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February 28, 2007

花よただまだうす曇る空の色に‥‥

Miyazawakenjinikiku

-表象の森- 宮沢賢治とバリ島

井上ひさしの「宮沢賢治に聞く」を読んで意表を衝かれたのは、賢治の「羅須地人協会」誕生の背景には、当時の世界的なバリ島ブームが刺激なりヒントなりを与えたのではないか、という指摘だった。
この新説はどうやら井上ひさしの独創らしい。

オランダがスマラプラ王朝を滅ぼしてバリ島全土を植民地支配するようになったのは1908(明治41)年だが、各地の旧王族を残しつつ間接統治を採ったオランダ政府の政策が結果的に効を奏し、従来各部族が棲み分けていた島社会の混乱を招くことなく、習俗や伝承文化の保護継承に繋がりえたとされる。
おりしも、ヨーロッパ中を疲弊させた第一次世界大戦がやっと終わった1918(大正7)年、O.シュペングラーの「西洋の没落」が発刊され、一躍ベストセラーとなっている。
「西洋の没落」というこのフレーズは、センセーショナルなほどに彼ら西洋の現在と近未来を映す常套語となり、大戦の疲弊と相俟って深刻な終末観に襲われるが、その反動は一部に異郷趣味を増幅させもする。
西洋におけるオリエンタリズムの潮流は、当時のバリ島を「ポリネシア文化とアジア文化が合流する地上の楽園」と憧憬のまなざしで見、多くの欧米人たちが訪れるようになる。
とりわけ島を訪れ、滞在する芸術家たち、たとえばドイツ人画家ヴァルター・シュビースらが原住民たちとの協同作業のなかで舞踊劇として再生させた「ケチャ・ダンス」のように、絵画や彫刻、ガムランやバロン劇などが、彼らのもたらす西欧的技法や感性と交錯しながら、バリ特有の伝承芸術として再生され定着していく。
いわば西洋におけるバリ島の発見、バリ原住民たちの伝承文化が西洋の芸術様式と出会い、再生させられていくピークが1920年代から30年代であった。

井上ひさしによれば、賢治の蔵書の中に、当時のバリ島が紹介された一書があるという。
賢治が花巻農学校の教員を辞してのち、実家の離れに住みながら羅須地人協会を発足させたのは1926(大正15)年のことである。
農民芸術を説き、近在の百姓たちとともに劇団をつくったり、オーケストラをやろうとした賢治の脳裏には、この西洋によるバリ島の発見があり、宗教も芸術も渾然と一体化した島民たちの生活習俗が、ひとつの理想的モデルとして鮮やかに刻印されていたのかもしれない。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-58>
 稻つけばかかる吾が手を今宵もか殿の若子が取りて嘆かむ  作者未詳

万葉集、巻十四、相聞。
邦雄曰く、土の匂い紛々と、素朴、可憐、純情の典型。平安朝の技巧を盡した題詠の恋歌を見飽きた眼には、清々しく尊く、こよない救済のようにも映る。新穀の精製される初冬の歌。これに続いて「誰れぞこの屋の戸押そぶる新嘗にわが背を遣りて斎ふこの戸を」が見える。「稻つけば」の第三句「今宵もか」には、巧まずして相聞の精粋が溢れている、と。

 花よただまだうす曇る空の色に梢かをれる雪の朝あけ  藤原為子

風雅集、冬、雪の歌に。
邦雄曰く、梢の花を雪と見紛う錯視歌も夥しいが、「花よただ」と絶句調の初句で声を呑み、木が潤み曇るさまを「梢かをれる」と表現し、空もまた曇りの模糊とした景色、まことに春隣であって、雪すら華やぐ。言葉を盡し心を盡し、玉葉・風雅時代女流の筆頭の一人の力量、この一首だけからも十分に察知できよう。風雅・冬の中でも屈指の名作と言いたい、と。

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February 23, 2007

飽かざりし夏はいづみのいつの間に‥‥

Biwanokai070225

-四方のたより- 琵琶の調べごあんない

毎年弥生の頃に開かれる筑前琵琶の奥村旭翠門下による琵琶の会も、数えて17回目となる今年は明後日の2月25日。
連れ合いの出演もたしか5度目か6度目になろうが、ゆるりゆるりの手習い事とて、昨秋ようやく「旭濤」なる号を得て初めての会となる。
昨夏、人間国宝の山崎旭萃嫗が100歳の天寿を全うされて逝かれた所為で、その直門から数名の高弟が一門に加わるようになって、この琵琶の会も些か充実の様相を呈している。
初心者から師範まで総演目20を午前11時から6時間近くを要する長丁場なれば、プログラムを眺めつつ適宜つまみ食いならぬつまみ聴きを心得るが賢明の鑑賞かと思うが、なにしろ出入り自由の無料の会、休日の閑暇なひとときを気儘に琵琶の音に聴き入るも一興かとご案内する次第。
連れ合いの末永旭濤の演目は「文覚発心」とか。
この説話は「源平盛衰記」巻18にある「袈裟と盛遠」譚に発するものだが、古くは浄瑠璃や歌舞伎に採られ、現代においても舞台や映画にさまざま題材となってよく知られたものだ。芥川龍之介にも「袈裟と盛遠」題の掌編がある。
菊池寛原作で衣笠貞之助が監督した「地獄門」もこの話をタネにしている。長谷川一夫と京まマチ子主演のこの映画は’54年のカンヌ映画祭でグランプリを獲ている。
他の演目、出演者から敢えてお奨めを紹介すれば、若手中堅ながら「羅生門」の新家旭桜、「井伊大老」の吉田旭穰あたり。勿論、師範の娘二人を従えて奏するというトリの演目、奥村旭翠の「那須与一」を聞き逃してはなるまいが。

<奥村旭翠と琵琶の会>
2月25日(日)/午前11時~午後5時頃
国立文楽劇場3F小ホールにて、入場無料

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-57>
 飽かざりし夏はいづみのいつの間にまた埋み火に移る心は  後柏原天皇

栢玉和歌集、六、冬、埋火。
邦雄曰く、陰々滅々として陰鬱の気一入の歌の多い冬、しかも埋み火詠中、この一首は意外な軽やかさと親しみに満ちている。上句が清冽な噴井の水の光を想い起こさせ、第四句で時の流れの早さを暗示するあたりに、別趣の面白さが生まれたのだ。「閨寒き隙間知られで吹きおこす風を光の埋み火のもと」は、「寒夜埋火」題。一風変わった情景を見事に描き得ている、と。

