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September 28, 2006

けさ見ればうつろひにけり女郎花‥‥

Dancecafe060928posta

Information-Shihohkan Dace-Café-

今宵(9/28)は、久しぶりのダンスカフェ。
このところの杉谷君、そのピアノの即興演奏は進境著しい変容ぶりをみせ、付き合っていてとても愉しい思いをさせてもらっている。
昨年暮れ頃からだと思うが、音世界に遊ぶというか、自由度がすこぶる高まってきたのではないか。
こうなってくると、おのずから踊りと音との関わり-即く・離れる―も変わり、それぞれの遊び心を奔放なまでに解き放ってゆけるはずだ。

-表象の森- 高橋悠治的

 高橋悠治の「音の静寂・静寂の音」を読んでいる。
さすが求道者にも比しうる類なき実践の人、その達意の文は分野を超えて蒙を啓かせ胸に響く。
書中、論語第一章の「学而」を引いて、実作の手法、修練に珠玉のコトバを紡いでいる、
「子曰学而時習之不亦説乎」
子曰く、学びて時に之を習う、亦(マ)た説(ヨロコ)ばしからずや
と読み下すが、
著者は、「文字を書きながら これを身につけるとはどういうことか」と問いつつ、これを一語一語の原義的イメージへと解体していく。-以下引用抜粋-

子 生成するもの
曰 内からひらかれるもの
学 さしだす手とうけとめる手のあいだに うけわたされるものがあり ひとつの屋根の下に育つものがある
而 やわらかくつながりながら
時 太陽がすぎていく
習 羽と羽をかさね またはくりかえし羽ばたき
之 足先をすすめる
不 口をとじてふくらませる
亦 両腕を下からささえ
説 ことばのとどこおりは ほどかれる
乎 胸からのぼる息が解放される

文字によってまなぶということ、文字をならうということ
それぞれの文字にはことなる運動の型がある
文字を組み合わせてなめらかな文章を編むのではなく
文字のつながりを切り離し
孤立した文字がそれぞれ内蔵する運動をじゅうぶんに展開しながら
それらが同時に出現する場を設定する
からだの統一を一度断ち切って
多方向へ分裂する複合体としてとらえ
それらの相互作用の変化する局面を観察する
それは全身をつかっての運動であり
時間をかけた修練であり
それがからだにしみこんでいけばからだも息も 
そして心もひらかれ らくになっていく
               ―― 参照:高橋悠治「音の静寂-静寂の音」平凡社

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-62>
 展転(コイマロ)び恋は死ぬともいちしろく色には出でじ朝貌(アサガホ)の花
                                        作者未詳

万葉集、巻十、秋の相聞、花に寄す。
邦雄曰く、忍恋の極致に似て、展転反側、眠りもやらず、焦がれ死のうとも、顔色にも出すまいという。その譬えに朝顔を用いたのは、ただ一日で儚くなることを意識してのことだろうか。「言に出でて言はばゆゆしみ朝貌のほには咲き出ぬ恋もするかも」がこれに続く。恋の心は言葉にさえ出さず、朝顔のようにつつましく胸中深く慕っていると歌う、と。

 けさ見ればうつろひにけり女郎花われに任せて秋は早ゆけ  源順

源順集、あめつちの歌、四十八首、秋。
邦雄曰く、一首の冒頭と末尾が先に決まっているという制約上の非常手段が、逆に効果を齎したとも考えられるが、命令形結句が意外な諧謔を生み、第四句の稚気を隠さぬ「われに任せて」がまことに愉しい。秋草の歌では前例のない一首だ。二句切れ、三句切れと見えながら、意味上は断ちがたく連なっているところなども、この人ゆえ、計算の上の調べだろう、と。

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September 27, 2006

寝られめやわが身ふる枝の真萩原‥‥

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-表象の森- フロイト=ラカン:「一の線」と「対象a」
      ――Memo:新宮一成・立木康介編「フロイト=ラカン」講談社より

「一の線」⇔「唯一特徴」
・「私を見ている目がどこかに在る」という、「私を見ている目」の在り場所は、
神の不在となった現代において、それはもはや「目」ではありえなく、「線」となった。
人は自分を「一人の人」として自覚する。
自覚と、「数えるという行為」とは切っても切れない関係にある。
・「一の線」-エディプスコンプレクスにおける「同一化」の問題。
人がエディプスコンプレクスを乗り越えて得る超自我の導きも、そもそも無媒介的に想定される人間の絆も、実は一つの「症状」である。
「症状」の地位は、突然、高められる。人は症状から逃げて生きるのではなく、症状を純化して生きるべきなのである。


「対象a」⇔「失われた対象」
・対象aに向けられる欲望が、欲望の原基である。
この対象に向けられている欲望は、己の欲望のようでありながら、実は他者から、自己の不在に対して向けられている欲望である。
・「人間の欲望は大文字の他者の欲望」なのである。
「一の線」と「対象a」とは、このように普遍の他者と個別の自己の間を繋ぐ。
その繋がりが実現しているとき、人は生きる喜びを感じる。
・対象aには「失われたもの」という性格が備わっている。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-61>
 朝まだき折れ伏しにけり夜もすがら露おきあかす撫子の花  藤原顕輔
左京大夫顕輔卿集、長承元(1132)年十二月、崇徳院内裏和歌題十五首、瞿麦(なでしこ)
邦雄曰く、終夜露の重みに耐え続けていた撫子が、朝になるのを待ちあえず折れてしまった。誇張ではあるが、あの昆虫の脚を思わせる撫子の茎は、あるいはと頷かせるものがある。この歌は河原撫子をよんだものであろう。表記は万葉以来、石竹・瞿麦その他混用され、秋の七草の一つに数えられている。常夏もその一種だが、これは夏季の代表花、と。

 寝られめやわが身ふる枝の真萩原月と花との秋の夜すがら  下冷泉政為
碧玉集、秋、月前萩、侍従大納言家当座。
邦雄曰く、冷泉家の末裔、定家から既に三世紀近くを経て、歌も連歌風の彩りを加え、濃厚な美意識は眼を瞠らせる。初句切れの反語表現、懸詞の第二句、第三句に遙かに靡く萩原を描き、第四句は扇をかざして立ち上がったかの謳い文句、各句の入り乱れ、寄せては返すかの呼吸は間然するところがない。しかも何かが過剰で快い飽和感・倦怠感を覚えさせる、と。

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September 25, 2006

夏の日の燃ゆるわが身のわびしさに‥‥

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-表象の森- フロイト=ラカン:「他者の語らい」⇔「無意識」
   ――Memo:新宮一成・立木康介編「フロイト=ラカン」講談社より

・「人の欲望は他者の欲望である」
人間の欲望は、内部から自然と湧き上がってくるようなものではなく、常に他者からやってきて、いわば外側から人間を捉える。
フロイトの発見した「無意識」とは、そうした主体的決定の過程において、すなわち、他者から受け取った欲望を自分のものに作り替える過程において、形成されるものにほかならない。
一つのシニフィアン-というのも、他者の欲望は常に一つのシニフィアンのもとに出会われるだろうから-をもう一つ他のシニフィアンに取り換えること、
ラカンは、フロイトの「抑圧」をこのようなシニフィアンの「置き換え」のメカニズムとして捉え直す。

・「無意識は他者の語らいである」
無意識は一つの言語として構造化されている。
それは、主体の内部に入り込んできた大文字の他者そのものである、と言ってよい。
ラカンは無意識を「超個人的なもの」と呼ぶことをためらわない。
クロス・キャップと呼ばれている構造体(メビウスの帯の縁に沿って、それと同じ長さの縁をもつ円盤を縫いつけたもの)においては、一つの面が自分自身を通過するために、閉ざされた空間の内部と外部のように見える部分とが完全に連続している。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-50>
 軽の池の内廻(ウチミ)行き廻(ミ)る鴨すらに玉藻のうへに独り宿(ネ)なくに
                                         紀皇女

万葉集、巻三、譬喩歌。
邦雄曰く、巻三冒頭に見える作。紀皇女は穂積皇子と同じく、母を蘇我赤兄の女とする天武帝皇女である。独り寝の寂しさを訴えるにも鴨の雌雄の共に浮かぶさまを一方に置き、間接表現で暗示する。「軽の池」と「玉藻」の文学の上の閑麗な照応も、玉藻は人の上ならば玉の牀となることも、一首に皇女らしい趣をもたらした。縷々とした趣の、実に愛すべき作品、と。

 夏の日の燃ゆるわが身のわびしさに水恋鳥の音をのみぞ鳴く 詠人知らず

伊勢集、夏、いと暑き日盛りに、男のよみたりける。
邦雄曰く、水恋鳥は赤翡翠(アカショウビン)の異名、翡翠(カワセミ)もさることながら、古歌にも滅多に現れない鳥である。この歌の作者、伊勢の数多の愛人のなかの一人で、誰々と想定も可能だが、「ある男」としておいた方が面白かろう。案外、伊勢自身の創作かも知れず、まことに鮮麗で情を盡した美しい恋歌である。「夏=燃ゆる」、「水恋=見ず恋ひ」の縁語・懸詞もうるさくない、と。

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September 24, 2006

ゐても恋ひ臥しても恋ふるかひもなみ‥‥

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-世間虚仮- 紙面トップに「求む住職」

 イヤハヤ、今朝の毎日新聞の紙面トップには驚かされた。
記事はご覧のとおり、禅僧の求人?
僧侶の後継者難に業を煮やした臨済宗妙心寺派が、従前必須の修業期間を格段にコンパクトに改め、ハードルを低くしてひろく人材を集めたいと、大胆な制度改革に打って出ようというもの。
臨済宗最大宗派を誇る妙心寺派は全国に末寺3400を有するが、住職のいないいわゆる無住寺が900にも及び、また、寺の住職資格を得る修行過程にある僧らには、教師や公務員などの兼職者も多く、近頃は民間企業の営業マンと兼職するケースも増えており、厳しい従来制度ではとても住職が育たず、このままでは無住寺ばかりが増え先細る一方というわけだ。
妙心寺派にかぎらず、寺の住職不足や後継者難は今に始まったことではなく、もう長年、どの宗派でも決め手に欠け、イタチごっこの如く対策に苦慮してきていることだろう。

 この話題、バブル崩壊以降の十数年、改革の嵐が荒れ狂うこの国の世相を映して、厳しい修行もってなる禅僧の世界にまで<改革>の風が吹き、大幅な<緩和>策が採られるというその構図に、改革と規制緩和ばかりで格差社会を増幅させてきた小泉政治の、まさに幕を閉じようとしているこの時、時代を映す鏡としてのニュース性があるとして紙面トップを飾ることになったのだろうが、そのアイロニーたっぷりな紙面づくりへの評価は分かれるとしても、意表を衝いたものではある。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-49>
 ゐても恋ひ臥しても恋ふるかひもなみ影あさましく見ゆる山の井  源順

源順集、あめつちの歌、四十八首、恋。
邦雄曰く、沓冠同音歌の「ゐ」、恋い祈ればその面影が水鏡に顕つという山の井にもいっかな映らぬ君、身を揉むような訴えは、言語遊戯の産物とは思えぬほど情が通っている。四十八首、趣向さまざま、「恋」にはまた「猟師にもあらぬわれこそ逢ふことを照射(トモシ)の松の燃え焦れぬれ」等、技巧を盡した歌を見る。これは天地を「れ」で揃えた歌。機知縦横の才人、と。

