« May 2007 | Main | July 2007 »

June 30, 2007

あかねさす昼はもの思ひぬばたまの‥‥

Db070509rehea10

-表象の森- ひろさちや「狂いのすすめ」

昨夜につづき、ひろさちや氏の近著についての追い書きである。
第1章の「狂いのすすめ」から、終りの4章は「遊びのすすめ」へと結ばれ、遊狂の精神こそ世間-縁-のうちに生きる人間の最良の智恵と説かれることになるが、
その世間-縁なるものを思量するに引かれる具体的事象がいくつか面白い。
たとえば、動物社会学の知見によれば、アリはそれほど勤勉ではない、という話。
まじめに働くアリは約2割、残りの8割は怠け者。正確にいえば、2:6:2の割合で、ものすごく勤勉なアリが2割、6割が普通、怠け者が2割ということだが、6割の普通のアリを怠け者のグループへ入れれば、先述のようなことになる。
そこで、2割の勤勉な者ばかりを集めて新しい集団をつくればどうなるか。勤勉だったアリの8割が怠け者に転じてしまうのだ、という。
もうひとつ、養殖うなぎの稚魚の話。
養殖うなぎの稚魚はたいてい外国から輸入しているが、これが空輸されてきたとき、8割、9割の稚魚が死んでしまうのである。これでは採算もとれないから、窮余の一策で、試しに稚魚の中に天敵のナマズを入れて空輸してみたところ、稚魚の2割はナマズに喰われてしまっていたが、残りの8割は元気そのものだったという。
アリやうなぎの稚魚の集団における生態も、人間社会の生態も大同小異、同じようなものなのだ。それが世間というものであり、また縁のうちにあるということなのだ。

あれこれと本書で紹介された事象の中で、それなりに新鮮で刺激的なものとして私を捉えたのは、「老衰とガン」の相関的な話だ。
筆者には、放射線治療の第一人者として現代医療の最先端にいながら、逆説的でセンセーショナルな書として注目を集めた、「患者よ、ガンと闘うな」を著した近藤誠医師と対談した「がん患者よ、医療地獄の犠牲になるな-迫りくる終末期をいかに人間らしく生き遂げるか」(日本文芸社新書)があるようだが、これを引いて、
近藤医師曰く、ガンという病気は、本来ならば老衰のように楽に死ねる病気だ。高齢者がだんだんに食べなくなって、痩せて枯木のようになって、格別苦しまずに眠るように死んでいく。そういう死に方ができるのがガンなのだ、と。
また、高齢者の死因において、老衰死が極端に少なくなり、代わってガンが増大したのは、摘出手術を当然視した現代医療の徹底した普及から、手術の後遺症や抗ガン剤の副作用、病巣の転移などを誘発することが圧倒的にひろがってきたからだ。むしろ老衰のような死に方を理想とするなら、ガンを無理に発見して治療しないほうがよい場合も多々あるのだ、
と説いているが、少なくとも少壮期に発見されたガンならばともかく、壮年の晩期や初老期にさしかかってからの場合など、まこと肯ける話で、斯様に対処するが智恵というものかもしれぬ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-58>
 あかねさす昼はもの思ひぬばたまの夜はすがらに哭(ね)のみし泣かゆ  中臣宅守

万葉集、巻十五、狭野弟上娘子との贈答の歌。
邦雄曰く、昼・夜の対比による恋の表現は八代集にも見える。能宣の百人一首歌「夜は燃え昼は消えつつ」も、その一例であろうが、宅守の作は第二句までが昼、第三句以下が夜と単純に分けられ、ゆえに一途の思いが迸る感あり。「逢はむ日をその日と知らず常闇にいづれの日まで吾れ恋ひ居らむ」も連作中のもの。暗鬱で悲愴な調べは迫るものがある。

 つれもなき人の心は空蝉のむなしき恋に身をやかへてむ  八条院高倉

邦雄曰く、無情な人の心は憂く辛く、ついに蝉の脱殻のように空虚な、あても実りもない恋に、わが身を代償としてしまうのか。「憂=空蝉」の微妙な懸詞でつながる片恋の切羽詰まった悲しみを、高倉は淡彩で描きおおせている。この歌の前に、殷富門院大輔の「明日知らぬ命をぞ思ふおのづからあらば逢ふ夜を待つにつけても」が採られており、共にあはれ、と。

⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

青駒の足掻きを早み雲居にそ‥‥

Kuruinosusume

-表象の森- ひろさちや

その著書を読んだことがなくとも「ひろさちや」というこの仮名書きのペンネームには覚えのある人は多いだろう。平易な言葉で仏教や宗教を説き、人生論を語って、その著作は400冊以上を数えるというから畏れ入ったる多作ぶりだ。
この御仁が、同じ市岡15期生H女の兄者と聞かされたのはつい先頃。その縁を頼りに、この秋に予程の同窓会総会にゲストとして講演を依頼しようという話が持ち上がってきた。明日(6/30)がその決定をみる幹事会とて、まるで付け焼き刃みたいなものだが、急遽彼の近著を取り寄せて読む仕儀となった。
ひろさちや-本名は増原良彦、昭和11(1936)年生れというから今年71歳となる。北野高校から東大文へ。印度哲学の博士課程を経て、気象大学校に20年勤務の後退官し、フリーで著作活動。現在、大正大学客員教授。
ひろさちやというペンネームの由来は、ギリシア語の「phillo(フィロ)-愛する」と、サンスクリット語の「satiya(サティヤ)-真理」を合成したものらしく、ずいぶんとご大層なネーミングに畏れ入ったが、これはwikipediaからの情報。
ついでにwikipediaによれば、文壇にこんな賞があったとはついぞ知らなかったが、「日本雑学大賞」なるものを昭和55(1980)年に受賞している。本賞は前年の54年から創設され、年々の受賞者に、柳瀬尚紀、鈴木健二、楠田枝里子、はらたいら、池田満寿夫、内館牧子、嵐山光三郎、鈴木その子、日野原重明、小沢昭一などが名を連ね、雑学の名に恥じぬバラエティーの豊かさには驚き入った。
とりあえず私が読んだのは集英社新書の「『狂い』のすすめ」、今年の1月に第1刷発行で、5月にはすでに第7刷となっているから、結構売れているとみえる。
黄色の帯には、人生に意味なんてありません。「生き甲斐」なんてペテンです。と大書され、この言といい、タイトルといい、逆転の発想で世間智や常識を一刀両断とばかり勇ましいことこのうえないが、全体を4章立てとし、小見出しを振られた30節の短い文で構成された、仏教的知をベースに世間智を逆手に取って開陳される人生訓は、決して奇想というほどのこともなく、とりたててラディカルというわけでもない。
冒頭の一節は、勿論、室町歌謡「閑吟集」にある「一期は夢よ、ただ狂へ」を引いてはじまる。そして、風狂の人、一休宗純にお出ましいただいて、「狂者の自覚」へと逆説的説法は進むという次第だ。
その一休の道歌を引けば、
「生まれては死ぬるなりけりおしなべて 釈迦も達磨も猫も杓子も」
「世の中は食うてはこ(室内用の便器)してねて起きて さてそのあとは死ぬるばかりよ」

筆者の論理は往々にして捻りがあったとしても比較的単純明快、思索が重層しまた輻湊し多極的に構造化していくようなものではない。人生なら人生の違った断面をあれこれと多様に切り取りつつ、筆者流の仏教的知でいろいろと変奏してみせてくれるばかりだ。
400冊以上もの書を世に送り出している剛の者、仏教的世界への誘いも、その知を活かした人生論も、いわば自家薬籠中の世界、すでにHow to化した世界なのではないか。
本書でもっとも筆者らしい特質が表れているのではないかと思えた箇所を、かいつまんで紹介すれば、
かりに神が存在していて、その神が人間を創ったとしても、神はなんらかの目的を持って人間を創ったのではない。-と、これはサルトルの主張でもある。-
だから、人間は本質的に自由、なのだ。人間を束縛するものはなにもない。これが実存主義の主張だ。
ということは、人生そのものが無意味なのだ。そもそも意味とは、神の頭の中にしかないものだからだ。
生きる意味がない、とすれば、人はなぜ生きるのか、それは、
「――ついでに生きている――」 とでもいうしかない、それ以上でも以下でもない。
と、まあ要約すればそんなところだが、人生や世間なるものに真っ向から対峙してどうこうするとか、或いは降りるとかいうのではなく、横すべりに滑ってはみ出してみる、少しばかり逸脱したところに身を置くといった感の、「ついでに生きる」という謂いに、彼流のオリジナルがみられるように思え、このあたりがひろさちやの真骨頂というべきなのだろう。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-57>
 鳥の行く夕べの空よその夜にはわれも急ぎし方はさだめなき  伏見院

風雅集、恋伍、恋の歌に。
邦雄曰く、言うまでもなく、鳥の指す方がねぐらであるように、男の急ぐ行く手は愛人の家、それを表には全く現さず、暗示するに止めたところは老巧である。「夕べの空よその夜には」の小刻みな畳みかけも調べに精彩を加えた。溢れ出ようとする詞を、抑えに抑えて、息をひそめるように質素に歌ったところに、風雅集時代の、殊に恋歌の好ましさが感じられる、と。

 青駒の足掻きを早み雲居にそ妹があたりを過ぎて来にける  柿本人麿

万葉集、巻二、相聞。
邦雄曰く、知られた詞書「柿本朝臣人麿、石見国より妻に別れて上り来る時の歌」を伴う長歌2首と反歌4首の中のもの。「青駒之 足掻乎速 雲居曾 妹之當乎 過而来計類」の、上句の文字遣いなど、まさに旅人の姿を自然の中に置いて、うつつに見るようだ。「雲居にそ」の空間把握も縹渺たる悲しさ、他の妻恋歌と分かつところ。反歌4首中の白眉か、と。

⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 28, 2007

わが恋は行くへも知らず果てもなし‥‥

Alti200408

-表象の森- リンゴの中を走る汽車

  こんなやみよののはらのなかをゆくときは
  客車のまどはみんな水族館の窓になる
    乾いたでんしんばしらの列が
    せはしく遷ってゐるらしい
    きしゃは銀河系の玲瓏レンズ
    巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる)
  りんごのなかをはしってゐる
  けれどもここはいったいどこの停車場だ
  枕木を焼いてこさえた柵が立ち
    八月の よるのしづまの 寒天凝膠(アガアゼル)