 木の葉なき空しき枝に年暮れてまた芽ぐむべき春ぞ近づく  京極為兼

玉葉集、冬、題を採りて歌つかうまつり侍りし時、冬木といふことを。
邦雄曰く、裸木を眺めつつ、一陽来復を願う心であろう。歳末の感慨を、「空しき枝に年暮れて」と歌ったところに、この歌の命が宿る。枝の空しさは、わが身の上の虚しさ、初句はいかにも丁寧に過ぎるが、願いをかけながら、近づく春も恃めぬような暗さを帯びるのも、上句の強調によるのだ。為兼の波瀾万丈の生涯を思う時、この待春歌も一入にあはれ、と。

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February 21, 2007

この雪の消残る時にいざ行かな‥‥

Akashiyanodairen

-表象の森- 清岡卓行の大連

所収作品は、「朝の悲しみ」(1969-S44)、「アカシアの大連」(1970-S45芥川賞)と、「大連小景集」(1983-S58)として出版された4つの短編「初冬の大連」、「中山広場」、「サハロフ幻想」、「大連の海辺で」を含む。

大正11(1922)年に大連で生まれ、昭和16(1941)年の一高入学までの幼少期を彼の地で暮らし、さらには東大仏文へ進むも、東京大空襲の直後、昭和20(1945)年の3月末に、「暗澹たる戦局の中を、原口統三、江川卓と日本から満州へ。戦争で死ぬ前にもう一度見よう」と大連への遁走を企て、1ヶ月余の長旅でたどりつき、昭和23(1948)年の夏、引揚船で舞鶴へ降り立つまでの3年余を大連で過ごした、という清岡卓行。

彼は、終戦の詔勅をなお健在であった父母とともに生まれ育った大連の家で聞く。
「八月十五日の夜、彼は自分の家の小さな屋上庭園、幼い頃、夕焼けの空に女の顔が浮かんでいるのを眺めたあの場所で、かつての日本の植民地の綺麗な星空を、今さらのように珍しく眺めながら、なぜか、しきりに天文学的な考えに耽った。その巨視的な思いの中に、罌粟粒ほどの小さな地球を編入することが、まことに寂しくも爽やかであった。」
また、「彼は、全く意外にも、自分もやはり<戦争の子>ではなかったのかと感じた。――おお、戦争を嫌いぬき、戦争からできるかぎり逃げようとしていた、<戦争の子>。」-いずれも「アカシアの大連」より-と書く。

「てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた。」
あまりに人口に膾炙した、安西冬衛の「春」と題された有名な一行詩。
彼が先達の詩人として敬した安西冬衛もまた大連の人であった。安西は1919(T8)年から15年間、大連に在住した。1924(T13)年、同じく大連に居た北川冬彦や滝口武士らと詩誌「亜」を創刊、一行詩や数行詩という時代の尖端を行く短詩運動を展開、4年余の間に「亜」の発行は通巻35号を数えている。
彼は、この先達者たちの詩を、その短詩運動にもっとも影響を受け、偏愛したという。「亜」に拠った詩人たちの詩業は、彼の言によれば「口語自由詩の一つの極限的な凝縮であり」、「形式における求心性と、内容における遠心性。それらの緊迫した対応のうちに湛えられた新しさは、時間の経過によって錆びつかないアマルガムの状態」になっており、「凝縮された国際性」を体現しえたものであった。

大連の港から出航する引揚船でどんどん内地へ引き揚げてゆく日本人たちをどれほど見送ったことか。
1947(S22)年6月、すでに大連には僅かな日本人しか残っていなかったが、残留日本人の子どもらが通う大連日僑学園で英語や数学を教えていた彼は、クリスチャンで「いくらか円顔で、甘い感じ」のする日本人娘と知り合い、結婚する。
そして翌年の夏、身重の妻とともに引揚船で大連から舞鶴へ。東京世田谷の長姉宅に寄宿した彼は、4年ぶりに東大へ復学するも、11月には男児誕生と、生活費を稼ぐに追われ授業にはなかなか出られぬ暮しがつづいた。

詩人として、戦後二十数年もずっと、詩と詩論しか書いてこなかった彼が、1969(S44)年、すでに47歳にもなって、なぜ小説を書くようになったか、あるいは書かねばならなかったかについては、処女作「朝の悲しみ」を読めばおよそあきらかとなるが、その前年の妻の病死という衝撃が契機として大きい。
自殺を志向するがごとき憂鬱の哲学と純潔への夢を中断して「妻の若く美しい魅力」によって生へと連れ戻された自分であってみれば、ここであらためて生の根拠を問い、「生きる論理を構築し」直さなければならない。「妻がいなくなったら、このいやらしい世界と妥協する理由は失われたはずであり、彼は二十数年も遡って、自殺の中断の箇所まで、とにかく一応は舞い戻らなくてはならなくなったのである。」-「朝の悲しみ」より-
だが、短編「朝の悲しみ」における主調音は、むしろ妻への喪失の想いであり、「測り知れない深さの悲しみに支配され」、目覚めの虚脱感に耐えながら、生と死が親密に戯れる「愛の眠りの園」に身を沈めようとする-彼の内面が淡々と語られてゆく。
彼は、「人間の愛が夢みさせる死への憧れ」と、「動物的な本能が歌う生の意志」とが絡み合うところにこそ、「人間の全体性と呼べるもの」が浮かびあがってくると自らに言い聞かせつつ、残酷な現実の中に芽生えた淡い希望をもって、この短編を締めくくっている。

翌年(1970)3月に発表された「アカシアの大連」において、彼は小説への転回と同時に自らの再生を果たしたようにみえる。
それは深い喪失の悲しみから一歩踏み出して、自らの生の根拠を問うために、遠く失われた故郷である大連を記憶の回路を通して蘇らせようとした試みであり、「間欠泉のように、生き生きと浮かびあがってくる」ようになった大連における記憶の切れ切れを、けっして完成された物語としてではなく、語りの生成過程そのものを追跡するようなかたちで織り込んでいっている。
彼のこの転回と再生が、敗戦後の混乱期から高度経済成長期へと移行し、70年前後といういわばひとつの頂点を劃した頃であったという社会状況の背景もまた、これを成立せしめうる時機として深層において働いたのではなかったかという感が、どうしても私にはついて離れないのだが。

彼自身、「4つの楽章で構成された一つの音楽作品であってほしい」と構想された「大連小景集」は、転に配される「サハロフ幻想」が、抑制された静かな語り口で描かれる情景の一節ごとに挿入されるたった4文字の「サハロフ」という名辞が、快いリズムを生み出すとともに内的な昂揚感を強く感じさせてくれる。
かつて日本にとって租借地大連は近代化の実験の場であったが、とりわけこの作品には、彼のいう「おたがいに異なる主旋律を持つ4つの短編の、旅行の時間の流れに沿った組合せによって」、その大連という街の、国家が託した血なまぐさい幻想も含めて、全体像が暗示的にうかびあがってくるような一面がある。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-56>
 この雪の消残る時にいざ行かな山橘の実の照るも見む  大伴家持

