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October 30, 2005

秋萩の露のよすがの盛りはも‥‥

Nakahara050918-012-1
Information<四方館Dance Cafe>

-今日の独言-

四方館稽古条々-「ポテンシャルを強めるべし」

 二週間前(10/16)の稽古で、ラカンを引いて「無意識とは、他者の欲望である」とするなら、即興において自分自身が繰り出してくる動きや所作自体が、すでに無意識裡に無数の他者たちによって棲まわれていることになる、といったような話をしたら、俄然、動きが自在となり豊かになった、と此処に書き留めた。そこで今日は、先とは逆療法的なアプローチだが、従来に比して「もっとポテンシャルを強めること。筋肉的な或いは見かけ上の強弱などではなく、心-身の内圧というか気の力というか、そういったものを強く保持せよ。」と伝えて稽古に入った。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-20>

 萩の花暮々までもありつるが月出でて見るになきがはかなさ
                                 源実朝

金塊和歌集、秋、詞書に「庭の萩二十日に残れるを月さし出でて後見るに、散りらたるにや花の見えざりしかば」と。邦雄曰く、月明りが白萩を無と錯視させたのか、否、実朝は心中に、跡形もない萩の「空位-ヴァカンス」を見た。数年後の死に向かって後ろ向きに歩む、源家の御曹司たる一青年の、これは声にもならぬ絶叫である、と。

 秋萩の露のよすがの盛りはも風吹き立つる色ぞ身にしむ
                                 九條家良

衣笠前内大臣家良公集、秋、萩花。鎌倉前期、実朝と同年。
二句「露のよすがの盛り」や三句「風吹き立つる色」など新古今などにはない詞の用法といわれる。邦雄曰く、耳に逆らいつつ、しかも快い修辞は作者の特色のひとつ。しかも風に揉まれて露まみれ、乱れる萩一叢が、ありありと眼前に顕れるところ、非凡というべきか、と。

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October 29, 2005

道のべのこなたかなたに‥‥

051023-153-1

Information<四方館Dance Cafe>

-今日の独言-

内閣府の学校教育に関するアンケート結果
 内閣府による学校制度に関する調査アンケートの結果が公表されている。回収サンプルは1270人。
保護者の学校教育に対する満足度は、不満乃至非常に不満が43.2%、どちらともいえないが43.9%。
教育内容の難易度について、易しすぎる乃至どちらかといえば易しいが61.0%を占める。
ゆとり教育の是非については、見直し派が61.6%で、継続派の5.0%を圧倒している。
教員に対する満足度について、満足派27.3%、不満派28.4%で拮抗し、どちらともいえないは44.3%。
などの調査結果とともに併せて、小・中の学校選択制度についても尋ねているが、賛成派が64.2%を占め、反対派は10.1%と少ない。
この調査結果が、即、文科省の教育改革に反映するとも思えぬが、学校選択制度の調査などが導入されているあたり、アンケートの結果も含めて、大いに気がかりな点だ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-19>

 道のべのこなたかなたに乱るらし置きそふ露の玉の緒薄
                                 貞常親王

後大通院殿御詠、行路薄。15世紀中葉、後花園院の異母弟。邦雄曰く、露の玉・玉の緒・尾花・花薄と、懸詞風に要約して、さらりと結句に納めたところ見事。上句のややたゆたいをもつ調べと、下句の小刻みな畳みかける調べも、快い対照を生んでいる、と。

 置きまよふ野原の露にみだれあひて尾花が袖も萩が花摺
                                 足利義政

慈照院殿義政公御集、尾花。15世紀後半、足利8代将軍。「尾花が袖」、尾花は穂の出た薄。風に揺れるさまを袖を振って招いているようだ、と擬人化。初句から三句まで、しとどに露を含む尾花が如実に浮かぶ。邦雄曰く、伊勢集に先蹤のある「尾花が袖」を、技巧を凝らして詠いこんだ。その尾花が袖を架空の萩の摺衣へと転移させ、幽玄の景色へと誘う、と。

