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July 31, 2007

風になびく富士の煙の空に消えて‥‥

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-世間虚仮- 自民歴史的敗北と安倍続投

自民の歴史的敗北を伝える参議院選挙の速報が各局で伝えられていたその深夜、正確には30日の午前2時05分、嘗てベ平連を率いた闘士、小田実が逝った。享年75歳、胃ガンで療養中であったことはどこかで耳にしていたが、自民惨敗と騒擾たる選挙報道のなかでその死が伝えられるのもなにやら符号めいてみえてくる。
自民候補を公明票が一定下支えをするというこのところの自公協力体制を踏まえれば、今回の安倍自民敗北は、土井たか子が「山が動いた」と称した’89年の参院選をも凌ぐ、まさに戦後の保守合同以来の歴史的敗北にちがいない。
その大敗の最終結果を待たぬまま、早々と安部首相は続投を表明した。これまた異例の、異常ともみえる「ご乱心」ぶりだ。
闘い終えて身体の不調を訴えてか公の場に一向に姿を見せず静観しつづけた小沢一郎と好対照ともみえるが、その小沢は波乱の政局を眺めながら今朝になって党本部に現れた。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<雑-31>
 玉くしげ二見の浦の貝しげみ蒔絵に見ゆる松のむら立ち  大中臣輔弘

金葉集、雑上、伊勢の国の二見浦にてよめる。
生没年未詳、大中臣輔親の系譜に連なる平安後期の伊勢神官か?
邦雄曰く、黒漆金蒔絵の図案に、二見浦風景を見立てた。古歌に屏風絵の絵のような眺めの作も数多あるが、「蒔絵に見ゆる」と歌の中で言ったのは珍しい。「貝しげみ」は、この蒔絵が青貝を鏤めた螺鈿であることの前置きであり、その漆器が、枕詞の玉櫛笥とゆかりを持つことも、考えに入れればさらに面白い。作者は康和5(1103)年、佐渡に流された、と。

 風になびく富士の煙の空に消えてゆくえも知らぬわが心かな  西行

新古今集、雑中、あづまの方へ修行し侍りけるに、富士の山をよめる。
邦雄曰く、西行は文治2(1186)年68歳の初秋、伊勢を立ち、東大寺復興のため再度の陸奥旅行に出た。「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけりさやの中山」もこの時の詠であった。第三句「空に消えて」で、自らの姿と心を客観するような、出家としての作者のまなざしが感じられ、無常な現世への深い歎きが明らかに読み取れる、と。

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July 29, 2007

一昨年も去年も今年も一昨日も‥‥

Kasennen
写真は、棟方志功「釈迦十大弟子」より「迦旃延の柵」

-表象の森- 釈迦十大弟子の七、迦旃延

迦旃延(カセンネン)は、論議第一なり。
論議第一とは、釈尊の説いた法を、詳細に解説するにとくに優れていること。
釈尊教外の地、アヴァンティ国の首都ウッジャイニーの婆羅門の出身。
釈尊の名声や仏教教団の活躍を聞きつけたこの国の王は、舎衛城の祇園精舎に七人の使者を遣わしたが、その中の一人だった迦旃延は、釈尊に出会うやそのまま出家して仏弟子となった。
後に修行成って帰国した彼は、国王をはじめ多くの人々を教化し、アヴァンティ国に釈尊の教えを弘めた。
当時、受戒に10人の比丘が必要とされていたが、化外の地にあってこれを揃えることはまことに困難である。その事情を知った釈尊は、此の後、辺地にあっっては5人の比丘で受戒を認めるとしたという。
「一夜賢者の偈」と名高い釈尊の教えがある。ある時、迦旃延は一人の比丘にこの偈の解説を求められ、一旦は釈尊に代わって解説するなど畏れ多いと固辞したのだが、解説まで釈尊に求めることこそ畏れ多くてとてもできないと重ねて請われたので、彼はやむなく解りやすく説いて聞かせたところ、後にその模様を聞いた釈尊が「それでよいのだ。私が解説しても、迦旃延と同じように語ったであろうよ。」と言われたという話が仏典に残されている、と。

「一夜賢者の偈」
過ぎ去れるを追うことなかれ。
いまだ来たらざるを念うことなかれ。
過去、そはすでに捨てられたり。
未来、そはいまだ到らざるなり。
されば、ただ現在するところのものを、
そのところにおいてよく観察すべし。
揺ぐことなく、動ずることなく、
そを見きわめ、そを実践すべし。
ただ今日まさに作すべきことを熱心になせ。
たれか明日死のあることを知らんや。
まことに、かの死の大軍と、
遇わずというは、あることなし。
よくかくのごとく見きわめたるものは、
心をこめ、昼夜おこたることなく実践せん。
かくのごときを、一夜賢者といい、
また、心しずまれる者とはいうなり。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-80>
 浅くしも慰むるかなと聞くからに恨みの底ぞなほ深くなる  光厳院

光厳院御集、恋、恋恨。
邦雄曰く、微妙な恋心の陰翳を凝視しかつ掘り下げている点、王朝以来の恋歌中でも類を絶した作の一つと思われる。藤原良経の花月百首中に「心の底ぞ秋深くなる」という有名な下句あり、多分無意識の準本歌取りだろう。「恨みの底」とは実に考えた表現であり、暗闇からの訴えのように響く。初句・結句の「浅・深」の対照も、面白い趣向である、と。

 一昨年も去年も今年も一昨日も昨日も今日もわが恋ふる君  源順

源順集。
邦雄曰く、あたかも血気盛んの若者が、溢れる愛を誇示して「君恋し」を連呼する姿を、まのあたりに見るようだ。稚気満々というよりは直情滾々ととでも称えたい愛すべき調べである。出自は嵯峨源氏だが、天元元(978)年68歳で未だ従五位上能登守。沈淪を歎く歌も多い。詩才抜群、技巧の鬼である作者の真情流露。但しこの技法、二度目は鼻につく、と。

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July 27, 2007

夢にだに見で明かしつる暁の‥‥

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-世間虚仮- 中国へコシヒカリ・ひとめぼれ

中国へ日本産の米輸出がはじまったという報道があった。
新潟のコシヒカリや秋田のひとめぼれという日本の代表的銘柄で、第一弾は計24屯だったそうだ。
北京や上海で販売されているというが、この価格が凄い。
コシヒカリは2㎏で198元(約3150円)、ひとめぼれは188元(約2990円)というから、国内価格の2倍はしている勘定だが、中国の関税が約20%、輸送費など諸々の経費を勘案すれば、この高値も致し方ないのかもしれぬ。
ところが、上海あたりの一般家庭で流通している米の価格はキロあたり5元(約80円)なのだから、これと比較すればなんと20倍もの高嶺の花となる。
主食たる食料品でこれほどの落差のあるモノが流通の対象になりうるといういうのは、私などの感覚からすれば想像を絶するほどの驚きだが、それが現在の中国社会なのだろう。
日本政府はさしあたり年間200~300屯の輸出を見込んでいるという。この数値自体、希望的観測に過ぎないかも知れないが、仮に300屯の年間輸出が成ったとして、この米をほぼ常食とした場合5000人から最大10000人ほどの中国人の胃袋を満たすだけにすぎないのだが、その背景には公称13億の民が存在するというギャップには慄然とさせられる。
この国の格差も十年余りでだんだんひどくなってきたが、中国は超格差社会へとひた走りだ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-79>
 夢にだに見で明かしつる暁の恋こそ恋のかぎりなりけれ  和泉式部

新勅撰集、恋三、題知らず。
邦雄曰く、「暁の恋」と言えば後朝であって当然なのに、待ち侘びつつ夜を更かし、なお諦めきれず夜を徹し一睡もしなかったこの恋のあはれ、これこそ極限の愛ではないだろうか。情熱の迸りが第五句まで流れ貫いていてただ圧倒されるのみ。「恋こそ恋のかぎり」、まさに丈なす黒髪を乱し乱して、ひたすらに訴える女人の姿が見えてくる、と。

 ふたり寝し床にて深く契りてきのどかにわれをうちたのめとて  藤原兼輔

兼輔集、きのと。
邦雄曰く、頼もしい丈夫の宣言であり、同時に秘め事として珍重に値する。一歩過てば鼻持ちのならぬ大甘の太平楽となるところを、なんの衒いもなく、むしろ雄々しい含羞さえ匂わせて、まさに朗々と、しかし低音で歌い出し、歌い納めたところ、天晴れと言うべきか。但しこの歌、物名歌で「きのと」を一首の中にそれとなく詠み込んだ言語遊戯であった、と。

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July 26, 2007

われはもや安見児得たり‥‥

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-世間虚仮- あれやこれや

一昨日(24日)は文楽の7月公演へ。第2部は午後2時開演の昼の部、演目は「鎌倉三代記」の入墨の段と絹川村の段、それに狂言から採られた「釣女」。春の公演同様、今回もまた戴きもののチケット。
「鎌倉三代記」の原作は近松半二。一見、荒唐無稽かと思われる筋立ては、大坂冬の陣や夏の陣における徳川家康の豊臣家攻略に材を採りながら、これを鎌倉時代の源頼家と北条時政の確執に置き換えた虚構としているから、史実に照らしつつ観たりすると訳の判らぬこと夥しい。
作者の近松半二は、家康を時政に、真田幸村を佐々木高綱に、木村重成を三浦之助に、千姫を時姫に擬えての劇作だとあらかじめ聴きおけば、この荒唐無稽さもあらかたの納得はいく。
絹川村の段でトリを務めた九世竹本綱太夫の語り芸は、声に伸びは欠くものの変化に富み振幅の大きさは余人を許さず、いかにも庶民的な芸風だが好感の熱演。7月20日付の記事によれば、狂言の野村万作らとともに人間国宝にと文化審議会によって答申されたばかりというのもさもありなむの75歳。
「釣女」で大名の役を語った竹本文字久太夫の朗々とした声の伸び、加えて狂言の語り芸をよく研究したその調子はなかなかのものであった。昭和30年生れというからこの世界ではまだまだ中堅どころになるが、義太夫の次代を担う中軸と見えた。

