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December 31, 2005

面影の花をや誘ふ雲の色は‥‥

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Information-Aliti Buyoh Festival 2006-

-今日の独言- 晦日の餅つき

 2005年もとうとう年の夜、大晦日である。昨夜はふと子どもの頃からの餅つきの光景を思い出していた。私が育った家では、まだ明けやらぬ暗がりのなかで、威勢のいいかけ声とともに杵を打つ音がこだましたものだった。毎年必ず30日の早朝に執り行う年越しの年中行事は、早朝から昼前頃まで続き、多い時で3斗、少ない時でも2斗余り、石臼は二升ものだったから、12~15臼ほど撞いていたことになる。身内の者が出揃って賑やかに繰りひろげられたこの年越し恒例の餅つきも途絶えてしまってもう二十年余りになるか、街なかでも滅多にお目にかかれない光景となり、いつしか記憶の中だけの、彼方の出来事になりつつあるのはやはり寂しいものだ。

  暮れ暮れて餅を木霊のわび寝かな  芭蕉

  わが門に来そうにしたり配り餅   一茶

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-19>
 面影の花をや誘ふ雲の色は枝も匂はぬ木々の朝風  三条西實枝

三光院詠、冬、雪散風。永正8年1511)-天正7年(1579)、戦国時代の歌人・古典学者。三条西三代は實隆・公条・實枝と連なり、歌・書とともに香道にて一家をなした。實枝は細川幽斎に「初学一葉」を与え、古今伝授を行なった。
邦雄曰く、雪あたかも花のごとく、今、冬のさなかに桜の華やかな光景が心に浮かぶ。風に散る雪は花吹雪、第二句「花をや誘ふ」は疑問ならぬ強勢、技巧は抑揚に富み。複雑な調べを生んでいる、と。

 星きよき梢のあらし雲晴れて軒のみ白き薄雪の夜半  光厳院

光厳院御集、冬、冬夜。
邦雄曰く、完璧に描き上げられた墨絵調の冬景色。しかも民家が取り入れてあるのが珍しい。立木の裸樹が夜空に枝を張り、点々と咲く星の花、なお風は荒れているがうっすらと積った雪は凍ろうとしている。あらゆる雪夜の要素をぎっしりと歌い入れて、さまで騒がしからぬのは作者の天性によるもの、と。

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December 29, 2005

わたつみとあれにし牀を‥‥

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Information-Aliti Buyoh Festival 2006-

-今日の独言- 2005年、不帰となった人々

 今年、不帰の人となった著名人一覧を見る。記憶に新しいところでは、11月6日、歌手の本田美奈子38歳の骨髄性白血病によるその若すぎる悲運の死は多くの人に惜しまれた。また12月15日、オリックス監督だった仰木彬70歳、癌の進行を耐えながら決して表に出さず野球人生をまっとうした見事な死に世間は多いに感動しつつ悼んだ。9月19日、晩節は苦渋に満ちたものだったろうが一代の成功者、ダイエー創業の中内功83歳と、政界のご意見番的長老後藤田正晴91歳が同じ日に旅立っている。花田兄弟骨肉の争いがマスコミに格好の餌食となった元大関貴乃花55歳の死も晩節の孤独を思えば悲しくも侘しい。別な意味で記憶に残るのが薬害エイズ事件の被告安倍英88歳、認知症のため高裁公判が停止されたまま心原性ショックで4月15日不帰の人となったのは本人にとってはむしろ幸いであったろう。映画関係では先ず小森のオバチャマで一世を風靡した小森和子95歳、岡本喜八81歳と野村芳太郎85歳の両監督に加えて石井輝男81歳。作家丹羽文雄は100歳と天寿を全うの大往生。同じく作家の倉橋由美子69歳はまだまだ彼女独特のワールドが期待できた惜しむべき死。あの「あぶさん」が懐かしい漫画家永島慎二67歳の死もまた惜しまれる。建築家の丹下健三91歳、清家清86歳と大御所が相次いでいる。あと上方の芸能界では吉本の岡八郎67歳、講談の旭堂南陵88歳。海外では天安門事件で失脚の憂目をみた中国共産党総書記だった趙紫陽85歳と、アメリカの第二次大戦後を代表する社会派劇作家アーサー・ミラー89歳の死が眼を惹く。
 最後に、個人的に強い感慨をもって悼むべきを挙げれば、6月9日歌人塚本邦雄84歳と、8月2日劇作・演出家秋浜悟史70歳、ご両所の死である。―― ただ黙して合掌するのみ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-7>
 むばたまの妹が黒髪今宵もやわがなき牀(とこ)に靡きいでぬらむ
                                  詠み人知らず

拾遺集、恋、題知らず。
むばたまの=ぬばたまの(鳥羽玉の)-黒や夜に掛かる枕詞。ヒオウギ(檜扇)という植物の黒色球状の種子とされる。平安期にはむばたまの、うばたまのと用いられた。
邦雄曰く、男の訪れの途絶えたのを恨む歌は数知れないが、男のほうが疎遠になった女を思いやる作品は珍しい。自分の居ない閨に、愛人の髪が「靡きいでぬらむ」とは、いかにも官能的でなまなましい。誰か他の男の通うことを案じるのが通例だろうが、この初々しさはそのまま若さでもあろう、と。

 わたつみとあれにし牀をいまさらに払はば袖や泡と浮きなむ  伊勢

古今集、恋、題知らず。生没年不詳。伊勢守藤原継蔭の女。宇多天皇の中宮温子(基経女)に仕え、温子の兄仲平と恋愛し、天皇の寵を受け皇子を生み、また、皇子敦慶親王との間にも中務を生んだ恋多き女。
邦雄曰く、男が夜離(よが)れして久しく、閨も夜床も、あたかも荒海さながらに凄まじくなり果てた。今更、訪れを期待して払ったら、袖は溢れる涙のために、かつ海の潮に揉まれて、泡のように漂うだろうとの、いささか比較を絶した譬喩が、むしろ慄然たる味を生む。「わたつみ」にさほどの重い意味はないが、泡との照応もまたかりそめのものではない、と。

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雪へ雪ふるしづけさにをる

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<四方の風だより>

<Alti Buyoh Festival 2006>

 近年はビエンナーレ方式(=隔年開催)で行なわれているAlti Buyoh Festival-アルティ・ブヨウ・フェスティバル’06のプログラム全容が決まり、チラシが送られてきた。
2月10日(金)、11日(祝)、12日(日)の三日間、会場は京都府民ホール・アルティ、主催は京都府と財団法人京都文化財団である。
参加は計17団体。従来は延べ五日間にわたって開催されほぼ30団体の参加で行われてきたことを思えばずいぶんと絞り込まれた形だ。今回の特色は韓国からモダン・クラシック・韓国古典舞踊と異なるジャンルの団体が三夜にひとつずつ各々出演する。加えてニューヨークのソリストも参加しており、国際色も加味されてきた。とはいっても京都3・大阪4・兵庫3とやはり地元勢が主力だが、北海道、神奈川、岐阜からの参加もあるから、三夜それぞれのプログラムも従来に比してメリハリの利いたものとなる期待を抱かせる。

 わが四方館の出演は11日のトリと決まった。
詳細についてはホームページに掲載したのでそちらをご覧いただければ、と取り敢えずのお知らせ。

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December 27, 2005

かきやりしその黒髪の筋ごとに‥‥

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-今日の独言- そごう劇場

 今月初めからか心斎橋そごうが新装なってオープンているが、14階の最上階には小さなホールとギャラリーを併設している。ホールのほうはその名もそごう劇場。昨夜は奥村旭翠とびわの会による「琵琶で語る幽玄の世界」が催されていたので久し振りに小屋へと足を運んできた。定席270席ほどの小ぶりで手頃なものだが、ロビーの居場所のなさには些か閉口。舞台環境も奥行きに乏しく、照明は前明りばかりで、これではとても当世の演劇向け小屋にはほど遠かろう。映画の上映会や小講演、和事のおさらい会や、ちょっとしたレビューもどきならなんとかこなせるだろうが、それ以上のことは望めそうもない。当夜の演目では、劇場付とおぼしき音響スタッフの未熟さが目立った。琵琶の語りと演奏をマイクで拾うのいいが、耳障りなほどのヴォリュームにあげていた。影マイクのナレーションにしてもやはりそうだったから、これは設備の問題以前だろう。語り物や和事の演奏ものは、この程度の小屋ならナマのままでも十分よく聴こえる空間だが、それでも音響機器を通す場合はあくまで音場のバランスをとるのが主要な役割であって、極力ナマの感覚を再現することに腐心すべきところを、いかにも音響空間化させてしまっているのは、スタッフの初歩的な舞台常識のなさ、見識のなさの露呈にすぎない。だが、こういった一見瑣末にみえることにも、どうやらまともな劇場プロデューサーの不在が表れている、と私には思われた。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-6>
 かれねただ思ひ入野の草の名よいつしか袖の色に出るとも
                                    足利義尚

