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April 30, 2006

たちどまれ野べの霞に言問はむ‥‥

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-今日の独言- 枕を替えよう

 そろそろ枕を替えたくなった。
<歌詠みの世界>として塚本邦雄の「清唱千首」を引きながら、独り言として気まぐれに枕を書く形を採ったのは昨年の10月6日からで、昨日まで166稿と別稿が14稿と、ほぼ毎日のように綴ってきたが、ずいぶんと陽気もよくなった所為か、そぞろ浮気の虫が頭をもたげてきたようである。
といっても心機一転というほどでもなく、ちょいと模様替えといった体。第一、千首のほうも本日分を含めて未だ334首だから、過半にも満たず完走からはほど遠いし、四季を一巡すらしていないので、まだまだ続けるべしと思う。そこで替えるべきは枕かと相成るのだが、さてどうするか、なお今夜一晩考えてみよう。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-60>
 たちどまれ野べの霞に言問はむおのれは知るや春のゆくすゑ
                                     鴨長明

鴨長明集、春、三月盡を詠める。
邦雄曰く、命令形初句切れ、願望の三句切れ、疑問の四句切れ、結句の体言止めという、小刻みな例外的な構成で、しかも霞を擬人化しての設問、好き嫌いはあろうが、めずらしい惜春歌として記憶に値しよう。晩夏にも「待てしばしまだ夏山の木の下に吹くべきものか秋の夕暮」が見え、同趣の、抑揚の激しい歌である、と。

 惜しむとて今宵書きおく言の葉やあやなく春の形見なるべき
                                     崇徳院

詞花集、春。
邦雄曰く、崇徳上皇下命、藤原顕輔選進の勅撰「詞花集」春五十首の末尾に「春の暮れぬる心を詠ませさせ給ひけるに」云々の詞書を添えて、この悲しみを含んだ丈高い一首は選ばれている。三月盡しゆえに「今宵書きおく言の葉」も痛切。千載集・春下に入選の「花は根に鳥は古巣に帰るなり春のとまりを知る人ぞなき」とともに、不朽の惜春歌である、と。

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April 29, 2006

匂ふより春は暮れゆく‥‥

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-今日の独言- 吃又と浮世又兵衛

 浄瑠璃狂言「吃又(どもまた)」のモデルが「浮世又兵衛」こと江戸初期の絵師岩佐又兵衛だったとは思いもよらなかった。
岩佐又兵衛については先頃読んだ辻惟雄「奇想の系譜」にも「山中常盤絵巻」などが採り上げられ、その絢爛にして野卑、異様なほどの嗜虐的な画風が詳しく紹介されていたのだが、浮世絵の開祖として浮世又兵衛の異名をとった又兵衛伝説が、近松門左衛門の創意を得て「吃りの又平」こと「吃又」へと転生を果たしていたとは意外。
実在の岩佐又兵衛自身数奇の運命に彩られている。天正6(1578)年に生まれ、父は信長家臣の伊丹城主荒木村重と伝えられる。その村重が信長に反逆し、荒木一族は郎党・侍女に至るまで尼崎・六条河原で処刑虐殺されるという悲運に遭うのだが、乳母の手で危うく難を逃れたという当時2歳の又兵衛は、京都本願寺に隠れ母方の姓を名のり成長したという。京都時代は織田信雄に仕えたともいい、また二条家に出入りした形跡もあるとされる。元和元(1615)年頃、越前北ノ庄(現・福井市)へ移り、松平忠直・忠昌の恩顧を受けて、工房を主宰し本格的な絵画制作に没頭したと推測されている。忠直は家康の孫、菊池寛「忠直卿行上記」のモデルとなった人物だが、この忠直と又兵衛の結びつきも互いの運命の数奇さを思えば故あることだったのかもしれない。又兵衛はのち寛永14(1637)年には江戸へ下り、慶安3(1650)年没するまで江戸で暮らしたものと思われる。
徳川幕府の治世も安定期に入りつつあった寛永年間は、幕府権力と結びついた探幽ら狩野派の絵師たち、あるいは経済力を背景に新たな文化の担い手となっていった本阿弥光悦や角倉素庵、俵屋宗達ら京都の上層町衆らと並んで、数多くの風俗画作品を残した無名の町絵師たちの台頭もまた注目されるものだった。又兵衛はこの在野の町絵師たちの代表的な存在だったようで、彼の奇想ともいえるエキセントリックな表現の画調は、強化される幕藩体制から脱落していく没落武士階級の退廃的なエネルギーの発散を象徴しているともみえる。
「浮世又兵衛」の異名は又兵衛在世時から流布していたとみえて、又兵衛伝説もその数奇な出生や育ちも相俟って庶民のなかに喧伝されていったのだろう。近松はその伝承を踏まえて宝永5(1708)年「傾城反魂香(けいせいはんごんこう)」として脚色、竹本座で初演する。その内容は別名「吃又」と親しまれてきたように、庶民的な人物設定をなし、吃りの又平として、不自由な身の哀しみを画業でのりこえようとする生きざまで捉え直されている。

 実はこの浄瑠璃「吃又」については私的な因縁噺もあって、岩佐又兵衛=吃又と知ってこの稿を書く気になったのだが、思い出したついでにその因縁について最後に記しておく。
私の前妻の祖父は、本業は医者であったが、余技には阿波浄瑠璃の太夫でもあり、私が結婚した頃はすでに70歳を越えた年齢だったが、徳島県の県指定無形文化財でもあった。その昔、藩主蜂須賀候の姫君が降嫁してきたという、剣山の山麓、渓谷深い在所にある代々続いた旧家へ、何回か訪ねる機会があったが、その折に一興お得意の「吃又」のサワリを聞かせて貰ったこともあり、ご丁寧に3曲ほど録音したテープを頂戴したのである。余技の素人芸とはいえそこは県指定の無形文化財、さすがに聞かせどころのツボを心得た枯れた芸で、頂戴したテープをなんどか拝聴したものである。もうずいぶん以前、20代の頃の遠い昔話だ。
           ―――参照「日本<架空・伝承>人名事典」平凡社

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-59>
 匂ふより春は暮れゆく山吹の花こそ花のなかにつらけれ  藤原定家

続古今集、春下、洞院摂政の家の百首の歌に。
邦雄曰く、関白左大臣家百首は貞永元(1232)年、作者70歳の4月、技法は華麗を極め、余情妖艶を盡し、老齢など毫も感じさせぬ力作がひしめく。咲いた途端に春に別れる山吹の不運、下句の秀句表現も颯爽。定家暮春の歌に今一首抜群のものあり。「春は去ぬ青葉の桜遅き日にとまるかたみの夕暮の花」、建保5(1217)年55歳の作、と。

 おもひたつ鳥は古巣もたのむらむなれぬる花のあとの夕暮  寂蓮

新古今集、春下、千五百番歌合に。
保延5年(1139)?-建仁2年(1202)。俗名藤原定長。俊成の兄弟醍醐寺の阿闍梨俊海の子で、俊成の養子となる。従五位下中務小輔に至るも、後に出家。御子左一門の有力歌人。六百番歌合にて六条家の顕昭と論争。和歌所寄人。新古今集の選者となるも途中で歿。千載集以下に117首。

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April 28, 2006

見てのみぞおどろかれぬる‥‥

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-今日の独言- 象が来た日

 一説に今日は象の日だという。時は江戸期、徳川吉宗の享保14(1729)年のこの日、交趾国(現ベトナム)から日本に渡来した象が中御門天皇に披露され、さらには江戸へと運ばれ、翌5月27日には将軍吉宗に献上披露されたというが、日本に初めて象がやってきたのはもっと時代を遡る筈だとググッてみると、「はじめて象が来た町」と名乗りを上げているサイトがあった。若狭湾の小浜である。応永15(1408)年というから300年以上遡るが、南蛮船に乗ってやってきた象は京都へと運ばれ、室町幕府の将軍義持の閲覧に供されたらしい。文献もあるということだから事実だろう。
それから以後も、天正2(1574)年には明国の船で博多へ上陸。翌天正3(1575)年にも同じく明国の船で豊後白杵の浦に。次に慶長7(1602)年に徳川家康へ献上されたという象は、吉宗の時と同様、交趾国からだったというから、享保の時はなんと5回目だった訳だ。
悉達多(釈迦)の誕生説話でも、母の摩耶夫人が胎内に入る夢を見たのは白象だし、仏教絵画に出てくる帝釈天たちが乗っているのも白象だから、濃灰色の実際の象を見た当時の人々はその巨体に驚きつつもさぞ面食らったことだろう。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-58>
 憂しや憂し花匂ふ枝(え)に風かよひ散り来て人の言問ひはせず
                                      頓阿

続草庵和歌集、物名。
正応2(1289)年-応安5(1372)年、俗名二階堂貞宗。二階堂家は藤原南家の末裔、代々鎌倉幕府の執事を務めた。二条為世から古今伝授を受けたと伝えられる。続千載集初出、勅撰入集は49首。
邦雄曰く、楽器尽くしの歌で、一首の中に「笙・笛・篳篥(ひちりき)・琴・琵琶」の五種が詠み込まれている。古今集以来、勅撰集には欠かせぬ言語遊戯だが、この歌、新拾遺集では「詠み人知らず」で入選、家集では管弦尽くしを含めて20首が見える、と。