昨夜は天神祭の鮒渡御で大川や中之島界隈は大変な賑わいだったろうが、此方は夕刻のひととき近所の加賀屋天満宮に幼な児を自転車に乗せて繰り出してみた。
この10年、近所にいながら初参りの天神さんは、瀟洒な本殿と左側に社務所、右横にはお稲荷さんと、奥行きもなくこじんまりしたもの。
狭い境内とて並ぶ屋台も20ほどか、まだ陽の明るい6時台は溢れるほどの人出もない。小一時間ほどの間に幼な児はかき氷を食し、三つほどのゲームに興じて、ひとときの夏の風物詩もこれにて落着、母親もそろそろ帰ってくる頃だと言い聞かせ、さっさと退散した。

その幼な児は、やはり2泊3日のお泊まり保育体験からこっち急に大人びた感がある。海辺の民宿で過ごした集団行動は、1泊だけならその限りの経験に終わっても、2日目となるとさまざまな行動が規律ともなって刷り込まれ強化される。
実際、付き添った保母さんから聞いたところによれば、1日目は行動プログラムのなにからなにまで受け身であった子どもらが、2日目にはだれかれとなく率先垂範、先取りしてどんどん動いていたという。
保育園への送り迎えの日々にそれとなく把握できることだが、彼女の属するいわゆる年長さんのクラスでは、ごく大雑把に見て、どうやら二つのグループに分かれているような節がある。彼女は10月生まれだが、4月や5月生まれの早い生れの子らとは、別のグループ形成をしているように見えるのだ。一律に当て嵌めることはもちろん危険だが、前期(4-9月)生まれと後期(10-3月)生れで大別できようか。
個人の成長リズムがそれぞれ固有でばらばらであるのも事実だが、やはり4月生まれと3月生まれのほぼ1年の差は、この時期ではまだまだ大きな差違となって表れる。その落差のちょうど中ほどに位置して、身長などは比較的早く伸びている彼女は無意識にではあろうが、後期派(?)の一群を自分のエリア、近しい仲間たちと受けとめているようなのだ。
お泊まり保育では、そういうことをより強め、いまなにをするべきか、大仰に謂えば集団のなかの規範性に目覚め、行動へと促す内面的な衝迫力がかなりの程度、それも一気に醸成されたものとみえる。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-78>
 われはもや安見児得たりみな人の得難にすとふ安見児得たり  藤原鎌足

万葉集、巻二、相聞、采女安見児を捲き娶きし時作る歌一首。
邦雄曰く、歔欷と慟哭で蒼灰色に塗られた王朝恋歌の中に、万葉の相聞は、せめて三十首に二首、百首に七首、初々しい恋の睦言、歓喜の吐息が聞けるのを救いとするが、この鎌足の作ほど直線的に、天真爛漫に、得恋の喜悦を表明している歌も稀だろう。第二句・結句、共に「たり」で切れ、終始潔く力強い抑揚の颯爽たる響き、思わず拍手が贈りたくなる、と。

 かぎりなき思ひのままに夜も来む夢路をさへに人はとがめじ  小野小町

古今集、恋三、題知らず。
邦雄曰く、人目はうるさくて、忍びつつ通ってくる愛人をとやかく口の端に上せて非難する。夢、その恋の通い路を頼もう。この路を通って来てくれるのまで、他人が咎め、邪魔だてすることもあるまい。「かぎりなき思ひ」が、万感を込めて人に迫ってくる。「うつつにはさもこそあらめ夢にさへ人目も守ると見るがわびしき」もまた忍恋の切なさを歌う、と。

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July 25, 2007

思ひきや夢をこ世の契りにて‥‥

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-表象の森- 学校にメタファーとして沼を置く

「学校にメタファーとして沼を置く、深泥に伸ばす足の感触」

滋賀県の高校で数学を教える33歳の棚木恒寿という歌人の作。
教育現場に日々身を置く作者の、生徒達への関わりようが想われて清々しいものがあるが、失われた十年、’90年代に学生時代を送った世代の、「深泥に伸ばす足の感触」はどんなほろ苦い影を曳いているのだろうか。

-今月の購入本-
ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟 -4-」亀山郁夫訳・光文社文庫
ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟 -5-エピローグ別巻」亀山郁夫訳・光文社文庫
J.ジョイス「フイネガンズ・ウェイク -2-」柳瀬尚紀訳・河出文庫
レヴィナス「全体性と無限 -下」熊野純彦訳・岩波文庫
梅原猛「京都発見(七)空海と真言密教」新潮社
「DAYS JAPAN -14歳のための日本国憲法-2007/08」広河隆一編集・ディズジャパン
「ARTISTS JAPAN -22 狩野芳崖」デアゴスティーニ
「ARTISTS JAPAN -23 鏑木清方」デアゴスティーニ
「ARTISTS JAPAN -24 青木繁」デアゴスティーニ
「ARTISTS JAPAN -25 富岡鉄斎」デアゴスティーニ
「ARTISTS JAPAN -26 黒田清輝」デアゴスティーニ
「ARTISTS JAPAN -27 小野竹喬」デアゴスティーニ

-図書館からの借本-
「青木繁-海の幸」中央公論美術出版
「假象の創造-青木繁全文集」中央公論美術出版
「図説オリエント夢幻紀行」河出書房新社
「図説ペルシア」河出書房新社

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-77>
 思ひきや夢をこ世の契りにて覚むる別れを歎くべしとは  俊恵

千載集、恋二、題知らず。
邦雄曰く、かつては心のままに逢瀬を持った。満ち足りた恋であった。その人とは、此の世では、もう夢のなかでしか逢うことができない。目覚めはすなわち別れ。この歎きを見ようとは、いもかけなかったと、むしろ哀傷歌に近い恋歌である。死別を言外に歌っているのが、他の悲恋の作とは異なる点、僧侶の歌独特の無常観が流れており、忘れがたい、と。

 たのみありて待ちし夜までの恋しさよそれも昔のいまの夕暮  藤原為子

風雅集、恋五、恋の歌あまたよみ侍りけるに。
邦雄曰く、絶えて久しい別れ、もはや望みもない旧恋の類、あの頃は、それでもなほ心頼みにして待ってもいた。恋しさも、待つ心のある間、すべては今、遠い過去の、他人事に等しい「待宵」の記憶になってしまった。滾るような思いを堰きに堰いて、ただ一言「それも昔の」で、すべてを暗示する技倆、さすが為兼の姉だけのことはあると感嘆を久しくする、と。

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July 23, 2007

家にありし櫃に鍵刺しおさめてし‥‥

Takenohana

-四方のたより- 異邦人の長い一日

昨日(22日)は例によって稽古で、帰宅後に図書館に予約本を引き取りに出向いた以外は定番コース。
一昨日の土曜はあるコンサートに「きしもと学舎の会」のブース出店のため、いまにも降り出しそうな空模様のなか、朝早くから播麿中央公園まで出かけた。まずは宝塚の岸本宅へ立ち寄り、めずらしく早い食事を済ませた彼を車に乗せて、ヘルプの境目君と岸本の古くからの知友坂本和美君と緊急参加の谷口豊子さんの総勢5人となったから、往きも帰りも窮屈至極のドライブ移動。
当初から300も集まれば御の字かと決め込んではいたものの、コンサート会場の客足は予想以上の低調ぶりで、消耗戦覚悟だったとはいえ、若者たちの集うコンサート会場に紛れ込んだ我々5人の異邦人たちにとって、まさにそのとおりの長い一日となった。救いはお互い初めての顔合わせもあり、それらがひとつことの協働作業に一日を費やして時を過ごしたことの、五人五様に事情は異なろうともいくらか新鮮な匂いがあったかに思えることだ。
それにしても、隣に陣取った「Wajju-和聚」なるブースに寄り集う若者たちの群れのノーテンキな健全さには些か閉口させられた。どうやら彼らはなべて神戸に本社を置く人材派遣会社「ガイアシステム」が関係するボランティア団体らしく、中核はみんなその会社の社員のようだった。
若いイベントスタッフたちもまたそうだったが、彼らはみな一様に明るくかつ自己中心的としか映らない。「出会い」を謳い「発見」を唱えるが、その出会いも発見も予定調和的で、彼ら自身の限られた狭い枠のなかでしかないから、此方と通じるような回路の見出だしようもない。
フィナーレ近く、主催となっている歌手のステージが始まったあたりで、我々異邦人たちは早々と帰り支度をして車に乗り込んだ。帰路、岸本の自宅近くのレストランに立ち寄り、ゆっくりと会食をしたのが異邦人たちの長い一日の慰めのひとときとなって、お互いやっといつもの自分に戻り得たような気がしたものだ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-76>
 恋ひ侘びてうち寝るなかに行きかよふ夢の直路はうつつならむ  藤原敏行

古今集、恋二、寛平御時、后の宮の歌合の歌。
邦雄曰く、現実には逢い難い愛人の許へ、夢のなかでのみは通う路がある。「直路(ただじ)」、直通するたのもしい通路が覚めての後の日常にもあったらと、詮ないことを願う。恋する者の切ない心であろう。古今集には、この歌に並べて百人一首歌「夢の通ひ路人目よくらむ」が採られている。定家は後者を「花実よく相兼ねたる」と称揚はしたが、如何なものか、と。

