From Shihoh to TA
「彼に同調しつつある彼女」とは誰のこと?
もしそれがK女史ならば、むしろ愈々私としては捨て置けませぬ。

抑も、同窓会などというのは、対象は15期生と限定されながらも、まったく任意の団体で、各会員に対してなんらの強制力ももちません。
全同窓生を対象とした市岡同窓会ならば100周年記念行事を機に、同窓会館などという不動産を所有(といっても実際の登記名は同窓会ではないようですから、厳密には所有とは言い難いのですが)しており、その時点でNPO法人などにすべきかと、私などは考えますが、15期会に関しては、将来においてもそんなことはあり得ないから、規約を設け、代表幹事といい、幹事会といっても、すべてはこの任意の団体たるネットワーク組織に、ひたすら下支えのサービス機能を負うばかりのものです。
一旦、規約を作り、組織図を描いてみせると、どうしても上部構造から下部構造へとヒエラルキーがあるかのごとく見えましょうが、そんなものはまったくの幻想にしか過ぎなく、実態は余暇利用のボランティアでしかありません。

さて、N君という人は、その家族関係においてはいざ知らず、他者をも含むグループ活動となれば、どんな場所においても「お騒がせマン」にならざるを得ないという性癖の人のようです。
地方公務員だったからそんな彼をまだしも包容し得てよかったようなものの、民間だったら激しい衝突の繰り返しでどうなっていたか、想像するのも困難なほどでしょう。

今回、大きな赤字を作ってしまったこと、あくまでもその金銭上の問題の根拠は、ビュッフェ方式から個別料理へと転換したこと、それによって当初見積額に税サ込115000円が課されることを、代表幹事一同やすやすと見逃したこと。
もう一点が、恩師招待の寄付金が、11名中2名ですか、想定外に低かったことの見誤り、
この二点に尽きる訳ですが、金銭上はともかく、ではなぜこの程度の初歩的なミスが生じるような醜態を演じる代表幹事会や幹事会であったかを考える必要はありましょう。
私がホテルサイドに「してやられた」と言っているのは、言い換えれば「N問題」ならず「K問題」を差して言い換えているにすぎません。

彼女のサービス機能の本質は一言でいえばどこまでも「名誉職」です。
どうしてもこの名誉職としてしか機能できないKについては我々みな百も承知ですが、彼女がホテルの折衝役窓口なのですから、われわれ他の者が迂闊にもこれに対しチェック機能を果たさなかったのは大失態でした。
ただ、これまでも新年会であれ忘年会であれ、また幹事会の流れの食事会であれ、彼女が自分の「顔を利かし」、彼女の「お世話」で、殆どのことが動いてきました。
こういう人は、自分の泳ぎたいようにしか泳ぎませんから、我々としても眼に余らばともかく彼女流をなるだけ許容し、それに乗るかのようにしながら事を運んできたのが、およそ実情でしょう。
おまけに、これまでは彼女が会計であり実際に「金」を握っていたので、今回のような問題が起きなかったという一面があります。
引き続き今回も彼女が会計であったら、ひょっとすると彼女でさえも初期の変更段階で、或いはしばらく経ってからでも問題に気づいたかもしれません。
「泳ぎたいように泳いでいる人」は、ほとんどの行為が無意識に選択されており、なかなか学習することがない。
これまでは、自分が金を握っていたから、その出入、収支には彼女なりに敏感にならざるを得ない。どうなるか心配もするから頭で算盤をはじく。今回、彼女はホテルとは自ら交渉役を任じながら、その役目は打棄ったままにしてしまった。そんなこと考えもしなかった。
そんな彼女の落とし穴が、我々みんなの落とし穴ともなった訳です。
したがって、冒頭に記したように、「彼に同調する彼女」がもし「K女史」であれば、
私としては、この騒ぎ愈々見逃しがたく、不信任動議同然のものとして、幹事会にて存分に話し合うべしと考えますが、如何に?

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-132>
 もみぢ葉の流れてとまる湊には紅ふかき波や立つらむ  素性

古今集、秋下。
邦雄曰く、藤原高子が春宮の御息所であった時に月次屏風の「龍田川」に添えられた歌。業平の百人一首歌「からくれなゐに水くくるとは」も同じ屏風歌で、この2首古今集にも並んで入選しているが、素性の深紅の波の方が遙かに面白い。龍田川を絵に譲って、歌が普遍性を得たところもよい。代表作「柳桜をこきまぜて」と好対照をなす秀句である、と。

 とどまらぬならひありとは慰めて秋も別れぬきぬぎぬの空  亀山院

亀山院御集、暮秋詠十首和歌、暮秋別恋。
邦雄曰く、亀山院の皇子・皇女は30人に余り、嵯峨帝の80余人に次いで歴代2位と伝える。勅撰入集107首、歌人天皇後嵯峨に似て、その詩才は抜群、この季節と愛人との二つの別れを兼ねて歌った「暮秋別恋」も、曲線を描く優美な調べは並ならぬ味わいがある。続拾遺・秋下の「紅葉をば今ひとしほと言伝ててむしぐるる雲の末の山風」も胸に沁む、と。

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October 16, 2007

空見えて影も隠れぬふるさとは‥‥

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-表象の森- 女性の地位

近代化の明治期より封建制の江戸の社会のほうが女性の地位はむしろ高かった、と。
そんな一面があったということを宮本常一は「『日本奥地紀行』を読む」のなかでごく分かり易く説いてくれる。
戦後に改められた現行の戸籍制度ではなく、明治の民法に基づいたそれが「家」を中心にした大家族制だったことはだれでも承知していようが、その記載形式の有り様は、戸主を筆頭に、その次ぎにくるのが戸主の父母、そして戸主からみた叔父や叔母たちが並んで、やっと戸主の妻となり、さらには彼らの子どもらが記載されることになる。
ところが、檀家制度に乗っかった江戸の宗門人別帳においては、戸主を中心にした大家族制にはちがいないが、戸主の次にその妻が記載され、戸主-その嫁-子どもたちときて最後に隠居した父母がくるのが定法であったというのだ。

あくまで戸籍の形式上のことではあるが、女性の地位は江戸から明治へと時代の変転のなかで却って貶められている。
将軍と藩侯の二重支配のなか、主君と父母への忠孝を強いられまことに窮屈であったろう武士たちの社会ではいざ知らず、百姓・町人の庶民のなかでは宗門人別帳が示すように存外女性の地位が高かったといえそうである。それが明治の近代化は国民みな斉しく天皇主権の臣民となり富国強兵をめざしたからか、また維新を成した下級武士たちが時の元勲となり、彼らの生きてきた武家社会の遺制がその法制化に表れたか、いずれにせよ庶民における女性の地位は明治の近代化になってなべて貶められたのである。

