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May 31, 2007

道の辺の草深百合の花咲(え)みに‥‥

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Information 林田鉄のひとり語り<うしろすがたの-山頭火>

世間虚仮- Good-bye

今日で配達暮しともサヨナラだ。
昨年の7月から、7ヶ月続けたが、好事魔多し、肩の故障で3ヶ月休み、今月復帰してみたものの、新しく受け持った区域がこの身にはハードすぎてのこの始末。
その休みの間に選挙が絡んだから、そうそうゆっくりした訳ではないのだが、配達の仲間からはきっと「優雅なご身分の野郎だぜ」とくらいに思われていることだろう。
向後、おそらく、この世界に舞い戻ることはあるまい。
一期一会とはいうものの、この稼業ほど人の出入りの激しいものはないだろう。なにしろ一日来たかと思えば、明くる日には姿を見せない者もいる始末だ。三日で辞める者、はたまた一週間続かない者と、たかが1年足らずの間に、いったい何人の人間が行き交ったことか。
この場所で、知り初めた人々とも、もう逢うことはあるまい。日々過ごすリズムがことごとく異なれば、まず行き会うことはないものである。なにかと言葉を交わしあった者も、ついぞ物言わぬままに打ち過ぎた者も、これでサヨナラだ。

何度も自殺を試みた挙げ句、玉川上水に入水心中、この世とサヨナラした太宰治の遺作は「グヅド・バイ」だったが、自ら生を断つサヨナラ劇は、それぞれ個有の必然があろうとも、遺された者たちにとっては一方的に「断たれる」がゆえに、これほど劇しく迷惑千万なものはない。
この国には、自死の美学などと、都市型町民なる市民勢力が大きく台頭してくる近世封建社会の幕藩体制のなかで、行き場を失ったサムライたちの武士道として止揚されてきた傾向があり、「死者を鞭打つべきでない」との思潮もまた強いが、自ら身命を「断つ」ほうの潔さなど、「断たれる」ほうの未練や執着の劇しさに比すれば、決して称揚されてはなるまいと私は思う。
戦後初めての現職閣僚の自殺と、いま世間を騒がせている松岡利勝農相の自死も、いずれ自身にも司直の手が伸びるものと予感しつつ、これを未然に防ぐべきものであったろうし、本人の自覚としては「もののふ-武士道」の系譜に列なる者としての最期を意識したものとみえるが、彼の死の翌日、どうみても「後追い心中」としかみえない、すでに検察の事情聴取を受けていたという「緑資源機構」ゆかりの山崎某の飛び降り自殺も重なって、誤解を恐れず言わせて貰えばただの「臭いものに蓋」じゃねえかということだろう。

松岡農相の遺書が公表されているが、書き出しの「国民の皆様、後援会の皆様」の文言に、私などは「国民の」と名指しされても困惑が走るばかりだ。彼の脳裏に抽象されうる「国民」とはいかなるものか、私という者も含め、1億2千万の人々を抽象しうるというなら、「冗談じゃねえ」とばかりお返しするしかない。たかだか「支援の皆様、後援会の皆様」とごく控え目に書き遺すべきだったろう。
文末は「安部総理、日本国万歳」と締め括られているというのだから、この書き出しと文末に、私のように、そう気やすく「国民の皆様と括ってくれてもネ」と困惑を呈する人々のほうが過半を占めようというものである。
引っ掛かりついでに筆を滑らせば、葬儀において松岡農相の夫人は「主人にとって、太く短く良い人生だった」と挨拶したというが、「太く短く」はともかく、「良い」という語が挿入されるのはいかがなものか。
政治というもの、とかくカネがかかるもの。その裏舞台をつねに間近でつぶさに見てきて、時に違法なカネ集めをも必要悪と見て見ぬふりの日々ではなかったか。これを「良い人生」と曰われては、自らもその法外な必要悪に連座し、享受してきたものと見られても致し方なく、おのが規範の乏しいことを白日に曝した発言となるではないか。葬儀の参列者や支援者にはそれでもよかろうが、広くだれもが注視の状況下で、おのれの発言が活字となって世間に躍ることもよく承知のなか、ここは一字一句おろそかにしてはなるまい。
農相の「国民の皆様」といい、夫人の「良い人生」といい、共通してその射程の狭きこと、これがなにより気に掛かった事件だった。
と、サヨナラ談義が、ずいぶん横道へと逸れてしまった。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏-57>
 恋ひ死なば恋ひも死ねとやほととぎす物思ふ時に来鳴き響(とよ)むる  中臣宅守

万葉集、巻十五、狭野弟上娘女との贈答の歌。
生没年未詳、意味麻呂の孫、東人の子。罪状は不明だが、越前国へ配流され、天平13(741)年、前年の恭仁京遷都の大赦で帰京。万葉集巻十五に40首。
邦雄曰く、焦がれ死にするなら死んでしまえとでも言うように、私があの人のことを思っている時に、ほととぎすは来て声を響かせる。第一・二句は一首の決まり文句で、忍恋の激情の表現だが、ほととぎすに寄せて一首の被害妄想めいた歎声を発しているのはめずらしく面白い。両者贈答歌の終りにみる「花鳥に寄せ思ひを陳べて作る歌」七首のなかの一首である、と。

 道の辺の草深百合の花咲(え)みに咲みしがからに妻といふべしや  作者未詳

万葉集、巻七、雑歌、時に臨む。
邦雄曰く、路傍の草の茂みに一茎の百合、その花さながら、ちらりと微笑をあなたに向けた、ただそれだけのことで、妻と呼ばれなければならないのか、否、否と、百合乙女は、多分その熱心で強引で自惚れの強い男を拒む。みずからを百合に喩えるところは微笑ましく、「花咲(はなえみ)」なる言葉も実にゆかしい。「古歌集」出典歌中、絶類の佳品である、と。

