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January 31, 2006

月影は森の梢にかたぶきて‥‥

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Information-Aliti Buyoh Festival 2006-

-今日の独言- 縄文像を新しく

 一昨年2月にガンで死去した網野善彦らを軸に編まれた講談社「日本の歴史」は00巻から25巻まで全26巻の監修だが、網野善彦自らが著した「日本とは何か」00巻はこの類いの出版では10万部を優に超えるという異例のベストセラーとなっていたという。ちなみに私もこの巻だけは発刊直後に購入し読んでいる。
ところで、このシリーズが刊行されたのは’99年から’02年にかけてだが、折りしも’00年(H12)11月に発覚した神の手事件すなわち藤村新一による長年にわたる一連の石器捏造騒動が、考古学者や歴史家ばかりかマスコミや世間をも震撼させ、考古学上の知見を根底から洗い直さざるえない危機に見舞われた時期に重なった所為で、既に発刊されていた01巻「縄文の生活誌」はこの捏造事件のあおりで全面的に書き換えざるを得なくなり、初版差し替えとしてその改訂版が発刊されるのは’02年11月に至っているという。
読み進んでいくにつけ、この20~30年の遺跡発掘調査による知の集積で、原始の日本列島、縄文期の時代像もこんなに変容してきたのかと驚嘆しきり。
そういえば’80年頃だったか、当時の高校向けの世界史と日本史の教科書をわざわざ取り寄せて読んでみたことがある。その時も私自身の高校時代との20年ほどの時差のなかで、その内容の変化にずいぶん驚かされもし、古い知識の棚卸しをさせられるようなものだったが、今回の場合は棚卸しや煤払いどころか、埃だらけの古い縄文像をまったく新しく作り替えねばならないようである。

図書館からの借本
・岡村道雄・他「縄文の生活誌 日本の歴史-01」講談社
・寺沢薫・他「王権誕生 日本の歴史-02」講談社
・中川千春「詩人臨終大全」未知谷
・加藤楸邨「一茶秀句」春秋社 -昨年10月につづいて再び。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-25>
 月影は森の梢にかたぶきて薄雪白しありあけの庭  永福門院

玉葉集、冬、冬の御歌の中に。
邦雄曰く、こまやかな遠近法で、彼方の森の漆黒の樹影から、眼前の庭の砂と植込みをうっすらと覆う雪まで、黒白を駆使したところ、作者の技量の見せどころだろう。薄雪の微光を放つ趣きは玉葉集歌風の一典型、と。

 吹く風に散りかひくもる冬の夜の月の桂の花の白雪  後二条天皇

後二条院御集、冬、月前雪。
弘安8年(1285)-徳治3年(1308)、後宇多院第一皇子で後醍醐天皇の異母兄。正安3年(1301)、両統迭立により践祚・即位、時に17歳。徳治3年(1308)、病により崩御、24歳。新後撰集初出。勅撰入集100首。
邦雄曰く、上句は伊勢物語第97段の「桜花散りかひ曇れ」を写したのであろう。下句は「雪月花」を14音に集約した感あり、桜が月下の桂の花になっただけ、さらに神韻縹渺の趣きが加わる、と。

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January 29, 2006

月やそれほの見し人の面影を‥‥

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-今日の独言- 出版100周年

 藤村の「破戒」と漱石の「坊っちゃん」はともに今年で出版100周年を迎えているそうな。
「破戒」は1906年3月に自費出版、「坊っちゃん」は同年4月、前年の「我輩は猫である」に同じくホトトギス誌上で発表されている。
その描く世界はまるで異なる対照的ともいえる作品だが、広く支持され100年の風雪を越えて読み継がれきた不滅のベストセラーという意味では双璧といえる。ちなみに新潮文庫版では「破戒」が368万部、「坊っちゃん」が382万部を数えるという。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-16>
 ふりさけてみかづき見ればひとめ見し人の眉引き思ほゆるかも
                                    大伴家持

万葉集、巻六、雑歌、初月の歌一首。
霊亀2年(716)?-延暦4年(785)。旅人の子。聖武から桓武に至る6代に仕え、従三位中納言に至る。天平の代表的歌人、万葉集編纂に携わり、万葉集中最多、短歌約430首、長歌46首、旋頭歌1首。三十六歌仙。
邦雄曰く、新月の優しい曲線に、かりそめに逢い見た人の黛の眉引きを連想する。冴えた美意識の生んだ抜群の秀歌の一つ。この前に叔母坂上郎女の「月立ちてただ三日月の眉根かき日長く恋ひし君に逢へるかも」が置かれて、ひとしおの眺めである、と。

 月やそれほの見し人の面影をしのびかへせば有明の空  藤原良経

六百番歌合、恋、晩恋。
邦雄曰く、軽やかな初句切れ、また歯切れよく畳みかけるような下句、あたかも今様の一節を聞く思いする愉しい恋歌。月に愛する人の面影を見る類歌数多のなかで、この一首はその嫌いなく、むしろはっとするような新味を感じさせること、千二百首中の白眉、と。

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曇れかし眺むるからに悲しきは‥‥

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-今日の独言- 歌枕見てまいれ

 平安中期の10世紀、清少納言とも恋の噂もあったとされ、三十六歌仙に名を連ねた左近衞中将藤原実方朝臣は、小倉百人一首にも「かくとだにえやはいぶきのさしも草さしもしらじな燃ゆる思ひを」の歌が採られているが、みちのくに縁深くユニークな逸話を諸書に残して名高い。
鎌倉初期、源顕兼が編纂した「古事談」という説話集には、書を能くし三蹟と謳われた藤原行成と実方の間に、殿中にて口論の末、勢い余った実方は行成の冠を投げ捨てるという無礼をはたらいてしまった。
これを聞きつけた一条天皇から「歌枕見てまいれ」といわれ、陸奥守に任ぜられたという。要するに実方はこの事件でみちのくへと左遷された訳だが、歌枕見てまいれとの言がそのまま辺境の地への左遷を意味しているあたりがおもしろい。
陸奥に赴任した実方は数年後の長徳4年に不慮の死を遂げたらしく、現在の宮城県名取市の山里にその墓を残すのだが、この地が「おくの細道」の芭蕉も訪ね歩いたものの「五月雨に道いとあしく、身つかれ侍れば、よそながら眺めやりて過るに」と書かれることになる「笠嶋」である。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-15>
 しきたへの枕ながるる床の上にせきとめがたく人ぞ恋しき  藤原定家

拾遺愚草、恋、寄床恋。
しきたへの-敷妙の。床、枕、手枕に掛かる枕詞。
来ぬ人を待ちわびる夜の涙は川をなし、枕さへ流れるばかり。その流れを堰き止める術もないほど、人への思いはつのる。
邦雄曰く、常套的な誇大表現ながら、定家特有の抑揚きわやかな構成が、古びれた発想を鮮明に見せる、と。

 曇れかし眺むるからに悲しきは月におぼゆる人の面影  八条院高倉

新古今集、恋、題知らず。
生没年未詳。生年は安元2年(1176)以前? 藤原南家、信西入道(藤原通憲))の孫。八条院暲子内親王(鳥羽院皇女)に仕えた女官。この歌を後鳥羽院に認められ、院歌壇に召されるようになったとされる女流歌人。新古今集初出。
曇れかし-「かし」は命令を強める助詞。
邦雄曰く、月に恋しい人の面影を見る歌は先蹤数多あるが、この作の特徴は一に「曇れかし」と、声を励ますかに希求する初句切れの悲しさにある。もちろん反語に近い用法で、まことはそれでもなお面影を慕うのであるが、と。