 家にありし櫃に鍵刺しおさめてし恋の奴のつかみかかりて  穂積皇子

万葉集、巻十六、由縁ある雑歌。
邦雄曰く、愛の道化師、恋の奴隷を幽閉しておいたが、無益なこと、いつの間にか脱出して、主人に挑みかかる。当然のことであろう。それこそ今一人の自分であったものを。穂積皇子は、この歌を宴席で酒が最高潮になった頃、好んで歌ったと註している。戯歌ではあるが、このやや自虐的な修辞には、かえって作者自身の、隠れた感情が躍如としている、と。

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July 21, 2007

人知れず逢ふを待つ間に恋ひ死なば‥‥

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-世間虚仮- 進学校と優秀生徒の「名義貸し」

予備校にしろ私立の進学校にしろ、少子化の進行で生徒確保のしのぎを削る競争はよほど深刻化しつつあるのだろうが、「関関同立73人合格、実は1人」と、有名大学への合格実績がこんな形で大量に水増しされていたとは、驚き入って開いた口がふさがらない。これでは公共事業の入札・請負などによく問題となる「名義貸し」とまったく同じではないか。
昨日付の読売新聞の報道では、大阪市内住吉区の私立学芸高校の学力優秀な一人の生徒に、学校側が受験料を全額負担し、06年度の有名私立関関同立の全73学部・学科にすべて出願させていたというのだ。といっても、センター試験の結果のみで合否判定をする制度を利用してのものだから、この生徒がいちいち実際に受験する必要はないわけで、謂わば生徒の名義貸し、学校側からいえば名義借りということだ。結果はすべて合格で、受験費用は計130万円也。さらにこの生徒側には5万円也と数万円相当の腕時計を贈答していたというから、畏れ入谷の鬼子母神。この生徒は国公立が第一志望で、実際はこれに合格し進学したらしい。
この学校では5年前から、関関同立などを受験する生徒の受験料を負担する制度を設けており、規定は非公開で一部生徒だけに告げられる、とも報じられている。
優秀な生徒の名義借りが常習化しており、この水増し合格で進学校としての偽装を図ってきたわけだが、これも氷山の一角、決してこの高校だけではないだろう。新興の進学校はおそらく大同小異だろうし、老舗の有名進学校だって、いくらか疑ってかかる必要があるかも。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-75>
 うつつこそ寝る宵々も難からめそをだにゆるせ夢の関守  後鳥羽院

続拾遺集、恋二、千五百番歌合に。
邦雄曰く、四句切れ命令形「そをだにゆるせ」がまさに帝王調、悠々としてしかも情趣に富む。歌合では、右が定家の「思ひ出でよ誰がきぬぎぬの暁もわがまたしのぶ月ぞ見ゆらむ」。顕昭判は当然表敬の意も込めて左勝だが、実質は力倆まさに伯仲した「良き持」の番。院の剛直な急調子も快く、定家の凄艶な言葉の響きと彩も、いつもながら圧倒的である、と。

 人知れず逢ふを待つ間に恋ひ死なば何に代へたる命とかいはむ  平兼盛

後拾遺集、恋一、題知らず。
邦雄曰く、恋に生きるこの命、それも逢い、契ってこその命、未だ逢うこともなく、秘かに思い続けて、機を待つばかりで、その間に焦れ死んでしまったらなんの甲斐があろう。命に代えて必ず逢おう。一筋の恋心、それも男心が、切々と歌われ、殊に結句の「命とかいはむ」には涙をこらえた響きさえ籠っている。恋の真情、真理を伝えた稀なる一首である。

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July 20, 2007

はかなくて見えつる夢の面影を‥‥

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写真は、棟方志功「釈迦十大弟子」より「富楼那の柵」

-表象の森- 釈迦十大弟子の六、富楼那

富楼那は説法第一となり。また、満願子とも異称されるなり。
カビラ城の近くドーナヴァトゥという婆羅門村に生まれた。彼は若くして家を出、海上の交易商人となって成功し長者となった。ある日、その航海の途上で舎衛城の仏教教団と乗り合わせ、釈尊の存在を知るところとなった。この時どうやら彼は、釈尊に直にまみえることなく出家を決意したらしく、航海が終わるや否や、財産をすべて長兄に譲り渡し、舎衛城近くの祇園精舎へと駆けつけたという。
晩年は故郷へ戻って釈尊の教えをひろめることに専心したといわれるが、この釈尊との別れの際に師弟の間で交わされた問答が仏典に残され、伝道に徹底して身命を賭した覚悟のほどが語られている。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-74>
 思ひつついかに寝し夜を限りにてまたも結ばぬ夢路なるらむ  藻壁門院少将

新拾遺集、恋四、題知らず。
生没年未詳、藤原延実の女、弁内侍・少将内侍の姉。新三十六歌仙や女房三十六歌仙に挙げられる。新勅撰集初出。
邦雄曰く、恋しい人との仲も絶え果てた。その故由はさらに知り得ぬ。疑問と不安と絶望に身を苛まれながら、作者はじっと宙を見つめるのみ。夢路とは逢瀬のこと、単純な内容であるが嫋々たる調べは曲線を描いて、盡きぬ恨みを伝えている。少将は、似絵の開祖藤原隆信の孫。後堀河天皇の中宮藻壁門院に仕えた歌人で、反御子左家とも親交あり、と。

 夢にても見ゆらむものを歎きつつうち寝る宵の袖のけしきは  式子内親王

新古今集、恋二、百首歌中に。
邦雄曰く、正治2(1200)年院初度百首の中。空前の秀作揃いで、70首以上が新古今集以降の勅撰集に採られ、残りも殆どが未木抄に入った。殊に新古今入選は25首に上る。袖も涙も濡れ濡れて寝るこの姿、あなたの夢にも現れようものをと、独特の二句切れ倒置法で訴える。迫力あり、妖艶の極みといえよう。式子の数ある恋の名作の一つに加えたい、と。

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July 19, 2007

はかなくて見えつる夢の面影を‥‥

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写真は、棟方志功「釈迦十大弟子」より「須菩提の柵」

-表象の森- 釈迦十大弟子の五、須菩提

須菩提は、解空第一となり。また、無諍第一、被供養第一とも。
解空とは、文字通り、空を解すること、空なるものへの理解が抜きんでていたということ。
無諍とは、決して諍いせず、いかなる非道・中傷・迫害があろうとも決して争わず、つねに円満柔和を心がけたと。さればこそ多くの人々からかぎりない供養を受け、被供養第一とも称されたのであろう。
彼はコーサラ国舎衛城の富豪商人の家に生まれたという。
祇園精舎を寄進した大富豪須達の甥にあたるが、その祇園精舎が完成した際の釈尊の説法を聞いて出家したという。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-73>
 はかなくて見えつる夢の面影をいかに寝し夜とまたや忍ばむ  土御門院小宰

続古今集、恋三、恋の歌とて。
邦雄曰く、偶然にも夢で恋しい人を見た。忍びに忍んで、報いられぬゆえの、悲しい反映に過ぎないのに、その夢すらどういう風に寝たから見ることができたのかと省みる。うつつには到底叶わぬことゆえに、剰る思いを精一杯言葉に変えようとする涙ぐましい作品。小宰相は家隆の息女、父と共に遠島流謫の後鳥羽院を歌で慰めた。勅撰集入集26首、と。

 つらかりし多くの年は忘られて一夜の夢をあはれとぞ見し  藤原範永

新古今集、恋三、女に遣はしける。
生没年未詳、生年は正暦4(993)年頃かと。能因法師や相模を先達と仰ぎ、源頼実ら家司・受領層歌人で和歌六人党を結成。小式部内侍と間に女児を設けたとも。後拾遺集初出、勅撰集に30首。
邦雄曰く、待ち焦がれた逢瀬、この一夜までの苦しさは今更繰り返すのも辛い。だが、そのただ一夜共に寝てみた甘美な夢ゆえに、既往のすべての苦悩もさっぱりと忘れ得た。後朝に男が贈る歌としては、安らぎに満ちた、一盞の美酒に似た香を漂わす。恋歌群中にあっては、むしろ目立たぬ作ながら、一息に思いを述べた爽やかさは、それゆえに存在価値あり、と。

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July 18, 2007

送りては帰れと思ひし魂の‥‥

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-世間虚仮- 誕生日とお泊まり保育

昨夜は夕食の後の食卓にめずらしくショートケーキが出てきた。眼前に置かれた私のには細いローソクが3本、小さな炎が灯されていた。自分の誕生日だということを忘れていたわけではないが、いまさらさしたる感慨もなく打ち過ごしている身だから、ささやかなセレモニーよろしく妻と幼な児に「おめでとう」と言われても、なにやら他人事のような遠い感触に包まれながらケーキを頬ばったものである。
そういえば、いつものように保育園に幼な児を迎えに行ったその車の中で、「今日は、お父さんのお誕生日なんって、先生に言ったよ。そしたら、先生が『え、ホント、で、お父さんはいくつになるの?』って。だから、るっこは『3歳になるの』って言ったよ。」などと幼な児はお喋りしていたっけ。
もうずいぶん前からだが、自分の年齢のことが解ってくるとこんどは母親や私の年をしつこく訊ねるようになってくるもので、そんな頃から、私の場合は60を捨象して1歳、2歳と数えさせていたから、そのような保母さんへの応答になるのだけれど、それを聞いた保母さん、さぞかし面喰らったことだろうと思うとちょいと可笑しく愉快な気分にさせられたものだ。