 見てのみぞおどろかれぬる鳥羽玉の夢かと思ひし春の残れる
                                     源実朝

金塊和歌集、春、屏風に春の気色を絵かきたる所を夏見て詠める。
鳥羽玉(ぬばたま)の-黒や夜、髪、またその複合語や関連語に掛かる枕詞、「むばたまの」に同じ。
邦雄曰く、息を詰めるかの二句切れ、結句また連体止めを繰り返し、低い歎声を洩らす第三・四・五句。金塊集中、悲運の天才実朝の個性横溢する、春を偲ぶ作品。しかも詞書通り、一種奇妙ともいえる動因がある、と。

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April 27, 2006

ながむれば思ひやるべき方ぞなき‥‥

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Information<Shihohkan Dance-Café>

-四方のたより- Memo for Dance Café

-表象する身体-舞踊性としての

<身体-意識-表象>

自分自身を見いだすこと、感覚と相即するもののうちに
  ゆすり・ふり-ゆり・ゆられ

カラダの壁-骨と関節からくる限界を知覚すること

意識とは<まなざし>
  身体の内部へのまなざし、身体の外部-空間-へのまなざし

Correspondence-照応する表象-
  相互滲透する表象-同化
  こだまする、響きあう
  応答する、反響、反転、対照、-そして異化へと

Improvisation-即興-
  偶然とたわむれ、偶然をあそぶこと
   さらには語矛盾ながら、
  偶然を統御-コントロールする、反転し、構築へと向かう。

<まなざし(志向性)-表象としての空間
                 -象徴化・シンボル化-時空のリズム>

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-57>
 つくづくと雨ふる里の庭たづみ散りて波よる花の泡沫(うたかた)
                                    鷹司清雅

風雅集、春下、閑庭落花を。
弘安7(1284)年-正慶2(1333)年、関白藤原師実の裔。京極派歌人、玉葉集・風雅集に各2首入集。
邦雄曰く、庭の溜り水に浮かぶ落花、晩春の雨がその上に降りそそぎ、雨脚と風に波立つ。ありふれたようで、古歌にはめずらしい新味のある作。風雅集ならではの発見だ。この歌の前に永福門院内侍の「散り残る花落ちすさぶ夕暮の山の端うすき春雨の空」あり、共に秀逸、と。

 ながむれば思ひやるべき方ぞなき春のかぎりの夕暮の空
                                   式子内親王

千載集、春下、弥生のつごもりに詠み侍りける。
邦雄曰く、家集の萱斎院御集にも、心を博つ惜春歌は少なからず見られるが、千載集にのみ残るこの一首「春のかぎり」は、作者最高の三月盡であろう。第二句・三句の勢いあまったかの句跨りと第四句の強く劇しい響きが重なって、この抽象世界が、意外に鮮明に、人の心の中に映し出される。後鳥羽院口伝中の「もみもみとあるやうに詠まれき」の一典型、と。

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April 26, 2006

花の上の暮れゆく空に響ききて‥‥

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-今日の独言- 公序良俗

 住友金属工業の女性差別訴訟が大阪高裁で和解の成立をみた。原告側の勝訴に等しい和解だ。これより先、住友電工と住友化学のにおいても同様趣旨の訴訟が同時進行され、すでに2年前に原告側の勝訴的和解をもたらしており、十年余に及んだ住友グループの男女差別訴訟はやっと幕引きとなった訳だ。
彼女たちの闘争の記録は、その名も「公序良俗に負けなかった女たち」と題され、昨年6月に明石書店から出版されている。本書の監修にあたった宮地光子主任弁護士は、この闘いの争点たる判断基準が憲法や男女雇用機会均等法ではなく、民法90条「公ノ秩序又ハ善良ノ風俗に反スル事項ヲ目的トスル法律行為ハ無効トス」と規定する「公序良俗」にあり、この古色蒼然の曖昧模糊たる規範概念こそが突破すべきキーワードであったとの趣旨をそのまえがきにおいて伝えているが、問題の本質を喝破した言で大いに肯かせてくれるもの。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-56>
 今見るは去年(こぞ)別れにし花やらむ咲きてまた散るゆゑぞ知られぬ
                                    夢窓疎石

正覚国師御詠、華を見給ひて。
邦雄曰く、生き変わり死に変わって無明のうつつを通す人、さて、眼前に見る桜にしても、去年儚い別れをして散り失せたあの花、今年もまた散る、来年も咲き変わる。そのゆえ由を誰が知ろうと、駄々をこねるような口調で言い放つ。釈教歌臭は些かもない、と。

 花の上の暮れゆく空に響ききて声に色ある入相の鐘  伏見院

風雅集、春中、題知らず。
邦雄曰く、空は空でも花の上の空は一種の聖域であろう。淡紅にうるみ、時には金色にさざなみ立つ。夕暮の鐘さえもその響きが、この聖域の空に届き、通り過ぎるときは桜色に染まる。それにしても「空に色ある」とは喝采に値する秀句表現。暮春の晩鐘詠も少なくないが、これにかなう作はあるまい、と。

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April 25, 2006

桜花散りぬる風のなごりには‥‥

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Information<Shihohkan Dance-Café>

-今日の独言- 法然忌のなぜ?

 昨年の今日、JR西日本の福知山線脱線事故、惨劇の図像が想い起される。不慮の死に至った犠牲者と残された遺族たちの間は引き裂かれたままになお宙吊り状態であろうことを思えば、ただ黙するばかり。

 ところで今日は法然忌でもあるそうな。浄土宗総本山知恩院では19日から25日まで7日間にわたっての大法要が営まれている。ところが法然の命日は建暦2(1212)年の旧暦1月25日であり、明治維新頃までは正月の19日からの7日間としていたらしい。明治10年から現在のように新暦の4月になったとあるが、その理由がなにを調べてもどうにもよく判らない。いわゆる法難たる土佐配流の院宣が下るのは承元元(1207)年2月18日で、これはユリウス暦(太陽暦)では3月18日だし、生誕の長承2(1133)年4月7日はユリウス暦では5月13日となるが、知恩院では新旧いずれの日にも特段の行事日としていない。釈迦の生誕も旧暦4月8日と伝承されながら、現在では潅仏会も新暦の4月8日で行われているのだから、どういう事情にせよ誕生月である所縁の4月へと移動させたのであろうが、その事情のほどは不明のまま靄の中だ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-55>
 散らばまた花にうつらむ恨みまで霞める月におもひわびぬる
                                   下冷泉政為

碧玉集、春、夜花日野会。
邦雄曰く、散る花、霞む月、情緒纏綿として盡きぬ言葉の彩。「花にうつらむ恨み」など、16世紀連歌時代の移り香を思わせる修辞。結句もあわれを盡し、三条西実隆と並称される政為の特徴を示す、と。

 桜花散りぬる風のなごりには水なき空に波ぞ立ちける  紀貫之

古今集、春下、亭子院歌合歌。
邦雄曰く、貫之の「水」の主題は数多あり、秀作も夥しいが、この落花詠は殊に類を絶する。桜花を吹き散らして風は過ぎた。不可視の風の痕跡は、空にさざなみ立つ花弁、歌の調べもこの幻想につれて、小刻みに顫えきらめき奔る。第二句と結句の照応は殊に美しい、と。

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April 24, 2006

人は来ず誘ふ風だに音絶へて‥‥

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Information<Shihohkan Dance-Café>

-今日の独言- 殻を破る

 無意識にある自分の固有の殻を意識化し、自身を未知の地平へと踏み込ませていくことは、非常に難しいことだし、なにがきっかけとなるかも決まった解がある訳でもない。
昨日の稽古での、ピアノの杉谷君は、偶々か或いはなにか期するところがあったのかは判らないが、その殻を破ったかのような即興演奏を示して、私をおおいに驚かせてくれた。
即興の動き-踊り手-に対して、即興の音-ピアノ演奏-が、もちろん互いに即興であれば当然にあるべきことなのだが、これまでに比して格段の自在さを発揮したように思われた。おそらくは彼自身の音楽的なモティーフや課題意識、従来はそのことに彼なりの拘りがありそれらを追究する意識がつねに動機としてあったと思われるが、その殻がぶっ壊れてしまったかのような飛躍に満ちた演奏ぶりだったのは、特筆に価することかもしれない。
これでひとつ、次回27日のDance-Caféに楽しみが増したというものだ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-54>
 人は来ず誘ふ風だに音絶へて心と庭に散るさくらかな  後二条天皇

後二条院御集、閑庭落花。
邦雄曰く、夢に散る花は古今集の躬恒に、庭に散る花は新古今集の定家に代表され、且つ詠み盡された。「心と庭に散る」桜花を、半眼を開き且つ閉じて視る作者の詩魂。訪れる人の足音は無論、微風さえはたと止んだ白昼のその静寂に、うつつと幻の二様の桜は散りしきる。23歳にして崩御、その短かい生涯に新後撰集以下百余首入集を数える、と。