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October 28, 2005

誰が秋にあらぬものゆゑ‥‥

Nakahara050918-038-1

Information<四方館Dance Cafe>

-今日の独言-

まだまだコップのなかの嵐。
 突然の関市長辞任劇から、大阪市長選挙は告示を前にいよいよ混迷の度を深めてきている。
自民市議4期目の元吉本タレントの船場太郎が出馬表明をしたが、どうやら自民党市議団も一枚岩ではないようだ。自民はあくまで自・公推薦の統一候補を望ましいとし、船場では公明の理解が得られそうもない。辞任から再出馬へと騒動の仕掛人関淳一は民主も加えた自・公・民推薦を期待しているが、民主の背後には市職労組の影が濃いとして、自・公が同調する気配はない。
もともと今度の市長辞任劇は、政治的読みの弱い行政あがりの関自身、与党会派の各党がどう動くかを読み切った上でのことではなく、進退極まった感で大鉈を振るったにすぎないところがある。些か辛辣な謂いをすれば、窮鼠猫を噛むに近い。彼自身、新たな出発を唱え、財政改革にヤル気を見せてはいるが、選挙の洗礼で矢つき倒れ付すもよしとしている節があるのではないか。自らまな板の上にのる鯉を演じきるには、開き直ったような覚悟だけではなく、周到な読みがなにより肝要だが、端からそれが感じられないのが、選挙騒動を混迷させている大きな因だろう。
それにしても、この騒ぎ、まだまだ市庁・議会のコップのなかの嵐でしかないというのが致命的で、このままでは市民を広く巻き込んだ嵐となる気配に乏しく、市民のなかに深く潜むマグマに誰も火を付けられそうにない。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-18>

 誰が秋にあらぬものゆゑ女郎花なぞ色に出でてまだきうつろふ
                                 紀貫之

古今集、秋上、朱雀院の女郎花合せに詠みて奉りける。
初句、二句の「誰が秋にあらぬものゆゑ」は後世によく採られている。邦雄曰く、他人の秋ならずわが秋、飽きもせぬものを、の意が透けて見えるように隠された、四季歌に恋の趣を添えている、と。「まだき」は、早くも。

 ほのかにも風は吹かなむ花薄むすぼほれつつ露に濡るとも
                                 斎宮女御徽子

新古今集、秋上、題知らず。
心ない風に吹き結ばれた花薄(すすき)が、心ある風に吹き解いて欲しい、と望み訴えているのが歌の意。邦雄曰く、縺れてぬれている花薄はすなわち作者の心、微風を待ち望む「吹かなむ」は、天来の便りを待つ趣。喪中にあって、村上帝の音信を仰ぐべくものした一首とも伝える、と。

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October 27, 2005

萩が咲いてなるほどそこにかまきりがをる

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<四方館ダンスカフェのお知らせ>

ダンス・カフェ第三弾の日程が決まったので以下ご案内する。

Dance-PerformanceとFree-Talkの一夜

「Transegression-わたしのむこうへ」

日時-11月29日(火) 午後7時open
場所-フェスティバルゲート4階COCOROOM
参加費-1000円(フリードリンク込)

詳細は<コチラ>をご覧ください

ここにあらゆる表現行為に通じる一考察、否、人が生きるなかでのすべての行為を表象の位相で捉えなおすならば、およそ人のなすあらゆる行為にも通じる考察というべき掌編を紹介したい。
市川浩がその著「現代芸術の地平」岩波書店刊の冒頭に掲げた短い一文だが、煩瑣を省みず全文を引用掲載する。

<線についての考察>

 空白にひかれた一本の線ほどおどろくべきものがあろうか? それはどのような出来事にもまして根源的な出来事であり、世界の誕生を――ものとしるしとの誕生を告げている。

 それはものである。一本の線はわれわれの視線を吸収し、もろもろの存在を背景へと押しやり、動かしがたいそれ自体の存在を主張する。それは何ものをも、自己以外の何ものをも指示しないのである。

 それはまたしるしでもある。一本の線は空白を分割し、みずから背景へとしりぞくことによって、空間を生みだす。あたかも永遠に逃げてゆく地平線のように、それはもっぱら天と地を、世界の区画を、彼方と此方とを指示するのである。そして幾何学上の線のように、自らはものとしての存在を失おうとする。

 しかし一本の線は、単にそれ自体で存在するのでもなければ、もっぱら空間を分割するのでもない。それは同時に空間を結合し、天と地を、彼方と此方とを、分かちえないものとして溶融しているのである。一歩の線はあちらとこちらとを分画した瞬間に、あちらでもあればこちらでもあることによって、自らを失う。

 それは<永遠の今>にあって凝固しているようにみえるが、この不動性はみせかけにすぎない。線は<生ける現在>によって支えられ、自ら延長し、線となる。ここから予測しがたい線の散策がはじまる。

 かぎりなく延長する線があり、足踏みする線がある。炸裂し、溶融する線、そして旋回する線がある。線に内在するこの運動によって、線の決定論はその一義性を失う。<生ける現在>は休みなく自らを更新し、あるときは季節の移りのように緩慢に、あるときは日の変わりのように、またあるときは火箭のようにすみやかに、すべての線を活性化する。

 こうして上昇する線と下降する線、現れる線と消えゆく線、直行する線と彎曲する線の対位法が生ずる。もっとも単純な一本の線のうちにも、追いつ追われつするフーガのように、線化のヒステレンス=履歴現象ともいうべき内面的構造がひそんでいる。

