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January 30, 2007

日を寒み氷もとけぬ池水や‥‥

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-表象の森- 四季と美意識と -1-

和歌や連歌には季と題があり、俳句には何千何万の季語がある。
四季の変化に富むわが風土にあって、われわれの祖先たちの美意識は春夏秋冬の別、季節の移ろいと密接に絡み合っている。
俳句歳時記の泰斗であった山本健吉は嘗て、無数ともいえるほどの季語の集積が形づくる秩序の世界をピラミッドに喩えてみたそうな。
曰く、頂点に花・月・雪・時鳥・紅葉の5つの景物を座しめ、それから順次、和歌の題、連歌や俳諧の季題、俳句の季語へと降りつつ裾野は遙かにひろがってゆくさまは一大パノラマの様相を呈するだろう。そのパノラマと化したピラミッドは、われわれをしてこの日本的風土を客観的認識に至らしむるものになろうが、それよりもわれわれ祖先たちの美意識の総体を現前させるものとなるだろう。

和歌の題においては、その美意識によって題自体がすでに「芸術以前の芸術」と言ったのは美学者の大西克礼だが、和歌の題とは、それ自身共同体固有の美意識を映し出し、単なる生の素材であることを脱却しているものであり、例えば「朧月」といい、また「花橘」、「雁」、「凩」といおうと、それぞれの言葉が固有の美的な雰囲気を立ち昇らせずにはおかないのだ。
「雁」といえば、秋飛来して春には大陸へと帰ってゆく、したがって半年ほどはこの列島に在るわけだが、これを秋季と定めるのは、すでに客観的認識を超え出て、長途の旅を経て飛来してきた渡り鳥に「あはれ」を感じ取った古人たちの、固有の美意識による選択となっているように。
あるいは、同じ雁でも「行く雁」や「帰雁」となれば春季ではあるが、ここでは離別の情趣が強調されるものとなるように。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-47>
 日を寒み氷もとけぬ池水やうへはつれなく深きわが恋  源順

源順集、あめつちの歌、四十八首、冬。
邦雄曰く、「あめつちほしそら」に始まる四十八音歌。冠のみならず沓にも穿かせた沓冠同音歌で、この歌は「ひ」。四季と「思」「恋」の六部、各8首、その束縛を全く感じさせない技巧は感嘆に値する。突然結句に恋が現れる意表を衝いた歌だが、その奔放な文体がまことに新鮮で、作者の技巧派たる所以を示す。言葉の厳密を体得した智恵者の一人、と。

 かくてのみ有磯の浦の浜千鳥よそに鳴きつつ恋や渡らむ  詠人知らず

拾遺集、恋一、題知らず。
邦雄曰く、有磯の浦は越中伏木の西北にある風光明媚な歌枕、語源は「荒磯」。「かくてのみ在り=有磯」の懸詞から第四句までは、夜の海に妻を恋いつつ鳴く磯千鳥の、寒夜の悲しさを叙しつつ、忍恋の切なさを絡み合わせる手法、二十一代集に数限りなく現れるが、廃れないのは、その冷え侘びつつ悲痛な幻影への、万人の共感によるものであろうか、と。

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January 24, 2007

軽の池の入江をめぐる鴨鳥の‥‥

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-世間虚仮- ネパールにPKO

国連の安保理が23日、「UNMIN-国連ネパール政治支援団」を設立、派遣する決議案を全会一致で採択した、という。
10年余続いてきた内戦状態も、昨年11月の和平協定で終止符がうたれ、政府軍とマオイスト双方が、国連の監視のもと武器を拠出することに合意しており、今年6月までに制憲議会選挙も行われる予定だが、これらを支援するPKOがいよいよ動き出すわけだ。
国連によるPKO派遣要員は総勢186名、任期は1年とされているが、要請を受けた日本政府は平和維持活動(PKO)協力法に基づき陸上自衛官5~10人規模で派遣する方針を固めた、ともいう。
安倍政権下で年初早々、積年の悲願であった庁から省への昇格を果たした防衛省の、小規模とはいえ初の海外派遣となれば、関係部局においては些かなりとも色めき立っていようかと想像されるが‥‥。

それはさておき、貧困家庭の少女たちがわずかなカネで売買され、インドの売春宿で働かされている、その数が毎年5000人とも7000人ともいわれる国内事象のこと。そのネパールに民主化が進み、昔日の平穏さがもどり、かような悲惨が決して起こらぬように、と切に望みたいもの。

ポカラの岸本学舎に通ってくる子どもたちも、6年間の課程を終えて無事卒業に至る子どもたちは少ないと聞く。授業も教材も制服もすべて無償で提供しているにもかかわらずだ。みんな家庭の事情とやらで志なかば泣く泣く挫折していくのだが、とくに女児の場合ははなはだしいとも。

観光産業が頼みのネパールにおいて、内戦に明け暮れた10年余のツケはあまりに大きい。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-46>
 み狩野はかつ降る雪にうづもれて鳥立ちも見えず草かくれつつ  大江匡房

新古今集、冬、京極関白前太政大臣高陽院歌合に。
邦雄曰く、歌合主催者は道長の孫師実、題は鷹狩りならぬ「雪」。時は寛治8(1094)年、匡房は53歳の秋8月19日。判者は源経信。番は左が伊勢大輔の女筑前の「踏み見ける鳰のあとさへ惜しきかな氷の上に降れる白雪」で右匡房の勝。筑前の歌もなかなかの出来映えだが、判者は「鳰(ニオ)の心をば知りがたうや」と妙な難をつけて負にした。持が妥当だろう、と。

