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October 31, 2006

秋風になびく浅茅のすゑごとに‥‥

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-表象の森- フロイト=ラカン:「性関係はない」⇔「去勢不安」と「ペニス願望」
    ――Memo:新宮一成・立木康介編「フロイト=ラカン」講談社より

「性関係はない」⇔「去勢不安」と「ペニス願望」
・性関係にはいかなる正解もない。
精神分析の経験とは、この「正確の不在」を根源的な条件とした上で、それでもなおそうした問への答えを探してゆくプロセスである。
むしろ積極的な意味でのその主体固有の、つまりまったく独特の答えを、それ自身の新たな性関係のスタイルを、「愛し方」を到来させること。
・性関係とシニフィアンのこの両立不能性は、エクリチュールの問題として捉えられており、
性関係はまさに「書かれないことをやめないもの」と定義される。
「書かれないことをやめないもの」とは、ラカンがアリストテレスの4つの論理様相を見直しつつ、<不可能>に与えた定義であり、<必然>-書かれることをやめないもの、<可能>-書かれることをやめるもの、<偶然>-書かれないことをやめるもの、から区別される。
・主体と対象の関係は、いかなる意味でも現実の性関係に行き着かない。それはもっぱら<幻想>として生きられるのみである。男はいつも女ではなく自分の幻想を愛する。
・去勢を通過するということは、対象に合せて享楽を得るのではなく、享楽に合せて対象を見出す。性関係を幻想へと還元することである。
女児の場合、自分がペニスを持っていないという発見は、愛の対象を母親から父親へと変更する契機となる。つまり、女児ははじめに去勢を通過して、エディプスコンプレクスへと導かれる。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-84>
 秋風になびく浅茅のすゑごとに置く白露のあはれ世の中  蝉丸

新古今集、雑下、題知らず。
邦雄曰く、要は「あはれ」、第四句までは、これを導き出すための序詞に似た働きをなしている。新撰朗詠集の「無常」に採られたように、此の世のもの悉く滅亡寸前、太陽の前の露に等しいと見る心であった。新古今では、これに続く雑部巻軸歌に、同じく蝉丸作とされる「世の中はとてもかくても同じこと宮も藁屋も果てしなければ」が採られている、と。

 たれかまた千々に思ひを砕きても秋の心に秋の夕暮  寂蓮

千五百番歌合、六百十八番、秋二。
邦雄曰く、春秋の、殊に心細る秋の日々の、さまざまにめぐらすその果ては、諦めに近い寂かな悟りであろうか。重く緩やかな下句の畳みかけがまことに胸を博つ。左は慈円の「小萩原寝ぬ夜の露や深からむ独りある人の秋のすみかは」で、後鳥羽院御判はこれを勝とするが、誰の目にも寂蓮の作が劣るとは思えまい。言はば「よき持」の一例であろう、と。

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October 30, 2006

身を秋の契りかれゆく‥‥

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-表象の森- フロイト=ラカン:「享楽」⇔「快原理の彼岸」
    ――Memo:新宮一成・立木康介編「フロイト=ラカン」講談社より

「享楽」⇔「快原理の彼岸」

ラカンの「享楽」は、18世紀末にカントとサドによって方向づけられた「悪(苦痛)の中の幸福」という倫理的モチーフにその原型をもつ。
「享楽」は本来、主体にとって根源的に禁止されたものであり、この禁止を「去勢」という語で指し止める。
「去勢というものが意味しているのは、享楽は拒絶されねばならず、それによってはじめて享楽は欲望の法の逆立ちした尺度にもとづいて獲得されうる。」
「欲動の満足」としての享楽は、法の(欲望の従うべき規範)によって禁止される以前に一つの「不可能」として出会われる。
法は、この禁止を犯せばそれを手に入れることができる、という錯覚を私たちに与える。
すなわち、法に対する逸脱のなかに、したがって悪のなかに、私たちの満足がありうる、と夢見させる。
私たちの欲望は、このような錯覚を本来的に宿しているがために、袋小路に入り、しかもそれを見誤るのである。
言語を媒介とすることで、私たちはそれらの物の完全な享有を断念することを余儀なくされる。
「享楽」は「快」に対立し、その「彼岸」を構成するが、それはフロイトの「快原理の彼岸」とされたものである。
一次過程における無意識の表象の連鎖をまさに「シニフィアンの連鎖」と位置づけるラカンにとって、快原理はこの連鎖を支配するもの、すなわち「象徴界の法」と同じ次元にある。
快原理の彼岸を構成する不快は「反覆強迫」として出会われる。
「反覆強迫」は、それによって脇へ押しやられる快原理以上に、根源的で、元素的で、欲動的である」という着目から、フロイトは「死の欲動」の概念を導入する。
ラカンは、快原理の彼岸を構成するこの「欲動的なもの」の次元に、シニフィアンによって到達不能な「享楽」の場を重ねる。それは「現実界(現実的なもの)」の領域である。象徴界を住処とする主体は、それゆえ享楽から決定的に隔てられている。
「出会いそこない」という形においてであれ、あるいは症状の苦痛においてであれ、主体は象徴界に穿たれた穴の向こうで現実界と関係をもち、精神分析の中でその関係について話す。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-83>
 身を秋の契りかれゆく道芝を分けこし露ぞ袖に残れる 後崇光院

沙玉和歌集、応永二十三年三月盡に、秋恋。
邦雄曰く、枯れゆく道芝と離(カ)れゆく契り、袖に残る露は身の秋を悲しむ涙、季節の凋落とわが身の衰頽を二重写しにする技法は、15世紀に入ってなお複雑化しつつ、秀歌を生んでいる。「身を秋の」は、作者の好む用語である。この年9月盡しの「長月や末葉の萩もうちしをれあはれをくだく雨の音かな」も、その第四句の秀句表現に、壮年の実りを感じる、と。

 笹の葉を夕霧ながら折りしけば玉散る旅の草枕かな  待賢門院安芸

千載集、羇旅、崇徳院に百首の歌奉りける時、旅の歌とて。
邦雄曰く、秋の夕暮の、さらぬだに寂しい旅寝に、露置けばおのずから頬を伝い、袖に玉散る涙。、人恋しく都懐かしい女ひとりの涙を、このほそぼそとした調べは暗示している。千載集の旅の歌は、花野の霜枯れや更級の月と並べて、安芸の夕暮を選んでいる。この集に入選4首、いずれもあはれ深い流麗な歌であるが、「玉散る旅の草枕」が代表作と思われる、と。

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October 29, 2006

風吹けばただよふ雲の空にのみ‥‥

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-世間虚仮- 今朝の見出し

◇年5億円、実態不明-国会議員のJR無料パス-公費負担の規定なし
成程、民営化前の国鉄時代は、負担を国鉄に押し付けていられたが、分割民営化されたJR各社にはそうもいかない。そこで利用実態に拘わらず、すこぶるアバウトな額が毎年固定的に公費支出されている訳だが、国鉄時代の慣習を踏襲しているだけで、公費負担の規定もないというのがお笑いぐさだ。

◇石綿被害-泉南で初の補償へ
アスベスト産業が全国でも最も盛んだったと言われる大阪府泉南地域。アスベスト製造をしていた三菱系子会社が、操業停止からほぼ30年を経たこの時点で、周辺住民や元従業員らのアスベスト被害者と初めて補償交渉に。

◇乗り換え殺到 パンク-携帯電話の番号継続性導入で、ソフトバンク受付停止
通話料0円、メール代0円-ほんとうに安いのかどうかよくわからないのだが、ド派手な宣伝に踊らされて他社からの乗り換えが殺到、こんな仕儀となるのも無理はない。

◇高校履修不足問題-北関東以北に偏り ―― 救済へ、世論意識の与党が圧力
文科省の28日現在の調査速報では32都道府県に286校、毎日新聞調査では41都道府県407校というが、実数はまだまだひろがる。少なくともここ十数年間にわたって浸食をひろげてきた根の深い病巣だから、文科省もこれ以上の実態究明は避けて、早く騒ぎの蓋をしたいところだろうが、受験生たちへの応急措置はそれとして、実態の解明は過去に遡って徹底してするべき。
降って湧いたような思いがけない問題のクローズアップで、安倍首相もキレイ事の教育改革どころではあるまい。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-82>
 誰が世より思ひ置きてか白露の袖濡らしける秋の夕暮  藤原為家

大納言為家集、上、秋、秋夕、建長八年四月。
邦雄曰く、露の置くのも、かねて、見ぬ世から思い置いた定めかと観じた趣き、なんとなく釈教歌的な深みのある詠風、これは建長8(1256)年、作者為家も既に58歳の秋の歌。従姉にあたる俊成女が、80歳前後の天寿を享けて世を去ったのもその頃のことである。父定家の余情妖艶に倣った歌も少なくはないが、直線的でおおらかな作に彼の特色が見られる、と。

 風吹けばただよふ雲の空にのみ消えてもの思ふ秋の夕暮  葉室光俊

続拾遺集、恋四、中務卿宗像親王の家の百首の歌に
邦雄曰く、第四句「消えてもの思ふ」のたゆたいは、「空にのみ」の鋭い限定を受けて、この恋の歌に独特の調べを与えた。光俊は定家に直接師事した数少ない歌人の一人。当然のことに為家にはあきたりず、実権を握る彼に反旗を翻した一人で、反御子左家と呼ぶ。この歌は鎌倉に下って六代将軍宗尊親王の歌の師範となった頃の作であろう。定家の余響を感じる、と。

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October 28, 2006

草の葉に置き初めしより白露の‥‥

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-表象の森- フロイト=ラカン:「シニフィアン」⇔「エディプスコンプレクス」、「排除」⇔「棄却」
   ――Memo:新宮一成・立木康介編「フロイト=ラカン」講談社より

「シニフィアン」⇔「エディプスコンプレクス」
エディプスコンプレクスとはシニフィアンの導入である。
主体へのシニフィアンの導入を源として、無意識という領域が作られていくということ。
主体が自足できず、言葉によって自己を示すことを強いられ/選ぶということ。
そこで、自己言及の構造が芽生え、言葉で自己を示すことが「不可能」になるという-絶対的な矛盾撞着を抱え込むこと。

「主の語らい」としての、宗教・政治や哲学の言質、あるいは近代における教育の言質、
これに対蹠的な位置関係にある「精神分析家の語らい」
「主の語らい」に囚われた主体を、いわば「鑑の向こう側」に誘引し、再びシニフィアンとの関係に立ち戻らせるものが「精神分析家の語らい」である。

「ファルスは他者の欲望のシニフィアン」として小さな人間によって創造され、この「シニフィアンの導入」をもって「他者の欲望」が主体に届く。
すなわち、主体が言葉で自己を示すことを強いられ/選び、その示しの「不可能」に直面し、そしてその不可能を、他者から「尊いもの」を与えられるという幻想に変え、その他者の欲望の証左をファルスに求めるという、子どもの世界の有為転変がここで完成する。