その幼な児は、今日からはお泊まり保育とやらで、それも加太の海岸近くの民宿に2泊3日という、保育園にしてはめずらしい本格派の小旅行にお出かけあそばすのだが、今朝は早くからそわそわとどうにも落ち着かない。結局は集合の時間にはまだまだたっぷりと余裕があるけれど、「早く行こうよ」と浮き足だってくるから、早々に保育園へと送りとどけることになってしまった。
月が変わってからは、「あといくつ寝ると‥‥」と来る日も来る日も指折り数えては待ちかねてきたお泊まり保育だもの、彼女にすればそんな浮き浮きそわそわも無理はないのだけれど、これまで一度だって親と離れて外泊などなかった子であれば、反面いささか緊張している風情もあって、それかあらぬかいつもなら朝は決まってパンかお茶漬けでお腹を満たしていく子が、今日に限って「いらない」とそのままに出かけたあたり、新しいこと未知のことにはどんな場合も緊張の先立つ気質がまだまだ脱けないらしく、やはりうれしさ半分物怖じ半分というのが、今朝の彼女の姿なのだろう。
はてさて、2泊3日の3日目の夕刻、迎える私に幼な児はどんな姿を見せるものやら、この時期の子どもにとっては相当な強度をもつはずの体験であろうから、きっとなにかしら変化のきざしが表れているにちがいないが、それがどんなものにせよ彼女にとっては成長史の大きな徴のひとつになることは疑いないし、こちらはこちらでどのように眼を瞠らせられるのかに小さな期待を寄せつつ、二晩の不在を味わねばならない。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-72>
 逢ふと見てことぞともなく明けぬなりはかなの夢の忘れ形見や  藤原家隆

新古今集、恋五、百首歌奉りしに。
邦雄曰く、正治2(1200)年院初度百首の時、作者壮年を過ぎ、技倆ようやく円熟して、秀歌ひしめく感あり。もっともこの恋歌、六百番歌合「枯野」の定家「夢かさは野べの千草の面影はほのぼの靡く薄ばかりや」に似すぎているが、本歌とされる小町の古今集歌「秋の夜も名のみなりけり逢ふといへばことぞともなく明けぬるものを」を遙かに超えた秀作である、と。

 送りては帰れと思ひし魂の行きさすらひて今朝はなきかな  出羽弁

寛弘4(1007)年?-没年未詳、平安中期の女流歌人で家集に「出羽弁集」。「栄花物語」続編の巻31から巻37までの作者に擬せられる説あり。後拾遺集初出、勅撰集に16首。
金葉集、恋下、雪の朝に出羽弁が許より帰り侍りけるに是より送りて侍りける。
邦雄曰く、古今・雑下に「飽かざりし袖の中にや入りにけむわが魂のなきここちする」と、橘葛直の女陸奥の作あり。後朝に別れを惜しみ、男を送って行った。身は帰ってきたが魂は恋しい人の方に行き迷い、脱穀さながらの今朝の自らの有様。離魂症状をまざまざと描き出したところ、執念を思わせてまことに印象的である。作者は出羽守平季信の女、と。

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July 16, 2007

宵々の夢のたましひ足高く‥‥

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-世間虚仮- 災害列島

連休を直撃した台風4号は昨日のうちに列島を去ったのに、今夕から断続的に激しい雨が降り続いている。
午前10時過ぎ発生した新潟の中越沖を震源とした地震は、柏崎市を中心に震度6強を記録、各地の被害報道が終日続く。
3年前に震度7を記録し、甚大な被害をもたらした中越地震があった地域だけに、付近住民に与える衝撃は計り知れないだろう。
地震直後、柏崎刈羽原子力発電所では変圧器に火災が発生、2時間余りで鎮火。幸い今のところ放射能漏れの心配はない模様だが、7号機まである原子炉はすべて稼働停止、今後慎重なチェックが要される。
雨はなお強く音たてて降り続いている。
この激しい雨が、明日は被災地一帯を襲うことになりそうだ。
ライフラインの復旧はまだめどが立っていない。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-71>
 いつはりの限りをいつと知らぬこそしひて待つ間のたのみなりけり  二条為定

大納言為定集、恋、待恋。
邦雄曰く、騙されているのかも知れぬ。契る言葉も、一々疑っていたら限りがない。ただそれがどの程度、いつまでと知らぬこと、知りようのないことこそ唯一の救いであろう。愛する者の心弱さ、恃めぬ愛に縋ろうとする者のあはれを、醒めた言葉で歌いきった。評論の一節か箴言の類を聯想するような曲のない調べながら、それもまた清々しい、と。

 宵々の夢のたましひ足高く歩かで待たむ訪ひに来よ  小大君

小大君集。
邦雄曰く、毎夜、訪れもせぬ人を待ち侘び、せめて夢にでもと、魂は足まめに出向いていたが、それはふっつり止めよう。じっと待機しているから、精々来てくれることだと歌う。諷刺と諧謔にかけては王朝女流中の白眉。品下らぬ程度に辛みのきいたこの種の歌、他に求め得べくもなくまことに貴重である。第二・三句無類の詞、と。

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July 15, 2007

かはれただ別るる道の野辺の露‥‥

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-表象の森- 太田省吾の死

「小町風伝」や「水の駅」など、非常に緩いテンポで、あるいは沈黙の舞台で、演劇の常識を転倒させ、ならばこそ比類のない劇的空間を現出せしめた演出家・太田省吾の訃報が14日の朝刊で報じられていた。
肺ガンで入院中、肺炎を併発しての急死だったという。1939年生れ、まだ67歳という早すぎる死は惜しまれてあまりある。
私は一度きりだが芦屋のルナホールで彼の舞台を観たことがある筈だが、それが「小町風伝」だったのか沈黙劇三部作の「地の駅」だったのか、記憶が混濁してはっきりしない。それでググってみたのだが、太田省吾の個人サイトにあるプロフィールによれば、1982(S57)年に大阪公演としてルナホールで「小町風伝」を上演したとあるから、おそらくその機会だったのだろう。
その頃ならば、私の身体表現の手法もすでに数年前から即興を主体とし、しかもその動きを時間の引き延ばし-緩やかなテンポにすることで、一瞬々々の細部の生動化を図ろうとしてきたから、彼の発想の切口にも、衝撃を受けるというものではなかったのだが、ただ演劇と舞踊の、その様式の差が結果においてずいぶんと距離をもたせるものだと確認させられたような舞台であったかと記憶する。
早稲田小劇場を率いた鈴木忠志と同年ながら、やや遅れて70年後半に注目を浴びるようになった彼は、鈴木の拓いてみせた方法に、どうしても対抗的発想に立たざるを得なかったのでないだろうか、と私には思われ、鈴木忠志の劇世界と太田省吾のそれとを対称性においてみるというのが、私のスタンスであったと、彼の死を聞いた今、ふりかえって再認させられている。
劇評家の扇田昭彦が劇作家や演出家たちとの対談記をまとめた「劇談」(小学館)という書があるが、
このなかで太田は「物は晴れた日より、曇った日の方がよく見える」と彼のエッセイで言っていたと紹介されているが、この発想が、演技者の行為というものを、極端に緩いテンポにしてみせることで、却ってその生を、生の細部をまざまざと照り返すという、転倒させた方法論を生み出させたのだろう。
この対談のなかで、もうひとつ面白い話は「蛸の足」論である。嘗てジャン・コクトーがサティの音楽を、まるで蛸の足のように観客を絡め取ろうとするのがサティ以前の近代音楽で、現代の音楽であるサティは蛸の足的音楽ではない、とコクトーはそう捉えた。太田もまたコクトーのサティ解釈に倣い、蛸の足的演劇から、どこまでも遠く逃れようとしてきた、というわけである。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-70>
 かはれただ別るる道の野辺の露いのちに向かふものは思はじ  藤原定家

六百番歌合、恋、別恋。
邦雄曰く、華やかな技法の彩は見せず、直叙法で、圧倒するような激しい調べである。この百首でも稀な、例外的な構成で、殊に珍しい倒置命令形の初句切れに、否定形決意の結句の照応は、侵すべからざるものを感じさせる。右方人の難陳「詞続かず」、すなわち句切れ頻りの意。俊成は右、経家の凡作を負とした。この歌いずれ勅撰集にも採られていない、と。

 あひ見ても千々に砕くる魂のおぼつかなさを思ひおこせよ  藤原元真

元真集。
邦雄曰く、自分自身に向かって静かに説き聞かせるような諄々たる調べは、時代を超えて読者の胸に沁むものあり。「たましひのおぼつかなさ」とは、類を絶した修辞として記憶に値しよう。恋がすべての人を初心に帰らせる、この悲しさ。逢わねば死ぬ思い、とはいえ、逢えば逢うで明日の愛の行方を思い煩う。真理に隠れた主題は永遠に強い一つの好例であろう、と。

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July 14, 2007

柞原かつ散りそめし言の葉に‥‥

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-四方のたより- 劇と小説と琵琶と

一昨日(12日の午後は関西を代表するヴェテラン女優河東けいさんに案内を享けて「セールスマンの死」を吹田のメイシアターまで出かけて観劇。
昨夜(13日)は毎年恒例となった「琵琶五人の会」を文楽劇場へと聴きに行った。
阪急吹田には地下鉄を乗り継ぐが、その往き還りに読みかけたのが水村美苗の「本格小説」。日頃なかなか小説を読まない私だが、時には興がのって一気に読み継いでしまうこともある。文庫にして上下巻合わせ1140頁ほどか、とうとう琵琶の会に出かける前に読み切ってしまったが、その間寝食以外はなにもしなかったに等しい。

どうやら寡作の人であるらしいこの作者については、先に「続明暗」を読んでいたのだが、どうやら代表作と目されるこの長編を超え出て次回作を期待するには、おそらく大変な準備と慮外の果報に恵まれないとあり得ないかも知れないと思われるほどに充実した内容ではあった。ただいくら読み進んでみても、どこまでもつきまとったのは、この小説がなにゆえ「本格小説」などとタイトルされたものか、その事大な名付けにおける作者自身の嗜好というか趣味というか、もっといえば小説に対する作者自身の自意識というか、そういう以外にどうみても描かれた小説世界と切り結ぶべきものをなんら感じさせぬ、その異和が不満といえば不満であった。
小説とは直接関係ないが、この作者の夫君が、「貨幣論」や「二十一世紀の資本主義論」を著し、先頃紫綬褒章を受賞したという経済学者の岩井克人だったとはこれまでまったく気がつかなかったが、この事実や、彼女自身が12歳より在米生活を送り、イェール大学の仏文博士課程卒業という経歴とを併せて思われることは、此方の勝手な推量にすぎないけれど、先述したように作家としての彼女は今後もずいぶんと寡作の人であろうし、この長編を凌駕するような新作を生み出すことは至難の技となるだろう。

