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November 20, 2006

おほかたの秋のあはれを思ひやれ‥‥

Kanonmichi

-四方のたより- 行き交う人びと-「かんのんみち」の茶谷祐三子

17年ぶりに相対した彼女は、嘗て私の知る面影とはまるで異なり、別人格の趣さえあった。
一昨日(11/18)、土曜の午後、谷町4丁目近くの山本能楽堂へと、インド舞踊や巫女舞をする茶谷祐三子が踊る「かんのんみち」を観るべく出かけた。

1989(S64)年6月4日の天安門事件、その2週間前の5月19日から24日、われわれ一行は上海・瀋陽・北京を巡っていた。一行とは瀋陽(満州時代の奉天)で開催中の中国評劇交流祭に現代舞踊の公演をするため組織した12名の訪中団である。民主化を求めて天安門前広場へ集結するデモ隊は日毎にその数を膨らませ、北京の学生たちばかりではなく中国各地からの学生や労働者たちで連日100万を越える人びとで溢れかえっていたが、5月20日戒厳令が布告され緊張は一気に高まり、旅行者たちは北京市内に入れなくなった。
われわれ一行が瀋陽での公演を無事済ませ、空路北京へと移動したのが23日。市内に入れぬわれわれは仕方なくその日は万里の長城へと観光に、翌日も些か時間をもてあまし気味に頤和園などを拝観して帰国の途に着くのだが、一行のなかで一人、戒厳令下の北京に残ったのが茶谷祐三子だった。

彼女が私の前に登場したのは、ということは稽古場に通ってくるようになったのはという意味だが、その数ヶ月前だったろう。中国公演のメンバーに加わったのは、この機会を捉えて心中秘かに期するものがあったのだろう。大学を出て数年、会社勤めではどうやら人間関係に適応しかね挫折したらしく、当時すでに27歳になっていたという彼女は、自身を没入すべき対象を求めながらも長く混迷の淵に彷徨っていたように見受けられた。尋ねれど、探せど、見つからない、出口なしの状況に、心は傷みすでに病みつつあったとも見えた。
その彼女がひとり、十日後にはあの人民解放軍によるデモ隊大量殺戮の流血、天安門事件となる北京に残り、彼女にすれば必死の、不退転の、放浪の旅へと立っていったのだった。

西へ西へと歩いたであろう彼女が、インドへ辿り着いたのがいつ頃であったかは、詳しくは知らない。旅路の果てはインド舞踊の師の許であった。いや本来の旅のはじまりというべきか、その師に内弟子として受け容れられた時より、彼女の探し求めていた没入の対象を得て、師資相伝の舞踊修業がはじまったのだろうから。
以来十数年、すでに師は此の世の人ではないと聞く。インドで知り合ったスイス人と結婚し、彼とスイスで数年を過ごしたものの、言葉の壁も厚い遠く異郷の地の暮しのなかで、彼女の舞踊の道は閉ざされ気味にあったのだろう。彼女はその道行きの新天地を自身の故郷へと求め、3年ほど前に日本へ帰ってきたらしい。彼女の生きざまに理解のある彼は、互いに遠く離れた暮しを受け容れ、時折往き来しあっているとも聞く。

今回の山本能楽堂での公演は、彼女自身の初めての創造作業だという。帰国後の彼女の活動は、どこで習得したかはしらないが、巫女舞をおちこちの神社で奉納舞として演じたり、インド舞踊を伝統音楽や民族音楽系の演奏者たちと組んで各地でイベント企画し披露するといった形でひろげてきているようだ。
舞台は、舞ひとりに演奏者4人。古層を伝える薩摩琵琶や尺八、さらにはvoiceも使う井上大輔、アイリッシュハープ奏者のみつゆきなる人、アボリジニに伝わるディジュリドゥなど民俗楽器奏者の榊原MARI大司、それに和太鼓の長田正雄でなる。
文字どおり起承転結の4場構成、各場で衣装を替え、舞いの様式も変えているが、なんといっても第2場のインド舞踊を踏まえた踊りが佳い。はじめに記したように、私の知る17年前の彼女とはまったく別人格の踊り手と見まがうほどに、所作も表情も達意の芸となっていた。巫女舞に漂う精神世界を讃える向きもあろけれど、これは私の関心領域にあらず評価対象外としておきたい。
惜しむらくは、和太鼓の音世界と他の3者のそれとの競演が、交叉することなくどこまでも異質のままに終ったということ。和太鼓固有の伝承奏法そのままにこれを駆使されてはコラボレートに成り得ないのは、私などには自明の理であろうと思われるのだが、なぜ他の競演者たちはこれを許してしまったか、どうにも腑に落ちない。
さらに苦言を呈すれば、全体で1時間半余という所要時間の長さだ。時間はその密度と相関するが、和太鼓の異和がつきまとうコラボレートの失敗は、時間の流れをただ冗漫なものにしてしまったというしかない。このあたり誰が構成者としての視点を担うにせよ、今後の大きな課題となるだろう。

ともあれ、ひとりの舞踊家とこのようにして邂逅できたことはなかなかにないことで、まこと悦ばしいかぎりではある。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-96>
 散りくもる峰の木の葉の風の上に月はしぐれぬ有明の山  冷泉為相

藤谷和歌集、冬、月前落葉といふこと。
邦雄曰く、各句に尋常ならぬ技巧の端々がみえて、一読するにも心構えが要る。「散りくもる」、「月はしぐれぬ」など、うつかり読み過しそうなところが、実は要になっている。しかも、「月」は「風の上に」と、身をかわすような妙趣を見せるから油断は禁物。ただあまり凝った修辞を煩わしいとする人もあろうか。異腹の長兄の為氏とは41歳の差あり、と。