古今以下、題詠の習慣もあってだろう、春秋の歌に比べて、夏の歌はよほど乏しいとみえて、この「清唱千首」に採られたものに万葉の歌が目立つ。万葉時代の言の葉は、今日の語感から遠く隔たって、判じがたいもの多く、やはり隔世の感甚だしきを、いまさらながら強く思わされる。

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May 28, 2007

おのづから心に秋もありぬべし‥‥

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Information 林田鉄のひとり語り<うしろすがたの-山頭火>

-世間虚仮- 100人の慰安婦たち

「DAYS JAPAN」6月号では、「慰安婦100人の詳言」が特集されている。
100人のひとりひとりのクローズアップと氏名と国籍、それに60字ほどの短い来歴が添えられている。百人百様、どれをとっても、個有の過酷な重い過去が浮かびあがってくる。
そういえば先頃、平成5(1993)年の「河野談話」を否定するかのごとき安部首相発言が、国際的にもずいぶんと問題となっていたが、首相自身早々と軌道修正して外交上事なきを得、ひとまずは沈静化したたようである。
すでに88歳になるという、一兵卒として中国・沖縄戦を経て、米軍捕虜となった近藤一さんの、日本軍は中国で何をしたか、体験の始終を淡々と語る証言が併載されているが、飾り気なくただ酷薄な事実を重ねていくだけに、よく実相を伝えて衝撃的でさえある。
その多くが80歳代、90歳代の彼女たちが求める「償い」に、日本政府の腰は鈍重なままに、徒に時間のみ過ぎゆく。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏-56>
 おのづから心に秋もありぬべし卯の花月夜うちながめつつ  藤原良経

秋篠月清集、上、夏、卯花。
邦雄曰く、白い月光の下に幻のように咲き続く、その月光の色の花空木、真夏も近い卯月とはいえ、人の心には、いつの間にか秋が忍び寄っている。人生の秋は春も夏も問わぬ。光溢れる日にさえ翳る反面に思いを馳せずにはいられない。これこそ、不世出の詩人、良経の本領の一つであった。放心状態を示すような下句の調べもゆかしく、かつ忘れがたい、と。

 ほのかにぞ鳴きわたるなる郭公み山を出づる今朝のはつこゑ  坂上望城

拾遺集、夏、天暦の御時の歌合に。
生没年不詳、坂上田村麻呂の子孫、是則の子。従五位石見守。暦5(951)年、和歌寄人所となる。勅撰入集2首。
邦雄曰く、拾遺・夏、ほととぎすの歌13首の半ばに置かれた。山を出て里に近づく声である。都の人々もその声を待つ。「郭公み山を出づる今朝のはつこゑ」、山を出るのを、鳥とせずその声としたところに微妙な新味があり、心に残る。勅撰入集は今1首、後拾遺・春上、「あら玉の年を経つつも青柳の糸はいづれの春か絶ゆべき」がある、と。

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May 25, 2007

恋するか何ぞと人や咎むらむ‥‥

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Information 林田鉄のひとり語り<うしろすがたの-山頭火>

-四方のたより- 神戸学院へ下検分

もう一昨日のことになってしまったが、6/9に予定されている神戸学院大学主催の「Green Festival」で、ひさしぶりに演じることとなった「山頭火」上演のために、Staffたちとホール会場の下検分に行った。
Staffたちとは、照明の新田三郎(市岡18期)、大道具の薮井寿一の二君。
今回、私の「山頭火」招聘を主導してくれた伊藤茂教授は市岡の20期だから、まるで市岡絡みである。4月下旬にも、私は一度訪れているのだが、この時はまあ顔見せのご挨拶のようなもの。
所変われば品変わるで、小屋も変われば当方の仕込みようもある程度変わってこざるを得ない。ならば各々Staff諸氏も会場の設備状況を確認しておくにしくはない訳で、めずらしく三人打ち揃っての初夏の陽射しを受けたドライブとなった。
第二神明の大蔵谷Interを下りてすぐの処、有瀬キャンパスに着いたのは約束より30分ほど早かったが、それでも担当事務方の女性が出迎えてくれた。さすが大学組織、配慮は行き届いている。
検分作業に要したのはほぼ一時間。
なにしろ舞台図面といえば、ホール建設時の設計図面一式が出されてきたりして、此方はずいぶん面喰らったのだが、これが先の訪問時のこと。
「これじゃ絵の描きようもない」と「山頭火」上演に関してはいつも舞台監督を兼ねている心算の薮井君が、下見決行に拘ってこの日の訪問となったのだが、言い出しっぺだけあってさすが彼のチェックぶりはかなり緻密なものだった。このあたり最低限のチェックは怠りないが、万事鷹揚とした新田君とは好対照で、これまた奇妙なコンビぶりといえそうだ。
私はといえば、先の訪問ですでに楽屋など案内されているし、チェックするべきこともなく、さらに手持ち無沙汰で、このたびは不参加の音響に関して二、三の確認をするのみ。客席の椅子に腰掛けて、ただ彼らの作業を眺めながら追認するばかりなのだが、おかげで、演奏者の位置や、演技空間の決めなど、おおよそのイメージを抱くことができた。
途中で、授業を終えたばかりの伊藤君が顔を覗かせてくれ、「新田大先生もお出まし願うとは」とジョーク混じりながら、半ば本気の恐縮の体で声をかけてきた。