 軽の池の入江をめぐる鴨鳥の上毛はだらに置ける朝霜  藤原顕輔

左京太夫顕輔卿集、長承元(1132)年十二月、崇徳院内裏和歌題十五首、霜。
邦雄曰く、大和国高市郡大軽の辺りに、その昔軽の池はあったと伝える。最古の市という軽の市も懿徳帝の軽境岡宮も、この歌枕の近辺にゆかりを持つのであろう。なによりも「鴨鳥の上毛」とこまやかに響き交わす佳い地名ではある。うっすらと斑に霜の置いている鴨、雪中のそれ以上に寒さが身に沁む。藤原基俊没後の12世紀中葉、歌壇の覇者となる、と。

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January 23, 2007

風をいたみ刈田の鴫の臥しわびて‥‥

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-世間虚仮- 8:94

8:94、なんの数字化といえば、
先進諸国と開発途上国における「乳児死亡率」の格差比だそうな。
UNFPA-国連人口基金-によれば、
生後1年未満で死亡する1000人対比が先進国では8人、
後進の開発途上国では94人、ほぼ12倍している訳だ。
理由はさまざま、貧困ゆえの栄養不足もあろう、紛争の巻き添えに遭うこともあろう。
水の問題、まっとうな飲料水もおぼつかない地域では、たんなる下痢でさえ命取りとなるだろう。
医療の問題、病院もない、医者もいない、あっても移動手段がない、
カネもないから診察など受けられるはずもない。

社会保障・人口問題研究所によれば、
昨年2月に65億人を超えたとされる世界の人口は、
2050年には、ほぼ91億人に達する、という。
ここでも増加比に地域間格差が歴然とある。
2006年現在の各地域別人口は、
アジア-39.5億、アフリカ-9.3億、ヨーロッパ-7.3億、北米-3.3億、南米-5.7億、オセアニア-0.3億
これが2050年には次のように増減すると推定されている。
アジア-52.2億、アフリカ-19.4億、ヨーロッパ-6.5億、北米-4.4億、南米-7.8億、オセアニア-0.4億

毎日新聞「Newsの窓」によれば、
中国の人口増は’33年頃15億でピークを迎え、以降減少に転じるとされる。
それにひきかえ、インドの増加率は緩まず’50年頃には15.9億にまでなるという。
アフリカの人口爆発はHIV感染のひろがりで、このところ増加予測も下方修正が続いているという。
それでも’50年には二倍してあまりあると予測されているのだが、
世界のHIV感染者4000万の内、2470万人がサハラ以南に暮らすアフリカの人々であるという事態は、
悲惨の極みであり、南北間格差の極み、人類文明のカタストロフィそのものだろう。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-45>
 眺めやる衣手寒し有明の月より残る嶺の白雪  寂蓮

六百番歌合、冬、冬朝。
邦雄曰く、萱斎院御集百首歌第一の秋に、新古今入選歌「ながむれば衣手涼し」がある。寂蓮の場合結句の「白雪」との照応で、むしろ言わずもがなの感もあるが、ねんごろな強調と見られたのか。ともあれ「月より残る」は手柄で、良経の「雲深き嶺の朝けのいかならむ槙の戸白む雲の光に」との番、俊成は両々、口を極めて褒め、「良き持」と評した、と。

 風をいたみ刈田の鴫の臥しわびて霜に数かく明け方の空  惟明親王

続後撰集、冬、題知らず。
邦雄曰く、後鳥羽院の兄惟明親王の作は、千五百番歌合の百首にも明らかなように、なかなかの技巧、玉葉の冬には「木の葉散る深山の奥の通ひ路は雪より先に埋もれにけり」を採られた。「数かく」はふつう水鳥が水上を行きつ戻りつして筋を引くことだが、この歌では、鴫と霜に転じて新趣向を見せた。稲の切り株の点在する景ゆえに、なお野趣も一入、と。

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January 22, 2007

初雪の降らばと言ひし人は来で‥‥

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-世間虚仮- 政治家とタレント

福島、和歌山と続いた官製談合事件による一連の知事辞任劇にともなう宮崎県の出直し知事選で、タレントのそのまんま東が、一本化ならず2候補による保守分裂となるなど既存政党らの迷走ぶりを尻目に他候補を圧倒、完勝した。新聞は大手各紙とも一面トップに「そのまんま」という文字が躍るという、後世から見ればいったい何のことやら不思議がられもしよう珍なる現象に、思わず苦笑させられる。
嘗てはタケシ軍団の人気タレントといえ、過去にはスキャンダルで謹慎生活もしたし、先ずは生れ故郷からと政治家への転身を志せば、同じタレントの妻・かとうかずこから離婚されるという憂き目に遭い、裸一貫いわば背水の陣ともいえる立候補に、初めは県民の多くも歓迎ムードからはほど遠かったのではないか。それが告示日以降、大勢のボランティアらと一体となった真摯な戦いぶりに好感度は急上昇、選挙戦終盤では投票率のアップ次第では本命視されていたようだ。選挙は水ものとはいえ、地方における人心もまたずいぶん流動化、浮遊化が進んでいるものとみえる。
グローバリズムの到来とともに地方の時代が喧伝されるようになってきた1995(H7()年の、東京都の青島幸男、大阪府の横山ノック以来、12年ぶりの芸能人・タレント知事の出現である。