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January 27, 2006

ただ頼めたとへば人のいつはりを‥‥

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-今日の独言- Buyo Fes の打合せのあとに‥‥

 昨日は、たった3分で事がすむような舞台打合せに、夕刻、京都は御所に隣接する府民ホール・アルティまで車を走らせた。おまけに渋滞を見越して余裕をもって出たら、約束の刻限に一時間ほど早めに着いてしまった。陽が落ちて冷え込むばかりの京都を散策するほどの意気地もないから、ホールロビーの喫煙コーナーに独り座して、読みかけの文庫本を開く。
 20分もしないうちに、舞台スタッフのほうで気を遣ってくれたのか、始めましょうと声がかかったので、舞台のほうへ移動。すでに下手にはグランドピアノが据えられ、ホリゾントには大黒幕が降りている。このあたりは事前の書面打合せどおり。さて舞踊空間をどうするかだが、此方は間口3間×奥行4間のフラットな空間さえあればよいという、いたって単純素朴な要請。このホールは舞台が迫り(昇降装置)を備えており、段差を利用したいくらかのヴァリエーションが可能なのだが、此方の望みどおりのスペースでは昇降不能。ならば全面フラットとせざるを得ないかと断。
「こうなったらアカリのエリアを絞り込んでもらうしかないねエ。」などと照明のF氏と二つ三つ会話を交わしたら本題たる打合せは完了。この間、3分もかかったろうか。予定時間をたっぷりと一時間余り取って、おまけに舞監、大道具、照明、音響とスタッフ4人揃っての打合せだというのに、こんなので好いのかしらんと、みなさん拍子抜けの態で、休憩時間の延長みたいなリラックスモード。残る時間をF氏といくらか四方山話に花を咲かせ、ほどよいところでご帰還と相成ったのだが、その話のなかで泉克芳氏の死を知らされ些か驚いた。年明けてすぐのことだったらしいとのこと。

 舞踊家泉克芳はまだ60代半ばではなかったか。日本のモダンダンスの草分け石井漠の系譜に連なる異才であった。80年代になって東京から関西へと活動の場を移してきたのだったか、同門の角正之が一時期師事した所為もあって、彼の舞台を二度ばかり拝見したことがある。彼がこの関西にどれほどの種を蒔きえたか、その実りのほどを見ぬままに逝かれたかと思えば、ただ行き行きてあるのみの、この道に賭す者の宿業めいたものを感じざるを得ない。惜しまれる死である。合掌。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-14>
 恋ひ侘ぶる君にあふてふ言の葉はいつはりさへぞ嬉しかりける
                                    中原章経

金葉集、恋。詞書に、いかでかと思ふ人の、さもあらぬ先に、さぞなど人の申しければ詠める。
生没年不詳。勅撰集にこの一首のみ。
邦雄曰く、恋に我を忘れた男の、一見愚かな、しかも嘘を交えぬ言葉が、第三者の胸をすら打つ一例であろうか。技巧縦横、千紫万紅の恋歌群のなかを掻き分けている時は、このような無味単純極まる歌も、一服の清涼剤となりうる、と。

 ただ頼めたとへば人のいつはりを重ねてこそはまたも恨みめ  慈円

新古今集、恋、摂政太政大臣家百首歌合に、契恋の心を。
久寿2年(1155)-嘉禄元年(1225)。関白忠通の子、関白兼実の弟。摂政良経の叔父。11歳にて叡山入り。後鳥羽院の信任厚く護持僧に、また建久3年(1192)権僧正天台座主、後に大僧正。吉水和尚とも呼ばれる。家集は拾玉集、愚管抄を著す。千載集以下に約270首。
邦雄曰く、たった一度の嘘を恨むものではない。もう一度犯した時に恨むことだ。それよりもひたすらに自分の男を信じ頼みにしていよと、教え諭すかの恋の口説。大僧正慈円だけあって、睦言も説教めいて、とぼけた味、と。

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January 26, 2006

今は世に言問ふ人も不知哉川‥‥

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-今日の独言- 歌枕「あねはの松」

 「あねはの松」という歌枕がある。「あねは」は姉歯と表記。あの耐震偽造設計の姉歯一級建築士と同じである。陸奥国の歌枕だが、現在地は宮城県栗原市金成町姉歯あたりに代々残るとされる松。姉歯建築士の出身古川市とは隣接しているものの30kmほど北東にあたるようだ。
在原業平の伊勢物語には陸奥の国のくだりで
 栗原やあねはの松の人ならば都のつとにいざと言はましを
と詠まれている。歌意は、あねはの松が仮に人であったなら、都への土産にと、一緒に行こうよと誘うのだが‥‥と。要するに、男と懇ろになった土地の女が一緒に連れて行ってと取り縋るのを、松に見立てて体よく袖にしたという訳だが、見事な枝振りの松に喩え誉めそやされては、男の不実を知りつつも強くは責められなかったろう女心にあはれをもよおす。
 「姉歯の松」の由来譚は、さらに古く6世紀末の用命天皇の頃か、都に女官として仕えることになった郡司の娘が悲運にもその徒次にこの地で病死してしまうという逸話が背景となっているらしい。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-13>
 今は世に言問ふ人も不知哉川住み荒らしたる床の山風  豊原純秋

松下抄、恋、寄床恋。生没年未詳、室町時代後期の人。雅楽の笙相伝の家系に生まれ、後柏原天皇[在位:明応9年(1500)-大永6年(1526)]に秘曲を伝授したと伝えられる。
不知哉川(いさやがは)-近江国の歌枕、滋賀県犬上郡の霊仙山に発し、彦根市で琵琶湖に注ぐ大堀川のこと。
邦雄曰く、この世には、夜々訪れてくる人もない。愛する人を迎えるあてもなく床は荒れ果て、閨には山からの烈風が吹き込む有様。万葉集・巻十一の寄物陳思歌に「犬上の鳥籠の山にある不知哉川いさとを聞こせわが名告(の)らすな」とあり、これを巧みに換骨奪胎した、と。

 音するをいかにと問へば空車われや行かむもさ夜ふけにけり
                                    大内政弘

拾塵和歌集、恋、深更返車恋。文安3年(1446)-明応4年(1495)、周防・長門・豊前・筑前の守護大名大内氏29代当主。応仁の乱では細川氏と対立、西軍の山名宗全に加勢。和歌・連歌を好み、一条兼良・宗祇ら当代の歌人・連歌師と深く交わる。空車-読みは、むなぐるま。
邦雄曰く、或は恋しい人が来たかと、車の音にそわそわと立ち上がり、聞けば残念ながら空の車だったという。その車に乗って自分のほうから出かけようかとも思うが、時すでに遅し、人を訪ねてよい時刻ではない。まことに散文的な、事柄だけを述べた三十一音だが、無類の素朴さが心を和ませる、と。

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January 25, 2006

いふ言のかしこき国そくれないの‥‥

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-今日の独言- ライブドア騒動のなかで

 23日の夜、ライブドアの堀江社長以下4名が逮捕され、ライブドア騒動も大きな分岐点を迎えたようだが、それにしてもマスコミの喧騒ぶりは度を越しているように思われる。開会されたばかりの衆議院本会議は、ホリエモンを参議院選挙に担ぎ出した小泉流の責任追及に荒れ模様だし、事件の推移によっては政局もどう動くか、新たな火種に波乱含みだ。
 山根治さんという元公認会計士が書いている「ホリエモンの錬金術」というサイト記事を読んだ。計20回と書き継がれた長文の大作。著者自身、大きな脱税事件で逮捕起訴され、冤罪事件として十年の法廷闘争の末、無罪を勝ち取った経験をもつ人だけに、「公表された財務書類等から、ライブドア堀江貴文氏のいわば錬金術師としての実像を明らかにし、マネーゲームの実態を浮き彫りにする。」との触れ込みどおり、細にして洩らさず、徹底した分析をしてみせてくれる労作だ。虚像の虚像たる所以が、カネと株式操作の流れを数字という事実に即してのみ詳細に明かされている。実相はおそらく彼の描いてみせてくれるホリエモン像にほぼ近いものだろう。「ホリエモンと小泉純一郎」と題した3回連載の小論もなかなかに辛味の効いた読み物だった。

――参考サイト-山根治「ホリエモンの錬金術」
http://blog.goo.ne.jp/yamane_osamu/e/42c2c0ee4afb62e55737eaacc2d08b17

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-12>
 いふ言のかしこき国そくれないの色にな出でそ思ひ死ぬとも
                                  大伴坂上郎女

万葉集、巻四、相聞。生没年未詳、大伴安麻呂と石川内命婦の子で、旅人の異母妹、家持の叔母にあたる。万葉集に長短歌84首。女性歌人としては最も多く、家持・人麻呂に次ぐ。かしこきは恐き。
邦雄曰く、作者の歌七首一聯は、すべて人目に立つのを戒め、取り沙汰されることを怖れる忍恋の歌。無責任な世間の噂の恐ろしいこの国、鮮やかな紅の色のように、色に出してはならぬ、死ぬほど恋しくともと、歌意は悲痛な諫言に似る、と。

 恋しとは便りにつけて言ひやりき年は還りぬ人は帰らず  藤原良経

六百番歌合、恋、遠恋。
邦雄曰く、便りはついに片便り、愛する人は帰って来なかった。廻るのは年、立ち還る春が何になろう。年と人との苦みのある対比、万感をこめてしかも簡潔無比、と。