新田君と伊藤君と私、三者三様に、今は亡き神澤和夫と、縁の深かった者たちの、場所を違えての邂逅である。温かくもあるが奇妙な感懐の混じり合った時間がそこに流れ、思わず苦笑させられるような気分だった。
そういえば、新田君も伊藤君も、結婚の折りはそれぞれ神澤夫妻の仲人だった。
ひとりっ子だった神澤は、彼を敬し親しく周囲に集まる若者たちを、彼一流の一対一対応で個別に惹きつけ、彼を中心にした大家族的な親和世界をつねに求め形成してきた感があった。決して自ら教祖になることを求めた訳ではないだろうが、シンボリックな存在でありたいと望んではいただろう。
この大家族的な親和世界は、表層はいかに家族的と見えようとも、兄弟的、姉妹的関係はどこにも成り立たず、必ずお互いの個々の間には微妙な違和が介在している。神澤を軸に、神澤を介してのみ互に辛うじて繋がり得ている異母兄弟たち?の集団は、どこを切り取っても、神澤を侵しがたき親とした個々の疑似親子関係が多種多様に存在するというべきもので、神澤の無意識が注意深く?兄弟的結合を排除してきたというしかない。
私はといえば、神澤とは逆に、実際に大家族のなかで育ってしまった子どもであった。神澤のつくる親和世界のなかで、私は、自身がニュートラルに振る舞うかぎり、どうしても自然と疑似的兄弟関係を自己流に成してしまうところがあった。もう30数年も昔のことだが、くるみ座の演出家だった故・北村英三氏は、神澤の「タイタス・アンドロニカス」公演の打ち上げの席であったか、私をして「お前さんもかなりの助平だな」とこの習性を喝破した。
親近さと疎遠さとが錯綜した神澤の親和世界とは別に、私は私で新田君とは照明Stuffとして長年付き合ってきた。彼が東京から舞い戻ってきて、大阪で照明の仕事をするようになってまもなくの頃だから、もう37.8年になるだろう。
伊藤君とは、これまた神澤の「トロイの女」の頃から見知ってはいただろう。見知ってはいたが、この頃、彼と言葉を交わしたような記憶はまったくない。
この公演の2週間前という直前、劇的舞踊と名づけられた神澤の舞台づくりに、自身の経験と見通しのなかでどうしても呑み込むことのできない違和を感じて、頑なに自らの意志で降板した私であったから、神澤に私淑し寄り集う周辺からは、すでに私は、踊り手としての飼い慣らされたエース的存在から逸脱して、反抗的分子或いは破壊的分子と目されていたことだろう。
だからかどうかはともかく、彼と私は長い間ずっと近くて遠い存在だった。彼は研究学徒であり評論の徒で、私が実践の徒であり、彼のそのエリアの外に居る者であったという所為が存外大きいのかもしれないが、その遠い距離感をぐっと近づけたのは4年前の「神澤の死」であり、追悼セレモニーのための協働行為であった。
「神澤の死」を前に、なにをもって報ゆるかを想う時、8人ほど居た準備会のメンバーのなかで、その真摯さと深さにおいて、私がもっともSympathyを感じたのは彼だった。
人生とは、世間とはそんなものだ。
「神澤の死」がなければ、こんどの「山頭火」招聘も、未来永劫起こり得なかったろうと思えば、これもまた合縁奇縁の不思議というものか。

神戸学院を辞し車を走らせて一時間余り、次の要件が待つという薮井君を弁天町で降ろして、そのまま博労町まで走って、結構お気に入りの店「うな茂」で、新田君と久しぶりに遅い昼飯を食った。
二人きりでちょいと贅沢に鰻に舌鼓するなど、なかなか機会あるものではない。彼とは理屈めいた小難しい話はまずしない。断片的な言葉のやりとりでほぼ通じ合うから、いたってご機嫌よく食を堪能できる。
こういう時間もなかなか小気味いいものだ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏-55>
 恋するか何ぞと人や咎むらむ山ほととぎす今朝は待つ身を  源頼政

従三位頼政卿集、夏、侍郭公、公通卿の十首の会の中。
邦雄曰く、恋人の訪れを待つように、そわそわとして落ち着かない黄昏時のみか、未明から起き出て、空のあなたの気配に耳を澄ましている。事情を知らぬ人が見れば、恐らく早合点することだろう。いささか誇張が過ぎるが、諧謔をも込めて、わざと俗調も加減した異色破格のほととぎす詠。他にも「鳴きくだれ富士の高嶺の時鳥」が見え、これまた愉快、と。

 逢ふことのかたばみ草の摘まなくになどわが袖のここら露けき  よみ人知らず

古今和歌六帖、第六帖、草、かたばみ。
邦雄曰く、つとに紋所にも現れる酢漿(かたばみ)草、古歌ではこれ一首以外には見あたらない。「逢ふことの難」さに懸けているのだが、あるいは、あの葉が夜は閉じることをも、伏線として使っているのなら、さらに面白い。逢い難くなる故よしはさらさら無いのに、逢えず泣き濡らすこの袖、悲恋の歎きが、夏草に寄せて実に自然に、初々しく、一首に込められている、と。

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May 22, 2007

郭公いつの五月のいつの日か‥‥

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Information 林田鉄のひとり語り<うしろすがたの-山頭火>