常徳院詠、文明16年10月、打聞のところにて、寄草恋。
寛正6年(1465)-長享3年(1489)。常徳院は号。足利8代将軍義政の子、母は日野富子。将軍後継をめぐる争いから細川・山名の有力守護大名の勢力争いを巻き込み、応仁の乱の引き金となった不幸な存在である。一条兼良に歌道を学び、文武両道に優れたといわれるも、24歳で早世。
入野(いるの)-歌枕だが山城の国や近江の国のほか諸説ある。
邦雄曰く、草は「枯れね」人は「離(か)れね」、袖の色はすなわち袖の気色、涙に色変るばかりの袖であろう。今は諦めるほかはない。入野は諸国にあるが、流人の地、それも尊良親王ゆかりの土佐の入野を想定すれば、悲しみは翳りを加えよう、と。

 かきやりしその黒髪の筋ごとにうち臥すほどは面影ぞたつ
                                    藤原定家

新古今集、恋、題知らず。
後拾遺集の和泉式部詠「黒髪の乱れも知らずうち臥せばまづかきやりし人ぞ恋しき」の本歌取りとされる。
邦雄曰く、定家の作は「かきやりし」男の、女への官能的な記憶だ。「うち臥す」のは彼自身で、逢わぬ夜の孤独な床での、こみあげる欲望の巧みな表現といえようか。「その黒髪の筋ごとに」とは、よくぞ視たと、拍手でも送りたいくらい見事な修辞である、と。

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December 26, 2005

春の花秋の月にも残りける‥‥

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-今日の独言- 今年の三冊、私の場合-3

 三冊目は心理・精神分析関係から新宮一成・立川康介編の「フロイト=ラカン」を挙げよう。講談社選書メチエの知の教科書シリーズだから、19世紀人フロイトの独創をことごとく徹底して読み替えていったラカン、いわばフロイト-ラカンの知の系をまことにコンパクトにまとめてくれている入門書と称するが、内容は広くてかつ深い。
本書冒頭のなかの一節に「神の不在から、フロイトによって発見された「無意識」を認めて、不完全な自らの思考と言語で生に耐えること、これがラカン言うところの「フロイト以来の理性」となった」とあるように、治療法としてはじまった精神分析が、いまでは、思考の営みの、あるいは生の営みの一つのスタイル、しかも非常に有効で重きをなすものとしてあり、人々の生きるスタイルとして、精神分析的な思考というものがあまねく存在している現代であれば、このフロイト-ラカンの知の系にしっかりと触れておくべきかと思われる。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-15>
 もののふの矢並つくろふ籠手の上に霰たばしる那須の篠原
                                    源実朝

金塊和歌集、冬、霰。 那須の篠原-将軍源頼朝が大規模な巻狩りを行なったとされる那須野ケ原の原野、現在の栃木県北東部の那珂川・箒川流域あたり。
邦雄曰く、律動的で鮮明で、活人画を見るような小気味よさ、実朝の作としては、必ずしも本領とは言えぬ一面であるが、古来代表作の一つに数えられている。この歌熟読すれば、意外に創りあげられた静かな姿を感じさせる、と。

 春の花秋の月にも残りける心の果ては雪の夕暮  藤原良経

秋篠月清集、百首愚草、天象十首。
邦雄曰く、美は雪・月・花を三位一体とするとは、古来の考え方であるが、良経はこの三者同格並列を解放し、花から月へ、かつその極みに「雪」を別格として据えた。それも必ずしも美の極限としてのみならず、あはれを知る人の心が行き着く果ての、幽玄境を「雪の夕暮」と観じた。歌そのものが彼の美学であり、ここではついに芸術論と化している、と。

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December 25, 2005

身に積る罪やいかなる罪ならむ‥‥

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-今日の独言- 今年の三冊、私の場合-2

 菅谷規矩雄「詩的リズム-音数律に関するノート 正・続」大和書房刊の初版は1975年。私が初めて読んだのはおそらく80年頃だったろう。今年7月、図書館から借り受けてあらためてじっくりと読み直してみて、これまでわが舞踊においては場面のリズムなどとごく大掴みな把握しかしてこなかったのを省みて、菅谷のリズム論を媒介にもっと具体的に或はもっと根本的に捉えなおしてみたいという思いに至った。さらにこれを契機に、和歌や俳諧、古来より累々と築かれてきた短詩型文学の遥かに連なる峰々へ登攀する旅へと、すでに六十路の覚束ない足取りながら踏み出したばかりである。幸いにして短歌においては先述の塚本邦雄、俳諧においては「芭蕉七部集評釈」の安東次男というこのうえない先達が居る。この巨星ともいうべき二人の背をただひたすら後追いするを旨として歩めばよいのだ。そして時々に菅谷理論へ立ち返ること。「詩的リズム」は出発点だ。出発の地点とはゆきゆきてやがて往還して最終ゴールの地点でもあるだろう。

 本書の内容についてはかなりの部分をすでに本ブログ上の<身体-表象>で採り上げているから、関心ある向きはそれを参照していただきたい。
 <身体表象-8> 8/24 
 <身体表象-9> 8/25 
 <身体表象-10> 9/6
 <身体表象-11> 9/9


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-14>
 嵐吹く空に乱るる雪の夜に氷ぞむすぶ夢はむすばず
                                    藤原良経

千五百番歌合、冬。
邦雄曰く、肯定形の四句切れはこともあろうに結氷、否定形の結句は、せめて結べと頼みかつ願う夢。みかけるような切迫した冬の叙景のあとの、破格の下句は肺腑に徹る思いもあり、名手の目を瞠らせるような技巧、と。

 身に積る罪やいかなる罪ならむ今日降る雪とともに消(け)ななむ
                                    源実朝

金塊和歌集、冬、仏名の心を詠める。
邦雄曰く、観普賢菩薩行法経の「衆罪霜露の如く慧日能く消除す」、梁塵秘抄の「大品般若は春の水、罪障氷の解けぬれば」あたりを心においての詠であろうか。前例の皆無ではないが、若くしてあたかも世捨人か入道した老人の呟きに似た述懐を試みるのが、奇特でもあり、悲愴とも考えられる。上・下句ともに推量形切れで、「らむ」のルフランを聞かせる、と。

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December 24, 2005

忍び妻帰らむあともしるからし‥‥

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-今日の独言- 今年の三冊、私の場合-1

 昨日触れたのはあくまで今年発刊された書から書評氏が挙げたものだが、今日は私が今年読んだ書からこれという三冊を挙げてみる。
先ずは、塚本邦雄「定家百首-良夜爛漫」-ゆまに書房刊「塚本邦雄全集第14巻」集中。
これについては先日12月8日付にてもほんの少し言及したが、本書中で定家の恋歌について塚本は「見ぬ恋、会わぬ恋、遂げぬ恋を、しかも逆転の位置で歎くという屈折を極めた発想こそ、彼の恋歌、絵空事の愛欲の神髄であった。恋即怨、愛即歎の因果律を彼ほど執拗に、しかも迫真性をもって歌い得た歌人は他にはいない。虚構の恋に身を灼く以前に、日常の情事に耽溺していた多くの貴族には、この渇望と嫌悪の底籠る異様な作が成しえるはずはない。彼の虚の愛のすさまじさは、西行の実めかした恋の述懐調の臭味を睥睨する」と述べ、より美しい虚、より真実である虚構の存在に賭ける定家を見つめている。短歌は幻想する形式であるとして「定型幻視論」もこのような見解を基盤に見出しうるかと思われる。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-14>
 忍び妻帰らむあともしるからし降らばなほ降れ東雲の雪  源頼政