こうしてみると男尊女卑という遺制がこの国の民のすべてにおしなべてひろがるのは明治の近代化においてこそだと言えそうである。
考えてみれば古代であれ中世の王朝社会であれ、それほど男尊女卑の風潮が強かったとは思えない。武家の棟梁たちが登場してきて体制の主役となってくる鎌倉・室町でさえ決定的なほどではなかっただろう。鎖国体制のなかで260年の平安をみた江戸の、それも一握りの支配階級たる武家の社会でのみこそ「主」と「家」を墨守するため儒教を利用し、男尊女卑化へより傾斜していったものとみえる。
これを明治の近代化は、国民のすべてへと拡大生産してしまった。この頃の近代化の裏面は絶対主義化でもあったのだから、当然といえば当然の話だが。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-131>
 空見えて影も隠れぬふるさとはもみぢ葉さへぞ止らざりける  中務

中務集、荒れたる宿の紅葉、家のうちに散り入りたるところ。
邦雄曰く、第三句の「ふるさと」は、詞書に従うならあばら屋となり果てた家そのものであろう。屏風絵に似た設定だが、望郷歌ながらに、王朝歌特有の流露感がある。伊勢の娘としての、類ない詩才が中務集には満ち溢れている。哀傷歌としての紅葉、「秋、ものへいく人に」の「風よりも手向けに散らせもみぢ葉も秋の別れは君にやはあらぬ」も心に響く、と。

 松風の音だに秋はさびしきに衣うつなり玉川の里  源俊頼

千載集、秋下、堀河院の御時百首の歌奉りける時、擣衣の心を。
邦雄曰く、松風と擣衣の二重奏、その最弱音の強さ。強調は四句切れの爽やかな響きが、あたかも槌音のように聞こえ、有るか無きかの間を置いて歌枕が現れる。六玉川の中、調布玉川が擣衣とは言外の懸詞となって面白い。井手の玉川に配するのは必ず山吹の花。今一首、家集に見える「秋風の音につけてぞ打ちまさる衣は萩の上葉ならねど」も巧みな擣衣歌、と。

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October 15, 2007

ひとり寝る山鳥の尾のしだり尾に‥‥

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-世間虚仮- ある投書

新聞の投書欄などに触れることは滅多にないのだが、ふと胸を撃たれた感がしたので記しておきたい。
投書の主は63歳のご婦人、奇しくも私と同年だ。
彼女は、今年の初めに「毎日、ハガキを一枚書く」と決めた、という。少し過酷かと思ったらしいがとにかく始めたのである。相手によってハガキ絵にしたり手紙にしたり、時にはついつい2.3枚書くときも。そうやって9ヶ月が過ぎて、近頃は習慣になり楽しくなった、と綴る。
ある日、幼なじみの友人から突然の電話、その友は交通事故で主人を亡くしたばかりだったとかで、彼女からのハガキにとても励まされたと何度も礼を言い、「元気が出たよ」とも言ってくれた、そんなこともあったという。
ひさかたの思わぬ音信に触れた懐かしの人たちから、さぞさまざまな反応が返ってきたことだろう、と思わず此方の想像も膨らむ。
「これからもできる限り続けよう。それが私の『元気のもと』であるのだから。」と小文を締め括る彼女は、きっと毎日がこれまでになく充実し、気力に満ちていよう。そのことが手に取るように判る気がする。

ひとり黙々と自身に向かって日記を綴るのではなく、知己の相手ひとり一人に一枚々々ハガキを書いていくというこのコミュニケーション行為は、60余年のこれまでの彼女の過去いっさいを眺望しつつ、現在進行形として日々の歓びを新たに紡いでいくものだろう。これまでの彼女の来し方がどんなものであったか、順風満帆のものであったか、逆境に抗いつつ厳しい現実のなかで懸命に生きてきたものか、そんなことは知る由もないが、いま彼女はこの行為を見出だし、それを日々課していることで、これまでにない爽やかな幸福感を味わっているにちがいない、と私には思える。
彼女は自身の創意と日々の積み重ねで、自分自身を幸福感で満たす術を獲たのだ。一見なんでもないささやかなことのようだが、この発見の意味は大きく深い、と心動かされた投書であった。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-130>
 ひとり寝る山鳥の尾のしだり尾に霜置きまよふ床の月影  藤原定家

新古今集、秋下、百首奉りし時。
邦雄曰く、千五百番歌合・秋四、本歌が人麿の「足引きの山鳥の尾の」であることなど遙かに霞み去るくらい面目を一新し、凄艶の趣きすら添う。赤銅色に輝く山鳥の尾に雲母状の白霜が降り紛い、しかも月光が煌めく。必ず一羽ずつ谷を隔てて寝る慣いの山鳥の、寝そびれて尾を振る様をも思い描かせようとしたか。39歳の作者の聳え立つ美学の一つの証、と。

 散りつもる紅葉に橋はうづもれて跡絶えはつる秋のふるさと  土御門院

続後撰集、秋下、題知らず。
邦雄曰く、王朝和歌の紅葉は、綾錦、唐錦と錦盡しで、現代人の眼からは曲のないことだが、安土桃山のゴブラン織同様、絢爛たる幻を描き出すものだったろう。この輝き渡る紅葉の酣の季節を見ながら、今更改めて、「秋か」と疑う要も謂れもないと、理の当然の反語表現に、美を強調する。これも古歌のめでたさの一つ、様式に似た美の一典型であろう、と。

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October 14, 2007

なれなれてはや有明の月の秋に‥‥

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-世間虚仮- 郵政民営化とアムンゼン

毎日紙面の「時代の風」に同志社の大学院で教鞭を執る国際経済学者の浜矩子が「郵政民営化の怪」と題し、世界で初めて南極点到達を果たしたノルウェーの探検家アムンゼンの故事を引きながら、この10月1日に民営化へと踏み出した小泉改革の「郵政民営化」事業が孕む問題の本質をアイロニーたっぷりに論じている一文があったが、パンチの効いた皮肉とその論旨の明快さに思わず頷いてしまった。

アムンゼン隊一行が南極点に到達したのは1911(明治44)年12月15日のことだが、抑も当初アムンゼンが踏破を目指していたのは北極点だった筈で、彼自身出航するまではあくまでもその考えだった。ところが彼の出航前にアメリカのR.E.ピアリー探検隊が北極点を制覇したことを知るところとなり、二番手では意味がないと、誰にも言わずに航海途上で急遽進路を変えて南極を目指し、スコット隊に先んじ南極制覇を果たしたのだった。
アムンゼンに出し抜かれた体のスコット隊も遅れて南極に到達するも、その帰路途中で全滅という悲劇を招くことになるが、その明暗の別れは探検史上よく知られた話だろう。