「排除」⇔「棄却」
歴史の始まりから、象徴的機能は父を掟の体現者と同一視している。
主体の存在に関する原初的な何かが象徴化されない、しかも抑圧されるのではなく棄却されるという事態が、「排除」である。
シニフィアンの排除によって引き起こされるのが精神病である。
シニフィアンが単独で存在することは決してなく、連鎖としてしか存在しないので、一つのシニフィアンの欠如によってシニフィアン全体が巻き込まれることになる。
シニフィアンの不在を代償しながら生活し、表面上は正常とみなされるような行動をとってきた主体にとって、ある日突然、代償を可能にしていた支えが機能不全に陥ってしまう、これが精神病の発病である。

・性的対象への接近は内在的ともいえる本質的な困難を示す。
エディプスコンプレクスの概念は、主体の性の探求にはじめから一つの「禁止」が刻印されているということを強調する。
主体は、自らの根源的な対象である母親への愛を禁じられてはじめて、人間的な性生活に与ることができる。
「性欲動」の構造には、人と人との完全な愛の成就を妨げる致命的な欠陥が見出される。
性欲動は本来的に、口や肛門や目といった身体器官をそれぞれの源泉とする「部分欲動」であるが、それらの部分はけっして一つの完全な「全体」へと統合されはしないからである。
ラカンが「性に向かう存在」と名づけた私たち人間は、常にこのような性の逆説を生きることを余儀なくされている。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-81>
 草の葉に置き初めしより白露の袖のほかなる夕暮ぞなき  順徳院

続後撰集、秋上、題知らず。
邦雄曰く、この一首、紫金和歌集には見えない。だが、建保3年6月の当座歌合「深夜恋」題に、「笹の葉や置きゐる露も夜頃経ぬみ山もさやに思ひみだれて」があり、この人麿写しの秀作は、順徳院18歳の作。「袖のほかなる夕暮ぞなき」の鮮やかな修辞も、多分若書きであろう。24歳で配流になる順徳院には「白露の袖」こそ青春の形見であった、と。

 初瀬山檜原の嵐うづもれて入相の鐘にかかる白雲  飛鳥井雅世

雅世卿集、永享九年六月、広田社百首続歌、暮山雲。
邦雄曰く、白雲は峰を隠すのではない。檜原を覆うのでもない。「入相の鐘にかかる」としたところに、この作品の心にくい技法の冴えを見る。縹渺としてもの悲しい眺めが、秀れた水墨画さながらに浮かんでくる。「故郷露」題で、「露深み見しこともあらぬ庭草を払ふはいつの袖の秋風」とともに、飛鳥井家七世の裔として、さすがというべき持ち味が見られる。

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October 27, 2006

秋よ今残りのあはれをかしとや‥‥

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-世間虚仮- 恐れ入谷のSHINJO劇場

曰く、涙の日本一、宙に舞う、大団円、号泣フィナーレ、日本一の花道‥‥。
昨夜の日ハムが中日を降した日本シリーズ、監督より先にチームメイトたちに胴上げされ、宙に舞った新庄剛志。
4月の開幕早々、今季限りと異例の引退宣言をして以来、球界きってのパフォーマー新庄は、引退セレモニーに見られるごとく、たえず奇抜な自己演出で、従来にも増してファンを喜ばせ、メディアを惹きつけ続けてきた。その仕上げが日本シリーズ進出、さらには昨夜の日本一とくれば、絵に描いたような幕切れで、出来過ぎのメイクドラマと言うしかないSHINJO劇場だ。
阪神のプリンスから転身したメジャーでの3年間は、彼自身にとっては成功半ば、挫折もまた半ばではなかったか。日本の球界に戻ってきて、阪神に「レギュラーポジションはないよ」と体よく断わられ、日ハム入団とともに新天地北海道へ。帰り新参の3年間はファンサービスのパフォーマンスに徹して、札幌ドームの動員数を福岡のダイエーホークスに迫るまでに急成長させ、とうとう仕上げは日本一とファンを歓喜に酔い痴れさせたSHINJOならば、成程、チームメイトたちに胴上げされるこの結末も、きわめて異例のこととはいえ肯けないではない。
新庄がこれからどんな転身を見せるのかはつゆ知らないけれど、引退宣言から見事な幕切れまでのこの一年で、メディアの評価は数倍してUPするのはまちがいないし、名告りを上げるスポンサーも目白押しだろうから、これから華麗なる転身物語が新たに紡がれゆくことだろう。

今年、花道を飾ったもうひとり、小泉劇場の主役、小泉純一郎は政治家をいまだ辞めるわけにもいかず、郵政造反組の復党問題に待った発言をするなど、安倍官邸に対してフリーハンドのご意見番然としているが、80歳を過ぎてまで隠然と君臨した挙句、鈴を着けられた猫よろしく隠居させられた中曽根や宮沢のような末路にはなりたくないだろうし、新庄君に倣ってさっさと政界から引退して、誰もが思いもつかぬ転身を図れば、さぞ壮快にして愉しかろうにと思うのだが、政界という権力の魔力にどっぷりと浸った妖怪たちの棲む魑魅魍魎世界では、なかなかそうもいかないものか。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-80>
 露涙いかが分くべきゆく秋の思ひおくらむ袖のなごりに  後柏原天皇

柏玉和歌集、五、秋下、暮秋露。
邦雄曰く、技法いよいよこまやかに多岐に、ほとんどクロスワード・パズルを思わせるまでに錯雑化する。二句切れの自問を三句以下で自答しつつ、また思い迷う感。「あひ思ふ名残なりせば別れ行く秋の涙と露をこそ見め」は「暮秋」題、ほぼ同工であるが、曲は「袖のなごり」の方がより複雑だ。文亀・永正、和歌ルネサンス期の、代表的な詠風の一例か、と。

 秋よ今残りのあはれをかしとや雲と風との夕暮の時  伏見院

伏見院御集、秋歌中に。
邦雄曰く、京極為兼のパトロンとして玉葉集にただならぬ精彩を加える抜群の作者の、なかでも個性横溢した秀歌。春野なごり三月盡しと、秋の果て九月盡しを「あはれ」と思いかつ「をかし」と見る趣向ではあるが、「雲と風との夕暮の時」と、漢詩調の下句をゆるぎなく据えた時、この心象風景は俄に生命を得て、単なる趣向の域を越え、迫ってくるものがある、と。

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October 25, 2006

夕暮の秋のこころを心にて‥‥

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-表象の森- 新訳のG.バタイユ 

光文社が今月より文庫版の古典新訳シリーズの出版をはじめた。
そのなかからさしあたりG.バタイユの「マダム・エドワルダ/目玉の話」を読んでみた。
成程、「いま、息をしている言葉で、もう一度古典を」とのキャッチフレーズを裏切らず、咀嚼された平易な翻訳で読みやすいにはちがいない。

「きみがあらゆるものを恐れているのなら、この本を読みたまえ。だが、その前に断わっておきたいことがある。きみが笑うのは、なにかを恐れている証拠だ。一冊の本など、無力なものに見えるだろう。たしかにそうかもしれない。だが、よくあることだが、きみが本の読み方を知らないとしたら? きみはほんとうに恐れる必要があるのか‥‥? きみはひとりぼっちか? 寒気がしているか? きみは知っているか、人間がどこまで「きみ自身」であるか? どこまで愚かであるか? そしてどこまで裸であるか?」 -マダム・エドワルダの冒頭序文より-

バタイユといえば出口裕弘の訳で「内的体験-無神学大全」を読んだのはもう遠い記憶の彼方。近年ではちくま学芸文庫の「エロスの涙」、訳は森本和夫だったが、「私が書いたもののなかで最も良い本であると同時に最も親しみやすい本」とバタイユ自身が語ったという彼の最後の著書。数多くの図版とともに「宗教的恍惚と死とエロチシズム」を人類の通史のなかで彼独特の論理で概括するといった趣だったが、ともかくエロスとグロティシズムにあふれた図版の豊富さには圧倒されるばかりであった。この書が本国のフランスで発禁処分にされたのは、終章の「中国の処刑」項で、20世紀の初頭、実際にあった「百刻みの刑」の模様を伝える数枚の見るもおぞましい写真を掲載し、論を展開している所為だろう。まことエロスとは死とともにきたりなば、サディズムと通底し、グロテスクの極みをもその深淵に宿すものなのだ。

その彼の小説といえば、これまで私自身接するのは願い下げにしてきたのだが、1970年代前後に生田耕作の翻訳で出された諸作品がかなり流布してきたとみえ、生田訳が定番のごときものとなってきたようである。
このたびの新訳出版の翻訳者・中条省平はあとがきのなかで、「もともと西欧語にとって、哲学的な語彙は日常的な言葉づかいから生まれたものである。それを西欧から輸入し、漢語で翻訳するという二重の外国語を経由して消化した日本語の哲学的語彙とは根本的に違っているのだ。」といい、「エロティシズムと哲学、セックスと形而上学とが荒々しく、直接に接合されている」この特異なバタイユ小説を、生田訳の「漢語を多用する哲学的な語彙と文語調の勢いのよさ」につきまとう難解臭から解き放ち、「日常の言葉と哲学的な表現を無理なく溶けあわせる」べく、訳出の狙いを語っている。
次に引く短編「マダム・エドワルド」終章近くの件りと、先に引いた冒頭序文を併せ読んでみれば、新訳者いうところの事情や狙いがある程度立ち現れてこようと思う。

「エドワルドの悦楽――湧きあがる泉は――彼女の胸がはり裂けるほどに――あふれながら、異様に長く続いていた。その淫蕩の波がたえず彼女の存在を輝きで包み、彼女の裸身をさらに裸にし、猥褻さをさらに恥知らずにものにした。女は、恍惚におぼれる肉体と顔を、形容しがたい鳩のような鳴き声にゆだね、おだやかさのなかで疲れた微笑み穂うかべて、乾ききった不毛の底にいる私を見つめた。私は女の喜びの奔流が解き放たれるのを感じた。だが、私の不安が、私の渇望した快楽をさまたげていた。エドワルドの苦しげな快楽は、私にぐったりと消耗を誘う奇跡の感覚をあたえた。私の悲嘆や発熱などなんの価値もないものだが、それらだけが、私が冷たい沈黙機の底で「いとしい女」と呼ぶ者の恍惚に応えうる、唯一の栄光だった。」

いうまでもなく本書所収のもう一篇「目玉の話」は、生田訳では「眼球譚」と題され、バタイユの処女作にしてもっとも人口に膾炙した稀代のグロテスク小説、その新訳版である。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-79>
 夕暮の秋のこころを心にて草葉も袖も分かぬ露かな  飛鳥井雅親

亞槐集、秋、文安五(1448)年九月、内裏月次五十首御続歌に、秋夕。
邦雄曰く、上句に、奇手に近い工夫を凝らし、下句を比較的平明体に仕立てた珍しい文体である。秋の夕暮の侘しさをそのままわが心としてと、深い嘆息をこめて歌い出し、沈思のまま宵闇に紛れる姿、漢詩和訓調をそのまま生かしたかの響きが、この簡潔さを生んだのか。飛鳥井雅経のはるかな裔、二世紀の後にもなお「夕暮の秋の心」に系譜を伝えている、と。