源三位頼政集、冬、暁雪。長治元年(1104)-治承4年(1180)。摂津国渡辺(大阪市中央区)を本拠とした摂津源氏の武将。以仁王(後白河院第二皇子)の令旨により平氏打倒の兵を挙げるも、平知盛・重衡ら率いる六波羅の大軍との宇治川の合戦に敗れ平等院に切腹して果てた。享年77歳。「平家物語」に鵺((ぬえ)と呼ばれる怪物退治の説話が記され、能楽に「鵺」、「頼政」の曲がある。
この歌、忍びつまを夫と見、後朝の別れに女の立場で詠んだと解すのが常道かと思われるが、邦雄氏は忍び妻を採る。東雲の-東の空まだ明けやらぬ頃の。
邦雄曰く、密会の跡の歴然たる足跡は、降りしきる雪が消してくれればよい。隠し妻のかわいい履物の印とはいえ、残ればあらわれて、人の口はうるさかろう。豪快な武者歌人の、やや優雅さに欠けた歌にも見えながら、歌の心には含羞が匂いたつ。命令形四句切れの破格な響きは、作者の人となりさえも一瞬匂ってくるようだ、と。

 竹の葉に霰降るなりさらさらにひとりは寝べき心地こそせね
                                    和泉式部

詞花集、恋。詞書に、頼めたる男を今や今やと待ちけるに、前なる竹の葉に霰の降りかかりけるを聞きて詠める、と。
霰-あられ。さらさらに-竹の葉の擬音語であるとともに、決しての意を兼ねた掛詞。
邦雄曰く、霙-みぞれでは湿りがちになり、雪では情趣が深すぎて、霰以外は考えられぬ味であろう。待恋のまま夜が明けても、寂しく笑って済ませるのが霰の持つ雰囲気か、と。

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December 23, 2005

冬の夜は天霧る雪に空冴えて‥‥

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-今日の独言- 今年の三冊

 18日付、毎日新聞の書評欄-今週の本棚では、総勢32名の書評者各々が勧める今年の「この三冊」を掲載していた。書評者たちの専門は広く各界を網羅しているから、挙げられた書も多岐にわたって重なることはかなり少ないが、複数人によって重ねて挙げられている書を列記してみると、
 大江健三郎「さようなら、私の本よ」-大岡玲、中村桂子、沼野充義の三氏。
 三浦雅士「出生の秘密」-大岡玲、村上陽一郎、湯川豊の三氏。
 筒井清忠「西條八十」-川本三郎、山崎正和、養老孟司の三氏。
 リービ英雄「千千にくだけて」沼野充義、堀江敏幸の二氏。
と4書のみだが、残念ながら私はいずれも読んではいない。
因みに、32名によって挙げられた書の総計は89冊になるが、この内、私が読んだのは2冊のみ、高橋哲哉「靖国問題」と佐野眞一「阿片王-満州の夜と霧」だけで、些か時流に外れた読書人と言わざるをえないか。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-13>
 雪のうちにささめの衣うちはらひ野原篠原分けゆくや誰
                                  守覚法親王

北院御室御集、冬、雪。久安6年(1150)-建仁2年(1202)。後白河院の第二子、姉に式子内親王、弟に以仁王。幼少より出家、歌道・学才にすぐれ、御子左家歌人の俊成・定家・寂蓮や六条藤家歌人顕昭・季経・有家らともよく交わる。
ささめ-莎草、茅・萱・菅の類、狩り干して蓑の材料にする。
ささめの蓑を着て、降り積もる雪を打ち払い打ち払い、ひたすらに野を急ぐ旅人を遠望する景。
邦雄曰く、第四句「野原篠原」の重なりも、「誰」と問いかけて切れる結句も、心細さをさらにそそりたてる。新古今歌風からやや逸れたところで、清新素朴な詞華を咲かせている、と。

 冬の夜は天霧る雪に空冴えて雲の波路にこほる月影
                                  宜秋門院丹後

新勅撰集、冬、千五百番歌合に。生没年未詳、平安末期-鎌倉初期。源頼行の女、伯父に源頼政。はじめ摂政九条兼実に仕え摂政家丹後と呼ばれ、後に兼実の息女で後鳥羽院中宮任子(宜秋門院)に仕えた。歌人として後鳥羽院に「やさしき歌あまた詠めりき」と評価が高い。
天霧る-あまぎる、空一面を曇らせる。雲の波路-雲の重畳、たなびくさまを波に比喩。
邦雄曰く、水上に空を見、天に海原を幻覚する手法は、古今集の貫之にも優れた先蹤を見るが、第四句「雲の波路」なども、実に自然に錯視現象を生かしている。丹後の歌には気品が漂う、と。

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December 22, 2005

袖にしも月かかれとは契りおかず‥‥

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-今日の独言- 全国的に雪

  太郎を眠らせ太郎の家に雪降り積む
  次郎を眠らせ次郎に家に雪降り積む

 12月にはめずらしい強い寒波がつづく。
22日午前4時47分、鹿児島の市内でも雪が舞っている。
先日、記録破りの雪だった広島もまた大雪となりそうな気配。
アメダスの画像によれば、九州全域に雪雲、中国地方北部と南部一部にも。
そして四国の南部海洋沖、東北地方では北部日本海側とこれまた南部沖上空にも。
列島の海域はほぼすべて荒れ模様、風と浪と雪に見舞われている。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<雑-4>
 わたつみのかざしにさせる白妙の波もて結へる淡路島山
                                  詠み人知らず

古今集、雑、題知らず。わたつみの-海神、「わた」は海のこと。かざし-挿頭。淡路島山-歌枕、瀬戸内の淡路島。
邦雄曰く、海神の挿頭は瀬戸内の白い波の花、それを島のめぐりにぐるりと、淡路島は結いめぐらしている。華やかに、おごそかに、雄大な眺めの歌の随一、と。

 袖にしも月かかれとは契りおかず涙は知るや宇津の山越え
                                   鴨長明

新古今集、羇旅、詞書に、詩を歌に合せ侍りしに、山路秋行といへることを。久寿2年(1155)?-建保4年(1216)。下鴨神社の禰宜、長継の二男。後鳥羽院中心の御所歌壇に地位を占めるも、後に出家して和歌所を去る。「方丈記」の他、歌論書「無名抄」、また仏教説話を集めた「発心集」も彼の作に擬せられている。宇津の山-駿河の国の歌枕、静岡県志太郡と静岡市宇津ノ谷の境にある宇津谷峠。
邦雄曰く、涙は袖に玉をちりばめ、その袖の涙に月が映るようにとは約してもいなかったが、涙はそれを承知かと、屈折を極めた修辞は、いわゆる新古今調とはまた一風変った鮮明な旅の歌である。必ずしも秀作に恵まれない長明にとって、この歌は最高作の一つであろう、と。

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December 21, 2005

あしひきの山川の瀬の響るなべに‥‥

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-今日の独言- <身>のつく語

 常用字解によれば、<身>は象形文字にて、妊娠して腹の大きな人を横から見た形。身ごもる(妊娠する)ことをいう。「みごもる」の意味から、のち「からだ、みずから」の意味に用いる、とある。
 <身>はパースペクティヴの原点である。我が身を置く世界の空間構造そのものが、質的に特異な方向性をもったものとして、<身-分け>され、価値づけられる。<身-分け>とは意味の発生の根拠なのだ。<身-分け>を基層にして<言-分け>の世界もまた成り立つ。
 <身>のつく語は数多いが、どれくらいあるものか、ちなみに手許の辞書(明鏡国語辞典)で引いてみた。これが広辞苑ならさらに多きを数えるのだろうが。

身内、身を起こす、身構え、身が軽い、身に余る、身分、身の多い、身から出た錆、身に沁みる、身につく、身につまされる、身二つになる、身も蓋もない、身も世もない、身を誤る、身を入れる、身を固める、身を砕く、身を粉にする、身を立てる、身を投ずる、身を持ち崩す、身を以って、身をやつす、身請け-身受け、身売り、身重、身勝手、身柄、身軽、身代わり-身替わり、身綺麗-身奇麗、身包み、身拵え、身ごなし、身籠る、身頃、身支度-身仕度、身仕舞い、身知らず、身動き、身すがら、身過ぎ世過ぎ、身銭、身空、身丈、身嗜み、身近、身繕い、身共、身投げ、身形-身なり、身の上、身の皮、身の毛、身代金、身の丈、身の程、身の回り、身幅、身贔屓、身振り、身震い、身分、身寄り、
身口意、身魂、身上、心身-身心、人身、身体、身代、身長、身辺、親身

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<雑-3>
 落ちたぎつ岩瀬を越ゆる三河の枕を洗ふあかつきの夢
                                   藤原為家

大納言為家集、雑、三河、建長5年8月。建久9年(1198)-建治元年(1275)。藤原定家の二男、御子左家を継承し、阿仏尼を妻とした。
三河(みつかわ)-琵琶湖畔の坂本を流れる現在の四ツ谷川(御津川)で、三途の川を暗示しているという万葉時代の歌枕。
邦雄曰く、急流の泡立ち流れるさまを「枕を洗ふ」と表現する第四句、暁の夢の景色だけに鮮烈で特色がある。為家55歳の仲秋の作。律調の強さは作者独特のものだろう、と。