諸外国はいざ知らず、どうもこの国では、政治家と著名芸能人や文化人、有名タレントとの垣根はずいぶんと低いものらしい。大衆が喝采する立身出世物語はその時代の波を受けさまざまに変容するものだろうが、それにしてもタレントから政治家への転身は、この国においては枚挙に暇なくその歴史も古い。私がまざまざと記憶しているのは、まだ選挙権もない高校生だった1962(S37年)の参院選に、当時NHKの人気番組だった「私の秘密」のレギュラー解答者だった藤原あきが保守陣営から出馬、全国区で100万を越える票を集めたことだ。それから6年後の68(S43)年には、石原慎太郎が同じく参院選の全国区で300万票という未曾有の記録で政界へと転身し、以後、著名文化人・芸能人の転身は猫も杓子もといった様相を呈しており、一国民としてせっかく得た投票の権利行使もなにやら薄っぺらな痛痒の乏しい行為としか感じられないままにうち過ぎてきたものだ。
藤原あきは藤原歌劇団を主宰した藤原義江の元夫人でもあった。この頃は高度成長期へと移行しはじめた頃で、これをもってタレント議員のはしりと私の脳裏に刻み込まれてきたのだが、この機会にちょっと調べてみると、戦後だけでも、いちはやく1946(S21)年4月の衆院選で、ノンキ節で一世を風靡した石田一松が東京1区で自ら名のりを挙げ当選している。この選挙は女性の国政参加が初めて認められ、全国で多くの女性が立候補し、39名の当選を果たしたことで知られる戦後初の国政選挙だった。

近頃ではテレビ報道のワイドショー化全盛で、政治家たちのタレント化という逆現象も目立っている。政治的モティーフを話題に喧々囂々議論するのをバラエティー化した番組も盛んだ。政治家とタレントは職能という意味ではまるで異質なものの筈だが、「世に出る」という点では相通じており、一旦ある職能で知名度を得れば転身も容易いのは当然とはいえ、これまでのところ既存政党に取り込まれ利用されるだけのレベルに終始するようなら、政治の変革など思いもよらず、むしろその低次元化、低俗化に手を貸すだけだろう。なにしろ「美しい国へ」などと訳のわからぬ呪文にも似たスローガンを曰う宰相が君臨するこの国である。どうせなら、世の著名タレントたちが国政を担う衆参議員たちの大半を一挙に占めるまでに雪崩をうって転身してみれば、この国のカタチもいま少しましなものになるかもしれぬし、却って「国家の品格」とやらも回生の道すじが描けるやもしれない。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-44>
 初雪の降らばと言ひし人は来でむなしく晴るる夕暮の空  慈円

新拾遺集、冬、建保四(1216)年、百首の歌に。
邦雄曰く、作者61歳の百首詠の冬歌であるが、恋歌の趣も薄からず。総じて雪は径を閉じ、訪れる人も絶え、知人も肉親も愛人も音信不通となり、それを嘆き侘びるというパターンが頻出する。この歌の見どころは下句、殊に第四句の「むなしく晴るる」の皮肉な味、それも「夕暮の空」であることの、沈鬱な詠嘆の効果であろう。慈円ならではの手法、と。

 白雪の降りて積れる山里は住む人さへや思ひ消ゆらむ  壬生忠岑

古今集、冬、寛平御時、后の宮の歌合の歌。
邦雄曰く、里人もさぞ気が滅入ることであろう、心細いに違いないと推量する。「思ひ消ゆ」とはゆかしい言葉であり、当然「白雪」の縁語として、際やかに働いている。古今・冬に忠岑は続いて2首採られ、これに先立つのが「みよしのの山の白雪ふみわけて入りにし人の訪れもせぬ」。歌枕の吉野は花や月もさることながら、雪は一入あはれを誘うものだ、と。

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January 19, 2007

見し秋の尾花の波に越えてけり‥‥

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-表象の森- 酔いの二重奏

昨夜は久しぶりに浄瑠璃世界を堪能。
文楽の初春公演、そのチケットを2枚、知人の厚志にあずかり頂戴したので、夕刻より日本橋の国立文楽劇場へと出向いたわけだ。
友人のT君を誘ったのだが、初老男性ふたりが連れ合って、劇場の客席に身体を沈め、たっぷりと4時間、語りに人形に、聞き入り見入りしている図は、余所目には些か奇異なものに映ったかもしれない。
映画であれ芝居であれ、大抵ひとりで、連れがあるとすれば妻か或いは特段の理由などあって別の異性と出かけることはあっても、むくつけき男同士でお行儀よく隣に座りあって鑑賞するなど、とんと私には憶えがない趣向で、昨夜の文楽鑑賞は、その意味でも特筆に値するひとときだったといえそうだ。

中日を過ぎて昼夜入替となった演目は、チラシの第1部のもの。
「花競四季寿-はなくらべしきのことぶき」はいかにも新春に相応しい趣向の演目。
万歳・海女・閑寺小町・鷺娘とそれぞれのエッセンスを初春・夏・秋・冬の景として並べた、いわゆる新作物だろう。太夫も三味線も人形の遣い手も賑々しく打ち揃って舞台をつとめた。
中狂言の「御所桜堀川夜討-ごしょざくらほりかわようち」の「弁慶上使の段」は、
「菅原伝授手習鑑」の松王や、「一谷嫩軍記」の「熊谷陣屋の段」のように、いわゆる身代わり物だが、今の世ならアナクロとしか言い得ぬ残酷な物語展開、その荒唐無稽さに驚くが、弁慶登場から務めた竹本伊逹太夫の語りが、口跡に難はあるものの、綿々と情を盡して見事に客席を引き込んだ。出だしの抑揚を抑え過ぎたかともみえた語り振りに、こんなに陰々滅々と長くやられてはとても堪らないなと抱いた厭な予感もなんのその、弁慶の荒武者振りと重なるように矢継ぎばやに急展開していく場面の数々、そして一気呵成に愁嘆場へと、まったく破綻なく、些か大袈裟にいえば充分に酔い痴れさせていただいた。
口跡の解り難さについては、近頃は舞台上の一文字幕にその都度字幕が映し出されているから、それがしっかりとフォローしてくれて問題はない。字幕を採用した所為で鑑賞する側は、太夫の語りに、三味線の音に、人形の振りにと、初見でもどっぷりと浸りきってゆける。
切狂言は「壷坂観音霊験記-つぼさかかんのんれいげんき」、お馴染みお里沢市の世話物的霊験譚。。
人間国宝の竹本住太夫が聞かせどころのお里のクドキの場面を語ってファンを満足させる。私にすれば少ない出番で些か不満だったが‥。
人形遣いでは吉田玉男を昨年9月に亡くして寂しくなったが、それでも吉田簑助と吉田文雀、なお二人の人間国宝を擁している。ところが今宵の演目で簑助の遣い振りを観られず、いかにも残念。次にお目に掛かれるとすれば、はていつのことになるやら‥。