浜矩子はいう、「北極に行くと言いながら、南極に到達した男、それがアムンゼンである。小泉氏の郵政民営化もこれと同じだ」と。
郵政改革のそもそもの眼目はどこにあったか。郵便貯金制度という今は昔の「国民皆貯蓄」型システムをうまい具合に廃止に持ち込むことではなかったのか。既に役割を終えた制度の上手な幕引き。目指すは郵貯・簡保の退陣だったはずである。これが郵政改革の「北極」だった。
ところが10月1日に辿り着いた場所は? 「郵貯」から「ゆうちょ」へ、「簡保」から「かんぽ」へと看板を掛け替えた巨大金融機関お目見得の日だ。優雅な終末を迎えるどころか、がんがん儲かる民間銀行に変身しようと意気込んでいる、一大延命作戦となっている。
明らかにここはもはや「北極」でない。知らないうちに「南極」になっている。こういうことが許されていいのか、と。
一方、郵政の本来業務であるはずの郵便事業はどうなるか。公共性・公益性の高い、郵政改革の中でしっかり保全されていくべき郵便事業が、効率化の名の下に、僻地・過疎地向けのサービスが統廃合されるのではないか。郵貯・簡保との分社化で利便性も収益性も悪化するなか、公共サービスとは遠く隔たりつつ、効率と収益追求の中で延命を図るというのは、どうみても本末転倒である。
役割を終えたから退場すべき退場すべきものが新たなる繁栄を求めて再出発する。他方、継続が保証されるべきサービスの命運が危うくなる。これはどうやら、北極と南極以上にかけ離れたゴールに到達してしまったのかもしれない、と、およそ概括すればそんな謂いようだ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>
<秋-129>
 もみぢ葉を惜しむ心のわりなきにいかにせよとか秋の夜の月  恵慶

恵慶法師集、月おもしろき夜、紅葉を見て、人々ゐたり。
邦雄曰く、月光と紅葉、それは言葉の彩であって、見る眼には既に色を喪い、薄黒い翳りの重なりだ。絵空事に似た現実の景色に、「いかにせよとか」のやや過剰な思い入れは、この場合見事に照応する。「夜の嵐」の題では「紅葉ゆゑみ山ほとりに宿りして夜の嵐にしづ心なし」の詠あり、いずれ劣らぬ新味持つ。2首ともに夜の紅葉、着目の妙を思う、と。

 なれなれてはや有明の月の秋にうつるは夢の一夜とぞ思ふ  後奈良天皇

後奈良院御詠草、暮秋。
邦雄曰く、「月の秋に」「一夜とぞ思ふ」と第三・五句がともに一音余剰を含んで響き合う。とくに第三句は「有明の月」の一種の句跨り現象を倒置法でさらに強調する。16世紀和歌特有の錯綜技法。同題で「秋をしもさらには言はず隠しつつ暮るるに年の名残をぞ思ふ」があり、暮秋は歳暮の近さを思わせる侘びしさが、これまた結句一音余りのたゆたいに滲む、と。

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October 13, 2007

かよひこし枕に虫のこゑ絶えて‥‥

Isabellabird

-表象の森- 蚤とねぶた

明治11(1878)年の6月から9月にかけて、東京から日光経由で新潟へと日本海に抜けて北上、北海道へと渡る旅をしたイギリス人女性イザベラ・バードが書き残した紀行文が「日本奥地紀行」だが、これを引用紹介しつつ我が国の古俗習慣を考証した宮本常一の「『日本奥池紀行』を読む」を繙いてみるといろいろな発見があってなかなか興味つきないものがある。

芭蕉の連句集「猿蓑」の「夏の月」巻中に「蚤をふるいに起きし初秋」と芭蕉の詠んだ付句が出てくるが、この旅の間、彼女をずいぶんと悩ませたのがこの蚤の多さであったという。
「日本旅行で大きな障害となるのは、蚤の大群と乗る馬の貧弱なことだ」と彼女が冒頭に記すように、行く先々で、蚤の群れに襲われたとか、蚤の所為でまんじりとも出来なかったとか、たえず蚤の襲来に悩まされたことを書きつけているらしい。
そういえば幼い頃、子どもたちが順々に並んでDDTを頭からかけられたりしている光景を思い出すが、蚤や虱の類は、戦後の進駐軍によるDDT散布が広まるまで、どこにでもものすごく繁殖していたわけだ。
蚤はどこにでもいるのがあたりまえで、あたりまえだから特段古文書などに出てくることもなく、いつしかそんな日常の暮らしぶりもわれわれの記憶の彼方に忘れ去られてしまっているのだ。
芭蕉には「蚤しらみ馬の尿する枕元」という発句も「奥の細道」にあり、「造化にしたがひ四時を友とす」俳諧であったればこそ「蚤・虱」もたまさか登場するが、こういうのはごく稀だから、そんなに蚤の多かった暮しぶりなど今ではなかなか想像することもむずかしい。

本書で宮本常一は青森や秋田の「ねぶた」を「蚤」と関連づけて簡潔に考証している。
「ねぶた」は「ねぶたい」であり、津軽では「ねぶた流し」といい、また秋田あたりでは「ねむり流し」といい、富山あたりまでこういう言葉があるという。
夏になると一晩中蚤に悩まされて誰もみな眠い、その眠気を流してしまおうというわけでそんな謂いとなったと。七夕の日にするからむろん厄流し、災い流しの意味も込められている行事であるわけだが、「ねぶた」というその眠い原因は「蚤」にあり、「ねぶた流し」は「蚤流し」と元来は結びついていたというのだ。
現在の派手々々しく絢爛豪華な「ねぶた祭」を支え興じる人々からはとんでもないと礫も飛んでこようが、存外こういった素朴な発想からの名付けとみるほうが実情に即しており、よほど真相に迫っていると言えるのではないかと思われる。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-128>
 夕月夜小倉の峯は名のみして山の下照る秋のもみぢ葉  後醍醐天皇

新千載集、秋下、建武二年、人々千首歌つかうまつりける次に、秋植物。
邦雄曰く、運命の帝後醍醐の詞華、勅撰入集は百首にも遙かに満たないが、後村上帝同様、宗良親王選新葉集には、力作が数多みられる。夕紅葉は勅撰集にみえるもののなかでは屈指の調べ、「小倉=を暗」の懸詞が「下照る」で巧妙に蘇り、鮮麗な幻を描くところは、なかなかの眺めである。「名のみして」のことわりに、風格をみるか無駄を感ずるかが問題、と。