 あしひきの山川の瀬の響(な)るなべに弓月が嶽に雲立ち渡る
                                    柿本人麿

万葉集、巻七、雑歌、雲を詠む。
あしひきの-山に掛かる枕詞。弓月が嶽-大和の国の歌枕、奈良県桜井市穴師の纏向山の一峰かと。
この歌、島木赤彦が「詩句声調相待って活動窮まりなきの慨がある」と、さらに「山川の湍(せ)が鳴って、弓月が嶽に雲の立ちわたる光景を「な経に」の一語で連ねて風神霊動の慨があり、一首の風韻自ら天地悠久の心に合するを覚えしめる」と激賞している。
邦雄曰く、たぎつ瀬々の音、泡立つ瀧の響き、嵐気漲る彼方に山はそばだち、白雲はたなびく。第四句「弓月が嶽」はこの歌の核心であり、この美しい山名はさながら弦月のように、蒼く煌めきつつ心の空にかかる。堂々として健やかに、かつ神秘を湛えた人麿歌の典型、と。

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December 19, 2005

泣きながす涙に堪へで絶えぬれば‥‥

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-今日の独言- エロスを求めて

 以下はP.ヴァレリーの文章からの引用、
出典は平凡社ライブラリー「ヴァレリー・セレクション 上」より。

 恋愛感情は所有すると弱まり、喪失したり剥奪されると発展する。
所有するとは、もうそのことは考えないこと。
反対に、喪失するとは、心のなかで無限に所有することである。

 他人をあるがままの姿で愛することのできる人はいない。
人は変わることを要求する、なぜなら人は幻影しか絶対に愛さないから。
現実にあるものを望むことはできない。それが現実のものだからだ。
おそらく相思相愛のきわみは、互いに変貌しあい互いに美化しあう熱狂のなかにあり、芸術家の創造行為にも較べるべき行為のなかに、
――ひとりひとりの無限の源泉を刺激するような行為のなかにある。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-5>
 泣きながす涙に堪へで絶えぬれば縹(はなだ)の帯の心地こそすれ
                                    和泉式部

後拾遺集、恋。生没年不詳。10世紀後半の代表的女流歌人。越前守大江雅致の女。和泉守橘道貞と結婚し小式部を生んだ後、為尊親王・敦道親王と恋愛、その後中宮彰子に仕えたが、晩年は丹後守藤原保昌に嫁したとされる。敦道親王との恋物語を和泉式部日記として残す。
詞書に、男に忘れられて、装束など包みて送り侍りけるに、革の帯に結びつけ侍りける、と。縹(はなだ)-うすい藍色。
邦雄曰く、流す涙に帯も朽ちたと強調しつつ、催馬楽「石川」の、絶たれた縹の帯をもって、そのさだめの儚さを訴えている。作者の、情熱に調べを任せたかの趣きがここには見えず、心細げに吐息をつくように歌ひ終っているのも珍しい。詞書もあわれである、と。

 常よりも涙かきくらす折しもあれ草木を見るも雨の夕暮
                                    永福門院

玉葉集、恋、寄雨恋を。かきくらす-掻き暗す、本来は、空模様などが暗くなることだが、転じて心情表現となり、悲しみにくれて惑乱している状態を表す。中世以降、「かきくらす涙」はよく用いられる秀句表現。
邦雄曰く、恋の趣きは歌の表に現れていない。ただ「涙」が忍ぶ恋を含むあらゆる悲恋を象徴する。草木を見ても、それもまた涙雨の種、さめざめと泣き濡れる。この雨は実景ではなく心象風景としてのそれであろう、と。

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December 18, 2005

立ちて思ひ居てもそ思ふ‥‥

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-今日の独言- かぞいろは

 上古(古代)では、父母のことを「かぞいろは」または「かそいろ」「かぞいろ」とも言ったそうな。「かぞ(=そ)」は父、「いろは」は母の意と。日本書紀では神代上において、「其の父母(かぞいろは)の二の神、素戔鳴尊に勅(ことよさ)したまはく」という件りがある。広辞苑によれば、やはり「かぞ」は古くは「かそ」で父のこと。「いろは」の「いろ」は「同母」の意味を表す接頭語で、「いろは」とは継母や義母でなく、生みの母、とある。なるほど「いろ=同母」のつく語には「いろね=同母兄・同母姉」「いろと=同母弟・同母妹」がある。ここからは類推なのだが、同母を表す接頭語「いろ」はおそらく「色」との類縁で成ったのではないかと考えられる。では「は」は何かといえば、「歯」と同根なのではないだろうか。「かそ」の「か」もおそらくは接頭語的な語であろうから「か=彼」かと思われる。「そ」は再び広辞苑によれば背中の「背」が「せ」ではなく古くは「そ」だったとあるので、思うに「背」と同根なのだろう。父母を表す語が、身体の部位を表す語と同源であるならば納得のいくところなのだが、あくまで素人のコトバ談義、戯れごとではある。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-4>
 立ちて思ひ居てもそ思ふ紅の赤裳裾(あかもすそ)引きいにし姿を
                                    作者未詳

万葉集、巻十一。詞書に、正に心緒を述ぶ。
歌意は明瞭、立っても居ても、赤い裳の裾を引いて帰っていったその人の姿が面影に顕れてしまうのだ。
邦雄曰く、たたらを踏むように畳みかけて歌い出す第二句まで、そして第三句からは甘美な夢を反芻するかに陶然と、まさに心がそのまま調べになった美しい歌。赤い衣裳に寄せる恋歌は少なくないが、この紅の赤裳は印象的である、と。

 あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
                                    額田王

万葉集、巻一、雑。詞書に、天皇、蒲生野に遊狩したまふ時。生没年未詳。7世紀、斉明朝から持等朝の代表的万葉歌人。鏡王の女、大海人皇子(天武天皇)の妃となり十市皇女を生んだが、後に天智天皇の妃となる。
天智七年(668)五月五日、蒲生野(近江国、今の安土町・八日市に広がる野)へ遊狩が催された。帝、弟の大海人皇子その他宮廷の貴顕、官女らも随った。
大海人皇子のこれに答える歌「紫草(むらさき)のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆえにわれ恋ひめやも」
邦雄曰く、女性特有の逡巡・拒絶を装った誘惑・煽情に他ならぬ。鮮麗な枕詞および律動的な調べが、ろうたけた匂いを与えてこの一首を不朽のものとした。禁野における禁断の恋であることも、この歌の陰翳となる、と。

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December 16, 2005

われのみぞ悲しとは思ふ‥‥

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-今日の独言- 歌枕の多きこと

 図書館から借り受けてきた「歌ことば歌枕大辞典」を走り読みしている。まあ正確に言えば見出し語ばかりを読み飛ばしているようなものだ。それにしても歌枕となった語=地名の多いことに半ば呆れつつ感嘆。「赤城の社」「明石」と始まって「青墓」「青葉の山」まで、「あ」の項だけで60語。このぶんだと1000に届かずとも500は優に越えるだろう。平安期の能因や西行、江戸期俳諧の芭蕉や蕪村らは旅を友とし歌枕の地を訪ね歩いているが、殆どの歌人は現にその地を踏むこともなく脳裡に描いた想像上の地図のなかで詠み込んできたわけだから、これほどの多きを数えるのも別して驚くにあたらないのかもしれない。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-12>
 花と散り玉と見えつつあざむけば雪降る里ぞ夢に見えける
                                    菅原道真

新古今集、雑、雪。大宰府詠。承和12年(845)-延喜3年(903)。参議是善の子。宇多・醍醐天皇の信任厚く、右大臣に昇ったが、藤原時平の讒言にあい延喜元年(901)、太宰権帥に左遷され、配所で没。菅家文章・菅家後集に詩文、類聚国史・三代実録の編著。新選万葉集の編者。
歌意は、この筑紫でもやはり雪は花のように舞い散り、庭に敷いた玉石のように見える。そうして私の目をあざむくので、雪の降る郷里の里を夢にまで見たことよ、と望郷の想いが強く滲む。
邦雄曰く、道真集に見える大宰府詠は、自らの冤罪を訴え、君寵を頼む述懐歌が多いが、この歌は例外的に、筑紫に降る牡丹雪を眺め、その美しさに都の雪景色を夢見たという、むしろ歓喜の調べである、と。