 面影は見し夜のままのうつつにて契りは絶ゆる夢の浮橋  後崇光院

抄玉和歌集、永享四年二月八幡社参して心経一巻書写してその奥に、絶恋。
邦雄曰く、その夜以来、人の面影は鮮やかに心に焼きついて、いつでも現実そのままに蘇るが、逢瀬はふっつりと途絶えて、夢の浮橋さながら消え果てた。複雑な恋愛心理の一端を、含みの多い暈(ボカ)しの手法で連綿と綴った。「形見とて見るも涙の玉匣(クシゲ)明くる別れの有明の月」は、翌年9月の「寄匣恋」。「夢の浮橋」とともに、家集恋歌群中の白眉であろう、と。

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September 23, 2006

かつ見つつ影離れゆく水の面に‥‥

Freudlacan

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-表象の森- ラカンからフロイトへ遡る

・近代の頂点で「神は死んだ」と語った人がいた。
代わって人間の理性が、神の不在の場所を覆うはずだった。
しかし、理性は必ずしもその任に堪えないことが判明しはじめた。
その一方で、神そのものではなく、神の場所が「無意識」として存続していることが発見された。
神を亡くし、その代わりにフロイトによって発見された「無意識」を認めて、
不完全な自らの思考と言語で生に耐えること、
これがラカン言うところの「フロイト以来の理性」となった。

・夢から醒めた人が、現実のなかで逢着するのは、
以前の「出会いそこない」に覆い被さる、もう一つの「出会いそこない」である。
夢というものは、過去の「現実」の「出会いそこない」を埋め合わせるべく、
現在の「現実」を単なる「象徴」として使ってしまうよう、
夢見る人に要求してくることをその役目としているのである。
この要求に従うとき、
現在の「現実」は、夢と同じく「象徴」としての資格しか有さないものになってしまう。
しかも繰り返しそのようにされてゆく。
そして、夢のなかに記憶として存在している「出会いそこない」だけが、
真の「現実」として残され、いつまでも私たちの心をせき立て続けることになる。

・「言語活動」は「現実」を全能的に支配することをその本質とする。
「夢」が「現実」を無視した展開を見せるのは、
まさに夢がこの言語活動の本質を最も徹底的に実践するからである。
夢が私たちに運んでくる真の「現実」は、
「言語活動との出会い」によって、「現実」が失われてしまったという「事件」、
とくに「ありのままの生の現実」が消去されてしまったという、起源に刻まれた「事件」である。

・「言うことができない」という不可能と、「出会いそこない」というその痕跡が残されており、
それが身体の「傷」と同じ仕方で、私たちが生きているかぎり私たちを苦しめる。

・フロイトは、ヘーゲルに途中まで添いながら、そこから決定的に別れ、
自己意識と主体が「出会いそこない」という関係にあるという必然を、切羽詰った人間理性の法則として提出している。

・ラカンがソシュールの構造言語学を引き寄せつつ答えようとしたのは、
人間と現実の間の関係は、言語という記号と外的現実の間の関係の問題ではなく、
独立した言語そのものと人間の思考の間の問題であること、
言語の中に囲い込まれてしまった、あるいは自らを言語で囲い込んでしまった人間の現実喪失を、
もっとも純粋に形式化することのできる可能性をもった装置、だったからである。

・無意識は一つの言語活動として構造化されている。

・「言語」でもって「現実」に対処してゆく人間の生の、
そもそもの出発点に「死」が含まれるようになること。

  ――― 引用抜粋:新宮一成・立木康介編「フロイト=ラカン」講談社より


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-48>
 かつ見つつ影離れゆく水の面に書く数ならぬ身をいかにせむ  斎宮女御徽子

拾遺集、恋四。
邦雄曰く、詞書は「天暦の御時、承香殿の前を渡らせ給ひて、異御方に渡らせ給ひければ」とある。村上帝への怨みを婉曲にみずからに向けて歎く。本歌は古今・恋一の「行く水に数書くよりもはかなきは思はぬ人を思ふなりけり」。二句切れの「影離れゆく」が、切れつつ水に続く趣も、歌の心を映して微妙だ。承香殿は作者の住む処、数ならぬ身あはれ、と。

 侘びつつもおなじ都はなぐさめき旅寝ぞ恋のかぎりなりける  隆縁

詞花集、恋上。
生没年未詳、醍醐帝の子・源高明(延喜14(914)年-天元6(983)年)の孫にあたる。勅撰集に2首。
邦雄曰く、詞書には「左衛門督家成が津の国の山荘にて、旅宿恋といふことを詠める」とあり、藤原顕季の孫家成が左督に転じたのは久安6(1150)年、その頃の作であろう。たとへつれない人でも、都の中ならまだわずかに報いられることもあったが、遠い旅の空で恋い焦れる夜々は悲しみの限り。下句の縷々と痛切な調べは涙を誘う、と。

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September 22, 2006

潮満てば水沫に浮かぶ細砂にも‥‥

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-世間虚仮- ヒトというもののくだらなさ

 この国の宰相ともなる御仁が、その政策提言に「美しい国へ」などと陳腐この上ない言辞を弄して国民に媚びようとオプティミストぶりを発揮すれば、世間は6割を越えてこれを支持するというご時世である。
国の舵取りを担う政治家たるもの決してペシミズムに陥ってはなるまいが、しっかりと厳しく現実を直視するリアリストでなくてはなるまいに、「美しい-国」などと、百人が百様の、てんでばらばらのイメージしか描けぬ空疎な美辞麗句をふりまくなど、愚民政策の最たるものだろう。
この御仁の政策課題は、憲法改定と教育制度の改革だそうだが、かような二大テーマを掲げるからには、きわめて現実主義的な視点を抜きにしてはあり得ぬと思われるのだが、どうやらこの御仁、国の形や使命感も、民の公共心や倫理観も、その心証のほどはいやらしいほどに情緒的に反応してしまっているアブナイもののようだ。


 身近な者や事で、思わぬくだらなさに巻き込まれると、ほとほと疲れ切ってしまうものである。ここ二日、いつものようにものが書けなかったのはその所為だが、事が身近であれば、避けるわけにも無視するわけにもいかず、その嵐のなかにただ居つづけ、その去るのを待つしかない。
それにしても、ヒトはどうしてこうも余計なモノばかり身につけてしまったものか、と痛感する。こんなことなら、知も情も意も持たぬほうがよほどノーテンキでいいというものだが、一旦持ってしまったものを手放せないのもヒトたるものの宿業、要はその働き、用いられようなのだが、これがまたつまらぬ働きをしてしまいがちなものだから、始末が悪いこと夥しい。

 まだ嵐は止みそうもない、
出口なし、焦れる、気が鬱ぐ、心身困憊‥‥。
こんな時は、金子光晴なんぞ読んで、身を屈ませていようか。

 その息の臭えこと。
 くちからむんと蒸れる、

 そのせなかがぬれて、はか穴のふちのやうにぬらぬらしてること。
 虚無(ニヒル)をおぼえるほどいやらしい、
 おヽ、憂愁よ。

 そのからだの土嚢のやうな
 づづぐろいおもさ。かったるさ。

 いん気な弾力。
 かなしいゴム。

 そのこゝろのおもひあがってること。
 凡庸なこと。

 菊面(あばた)。
 おほきな陰嚢(ふぐり)。

  -略-

 そいつら、俗衆といふやつら。

  -略-

 嚔(くさめ)をするやつ。髯のあひだから歯くそをとばすやつ。かみころすあくび、きどった身振り、しきたりをやぶったものには、おそれ、ゆびさし、むほん人だ、狂人(きちがひ)だとさけんで、がやがやあつまるやつ。そいつら。そいつらは互ひに夫婦(めおと)だ。権妻(ごんさい)だ。やつらの根性まで相続(うけつ)ぐ倅どもだ。うすぎたねえ血のひきだ。あるひは朋党だ。そのまたつながりだ。そして、かぎりもしれぬむすびあひの、からだとからだの障壁が、海流をせきとめるやうにみえた。

 おしながされた海に、霙のやうな陽がふり濺(そそ)いだ。
 やつらのみあげるそらの無限にそうていつも、金網があった。

  -略-

 だんだら縞のながい影を曳き、みわたすかぎり頭をそろへて、拝礼してゐる奴らの群衆のなかで、
 侮蔑しきったそぶりで、
 たヾひとり、
 反対をむいてすましてるやつ。
 おいら。
 おっとせいのきらひなおっとせい。
 だが、やっぱりおっとせいはおっとせいで
 たヾ
 「むこうむきになってる
 おっとせい」
            ――金子光晴詩集より「おっとせい」抜粋――

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-47>
 水の上に数書く如きわが命妹に逢はむと祈誓(ウケ)ひつるかも
                           柿本人麿

万葉集、巻十一、物に寄せて思ひを陳ぶ。
邦雄曰く、儚さの象徴「水の上に数書く」は涅槃経出展の言葉。寄物陳思の物は山・水・雲・月等と移っていく。「荒磯越し外ゆく波の外ごころわれは思はじ恋ひて死ぬとも」、「淡海の海沖つ白波知らねども妹がりといはば七日越えなむ」等、直情の激しい調べが並ぶ。「祈誓ひ」は神との誓約、由々しい歴史を持つ言葉の一つで、まことに重みのある告白だ、と。

 潮満てば水沫(ミナワ)に浮かぶ細砂(マナゴ)にもわれは生けるか恋は死なずて                         作者未詳

万葉集、巻十一、物に寄せて思ひを陳ぶ。
邦雄曰く、潮に浮くあの砂のようにも、私は存えているのか、恋死にもせずに。最初に響かすべき痛切な感慨を、最後に口籠もりつつ吐き出す。半音ずつ低くなっていく旋律のように、一首は重く、沈鬱に閉じられる。「にも」の特殊によって、単なる寄物陳思に終らず、象徴詩として自立し、現代にそのまま通ずる。万葉名作の随一と言ってよかろう、と。

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September 19, 2006

知らずその逢瀬やいつの水無瀬川‥‥

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-四方のたより- きしもと学舎だより06.09

 カースト制度が色濃く残るネパールのポカラで、学校に行けない子どもらに無償で学ぶ場を提供しつづけている、車椅子の詩人・岸本康弘さんから、今年も「学舎だより」が届いた。
ここ数年、ネパールの国内情勢は国王と議会とマオイストの三つ巴の紛争・騒乱が続き、国王が軍を掌握し、戒厳令状態にも似た緊張は出口の見えない状態にあったが、4月下旬頃よりようやく民主化への道を歩み出したようで、平穏を取り戻しつつある。
以下、彼からの挨拶文を掲載紹介しておきたい。