 風にさぞ散るらむ花の面影の見ぬ色惜しき春の夜の闇
                                    藤原道良女

玉葉集、春下、春夜の心を。
生没年未詳、生年は建長3(1251)年頃か?九条左大臣藤原道良の女、九条道家・藤原定家の曾孫にあたる。祖父為家に愛されたらしく、御子左家の主要な所領や歌書を相続。続拾遺集初出、勅撰入集26首。
邦雄曰く、暗黒に散る花を主題としたのは、作者の独特の感覚の冴えであり、これを採ったのは、玉葉集選者の慧眼というべきか。第四句の「見ぬ色惜しき」にも並ならぬ才は歴然。同じ玉葉・春下の「目に近き庭の桜の一木のみ霞のこれる夕暮の色」も非凡、と。

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April 22, 2006

うつつには更にも言はじ桜花‥‥

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-今日の独言- コゲラ展

 昭和5年生れという小学校時代の恩師が、退職後の日々の徒然に手慰みとしているのが木版画だというのは、昨年の暮にお宅を訪ねた際に聞いたことだった。
今日が最終日だが、その毎日文化センター木版画教室の「コゲラ」展が西天満のマサゴ画廊で開催されているというので、小学校時代の級友たちにプチ同窓会よろしく観に行こうかと誘いかけてみた。急な呼びかけだったもののどうやら5、6人は集まるようで、恩師にとっては些か面映くもあろうが悦ばしい時ともなればそれにこしたことはない。

 「コゲラ」というのは写真の絵のごとく啄木鳥の一種で、全長15センチほどのスズメ大で、日本産キツツキ類では最も小さいらしい。図鑑によれば写真のように背中には白斑がまだら模様にあると。日本各地に生息しており、その生息地帯によってさまざまな亜種に分類されているというが、はてお目にかかったことがあるのやらないのやら、幼い頃から自然や動植物への興味も関心も希薄なままに育ってしまった朴念仁には、たとえお目にかかっていたとしてもそれと知る観察眼のありよう筈もないというものだ。
ともあれ、午後からは、石田博君の個展に行った2月初旬以来の、マサゴ画廊行きだ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-53>
 うつつには更にも言はじ桜花夢にも散ると見えば憂からむ
                                   凡河内躬恒

躬恒集、上、亭子の院の歌合の左方にて詠める。
邦雄曰く、落花の歌の繊細鮮麗なこと躬恒は古今集歌人中でも抜群。夢中散花も新古今集の「いも安く寝られざりけり春の夜は花の散るのみ夢に見えつつ」、家集中の「桜花散りなむ後は見も果てずさめぬる夢の心地こそすれ」と、眼も彩な詠風。とりわけ後者の憂愁に満ちて冷やかな味わいはこれらを超える、と。

 さくらばな散りかひ隠す高嶺より嵐を越えて出づる月影  正徹

草根集、四、春、月前落花。
邦雄曰く、渺茫たる遠景、嶺の山桜が吹雪さながらに舞い乱れ、尾根も頂上も朧にて、花を吹き荒らす風の向こうから、折しも今宵の夕月が朗々と昇りはじめる。上句下句いずれを採っても一首を構成する眺めになるところを、巧みに三十一音に集約、言葉と言葉のひしめきあうような魅力が生れた。定家壮年の歌風をさらに濃厚にしたような趣きは、好悪の分かれるところであろうか、と。

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April 21, 2006

おもひすてぬ草の宿りのはかなさも‥‥

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-今日の独言- 官打チ

 「官打チ」とは、官位が器量以上に高くなると、かえって苦労したり、不運な目に遭ったりすることをいう。無論、迷信・迷妄の類に過ぎないであろうが、平安期や鎌倉期の宮廷では本気で信じられていたようで、13世紀初葉、後鳥羽院は鎌倉の三代将軍実朝に対し、元久元(1204)年の従五位下から、たったの十年間で、建保元(1213)年には正二位にまで昇進させており、さらに甥の公暁に暗殺される建保7(1219)年の前年には、1月に権大納言、3月に左近衛大将、10月に内大臣、12月に右大臣と、めまぐるしいまでに昇任を与える。下記の後鳥羽院の歌解説にあるように、最勝四天王院が鎌倉方調伏のためとされる風聞がまことしやかに伝えられるのもむべなるかな。最勝四天王院障子和歌の成立は建永2(1207)年だが、計460首を数えた絢爛たる名所図と歌の競演の裏に、陰湿なる呪詛が籠められているのかもしれない。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-52>
 おもひすてぬ草の宿りのはかなさも憂き身に似たる夕雲雀かな
                                      宗祇

宗祇集、春、源盛卿許にて歌詠み侍りしに、夕雲雀。
邦雄曰く、世を捨てるつもりでいながら、さて浮世との縁の断ち切れぬ草庵の暮らし、天を恋いつつ鳴き上がって、夕暮ともなれば草生に隠れねばならぬ雲雀、このうつし身、あの春鳥、所詮は同じと溜息をつくように詠う。15世紀末の、古典を究めた高名の連歌師、さすがに和歌の秘奥もしかと体得して、申し分ない調べ。下句は発句にも変わりうる、と。

 み吉野の高嶺の桜ちりにけり嵐も白き春のあけぼの  後鳥羽院

新古今集、春下、最勝四天王院の障子に、吉野山かきたる所。
邦雄曰く、京の東白河に建てられた後鳥羽院の勅願寺、最勝四天王院は、鎌倉の将軍実朝の調伏が目的との流説もある。承元元(1207)年、院27歳、鋭い三句切れといい、「嵐も白き」の胸もすくような秀句表現といい、一首は心なしか必殺の抒情とも呼ぶべき気魄に満ちている。結構を極めた寺院は12年後、実朝の死の直後に廃毀、翌々年承久の乱は勃発した、と。

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April 20, 2006

帰る雁いまはの心ありあけに‥‥

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-今日の独言- 奈良散策

 昨日はポカポカ陽気に誘われて久しぶりに奈良へと出かけた。スコットランド国立美術館展を観るためだったのだが、会場の奈良県立美術館は平日だというのにかなりの人出だった。といっても大半は婦人客で、ちらほらと見かける男性はきまって初老の夫婦連れとおぼしきカップル。
総じて印象派前史というべき世界か、スコットランドの風景が微かな光と影のコントラストに深みを帯びる画面の数々、或いはどこまでも素朴な物腰に風土特有の憂愁を湛えたような精緻なタッチのリアルな人物像など、強烈な刺激からはほど遠いものの、鑑賞者を静謐な気分に包み込むように過ぎ行く時間は相応に貴重なものといえようか。

 奈良公園を歩けばあちらこちらに鹿の姿、修学旅行とおぼしき中学生の人群れをいくつも見かける。足を伸ばして新薬師寺で十二神将を拝観、薄暗がりの堂内を因達羅からはじまり伐折羅までぐるりと一体々々と対したうえで、壁ぎわの椅子に腰かけて暫く。彼らそれぞれに率いる七千の眷属神、あわせて八万四千の大軍は地下深く長い眠りについたままか、蠢く気配すらなくひたすら静寂。と、此処にも引率の先生と修学旅行生たちのグループがやってきたが、さすがに彼ら、ずいぶんと神妙に女性堂守の解説に耳を傾けていた。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-51>
 帰る雁いまはの心ありあけに月と花との名こそ惜しけれ  藤原良経

新古今集、春上、百首歌奉りし時。
邦雄曰く、正治2(1200)年8月、後鳥羽院初度百首の春二十首の内。帰雁へのなごりを、別れの悲しみを詠ったものは数知れぬが、月と花とが遜色を覚えるほどの美を認め、しかも月・影において讃えた例は稀だ。やわらかく弾み浮かぶ二句切れの妙、三つの美の渾然とした絵画的構成、壮年に入った良経の技巧の冴えは、おのずから品位を備えて陶然とさせる、と。

 入りかたの月は霞の底にふけて帰りおくるる雁のひとつら
                                  永福門院内侍

風雅集、春中、帰雁を。「ひとつら」は一列。
邦雄曰く、「月は霞の底にふけて」とは、そのまま優れた漢詩の一部分に似る。敢えて「帰りおくるる」と、盡きぬなごりを惜しみすぎたものらを、くっきりと描き上げたその才、尋常ではない。14世紀中葉の宮廷にあってその才を謳われ、80歳以上の高齢でなお活躍を続けたと伝えられる、と。

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April 19, 2006

風かよふ寝覚の袖の花の香に‥‥

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-今日の独言- 一茶、喜びも悲しみも

  這へ笑へ二つになるぞ今朝からは

文政2(1819)年、「おらが春」所収。前書に「こぞの五月生れたる娘に一人前の雑煮膳を据ゑて」とあり元旦の句。一茶はすでに57歳、老いたる親のまだいたいけな子に対する感情が痛いくらいに迸る。