万葉集、巻十九、雪の日に作る歌一首。
邦雄曰く、雪中にあれば、鮮黄に映える、野生の橘の実、「いざ行かな」の、みずから興を催し、他を誘う声の弾みが朗らかに愉しい。この歌は天平勝宝2(750)年12月の作と記されている。山橘は「消残りの雪に合へ照るあしひきの山橘をつとに摘み来な」も同様、藪柑子の別称との解もあるようだが、橘でなければ「いざ行かな」との照応は不自然だ、と。

 契りあれや知らぬ深山のふしくぬぎ友となりぬる閨の埋み火  肖柏

春夢草、中、冬、閨炉火
邦雄曰く、炉に燃やして共に夜を過ごす薪の類も、思えば長い冬の長い夜の友。深山から出てはるばると、との感慨を初句「契りあれや」にこめた。単なる素朴な述懐ではない。温みのある、一脈の雄々しさも匂う冬歌ではある。「埋み火をたよりとすさぶ空薫きも下待つ閨と見えぬべきかな」は、さらにひと捻りした妖艶の情趣をも味わうべき、同題のいま一首である、と。

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February 19, 2007

志賀の浦や波もこほると水鳥の‥‥

Nakaharaseiboshi_1

-四方のたより- 市岡OB美術展

またもや失態の巻を演じてしまった。
性懲りもなく2年前の搬入時と同じ失態を繰り返してしまったのだから、まことに情けないこと夥しい。
今年で早くも8回目となる筈のこの展覧会、当初、日曜日だった搬入・搬出が、一昨年から土曜日に変わっていたのだが、刷り込みが強すぎるのか、単なるうっかり病か、今年も日曜日の搬入とばかり思い込んで、土曜の夜は、後から舞いこんできた15期会の新年会へと参じ、美術展の関係各位には大迷惑をかけてしまった。
そんなわけで、せっかく特別展示の配慮を頂いて、昨年12月急逝した中原喜郎さんの作品を、私所有の4点から2点を選んでの搬入は、昨日、稽古を終えてから、まだしばらくは左肩の故障で三角巾で腕を吊った身では運搬もままならず、連れ合いに持たせて幼な児ともどもの家族連れの地下鉄移動で、ゆるゆるとお出かけモード。
現代画廊へと着いたのはすでに夕刻、画廊に居合わせたみなさんにお手を煩わせて、一日遅れの展示もなんとか無事相成った。

教員だった梶野さんと栄さんはじめ、12期の辻絋一郎さんから25期の小倉さんまで、今年の出品者は総勢24名。
初参加の中務(13期)さんの、一瞬を捉えて永劫の時間を湛える写真が眼を惹くが、これまで欠かしたことのない村上(17期)君の静謐な工芸品が見えないのは少し淋しい。
梶野作品の画題「逆天の祈り」や遠田(13期)さんの作品「彼の戻る日」、さらには18期の神谷君、その画題は「レクイエムⅠ.Ⅱ」などに、中原喜郎氏急逝の悲報の影が覗えるような感あり。
それぞれ個有の形象に深まりを見せていく、松石(20期)君の「虚ろな時刻」、小倉(25期)さんの「猫のいる風景Ⅱ」。
バラエティに富んだ出品作のなかに、小浜(18期)さんのガラス器が花を添えるのもたのしく、遊び精神彷彿の宇座(17期)君の「奴凧」は、その自由な境地がうれしくかつ頼もしい。

<2007市岡高校OB美術展>
北区西天満の老松通り、現代画廊・現代クラフトギャラリーにて今週開催中。
2月18日(日)~24日(土)の、午前11時から午後7時まで。但し最終の土曜はPM5時まで。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-55>
 志賀の浦や波もこほると水鳥のせかるる月による力やなき  木下長嘯子

挙白集、冬、月前水鳥。
邦雄曰く、堰かれつつ急かれて、結氷寸前の水上の月はしづ心なく、見えみ見えずみ、水鳥の寄る辺もあらばこそ。長嘯子の複雑な修辞はその心理を叙景に絡ませ、景色を心象に写し、一風も二風も変わった冬歌を創り上げた。「寒夜水鳥」の題では、「打ち払ふ鴛鴦の浮寝のささら波まなくも夜半に霜や置くらむ」と、さらに錯雑した妖艶な風趣を繰りひろげる、と。

 暮れやらぬ庭の光は雪にして奥暗くなる埋み火のもと  花園院

風雅集、冬、冬夕の心をよませ給ひける。
邦雄曰く、六百番歌合の「余寒」に定家の「霞みあへずなほ降る雪に空閉ぢて春ものふかき埋み火のもと」あり、風雅・春上に入選、同じ集の冬のこの本歌取りを見るのも奥深い。薄墨色と黛色で丹念に仕上げた絵のように、じっと見つめていると惻々と迫るもののある歌だ。第三句「雪にして」のことわりも決して煩くはない。第四句の微妙な用法も効あり、と。