宮沢賢治の「青森挽歌」という長詩(252行詩)の、冒頭の数行。
リンゴというものの形態――
それは丸いものにはちがいないが、閉じられた球体などではなく、孔のある球体であること。
それ自身の内部に向かって誘い込むような、<本質的な-孔>をもつ球体。
「りんごのなかをはしってゐる」汽車とは、
存在の芯の秘密の在り処に向かって直進していく罪深い想像力を誘発しながら、
閉じられた球体の「裏」と「表」の、つまりは内部と外部との反転を旅するものとなる。
畢竟、私たちの身体の、その脊髄内部の中枢神経は、もとはといえば、肺の表面を覆っていた外胚葉の<陥入>によるものである、という。
いわば、私たちの身体は、内側に向かって、一旦、裏返されているものなのだから、
賢治の、このリンゴのなかを走る汽車のように、
空間の外部が内部に吸い込まれていく、反転のイメージは、
生物の発生学では、なじみの深い形象でもあるのだ。
    -参照:見田宗介「宮沢賢治-存在の祭りの中へ」岩波現代文庫-

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-56>
 時しもあれ空飛ぶ鳥の一声も思ふ方より来てや鳴くらむ  藤原良経

六百番歌合、恋、寄鳥恋。
邦雄曰く、鳥もまた「思ふ方より来て」鳴くとは、先蹤の少ない発想であろう。当然右方人から論難の声あり、「などさは思はれけるにや」。俊成にもこの歌の斬新な思考と文体は理解できなかった。「空飛ぶ鳥の一声は何鳥にか」と愚問を提出、家房の平凡至極な鶏の歌を勝とする。定家は問題作「鴨のゐる入江の波を心にて胸と袖とに騒ぐ恋かな」で勝、と。

 わが恋は行くへも知らず果てもなし逢ふを限りと思ふばかりぞ  凡河内躬恆

古今集、恋二、題知らず。
邦雄曰く、王朝恋歌名作の一つ。三句切れの強勢助詞結句、その姿悠々たるものあり、忍恋の、しかも望みも薄い仲であるにもかかわらず、陰々滅々の趣きなどさらさらない。逢うまでは恋い続けよう。望みを遂げたら死ぬも可と、暗に、言外に宣言する姿の雄々しさは無類と言おう。空々漠々あまりの遙けさに、恋の歌であることをたまゆら忘れそうになる、と。

⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。

| | Comments (0) | TrackBack (1)

June 26, 2007

鳥のこゑ囀りつくす春日影‥‥

Ichibun9811270671

-四方のたより- Green Fesのアンケート

先の神戸学院大学での「山頭火」に対する観客のアンケートが参考までに主催事務局から送られてきた。
6件と意外に少ないが、短くも心のこもったメッセージに感謝である。

◇「ひとりかたりは今回初めて観させていただきました。俳句にあまり詳しくない私です。高校の時、国語で山頭火という名前を知ったと記憶しています。舞台にただ一人で、全てを演じるって大変なことですね。深く、静かな舞台すばらしかったです。琵琶の音色初めて聴きました。林田さんの無駄のない動き、やはり踊りのセンスが光っていました。語りの方、ピアノの激しさ、静・動の舞台感動しました。これからも何回も何回も演じ続けて下さい。」

◇「ひとり芝居、ひとり語りというものを初めて鑑賞しました。『山頭火』をどんな風に演技されるのかとても興味がございました。案にたがわず素晴らしい『山頭火』でした。句がそのまま生きていました。唯々感激いたしました。また、次回も同じように拝見したいものです。」

◇「生きることの辛さ、悲しさ、切なさがよく表現されているようでした。映像を利用して俳句など紹介する手法があるのではと素人考えですが…。」

◇「ひとりの演技に引き込まれ、感動しました。山頭火という人物へ興味を持ちました。また拝見したいです。今日はありがとうございました。」

◇「どの様な山頭火を観られるのか楽しみにしていました。とても驚きましたが、この様な山頭火もあるのだと感激しました。前の方で観ましたが、とても良かったです。ありがとうございました。」

◇「是非拝見したいと願っていました。山頭火のことはほんの少ししか知りませんでしたが今回の劇でよく知ることが出来、嬉しく思います。俳句が詩と同じように心に迫るものがあり、下手な私でも少しは作れるかもと思っています。毎回楽しい企画に心より感謝しております。ありがとうございました。」

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-55>
 鳥のこゑ囀りつくす春日影くらしがたみにものをこそ思へ  永福門院

玉葉集、恋四、題知らず。
邦雄曰く、壱越(いちこつ)調の春鶯囀(しゅんおうでん)でも響いてきそうな上句である。殊に第二句「囀りつくす」には、いよいよたけなわの感横溢、それだけに下句になって急に暗転し、俯きがちに恋人を偲び、遂げぬ契りを忍ぶ姿が鮮明に逆光で顕つ。玉葉は恋四巻首に万葉歌に酷似の「鵙(もず)の草ぐき」据え、二首目永福門院、三首目には道綱母の「諸声に鳴くべきものを鶯は」の趣向、と。

 流れそふ涙の川の小夜千鳥遠き汀に恋ひつつや鳴く  姉小路済継

姉小路済継卿詠草、恋、冬夜恋。
生年未詳-永正15(1518)年、室町後期の公家歌人、基綱の子、正三位参議、家集に「済継集」。
邦雄曰く、冬歌の千鳥が一応歌の中では此の世の海の渚に鳴いていたのに対し、この千鳥は悲恋の涙滝なし、末は流れとなってせせらぐその汀に身を震わせる。16世紀初頭、後柏原天皇時代の有数の詠み手、三条西実隆に教えを受けた。「越えわぶる関のこなたの寝覚めにも知られぬ鳥の音をば添へずや」は寄鳥恋、屈折した調べはなかなかの味である、と。

⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 25, 2007

わが恋は狩場の雉子の草隠れ‥‥

Dsc_00861

-世間虚仮- 消えゆく「連結机」

机と椅子が一体化したいわゆる「連結机」が、大阪府下一円の府立高校に導入されはじめたのは、生徒急増期の昭和30年代だったそうな。
とはいっても、私の現役時代にはついにお目にかからなかったから、市岡ではもう少しあとのことだったろう。
椅子を自由に動かせないなんてずいぶん窮屈なものだし、教室の清掃時など不便きわまりないと思うが、鉄製パイプで組まれた構造はたしかによく考えられたもので意外に強度があり、耐久性が買われてか、以後、他府県にもかなり普及したようだった。
それが40年余も経てみれば、いつのまにかどんどん姿を消し、ひとり端を発した大阪だけに使われていて、昨今では大阪の隠れた府立高名物?となっていたらしい。
大阪府下では’00年度から段階的にセパレート型に移行しはじめ、現在2万5000人の生徒がなお使用しているとか。これが今後両三年ですべて買換をし、名物「連結机」はとうとう姿を消すという。
昭和30年代の「連結机」導入は、さすが経済的合理精神の発達した大阪の先取性の発露かともみえるが、以後40年余の歳月は、’70(S45)年の大阪万博を頂点として下降局面に入り、地盤沈下の長い旅路となって、いまや昔日の面影なく、復興の夢も遠く儚い大阪へと変容せしめた、というのが現実の似姿だろう。
「連結机」の消長もまた、昭和30年代からの大阪の消長と軌を一にしているようにもみえてくる。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-54>
 水の上に浮きたる鳥の跡もなくおぼつかなさを思ふ頃かな  藤原伊尹

新古今集、恋一、たびたび返事せぬ女に。
邦雄曰く、第二、三句に現れる「鳥の跡」は、別に文字のことをも意味する。即ち、黄帝の臣蒼頡が鳥の足跡から初めて文字を案出した故事に依る。文字、すなわち書簡、女からの便りが途絶えがちなことを、水鳥の足跡のないのに懸けた。鳥の行方が気にかかりつつ、それが暗に、詞書の意をも兼ねているとするほうが面白かろう。冷え侘びた風情あり、と。

 わが恋は狩場の雉子の草隠れあらはれて鳴く時もなければ  仏国

仏国禅師御詠、寄鳥詠といふ題にて。
仁治2(1241)年-正和5(1316)年、後嵯峨院の皇子だが、その母は不詳とされる。出家して後、無学祖元の弟子となり、那須黒羽に雲巌寺を開山。風雅集に2首、新続古今集に1首。
邦雄曰く、後嵯峨帝の皇子、16才で出家した。夢想国師の師。その御詠はわずか29首しか伝わっていないが、中に一首恋歌、題詠とはいえ、忍恋を、逐われる雉子の心に類え、人に隠れて泣くという、切なさを十分に盡していて家集中でも抜群の出来、貴重な作品ではある。「狩場の雉子」とはまた最早逃れがたい命の譬喩となる。併せて味わいたい、と。

⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。

| | Comments (0) | TrackBack (1)

June 23, 2007

恋ひ侘びてながむる空の浮雲や‥‥

Db070510t005

-表象の森- 「夜色楼台図」と「月天心」

俳諧では若くして宗匠となるなどその文才を早くから発揮した蕪村だったが、絵画における熟達の道はなかなか険しかったようで、晩年に至るまでずいぶんと技法研鑽の変遷を経たようである。
その蕪村の遺した画群にあって、ひときわ異彩を放っているのが「夜色楼台図」であろうか。
縦は尺に足らず、横長は4尺余りの画面一杯に、「ふとん着て寝たる姿や東山」の嵐雪の句を髣髴とさせる東山三十六峰の山脈を背景に、市街地の無数の町屋根がつづき、山々や市街も一面の銀世界という、夜の黒と雪の白だけのモノクローム。
夜の街なみ風景が画題となるのは、京都でいえば祇園・島原などの歓楽街が発達し、燈火の菜種油がかなり廉価で流通するようになった江戸期になってからのようだが、蕪村のこの絵には、あたり一面の雪景色の中に、街の火影があちこちと点在して、その下で暮らす市井の人々の温みがほのかに感じられる。