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January 23, 2006

黒髪もさやけかりきや‥‥

051127-007-1
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-今日の独言- K女を偲んでのオフ会

 昨夏、忽然と不帰の人となったK女を偲びつつ、墓参を兼ねたオフ会にエコ友のtosikiさんにお誘いいただき、一昨日の21日、京都へと足を運んだ。宗祖親鸞の墓所でもある五条坂の大谷本廟へ参るのは初めて。総門を入ると正面に大きな仏殿、その右手の読経所との間を通り抜けると、東山を背にして明著堂と呼ばれる納骨所がある。さらに右側には、第一無量寿堂、第二無量寿堂と呼ばれるモダンな舎利殿を髣髴させる個別用の納骨所が、縦に長く並んで総門のあたりまで延びているというなかなかの偉容。K女と彼女の後を追った寄る辺なき子息の遺骨は明著堂に納められたと聞いた。堂前にて数呼吸の間手を合せ冥福を祈る。
 京都らしく冷え込んできた夕刻の鴨川べりを歩いて、四条木屋町の今夜の食事処へ。初めは4人だったが三々五々寄り集って9人と膨らんだオフ会はいつのまにか賑やかな酒宴の場と化していた。五条通りに面した宿に無事帰参した時は、内3名が完全にダウンし爆睡状態。勧められるままに盃を重ねて私もいささか酩酊していたが、しばらくは酔いを醒ましつつ歓談したうえで、明朝稽古のある身とて、お名残惜しいが宿泊される皆さんとお別れして帰路に着いた。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-11>
 黒髪もさやけかりきや綰く櫛の火影に見えし夜半の乙女子  正徹

草根集、雑、冬櫛。永徳元年(1381)-長禄3年(1459)、備中国小田郡小田庄、神戸山城主小松康清の子と伝えられる。若い頃は冷泉家の歌学に影響を受け、後藤原定家の風骨を学び、夢幻的・象徴的とも評される独自の歌境を切り拓く。一条兼良の信任厚く、京洛歌壇の一時期を築いた。弟子に正広、心敬、細川勝元など。歌論「正徹物語」、紀行文に「なぐさめ草」。綰く(タク)-髪などをかき上げる、束ねる。
邦雄曰く、まさ眼に見たのは影絵めいた姿か、仄かな燈影のさだかならぬ面影であったろう。第二句「さやけかりきや」が、見えなかった髪の、黒さ豊かさ清けさを、より強調することとなる。技巧派の、趣向を凝らした修辞は抜群であり、四季歌の中に入れておくには、眺めが妖艶に過ぎよう。いずれにせよ珍重に値する絵画的な異色の作、と。

 夜とともに玉散る床の菅枕見せばや人に夜半のけしきを  源俊頼

金葉集、恋、国実卿家の歌合に夜半の恋の心を詠める。天喜3年(1055)-大治4年(1129)。源経信の三男。従四位上木工頭。堀河百首の中心となり、金葉集を選進。清鮮自由な詠み口を以て新風を興し、旧派の藤原基俊と対立。歌論書に俊頼髄脳、家集に散木奇歌集。金葉集に約210首。
邦雄曰く、涙の玉は散り、かつ魂散り失せて死ぬばかりの歎きに、菅の枕もあはれを盡し、つれない人に見せばやとの激しい調べも、また嘆きの強さを増す、と。

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January 21, 2006

吹きはらふ嵐はよわる下折れに‥‥

051129-025-1
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-今日の独言- 北極振動

 大寒の入り、今日も厳しい寒気が列島を覆う。それにしても昨年来、今冬の大雪と寒さは近来稀にみるもの。原因は北極振動によるとされ、北極周辺の寒気が南下している所為で、ちょうどエルニーニョ現象の逆の状態だという。12月からの大雪・豪雪による被害は記録的なものになりつつある。18日段階で死者102名を数え、戦後4番目という多数の犠牲者。東北・北陸各地の市町村では除雪費が記録的に増大、急遽、政府は緊急予算措置を講じるという。例年ならばこれから本格的な降雪期を迎える1月半ばにしてこの事態なのだから、恐るべし北極振動。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-24>
 唐崎やこほる汀(みぎは)のほど見えて波の跡よりつもる白雪
                                    慈道親王

慈道親王集、冬、湖雪。弘安5年(1282)-暦王4年(1341)。亀山院の皇子、出家して後に天台座主となり、後醍醐天皇の護持僧を務める。新後撰集以下に24首。
邦雄曰く、渚を洗う波がさっと沖へ引き、水際の砂が黒々と現れると、折から降りしきる雪がたちまちうっすらと積る。琵琶湖は鈍色に雪にけぶる。唐崎の松も見え分かぬ。刻々の景を下句14音に盡した、と。

 吹きはらふ嵐はよわる下折れに雪に声ある窓の呉竹  鷹司伊平

玉葉集、冬、竹雪。正治元年(1199)-没年未詳。摂関家五家の鷹司頼平の子、正二位権大納言となるも30歳にて出家。新勅撰玉葉集に2首。
邦雄曰く、下折れの竹が音をたてるのに四句「雪に声ある」と、殊更に強調した手際の鮮やかさ、その秀句をそれとなくではなくて、これみよがしに誇示しているところが、この時代の一つの風潮でもある、と。

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January 20, 2006

むばたまの夜のみ降れる白雪は‥‥

051127-004-1
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-今日の独言- 長崎知事選に小久保女史

 債務がすでに1兆円を超えるという長崎県の知事選挙が昨日19日告示されたが、ゆびとまの創立者小久保徳子女史が市民派候補として挑戦している。立候補者は三選を目指す金子原二郎氏と共産新人の山下満昭氏と、彼女。現職金子候補は自・公・社が推薦。民主党はどうやら西岡武夫参議院議員の擁立派と小久保擁立派と割れていたらしく、一本化できないまま自由投票となったようだ。市民型選挙をめざす女史は勝手連的集団の「虹の県民連合」が主な支援母体となっている。
 昨年、㈱ゆびとまの社長職を若手に譲り、名誉顧問に退いていた女史には国政参画の意志が巣食っていたらしい。それが郷里長崎の知事選出馬となった背景には、同県選出の犬塚直史参議院議員が出馬打診をしてきたことが動機の発端となっている模様だが、どの党であれ国政を担う一兵卒となるより地方の首長獲りを狙うほうが、選択としては時宜に適っていると思われる。いずれにせよ女史が三選をめざす現職知事を脅かす台風の眼になっていることは間違いないが、どこまで肉薄できるか、あわよくば逆転の芽もまったくない訳ではないだろう。大阪からは遠い出来事だが選挙の行方を静観したい。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-23>
 明くる夜の雲に麓はうづもれて空にぞつもる嶺の白雪  堯孝

慕風愚吟集、応永二十八年十一月、前管領にて、遠山朝雪。明徳2年(1391)-享徳4年(1455)。藤原南家の末裔、頓阿(二階堂貞宗)の曾孫。二条派歌人として活躍、飛鳥井家の雅世と親しく、冷泉派の正徹らと対立、歌壇を二分した。
邦雄曰く、遠山白雪の景を、第四句「空にぞつもる」で冴え冴えと一筆に描ききった。15世紀の和歌には、こういう一句に懸けたような手法が顕著に見える。彼の秀句表現も曽祖父頓阿譲りか。さらに技巧を駆使すると、「訪ひやせむ待ちてや見むのあらましにさぞな世にふる今朝の白雪」のように、歌謡・語り物にも似た趣きとなる、と。

 むばたまの夜のみ降れる白雪は照る月影のつもるなりけり
                                  詠み人知らず

後撰集、冬、題知らず。後撰集は古今集の後の第2勅撰集で10世紀の成立。むばたまの-夜や黒、髪に掛かる枕詞、「ぬばたまの」に同じ。
邦雄曰く、天から降ってくる純白の冷やかなもの、あれは月光の結晶なのだ、名づけて雪と呼ばれているが、だからこそ、いつも夜の間に霏々と降り積もり、さて暁に見渡すと一面の銀世界が出現している。後撰集の冬には、題知らず・詠み人知らず歌が、巻末に25首連なっており、どの歌も透明で、心ゆかしくあはれな秀作揃いで、勅撰集中の偉観、と。

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January 19, 2006

をしへおく形見を深くしのばなむ‥‥

051023-078-1
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-今日の独言- 若草山の山焼き