 かよひこし枕に虫のこゑ絶えて嵐に秋の暮ぞ聞ゆる  越前

千五百番歌合、七百九十六番、秋四。
邦雄曰く、これぞ新古今調の秋虫、九月盡の凄まじい夕嵐、いまはもう訪う人も、まして虫の声も絶え果てた独り寝の床。調べと心緒とが綴れ織りのように経緯をなす見事な一首。左は主催者後鳥羽院の「秋山の松をば凌げ龍田姫染むるに甲斐もなき縁なり」で、定家判は持。越前の歌がよほど勝れていた証拠で、誰の眼にも御製は通り一遍の趣向を出ていない、と。

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October 12, 2007

春の夜のみじかき夢を呼子鳥‥‥

Dostoevsky

-表象の森- ドストエフスキーの森

「父-皇帝-神の殺害をめぐる。原罪の物語」とは亀山郁夫著「ドストエフスキー 父殺しの文学」上下本に記された帯のコピーだ。
上巻の帯裏には
「斧の重さか、それとも『神』の囁きか?‥‥罪の重さに正しく見あう罰の重さなど果たしてあるのか。流刑地でのラスコーリニコフの虚けた姿は、屋根裏部屋で彼がひたすら培った観念の巨大さを、その観念を一時共有したドストエフスキー自身がシベリアで経験した「回心」の道のりの長さを暗示するものなのです。震えようとしない心、訪れてこない悔い‥‥死せるキリスト=ラスコーリニコフの絶望的な闘いはまさにここからはじまります。」と本文から引かれ、
また下巻の帯裏には
「『私は蛇だ』―、その自覚こそが、18歳のフョードルを癲癇に落とし込み、57歳のドストエフスキーに『カラマーゾフの兄弟』の執筆へと向かわせた根本的な動機だったのです。私は、農奴を唆して、父を殺した。いま、裁かれるべきは他ならぬ私だ。堕落した父と、その死を願う自分との、この、原罪における同一化を措いて、父・フョードルの名づけは存在しないのです。」と同様に引かれている。

著者は「父殺し」と「使嗾(しそう)-唆すこと」というキーワードを駆使してドストエフスキー作品の深遠な森へと読者を慫慂させる。そこでは迷宮に彷徨う如く或いは樹海の深い森に迷い込んだが如く、ただただ饒舌で能弁な著者の疾走する語りを滝のように浴びつづける覚悟を要する。
本書の構成はドストエフスキーの代表的長編の読みの本線ともいうべき「講義」と、彼の「伝記」と、執筆の構想に影響を与えたとみられる同時代に起こった血なまぐさい現実の「事件と証言」と、さらには小品も含めた個々の作品の細部を参照言及する「テクスト」と、それぞれ題された4群の各小論を、まさに縄綯えか紡ぎ織りのように絡ませ重奏させ論を進めていく。斯様な綴れ織りも異色といえば異色だが、全容を一望すればまるで大河小説的ドストエフスキー論とも、またバフチンの形容を拝借すればポリフォニック・ドストエフスキー論というべき観を呈している。

若い頃に文学体験というほどのものとはついぞ縁のなかった私がこの上巻を読みはじめた時は、ドストエフスキーについては「罪と罰」をのみ知るだけだったから、その世界のなにほども知らずただ未知の森へと踏み込んだようなものである。
上巻を読みおえたのは昨年の1月末、それからずっと打棄っておいて、今年になって「地下室の手記」と「カラマーゾフの兄弟」を遅々としながらもなんとか読み果せて、このほどやっと下巻に着手、めでたく?読了となった次第だが、六十路を越えてやっとわが身にも少しはまとまった体でドストエフスキー体験なるものを経た感がするのは本書の功徳と感謝せねばなるまい。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-127>
 移り来る秋のなごりの限りだに夕日に残る峰のもみぢ葉  宇津宮景綱

沙弥蓮愉集、秋、宇津宮社の九月九日まつりの時よみ侍る。
邦雄曰く、景綱は宇津宮頼綱蓮生入道の孫、13世紀末の没。武者歌人としては出色の才あり、勅撰入集も30余首。この紅葉の微妙な翳りなど新古今調にはない。家集には紅葉の歌が多く、「今日もまた夕日になりぬ長月の移りとまらぬ秋のもみぢ葉」「秋の色もまだ深からぬもみぢ葉の薄紅に降る時雨かな」等、淡々としてまことに個性的、と。

 春の夜のみじかき夢を呼子鳥覚むる枕にうつ衣かな  木下長嘯子

挙白集、秋、擣衣驚夢。
邦雄曰く、一首の中に春・夏を閲し、冬を奏でるという水際だった技巧をみせている。畳みかけ追いかけ、打って響くような律動的な修辞も小気味よく、長嘯子の独擅場と思われる。「主知らぬ恨みこそあれ小夜衣夢残せとは打たぬものから」も同題のいま一首。繊細巧妙の極とも言うべき文体、絵空事もここまでいくと感に堪えぬ。擣衣歌の行きつく果てか、と。

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October 10, 2007

唐土もおなじ空こそしぐるらめ‥‥

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-世間虚仮- 官邸のゴミ、テレビのゴミ

政府の首相官邸に設置された、曰く「少子化」云々や「地域再生」云々、或いは「教育」「再チャレンジ」云々などなにやかやの政策会議が、雨後の竹の子のように作られて今や100を超えるとか。
首相か官房長官がトップを務めるのがそのうち76もあるそうで、さすがに福田首相も会議出席の煩瑣にたまりかねてか、休眠状態のものやら類似のものやら統廃合を促したという。
さきの安部内閣では22もの会議が新設されたのに、彼の辞任で廃止となったのはたったの4つだけ。こんな調子では無用の長物が徒花の如く咲き乱れる結果を招くのも無理はなかろう。
これらの政策会議には無論民間人からなる多くの有識者会議なるものが連座しているわけだから、金太郎飴の如くいったいどれほどのお偉方たちが名を連ねていることか。首相官邸のHPをとくと見ればこと知れるものの、あまり深追いしたくもない興醒めの話題だ。