 いかにまた秋は夕べとながめきて花に霜置く野べのあけぼの  藤原家隆

六百番歌合、秋、秋霜。
邦雄曰く、今は荒ぶ花野の眺め、初句はほとんど調子を強めるための囃子に似るが、装飾的な下句に見事に照応している。歌合では左が兼宗の「初霜や秋をこめても置きつらむ今朝色変る野路の篠原」で家隆の勝。この題の傑作の一つに、良経の「霜結ぶ秋の末葉の小篠原風には露のこぼれしものを」あり、第四句を「露は風に」ならばなどと論難が集中、と。

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October 24, 2006

うす霧の籬の花の朝じめり‥‥

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-世間虚仮- 今朝の見出し

◇福島県、佐藤前知事を逮捕-9億7000万円収賄容疑
木戸ダム発注工事の談合事件-福島疑惑-で、知事実弟の企業所有地を時価を大幅に上回る高嶺で建設業者に9億7000万円で買い取らせたその代金を賄賂として認定したもの。

◇京都府長岡京市の3歳児餓死の虐待事件-通報5件にも児相動かず。
巨樹地域の自治会はこの虐待を2月から見守りつづけ、民生委員らと連携し、児童相談所に連絡を3回5件取っていたにもかかわらず。

◇郵政造反組復党へ-安倍首相容認、現職12人を優先
参院選対策に早期一括復党を主張する青木幹雄参院議員会長の意見を受け復党容認へ。
なお落選組議員も12名いるが、青木側はこれら元議員らも一括復党を求めている。

◇ソフトバンク、自社間通話タダ-独り負けの危機意識、価格競争突入か
同社契約同士なら通話料・メール代が一部の時間帯を除いてすべて無料となる新料金プランを26日から導入。

◇教育基本法改正案、首相「成立最優先で」-与党、補選勝利で攻勢
愛国心を掲げ、良識ある公民教育を養うとする改正案の早期成立へ本格化。

◇タリバン政権崩壊から5年、アフガニスタンは今-麻薬、GDPの5割-
国民2500万のうち推計で数百万人が餓死寸前とみられるこの国で、ケシ栽培が激増、麻薬は国内総生産(GDP)の5割を超えるという。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-78>
 誰が袖に秋待つほどは包みけむ今朝はこぼるる露の白玉  後嵯峨院

新後撰集、秋上、題知らず。
邦雄曰く、単に擬人化とは言えない豊かな流れるような自然への愛が、様式化された技法の背後に感じられる。第四句の「今朝は」には、作者の瞠った瞳が、視線が感じられる。新後撰集入集25首、なかにも秋上は最も多く4首。「山深きすまひからにや身にしむと都の秋の風をとはばや」など「露の白玉」とはまた異なった歌風、これも作者の一面であろう、と。

 うす霧の籬(マガキ)の花の朝じめり秋は夕べとたれか言ひけむ  藤原清輔

新古今集、秋上、崇徳院に、百首奉りける時。
邦雄曰く、後鳥羽院の「夕べは秋」は春夕礼讃で、これは秋夕に対しての秋朝讃美。その美の象徴は、朝霧に濡れる垣根の秋草の花、枕草子の「秋はゆふぐれ、夕日のはなやかにさして」を心に置きながらの「たれか言ひけむ」であろう。優雅に異を称えて、新境地を発見するのも、中世の美学の特徴の一つであろうが、この歌など、その典型と言うべきか、と。

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October 23, 2006

花の色は隠れぬほどにほのかなる‥‥

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-表象の森- セピア色した昭和30年代-「時の物置」

劇団大阪公演、永井愛・作「時の物置」を、土曜日(10/21)のマチネーで観た。
永井愛はこの10年、紀伊国屋演劇賞や岸田戯曲賞、読売文学賞など、各戯曲賞を総なめにするほどに評価も高い、今もっとも脂ののった劇作家だが、今浦島の如き私には寡聞にして初の見参である。
このたびの「時の物置」は昭和生活史三部作の一つとされ、舞台は高度成長期の真っ只中、1961(S36)年の東京のとある下町の「新庄家」なる、当時としてはごくありふれた三世代家族に巻き起こる悲喜こもごもの日常が描かれる。
団塊の世代の、おそらくもう少し後の世代であろう永井愛の、すぐれて批評的なウェルメイド・プレイと評される作劇の核心は、その時代を映す「モノ」との関わりにきわだってあるようだ。この「時の物置」では物置の中のテレビがその「モノ」にあたるわけだが、この時代、家の中にやってきたテレビが、どこの家庭でもその家族のありかたを劇的なほどに変えたことだろう。
当日パンフから紹介されたstoryを拾うと
裕福ではないが誇り高い「新庄家」にはまだテレビがない。ところが、何度に下宿するツル子がテレビを貰ってしまい、近所の主婦仲間たちが入り浸り。新庄家の主婦でもある、祖母・延ぶは気が気ではない。娘の詩子夫婦がツル子にテレビを贈ったのは、何か下心あってのことなのだ。息子の光洋は中学教師の傍ら、たった二人きりになってしまった同人誌仲間と私小説を書いている。孫の秀星は大学の自治会委員長選に恋人に引っ張られるように打って出る。大学受験を控えたもう一人の孫の日美は新劇女優を夢みている。それぞれの想いや志、挫折や衝突を通じて起こるさまざまな出来事が、戦後、劇的に変化する昭和という時代の写し鏡ともなって、それぞれの忘れられない「時」が新庄家の茶の間に刻まれてゆく‥‥、となる。

普段は稽古場ともなるアトリエ、谷町劇場での公演は、いつもながらのことだが、舞台美術、照明、音響効果など、そのアンサンブルは万事抜かりなく文句はない。
スタッフの充実ぶりにひきかえ、これまたいつもながら、芯となるべき演技陣の弱体ぶりは久しく、今回の舞台も劇世界を濃密に映し出すには遠いと言わざるを得ない。とりわけ日常的な行動様式のなかにリアリティを失わない演技とはより困難なものであるとしても、この劇団にとって演技陣の育成と充実は急務だろう。
昭和36年といえば私自身は高2だったが、高校時代の3年間と果敢にただひた走りに走ったその後の3年ほどとは折り重なるようにして私にはある、私にとって特別なその時期はたえず戻りゆく原点のようなものでもあり、決してセピア色したレトロな風景などでなく、今なお色褪せもせず擾々として生々しい形のままにあるのだ。そんな身からすれば、この舞台が、作劇の責めに負うことか演技者たちの未熟に拠ることかの判断を措くとしても、なにやら懐かしくもセピア色した風景と化してくるのには、どうしても消化不良を起こしやるかたのない不満を覚えてしまうのである。
昨秋から今年にかけては映画「Always三丁目の夕日」が大ヒットしていたようだが、それより以前ここ十年ほどは、昭和30年代、40年代のレトロ・ブームが巷に溢れ、この頃の街並を再現したショップ空間などがあちこちに見られるようになっているが、このような風俗化ときわどいところで一線を画しつつ、その時代相を鏡に「いま」という時代をアクチュアルに捉え返すという作業は、なまなかなことではできそうもないことと私などには思われる。

アクチュアルな現代の演劇とはうって変わって、日曜の昨夕は、「天羽瑞祥リサイタル」と銘打たれた日舞の会を観るため文楽劇場へと出かけた。
琵琶の奥村旭翠さんが委嘱を受け、四国祖谷渓に残る平家落人伝説に材をとった新作舞踊「風そよぐ」の作曲・演奏をしているためだ。
件の新作は13.4分の小品だが、観たところその舞は四段に分かれ、その都度、人物を演じ分けていたようだが、いささか煩瑣に過ぎたように思う。元々運びがゆっくりとした舞のこと、短い時間での演じ分けはドラマの深化の妨げとなろう。そこで得意とする手技=エッセンスの網羅と堕してしまう。
私は日舞の世界に比べればもっとテンポの早い洋舞の世界に属するが、その日も偶々稽古場で、アスリートから芸術分野に至るまでいっさいの身体表現=身体所作における「普遍文法」について少しばかり語ったのだけれど、その観点から照らしてみても、この天羽流家元を名のる舞い手には、静の所作、動の所作のいずれにもなにかしら「硬さ」が感じられたことを付言しておきたい。それは新作発表への必要以上の意気込みからきたものか、本来の彼女自身の所作のありよう-芸風に因るものかは、初見にて判別のしようもないが。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-77>
 分け来てもいかがとはましその名をも忘るる草の露のやどりは  後土御門天皇

紅塵灰集、忘名難尋恋、親長卿張行恋五十首続歌、応仁二(1468)年七月。
邦雄曰く、唖然とするほど複雑な、凝りに凝った恋歌の題、しかも結果的にはほとんどナンセンスに近い趣向だが、初句から第四句半ばまでの、口籠もりつつ述懐するような調べはふと題を忘れさせる。結句には、人の気配今はすでになく、草茂るにまかせた住家の跡に、呆然と佇む公達の孤影が浮かんでくる。「露のやどり」とは、至妙な象徴の言葉であった、と。

 花の色は隠れぬほどにほのかなる霧の夕べの野べの遠方(ヲチカタ)  藤原為子

玉葉集、秋下。
邦雄曰く、秋草の、白・黄・紫の淡々しい色にうっすらと霧がかかり、しかも、夕月の下の衣の襲色目のように、ゆかしく匂い立つ。「隠れぬほどにほのかなる」の第二・三句の微妙な斡旋は、作者の歌才を示す。しかもそれが、万葉集の歌の一句「「かくれぬほどに」を題に取った、殊更な趣向との詞書を見れば、一入に面白い。花野の扇絵を思わせる一首、と。

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October 21, 2006

秋を世にわれのみしをる心とや‥‥

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-表象の森- フロイト=ラカン:「事後性」⇔「心的外傷」、「象徴界」⇔「偶然はない」、「構造主義」⇔「進化論」
     ――Memo:新宮一成・立木康介編「フロイト=ラカン」講談社より

「事後性」⇔「心的外傷」
・「事後性」-「シニフィアンの遡及作用」
ラカンは、シニフィアンのシニフィエに対する優位を唱え、シニフィエをシニフィアンへの効果へと還元した。
外傷とは何よりも、事後的に、つまり遡及的に、意味(シニフィエ)を与えられるシニフィアンである。

「象徴界」⇔「偶然はない」
歴史は象徴界に属する。つまり、私たちの記憶はシニフィアンの法に支配されるということ。
フロイトは、「私は外的(現実的)な偶然は信じるが、内的(心理的)な偶然は信じない」といった。
内的・心理的事象はすべて無意識の動機による決定を受けているのであり、ラカンはこれを「象徴的決定」と呼ぶ。
「反覆される(符合しあう)偶然」-反覆、すなわちシニフィアンの回帰・符合は、象徴的決定の重要な発現形式の一つである。

「構造主義」⇔「進化論」
・「自己言及」という構造的規定を引き受け大文字の他者からの問いかけにさらされることを肯定することが、構造主義の要点である。
人間の精神が、発話する主体の座であるとされるなら、どんな確定的な言辞も、欲望からくるある程度の「あやしさ」を有するだろう。
発話するための欲望はどこからくるのか、再び他者からである。。
「人間の欲望は他者の欲望」であって、精神とは一つの欲望の器という「物」なのだ。
私は私の生を歴史のように振り返り、私の生を未来との関係で了解している。私が振り返ることによって発生するこの歴史は、「事後的に」成り立つ歴史である。事後性の仕組みが私の生を無意識から支えているのである。
人間を脱中心化しているのは、生物進化の過程ではなく、シニフィアンたちの作用なのである。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-76>
 いかにせむ真野の入江に潮みちて涙にしづむ篠の小薄  源顕仲