 「春日野はけふはな焼きそ若草の妻も籠れり吾も籠れり」 
                                詠み人知らず
古今集の春上の歌である。ところで、些か時期を失した話題となるが、この若草山の山焼き、今年は8日に行なわれたとか。13万人もの人々が詰めかけ古都の夜空を焦がす炎の舞に酔いしれたといわれ、初春を彩るイベントとして年々盛んになっているようだ。この山焼きの由来、東大寺と興福寺の寺領争いを解決するため繁茂する樹木を伐採して境界を明らかにしたとされるが、この説では宝暦10年(1760)ということになるから信憑性は低かろう。冒頭掲げた歌と照らしても起源はさらにずっと遡らねばなるまい。若草山は古来より狼煙の場として使われ、樹木を植えなかったという説もある。例年いつ行なうかの時期はともかくとしても、ずっと昔から山焼きの習いはあったのだろう。そして山焼きとは森羅万象、死と再生の呪術的な儀式でもあってみれば、人々はみな新生の恙無きを祈りつつ忌み籠るべき日であったのかもしれぬ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<雑-10>
 をしへおく形見を深くしのばなむ身は青海の波にながれぬ
                                    藤原師長

千載集、離別。保延4年(1138)-建久3年(1192)。左大臣藤原頼長の子。後白河院に近臣として仕え、保元の乱後、咎めを受けて土佐に流された。箏の名手で知られた。千載集にこの1首のみ。
邦雄曰く、形見の秘曲は「青海波」、盤渉調。土佐配流の際、愛弟子の源惟盛は津の国川尻まで名残りを惜しんで見送るが、この折り秘伝の奏法を伝授。第三句は「偲んでほしい」の意。師弟の情愛に満ちた交わりが胸に沁みわたるようだ、と。

 草枕むすびさだめむ方知らずならはぬ野べの夢の通ひ路
                                   飛鳥井雅経

新古今集、恋、水無瀬の恋十五首歌合に。飛鳥井雅経は藤原雅経。嘉応2年(1170)-承久3年(1221)。刑部卿頼経の二男。参議従三位右兵衛督。俊成の門。後鳥羽院の再度百首、千五百番歌合にて頭角をあらわし、和歌所寄人、新古今集選者となる。飛鳥井家の祖。新古今集以下に134首。
邦雄曰く、思う人の夢を見るには、草枕を結ぶ方角をいずれにするのやら。馴れぬこととてそれさえ覚束ない旅。さて夢の通う道もどうなるのか。恋の趣きよりも、初旅を思わせるような怯みとたゆたいが、この一首を新鮮にしている、と。

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January 18, 2006

箱根路をわが越えくれば‥‥

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Information-Aliti Buyoh Festival 2006-

-今日の独言- 祈りの日になぜ?

 1.17、阪神大震災から11年というこの日に、なぜこうも重苦しく騒擾とした報道が溢れているのか。
耐震偽造マンション事件のヒューザー小嶋社長の国会証人喚問は、殆どの質問に対し証言拒否を貫くというとんだ茶番劇で被害関係者はおろか関心を寄せるすべての者を暗澹たる思いに陥れた。前夜、東京地検は証券取引法違反の疑惑でライブドアに強制捜査に入り、17日の日経平均株価は大暴落、このところ景気回復を反映し堅調に推移していた株式市場の混乱はしばらく続くだろう。同じ日、最高裁第3小法廷は、17年前の連続幼女殺害事件の宮崎勤被告に対し、上告を棄却し死刑を確定させた。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<雑-9>
 箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ
                                    源実朝

続後撰集、羇旅、箱根に詣づとて。
邦雄曰く、実朝の代表歌とされてきたこの歌、新勅撰集には採られず、次代の為家になってやっと陽の目を見た。三句「伊豆の海や」の一音余りが、この大景をぐっと支える役割を果たし、悠々として壮大な叙景歌となった。実朝詠は古来その万葉調を嘉されてきたが、必ずしも万葉写しのみで生れる歌ではない。天来の調べ、と。

 たまきはる宇智の大野に馬並めて朝踏ますらむその草深野
                                    間人老

万葉集、巻一、雑歌、天皇、宇智の野に御狩したまふ時。間人老(はしひとのおゆ)-伝不詳、この折の長歌と当該の反歌以外伝わっていない。
天皇は舒明。たまきはる-うちに掛かる枕詞。宇智の野-現在の奈良県五條市の北、金剛山裾野にひろがる丘陵地帯。
邦雄曰く、結句「その深草野」の短く太やかな響きも、思わず洩らした吐息のようで心に柔らかに響く、美しい調べ、と。

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January 16, 2006

こひこひて稀にうけひく‥‥

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Information-Aliti Buyoh Festival 2006-

-今日の独言- 読みきらぬままに

 A.ネグリとM.ハートの前著「帝国」をまだ読みきらぬままなのだが新刊「マルチチュード」を購入。亀山郁夫の「ドストエフスキー」とともにNHKブックスとなったのは偶々のこと。中也は以前から持っているのは選集なのでこの際すでに持っている下巻に加えて全詩集で揃える。塚本邦雄全集の14巻は先月に引き続き再度の借入。「藤原俊成・藤原良経」をなんとか読んでおきたい。

今月の購入本
 A.ネグリ・M.ハート「マルチチュード <帝国>時代の戦争と民主主義 上」NHKブックス
 A.ネグリ・M.ハート「マルチチュード <帝国>時代の戦争と民主主義 下」NHKブックス
 亀山郁夫「ドストエフスキー 父殺しの文学 上」NHKブックス
 亀山郁夫「ドストエフスキー 父殺しの文学 下」NHKブックス
 荒俣宏「『歌枕』謎ときの旅 歌われた幻想の地へ」NHKブックス
 「中原中也全詩歌集 上」講談社・文芸文庫
図書館からの借本
 塚本邦雄「塚本邦雄全集第14巻 評論Ⅶ」ゆまに書房

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-10>
 振分けの髪をみじかみ青草を髪に綰くらむ妹をしそ思ふ  作者未詳
万葉集、巻十一、正(ただ)に心緒(おもい)を述ぶ。
綰く-読みはタク、(髪などを)かきあげる、たばねること。
邦雄曰く、平安朝なら「幼恋」題であろう。短く足りぬ髪を萱草の葉でも裂いて掻き上げるのか、野趣満々、東歌の夏の風俗でも見ているような気がする。まだ振分け髪の少女を描いたのは数少ない。ほほえましくあはれな一首ではある、と。

 こひこひて稀にうけひく玉章を置き失ひてまた歎くかな  源頼政
従三位頼政卿御集、恋、失返事恋。
玉章-読みはタマズサ、玉梓とも、使い・使者、転じて文章や手紙。うけひく-承くで、承知すること。
邦雄曰く、たまに貰った返書を、不注意にも紛失して、慌てふためく男の、武骨な姿とべそをかいた顔が浮かぶ破格の恋歌。初句「こひこひて」は乞ひ乞ひて-恋ひ恋ひてと裏表をなすだろう。首尾よい返事には逢うべき時も所も記してあったろうに、失ったなどと知ったらすべて水の泡だ。恋歌には稀有の諧謔が有り難い、と。

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January 15, 2006

むらむらに氷れる雲は空冴えて‥‥

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-今日の独言- 松の内

 15日は望粥(もちがゆ)の日とか。元旦に対して今日14日から16日を小正月とも言ったが、はて松の内とはいつまでのことだったかと辞書を引いたら、7日と15日の両説があって判然としない。ものはついでと歳時記などを引っ張り出して見ると、門松や注連縄を取り払う松納めをするのが、東京では7日、京阪では15日とあり、やはり江戸風と上方風の習わしの差だったか、と。上方風ならばなおまだ松の内、新しい年の挨拶ごとを述べ立ててもおかしくはないのだとばかり、今頃になんだと思われそうなのを承知で、年詞のお返しをメールでいくつか挨拶をした。件の歳時記には、昔の松の内は女性の身辺が忙しいので、15日を年礼の始めとして女正月とも言うとある。そういえば、正月の薮入りは16日、無事松の内も明けて奉公人たちは宿下がりして晴れて家に帰れた訳だ。盆の薮入りは正月のほうより後に習いとなったようだが、どんなご時世になっても盆と正月が大きく節目の習いとなるのは、この国では変らないのかもしれない。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-22>
 むらむらに氷れる雲は空冴えて月影みがく木々の白雪  花園院