蕪村は、街に生き街に死んだ、文人画家であった。
俳諧を通じて親交のあった上田秋成は、蕪村薨去に際し
「かな書きの詩人西せり東風吹きて」と追悼の句を詠んでいる。
漢詩における主題や語法を巧みに採り入れて、俳諧に新境地を拓いた蕪村を、「かな書きの詩人」の一語がよく言い当てている。

「月天心貧しき町を通りけり」
誰もが知る蕪村の代表句の一つだが、安東次男の教えるところによれば、この句の初五ははじめ「名月や」また「名月に」であったという。
「名月や」ならば、あくまでも下界から眺めている月とみえようが、「月天心」となれば、月を仰いでいるというよりも、体言切れの強勢がむしろ逆に天心の月から俯瞰されているような感じを惹起する。
くまなく照らし出された家並みの下には、微視的に見れば月の光の届かぬ生活の気配がある。蕪村はこの巨視の眼の中に、人界の営みを包み込みたくて改案したのはないか。暗い町裏の軒下をひたひたと歩いてゆく蕪村の足音と、月明りの屋根の上を音もなく過ぎてゆくもう一人の蕪村の気配が、同時に伝わってくるところが面白い、と。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-53>
 いかにせむ宇陀の焼野に臥す鳥のよそに隠れぬ恋のつかれを  元可

公義集、恋、顕恋。
邦雄曰く、恋ゆえに身を細らせる、その衰えをやつれを、隠そうとは努めていても、「ものや思ふと人の問ふまで」目立つようになった。上句全体が序詞になっている歌、14世紀の北朝武士としては、珍しい例であろう。その序詞も、恋の火に身を焦がしたことを、「焼野」の彼方に暗示した。結句の「恋の疲れを」も新しく、親しみがある。俗名は橘公義、と。

 恋ひ侘びてながむる空の浮雲やわが下燃えのけぶりなるらむ  周防内侍

金葉集、恋下、郁芳門院の根合せに恋の心よめる。
邦雄曰く、この歌の誉れによって「下燃の内司」と呼ばれたと伝える秀歌。新古今・恋二巻首の「下燃の少将」俊成女の作は、これに倣ったと思われるがやや劣るか。歌合は寛治7(1903)年5月5日。左は女房の大弐「衣手は涙に流れぬ紅の八入は恋の染むるなりけり。右、周防内侍の作は結句「けぶりなるらむ」。判も判詞も不詳であるが明らかに右勝、と。

⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 22, 2007

恋ひ恋ひてよし見よ世にもあるべしと‥‥

061227_0121

-世間虚仮- 堀本弘士君の自殺と災害共済給付金

今年の正月を迎えてまもない1月早々の報道だったと記憶するが、昨年8月、いじめを苦に自殺した今治の中1生の、実名公表へ苦渋の選択をしたという祖父によって、あらためて事件の詳細を知ることとなったのだが、この堀本弘士君の自死に至るまでの健気な振る舞いぶりに、私は激しく胸を揺さぶられた。
貧しさをいじめの対象にされていた彼が、お年玉をコツコツ貯めていた20万円という大金を、毎週末、幼い弟を連れて広島までバスで出かけ、遊園地で好きなだけ遊ばせてやることに、数ヶ月かけて使い切ったうえで、遺書を残して死んだというのだった。その遺書の全容は知る由もないが、記事に紹介されている断片の限りでは、潔いほどにきっぱりしている。これを短絡的という誹りもあろうが、まだ幼さを残した彼の面影から察するに、精一杯よくよく考えた末の、本人なりの整合性のある帰結だったかと受けとめざるを得なかった。
この記事を読みながら私は年甲斐もなく、込み上げてくるものを抑えきれず涙してしまった。正直に言えば激しく泣いた。この子の心優しさと小さな正義感と潔さが愛おしくも胸に痛く突き刺さった。この国の現在は、こういう子どもをまで自死に追いやってしまうのかと、やり場のない無念に囚われた。

半年も経って、何故この件に触れているのかといえば、学校などで起こった生徒の負傷や疾病、障害や死亡などに対して給付する「災害共済給付制度」なるものがあるが、これを所管しているのが独立行政法人日本スポーツ振興センターだそうで、昨年12月、今治市教委が堀本君の自殺に対して死亡見舞金(最高額2800万円)の支給申請をしたところ、センター側はこれを不支給と決定、4月中旬頃、今治市教委に通知。市教委はこれを不服として不服審査請求を申し立てたという記事を、偶々見かけたからだ。
この場合の争点は「学校の管理下」をどう解するか、あくまで学校内とすべきか、学校の外であってもその管理下において起こった事件と見做しうるかという問題だ。
別の記事によれば、この制度の死亡見舞金は、学校内における子どもの自殺に対してはすべて支給され、自宅であったり別の場所であったり、学校の外で自殺した場合は不支給になるとセンター側は説明しているのだが、学校外の自殺で支給されているケースも過去に1件あるというから、始末が悪い。
この1件は、小6の子どもの自殺だっらしいが、事件発生が94年、見舞金の給付決定が00年12月と、どういう訳か6年もの年月を経ている。同センターのサイトによれば、給付金支払請求の時効は事由発生から2年問とされているから、少なくとも4年以上の歳月をこの給付決定に費やしたことになる。そこに何があったかは知る由もないが、制度の運用にばらつきがあっては批判の起こるのも無理はない。
この問題を突かれ同センターは「ケースバイケースで総合的に判断する」といい、また「個別事例については答えられない」と応じていると記事は報じている。
大人社会の、それも官公に近いところほど、今世間を騒がせている消えた年金問題にかぎらず、ことほど好い加減さが罷り通っているこの国である。
仮にもし私が自死した堀本君の祖父であったら、この顛末を、墓前になんと報告できようか。あまりに潔く散ってしまったその小さな心に、いったいなにを手向けたらよいのだろうかと途方に暮れては、ただただ涙するしかあるまい、とまたしても胸を熱くしてしまった昨日の昼下がりであった。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-52>
 恋ひ恋ひてよし見よ世にもあるべしと言ひしにあらず君も聞くらむ  式子内親王

萱斎院御集、前小斎院御百首、恋。
邦雄曰く、式子の余情妖艶、玲瓏たる恋歌は、二首三首など選び煩うくらいだが、この死を懸けた殉愛の宣言は、一読慄然たるものあり。生きていようとなど言ってもいない。ご承知の筈だ。恋い続けて、とにかく見ていてくださいと、迫るような語気は、すでに恋歌の範疇から逸れようとする。勅撰集に不截の傑作で特に記憶さるべき一首、と。

 幾夕べむなしき空に飛ぶ鳥の明日かならずとまたや頼まむ  後伏見院

風雅集、恋二、契明日恋といふことを。
邦雄曰く、女人代詠の待宵歌、来る日も来る日も「明日必ず」訪れるとの口約束ばかり、愛する人は「むなしき空に飛ぶ鳥」のように、空頼めのみ与えて姿を見せぬ。「とぶとりの・あすか・ならず」とまで懸けている面白さ。詩帝伏見院の第一皇子、第三皇子花園院とともに歌才は玉葉・風雅の俊秀に伍して、いささかも遜色はない。風雅入選35首、と。

⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 21, 2007

友恋ふる遠山鳥のますかがみ‥‥

Niousokkizu

―表象の森- フェノロサと芳崖

1882(明治15)年、内国絵画共進会-第1回日本画コンクールとでもいうべきか-の審査員を務めたフェノロサは、「田舎の気違いおやじ」と揶揄されていた狩野芳崖の絵に「本会最大の傑作」と絶賛を惜しまなかった。
日本の伝統美術に惚れ込み、日本画復興運動に若き情熱をたぎらせていた青年フェノロサと、溢れる才能のままに新風を求めて奔放な画風を拓いてきたものの、時流に合わず不遇をかこっていた狩野芳崖の、運命の出会いである。時にフェノロサ29歳、芳崖はすでに54歳を数えていた。
翌1883(明治16)年に芳崖は、第2回パリ日本美術縦覧会に2点を出品、芳崖の才能にいよいよ確信を深めたフェノロサは、この年の末より自宅(現・東大キャンパス)の近くに転居させ、月俸20円を支給し、画業に専念できるようにした。
こうして二人の新日本画創造の共同作業がはじまり、さまざまな新工夫が試みられた。

写真「仁王捉鬼図」はこの二人の共同作業が結実した集大成的作品とされる。
従来制約の多かった鍾馗図を仁王に置き換えることで構図の自由化を図ったといわれ、フランスから顔料を取り寄せては、常識を破る色彩効果を狙った。
成程、不思議といえば不思議な絵である。
仁王が忿怒の相で邪気をひと捻り、その主題の図に対し背景に配された形象の奇異なこと夥しいものがある。龍が描かれた装飾文様の柱や煌々と灯されたシャンデリアがあれば、床は植物文様の絨毯か。
どうやらこれらの装飾モティーフは、当時、工芸品の図案考案を課せられていた新日本画における実用的要請からのものらしい。
それにしても、不動明王なら火炎となるべきが、この仁王の背後から涌き立つ緑色の雲煙のごときは、仁王の肉身の朱色と相俟って、卓抜な色彩の妙を発揮している。複雑怪奇な形象を多岐に描きながら、破綻のない迫力で画面を埋めつくした表現力とその技法の熟練は、たんなる新奇を越えて非凡な魅力を湛えている。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-51>
 すずき取る海人の燈火よそにだに見ぬ人ゆゑに恋ふるこのころ  作者未詳

万葉集、巻十一、物に寄せて思ひを陳ぶ。
邦雄曰く、遠目にさえ見ることのできない人、それでもさらに愛しさの募る人、われから不可解な恋の歎きを、意外な序詞でつなぐ、「すずき取る海人の燈火」こそ「よそ」を導き出す詞である。鱸は古くから愛され、万葉にも数首見える。しかも暗黒の海にちらちらと燃える漁り火が、作者の胸の思いの火の象徴となる。序詞が生きて働く、万葉歌のみのめでたさか、と。