住吉社歌合、薄恋。
邦雄曰く、大治3(1128)年9月、時に神祇伯の顕仲主催による歌合。判者も顕仲。番は藤原顕輔で、「いつとなく忍ぶも苦し篠薄穂に出でて人に逢ふよしもがな」。判者は自作の「涙にしづむ」を「心もゆかねば」と謙遜しているが、誰の目にもこの第四句をこそ一首の命であろう。真野は普通は近江の歌枕だが、「潮みちて」とあるからには、摂津の真野と考えるか、と。

 秋を世にわれのみしをる心とや岩木にはらふ露の朝風  下冷泉政為

碧玉集、秋、初秋朝風
邦雄曰く、助詞の添え方ひとつ、形容詞の配置ひとつにも凡を嫌い、構成に腐心したあとが見られる。初句の「秋を世に」から結句の「露の朝風」まで、あたかも、六百番・千五百番歌合頃の定家・家隆の技法にさらに一捻りした感あり。たとえば「袖露」題の「おかぬ間もほさぬは秋の袖の上をなほいかにとか露かかるらむ」にしても同様、修辞の彩、眼を奪う、と。

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October 20, 2006

暮れはつる尾花がもとの思ひ草‥‥

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-世間虚仮- 今朝の見出し

◇北朝鮮核実験、金総書記に中止要請-訪朝の唐国務委員(前外相)が中国胡錦涛国家主席の意向伝達

◇対北朝鮮制裁、日米と韓 溝埋まらず-日米韓外相会談、ライス米国務長官・麻生外相と韓国外交通商相

◇ディープから薬物、凱旋門3着取り消しも
10/1のパリ凱旋門賞レースで3着だったディープインパクトが欧州競馬で禁止されている薬物反応があったとされ、失格・賞金返還となるもよう。

◇ソニー、電池回収に510億円-3月期予想、営業利益800億円減
過熱・発火事故を起こしたリチウムイオン電池の回収が、最終的に約960万個に達する見込み。

-序でにわたくしごと-
昨年10月だったか、Tu-Kaのauへの吸収合併で、今年になってからうるさいほど再々にわたってauへの変更手続を迫る書面や電話攻撃にさらされてきたが、昨日ようやく重い腰をあげて近所のau店で手続完了。新機種に変わってネット接続もOKになったものの、お蔭で1万円ほどの出費だから、日進月歩の多機能などとんと関わりござらぬ身にはとんだ災難。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-75>
 暮れはつる尾花がもとの思ひ草はかなの野べの露のよすがや  俊成女

俊成卿女家集、北山三十首、恋。
邦雄曰く、藻を靡かせて花野を奔るような律調、初句の響の強さはもとより下句の「の」を重ねて、弾み転ぶ調べに、建保期、承久前の、40代半ばと思われる作者の、衰えぬ力量をまざまざと見る。しかもこの歌の真意は、「露のよすが」さながらに頼みにならぬ思い人への、婉曲な託言である。「思ひ草」は寄生植物の南蛮煙管とする説が有力とも聞く、と。

 ふけわたる月もうらがれの草の葉に影よりむすぶ秋の初霜  邦輔親王

邦輔親王集、秋霜。
邦雄曰く、16世紀中葉の、ほとんど爛熟期を過ぎたかと思う和歌の、典型的な一例であろう。第二句から第四句の複雑な、言葉の陰翳の重なり縺れる姿、「月もうらがれの」「影より結ぶ」は、一首に2箇所の秀句表現とも言おうか。殊に第二句一音の余剰のゆらめきは、幽玄のルネサンスかとさえ思う。やや時代のついた水墨の晩秋花園を見る感あり、と。

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October 19, 2006

夢かさは野べの千草の面影は‥‥

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-表象の森- はじまりのひろがり

はじめからやりなおすことの利点。
はじまりの地点にはひろがりがある。
どの方向でもいい。最初の枝とおなじ方向にすすむとしても、
それはおなじ流れをつくらない。ちがう時間がちがう流れをつくり、
前の流れからいつかそれていく。
根から這いのぼる別な時間の樹液はそこにあった枝にかさなっていても、
いつか別な方向を見つけてあたらしい枝をのばす。
そのゆっくりとした途絶えないうごき。
うごきが見えないほどちいさくなれば、流れは全体にひろがっていく。
   ――― 高橋悠治「音の静寂・静寂の音」平凡社より

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-74>
 夢かさは野べの千草の面影はほのぼのなびく薄ばかりや 藤原定家

六百番歌合、冬、枯野。
邦雄曰く、曲線を描きつつ一瞬に流れ去るような調べは、誦すほどに、味わうほどに精緻な技法を感得する。歌合では「始め五文字あまりなり。終りの「や」の字甘心せず」と、散々の不評であったが、俊成はこの難をやんわりと退けて定家の勝とした。もっとも、左の寂蓮は言わば対等以下だし、作品そのものも冴えなかったからでもある、と。

 明日も来む野路の玉川萩こえて色なる波に月宿りけり  源俊頼

千載集、上、。
邦雄曰く、野路の玉川は近江草津の近くの歌枕。花盛りの萩の下枝に波がかかり、花の色は移ろうが、そこへ月のさすさま。「明日も来む」の弾むような歌い出し、「萩こえて色なる波に」あたりの、俊頼独特の、屈折に富んだ修辞、後年定家も大いに称揚した作である。詞書に見える俊忠は藤原俊成の父、権中納言に任ぜられた時は保安3(1122)年51歳だった、と。

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October 18, 2006

ふるさとは浅茅がすゑになりはてて‥‥

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-表象の森- 「塔に幽閉された王子」のパラドックス

「三島由紀夫」とはなにものだったのか-橋本治著-を少し前に読んだ、
文庫にして470頁余とこの長大な三島由紀夫論は、三島の殆どの作品を視野に入れて、堂々めぐりのごとく同心円上を螺旋様に展開して、作家三島由紀夫と私人・平岡公威の二重像を描ききろうとする、なかなか読み応えもあり面白かったが、読みくたびれもする書。
書中、「塔に幽閉された王子」のパラドックスとして繰りひろげる「豊饒の海」解釈はそのまま的確な三島由紀夫論ともなる本書の白眉ともいえる箇所だろう。

「塔に閉じこめられ、しかしその塔から「出たくない」と言い張っていた王子は、その最後、幽閉の苦しみに堪えかねて、自分を閉じこめる「塔」そのものを、投げ出そうとしている。「塔」から出るという簡単な答えを持てない王子は、その苦しみの根源となった「塔」そのものを投げつけようとするのである。
なぜそのように愚かな、矛盾して不可能な選択をするのか? それは「塔から出る」という簡単な選択肢の存在に気がつかないからである。「塔から出る」とは、他者のいる「恋」に向かって歩み出ることである。「私の人生を生きる」である。なぜそれができないのか? なぜその選択肢の存在に、彼は気がつけないのか?
それは、認識者である彼が、自分の「正しさ」に欲情してしまっているからである。自分の「正しさ」欲情してしまえば、そこから、「自分の恋の不可能」はたやすく確信できる。「恋」とは、認識者である自分のあり方を揺るがす「危機」だからである。彼は「恋の不可能」を確信し、その確信に従って、自分の認識の「正しさ」を過剰に求め、そして、彼の欲望構造は完結する。彼を閉じこめる「塔」とは、彼に快感をもたらす、彼自身の欲望構造=認識そのものなのだ。
肥大した認識は、彼の中から認識以外の一切を駆逐する。彼の中には、認識以外の歓びがない。「認識」を「病」として自覚することは、「認識以外の歓びが欲しい」ということである。しかし彼はそれを手に入れることができない。苦痛に堪えかねて「認識者」であることを捨てる――その時はまた、彼が一切を捨てる時なのだ。」

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-73>
 秋はただ心より置く夕露を袖のほかとも思ひけるかな  越前

新古今集、秋上、千五百番歌合に。
邦雄曰く、詞書は錯記であって正治2年院二度百首。秋の悲しみに心から溢れるものこそ、夕べの露であるものを、袖の涙以外のものと思っていた。同趣数多の歌の中で「心より置く」「袖のほか」の、こまやかな修辞で他と分つところを示す。俊成女・宮内卿と並ぶ才媛で、千五百番歌合作者。作風は三者中最も質素で、細々とした調べを特徴としている、と。

 ふるさとは浅茅がすゑになりはてて月に残れる人の面影  藤原良経

邦雄曰く、詞書に「長恨歌の絵に、玄宗もとの所に帰りて、虫ども鳴き草も枯れわたりて、帝歎き給へるかたあるところを詠める」とある。虫の鳴く場面は原典にはないが、雰囲気の協調であろう。後世、平氏福原遷都の後の今様、「古き都を来てみれば浅茅が原とぞ荒れにける」もこの調べを伝えている。結句の「なく」は、虫の鳴き声、わが鳴き声である、と。

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October 17, 2006

幾夜経て後か忘れむ散りぬべき‥‥

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-世間虚仮- 今朝の見出し

◇意識不明 6時間放置-妊婦転送 18病院拒否-奈良
分娩中に意識不明に陥った妊婦に対し適切な処置ができず、受入れ先を打診した18病院にも拒否され、県外60キロの吹田市にある国立循環器病センターに収容、脳内出血と帝王切開の手術を受け男児を出産するも、母親は重体のまま一週間後に死んだ、という8月に起こった事件。
記事を読むかぎり、分娩入院していた大淀病院の産科医の判断ミスに責任の大半はありそうだが、現在までのところ病院側は、容体急変の対応に問題はなかったとして過失責任を認めていない模様。

◇北朝鮮の核実験確認-放射性物質分析による推定は1㌔㌧未満-実験失敗説濃厚

◇自爆テロ92人死亡-スリランカ
海軍兵士を積んだバスの車列に爆発物を積載した小型トラックが突っ込む。
死傷者の数はなお増える恐れ-同国内での自爆テロとしては過去最大規模の被害、と。

◇「いざなぎ」超えの長寿景気の実態-二極化押し広げ、3人に1人が非正規雇用、年収200万以下981万人

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-72>

幾夜経て後か忘れむ散りぬべき野べの秋萩みがく月夜を  清原深養父

後撰集、秋中、秋の歌とてよめる。
邦雄曰く、月光に荘厳される萩、散り際の乱れつつ匂う萩を、この後暫くは忘れ得ぬ心であろう。「みがく」は飾り装う意もあり、また映ずることと考えてもよかろう。「忘れむ」で、却って忘れ難さを思わせるあたり、深養父の持ち味の一つか。一説にはこの歌、言外に、萩に結ぶ夜露が、月光を映しつつ「みがく」こととする。第三句の斡旋の細やかさ、と。