  露の世は露の世ながらさりながら

同年、6月21日、掌中の珠のように愛していた長女さとが疱瘡のために死んだ。三年前の文化13(1816)年の初夏、長男千太郎を生後1ヶ月足らずで夭逝させたに続いての重なる不幸である。
「おらが春」には儚くも散った幼な子への歎きをしたためる。
「楽しみ極まりて愁ひ起るは、うき世のならひなれど、いまだたのしびも半ばならざる千代の小松の、二葉ばかりの笑ひ盛りなる緑り子を、寝耳に水のおし来るごとき、あらあらしき痘の神に見込まれつつ、今、水膿のさなかなれば、やおら咲ける初花の泥雨にしをれたるに等しく、側に見る目さへ、くるしげにぞありける。是もニ三日経たれば、痘はかせぐちにて、雪解の峡土のほろほろ落つるやうに、瘡蓋といふもの取るれば、祝ひはやして、さん俵法師といふを作りて、笹湯浴びせる真似かたして、神は送りだしたれど、益々弱りて、きのふよりけふは頼みすくなく、終に6月21日の朝顔の花と共に、この世をしぼみぬ。母は死顔にすがりてよゝよゝと泣くもむべなるかな。この期に及んでは、行く水のふたたび帰らず、散る花のこずえにもどらぬ悔いごとなどと、あきらめ顔しても、思ひ切りがたきは恩愛のきづななりけり」と。
幼い我が子の死を、露の世と受け止めてはみても、人情に惹かれる気持ちを前に自ずと崩れてゆく。
「露の世ながらさりながら」には、惹かれたあとに未練の思ひを滓のやうにとどめる。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-50>
 風かよふ寝覚の袖の花の香にかをる枕の春の夜の夢  俊成女

新古今集、春下、千五百番歌合に。
邦雄曰く、艶麗無比、同趣の歌数ある中に、俊成女の技巧を盡した一首は抜群の輝きを放つ。現実の花の香りと夢の中のそれが、渾然としてこの世のものならぬ心象風景を創造した。桜にも「香」を幻想するのが12世紀の慣い、と。

 梢より露色添ひて咲く花の光あらそふ月の影かな  邦輔親王

邦輔親王集、永禄五年正月、花色映月。
永正10年(1513)-永禄6年(1563)、伏見宮貞敦親王の王子、16世紀中葉の代表的歌人。
邦雄曰く、定家の「軒洩る月の影ぞあらそふ」を仄かに写したこの梢の花は、さらに露を添え、さながら露・月・花の弱音の三重奏を聴く心地がする。句題の優雅な修辞を凌ぐ歌であり、他にも「あひあふや同じ光の花の色も移ろふ月の影に霞める」があり、勝るとも劣らぬ味わい、と。

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April 18, 2006

花の色をうつしとどめよ鏡山‥‥

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-今日の独言- 言文一致

 言文一致の運動は、明治19(1886)年に国語学者物集高見がその著書「言文一致」での提唱を始まりとされる。二葉亭四迷が「浮雲」(明治20年発表)において、三遊亭円朝の落語を口演筆記したものを参考にした、というのはよく知られたエピソードだが、この言文一致への過渡期において、同じ明治20年の「花井お梅事件」の以下二つの報道記事が見せる極端なほどの対照ぶりは驚くべきものがあり、当時の時代相を如実に反映してとても面白い。

A-東京日日新聞
「白薩摩の浴衣の上に、藍微塵のお召の袷、黒襦子に八反の腹合せの帯を、しどけなく締め、白縮緬の湯具踏しだきて、降しきる雨に傘をも指さず、鮮血のしたたる出刃包丁を提げたる一人の美人が、大川端に、この頃開きし酔月の門の所をドンドン叩き、オイ爺ンや、早く明てと呼ぶ声は、常と変りし娘の声と、老人の専之助は驚きながら、掻鍵外せば、ズット入る娘のお梅、其場に右の出刃包丁を投り出して、私しゃァ今、箱屋の峯吉を突殺したよ、人をしゃ殺ァ助からねえ、これから屯署へ自首するから、跡はよい様に頼むよ、と言い棄てて飛出したるは、これなん此家の主婦、以前は柳橋で秀吉と言い、後日新橋で小秀と改め、其後今の地に引移りて待合を開業せし、本名花井お梅(24)なり。」-後略-

B-朝日新聞
「殺害、日本橋区浜町2丁目13番地、大川端の待合酔月の主婦花井むめ(24才)は一昨夜九時頃同家の門前なる土蔵の側に於いて、同人が秀吉と名乗り、新橋に勤めし頃の箱屋にて、今も同人方へ雇ひ居る八杉峯吉(34才)を出刃包丁にて殺害し、久松警察署に自首したり、しかし同人が警察署にて自白せし処に拠れば、右峯吉は予てむめに懸想し居りしが、同夜むめが外出の折を窺ひ、出刃包丁を以つて強迫に及びしにより、むめは是を奪ひ取つて峯吉を殺害したる旨申立てたと云う。峯吉の死体を検視せしに胸先より背を突き抜かれ、且つ面部手足にも数カ所の薄手を負い居れり。」

 Bは語尾こそ文語調だが、文の運びや論理構成は現在のものと格別変わりはないが、Aはそのまま江戸時代の瓦版にも似て、その虚構めいた情景描写たるやまるで芝居や浄瑠璃世界を髣髴とさせる描きようだ。同じ事件を報道してこの彼我の対照は、国家的事業たる近代化の波の激しさを物語ってあまりあるものだろう。
時に明治憲法(大日本帝国憲法)公布は翌々年の明治22(1889)年2月11日であった。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-49>
 花の色をうつしとどめよ鏡山春より後のかげや見ゆると  坂上是則

拾遺集、春、亭子院の歌合に。
生年未詳-延長8年(930)。坂上田村麿の後裔という。蹴鞠の上手。三十六歌仙。古今集以下に約40首。小倉百人一首に「朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里にふれるしら雪」
鏡山-近江国の歌枕、滋賀県竜王町と野洲町の境にある雨乞岳竜王山とその南の星ヶ峯の総称とされる。
邦雄曰く、歌枕の固有名を現実の事物として活かして、桜花頌のあでやかな興趣を見せる。上・下句共に「は」で始まるのは当時歌病とされていた筈だが、その咎めをものともしない着想、と。

 ふたつなき心もてこそながめせめ花の盛りは月おぼろなれ
                                    藤原実定

林下集、春、月前花。
保延5年(1139)-建久2年(1191)。右大臣公能の子。母は権中納言俊忠の女。俊成の甥。左大臣に至る。管弦に優れ蔵書家として知られる。千載集以下に78首。小倉百人一首に「ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞのこれる」
邦雄曰く、満開の桜を望月の光とともに見るなどと、二つ全き眺めは望むまいとする心。何の奇もないが、尋常でおおらかな歌の姿を、詩歌・管弦に長じた風流貴公子に即して、味わい愛でておくべきだろう、と。

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April 16, 2006

吉野山こずゑの花を見し日より‥‥

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-今日の独言- 相承の心

  芭蕉去ってそののちいまだ年暮れず   蕪村

「名利の街にはしり貪欲の海におぼれて、かぎりある身をくるしむ。わきてくれゆく年の夜のありさまなどは、いふべくもあらずいとうたてきに、人の門たゝきありきて、ことごとしくのゝしり、あしをそらにしてのゝしりもてゆくなど、あさましきわざなれ。さとておろかなる身は、いかにして塵区をのがれん。としくれぬ笠着てわらじはきながら、片隅によりて此句を沈吟し侍れば、心もすみわたりて、かゝる身にしあらばといと尊く、我ガための摩呵止観ともいふべし。
蕉翁去って蕉翁なし。とし又去ルや、又来ルや。」

蕪村の「春風馬堤曲」は芭蕉「奥の細道」への脇づとめ、と解する安東次男。
この衝迫の読みを那辺に落すべし。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-48>
 吉野山こずゑの花を見し日より心は身にも添はずなりにき  西行

続後拾遺集、春下、花の歌の中に。
邦雄曰く、山家集春の歌の、吉野の桜を詠んだ夥しい歌群のなか、もっとも高名で、かつすべての人の心を揺する名歌。心が花にあこがれてうつし身を離れるとの誇張表現が、真に迫ってふと涙すら誘う。「あくがるる心はさても山桜散りなむ後や身にかへるべき」がこれに続く。第十六代勅撰にまで入集せず、百年以上も眠っていたのが不思議に思われる秀作、と。

 ももとせは花にやどりて過ぐしてきこの世は蝶の夢にぞありける
                                    大江匡房

詞花集、雑下、堀河院の御時、百首の歌奉りける中に。
長久2年(1041)-天永2年(1111)。匡衡の曾孫。権中納言正二位。詩才とともに和漢の学に造詣深く、有職・兵法にも精通。後拾遺集以下に119首。
邦雄曰く、荘子出典の、荘周が夢に胡蝶となり、「自ら喩して志に適ふ」との挿話を、堀河百首の「夢」の題に即して翻案した。荘子に劣らず壮大で格調の高い調べ。11世紀末有数の秀才の薀蓄が、鬱然たる重みを感じさせる。抽象の花と変身の蝶は、漠たる四次元の春に生きる。人の一生を百年と観じたところにも、荘子譲りの気宇と志がうかがえよう、と。