 友恋ふる遠山鳥のますかがみ見るになぐさむほどのはかなさ  待賢門院堀河

邦雄曰く、山鳥は夜毎雌雄が山を隔てて別々に寝るという。二羽が互に伴侶を恋うて呼び合う。「真澄鏡-ますかがみ」は万葉以来「ますかがみ見飽かぬ君に」のように「見」の枕詞、愛する人の契りなど思いもよらず、ただ、それとなくまみえるのみの悲しみ。下句に収斂された忍恋の趣き、さすが中古六歌仙の一人、神祇伯顕仲の女のなかでも第一と謳われた作者ではある、と。

⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。

| | Comments (0) | TrackBack (1)

June 19, 2007

むすぶ手の雫に濁る山の井の‥‥

Akunin_

―表象の森- 吉田修一の「悪人」

「ブックレビューガイド」http://www.honn.co.jp/ というWebサイトがある。
年間15万件以上あるという新聞・雑誌などの書評紹介記事をデータベースに、多種多様の氾濫するBooksの現在まさに旬の情報を提供しようというものだ。このサイトによれば、本の紹介件数ランキングでこのところトップに君臨しているのが、昨年の朝日新聞の朝刊小説でこの4月に単行本化された吉田修一の「悪人」なのだ。
私はといえば、毎日新聞の今週の本棚(5/20)にあった以下のような辻原登の書評に動かされて本書を買い求めたのだったが、昨夕から今日にかけて一気呵成に読み継いだ。私にすればめずらしく久しぶりの小説読みに酔った時間といっていい。

辻原曰く「すべての『小説』は『罪と罰』と名付けられうる。今、われわれは胸を張ってそう呼べる最良の小説のひとつを前にしている。
渦巻くように動き、重奏する響き-渦巻きに吸い込まれそうな小説である。渦巻きの中心に殺人がある。
日常(リアル)をそのまま一挙に悲劇(ドラマ)へと昇華せしめる。吉田修一が追い求めてきた技法と主題(内容)の一致という至難の業がここに完璧に実現した。
主題(内容)とは、惹かれあい、憎みあう男と女の姿であり、過去と未来を思いわずらう現在の生活であり、技法とはそれをみつめる視点のことである。視点は主題に応じてさまざまに自在に移動する。鳥瞰からそれぞれの人物の肩の上に止まるかと思うと、するりと人物の心の中に滑り込む。この移動が、また主題をいや増しに豊かにして、多声楽的(ポリフォニック)な響きを奏でる。無駄な文章は一行とてない。あの長大な『罪と罰』にそれがないように。
主人公祐一の不気味さが全篇に際立って、怪物的と映るのは、われわれだけが佳乃を殺した男だと知っているからだが、もし殺人を犯さなければ、彼はただの貧しく無知で無作法な青年にすぎなかった。犯行後、怪物的人間へと激しく変貌してゆく、そのさまを描く筆力はめざましい。それは、作者が終末の哀しさを湛えた視点、つまり神の視点を獲得したからだ。それもこの物語を書くことを通して。技法と内容の完璧な一致といったのはこのことだ。
最後に、犯人の、フランケンシュタイン的美しく切ない恋物語が用意されている。悔悛の果てから絞り出される祐一の偽告白は、センナヤ広場で大地に接吻するラスコーリニコフの行為に匹敵するほどの崇高さだ。」と。

読み終えての感想はといえば、とても小説読みとはいえそうもない私に、この書評に付け加えるべき言葉など思い浮かぶべくもない。彼の書評に促されてみて、決して裏切られはしなかったというだけだ。
「彼女は誰に会いたかったか?」、「彼は誰に会いたかったか?」、「彼女は誰に出会ったか?」、「彼は誰に出会ったか?」、そして最終章に「私が出会った悪人」と、些か哲学的或いは心理学的なアナロジーのように章立てられた俯瞰的な構成のもと、紡ぎだされてゆくその細部はどれも見事なまでに現実感に彩られ、今日謂うところの格差社会の、その歪みに抑圧されざるをえない圧倒的多数派として存在する弱者層の、根源的な悲しみとでもいうべきものが想起され、この国の現在という似姿をよく捉えきっている、と書いてみたところで、辻原評を別な言葉で言い換えて見せているにすぎないだろう。

また、辻原評に先んじて、読売新聞の書評欄「本よみうり堂」(4/9)で川上弘美は、
「殺された女と殺した男とそこに深く係わった男と女と。そしてその周囲の係累、同僚、友人、他人。小説の視点はそれら様々な人々の周囲を、ある時はざっくりと、ある時はなめるように、移動してゆく。殺されたという事実。殺したという事実。その事実の中にはこれほどの時間と感情の積み重なりと事情がつまっているのだということが鮮やかに描かれたこの小説を読みおえたとき、最後にやってきたのは、身震いするような、また息がはやまって体が暖まるような、そしてまた鼻の奥がスンとしみるような、不思議な感じだった。芥川龍之介の『藪の中』読後の気分と、それは似ていた。よく書いたものだなあと、思う。」
と記しているが、この実感に即した評も原作世界によく届きえたものだと思われるが、果たしてこの川上評から促されて本書を求めたかどうか、おそらく私の場合そうまではしなかっただろうというのが正直なところだ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>
<夏-69>
 思ひおく種だに茂れこの宿のわが住み捨てむあとの夏草  慈道親王

慈道親王集、夏、夏草。
邦雄曰く、出郷に際し、自らへの餞を夏草に向かってする、かすかに悲痛な趣きをも交えた歌。今、残してゆくわが思いの種を宿して、青々と生い立てと命じ、祈る心は、かりそめのものではない。「住み捨てむ」の激しい響きも読む者の胸を搏つ。慈道法親王、玉葉3首、風雅4首、勅撰入集は計21首とも25首とも。歌集には200首近くを収める、と。

 むすぶ手の雫に濁る山の井の飽かでも人に別れぬるかな  紀貫之

古今集、離別。
邦雄曰く、「志賀の山越えにて、石井のもとにて、もの言ひける人の別れける折によめる」と詞書あり、貫之第一の秀歌とも言われた作。浅い山の井はすくえば濁り、濁れば存分に、飽くほどは飲まぬという上句が序詞になっている。現実の行動が裏づけられてはいても、まことに悠長で、夏の清水がぬるくなってしまいそうだが、それも古今集の面白みであろう、と。

⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。

| | Comments (103) | TrackBack (0)

June 18, 2007

思ひやれ訪はで日を経る五月雨に‥‥

Alti200605

-世間虚仮- Festival Gate 7月末閉鎖へ

DanceBoxことArt Theater dBもCOCOROOMも、とうとう7月末で姿を消すことになったらしい。
5月も末頃の記事だったか、新世界の「フェスティバルゲート民間売却へ」と大阪市が決定したことを報じていたが、
大都会のど真ん中、ビルの谷間を縫って走るジェットコースターで市民の度肝も抜いた光景も、今は遠く夢の跡形の如く、閑古鳥の鳴くようなガランとしたゴーストタウン化した空間に、いくつかのフード店やコンビニなどと、新世界アーツパーク事業としてDanceBoxやCOCOROOMなどがアーティストたちへ活動の場を提供してきたユニークスペースも、破綻による累積赤字の肥大化には抗いようもなく、とうとう露と消えゆくことになったのだ。
大阪市は利用者たちへの言い訳がましい取り繕いのように、昨年末、施設空き区画の公共的な利用案を募集したものの、一旦売却へと舵を切った大方針が転換するはずもなく、折角寄せられた5つの回生案も、書類による一次審査だけで却下、いわば門前払いのようなもので、こうなることは端から織り込み済みのことではなかったかとさえ思われる。
これで、総工費393億円をかけた土地信託事業の施設が、現状有姿のままで、時価評価額8億円程度で叩き売られことになった訳だが、さすが太閤さんのお膝元、なんと気前の良いことかと開いた口もふさがらぬ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏-68>
 思ひやれ訪はで日を経る五月雨にひとり宿守(も)る袖の雫を  肥後

金葉集、恋上、堀河院の御時、艶書合によめる。
邦雄曰く、訪れのない日々はさらぬだに悲しいものを、まして明けても暮れても雨、雨。来ぬ人を待つ袖は、雨のみか涙でしとどに濡れる。日を「経る」も宿「守る」も、「降る・漏る」と雨の縁語。命令形初句切れが切迫した作者の思いを伝え、口説くような粘りのある調べもこの恋歌に相応しい。肥前守藤原定成の女で、白河天皇皇女令子内親王に仕えた、と。

 呼ばふべき人もあらばや五月雨に浮きて流るる佐野の舟橋  越前

邦雄曰く、いささか劇的な二句切れに、すわ何事と目を瞠る。歌枕の「佐野の舟橋」が、増水で流失したという。拉鬼体(らっきてい)の一種であろう。作者は後鳥羽院皇女嘉陽門院に仕えた才媛で、正治2(1200)年院二度百首以来注目を集め、新古今初出のなかのなかの技巧派だ。判者急逝のため無判だが、左は藤原隆信の「空は雲庭のあさぢに波こえて軒端涼しき五月雨の頃」、と。

⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 17, 2007

夏草の下も払はぬふるさとに‥‥

Florence

―表象の森- 若桑みどりの「フィレンチェ」

RENOVATIO ROMAE-ローマの再生-古代ローマの子としての特別な運命を自覚した都市フィレンツェ。
中世からルネサンス最盛期へと、共和国都市としてあるいは先進商業都市として、ヨーロッパを牽引しつづけたフィレンチェ。
著者若桑みどりは西洋美術史やジェンダー史を専門とし、他に「薔薇のイコロジー」や「マニエスリム芸術論」などがあるが、本書は副題に世界の都市の物語とあるように、ルネッサンス期イタリアの花の都フィレンチェ興隆の歴史を、美術や建築の綺羅星の如き膨大な文化遺産を織り糸に絢爛としたTapestryに紡ぎあげた労作といえよう。
ダンテ、ジョット、ボッカッチョ、ブルネッレスキ、ギベルティ、ドナテッロ、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、マキャヴェッリ、ラファエロたちの作品の数々を渉猟しながら、メディチ家の栄華と興亡を詳説。
440頁余に図版272を含む豊富さで、圧倒されるばかりの情報量だが、惜しむらくはモノクロだし文庫版だけにサイズも小さくなって、なかなか此方の想像力を充分に羽ばたかせてくれないのが些か物足りなさを残すのはやむを得ないか。
とはいえ2000年の1月、一週間という束の間ながらイタリアに旅をしたこの身、フィレンチェでの滞在は1泊2日のみだったが、この折りに見た絵画や彫刻、教会建築などの数々がまざまざと甦って、ずいぶんと読みの補強をしてくれたが、逆に本書ほどの予備知識をもって出立しておれば、旅の感銘もさぞ強く刻み込まれたろうにと悔やまれもする。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏-67>
 夏苅の玉江の蘆をふみしだき群れゐる鳥の立つ空ぞなき  源重之