新千載集、冬、百首の歌詠ませ給うける時。永仁5年(1297)-正平3年(1348)。伏見院の第三皇子、12歳で践祚したが、十年後には、鎌倉幕府の干渉で後醍醐天皇に譲位。建武親政成った後に出家。学問を好み、道心厚く、禅宗に傾倒。画才にも恵まれ、所縁の妙心寺には自筆の肖像画が伝わる。和歌は京極為兼・永福門院の薫陶を受け、風雅集を監修、仮名真名の序文を執筆した。
邦雄曰く、月光が、梢の雪を磨くのではない、その逆で月光が、梢の雪に磨かれるのだ。空の雲も宵の雪も、既にひりひりと氷っており、しんしんと冴えかえる夜のひととき、皓々たる白一色の世界は不気味に静まり、異変の前触れを予感させるがごとく。詠風は華やかに寂しい、と。

 雲凍る空は雪げに冴えくれて嵐にたかき入相の声  日野俊光

権大納言俊光集、冬、冬夕。文応元年(1260)-嘉暦元年(1326)。藤原北家一門に生まれ、文章博士や蔵人頭を歴任、伏見院の近臣として、時は建武中興の前夜、皇位継承をめぐり北条政権との折衝の任を帯び、勅使として京都・鎌倉をしばしば往復したが、任半ば鎌倉で没した。
「入相」-日没時、夕暮れのこと。古来、入相または入相の鐘を詠んだ歌は多い。和泉式部詠に「暮れぬなり幾日を斯くて過ぎぬらむ入相の鐘のつくづくとして」がある。
邦雄曰く、家集の冬歌には雪を詠んだもの夥しい。雪の降りしまくなかに、入相の鐘を響かせたところが、この歌の面白さと思われる、と。

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January 13, 2006

寂しさを訪ひこぬ人の‥‥

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-今日の独言- 光が射した!?

 ADSLから光にやっと変ったが、なかなかに手間取るものだ。以前、ADSL同士だったけれどプロバイダーを乗り換えただけでもトラブルやらセットアップやらでずいぶん手を焼いて、所詮はメカ音痴の不甲斐なさばかり身に沁みたものだったが、此の度は、機器の取付からセットアップまで向こう様からわざわざ出張ってくれるのだから安心と、高を括っていたら豈に図らんや。本来なら暮の27日だったかにセットアップして、正月はご来迎でもあるまいがめでたく光スタートとなる筈だったのに、取付に来た若い派遣技師が付け焼刃のアルバイト学生だったのだろう。マニュアルどおりの事しかご存知ないようで二時間ほどもすったもんだした挙句、すごすごと退散する始末に此方もなかば呆れつつも激昂。カスタマーセンターとやらに電話で長々と猛抗議。ADSLのほうは12月末で解約手続を済ませているのだから、我ながら怒り心頭も無理はないだろう。
 昨日、やってきた技師はさすがにそれらしき人だったが、彼曰くは、電話回線の不良チェックのみが仕事の領分で、機器の取付やセットアップに関しては別業者の者があらためて派遣されるだろうというので、またも面食らってしまった。その彼が良心的に光回線でネット接続のチェックもしてみせてくれたから、あらためて頼りないアルバイト技師を待つまでもないと、彼の帰ったあと、門前の小僧よろしく自分で取り付けることにした。ずいぶんと老け込んだ小僧だけに時間のかかること夥しいが、どうにかセットアップ完了。
 年を跨いでまことに人騒がせな始末だが、やっと我が家にも光が射した!?

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-21>
 寂しさを訪ひこぬ人の心まであらはれそむる雪のあけぼの
                                    宮内卿

新続古今集、冬、正治二年、百首の歌に。生没年未詳。後鳥羽院宮内卿とも。13世紀初頭、後鳥羽院に歌才を見出され出仕、院主催の歌会・歌合に活躍した、早世の女流歌人。
訪ひ-とひ。雪深い山里にひとり侘住居の寂しさに、決して訪れてはくれぬ男の心なさのように、明け方、一面の真っ白な雪景色があらわれはじめた。
邦雄曰く、心あるなら雪を踏み分けても訪ねてくれるはず。まこと女流らしく婉曲に、憾みを訴えているように見えるが、盛られた心情は辛辣で、意外に手厳しい。十三世紀初頭の宮廷にその名をとどめた天才少女の、いささか巧妙に過ぎる雪に寄せる心理詠である、と。

 ふりつもる末葉の雪や重るらむ片なびきなり真野の萱原
                                  覚性法親王

出観集、冬、雪埋寒草。大治4年(1129)-嘉応元年(1169)。鳥羽天皇の第五皇子、母は待賢門院璋子、崇徳院・後白河院の同母弟。若くして出家、仁和寺主となる。千載集初出。勅撰入集22首。重る-おもる。真野の萱原-陸奥の国の歌枕、現在の福島県鹿島町あたり。遠く恋や季節の面影を見ることに用いられる。
邦雄曰く、古典における細やかな写実作品ともいうべきか。茅萱の細葉にうっすらと雪が積もり、薄雪ながら重みが加わる。少しずつ雪をこぼしつつ「片なびき」すると歌う。今一歩で説明調となるところを、抒情性を失わず温雅な調べを保った、と。

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January 11, 2006

を初瀬の鐘のひびきぞ‥‥

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-今日の独言- 神とパースペクティヴと

 人間に不可能な認識がある。それはパースペクティヴをもたない認識、すなわち無観点の認識である。神に不可能な認識がある。それはパースペクティヴによる認識、すなわち観点による認識である。身体をもたない純粋精神としての神は、われわれが認識するような遠近法的な世界を知ることは決してないであろう。
 ここは私の現存する場所である。神にとってここはなく(もしあるとすれば神は有限である)、神はここにあると同時にあそこにもある、つまりいたるところに偏在するか、あるいはここあそこを超越しているかのいずれかでなければならない。奥行きとか遠近は、ここからあそこへのへだたりであるから、神にとって奥行きや遠近は存在しない。
 いまは私が現存する時である。神にとっていまはなく(もしあるとすれば神は有限である)、神はいまにあると同時に、まだない未来にも、もはやない過去にも遍在するか、あるいはそれらを超越しているかのいずれかでなければならない。時間的なパースペクティヴは、いまから未来への、またいまから過去へのへだたりを前提するから、神にとって時間的なパースペクティヴは存在しない。パースペクティヴは有限者に固有の秩序である。
 ここに現存する有限者の視点に応じて、分節化された世界があらわれる。別の仕方で分節化された世界はありうるけれども、パースペクティヴによって分節化されない世界はありえない。それは仮説的な理念(神の眼)ではあっても、現実的な実在ではない。パースペクティヴは、実在を構成する一要素であって、恣意的な主観的解釈ではない。
    ――市川浩著「現代芸術の地平」より

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<雑-8>
 を初瀬の鐘のひびきぞきこゆなる伏見の夢のさむる枕に  宗良親王

李花集、雑、歌詠み侍りしついでに、暁鐘といへる心を詠み侍りける。応長元年(1311)-没年未詳(1389以前?)。後醍醐天皇の皇子、母は二条為世の女為子、兄に護良親王・尊良親王ら。政争に翻弄される生涯ながら、幼少より二条家歌壇に親しみ、二条為定との親交厚く、北畠親房らも歌友。南朝方歌人の作を撰集して「新葉和歌集」を撰す。自歌集「李花集」
「初瀬」は大和国の歌枕で「果つ」を懸けて、ほのかに迷妄の夜の終りを暗示。この「鐘」とは長谷寺の鐘かと察せられる。「伏見」は現京都伏見ではなく、奈良菅原の伏見の里であろう。
邦雄曰く、私歌集の名には美しくゆかしいものが数多あるが、「李花」はその中でも殊に優雅、作者の美学を象徴するか。「伏見の夢」のなごり、後朝の趣もほのかに、暁鐘の冷え冷えとした味わいは十分に感じられる、と。

 逢ふ人に問へど変らぬ同じ名の幾日になりぬ武蔵野の原
                                  後鳥羽院下野

続古今集、羇旅、名所の歌詠み侍りけるに。幾日-いくか。生没年未詳、13世紀の人。日吉社祢宜の家系に生れ、後鳥羽院に仕え、院近臣の源家長に嫁す。新古今集初出。
邦雄曰く、行けども行けども果てを知らぬ曠野、もう抜け出たかと思い尋ねるのだが返事はまだ「武蔵野」。題詠で実感以上に鮮やかに描いた誇張表現が嬉しくほほえましい。女房名の「下野」も併せて味わうべきか、と。

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January 08, 2006

年も経ぬいのるちぎりは‥‥

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Information-Aliti Buyoh Festival 2006-