「ネパールからの近況報告」                岸本康弘
 皆様、いつもご無沙汰をして申し訳ございません。
昨年の秋から長らくネパール・カトマンズやポカラの岸本学舎に滞在して、今は日本に帰宅して、学舎のこれからの対策をいろいろ考えています。
 ネパールでは一昨年から今年の春にかけて、国王が権力を強化し、民衆は民主化への力を高めて対立し、ほんとに一発触発の危機が常にありました。ときどき戒厳令が出たりして、市民もぼくたちの海外支援者も思うように活動ができませんでした。今年四月頃になると、多くの海外の支援者は引き揚げていきましたが、ぼくはわりあい楽観的に見ておりました。この国は観光が唯一の資源と言ってもいいところなので、国王が軍を動かして権力を発揮しても、この事態が長引けば観光事業が立ち行かなくなると思えたからです。案の定、国王は退き、国会が開催され、近く総選挙が実施される運びになりました。いろいろな政党が乱立しているので、当分は安定的な展開は難しいでしょうが、とにかくネパールの民衆は再度、民主化の道を歩み出しております。これらのことに関しては日本の新聞などにも報道されているのでご存じだとは思いますが、現地の人たちにはそんなに悲壮感はありません。金持ちの人たちは外国へ脱出して安穏と暮らしたいと言いますが、どうして少しでも自国を建て直そうとしないのかと、ぼくは憤りをおぼえます。
 貧しい国ですが、まだ自然は残っているので、そのなかで心身を豊かに育んでいけば世界に伍していける人が輩出できると思います。そんな想いを、子どもたちに言い聞かせております。
 ぼくも徐々に年齢を重ね、資金の面でも大変で、年金を投入したりして苦労しています。いろいろ対策も考えていますが、皆様のご支援を一層よろしくお願いいたします。
 ネパールも今は安全になっておりますので、ヒマラヤの観光をかねてポカラの岸本学舎を訪ねてくださるようにお待ちしております。
 お便り、いつも遅れて申し訳ございません。年二回の発行をめざします。

きしもと学舎の会 HP

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-46>
 網代ゆく宇治の川波流れても氷魚の屍を見せむとぞ思ふ  藤原元真

元真集、忘れたる人に言ひやる。
邦雄曰く、愛に渇いて心は死んだ。あたかも水の涸れた宇治の田上川の氷魚さながら。その無惨な姿を無情な人に見せたい。恨恋の歌も数多あるが、これは風変わりでいささか埒を越えている。この歌の、女からの返しが傑作で、「世にし経ば海月(クラゲ)の骨は見もしてむ網代の氷魚は寄る方もなし」。あるいは殊更に疎遠を装う二人の、諧謔を込めた応酬だろうか、と。

 知らずその逢瀬やいつの水無瀬川たのむ契りはありて行くとも
                          下冷泉政為

碧玉集、恋、恋川、前内大臣家会に。
邦雄曰く、逢うとは言った。それを頼みに行くのだが、肝心の夜はいつも知らされてはいない。あるいはその場逃れの約束だったのでは。「いつの水無瀬」の不安な響きが「知らず、その逢瀬」なる珍しい語割れの初句切れと、不思議な、あやうい均衡を見せている。「袖の露はなほ干しあへずたのめつる夕轟きの山風の声」は「恋山」。いずれも秀れた調べである、と。

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September 18, 2006

人言を繁み言痛みおのが世に‥‥

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Information-Shihohkan Dace-Café-

-世間虚仮- 普及率0.7%の住基カード

 平成15年8月25日、この日が何の日だったかといえば、総務省の音頭で住基ネット(住民基本台帳ネットワーク)が作られ、われわれ国民全員に11桁の番号(住民票コード)が割り振られた日であり、われわれの個人情報、すなわち姓名、住所、生年月日、性別、そしてこれらの変更履歴の5項目が、総務省の外郭団体である「地方自治情報センター」において集中一元管理されるようになった日である。いわゆる国民総背番号制が導入されたわけだ。
生年月日も性別も不変だから、変更履歴に記載されることもない。男から女へ、またその逆も、最近はよくあるが、たとえ見かけ上の性が変わっても、今のところ戸籍上の性は変更できないから、変更履歴の対象外だ。
だが、姓名と住所は、人にもよるがいくらも変わりうる。その変更履歴が11桁の番号と一対一に対応しているのだから、これによって個人情報は、国がその気になりさえすれば、ということはさらに法改正をすればということだが、いくらでも管理を強められる。たとえば納税者番号とドッキングさせる。あるいは年金や健康保険、その他etc.。

ところで、この制度導入で、全国市町村では住民サービスとして「住基カード」を発行するようになったのを覚えておられよう。但し、大抵の場合有償で、大阪市なら500円となっているのだが。このカードで、全国どこからでも住民票が取れる、さらには本人確認の身分証明書になるということで、国は「住基カード」の普及に躍起になってきた筈だし、各市町村に叱咤号令?もしてきたろうが、それにもかかわらず3年を経た現状は、普及率0.7%という信じられないような低率だと聞く。
このあたりが、お上のやることの、どうにも腑に落ちないところである。
無理矢理、わざわざ住民基本台帳法の改正をして新制度の導入をしているのだから、無理矢理と言ってもいいだろう、国民一人ひとりに背番号を割り振り、一元管理を始めたには、さまざまな窓口事務の合理化・省力化を図るのも本来の目的であろう。住基カードが国民一人ひとりに普及徹底すれば、相当量の公的窓口事務が軽減できようし、住民サイドにも受益となる筈なのに、これでは国民への管理を強化しただけに等しいとしか言いようがないではないか。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-45>
 人言を繁み言痛みおのが世にいまだ渡らぬ朝川渡る  但馬皇女

万葉集、巻二、相聞。
生年不詳-和銅元(708)年、天武帝の皇女で、母は氷上娘、高市皇子の妃。万葉集に4首。
邦雄曰く、異母兄高市皇子の妃となりながら、同じく異母兄の穂積皇子を愛し、相聞を遺す。詞書「密かに穂積皇子に逢ひて、事すでに顕はれて作りましし歌」はこの間の事情を言う。生れて初めての体験、おそらく素足で水冷やかな川を渡ることなど、身の竦むような後ろめたさであったろう。実に人の噂は業火の如し、と。

 あやなくてまだき無き名の龍田川渡らでやまむものならなくに 御春有助

古今集、恋三、題知らず。
生没年未詳、藤原敏行の家人で、六位左衛門権少尉、河内の国の人と伝える。古今集に2首。
邦雄曰く、立ち甲斐もない浮名が立ってしまった。実を伴わぬ片思いでも、秘めに秘めてろくにコトバを交わさぬ仲でも、苦しさは同じ。たとえ名が立とうと、川を越す思いで、一夜の逢いを遂げずにいられようか。名の立つ龍田川の懸詞は、当時も以後も極り文句になってしまった、と。

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September 17, 2006

心から浮きたる舟に乗りそめて‥‥

Ecobinorekishi

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-表象の森- U.エーコの「美の歴史

 近頃、型破りでかつ重厚な一冊の美術書に出会った。
表紙裏の扉には、以下のような言葉が踊っている。

 <美>とはなにか?
 絶対かつ完璧な<美>は存在するのか?
 <真><善>、<聖>との関係は?―――
 古代ギリシア・ローマ時代から現代まで、
 絵画・彫刻・音楽・文学・哲学・数学・天文学・神学、
 そして現代のポップアートにいたる
 あらゆる知的遺産を渉猟し、
 西洋人の<美>の観念の変遷を考察。
 美しい図版とともに
 現代の知の巨人、エーコによって導かれる、
 めくるめく陶酔の世界!

なにしろ、「薔薇の名前」や「フーコーの振り子」、「前日島」などを著した作家で、難解な記号論でも著名な、あのエーコが編集・解説、周到に作られた美術書である。刺激的で卓抜な構成は見れど飽かぬといった趣だ。
序論の冒頭に置かれた「比較表」なるページ群は、「裸体のヴィーナス」と「着衣のヴィーナス」、「裸体のアドニス」と「着衣のアドニス」、さらには「聖母マリアの変遷」や「イエス・キリスト像の変遷」など11のテーマで、その変遷を一目瞭然に視覚化、意表を衝いた絢爛たる画像アンソロジィとでもいうべきか。

エーコの「美の歴史」ははじめ図書館で借りたのだが、2週間という期限の中でとても消化できるものではない。それよりも図版の選択と構成は特異で面白いし、解説もエーコならではの世界だし、また随所に引かれた古今の哲人たちの美に関する言辞も巧みに配列されている。
西洋における美の系譜を渉猟するに、一冊の美術書にこれほどよく纏められたものにはなかなかお目にかかるまいから、少々高くつくが購入することにした。因って購入本と借本の両者に「美の歴史」が載るという珍しいことに。

-今月の購入本-
ウンベルト・エーコ「美の歴史」東洋書林
ウンベルト・エーコ「薔薇の名前」映画DVD版
「イサム・ノグチ伝説-a century of Isamu Noguchi-」マガジンハウス
鷲田清一「感覚の昏い風景」紀伊国屋書店
池上洵一「今昔物語集の世界-中世のあけぼの」筑摩書房
秋山耿太郎「津島家の人々」ちくま学芸文庫
高村薫「照柿」講談社

-図書館からの借本-
丸山尚一編「円空-遊行と造仏の生涯 別冊太陽」平凡社
棟方志功「わだばゴッホになる」日本経済新聞社
長部日出雄「鬼が来た―棟方志功伝 上」文芸春秋
長部日出雄「鬼が来た―棟方志功伝 下」文芸春秋
高橋悠治「音の静寂・静寂の音」平凡社
ウンベルト・エーコ「美の歴史」東洋書林

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-44>
 心から浮きたる舟に乗りそめて一日も波に濡れぬ日ぞなき  小野小町

後撰集、恋三、男のけしき、やうやうつらげに見えければ。
邦雄曰く、実のない浮気者に、自分の意思で連れ添うてはみたが、近頃は次第々々に離れがちになり、どうやら他へ心が移ったようだ。今日に始まったことではない。涙の波に濡れぬ日はないほど、そのつれなさに泣かされてきた。詮のない繰り言ではあるが、まことゆらゆらと舟歌のような調べで歌ってあるので、安らかに耳に入り、ふとあはれを催す、と。

 淵やさは瀬にはなりける飛鳥川浅きを深くなす世なりせば  赤染衛門

後拾遺集、恋二、もの言ひ渡る男の淵は瀬になど言ひ侍りける返り言に。
邦雄曰く、頭の冴えた閨秀作家の、ぴしりと言い添えた一首、なまなかな風流男など尻尾を巻いて退散しよう。第一・二句は、古今・恋四「飛鳥川淵は瀬になる世なりとも思ひそめてむ人は忘れじ」を言う。月並な愛の誓いなど聞く耳を持たぬ。淵が瀬になるならその逆もあり得よう。頼みになどなるものでも、すべきものでもないと、上句は寸鉄人を刺す、と。

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September 16, 2006

大き海の水底深く思ひつつ‥‥

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-世間虚仮- 安部晋三の器量

 器量というのは、顔立ちや容貌のことでもあるが、第一義には、その地位・役目にふさわしい才能や人徳、いわゆるその人の器であり度量をさす言葉だろう。
安部晋三は、たしかに甘いマスクだし、彼の人気ぶりもずいぶんとその容貌の良さに負っていると思われるが、人間としての器や度量のほうでは、果たしてそれほどの器量の持ち主なのかどうか。

たしか自民党総裁選は20日投票のはずだが、勝負はすでに決しているかとみえて、気の早いことに選挙前から、党三役や官房長官など、安部体制を支える要の人事が取り沙汰されている。どうやら安部晋三はまだ若いだけに正攻法だが、そのぶん性急に過ぎるようである。

小泉の場合、総裁候補に三度も挑戦したうえでやっと転がり込んだ総理総裁の椅子だったし、一度目も二度目も勝負になるような候補ではなかった。三度目の正直では、橋本総理の経済政策の失敗から世論も自民党も混乱の度が激しかったし、解党的危機のなかで、「自民党をぶっ壊す」とまで言い切った、良くも悪くも徹底した開き直りの小泉の姿勢が、派閥を越えて大きく流れを変えた。
安部の場合、どう見ても小泉路線のなかでスポットライトを浴び、力をつけてきたに過ぎず、その後押しをしたのは岸信介・安部晋太郎につながる系譜ゆえだろう。本人も総理の椅子を目前にして病に倒れた晋太郎の無念や、遠くは60年安保の強行採決で戦後最大の混乱を招きつつも、日米安保体制をいわば不動のものにすることで相対死のごとく退陣した岸信介の、よくいえば政治的信念を、血脈のうちに継承しているという自覚もあろう。その過剰ともみえる自意識が、声高に憲法改定を言い、短兵急に教育改革を言い立てさせているのだろうが、ことはそう容易ではないし甘くもない。「美しい国へ」などという美辞麗句で飾り立ててくれても、現実には国民の多くは同床異夢だろうし、世論のおおかたの支持はそんなところにはない。