アーサー・ミラー不朽の名作「セールスマンの死」は1949年の発表だから、現代戯曲の古典といってもよい存在だ。当時の演出はなんとエリア・カザンである。彼はこの戯曲と並び称されるテネシー・ウィリアムズの「欲望という名の電車」もこの2年前に演出している。
劇団大阪の熊本一が演出し、田畑猛雄と河東けいが主役夫婦を演じるこの舞台は、同じ陣容で3年前の1月に上演され、その時の観劇談は初期のブログにも掲載しているが、時を隔てて観てみれば、やはり相応の感触の違いはあった。
その違いを一言でいえば、ディテールの一つ一つ、その時々の台詞の言葉が、客席にわかりやすくよく届いていたと思われるということ。原作と照らし合わせたわけではないので断定はできないが、かなり刈り込んでテキスト・レジーをしているのではないか。60年も隔てているとはいえ現代の劇である。それがアクチュアリティーをもって今の日本の観客に伝えるにはどうあるべきか、この点に演出はずいぶんと腐心したにちがいない。3年前の舞台に比べればディテールの伝わりやすさにおいて数段の進歩があったといえるだろう。ただ、私などの嗜好からいえば、そのディテールの一つ一つ、台詞の一つ一つが、妙に切なく響きすぎるというか、濡れそぼって胸に堪えすぎるのが、心理的に少々きついのである。正攻法でストレートに、こんなにいちいち胸に堪えていては、延々と積み上げられた最期のクライマックスの悲劇が、どうしても幾分かは減殺されてしまう、という危険もあるのではないか。余剰というか遊びというか、そういう視点からもっと工夫をして貰いたい、そんな思いを残した舞台であった。

そして「琵琶五人の会」、
この会では幼な児を連れての鑑賞ゆえ、時間に遅れて聴き逃した演目もあり、あまり語る資格はないのだが、聴いた限りではやや低調気味であったかと思う。
もちろん、奥村旭翠の安定した達者ぶりは健在だが、気にかかった点を挙げれば、まず中野淀水の些か主情に寄りかかり過ぎたとみえる語りと調子の取りようだ。この人の声質と今の工夫のあり方が、どちらかといえば相生合わず、互に裏切り合っているというのが私の見立てで、熟達の工夫の方向を軌道修正すべきだと思われる。
加藤司水の場合、語りと奏法の、それぞれにおける熟練の乖離はいよいよ判然として、ちょっと始末に負えないところまできているという感がある。ひとり自ら語りかつ奏でるのが琵琶の宿命ならば、一方のみに長じても意味をなさないわけで、彼の場合、「歌うな、語れ」の第一歩から出直すくらいの気構えを要するだろう。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-69>
 柞原かつ散りそめし言の葉にたれか生田の小野の秋風  宗良親王

李花集、恋、いかなることにか洩れけむ人の恨み侍りしかば。
柞(ははそ)-ナラ類やクヌギの古称。
邦雄曰く、柞の葉のようやく散り初めた晩秋の野と、不用意にも、言葉を散らし、人の噂に立つ原因を作った男とが二重写しになる。誰か行く、その生田の森の秋風とは、いずれ飽きがくることの予言でもあろうか。何か不安な、心中を冷たい風の吹き過ぎるような歌である。李花集には題詠の恋歌も数多見えるが、贈答と思われるこの作、心を引く節がある、と。

 露しげき野上の里の仮枕しをれて出づる袖の別れ路  冷泉為秀

新拾遺集、恋三、旅恋を。
生年未詳-応安5(1372)年、御子左家冷泉為相の子、定家からは曾孫にあたる。風雅集初出、勅撰集に26首。
邦雄曰く、古代以来の日本のジプシー、秀れた芸能集団ゆかりの美濃の野上はたびたび恋歌に登場した。「白砂の袖に別れに露落ちて」と定家が歌った秋の朝の後朝が、しかも旅のさなかであれば、歌の背後には傀儡女の歌う今様の一節さへ響くようだ。「露=しをれて=袖」「仮枕=別れ路」と縁語の脈絡も巧みに、冷泉家二世の面目はこの一首にもあきらか、と。

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July 13, 2007

思ひ出でよ野中の水の草隠れ‥‥

Anaritsu

写真は、棟方志功「釈迦十大弟子」より「阿那律の柵」

-表象の森- 釈迦十大弟子の四、阿那律

仏教では諸々の超能力のなかでとくに6つの神通力-六神通-を挙げる。
一に、神足通-空間を自由自在に移動する能力、いわゆる神出鬼没という類
二に、天眼通-未来や運命に対する予知能力
三に、天耳通-遙か遠方の音をも聞き分ける聴力、千里眼ならぬ千里耳である
四に、他心通-他者の内面、心を読み取る能力
五に、宿命通-自他の前世、過去世を知る能力
六に、漏尽通-あまねく余さず、真理を悟りうる能力

阿那律は盲目にして天眼第一となり。
彼は釈迦族の出身で釈尊の従弟ともいわれるが、彼の出家の際には釈迦族の有為の者7人がともに出家、釈尊に帰依している。
そのなかには十大弟子に数えられる阿難陀と優波離がおり、また後に釈尊に叛逆した提婆達多も含まれていたとされる。
彼は生来の盲目ではなかった。まだ出家してまもない頃、迂闊にも説法の席で居眠りをして叱責を受けてしまったが、これを恥じ入り、こののち不眠不休の誓いを立て、定坐不臥の行に没頭しつづけるあまり、ついに盲目になってしまったのである。
両眼の犠牲をもって心眼を獲たということであろう。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-68>
 思ひ出でよ野中の水の草隠れもと澄むほどの影は見ずとも  二条為重

新後拾遺集、恋四、題知らず。
正中2(1325)年-至徳2(1385)年、俊成・定家の御子左家二条為世の庶流為冬の子。足利義満の歌道師範となり、新後拾遺集の選者に。為重の死後、二条家は後継者無く急速に衰退。新千載集初出、勅撰集に36首。
邦雄曰く、昔、播麿の印南野にあった清水は、もと冷たく澄み後に温かく濁ったと伝え、これに因み、もと連れ添うた女の意をも含む。謡曲の「野中の清水」は家を去った女房に印南野で追いつき連れ戻す筋。「思ひ出でよ」の命令形懇願はつれなくなった相手に、たとえ昔通りになれずとも、せめてとの意か。為重は二条為世の孫、非業の死を遂げた、と。

 命あらば逢ふ夜もあらむ世の中になど死ぬばかり思ふ心ぞ  藤原惟成

詞花集、恋上、寛和二年、内裏の歌合によめる。
天暦7(953)年-永延3(989)年、花山天皇の乳母を務めた藤原中正の女を母に、道長は母方の従弟にあたる。花山天皇の側近として権勢をふるうも、退位出家とともに惟成も剃髪隠棲した。拾遺集初出、勅撰入集17首。
邦雄曰く、寛和2(986)年33歳、他界3年前の作。悲調一色、涙の雨と滝に濡れそぼった王朝恋歌の中に、このおおらかな調べは珍しい。悠々として迫らぬ、しかも達観の臭みなどない安らぎは実に頼もしく、また貴重でもある。切羽詰まって盲目になった恋人同士を、一瞬蘇らせ、生き直させるほどの命を有している。拾遺集初出歌人。漢詩作者としても名あり、と。

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July 12, 2007

ながらへてなほ祈りみむ恋ひ死なば‥‥

Makakasyou

 写真は、棟方志功「釈迦十大弟子」より「摩訶迦葉の柵」

-表象の森- 釈迦十大弟子の三、迦葉

頭陀第一といわれた迦葉(かしょう)は、摩訶迦葉とも呼ばれるが、摩訶とは、大いなる、勝れた、の意だから、尊称として付加されたのだろう。
頭陀はもちろん首から提げる頭陀袋のそれだが、即ち衣食住など少欲知足に徹するを意味する。古来より「十二頭陀行」といわれ、常行乞食や但坐不臥など12箇条の禁欲が説かれる。
迦葉もまた、王舎城近くの村に住むバラモンの家に生まれた。
釈尊に帰依してより8日目に最高の悟りの境地とされる阿羅漢に達したとされる。
迦葉に伝えられる挿話として、釈尊が身に着けていたボロボロの衣-糞掃衣(ふんぞうえ)-に比べて自分の着衣がずいぶんと良いものであるのを恥じ入り、強いて頼みこんで取り換えて貰ったという話がある。彼は釈尊の糞掃衣を押し戴いて、以後これを愛おしむように着つづけたという。
文字通り、彼が釈尊の衣鉢を受け継いだ、というわけである。
釈尊入滅後、生前諸処で行われた説法を編纂するために、彼が主幹となって、500人の修行者を集め編集会議-結集-を開いたとされ、経典や戒律のテキストが成立していく。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-67>
 歎く間に鏡の影もおとろへぬ契りしことの変わるのみかは  崇徳院

千載集、恋五、百首の歌召しける時、恋の歌とてよませ給うける。
邦雄曰く、あれほどの約束も人は違えてしまった。すべては異様(ことざま)になってゆく。それのみならず、悲嘆にくれてやつれ果てた私の顔は、鏡の中で慄然とするほどである。嘗ての面影など思い出すよすがもない。百首は久安6(1150)年、作者31歳の催しであった。常に一脈の冷気漂う御製ではあるが、この悲嘆の歌にも、題詠を遙かに超えた迫力を感ずる、と。