後拾遺集、夏、題知らず。
生年不詳―長保3(1001)年。清和天皇の皇子貞元親王の孫。従五位下相模権守。藤原実方の陸奥守赴任に随って下り、陸奥で歿す。三十六歌仙。小倉百人一首に「風をいたみ岩うつ浪のおのれのみ‥‥」、拾遺集以下に67首。
邦雄曰く、玉江は越前の歌枕、普通なら蘆刈狩は晩秋・初冬のものだが、これは猛々しい青蘆刈の後。その鋭い切り株に踏み迷って、巣作りもできず、行くあてもない鳥たちの、不安な佇まいが、そのまま歌の調べとなった。「夏刈の萩の古枝も萌えにけり群れゐし鳥は空にやあるらむ」が家集の百首中にあり、同趣だが、玉江の蘆のあはれには及ばない、と。

 夏草の下(もと)も払はぬふるさとに露より露より上を風かよふなり  藤原良経

六百番歌合、夏、夏草。
邦雄曰く、言いも言ったり「露より上を」とは小気味よいほどの的確な修辞であり、あっと言いたいくらいの発見だ。それでいて秀句表現のきらきらしさがない。ただ俊成は「下も払はぬ」を心得ぬとして、右の慈円の凡歌を勝たせた。だが、右方人の第四句陣難は敢然と斥けて「左歌「露より上を」と云へるは、いとをかしくこそ侍るめれ」と推賞している、と。

⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 16, 2007

五月山弓末振り立てともす火に‥‥

Alti200406

―四方のたより- 大文連

詩文から美術・建築、音楽や演劇、大衆芸能や囲碁・将棋、出版に至るまで、およそ文化活動と呼びうる大阪府下を基盤とする団体を網羅した「大阪文化団体連合会」略して「大文連」は、1978(S53)年6月の結成というから以来30年になろうとしている。
私が当時の事務局長をされていた三好康夫さんから懇切な誘いを受け、四方館の名で会員となったのはいつ頃であったか、結成後の4,5年後か或いはもっと先だったか、どうも記憶も定かではない。
その「大文連」が毎年春に発刊するのが「大阪府文化芸術年鑑」だが、今年もその2007年版が送られてきている。
いわゆる名鑑ものだが、団体・個人の上に、劇場や会館など施設関係にも目配りされ、その紙面は年々充実ぶりを示す。
前段80頁ほどは「大阪における文化の分野別動向-2006年」と題された紙面は、詩・散文・短歌・俳句・川柳・演劇・美術・漫画・写真・建築・洋楽(クラシック)・々(ポヒュラー)・邦楽・洋舞・邦舞・古典芸能・大衆芸能・囲碁・将棋・出版・地域文化・子ども文化、のそれぞれ1年をごく簡潔に総括している。
本来なら、行政サイドが同じ任を果たしていてもおかしくはない話だが、ひとつの任意団体が、それも行政からなんの補助もなく、30年を通してこの年鑑ひとつ発行し続けてきたことをとっても稀少に値しようが、大文連の活動は必ずしもそれだけではない。
例年、テーマをたてて地域文化の現在を考えるシンポジウムを開催しているし、邦楽と邦舞の諸団体がこぞって集結する「花の宴」なるイベントも主催している。「花の宴」は今年も9月2日、門真ルミエールホールであるそうだ。

-今月の購入本-
山本義隆「十六世紀文化革命-2」みすず書房
西尾哲夫「アラビアンナイト-文明のはざまに生まれた物語」岩波新書
伊藤茂「上海の舞台」翠書房
吉田修一「悪人」朝日新聞社
高村薫「神の火-上」新潮文庫
高村薫「神の火-下」新潮文庫
水村美苗「本格小説-上」新潮文庫
水村美苗「本格小説-下」新潮文庫
狩野博幸「目をみはる伊藤若冲の「動植綵絵」」小学館
広河隆一編集「DAYS JAPAN -慰安婦100人の証言-2007/06」ディズジャパン
「ARTISTS JAPAN -18 橋本雅邦」デアゴスティーニ
「ARTISTS JAPAN -19 歌川広重」デアゴスティーニ
「ARTISTS JAPAN -20 伊藤若冲」デアゴスティーニ
「ARTISTS JAPAN -21 岸田劉生」デアゴスティーニ
「大阪府文化芸術年鑑 2007年版」大阪文化団体連合会

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏-66>
 五月山弓末(ゆずえ)振り立てともす火に鹿やはかなく目を合はすらむ  崇徳院

新拾遺集、夏、百首の歌召しける時。
邦雄曰く、まことに不思議な「照射」詠である。自分たちの命を狙い、くらますための松明の炎を遙かに、あるいは深い木陰から認めて、鹿は、もはやこれまでと諦めて瞑目する。その薄い瞼の間から、この世の地獄が見えたことだろう。弱者の立場に身を置きかえての、稀なる悲歌だ。これが第十九代集十四世紀中葉まで、勅撰集に漏れていたこともまた訝しい、と。

 五月雨に藻屑しがらむ隠り江や雲水たかし初瀬川上  十市遠忠

邦雄曰く、動詞の「しがらむ」の連用形が名詞化したのが「柵(しがらみ)」であることを、この歌で卒然と思い出す。その藻屑の絡みついた隠り江の近景からさっと離れて、下句は遙かな山水に目を向け、水墨画の息を呑むようなぼかし技法を言葉で再現する。特に第四句の「雲水たかし」は簡潔であり、言い得た箇所だ。武張った詠風にも、彼の出自が匂い出ている、と。

⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。

| | Comments (0) | TrackBack (1)

June 15, 2007

牡鹿待つ猟夫の火串ほの見えて‥‥

21nduiqpxrl_ss500_

-表象の森- N.ハンフリーの「赤を見る」

著者N.ハンフリーは「盲視(ブラインド・サイト)」の研究で知られる進化心理学の泰斗。邦訳書には「内なる目-意識の進化論」や「喪失と獲得-進化心理学から見た心と体」などがある。
「感覚の進化と意識の存在理由」と副題された本書は、著者が2004年春にハーヴァード大学で行った講演に基づき編集されたもので、タイトルどおり「赤を見る」というただ一つの経験にしぼり、原生生物からヒトにいたる、感覚と心の進化の物語をたどり「意識の迷宮」へと問いを進めていく。
それだけに取っつきやすく入りやすいが、なかなかどうして出口への道筋は一筋縄ではない。

赤する=redding-「感覚」と「知覚」と「身体表象」と「意識」と。
赤い色を見、赤い感覚を持つということ、即ち「赤する=redding」ことには、身体行為、敢えていえば「表現」のような特徴がともなう。すでに前世紀の初め「点・線・面」のカンディンスキーは言っている。「色は魂を直接揺さぶる力だ。色は鍵盤、眼はハンマー、魂はたくさんの弦を張ったピアノである」と。
N.ハンフリーは、感覚から知覚が連続的に生み出されるという従来的な見方を採用せず、感覚と知覚は別々のものとして同時に生じているのだと、自身最初の発見者である「盲視」という症例を基に考える。
盲視状態にある患者は、実際には「見えている」のに「見えている感覚がない」。眼の前に赤いスクリーンがあるのを正確に推測できる-知覚している-にも関わらず、自分がそれを見ているという感覚がないために、それを事実として受け止められない。
感覚は、主体その人がつくり出すものである、と同時に、N.ハンフリーは感覚こそが主体を作り出しているのだと考える。彼はアメーバのような原生生物が自分の内と外を区別する際の、外部刺激に対応した内部の<身悶え>に感覚の起源を見出し、原生動物からヒトにいたる感覚の進化を説明する。
「何が起きたかといえば、感覚的な活動がまるごと<潜在化>されたのだ。感覚的な反応を求める指令信号が、体表に到る前に短絡し、刺激を受けた末端の部位まではるばる届く代わりに、今や、感覚の入力経路に沿って内へ内へと到達距離を縮め、ついにはこのプロセス全体が外の世界から遮断され、脳内の内部ループとなった」と。
感覚を持つことで主体は意識を持つようになる-これは出発点であり同時に到着点でもある。
意識とはなにか?-「意識には時間の<深さ>という特異な次元がある。現在という瞬間、感覚にとっての<今>は<時間的な厚み>をもって経験される。これは感覚の回路がフィードバック効果を持ち,自分自身のモニターとして機能しているためだ.そしてこのような厚みのある自己を感じる意識は,より自分自身を重要視できるように,自分自身を身体と独立の精神として二元的に感じられるように進化したのだ。」

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏-65>
 牡鹿待つ猟夫(さつを)の火串ほの見えてよそに明けゆく端山繁山  藤原為氏

風雅集、夏、弘安の百首の歌奉りける時。
邦雄曰く、作者も定家の孫で、母は小倉百人一首にゆかりの宇津宮入道蓮生の女、為家の嫡男。この照射は珍しく、暁方の山々を眺めており、墨絵の鮮やかな濃淡を見るようだ。殊に「ほの見えて・よそに明けゆく」あたりのぼかしは見事であり、結句も簡潔に無造作に、大景を描き切っている。承久の乱の翌年に生まれ、祖父から直々に歌を学んだ一人である、と。