-世間虚仮 脱配達

一週間ほど前、とうとう「脱配達」宣言をした。
折角、3ヶ月ぶりに復帰してみた朝刊の配達だったが、今月一杯で辞めることにしたのだ。
情けない話だけれど、返り咲いてみたものの、新しく廻された処が、すでに老いゆくこの身には些か過酷に過ぎたのだ。
復帰の挨拶の折、社長の指定区域を聞いた途端、厭な予感が襲ったのだけれど、なにわともあれ指示に従い仕事に就いてはみた。
予感的中、新しい環境は、従前のそれとはあまりに懸け離れていた。
まず、自転車とバイクの違い、これも大きい。そのうえ配達件数も3割ほどは増加しているから時間もかかるのだが、それに輪をかけて大きいのが、階段の昇り降りの頻繁さだ。
昇降機のない5.6階建ての小マンションの類が多く、復帰して一週間を過ぎた頃には、もう右の膝に痛みが走るようになった。
臓器や消化器にはなんの疾病も縁のないこの身だが、そもそも足腰には少々不安のある身である。
以前、激しい腰痛に襲われた際に、MRI検査をしたことがあるが、3.4番の腰椎だったか、これを支える軟骨がずいぶんと摩耗しているらしく、ヘルニア症状を呈していた。
それに、どうやら私の骨格は全体に骨太で、関節付近のくびれも少ないように思われる。どちらかといえば硬い身体なのだろう。よって過重な負担を強い続けると関節が悲鳴をあげはじめることとなる。
体力は坂道を転げ落ちていくように、ただただ下降線をたどっていくしかない老いの身に、こんな無理強いをつづければ、早晩足腰立たぬ身になるのは必定と、ここはさっさとこの業-行から身を退くにしくはないと、撤退することにしたのだ。
復帰1ヶ月で早々と頓挫するとは、お恥ずかしいかぎりのとんだ茶番劇だが、まだまだ不随の身にはなりたくないので致し方ないと割り切るしかない。

それにしても、以前にも触れたことがあるが、戸別配達の販売店制度が生まれ全国的に定着していったのは明治末期頃からだったろうが、その100年ばかりの間、アルバイト配達員や専従員たちの劣悪な労務環境はいかほどの改善を経てきたのだろうかと首を傾げるばかりだ。
とりわけ全国紙といわれる社会の公器たる大新聞資本が、再販制度と特殊指定に胡座をかき、さまざまに矛盾を孕んだ販売店システムを固守しつづけ、末端労働者の環境改善を一顧だにしてこなかったのではないかと思われるのはいかにも腑に落ちない。

「新聞はエリートが書き、ヤクザが売る」という痛烈な皮肉があるそうな。
苛烈な販売競争に「拡張団」なる販売店とは別なるセールス組織が闊歩するのがいつのまにか常態化し、まるで必要悪のごとく存在しつづけていることは誰もが百も承知している現実だし、この「拡張団」なる者たちの猛烈セールスぶりは、行く先々でいろいろと物議をかもし、時に事件化することもあるが、「社会の公器」と「拡張団」の極端な乖離を捉えた二面性に、この痛罵はまことに相応しいと思えるものがある。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏-54>
 郭公いつの五月のいつの日か都に聞きしかぎりなりけむ  宗良親王

李花集、夏。
邦雄曰く、それ以来ただ一声も、ほととぎすを聞かぬ。あれは延元2年の5月、花山院内裏で、身の来し方、行く末を語っていた時のことであったと述懐する。思い出の部分は長い詞書となっており、一首は長歌に対する反歌のように添えられる。息を弾ませるかの切迫した畳みかけも「聞きしかぎり」の悲嘆も胸を搏つ。二条為子を母とする天才は明らか、と。

 白玉を包みて遣らば菖蒲草花橘にあへもぬくがね  大伴家持

万葉集、巻十八、京の家に贈らむ為に、真珠を願ふ歌一首。
邦雄曰く、贈られた人が白玉を菖蒲や橘の花に交えて蔓にし、嬉々として髪に飾る様子を思い描く。真珠の光沢さながらに、きらきらと弾むような字句と調べは家持の独擅場。海は能登の国の珠洲。天平感宝元年5月14日の作と記録される。長歌1首、短歌4首あり、掲出歌は4首中の冒頭、次の歌は「沖つ島い行き渡りてかづくちふ鰒珠もが包みて遣らむ」と。

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May 17, 2007

根を深みまだあらはれぬ菖蒲草‥‥

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Information 林田鉄のひとり語り<うしろすがたの-山頭火>

-表象の森- 今月の本

三部作となった大部の前著「磁力と重力の発見」(‘03年刊)に続いて、山本義隆が4年ぶりに世に問うたのが「十六世紀文化革命」二巻本。
山本義隆は、‘68年の東大闘争において、当時若手の素粒子研究者として大学院にあったが、全共闘議長となり、以後アカデミズムの外部へと身を投じ、「ただの人」として予備校講師へと転身した。
本書の帯には「大学アカデミズムや人文主義者を中心としたルネサンス像に抗しも16世紀ヨーロッパの知の地殻変動を綿密に追う」とある。
また、本書の序章末尾において著者は「本書は筆者の前著—磁力と重力の発見—を補完するものである。やはり17世の新しい科学の出現に大きな影響を与えた同時期の魔術思想については、前著にくわしく展開したので今回は禁欲し、その言及を最小限に留める。この点において付け加えておくと、16世紀文化革命は17世紀科学革命にとって必要な条件ではあったが、それで十分だったわけではない。新しい実験的で定量的な自然科学の登場を促したのは、職人たちの実践から生まれた実験と測定にもとづく研究とともに、前著で語ったほとんど「実験魔術」とも言うべき自然魔術の実践が考えられる。しかも後者は17世紀物理学のキー概念ともいうべき遠隔力の概念を準備した。科学史家ヒュー・カーニーの言うように「16世紀をつうじて魔術と技術の伝統は科学にある広がりを加えた」のである。」という。
4年前の暮れ頃だったか、前著三巻本をざっと読み流しただけに終わった私としては、今度はじっくりと腰を据えて併読しなければなるまいが‥‥。