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April 15, 2006

春はいかに契りおきてか‥‥

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-今日の独言- 愛国百人一首

 身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留置かまし大和魂  吉田松陰
太平洋戦争のさなか、小倉百人一首に擬して「愛国百人一首」なるものが作られていたというが、吉田松陰の一首もこれに選集されたものである。
対米開戦の翌年、日本文学報国会が、情報局と大政翼賛会後援、東京日日新聞(現・毎日新聞社)協力により編んだもので、昭和17年11月20日、各新聞紙上で発表された、という。
選定顧問に久松潜一や徳富蘇峰らを連ね、選定委員には佐々木信綱を筆頭に、尾上柴舟・窪田空穂・斎藤茂吉・釈迢空・土屋文明ら11名。選の対象は万葉期から幕末期まで、芸術的な薫りも高く、愛国の情熱を謳いあげた古歌より編纂された。
柿本人麿の
 大君は神にしませば天雲の雷の上に廬せるかも  
を初めとして、橘曙覧の
 春にあけて先づみる書も天地のはじめの時と読み出づるかな
を掉尾とする百人の構成には、有名歌人以下、綺羅星の如く歴史上の人物が居並ぶ。
どんな歌模様かと想い描くにさらにいくつか列挙してみると、
 山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも  源実朝
 大御田の水泡も泥もかきたれてとるや早苗は我が君の為  賀茂真淵
 しきしまのやまと心を人とはゞ朝日ににほふ山ざくら花  本居宣長
ざっとこんな調子で、「祖先の情熱に接し自らの愛国精神を高揚しよう」と奨励されたという「愛国百人一首」だが、いくら大政翼賛会の戦時下とはいえ、まるで古歌まで召集して従軍させたかのような、遠く現在から見ればうそ寒いような異様きわまる光景に、然もありなんかと想いつつも暗澹たるものがつきまとって離れない。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-47>
 白川の春のこずゑを見渡せば松こそ花のたえまなりけれ  源俊頼

詞花集、春、白川に花見にまかりてよめる。
白川-山城国の歌枕、京都北白川を西南に流れ、鴨川と合流していた川。
邦雄曰く、淡紅の桜と黒緑の松の織りなす模様を、殊に松に重点をおきながら詠み、結果的に盛りの花をひとしお際立たせる。奇手に似てしかも堂々たる調べを乱さず、朗々誦すべき秀歌となった。「春のこずゑ」も12世紀初頭ならば大胆な表現であろう。新風の爽快な味わいはこの一首にも横溢し、隠れた秀作というべきか、と。

 春はいかに契りおきてか過ぎにしと遅れて匂ふ花に問はばや  肥後

新勅撰集、雑一、太皇太后宮大弐、四月に咲きたる桜を折りて遣わして侍りければ。
生没年未詳、11世紀の人、肥後守藤原定成の女、常陸守藤原実宗に嫁した。関白藤原師実に仕え、晩年は白河院皇女令子に仕えた。院政期の女流歌人で家集に「肥後集」、金葉集初出、勅撰入集53首。
邦雄曰く、金葉集巻頭から4首目に、立春の歌を以って登場する肥後は、平安末期の有数の女流だが、代表作に乏しい。新勅撰で定家に選ばれたこの「花に問はばや」など、彼女の美質の匂いでた好ましい例であろう。季節にやや遅れて咲いた桜に寄せての贈歌だが、あたかも約束に遅れた愛人に、違約を恨むような嫋々たる調べは心に残る、と。

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April 13, 2006

よしさらば散るまでは見じ‥‥

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-今日の独言- ネットで登記申請

 昨年からだったか、確定申告が国税庁のホームページからオンラインで申告できるようになっていたのは知っていたが、所要あって法務局のホームページを覗いてみたら、法人の変更登記や不動産登記などの申請、供託手続きなどがオンライン化されていた。勿論、登記事項証明書や印鑑証明の請求などもできるようになっている。
これを見る限り、実務経験のいくらかある者なら、これまで司法書士に依頼していた申請事務など、素人でもできるようになるだろう。但し、申請事項などはもともと相応の知識が必要だから、あくまで面倒くさがりさえしなければだが‥‥。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-46>
 よしさらば散るまでは見じ山桜花の盛りをおもかげにして  藤原為家

大納言為家集、上、春、花。
邦雄曰く、緩徐調の、みずからに語りかけるような文体が、大器晩成型であったと伝える作者の個性をも反映して面白い。散りぎわの潔さを愛でられる桜だけに、この発想凡に似て非凡。初句切れ、二句切れ、三句切れ、下句は倒置されていて意味上は上句となるべきもの。理めいた二句までを、道歌めくと言って嫌う人もあろう。定家も認めないかも知れぬ、と。

 さくら色にわが身はふかくなりぬらむ心にしめて花を惜しめば
                                  詠み人知らず

拾遺集、春、題知らず。
邦雄曰く、心に染みるほどに愛したゆえに、身も深い桜色に染まったと、恍惚の吐息を漏らすような歌。下句が原因、上句が結果と、倒置を復元して理詰めに解しては、微妙な息遣いは聞こえなくなるだろう、と。

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April 12, 2006

今は咲け深山がくれの遅桜‥‥

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-今日の独言- 金子みすず

 眼下に見える桜、真向かいの小学校の正門横にそれはあるのだが、その桜も昨日今日と一気に葉桜に変わりつつある。花の見頃は雨にも祟られて駆け抜けてしまったようだ。
 昨日といえば、1903(明治36)年の4月11日は、薄幸の童謡詩人として復活ブームとなった金子みすずが誕生している。いとけない幼な児を遺して自死したのは30(昭和5)年3月10日、満27歳を迎えずしての短い生涯だったが、その薄幸の人生が哀しみを湛えた無垢の詩魂と相俟って、またたくまに国民的詩人ともいうべき地位を獲得した。今ではみすずの詩は、小学校の国語ではどの教科書にも必ず載っているというほどにポヒュラーな存在である。三年前の生誕100周年には故郷長門市仙崎にみすず記念館が設立、二年余で40万人が訪れるという活況ぶりだ。青海島に対面して日本海に小指を突き出したような小さな岬の町並みの一角がみすず通りと名付けられ、そのエキゾチズムが全国からみすずファンを惹きつけてやまないらしい。

  青いお空の底ふかく、
  海の小石のそのやうに、
  夜がくるまで沈んでる、
  晝のお星は眼にみえぬ。
    見えぬけれどもあるんだよ、
    見えぬものでもあるんだよ。
                  ――― 金子みすず「星とたんぽぽ」より

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-45>
 今は咲け深山がくれの遅桜思ひ忘れて春を過ぐすな  源経信

大納言経信卿集、春、深山遅桜。
邦雄曰く、命令形初句切れ、禁止の結句という珍しい文体、はずむような急調子、春の歌としては例のない印象的な一首。詩・歌・管弦三船の才は、半世紀前の藤原公任と並び賞された、と。

 咲けば散る咲かねば恋し山桜おもひ絶えせぬ花のうへかな  中務

拾遺集、春、子にまかりおくれて侍りける頃、東山にこもりて。
延喜12(912)年頃?-正暦2(991)年頃?、宇多天皇の皇子敦慶親王と伊勢の子。藤原実頼・師輔らとの恋多きを経て、源信明と結婚したとされる。紀貫之・源順・清原元輔ら歌人と交流、各界歌合や屏風歌に活躍、後撰集時代の代表的女流歌人。後撰集初出、勅撰入集66首。
詞書にあるように、子に先立たれた頃、東山の寺に籠って詠んだ歌である。
邦雄曰く、逆縁の母の歎きを、花に譬えて歌ったもので、哀傷歌の趣きも加わるが、人事に重ねてしまわず、詞書にさりげなく謳って、歌はただ桜への思いとしているところが心憎い。母・伊勢譲りの歌才抜群、と。

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April 10, 2006

この世には忘れぬ春のおもかげよ‥‥

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-今日の独言- 毛馬の水門、花の下にて饗宴の舞

 今年の造幣局の桜の通り抜けは12日からだが、その大阪造幣局の東を流れる大川の桜並木を上流へと上っていくと、まず東岸に桜之宮公園が連なり、さらに上流には川を挟むようにして、西岸に毛馬公園、東岸には毛馬桜之宮公園があり、二つの公園が尽きたあたりに毛馬橋が架かっている。橋から北に見える淀川の河川敷を眺めながら500メートルほど歩くと、淀川と大川とを分かつ毛馬の水門に達する。現在の新しい水門は昭和43(1968)年の建造だが、その内懐に明治43(1910)年に造られたという旧の閘門(コウモン)が当時を偲ばせるように残されている。
 奇友デカルコ・マリィが満開の桜の花の下にて一興の舞をと、大道芸よろしく得意の妖怪踊りを演じたのは、その閘門の土手にあたる処だった。見事な老木の大樹とはいかないが枝振りもひときわの桜がほぼ満開。その樹の下を舞台に見立て一差し15分。彼の十八番を観るのはもうずいぶん久し振りのことだったが、肝心の赤い布に包まりこんだヌッペラボウもどきのシーンが少し端折られたか、ちょっぴり不満が残った。
一座はしばらく休憩をとって、今度は閘門の下へと降りて、嘗ては水路だった筈だが埋められて細長い通路状になった処を舞台に移して20分ばかり。これには彼の仲間数名に加えて、うちのメンバー二人もお邪魔虫を決め込んで即興で参加したのだが、まあそれはそれで一応の功はあったと見えた。
花も昨日が盛りと見えて、落花狼藉と散り乱れるなかでと注文どおりにはいかなかったが、一週間早くても遅くても時機を失したろうことを思えば、温暖な日和にも恵まれて良しとせねばなるまい。もちろん私用だったのだが、前日の、日帰りで津山まで車を走らせた疲れが残っていた身体には、陽気の下の酒も堪えたが、古い馴染みの顔ぶれにも会えたことだし、心地よい休日のひとときではあったか。