 すでに引かれた線は、線化の進行に応じて再編されつつ、遅れた効力を発生し、線化の先端へと飛躍する無数の力線を生み出す。一歩の線は変容をかさねながら、終りのない運動をもつ魔術的な幻惑をくりひろげ、世界の生成を通じて世界の<彼方>へと、時のきらめきを通じて<永遠>へとわれわれをいざなうのである。

 キャンヴァスにだまされてはならない。キャンヴァス上の収斂する線は、その不動のみせかけによってわれわれをキャンヴァスの上にとどめるが、それはキャンヴァスの手前へと、あるいはキャンヴァスの彼方へと空間をくりひろげるためにほかならない。われわれはキャンヴァスのこちら側に居合わせると同時に、キャンヴァスの彼方に立ち合っているのである。これは<眼だまし>であるが、絵画は<眼だまし>であることによって、われわれをめざめさせ、われわれに<見ること>の本質を開示する。

 線はこうして出現するやいなや、自らを超越する。たとえ<眼だまし>であろうと、一本の線は絶対的なはじまりである。それは自己を確定することによって、もろもろの可能な線を浮かび上らせ、再び自らを仮設的な存在へと、一つの出来事へと送りかえす。

 ここにわれわれの世界の創造の秘密、その両義性、絶対の弁証法ともいうべき転換が存在する。一本の線の出現は<サンス=意味>の誕生である。しかしそのサンス=意味は、空白の<ノン・サンス=無意味>の海のなかでしか<サンス=意味>でないことを認めなければならない。<サンス=意味>としての一本の線の出現は、ただちに空白を<サンス=意味>としての空間にかえる。一本の線は新たな<サンス=意味>を誕生させる<シニフィカシオン=意味作用>となるのである。そしてこの新たなサンス=意味の誕生は、引かれた線がみずから<ノン・サンス=無意味>へと後退することによってあがなわれなければならない。

 存在は<サンス=意味>と<ノン・サンス=無意味>とのたえまない転換のうちにある。われわれは、両者が交錯するこのような存在に名づけるべき適切な言葉をもたない。ただそれを現示し、その客観的相関物を創造することができるだけである。

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October 26, 2005

月草の心の花に寝る蝶の‥‥

Nakahara050918-023-1

Information<四方館 Dance Cafe>

-今日の独言-

紅葉だよりもあちこちと。
 秋の日は釣瓶落とし、まことに暮れ方は駆けるごとく陽が沈む。
秋晴れもめっきりと涼しくなって、紅葉のたよりも本格化している。
眼に鮮やかな楓の紅葉はたしかに見事な自然の造型そのものだが、山の傾斜一面に雑木のとりどりに彩色された黄葉ぶりを眺めると、なにやら心がしっとりと和む。
そんな時は、笈の小文に引かれた芭蕉の「造化にしたがひ造化にかへれ」を思い出すのだ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-17>

 月草の心の花に寝る蝶の露の間たのむ夢ぞうつろふ  正徹

草根集、寄蝶恋。初句「月草」の色褪せやすさは詠い古されているとみて、「心の花に」と飛躍を試み、蝶こそは相応しく移ろいやすきものと暗示のうえ、縁語の「うつろふ」で一首を閉じている。
邦雄曰く、巧緻な修辞で創りあげた、手工芸品の感ある恋歌。ただ、この詠風に反感を覚え、採らないのも一見識か、と。

 朝顔をはかなきものと言ひおきてそれに先だつ人や何なる  慈円

拾玉集、無常十首。平安末期~鎌倉初期。頼朝の支持で摂政となった九条兼実の弟。
邦雄曰く、人の世と朝顔の照応、いづれ儚きの歎きを詠った作は夥しいが、なかでも抜きん出たものは、藤原道信の「朝顔を何はかなしと思ひけむ人をも花はさこそ見るらめ」と、慈円若書きのこの一首だ、と。

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October 25, 2005

おぼつかなそれかあらぬか‥‥

Nakahara050918-002-1

-今日の独言-

国際問題化するグーグル・アース
 衛星画像で世界中のポイントが詳細に見られる話題の「グーグル・アース」が、安全保障上の懸念など世界各国からクレームが続出し国際問題化してきている。衛星画像の解像度は国や地域によって異なるらしいが、インドでは防衛施設の画像まで見られるというし、韓国大統領官邸の青瓦台や、北朝鮮の寧辺の核施設も閲覧可能とのこと。HOTWIIRED JAPANによれば、グーグル・アースの神髄は、ユーザーがどんな地点にも標識を設け、注釈を書き、ソフトのユーザー同士で情報を共有できる-スクリーンショット-点にあるというのだが、ネット情報における利便性の急激な加速は、国であれ個人であれ保護情報を絶えず脅かしつづけ、予想だにしなかったような新しい危険に逢着する。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-16>