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February 18, 2007

笛竹のその夜は神も思ひ出づや‥‥

Hakenkaseizonka

-世間虚仮- 「覇権か、生存か」

些か旧聞に属するが、N.チョムスキーの「覇権か、生存か-アメリカの世界戦略と人類の未来」は、昨年の9月21日に、反米強硬派として知られるベネズエラのチャベス大統領が行った国連総会一般演説で激賞推奨され、その所為で米国アマゾン・ドットコムでは販売ランキング2万6000位から一気にトップにまで躍進する、という時ならぬセンセーションを惹き起こした。
チャベス大統領の当該演説の件りは以下の如くである。(引用-るいねっと「チャベス大統領の国連演説」より)
「第一に、敬意を表して、N.チョムスキーによるこの本を強くお勧めします。チョムスキーは、米国と世界で高名な知識人のひとりです。彼の最近の本の一 つは「覇権か、生存か-アメリカの世界戦略と人類の未来」です。20世紀の世界で起きたことや、現在起きていること、そしてこの惑星に対する最大の脅威 -すなわち北米帝国主義の覇権的な野心が、人類の生存を危機にさらしていること―を理解するのに最適な本です。我々はこの脅威について警告を発し続け、この脅威を止めるよう米国人彼ら自身や世界に呼びかけて行きます。」
「この本をまず読むべき人々は米国の兄弟姉妹たちである、と私は思います。なぜなら彼らにとっての脅威は彼ら自身の家にあるからです。悪魔〔el diablo〕は本国にいます。悪魔、悪魔彼自身はこの家にいます。
そして悪魔は昨日ここにやって来ました。
皆さん、昨日この演壇から、私が悪魔と呼んだ紳士である米国大統領は、ここに上り、まるで彼が世界を所有しているかのように語りました。全くもって。世界の所有者として。」
「ここでチョムスキーが詳しく述べているように、米帝国は自らの覇権の体制を強固にするために、出来得ることは全て行っています。我々は彼らがそうすることを許すことは出来ません。我々は世界独裁が強固になることを許すことは出来ません。
世界の保護者の声明-それは冷笑的であり、偽善的であり、全てを支配するという彼らの欲求からくる帝国の偽善で溢れています。
彼らは彼らが民主主義のモデルを課したいと言います。だがそれは彼らの民主主義モデルです。それはエリートの偽りの民主主義であり、私の意見では、兵器や爆弾や武器を発射することによって強いられるという、とても独創的な民主主義です。
何とも奇妙な民主主義でしょうか。アリストテレスや民主主義の根本にいる者たちは、それを認知できないかもしれません。
どのような民主主義を、海兵隊や爆弾で強いるというのでしょうか?」というように続けられる。
日本語版の本書は集英社の新書版ながら350頁に及ぼうという長大さで、アメリカの覇権戦略の現在と未来を、その歴史的経緯をたどりながら詳細に分析し尽くしている。
覇権主義のアメリカは従来より「平壌からバグダッドまでつづき不穏な核拡散地帯-イラン、イラク、北朝鮮、インド亜大陸」を非常に危惧し、国際的な緊張や脅威を拡大してきたが、現実にはそれより遙かに恐ろしい核大国がその近辺に存在していることに、世界は眼を閉ざしたまま論じられることは殆どない。それは数百発にのぼる大量の核兵器で武装しているアメリカの権力傘下の国イスラエルの存在であり、この国はすでに世界第二位の核保有国であるという憂慮すべき事態にある。
グローバル化は持てる者と持たざる者との格差を拡大する。アメリカによる宇宙軍事化の全面的な支配の必要性は、世界経済のグローバル化による結果としてより増大していく。経済の停滞と政治の不安定化と文化的疎外が深刻化していく持たざる者の間には不安と暴力が生まれ、その牙の多くがアメリカの覇権主義に向けられることになる。そのために彼の国では攻撃的軍事能力の宇宙への拡大がさらに正当化され増幅していく、という負の循環の呪縛から世界はいかにして逃れうるのか。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-54>
 水鳥の下安からぬ我がなかにいつか玉藻の床を重ねむ  頓阿

草庵集、恋下、冬恋。
邦雄曰く、玉藻靡かう水の上を夜の床とする水鳥も、その心はいつも安らがぬように、逢瀬もままならぬ苦しい恋も、いつの日かは「われらが床は緑なり」とも言うべき、満ち足りた仲になろうとの、遙けく悲しい願望を歌う。「寄水鳥恋」では「鳰鳥の通ひし道も絶えにけり人の浮巣をなにたのみけむ」と巧みに寓意を試みる。二条家歌風の一典型である、と。

 笛竹のその夜は神も思ひ出づや庭火の影にふけし夜の空  永福門院

新続古今集、冬、伏見院に三十首の歌奉らせ給ひける時。
邦雄曰く、神楽の開始は夕刻、照らすための火を焚き、歌うのも「庭燎」で、「深山には霧降るらし」に始まる。この歌の面白さは「神も思ひ出づや」なる意表を衝いた発想であろう。下句の火と空の逆の照応も、考えた構成であり、神韻縹渺の感が生まれる。二十一代集の冬に神楽の歌はあまた見られるが、異色を誇りうる秀歌だ。作者の歌風の珍しい一面か、と。

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February 15, 2007

香を尋めし榊の声にさ夜更けて‥‥

Gnome

-表象の森- 不思議の国の「ノーム」

先日、幼な児の絵本読みと「まんげつのよるまでまちなさい」について書いたのを読んだ友人T君から、愉しくて不思議な絵本「ノーム」が贈られてきた。
ベストセラーとなった豪華な大型本である。210頁余に、ノームの人と形、日々の暮らし振りのディテールが、反自然的な我々人間社会とはどこまでも対照的に、こと細かに描かれ、後半には「ノームにまつわる伝説」として9つのエピソードが添えられている。
ノーム-Gnome-とは、大地を司る精霊とされ、主に地中で暮らし、老人のような容貌をした小人。手先が器用で知性も高く優れた細工ものを作るとされるが、初期ルネサンス期、錬金術師として名高いあのバラケルスス(1493-1541)が、「妖精の書」のなかで言及した四精霊の一つ-即ち、火の精霊-サラマンダー、水の精霊-ウンディーネ、風の精霊-シルフ、そして地の精霊-ノームである-として登場するのが、どうやら文献上の初めのようだ。
なによりもリーン・ポールトフリートの描く絵がいい。自然や動物たちのリアリスティックな描写と、ユーモアたっぷりなノームたちの生態描写の対照が、構成の妙として活きている。
監訳者として名を連ねる遠藤周作が、「すれっからしの我輩まで夢中にさせた」と言うとおり、子どもから大人まで、奔放に想像の羽をひろげてくれる不思議の世界だ。
この絵本を手にとって唸るほどに感激していたのは今年37歳になるわが連れ合いだが、まだ5歳の幼な児にとっても、これからの長い成長史のなかで、折にふれ立ち返る想像力の源泉ともなることを望みたいもの。

と、そんな次第で、さっそく図書館に続刊の「ノーム」本を2冊予約、週明けにも手にすることができようか。
昨年の6月、鬼籍の人となった清岡卓行の大部の小説「マロニエの花が言った」は古書での購入だが、それでも上下巻で4000円也。果たして読破するのはいつのことになるか。
井上ひさしの「宮沢賢治に聞く」に触手を伸ばしたのは、先日、毎日新聞に紹介掲載された青少年読書感想文コンクールでの優秀作品の内、岩手県滝沢村滝沢南中学校3年生の田中萌さんの群を抜いた見事な文章力に感心させられて。
彼女の作品は中学の部の最優秀作品(内閣総理大臣賞)に選ばれているが、なんと小学校6年の時にも同賞を獲ているというから驚かされる。
「この国で女であるということ」の島崎今日子が同じ市岡の25期生だったとは、巻末の小倉千加子の解説を読むまで知らなかった。
ARTISTS JAPANはいわゆる週刊ものだが、いつでも止められる気安さもあってしばらくは購読してみる。