 おほかたの秋のあはれを思ひやれ月に心はあくがれぬとも  紫式部

千載集、秋上、題知らず。
邦雄曰く、あはれは月のみならずと、わが心に聞かす語勢、切々たるものあり。佳作に乏しいこの閨秀作家の貴重な一首。紫式部集では詞書「また同じ筋、九月、月明き夜」が添えられ、新古今入選の「入る方はさやかなりける月影をうはの空にも待ちし宵かな」と関わりのあることが判る。月は男にとっての新しい愛人、秋は即「飽き」との懸詞であろうか、と。

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November 18, 2006

忘れじな難波の秋の夜半の空‥‥

Sekainosyuuen

-表象の森- 文明崩壊は避けられぬか

ジョエル・レヴィ著「世界の終焉へのいくつものシナリオ」を読んだ。
人類の高度文明による生態系や気候変動などさまざまな異変・破壊から、津波や海面上昇などの風水害や超火山の爆発まで、現在考えられ得るカタストロフィについて、よく個別具体的、網羅的に丁寧に説かれ、読む者にその危機の全体像を結んでくれるという意味で良書といえよう。

天文学者の海部宣男は10/1付毎日新聞の書評で、「本書がこれまでの類書と異なるのは、文明活動による危機だけでなく、生活を脅かすレベルから地球的破滅に至る大災害まで、考えられる脅威を徹底的にリストアップし、検証していることである。大項目は、ナノテクや新病原菌など科学技術の暴走、テロと戦争、人類が引き起こす生態系の破壊、温暖化と気候の大変動、地球・宇宙規模の天変地異。それらをさらに具体的可能性に分けて検討する。個々の議論だけではわからない人類と地球生命の将来が、全体的に見えてくる仕組みである。さらに丁寧にも、脅威ごとに過去の発生例を挙げ、将来の可能性を調べ、最後に評価を下す。(1)発生の可能性、(2)発生した場合のダメージ度、(3)その二つを掛け合わせた総合的危険度で、0から10までの数値評価を示すのだ。まだ科学的調査が進んでいなかったり、確率的にかわからないこともたくさんあるから、最後は著者のエイヤの危険度評価ではある。荒っぽいが、わかりやすい。そして数値を並べてみれば、ああやはり、人類自身の活動こそが差し迫った脅威という結論になるのだ。これだけの事実を集めた努力、押し寄せる深刻な脅威にくじけず分析評価をやりとおした著者の果敢さに、敬意を表しておこう。人類文明がいま自分と子孫に対して何をしているのかをおぼろげにではあるがさらけ出し、まだわからないことがいかに多いかも総合的に示した」といい、「人類のリスク概論である。」と紹介している。

本書において著者が、総合危険度で最高の7という評価を下すのは、超火山の爆発という自然災害もあるにはあるが、その多くは人類の文明が引き起こしつつある数々の自然破壊の脅威においてである。高度資本主義下の大量消費はもはや持続不可能となりつつあるが、エネルギーや新物質の大量放出は、大気圏においても海や陸においても、エコシステムの破壊を確実に進め、世界的飢餓、野生生物たちの死滅、地球温暖化などによる複合的な効果が、遠からず文明社会の崩壊につながると予測され、さらには加速する温暖化傾向が大きな気候変化の引き金にもなり得るという。
「もう手遅れになりかかっている」、「人類が起こしつつある地球環境変化の傾向は、もう当分止められないのではないか」と著者は言うが、そうかもしれない、否、早晩きっとそうなるにちがいない。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-95>
 沖つ風吹くかと聞けば笹島の月に磯越す秋の浦波  中臣祐臣

自葉和歌集、秋上、永仁五年に名所百首よみ侍りしに、月。
生年未詳-康永元(1342)年、代々、春日大社の摂社春日若宮社の神官の家系。父は祐世。伯父祐春の養子となる。子の祐任も同社神主で、風雅集に入撰した歌人。作歌には極めて熱心で家集「自葉集」がある。新後撰集初出(よみ人しらず)、勅撰入集は10首。
邦雄曰く、14世紀前半の中臣祐臣「自葉集」には、処々に二条為世と思われる合点あり、石見の名所笹島のこの歌もその一つ。「聞けば」に対応する答えは「浦波」で受ける呼吸など、心なしか二条流とも感じられる。合点歌今一つ、「出でそむる月のあたりを絶え間にて光に晴るる嶺の秋霧」も、こまやかな観照を言葉に映して秀作である、と。

 忘れじな難波の秋の夜半の空異浦(コトウラ)にすむ月は見るとも  宜秋門院丹後

新古今集、秋上、八月十五夜和歌所歌合に、海辺秋月といふことを。
邦雄曰く、源三位頼政の姪にあたる丹後は、九条兼実の女、後鳥羽院中宮任子に仕えた。彼女が「異浦の丹後」の雅称を得るゆかりは、この建仁元(1201)年秋の撰歌合の作品にあった。異郷の海辺にあって美しい月を眺めようとも「忘れじな」の、尋常で情を盡した調べが、歌人たちにアピールしたのであろうが、良経・定家・俊成女との技巧とは分かつものがある、と。

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November 16, 2006

鳰の海や月の光のうつろへば‥‥

Murakamitouru0611141210

-四方のたより- 村上徹/木工作品展

今春の「日本伝統工芸近畿展」で見事、近畿賞を獲た村上徹君が、地元の京都で作品展を開いている。
会期は11/14(火)から12/10(日)のほぼ1ヶ月、場所は三条木屋町近く、姉小路通り河原町東入ル、ギャラリーなかむら。(開館時間AM11:00-19:00、Tel075-231-6632)