 夜もすがら重ねし袖は白露のよそにぞうつる月草の花
                                 藤原家隆

壬二集、逢不遇恋。月草は露草の別名。万葉歌にあるように「月草の花」で染めるのは色褪せて変わりやすいといわれている。また「着き草」の意味でもあり、花の汁を直接衣に摺りつけて染めたによる。邦雄曰く、「よそにぞうつる」の妖艶なニュアンス、第二句の間接的な表現、まことに心にくい、と。

 おぼつかなそれかあらぬか明暗の空おぼれする朝顔の花
                                 紫式部

続拾遺集、恋。詞書に「方違へにまうで来たりける人の覚束なきさまにて帰りにける朝に、朝顔を折りて遣わしける」とあり。第三句の「明暗-あけぐれ」はまだ明け初めぬ暗いうちのこと。第四句「空おぼれ」の空は、あけぐれの空と、空おぼれの掛詞、おぼれは、おぼほれの略で、とぼけているさま。
好い加減な理由を拵えて他処で一夜を明かしてきた男への、皮肉をこめた一首。邦雄曰く、物語歌としての美しさ充溢。

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October 24, 2005

くりやまで月かげの一人で

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<怨霊譚-維新でも怖れられた崇徳院>

 小倉百人一首に「瀬をはやみ岩にせかるる瀧川のわれても末にあはむとぞ思ふ」の歌をのこす崇徳院が古来より怨霊神として怖れられてきたのはつとに知られている。「崇徳院御託宣」という書が今もなお宮内庁に残っているらしい。これによれば崇徳院の怨霊は九万八千五百七十二の神とその眷属である九億四万三千四百九十二の鬼類の頂点に立っているというからもの凄い。
 平安後期、崇徳院は鳥羽天皇の第一皇子として生まれたが、その実は、鳥羽天皇の祖父白河法皇の胤であった。鳥羽天皇はこの出生の秘密を知っていたが時の権力者である法皇に逆らえず第一皇子として受け容れた。崇徳院は5歳のとき即位して天皇となるが、数年後、白河法皇が死に、権力は鳥羽上皇へと移り、やがて崇徳院の母とは別の女とのあいだに新しい皇子を得た鳥羽は、崇徳院に退位させ、わずか2歳の皇子を即位させ近衞天皇とした。15年後、この幼少の天皇は17歳で早世するが、その死の背景に呪詛事件が絡む。次の即位をめぐり鳥羽上皇と崇徳院のあいだで暗闘があるが、ここでも鳥羽上皇の意志で後白河天皇の即位となった。ところが翌年、鳥羽上皇が病死したので、これを機に後白河天皇と崇徳院、これに摂関家や台頭する武家勢力を巻き込んだ保元の乱(1156年)が起こるのである。勝負はあっけなく崇徳院側の敗北。崇徳院は隠岐に流され、後に讃岐に移され、配流のまま非業の死を遂げ、讃岐国白峰山に火葬された。
 現世に烈しい怨恨を残したまま逝った崇徳院は、以後、怨霊・祟り神として伝説化してゆく。都に変事や疫病があれば、崇徳院の祟りとされ、また当時の天狗信仰とも結びつけられ、虚構は虚構をうみ肥大化する。やがて崇徳院の怨霊は天狗の統領とされ、太平記にはこれを筆頭に「天狗評定」の件が登場する。江戸期の上田秋成は「雨月物語」の冒頭に崇徳院の怨霊譚を「白峰」と題して虚構化している。諸国を旅する西行が讃岐の白峰の陵を訪れた際、崇徳院の亡霊が現れ、怨みの数々を切々と語るという怪異譚で、能仕立ての構成だ。
 時に明治維新、王政復古の到来に、孝明、明治の両天皇は崇徳院の怨霊が祟ることを怖れ、彼の霊を招魂し祀ったのが、京都堀川今出川にひっそりと佇む白峰神宮である。維新後の神風連や各地の叛乱、西郷隆盛の西南の役など、或いは日清・日露の戦争勃発までも、明治天皇は心中秘かに、崇徳院の怨霊や祟りが影を落としていると思ったかもしれない。

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October 23, 2005

秋深み黄昏どきのふぢばかま‥‥

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<Shihohkan Improvisation>

-今日の独言-

波乱の幕あけ、濃霧でコールド
 昨夜、日本シリーズの第一戦をTVで観ていたが、なんと濃霧でコールドとはとんでもない幕開けになったものだ。試合は中盤以降、ロッテが圧倒、終盤での阪神の明日につながる反撃が期待されるのみとなったが、6回頃から球場全体に濃霧が立ち込めだし、テレビの映像がほのかに白く膜がかかったようにぼやけてきたかと思えば、7回にはもうすっかりと濃霧に包みこまれた状態。海辺に近い球場とて、浜風が特有の舞い方をする球場だと話題になっていたけれど、突然発生した濃霧で試合中断のすえコールドゲームとは思いもかけない珍事。今年のシリーズはかなり愉しめるものとなりそうだと期待はしていたが、球場の立地条件で自然の異変まで絡んだ演出になるとはだれが予想しえたろうか。パリーグのプレーオフでロッテは意外性に富んだとてもいいチームだとの印象をもったが、マリンスタジアム自体までこれほど意外性に満ちていたとはネ。勝敗の行方を超えてさらに面白くなりそうだ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-15>