 稲妻の光にかへてしばしまた照る日は曇る夕立の空  宗良親王

李花集、夏、夕立を。
邦雄曰く、宗良親王の母為子は二条為世の女で、同名の、京極為兼の姉とは別人である。親王の歌風はしかし、二条・京極の粋を併せたかに、不羈の詩魂は明らかである。電光が空を照らし、代わって、太陽は光を喪うとの心であるが、第四句の畳みかけに一種沈痛な、皇族武人の気概がほの見える。人生記録に近い部分の多い李花集の中、これは題詠に属する、と。

⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 13, 2007

松の花花数にしもわが背子が‥‥

Db070509t_41

-世間虚仮- ネパールやインドの子どもたち

昨日から毎日新聞の朝刊で「世界子ども救援キャンペーン」の一環として、ネパール・インドで過酷な労働に従事する貧困家庭の子どもたちの様子が報じられている。
昨日の記事は、鉄鉱石やマンガンを産出するインド南部のサンドゥールで、朝の6時から夕方の6時までハンマーを手に石を砕きつづける9歳と8歳の姉妹。
学校に行ったことがないというこの姉妹は両親とともに一日中この採石場で過ごすが、そうして一家4人で月に得る収入は3000ルピー(約9000円)だそうだ。
インドでは14歳未満の児童労働は制限されており、学校に行かせない親には罰金も科されているが、この州ではわずか25ルピー(約75円)というから、これでは歯止めにもなんにもならない。
この鉱山周辺で働く子どもたちは2万人以上と見られるそうな。

今日の記事は、インド国境近く、ネパールガンジ近郊の「カマイヤ」と呼ばれる人たち。
地主から先祖代々の借財に縛りつけられた小作人たちの集団で、多くはタルーという先住民族の出身だという。
政府は’00年に過去の借財を無効にし、カマイヤを解放する政策を取り始めたが、小作仕事を捨てては暮らしが成り立たない、或いは仕事を変えても貧困から抜け出せないままに、この土地を離れられない人々が多い、と。
ILOの調査によれば、カマイヤの子どもたちの就学率は5%と報告されている。
貧困や差別、内戦などに起因し、2億1800万人の子どもが労働を強いられているのが、この世界の現実。

車いすの詩人岸本康弘がさまざまな人々の支援と自身の拠出で運営するネパール・ポカラの岸本スクールには、現在120名ほどの最下層の子どもたちが通っているが、家庭の事情で晴れて卒業を迎えることもなく労働力として或いは婚姻などを理由に中途退学していく子どもが、今なお後を絶たないという。授業料などすべて無料であるにもかかわらずだ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏-64>
 松の花花数にしもわが背子が思へらなくにもとな咲きつつ  平群氏郎女

万葉集、巻十七、越中守大伴宿禰家持に贈る歌十二首。
邦雄曰く、松や杉の花は、家持ならずとも、花の数には入れないだろう。だが葉隠れに、淡黄微粒の火薬めいた花粉を降らす松の花は、初夏の爽やかな景物だ。しきりに咲いても顧みられぬ悲しみは、「里近く君がなりなば恋ひめやともとな思ひし吾そ悔しき」「ありさりて後も逢はむと思へこそ露の命も継ぎつつ渡れ」等、いずれも一途な烈しい調べとなる、と。

 暮れわたる池の水影見えそめて蛍もふかき思ひにぞ飛ぶ  飛鳥井雅親

続亜槐集、夏、享徳二(1453)年四月、室町殿太神宮法楽百首御続歌に、蛍知夜。
邦雄曰く、見どころは下句の、特に「ふかき思ひ」であろう。思いはそのまま作者の胸の、燻る火、この趣向、15世紀には類型化するが、応仁の乱のさなかを生き凌ぐ作者の、暗澹たる心も察しられる。別に「滝辺蛍」題で「うちいづるなかの思ひか石はしる滝つ波間にしげき蛍は」あり、和泉式部の本歌取りであり、倒置法にそれなりの工夫を見せている、と。

⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 12, 2007

燃ゆる火の中の契りを夏虫の‥‥

061227_0111

-世間虚仮- 27㍍も歩けない?

昨日、どのTV局だったか、ニュースワイドの番組で、「金正日が、休まないことには27㍍も歩けないほどに体調悪化を呈している」といったことを報道していたのが耳についた。
21世紀の今日にあって稀代の帝王暮らしをしている贅沢三昧のバカ殿だもの、そりゃ心臓も肝臓も腎臓も悪くはなろう。糖尿病だって命取りだ。65歳ともなればありとあらゆる病魔に侵食されて寿命も尽きなんとしてもおかしくなかろう。
私が耳についたというのは、彼のそんな症状のことではなく、20㍍でもなく30㍍でもない、「27㍍」といういかにもその半端な謂いが障ったのだ。
日本でなら、尺貫法はすでに遠い昔の単位表示となってしまったが、それでも舞台などに係わる私などは舞台間口何間、奥行何間と使わないことには話が通じないのだけれど、それは特殊世界の非公式な話。
仮に「27㍍」を尺貫法で表示すれば15間ということになるが、このニュースソースが尺貫法である筈もない。
ニュースの出所は、はて中国なのか韓国なのかなどと頭をめぐらせていたが、ネットをググッてみて、北京発の英紙サンデー・テレグラフだと判った。「27㍍」は英国式表示-ヤード・ポンド法-で「30ヤード」だったのだ。
曰く「西側政府筋の話として、北朝鮮の金正日総書記が体調を崩し、休憩なしでは30ヤードも歩けなくなった」と報じたとのことで、これを受けて件のニュースワイドでは「27㍍も歩けない」と奇妙な謂いになったらしい。
ニュースの本意からして「30ヤード」というのは、ごく日常的なちょっとした移動距離を指すのに用いられた謂いに過ぎないと思われるが、こういう場合、ニュースソースを明らかにしたうえで「30ヤード」とそのまま言えばよかろうに、また20㍍とも30㍍とも言い換えたところでなんの支障もないだろうに、機械的に「27㍍」と換算してそのまま伝えるから、却って耳に障るような謂いとなってしまうのだ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏-63>
 筑波嶺のさ百合の花の夜床にも愛しけ妹そ昼も愛しけ  大舎人部千文

万葉集、巻二十。
邦雄曰く、巻二十にひしひしと並ぶ防人の歌の中の一首、出身は常陸国、千文の伝は全く未詳であるが、夜は勿論、昼は昼で、別れてきた百合の花さながらの妻が可愛く、かつ恋しいと、身を揉むように歌うのは、大方の壮丁の代弁であったろう。同じ作者の今一首は「霰降り鹿島の神を祈りつつ皇御軍(すめらみくさ)にわれは来にしを」、この方がさらに痛ましくあはれ、と。

 燃ゆる火の中の契りを夏虫のいかにせしかば身にもかふらむ  大中臣能宣

能宣集、人の歌合し侍るに、よみてと侍れば、夏虫。
邦雄曰く、夏虫は燈火に慕い寄って身を焦がす昆虫の類、一事に現を抜かして盲滅法危険を冒す譬えと、恋に身を滅ぼす喩え。死を懸けてまで、なぜあの虫がと問いかけて、「火の中の契り」の理外の縁を暗示する。「夜もすがら片燃え渡る蚊遣火に恋する人をよそへてぞみる」も亦同趣向だが、下句の説明調ゆえに「夏虫」ほどの余情を伝え得ない、と。

⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 11, 2007

ほととぎすわれとはなしに卯の花の‥‥

Dsc_00192

-表象の森- 若冲の「野菜涅槃図」

京都相国寺の承天閣美術館で開かれていた若冲展をとうとう見逃してしまった。
若冲が、父母と自身の永代供養のためにと、相国寺へ寄進奉納した「釈迦三尊像」と、いつの頃からか皇室御物となり、現在は宮内庁三の丸尚蔵館所蔵なっている「動植綵絵」30点が、120年ぶりに一堂に会するという話題の展示だった。
この承天閣美術館は1984(S59)年の落成だそうだが、会場となった第2展示室は、今回展示の33点が再び相見えるこの日のあるのを期して、丁度ピッタリと納まるようにとあらかじめ設計されていたというから畏れ入る。
若冲といえば、その晩年を過ごした石峯寺に遺した五百羅漢が、心ない者の仕業か、30体ほどが倒され、うち5体が損壊していたという記事を少し前に眼にしたが、この事件も若冲展の会期中であったろう。若冲の墓もある境内だが、とんだ受難に墓の中で苦虫を噛みつぶしているに違いない。
その若冲に「野菜涅槃図」という滑稽洒脱な絵があるが、この絵もずいぶん人口に膾炙するものだから、ご存じの方も多いはずだ。
畳一帖ほどの画面ほぼ中央に、伏せた竹籠の上に臥す二股の大根を釈迦に見立て、周りのカボチャや蕪や瓜や柿などを、さしずめ釈迦入滅を悲しむ十大弟子や諸菩薩に見立てたか、奇妙といえば奇妙、滑稽味溢れる、奇想の絵である。画面右上の構図には、とうもろこしの沙羅双樹の上から、ミカンの摩耶夫人が降り立ってくる、という愉快な解もある。
さすが、京都錦小路の青物問屋「桝屋」という大店の総領息子として生まれ育ったという若冲。昔は野菜御輿もよくみられたように、これら青物たちも聖なる供え物であったこととあわせて、人生の黄昏期を迎えた若冲の達観と遊狂の心映えのほどが感じられて愉しい。

参考までに、
若冲「動植綵絵」30点は「人気投票」サイトですべて見られる。
「野菜涅槃図」は少々画面が小さいが此処で見られる。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏-62>
 ほととぎすわれとはなしに卯の花のうき世の中に鳴きわたるらむ  凡河内躬恆

古今集、夏、ほととぎすの鳴きけるを聞きてよめる。
邦雄曰く、卯の花、すなわち初夏の代表花の一つ空木は、この場合、憂き世との頭韻を揃えるための言葉だが、同時に当然夜目にもほのぼのと咲き白む垣根が眼に浮かんでくる。結句の「鳴きわたる」も、遠近法的効果が期せずして現れた。古今集の夏も巻末に近く、夥しいほととぎす歌のしんがりをなす一首である。憂き世の中を泣いて渡るのは作者自身であった、と。

 惑はずな苦参の花の暗き夜にわれもたなびけ燃えむ煙に  藤原顕綱

顕綱朝臣集、百和香に苦参(くらら)の花を加ふとてよめる。
邦雄曰く、五月五日に百種の芳香植物を採って調製するという、古代の練香「百環香」。これに豆科の薬用植物、その根眩暈くほどの苦みを持つ苦参を加えるのが、この作品の動因という。後拾遺時代には、まづ見られぬ奔放華麗な詠風で花の名もまことに効果的だ。殊に第三・四句の独創性は称賛に値しよう。なほ讃岐典侍日記の作者は顕綱の女であった、と。

⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 10, 2007

うなゐ子がすさみに鳴らす麦笛の‥‥

0511291891

-四方のたより- Thank you,Green Fes.