-今月の購入本-
清岡卓行「マロニエの花が言った-上」新潮社
清岡卓行「マロニエの花が言った-下」新潮社
川上弘美「真鶴」文芸春秋
山室信一「キメラ-満州国の肖像」中公新書
M.フーコー「フーコー・コレクション-6-生政治・統治」ちくま学芸文庫
井上ひさし「宮沢賢治に聞く」文春文庫
島崎今日子「この国で女であるということ」ちくま文庫
ARTISTS JAPAN -1「葛飾北斎」デアゴスティーニ
ARTISTS JAPAN -2「横山大観」デアゴスティーニ
ARTISTS JAPAN -3「東山魁夷」デアゴスティーニ
ARTISTS JAPAN -4「尾形光琳」デアゴスティーニ
ARTISTS JAPAN -5「東洲斎写楽」デアゴスティーニ

-図書館からの借本-
ヴィル・ヒュイゲン「秘密のノーム」サンリオ
ヴィル・ヒュイゲン「わが友ノーム」サンリオ

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-53>
 朝氷とけなむ後と契りおきて空にわかるる池の水鳥  守覚法親王

新続古今集、雑上、朝見水鳥といふことを。
邦雄曰く、新古今時代の歌人の宰領指導に関わっては、一方の重鎮であり、式子内親王の同母兄、後鳥羽院には伯父にあたる歌人だが、新古今入選は僅かに5首、歌風はむしろ六条家の尚古派に傾いている。「空にわかるる」の準秀句表現にも、自ずから節度を保ち、それが一首に鷹揚な雰囲気をもたらした。作者の矜持、同時に限界の見える佳品に数えたい、と。

 香を尋(ト)めし榊の声にさ夜更けて身に沁み果つる明星の空  藤原定家

拾遺愚草、上、重奉和早卒百首、冬。
邦雄曰く、慈円の草卒露膽百首に和し、定家は文治5(1189)年、27歳春に、二度百首詠を試みる。この歌は二度目の作の冬、神楽の歌であり、「明星(アカボシ)」は夜を徹しての暁、神上りに奏する歌。同時に明星煌めく時刻でもある。「榊の声に」あたりに定家の個性躍如、「身に沁み果つる」に、さほど重い意味はないが、抑揚の激しさは一入と思われる、と。

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February 14, 2007

いかなればかざしの花は春ながら‥‥

0511290571

-表象の森- 祇王

Valentine Dayはすでに縁なき衆生と措くとして、それとは別に今日は祇王忌でもあるそうな。
京都嵯峨野のやや奥まった処、竹林の小径が途切れたあたり、ひっそりと佇むように小さな萱葺の門がある。
平家物語巻一に登場する祇王の段由縁の祇王寺である。
祇王とは権勢を誇った清盛の寵愛を受けた白拍子の名だが、清盛は祇王の歌や舞を愛で、そのお蔭で妹の祇女や母刀自とともに一時の栄華をみたが、そこは権勢者の気紛れ、加賀国から都へと上ってきた白拍子の仏御前に取って代わられる。
平家物語では清盛を前にして、「仏もむかしは凡夫なり 我らも終には仏なり いづれも仏生具せる身を へだつるのみこそかなしけれ」と歌い残したとされる祇王は、妹や母とともに奥嵯峨の往生院へと入り出家する。
やがて明日は我が身かと運命の儚さに感じ入った仏御前までが祇王を慕って尋ねきては尼となり、4人共々に念仏に明け暮れ往生した、という話だ。
この往生院と伝承される跡地に、明治になって再建されたのが現在の祇王寺だが、その庵には鎌倉時代末期の作とされる、祇王・祇女・母刀自・仏御前の4人と清盛の5体の木彫像が鎮座している。
像はそれぞれ当時流行のリアルなものだが、女人たちの煩悩を洗い流したような爽やかな表情とはうってかわって、清盛の面影は些か醜く歪んだ表情をしているところがおもしろい。
往生院は法然の弟子・念仏房良鎮の創立と伝承されているが、当時の悲しい女たちの駆込み寺のようなものであったのかもしれない。
抑も、平家物語自体、法然らが唱えた専修念仏の流布宣伝の一面があったとの説もある。
祇王の物語のような女人往生譚が巻一に挿入されているのもその証左といえそうではある。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-52>
 風冴えて浮寝の床や凍るらむあぢ群さわぐ志賀の辛崎  源経信

大納言経信卿集、冬、氷満池上。
邦雄曰く、巴鴨、あるいは味鴨の群れは、水の上を棲家とするゆえに、結氷すればねぐらを失う。初句の北風から第四句の群鳥騒乱まで、折り目正しく論理的に湖畔の冬景色を描きあげ、歌い進めてゆく。飛躍も省略もそれとは知らせぬ懇ろな詠法。「水鳥のつららの枕隙もなしむべ冴えけらし十符の菅菰」は同題の一首だが、やや重く屈折に富んだ技法が面白い、と。

 いかなればかざしの花は春ながら小忌の衣に霜の置くらむ  藤原道長

新勅撰集、神祇、賀茂の臨時の祭をよみ侍りける。
邦雄曰く、賀茂の臨時祭は霜月下酉の日、真冬の行事であった。祭りの髪には造花を飾り、小忌(オミ)袋にも山藍で花・蝶・鳥などを摺り出す。装束はあたかも春たけなわの趣き、だが気象は空に風花が舞い、地には霜柱が立つ頃、衣の袖も白い花を加えるだろう。「いかなれば」の殊更の問いかけがおおらかでめでたい。新勅撰・神祇には、同題の歌今一首、貫之の作を採る、と。

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February 13, 2007

儚しやさても幾夜か行く水に‥‥

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-表象の森- ザ・ペニンシュラ・クエスチョン

今朝も、暗礁に乗りあげたかと思えば、北朝鮮の老獪な豹変外交で一転、ギリギリの攻防が演じられていると、六者協議の模様が伝えられている。
いわゆるインサイド・ストーリィものなどはとんと読まない私だが、朝日新聞のコラムニスト船橋洋一が、各国政策担当者への膨大なインタビュー記録を駆使して、小泉訪朝と六者協議の内幕、北朝鮮をめぐる日・米・韓・中・ロの外交駆け引きの全容を明らかにした労作、本文だけで742頁に及ぶ大部の書を、過ぎたるほどに腹も膨れて些か辟易しつつもなんとか読みおおせたのは、本書が、朝鮮半島の第二次核危機について、関係各国の国内情勢にまで踏み込んで多方面からよく論じえているからだろう。
本書は、2002年9月の小泉純一郎首相訪朝に至る日朝外交と翌 10月のジェームズ・ケリー米国務次官補訪朝を皮切りに悪化した核開発をめぐる朝鮮半島情勢について論じたものだが、第二次核危機をめぐる各国の政策決定過程について、実に詳細にわたって記述されている。
この春には英語版が米国のブルッキングズ研究所から出版される予定だともいう本書は、凡百のインサイドものを超えて、朝鮮半島問題の研究や第二次核危機を論じるには、欠かすことのできない重要文献の一つとなるだろう。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-51>
 鳴きて行く荒磯千鳥濡れ濡れず翼の波に結ぼほるらむ  肖柏