 秋深み黄昏どきのふぢばかま匂ふは名のる心地こそすれ
                                 崇徳院

千載集、秋、暮尋草花といへる心を。日暮れ時を表す「黄昏」は「誰そ彼」よりきたる。
秋深いその黄昏どき、草原のなかでひときわゆかしく匂う藤袴の花のその芳しさは、誰そ彼との問いかけに名告りをあげているようだ、の意で、「名のる」は「黄昏」の縁語となっている。
邦雄曰く、切々としてしかも藹々たる味わい、帝王の歌というに相応しい調べ、と。

 月草に衣は摺らむ朝露にぬれて後には移ろひぬとも
                                 作者未詳

万葉集、巻七、譬喩歌、草に寄す。「月草」は露草の古称。
歌意は、月草に衣を摺り染めよう、たとえ朝露に濡れて色褪せてしまおうとも。
邦雄曰く、ほのかに恋の趣をも秘めていて、それも表れぬほどに抑え暈しているのが、素朴なあはれを漂わせて忘れがたい、と。

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October 22, 2005

晴れずのみものぞ悲しき‥‥

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-今日の独言-

ふりかえってみれば‥‥。
 図書館で借りてきた今は亡き市川浩の「現代芸術の地平」をざっと読了。
彼特有の現象学的身体論でもって60年代、70年代に活躍した建築・美術・演劇・舞踊などの作家たちの仕事を読み解いた論集。演劇でいえば、夭逝した観世寿夫、同じく寺山修司、そして鈴木忠志。とくに「他者による顕身」と題した鈴木忠志論は稿も多く詳しい。利賀山房だけでなく常連のようにその舞台によく親しんだのだろう。
私自身、市川の「精神としての身体」や「身体の現象学」は、メルロ・ポンティの「知覚の現象学」や「眼と精神」とともに教科書的存在として蒙を啓いてもらってきたし、同時代を呼吸してきた身としても、彼らの仕事に対する市川の読み解きはずしりと重さをもって得心させられる。
ふりかえってみれば、戦後60年のなかで、中村雄二郎ら哲学者たち或いは文芸評論家の蒼々たる顔ぶれが、芸術の実作者たちと真正面から向き合い、互いに共振・共鳴しあった、特筆に価する時代が60年代、70年代だった、といえるだろう。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-14>

 晴れずのみものぞ悲しき秋霧は心のうちに立つにやあるらむ
                                 和泉式部

後拾遺集、秋、題知らず。古今集、詠み人知らずに
「雁の来る峰の朝霧晴れずのみ思ひつきせぬ世の中の憂さ」の一首ありとか。
邦雄曰く「序詞としての第二句までを、一首の中に眺めとして再現し、模糊たる心象風景に昇華した。二句切れの間は、一瞬であるがあやうく心の中を覗かせようとする。結句は言わずもがなにみえつつ、重い調べを創り出すに、無用の用を務めた、と。

 玉鉾の道行きちがふ狩人の跡見えぬまでくらき朝霧
                                  恵慶法師

恵慶法師集、霧を。平安中期(十世紀)、和泉式部らと同時期の人。出自・経歴など不明。
邦雄曰く「濃霧の朝の眺めか。いかめしい枕詞の初句「玉鉾の」も、結句の重さと快く照応する。実景か否かは問題ではないが、題詠ではこれだけの実感は漂うまい。「行きちがふ」にその呼吸がうかがえる、と。

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October 21, 2005

秋の田の穂の上に霧らふ‥‥

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-今日の独言-

米兵、タリバン兵士の遺体を焼く
 アフガニスタン南部で旧タリバン政権の兵士らと交戦した米兵駐留部隊が、死亡したタリバン兵士2名の遺体を焼却した上で、「仲間の遺体を取り返すこともできないのか」と挑発している映像がオーストラリアのTVで放映されるということがあったらしい。
火葬習慣のないイスラム教に対し、メッカの方角に遺体を向けて焼いた、意図的な冒涜的行為。ジュネーブ条約に抵触する違法行為として問題視されている。
戦渦に在ることは狂気のうちにあるに等しいものだ。平時のうちに安穏として日々をおくるこの身には思い及ばぬ異様なことが、ごくありふれた当然の行為として繰り返されているにちがいない。
    