 われのみぞ悲しとは思ふ波の寄る山の額に雪の降れれば  源実朝

金塊和歌集、冬、雪。建久3年(1192)-建保7年(1219)。鎌倉三代将軍。頼朝の二男。正二位右大臣。鶴岡八幡に正月拝賀の夜、甥の公暁に殺された。和歌を定家に学び、家集に金塊和歌集。
実朝には、「社頭雪」という題詠の「年積もる越の白山知らずとも頭の雪をあはれとも見よ」に代表される、白髪の老人ならぬ若き青年が、老いの身にやつして詠んだ老人転身詠があり、この詠も同種の趣向とみえるが、若くして諦観に満ちた運命の予感を潜ませているのだろうか。
邦雄曰く、崎鼻の雪、波の打ち寄せる小高い山にしきりに降る積もる雪を遠望して、何を「悲しとは思ふ」のか。しかも初句「われのみぞ」と限定するのか。無限定、無条件の述志感懐は、ただ黙して受け取る以外にない、と。

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December 15, 2005

小笹原拾はば袖にはかなさも‥‥

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-今日の独言- 懐具合も些か

 外出すると吹きすさぶ寒風に身を震わせるばかりの情けなさだが、懐具合もまた些かお寒い我が身である。今月の購入本は「日本歌語辞典」一書のみとした。大修館版94年刊、本体18000円也だが、古書にて7700円也。懐具合を思えば他に手を出すことなど自粛せざるを得ない。それかあらぬか図書館頼みが多くなった。塚本邦雄全集の第14巻は、期間満了で一旦返却してあらためて借り出す。もうひと月ばかり手許に居て貰って耽溺すべし。
ほか、図書館からの借本
大津透・他「古代天皇制を考える-日本の歴史-08」講談社版
姜尚中・他「日本はどこへ行くのか-日本の歴史-25」講談社版
斉藤憐「昭和名せりふ伝」小学館
塚本邦雄「塚本邦雄全集第15巻 評論Ⅷ」ゆまに書房
長谷章久「和歌のふるさと-歌枕をたずねて」大修館書店
久保田淳・他「歌ことば歌枕大辞典」角川書店

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-11>
 降る雪は消えでもしばし止まらなむ花も紅葉も枝になき頃
                                 詠み人知らず

後撰集、題知らず。定家の二見浦百首「花も紅葉もなかりけり」や後鳥羽院の「このごろは花も紅葉も枝になししばしな消えそ松の白雪」などの本歌。
邦雄曰く、見るものすべて消え失せた真冬には、雪こそ唯一の飾り、枝にしばらくは止まって、一日の栄えとなれと願う。第二・三句、悠長ではあるが、これも一つの味わいか、と。

 小笹原(おざさはら)拾はば袖にはかなさも忘るばかりの玉あられかな
                                 宗祇

宗祇集、冬、霰。応永28年(1421)-文亀2年(1502)、出自不詳。父は猿楽師との伝。中世を代表する連歌師。心敬らに師事。東常縁より宗祇へと伝えられた歌の奥義が古今伝授の初例とされる。「新撰菟玖波集」を選、有心連歌を大成。
邦雄曰く、源氏物語「帚木」に「拾はば消えなむと見ゆる玉笹の上の霰」、人口に膾炙した名文句で盛んに引用されている。第三・四句の移りが呼吸を心得た巧さで、さすが連歌師と思わせる、と。

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December 14, 2005

夢かよふ道さへ絶えぬ呉竹の‥‥

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-今日の独言- 記録破りの大雪と証人喚問と東アジアサミットと

 このところ近年にない厳しい冷え込みがつづく。近畿でも日本海側では大雪が降りつづき、明日にかけて記録破りになりそうな。今日はお馴染み赤穂浪士の吉良邸討入りの日だが、歌舞伎でも映画でも討入りに大雪は切っても切れない定番の付け合せだ。
ところで、国会ではマンションなどの耐震強度偽装問題で証人喚問が行なわれている。問題の姉歯一級建築士、木村建設の木村と篠塚氏、総建の内河氏が順次登場する。
一方、マレーシアのクアラルンプールではASEAN(東南アジア諸国連合)プラス3(日中韓)首脳会談につづいて、今日は第1回東アジアサミットが開かれ、小泉首相も12日からお出ましだ。
いま国内で最大の注目を集めている偽装問題の証人喚問を、東アジアサミットの日程にぶつけるあたり、対中・韓の小泉外交がクローズアップされるのを避ける深謀遠慮が働いているのではないか、とどうしても勘繰りたくなるのだが‥‥。
 記録破りの大雪と証人喚問と東アジアサミットと、2005(平成17)年の歳末の一日、この三件の取り合わせは、なお明日の見えない冬の時代に逼塞している我が国の状況をよく象徴しているのかもしれない。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-9>
 閨(ねや)のうへは積れる雪に音もせでよこぎる霰窓たたくなり
                                   京極為兼

玉葉集、冬の歌の中に。建長6年(1254)-元弘2年(1332)。藤原定家の曾孫、京極為教の庶子。祖父為家・阿仏尼に歌道を学ぶ。御子左家京極派和歌の創始者にして主導者。同じ御子左家二条為世とは激しい論戦を展開したライバル。伏見院の信任を得て、玉葉集単独の選者となる。
邦雄曰く、窓にあたってさっと降り過ぎてゆく霰、下句はその一瞬を見事に言い得ている。一方屋の上は積った雪が受け音はまったく聞こえない。音がしたとて、微かな儚い響きではあろうが。二条派歌人は「よこぎる」とは言わずとも「たたく」で十分と難じたが、言語感覚の差であろう、と。

 夢かよふ道さへ絶えぬ呉竹の伏見の里の雪の下折れ  藤原有家

新古今集、摂政太政大臣家にて、所の名を取りて、冬歌。久寿2年(1155)-建保4年(1216)。六条藤原重家の子。定家と同時代人にて、後鳥羽院歌壇の主要歌人の一人。和歌所寄人となり定家・家隆らととみに新古今集の選者。
第三句「呉竹の」は竹の節に懸けた「伏見」の枕詞。
邦雄曰く、伏見の里の雪景色が絵のように展開される一方、心の世界では愛し合う二人の、男の切ない夢は、その呉竹即ち淡竹の、雪の重みに耐えきれず折れる鋭い響きに破られ、せめてもの夢路の逢瀬すらも中断される。紗幕ごしに聴く弦楽曲にも似た、微妙細緻な調べ、言葉の綾は、有家一代の傑作、と。

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December 13, 2005

冴ゆる夜の雪げの空の群雲を‥‥

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-今日の独言- 堪ヘ難キヲ堪エ

 劇作家で演出家でもある斉藤憐の著「昭和名せりふ伝」を読む。
昭和の初めから終りまで、流行り言葉から昭和を読むというモティーフで、演劇雑誌「せりふの時代」に連載したものを大幅に加筆して2003年4月に小学館から出版されたもの。
60年代以降の小劇場運動を先端的に開いてきた実践者らしい批判精神が、庶民の視点から昭和史を読み解く作業となって、読み物としてはかなり面白い。
「堪ヘ難キヲ堪エ忍ヒ難キヲ忍ヒ」はいわずと知れた終戦の詔勅、この玉音放送をその時、人々はどのように聞き、受け止めたかの章がある。
外地で放送を聴いた堀田善衛は「放送がおわると、私はあらわに、何という奴だ、何という挨拶だ。お前のいうことはそれっきりか、これで事が済むと思っているのか、という怒りとも悲しみともつかぬものに身がふるえた」と著書「橋上幻想」に記しているのを引き、しかし、堀田のように感じた日本人は少なかったとし、軍部指導者たち、当時の著名文人たち、或は庶民層に及ぶまでその輻輳したリアクションを活写しながら、玉音放送の果たした意味そのものに肉薄する。
章末、著者によれば、終戦の年の暮れ即ち昭和20年12月の世論調査では、天皇制支持が軒並み90%を超えていたそうだ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-9>
 月清み瀬々の網代による氷魚(ひお)は玉藻に冴ゆる氷りなりけり
                                    源経信

金葉集、冬、月照網代といへることを詠める。長和5年(1016)-承徳元年(1097)。桂大納言とも。民部卿道方の子。大納言正二位。博識多芸で公任と並び称された。太宰権帥として赴き、任地で歿した。
邦雄曰く、無色透明、軟らかい硝子か硬い葛水の感ある鮎の稚魚を、美しい水藻に絡む氷の粒に見立てたところが、類歌を圧して鮮烈である。感覚の冴えに加えて、「氷のごとし」などと直喩を用いなかったところも面白い、と。