液晶やプラズマ化の徹底で廃材となった膨大なテレビのブラウン管、そのリサイクル事情が危機に瀕している、と。
現行の「家電リサイクル法」では総重量の55%以上の再商品化を義務づけられているというブラウン管テレビは、その重量の6割を占めるブラウン管を細かく砕いて「精製カレット」にし、これを原料に再生ブラウン管を作ってきたが、国内のブラウン管需要は先細るばかりで3年後にはゼロになる見通しだから、再利用の道は途絶えかねないという。
テレビの薄型化は世界の趨勢だし、グローバル化はこれをより加速する。後発の中国や他の国々では再利用の技術さえないから、大量のブラウン管がひたすら拡大生産され、有害の鉛を含んだまま廃棄物となって野積みされてゆく恐るべき光景が現実のものとなろうが、コチラは些か深刻に過ぎて私などには想い描くさえ恐ろしい。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-126>
 唐土(もろこし)もおなじ空こそしぐるらめ唐紅にもみぢする頃  後嵯峨院

風雅集、秋下。
邦雄曰く、大弐三位の絶唱「遙かなる唐土までも行くものは」を髣髴させるほど、縹渺として宇宙的な、想像力を翔らせる秀作だ。西方万里、唐はおろか天竺まで、真紅に照り映えて、そこに銀灰色の時雨がきらめき降るようだ。建長3(1251)年帝31歳、吹田に御幸の砌の十首歌会の作。類歌数多ある中に際立つのは、ひとえに帝の詞才の賜物だ、と。

 もみぢ葉の散りゆく方を尋ぬれば秋も嵐の声のみぞする  崇徳院

千載集、秋下、百首の歌召しける時、九月盡の心をよませ給ふける。
邦雄曰く、秋も今日限り、明日神無月朔日からは冬。「秋も嵐」は「秋もあらじ」を懸ける。紅の嵐の彼方に、何かの終末を告げる声が細々と聞こえる。父鳥羽帝の皇子ではなく、こともあろうに実は祖父白河院の子であった崇徳の、出生の秘密を思えば、千載集にみえる数多の秀作も、ことごとく悲歌の翳りを帯びる。九月盡は総体に三月盡ほどの秀作がない、と。

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October 09, 2007

山彦のこたふる宿のさ夜衣‥‥

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-世間虚仮- 連休疲れ?

体育の日は野分でもないのに秋には珍しい前夜からの激しい雷雨が残って終日悪天候。
7日の日曜に運動会など済ませておれば幸いだが、この日を文字通り予定していたところはみな順延になったことだろう。
週末や祝祭日などになるとこれを綴るのが滞りがちになるのは、私の場合大概稽古日となっている所為なのだが、この連休は日曜が高校時代の同窓会、昨日が稽古とあって、世間の休日のほうが却って孤塁の時間を持ちにくいからだ。
思春期の成長期に心を許しあえたような旧い友と一緒に居ると、それが何十年ぶりと遠い彼方の過去のことであったとしても、昔のそのままの空気が、感触が、そこに漂っているかのごとく感じられる。そんな二人と余人を交えず短いながら共に時間が過ごせたことは愉しく心地よいものであった。
だが本体の同窓会、総会・懇親会と続いた数時間は、これは無論準備やらなにやらの所為もあるのだが、かなり心身に疲れを残したようである。まあ日中の酒宴などこの年になれば誰でもそうなろうが、私も含めて世話役諸氏は多かれ少なかれ幾許かの虚脱感とともにかなりぐったりしているにちがいない。
身体に常ならぬ重さを感じながら稽古へと出かけたものの集中力を切らしたままに打ち過ぎてしまったようで反省しきりだが、身体のダルさはなお残されたたまま、裏腹な心身にまだ翻弄されている始末だ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-125>
 山彦のこたふる宿のさ夜衣わがうつ音やほかに聞くらむ  後嵯峨院

続古今集、秋下、山家擣衣を。
邦雄曰く、為家・光俊ら呉越同舟選者撰進の続古今集の擣衣歌は秀作揃い、それぞれに在来の集のものとは趣向を変えてぉり、後嵯峨院御製も結句の「外に聞くらむ」で、一首の焦点が一瞬次元を移し、深沈たるものが生まれる。続後撰・秋下の巻首にも後嵯峨院の御製あり、「夜や寒きしづの苧環(をだまき)くりかへしいやしき閨に衣うつなり」もまた心に沁みる秀作である、と。

 紅葉ゆゑ家も忘れて明かすかな帰らば色や薄くなるとて  源順

源順集。
邦雄曰く、詞書には「秋の野に色々の花紅葉散り給ふ。林のもとに遊ぶ人あり。鷹据えたる人もあり」。天元2(979)年、順68歳10月の屏風歌。詞は月毎に配した絵の解説であろうが、歌は絵を離れて、自由に、むしろ諧謔すら交えて、楽しく面白い。この下句など、順の天衣無縫の技巧の一例であり、微笑も誘われる。同時代人中でも移植を誇る、と。

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October 06, 2007

寝覚めする枕にかすむ鹿の音は‥‥

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-表象の森- カンブリア紀の爆発-「眼の誕生」

「カンブリア紀の爆発は、生命史の要をなす瞬間である」とはS.J.グールドが著書「ワンダフル・ライフ」の中で述べた言だが、5億4300万年前から5億3800万年前のほぼ500万年という生物進化上の年代的サイクルでいえばごく短い間に、現生するすべての動物門が、体を覆う硬い殻を突如として獲得(但し、海綿動物、有櫛動物、刺胞動物は例外)したとされる、カンブリア紀の爆発がなぜ起きたのかを、光スイッチ説を論的根拠として三葉虫における「眼の誕生」によるものとの新説を素人にも判る懇切丁寧な運びで詳説してくれるのがA.パーカーの本書「眼の誕生-カンブリア紀大進化の謎を解く」だ。

一般にカンブリア紀の爆発といえば、カンブリア紀開始当初のわずか500万年間に、多様な動物グループ-門-が突如として出現した出来事であると解されているが、著者はそれを事実誤認という。即ち、その直前までにすでに登場していたすべての動物門が、突如として多様で複雑な外的携帯をもつにいたった進化上の大異変こそが、カンブリア紀の爆発にほかならない。そしてそのきっかけが「眼」の獲得だった、というのである。
生物はその発生の当初から太陽光の恩恵を受けていたことは自明のことだが、生物が太陽光を視覚信号として本格的に利用し始めたこと、即ち本格的な「眼」を獲得したのはまさにカンブリア紀初頭のことであり、そのことで世界が一変したというのが著者の言う「光スイッチ説」の骨子であり、いわば肉食動物が視覚を獲得したことで喰う-喰われるの関係が劇的に変化し、これが進化の陶太圧として働いて、自らの体を硬く装甲で覆うべき必要が生じたというのである。いわば「眼」の誕生は諸々の生物群こぞって軍備拡張路線の激化へと走らせることとなったわけだ。