村上君は高校時代の2年後輩(大阪府立市岡高校17期)、高校時代もそれ以後もとくに縁があったわけではないが、‘98(H10)年の辻正宏追悼の取り組みが機縁となって知己を得た。彼は若い頃の事故でか片腕を失っており、隻腕の木工芸作家である。むしろ身体的なハンデを負ったことが、一条の道へと突き進む不屈の気力を培っているのかと思われる。
手法はあくまで刳抜き、そして漆で拭いて仕上げるという伝統手法だが、作品は木漆器からモダンなクラフトものまで幅ひろい。一作々々にどこまでも根気と繊細さとを要する作業だろうが、彼の生み出した作品の、その気品に満ちた静謐な佇まいは、観る者の心を洗う感がある。刳抜きと漆拭きという作業の、生み出すものと生み出されるものとの長い々々対話の時間が、彼の内なる魂を細みに細みにと削っていく。そんな時間の厚みが観る者にひしひしと伝わってくる作品たちが、きっと待ってくれているにちがいない。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-94>
 鳰(ニホ)の海や月の光のうつろへば波の花にも秋は見えけり  藤原家隆

新古今集、秋上、和歌所歌合に、湖辺月といふことを。
邦雄曰く、琵琶湖の水面に零(フ)る月光、その冷やかな光が映(ウツ)ろへば白々と咲く波の花も、花野のそれのごとく秋の趣。古今・秋下の文屋康秀「草も木も色変れどもわたつうみの波の花にぞ秋なかりける」を、秋のままで本歌取りした作。「うつろへば」、すなわち月光が初夜から後夜に変る頃と考えてもまたひとしおの味であろう。結句は冗句に似て調べを引きしめた、と。

 曇りなくて忍びはつべき契りかはそらおそろしき月の光に  亀山院

亀山院御集、詠十首和歌、月顕忍恋。
邦雄曰く、忍恋のあらわれる憂慮を、月光の隈なさにたぐえての歎きは、「契りかは」の底籠る反語表現に集約される。重ねて、「そらおそろしき」は、「なんとなく怖ろしい」を意味すると同時に、月光あまねき「空」をかねている。亀山院御製は勅撰の後拾遺集に最も多く20首、太上天皇名で入選を見た。父帝後嵯峨院譲りの技巧的な佳品が数多見える、と。

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November 15, 2006

見し秋をなにに残さむ草の原‥‥

Teikahyakusyu

-表象の森- 定家百首・雪月花(抄)

塚本邦雄の「定家百首-良夜浪漫」が文庫になった。
それも「雪・月・花-絶唱交響」の雪の章・良経篇が添えられて。
どちらも私の許には、図書館で借りた邦雄全集からコピーした綴本があるが、これは購わずにはいられない。
以下は本書からの一節を抜き書き。

10「わすれじよ月もあはれと思ひ出でよわが身の後の行末のあき」  
   ―― 「拾遺愚草」、花月百首中、月五十首より。

  つひに忘れることはあるまい
  死ののちも
  この秋を
  つきぬ思ひに生きた一生を
  逢はばまたの夜
  みつくした
  末の月光

定家が時として見せる同義語の反復はここでも著しい。わすれじよ、思ひ出でよ、後、行末、秋、その上にあはれと月が重なればもはやご丁寧以上である。勿論意図的な念押しであり、呪文化しつつ読者の心にまつはりつく。
当然これは、景色としての月から遠く隔たった一種の呪物と化し、死後の世界まで照らし出すやうなすさまじい光となっている。
定家の初句切れは、単なる倒置法のそれではなく、もう一廻転して終句体言止に絡み、しかも三句切れの「思ひ出でよ」と重なりあふ。奇妙な追覆曲的手法であり、どこかに転成輪廻の心さへうかがはれる。倒置はすなはち文体の上のみならず、過、現、未なる三つの時間の逆転を錯覚させるまでに構成され、二句の「月もあはれ」はすべてにふりかかる。秀歌とは言へないだらうが、定家の特徴の露骨に見える作品の一つではある。

-今月の購入本-
小松成美「和を継ぐものたち」小学館
丸谷才一・三浦雅士・鹿島茂「文学全集を立ちあげる」文芸春秋
塚本邦雄「定家百首」講談社文芸文庫
鷲田清一「現象学の視線-分散する理性」講談社学術文庫
M.フーコー「フーコー・コレクション-3-言説・表象」ちくま学芸文庫
ヤーコブ・ブルクハルト「イタリア・ルネサンスの文化-2-」中央公論新社
T.E.ロレンス「砂漠の反乱」中公文庫
N.チョムスキー「覇権か、生存か-アメリカの世界戦略と人類の未来」集英社新書
N.チョムスキー「チョムスキー、民意と人権を語る」集英社新書

-図書館からの借本-
高橋悠治「音楽のおしえ」晶文社
小林忠/辻惟雄/山川武/編「若冲・蕭白・蘆雪-水墨美術大系第14巻」講談社
桜井英治「室町人の精神-日本の歴史12」講談社
大石直正/高良倉吉/高橋公明「周縁から見た中世日本-日本の歴史14」講談社

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-93>
 秋雨の梢にはるる濡れ色や柳にほそき夕月のかげ  上冷泉為和

今川為和集、四、月。
邦雄曰く、瀟洒な味わいの風景画を思わせる。「梢にはるる濡れ色や」あたり、ようやく落葉し初める道の柳の、侘びしく軽やかな姿が眼に浮かぶ。下句のやや通俗的で常套のきらいある修辞も救われる。為和は殊に柳を好んだようで、家集中にも頻りに四季の柳詠が出没する。16世紀半ばに成った家集は、メモランダム風の記事を含み、興味深いものがある、と。

 見し秋をなにに残さむ草の原ひとつに変る野べのけしきに  藤原良経

六百番歌合、冬、枯野。
邦雄曰く、暗く冷え侘びた、良経独特の調べ。右方人が「草の原、聞きつかず」と難じたのに端を発し、判者俊成が「源氏見ざる歌よみは遺恨のことなり」と、激しく駁論した、曰く因縁つきの勝歌。もっとも「花宴」の朧月夜内侍の歌の「草の原」は墓所を指すのだが、この点如何なものか。この語、源氏以外に出展は多々あろうと思われる、と。