<Alti Buyou Festival 2006-相聞Ⅲ-のためのmemo>

「定家五首」- 塚本邦雄全集第14巻・第15巻より

一、 散らば散れ露分けゆかむ萩原や濡れてののちの花の形見に

     卯月は空木に死者の影
     皐月の盃にしたたる毒
     水無月に漲るわざわい
     夏の間闇に潜んでいた
       私の心も
       秋は炎え上る
       風なときのま
       花はたまゆら
        散れ
        白露
        靡け
        秋草
       散りつくして
       後にきらめく
       人の掌の窪の
       一しづくの涙
     文月の文殻の照り翳り
     葉月わづかに髪の白霜
     長月は餘波の扇の韓紅
     皆わすれがたみの形見

二、 まどろむと思ひも果てぬ夢路よりうつつにつづく初雁の声

     ながすぎる秋の夜は一夜
     眠ろうとすれば眼が冴え
     起き明そうと思えば眠い
     夢みようと瞑れば人の声
     見たくもない夢に移り香
     秋はことごとく私に逆う
     この忌わしい季節の中で
     ただ一つ心にかなうのは
        初雁の
        贐ける
        死の夢
     常世というのは空の涯に
     ななめにかかる虹の国か
     露霜のみなもとの湖には
     鈍色の霧が終日たちこめ
     人はそこでさいなまれる
     逆夢をさかさにつるして
     闇の世界によみがえれと
     つるされる一つは私の夢

三、 かきやりしその黒髪のすぢごとにうちふす程はおも影ぞ立つ

     漆黒の髪は千すじの水脈をひいて私の膝に流れていた
     爪さし入れてその水脈を掻き立てながら
     愛の水底に沈み 
     私は恍惚と溺死した
     それはいつの記憶
     水はわすれ水
     見ず逢わず時は流れる
     この夜の闇に眼をつむれば
     あの黒髪の髪は
     ささと音たてて私の心の底を流れ
     その一すじ一すじがにおやかに肉にまつわり
     溺死のおそれとよろこびに乱れる

四、 今はとて鴫も立つなり秋の夜の思ひの底に露は残りて

     露が零る
     心の底に
     心の底の砂に
     白塩の混る砂
     踏みあらされた砂
     そこから鳥が立つ
     秋の夕暮のにがい空気
     いつまで耐えられるか
     うつろな心に残る足跡幾つ
     私も私から立たねばならぬ
     -夕暮に鴫こそ二つ西へ行く-
     田歌の鴫は鋭い声を交して
     中空に契りを遂げたという
     西方をめざしながらの
     名残の愛であったろう
     それも私には無縁
     心の底の砂原には
     まだ露が残る
     死に切れぬ露
     露の世の
     未練の露

五、 年も経ぬいのるちぎりははつせ山尾上のかねのよその夕ぐれ

     祈り続けたただ一つの愛は
     ついに終りを告げ
     夕空に鐘は鳴りわたる
     私の心の外に
     無縁の人の上に
     初瀬山!
     なにをいま祈ることがあろう
     観世音!
     祈りより
     呪いを

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都鳥なに言問はむ‥‥

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-今日の独言- 人と人のあいだ-親和力

 昨年2月に急逝したという旧友N.T君のお宅にお悔みに行った。賀状のお返しに夫人からわざわざ電話を戴いて遅まきながら訃報を知ったのは三日前だった。幼馴染みというか、近所だったし、家業も同様の鉄工関係で親同士の関わりもあった。幼・小・中ずっと一緒だったが、彼は中3の二学期から他校区の中学へ転校していった。引越しの所為ではなく高校進学のためだった。12、3年前から小学校時代の同窓会が再開されるようになって、三年毎に3回催されその都度顔を合わせてきたし、何年か前の「山頭火」には夫人と末の愛娘も連れ立ってわざわざ観に来てくれていた。心臓発作による殆ど急死に近いものだったと夫人から聞かされた。バブルが弾けて以降の十数年、不況業種の最たる家業の維持も大変だったろう。心優しいはにかみやの彼は意外に神経が繊細に過ぎたのかもしれない。仏壇の脇に置かれた遺影を前に、夫人と娘さんと三人で向き合ってしばらく想い出話に花を咲かせていたが、そこには生前の彼がそのまま居るかのような空気が伝わってくる。そういえばお互い笑い声にはずいぶんと特徴があったけれど、遺影のいくぶんか澄まし気味の笑顔から、その特徴ある彼の笑い声が聞こえてくるかと錯覚するほどに、懐かしい空気のような感触に、ほんのひとときだが包まれていた。
 情感あふれる懐かしさというもの、その源泉は、家族であれ、旧い友であれ、言葉になど言い尽くせないお互いのあいだに成り立ちえている親和力のようなものだと、あらためて再認させられた出来事ではあった。
N.T君よ、こんどは山頭火がいつも唱えていたという観音経を手向けよう。―― 合掌。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<雑-7>
 都出でて今日みかの原いづみ川かはかぜ寒し衣かせ山
                                 詠み人知らず

古今集、羇旅、題知らず。
みかの原-瓶の原、いづみ川-泉川、かせ山-鹿背山、いずれも山城の国(京都府木津町界隈)の歌枕。
邦雄曰く、山城の歌枕を歌い連ねて、巧みに掛詞を綴った。機知というより頓智、むしろ遊びに傾いた歌ともみえるが、一説には田部副丸なる人物が作った首途の歌ともいう。やや俗な面白みの生れるのは結句のせいであろう、と。

 都鳥なに言問はむ思ふ人ありやなしやは心こそ知れ  後嵯峨院

続古今集、羇旅、都鳥を。承久2年(1220)-文永9年(1272)。土御門天皇の第一皇子、子には宗尊親王、後深草天皇、亀山天皇ら。2歳の時承久の乱が起こり父土御門院は土佐に配流となり、叔父や祖母の元で育つも、仁治3年(1242)、四条天皇崩御の後、鎌倉幕府の要請のもと即位。4年後に譲位、後深草・亀山二代にわたり院政を布く。承久の乱後沈滞していた内裏歌壇を復活させ、藤原為家らに「続後撰集」・「続古今集」を選進させた。続後撰集以下に209首。
邦雄曰く、伊勢物語、東下りの第九段の終り「名にし負はばいざ言問はむ都鳥」を本歌とするというより、むしろ逆手にとって「なに言問はむ」と開き直ったあたり意表を衝かれる。「ありやなしやは心こそ知れ」とはまさに言の通り、希望的観測や甘えを許さぬ語気は、清冽で、鷹揚で、快い、と。

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January 07, 2006

えびすこそもののあはれは知ると聞け‥‥

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-今日の独言- 「百句燦燦」

 家に幼い子どもがいる所為もあるのだろうが、読書がなかなか思うように運ばない。図書館からの借本、講談社版の「日本の歴史」二巻を走り読みして、期限いっぱいの今日返却した。「古代天皇制を考える-08巻」のほうはまだしも通読したものの、「日本はどこへ行くのか-25巻」は走り読みというより飛ばし読みというのが相応しいか。
 そしてやっと塚本邦雄全集第15巻-評論Ⅷの扉を開いたのだが、のっけから襟を正して向き合わざるを得ない気分にさせられた。
 本書の構成は「百句燦燦」「雪月花」「珠玉百歌仙」の三部立て。戦後現代俳句に綺羅星の名句を百選して評する曰く「現代俳諧頌」。新古今の代表三歌人、藤原良経・藤原家隆・藤原定家の歌各百首を選び、そのうち各五十首に翻案詩歌を付しつつ評釈する「雪月花」。斉明天皇より森鴎外まで1300年の広大な歌の森から選びぬいた112名300余首を鑑賞する詞華アンソロジー「珠玉百歌仙」。
 「百句燦燦」の冒頭に掲げられた句は
   金雀枝(エニシダ)や基督(キリスト)に抱かると思へ  石田波郷
 抱かれるのが厩の嬰児イエスであれ十字架下ピエタのイエスであれ、抱く者はつねに聖母マリアであった。この作品の不可解な魅力はまず抱かれる者の位相の倒錯と抱く者の遁走消滅に由縁する。とこの言葉の錬金術師は紡いでゆく。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<雑-6> 
 みちのくの金をば恋ひてほる間なく妹がなまりの忘られぬかな
                                     源頼政

従三位頼政卿集、恋、恋遠所人、法住寺殿の会にて。
邦雄曰く、奇想抜群、天外とまでいかないが、鄙びて新鮮で、俗にわたる寸前を詩歌に変えているところ、頼政の野生的風貌横溢。妹が訛りと鉛を懸け、黄金と対比させ、しかもその訛りが奥州に置いてきた愛人のものであることを暗示し、「ほる=欲る=掘る」の懸かり具合もほほえましい。平泉が産出する金で輝きわたっていた時代であることも背景のなか、と。