地球上に登場した「最初の眼」とはいかなるものだったか?
それは進化にどんな影響をもたらしたのか?
まだ若く気鋭の生物学者たる著者は、高校生物程度の知識があれば一応読み遂せるという点においても、よく行き届いた論の構成をしており、我々のような一般読者にもかなりお奨めの書だ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-124>
 寝覚めする枕にかすむ鹿の音はただ秋の夜の夢にやあるらむ  十市遠忠

遠忠詠草、大永七年中、寝覚に鹿の声を聞きて。
邦雄曰く、詞書は必ずしも現実の見聞と関わりはない。特筆すべきは、原則として必ず春のものとされていた修辞「かすむ」を、秋の鹿の声に用いていることだろう。未明の枕辺に絶え絶えに聞こえる、妻恋う鹿の細い声を伝えてまことに巧みである。「鹿の音」を「花の香」に、「秋」を「春」に変えても、そのまま佳作として通るだろう。一音余りの結句も快い、と。

 などさらに秋かと問はむ唐錦龍田の山の紅葉する世を  よみ人知らず

後撰集、秋下、題知らず。
邦雄曰く、王朝和歌の紅葉は、綾錦、唐錦と錦盡しで、現代人の眼からは曲のないことだが、安土桃山のゴブラン織同様、絢爛たる幻を描き出すものだったろう。この、輝き渡る紅葉のたけなわの季節を見ながら、今更改めて「秋か」と疑う要も謂われもないと、理の当然の反語表現に、美を強調する。これも古歌のめでたさの一つ、儀式に似た美の一典型である、と。

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October 05, 2007

鶉鳴く真野の入江の浜風に‥‥

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-世間虚仮- 親業の一日

10月に入りやっと秋らしくなった。
昨日は連れ合いが休みを取って日頃はなかなか適わぬ子ども孝行とばかり久しぶりに遊園地行。
鈴鹿サーキットにあるモートピアなる遊園地へは今回で2度目、片道120㎞余、些か遠いのが難で2時間半ほどのドライブは身体への負荷がきついが、もうじき6歳を迎える幼な児へのサービスとあれば否やは言われぬ。
長じてくれば愉しめる遊具も多くなるから勢い滞在時間も長くなる。これに付き合う老親の身にはいよいよ堪える一日だ。先頃までの暑さならさぞ悲鳴をあげていたことだろうが、晴れたり曇ったり、涼風そよぐなかでずいぶんと救われたようである。
午前9時過ぎに家を出て帰着は午後8時近くにもなっていたからかれこれ11時間、まことに親業とは大変な労ではあるが、連れ合いにはそんな労も大いに気晴らしともなってか、今朝は母娘揃って心なしか活き活きした表情とみえたは我田引水、贔屓の引き倒しか。
善哉々々。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-123>
 来し方も見えでながむる雁が音の羽風にはらふ床よ悲しな  清原元輔

元輔集。
邦雄曰く、詞書に「また女の亡くなりにたるに、雁が音の寒き風を問はぬとよみて侍りしに返しに」とあり、心を盡した哀傷歌である。雁の来し方とは亡き人の思い出、筑紫に在る知人の妻の訃報ゆえに、「羽風にはらふ床よ悲しな」なる下句の、切々たる調べも胸を打つものがある。贈答歌より成る元輔集の中に置けば、なお一入情趣が酌み取りうる歌の一つ、と。

 鶉鳴く真野の入江の浜風に尾花波寄る秋の夕暮  源俊頼

金葉集、秋。
邦雄曰く、堀河帝が探題の方法で歌を召された時、「薄」の題を引いて即詠したもの。定家が近代秀歌に「これは幽玄に面影かすかにさびしき様なり」と称えるが、その言を待つまでもなく、寂寥感が飽和状態を示すくらいよく出来た歌と言うべきである。真野の入江は、万葉の真野浦と真野草原を折衷した架空歌枕との説もあり、八雲御抄では近江とする、と。

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October 04, 2007

さびしさの心のかぎり吹く風に‥‥

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-表象の森- 追悼のざわめき

劇場にわざわざ足を運んで映画を観るなどということはいったい何年ぶりであったろうか。この前に何を観たのか、いくら振り返っても思い出せないほどに遠い昔になってしまっている。
一昨日のこと、九条にあるシネヌーヴォへと出かけ、松井良彦監督の自主製作映画「追悼のざわめき」を観てみようと思い立ったのは、先日ある知人からの短いメールを受け取ったことからだった。
そのメールには「映画のエンドロールに協力/四方館・林田鉄とあり、キャストには女子高生役で4人の四方館所属の名前がありました」とのことであったのだが、はていつのことやらどんなものやらとんと思い出せぬ。「追悼のざわめき」というタイトルにもおぼろげながら記憶があるようなないようなで、いっかな判然としない。88(S63)年の完成というからそれ以前の数年間の出来事とすれば、当時はアングラ系の役者連や舞踏家たちともかなり交わりもあったから、そんなこともあって不思議はないが、誰から声がかかったかどんな経緯だったか、あれやこれやと思い返せど一向にリアルな場面が浮かんでこない。
どうにも落ち着きが悪いから、これは一見、観るに若くはないと上映時間を調べて出かけたわけだ。受付でシルバーと言ったら苦もなく1000円也で入れてくれたのはありがたかった。当日券なら1600円だからこの差は大きい。

上映時間150分はもはや老いの身にはやはり堪える。
監督の松井良彦は完成に5年を費やしたらしいが、とかく映画製作は金の工面が生命線、ノーギャラの出演者たちを募りながら一進一退を繰り返してはやっと完成にこぎつけたのだろう。主人公を追うカメラワークは、俯瞰からアップへ或いはぐるりとゆっくり回り込みもするが、ブレを起こして眼の疲れること夥しいが、画面はそんなことはお構いなしにどんどん切り替わって進む。
チラシから引けば、「物語は一人の孤独な青年のさすらいから始まる。彼はマネキンを菜穂子と名付け、彼女を愛し、愛の結晶が誕生することを夢想しはじめる。彼は次々に若い女性を惨殺し、その肉片を「菜穂子」に埋め込む。「菜穂子」に不思議な生命感が宿りはじめ,さまざまな人間がそのペントハウスに引き込まれてゆく。現実の街並はいつか時代感覚を失い、傷痍軍人やルンペンなど、敗戦直後を思わせるグロテスクなキャラクターが彷徨しはじめる。時代からも現実からも解き放たれた美しい少年少女が、ペントハウスに導かれてゆく。遊びはケンパしか知らない少女が「菜穂子」に「母」を感じ陶酔したとき、残酷な運命が二人を引き裂いてゆく‥‥。」
また、映画評論家大場正明の解説を引けば、「ここには,忌避され,隠蔽された異形のうごめきが,息苦しくなるほど濃密なモノクロの時間と空間の中に濃縮されている。しかし、それはただただグロテスクということではない。この映画は、そこに映し出されるあらゆる表像が無数の触手であるかのように、幼年時代の奥深の恐怖に発する身体や自我の境界にまつわる不安、あるいは、思春期における自己と他者に対する性の目覚めがもたらす不安へと、人々の記憶をまさぐり、否応なくその時間をさかのぼっていく。」
と、二つの引用でこの映画の世界がいかほどかは想像できようか。