国の助成で文楽にも技芸員研修生制度ができてすでに30有余年。太夫に三味線に人形にと計40名が巣立って現在活躍しているといい、その人たちが全体の半数近くを占めるほどになっているともいう。
若手・中堅の層が厚くなって文楽の行く末に翳りを払拭できたのはまことに結構なことではあるが、観客層の薄さと相俟っていかにも上演機会の少ないのが悩みの種だろう。技芸員たちの日頃の研鑽も多くの舞台を積み重ねてこそ磨きがかかるというもの。文楽を担う技芸員たちの量における趨勢は悦ばしいとしても、現況では質の止揚になかなか届きえないだろう。
門外漢ながら、伝統芸能から現代様式のものまで数ある語り芸のなかで、浄瑠璃語りをもっとも高度に昇華したものと見る私などの眼からすれば、人形浄瑠璃という世界は、太夫にせよ三味線にせよ人形遣いにせよ、それぞれの芸においてそれが達意の芸にまで実りゆくには、いかにも細くて長い、果てしのない道程のような気がするのだ。

観終えて、こんどは居酒屋で向き合って談論すること2時間あまり、遙か遠く高校時代以来の文楽鑑賞となったT君の心身に満ちた深い余韻が私にもよく響き、酒も進んで二重の酔い気分、久しぶりに重しのある意義深い一夜となった。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-43>
 玉の緒のみだれたるかと見えつるは袂にかかる霰なりけり  道命

道命阿闍梨集、或所に歌合するに、千鳥。
邦雄曰く、玉散るはすなわち「魂散る」の意であることは、古歌に明らかだが、命である玉が緒に貫かれて、その緒の切れることによって散乱する幻想は珍しかろう。降り紛う霰をそれと見た作者の心眼は奇特といえよう。結句の「なりけり」は自らに言い聞かせ、納得する感あり、今日の眼にはうるさい。第三句も同様だが、これも一つの体であった、と。

 見し秋の尾花の波に越えてけり真野の入江の雪のあけぼの  惟宗光吉

惟宗光吉集、冬、左兵衛督直義卿日吉社奉納歌に、雪中望。
邦雄曰く、金葉・俊頼の「鶉鳴く真野の入江の浜風に尾花波寄る秋の夕暮」を模糊たる借景として、雪景色の幻を鮮やかに描き出した。本歌の風景を初句「見し秋の」一語につづめたあたり、思わず息を呑む感。「越えてけり」の感慨はいかにも14世紀的な嫌いもあるが、調べの上では悪くない。作者は医家、第十六代集続後拾遺の和歌所寄人を勤めている、と。

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January 17, 2007

ぬばたまの黒髪濡れて泡雪の‥‥

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-表象の森- くるみ座の解散

劇団くるみ座が今年の3月でとうとう解散するという。
創立者の毛利菊枝が’01(H13)年に逝ってなお辛うじて命脈を保ってきたものの刀折れ矢尽きたもののようだ。
毛利菊枝といえば、昭和20年代、30年代、邦画界にあっては存在感ある脇役として欠かせぬ女優で、とりわけ東映時代劇華やかなりし頃の、老婆役となれば決まって登場する彼女の小躯に似合わず野太いよく透った声が、子ども心に強烈に印象づけられたものだ。
毛利菊枝(1903-2001)は戦前の築地座にも所属し、岸田国士に師事していたというから、山本安英(1906-1993)や杉村春子(1906-1997)と同世代で、新劇の草分け的大女優だ。美術史家であった夫の京大赴任に伴って京都へと移ってきた彼女は、学者や劇作家たちの勧めもあってすぐにも毛利菊枝演劇研究所を発足させている。
これが後にくるみ座となるのだが、1946(S21)年というから戦後の混乱期に生れ、小なりとはいえ関西にあって、田中千禾夫ら劇作派の作品上演などセリフを重視した芝居づくりや、周辺に山崎正和や人見嘉久彦・徳丸勝博などの劇作家を輩出させるなど、独特の矜持をもって戦後の新劇界にその存在を誇示してきた劇団で、現在では文学座、俳優座に次ぐ古参となる。
映画界では個性的な脇役として重宝された北村英三も創立当初から毛利菊枝に師事、後に演出家としても手腕を発揮するようになる30年代、40年代のくるみ座は、毛利菊枝自身が主演する作品や、ギリシア悲劇の連続上演などで、格調ある舞台づくりを誇っていた。
たしか大阪芸術大学の演劇科創設当初は北村英三が主任教授として迎えられたのではなかったか。