安部はたんなるボンボンに過ぎないだろう、と私などには見える。小泉ほどのしたたかさもなければ度胸もない。なかなか外見には注意深く露わにしないが、小泉には僻目もあったろうしコンプレックスも強かったように思われる。それを変人・奇人スタイルで覆い隠してきたのではないか。そういう彼には、権力を手にしたとき、異論も反論もあのワンフレーズで切って捨てるという芸当ができうるのだろうが、どこまでも甘いマスクをした坊ちゃんの安部にはそんな鉄面皮な芸当はできそうもない。主観的に正義と信じ、本道と思うところを誠心誠意?突っ走ることになる。小泉はたとえとんでもない失言や放言をしても、目くじら立てた批判を柳に風と吹き流し、意に介さないふりができる。そういうふてぶてしいところは安部には似合いそうもないし、またあるとも思えない。
自分に降った一過性のブームで得た国民的人気を、小泉は5年余りもとにかくも保持しつ続けた。これは特筆に値する現象だったし、今後もこの小泉現象は何であったか、異能異才の小泉的本質はと、さまざまな人がああだこうだと解読に走るだろうが、そんなことは私にはどうでもいい。
安部は育ちも気質もそのままに、誠実に言葉を立てて、正攻法に論理で迫る。そしてその言葉や論理で躓く。一旦躓くと取り返しがつかなくなる。小泉は不逞な輩だが、安部にはそんな真似はできそうもないから、権力を手にした安部は、小さな失策も針小棒大となって、坂道を転げだしたら早い。戦うまえから決定的に勝ってしまっている安部の栄光は、総理総裁の椅子に着いた瞬間をピークにして、これを潮目にあとは引き潮のごとく急カーブを描いて堕ちてゆくといった、悲惨な図にきっとなるだろう。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-43>
 大き海の水底深く思ひつつ裳引きならしし菅原の里  石川郎女

万葉集、巻二十。
邦雄曰く、男の恋歌に、富士山ほど高くあなたを思い初めたという例があり、この女歌はわたつみの深みにたぐえた一途な思慕であった。作者は藤原宿奈麿の妻、「愛薄らぎ離別せられ、悲しび恨みて作れる歌」と注記が添えられる。平城京菅原の婚家の地を裳裾を引いて踏みならした記憶を、如実に蘇らせているのか。第四句が殊に個性的で人の心を博つ、と。

 君恋ふと消えこそわたれ山河に渦巻く水の水泡(ミナワ)ならねど  平兼盛

兼盛集、言ひ初めていと久しうなりにける人に。
邦雄曰く、恋患い、ついに命も泡沫のように儚く消え果てると言う。誇張表現の技競べに似た古歌の恋の中に、これはまた別の強勢方法だが、その水泡が「山河に渦巻く水」の中のものであることが、いかにも大仰で面白い。「つらくのみ見ゆる君かな山の端に風待つ雲の定めなき世に」も、同詞書の三首の中の一首だが、趣を変えて一興である、と。

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September 15, 2006

幾夜われ波にしをれて貴船川‥‥

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-四方のたより- 大阪野外演劇フェスティバル

 今年も劇団犯罪友の会など関西野外演劇連絡協議会に参集する劇団たちが、9月から11月初旬まで、大阪野外演劇フェスティバルで競い合う。
参加の劇団各々が、思い思いに独自の仮設劇場を現出させて、それぞれの演目を小屋掛け芝居よろしく上演するという大阪ならではの劇場型祝祭だ。
今年でもう6回目を迎えるというこの大阪ならではの些か型破りなフェスティバルは、大阪市も「ゆとりとみどり振興局」で後援している催し。日経ネット関西版にも詳しい。

ラインアップを以下要約紹介すると、
扇町公園に特設雷魚テントを作る「浪速グランドロマン」の初日は13日だからすでに始まっている。演目は「眠る帝国-現在は閉鎖中の掲示板の書き込みログです-」と一風変わった題。
このテントでは「劇団態変」も、21日~23日に「ラ・パルティーダ-出発06」を上演する。
中之島公園の剣先広場には、劇団「楽市楽座」が野外特設円形劇場を建てて、「金魚姫と蛇ダンディー」を29日から。
今年から新しい会場として、名村造船跡地にできた「クリエイティブセンター大阪」では、「未知座小劇場」が特設テントで久方ぶりの公演をするのは10月13日からで、座長闇黒光作品「大日本演劇大系」を三部作として。
このテントでは、さらに「劇企画パララン翠光団」が10月28・29の両日に「わたり双樹」を、
劇団「満月動物園」が「カデンツア」を11月2日~5日にそれぞれ上演。
もう一箇所、難波宮跡公園に野外特設テントを建てるのが武田一度率いる「劇団犯罪友の会」、「かしげ傘」と題された演目は10月19日から25日までの上演。
この仮設小屋では、韓国から参加する「釜山演劇製作所ドンニョク」が東京の「瑠華殿-RUKADEN」と提「Myth Busan-Tokyo Mix」と題した提携公演を10月26と27の両日行う。
尚、それぞれの問合せ先については、「大阪市ゆとりとみどり振興局」HPにあたられたい。

◇大阪市ゆとりとみどり振興局
http://www.city.osaka.jp/yutoritomidori/report/culture/20060706.html
◇日経ネット関西版
http://www.nikkei.co.jp/kansai/culture/35404.html

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-42>
 有磯海の浦吹く風も弱れかし言ひしままなる波の音かは  宗良親王

新葉和歌集、恋五、天授二年、内裏の百番の歌合に、帰郷の心を。
邦雄曰く、上句「弱れかし」はつれない愛人への祈りに似た哀願の趣も見えるが、下句の逆問は、次に「否」が三つばかり続くような苦みを含んで語気は烈しい。題詠でこれだけの気魄を見せるのはよほどの歌才であろう。。天授2(1376)年は親王65歳。李花集の著者、新葉集選者の、波瀾万丈の一生の終りは、ほぼ10年後のことと伝える、と。

 幾夜われ波にしをれて貴船川袖に玉散るもの思ふらむ  藤原良経

新古今集、恋二、家に百首歌合し侍りけるに、祈恋といふものを。
邦雄曰く、六百番歌合「祈恋」の名作、定家の「初瀬山」と双璧をなす。判者は「左の「袖に玉散る」と云へるは殊に宜しく」云々と褒めて勝とした。「袖に玉散る・もの思ふ」の脈絡が至妙であるが、すでに3年前の二夜百首に「石ばしる水やはうとき貴船川玉散るばかり物思ふ頃」が見える。水しぶきと涙と、その玉と魂が散乱する調べが歌の命である、と。

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September 14, 2006

風早き響の灘の舟よりも‥‥

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-世間虚仮- 自衛官に軍人恩給?

 防衛庁が退職自衛官に戦前の軍人恩給にも似た制度の導入を進めようとしている、との報道にわが眼を疑うばかりに驚かされた。
自衛官は国家公務員だから共済年金だが、これに上積みする年金制度を新たに設けようというのである。その理由は、国際平和協力活動への参加や有事法制の整備などで、自衛隊の性格が変容してきたこと。また退職後の保障を手厚くすることで、優秀な人材を確保する狙いもあるとされている。
国会議員や地方議員の議員年金、公務員の共済年金、企業人の厚生年金、そしてそれ以外の国民年金と、各種年金制度の格差や不公平感を是正すべき論議が盛んなのに、その動きに逆行した厚顔で恥知らずな感覚にはまことに畏れ入ったものだが、「日本を普通の国へ」と主張する多くの保守系議員たちには、国土を守るため武器をとって生命を賭す者たちへは特別な計らいあって然るべしで、こううことこそ普通の国のあたりまえの論理だ、となってしまうのだろう。
抑も、軍人恩給制度は早くも明治8(1875)年に生まれ、これが大正12(1923)年には、文官(事務官・技官)や教職員などの恩給と統合され、現行の恩給法となっているが、戦後は公務員共済年金に移行、それまでに退職した公務員については、軍人恩給対象者と同様に恩給が支給されているという。ちなみに今年度の恩給対象者は25万7000人、うち軍人恩給が25万3000人と大部分を占めているそうな。
それにしても、戦後61年を経てなお軍人恩給対象者がこれほどの数にのぼるという事実、戦前の徴兵制、成年男子への召集がいかに徹底していたかを物語る数字かと。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-41>
 有磯海の浦と頼めしなごり波うち寄せてける忘れ貝かな  詠み人知らず

拾遺集、恋五、題知らず。
邦雄曰く、後撰・雑四に均子内親王作の「われも思ふ人も忘るな有磯海の浦吹く風のやむ時もなく」が見え、「忘れ貝」はそれを踏んでの作であろう。「余波(なごり)無み=波」と海の縁語は、文字も含めて一首の中に、真砂や貝殻のように数多散りばめられ、しかもあくまで間接表現で、捨てられた女のあはれを盡した。本歌取りとしては秀れた例の一つと言えるだろう、と。

 風早き響の灘の舟よりも生きがたかりしほどは聞ききや  藤原伊尹

一条摂政御集、わづらひたまひてほとほとしかりつるとて、女のもとに。
邦雄曰く、玄界灘の東北にあたる荒海が「響灘」、歌枕とは言えぬ稀用固有名詞だが、この荒涼たる相聞歌の中では、唖然とするくらい活用された。殊に「聞ききや」との照応は絶妙である。女の返事「寄る辺なみ風間を待ちし浮舟のよそにこがれしわれぞまさりし」。丁々発止、これもなかなかの技巧で、伊尹の激しく苦しい調べを迎えてすらりと交わした、と。

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September 13, 2006

瑠璃草の葉に置く露の玉をさへ‥‥

Isamunoguchi

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-表象の森- 中原喜郎展とイサム・ノグチと速水御舟

 滋賀県立近代美術館へと家族を伴って出かけた。
先ずは中原喜郎個展のギャラリーへ。今日が初日の会場にはもちろん中原兄の姿があった。
作品は40点余りだが、例年に比べれば総じて小振りになった感は否めないが、難病を抱え無理のできぬ身体を思えば、なおこれだけの壁面を埋めきる画魂に驚きを禁じ得ない。
F6号という小品だが「誰もいない」と題された作品、肩を寄せ合うような人物たちのフォルムといい、赤と青と白の、色の配合といい、自家薬籠中の技術だが、彼らしい達者な作品に、私はもっとも惹かれた。

 次に1000円也を払って、同じ館内のイサム・ノグチ展会場へ。
こうして彼の作品群を観るのは初めてだが、幅広く活動してきた国際的に著名な作家だけに、かなり既視感のともなう印象がするのだが、それにしても石や金属や陶の彫刻からガーデン・アート、インテリア・デザインまで多岐にわたる仕事は、繚乱として眼を瞠らせるものがある。
香川県高松の屋島に面した「イサム・ノグチ庭園美術館」は、晩年の20年余をここで暮し、アトリエとして制作に励んだという場所だが、150点余りの作品が緻密な計算のもとに置かれ、瀬戸内の自然のなかで呼吸している。