脳科学や認知科学を基盤としつつ、「進化」という視点から「意識とはなにか」問題に迫るN.ハンフリーの「赤を見る」。
脳科学や心理学がいくら進歩したといっても、「視覚のクオリア」という用語が示すように、「私たちは何を見ているのか」を記述しようとすれば、たちまち立ち往生してしまう。
本書では「赤を見る」というただひとつの経験にしぼり、「知覚」と「感覚」の関係をさまざまに経巡っては「意識」問題の迷宮に読者を誘い込む。

P.クローデルの集大成的戯曲といわれる「繻子の靴」は、その初版に「4日間のスペイン芝居」と副題されたように稀代の長編戯曲である。
4部作に設定された劇といえば、遠く遡れば古代ギリシアにおける「悲劇三部作にサチュロス劇一部」があろう。
クローデルの比較的直近でいえば、ワーグナーの「ニーベルングの指輪」四部作が先駆的モデルとなっているのは明らかだろう。
訳者の仏文学者で時に演出もする渡辺守章は、戯曲各部に詳細な訳注を付し、クローデルの詳細な年譜とともに、さらには90頁に及ぶ解題を書いて、文庫にして二巻、各々500頁を超える労作となっている。

-今月の購入本-
山本義隆「十六世紀文化革命-1」みすず書房
N.ハンフリー「赤を見る-感覚の進化と意識の存在理由」紀伊国屋書店
P.クローデル「繻子の靴-上」
P.クローデル「繻子の靴-下」
「ARTISTS JAPAN -14 小磯良平」デアゴスティーニ
「ARTISTS JAPAN -15 円山応挙」デアゴスティーニ
「ARTISTS JAPAN -16 俵屋宗達」デアゴスティーニ
「ARTISTS JAPAN -17 与謝蕪村」デアゴスティーニ

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏-53>
 ほととぎす五月待たずて鳴きにけりはかなく春を過ぎし来ぬれば  大江千里

千里集、詠懐。
邦雄曰く、千里集の巻末に、この四月のほととぎすは、ひっそりと並んでいる。なんの詞書も見えないが、鬱々と春三月を過ごし、期せずして耳にした初音でもあったろうか。下句の初めに「われは」が省かれているが、卒然と読めば、鳥が、はかない日々を送ったようにも感ぜられ、それもまたそれで一入の趣がある。時鳥詠の定石から外れた趣向、と。

 根を深みまだあらはれぬ菖蒲草ひとを恋路にえこそ離れね  源順

源順集、あめつちの歌、四十八首、夏。
邦雄曰く、十世紀後半きっての天才的技巧派である作者が試みた古典言語遊戯の一種、沓冠鎖歌一連の夏、「山川峰谷」の「ね」に位置する一首である。いずれの歌もそのような制約などいささかも感じさせない自由奔放な調べ、「菖蒲草」など、まことに情熱的な恋歌で、文目や泥(ひじ)等の懸詞も周到。ちなみに韻は、最初と最後を同一にする超絶技巧だ、と。

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May 16, 2007

橘の匂ふあたりのうたた寝は‥‥

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Information 林田鉄のひとり語り<うしろすがたの-山頭火>

-世間虚仮- 沖縄返還と。

昨日の5月15日、沖縄返還から35年。
1972年の当時としては、沖縄の本土復帰は県民のみならず多くの日本人の悲願であったし、戦後処理の越えねばならぬ大いなるヤマであったろう。
同じ年の9月には、この夏、首相となった田中角栄が訪中、日中国交正常化が成っている。
周恩来とともに共同声明に署名する二人の姿が新聞紙面に躍っていたのが記憶の隅に残る。
これまた戦後処理の大きな課題であったわけだが、この二大事を挟んで、現在まで歴代内閣最長を誇る4選総裁佐藤栄作の引退から、長く後々の政変にまで尾を引いた角福戦争を経て、田中角栄総裁の誕生となる。
2年後の佐藤栄作は、長期政権の置土産たる沖縄返還が根拠となったのだろう、ノーベル平和賞受賞という栄誉を手にし、その半年後の’75年6月、不帰の人となった。
沖縄復帰と日中国交正常化の成った’72年(昭和47年)は、他方、連合赤軍のあさま山荘事件が2月、イスラエルのテルアビブ空港での日本赤軍乱射事件が5月、と連続し、戦後左翼による変革運動のマグマが、一部では過激派テロリズムの異形なる擬態へと変容をなし自己倒壊していくという末期的症状を露呈し、総体としては、当時の青年層とりわけ学生たちを捉えた革命的パッションの熾火は出口なしとなって鎮火消滅していく。いわば戦後の変革期たる政治の季節、その終焉の年でもあった。

この「沖縄本土復帰の日」を意識したかどうか、その前日、参議院では「国民投票法」が自・公与党で可決され、安部政権はとうとう改憲手続きをものせしめ、曰く「戦後レジームからの脱却」と抽象的言辞で弄して濛昧にしつつ、戦後60余年、自民党の悲願たる自主憲法制定へと大きな一歩を踏み出した。
同じ日、衆議院特別委員会では「イラク特措法」の2年延長を可決させてもいる。
小泉純一郎もノーテンキなしたたか野郎だったけれど、安部晋三のノーテンキぶりは小泉に輪をかけたもののようだ、とつくづく思わされるが、この当人が岸信介や佐藤栄作の正嫡血脈にあるのだから堪らないというものだ。
時代性が大いに異なるといってしまえばそれに尽きるともいえようが、彼ら反動的右翼たる宰相は、抵抗にもまた相応の理あり、との受けとめようがあり、これを抑圧し無視していく政治的決断には、内心忸怩たるものが見え隠れするといった体があったか、と思われたものだが‥‥。
こう逡巡もなくアッケラカンとやられては身も蓋もないだろうに、まこと奴の神経は木偶の坊なのか。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏-52>
 一声の夢をも洩らせあづま路の関のあなたの山ほととぎす  太田道灌