Decalco Marieよ、オツカレサン。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-44>
 見る人の心もゆきぬ山川の影をやどせる春の夜の月  藤原高遠

大弐高遠集、山川にて、月見る人あり。
邦雄曰く、朗々たる春月を、心ゆくばかり仰ぎ見る歓びが、二句切れ、体言止めの、緩・急よろしきを得た構成で詠われた。「山川の影をやどせる」の第三・四が、森羅万象を一瞬に照らし出すあたり、高遠の技倆は圧倒的。家集には長恨歌や楽府から詩句を選び出し、当意即妙の和歌で唱和する試みもみえ、相当多力の歌人であったことが知れる、と。

 この世には忘れぬ春のおもかげよ朧月夜の花の光に  式子内親王

萱斎院御集、百首歌第二、春。
邦雄曰く、生ある限りは忘れえぬほど心に残る眺め、その春の面影とは朧月夜の花。伸びやかに且つ切ない三句切れの上句、「花の光」を際やかに描く倒置法結句。夜露をふくむ花のように鮮麗な作だが、どの勅撰集にも採られていない。この百首中から玉葉集へは5首採られているのも記憶に値する、と。

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April 09, 2006

面影のかすめる月ぞ宿りける‥‥

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-今日の独言- 借本がイッパイ

 先日(4/3付)触れた辻惟雄「奇想の系譜」は文庫版で読んだのだが、なにしろ図版の多いことゆえ文庫体裁では些かさびしい。因って初版本を図書館から借りることにした。遠い記憶の「絵金」についても再度見てみたいし、そんなこんなで図書館からの借本が、先月からの「芭蕉秀句」と合せて限度一杯の8冊(図書館規定)にまで膨らんでしまった。

今月の購入本
 G.ドゥルーズ「スピノザ-実践の哲学」平凡社ライブラリー
 ドストエフスキー「虐げられた人々」新潮文庫
 富岡多恵子「波うつ土地/芻狗」講談社文芸文庫
 扇田昭彦「才能の森-現代演劇の創り手たち」朝日選書

図書館からの借本
 広末保・藤村欣市郎編「絵金-幕末土佐の芝居絵」未来社
 広末保・藤村欣市郎編「絵金の白描」未来社
 辻惟雄「奇想の系譜」平凡社
 辻惟雄「奇想の図譜-からくり・若冲・かざり-」平凡社
 斉藤慎璽・編「塚本邦雄の宇宙-詩魂玲瓏」思潮社
 岡井隆・編「短歌と日本人-1-現代にとって短歌とは何か」岩波書店
 富岡多恵子・編「短歌と日本人-4-詩歌と芸能の身体感覚」岩波書店

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-43>
 面影のかすめる月ぞ宿りける春や昔の袖のなみだに  俊成女

新古今集、恋二、水無瀬恋十五首歌合に、春恋の心を。
先出、業平の恋歌「月やあらぬ春や昔の春ならぬ‥‥」の本歌取り。
邦雄曰く、袖をぬらす懐旧の涙、その涙に映る月、月にはかつて逢い、かつ愛した人の面影が霞む。心と詞がアラベスクをなして絡み縺れつつ、余情妖艶の極致を示す新古今きっての名歌、と。

 照りもせず曇りも果てぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき  大江千里

新古今集、春上。
生没年不詳、寛平・延喜頃の漢学者。在原行平・業平の甥にあたる。寛平6年(894)、句題和歌を宇多天皇に詠進。古今集に10首、後撰集以下に約15首。
邦雄曰く、源氏物語「花宴」では、「朧月夜に似るものぞなき」と誦じつつ来る女と、微薫を帯びた源氏の出会う名場面がある。この歌は白氏文集のの中の一句「明らかならず暗からず朧々たる月」を歌にしたもの。結句の、敢えて一言言い添えたところが、古今集時代の特徴であり、この歌のめでたさ、と。

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April 08, 2006

月やあらぬ春や昔の春ならぬ‥‥

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-今日の独言- 放哉忌

 今日は放哉忌。
大正15年4月7日、癒着姓肋膜炎から肺結核を患った尾崎放哉は、小豆島の南郷庵にて41歳の若さで死んだ。放哉もまた酒に溺れ自棄と破綻を重ねた、生き急ぎ死に急いだ生涯だった。萩原井泉水の肝煎りで南郷庵にやっと落ち着いたのが前年の8月20日、時すでに病魔は取り返しがつかぬまでに身体を蝕んでいた。明けて3月初めには咽喉結核が進行し、ご飯が喉を通らなくなっていたというから凄まじい。やっと得た安住の南郷庵暮しは8ヶ月にも満たなかった。
驚くべきは、病魔に苦しみながらこの短期間に各地の俳友・知友たちに出した手紙が、公表され判明しているだけでも420通もあるとされていること。それも内容たるや各々かなりの長文で自らの述懐を叙したものだと。句作もまた旺盛で「層雲」誌主宰の井泉水に毎月200句以上送っていたらしい。

  海が少し見える小さい窓一つもつ
  肉がやせて来る太い骨である
  爪切ったゆびが十本ある
  ゆうべ底がぬけた柄杓で朝
  障子あけて置く海も暮れきる
  なんと丸い月がでたよ窓
  風にふかれ信心申して居る
  枯枝ほきほき折るによし
  墓のうらに廻る

戒名は「大空放哉居士」

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-42>
 ながめこし心は花のなごりにて月に春あるみ吉野の山   慈円

拾玉集、花月百首、月五十首。
邦雄曰く、建久元(1190)年九月の十三夜、慈円の甥、藤原良経邸での花月百首の中の一首。35歳の壮年僧の、豪華でざっくりした詠風は、新古今前夜に殊に精彩を加えた。「心は花のなごり」「月に春ある」等の、意識的な新風はまだ二十歳を超えたばかりの良経を魅了したことだろう、と。

 月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして
                                    在原業平

古今集、恋五。
邦雄曰く、古今・巻五の巻頭第一首。詞書には伊勢物語第四段とほぼ同一の物語が記されている。後の清和天皇妃となる藤原高子と業平の堰かれる恋を叙する段、「睦月の十日あまりになん、ほかへ隠れにける」とあり、あたかも梅の花の盛りであった。後世あまたのすぐれた本歌取りを生んだ恋歌の一典型。初句6音も見事に極まった、と。

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April 06, 2006

入相の声する山の陰暮れて‥‥

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-四方のたより- 願わくば花の下にて

 願わくば花の下にて、浮かれ舞をばしてみしょうぞ、と
デカルコ・マリィとその仲間たちが、9日の日曜日、毛馬の水門-閘門跡地-界隈に出没する。
もちろん仲間内の花見もかねてのことだが、花だよりでは毛馬桜之宮公園の桜はすでに満開とか、あわよくば落花狼藉のなかでのパフォーマンスとなるやもしれぬ。
パフォーマンスは12時頃から14時頃までの間、神出鬼没の構え。
花よし時候もよし、滅多と見られぬ眼の保養となるやも。
近在の方はお出かけあって是非ご覧じませ。

毛馬の水門については下記ページを参照されたし。
http://www.citydo.com/prf/osaka/area_osaka/kenbun/rekishi/osaka010.html

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-41>
 あたら夜の月と花とをおなじくはあはれ知れらむひとに見せばや
                                     源信明

後撰集、春下、月のおもしろかりける夜、花を見て。
延喜10(910)年-天禄元(970)年、光孝天皇の曾孫、源公忠の子。名所絵の屏風歌を村上天皇に奉ず。中務との贈答歌多く、彼女との間に女児をもうけた。三十六歌仙、家集に「信明集」、後撰集初出で、勅撰入集26首。
あたら夜-惜夜、明けるのが惜しい夜。
邦雄曰く、花月の眺め筆舌に盡しがたく、自分ひとりで見ているのもまた「あたら夜」もののあはれを知る人と共に見たいとの心。胸中を述べただけの一首ではあるが、その春夜のさなかに、ゆらりと立つ姿さながらの調べである。家集「信明集」、歌風はのびやかで清新の気あり、と。