 中原氏の絵画と、イサム・ノグチの世界に堪能したこの日だったが、実は予期せぬ収穫がもう一つあった。「イサム・ノグチ展の会場に足を運ぶ前に、何気なく入った常設展の室内で、その画風そのままに静謐な佇まいで壁に掛かった一枚の日本画に、私はしばらく眼を奪われてしまっていた。
速水御舟の「洛北修学院村」である。
表題の示すとおり、洛北の重畳とした比叡山麓にひろがる深緑一色の牧歌的な風景だが、細密画のように徹底したその稠密に描き込まれた細部の綴れ織りからくる印象は、すぐれて実在感のある深遠さとでもいうか、まさに濃密なる風景なのだ。御舟自身「群青中毒に罹った」と言っていたという、その中毒症状のなかで生まれた作品なのだろう。
狂おしいまでの緑青であり、狂おしいまでの稠密さだ。そしてなお風景としてしっかりと実在感がある。

速水御舟の「洛北修学院村」-滋賀県立近代美術館所蔵

 ほぼ滞在3時間、かように腹一杯に堪能してはなんとなく心身も重くけだるいほどである。おかげで帰りの車の運転は倦怠に襲われかなり辛いものになった、欲張り観賞の一日だった。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-60>
 いとせめて夕べよいかに秋の風立つ白波のからき思ひは  後柏原天皇

柏玉集、秋上、秋夕。
邦雄曰く、二句切れの三句切れで、結句は倒置法、文体にも奇趣を楽しませ、三玉集時代の新風の一体を誇る。「秋夕」三首中のいま一首「われのみの夕べになして天地も知らずとや言はむ秋の心は」も、その歌柄の大きさ、悠久の思いを籠めた味わい、感嘆に値する。「立つ白波のからき思ひは」の「からき」は、「辛き・苦しき」を意味し、波の縁語でもある、と。

 瑠璃草の葉に置く露の玉をさへもの思ふときは涙とぞ見る  源順

源順集、あめつちの歌、死十八首 思。
延喜11(911)年-永観元(983)年、嵯峨源氏、嵯峨天皇の曾孫源挙の二男、従五位下能登守。博学で知られ、20代で「和名類聚抄」を編纂。三十六歌仙に数えられる歌人でもある。拾遺集初出、勅撰集に51首。
邦雄曰く、沓冠共に「あめつちの歌」四十八題を詠み込んだ超絶技巧作中の「る」。瑠璃草は紫草科の蛍葛の漢名だが、他に用例は見あたらず、博識な順の遊びであろう。それにしてもこの清新軽妙な歌、明治末期の明星歌人の作としても通るだろう。「れ」は「猟師にもあらぬわれこそ逢ふことを照射の松の燃えこがれねれ」。言語遊戯の極致である、と。

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September 12, 2006

しるべせよ送る心の帰るさも‥‥

Kaitohitsuji

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-表象の森- 貝の文化と羊の文化

 京劇が専門だという著者、加藤徹の「貝と羊の中国人」新潮新書。
任期満了でやっと退陣する小泉首相の靖国参拝への頑なな執着で、この数年、中国からの批判がずいぶん過熱したものだったが、その中国の開放経済による経済成長至上主義と、一党独裁の官僚的支配に過ぎない共産主義が矛盾しないで同居できる不思議を、中国史に詳しい著者が、古代より連綿とある貝と羊の文化の対比で読み解いてみせるが、その手際はなるほど判りやすく、時宜にも適った書で、ひろく読者に受け容れらるだろう。
 中国の有史は殷・周にはじまる。ほぼ3000年の昔、中国東方系の民族であった殷と大陸西方系の民族の周がぶつかりあって、現在中国・漢民族の祖型を形成してきた。殷最後の紂王を周の武王が倒し、周王朝が樹立されるのが、殷周革命(殷周易姓革命)だ。
殷は農耕民族系であり、早くから流通経済が発達、子安貝を貨幣に用いていたという。王朝を「商」とも呼び、人々は「商人」とも自称していたというほどだから、商業的気質に富み、商人文化を発達させる。宗教も多神教で、神々はいかにも人間的な存在となる。この殷人的気質や文化の傾向を、著者は「貝の文化」と呼んで類型化する訳だ。
他方、周は遊牧民族系に属し、厳しい自然とたえず対決しながら暮らす生活習慣は、「天」は至上となり、唯一至高の絶対神となる。人々もまた理念的・観念的傾向を帯び、主義を重んじ、善行や儀礼に無形の価値をおく。著者はこの周の文化を「羊の文化」と名づけ、対比的・対照的な二つの系譜が、3000年の歴史を陰陽に脈々と受け継がれ、現代中国の国民性をも規定しているという著者はいい、中国の分かり難さは、この構図をもって読み解けというのである。
余談ながら、後の春秋時代に登場した孔子は、この周の文化伝統を重んじ、その復興を提唱し、「儒教」を創り上げたのだが、その孔子自身は遠く殷人の末裔だったというから、中国文化の深層を読み解くうえで象徴的なエピソードだと、紹介されているあたり面白い。

 私にとって印象にのこる知の発見は、中国問題からは逸れるが、江戸時代の佐藤信淵がすでに説いていたという近代国家日本の帝国主義的戦略のシナリオだ。以下はほぼ著者記述のまま書き置く。
文政6(1823)年、農政学者の佐藤信淵(1769-1850)は、「混同秘策」という本を書いた。別名「宇内混同秘策」とも呼ばれる。この本の中で、佐藤は、日本が世界を征服する青写真を示した。まず江戸を東京と改称して「皇国(日本のこと)」の首都とし、幕藩体制を廃止して全国に道州制を敷き、天皇中心の中央集権国家を作る。そして、まず「満州」を征服し、それをかわきりに「支那」全土を征服して、世界征服の足がかりとする。そのいっぽう、フィリピンやマリアナ諸島にも進出し、日本本土の防備を固める。そして、彼が「産業の法教」と称する神国日本の精神によって、世界各国の人民を教化し、全世界(宇内)の大統一(混同)という大事業を達成する‥‥、と。
明治維新から1945(S20)年の敗戦までの日本の国家戦略は、佐藤信淵の「混同秘策」の構想を、ほぼそのまま実行したものだったということになるが、著者によれば、この「混同秘策」の書は、戦前は各種の版本が出版され、国民のあいだでも広く読まれていた、とされ、石原莞爾が昭和初期に提唱した「世界最終戦論」も「大東亜共栄圏」の構想も、江戸時代のこの「混同秘策」の思想の延長線上にある、という訳である。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-59>
 しるべせよ送る心の帰るさも月の道吹く秋の山風  藤原家隆

玉二集、日吉奉納五十首、秋十五首。
邦雄曰く、家隆60代半ば、承久の乱直後の作と思われるが、この五十首歌は六百番・千五百番歌合時代さながらに、華やかな技巧を駆使しており秀歌が夥しい。第二、三句から第四句への修辞など冴えわたっている。「露分けてふるさと人を浅茅生に尋ねば月の影やこぼれむ」も、結句に工夫が見えるが、「秋の山風」の離れ業には比ぶべくもない、と。

 見し秋は露の千入(チシホ)の梢より風に色づく庭の砂地(イサゴチ)
                        上冷泉為和

今川為和集、四、庭落葉。
永正12(1515)年-天文18(15949)年、父は上冷泉為広、御子左家系冷泉家に連なり、代々歌人の系譜、正二位・権大納言。
邦雄曰く、秀句表現の重なりが、歌に飽和状態に似た感じを醸し出す。「露の千入の」「風に色づく」が、巧みを盡してみせ、初句と結句の交響も見事だ。「橋姫の袖の上越す河風に吹かれて走るまきの島舟」もまた、同様の趣を見せて、堪能させる一首。通称の今川姓は、今川氏との関係がきわめて深かったためであると伝える、と。

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September 11, 2006

おほかたの秋の空だに侘しきに‥‥

Nakaharakoten2006

Information-Shihohkan Dace-Café-

-四方のたより- 中原喜郎個展

 この時期、例によって、中原喜郎さんの個展の案内が届いた。
会期は明日12日(火)から18日(祝)まで、場所は滋賀県立近代美術館ギャラリー。
いつものように、いつものところで、判で押したようにきっちりと持続することに、なかなかそうはいかない私など、まず敬意を表さねばならない。
「我ら何処より来たりて」と題されたシリーズも、もう7回目を迎えるというが、いつもながら感嘆させられるのは、あの広い空間を埋め尽くすだけの作品の数々を、一気呵成に描き上げる力業、その多作ぶりだ。
ネジ製品に多条ネジといういわば二重、三重になった螺旋様のものがあるが、彼の画業過程はその多重螺旋にも似て同時進行的に、幾枚ものキャンバスがそれぞれ別次のイメージに誘われながら色塗られ仕上げられていくのだろう。
今年もまた酷暑のひと夏を、大小数十枚のキャンバスを相手にそうやって格闘してきたにちがいない。

 折しも、会場の滋賀県立近代美術館では、「イサム・ノグチ-世界とつながる彫刻-展」が7月から開催されており、ちょうど18日で閉幕するとか。
この企画展には、アメリカのモダン・ダンスの草分け、マーサ・グラハムのために制作した舞台装置「暗い牧場」も含まれており、初演時の映像とともに観られるという。
どうせなら時間に余裕をもって出かけたいものだ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-58>
 雲まよひ木の葉かつ散り秋風の音うちしめるむらさめの空
                        下冷泉政為

碧玉集、秋、秋雨、侍従大納言家当座に。
邦雄曰く、秋雨のほか秋苔・秋葦・秋杉等、なかなか趣向を凝らした題詠あり、歌にもこの人独特の工夫は見える。「まよひ・かつ散り・うちしめる」と並列的に畳みかけて時雨空を描きあげる手法、尋常ではない。「秋蘋」題の「浮草の根を絶えざらむ契りをも池の心や秋に知らまし」も第四句に意を盡し、殊に一首一首に深みを作る点、記憶に値する。

 おほかたの秋の空だに侘しきに物思ひそふる君にもあるかな  右近

後撰集、秋下。
生没年不詳。右近衞少将藤原季縄の女とも妹とも。醍醐天皇の皇后穏子に仕え、藤原帥輔・敦忠・朝忠らとの恋が大和物語に知られる。小倉百人一首に「わすらるる身をば思はずちかひてし人のいのちの惜しくもあるかな」、後撰集以下に9首。
邦雄曰く、詞書に「あひ知りて侍りける男の久しう訪はず侍りければ九月ばかりに遣はしける」とあり、男への恨みが、ものやわらかに、滲み出るように歌われる。白氏文集の「就中、腸の断ゆることは、是れ秋の天なり」を踏まえての「秋の空」である。まして愛する人の足も途絶えがち、涙ながらに言いつのるところを、この下句の悠長な言葉遣いは、かえってあはれを誘う、と。

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September 09, 2006

武蔵野や行けども秋の果てぞなき‥‥

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Shihohkan Dace-Café

-表象の森- ハードル走者・為末大の進化論

 世界陸上競技界の第一線で活躍するハードル走者・為末大の「ハードラー進化論」というとてもいい一文を読んだ。
ハードラー-Hurdler-とはハードルの走者、つまりは為末大自身のことだ。
毎日新聞のスポーツ欄に月1回ペースで連載され、私が読んだのは9月6日掲載分、連載4回目らしいが、私の眼にとまったのはこれが初めてで、なにげなく読み出しところが、さすが世界に冠たる一流のHurdler、子どもの頃から一身を競技に賭けて身体技術を磨きぬいてきた者だけが語りうるその技術論は、見事なまでに核心を突いて身体技法の奥義に迫っているかと思われ、大いに肯かされ、感嘆もさせられた。