マネキンへの異形の愛にしか自己を投入できぬ青年と、その心の深みはいざ知らず表層の意識においてはまだ穢れを知り初めぬ少年と少女、そして暗黒舞踏の白虎社を率いた大須賀勇が演じる見るからに異様な風体のルンペンの三者が、いつしか時空を超え出て絡みつつ、やがては同心円的な構造を有した三重奏ともなって響き合ってくるが、その表象世界はグロテスクとはいえ虚像に満ちたものだ。そこへ青年が身過ぎ世過ぎに職を得た下水管の清掃人夫といった仕事の雇い主である小人症の兄妹の存在が、醜悪な現実界へと引き戻す役割をなし、その世界を輻輳させる。とりわけ青年に想いを寄せてゆくこの妹が、リアルな存在感をどんどん増幅させてゆくことでマネキンの「菜穂子」と対照させられ、逆立する者にまで成り上がり、阿修羅のごとく破壊的な結末へと導く。
発表以来アングラシネマの画期をなすものとして折にふれ繰り返し上映されてきたというこの作品を、根底から支える映像としての構図と表象は、極北に位置するともいえるマネキンの「菜穂子」と小人症の妹の対照であり、グロテスクな生身の肉体を剥き出しのままに曝け出した妹役の存在であり、それゆえにこそ反転聖化された存在に拠っているのだろう。そういえば彼女の右胸には醜悪なスティグマ(聖痕)が大きく黒々と刻印されていた。

それにしても私にとって面白かったというか、なにより愉しませてくれたのは、嘗て知るところの怪優白藤茜が演じる傷痍軍人のグロテスクと軽妙さが混濁した熱演であったり、意想外なところでひょいと顔を出した、今は陶芸家の石田博君の飄々とした似而非紳士ぶりなどであった。石田君の登場には不意を突かれて驚きとともについ笑ってしまったほどだし、白藤の姿にはあまりに懐かしすぎて思わず胸が熱くなるほどだった。
白藤茜が私の創る舞台に特別出演をしてくれたのは86(S61)年の少女歌舞劇シリーズの一つであったが、どうにも思い出せぬまま観る私議となったこの映画への協力が、ちょうどその同じ頃に彼に頼まれてのことだったのだと、観終えて席を立つときようやく合点がいったような次第だった。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-122>
 秋風に夜渡る雁の音に立てて涙うつろふ庭の萩原  性助法親王

続後拾遺集、秋上、弘安百首歌奉りける時。
宝治元(1247)年-弘安5(1282)年、後嵯峨院第6皇子、宗尊親王、後深草院の弟、亀山院の兄。5歳で仁和寺に入り、後まもなく出家。「とはずがたり」に登場する「有明の月」のモデルとされる。続古今集初出、勅撰集に37首。
邦雄曰く、雁は夜半に渡来する。その慌だしい羽音、ふと頭を挙げて「涙うつろふ」とは歌うものの、秋のあはれは身に沁む。天から地へ、雁から萩に眼を移し心を移し、秋雁の歌の中では趣向を新たにした一首である。作者は後嵯峨院皇子、仁和寺に入って二品に叙せられた。弘安百首は代表作として記憶される、と。

 さびしさの心のかぎり吹く風に鹿の音かさむ野べの夕暮  藤原良平

千五百番歌合、六百十三番、秋二。
文治元(1185)年-仁治元(1240)年、摂政関白九条兼実の子、異母兄藤原良経の猶子となる。従一位太政大臣。後鳥羽院、順徳院歌壇で活躍、新古今集初出、勅撰入集18首。
邦雄曰く、良平は後京極良経の15歳下の異母弟。勅撰入集は多くはないが、千五百番歌合の百首には捨て難い作が数多ある。「さびしさの心のかぎり」は右が宜秋門院丹後の「唐衣裾野を過ぐる秋風にいかに袂のまづしをるらむ」で後鳥羽院折句御判は持。良平の縹渺たる第一・二句は、丹後の縁語・懸詞の妙を遙かに凌ぎ、私の眼には断然左勝だ、と。

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October 03, 2007

葦辺ゆく雁の翅を見るごとに‥‥

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-世間虚仮- 11万人の怒りと5万人の憂き目

各行政の長や県議会をも巻き込んだ沖縄県民11万人の結集がとうとう政府文科省をも動かした。
戦争末期の住民集団自決が日本軍部による強制のものであったという厳正なる事実を歪曲させ、この記述を削除させた高校日本史の教科書検定を撤回させんとする沖縄県民大会は、9月29日午後、宜野湾海浜公園に県民挙げて11万人の大集会となり、各紙大きく報道していたが、これを受けて発足したばかりの福田内閣の文科省は修正を含めた見直し検討をはじめたという。
ところが現行の検定制度では、検定合格後の教科書を修正する場合、教科書発行の各社が訂正申請するか、文科省が訂正申請を各社に勧告する場合との二つのケースがあるとされるのだが、従来から文科省が訂正申請を勧告した例は一切なく、渡海文科相も「勧告で撤回することは難しい」としているそうな。
このあたりが政府の狡猾きわまるところで、文科省の傀儡機関たる教科書検定審議会に強制記述の削除を示唆し、なかば強制的に削除させながら、情勢変じてこれでは具合が悪いとなっても制度上の問題を盾に、文科相勧告を採ることなく、教科書会社による訂正申請で責任転嫁、頬被りを決め込もうとする。
いま沖縄は米軍基地再編問題も抱え熱い。