 冴ゆる夜の雪げの空の群雲(むらくも)を凍りて伝ふありあけの月
                                  二条為世

新拾遺集、冬、冬暁月。建長2年(1250)-延元3年(1338)。定家の曾孫、為家の孫、二条家藤原為氏の長子。大覚寺統の後宇多、持明院統の伏見天皇に仕え、正二位権大納言。新後選集、続千載集の選者。
邦雄曰く、第四句「凍りて伝ふ」に一首の核心を秘めて、類歌を見下すかに立ち尽くす体。雪装いの薄墨色の雲の縁を、白銀に煌めく寒月が、付かず離れず移っていく夜空の景を、克明に、しかみ凝った修辞で歌い進める技量。但し、あまりにも素材を選び調えすぎた感は免れず、ややくどい、と。

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December 12, 2005

月宿す露のよすがに秋暮れて‥‥

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-今日の独言- 縺れる表象

 11月29日のDanceCafe以来の稽古。
次なる射程は年明けて2月10.11.12日の三日間開催される京都のアルティ・ブヨウ・フェスティバル。
このところ私が塚本邦雄の評釈などを通して和歌世界に耽溺しているのには期すべき狙いがあってのことだ。三十一音という短かく限られた枠内に、枕詞、本歌取り、比喩、縁語、懸詞、係結びなど、あらゆる技法を駆使して詠まれ歌われた日本の短詩型文学は、無駄を省きコトバを極限にまで削りつつも、却ってその表象は二重三重に絡み縺れあい、繊細にして華麗、ポリフォニックな言葉の織物とでもいうべき世界を創り出しているかと思う。だがこの見事な織物は言葉によって紡ぎ編まれたものとはいえ、あくまで歌として詠まれたものであること、言語表象でありつつむしろ語り歌われるべき音声としての表象性こそが本領であろう。ならばこの言葉の錬金術の如き表現技法に関する理解の深まりは、身体による表象世界においても多いに手がかりとなって然るべきではないかというのが、さしあたり私の作業仮設なのだけれど、はたして実効があがるか否かはまだまだ深い霧のなかでしかない。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-8>
 月宿す露のよすがに秋暮れてたのみし庭は枯野なりけり
                                   藤原良経

秋篠月清集、百種愚草、南海漁夫百首、冬十首。嘉応元年(1169)-建永元年(1206)。忠通の孫、兼実の二男。正治元年(1199)左大臣、建仁2年(1202)摂政、元久元年(1206)従一位太政大臣。若くして詩才発揮、俊成・定家の新風をよく身につけ、六百番歌合を主催し、俊成ら御子左家の台頭を決定的に。新古今集の仮名序を著し巻頭作者に。
邦雄曰く、草葉の露には秋の夜々月が宿っていた。それのみを頼りにしていた庭も、来てみれば今は跡形もなく、ただ一面の枯れ草。第二・三句の鮮やかな斡旋で叙景がそのまま抒情に転ずるところ、さすがと頷くほかはあるまい、と。

 しるべせよ田上(たなかみ)川の網代守り日を経てわが身よるかたもなし
                                  兼好

兼好法師集、網代。生没年未詳。「徒然草」の著者。生年は弘安6年(1283)の伝、没年は観応年間(1350-1352)や貞治元年(1362)頃の諸説。藤原氏の氏社である吉田神社の祠官を代々務めた卜部氏の出身。
氷魚と網代の名物は歌枕の田上川。瀬田川の支流で、水源は信楽の谷、別名大戸川。
邦雄曰く、網代の番人に道案内を頼まねば寄る辺もない身になったとの述懐を、冬歌に託した技法。第四句「日を経て」に氷魚を懸けて、氷魚が網代に寄るがごとく、わが身の寄る方か、と。

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December 10, 2005

かつ惜しむながめもうつる庭の色よ‥‥

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-今日の独言- 喪中につき

 昨日に続き、死に関しての記述で、これを読まれる方には誠に申し訳ないのだが‥‥。
年の瀬のこの頃ともなると、「喪中につき」と年始ご挨拶お断りのハガキが寄せられてくる。此方自身が年経たせいか、そのハガキも近年増えてきたように思うのは気のせいばかりではあるまい。此の人の父上或は彼の人の母上と、なかに、ついに一度もおめもじしないままに打ち過ぎてしまった古い友人の細君から、夫何某喪中につき、とのハガキを丁重にも戴いた場合は、このうえなく胸に応え、しばらくは亡きともがらの追憶などに浸ってしまいがちになる。
「不合理ゆえに吾信ず」と言いきったのは埴谷雄高だったが、自分自身もうとっくに、死に向かって生きているのさ、と思い定めてはいるものの、そう言いきるほどにとても貫けはしない私ではある。不慮の病に襲われていかほどに非情への恨みと諦めを行きつ戻りつしたろうかと、此方からは計りようもないはずの無念の心底を慮ってみる愚を、それと知りつつ避けられないのはどうしたことか。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-7>
 吹きにけりむべも嵐と夕霜もあへず乱るる野辺の浅茅生
                                  尭孝

暮風愚吟集、応永28年11月、前管領にて、嵐吹寒草。明徳2年(1391)-享徳4年(1455)。二条派頓阿の曾孫、経賢の孫。将軍足利義教の信任を得て、富士見や伊勢詣でにも随行し、新続古今集選集に和歌所官吏となる。
邦雄曰く、吹きなびき絡みあう枯れ草の姿をそのまま調べに写した感あり。初句切れで嵐の到来を告げ、「むべ山風を嵐といふらむ」を踏まえつつ懸詞で霜を見せ、あえなく乱れ伏す草々の姿を描く。巧者に過ぎるくらいの技量ではある、と。

 かつ惜しむながめもうつる庭の色よなにを梢の冬に残さむ
                                  藤原定家

六百番歌合、冬、落葉。
邦雄曰く、残すべき葉も、すでに一片だに梢にはない。刻々に荒れ、末枯れていく庭の眺めに、暗然と立ちつくす姿。第三句字余りのたゆたいは、心盡くし歴然、と。

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December 09, 2005

霜置きてなほ頼みつる昆陽の葦を‥‥

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-今日の独言- ある悲報

 突然の訃報が届いた。バイクによる交通事故死だという。
K.T君、たしか38歳位だと思う。15年ほど前か、彼がまだ関学の学生劇団・爆☆劇団をやっていた頃に知り合った。キッカケはひょんなことからだ。記憶違いでなければ、当時の音響スタッフだった通称、秘魔神を介してだった。神戸の看護専門学校から戴帽式の演出を頼まれた際、照明を手伝ってくれたのじゃなかったか。彼との機縁がなければ、幼な児の母親つまりは現在の連れ合いとの縁も生れなかったことを思いやれば、間遠な関わりではあったが縁は深いともいえる。
彼はここ数年、鬱を病んでいた。最近は「白堊(はくあく)演劇人日誌」という自分のブログに、日々の想いや鬱ゆえの繰り言を綴っていた。時折覗いてみては、近況を知るといった態で、日々をやり過ごしてきたのだが、睡眠剤常用の身でありながら外出はバイクに頼っていた暮らしだったろうから、死と隣り合わせの危険は絶えずつきまとっていたといえるのかもしれない。
通夜は今宵、明日の葬儀という。
合掌。

以下は、彼のブログ日誌より「メランコリー」と題された詩篇のごとき一節。逝ってしまった彼に引用の断りようもないが許してもくれよう。

「メランコリー」

憂鬱の中に飛翔する一枚の葉あり
密かに潜行するグロテスクな牙あり
地上を歩行する頼りなげな人の影
今にも消えてなくなりそうな魂
どこにも行けない子供の性器
今にも狂わんとすなされるべき行為
動かないで
息を潜めて
この饗宴の中で身を隠し
この洪水の様な音の中で耳を傾け
気もそぞろにせわしなく歩き回る
私は気が狂ったのか
それとも世界が姿を変えたのか
充実した果実の熟れ具合を確かめながら
あなたは問う
この世の終わりを探す
いたたまれない姿
行動しない獣達
ぐるりとまわる存在しない地球
世界
時間
場所
濡れそぼったそこ
生きると言う事

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-6>
 霜置きてなほ頼みつる昆陽の葦を雪こそ今朝は刈り果ててけれ
                                  式子内親王

菅斉院御集、冬。生年不詳-正治3年(1201)歿。後白河の皇女。母は大納言藤原秀成の女成子で、守覚法親王・以仁王らは同腹。平治元年(1169)賀茂斉院となり、後に退下して出家。新古今時代の女流代表歌人。
枯れ枯れの伊丹昆陽の里、それでもなお人の訪れは心頼みにしていたが、今はもうその望みも絶えた。葦群はすっかり雪に埋もれ、通ってくる道さえもない。
邦雄曰く、下句の強勢表現は凄まじく、呼吸の切迫したような、言い捨ての調べは、彼女の全作品中でも異色を誇ろう。この力作、二十一代集のいずれにも採られなかった、と。