昨日、久方ぶりの山頭火上演も無事終了。
リハ、本番と重ねるとさすがに心身疲労、第2神明大蔵谷からの復路の運転はさすがに少々きつかった。
とはいえ、良い機会を得たことには大いに感謝しなければならない。
伊藤茂教授よ、まことにありがとう、である。

それにしても、Green Festivalというこの企画、会場となっているメモリアルホール完成が1988(S63)年、その年から地域開放の一環として毎年春秋に開催されてきたというから、地道な活動ながら立派なものである。
案内チラシによれば、このたびの「山頭火」上演が第255回となっているから、春秋毎に6~7つの異なるステージを招聘し、20年続けてきたことになる。
その間、演劇関係の企画、演目の選定は、もっぱら伊藤君の務めるところであったろう。会場ロビーに第1回からのポスターがズラリ展示されていたが、演劇関係に限れば40公演ほどになるか、その演目の幅の広さと先取性に、彼の見識のほどが覗える。
この日の公演には、当方に格別の責めはないとはいえ、客足のほどが心配された。なにしろ800席を擁するホールなのだから、広い会場に閑古鳥の鳴くようなさびしい客席となっては、演じるほうとしてもやるせない。
従来演劇関係は金曜日の公演が多かったというが、このたびは土曜のこととて学生たちの観劇はほとんど望めないだろう、とそんなことを聞かされていたから、此方は蓋を開けるまでおっかなびっくりだったのだ。
ところが意外や意外、緞帳が上がって、いざ出番と舞台から客席をゆるりと眺めわたしてみれば、中段あたりまではかなりの埋まり具合、思わず快い緊張感が走ったものである。
あとで確かめれば、250人余りだったという。私なぞは100人前後なんて哀しいような結果をも思い描いていただけに、充分に盛況と評価していいものだ。
山頭火はともかくこれを演じるほうの私にはなんのネームバリューもないに等しきを思えば、これも20年という地域開放行事としての積み重ねの賜か、この程度にはしっかりと地域に根づいているということなのだろう。

予想外の果報に恵まれて、このたびの上演は私自身にとってすこぶる心地よい後味を残してくれた。
久しぶりの稽古に入ったときから、年を経るにしたがって演技の自由度が増してきていると実感できるものがあり、その感覚をそのままに気張らず急がず柔軟に奔放に演じてみたつもりではある。それが客席の多くにどう映ったかは確かめようもなく知る由もないけれど、自身の感じ得ている手応えだけは信じられる。
「演ずるのもいいけれど、踊りもすなる林田鉄の、僕はもっと踊りを見たい、見せて欲しいんですがネ」と逢うたびに私に注文をつけていた伊藤君の言葉に、「山頭火はそうじゃねえんだ、そこに拘るとちょいと別物になってしまう」と抗ってきた私だったが、リハの段階で気を変えて彼の注文に応じてみた。ほんの3.4分の短い時間なのだが、ともかくもぶっつけで、このときは転の部分をうまく生み出せず失敗に終わったが、本番ではこの試行錯誤が攻を奏したか、ひょいと意外なものが顔を出してきて、ちょっといい形になった。
成る程、こういう誘いには大いに乗ってみるものだ、知る人ぞ知る、そういう期待というやつにはネ。お蔭でもう一つお土産ができたようなもので、重ねて伊藤君に「ありがとう」を言わねばならない。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏-61>
 ほととぎす涙はなれに声はわれにたがひにかして幾夜経ぬらむ  慈円

千五百番歌合、三百九十三番、夏二。
邦雄曰く、初句で呼びかけ、二句以下諄々と説き聞かせる口調で歌い進み、初音の頃から幾夜か経って里近くなったほととぎすを描き出し、結句で沈思するという、作者らしい構成の歌だ。歌合の右は寂蓮で「五月雨の空のみ夏は曇るかは月をながめし池の浮草」。無判であるが、誰の目にも問題なく慈円の勝であろう。両首、第三句に殊に深い思いが籠もる、と。

 うなゐ子がすさみに鳴らす麦笛の声に驚く夏の晝臥(ひるぶし)  西行

聞書集、嵯峨にすみけるに、たはぶれ歌とて人々よみけるを。
邦雄曰く、童子と麦笛と昼寝、こんな題材は、王朝和歌何万首の中にも、これ一首だろう。破格・奔放で聞こえた好忠や頼政も、これだけ野趣満々の歌は試みていない。まさに西行ならではの作であり、近世の誰彼の歌とてとても及ばぬに違いない。「昔かな炒り粉かけとかせしことよ衵(あこめ)の袖に玉襷して」がこれに続き、「たはぶれ歌」は、いずれも興味津々だ、と。

⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 08, 2007

ほととぎす寝覚めに声を聞きしより‥‥

Ichibun9811270871

Information 林田鉄のひとり語り<うしろすがたの-山頭火>

-表象の森- Spiritual Art「コルベールの世界」

先日、「DAYS JAPAN」6月号の「慰安婦100人の証言」特集を紹介した。
その巻末には、野生動物と人間との夢幻ともいいうるような交流を描くグレゴリー・コルベールのPhoto世界が、「象と人との交響詩」と題されて特集掲載されてもいた。
現在、東京のお台場で開催されている移動式美術館による展覧会は6月24日までだが、一般前売が1800円と美術鑑賞には些か割高感がするにも係わらず、ずいぶんと人気を博しているようだ。
80年代以降、大型書店の書棚では「精神世界」と名づけられたコーナーにとりどりの書が居並ぶようになって、思わず世相の変転を再認識させられた記憶があるが、カナダ出身の写真家コルベールの世界は、まさに精神世界そのもの、これ以上のピュアなSpiritual Artはあり得まいと思われるほどに、文明の果ての21世紀に生きる人々の、汚濁に満ちた心を根こぎに洗うものがあるといえようか。
死と再生を象徴的に表象するかのように「ashes and snow (灰と雪)」と題されたそのプロジェクトは壮大そのもの、02年のイタリア・ヴェニスでの展示を皮切りに世界中を巡回しているそうだが、とくに05年からは日本人建築家坂茂が設計した移動式の「ノマディック美術館」で、写真と映像によってショーアップされた大規模な展示がなされるようになったという。
さまざまに新聞各紙やマスコミで紹介されているからご存じの方も多かろうが、一度オフシャルホームページ- http://www.ashesandsnow.org/-を覗かれるのを是非にお奨めする。このウェブサイトはRolexがスポンサーとなっているのだが、これだけでコルベールの映像世界を充分に堪能できるほどに充実している。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏-60>
 ほととぎす寝覚めに声を聞きしより文目も知らぬものをこそ思へ  大中臣能宣

能宣集、人の歌合し侍るに、よみてと侍れば、子規。
延喜21(921)年-正歴2(991)年、伊勢神宮祭主頼基の子。和歌所寄人となり、万葉集の訓点と後撰集の選集に携わる。拾遺集初出、勅撰入集120余首、三十六歌仙の一人。
邦雄曰く、「露」に始まって「氷」に終わる四季の十五題、いずれも能宣の長所の明らかな佳作で、殊に「子規」の、物の分別もつかぬばかり思いに耽る趣き、「ねざめ・あやめ」の照応も面白く、季節の菖蒲をも聯想させる。屏風歌の五月に「あやめ草引きかけたればほととぎすねを比べにゃわが宿に鳴く」も見える。絵の賛として見映えのする歌で調べは低い、と。

 白露の玉もて結へる籬(ませ)のうちに光さへそふ常夏の花  高倉院

新古今集、夏、瞿麥露滋(とこなつつゆしげし)といふことを。
邦雄曰く、陰暦6月を常夏月と言うのは、この濃紅の艶やかな五弁花が真盛りになるゆえと伝える。第四句の「光さへそふ」は、常夏の美しさをよく写している。もっとも題詞文字遣いは混同の趣き露わ。高倉院は後鳥羽院の父帝、崩御満二十歳、新古今集に4首入選。常夏の清々しく端正な一首、乱世にあってなお、詩歌を愛した青年帝王の面影髣髴たり、と。

⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 07, 2007

近き音もほのかに聞くぞあはれなる‥‥

0511271161

Information 林田鉄のひとり語り<うしろすがたの-山頭火>

-世間虚仮- 弁護士櫛田寛一の快挙

昨夕の新聞、一面トップの見出しを見て驚いた。
抵当証券による大和都市管財の巨額詐欺事件で、被害者弁護団が元大蔵省近畿財務局の監督責任を問い、国家賠償を求めた訴訟に、大阪地裁が国の責任を認め、6億7444万円の賠償を命じたというのだ。
この地裁判決は、新聞にもあるとおり、財産被害の消費者事件で行政の権限不行使による責任を認めたことにおいて初めての画期的なもので、国に与える衝撃はきわめて大きいと思われる。
じん肺や水俣病など生命や身体にかかわる被害をめぐっては、これまでも国の賠償責任が認められてはきたものの、財産的被害に関しては司法の壁は厚く、嘗ての豐田商事事件の国家賠償訴訟でも関係6省庁の規制義務違反はことごとく跳ね返されてきたという経緯からして、今回の判決は隔世の感があるといえよう。
大和都市管財の抵当証券被害者は全国に約1万7000人、総被害額1112億円といわれる。被害者訴訟は大阪を皮切りに、東京と名古屋でもそれぞれ争われてきた。
巨額詐欺事件としての刑事訴訟では、大阪地裁で元社長豊永被告に懲役12年の実刑判決、大阪高裁でも一審判決が支持され控訴棄却、最高裁の上告も棄却され、詐欺罪で懲役12年がすでに確定しているが、1995(H7)年の木津信や兵庫銀行破綻による抵当証券被害の場合とは異なり、損害賠償を求めうる財源も無きにひとしく、被害者たちへの救済の道はまったく閉ざされたままだった。
今回の判決においても、被害者全員の救済へと道が開かれたわけではない。原告総勢721人のうち、98年1月以降に新規購入した260人についてのみ国の賠償責任を認めたもので、この分岐は、近畿財務局が97年10月に大和都市管財に対し業務改善命令を出しながら、同年12月に抵当証券業の登録更新を受理するといういかにもずさんな措置に、監督官庁としての責任ありとしたことによるもので、他方、高利回りの抵当証券購入に対する過失相殺として6割減殺もあり、したがって総額約40億円の賠償請求に対して、前出の6億7444万円の賠償判決となったわけだが、この伝でいくと、たとえ東京や名古屋においても同様の判決を勝ち取ったにせよ、総じて被害の回復は2割に満たないものとなる。
とはいえ、消費者事件において国家賠償を認めたこの判決の画期はいささかも減じないだろう。
嘗て5年におよぶ木津信抵当証券の被害者訴訟で、大深忠延弁護団長とともに1450人の原告団を率いて、時に冷静沈着に大局を見とおし、時にエキサイティングなまでに熱弁を奮い、その闘いをリードしてきたのは弁護士櫛田寛一であった。
私はといえば、その被害者の会の事務局長として、できうるかぎり被害者の目線から物言い、彼ら弁護団との距離をいかように縮めるかに腐心し、その間を架橋するのが自身の役目と定め、公判に或いはデモに或いは会報づくりにと奔走した数年であり、弁護団がその訴訟記録「金融神話が崩壊した日」を上梓した際には、短い拙文とともに、会報の全記録も巻末に掲載、彼らの同士的仲間と遇して貰った誼みもあり、大深弁護士ともまた櫛田弁護士とも、今なお個人的な付き合いを残している。
その彼が、この大和都市管財の被害者弁護団長を引き受けたと聞いたとき、正義感一徹の彼なればこそとは思うものの、破綻の財務実態を考えれば、救済の扉を開くにはあまりに険しすぎる、絶望的なまでに困難なものではないかと、抱く危惧のほうが大きかったものである。
抵当証券などにまつわる消費者被害の大事件にずっと携わってきた彼にしてみれば、まさに念願の、国家賠償勝利判決であったろう。
してやったり、盟友櫛田寛一。
朴突然と照れくさそうにはにかんだような彼の笑顔が眼に浮かぶ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏-59>
 近き音もほのかに聞くぞあはれなるわが世ふけゆく山ほととぎす  藤原家隆

壬二集、日吉奉納五十首、夏五首。
邦雄曰く、寂高風の老成期、60代半ばの作と言われている。新古今時代の華やかな思い出もうすれ、宮廷歌界も一変した、その頃の五十首。山から出て人里近く鳴いた、待ちかねたほととぎすの声さえ、おぼろに聞きとめるほどに、年はふけ、運命も傾きつつあると、半ばは彼自身に即した歎きではなかったか。第四句の深く沈んだ調べは稀なる余韻を残す、と。

 苗代の小水葱(こなぎ)が花を衣に摺り馴るるまにまになぜか愛しげ  作者未詳

万葉集、巻十四、譬喩歌。
邦雄曰く、巻十四の巻末に近い譬喩歌五首の終りの歌。食用にもする水葱、すなわち水葵の紫青色の花は摺染めにも用いる。その花摺衣を着慣れるのと、愛する娘の次第に馴れ親しんでくる可愛さを懸けて、晴々と情を披瀝する恋歌。素朴な叙法ながら、可憐な花の姿、その初々しい色が重なって、尋常ならぬ美しい調べを作っており、花に寄する恋の異色、と。

⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 06, 2007

ほととぎすこよ鳴き渡れ‥‥

061227_081

Information 林田鉄のひとり語り<うしろすがたの-山頭火>

-世間虚仮- 田神天狗

昨日の朝、ひょいと起ち上がったとき、ギックリ腰になりかけた。坐骨から右腰、大腿部にピリリときたのだ。
一瞬の隙でもっと大変なことになりかねないところだったが、それはどうやら免れたらしい。さりながらそろりそろりと慎重に歩かねばどうにも危うい。それでなくとも右膝にずっと痛みがあり、正座などとても覚束ない状態で、これでは山頭火もサマにならない。
もともと、今日こそは「田神天狗」殿のお世話にならずば、と思っていたのだが、このざまでは愚図々々している場合じゃないので、幼な児を保育園に送り届けたその足で、大和川を越えたばかりの鉄砲町へと車を走らせた。
南海本線「七道」駅前の通り、古びたしもたやの軒先に小さく「田神天狗」と書かれた札を吊した、その家の前に車を停めて、家中へと入る。
田神天狗とは、姓が田神さんと仰る天狗さんにて、鍼と按摩の施療院である。
鍼灸師をして天狗と称するのはかなり昔へ遡るのだろうが、寡聞にしてよくは判らない。おそらく修験道の山伏が天狗と同一視されてくることから派生してこようかと思われる。
この天狗殿に初めてお世話になったのはもう何年前のことだったか。
この時、1ヶ月ばかりの間、私はひどい腰痛に悩まされていた。接骨院やら整体に掛かってもいっかな改善しない。ある病院でMRIも撮ってみたが、ヘルニア症状を呈していると判ってはみても、手術なんてものは藪蛇もいいところで、はなからご免蒙るべし。となると通り一遍のリハビリくらいしか養生の術はない。
そこへある知人が「騙されたと思って一度行きましょう」とばかり半ば強引に連れてこられたのが、この田神天狗殿だった。
天狗殿の鍼療治は、腰の周囲の神経をピリピリと刺激してずいぶんおっかないものだったが、施療後は信じられないほどに腰が軽くなって、かなり動きもスムーズなものになっていた。
この時は、悪くなって日時も経ていたから相当重症になっていたのだろう。それから4.5日を置いて二度通い、都合3回の施療でほぼ完治した。
保険が効かないものの、1回の施療が3500円で、計10500円也。これで1ヶ月余り苦しみぬいた腰痛から解放されたのだから、ありがたいことこのうえない。
それからは、よほど疲労が腰に溜まってきたかと思うほどに、年に1.2度天狗殿の厄介になるのを繰り返していたのだが、このところすっかりご無沙汰で、このたびは3年ぶりの訪いとなってしまったのだ。
その3年のうちに、有為転変、ゆく川の流れにも似て、天狗殿の身辺も大事に襲われ、変わり果てていた。
いつも一緒にマッサージ施療をしていた夫人の姿が見えない。聞けば、2年前に亡くなったという。「ガンだった、それも末期ガン。あっという間だった、発見されてたった20日余りで逝ってしまった」という。「胃ガンだったけれど、その病魔の進行の激しさは稀にみるものと、医者は言っていた」と。
聞かされて、さすがの私も返す言葉がない。彼女は私と年も近いだろうと思っていたが、確かめればなんと申年の同年、けっして愛想上手とはいえないが、おだやかな笑顔が可愛い素敵なおばさんだったのに‥‥、好い人が、そんなに呆気なくも召されてよいものか、非情といえばあまりに非情、嗚呼。
そういえば、見るからに天狗殿もめっきりと老いたようである。彼女の明るい声がもう響くこともない畳の施療室に、独りぼっちで客待つ彼の姿に、往年の覇気は感じられず、夫唱婦随の片肺を失った寂しさのみが漂っているかのようだ。
それ以上の交わす言葉もなく、私は彼の促すままに俯せに長々と身を横たえた。
天狗殿曰く「危ないねえ、すんでのところで坐骨神経痛になるところだヨ」、と聞いて肝を冷やすような気分に襲われた。「膝はネェ、難しいんだ。水が溜まっているようだとネ、治りが悪いどころか、ちょっと取り返しがつかない」、成る程、そうだろうとも合点がいく。
一日おいて今日の調子はといえば、膝はずいぶん軽くなって、ちゃんと屈曲できるようになったが、それでも正座するにはまだ痛さが残る。腰のほうは、昨夜、かなり危ない場面に遭遇したが、今朝起きてみると、嘘のように軽くなっている。鍼の効果のほどはどうやら2.3日経てみたほうがよく判るらしい。
私としては9日の土曜日に「山頭火」を無事務めあげなくてはならないのだから、事前にもう一度天狗殿のお世話にならずばなるまい。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏-58
 あぶら火の光に見ゆるわが鬘さ百合の花の笑まほしきかも  大伴家持

万葉集、巻十八。
邦雄曰く、天平感宝元(749)年5月9日、秦伊美吉石竹の館での宴、主人が客の家持他二人に百合の花を環にした頭飾りを贈り、それぞれ花鬘(かづら)を題として歌ったもの。純白の百合が燈明に映えていよいよ気高く華麗であった。男らは一人一人髪に翳して見せたことだろう。極彩色の絵詞の一齣さながらたけなわの宴の一場面を写している。他二首とは格段の差あり、と。

 ほととぎすこよ鳴き渡れ燈火を月夜になそへその影も見む  大伴家持

万葉集、巻十八、掾久米朝臣広縄の館に、田邊史福麿を饗する宴の歌四首。
邦雄曰く、今宵は闇、遙かから声のするのは山から鳴き下るほととぎす。燈をあまた灯しつらね、月光の代わりに天まで照らして、翔る姿も眺めよう。声を待ち、かつ聞いて愉しむ歌は八代集にも夥しいが、鳥の姿を燈火に映し出す、この絵画的な発想と構成は稀に見るもの、さすが家持と膝を打ちたくなる。万葉集でも、この鳥、ほとんど「鳴き響(とよ)む」のみ、と。

⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« May 2007 | Main | July 2007 »