 「終りなき身体の覚醒」と題された一文は、タイトルそのものにもまったく同意するところだ。
「技術というものには段階がある。初めのうちは、力を入れられなかった部分の筋肉に、力を入れて動かすことから始まる。そのうちにリラックスできなかった部分から力が抜けて、動きが磨かれていく。技術革新とはこの繰り返しだと私は考えている。」
との簡潔な書き出しは正鵠を得ているがほんの序論に過ぎない。真骨頂は永年の経験のうちに徐々に研ぎ澄まされてきた身体感覚であり、それに裏づけられた身体技術のさまざま具体的な自覚であるが、この進化、いや深化というべきか、そのプロセスのひとつひとつが、われわれのような表現における身体技法を尋ねゆく者にも、示唆に富んでいて大いに刺激もされ、また得心のいくものになっている。

 「私が陸上競技を始めた小学生の時には、脚全体を使い、脚で地面を踏むという感覚で走っていた。高校生の頃には背筋や腹筋も使い、地面に身体を押しつける感覚になってきた。感覚としては全身を使っているし、このあたりが技術の飽和点かなと思っていたが、現実はまったく違った。」
なにしろ1996(H8)年のインターハイや広島国体で高校新やジュニア新をマークして優勝したスポーツ・エリートであれば、高校時代においてすでに「技術の飽和点」を意識するというのも尤もで、世阿弥でいえば少年期の「時分の花」が頂点を向かえるのに相応しようか、われわれ凡百の徒にすれば「ただ羨ましきかな」である。

 「大学生の時に少しスランプに入り、再び調子を戻した時には新しい感覚が生まれていた。全身を使って力を入れるのではなく、膝から下や、肘から先の力が徐々に抜けてきたのだ。末端の余計な力が抜けると、根元の部分を動かすことで末端を楽に振り回せる。そして腕や脚がシャープに動くようになった。」
為末大は、多くの陸上競技選手のなかでも専任コーチを持たず、自らトレーニングプランや食事の内容などアレンジしていくという点で、きわだって特異な存在であるらしい。学生時代の後半から学校やチームという「枠」に縛られずに、さまざまな人からアドバイスを得て最終的な判断は自身で行うという、日本では稀有なスタイルで自らをコーチングするというのだ。彼がそういうスタイルを採るようになったのは、引用の「末端の余計な力が抜け‥‥、根元の部分を動かすことで‥‥、腕や脚がシャープに‥‥」といった発見や身体部位への自覚が大いに与っているにちがいない。

 「昨年あたりからは、腹筋と背筋の両方へ同時に力を入れるのではなく、交互に力を入れることを意識している。身体がねじれては戻る、という動きができるようになり、肩関節と骨盤付近を結んでいる筋肉も大きく使えるようになった。それによって脚の入れ替えがスムーズになり、今年の大きなストライドを生んだと考えている。」といい、
 さらには、「これで終りだと思っていた技術革新がまだ進んでいる。どのあたりで止まるのか見当もつかない。高校生の頃に全身を使って走っていたことに満足して、そこで終りだと考えていたら今はなかったろう。最近は肋骨の奥の方も動かしているらしく、時々筋肉痛になるときがある。これを何度か繰り返していけば、そのうちにその筋肉が完全に目覚めて強く働くようになるだろう。そうしたら次は、その筋肉につられて働いている別の筋肉から、余分な力を抜くことが課題になる。」
と綴っているのだが、自身のさまざまな身体の知覚に基づき、自らの想像力を羽ばたかせ、競技者としての身体技術を自分自身でコーチングしていくというスタイルを身につけた彼は、「イメージした動きを具現化する能力に優れている」と評されるように、独自の変貌=進化をかぎりなく遂げていくのだ。それは「花伝書」を著した世阿弥のように、或いは「五輪書」を遺した宮本武蔵のように、孤高の達意といった境地にも、私には見える。

 彼自身「終りなき身体の覚醒」と題したように、その眼差しが捉える射程は遙かに遠く、この一文を次のように結んでいる。
「最終的には爪や神経、細胞のように、意識して動かすことができないと思われている部分ですら、自分の意思で動かしながら走ってみたい。」

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-57>
 秋風に消えずはありともいかがせむ身を浮雲のゆくすゑの空
                        飛鳥井雅親

続亞槐集、恋、文明十九年十二月、日吉社法楽百首続歌に。
邦雄曰く、挽歌の趣のやや淡い、むしろ述懐に近い味わいあり。ただ初句の「秋風」が、歌に細みと寂びを感じさせ、ひいては物思いにやつれた、この世の外のあはれが滲んでいる。15世紀末、二十一代集以後の堂上歌人の中に際立った大家、ゆとりと貫禄はこの一首にも明らかだが、和歌が歴史の中で身につけた言語感覚の垢もまた、どこかに見える、と。

 武蔵野や行けども秋の果てぞなきいかなる風か末に吹くらむ
                          源通光

新古今集、秋上、水無瀬にて、十首歌奉りし時。
文治3(1187)年-宝治2(1248)年、内大臣土御門(源)通親の三男、後嵯峨院政の時、従一位太政大臣に。後鳥羽院や後嵯峨院歌合で活躍、宮内卿や俊成卿女などと詠を競った。笛の名手でもある。新古今集以下に14首。
邦雄曰く、元久2(1205)年6月の元久詩歌合作品。通光は、建久の政変の知恵者で悪名高い通親の子、この時弱冠18歳。新古今歌人中では最も若く、宮内卿と並ぶ早熟の天才であろう。「秋の果て」も含みのある言葉だが、下句にこめた思いの深さも抜群といえよう。「はて」と「すゑ」の上・下における対比で、この一首の宇宙を形づくった才も凡手ならず、と。

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September 08, 2006

秋の夜の霧立ちわたりおぼろかに‥‥

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-四方のたより- ひさしぶりにDance-Café

 ひさしぶりに「四方館DanceCafe」開催のご案内。
今年4月27日以来だから5ヶ月ぶりだ。

今回のタイトルは、
Chant d'automne ――秋の歌―― とした。

  「秋の日のヴィオロンの‥」
  と歌ったは、彼のヴェルレーヌだが
  ボードレールならば
  「われらやがて、冷たき闇の中に沈み入らむ」
  と冒頭の一行を置いた。
  定家なら、
  「見渡せば花も紅葉もなかりけり‥」、が夙に名高いが
  「いかにせむ菊の初霜むすぼほれ
            空にうつろふ秋の日かずを」
  この歌もなかなかに捨てがたい。

とき:9月28日(木) PM7:00~
ところ:フェスティバルゲート4F COCOROOM

Dancer : Yuki Komine.Junko Suenaga.Aya Okabayashi
Pianist : Masahiko Sugitani
Coordinator : Tetsu Hayashida

とりたてて新奇なことは考えない、いつもの趣向で、いつものように。
メンバーの日頃のImprovisation-即興-の研鑽を、
ただ粛々と心静かにご披露するのみ。
もちろん、トークタイムもあり、
みんなでお茶をしながら、いろいろ語り合えればこのうえない。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-56>
 深く思ひ初めつといひし言の葉はいつか秋風吹きて散りぬる
                         藤原時平

後撰集、恋五、女の許より定めなき心ありなど申したりければ。
元慶4年(880)-天暦3年(949)。貞信公と諡され、また小一条太政大臣とも。関白基経の長男。基経の死後、氏長となって藤原氏全盛の基礎をつくり、延喜格式を完成。摂政・関白・太政大臣を歴任。右大臣菅原道真を讒言して太宰府に左遷させたことでも知られる。小倉百人一首に「をぐらやま峰の紅葉こころあらばいまひとたびのみゆきまたなむ」、後撰集以下に13首。
邦雄曰く、恋心と秋、すなわち「飽き」を一方に置き、「言の葉」の葉が秋風とともに散ると、人の心のはかなさを歎く。下句の淡々とした放心したような呟きが、技巧的な恋歌群のなかにあって、かえって印象に残る。道真を失脚させた辣腕の政治家も、後撰集に多くを残した歌人。「右流左死」の譬えどおり、壮年38歳の死、と。

 秋の夜の霧立ちわたりおぼろかに夢にそ見つる妹が姿を
                         柿本人麿

万葉集、巻十、秋の相聞。
邦雄曰く、上句全体がそのまま、第四句、さだかならぬことの序詞であると同時に、「秋の相聞」として、まのあたり濃い夜霧の立ちこめている情景を歌っているとした方が、一首の味わいは勝ろう。第四・五句の倒置も、口疾に告げようとする姿が浮かんで生きている。第三句は「おぼほしく・ほのかにも」等、幾つかの訓が行われている、と。

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September 07, 2006

虫の思ひ鹿の鳴く音もふるさとに‥‥

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-表象の森- 承前・折口信夫「死者の書」と「大津皇子-鎮魂と飛翔」

 想い出の舞台「大津皇子-鎮魂と飛翔」、
その構成は2部8章、これを資料に基づいて以下転載する。
※ 写真はまだ30代だった筆者、場面は「二上山の章-死者と生者の相交」より。

一部<磐余の章>

「刑 死」 ―― 大津皇子、謀反発覚として死を賜う、時に二十四。
 なにもない
 なにもない磐余の地
 空のなかで鳥が死んだ
 黒い獰猛な空から
 黙って 残酷に
 彼の人は堕ちた

「死の相聞」 ―― 書紀に曰く、妃山辺皇女、
    髪をふり乱して、すあしにして奔り赴きて、殉に死ぬ。
 女がひとり、走りきた
 裳裾をひるがえし
 蒼白な面は美しく 昂ぶりは極限にあった
 空の高みで雷鳴が轟く
 悲しみと忿怒の狂気
 彼の人の死に 死をもって相聞した

「挽 歌」 ―― 万葉に姉大来皇女のうたう、
    うつそみの人にあるわれや明日よりは二上山を弟世とわが見む
 枯れた悲しみの底で 人群れが動く
 野辺の送り
 すべての風景が祈りを捧げる
 忍耐づよく 冷厳に 押し黙り
 ひたすら立ちつくす女

二部<二上山の章> ‥‥ 折口信夫「死者の書」より

「岩窟の人」
 常闇の世界
 埋葬された彼の人は
 大地の内蔵の中で
 ゆっくりとしたまどろみをつづける
 生きている死の眠り
 やがて、そのみ魂は
 漆黒の内密性のうちに立ちあがるのだ

「霊のこだま」
 闇い空間に蒼黒い靄の如くたなびくもの
 樹々が呼吸する音に包まれて
 精霊たちが岩窟を満たす
 互いに結ばれた言葉で
 やさしく人馴れぬ言葉で
 彼の人のみ魂と共震する

「幻影的な旅」
 こう こう こう こう
 魂呼ぶ声に誘われて
 不思議な夢の
 冥界への旅だち
 揺りから揺られ
 女がひとり 幻想に舞う

「死者と生者の相交」
 天空の光りの輪が仄かに揺れて
 招来と歓喜
 彼の人にとって おもいびとがそこに在り
 女にとって おもかげびとがそこに在った
 うねり 流れ 交わり
 可視の空間の向こうに見いだす拡がりのなかに
 ともにやすらうのだ