慕景集、飛鳥井中納言雅世卿へ消息し奉りて添削の詠草奉るとき。
邦雄曰く、慕景集には、太田道灌その人らしい、いかにも風雅を愛する武人の、雄々しく凛とした佳作が肩を並べ、家集の真偽など問題外に愉しい。この時鳥、命令形の二句切れも潔く、それも初句の「一声の夢」が情を盡している。夙に二条家歌人と交わって歌に親しみ、また文明6(1474)年に、武州江戸歌合せを催している。同18年、54歳で暗殺された、と。

 橘の匂ふあたりのうたた寝は昔も袖の香ぞする  俊成女

新古今集、夏、題知らず。
邦雄曰く、伊勢物語歌の、出色の本歌取りの一例。「匂ふあたりの」は、もはや、橘の花の香も、身に近からぬ情趣を暗示し、「昔の袖の香」が仄かな朧なものとなる。五句、どこにも切れ目がなく、詞はアラベスク状に脈絡する。夏の部に入っているが、かつての愛人の袖の、薫香を歌った恋の歌であることは紛れもない。俊成女の代表作に数えられる、と。

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May 08, 2007

花鳥の春におくるるなぐさめに‥‥

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Information <連句的宇宙by四方館>

Information 林田鉄のひとり語り<うしろすがたの-山頭火>

-表象の森- 「襲の色」談義
春の襲には、「紅梅」の表・紅梅-裏・蘇芳、「桜」の表・白-裏・赤花、「桜萌黄」の表・萌黄-裏・赤花、「柳」の表・白-裏・薄青など、春に相応しく華やいだ爽やかな印象が強い。
ところが、夏の襲となると、「卯の花」表・白-裏・青(現在の緑)のように涼感を誘う色目もなくはないが、総じて、「菖蒲」の表・青(現在の緑)-裏・濃紅梅、「蓬」の表・淡萌黄-裏・濃萌黄、「若楓」の表・淡青-裏・紅、「撫子」の表・紅-裏・淡紫など、現代人の感覚からすれば些か重く、夏炉冬扇ではあるまいに、暑苦しさをいや増すではないかと首を傾げたくなるような感がある。
秋の襲では、「紅葉」の表・赤-裏・濃赤はともかく、「萩重」の表・紫-裏・二藍、「龍胆」の表・淡蘇芳、「菊重」表・白-裏・淡紫、「紫苑」の表・淡紫-裏・青など、紫系が多用されているが、
冬においては、「枯色」の表・淡香-裏・青、「枯野」の表・黄-裏・淡青、「雪の下」の表・白-裏・紅梅、「氷重」の表・烏ノ子色-裏・白など、白や黄系が座を占め、冷え冷えとした感がぐんと強まる。「氷」にいたっては、表裏ともに白を配するという徹底ぶりだから、もう凍てつくばかりだ。
こうしてみると、夏には寒色を、冬には暖色をと、少しでも暑さ寒さを和らげようとする合理的な配色感覚とは無縁にあって、どこまでも自然に同化し、季節の色のなかに棲まおうとしてきたのが、この国の古人たちの色彩感覚であったかとみえる。
風雅・風流の習い、粋の心とは、むしろさきに引いた夏炉冬扇の痩せ我慢と表裏一体化していると見たほうが、どうやら実相に近いといえそうだ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<夏-51>
 花鳥の春におくるるなぐさめにまづ待ちすさぶ山ほととぎす  花園院

風雅集、夏、四月のはじめによませ給ひける。
邦雄曰く、行ってしまった春の花鳥にとりのこされて、その寂しさを紛らわそうと、今か今かと初音のほととぎすを待ちこがれる。季節に懸け、花鳥に盡す心映えは、たとえ習慣化していた作の中とはいえ、まだ実感を伴って迫ってくる。風雅・夏の時鳥詠38首の冒頭に置かれた、まだ声とはならぬ、憧憬の時鳥。第二・三句のこまやかな味わい、と。

 をりしもあれ花橘のかをるかな昔を見つる夢の枕に  藤原公衡

千載集、夏、花橘薫枕といへる心をよめる。
保元3(1158)年~建久4(1193)年、藤原北家右大臣公能の4男、従三位左近中将に至るも36歳で早世。俊成・慈円・寂蓮・定家ら御子左家歌人と交わり、「三位中将公衡卿集」を残す。
邦雄曰く、昔を思うよすがに馨る橘の花、「昔の人の袖の香」と、特定の一人に限定せず、来し方、あるいは知らぬ過去までも含めた永い時間を暗示する。本歌取り秀作の一つ。初句六音、結句に至るに従って、次第に鎮まり、かつ朧になるのも巧みな構成だ。結句は初句に環る。作者は歌人藤原公能の子、俊成の妹を母とし、惜しくも35歳で早逝、と。