「円天」商法のL&Gに強制捜査が入ったと伝えられている。
バブル崩壊後、さまざまな金融商品の詐欺的商法で数多くの小市民たちがなけなしの蓄財を掠め取られて泣きをみたというのに、またしても「円天」なるネズミ構・マルチ商法騒動だ。
会員5万人から電子マネー1000億円を集めたという円天商法が破綻を決め込んで、会員たちの出資金がすべて泡と消える恐れが発覚、大騒動となっている。
この手の詐欺的商法は大小とりまぜさまざまに世間に蔓延しているのが現実なのだろうが、「円天」なる独自通貨を電子マネーとして流通させたことが5万人・1000億円という法外な規模となったとみえる。この商法5年前からというが、それにしてもこれほどの規模にまで被害が膨れあがるとは、私などには到底考えられないことで、被害を蒙った会員の人々にはまことに気の毒なことと思いつつも、よほど学習能力がないと言わざるを得ないのも率直な感想だ。

かたや11万人の怒りの結集が時の政府を動かせば、5万人の人々が悪徳商法に溺れた果てに泣きの憂き目をみる。この対照に何をか況んや。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-120>
 葦辺ゆく雁の翅(つばさ)を見るごとに君が佩(お)ばしし投箭(なげや)し思ほゆ  作者未詳

万葉集、巻十三、挽歌。
邦雄曰く、鮮烈でそれゆえに哀切な投箭の反歌には長歌が先行し、「何時しかと わが待ち居れば もみぢ葉の 過ぎて往にきと 玉梓の 使ひの言へば」と、夫の死を知らされる件が冒頭に見える。雁の翅に寄せる思いが哀悼であり、一首が挽歌である所以だ。巻十三末尾に近く掲げられ、「この短歌は防人の妻の作りし所なり」の後註あり。挽歌の圧巻をなす秀作、と。

 たまゆらも鹿の音そはぬ山風のあらばや思ふ夢も待たまし  三条西實隆

雪玉集、秋、秋山家。
邦雄曰く、まどろみのなかにも、絶えず悲しい鹿の声が入ってくるので、一夜の安らかな眠りも叶わぬ。ただ一時でも鹿の声を交えぬ山風が吹かぬものか。そう思う夢も抱いていようと歌う。一首全体が逆接表現仕立てになっていて、主題を強調する手法。15世紀の微に入り細を穿つような修辞の工夫がこういう工芸品に似た作品を生む。句切れ皆無の妙趣、と。

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October 01, 2007

夕されば野辺の秋風身にしみて‥‥

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-表象の森- 中野重治への召集

すでに日本全土の都市という都市がB29の空襲でほぼ壊滅的な打撃を蒙っていた戦争末期、というより終戦も間近の、高見順「敗戦日記」の7月23日付に、
「中野重治の応召を聞く。ドキッとした。中野重治が‥? 四十二.三だ。」
と短く触れていた箇所があったが、これには此方も絶句するほどに驚かされたものだった。
中野重治が召集され入隊する際に妹の鈴子宛に書き遺したとされる「遺言状」は、昭和20(1945)年6月23日付であったというから、高見が人伝にこの召集を知ったのは廻り廻ってほぼ1ヶ月遅れてのこととなる。その「遺言状」には、旧くからの交わりのあった佐多稲子や、特高監視下の不自由な日々をさまざまに支えてくれた人々への感謝の言葉に続けて些か唐突気味に「柳田国男氏ニ深ク感謝ス」と記されてあったそうだが、中野の柳田国男への尊崇傾倒ぶりに、戦前戦中の左翼思想家たちと柳田民俗学との少なからぬ接点の在り処がその深層においていかなるものであったか、想像を逞しくさせるものがある。
それにしても召集を受けた中野重治は高見の書くようにこの時43歳であったから、敗戦間近の軍部は異常を通り越してもはや狂乱の沙汰というほかない。

―今月の購入本-
大沼保昭編「慰安婦問題という問い-東大ゼミで「人間と歴史と社会」を考える」勁草書房
三木清「三木清エッセンス」こぶし書房
蔵本由紀「非線形科学」集英社新書
宮本常一「イザベラ・バードの「日本奥池紀行」を読む」平凡社ライブラリー
宮本常一・山本周五郎他監修「日本残酷物語-4-保障なき社会」平凡社ライブラリー
加藤郁乎「江戸俳諧歳時記-上-」平凡社ライブラリー
宮下政次「炭は地球を救う」リベルタ出版
広河隆一編集「DAYS JAPAN -動物たちが伝える地球の危機-2007/10」
「ARTISTS JAPAN -34 曽我蕭白」デアゴスティーニ
「ARTISTS JAPAN -35 狩野探幽」   〃
「ARTISTS JAPAN -36 小林古径」
「ARTISTS JAPAN -37 安田靫彦」

さて日々の読書はあれこれと手を出しては併行しつつまた途切れつつ、このところ一向に読了するものがない。困ったものである。先頃の宮本常一「忘れられた日本人」に誘われて「イザベラ・バード―」と「日本残酷物語-4-保障なき社会」を求めた。日本残酷シリーズは1-3はもうずいぶん前に蔵書にあり、拾い読み程度には読んでいる。東大ゼミの「慰安婦問題―」は左右双方の論客たちによるものとて、頭の整理に良いやもしれぬ。「三木清―」もちろん絶版の古書、若かった頃の懐かしさをこめて触れてみたい。「非線形科学」は中村桂子の書評に導かれて。「江戸俳諧―」は折に触れ繙いては愉しめよう。「炭は地球を―」は畏友美谷君のブログで紹介されていたのに食指が動かされた。

―図書館からの借本―
「図説 メディチ家」河出書房新社
「図説 ハプスブルク帝国」 〃

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-120>
 明け暗れの朝霧隠り鳴きて行く雁はわが恋妹に告げこそ  作者未詳

万葉集、巻十、秋の雑歌、雁を詠む。
邦雄曰く、後の世なら「寄雁恋」とでも題したことだろう。第一・二句の未明の霧は、言外に忍恋を暗示していると見るのも鑑賞の一趣向か。上句が意味の上では第四句の半ばまで延び、肝腎の抒情が寸詰まりになったところに、むしろ素朴な心の姿が見える。雁詠13首の2首目、冒頭は「秋風に大和へ越ゆる雁が音はいや遠さかる雲隠りつつ」と尋常な調べ、と。

 夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里  藤原俊成

千載集、秋上、百首の歌奉りし時。
邦雄曰く、慈鎮和尚自歌合「八王子」七番の判詞に、作者自身が伊勢物語第百二十三段の深草の鶉に拠ったと註する曰くつきの歌。本歌取りの典型ではあるが、鴨長明が無名抄で引く俊恵の言通り、第三句「身にしみて」は念が入り過ぎてこの一句が歌を浅くしている。それでもなお深みが残るのは名作たる由縁であろうか。俊成36歳、壮年の自信作、と。

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