 山萵苣(ヤマヂサ)の白露しげみうらぶるる心も深くわが恋止まず  柿本人麿

万葉集、巻十一、物に寄せて思ひを陳ぶ。
邦雄曰く、山萵苣はエゴノキ科のエゴノキあるいは萵苣(チシャ)の木とも言い、萵苣の木は茜草科の三丹花の別名でもある。また一説には食用の萵苣のこととも伝える。「山萵苣 白露重 浦経心深 吾恋不止」、人麿はむしろこの字面と語感の面白さに詩因を求めたのではあるまいか。なお菊科の野菜萵苣は、同科の「秋の野芥子」属で日本にもその原種は野生していた、と。

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October 15, 2006

忘れずよ朝浄めする殿守の‥‥

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-四方のたより- 行き交う人びと-河野二久物語

河野二久とは小学校時代の恩師である。5年と6年の担任だった。当時のことだから旧師範を出た若い先生で、26.7歳だったであろうか。来春早々の誕生日で満77歳になるというので、このほど喜寿を寿ぎ同窓の集いをすることとなった。
日取りは些か急なるも秋の内にということで11月23日、会場は市岡芋づる会のお仲間でもある九条新道近くの宵望都にお願いした。

九条南小S31年度卆同窓会
「河野先生の喜寿を寿ぎつどう-1-」
「河野先生の喜寿を寿ぎつどう-2-」

「聞き書、河野二久物語」

-九条南小時代の思い出断章-
「九条南小時代の十年は、まだ独身だったから、柏木先生など所帯持ちの先生と交代したりするせいで、三日に一度は宿直で学校に泊まっていたなあ。」とその眼差しは遠くを見やりながら懐かしそうに語りはじめた先生。「宿直の夜はきまって米を持参して自炊。よく女の子たちはおかずの買い出しに行ってくれたし、夜になると男の子たちがぞろぞろやって来ては、お化け屋敷ごっこして遊んでいたな。」という先生には宿直にまつわる懐かしいエピソードは汲めども尽くせずなのだろう。
放課後も毎日のようにみんなと暗くなるまでよく遊んだという先生。今にして思えば、ぼくらが遊んで貰ったのか逆に遊んでやったのか、どっとも言えないのではないか。運動会での組立体操の取組みをずいぶん熱心に主導して、みんな熱心にやったからまあまあの成果が上がったこと、これは正調教員としての思い出。「真冬の寒い日、補習授業で何人か残っていたとき、夕方暗くなると、だれかのお母さんが様子を見に来て、そのまま帰ったと思ったら、ほかほかの焼き芋を持ってきてくれてネ、これが美味しくて、嬉しかったなあ」と。この母親はだれだろう? まだうら若い母親だったとしたら、先生、少しばかり胸をときめかしていたのかもしれないぞ。(コレは此方の逞しき想像)

-代々僧家、大坂夏の陣で寺焼失の憂き目-
河野二久、昭和5年1月4日、堺市中之町東3丁24番地に生まれた。
恵美須町から浜寺まで今も一両きりのチンチン電車が走る阪堺線、その宿院や寺地町界隈は昔から神社仏閣の建ちならぶ、嘗ての自治都市堺の顔とも言うべき一帯。古くは千利休の屋敷跡もあり、与謝野晶子の生家跡もある。
父は通(トオル)氏、母は二久が1歳に満たぬ間に死亡したという。兄と姉につづいて次男として生れたが、上の二人は幼くして早逝したので実質は長男として育つ。母親に死なれ、父は後添を迎え、そのあいだに三女をもうけた。
河野家は代々続いた僧家であった。父・通氏で18代目だという。通氏は僧籍を有しつつ、小学校の教員もしていた。堺市内の小学校、後には大阪市内の小学校にも勤めた。おもしろい偶然だが、天王寺師範(現・大阪教育大)を卆えて大阪市教委に採用された弱冠二十歳になったばかりの二久が、九条南小に初めて赴任してきた時、父は九条北小に奉職していたという。当時、親子二人が毎朝同じ家を出て九条まで通い、北小と南小に別れ、子どもらを相手に教鞭を取っていたわけだが、そんな日々が父親の退職を迎えるまで3年続いたというのだ。
祖父は知らず、二久が生れる以前に他界しているが、僧でありつつも小学校の教鞭をとっていたらしい。祖父、父、二久そして息子と、明治後半から4代続いた教職家系である。祖母は二久13歳の頃まで生き、実母を早く亡くした孫をよく可愛がり、またよく躾けたようである。まだ幼い頃だが、その祖母に連れられて、一度だけ、大阪市福島区の母親の実家を訪ねたことが記憶の片隅に残るという。実母との縁の糸はそれのみか。
代々僧家だったという河野家の初代は真宗大谷派の常満寺住職。父親で18代目だから、二久本人で19代、高校の英語教師という息子さんで20代となる。仮に一代30年とすれば600年を遡ることになるから、初代発祥は室町時代中葉頃かと推測されるが、好事魔多し、時は移って豊臣家滅亡となる大阪夏の陣のさなか、前の冬の陣以後、徳川方に占拠されるようになった堺の豪商たちは東軍の御用商人となっていたのだが、これを恨み、報復の意もあって、大阪方の大野治胤は、ほとんど無防備だった堺の焼討ちを断行するという事件があった。どうやら、河野家先祖の寺は、この折りに焼失の憂き目をみたらしい。時に慶長20(1615)年4月28日のことで、大阪城の落城はその十日後の5月8日であった。
寺は焼失したとて、檀家は残る。以後、河野家は寺を持たぬ僧家として残った檀家に支えられ父親の18代まで継がれてきたというのである。

-長くもあり短くもあり、77年の来しかた-
1931(昭和6)年の「満州事変」以後、満州の植民地化から十五年戦争、そして太平洋戦争へと雪崩れこみ、国家総動員体制下の戦前を生きた幼少年期。そして空襲、敗戦、廃墟と混乱から戦後の復興期に学生時代を経て小学校教員へと歩み出し、以後、教員一筋の40年余。
小学校入学は昭和11年、明治5年創立という少林寺尋常小学校。万年山少林寺の境内に建てられたことに由来しているように、校区内には現在でも南宗寺をはじめ30を超えるお寺が在る。正門には与謝野晶子の歌碑もあり、歴史と伝統ある地域の学校として今日に至る。
旧制府立堺中学(現・三国丘高) いわゆる大阪府第二中への入学は昭和17年。太平洋戦争の真っ只中、1年生の時こそ授業も平常で勉強できたものの、2年生からは勤労奉仕に狩り出されてばかりで勉強した記憶はほとんどない。3年に進級してからは堺化学工場にずっと勤労動員。
4年の夏、終戦となるが、その前月の7月10日、堺大空襲に遭い、自宅は焼失。その後の数年間、昭和26年4月、大阪市住之江区中加賀屋の教員住宅に居が定まるまで、仮のわび住まい状態がつづいた。
昭和22年4月、大阪第一師範学校(俗に天王寺師範-現・大阪教育大)へ進学、25年3月卒業。当時は旧制高校に準じた3年制であった。
卒業と同時に大阪市へ小学校教員として奉職、教員としての略譜は以下のごとく。
 S25年4月、西区、九条南小学校赴任、 ―10年間
 S35年4月、港区、築港小学校赴任、  ―10年間
 S45年4月、東住吉区、矢田小学校赴任、―8年間
 S53年4月、城東区、東中本小学校赴任、―12年間
 H2年3月、60歳にて大阪市教委を定年退職。
 H2年4月、東住吉区、城南短期大学附属小学校へ勤務  ―6年間
 H8年3月、  同上退職。
しかし、一昨年(H16年度)も城南から欠員が出たため急遽依頼され、6ヶ月間の臨時勤務をしている。
自宅から道路を挟んで城南の校舎があるという、文字通り眼と鼻の先だから重宝されたと見え、こういうケースはたびたびあった、という。

-家族たち・趣味の世界、老後の日々-
幼稚園教諭であったという夫人との結婚は昭和39年11月。友人の紹介で知り初めた。
翌40年には男児に恵まれ、44年には女児が誕生して、一男一女。長男は親同様に教職に進み、奈良県にて高校の英語教員をしている。既に結婚しており、一男(7歳-小2)一女(5歳)あり。長女は未婚、栄養士として病院に勤務。
ゴム版画と写真は若い頃から趣味としていたが、近年は、今春、みんなにお知らせした「コゲラ展」のように木版画を楽しんでやっている。毎日文化センターの木版画教室に通ったのがちょうど10年前で、以来ずっと隔週ペースで通いつづけている。また、地域の学校開放による「ゆざと軽スポーツクラブ」では卓球を週1回の集いで楽しんでいる。以前は、遺跡発掘の現地説明会などを新聞などで見つけると、よく聞きに行って、写真を撮ったり関連資料をスクラップしたりしたものだが、最近は些かご無沙汰気となっている、とざっとこんな次第である。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-71>
 尋ねつる心や下に通ふらむうち見るままに招く薄は  藤原清輔

清輔朝臣集、秋、秋野逍遥しけるに薄の風になびくを見て
邦雄曰く、薄の擬人化はいずれも同工異曲、「招く」に帰するようだ。この歌の以心伝心、薄との交感など、薄の歌群中でも殊にねんごろなものだろう。清輔には薄題が多く、家集にも「武蔵野にかねて薄は睦まじく思ふ心の通ふなるべし」「糸薄末葉における夕露の玉の緒ばかり綻びにけり」等、心を盡した調べである。「尾花」はむしろ用例が少ない方だ、と。

 忘れずよ朝浄めする殿守の袖にうつりし秋萩の花  後嵯峨院

続後撰集、秋上、九月十三夜、十首の歌合に、朝草花。
邦雄曰く、主殿寮の役人が朝々、宮中を清掃する姿は、拾遺・雑春に「殿守のとものみやつこ心あらばこの春ばかり朝浄めすな」が見える。御製は調子の高い初句切れで始まり、絵巻物の残欠のように美しい。第四句は花摺となって色を移したことを、また匂いを止めたことをも言うのだろう。十三夜歌合の回想詠としても、なかなの趣向、まさに忘れ難い、と。

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October 14, 2006

ものおもはでかかる露やは袖に置く‥‥

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-表象の森- 「津島家の人びと」

津島家とは太宰治(本名-津島修治)の実家である。あの斜陽館は太宰の父・津島源右衛門が明治40(1907)年に当時の贅を尽くして建てた邸宅だ。
「津島家の人びと」(ちくま学芸文庫)は、1868年の明治維新を遡ること100年ほど、金貸しから身を興し、凶作で苦しむ農民の田畑を買い占めて代々財を成し、果ては銀行まで設立する新興の商人地主であった津島家の系譜を丹念に辿り、その全盛を極めた源右衛門とその後継である文治(長男)親子の栄華と凋落の有為転変を詳細に活写してくれて、太宰の出自とその放蕩や文学形成の傍証として読むのもおもしろいだろう。

-今月の購入本-
高橋悠治「高橋悠治コレクション1970年代」平凡社ライブラリー
ジョエル・レヴィ「世界の終焉へのいくつものシナリオ」中央公論新社
ヤーコブ・ブルクハルト「イタリア・ルネサンスの文化-1-」中央公論新社
M.フーコー「フーコー・コレクション-2-文学・侵犯」ちくま学芸文庫
野崎歓「カミュ「よそもの」きみのともだち」みすず書房