「山越しの阿弥陀」
 光り 始原の
 響き 生誕の
 山の端に伸しあがる日輪の想われる
 金色の雲気

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-55>
 武蔵野や草の原越す秋風の雲に露散るゆくすゑの空  俊成女

俊成卿女家集、洞院摂政家百首 眺望。
邦雄曰く、貞永元(1232)年、承久の乱から十余年を閲し、作者も既に60を越えていた頃の百首歌であるが、さすがにあでやかな歌風は衰えず、時雨空を眺めて「雲に霧散る」と表現した。縹渺万里、遙々とした大景を、一首の画布に収めて悠々たる佇まいだ。他に「分けなれし雲のつばさに秋かけて越路の空に雁ぞ鳴くなる」も見え、第二句また秀抜、と。

 虫の思ひ鹿の鳴く音もふるさとに誰がためならぬ秋の夕霧
                        徳大寺実淳

実淳集。
文安2(1445)年-天文2(1533)年、藤原北家系、藤原実能を祖とし、代々笛を家業とした。従一位太政大臣。家集に実淳集。
邦雄曰く、室町の中期から末期にかけて、徳大寺実淳の和歌執心とその才は隠れもない。「秋の夕霧」も屈折に富んだ技法が見られ、これもまた16世紀前半の特徴の一つであろう。虫の声ならぬ「思ひ」も前代未聞の発想に近い。「しぐれして空ゆく雲に言づてむそなたの山の色はいくしほ」が、家集ではこの歌と並ぶ。この作者の得意とする技法か、と。

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September 06, 2006

いかにせむ葛のうら吹く秋風に‥‥

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-世間虚仮- 貴きは言祝ぎ、賤しきは臍を噬む

 41年ぶりの皇位継承者誕生だそうである。
帝王切開での出産なのだから、今日産まれることは自明のことだったし、男児か女児かどちらかといえば、この日までのマスコミが奇妙なほどに粛々と待ちの姿勢に終始していたことを思えば、男児誕生もほぼ確実視されていたのだろう。
それにしても、TV各局、政治家達も含めて、上や下への騒擾ぶり。此の分ではすでに始まったという皇居での記帳とやらは記録的なものとなるだろう。まことにおめでたいお国柄であり、民たちである。
そういえば、「民」という字は、もとは象形文字で、針で眼を突き刺している形を表し、視力を失わされた奴隷のこと、とどこかで読んだ。孔子も論語で「由らしむべし、知らしむべからず」と曰い、古来、中国でも我が国でも、治世者はすべからく、民の耳目を覆い、真実を隠すことに腐心してきたのだ。
針で眼を突かれずとも、眩しい光りに視力を奪われることもある。この国の多くの人々が、いろいろ不満はあろうとも、小市民的幸福のうちにあると些かなりとも自覚しているとすれば、それが後者だ。

 おめでたいニュースより先、私は今朝早く、毎日新聞の一面見出し、「自殺で支払い3600件」にドキリとさせられ、此の世の地獄相を見たような気分に包まれた。
消費者金融各社が、債権回収のため借り手全員に生命保険を掛けていた問題だが、金融庁による大手5社(アコム、アイフル、武富士、プロミス、三洋信販)と契約の保険会社双方への聞き取り調査で、昨年度1年間の保険金支払総数39,880件のうち、自殺によるものと判明しているだけで3,649件というのである。この数字にさえ驚かされ暗澹とした思いに囚われるが、全件には死因の特定できないものも多いのだから、多重債務者の自殺によって購われた実数はもっと大きく、総数の2割にも上るのではないかと予想されている。
 ところで警察庁発表の統計資料によれば、自殺者数の推移は、1997(H9)年までの20年間は20,000~25,000人の範囲内であったのが、98(H10)年に32,863人と突出した増加を見せて以来、2003(H15)年の34,427人を最大にして、ずっと31,000ラインを上回っているが、これらの数値と消費者金融の追い込みによるとみられる自殺者数予測とはほぼ見事に符合している。
 俗に追い込みといわれる債務取り立ての脅迫的行為は、直接には殺傷せずとも、およそ殺人的暴力にひとしい。彼らはその暴力で、債務者を象形の「民」へと墜とし込む。針で眼を突き刺すのだ。見えぬ眼とはいっさいの判断不能にひとしいのだから、なすがままされるがままだ。

 さらには、過去10年間で自己破産が6倍にまで急増しているという現実もあるのに、このほど金融庁が示した消費者金融規制強化のための法改正の骨格案とやらは、経過措置の長期化や特例などで貸金業者らに手厚く配慮した骨抜きのものと成り果てている。
どうやら金融庁のお役人たちは、債務者の生命を代償にしてまで僅かの債権を取り立てようとする悪徳者たちを、水清ければ魚棲まずとばかり、世間というものの必要悪とでもいいたいらしい。
この件では、与党議員たちでさえ批判続出、後藤田正純内閣府政務官などは抗議の辞意表明をしたらしいから、今後の成り行きが注目されるところだが、おめでたいニュースや総裁選騒ぎにかき消されぬことを望みたいが‥‥。

 もう一つ、これは三面の囲み記事だが、インターネット利用の届け出や申請事務を、あまりの利用低迷で、「申請1件に管理費194万円」と、とんでもない高コストに音を上げた高知県では、すでに今年3月で運転を休止しているというのだ。
9種の申請事務で一昨年から本格運用した県の利用実績は04(H16)年度が6件、05(H17)年度が27件。電子システムの保守・管理費は2年で計6400万円だったから、1件あたりの平均経費が194万円という驚くべき数字となったわけだ。
10(H22)年度までに国と地方への申請の50%を電子化する方針を掲げているという総務省だが、全国都道府県、市町村の全自治体に、普及とコスト面の実態調査をしてみるべきだろう。
いったいどんな数字が飛び出してくるか考えるだけでも空恐ろしいものがあるが、省役人らはおよそ見当もついていようから、とても白日の下には曝け出せまい。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-54>
 いかにせむ葛のうら吹く秋風に下葉の露のかくれなき身を  相模

新古今集、恋三。
邦雄曰く、詞書に「人知れず忍びけることを、文など散らすと聞きける人に遣はしける」とある。家集には初句と結句を同じくする歌が9首並んでおり、これはその1首。男の軽率な振舞の所為で、「秘めた恋も他人に知られてしまった、あたかも秋吹く風に葛の葉裏の露があからさまに見えるように」と歎く。艶書(けそうぶみ)合せの催された時代のこと、深刻な意味はない、と。

 妹がりと風の寒さに行くわれを吹きな返しそさ衣の裾  曾禰好忠

好忠集、毎月集、秋、九月中。
邦雄曰く、晩秋の身に沁む風が、女の許へ急ぐ作者を吹く。例によって常套を破った修辞が快い。「風の寒さに行くわれを」など、当時の伝統的な歌人の添削欲を唆ったことだろう。結句も普通なら「袖」とするところを「裾」としたので、足許が冷え上がってくる感じが、露骨なくらいよく判る。好忠集の毎月集9月中旬は、この歌を終りに置いた、と。

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September 05, 2006

わが恋は絵にかく野べの秋風の‥‥

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-表象の森- 折口信夫「死者の書」と「大津皇子-鎮魂と飛翔」

 9月3日は迢空忌だったそうな。
昔、釈迢空こと折口信夫の「死者の書」に材を得て創った舞台が、82(S58)年秋の初演と翌年春の再演、「大津皇子-鎮魂と飛翔」であった。
但し初演時のタイトルは、「大津皇子-百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや」とやや長いもの。
それより前に神澤の研究所を辞していた後輩の玉木謙三を迎えて舞の軸に据え、私が語りの演者を、演奏は関西におけるパーカッションの第一人者として活躍する北野徹氏が快諾して付き合ってくれた。
※ 写真は女装の玉木謙三の舞、場面は「二上山の章-幻影的な旅」より。

幻想文学の珠玉の一篇としてだれもが数えあげる折口信夫の「死者の書」は、二上山麓の当麻寺に残る曼荼羅を織ったとされる中将姫伝承に想を得て成ったものだが、加えて冷泉為恭の筆になるという「山越阿弥陀図」のイメージが、その構想にたしかな輪郭を与えている。
その「死者の書」の書き出しの部分を、ほとんどそのまま語りとして牽かせてもらった。
無量の闇に谺する、折口信夫の詠唱の文体を、まずはご賞味あれ。

 彼の人の眠りは、徐かに覚めて行った。
 まっ黒い夜の中に、更に冷え圧するものの澱んでいるなかに、
 目のあいて来るのを、覚えたのである。
 した した した。
 した した した。
 耳に伝うように来るのは、水の垂れる音か。
 ただ凍りつくような暗闇の中で、おのずと睫と睫とが離れて来る。
 膝が、肱が、徐ろに埋れていた感覚をとり戻して来るらしく、
 全身にこわばった筋が、僅かな響きを立てて、
 掌・足の裏に到るまで、引き攣れを起しかけているのだ。
 そうして、なお深い闇。
 ぽっちりと目をあいて見廻す瞳に、
 まず圧しかかる黒い巌の天井を意識した。
 次いで、氷になった岩牀。
 両脇に垂れさがる荒石の壁。
 したしたと、岩伝う雫の音。
 時がたった――。
 眠りの深さが、はじめて頭に浮んで来る。
 長い眠りであった。
 けれども亦、浅い夢ばかりを見続けて居た気がする。
 うつらうつら思っていた考えが、現実に繋って、
 ありありと、目に沁みついているようである。
 ああ、耳面刀自。
 おれはまだお前を‥‥思うている。
 おれはきのう、ここに来たのではない。
 それも、おとといや、其さきの日に、ここに眠りこけたのでは、決してな いのだ。
 おれは、もっともっと長く寝て居た。
 でも、おれはまだ、お前を思い続けて居たぞ。
 耳面刀自。
 ここに来る前から‥‥ここに寝ても、‥‥
 其から覚めた 今まで、一続きに、一つ事を考えつめて居るのだ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-53>
 秋の夜はうつつの憂さの数そへて寝る夢もなき萩の上風
                         宗尊親王

瓊玉和歌集、秋上、人々に詠ませさせ給ひし百首に。
邦雄曰く、「萩の上風」も「萩の下露」とともに数世紀歌い古されてきた常套歌語であるが、この「夕萩」の錯綜した味わいは、ちょっと類がない。秋の夜の物憂さは、現実の憂愁を加えて、夢も見ぬという。幻滅感を冷やかに吹き荒らす秋風。宗尊親王はなかなかの手練れ、時として新古今調を今一歩進めたかの、冴えた技巧を見せ、これも好個の一例である、と。

 わが恋は絵にかく野べの秋風のみだるとすれど聞く人もなし
                       殷富門院大輔

殷富門院大輔集、絵に寄す。
邦雄曰く、六百番歌合にも「寄絵恋」はあったが凡作ばかりで、そのくせ趣向を凝らすのに大童だった。大輔は大胆に自らの恋は絵空事だと宣言して歌い始める。「絵に描く野べの秋風の」と自然に「みだる」の序詞風に仕立てて「忍恋」の悲しみをもって結ぶ。作り物ではあるが、むしろそれを前提として、ねんごろな修辞を盡すあたり、老練である、と。

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September 04, 2006

たまゆらの露も涙もとどまらず‥‥

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-表象の森- 「即く」と「離れる」、クセナキスの音

 一昨日2日の土曜日は、午前から市岡同窓会館にて15期会の幹事会。
5月27日だったか、本年1回目の会合から、7月1日とこの日の、合わせて三度目の正直で、ようやく懸案の収拾もつき、例会企画のアウトラインが定まった。
それにしても今回の企画づくりには、3年前の本会企画以来の苦労をさせられ、些か消耗気味。
別に船頭多くして収拾がつかないのではない。ただ一人、無邪気このうえない天動説的御仁、ジコチュウ夫人が議論をとかく誘導・占拠したがるから始末が悪いだけ。