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May 04, 2007

春の夜の夢の浮橋とだえして‥‥

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Information <連句的宇宙by四方館>

Information 林田鉄のひとり語り<うしろすがたの-山頭火>

-四方のたより- 一滴の水も‥‥

蒼天に新緑が映えて初夏の薫り満ちわたる時節だというのに、歌詠みの世界は「春」の項がなかなか幕とならない。
塚本邦雄選の「清唱千首」には秋の歌がもっとも多く採られ240首を数える。次いで春の歌が若干少なく222首である。
今回で<春-72>となるから、その倍の144首目で、なお78首を残すことになる。これもみな、始めた当座はほぼ毎日のように綴ってきたものの、このところ滞りがちとなってしまった私の思うに任せぬ日々のリズムの狂いの所為なのだから、誰を責めるわけにもいかない。
本書を採って、毎回2首をセットに紹介しつつ、ブログを綴りはじめたのは05年の10月3日からで、これで363回を数えるから、計726首をすでに掲載したことになる。その全容は、私のHome page「山頭火-四方館」からも見られるようにしてあるのだが、めでたく1000首をまっとうするのは来春のこととなるかもしれない。
それより以前、といっても移行期には重なり合いながら転じていったのだが、もっぱら山頭火の句を冒頭に据えて綴ったシリーズが299回、他に、馬場あき子の「風姿花伝」に依拠しつつ、世阿弥の能楽論の節々について綴ったのを、時折挿み込んできたが、これが18回だから、〆て680回。A4の紙ベースで1000頁を優に超える長大なものとなっている。
綴り始めたのは04年の9月15日だったから、今日時点で963日目。963/680なら1.42日に1回の頻度で綴ってきたことになる。
所詮、気紛れに任せた駄文の類にすぎぬとはいえ、継続は力というならば、まこと「点滴石を穿つ、一滴の水も集めれば湖水となる」の譬えの如くありたいものだが‥‥。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-72>
 春の夜の夢の浮橋とだえして嶺にわかるる横雲の空  藤原定家

新古今集、春上、守覚法親王、五十首歌よませ侍りけるに。
邦雄曰く、建久9年残冬の仁和寺宮五十首は秀作目白押しで、春十二首中にも、「大空は椿の匂に霞みつつ曇りも果てぬ春の夜の月」や「霜まよふ空にしをれし雁がねの」を含む。源氏物語最終巻名「夢の浮橋」の幻を借景に、彼の理想とする余情妖艶の美を、完璧に描き盡している。12世紀末に、中世和歌のサンボリズムの一極点を示した、記念碑的作品、と。

 世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし  在原業平

古今集、春上、渚院にて桜を見てよめる。
邦雄曰く、逆説の頌春歌。伊勢物語第八十二段、惟高親王の交野の桜狩に従い、渚院の宴で、「馬の頭なりける人のよめる」歌として紹介される。春の憧憬の的は桜、花のために盡し、かつ砕く心はいかほどであろうか。この花さえなくば、いっそのことと、思いきった理論の飛躍を試みるところが、この歌の特色。古今和歌六帖等では、第三句「咲かざらば」、と。

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May 03, 2007

なべて世は花咲きぬらし‥‥

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Information 林田鉄のひとり語り<うしろすがたの-山頭火>

-表象の森- 「DAYS JAPAN」の一枚

G.Wの只中、どこへ行くわけでもなく、身体を休め、午睡をむさぼったあとの昼下がり、傍らの雑誌を手に取る。
フォトジャーナリスト広河隆一が編集する「DAYS JAPAN」5月号は、DAYS国際フォトジャーナリズム大賞の特集号となっている。
世界中から集まった6000点に及ぶ報道写真から選りすぐられたというその写真群は、さまざまにこの地球上に繰りひろげられる惨劇を伝えている。
イラク-米軍パトロールによる無差別な殺戮、あるいはネパールの民主化闘争や武力衝突の続くパレスチナ、などなど‥‥。
「アフリカの光と影」と題された数葉の写真では、結核と栄養失調に苦しむコンゴ国内避難民の半裸体の写真が眼を穿つ。25歳になるというのに骨と皮膚ばかりに痩せこけた黒褐色の後ろ姿は、どう見ても11.2歳の少年にしか映らない。異様に浮き上がった肩甲骨が皮一枚を隔てて奇妙なほどに幾何模様の造形をなし、逆説的なようだが、犠牲身としての光輝を放つ。
絶対的なまでに救いのない現実、
というものがこの世の中には往々あるものだが、その救いのなさを眼前にして、発すべき言葉もないほくらは、ただ膝を屈して額ずくしかないのだろう。
そういえば今日は憲法記念日とて、新聞は改憲問題に関する世論調査を伝えていた。
曰く「改憲賛成51%」。
戦後生まれどころか団塊世代より後の、高度成長しか知らない安部晋三が総理総裁となって、憲法改定はすでに既定路線化しつつある。先頃の国民投票法案成立で大きな一歩を踏み出した。
どこまでも対照的だが、この地球の世紀末を刻む二様の風景にはちがいない。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-71>
 なべて世は花咲きぬらし山の端をうすくれなゐに出づる月影  木下長嘯子

挙白集、春、暮山花。
邦雄曰く、16世紀末の「紅い月」、それも満開の夜桜の彼方、淡墨色の山から昇るルナ・ロッサ。師は二条派系の細川幽斎ながら、長嘯子の頽廃的な技法は、新古今時代の蘇りを思わせるくらい、鋭く且つ濃厚だ。二句切れの潔い響き、悠然たる体言止め、近世短歌の一異色に止まるものではない。門人に炯眼の士、下河辺長流が現れて、長嘯子の功績を謳う、と。

 おもかげに色のみのこる桜花幾世の春を恋ひむとすらむ  平兼盛

拾遺集、哀傷。
邦雄曰く、拾遺・哀傷巻頭には、清慎公藤原実頼が息女に先立たれた悲歌「桜花のどかけりなき人を恋ふる涙ぞまづは落ちける」が置かれ、2首目が兼盛の哀悼唱和。桜を見れば春毎に、この後いつまで恋ひ悲しむのかと、心に沁む調べだ。亡き人の俤に桜花の色の残ると歌う上句だけでも、天徳歌合せの勝歌「忍ぶれど色に出にけり」を遙かに超える、と。

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May 02, 2007

すさまじきわが身は春もうとければ‥‥

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Information 林田鉄のひとり語り<うしろすがたの-山頭火>