 ながらへてなほ祈りみむ恋ひ死なばこのつれなさは神や受くらむ  松田貞秀

松田丹後守平貞秀集、恋、祈恋。
邦雄曰く、性根を据えてかかった「祈恋」である。満願日になお恋の叶わぬ歎きなら、六百番歌合の定家は「祈る契りは初瀬山」と、果つる口惜しさに唇を噛んだが、貞秀はこともあろうに「神や受くらむ」と言い放った。むしろ潔い。前代未聞の異色恋歌と言おう。貞秀は室町幕府奉行人、二条為重と交わりあり、南北朝後期における出色の武家歌人、と。

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July 11, 2007

曇り日の影としなれるわれなれば‥‥

Rinjyuki

-表象の森- 「林住期」を生きる

「林住期」という語も、最近は五木寛之の「林住期」と題されたそのものズバリの著書が出るに及んで、巷間つとに知られるようになったようだ。
抑も「林住期」とは、古来ヒンドゥ教の訓える「四住期」の一。
学生期・家住期・林住期・遊行期と、人生を4つの時期に区分し規定したとされる。
学生期(がくしょうき)とは、師について学び、禁欲的な生活をおくり、自己の確立をまっとうすべき時期、とでもいうか。
家住期(かじゅうき)とは、結婚し子どもをもうけ、職業に専念、家政を充実させるべき時期。
林住期(りんじゅうき)とは、親から子へと世代交代をなし、古くバラモンならば、妻と共に森に暮らし祈りと瞑想の日々を送るということになるが、今の世ならば、さまざまに縛られてきた責務から自らを解放し、やりたいことをやろうという時期とでもいうか。
されば、遊行(ゆぎょうき)期とは、バラモンでは林住期においてなお祭祀などの義務を残していたが、ここではもはや一切を捨て、おのが死に向かって遊行遍歴の旅人と化す時期であろうか。
これら「四住期」については、手塚治虫の長編「ブッダ」にもすでに触れられていたと聞くが、私の場合、山折哲雄の編著として出版された「林住期を生きる」が初見であった。
この書では、現代においてまさに「林住期」を生きる五人各様の生きざまが、各々自身の言葉でもって綴られているが、以下ごく簡単に紹介しておく。

富山と石川の県境近く、山深い久利須という里に住む美谷克己は、偶々市岡高校の期友だが、二十数年前から、炭焼きをし畑を耕し、安藤昌益の謂う「直耕の民」としていまなお生き続けるが、決して孤影の仙人暮しなどではなく、かの僻地に住まいしたことが却って政治的にも文化的にも連帯のネットワークを飛躍的にひろげたものと見えて、その活動はどんどん活発化しているようだ。
東京都世田谷区の保健婦だった足立紀子は、55歳で早期退職、社会人大学に入学し、四国八十八箇所の遍路へと旅立ち、さらに大学院へと進み、おのが興味の尽きない勉学と気儘な放浪の旅を往還する人生だ。
神戸癒しの学校を主宰する叶治泉は、阪神大震災の彼我の生死を分かつ被災体験を契機に、大峯山奥駆修行に発った。以来自戒としてか毎年この山野の行を欠かさず、里の行たる癒しの学校運営に専心しているという。
若い頃の十数年を、釈迦ゆかりの地、インドの王舎城にて藤井日達翁のもとで出家修行した成松幹典は、36歳で還俗、日本に帰国してのち家庭を持ったが、さらに十数年後、こんどは家族とともにネパール・ポカラへと移住、ヒマラヤのアンナプルナ連峰が映える風光明媚な地でホテル支配人として日々を暮らす。
「仏教ホスピスの会」会員として終末期の患者やその家族と関わり続ける三橋尚伸は、迷宮とも見える仏教知の世界を放浪した挙げ句、東方学院に学び出家得度をしたれっきとした僧だが、いわば在家としてホスピス・ボランティアに生きる有髪の尼僧だ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-66>
 片糸のあはずはさてや絶えなまし契りぞ人の長き玉の緒  後鳥羽院下野

新勅撰集、恋五、右衛門督為家、百首の歌よませ侍りける恋の歌。
邦雄曰く、縒り合せていない糸は、二筋撚らぬ限り、甚だ弱いものだ。そのように一人と一人は逢わぬ限り、たとえ慕い合っていてもいつか仲が絶える。縒糸とする力こそ契りであろうし、それが二人の末長い命となろう。玉の緒は一人一人の恋の片糸によって絶たれも繋がれもしよう。下野は小比叡禰宜祝部家出自、院配流後の遠島御歌合作者の一人、と。

 曇り日の影としなれるわれなれば目にこそ見えね身をば離れず  下野雄宗

古今集、恋四、題知らず。
生没年、伝未詳。下野氏は崇神天皇の皇子豊城命を始祖とする東国の豪族と伝えられる。
邦雄曰く、影は曇り日にもある。人の目に見えぬだけなのだ。私は君の身を離れない。曇り日の影のように人知れず、ひったりと影身に添うて恋いつづけるだろう。他の恋歌といささか発想を異にした不気味な迫力を持つ歌である。現代ならこの歌を贈られた人は慄然として、肌に粟を生ずるだろう。作者は六位、生没年等は一切不詳。採られたのは一首のみ、と。

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July 10, 2007

思ひ出でよ誰がかね言の末ならむ‥‥

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-表象の森- 「アラビアンナイト」の日本的受容

以下は、先に紹介した西尾哲夫著「アラビアンナイト-文明のはざまに生まれた物語」の終章「オリエンタリズムを超えて」における-アラビアンナイトと近代日本のオリエンタリズム-と題された掌編の要約である。

日本は、「アラビアンナイト」とはヨーロッパ文明の一要素であると見なしてこれを受容した。これにともない、「アラビアンナイト」との接触を通して形成されていったオリエントもしくは中東のイメージが日本にも入りこむことになった。これらのイメージが若干の変形を受けながらも日本の風土に移植された時期の日本人は、明治以前に知られていたものとは構造的に異なった世界システムへの対処法を探っていた。やがて日本が自らをヨーロッパ文明の構成員であると見なすようになると、ヨーロッパの近代化プロセスに埋めこまれていたオリエンタリズムからも影響を受けることになる。つまり日本に入ってきたのは、近代ヨーロッパに特徴的に出現したシステムとしての「オリエンタリズム」だったわけである。
だが、ヨーロッパにおける国際関係を基盤として形成された「オリエンタリズム」を明治期日本という異なった文化風土のもとで具体化するためには、ヨーロッパ人にとってのオリエントである中東に代わるべき対象を再設定する必要があった。こうして日本は中国とその周辺地域を再定義し、オリエンタリズム的視座による世界システムを再構築したのである。
このように日本は、ヨーロッパとオリエント(もしくは中東)相互の全体論的な関係の副産物であった「オリエンタリズム」を機械的に適用し、自身をヨーロッパ化することによってオリエントとしての中国を支配しようとしたが、その一方ではヨーロッパを他者として仮想することによって自己像を分裂させたのである。つまり日本におけるオリエンタリズム形成において中国、より正確には虚構上の中国が果たした役割は、近代ヨーロッパにおけるオリエンタリズム形成において中東世界が果たした役割とは異なっていたことになる。
明治期以後に進められたアイデンティティの再構築においては、ヨーロッパが二重の役割を果たすことになった。つまり日本にとってのヨーロッパは、投影による自己像、および仮想の他者の二つに分極化されたわけである。こうして明治以後の日本が採用した「オリエンタリズム」にあっては、近代ヨーロッパにおけるオリエントとしての中東が持っていた意味が失われることになった。オリエント(=中東)は、相対する他者、自己確認と自己規定のツールとしての他者としての意味を喪失し、他者としてのまなざしが交錯しない後景におしやられることになったのである。
つまりヨーロッパにとっての中東(オリエント)は、「見るもの-見られるもの、それを通じて慈子を見なおすもの」として存在したのであるが、日本的オリエンタリズムにおいては「見るもの」としての日本、「見られる」ものとしての中国、「それを通じて慈子を見なおすもの」としてのヨーロッパという三極分化が生じ、他者としての役割を中東に期待することはなかった。
日本人の想像力がアラビアンナイト中に見出だした中東世界は、ヨーロッパと中国(もしくはアジア)の彼方に存在している。結局のところ、現代の日本人にとって「アラビアンナイト」の世界はシルクロードの果てに広がるファンタジィの世界であり、江戸時代の庶民が見慣れた三国(日本・中国・インド)地図の片端に描かれたような実体のない異域にとどまっているといえるだろう。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-65>
 思ひ出でよ誰がかね言の末ならむ昨日の雲のあとの山風  藤原家隆

邦雄曰く、家隆自讃歌二首の中。千五百番歌合中の名歌であり、新古今集恋の白眉の一つともいえようか。昨日吹き払われた雲の、その後の空に、今日も風は吹き荒れる。初句切れの命令形さえ、三句切れの深みのある推量で、恨みを朧にする。歌合では六条家顕昭の奇怪な判によれば、左、西園寺公経の凡作との番が持。勿論、公経の歌は新古今には洩れた、と。

 心のみなほひく琴の緒を弱み音に立てわぶる身とは知りきや  飛鳥井雅世

飛鳥井雅世集、寄緒恋。
邦雄曰く、琴の緒は即ち玉の緒、恋にやつれ、弱り、それでもなお諦め得ぬ悲しみを、そのまま、弾琴のさまになぞらえて、あたかも楽と恋慕の主題を、詞の二重奏のように調べ上げた。結句の反問もむせぶかに響く。「寄鐘恋」では「ひとりのみ寝よとの鐘の声はして待つ宵過ぐるほどぞ悲しき」があり、15世紀も中葉の、歌の姿の一面を見せてくれる、と