大女優・毛利菊枝とはついに直々の御目文字を得なかった、いや正確に言えば遙かな昔、此方が弱冠19歳の時に唯一その機会があったのだが、好事魔多し、惜しくもすれちがってしまい機を逸したまま以後縁がなかったのだが、北村英三さんとは神澤の縁で幾度かご一緒したことがある。
舞台ではあの濁声を独特の抑揚にのせて客席を圧する彼も、素顔は心優しい好々爺そのもので、ひとたび酒が入れば些か絡み癖ながらも愉しい御仁であった。
同じ京大の国文科同士、たしか神澤より7、8歳年長の北村英三さんがいつ逝かれたのだったか、記憶をたどるもどうにも思い出せない。敬愛する師毛利菊枝より先んじて逝かれたのは確かだが、相愛の師弟のあいだで、先立つ者と遺される者との逆縁に、ともに去来したであろう想いはどんなものであったろう。
Netを探りたどってやっと判ったが、北村英三さんの没年は1997(H9)年とあった。1922(T11)年生れだから享年75歳。晩年は引退して静かに余生を送っていたという毛利菊枝は4年後の’01(H13)年に静岡の病院で亡くなっている。享年97歳という長寿は女優としての弛まぬ鍛錬と節制の賜だろう。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-42>
 忘れずよその神山の山藍の袖にみだれし曙の雪  飛鳥井雅有

隣女和歌集、四、冬。
1241年(仁治2)-1301(正安3)年、蹴鞠の家として名高い飛鳥井家の嫡流、正二位。定家の二男為家に古今集・源氏物語を学ぶ。家集「隣女集」は2600余首を数え、続古今集初出、勅撰入集は72首。
邦雄曰く、作者が賀茂の臨時祭の舞人を勤めた時、あたかも雪の降ったことを思い出しての歌という詞書がある。新古今・神祇の俊成「月冴ゆる御手洗川に影見えて氷にすれる山藍の袖」を本歌としたのであろう。俊成は氷、雅有は雪、この歌の冷え冷えと華やぐ感じもまたひとつの味である。新古今歌人、蹴鞠の名手雅経の孫。源氏物語の研究家でもある、と。

 ぬばたまの黒髪濡れて泡雪の降るにや来ます幾許恋ふれば  作者未詳

万葉集、巻十六、由縁ある雑歌。
幾許(ここだ)-こんなに多く、こんなに激しく、の意。
邦雄曰く、公務を帯びて旅立った新婚の夫は年を重ね、新妻は病の床に臥した。やっと帰還した夫を迎えて妻はこう歌った。息せき切ってたどりついた若い夫の髪が雪に飾られ、額は雫し、眸は燃えている。感動的な一場面が初々しい修辞の間から浮かび上がる。夫の歌は「かくのみにありけるものを猪名川の沖を深めてわが思へりける」とあり、遙かに響きが低い、と。

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January 14, 2007

道にあひて咲まししからに降る雪の‥‥

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-表象の森- 脳と記憶のしくみ

年が明けて今日まで、図書館からの借本はまだない。

-今月の購入本-
「Newton 2月号/2007」ニュートンプレス
「Newton」2月号は脳科学の最前線から「脳のニューロンと記憶のしくみ」の特集に惹かれて。

船橋洋一「ザ・ペニンシュラ・クェスチョン」朝日新聞社
朝鮮半島第二次核危機と副題された「ザ・ペニンシュラ・クェスチョン」は外交・国際ジャーナリスト船橋洋一のノンフィクションリポート。02年の小泉訪朝から六者協議の内幕、北朝鮮をめぐる日米韓中ロの外交駆引きの裏舞台が活写される大部の著。

熊野純彦「西洋哲学史-古代から中世へ」岩波新書
々 「西洋哲学史-近代から現代へ」 々
「読んでおもしろい哲学入門書」と評判の岩波新書「西洋哲学史」は柔らかな叙述のなかに先人たちの魅力的な原テクストを散りばめつつ書き継がれる、廣末渉をして「お前は詐欺師だよ」と言わしめた熊野純彦の著。

M.フーコー「フーコー・コレクション-フーコー・ガイドブック」ちくま学芸文庫
フーコー・コレクションシリーズの番外編「フーコー・ガイドブック」は主要著書の解説と11編の講義要旨と詳細な年譜を収録している。

シェイクスピア/安西徹雄訳「リア王」光文社文庫
古典新訳シリーズ光文社文庫版「リア王」の翻訳者安西徹雄は、演劇集団「円」の演出家でもあり、実践家の眼が生きた新訳。

V.ナボコフ/若島正「ロリータ」新潮文庫
若島正による新訳「ロリータ」も一部の評者には06年の収穫として高い評価を受けている。

清岡卓行「アカシアの大連」講談社文芸文庫
昨年6月、鬼籍の人となった詩人清岡卓行の小説「アカシアの大連」、この文庫版には初期の「朝の悲しみ」「アカシアの大連」と「初冬の大連」他3つの短編からなる「大連小景集」が収録されている。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-41>
 契りてし今宵過せるわれならでなど消えかへる今朝の泡雪  藤原伊尹

一条摂政御集、おはせむとての夜、さもあらねば、翌朝、おとど。
邦雄曰く、あるいは今宵を共にと期待していた人と、ついに逢わずに明けたその翌朝、ほろ苦い思いを噛みしめて歌を贈った。泡雪に類えた相手は当意即妙に、「降る雪はとけずや凍る寒ければ爪木伐るよと言ひにしものを」と返歌する。謙徳公は絶世の美男、風流人で殊に色を好み、太政大臣になった翌年、48歳で世を去った。勅撰入集歌38首、と。