春夢集、上、詠百首和歌、冬十五首、磯千鳥。
邦雄曰く、磯千鳥の濡れそぼつ姿が、緩徐調で巧みに描かれている。特に第三句以下が苦心の技法で、濡れみ濡れずみよろよろと「千鳥足」で走り去る鳥が「翼の波に」とは、大胆で細心な修辞であった。この百首は家集巻頭、次の百首の「暁千鳥」は、「さ夜千鳥有明の月を遠妻の片江の浦に侘びつつや鳴く」。連句的な上下句照応の妙は荒磯千鳥が勝ろう、と。

 儚しやさても幾夜か行く水に数かきわぶる鴛のひとり寝  飛鳥井雅経

新古今集、冬、五十首歌奉りし時。
邦雄曰く、蹴鞠と和歌の名門飛鳥井家始祖の、家集明日香井集きっての秀作であり、新古今集・冬に燦然と光を放つ一首。その冷ややかに細やかに、煌めきつつ頸えつつ、アラベスクを描く調べは、もはや工芸品の黒漆螺鈿細工の趣さえ感じさせてくれる。鴛(オシ)は雄、鴦は雌、あわれ一羽はぐれて水の上を行きつ戻りつ、夜毎眠りもやらぬさま。初の感嘆句、絶妙の味、と。

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February 08, 2007

この頃の夜半の寝覚めはおもひやる‥‥

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-四方のたより- 肩鎖関節脱臼とか

身体髪膚、これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始め、とかや。
この世に生を享けて60余年、傷病の類にはつゆ縁もなく無事に過ごしてきた身も、寄る年波ゆえか、
先の日曜はいつものごとく稽古場にて、孫にも見まがう幼な児相手に遊び興じた際に、足を滑らせズッテンドウともんどりうって左肩から落ちれば、激痛が走っていっかな身動きならぬ。
肩の脱臼かと、そろりそろりと近くの接骨院の門を叩いて診て貰えば、肩鎖関節の脱臼だろうという。
腕を絞るように引っ張ること二度三度と応急手当をしてくれ、ほんの少し楽になったところでテーピングの処置。
親切に電話で船員保険病院や多根病院をあたってくれたが、近頃は制度代わりで新患の救急外来は受け付けぬという。
足の遠い病院に入院するより家の近くでと、翌日、住吉市民病院で診て貰えば、鎖骨が肩甲骨からぽっかり空いて浮き上がったレントゲンを見せられ、即日午後から入院。
翌朝9時からの手術は、事前に医師から説明があったが、「経皮的ピンニング」術とかで、浮き上がった鎖骨を押さえ込みながらワイヤー状の鉄線を挿入して固定するというもの。
所要時間は1時間半位だったろうか、神経麻酔と局部麻酔だったから意識は明瞭、最後に2本の鉄線をペンチレスかなんぞでグリグリと力任せに切断する金属音が耳元でやけに響いた。
直後の接骨院での応急処置がよかったのだろうか、術後の痛みもさほどなく経過は良好のようで、一日置いてさっさと本日午前に退院。
初体験の入院生活は3泊4日のごく短いものだったが、それでも手術の翌日など24時間手持ち無沙汰この上なく、ひさしぶりに読書は進んだものの、病院暮らしとはよほどストレスが嵩じるもので、身体髪膚の教えに遵い、ずっと孝行者でありたいとつくづく思う。
しばらくは固定バンドで身動きもままならないが、7ヶ月続いた苦行の配達も休業の療養暮らしとなれば、かえっていい充電期間となるやもしれぬ。
むしろこれ、天の配剤というべきか。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-50>
 浦風の吹上げの真砂かたよりに鳴く音みだるるさ夜千鳥かな  飛鳥井雅有

隣女和歌集、二、冬、千鳥。
邦雄曰く、乱れる千鳥の声に先だって、第二句を「吹上げの真砂」と八音としたあたり、音韻上の配慮と歌の光景が響き合う心憎い手法である。同題で七首あり、他に「浦伝ふ夕波千鳥立ち迷ひ八十島かけて月に鳴くなり」や「佐保川の汀の氷踏みならし妻呼びまどふさ夜千鳥かな」等、こころもち万葉を匂わせて尋常な詠風であるが、いずれもこの歌に及ばぬ、と。

 この頃の夜半の寝覚めはおもひやるいかなる鴦(オシ)か霜は払はむ  小大君

後拾遺集、雑一。
鴛鴦(エンオウ)-オシドリ、鴛は雄、鴦は雌のオシドリをさす。
邦雄曰く、源親光の北の方が他界した頃、ある霜の朝詠み贈ったとの詞書あり、弔問慰撫の心を込めた作ではあろうが、その実は、この頃はどのような鴛鴦の雌が、貴方の羽の霜を払っているのか推し量っておりますと、悼みどころか、立ち入った穿鑿に類する挨拶。後拾遺集巻頭に、破格な新年詠を採られた異風の女流ゆえに、なるほどと微笑を誘われる、と。

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February 03, 2007

辛崎や夕波千鳥ひとつ立つ‥‥

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-世間虚仮- 小沢一郎の錬金術

時代錯誤もはなはだしい柳沢厚労相の失言問題で国会は大揺れ、小沢民主党は「首を取る」と勇ましいことこのうえないが、その小沢自身の足下に火がつきだしている。
ザル法の政治資金規正法を悪用しているとしかいえない小沢の大胆きわまる蓄財ぶりにはまったくもって驚き入るばかりだ。
彼の資金管理団体「陸山会」による経年の不動産取得は、SANKEIWEBのiZaサイトに詳しいが、
それによれば、現行のように政治家一個人につき一つの政治資金管理団体に統括限定されるように法改正のあった平成6(1994)年に、
 東京都内の土地5物件を、計2億7126万円で購入したのを皮切りに、
 平成7年には、同じく都内の1物件を、1億7000万円
 平成11年、東京都内と岩手県水沢市(現・奥州市)で2物件、6410万円
 平成13年、東京都内の2物件、4881万円
 平成15年、宮城県仙台市と岩手県盛岡市の2物件、5650万円
そしてこのたび問題視された秘書宿舎だという
 平成17年、東京都世田谷区の物件、3億4264万円
全部で13件、9億5531万円となっているが、この額は土地代のみで、官報による建物代は総計5億円余となっているそうだ。