-図書館からの借本-
新田一郎「太平記の時代-日本の歴史11」講談社
小林康夫「青の美術史」ポーラ文化研究所
市川浩「私さがしと世界さがし-身体芸術論序説」岩波書店
笹山隆「ドラマの受容-シェイクスピア劇の心象風景」岩波書店
S.グリーンブラット「シェイクスピアの驚異の成功物語」白水社
保苅実「ラディカル・オーラル・ヒストリー-オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践」御茶の水書房

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-70>
 露かかる蘆分小舟深き夜の月をや払ふ海人の衣手  肖柏

春夢草、下、雑上、漁夫棹月。
邦雄曰く、一句一句が互いに光りつつ響き合う巧みな構成、秋も半ばのやや黄ばんだ蘆の繁みを分ける漁り船、蘆分小舟(アシワケオブネ)も簡潔な言葉だが、その蘆からこぼれる夜露を払おうとして降りそそぐ「月をや払ふ」第四句は、見事な秀句表現。二句切れに仕立ててあるので、連歌の長句的完結も感じられるぬ。連歌師なればこその技巧であろう。題も充分に生かされた、と。

 ものおもはでかかる露やは袖に置くながめてけりな秋の夕暮  藤原良経

新古今集、秋上、家に百首歌合し侍りけるに。
邦雄曰く、六百番歌合の秋夕、右は慈円の「さてもさはいかにかすべき身の憂さを思ひはつれば秋の夕暮」で、俊成判は持。秀作同士の良き持であろう。秋の歎きの深さを強調しただけのことだが、天賦の才気、瑞々しい詩魂から迸る言葉は、そのまま丈高い調べを成し、稀なる秋夕歌。慈円の歌は二十一代集に潜入されなかった、と。

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October 13, 2006

かひもなし問へど白玉乱れつつ‥‥

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-世間虚仮- 同窓会二題

今朝、やっと小学校時代の同窓会案内を郵送した。
高校(市岡高校15期)の同窓会案内を作り送付したのは先月の下旬だった。此方の開催は12月3日でまだまだ先のことだけれど、従来の趣向を変えて些か取組み難いバスツアーとしたので、極力早い知らせのほうがよいとした訳だ。同期生384名だったか、消息不明や物故者が100名余、280通ほど送付したことになるが、企画の特殊性?を考慮すれば、参加は50名ほどにしかなるまいと予想している。
  -写真はその市岡15期会同窓会の案内書面-
それで一段落するまもなく、昨年暮れからの宿題にしていた小学校の同窓会を取り決めて11月23日と挟み込んだから慌ただしかったのだが、此方のほうは100名余りいた同学年も消息の知れているのは半数たらず。もともと30年余り昔に一度やったきりの、その時だって卒業時の古いアルバムを引っ張り出して、まるで付け焼き刃に連絡を取り合ったものだが、すでに半数位にしか行き届かなかったのだから、それが50代の声を聞いてやおら復活してみても、消息の辿りようもあるはずがない。以来、ほぼ3年毎に繰り返しているが、3年前の再開3度目の会では集まりも20名ほどと少なく、なにやら寂しい思いにとらわれたものだった。その席で、次回の幹事は私にとご指名があったので、「3年後なら、恩師も喜寿を迎えることだから、それをタネにやらずばなるまい」と、そのときからある一つの決め事を胸に抱いてきた。
そもそも、恩師とはいうものの、ぼくらはおそらくみんなひとしなみに彼自身のことをほとんどなにも知らないままに生きてきている。それでいて同窓会だからといっては恩師を呼びつけて(お招きして)みんな寄り合うのだが、席上、呼ばれた恩師がうっちゃられたままにぽつねんと独り侘しく座していたりすることがたまさか起こったりする。お互いのあいだにおいても、共有の感覚が濃密というには些か遠く、なにか稀薄としか思えぬ、あるいは遠慮というべきか、互いに相手とのあいだには薄い皮膜があるような気がしてならないのだ。折角わざわざ寄り合って、却って互いに遠くなっていく、求心力がないから、なし崩し的に遠心力のはたらくままになっているのだろう。この集まりには、ひとまず求心力が必要だ。求心性も過ぎれば却って仇となるのは百も承知の上だが、なければ元も子もないというもの。
さて、そこでこのたびは恩師の喜寿の祝いの席とすること、といってもそんなことはよくあることでこんなモティーフだけでどうにかなるものでもあるまい。そこで、これまで卒業という儀式を通過してからでも50年このかた、何にも知らないで済ませてきた恩師個人を、その出生から今日に至る生涯を尋ねてみることにした。尋ねて個人史的なメモとしてともかくも形にしてみた。煩瑣にはなるが、題して「聞き書、河野二久物語」なる小文を今度の同窓会案内にしたため、今朝やっと送付したわけだ。
ヤレヤレ、同窓会ひとつ、世話のかかること夥しいが、どうでもいいようなことに血道を上げている御仁-もちろん私自身のことだ-はもはや老人閑居の類に成り果ててしまっているのかもしれぬ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-69>
 かひもなし問へど白玉乱れつつこたへぬ袖の露の形見は  民部卿典侍

続拾遺集、恋五、恋の歌とてよみ侍りける。
建久6(1195)年-没年未詳、藤原定家の長女、母は藤原実宗女。11歳で後鳥羽院に出仕、承久の変の後、後堀河院に女房として仕えた。勅撰集に24首。
邦雄曰く、報われぬ愛の悲しみを、涙を払うかに、諦めの色濃く初句切れで歌い放ち、「伊勢物語」の「白玉か何ぞ」をひそかに踏まえつつ、「露の形見は」と突如歌い終わる。その気息はただならぬものがある。民部卿典侍は藤原定家の女、為家は同腹の3歳下の弟であった。父の古書筆写を手伝い、明月記には「父に似て世事を知らざる本性か」の記事あり、と。

 露は袖にもの思ふころはさぞな置くかならず秋のならひならねど  後鳥羽院

新古今集、秋下、秋の歌の中に。
邦雄曰く、上句が6・8・5音の乱調、うつむき勝ちに、沈思するさまが、その調べにも酌み取れる。涙の露、それはもの思いゆえで、秋のせいではないと、重い響きに托する。新古今では、この歌の前に、寂蓮の院初度百首歌「もの思ふ袖より露や習ひけむ秋風吹けばたへぬものとは」を置く。自然が人の悲しみに随うという、類想のなかでは際立った一首、と。

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October 11, 2006

起きわびぬ長き夜あかぬ黒髪の‥‥

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-表象の森- フロイト=ラカン:「主体」と「自我」、「鏡像段階」と「ナルシシズム」
     ――Memo:新宮一成・立木康介編「フロイト=ラカン」講談社より

「主体」⇔「自我」
・社会的存在としての人間は、言語の場である象徴界-大文字の世界-において自らを確立し、そこで自らの生を営んでゆく。
・ラカンは象徴界への主体の参入を一つの論理的なプロセスとして捉え、それを「疎外」と呼んだ。
シニフィアン-能記・記号表現-は主体に先存し、主体に対して優越性を持つから、厳密な意味での「主体」というものが生じるのは、大文字の他者の地平に一つのシニフィアンが現れることによってである。
・主体は、一方でシニフィアンとして他者からの認知を獲得すれば、他方でまさに「存在欠如」となることを受け入れることを余儀なくされる。
ラカンにおける「主体」とは、このようにシニフィアンの構造によってはじめから分裂を被った主体であり、デカルトの「コギト」はこの分裂した主体に冠される一つの名である。
ラカンの(疎外における)主体は、フロイトの「自我」そのものではなく、「自我」を構成する表象群の構造のうちにその起源を見出すだろう。

「鏡像段階」⇔「ナルシシズム」
・鏡像段階とは自我の根底に他者を住まわせる契機である以上、自我は本来的に他者のイメージと入れ替わり可能である。
「無意識とは、私の歴史の中の、すっかり空白になっている一章、あるいは嘘が書き込まれている一章である。それはつまり、検閲された章である」
人々は今日、歴史について、普遍的なものよりも個別的なものに、語られたことよりも語られなかった(語りえなかった)ことに、そして想起されることよりも想起されない(想起されえない)ことに、注意と関心を向けるようになった。
つまり人々は、一つの国民や民族の歴史として、あるいは一つの家族や個人の歴史として出会われるものの中に、まさにその「無意識」を聴き取ろうとするようになったのだと言ってよい。
一つの出来事がある主体によって記憶され、その主体の歴史の中に縫い込まれてゆくとき、この出来事と記憶の間には決定的なズレが入り込む。それは、歴史が徹頭徹尾「象徴的な」ものだからである。
出来事と歴史と間のズレこそが無意識の場である、と最初に発見したのはフロイトであり、
心的外傷という形で見出される歴史的真理、すなわち精神分析にとっての歴史的真理は、記憶として語られるものの中にではなく、語られないもの、語り得ないもののなかに探求されねばならなかった。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-68>
 おほかたの秋だにあるにわが袖は思ひの数の露よ涙よ  邦高親王

邦高親王御詠、秋恋。
康正2(1456)年-享禄5(1532)年、室町後期の皇族、伏見宮貞常親王の長子。琵琶を能くし、和歌を好んだ。「邦高親王御百首」が伝えられる。
邦雄曰く、秋はさらぬだにもの悲しく、涙せぬ日はないのに、人恋うるゆえの涙は、降り結ぶ露と共に袖を濡らす。秋の忍恋のあはれを盡したところ、さすがの手練れである。同題「つれなさは夕べの秋を限りかはなほ有明の月もこそあれ」もまた、人を魅するような纏綿の情を奏でて見せる。16世紀初頭の華、と。

 起きわびぬ長き夜あかぬ黒髪の袖にこぼるる露みだれつつ  藤原定家

拾遺愚草、上、関白左大臣家百首、後朝恋。
邦雄曰く、愛する人の黒髪は袖に濡れ、秋の夜長のその長ささえまだもの足りぬ今朝の別れ、盡きぬ名残に、涙の玉は乱れ散って、袖の上に露を結びかねている。初句切れは軟らかく目立たず、連綿纏繞、絡みつくような調べはいささか濃厚に過ぎるくらいだ。用言の多用がなせるわざでもあろう。作者既に晩年、病苦に悩みつつも、いよいよ技巧は冴え渡る、と。

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October 10, 2006

萩の露けさも干しあへぬ袖にしも‥‥

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-四方のたより- 脱皮せよ、松浦ゆみ

歌手松浦ゆみのデイナーショーにお招ばれしていたのでヒルトン大阪に行ってきた。
従来、客の立場で観たことはなかったから、観ながらいろいろ考えさせられた。
本来はポップス、それもオールディーズポップスを得意レパートリィとする歌い手だけに、リズム感はあるし、歌は上手い。アマチュア時代も含めれば20年は越える年季の入った歌い手である。
それが演歌で一応のメジャーデビューをして6年、ディナーショーもたしか5回目か。
初めのリサイタル公演をプロモートと演出をして以来、ずっとスタッフ付合いをしてきたが、今回初めて純然たる客としてのんびりと観せて貰った訳だ。
客席で彼女のショーを観ながら、考えていたことはただ一点、彼女の歌はなぜ売れないか、ということである。歌はたしかに上手く、ポップスからコテコテの演歌まではばひろくなんでもこなしている。はては鉄砲節の河内音頭まで達者にこなしてみせるが、どの歌も此方の胸に強烈に響いてくるということはなく、もどかしさがどうしても残る。この壁をどうすれば超えられるのか、歌の世界は門外漢だけにあれこれ思い浮かんでもコレと決めつけるだけの根拠が私にはもてない。