          -参照記事サイト-

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-13>

 秋の色よ明石の波はよるよるの月ともいはじ朝霧の空
                                 三條西實隆

雪玉集、秋、明石浦。室町後期の人、宗祇より古今伝授を継承したと伝えられる。
邦雄曰く、第三句「寄る-夜」懸詞から「月」に移るあたりのはからいが、連歌時代にはひとつの機知として愉しまれたのだろう。初句六音の重みは結句の叙景と微妙に照応し、大家の風格と。

 秋の田の穂の上に霧らふ朝霞何処辺(いづへ)の方にわが恋ひ止まむ
                                 磐姫皇后

万葉集巻二、相聞、天皇を思ひたてまつる御作歌四首の一。仁徳天皇皇后の高名な相聞。
邦雄曰く、朝霧の晴れやらぬように、その胸も結ぼれるとの心であろう。かすかに悲痛な響きが、一首を内側から支え、殊に三句切れが印象的、と。

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October 20, 2005

さむしろや待つ夜の秋の風ふけて‥‥

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-今日の独言-

撤退つづく海外メディア
 「報道写真家から」というブログがある。中司達也さんというフリーの報道カメラマンが、海外ルポから国際政治、旅行記など思うにまかせて書き継いでいる。時々読ませていただくのだがテーマ性も明確で問題への肉薄もしっかりしていて読み応え充分。
19日付は「日本から撤退する海外メディアと神船6号」と題した一文。
ここ数年で、かなりの海外メディアが日本から撤退しているらしい。要するに日本が発信しうるニュース価値が「失われた十年」以後著しく低下している訳だ。所詮、ニュース価値などは地球世界のなかで相対的なものとしてその時代々々を反映しつつたえず流動してゆく。日本から海外メディアがどんどん撤退しているということは、より高いニュース価値を求めて他の国々へと移動している訳だ。その他の国々とは、現在の場合、中国を措いて他にはあるまい。この変化の相の下で、靖国参拝が著しく外交問題の傷を深くしているという構図に、小泉首相はいまだ考えが及ばないのか、或は側近や外務官僚から指摘されながらも知らぬ半兵衛を決め込んでいるのか、いずれにしてもファナティックで迷惑千万なナルシストだ。新人議員たちを前に「政治は洞察力だ」と宣うたという当の本人にこそ、そっくりその言葉を返したいもの。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-12>
 いつまでのはかなき人の言の葉かこころの秋の風を待つらむ
                                 詠み人しらず

後撰集、戀。想いの人は心あるやあらずや、疑えばきりもなく惑うばかりの我が身に耐えがたくも、なお真心の便り-返書をひたすら待つのみ、か。四句「こころの秋を」に新鮮な響きがあり、邦雄曰く「下句の縷々とした悲しみは、類歌数多の恋の部に紛れない」と。

 さむしろや待つ夜の秋の風ふけて月をかたしく宇治の橋姫
                                  藤原定家

新古今集、秋。藤原良恒邸で催された花月百首中の歌。宇治川にかかる宇治橋には諸説の橋姫伝説があり、古来、橋姫に寄せて詠まれた歌は数多ある。
四句「月をかたしく-片敷く」は、衣片敷くが定型的な表現だが、あえて新奇を狙い転換させたもの。邦雄曰く「三句「風ふけて」は、鴨長明が無名抄の中で厳しく咎めている奇抜な修辞の一つだが、「月をかたしく」と共に、いわゆる達磨歌の面白み躍如」と。