 花紅葉散るあと遠き木の間より月は冬こそ盛りなりけれ
                                  細川幽斎

衆妙集、冬。天文3年(1534)-慶長15年(1610)。本名藤孝、熊本細川藩の祖。一説に実父は将軍足利義晴と。母は清原宣賢の娘、忠興の父。剣術・茶道ほか武芸百般に精通、歌は三条西実枝に古今伝授を受け、二条派を継承したと。
邦雄曰く、冬の月冴えに冴え、心を凍らすばかりの眺めを愛でる。上句は花も紅葉もすでに季ならぬことをいいながら、「あと遠き」によってその存在をさらに鮮烈に顕わなものとする効果。下句はその心境を述べたにすぎないようだが、一種祝儀の口上に似た張りと豊かさがある、と。

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December 08, 2005

思へども人の心の浅茅生に‥‥

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-今日の独言- 定家百首

 塚本邦雄の「定家百首-良夜爛漫」は見事な書だ。
「拾遺愚草」3564首を含む藤原定家全作品四千数百首の中から選びぬいた秀歌百首に、歌人塚本邦雄が渾身の解釈を試みる。
邦雄氏の本領が夙に発揮されるのは、一首々々に添えられた詩的断章だ。
一首とそれに添えられた詩章とのコレスポンデンス=照応は、凡百の解釈などよりよほど鑑賞を深めてくれる。
たとえば、百首中の第1首ではこうなる。

見渡せば花ももみぢもなかりけり浦のとまやのあきの夕ぐれ

 上巻「二見浦百首」の中、「秋二十首」より。新古今入選。

   はなやかなものはことごとく消え失せた
   この季節のたそがれ
   彼方に 漁夫の草屋は傾き
   心は非在の境にいざなはれる
   美とは 虚無のまたの名であったろうか

以下、成立背景なり、古来からの評釈なりに、時に応じ言及しつつも、あくまで一首の表象世界にこだわりぬいた歌人塚本邦雄ならではのコトバのタペストリー=織物が眼も綾に綴られていく。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-5>
 思へども人の心の浅茅生に置きまよふ霜のあへず消(け)ぬべし
                                  藤原家隆

千五百番歌合、恋。保元3年(1158)-嘉禎3年(1237)。藤原光隆の子。従二位宮内卿。定家と並び称される俊成門の才。和歌所寄人、新古今集の選者。後鳥羽院の信任厚く、隠岐配流後の院にも音信絶たず。
邦雄曰く、定家・千五百番歌「身をこがらしの」と双璧をなす秀作。忍ぶ恋の儚さ虚しさを、結ぼうとしても結びきれぬ霜の結晶に譬えて、無情な思われ人の心を浅茅生とした。下句「置きあへず消ぬべし」の初めを断ち「まよふ霜の」と挿入したあたり、凄まじい気魄がみえる、と。

 さびしさは色も光もふけはてて枯野の霜にありあけの月
                                  亀山院

新続古今集、冬、野冬月といふことを。建長元年(1249)-嘉元3年(1305)。後嶬峨院の皇子、兄後深草天皇の譲位を受けて践祚。大覚寺統の初めとなった。
邦雄曰く、単純な初句が冬景色の侘しさを写して「色も光も」の畳みかけが生きている。錆銀色に輝く月を「ふけはてて」と強調し、老巧な冬歌となった、と。

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December 07, 2005

消え侘びぬうつろふ人の‥‥

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-今日の独言- 寒さにゃ弱いのだ

 ここ数日、冬本番の寒波襲来。
外出すると冷たい風が身体を刺す。どうも夏場生れのせいか寒さには滅法弱い我が身は、寒風にさらされると途端に意気地がなくなるようだ。私の朝の日課は、4歳の幼な児を保育園に送りとどけることなのだが、つい先日までは、幼な児がそれを望むせいもあって、自転車に乗せて10分足らずの道のりを走らせていた。しかし、ここ二、三日の寒風に情けなくもギブアップ、あくまで自転車で行きたいという幼な児を宥めすかすようにして、クルマでの送りに切り替えさせてもらっている始末。
一茶の句に
  日短かやかせぐに追ひつく貧乏神
というのがあるが、寒さに震えてばかりの身には貧乏神まで寄りついてきそうな年の瀬だ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-5>
 消え侘びぬうつろふ人の秋の色に身をこがらしの森の下露
                                  藤原定家

新古今集、恋、千五百番歌合に。
邦雄曰く、定家得意の女性転身の詠。愛人の心変わりに、身を揉み、心を焦がし、泣き暮らすその辛さ、悔しさを、木枯しの風と吹き荒れる森の景色に托して、二重写しの、複雑な心理描写を、これでもかというほどに徹底させた秀作中の秀作、と。

 置く霜は忍ぶの妻にあらねども朝(あした)わびしく消え返るらむ
                               祐子内親王家紀伊

祐子内親王家紀伊集、左京権太夫の百首の内、霜。平安後期、生没年不詳。民部大輔平経方の女というが、異説もある。後朱雀院中宮嫄子とその第一皇女祐子内親王とに仕え、中宮紀伊・一宮紀伊と呼ばれた。
邦雄曰く、隠し女は一夜を共に過ごしても、後朝の名残りを惜しむ暇さえなく姿を隠さねばならぬ。四季歌にもかかわらず、濃厚に恋の趣きでまとめたところが珍しい、と。

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December 05, 2005

一葉だにいまは残らぬ木枯しの‥‥

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-今日の独言- タイム・スリップ

 先週の金曜日(2日)、高校時代の同窓会幹事連中の忘年会に出かけた。充分間に合うように家を出たのだが、地下鉄を降りて久し振りに歩く都心の夜の町並みに感を狂わせたのか、どうやらあらぬ方向にどんどん歩いてしまっていたらしく、地下鉄一駅分ほど行って気がつく始末。軌道修正して足を速めたものの目的の会場に着いたのは10分ほどの遅刻。総勢28名は男性17名に女性11名の内訳。そのなかにひとり、40年ぶりに会うKT君がいた。彼は高校時代の面影をそのままに残していた。同じ演劇部のロッカー部員のような存在で、三年間というものほぼ毎日顔を会わせていた相手だから、彼の容貌は鮮明に覚えている。その記憶の像そのままに、まったくといっていいほど老け込みもせずにいるKT君の姿形を、私は些か驚ろきつつ見入ってしまったものだ。宴のなかば私の隣に座り込んで長くはない時間だが話しこんだその会話も、声といい話しぶりといい、高校時代の彼そのままだった。おそらく私のほうも高校時代に戻った語り口になっていたろう。いま我々二人は40年余り昔の会話そのままに話し合っている。ちょっとしたタイム・スリップ、そんな感覚に襲われた些か不思議な時間だった。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-4>
 一葉だにいまは残らぬ木枯しの枝にはげしき夕暮の声
                                  飛鳥井雅親

亜槐集、冬。詞書に、寛正4年11月、内裏御続歌の中に、夕木枯。応永23年(1416)-延徳2年(1490)。新古今集撰者雅経を祖とする蹴鞠・和歌で名高い飛鳥井家の正統を雅世の長男として承継。
邦雄曰く、木枯しの声が夕暮につのり高まる意ではあるが、結句「夕暮の声」は、それ以上の効果を生む。平穏な上句に対して、下句のしたたかな技巧は陰鬱な迫力あり、冬の歌として、殊に15世紀後半には瞠目の価値があろう、と。

 一葉より誘ふ柳の影浅みさびしさなびく冬の河風  上冷泉為和

今川為和集、四。詞書に、享禄4年於駿州十月、冬植物。安土桃山期の人。藤原北家嫡流の系譜に連なる上冷泉為広の嫡子。
邦雄曰く、歌には珍しい、川端柳の蕭条たる冬景色、鞭の揺れるような枝垂れ柳の一葉も残さぬ姿。第四句「さびしさなびく」の、いささか捻った修辞も、頷かせるものがある。この人の家集には、柳の歌が頻々と現れ、この木へ寄せる愛着が窺われる、と。