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July 08, 2007

夕暮れは雲のはたてにものぞ思ふ‥‥

Alti200409

-世間虚仮- 地方議員164名の駆け込み辞職

今年の4月1日には「改正地方公務員等共済組合法」が施行されているが、これに伴い全国の都道府県議・市議・区議等の議員年金も給付水準が12.5%引き下げられることになったわけだが、こりゃかなわんとばかり臆面もなくちゃつかりと、施行前の3月末に駆け込み辞職をした議員先生たちが少なくとも164名を数えたと報道されていた。
町村を除いた地方議員だから、この分母は最大2万4000人ほどになり、わずか1%にも満たない数値だが、3期12年の年金受給資格者に限られるから、分母はぐんと小さくなるだろう。とはいうものの2桁の大台に乗るはずもなく数パーセントにすぎないと思われようから、さほど驚くにあたらないと見えるかもしれないが、よほどの不始末でもしでかさないかぎり任期途中で自ら辞任などしないお歴々のことなれば、164名というこの数字は充分に事件性はあるといっていいだろう。
5000万件以上の主不明の年金騒動で上や下への当節にこの報道、まるで出来すぎの諷刺漫画みたいだが、とても笑ってすませるものではない。

ところで、わが国と世界各国の地方議会制度を比較、わかりやすく数値で対照した一覧を、「構想日本」なる団体がネットに公開しているが、わが国の地方議会・議員事情の突出した特異性が如実に示されている。
嘗て私が見聞したオーストラリアも、デンマークやスエーデンなどの北欧においても、地方議員とはみな専門職などではなくボランティアであった。したがって議会も夜に行われるというのが通例であった。
上は国政を与る衆参議員から末端自治体の市区町村議員まで、ひとしなみに専門化・職業化している地方議会・議員制度は、ひとりこの国だけなのだ。
些か論理は飛躍するようだが、特権化した議員集団をあまねく末端にまで肥大させたがゆえに、これにおもねるあまりか、却って自治体サイドの情報公開をずいぶんと遅らせてきたのではないかと、私などには思われるのだ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-64>
 つれづれと空ぞ見らるる思ふ人天降り来むものならなくに  和泉式部

玉葉集、恋二、百首歌の中に。
邦雄曰く、天来の愛人を待つ心、「天降り来むものならなくに」と自ら否みながらも、他の頼む術もないままにまた天を望む。二句切れの思いあぐねたような構成も、無造作に見える下句も、累計的な王朝和歌の中では、新しくかつ別趣のあはれを創っている。数世紀にわたって数多の本歌取りあり。この秀作、第十四代集に至るまで選外に置かれた、と。

 夕暮れは雲のはたてにものぞ思ふ天つ空なる人を恋ふとて  よみびと知らず

邦雄曰く、華やかに遙かな恋歌の源泉にして原型とも言うべき一首。日没の山などに、光の筋の立ち昇るように見える雲を、雲の旗手と呼ぶ。万葉の「わたつみの豊旗雲に入り日見し」も同趣の光景。前掲の和泉式部の「つれづれと空ぞ見らるる」も、この歌の心を写したもの。下句の匂い立つような情感は、後の世のあらゆる相聞の、技巧の粋すら及ばない、と。

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July 07, 2007

風吹けば嶺に別かるる白雲の‥‥

Arabian_nights

-表象の森- オリエンタリズムとしての「アラビアンナイト」

「異文化の間で成長をつづける物語。
この本は新書の一冊だが、その背後には実に膨大な歴史がある。
今日世界の問題である中東の状勢を考える上でも、アラビアンナイトの辿った道は、決して無視することが出来ないだろう。」
と、毎日新聞の書評欄「今週の本棚」5/20付で渡辺保氏が評した「アラビアンナイト-文明のはざまに生まれた物語」(岩波新書)はすこぶる興味深く想像の羽をひろげてくれる書だ。
著者は国立民族学博物館教授の西尾哲夫氏、2004年に同館主催で開催されたという「アラビアンナイト大博覧会」の企画推進に周到に関わった人でもある。
今日、『アラビアンナイト』を祖型とするイメージの氾濫は夥しく、映画、アニメ、舞台、電子ゲームなどに溢れかえっているが、「それらの大部分は19世紀以後に量産されてきた挿絵やいわゆるオリエンタリズム絵画から大きな影響を受けている。」と、著者はさまざまな例証を挙げて説いてくれる。
本書を読みながら、図書館から同じ著者の「図説アラビアンナイト」や04年の企画展の際に刊行された「アラビアンナイト博物館」を借り出しては、しばしこの物語の広範な変遷のアラベスクに遊んでみた。

『アラビアンナイト』もしくは『千夜一夜物語』の題名で知られる物語集の原型は、唐とほぼ同時代に世界帝国を建設したアッバース朝が最盛期を迎えようとする9世紀頃のバグダッドで誕生したとされるが、それは物語芸人の口承文芸だったから、韻文を重んじたアラブ世界では時代が下るといつしか忘れ去られていったらしい。定本はおろか異本というものすらまともに存在しなかったらしい。
アラビアンナイト最初の発見は1704年、フランス人アントワーヌ・ガランがたまたま手に入れたアラビア語写本を翻訳したことにはじまる。
しかしガランが最初に入手した写本には、お馴染みのアラジンもアリババも登場しない。シンドバッドだけが何故か別な物語から挿入されたらしい。アラジンやアリババはガランが別な写本から翻訳、後から付け加えられたという。これが時のルイ十四世の宮廷に一挙にひろまった。フランスのブームはイギリスへ飛び火し、さらにヨーロッパ全土へと一気にひろまっていく。

著者は本書の序において、「今から300年ほど前、初めてヨーロッパ人読者の前に登場したアラビアンナイトは魔法の鏡だった。ヨーロッパ人読者はアラビアンナイトという魔法の鏡を通してエキゾチックな幻想の世界という中東への夢を膨らませた。やがて近代ヨーロッパは、圧倒的な武力と経済力で中東イスラム世界を植民地化していく。現代社会に深刻な問題を投げかけているヨーロッパとイスラムの不幸な関係が出来上がっていった。」と要約してみせる。
或いはまた「『アラビアンナイト-千夜一夜物語』とは単なる文学作品というよりも、西と東との文明往還を通して生成されていく一つの文化現象とでも形容できる存在なのだ。」
「ヨーロッパにおける『オリエンタリズム』、いわば初めは正体がわからず畏怖すべき対象であったオリエントが、ヨーロッパによって『文明化』され、ヨーロッパ的価値観という統制可能なフレームの中に収まっていく過程とパラレルになって形成されてきたのが『アラビアンナイト』なのだ」と。
たとえばブッシュに代表される現代アメリカの中東観に関わることとして、
「トリポリ戦争の勝利によって独立後の国家としてのアイデンティティを確立したアメリカは同時に『遅れた野蛮な地イスラム諸国』という視点をもってイスラム世界と対立してきた。そこにもまたこの物語が影を落している。ご承知のようにこの物語の大枠は女を毎夜殺害する専制君主の前に引き出された『シェヘラザード』が毎日王に物語を語って聞かせ、ついに王を悔悟させるというものだが、この聡明な知恵をもって野蛮な王を説得する女性のイメージこそ、その後のアメリカのイスラム諸国を野蛮視する視点の確立に合致している。アメリカは、その独立建国以来、今日までこの物語の視点を持ち続けているのである。」というあたり然もありなんと肯かせてくれる。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-63>
 生けらばと誓ふその日もなほ来ずばあたりの雲をわれとながめよ  藤原良経

六百番歌合、恋、契恋。
邦雄曰く、命を懸けた恋、それもほとんど望みのない、宿命的な愛を底に秘め、あたかも宣言でもするような口調で、死後の自らを、空の白雲によって偲んでくれと歌う。俊成は「あたりの雲」を「あはれなる様」と褒めたのみで、右隆信の凡作との番を持とした。技巧の翳りもとどめぬ、このような直情直叙の歌に良経はよく意外な秀作を残している、と。

 風吹けば嶺に別かるる白雲の絶えてつれなき君が心か  壬生忠岑

古今集、恋二、題知らず。
邦雄曰く、わが心通わぬ無情な人の心を、初句から第四句の半ばまでの序詞をもって代え、かつ描き出した。虚しい空の、さらに空しい雲が、風のために嶺から離れて行かねばならぬ定め。「つれなき」とはいえ、白雲もまた自らの心で別れるのではないところに、「心か」の疑問風嗟嘆の余韻は仄かに後を引く。多くの歌の本歌としても永遠に生きる、と。

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July 05, 2007

聞かじただそのかねごとは昔にて‥‥

Mokukenren

写真は、棟方志功「釈迦十大弟子」より「目犍連の柵」

-表象の森- 釈迦十大弟子の二、目連

目連は、目犍連また大目犍連とも称され、神通第一なり。
生まれはマガダ国王舎城の北、コーリカ村のバラモン出身にて、舎利弗とは隣村同士。
彼はその神通力を駆使し、仏の説法を邪魔する鬼神や竜を降伏させたり、異端者や外道を追放するなどして、多く恨みを買ったこともあり、却って迫害される事も屡々であったとされる。とくに六師外道の一とされるジャイナ教徒から仇敵視されよく迫害されたという。
舎利弗と同様、目連もまた、釈迦入滅に先んじて没した。
神通をもって多くの外敵を滅ぼしたがゆえに、おのが業の深さもよく知っていた。また舎利弗とともに尊師の死を見るに偲びなかったのであろうかと思われるが、釈迦に別れを告げた後、故郷の村へと帰参し、多くの出家者たちに見守られつつ滅度を遂げたとされる。
後世、中国の偽経「盂蘭盆経」に説かれる、地獄に堕ちて苦しむ母を浄土へ救い出すという、目連救母の逸話は、祖霊を死後の苦悩世界から救済する「盂蘭盆会」仏事の由来譚となり、これが中国より日本へ伝来し、津々浦々庶民の信仰するところとなって今日の盆行事にいたる。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-62>
 聞かじただそのかねごとは昔にてつらき形見の夕暮の声  貞常親王