 入相の声する山の陰暮れて花の木の間に月出でにけり  永福門院

玉葉集、春下、題知らず。
邦雄曰く、丹念な修辞の跡や精巧な彫琢の名残りが、一首の処々にうっすらと残っているのも、永福門院とその時代の和歌の面白さの一要素であろう。「山の陰暮れて」「花の木の間に」などその一例、この歌の急所であろうか。詠み古された題材を、敢えて今一度極め、蘇らす業は、新奇な世界を探検しかつ導入するよりも、さらに困難なものであろう、と。

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April 05, 2006

さてもなほ花にそむけぬ影なれや‥‥

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-今日の独言- 統一地方選挙

 昭和22(1947)年のこの日、新憲法施行を前に、第1回統一地方選挙が実施された。以来4年に一度、これまで15回行われ、来年の4月に16回目を迎えることになるわけだが、戦後60年余も経るうちに「統一」の文字がずいぶんと希薄なものになり果ててしまったものである。
この選挙制度の問題は、首長の辞職や死去、議会の解散、或は市町村合併などにより、任期のズレが起こり、統一的に実施される数は年を経る毎に下がりつづける運命にある。現在、比較的任期のズレが生じにくい都道府県議会選挙でこそ東京・茨城・沖縄以外の44道府県が統一地方選挙にとどまっているが、知事選については11都県というまでに落ち込んでいる。統一地方選挙として行われる各自治体における選挙数の地方選挙全体に占める割合を「統一率」-まったくもって奇妙な造語感覚だ-というらしいが、平成15年の前回で35.9%とすでに4割を割り込んでいる。ここ数年来全国各地でずいぶんと強引に進められた平成の大合併の所為で、来年4月の次回選挙はさらに大きく落ち込むことは必定で、おそらく3割にも満たない統一率?となるのではないか。統一とは名ばかりでその冠が泣こうというものだ。
選挙における投票率の推移を見ても、26年の第2回での市町村長及議会選挙が90%を超えるという今の感覚からすれば驚くべき数値を記録しているものの、以後は長期低落傾向の歯止めがかかることはなく、平成になつてからは50%台半ばから60%前後に推移している。
―――参考HP http://www.akaruisenkyo.or.jp/tohyo/t_07.html
これが統一選挙ではなく単独の選挙ともなると、一気に20%台、30%台に落ち込むのが常態化しているのだが、これで民意の結果というにはほど遠いものがある。
国政がこの統一地方選挙制度を一向に改革しようとの気運のないことには、ずっと大きな不信を抱いてきた。これまでもいろいろと選挙に関する法を弄ぶがごとくいじくりまわしてきているが、よりひろく民意の反映が期せる制度改革になぜ手をつけないのか、まったく腑に落ちないのだ。
グローバリズムとともに一方で地方の時代をうたうなら、この改革こそ民心一新の起爆剤となろうものを。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-40>
 さてもなほ花にそむけぬ影なれやおのれ隠るる月のともしび
                                   木下長嘯子

挙白集、春、月前花
邦雄曰く、長嘯子は正徹の跡を慕い、正徹は定家に学んだ。この歌の花・月=燈は、定家前出の「よそにぞ消ゆえる春の釭」を偲びつつ、さらに和漢朗詠集の「燭を背けて共に憐れむ深夜の月」の面影を匂わせ、さらには月と燈を同格同一に変えて、彼自身の発見としたのだろう。難挙白集には、月花を「おのれ」と詠むのを禁制事項だとして、注意を促しているのも面白い、と。

 花かをり月かすむ夜の手枕にみじすき夢ぞなほ別れゆく
                                    冷泉為相

玉葉集、春下、為兼の家に歌合し侍りし時、春夜。
邦雄曰く、名歌目白押しの玉葉集春の中では、この歌の次に永福門院の「花の木の間に月出でにけり」が続き、眼もあやな眺め。「花かをり」は花が靄にうるむ様子をいい、芳香を放つ意ではない。結句の表現も心を盡し、しかも新しい。藤谷和歌集所収の「暮れぬ間はなかなか霞む山の端に入日さやかに花ぞ色づく」も、掲出歌に劣らぬ佳品、と。

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深き夜を花と月とにあかしつつ‥‥

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-今日の独言- もう満開宣言

 数日前に開花宣言を聞いたかと思えば、今日のバカ陽気に大阪は突然の満開宣言。おまけに夕刻からは雨しきりだ。なんとも気忙しい天候が続いて桜便りもめまぐるしい。今度の日曜日は花の回廊の下、一興パフォーマンスをと予定しているのだけれど、この分ではそれまでもつのかしらんと甚だ心配。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-39>
 深き夜を花と月とにあかしつつよそにぞ消ゆる春の釭  藤原定家

拾遺愚草、中、韻歌百二十八首、春。
釭(ともしび)-音はコウ。灯ともし、油皿のこと。
邦雄曰く、建久7(1190)年、定家34歳秋の、韻字を一首の末尾に象嵌した。「風通ふ花の鏡は曇りつつ春をぞかぞふ庭の矼(いしばし)」がこの歌と押韻する。まことに技巧的な作品群中、唯美的な眺めの際立つ一首。要は「よそにぞ」、この世の外、異次元に消える春燈を、作者は宴の席から眼を閉じたまま透視する。この世はよそ、うつつにしてまた非在の境、と。

 雲みだれ春の夜風の吹くなへに霞める月ぞなほ霞みゆく  北畠親子

玉葉集、春上、春月を。
生没年未詳、村上源氏の裔、権大納言北畠師親の養女、実父は源具氏。1300年前後に京極派歌人として活躍。新後撰集初出、勅撰入集は52首。
邦雄曰く、さらぬだに霞んでいた月が、更にひとしお霞むという。しかも月の周りは夜目にもしるく乱れ飛ぶ雲。春夜の月に新味を加えるため、さまざまな技巧を創案する。
「うす霞む四方の景色をにほひにて花にとどまる夕暮の色」
は永仁元(1293)年4月の歌合歌だが、「霞める月」以上に美しい。下句の「花にとどまる」など、ほとほと感に堪えない濃やかな表現だ、と。

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April 04, 2006

春来れば空に乱るる糸遊を‥‥

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-今日の独言- すっぽんの鳴き声?

 一茶の句にこんなのがあった。
  「すつぽんも時や作らん春の月」
「おらが春」所収の文政2年の作、前書に「水江春色」と。
亀やすっぽんが鶏のように時を告げて鳴こうというのか、人を喰ったような句にも思えるが、鎌倉期、藤原定家の二男、為家に「川越のをちの田中の夕闇に何ぞときけば亀のなくなり」があり、この歌以来からか、亀も鳴くと信じられてきたらしい、というのだからおもしろい。
俳諧で「亀鳴く」は春の季語となっているようで、実際のところ亀もすっぽんも鳴きはしないが、ありそうもない譬えに「すっぽんが時を作る」という諺もあるとは畏れ入る。
楸邨氏の解説によれば、水を漫々と湛えた水辺は春色が濃くなって、春の月が夢幻の境をつくりだすような夜、これに誘われてすっぽんも鶏のように時をつくるのではないか、との句意で、ありもしないことだが、古くからの伝を踏まえて、この夢幻境を生かしたのだろう、と。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-38>
 春来れば空に乱るる糸遊をひとすぢにやはありと頼まむ  藤原有家

六百番歌合、春、遊糸。
糸遊(いとゆふ)は陽炎(かげろふ)に同じ。
邦雄曰く、有家は新古今歌人中、繊細にして哀切な作風無類の人、この歌の下句も恋歌を思わせる調べ。この歌合の年38歳、六条家の歌人だが、むしろ、俊成・定家の御子左家に近い新風・技法を随所に見せる、と。

 明くる夜の尾の上に色はあらはれて霞にあまる花の横雲  慈道親王

慈道親王集、春、朝花。
邦雄曰く、雲か花か、山上の桜の曙の霞、下句の豊麗な姿は心を奪う。殊に第四句の「霞にあまる」は珍しい秀句表現。歌い尽された花と霞に新味を加えるのは至難の技。この歌などその意味でも貴重な収穫であろう、と。