 えびすこそもののあはれは知ると聞けいざみちのくの奥へ行かなむ
                                    慈円

拾玉集、述懐百首。
邦雄曰く、初句は京童を含む同胞一般への愛想尽かしの意を隠しており、ずいぶん皮肉で大胆な「出日本記」前奏と考えてよかろう。この述懐百首、若書きであるが、出家までの私的世界をも踏まえた、鬱屈と憤怒の底籠る独特の調べが見られる。「仕へつる神はいかにか思ふべきよその人目はさもあらばあれ」など、苦み辛みもしたたかに秘めた作が夥しい、と。

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January 06, 2006

いづくにか船泊てすらむ‥‥

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-今日の独言- 戌年のお犬様事情

 日本の少子化はさらに加速している。昨年の出生数は106万7000人で、死亡数は107万7000人と、いわゆる自然減1万人となったことを新聞は伝えているが、それにひきかえ、昨夜の報道番組WBSでの戌年にちなんだ昨今のお犬様事情によれば、犬の増加は昨年で150万にのぼるそうな。犬の年齢は人間の約1/7、15歳ならば人間の105歳に相当するといわれるが、7歳以上を高齢と見做され、高齢犬?にあたるのが50%以上を占め、すでに我々などよりずっと超高齢社会に突入しているというのである。我々人間よりペットであるお犬様こそ介護社会のさらなる充実を急務としている訳だ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<雑-5>
 丹生の河瀬は渡らずてゆくゆくと恋痛きわが背いで通ひ来ね
                                   長皇子

万葉集、巻二、相聞、皇弟(いろと)に与ふる御歌一首。生年不詳-和銅8年(715)。天武帝第七皇子、弓削皇子の同母兄。
丹生の河瀬-大和の国(現、奈良県吉野郡下市町)の丹生川かといわれ、その川瀬。歌はその「恋痛きわが背」である同母弟弓削皇子に寄せたもの。
邦雄曰く、川の瀬を渡りきらぬように、足踏み状態で悲恋にやつれている弟に、私のところへ憂さ晴らしに来いと慰める趣き、と。

 いづくにか船泊(は)てすらむ安礼の崎漕ぎたみ行きし棚無し小舟
                                    高市黒人

万葉集、巻一、雑歌、大宝二年壬寅、太上天皇の三河国にいでましし時の歌。生没年、伝不詳。持統・文武朝期の歌人。高市氏は大和国高市(今の奈良県高市郡・橿原市の一部)の県主とされ、その一族か。万葉集に採られている18首はすべて短歌で、行幸に従駕して詠んだ旅先での歌か。
安礼(あれ)の崎-所在不詳。愛知県東部の海岸の何処か、また浜名湖沿岸説も。棚無し小舟-船棚(舷側板)の無い舟のことで、簡素な丸木舟。漕ぎたみ=漕ぎ廻み。
邦雄曰く、遠望を伝えてふと言葉を呑むこの二句切れ。「安礼の崎」以下は、あたかも船影が水上を滑るように歌い終る。なかなかの技巧であり、寂寥感はこの固有名詞の活用によって際立ち、結句の「小舟」によってさらに浮かび上がる。儚く悲しい、稀なる叙景歌である、と。

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January 05, 2006

滝つ瀬に根ざしとどめぬ萍の‥‥

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-今日の独言- まことに芸事とは‥‥

 このところ例年のことだが、筑前琵琶奥村旭翠一門の新年会に親子三人で出かける。私自身は単なるお邪魔虫に過ぎないが、連れ合いが師事してもう四年になるか、いわば牛に引かれて善光寺参りのようなもの。嘗て近鉄球団のホームスタジアムだった藤井寺球場のすぐ近く、千成家という小さな旅館が旭翠さんの自宅であり、無論稽古場を兼ねている。午後2時頃にはほぼ顔も出揃って、お屠蘇で乾杯したあと、ひとりひとりが新年の抱負を含めた短い挨拶を交し合う。新年のこの席での定番はその年の干支にあたる者が日頃の成果をと一曲お披露目することになっているのだが、今年は連れ合い一人がその対象とあって、此方も些か冷や汗ものの気分にさせられつつ、久し振りに彼女の弾き語りを聞いた。演目は現在手習い中の「湖水渡り」。明智光秀の娘婿明智左馬之助にまつわる武者講談噺の世界だが、明治の日清・日露の頃から現在のようなレパートリーに整理されてきたと見られる筑前琵琶には、この手の講談調の演目が数多くある。
 さて肝心の弾き語りだが、成程、旭翠師曰く、一年ほど前から声の出方も良くなったと言われるとおり、語りのノリは幾分か出てきているといえようし、難しい弾きの技(て)もそれなりにこなすようになっている。しかし残念ながら語りと弾きの両者に一体感が生れない、各々まるで別次の世界のようにしか聞こえないのだ。語りと弾きがそれぞれの課題を追うに精一杯で、そのバランスのありように或は両者のその呼応ぶりに意識の集中がはかられていないというべきか。昨日引用したヴァレリーの「形式と内容」問題でいえば、その形式に内容のほうは十分に充填されておらず些か厳しい表現をすれば空疎でさえあるということになろう。この限りではいくら難曲に挑んでいようとも他人様に聴かせる体をなさない訳で、彼女の場合なお二、三年の修練を経ねばなるまいと確認させられる機会となった。さすが伝統芸と称される世界のこと、その形式の奥深さはなまなかのものではないこと、以て瞑すべし。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-9>
 月草に摺れる衣の朝露に帰る今朝さへ恋しきやなぞ  藤原基俊

宰相中将国信歌合、後朝。康平3年(1060)?-康治元年(1142)。右大臣俊家を父とする名門にも拘わらず従五位上左衛門佐で終る。歌学の造詣深く、多くの歌合の判者をつとめ、保守派の代表的歌人だが、俊頼らの新風に屈した。金葉集以下に105首。
邦雄曰く、国信歌合は康和2年(1100)、基俊40歳の四月。彼の後朝は格段あはれ深い。新千載・恋三に第三句を「露とおきて」として採られたが、原作が些か優る、と。

 滝つ瀬に根ざしとどめぬ萍の浮きたる恋もわれはするかな
                                    壬生忠岑

古今集、恋、題知らず。生没年不詳。微官ながら歌人として知られ、古今集選者となる。家集のほか、歌論書に忠岑十体。古今集以下に82首。萍(うきくさ)-浮草
邦雄曰く、沼や池の浮草ではなく滝水に揺られるそれゆえに、一瞬々々に漂い、さまよい出ねばならぬ定め、行方も知れず来し方もおぼろ、そのような儚い、実りのない恋もするという。古今集・恋一巻首には同じ作者の「ほととぎす鳴くや五月のあやめ草あやめも知らぬ恋もするかな」があるが、更に侘しくより運命的なところに、浮草の恋の灰色のあはれは潜んでいる、と。

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January 04, 2006

白菊に人の心ぞ知られける‥‥

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-今日の独言- ライオンは同化された羊から‥‥。

 再び(前回12/18付)、P.ヴァレリーの文章からの引用、
出典は平凡社ライブラリー「ヴァレリー・セレクション 上」より。
 文学。――他のだれかにとって<形式>であるものは、わたしにとって<内容>である。もっとも美しい作品とは、その形式が産み出す娘たちであって、形式のほうが彼女たちより先に生れている。人間がつくる作品の価値は、作品そのものにあるのではなく、その作品が後になってほかの作品や状況をどう進展させたかということにあるのだ。ある種の作品はその読者によってつくられる。別種の作品は自分の読者をつくりだす。前者は平均的な感受性の要求に応える。後者は自分の手で要求をつくりだし、同時にそれを満たす。ほかの作品を養分にすること以上に、独創的で、自分自身であることはない。ただそれらを消化する必要がある。ライオンは同化された羊からできている。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-8>
 白菊に人の心ぞ知られけるうつろひにけり霜もおきあべず
                                    後鳥羽院