-世間虚仮- おつかれさん会、そして配達復帰

DanceBoxでの公演をまぢかに控え、29.30日と連チャンで稽古をするなど、なにかと忙しい所為もあるが、書き綴ることのなかなか思うに任せぬ。
その30日(一昨日)の夜は、先の選挙関係者たちが「おつかれさん会」と称して集いあった。
稽古のあと、車で一旦帰宅してから、ゆるりとする暇もなく、またぞろ三人で出かける。飲み会とて今度は勿論地下鉄に乗ってだが、子どもは「青と緑に乗るの?」とか言ってご機嫌だ。成る程、四ツ橋線の車両は青のラインがあり、中央線のほうは緑のラインがあるが、これは母親に教えられたか。
「谷口豊子、怒ってます!」などと、選挙中耳にこびりついたと見えるウグイス嬢たちの決めゼリフを声に出してふざけもしている。
寄り合いの会場となったその場所が些か粋なところで、昨年の8月に完成なった、弁天町はORC200に隣接したクロスタワー大阪ベイなる、54階建て高さ200mと、今のところ日本一の超高層マンションの、45階にある共用スペースのスカイラウンジ。
今のところというは、川崎市で現在建築中の超高層マンション(203m)が完成すれば、その誉れも席を譲ることとなるからだが、川崎のそれとて束の間の誉れとや、大阪北浜の老舗デパート三越跡地に建設中のマンションは54階建で高さ209mとなるそうで、09年春完成予定というからそれまでのこと。
マンションの共用スペースというからには、メンバーに居住者が居ないと借用することもできないし、立ち入ることもできない訳だが、谷口靖弘君の小中同窓の友人F君が住民だという。ならば私にも中学の同期生の筈だが、その名を聞かされても、はてどんな顔だったか、思い浮かべることもできなかった。
45.6階の二層を吹き抜けとしたスカイラウンジは、数十名規模のちょっとしたパーティも可能な、広いサロン空間で、集まった20数名の、選挙中の闘士たちもすこぶる寛いで和気藹々、持込まれた酒や料理に舌鼓を打ちつつ、負け戦の悔しさをぶつけるかと思えば、健闘よろしきを讃えあう。
実際、小なりとはいえこの部隊は、私の6.7回の経験においても、短い期間ながら勝れたチームワークを形成しえた。それ故の、終盤の追いあげであり、惜敗だったのだろう。
惜しむらくは、時間があまりにも足りなさすぎた。選挙期間であればあと3日、準備期間であれば2ヶ月早い立ち上げがあれば、きっと勝利の美酒に届き得ていただろう。
それゆえにこそ、時に口惜しさに歯噛みし、またよくぞ健闘したと達成感に満たされては、候補者谷口豊子は今、千々に揺れ動く心を抑えようがないのではなかろうか。
4450票という一旦は獲た票の重さは量り知れないものがあるはずだ。4450人の西区民がそれぞれ「谷口」あるいは「谷口豊子」と記したのである。4年後、64才という年齢を思えば、必ずや再挑戦あるべし、とは軽々といえまいが、この先の自分はどうあるべきか、当面どう身を処していくべきか、確たるその像を描くのはそれほど容易なことではあるまい。
宴は2時間半あまりに至ったか、散会し、ほろ酔いで帰宅の途に。

翌早朝には、およそ3ヶ月ぶりの新聞配達に復帰した。
左肩の不安はまだほんの少しあるにはあるが、それをよいことにいつまでも休んでばかりもいられないと、意を決して販売店の社長を訪ねたのが28日だった。
「明日からでも」という急き込む社長-この人、いつもこの調子で、他人を巻き込んでいこうとするのだが-を、どっこいそうは問屋が卸さず、「イエ、1日から」と此方も頑なに言い張って決めたのだった。
久しぶりに携帯のアラームをONにして眠ったのだが、時間を気にしてか、2時間余りで眼を覚ましてしまって、あとは寝つかれぬままに、午前2時40分頃か、家を出て、自転車を走らせた。
配達区域もガラリと変わって、見習い身分に戻っての再スタートだというのに、なんてこった、雨である。
無情にも今朝も一時的なものだったがひどい降りとなって、二日続きで雨に祟られた。こう雨に降られては再起動など覚束ないというもの。ただでさえ商店街の周りの路地を右に左にと徘徊するような順路が頭に入る訳はない。おまけに店長も好い加減な奴とみえて、初日には順路表さえ用意していなかった。
このぶんでは予定の全コースを独りで廻りきれるようになるのは、思いの外かかりそうである。ヤレヤレ‥‥。
とはいうものの、来月の9日には神戸学院大学での「山頭火」も迫っている。
早く身体に馴染ませ平常のリズムとせねば、そちらへの集中もままならない。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-70>
 涙より霞むとならばわれぞげに春の名だての袖の月影  貞常親王

後大通院殿御詠、春恋
邦雄曰く、浮名をたてられて袖には涙の雫、月はその面に映り、その月もまた涙に霞む。新古今・恋二、俊成女の「面影の霞める月」を更に朧に、より婉曲にしたかの、複雑微妙な恋歌。二十一代集掉尾の新続古今集撰者花園院の同腹の弟宮だけに、その詩魂歌才は抜群。同題の「我ぞ憂き人の心の花の風いとはれながらよそにやは吹く」も見事だ、と。

 すさまじきわが身は春もうとければいさ花鳥の時もわかれず  伏見院

伏見院御集、哀傷
邦雄曰く、何事にも没趣味で、愉しませぬ心理状態が「すさまじきわが身」どこに春が来たかも関わりのないこと、花よ鳥よの季節も無縁と、噛んで吐き出すような激しい口調であるが、歌の姿は凛乎として侵しがたく、冷ややかな光を放って直立する。さすが13世紀末、後鳥羽院の再来とも言うべき詩帝の作、但しこの歌、玉葉以後の勅撰集にも不載、と。

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