 2日の日曜日はいつものように朝から稽古。
これに間に合うように、早朝から9.28開催予定の「ダンスカフェ」のプランを練る。
お蔭で先夜から一睡もできず、心身へろへろとやや朦朧状態。
稽古場には、ピアノの杉谷君が久しぶりに参加した。
参考までに、クセナキスの、これは打楽器による曲ばかりだったが、その音楽で即興して見せた。
Improvisationの動きが、微細に音に即きもせず、おのおのその表出を展開させつつ、もっと大きいところで関わり合いを見せる。そんな音と動きの関わり方を、彼にも是非とも探って欲しいと思うからだ。
クセナキスの曲を懐かしそうに聴きながら、ダンサーたちの動きを追っていた彼は、なにか想うことがあったのだろう。
その後の、彼の即興演奏は、これまでとはちょっと異なる即き方があった。正確にいえば、ダンサーたちの繰り出す動きから、ときによく離れていた。
そう、いかによく離れるか、離れうるか、が肝要なのだ。

 現代音楽の作曲家、Iannis Xenakis-ヤニス・クセナキス(1922年-2001年)は、意外に日本には馴染みが深いのだろう。音楽事情には疎い私でも、ずいぶん以前からその名を知っているほどだから。
初め、彼は建築と数学を学んだという。建築家として彼のル・コルビュジェの下で働き、58年のブリュッセル万国博でフィリップス館を建設しているというから本格的だ。
作曲については、オリヴィエ・メシアンらに師事、そのメシアンから「君は数学を知っている。なぜそれを作曲に応用しないのか」と諭され、その慧眼に強い霊感を受けたらしい。
54年発表の「メタスタシス」で注目を集め、60年代から80年代は多作をきわめ、世界的な現代作曲家として活躍。
70年の大阪万博では、「ヒビキ・ハナ・マ-響き・花・間」という多チャンネル360度の再生装置を駆使した電子音楽を発表し、日本でもよく知られるようになった。
現在の日本の第一人者高橋悠治とは生涯を通じて協同作業も多く、その音楽的交流は深いようだ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-52>
 秋風やさてもとはまし草の原露の旅寝に思ひ消えなば  後崇光院

沙玉和歌集、応永16(1409)年の八月十五夜、菊第にて歌合侍りしに、秋旅。
応安5(1372)年-康正2(1456)年、崇光院の孫、後花園天皇や貞常親王の父。新続古今集撰進にあたり永享百首を詠進、また、仙洞歌合を開催。
邦雄曰く、源氏物語「花宴」の、朧月夜内侍の歌「草の原をば問はじやと思ふ」を写した。六百番歌合「枯野」では、俊成が「源氏見ざる歌よみは」と一喝した「草の原」で、墓場を意味するのが通例。旅の空で気が滅入った時は、秋風が訪れてくれようと歌う。同月二十五日の庚申会の歌は、「おく露もあるかなきかにかげろふの小野の浅茅に秋風ぞ吹く」、と。

 たまゆらの露も涙もとどまらず亡き人恋ふる宿の秋風  藤原定家

新古今集、哀傷。
邦雄曰く、「母、身まかりにける秋、野分しける日、もと住み侍りける所に罷りて」の詞書あり、白銀の直線を斜めに一息に描いたような、悲痛な調べは心を刺す。テンポの速さまた無類。定家の母は建久4(1193)年2月13日の歿、作者31歳であった。「玉響(たまゆら)」は暫くの間の意ながら、原義は玉の触れあう声、すなわち涙の珠散る悲しみの音をも伝えている、と。

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September 02, 2006

結びけむ人の心はあだなれや‥‥

Zintaisippaino

-表象の森- 「人体 失敗の進化史」のすゝめ

 著者の遠藤秀紀は、現役の動物遺体解剖の泰斗であろう。動物の遺体に隠された進化の謎を追い、遺体を文化の礎として保存するべく「遺体科学」を提唱する第一線の動物学者である。
この人の著書は初めて読むが、「人体 失敗の進化史」は決して奇を衒ったものではなく、専門の知を真正面から一般に判りやすく論じてくれた好著だ。
失敗ばかり、間違いだらけの進化史、その言やよし、ものごとはひっくり返してみるくらいの方がいいと常々私も思う。諸手を挙げて賛成だ。

「偶然の積み重ねが哺乳類を生み、強引な設計変更がサルのなかまを生み、また積み上げられる勘違いによって、それが二本足で歩き、500万年もして、いまわれわれヒトが地球に巣喰っているというのが真実だろう。」という著者は、本章の1・.2章で、耳小骨の話を軸に、爬虫類から哺乳類、さらにヒトへと、顎と耳の作り替えの歴史を、見事に具体的に語り、われわれヒトの手足が、3億7000万年の魚類の肉鰭へと遡ることをこと細かに解き明かしたうえで、「脊椎動物の多くは、設計変更と改造を繰り返した挙句、一皮剥がしてしまえば、滅茶苦茶といっていいほど左右非対称の身体をもつことになってしまったのである。その典型が哺乳類などの高等な脊椎動物の胸部臓器なのである。脊椎動物の5億年の歴史のなかで、我々ヒトの心臓や肺に見られるごとく、脊椎動物がどう酸素を取り入れて、血液を流すかという作戦は、身体の左右対称性を継ぎ接ぎだらけに壊しながら、改良に改良を重ねてきたものなのである。」という。もちろん、心臓や肺について、あるいは腰椎や骨盤について、いかに設計変更や改造をしてきたか、具体的な説明にはこと欠かない。

著者いうところの「前代未聞の改造(第3章)」が、ヒトのヒトたる所以の二足歩行であり、自由な手の獲得であり、直立したヒトの脳の巨大化であるのだが、一方でそれらは垂直な身体の誤算-かぎりない負の遺産を我々にもたらし、現代人の誰もが悩まされる数知れぬ慢性病として現前しているのだが、著者は「ヒトのトラブルの多くは、ヒト自身の設計変更の暗部であると同時に、ヒト自身が築いた近代社会が作り出す、予期せぬ弊害なのだ。」と説き、われわれホモ・サピエンスとは「行き詰まった失敗作(第4章)」であり、「ヒトの未来はどうなるかという問いに対して、遺体解剖で得られた知をもって答えるなら、やはり自分自身を行き詰まった失敗作と捉えなくてはならない。」と結論づけている。

年間200から500頭の動物の遺体を、毎年のように、解剖し標本にしてきたという著者は、終章において、自ら立ち上げた「遺体科学研究会」の名で、動物の献体を声高に一般市民に呼びかけている。
行政改革の大号令のもと、全国各地の動物園や博物館には指定管理者制度の導入や民営化の嵐が襲い、著者の遺体解剖の現場も研究も、現状を維持していくことがより困難になりつつあるのだから無理もない。

最後に、これは著者には関わり合いのないことであろうけれど、遺体・献体の話題といえば、この数年、日本の主要都市で連続的に開催され、多くの観客を集め注目されている「人体の不思議展」について、嘗て私は「学術に名を借りたいかがわしい見世物」と批判しているのだが、是非にもご意見を拝聴したいものである。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-51>
 わが涙つゆも散らすな枕だにまだしらすげの真野の秋風
                         後嵯峨院

続拾遺集、恋一、忍恋のこころを。
真野-近江国の歌枕、真野の浦とも。現・大津市堅田町真野界隈、真野川が琵琶湖に注ぐ下流域一帯。
邦雄曰く、藤原為氏撰進の続拾遺集には、「寄月恋」の題でいま一首、「いとせめて忍ぶる夜半の涙とも思ひも知らで宿る月かな」が並び、秋月と秋風に寄せての思いであろう。真野の秋風のほうが遙かに綿々たる情を盡している。禁止命令形二句切れの切迫した抒情が、読者を一瞬釘づけにする。「知らず」の「白菅」の、風に靡くさまが眼に浮かぶところも心に残る、と。

 結びけむ人の心はあだなれや乱れて秋の風に散るらむ  伊勢

伊勢集、扇のみだれたるに。
邦雄曰く、宮廷女房たちが使っていた衵(アコメ)扇の親骨に結ぶ飾り紐の乱れに寄せての、婉曲な託言であろう。玉結びと魂結びを、歌の深いところで懸詞風に連想しても面白い。また檜扇には花野や秋草を描いたものも多いが、第五句を導き出す所以である。秋の風は勿論、愛情が移ろい「飽き」に変わる謂であり、花野の夕闇に舞い、散ってゆく秋の扇が見える、と。

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September 01, 2006

夢にだに人を見よとやうたた寝の‥‥

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-表象の森- 鬼の児放浪/金子光晴

 すでに62年を生きてしまったわが身に、ある種の自嘲と懐かしさを響かせてくれる詩。
 岩波現代文庫「金子光晴詩集」清岡卓行編-詩集「鬼の児の唄」より


「鬼の児放浪」
     ――鬼の児卵を割って五十年
   一
鬼の児がかへってきた。ふるさとに。
耳の大きな迷信どもは、
おそるおそる見まもる。この隕石を、
燃えふすぼった黒い良心を。

かつて、鬼の児は、石ころと人間共をのせた重たい大地をせおひ、
霧と、はてなきぬかるみかを、ゆき悩んだ。
あるひは首を忘れた鴎のとぶ海の洟(ハナ)しるを。
ふなむしの逃げる小路を。
暗渠を、むし歯くさいぢごく宿を。

   二
こよひ、胎内を出て、月は、
荊棘のなかをさまよふ。

若い月日を、あたら
としよりじみてすごし、

鬼の児の素性を羞ぢて
蝋燭のやうに
おのれを吹き消すことを学んだ。

天からくだる美しい人の蹠(アシウラ)をおもうては、
はなびらをふんで
ふたたびかへることをねがはず、

鬼の児は、時に、山師共と銭を数へ、
たばことものぐさに日をくらした。

鬼の児は、憩ない蝶のやうに旅にいで、
草の穂の頭をしてもどつてきた。

鬼の児はいま、ひんまがつた
じぶんの骨を抱きしめて泣く。
一本の角は折れ、
一本の角は笛のやうに
天心を指して嘯(ウソブ)く。
「鬼の児は俺ぢやない
おまへたちだぞ」
                     (昭和18・9・3)

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-50>
 秋風にかきなす琴の声にさへはかなく人の恋しかるらむ  壬生忠岑

古今集、恋二、題知らず。
邦雄曰く、元来、雅楽では秋の調子を平調とし、憂愁の声であった。「かきなす」は「掻き鳴らす」と同義、「はかなく」はこの場合「心細く」を意味する。恋は恋でも、やや広義の人恋しさを含むものではあるまいか。第四句が冗句に似つつ、一首に危うくあわれな陰翳をもたらしていて忘れ難い、と。

 夢にだに人を見よとやうたた寝の袖吹きかへす秋の夕風
                        二条院讃岐

千五百番歌合、恋二。
邦雄曰く、ゆるやかに豊かな調べと言葉を盡しての抒情、新古今歌人とはまた異なった、その一時代前の歌人の本領であろう。讃岐・丹波・小侍従などこれに属する。うつつにはついに訪れてくれぬつれない人を「夢にだに」見よと吹く秋風のこまやかな情、と。

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