政治資金管理団体とは法人格でもなんでもないからいわば政治家の個人商店のようなものにすぎない。政治家一個人のさまざまな政治活動全般におけるカネの入と出を一元的に把握できる、いわば政治家としての財布のようなものだ。
会社でも特殊法人でもないから、政治活動のためにと不動産を取得しても、その団体名で登記そのものができない。実際、これらの不動産はすべて小沢一郎名義で登記されているという。
資金管理団体「陸山会」で取得代価を払って、すべて小沢一郎名義の個人資産となってしまっている訳だが、こんな奇妙なことが法に適っているというのだから畏れ入る。
おまけに資金管理団体に出入する一切のカネは課税を免れている。パーティ収入も個人や団体からの寄付も、政党助成で分配されてくるカネも所得税の対象ではない。いわば特権的に保護された浄財なのである。
むろん、不動産を取得すれば取得税はかかるし、登記には登録税も、加えて年々の固定資産税もあるが、おそらくはこれら諸税も資金管理団体から支払われていることだろう。
それほどに、政治家個人の財布と資金管理団体の財布は、表面上は別物でありつつ、裏では一体化しうるものとなっている。
iZaサイトでも取り沙汰されているが、仮に小沢一郎が死ぬか引退するかして、彼の子どもなり身内の者が地盤看板を引き継ぐとした場合、すなわち「陸山会」をそっくり継承する場合、相続税や贈与税を免れかねないのではないかと危惧されている。
小沢一郎にすれば、名義は個人であっても実質的な取得者は資金管理団体であり、所有者もまた「陸山会」であり、個人資産ではないと主張するだろう。すべては法に適っており、違法性はないと。
だが、違法云々の前に明らかにしておかなければならないことがある。
抑も、政治資金規正法がいうところの政治家一個人に一つの資金管理団体という規定は、政治家個人と団体のどちらに先験性があるのかということ、要するにニワトリが先かタマゴが先かの話だが、政治家あっての資金管理団体だということををきちんと押さえておくべきだろう。
法の理念としてそう考えるべきところだと思うが、こういった特別法は先行する実態に対して後手々々と総じて後追いで枠づけようと作られるから、矛盾やら不備やらいろいろと穴のあるものとなりがちだ。
広い意味での政治団体に包括される形で政治資金管理団体を設定し、なんの特例規定も設けなかったために本来あるべき先験性は逆転し、団体の代表権の移譲や継承が当然起こり得るものとなってしまう。そこに小沢のつけ込むスキがあったのだし、とんでもない錬金術を生み出す元凶となっている訳だ。
自民党の中川幹事長が言うとおり、政治資金規正法は、資金管理団体が不動産を購入取得するなどという経済行為を想定していなかったのだろうが、たとえば、ある個人が土地なり建物なりを政治活動に使用してくださいと寄付する場合もあり得ない訳ではない。この場合、資金管理団体は贈与を受けたとして課税されないことになるのだが、だからといって引退した折にはその不動産が政治家個人の資産へと横すべりしてしまってはとんでもない話だろう。資金管理団体が管理し、政治活動に供与しているかぎりにおいて贈与とみなさない特権のうちにあるとしても、個人の所有となる時点においてはその特権が消滅しなければならないだろう。
小沢一郎の政治資金管理団体「陸山会」はいつに政治家小沢一郎個人に帰属しているとみるべきなのだ。
政治資金管理団体の継承や譲渡などありえない、あってはならないのだ。小沢一郎個人は政治活動を離れて独り歩きをすることがあっても、「陸山会」が小沢一郎を離れて独り歩きなどできはしないということが、政治資金規正法のあるべき姿だったはずだが、現実の法はそこに歯止めがかからない。
冒頭に挙げたような、小沢一郎の政治資金管理団体「陸山会」による多数の不動産取得は、それらが小沢一郎名義で登記された時点で、その取得費用いっさいを小沢一郎の個人所得とみなし、国税庁は所得税等の課税をすべきだと私は考えるが、どうやら国税庁は小沢サイドの法の不備を突く詐術的論理に嵌ってか課税しないまま捨て置かれてきているようだ。
たとえ領収証がの記名が「陸山会」になっていようと、小沢一郎名義の登記となっている以上、小沢個人が資産買いをしたのだ。小沢が政治資金を着服したとまで言わないが、ちゃっかり借用して純粋に経済行為をしたのだから、個人所得とみなせばいい。その不動産を秘書たちの寮として使用しているなら、小沢個人の財産をおのれの資金管理団体へと無償供与しているにすぎないし、自身の政治活動のための供与など至極当然のことだろう。
かりに賃料を稼ぎたいなら、この場合資金管理団体とではなく、あくまで秘書ひとりひとりと賃貸借契約をすればよいことだ、と私は思うのだが‥‥。
いまさら国税庁が重い腰をあげたところで、税法の時効は、通常は3年、悪質な脱税とされた場合でも7年である。法解釈上の認識の違いというレベルで争点になろうから、悪質とされる可能性は低いように思われる。とすれば全13物件のうち、平成15年分と17年分を除いた10件がすでに時効となってしまうことになる。
まことに露骨で恥知らずな小沢一郎の錬金術というべきか。

 ―――参照サイト「SANKEIWEB-iZa」   
 http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/108379/

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-49>
 三島野に鳥踏み立てて合せやる真白の鷹の鈴もゆららに  顕昭

千五百番歌合、千二十番、冬三。
邦雄曰く、歌合せ歌の題を見事に活写したのは、一に「鳥踏み立てて」と「鈴もゆららに」あたりの、弾んだ語調によるものであろう。六条家を代表する論客だが、歌ははなはだ佳品に乏しく、この歌は出色の一首。右は俊成女の「山里の真柴の煙かすかにてたたぬも寂し雪の夕暮」で、この作者にも似合わず凡調、季経の判は持であるが、明らかに左歌の勝ち、と。

 辛崎や夕波千鳥ひとつ立つ洲崎の松も友なしにして  心敬

権大僧正心敬集、百首、冬十首、湖上千鳥。
邦雄曰く、人麿の夕波千鳥と古事記・倭建の尾津の崎の一つ松の歌を、功みに折衷したような作品。松は、あるいは後京極良経・二夜百首の「友と見よ鳴尾に立てる一つ松」を意識したかのも知れない。千鳥もはぐれてただの一羽、松も一本松、互に孤をかこちつつ呼び合う。和歌と連歌の微妙な関連と背反が、この一首にも感じられる。下句は脇の風情、と。