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November 14, 2006

桐の葉も踏み分けがたくなりにけり‥‥

Takahashi_yuji1970

-表象の森- 失敗者としてのバッハ

5日ぶりのUPである。PCに不調があったわけでもなく、とくに何かに忙殺されていたわけではないが、ついついこんな仕儀になってしまった。毎日のようにUPするのがノルマ化してしまっていることに少なからぬ気鬱があるのかもしれない。肉体的な疲労が溜まっていることも事実だが、このところ腰を据えた読みができていないことも関係するようだ。

高橋悠治に「失敗者としてのバッハ」なる一文がある。初出は1973(S48)年というから三十数年も昔のもの。
    ――平凡社ライブラリー刊「高橋悠治コレクション1970年代」より――

「バッハは西洋の古典音楽にはめずらしく、完全に統合された音楽である。その音楽には、音から音へのたいへん微妙な運動がある。」

「バッハの楽譜は完全ではない。だれの楽譜でもそうだが、楽譜だけによってなにかを伝えるのはまず不可能だ。音符のあいだの関係は書かれているが、連続性は書かれない。音符と音符の関係は、連続性を実現するための枠なのだ。それぞれの音符はある質をもち、次の音符では別な質に達する。質は書かれていないから、推測しなければならない。書かれた部分は、家を建てるときの足場のようなもので、仕事がすんだら、もういらない。-略- 作曲家の意図もまた足場であり、それも捨てることができる。残るものは言葉で表すことができない。だからやるよりほかはない。」

「演奏に対するこの態度は、音楽によって自己表現するロマン的なものでもなく、作曲家の意図や、時には楽譜自体を解釈する古典的なものでもない。」

「バッハのいちばん単純な音階もたくさんの声部をひとつにまとめ、あらゆる音が構造のなかで独自の位置と意味をもつ。あらゆる音がちがう響きをもたなければ、全体はつまらないものになるだろう。音はそれぞれちがう働きと質をもつから、つぶを揃えずに弾くべきだ。これは、粒のそろった、はやい弾き方ができることに集中し、音の質を省みない標準的な演奏法とはちがう技術を要求する。この意味で、バッハは西洋の伝統に属さない。それは孤立した現象である。」

「もうひとつ、あまりヨーロッパ的でないのは、音楽の流れの劇的でない性格だ。劇的な流れは、さまざまな要素をあやつり、クライマックスに達したりなどして、事件をつくりだす。」

「バッハの音楽から感じられるのは、ひとつひとつの音がちがう質をもつので、組合せはたいへん複雑なかたちをつくるということだ。音の自由なあそびだ。形式構造はこのあそびのための枠組である。バッハはこのあそびを見守り、劇的変化で自然な流れを変えないように努めていると思われる。」

「あらゆる演奏は編曲だが、抽象構造に色をつけるということではない。元のものは存在しない。バッハが自分で演奏したものは、彼のやり方にすぎない。音色はひじょうにたいせつだ。-略- 演奏はなりゆきであり、完成品の繰り返しや解釈ではない。演奏するとき、まずすることは聴こうとし、自由なあそびをひきおこすことだ。演奏は西洋流にいえば即興のようになる。その場でその時に起こらなければならないのだから。演奏者は、バッハが作曲するのとおなじ態度で演奏する。起こっていることに注意をはらい、しかも劇的効果のために音の動きをコントロールしてはならない。これは自己表現をあらかじめ排除する。それは、作曲家・演奏者・聴き手がひとつのものである完全に統合された音楽的状況にたいへん近づく。演奏するのは聴き取ることなのだ。」

「バッハは失敗した。彼はしばらく忘れられていた。音楽は彼の方向に進まなかった。いまみんなが彼の音楽にあたらしい意味を見つけようとしているのは、音楽が変わりつつあるからなのだ。音楽は抽象的だから、ある方向にゆきすぎて、全体から切り離されてしまうこともある。ヨーロッパの音楽は極度に発展し、いまや方向を変えるときがきた。スタイルは時代に対応するが、まだ生きているものはスタイルの下にある。これが質であり、態度である。」

「失敗であったというもうひとつの理由は、作品にまとまりのないことだ。<平均律クラヴィア>はたいへんムラだし、<フーガの技法>は未完成で、<ゴールドベルク変奏曲>はとても注意深く計画されたが、全体を聴きとおすのは不可能だ。ある種の音楽は劇的効果なしにも注意をながいあいだ惹きつける。バッハでそれが難しいのは、たぶんその音楽が注意を要求しすぎるからだ。大きな作品はみじかい曲のあつまりに分解する傾向があり、小さな曲はその場かぎりのものにすぎない。バッハはおなじ曲が二度演奏されるよりは、あたらしい曲を書いたほうが多かったにちがいない。このやり方では、作曲はとても即興に近い。いつも未完成だ。-略- 完全な作品は閉じた部屋のようなもので、聞き手の想像力に働きかけない。未完成にのこすのは、全体に風を当てる窓を開けるようなもので、そのほうがよいのだ。」

「第三の理由は、彼の使った構造は彼のような心をうけとめるのに適していないことだ。調性構造や、フーガ形式のように。-略- バッハのフーガはフーガになろうとしているリチュルカーレで、音楽が主題を離れると、はるかに生き生きして自由なあそびに入っていく。ほかの調子でまた主題が表れるのは、そのあとであたらしいエピソードをはじめるための口実といえるくらいだ。」

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-92>
 桐の葉も踏み分けがたくなりにけりかならず人を待つとなけれど  式子内親王

新古今集、秋下、百首歌奉りし秋歌。
邦雄曰く、上・下句が意味の上では逆になったこの倒置法の、躊躇と動揺の微妙なニュアンスは格別。「待つとなけれど/桐の葉も」とふたたび循環し、諦めと未練は心中で追いつ追われつとなるだろう。しかも品位を保ち、ふと恋歌を連想させるくらいの、最小限の甘美な撓りを失わず、閨秀作品の好もしさを十分に感じさせる、と。