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December 04, 2005

寝覚めしてたれか聞くらむ‥‥

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-今日の独言- TVの事件報道

 テレビにおける事件報道の過剰は、類似犯行の連鎖を助長しているように思えて仕方がないのは私だけではないだろう。広島の小1女児殺害の犯人が逮捕され、動機など事件解明の報道がされるなか、またしても栃木で小1女児が下校時に連れ去られ殺されるという悲惨きわまる類似の事件が起こったが、これはどう考えても先行した広島の事件報道が導火線の役割をしたという側面を見逃しえないのではないか。
 事件に取材した報道が朝・昼・夜とまるで金太郎飴のごとく洪水のように繰り返し流されるのは、到底、犯罪の抑止力になるとは思えない。それどころか意識下にマグマのように滾っている鬱屈した心性にいかにも偶然的にせよ出口を与え、類似の犯行へと現実に至らしめるという結果を招いているのではないかという惧れを抱かざるをえないのだ。誰しも斉しくとはいわないが、自らの想念の内に犯罪者としての自身の似姿を描いたりする場合はままあるものだろう、と私は思う。だが現実にはその殆どの犯罪的心理は自己の内部に抑圧され、具体的な事件となって顕在化することはないし、そこにはなかなかに越えがたい閾値が存在しているものだが、こうもマンネリ化した事件報道の洪水はその越えがたい閾値を、結果として低くしてしまい、ある特定の者にとっては本来ならば充分抑圧しえていた犯行への衝動が抑止できず現実の行動へと短絡させてしまうことは起こりうるのではないか。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-4>
 散り散らず木の葉夢とふ槙の屋に時雨をかたる軒の玉水
                                  木下長嘯子

挙白集、冬、時雨。永禄12年(1569)-慶安2年(1649)。安土桃山から江戸初期。秀吉夫人北政所の甥、小早川秀秋の兄。歌は細川幽斎に学び、同門に松永貞徳など。
邦雄曰く、凡そ秀句表現の綴れ織りのような歌であるが、冬歌の侘しい風景は俄かに輝きを帯びて珍しい趣を呈する。「木の葉夢訪ふ」といい「時雨をかたる」といい、選びに選んだ詞華の鋭い香りと光を伝える、と。

 寝覚めしてたれか聞くらむこの頃の木の葉にかかる夜半の時雨を
                                  馬内侍

千載集、冬、題知らず。生没年未詳、平安中期の女流歌人。斎宮女御徽子や一条院中宮定子に仕え、伊尹、道隆、通兼など権門の貴公子らとの恋多き才女。歌意は「ふと寝覚めれば、微かに耳に入るのは、庭に散り乱れたの落葉に降りかかる冷え冷えとした時雨の音、冬のこの夜半に、どこかで誰か、同じように耳を澄ましているだろうか。」
邦雄曰く、微かに歌の底に、待恋のあはれが漂っている。倒置法ゆえに、下句はあやうく揺れ味わいを深める、と。

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December 03, 2005

逢坂の関の嵐の烈しきに‥‥

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-今日の独言-
かはたれどき

 黄昏時-たそがれどき-とは、「誰ぞ彼れ時」から生れ、夕刻、薄暗くなってきて、あそこに居る彼は誰ぞと問いかける頃、という意味だというのは概ねご承知かと思われるが、これと対語のように「かはたれどき」というのもあったとは寡聞にして知らなかった。「彼は誰れ時」と書き、意味は同様だが、「たそがれ」が夕刻に限り用いられ、こちらは逆に、まだ薄暗き明け方に用いられた言葉。広辞苑には「かわたれ」の見出しで載っているが、明鏡国語辞典には無く、すでに死語扱いと化している。
そういえば、ある辞書では、昨年の新版が出た際、新語が1500加わり、逆に114語が辞書から消えていた、と具に調べたご奇特な御仁が小エッセイに書いていた。
不易流行とはいうが、コトバというもの、まことに不易と流行のはざまにあって、ダィナミックに生成消滅してゆくものだし、いつの時代でもコトバは乱れている、乱れざるをえないのが実相で、それがコトバの本質なのだろう。佳きコトバの賞玩はどこまでもおのれ自身の内なる問題として、消えゆくコトバにしたり顔に慨歎してみせるようなことは避けるのが賢明なのだと自戒してみる。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-3>
 逢坂の関の嵐の烈しきにしひてぞゐたる世を過ぎむとて
                                  蝉丸

続古今集、雑、題知らず。生没年・伝ともに不詳。今昔物語に、宇多天皇第八皇子敦美親王に仕えた雑色というが、確かな根拠はない。平安朝後撰集時代の隠者で、盲目の琵琶の名手という伝。
邦雄曰く、百人一首「知るも知らぬも逢坂の関」の詞書「逢坂の関に庵室をつくりて住み侍りけるに」を背景に、この伝説中の人物をさまざまに推量すれば、ゆかしくかつあはれは深い。第四句まで一気に歌い下して口をつぐみ、おもむろに結句を置いた感。また、第三句の「に」に込めた苦みも独得の味、と。

 むら時雨晴れつるあとの山風に露よりもろき峯のもみぢ葉
                                  二条為冬

新千載集、冬。詞書に、元亨3年、亀山殿にて、雨後落葉といふことを。乾元3年(1303)?-建武2年(1335)。鎌倉末期の歌人。俊成・定家の御子左家系譜の権大納言二条為世の末子。南朝尊良親王を奉じ、尊氏追討の戦にて討死。
邦雄曰く、冬紅葉の、霜と時雨にさらされて、触れればそのまま消え失せるような儚さを、第四句「露よりもろき」で言いおおせた。やや微視的なこの強勢と、一首の大景とのアンバランスも面白い、と。

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December 02, 2005

むらむらに小松まじれる冬枯れの‥‥

041219-026-1

-今日の独言-
社会鍋

 とうとう今年も最後の月、師走となった。
ところで12月は月間を通じて歳末たすけあい運動の月とされているが、このルーツを辿ると明治の終り頃に始まったキリスト教の救世軍による「社会鍋」運動に端を発するということになるらしい。社会鍋という用語にいかにも時代臭を感じさせられるが、街頭で鍋を吊るして生活困窮者のための募金活動を行なったのだから、言い得て妙とも。救世軍とはプロテスタントのメソジスト派伝道師ウィリアム・ブースがロンドンで興し、組織を軍隊形式に倣って、救霊=伝道と社会福祉事業に活動の中心をおいた。1865年のことである。日本では30年を経た1895年に生まれ、戦前は廃娼運動と深く結びついたようだ。昭和初期の恐慌下で、社会鍋運動は全国各地にひろがる「歳末同情募金」へと一般化され、戦後も市町村社会福祉協議会などを主体とした「歳末たすけあい運動」へ継承される。昭和34年(1959)、政府は社会福祉事業法を制定、共同募金運動の一環の内に位置づけられ、その奨励策のなかで年々盛んになってきた訳だ。
昭和34年といえば私は中三の年なのだが、当時の古い記憶を手繰り寄せれば、ひとりひとりの善意の発露からの募金行為が、なにやらお仕着せがましい、政府御用達のものと変質していったような、そんな感触からか抵抗感を抱くようになったのは、自身の思春期における変容とも重なって、懐かしくも奇妙なリアリティのある出来事だったのだ、と思い返される。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-2>
 夕日さす落葉がうへに時雨過ぎて庭にみだるる浮雲の影
                                  光厳院

風雅集、冬、時雨を。正和2年(1313)-貞治3年(1364)、持明院統・後伏見の第一皇子。南北朝期が始まる北朝の天皇。後醍醐、尊氏、義貞らの抗争に翻弄された。祖母永福門院の薫陶を受けて和歌にすぐれ、自ら風雅集の選にあたる。
邦雄曰く、落日の光が一時とどまる落葉に、時雨が雨脚を見せて通り過ぎるという、この上句にはいささかの曲もない。だが下句「庭にみだるる浮雲の影」は浮雲の影が庭に乱れるとしたところに、深く頷きたいような配慮がある。第三句の字余りも、結果的には作者の心を写した、と。

 むらむらに小松まじれる冬枯れの野べすさまじき夕暮の雨
                                  永福門院

風雅集、冬、題知らず。文永8年(1271)-康永元年(1342)、西園寺実兼の女、伏見天皇に嫁し中宮となる。京極為兼・伏見院とともに京極派を代表する歌人。
邦雄曰く、速力のある旋律が一気に、黒の濃淡で、見はるかすような大景を描き上げている。しかも上句はアレグロ・モデラート、下句はプレスト、殊に第四句「野べにすさまじき」で一瞬息を呑む。平々凡々の枯野詠となるところを急所々々を高め強めることによって、忘れがたい調べを創りあげた。思えば第二句の「小松」も点睛の語、と。

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