 道にあひて咲(エ)まししからに降る雪の消ぬがに恋ふとふ吾妹  聖武天皇

万葉集、巻四、相聞、酒人女王を思ひます御製歌一首。
邦雄曰く、穂積皇子の孫、酒人女王の、愛の告白を反芻しつつ、莞爾として、思はず高らかに歌った趣、読む者もまた微笑を誘われる。天皇が行きずりに笑みかけただけなのに、消え入るほどに恥じらい、夢うつつの風情、可愛さに「吾妹!」と呼びかけて、面影に手をさしのべたいと、一首の後にも言葉の溢れる感がある。相聞中でも出色の一首である、と。

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January 11, 2007

聞きわびぬ紅葉をさそふ音よりも‥‥

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-表象の森- 北斎の「べろ藍」

晩年の「富嶽三十六景」などで大胆なほどに多用された北斎の藍刷り。
通称「べろ藍」と呼ばれたその深みのある藍色の顔料は「プルシャンブルー」といい、そもそもはドイツで生まれたそうな。
「べろ藍」の「べろ」はどうやらベルリンの訛ったものらしい。「プルシャン」はプロシアからきている。
この顔料がドイツで生まれたのが1704年頃とされ、1世紀余を経て日本にも長崎を通して輸入されてくるようになる。
この新しい「青」をいちはやく、しかも斬新なまでに大胆に採り入れたのが北斎であり、「東海道五十三次」の安藤広重らの浮世絵だ。
時に1867(慶応3)年のパリ万博では、彼らの浮世絵が100枚ほども展示され、ヨーロッパにおけるジャポニスムブームは一気に過熱する。
ドイツで生まれた「べろ藍」が、ジャパンブルーやヒロシゲブルーと呼ばれ逆輸出、以後、日本の青として広く海外に知られ定着していった訳だ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-40>
 聞きわびぬ紅葉をさそふ音よりも霙ふきおろす嶺のこがらし  飛鳥井雅世

雅世御集、永享9(1437)年6月、春日社百首続歌、霙。
邦雄曰く、散紅葉をふきおろす風はすでに過去のものであるが、一首の全面にその色と、なお微妙枯淡な葉擦れの音を感じさせ、しかも現実には、冷ややかな霙の粒を凄まじく吹きつける、山頂からの木枯し、技巧を盡した一首の二重構成は、さすが名手、雅経七世の孫と頷くふしも多々ある。新続古今集すなわち最後の勅撰集選者。15世紀中葉62歳で他界、と。

 夜もすがら冴えつる床のあやしさにいつしか見れば嶺の白雪  越前

千五百番歌合、九百二十三番、冬二。
邦雄曰く、新古今集に7首初出の、後鳥羽院歌壇の作者であるが、詠風には宮内卿や俊成女のような鮮麗な色彩はなく、おとなしく優雅だ。第三句「あやしさに」までの緩徐調、まさに王朝女人の動きを見る感あり。第四句も同じく歯痒いほどの反応。番は二条院讃岐の「うちはへて冬はさばかり長き夜をなほ残りける有明の月」で季経判は越前負。持が妥当、と。

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January 09, 2007

月冴ゆる御手洗川に影見えて‥‥

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-表象の森- 縹(ハナダ)の色

歌詠みの世界として紹介している塚本邦雄選の「清唱千首」では、採られた歌にもまた解説にもよく縹(ハナダ)という言葉が出てくる。
古くから知られた藍染めの色名のことだが、藍色よりも薄く、浅葱色より濃い色とされ、「花田」とも表記され、「花色」とも呼ばれる。
「日本書紀」にはすでに、「深縹」、「浅縹」の服色名が見られ、時代が下って「延喜式」では、藍と黄蘗で染められる「藍」に対して、藍だけで染めるのが「縹」と区別され、さらに藍は深・中・浅の3段階、縹は深・中・次・浅の4段階に分けられているそうだ。

この縹と類似の色で「納戸色」というのもある。こちらはぐんと時代も下って江戸時代に使われるようになった色名だが、わずかに緑味のあるくすんだ青色をいう。色名の由来は、納戸部屋の薄暗い様子からとか、或いは御納戸方-大名各藩などで納戸の調度品の出納を担当した武士の役職-の服の色や、納戸に引かれた幕の色などと、諸説あるようだ。関連の色も多く、「藤納戸」、「桔梗納戸」、「鉄納戸」、「納戸鼠」、「藍納戸」、「錆納戸」などと多岐にわたってくる。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-39>
 かたしきの十符(トフ)の管薦さえわびて霜こそむすべ結女はむすばず  宗良親王

李花集、冬。
邦雄曰く、編目十筋を数える菅の筵は陸奥の名産であった。これは親王が信濃に在った折、人に北国の寒さを問われて詠じたとの詞書あり。結ぶのは霜ばかり、都の夢も見ることもないとの返事である。良経の千五百番歌合・冬三に「嵐吹く空に乱るる雪の夜に氷ぞ結ぶ夢は結ばず」あり、密かな本歌取りと見てもよかろうか。肺腑に沁みとおる調べである、と。

 月冴ゆる御手洗川に影見えて氷にすれる山藍の袖  藤原俊成

新古今集、神祇、文治六(1190)年、女御入内の屏風に、臨時の祭かける所を。
邦雄曰く、俊成76歳の正月11日、後鳥羽院中宮任子入内の屏風歌。臨時祭は11月下酉の賀茂の祭。神事に着る小忌衣の袖は白地に春鳥・春草を藍で摺染にする。寒月と川と神官の衣の袖の藍の匂い。殊に水に映じているところを歌った趣向は、絵にも描けぬ美しさであろう。俊成独特の懇ろな文体が、寒冷の気によって一瞬に浄化されたか。