 かりに来て立つ秋霧のあけぼのに帰るなごりも深草の里  鷹司基忠

玉葉集、秋下。
宝治元(1247)年-正和2(1313)年、父は五摂家の鷹司家の祖・摂政兼平、大覚寺統の亀山天皇の世、関白となる。続拾遺集初出。勅撰入集は計85首。
邦雄曰く、九月、前大納言時継の深草の山荘に一夜泊った時の歌と詞書にあり、歌枕にちなんで伊勢物語の深草の鶉、それも女の、「かりにだにやは君は来ざらむ」を取っての作で、後朝の趣濃く、恋歌に部立てしてもよい作。狩と仮、「なごりも深草」等、縁語・懸詞を綴れ織り風に鏤めて情緒を醸し出し、なかなかの眺め。前関白太政大臣の名で入選、と。

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November 09, 2006

入相は檜原の奥に響きそめて‥‥

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-表象の森- 音をはこぶ
    ――高橋悠治「音楽のおしえ」晶文社刊より――

竹の管に息をふきつける。
内側の空気の柱がはげしくゆれる。
これが音だ。
ゆれが安定し、音は消える。
瞬間の音は偶然だ。

音が消えぬうちに、できかかるバランスを
つきくずす。
それはなれた手ではなく、
注意ぶかい耳、
そばだてた耳のしごと。
これをくりかえし、
音をまもる。

意志をもってしなやかに音をはこび、
意志をもって音をたちきれ。
自然は安定にむかい、
耳はそれにさからう。

きくというのは受動的な状態ではない。外に耳を向けて、すべての音をききとろうとすると、自分の位置に極端に敏感になる。外へひろがるほど、内へ集中する。それは積極的な反省行為だ。
音のイメージは、きく行為をさまたげる。きくのをやめると、音はそれぞれの位置におさまって、まとまったかたちをつくる。イメージの認識でくぎられ、つくったイメージをこわすきく行為でさきへすすむ、往復運動。
一定の安定がくずれて、両極のあいだを往復するのが振動だとすれば、ちがう周期の干渉による瞬間的な局部変化は、音をつづける力だ。
くだけた波から、あたらしい波がたちあがる。

おなじもののいくつもの演奏が同時に、すこしずらされてきこえると、おもいがけない細部がうかびあがり、全体は空間的なひろがりをもつ。これらのずれのあいだにきこえるあたらしい音の関係をとりだし、なぞりながら協調することによって、展望がすこしかわる。
もとの音のながれと同時に「注釈」をつけたすことができる ( running commentary )。注釈を注釈することもできる。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-91>
 さ夜ふけて蘆のすゑ越す浦風にあはれ打ちそふ波の音かな  肥後

新古今集、羇旅、天王寺に参りけるに、難波の浦にとまりて。
邦雄曰く、肥後集の「舟にて目を覚まして聞けば、湊の波にきほひて蘆の風に靡く音を聞きて」なる詞書を併せて参照するとひとしおの味わいがある。題詠でも、即席の空想詠でも、大きにこの程度の歌を創作するのが王朝人の最低限度の才だが、風俗として面白みの加わることは確かである。京極関白家肥後、勅撰入集50首近く、金葉集初出の才媛であった、と。

 入相は檜原の奥に響きそめて霧にこもれる山ぞ暮れゆく  足利尊氏

風雅集、秋下、秋山といふことを。
邦雄曰く、足利幕府初代将軍尊氏は、南北朝の、千軍万馬の武将であると同時に、文学を好み、美術を愛した。新千載集の成立にも与って力があって22首入選、風雅集には17首、その他計88首も勅撰集に採られている。殷々と底ごもる晩鐘の表現は、音色を交えた水墨画の印象あり、同時代歌人の中において少しも遜色はない。14世紀半ばの没、と。

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November 08, 2006

何となくものぞかなしき菅原や‥‥

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-表象の森- フロイト=ラカン: 「ラメラ」⇔「リビード、「ファルス」⇔「ファルス」、「転移」⇔「転移」
   ――Memo:新宮一成・立木康介編「フロイト=ラカン」講談社より

「ラメラ」⇔「リビード」
・「円なる一体」と「無機物」、生の欲動は前者を、死の欲動は後者をめざす。
性的なエネルギーがめざすのは、全体性、完全性、「円なるもの」である。「全体」は「一」といってもよい。「一の線」、「大文字の一者」。

「ファルス」⇔「ファルス」
・「ファルス期(男根期)」とは、男の子も女の子も、男性性器にだけ興味を示す時期。ほぼ幼稚園期頃の年齢に相当し、エディプス期とも一致する。
「有ったり無かったりする」という属性によって、超越的な欲望の存在を指し示す。つまり「ファルスは大文字の他者の欲望のシニフィアン」なのである。
子どもによって「他者の欲望」は作られる。なぜなら「そこにその欲望のシニフィアンがあるから」である。シニフィアンが先にある。そしてそこから「他者」の存在とその欲望の働きが主張されるのだ。
ファルスは、超越者の欲望が、人間界に導入されていることを、人間に示すシニフィアンなのである。子ども時代に、人間は超越的な他者の意志を仮定するこのような思考習慣に囚われ、公式の倫理とし、また生活習慣病として生きてゆくことになる。その病から癒えて、どのような別の習性、あるいは人間的な生き方を作り出せるかが、精神分析の語らいの目指すところとなる。

「転移」⇔「転移」
・転移には必ず両面がある。無意識の欲望を運んでくるという<促進>の側面と、現下の感情関係という蓋によってその開示を拒むという<抵抗>の側面である。
欠けた対象、失われた対象の発見、そうした対象を己が欲望しているというまさにそのことを発見することに他ならない、その瞬間にこそ「転移」が発生する。
おのれの欲望は、見つけたと思ったら大文字の他者の欲望にすりかわっていたという形で、発見されるということ。
私たちの欲望は、他者の欲望が私たちに「転移」することによって、可能になったのである。私たちがあれこれの対象を欲したり望んだりするにあたっては、欲望する私たち自身の存在が、何者かによって欲望されていなければならない。欲望するために欲望してもらう。すなわち欲望は社会的に「転移」される。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-90>
 わが恋は古野の道の小笹原いく秋風に露こぼれ来ぬ  藤原有家