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February 01, 2007

佐保川にさばしる千鳥夜更ちて‥‥

Mangetsu

-四方のたより- まんげつのよるまでまちなさい

昨夕、幼な児を保育園へと迎えに行った帰路のこと。
「あっ、満月や」と大きな娘の声に惹かれて夜空を見上げると、まだ十三夜か待宵だろうが、円い月が東の空にかかっていた。
「ほんまや、円いお月さんやネ、満月が近いんやろネ」と相槌を打ちながら、以前、娘にあげた絵本のことが頭をよぎったので、「まんげつのよるまでまちなさい、ってのがあったネ」と言い添えてみる。
娘は小さく頷いたようだったが、その絵本のことを思い出しているのか、黙ったままなにやら思案気な様子で家に入っていったのだった。
台所で母親がせっせと夕食の支度をしているわずかな時間を居間で寛いでいると、いましがたごそごそと探しものでもしていたかと見えた娘が、件の絵本を両手に抱えて、いつも保育園の先生たちが読み聞かせをしてくれるそのスタイルで、-このところ彼女が絵本を読む時は先生たちの読み聞かせスタイルを真似しながらするのが定番なのだが-、声には出さないもののだれかに語り聞かせるがごとく読み出したのには、先刻のやりとりの付会もあって、まだまだ幼な児とはいえその思考回路は、刺激と想起と興味や関心などが絡み合って、意外なほどにしっかりと連続性を有しているものだ、と気づかされ少々驚いたものである。

マーガレット・W・ブラウン作の「まんげつのよるまでまちなさい」は絵と本文32頁でなり、描かれるディテールも豊かでいろいろと交錯しつつイメージを膨らませていくから、この頃の子どもにとっては、読み聞かせで読んで貰うにはともかく、自身で読み通すには些か根気も要るし、あらすじを追い全体像を掴むにはまだ無理があるだろうと思われる。この絵本の良質な部分を充分その心に響くほどに鑑賞するにはおそらく7.8歳児ほどの成熟を要するのではないか。満5歳の娘の想像や理解がとてもそこへは届くまいが、なにはともあれその長さを読み切ってしまう根気にはちょっぴり脱帽しつつ、なぜそれが可能なのかと考えてみれば、おそらくはその読み聞かせのスタイル、保育園の先生たちに自身を託して読み聞かせごっこをするその快感、居心地の良さが、彼女の根気を支えているのだろう。

話は変わるが、この絵本が私の手許に残されたことについて、ついでながら書き留めておこう。
’92(H4)年の秋だからもう14年前にもなるが、ひょんなことから子どもたちのミュージカルの舞台づくりに関わることとなって、監修や演出をしたのがこの絵本を題材に、タイトルもそのものズバリ「まんげつのよるまでまちなさい」の舞台だった。出演した子どもたちは小学校6年生を筆頭に下は4.5歳児まで30数名で、劇場は当時まだ真新しかった奈良県の河合町まほろばホール。王寺町界隈で子どものためのジャズダンスサークルを立ち上げた吉村小佳代のハニーダンスクラブに集った子どもたちの初舞台であり、主宰の吉村小佳代自身初めての舞台づくりへの挑戦であったのだが、そのためでもあろう、彼女は一年ほど前から振付法などを習得するべく私の稽古場へ週1回通ってきていた。この絵本を底本にしてシナリオづくりから稽古を重ねて本番へと実際的な準備だけで4.5ヶ月かかったかと記憶するが、出演者も子どもたち以外に、ソプラノ歌手の岩井豊子さんや朗読の三岡康明氏や舞踊のデカルコ・マリィなど、さらには作曲家や演奏家諸氏も煩わしたから、かなりの本格的な取り組みとなった舞台である。ここまでの仕掛けをするには短期間ながら私の知るかぎりの吉村小佳代にはとても手に負えるものと見えなかったのだが、そこにはやはり影の仕掛け人が居るもので、その女性は馬場善子という病院関係者だったと記憶する。彼女はどこにも名前を出していないしまったく影の存在だが、実質的にプロデューサー的手腕を発揮していたから、その折り確かめたわけではないが、おそらくはこの絵本をタネに子どもミュージカルをという発案自体、彼女のものではなかったかと思われる。舞台づくりにはすぐれて企画者の眼と手腕こそ肝要というものだが、素人ながら馬場善子にはそのセンスがあったといえよう。

さて、14年を経て、あの30数名の子どもたちはどんな成長をみせているのだろうか。その後、ハニーダンスクラブがどうなったかも知らないが、手許に残るは一枚のパンフレットとこの絵本のみだ。それが今は5歳の幼な児所有の絵本となって、読み聞かせごっこを眼前で演じられては、感慨の想いの馳せぬはずはない。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-48>
 吉野なる夏実の河の川淀に鴨そ鳴くなる山陰にして  湯原王

万葉集、巻三、雑歌、芳野にて作る歌一首。
夏実の河-大和の国の歌枕。夏箕川とも。奈良県吉野町菜摘付近を流れる吉野川上流の呼称。
邦雄曰く、冬にのみ来て棲む鴨を「夏実の河」に配したところ、しかもそれが実景であるところにも、この歌の隠れた面白みは感じられよう。現在にも「吉野町菜摘」の地名が残っており、吉野川上流のこの辺り一帯を菜摘川とも呼ぶ。夏実・菜摘ともに美しい。志貴皇子の子、万葉には父を上回って20首に近い入選。温雅な作風をもって聞こえた歌人である、と。

 佐保川にさばしる千鳥夜更(ヨグタ)ちて汝が声聞けば寝ねがてなくに  作者未詳

万葉集、巻七、雑歌、鳥を詠む。
佐保-大和の国の歌枕。奈良市の北部界隈。「佐保山」「佐保川」「佐保の風」など。「佐保姫」は春の女神。
佐保川は春日山に発し、初瀬川と合流、大和川に注ぐ。千鳥、川霧、紅葉、柳などが歌われる。
邦雄曰く、川瀬を走り歩く千鳥の姿が第二句で躍如とする。作者は闇の中に、躓くように小走りに右往左往する鳥の姿を想像する。眠れない、その、今ひとつの理由は言わず、相聞に傾かぬところもかえって珍しい。「佐保川の清き川原に鳴く千鳥かはづと二つ忘れかねつも」は夏と冬の河の景物を並べたのであろう。かはづは河鹿、千鳥のみのほうが遙かに思いは深い、と。

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