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January 07, 2007

霜の上に霰たばしるいや増しに‥‥

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-世間虚仮- 冬の嵐

「冬の嵐」だそうな。
太平洋側を北上している低気圧と日本海を北上している低気圧が北海道付近でひとつに合流、台風なみの低気圧に発達するという。

大阪でも昨夜半から間断なく強風が吹きすさぶ。夜中、配達のバイクを走らせていると突風に煽られハンドルを取られそうになるほどだ。南港へと渡る運河の橋上では横なぐりの激しい風に思わず倒れそうになった。このぶんでは自転車の場合などとても堪らないだろうと、他人事ながら心配される。これで雨混じりだと泣くに泣けない始末と相成るのだが、雨や吹雪に見舞われている地方には申し訳ないけれど、その点は不幸中の幸いだった。
それにしても先日の爆弾低気圧といい、この冬の嵐といい、暖冬異変のさなかで激しくも荒れ模様の天候つづきには、すわ異常気象かとざわめきたつのも無理はない。

そういえば、近年、「冬の嵐」が頻発しているヨーロッパでは、この気象異変と二酸化炭素の大量放出による地球温暖化との相関が伝えられている。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-38>
 吹くからに身にぞ沁みける君はさはわれをや秋の木枯しの風  順徳院

続拾遺集、恋四、題知らず。
邦雄曰く、秋に「飽き」の見飽いたような懸詞ながら、四季歌のさやかな調べのなかにちらりと紅涙のにじむのを見るような歌の姿が、退屈な新勅撰集恋歌群の中では十分味わうに値しよう。一首前に宮内卿の「問へかしなしぐるる袖の色に出でて人の心の秋になる身を」があり、これも面白いが、二首並べると殺しあう感あり。第四句の危うい息遣い救いあり、と。

 霜の上に霰たばしるいや増しに吾は参来む年の緒長く  大伴千室

万葉集、巻二十、少納言大伴宿禰家持の宅に賀き集ひて宴飲する歌三首。
邦雄曰く、天平勝宝6(754)年正月4日、大伴氏の郎党が年賀の挨拶に参集して、かたみに忠勤を競っている、その気息が伝わってくる。橘氏との拮抗・摩擦烈しく、ともすれば劣勢に傾こうとしていた時勢ゆえに、このような述志も、どことなく悲愴味が加わる。第一・二句の凜冽肌を引緊める天候描写こそは、おのづから大伴氏一人一人の胸中でもあったろう、と。

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January 05, 2007

葦辺行く鴨の羽がひに霜降りて‥‥

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-表象の森- 和を継ぐものたち

日本に固有のさまざまの伝統芸能にあるいは工芸の世界に生きる人々、
小松成美「和を継ぐものたち」小学館には22人の伝承の芸に日々研鑽する各界の人たちが登場する。
棋士、津軽三味線、篠笛、弓馬術、和蝋燭、薩摩琵琶、狂言、能楽、漆工芸、釜師、香道、落語、扇職人、文楽の人形方、尺八、鵜匠、刀匠、木偶職人、書道、纏職人、筆職人、簪職人と、世代は20代から60代にまたがり、若手から中堅・ベテランが22名登場するが、それぞれの一筋の道を貫く姿勢には軽重もなければ遜色もない。
舞台の表現世界に久しく関わってきた私などには、想像の埒外にある見知らぬ世界、和蝋燭や茶の釜師、からくり人形の木偶職人や火消しの纏職人らの語るところに、大いに興も湧き惹かれるものがあった。
たとえば、からくり人形師の玉屋庄兵衛は江戸の享保時代から300年近く続く名跡であり、その伝統の技を今に伝えているという点では現・庄兵衛氏は世界にただ一人のからくり人形師ということになる。
当時隆盛を極めたそのからくり人形が、御三家筆頭の尾張藩をメッカとし、国内需要の9割方も尾張地方で作られていたというから驚かされる。木曽のヒノキや美濃のカシ、カリンなど、人形の素材たる木材の集積地だった所為もあるのだろうが、代々受け継いできた門外不出の技の占有ぶりをも物語ってあまりある。
ともあれ本書は、この国のさまざまな伝統技芸の世界に、その職人たちの生の言葉を通して触れえるのがすこぶる愉しい。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-37>
 雲凍るこずゑの空の夕月夜嵐にみがく影もさむけし  光厳院

光厳院御集、冬。
邦雄曰く、初句「雲凍る」、第三句「嵐にみがく」、いずれも冴えた強勢表現で、寒夜の凄まじい風景を活写している。墨絵の樹々が、逆立つ髪さながらのこずゑを振り乱すさまが下句に盡されている。「散りまよふ木の葉にもろき音よりも枯木吹きとほす風ぞさびしき」が一聯中に見え、同工異曲ながら、いずれも結句の直接表現が、余韻を失わぬ点を買おう、と。

 葦辺行く鴨の羽がひに霜降りて寒き夕べは大和し思ほゆ  志貴皇子

万葉集、巻一、雑歌、慶運三(706)年丙午、難波の宮に幸しし時。
邦雄曰く、難波の葦は万葉の頃すでに聞こえていた。天智天皇の皇子志貴皇子の作は万葉集に6首のみだが、「采女の袖吹きかへす明日香風都を遠みいたづらに吹く」等、いづれも冴えた調べだ。この歌「葦辺行 鴨之羽我比尓 霜零而 寒暮夕 倭之所念」と書くと、さらに情景も真理も際やかになってくる。行幸は九月二十五日から十月十二日までと伝える、と。

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January 03, 2007

志賀の浦梢にかよふ松風は‥‥

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-世間虚仮- 成長のリズム

子どもの成長のリズムというものは個体差のはげしいものではある。
幼児から子ども(児童)へ、10月で満5歳となったわが家の幼な児のこの頃は、その過渡期の真っ只中にあるらしい。そこでは親と子の交わりようもどんどんその姿を変えてくるものだ。