六百番歌合、恋、旧恋。
邦雄曰く、右は慈円の「恋ひ初めし心はいつぞ石の上都の奥の夕暮の空」で、直線的な勁(ツヨ)い調べと左、有家の小刻みな悲しみに満ちた調べは、誠に好ましい対照で、俊成は「よき持」とした。右方人は結句の「来ぬ」を嫌ってけちをつけるが判者はこれを斥けて「殊に宜しくこそ聞え侍れ」と推称する。新古今入選「呉竹の伏見の里」と共に代表作。

 何となくものぞかなしき菅原や伏見の里の秋の夕暮  源俊頼

千載集、秋上、題知らず。
邦雄曰く、古今・雑下の詠み人知らず歌「いざここにわが世は経なむ菅原や伏見の里の荒れまくも惜し」等の下句本歌取りはさておき、上の第一・二句「何となくものぞかなしき」の、曲のない虚辞に似た十二音が、意外な、溢れるばかりの情感を漂わす理外の理を、篤と味わうべき作であり、俊頼の代表作中に数える所以である。千載入選歌53首、と。

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November 07, 2006

秋とだに吹きあへぬ風に色かはる‥‥

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-世間虚仮- 月を道づれに

昨晩は風も強く荒れ模様の空ながら、それでも中天から西に傾きかけた月-十六夜の月か-がくっきりとその姿を見せてくれていた。
秋分の日あたりから夜の明けるのはどんどん遅くなり、午前3時過ぎから6時近くのほぼ3時間の配達行はいまや完全に昏い内のものとなってしまって、馴れきったコースをひたすらバイクを走らせるか、あるいは高層マンションの廊下や階段をただ黙然と徘徊?するだけの単調きわまりない独り行脚には、月さえ姿を見せぬ夜などなんとも寂しいかぎりだが、待宵、十五夜、十六夜とつづいたこの三晩は、西へ西へと足早に傾きつつも煌々と照り映えた月が道づれともなって、もの侘しさを忘れさせてくれたものである。
殊に一昨晩の待宵月など、西の空に没しようとする5時過ぎには、仄かに淡く朱く染まり、夕陽の荘厳さとはどこまでも対照的な、朧々としてまことに妖しい姿を垣間見せていたが、どうにも形容しがたい妖しの月に奇妙なほど心はざわめきたったもので、一瞬吾を失ったか、思わず配達先をやり過ごしてしまい、不配による罰金などという前代の遺物じゃあるまいし、不当このうえない刑を喰らうところだったのだけれど、たとえ不覚を取って罰金の憂き目を見るとして、そぞろ月を道づれの配達行のほうがよほど心慰められうれしい勤行となるのだ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-89>
 秋とだに吹きあへぬ風に色かはる生田の森の露の下草  藤原定家

続後撰集、秋上、名所の歌奉りける時。
邦雄曰く、承元元(1207)年、作者45歳の最勝四天王院障子歌の中の「生田の森」。彼の自信作を後鳥羽院は認めず新古今集には洩れ、後々に痼りを残すような中傷を敢えてする。だがまことに、見方によれば、院がこの歌を「森の下に少し枯れたる草のある他は気色も理りもなけれども、言ひ流したる詞続きのいみじきにてこそあれ」と御口伝に言うのもまた一理ある、と。

 逢はで来し夜はだに袖はつゆけきを別るる今朝の道の笹原  頓阿

草庵集、恋下、贈左大臣家にて、寄原恋。
邦雄曰く、下句の初めには「まして露けき」を省いている。逢えなかった夜の帰るさは勿論、後朝の別れの辛さに濡れる袖に、さらに降りそそぐ笹原の朝露。同趣同工同曲の類が八代集以後何回となく繰り返し歌われてきた。頓阿の作はそれをさらに技巧的にした一つの典型。二条家4世の為定を助けて新拾遺集の成立に力のあった歌僧として、殊に名を留める、と。

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November 06, 2006

時しもあれ悲しかりける思ひかな‥‥

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-世間虚仮- 子育ての母育て

幼な児といえども満5歳ともなれば、すでに第一反抗期を通過して、もはやそれなりの人格を有した人そのものだとつくづく再認させられる。ごっこ遊びなどをとおして役割認識も育っているし、場面の使い分けもできるようになる。男の子も女の子も性差を受けとめ各々の自意識を育てている。ふざけたり遊びに熱中したりしていると子どもそのものだが、ひょっと真顔になるとその表情からは、その子なりの内面に育つインテリジェンスのほどが覗きみえるような気がする。

昨日は幼な児の通う保育園の運動会。
もともと形質的な要因であろうと思われる未知の場面に対する不適応とこわばり、そしてそれが人見知りの強さともなる彼女も、その垣根を越え出ていくことをかなりできるようになった。朝の8時過ぎから夕刻の6時過ぎという長丁場の保育園通いに、近頃はともに遊びあえるお友だちもずいぶんと増えて、毎日が愉しくてしかたがないとみえ、「今日はお休みしてどこかへお出かけしようか」などと誘いかけても、「保育園がいい」と振り向いてもくれない。
そんな調子だから今年の運動会は、昨年までに比べればぐんと開放的になって、およそ積極的な参加姿勢が見られたのには、母親もちょっぴり満足げの様子で幼な児の動きを追っていた。とはいえ彼女自身得手不得手がはっきりしているからか、なかなか不得手なものには挑んでいこうとしないあたり、越えるべき壁はまだまだ多い。
そんなこんなが、勤務ゆえの限られたなかでの日々のスキンシップながら、わが子なれば母親にも手に取るようにわかるのだろう。母親もまた子どもの成長とともにその応接ぶりはずいぶんと変わってくるもので、細やかさとおおらかさのほどよいバランスが自然身についてきたものとみえ、叱る-叱らない、誉める-誉めない、干渉と不干渉、さまざまな場面でその使い分けも緻密さを帯びてくるし、気持ちの切り替えも柔軟に素早くなる。