              ――「達磨歌」についての参照記事

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日が山に、山から月が、柿の実たわわ

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<芸能考-或は-芸談>-04

<達磨-だるま-歌>

 塚本邦雄の「清唱千首」を参照していると「達磨歌」なる初めて眼にする呼称に何度か出くわしては悩まされていた。「達磨-だるま-歌」、いかにも揶揄したような滑稽味あふれた呼称だが、此方こそ意味不明、手も足も出ずダルマさん状態であった。
どうやら単純にいえば、奇を衒った手法を駆使して訳が分らぬ、解釈しようにも手も足も出ないような歌に対して「達磨歌」と揶揄蔑称したもの、ということらしい。
ところがよく調べていくと、この呼称問題の奥はけっこう深いようだ。
 平安末期から鎌倉初期、終末観漂い暗い世相のなか新しい風が求められたひとつの時代の転換期である。宗教においても文芸においても新旧の交錯拮抗する時代でもあったのだ。
慈円や藤原良経、定家らがつどう九条家サロンの歌人たちは、先達古今集の歌風を刷新すべく新風を吹き込もうとした。具体的な技法の工夫としては、句切れの多用、語句の倒置や圧縮と飛躍、体言句の羅列など、従来からすれば新奇・奇矯な修辞法を駆使し、いわば事理に基づいた短歌的抒情、論理的な意味的結合の流れを断ち切って、体言句のもつ象徴的な喩・像の連合を一首の軸として歌の世界を構築しようとした。これら新しい歌風に対し、古今の伝統世界を是とする旧派歌人たちは、先述したように「達磨歌」と呼び嘲笑し蔑んだ。新風に対する否定的・批判的な論を展開した一方の雄に「方丈記」鴨長明がいる。長明は自著「無名抄」において「露さびて、風ふけて、心のおく、あはれのそこ、月のありあけ、風の夕暮、春の古里など、初めめづらしく詠める時こそあれ、ふたたびともなれば念もなき事、-略- 斯様のつらの歌は幽玄の境にはあらず、げに達磨とも是をぞいふべき」と記している。新風の「達磨歌」が、長明の言うように単なる言語の遊戯にしかすぎないなら、まさしく初めはめずらしく詠めても二度目となれば悪い意味でのマニエリスム以外のなにものでもないだろうが、彼の批判も些か一面的に過ぎたようである。
 九条家サロンの歌人たちと意外に近しい位置に居た曹洞宗の開祖道元は自著「正法眼蔵」の山水経の段において「水は強弱にあらず、湿乾にあらず、動静にあらず、冷煖にあらず、有無にあらず、迷悟にあらざるなり。こりては金剛よりもかたし、たれかこれをやぶらん。融じては乳水よりもやはらかなり、たれかこれをやぶらん。-略- 人天の水をみるときのみの参学にあらず、水の水をみる参学あり、水の水を修証するゆへに。水の水を道著する参究あり、自己の自己に相逢する通路を現成せしむべし。他己の他己を参徹する活路を進退すべし、跳出すべし。」と説く。万物諸相の多様のうちに、それぞれ相通じ逢着する道があり、それらを実際に徹底して行き来したうえに、そこから跳び出すことこそ本来の参学だ、ということかと思えるが、最後の言葉「跳出すべし」とは、論理的な意味的結合の流れを断ち切って、その外部へと跳び出すこと即ち新しい世界像を獲得することであり、新風歌人たちの美学と大きく響きあっている。この仏法世界と歌の世界との共鳴は、世界と人との新しい関係の自覚であり、時代の変化に潜む要請でもあったのだろう。
 この当時、「達磨」とは新しい時代の、新しい思想潮流のキーワードであったのだ。定家らの新風が同時代の人々に「達磨歌」と一方で揶揄されるように呼ばれ、他方で定家ら自身、これを逆手にとって新風の呼称として止揚し、自ら積極的に自己規定していくのも、時代の転換期の背景のうちに必然性として潜んでいたのである。

   ――参照サイト「院政期社会の言語構造を探る-達磨歌」

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October 19, 2005

契りとて結ぶか露のたまゆらも‥‥

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-今日の独言-

異彩を放つ本歌取り「続 明暗」
 漱石の「明暗」を読んでもいないくせに水村美苗の「続 明暗」を読んでみた。いわば本歌取りを鑑賞して未知の本歌を偲ぶという、本末転倒と謗りを受けても仕方のないような野暮なのだろうが、それなりにおもしろく楽しめた。
本書冒頭は、漱石の死によって未完のまま閉じられた「明暗」末尾の百八十八回の原文そのままに置かれ、津田と延子の夫婦と津田のかつての恋人清子との三角関係を書き継いでいく、という意表をついた手法が採られている。
換骨奪胎という言葉があるが、過去の作品世界を引用、原典を擬し異化し、そこに自己流の世界を構築するという手法は、古くは「本歌取り」などめずらしくもなく、今日では文芸に限らずあらゆる表現分野に遍くひろまっているとしても、本書の成り立ち方はとりわけ異彩を放つだろう。
著者は文庫版あとがきで「漱石の小説を続ける私は漱石ではない。漱石ではないどころか何者でもない。「続明暗」を手にした読者は皆それを知っている。興味と不信感と反発のなかで「続明暗」を読み始めるその読者を、作者が漱石であろうとなかろうとどうでもよくなるところまでもっていくには、よほど面白くなければならない。私は「続明暗」が「明暗」に比べてより「面白い読み物」になるように試みたのである」という。
小説細部は晦渋に満ちた漱石味はかなり薄らいでいるとみえるも、なお漱石的世界として運ばれゆくが、延子の夫津田への不信と絶望に苛まれ死の淵を彷徨った末に、新しき自己の覚醒にめざめゆく終章クライマックスにおいては、もはや漱石的世界から完全に解き放たれて作者自身の固有の世界となった。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-11>