昨日は、正月早々体調を崩したらしい連れ合いに代わって、幼な児のお相手となった。
さてどうしたものかと思案の末、天満の天神さんへと出かけてみた。
「外の見える電車に乗りたい」という幼な児の望みに応えて、環状線で弁天町から天満へと、わざわざ天王寺経由で遠廻りしたら、さすがに堪能した様子。
初詣に天満宮へは何度かあるはずだが、南北2.6キロ、日本一という天神橋筋商店街を長々と歩いて参詣するのは、大阪人のくせに恥ずかしながらこの年になって初体験。
人が溢れ、にぎわう雑踏、食事処やパチンコやゲームセンターなど店々も満員盛況のありさまで、なにやら昔懐かしい光景をみるような想いにとらわれる。
昨秋オープン以来、満員御礼がつづくという天満天神繁盛亭もとても寄席小屋とは思えぬ偉容で、正月気分の晴れやかさに花を添えている。
満5歳の幼な児と二人、手をつないでの道行きは4時間ほどに及んだが、彼女にとってもなかなか味わえぬ世界、記憶の隅に刻み込まれる経験ではあったろう。

一夜明けて、連れ合いも幾分か体調を戻したとみえ、今度は三人揃っての住吉さん参りと相成る。
例によって、二人で引いたお神籤はともに中吉、有り難くもないが障りもなし。
歌は小侍従の
「住吉とあとたれそめしそのかみに月やかはらぬ今宵なるらむ」
帰路、母と子は、近所の商店街に立ち寄り、カイトを買って、いつも遊ぶ公園の横のグランドで、凧揚げに興じていた。糸元を握って懸命に走る幼な児は、すぐに旋回するように走るから、凧糸は緩んでしまってせっかく揚がりかけた凧も揚がりきらないまま墜ちてしまう。何度やっても同じ失敗を繰り返していたようだったが、まだ無理もない年ごろか。

この凧揚げひとつ、独りでできるようになる頃は、もう完全に幼児卒業ということになろうが、幼児から子ども(児童)の世界への成長変化は、幼児段階では個別不均等に発達していた運動能力や知的能力、感情の豊かさなどのそれぞれの要素が、それなりに統合されてくること、予見とコントロールを有するようになることなのだろう。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-36>
 乱れつつ絶えなば悲し冬の夜のわがひとり寝る玉の緒弱み  曽根好忠

好忠集、毎月集、冬、十月下。
邦雄曰く、思い乱れて、そのまま絶え入ってしまうなら無念なことだと、冬夜の独り寝の、忍辱の苦しさを吐露する。連用形であたかも絶句したように一首が終わるのも、手の込んだ技法のうちであろう。「寒からで寝ざめずしあらば冬の夜のわが待つ人は来ずはそをなど」が一首前に置かれる。来てくれない、それをどうして咎めようかと、女人転身の詠唱、と。

 志賀の浦梢にかよふ松風は氷に残るさざなみの声  藤原良経

秋篠月清集、一、二夜百首、氷五首。
邦雄曰く、寒中の松風を凍るさざなみの声と隠喩で、きっぱりと表現したこの技法、まさに詩魂の生む調べであろう。「松風は」と、ためらいもなく指し示す上句も、良経の潔さであった。この歌、作者21歳12月中旬の秀作。速詠にもかかわらず、律呂乱れず秀作に富む。「大井川瀬々の岩波音絶えて井堰の水に風凍るなり」も氷の題の中の出色の作、と。

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January 02, 2007

降り晴るる朝けの空はのどかにて‥‥

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-四方のたより- 新年のごあいさつ

十干十二支ひとめぐりして吾は三歳の幼な児なりき

  恙なく新しい年を迎えられたでしょうか
  本年もご高配のほど宜しくお願い致します

「貧困の世襲化」
毎日新聞12月29日付「記者の目」欄
「06年に一言」連載にあった見出し語
我が意を得たり、と膝叩く思いがした
政治家たちと高級官僚たちによる、この国の舵取りは
洪水神話の方舟のごとく、いたずらに明日なき漂流をするか

 ぼくらが、ぼくら自身の表象世界において
 何十年もこのかたずっと、そして此の後もずっと
 明日をも見えぬ漂流を、ただひたすら続けてゆくのとは
 訳が違うだろう、というものだ

凝れば妙あり、といい
また、凝っては思案に能はず、という
されば、思案の外に、妙を温ねむか

    平成19(2007)年 丁亥元旦    四方館亭主


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-35>
 山川の氷も薄き水の面にむらむらつもる今朝の初雪  順徳院

続拾遺集、冬、百首の歌よませ給うけるに。
邦雄曰く、単に川に張った氷の表面に降る雪ではなくて、結氷しつつある危うく怪しい薄氷の上に、溶けつつ降り積もる雪。「むらむらつもる」は、むら消えしつつ積る感だ。「初雪」であることも生きてくる。家集、紫禁和歌草では二百首歌の中に見え、満19歳の製作と覚しい。後鳥羽院に勝るとも劣らぬ早熟の天才であることは、この作にも明白である、と。

 降り晴るる朝けの空はのどかにて日影に落つる木々の白雪  覚誉法親王

風雅集、冬、朝雪を。
邦雄曰く、まことに克明で周到な描写、殊に上句は危うくくだくだしくなる寸前まで来ている。「降り晴る」とは、一時降って後ただちに晴れ上がることである。この一首、第四句「日影に落つる」で、わずからゆるんで梢の雪が、ひととき光りつつ崩れ落ちるさまが浮かんでくる。作者は花園帝第2皇子、聖護院門跡、風雅集入選5首、勅撰入集は計29首、と。

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