嘗て、幼な児の誕生時、無事に出産を終えた直後の、母となった瞬間のだれもが垣間見せるあの安堵と開放感に満ちた無辜の表情は、大仰にいえば無私なる慈愛に通じているものだろうが、母としての子に接する振舞は、たえずその母なる初心-出産時の原記憶に戻りつ、内省され検証されて鍛えられ、変化してくるものなのだ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-88>
 うちなびく田の面の穂波ほのぼのと露吹き立てて渡る秋風  二条為定

新千載集、秋下、百首の歌奉りし時、秋田。
邦雄曰く、秋の田といえば、たとえば百人一首の中の数首のように、平明平凡な歌に終始しがちであったが、14世紀の技巧派は、目立たぬ工夫を凝らして、殊に第四句準秀句表現「露吹き立てて」は、こまやかな眼と心の動きを示す。人の意表を衝く文体にもまして苦心を要するところか。定家6代の末裔、二条家の嫡流、歌会の領袖として敏腕を奮った、と。

 時しもあれ悲しかりける思ひかな秋の夕べに人は忘れじ  藤原家隆

六百番歌合、恋、夕恋。
邦雄曰く、一瞬失敗作かと錯覚するような不器用な三句切れ、無愛想な否定形の呟きめいた結句。にもかかわらず、惻々と胸に迫る悲しみが漲っている。左は良経の「君もまた夕べやわきてながむらむ忘れず払ふ萩の風かな」。右方人は「忘れず払ふ」を難じ、左方人は「夕べ」にととくに限る要なしと断ずる。俊成は左の結句を疑問視しながら結局は勝とした、と。

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November 04, 2006

風にきき雲にながむる夕暮の‥‥

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※ 写真は「若冲と江戸絵画」展-公式ブログフォトライフ-より転載。

-世間虚仮- 看板に偽りあり? 「若冲と江戸絵画展」

祝日、おまけに3連休の初日とあって、昨日の京都は古都の秋を訪れる人びとで溢れかえっていた。
とりわけ岡崎公園界隈は、向かい合って建つ京都市立美術館の「ルーブル美術館展」と国立近代美術館の「若冲と江戸絵画展」に、どちらも5日までの会期とあってか、詰めかけた人の列が絶えることもないほど。
その若冲展のほうに家族3人で出かけ、ひたすら人波に揉まれ疲れ果て、いまさらに注目の美術展通いは休日を避けるべし、と性懲りもなく前評判に踊らされたわが身を悔やんでみたりしている始末だ。
しかし、それにしても東京国立博物館に始まり今回の京都、さらには九州国立博物館、愛知県立美術館と巡回するという、鳴り物入りの「若冲と江戸絵画展」には少なからず失望させられた。

展示総数109点の内、若冲の作品は最も多いとはいうものの17点で全体から見れば二割にも満たず、他に幕末から明治初期の鈴木基一なる画家の作品が10点、長沢蘆雪が6点、曽我蕭白が伝も含めて3点、あと円山応挙にはじまり江戸中期から後期、明治にいたる画家たちの作品がそれこそ玉石混淆といった感でアトランダムに並ぶ展示は、「若冲と江戸絵画展」と銘打つには、その作品の雑多な顔ぶれも含めて、些かお寒い内容ではなかったか。

近年の蕭白や蘆雪、若冲のブームに便乗した感はどうしても否めない。プライス・コレクションと副題されているようにアメリカのジヨー・プライス氏のコレクションならば、展示総体の内容についてそれはそれで致し方ないとしても、-若冲-と-江戸絵画展―のように、若冲を前面に押し出して「と」で括ったタイトルはとても相応しいとはいえないだろう。どうみても上げ底の誇大コピーと言わざるをえず、そんな誇大宣伝の展覧会が卑しくも国立の博物館や美術館で巡回されるというのは首を捻りたくなるのだが、これもそんなご時勢なのさ、むしろそういった国民的レベルにおける文化現象をリードし代表するような先端的な部分でこそ、これみよがしの大仰な身振りの仕掛けが罷り通っているのだといわれるなら、今後は自省して迂闊に踊らされぬようより注意深くなるしかあるまい。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-87>
 浅茅生の末葉おしなみ置く露の光に明くる小野の篠原  頓阿

草庵集、秋上、和歌所月次三首、暁露。
邦雄曰く、暁闇の、眼も遥かな篠原の千の小笹の群立ちが、徐々に、日の出と共に明るむ。霜と凝る前の露の白玉にまず光は宿る。「露の光に明くる」にこめた作者の心映えが、まことにゆかしい。「下葉にぞ露はおくらむ秋風のたえず末越す庭の萩原」は「庭萩風」。井蛙抄を著わした、二条為世門四天王の一人であり、地味ながらゆるぎのない文体を誇る、と。

 風にきき雲にながむる夕暮の秋のうれへぞ堪えずなりゆく  永福門院

玉葉集、秋上、秋夕を。
邦雄曰く、漢詩の対句風に第一・第二句を照応させて、新古今時代に流行した「夕暮の秋」を、上・下句、「堪えず」で切らず「堪えずなりゆく」と暈し、弱音化するのも当時の流行もしくは習わしであろう。女歌として一種のしをりを加えるには有効と思われるが、濫用は勿論、歌をくだくだしくする、と。