後鳥羽院御集、正治二年八月御百首、恋十首。治承4年(11080)-延応元年(1239)。4歳で践祚、在位15年で譲位後、院政。幕府打倒の企てに破れ、承久3年(1221)出家、ついで隠岐に配流。在島19年で崩じた。歌人としては西行・俊成の風に私淑し、千五百番歌合など多くの歌合を催し、新古今集の選進を自ら指揮。家集に後鳥羽院御集、歌論に後鳥羽院御口伝。新古今集以下に約250首。
邦雄曰く、院20歳の詠だが、この凄まじい恋歌に青春詠の面影はない。しかも新古今歌人の誰の模倣でもない。三句切れ・四句切れ・否定形の結句と破格の構成を試みた。この歌には恋の常套は影も止めず、背信弾劾の激しい語気が耳を打つ。菊帝が白菊をもって卜(ボク)したかと見えるところも怖ろしい、と。

 人ぞ憂きたのめぬ月はめぐりきて昔忘れぬ蓬生の宿
                                    藤原秀能

新古今、恋、題知らず。元暦元年(1184)-仁治元年(1240)。16歳で後鳥羽院の北面の武士となり、後に出羽守に至る。承久の乱に敗れ、熊野にて出家、如願と号す。歌人としても優れ、後鳥羽院の殊遇を受け、飛鳥井雅経・藤原家隆らと親交厚かった。新古今集初出、以下勅撰集に79首。
蓬生(よもぎふ)の宿-人に忘れられて雑草が伸び放題の家の意、歌の語り手たる女自身の暗喩ともなっている。
邦雄曰く、男の訪れ来ぬ家、蓬のみ茂るこのあばら家に、月のみは皮肉にも昔どおり照ってはくれるがと、女人転身詠の恋歌。「人ぞ憂き」の初句切れ、言外に匂わすべき恨みを、殊更にことわって強い響きを創り上げたのも思いきった技巧のひとつ。第四句「昔忘れぬ」は照る月であると同時に、契りを守ろうとする女の身の上、と。

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January 02, 2006

はかなくて今宵明けなば行く年の‥‥

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-今日の独言- 幼稚園を義務教育化?

 昼過ぎ住吉大社へ出かける。お馴染みの太鼓橋を渡りかけると意外に人出が少ない気がする。そういえば昨年は1日のこの時間帯に来たのだったか。二日目ともなると混みようもかほどに異なるのだ。本殿のほうは第四本宮まで縦に並んでいるが、一番前の第一本宮こそ人だかりでいっぱいなものの、後ろの第二、第三となるとすぐ前の方にまで進める。お御籤を引いたが第十五番の凶。昨年は二人揃って一番籤の大吉だったのにこの落差、お遊びごととはいえ住吉の祭神殿も人が悪いのか悪戯が過ぎるのか、と勝手に決め込む。
 ところで気になるニュースひとつ。ネットで見かけた読売新聞のニュースだが、政府与党は義務教育の低年齢化へと拡大方針の意向を示しているとか。要するに「幼稚園の義務教育化」という訳だ。外国の一つの例として、英国では2000年より5歳から11年間を義務教育化しているそうな。フランスではもうずいぶん前から公立幼稚園の無料化をしている、と。少子化対策でもあり、学力低下問題への対応策でもあろうが、教育の多様化現象がどんどん進んでいる傾向のなかで、幼稚園を義務教育化するという一様なあり方で改善されるものかどうか、判断はかなり難しいように思われる。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-20>
 はかなくて今宵明けなば行く年の思ひ出もなき春にや逢はなむ
                                    源実朝

金塊和歌集、冬、歳暮。
邦雄曰く、二十代初めの鎌倉将軍が「思ひ出もなき春」とは。人生にというよりはこの世のすべてに愛想をつかしたかの、この乾いた絶望感はかえって「抒情的」でさえある。あまり屈折したために直情を錯覚させるのだろう。同じ歳暮歌の「乳房吸ふまだいとけなきみどりごとともに泣きぬる年の暮かな」もまた新古今風亜流歌に混じるゆえに、なお一種異様な詠となる、と。

 津の国の難波の春は夢なれや葦の枯れ葉に風渡るなり
                                    西行

新古今集、冬、題知らず。元永元年(1118)-建久元年(1190)。俗名佐藤義清(のりきよ)、後鳥羽院の北面の武士だったが23歳で出家、鞍馬・嶬峨などに庵を結び、全国各地の歌枕を旅した。以後、高野山へ入山、また伊勢二見浦山中にも庵居。最後は河内弘川寺の草庵にて入寂。歌集「山家集」。
邦雄曰く、単純率直、なんの曲もない歌ながら言いがたい情趣をこめて、能因の本歌「心あらむ人に見せばや津の国の難波わたりの春の景色を」を遥かに超える。俊成は「幽玄の体なり」と評するが、むしろ幽玄へは今一歩の直線的な快速調こそ、顕著な西行調であり、人を魅するゆえんだ、と。

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January 01, 2006

ほんにあたたかく人も旅もお正月

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<歩々到着>-6 ―山頭火の正月句―

 行乞放浪の山頭火には新しい年の晴れやかさは似合わないのか、彼の詠んだ正月句には感銘できるものが少ないように思う。
私のお気に入りを強いて挙げれば、昭和8年の句
  お正月の鴉かあかあ
この前年の9月、山頭火は俳友たちの骨折りのお蔭で念願の庵を故郷近くの小郡に結び、身も心も安寧を得て新年を迎えている。庵の名はよく知られるとおり「其中庵」である。この年の正月句には他に
  お地蔵さまもお正月のお花
  茶の花やお正月の雨がしみじみ
  お正月の鉄鉢を鳴らす
などがある。その前年、昭和7年の正月は放浪の途上、福岡県長尾の木賃宿で迎えて
  水音の、新年が来た
と簡潔明瞭、きっぱりとした句を詠んでいるが、翌二日には親友でありなにかと無心先でもあった緑平居を訪ねているから、このあたりの事情による心の弾みようが句に表れているのかもしれない。
其中庵に落ち着いた山頭火は、昭和8年11月には井泉水師を招いて其中庵句会を催し、多勢の俳友たちの参加を得ている。さらに12月には第二句集「草木塔」も刊行し、充実した草庵暮しのなか意気軒昂と昭和9年、其中庵二度目の新年を迎えている
  月のわらやのしづくする新年がきた
  明けて歩いてもう昭和の九年
  壷に水仙、私の春は十分
  ほゝけすゝきにみぞれして新年
この年、関西、関東、信州を経めぐったが、翌10年も其中庵にて新年を迎えた
  雑草霽れてきた今日はお正月
  草へ元旦の馬を放していつた
  元日の藪椿ぽつちり赤く
  噛みしめる五十四年の餅である
湯田温泉に遊んで
  お正月のあつい湯があふれます
2月には、第三句集「山行水行」を刊行し、夏近くまでは庵住の日々が多かったようだが、またぞろ神経が荒んできたか、8月6日、カルチモンを多量に服用、自殺未遂騒ぎを起こしている。12月、心機一転、あらためて東上の旅に出るが、それは自身の救いを求め、死に場所を求めての必死の旅でもあった。
昭和11年、岡山にて新年を迎え、良寛ゆかりの円通寺を訪れる
  また一枚ぬぎすてる旅から旅へ
と、やはり山頭火は旅中の吟がよろしい。このときの年頭所感に
「芭蕉は芭蕉、良寛は良寛である。芭蕉にならうとしても芭蕉にはなりきれないし、良寛の真似をしたところではじまらない。
「私は私である。山頭火は山頭火である。私は山頭火になりきればよろしいのである。自分を自分の自分として活かせば、それが私の道である。
「歩く、飲む、作る、――これが山頭火の三つ物である。
「山の中を歩く、――そこから身心の平静を与へられる。
「酒を飲むよりも水を飲む、酒を飲まずにはゐられない私の現在ではあるが、酒を飲むやうに水を飲む、いや、水を飲むやうに酒を飲む、――かういふ境地でありたい。
「作るとは無論、俳句を作るのである、そして随筆も書きたいのである。
などと書き留めている。以後は正月句らしきものは、昭和14年9月に四国へ渡り、松山の道後温泉近く、御幸山の麓、御幸寺境内の一隅に臨終の地「一草庵」を得て、翌15年の新年を迎えるまで見あたらない
  一りん咲けばまた一りんのお正月
  ひとり焼く餅ひとりでにふくれたる
このあかつき-元旦、護国神社に参拝して-と詞書して
  とうとうこのあかつきの大空澄みとほる
また、道後公園にて
  ほんにあたたかく人も旅もお正月
などと詠んでいる。すでに死期が忍び寄りつつあるその自覚があるとも解せようし、或は身体の衰えそのものが我知らず自然のままに達観を呼んでいるとも受け取れようか。

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