後大通院殿御詠、期忘恋。
「かねごと」-予言または兼言、いわゆる約束の言葉だが、この一首では鐘の声と懸けられている。
邦雄曰く、入相の鐘が鳴る。聞くまい、聞きたくない。約束していながら私はあの時それを忘れ、仲はそのまま絶えてしまった。今は昔のこと、ただ、その名残を偲ばせるような鐘の声が身に沁む。一篇の物語にも余る恋の経緯の始終を、一首に盡してなお余情ある技法。「憂き身こそいとど知らるれ忘れねど言はぬに人の問はぬつらさは」も、同題の作品、と。

 君が行く道のながてを繰り畳ね焼きほろばさむ天の火もがも  狭野弟上娘子

万葉集、巻十五、中臣朝臣宅守との贈答の歌。
邦雄曰く、巻十五後半には、二人の悲痛な相聞が一纏めに編入されているが、婚後、何故か越前に流罪になった宅守に宛てた妻・弟上娘子の歌のうち、殊に「天の火もがも」の、一切をかなぐり捨てて彼女自身が白熱したような一首は、胸を搏つ。道をあたかも一枚の布か紙のように、手繰って巻き寄せるという発想にも、昂揚した女性特有の凄まじさがある、と。

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July 04, 2007

忘れてはうち歎かるる夕べかな‥‥

Syarihotsu
写真は、棟方志功「釈迦十大弟子」より「舎利弗の柵」

-表象の森- 釈迦十大弟子の一、舎利弗

舎利弗は、智恵第一なり。般若心経の舎利子は之のことなり。
マガダ国王舎城の北、ウパティッサ村、バラモンの裕福な家に生まれた。
親友目連とともに懐疑論者サンジャヤの高弟であったが、
釈迦の弟子アッサジ比丘と偶々出会い、その教えに触れるやたちまち悟りを開いたという。
すぐさま目連にこれを伝えれば、彼もまた大いに理解し、二人して師のサンジャヤを説き伏せ、ともに釈迦に帰依せんとするも、サンジャヤの懐疑論は動かず、已むなく二人で仏門に走った。この折、サンジャヤの弟子250人もこぞって改宗したとされる。
釈迦の信任厚く、師に代わって説法することも多く、釈迦の実子羅候羅の後見人ともなる。
舎利弗も目連も釈迦より年長であり、ともに釈迦の後継者と目されていたが、病を得、釈迦入滅に先んじて没した。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-61>
 あまた見し豊(トヨ)の御禊(ミソギ)のもろびとの君しもものを思はするかな  寛祐

拾遺集、恋一。
生没年未詳、10世紀の歌人、三十六歌仙源公忠の子とされるも、伝詳らかならず。
邦雄曰く、詞書には「大嘗会の御禊に物見侍りける所に、童の侍りけるを見て、またの日遣はしける」とあり、美少年を見初めての作。勅撰集には、後に詞花集に現れるのみで、珍しい例とされる。豊の御禊は賀茂川の二条、三条の河原に行幸があって行われる「河原の御祓」で、天皇即位の後の大嘗会の前月の潔斎。寛祐は勅撰歌人で調香の名手源公忠の子、と。

 忘れてはうち歎かるる夕べかなわれのみ知りて過ぐる月日を  式子内親王

新古今集、恋一、百首歌の中に、忍恋。
邦雄曰く、待っていたとて人は来るはずもない。思えば、愛を打ち明けることも忘れていたのだから。自分一人の思いを胸に秘めて、すでに久しい間こうして耐えてきた。忘れていたのではない、おそらくいつまでも告げることはあるまい。縷々たる恋の歎きは、結句の「過ぐる月日を」の、声を殺したような特殊な「を」によって、決して終わることはないだろう、と。

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July 03, 2007

涙さへたぎりて落つる夏の夜の‥‥

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-世間虚仮- 失言居士の生かじり知識

失言居士・久間章生防衛大臣の、米国による原爆投下は「しようがない」発言があったのは6月30日だったが、ヒロシマ、ナガサキの原爆の日も近いこの時期、しかも安倍政権の命運がかかった参院選挙を控えていることも重なって、失言騒動の波紋は大きくひろがっている。
毎日新聞の朝刊で、昭和史に詳しい作家の半藤一利が「久間防衛相は歴史を生かじり」と一刀両断に斬り捨てている。
氏曰く、久間防衛相は、日本を降伏させるために、米国とソ連が競ったと考えているようだが、1945年2月のヤルタ会談で、ドイツ降伏の3ヶ月後にはソ連が参戦することに、米国は合意しており、
また、米国の原爆投下は、同じ7月のポツダム宣言による降伏勧告の前に、すでに命令が下されていた。
日本の政府首脳は原爆投下の前から、戦争を終結しようという方向で動いていたし、米国もソ連もそれを承知していたのも事実。
日本を早く降伏させるために原爆を落とした、というのは米国のあとからつけた勝手な理屈というわけだ。日本の防衛相がこれを代弁するなど、そんな必要はなく、もっての外と騒がれても致し方あるまい。
失言直後の安倍総理の反応の鈍さを思えば、久間防衛相にかぎらず、安倍総理以下、いまの閣僚たちの多くも、きっとこの程度の生かじりの歴史知識で、国政の舵取りをしているのだろう。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-60>
 涙さへたぎりて落つる夏の夜の恋こそ醒むる方なかりけれ  二条太皇太后宮大弐

大弍集、人の恋ひしに、夏の恋の心。
生没年未詳、太宰大弐藤原道宗の女か、母は大弐三位ともいわれる。金葉集初出、勅撰集に19首。
邦雄曰く、夏の夜の恋といえば蛍や蚊遣火が景物となって、情緒一入が常道であるが、大弐の場合は滂沱たる涙の滝、手を尽くす術もなく、恋醒めなど考えられぬ。第一・二句の強勢表現、やや過ぎるかと思われるくらいだが、情熱のたぎり、珍しく線の太い相聞歌となった。二十一代集に洩れたのが不思議なほど、強く高い響きをもつ歌である、と。

 わが恋はむなしき空に満ちぬらし思ひやれども行く方もなし  よみ人知らず

古今集、恋一、題知らず。
邦雄曰く、恋一の巻首・巻軸は勿論、巻中の8割以上を埋めつくすよみ人知らず歌は、いずれ劣らぬ美しい調べであり、後の世の本歌としてももて囃されてきた。虚空に満つる恋、はるばるとして際限もないもの思い、いずれ遂げ得ぬ恋のことながら、この歌には深刻な慨嘆、懊悩などはほとんど感じられない。虚空、むなしき空の縹の色の澄んだ悲しみである、と。

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July 01, 2007

雲となり雨となりても身に添はば‥‥

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-世間虚仮- 釜蓋朔日

7月1日、「釜蓋朔日-かまぶたついたち」とは耳慣れぬ言葉だが、
関東ならば7月は盆の月、今日は盆入りとて、いよいよお盆の準備が始まるが、この日、死者の霊魂が地獄の石戸を突き破って出てくるとされ、このように言い慣わされるようになったという。
あるいはまた、あの世の釜の蓋が開いて、先祖たち死者の精霊が冥途から此の世のそれぞれの家へと旅立つ日でもあるという。
未だ旧盆を風習とする関西ならば、八朔-8月1日-が釜蓋朔日となろうが、
どちらにせよ、直裁で生々しくて、こういった喚起力のある言葉がもはや死語となってしまった現代の世は、索漠としてつまらない。
また、7月1日は山開きの日でもあり、海開きの日でもあるが、昔、全国津々浦々の山々は、すべからく信仰の対象であったのだから、凡夫が聖域へ入るなど神罰の下ることとて許されるものではなかった。
夏のこの時期、その禁が解かれ、山参りが許されることから、山開きと言われるようになったことなども、修験に参じる行者衆はともかく、一般の登山愛好者やその他の者たちには、そんな背景も遠い記憶の底に眠ってしまって、もう呼び覚まされることもない。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-59>
 かね言(ごと)はよしいつはりの夕暮も待たるるほどぞ命なりれる  岡江雪

江雪詠草、契待恋。
天文6(1537)年-慶長14(1609)年、北条氏康・氏政親子に仕え、北条氏の滅亡後、秀吉の御伽衆となり、秀吉の死後は家康に仕え、関ヶ原、冬・夏の陣にも近侍した。外交手腕に優れ、連歌を能くした文武両道の戦国武士。
邦雄曰く、たとえ男の口約束が嘘であったとしたところで、待ち遠しい間が「命」だと、縋りつくような思いを呟く女。頼みにもならぬことを頼み、半ばは諦めつつ、「いつはりの夕暮」に懸けようとする。懸詞の臭みもなく、さらりと生まれた「待宵」一風変わったうまみ。作者は秀吉の御伽衆の一人、能・連歌に堪能の戦国武士。17世紀初頭に没した、と。

 雲となり雨となりても身に添はばむなしき空を形見とやみむ  小侍従

新勅撰集、恋三、後京極摂政の家の百首の歌よみ侍りけるに。
邦雄曰く、朝は雲となり暮れは雨となるとは、「巫山の夢」即ち楚の襄王と巫山の仙女との故事によるもの。自分の上には望み得ぬことだが、もしそうであったらと、はかない前提を置くゆえに、下句のあはれは一入まさる。この恋三に、六百番歌合における有家の同主題作「雲となり雨となるてふ中空の夢にも見えよ夜半ならずとも」も入選している、と。

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