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November 02, 2006

思ふことさしてそれとはなきものを‥‥

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-表象の森- 白秋忌

  金の入日に嬬子の黒――
  黒い喪服を身につけて、
  いとつつましうひとはゆく。  -金の入日に嬬子の黒-

陰陽五行説によれば、五色に青・赤・黄・白・黒、五時に春・夏・土用・秋・冬あり、
是より、青春・朱夏・白秋・玄冬と、「色」と「時」の合成が季節の異称ともなり、さらには人生-ライフサイクル-比喩ともなるのだが、近代の国民的詩人と称揚される北原白秋の号も、むろんこれよりきているのは疑う余地もあるまい。
長短歌から詩、童謡にいたるまで、詩歌万般に比翼をひろげた北原白秋は、昭和17(1942)年の今日、満57歳にて逝去。その晩年は、国家総動員体制下、ナショナリズムへの傾倒著しく、昭和15(1940)年には日本文化中央聯盟の委嘱を受け、作曲家・信時潔とのコンビで、皇紀2600年奉祝楽曲「海道東征」を作詞している。
白秋の故郷柳川では命日に因んだ白秋祭が、今日を挟んだ両三日営まれ、水郷の町柳川の秋を彩るという。
九州旅行の途次、その柳川に立ち寄ったのはもう8年ほど前か。白秋記念館のある界隈は海にも近い所為だろうが、河床は干上がった泥地と化し、水郷というイメージとはほど遠い光景にひどく幻滅させられたものだった。
その昔だれもが口ずさんだ童謡の数々はともかく、白秋の詩世界については多くを知らない私だが、明治44(1911)年の発表当時、上田敏や芥川竜之介らが激賞したという「思ひ出-抒情小曲集」の掌篇たちは、いまなお新鮮な驚きを与えてくれる。

  青いとんぼの眼をみれば
  緑の、銀の、エメロード。  -青いとんぼ-

  薄らあかりにあかあかと
  踊るその子はただひとり。  -初恋-

  たそがれどきはけうとやな、
  傀儡師(くぐつまはし)の手に踊る  -たそがれ-

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-86>
 影やどす露のみ茂くなりはてて草にやつるるふるさとの月  飛鳥井雅経

新古今集、雑中、五十首歌奉りし時。
邦雄曰く、老若五十首歌合の作。古今集に「君しのび草にやつるるふるさとは松虫の音ぞ悲しかりける」あり。第二・三句をそのまま下句に本歌取りして、本歌にはないもの憂いあはれを醸し出している。草のおどろの上に光も鈍る月を、「草にやつるる」としたところに、この歌の巧さが見える。建仁元(1201)年2月、作者は31歳、この頃特に秀歌を数多生んだ、と。

 思ふことさしてそれとはなきものを秋の夕べを心にぞ問ふ  宮内卿

新古今集、秋上、秋の歌とてよみ侍りける。
邦雄曰く、うなだれて呟くかの、とだえがちな一首の調べ、青鈍色に曇ってはほとんど目に立つふしもないのに、かえって心に沁み、いかにも忘れがたい。「さしてそれとはなき」思いではあるが、悲しみに身を細らせる秋の夕暮のたたずまいをこの十代後半の天才少女は、嫋々たる余韻の中に伝えた。意外に評価の分かれる作だが、宮内卿の代表作に加えたい、と。

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November 01, 2006

眺めやる心もたへぬわたのはら‥‥

0511271091

-世間虚仮- 「一命を副えてお願い致します」

全国にひろがった一連の必修科目の履修漏れ騒ぎのなか、10月30日、自殺した茨城県立佐竹高校の校長が書き残した遺書の一部が公開された。
文中、「生徒に瑕疵はありません。生徒に不利益にならない御処置をお願い申し上げます。」としたため、末尾に、「右願い、一命を副えてお願い致します。」と結ぶ。
死にゆく者の存念のほどを如何とも推し量りがたいが、孤影悄然の58歳、まことに痛ましいかぎりだ。
せめてあと二日、いや24時間で充分だったろう、政府や国会まで巻き込んだ騒ぎの成り行きを、ひたすら心沈めて眺めおれば、負うべき責めはなお残るとはいえ、命を賭してまで購うには至らなかったろうに。遺族の無念を想えば言葉も見つからず、不条理きわまりないものがある。

この一者の死を無為のものにしてはならない、と思う。
そもそも履修漏れという醜態自体、壊疽のごとく長年かけて高校教育を蝕ばみその病巣をひろげてきたものであまりにも根深い。教育の本然から遠く功利に奔る腐りきった教育現場のなかで、ずっと口惜しい想いを噛みしめながら、日々抗いつづけ、生徒達との接触のなかでささやかなりとも小さな灯を見出だしていこうとしてきたにちがいない彼は、そんな腐海に自らの死をもって一石を投じたかったのかもしれないのだ。
県教委も文科省も、この重い死に対し、なにをもって報いるべきか。
いまのところ、教育を言挙げするお上からマスコミにいたるまで、或いは教育評論家など諸々の輩も、この死に対し正面から向き合った発言はまったく見あたらない。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-85>
 袖の上にかつ白露ぞかかりける別るる道の草のゆかりに  藤原元真

続後拾遺集、離別、遠く罷る人に衣遣はすとて。
邦雄曰く、別れの涙袖をひたす趣き、それを秋の白露、すなわち「草のゆかり」とするところ、恋歌の後朝とは分かつ。元真集には同題・類題で十首近く見え、「道露は払ふばかりの唐衣かけてもうすき心とな見そ」「別れてや思ひ出づやと朝ぼらけ露消ながらも濡るる衣ぞ」等、露に寄せて心を盡した歌が多い。後拾遺以後25首入選。三十六歌仙の一人、と。

 眺めやる心もたへぬわたのはら八重の潮路の秋の黄昏  源実朝

金槐和歌集、秋、海のほとりをすぐるとてよめる。
邦雄曰く、同題2首、先の一首は「わたのはら八重の潮路に飛ぶ雁のつばさの波に秋風ぞ吹く」。「つばさの波」あたりに、実朝には珍しい技巧を感じる。一方「秋の黄昏」は苦く鋭く、殊に「心もたへぬわたのはら」の口疾な表現は、二十余りの若者の切羽詰まった心を、如実に写している。下句の体言重畳も、息苦しくなるところを、見事安らかに収めた、と。

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