昔、といっても90年代だ、星美里という歌手をNHKの歌番組で何度か見かけたことがあった。若いに似合わずとても上手かった。達者というほかない歌唱力で、周囲も期待を寄せたホープだったろう。だがヒットらしい曲も出ないまま、いつの間にかブラウン管から消え去っていた。
それから7、8年も経った頃だろう、はやり唄の「涙そうそう」を歌っている夏川りみが、嘗ての星美里だったと気づいたのはTVで二度、三度と重ねて観た時だった。
「星美里」から「夏川りみ」への変身のごとき事件を、彼女-松浦ゆみにも起こすことは可能なのか否か‥‥。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-67>
 萩の露けさも干しあへぬ袖にしもいかなる色の嵐なるらむ  順徳院

紫禁和歌集、建保三(1215)年七月当座、朝草花。
邦雄曰く、内裏七夕和歌会の作か。この年、順徳天皇18歳、土御門院は20歳、父帝後鳥羽院は35歳であった。秋風の色は数多歌われたが、飛躍して「いかなる色の嵐」とは珍しい。まさに嘗ての宮内卿を凌ぐ早熟の才、この点は父院も一歩譲らねばならぬ。ちなみに定家の息為家は順徳院の一つ下で、当時歌才はまったく見られず、父を歎かせていた、と。

 草葉には玉と見えつつ侘び人の袖のなみだの秋の白露  菅原道真

新古今集、秋下、題知らず。
邦雄曰く、太宰権帥に左遷された道真の憂愁の一首である。草葉に置く霜は今も白珠、それに変りのあるはずはない。だが、世を侘びて流謫の地に在る人、すなわちわが眼には、袖にこぼれる涙も朝夕に繁く置く白露と映る。雑下巻頭を占めるあの高名な哀訴求憐の、悲愴胸打つ作品群もさることながら、一見淡々たる歌の底に見る暗涙は一入悲しい、と。

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October 07, 2006

秋萩をいろどる風は吹きぬとも‥‥

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-表象の森- 他者による顕身

前回(10/2)、「顕つ/顕われる」という語について書いた。
市川浩が著わした「現代芸術の地平」には、「他者による顕身」と題された、演出家・鈴木忠志の方法論的根拠によく肉薄した一文がある。「顕身」なるコトバもまたいずれの辞書にも登場しない造語だが、鈴木の演劇世界を支える特権的俳優論を「他者による顕身」と集約してみせる手際は見事なものだと思われる。少々長くなるが以下に抜粋引用しておきたい。

<他者による顕身>-鈴木忠志の演劇的思考

 鈴木忠志は演劇と舞踊にある特権性を認めている。それは演劇や舞踊が文学より優位だという意味ではない。詩や文学がめざしている原初的な形態というものは、身体が担っている意味から切り離すことができず、その限り身体を中核にした演劇や舞踊のなかにその源泉があるという意味である。
鈴木忠志の演劇は、しばしば自閉的印象を与えるにもかかわらず、舞台づくりの中核にあるのは<他者>の問題である。それによって彼は<劇的なるもの>を回復しようとしたのである。

 鈴木忠志が世阿弥にみるのは、対他存在としての自己の陰惨ともいえる深い自覚である。役者とは、存在そのものにおいて見られ、奪われる存在にほかならない。世阿弥の「花鏡」の一節を彼は引く。

 「舞に目前心後ということあり。眼を前に見て、心を後に置け、となり。(略) 見所より見るところの風姿は、わが離見なり。しかれば、わが眼の見るところは、我見なり。(略) 離見の見にて見るところは、すなわち見所同心の見なり。そのときは、わが姿を見得するなり。わが姿を見得すれば、左右前後を見るなり。しかれども、目前左右までは見れども、後姿をば未だ知らぬか。後姿を覚えねば、姿の俗なる所を知らず。さるほどに、離見の見にて、見所同心となりて、不及目の身所まで見智して、五体相応の幽姿をなすべし。これはすなわち、心を後に置く、にてあらずや。」

鈴木忠志はこの一文のなかに、演技の本質についての今も変らない鋭い直観をみてとる。その背後にあるものは、第一に、人間は身体をもつだけで他者によって所有される対他存在として疎外されているという認識であり、第二に、そのように他者による疎外のもとにありながら、それを逆転して自己自身を不断に創造してゆこうとする人間の行為は、舞台空間においてのみ純粋な形で可能になる、という直観である。
他者に見られることを前提としながら、可能的自己を想像するダィナミックな意識であり、それに支えられて展開する演技的自己意識である。今なお古くならない世阿弥の独自性は、「演技を俳優の行為と、それに臨場する観客の行為と、二つの項をもちながらも、たえずひとつの全体性としてしか働かない関係のなかで考えようとする一貫性にある」と鈴木は述べている。

-自己顕示としてのナルシズム-
 対他存在として生きるということは、たえず他者によって所有される他有化を前提として生きるということである。俳優にとって本質的である他有化は、単に見られる恥ずかしさといったものではなく、拭おうとして拭いえない深い屈辱感であり、またそのような存在を引き受ける<私>への深い自己嫌悪を伴なわざるをえないものであろう。私は私ではなく、他者のまなざしのもとで、どうしようもなく私自身からずれてゆく。鈴木が俳優の演技衝動の発出点として捉えるのは、こうした自己存在と自己意識とのずれであり、自分であることの不可能性である。逆にいえば演劇とは、このように他者によって疎外され、非現実化している自己を現実性として取り戻そうとする行為にほかならない。そのかぎり演劇は、社会生活のなかで歪められ、疎外されている自分から解放され、自己を顕す行為として万人の行為であるといえよう。演劇をとおして観客が共有するのは、この見心あるいは顕身の行為である。
 これは自己顕示としてのナルシズムではないだろうか。ナルシズムは他者を消すことによって、あるいはむしろ他者をもう一人の私で置き換えることによって、自己の対他存在を無限に自分が想像する私に近づけるからである。そのかぎりナルシズムに支えられた自己顕示は、どうしようもなく他者である見所の眼を失わせ、容易に自己批判の喪失と自己模倣の頽廃へと俳優を導く。これは演劇がもっとも陥りやすい陥穽であるのはいうまでもない。鈴木が考える真の俳優は、俳優として自己自身を否定しつつ、同時に俳優であるために不可欠である他者の眼に身をさらして生きることが必然的であるような疎外された存在である。その他者との緊張関係を身体的に生きるとき、俳優は真に俳優らしく実在する。そのかぎり、俳優にとって対他存在としての屈辱感と自己嫌悪は、彼の存在そのものに食い込んでおり、会心の演技のうちにも滲み込んでいる。別役実が白石加代子の演技について「歌舞伎よりすごく見えるとすれば、それは自己嫌悪でやっいるからだ」といい、「あまりナルシズムをつきつめると自己嫌悪に移り変わるときがあるんだな。そこまで行ってしまうと演技も奇妙になっていいんだよ。加代子の場合はきっと自己嫌悪の快感を知ったんだな」と評しているのは、ナルシズムの自己顕示と、背後に自己嫌悪を隠した顕身との微妙なずれを述べたものといえよう。鈴木忠志も世阿弥について「ナルシズムと自己嫌悪の心情のはざまが、世阿弥の生きた緊張である」と指摘している。

-共同体と闇-
 演劇は人間がどうしようもなく関係的存在であることを前提としている。たとえその関係がディスコミュニケーションという離散的な関わりであろうとそうなのである。<孤立>でさえ、不在の<関わり>を背景として浮かび上がる<図>である。演劇において、その最後に浮き出すものとは何か。鈴木忠志は、それは人間の普遍的な本質ではなく、他者との本質的な違いだという。その違いの根拠の深さが、個的な本質を顕わにする。関係において本質があらわれる。と同時に他者との違いにもかかわらず、類としての共同体につながる共同性の闇が顕れるとき、劇的人間像が描き出されるのである。鈴木のめざす本質は、人間に共通の本質でもなければ個性でもない。さまざまの関係と出会いのなかで、どうしようもなく析出される個的かつ共同体的な本質である。
 鈴木忠志の意識についての興味深い実践的定義によれば、意識というのは、自己の隠れている部分に投企する一つの仮説なのだ、と。俳優の意識は過去の既定の自分に拠りながら、未定の可能性である未来の無意識に向かって投企する演劇的行為そのものとなる。それは、他人との関係のなかに見えない自分を見ることであり、他人との出会いをとおして自分の眠っている可能性を呼び覚ますことである。
鈴木忠志の舞台においては、個の追いつめをとおして共同体的な闇にいたり、闇の追及をとおして日常われわれがどっぷり浸かっている個的状況と制度的集団性を同時に批判するという両義的な視点が出てくる。舞台はその意味では、日常において抑圧され、疎外されざるを得ないものの復権の場であり、それを鈴木は日常の<本然化>と呼んでいる。
          ――引用:市川浩「現代芸術の地平」岩波書店刊

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-66>
 秋萩をいろどる風は吹きぬとも心は枯れじ草葉ならねば  在原業平

後撰集、秋上。
邦雄曰く、女からの贈歌「秋萩をいろどる風の吹きぬれば人の心も疑はれけり」への返歌である。萩の葉を黄変させる風にも、草ならぬわが心ゆえ枯れず、君から心は離(カ)れずと慰めてやる。大和物語第百六十段は女を染殿の内侍として、この贈答の挿話を載せている。但し業平の初句は「秋の野を」。言葉を違えて男は女を離れ、この物語は幕切れとなる、と。

 わが屋戸の夕影草の白露の消ぬがにもとな思ほゆるかも  笠郎女

万葉集、巻四、相聞、大伴宿禰家持に贈る歌二十四首。
生没年未詳、天平期の歌人、笠金村の娘かとされ、大伴家持への熱情溢れた恋の歌で知られる。
邦雄曰く、夕影草は朝顔あるいは木槿の異称ともいい、また夕刻ものの蔭にある不特定の草を指すのを通例とする。燃える思いの煙とは逆に、露さながら消え入りそうに愛する人を一途に思い続ける女心。二十四首はそれぞれに激しい情熱を迸らせて圧倒的であり、高名な「八百日(ヤホカ)行く浜の沙(マナゴ)もわが恋にあに益(マサ)らじか沖つ島守」もこの一連の中に含まれる。

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October 05, 2006

夜半に鳴く雁の涙はおかねども‥‥

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-四方のたより- 朝刊配達を「行」としてみるか

 早朝、というよりは深夜の2時25分、いつものように携帯のアラームが鳴った。
今日はいつになく身体が重くけだるい。そういえばこの二、三日はとくに寝不足だ。
身を起こそうとするがすっと力が入らない感じ。右に左に捩るようにして上体を起こしていく。
アラームの音が強くなった。慌てて腕を伸ばして止める。
すぐには立ち上がる気力もないから、煙草を手に取ってしばし一服。
イカン、もう35分、着替えなくては。
ベランダの物干しにかけてあるシャツとズボンとベストとジャンパーと、そしてズックの5点セットを取り込む。
自転車に乗って家を出たのはすでに2時50分になっていた。