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April 03, 2006

みのむしもしづくする春がきたぞな

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<古今東西-書畫往還> 辻惟雄の「奇想の系譜」

 本書の初版が刊行された1970(S45)年当時、衝撃的な異色作として迎えられたことだろう。
文庫版解説の服部幸雄の言を借りれば、「浮世絵以外の近世絵画の中にこれほど迫力があり、個性的かつ現代的な画家たちが存在していたとは、思ってもいなかった。そういうすぐれた画家たちがいたことを、私は多くの作 品とともに、本書によって初めて教えられた。眼からうろこが落ちるとは、こういう時に使うべき表現であろう。」ということになり、「近世絵画史の殻を破った衝撃の書」と賞される。
 初版は、1968(S43)年の美術手帖7月号から12月号にかけて連載された「奇想の系譜-江戸のアヴァンギャルド」を母体に、新しく長沢蘆雪の一章を加筆したのが70年「奇想の系譜」として美術出版社から出されたのだが、それは江戸時代における表現主義的傾向の画家たち-奇矯(エキセントリック)で幻想的(ファンタスティック)なイメージの表出を特色とする画家たちの系譜を辿ったものだが、美術手帖連載当時、部分的には私も眼にしていたものかどうか、40年も経ようという遠い彼方のこととて深い靄のなかだ。
 ただその頃、厳密には少し前のことになるが、広末保らによる幕末の絵師「土佐の絵金」発見があり、そのグロテスクにして奇矯な色彩、劇的な動きと迫力に満ちた絵画世界が注目されていたことは、私の記憶のなかにも明らかにある。絵金の表現する頽廃とグロテスクな絵は、宗教的・呪術的なものに媒介された絢爛と野卑の庶民的な形態としての実現であったろうし、民衆の想像力として爆発するそのエネルギーに現代的な意義が見出されていたのだろう。
 著者は「奇想の系譜」を、岩佐又兵衛(1578-1650)、狩野山雪(1590-1651)、伊藤若冲(1716-1800)、曽我蕭白(1730-1781)、長沢蘆雪(1754-1799)、歌川国芳(1797-1861)と6人の画家たちで辿ってみせる。彼らの作品は、常軌を逸するほどにエキセントリックだ。或いは刺激的にドラマティックだ。また意外なほどに幻想的で詩的な美しさと優しさに溢れていさえする。それらはシュルレアリスムに通底するような美意識を備えており、サイケデリックで鮮烈な色彩感覚に満ちていたりする。まさしく60年代、70年代のアヴァンギャルド芸術に通ずるものであったのだ。
 著者はあとがきで言っている。「奇想」の中味は「陰」と「陽」の両面にまたがっている。陰の奇想とは、画家たちがそれぞれの内面に育てた奇矯なイメージ世界である。それは<延長された近代>としての江戸に芽生えた鋭敏な芸術家の自意識が、現実とのキシミを触媒として生み出したものである。血なまぐさい残虐表現もこれに含めてよいだろう。これに対し陽の奇想とは、エンタティメントとして演出された奇抜な身振り、趣向である。「見立て」すなわちパロディはその典型だ。この一面は日本美術が古来から持っている機智性や諧謔性-表現に見られる遊びの精神の伝統-と深くつながっている。さらにまた芸能の分野にも深くかかわっていた。奇想の系譜を、時代を超えた日本人の造形表現の大きな特徴としてとらえること、と。
 辻惟雄の近著「日本美術の歴史」(東京大学出版会)では、これら奇想の系譜の画家たちが、美術史の本流のうちに確かな位置を占めている筈だ。

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April 02, 2006

春の野にすみれ摘みにと‥‥

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-今日の独言- 図書記念日

 今日4月2日は図書記念日だそうな。その由来は、明治5(1872)年のこの日に4月2日に、東京・湯島に日本初の官立公共図書館として東京書籍館が開設されたことによるらしい。
図書館の思い出といえば、大学受験を控えた高3の夏以降、休日はおろか、よく授業を抜け出したりして、まだ比較的新しかった西区北堀江の市立中央図書館の自習室に通ったくらいだったのだが、40年余を経て、近頃はずいぶんと厄介になるようになった。
理由は、今浦島ではないけれど、知らないうちにずいぶん便利になっていたこと。いつ頃からかは調べもしていないが、蔵書をネットで検索できるし、カード登録さえすれば予約もできる。おまけに居住区の最寄りの図書館へ取り寄せてくれたうえで、ご丁寧にメールの通知もくる。些か待たねばならないがそれも4、5日から一週間ほど、受取りと返本の手間さえ煩わしがらねば、こんなありがたいことはない。
絶版となって書店で手に入らなくなった書や、ちょっと手が出せないような高価本など、或いはわざわざ蔵書に加えるほどでなくとも食指が動かされる場合など、図書館のお世話になるのが賢明と、この年になって思い知ったような次第だ。
昨夜も、読み終えたばかりの辻椎雄の「奇想の系譜」に刺激されて、古い記憶が呼び覚まされるように広末保らが紹介していた「土佐の絵金」関連をあらためて眼を通したくなったものだから、蔵書検索したところ目ぼしいものがあったので早速予約したのだが、これが夜の12時前後のこと。思い立ったらすぐさま手が打てるのがいい。昨夜はさらにあれもこれもと思い立ち、計4冊を予約してしまった。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-37>
 春の野にすみれ摘みにと来しわれそ野をなつかしみ一夜寝にける
                                    山部赤人

万葉集、巻八、春の雑歌。
奈良町初期、聖武天皇の時代の宮廷歌人。長歌よりも短歌に優れ、叙景歌に見るべきものが多い。万葉集に長歌13首、短歌37首。平安初期に編まれた赤人集があるが、真偽は疑わしい。三十六歌仙。
邦雄曰く、古今集の仮名序のまで引かれたこの菫の歌、簡素で匂やかな姿は、時代を超えて人々に親しまれる。菫摘みはあくまでも野遊び、一夜泊りも情趣を愛してのことだろう。恋歌の後朝を想像するのは邪道に近い。後世、あまたの本歌取りを生むだけに、遥かなひろがりと爽やかなふくらみとを持つ季節の讃歌、と。

 たなばたも菫つみてや天の河秋よりほかに一夜寝ぬらむ  冷泉為相

藤谷和歌集、春、楚忽百首に、菫。
弘長3年(1263)-嘉暦3年(1328)、藤原定家二男為家の子、母は阿仏尼、冷泉家の祖。晩年は鎌倉の藤谷に住み、関東歌壇の指導者と仰がれた。新後撰集初出、勅撰入集は65首。
邦雄曰く、赤人の菫摘みの微笑ましくも艶な本歌取り秀作。七夕の星合の定められた一夜のみならず、春たけなわにもいま一夜、牽牛と織女は、野で逢うのではあるまいかと、恋の趣を加味して歌う。天上の花なる星が、地上の星なる花を求める発想も、星菫派の遥かな先駆けを想わせて愉しい、と。

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April 01, 2006

巨勢山のつらつら椿つらつらに‥‥

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-四方のたより- Dance Caféは4/27

'06年のダンス・カフェvol.1は4月27日(木)と決まった。
今回はWork-Shop風にしようということに、
したがって、Improvisation AtoZ、
見るもよし、動くもよし。
どちらの立場からでも愉しんで貰いたいという訳だ。
以下、開催要領。

――――――――――――――――――――――――
四方館 Dance Café
in COCOROOM Festivalgate 4F
Date 4.27 (Thu) 19:00 start
1coin (500) & 1drink (500)

――――――――――――――――――――――――
<Improvisation AtoZ>
見るもよし、動くもよし。
Shihohkan Method Work-Shop

――――――――――――――――――――――――
Improvisation-即興-を
個有の新しい表現回路として身につけるには
いくつもの階梯を経なければならない。
Improvisation AtoZ では
表象としての<心-身>の位相を往還しながら
さまざまな経験として鮮やかに記憶されるだろう。
立会者には、まさに、見るもよし動くもよし、のひとときとなる。

※ Work-Shop で
動きの実践希望者は当日18:30までに受付登録してください。

――――――――――――――――――――――――
-出演-
Dancer : Yuki Komine
     Junko Suenaga
     Aya Okabayashi
Pianist : Masahiko Sugitani
Coordinator : Tetsu Hayashida

――――――――――――――――――――――――
-問合せ・連絡先-
SHIHOHKAN Body-Work Institute
559-0012 Higashi-Kagaya 1-7-9-505,Suminoe-ku,Osaka-city
Tel&Fax 06-6683-8685 Mail alpha_net@nifty.com
URL http://homepage2.nifty.com/shihohkan/

――――――――――――――――――――――――

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-36>
巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ思(しの)はな巨勢の春野を
                                    坂門人足

万葉集、巻一、雑歌、大宝元年秋九月、太上天皇の紀伊国に幸しし時の歌。
坂門人足(さかとのひとたり)は伝不詳、太上天皇とは持統のこと。
巨勢(こせ)は大和国の歌枕、現在の奈良県御所市吉野口あたり。
椿は現在のツバキとも山茶花とも。
邦雄曰く、持統帝行幸は秋で、眼前の椿は黒緑色の艶やかな樹林だが、心には真紅の花咲き匂う春景色。「つらつら椿つらつらに」の弾み響く音韻が、おのずから椿の照葉と、同時にエンジ色の点綴を連想させる楽しさは格別。人足の歌は万葉にこの一首のみだが、この椿の秀作を以って永遠に記念される、と。

 吾妹子を早見浜風大和なる吾を待つ椿吹かざるなゆめ  長皇子

万葉集、巻一、雑歌。
生年未詳-和銅8年(715)、天武第七皇子(第四皇子説も)、同母弟に弓削皇子。
早見浜風-所在不詳だが、難波の住吉の浜か、足早に吹く浜風に早く会いたいの意を懸けている。吾が待つ椿-待つと松の掛詞から椿を吾妹子(おのが妻)へと寓意している。吹かざるなゆめ-二重の否定で、吹けと強勢。ゆめは決しての意味でさらに強調。
邦雄曰く、椿はすなわち妻、早見浜風の掛詞と、八代集の縁語・掛詞を先取りしたような、巧妙な言葉の脈絡が面白い。なによりも一点の紅の椿の印象は鮮明、と。

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