 このところ私は毎朝、新聞配達をしている。
7月から始めたのですでに3ヶ月を経たことになるが、最初の1ヶ月はとてもじゃないが続けられそうもないなと思った。若い頃ならともかく衰えた体力にはきつすぎる。脚も腰も悲鳴を上げていた。慢性的な寝不足状態は今もなお解消しないままだが、当初は生活リズムの激変にもっとも犠牲になったのが睡眠だったから、とにかくきつかった。

 ご承知だろうが新聞の休刊日は年間で10回ある。休刊といってもむろん朝刊だけのことだが、私の配達も朝刊のみだから、このさい夕刊は関わりない。
他紙の配達所では、ローテーションを組んで別に月1回の休みを取れるというのに、なぜか此処ではそんな体制は採られていない。此の店では休刊日以外「休めない、休むな」である。
東京などでは、ローテーションによる週休制もずいぶん普及しているようだから、此の販売店の古い体質は筋金入りといってもいいくらいだ。他にも前世紀の遺物かと思えるような被雇用者泣かせの事例はいくつもある。以前に「押紙――」で書いたように、新聞配達員というアルバイト雇用は相当に被搾取的立場に置かれているという実態が、21世紀の今日にも旧態依然としてあるのだ。
此処を一つの労働現場と見るかぎり、もちろんそうであることにちがいないのだが、改善されるべき問題はあまりにも多い。
それらは自分自身がこのように関与しているかぎり、到底放置しておける問題ではないのも然り。
さりながら、短兵急には何事も解決されないのもまた事実だし、ましてや私は一介の新入りアルバイトにすぎない身だ。慌てず急がず、今はもっと別な視点に身を置くべきかもしれない。

 やっと3ヶ月だが、されど3ヶ月、1年でいえば1/4、ひとつの季節を経たわけだ。
此処にいたって、無意識のうちにも些か心境の変化が起こっていることに気づいた。
季節を跨いだということは、このまま一年を経て、年を跨げるかもしれない。
辛い毎日だが、ほとんど毎日の日課としてあるなら、ある意味でこのことは自分自身にとって「行」のようなものともいえそうだ。
すでに90日の行を大過なく経てきたのなら、1年365日の行へとつなげてみるのも、自身にとっては相応に意味のあることとなるにちがいない。
旧い友人に「農を行として生きる」と、富山県の奥山に実践の日々を重ねて、そんな著書をものした人間もいる。
まあ、奴のような徹底した実践には及びもつかないが、所詮は気儘な有為転変を繰り返してきたこの身には、一つのアクセントとしての働きはあるかもしれない、とそんな思いが脳裏をよぎる今日この頃である。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-65>
 いつしかとほのめかさばや初尾花袂に露のかかる思ひを  惟宗光吉

惟宗光吉集、恋、二条前大納言家日吉社奉納の百首に。
邦雄曰く、忍恋と尾花の組合せも夥しいが、穂に出るか出ぬの薄から、初々しさをも感じさせるところがこの一首の特色、人知れず、恋しさのあまり涙している趣を下句に、耐えかねて、それとなく知らせたい思いを上句に倒置した。待恋の修辞は、あらわには出ていないが、この、ひたすらに控えめな恋心は、女性転身詠「待恋」の一種とみてよかろうか、と。

 夜半に鳴く雁の涙はおかねども月にうつろふ真野の萩原  後鳥羽院

後鳥羽院御集、詠五百首和歌、秋百首。
邦雄曰く、五百首和歌は年代不詳だが、「墨染の袖」を歌中に含む作が数首あり、遠島以後のものと目される。「おかねども」と打消しながら、むしろ空行く雁の涙の露さんさんと光りつつ降る光景を幻想させるあたり、作者20代の新古今集勅撰時を思わせる。花が「月にうつろふ」のも、当時の斬新な秀句表現の名残であり、さらには実朝の歌を想起する、と。

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October 04, 2006

人はいさわれは春日のしのすすき‥‥

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-世間虚仮- 蔓延する偽装請負に事業停止

平成11(1999)年12月の改定施行で、従来の職種制限を取っ払ってしまい、港湾運送業務・建設業務・警備業務・医療関係業務の4つを除き原則自由化された「派遣業法」は、さまざまな業種のなかで、実態は派遣労働にすぎないのに請負契約を装う偽装請負を蔓延させ、格差社会を助長・加速させるのに、結果として手を貸してきた悪法の一面は否定しがたい。
報道されているように、人件費削減のため産業界に野放図に横行する偽装請負の実態に、今回やっと重い腰を上げた大阪労働局が事業停止命令を出した「コラボレート」なる労働者派遣・業務請負会社は、派遣大手「クリスタル」の100%出資子会社であるが、この構図に見られるのは、請負契約の相手先であるメーカーなども、実態は派遣にすぎない違法の請負契約を暗黙の了解としつつ、偽装の上に胡座をかいてきたにちがいなく、いわば業界ぐるみの違法行為だということだ。
さらに報道によれば、全国の労働局が昨年度、任意による監督指導で偽装請負を確認したのは、879社中616社と7割にものぼり、さすがにこのひどさには政府厚労省も放置できないとみたか、やっと先月、行政処分も辞さずと各労働局に監督指導・取り締り強化を通達したばかりというが、今回の摘発はその第1号なのだ。
法改定より7年のあいだ、蔓延する偽装請負の実態にこれまで一度のメスを入れることもなく野放しの無法状態にしてきたのは、景気回復こそ至上課題とし、大事の前の小事、格差を助長するも止むなし、とする政府姿勢をそのまま如実に反映したものにすぎないといえるだろう。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-64>
 白玉か何ぞと人のとひしとき露とこたへて消なましものを  在原業平

新古今集、哀傷、題知らず。
邦雄曰く、伊勢物語第六段、姫君をかどわかして、摂津国三島郡の芥川に至る件り。草の葉に置く夜露を生れて初めて見て、あれは何と尋ねる。彼女は真珠と思っていたのだ。伊勢物語きってのあはれ深い挿話である。二条后藤原高子のことと附記がある。もっとも業平の作と明記するのは問題かと思われる。七代集に洩れ、新古今集に採られたのもゆかしい、と。

 人はいさわれは春日のしのすすき下葉しげくぞ思ひみだるる  伊勢

伊勢集。
邦雄曰く、古歌に見える「篠薄-しのすすき」はまだ穂に出ぬ薄を指す場合と群生する細竹をいう時と二種あるようだ。伊勢の歌は後者であり、「しげくぞ思ひみだるる」にかかる序詞に用いられている。虚詞のようにみえる初句の「人はいさ」が、ともすれば暗く沈みがちな忍恋の歌に、一首の張りと勁(ツヨ)さを与えている。「春日」の地名もまた、仄かな明るみをもたらす、と。

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October 02, 2006

あはれさもその色となき夕暮の‥‥

0412190271

-表象の森- 顕つ/顕れる

「歌詠みの世界」として紹介している塚本邦雄の「清唱千首」では、「顕」という字に送り仮名して「顕つ-タツ」、や「顕れる-アラワレル」の語がよく用いられている。
すでに紹介したなかからざっと列挙すれば
<顕つ>
 「恋い祈ればその面影が水鏡に顕つ」
 「憑かれて物狂いのさまを呈する巫女の姿が、まざまざと顕って凄まじい」
 「切なくきらめく男女の眼が顕つようだ」
 「心に顕つのは春の日の陽炎」
 「秘かに戦慄している作者の姿が顕ってくる」
 「心に願えば俤も顕つ」
 「静かに、現れるように眼に顕つ星は」
 「袖振る人の面影まで顕つ」
<顕れる>
 「その人の姿が面影に顕れて」
 「秋そのものが立ち顕れて」
 「ありありと眼前に顕れるところ」
などで、
おのずと意味は明瞭で、「立つ」や「現れる」と同意だが、「立つ」にせよ「現れる」にせよ、塚本は「きわだって」の意を込めて、その立つ「姿」、現れる「姿」にある種の特権性を付与したいらしい。

ところで、「顕れる」のほうは辞書に「現れる」の項に常用漢字表外音訓として登場するが、「顕つ」は広辞苑にすら出てこない。ならば塚本邦雄の造語かというとそうではなく、稀少ながら世間に流布もしている。「顕つ」でネット検索すれば、書名で「千鳥月光に顕つ少女」や「神顕つ山、立山」などが冒頭に登場するが、これらの用例は塚本の用法にごく近接しているといえよう。

漢字としての「顕」を、白川静の「常用字解」に尋ねれば、
顕〔顯〕-ケン、あきらか・あらわれる-は会意。もとの字は顯に作り、 ?と頁とを組合せた形。頁は頭に儀礼用の帽子をつけて拝んでいる人を横から見た形。?は日-霊の力を持つ玉の形-の下に糸飾りを白香(シラカ)-麻などを細かくさいて白髪のようにして束ねたもの-のようにつけて神霊の憑りどころとして用いるものである。?は玉を拝んで神降ろしをしている人の姿で、それに対して神は玉に乗り移り、幽の世界—霊界-から現世に顕(タ)ち顕(アラワ)れるのである。神霊の現れることを顕といい、「あらわれる、あきらか、あらわに、いちじるしい」の意味となる。のちに顕の形声の字として作られたのが現であろう。
用例には、顕現/顕彰/顕著/顕微/幽顕-有形と無形、また幽界と顕界、あの世と此の世、etc.
などとあり、「顕」の形声字としてのちに作られたとされる「現」においては、「神霊の現れること」という「顕」本来の言霊としての俤は遠く稀薄になってしまっている。

「隠れたる本然のきわだって現れるさま」をいうに、あえて現行辞書に登場もしない古用の「顕つ」を頻出させる塚本邦雄の用法には賛否も分かれようが、われわれの表象作業の現場においては、この「顕つ/顕れる」の語法がいたって有効なのだ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-63>
 あはれさもその色となき夕暮の尾花がすゑに秋ぞうかべる  京極為兼

風雅集、秋上、秋の歌の中に。
邦雄曰く、三夕の寂蓮を髣髴させる第二句が「夕暮の尾花」を功者に表現している。更に、定家も顔色無しの大胆な修辞「秋ぞうかべる」が、この一首を凡百の尾花詠から際立たせた。同じ秋上、進子内親王の「秋さむき夕日は峯にかげろひて丘の尾花に風すさぶなり」は、清楚でストイックな叙景で、為兼の歌とは対照の妙をなし、これもまた捨てがたい、と。

 袖濡らすほどだにもなし朝顔の花をかごとのあけぼのの露  後花園院

後花園院御集、上、御独吟百首、恋二十首、白地恋。
邦雄曰く、後朝の恨みを朝顔の朝ひとときの儚さにかこつけて、その託言の涙を第一・第二句で控えめに表現した。婉曲かつ優雅を極めた一首である。二句切れの後の、吐息をつくような間も功を奏した。文明元(1469)年、崩御の前年の50歳の百首歌。「たのめただ鴛鴦(オシ)の衾(フスマ)のうらもなく契り重ねる池の心を」は「契恋」の題。15世紀後半における技巧の一典型か、と。

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