 契りとて結ぶか露のたまゆらも知らぬ夕べの袖の秋風
                                 飛鳥井雅経

明日香井集、秋風増戀。平安末~鎌倉初期。飛鳥井流蹴鞠の祖。源実朝と親交あり、定家と実朝の仲を取り持ったとされる。
邦雄曰く、情緒連綿、潤みを帯びた言葉をアラベスク状に連ね、人を陶酔に導くかの調べ。第四句の「知らぬ夕べの」で、ひらりと身をかわし、一首に言いがたい哀愁を漂わせ、それを受けつつ「袖の秋風」と、倒置法を思わす結句のかすかな抵抗感で、歌を引き締めるところ心憎いばかり、と。

 高円の尾上の萩の摺りごろも乱れてくだる雲の秋風
                                 正徹

草根集。室町中期。定家の風骨に学び、夢幻的・象徴的な独自の歌風。歌論書に「正徹物語」。
邦雄曰く、歌の背景には伊勢物語の「若紫の摺衣しのぶの乱れ」を匂わせ、第四句「乱れてくだる」が一首を際立たせる。山の頂から麓まで、萩の花群を乱しつつ吹き下る秋風。絢爛としてしかも寂びさびとした光景、速力ある調べは正徹の本領を遺憾なく伝える、と。

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October 18, 2005

葛の葉のうらみにかへる‥‥

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-今日の独言-

四面楚歌か? 市長辞任、出直し選挙。
 関市長が辞任を表明した。
職員厚遇問題で昨年から叩かれつづけている大阪市は深刻な財政破綻を抱えてもはや重篤状態だが、旗を振る関市長の再建策は、足並み揃わぬ与党会派の理解を得ながらの調整作業や推薦団体の市職労組の根強い抵抗などの所為か、なかなか大鉈をふるえず遅々として進まない。
地方行政の首長には議会の解散権がない。ならば残された手法は自ら辞任し、出直し選挙で市民に信を問う形しかないという訳だろうが、さてこの非常手段が果たして血路を開くことになるのか、愈々混迷の淵に落ち込んで抜き差しならぬことになるのか、まったく不透明で予断が許さない。
関市長に請われて民間登用された大西光代も足並みを揃えて助役を辞任するが、出直し選挙で仮に関市長が再選されても、再び助役に就く意志はないといっているのもよく判らない。小泉首相の解散騒ぎで候補者にと請われたり、他分野から寄せられる期待も大きかろうが、この時点でのコンビ解消は混迷に拍車をかけるのは必至、との認識は彼女にはないのかな‥‥。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-10>

 白妙の袖の別れに露落ちて身にしむ色の秋風ぞ吹く
                                    藤原定家

新古今集、戀五、水無瀬戀十五首歌合に。後朝(きぬぎぬ)- 一夜を共寝して迎えた朝、その別れ-を、「袖の別れ」と表したとき、一首の冴えは決したとみえる。和泉式部の「秋吹くはいかなる色の風なれば」を意識して作られたかと。

 葛の葉のうらみにかへる夢の世を忘れがたみの野べの秋風
                                    俊成女

新古今集、雑上、寄風懐旧といふことを。葛の葉の「うらみ」は裏見-恨みの懸詞は使い古されたものだが、「夢の世」はここでは過去を思わせ、「忘れがたみ」に響かせて情を盡くすあたり、当代屈指の感しきりとか。

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October 17, 2005

人ぞ憂きかきなす琴の調べだに‥‥

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-今日の独言-

事件は、偶然のように‥‥
 身体表現における即興の場などというものは、その人自身の既存の呪縛から解き放たれるためには、いったいなにがヒントになったりキッカケを生みだすか、まったく予測のつけがたいものだ。
昨日は稽古場で、数日前に記事として挙げた、「フロイト=ラカン」の<人の欲望は他者の欲望である>ということをキィワードに少し話をしてみた。このテーゼは、いいかえれば自分の「無意識」とは厳密には「他者の欲望の場」であり、「無意識は他者たちの語らいの場である」ともなる。
この論理に則れば、自分自身の固有の身体もまた、他者の身体によって生きられている、というアナロジィを想定しうる。身体とのみいって解りにくければ、身体形式あるいは身体の動きとしてもよい。そういった視点から想像力を羽ばたかせてみるならばどうなるだろうか。かいつまんでいえばそんな話。
これまでどうにも固有の壁を破れなかった一人が、劃然とその殻を破った動き方=表現をはじめたのである。従来とはまったく別人のごとく奔放な表現がどんどん繰り出されてくる。これはひとつの事件である。
念の為言い置くがこれは初心者レベルのことではない。初心者の呪縛を解放してやることはさして難しいことではない。十年選手のようにすでにまがりなりにも表現者として自分固有のスタイルを有してしまっている者において「劃然と悟る」へと到らしめるには、という難題であって、実際、私は彼女に対して、もうかれこれ丸一年以上、そのことを課題にしてきたのだった。
おそらく昨日のその事件は、彼女にとっては靄々と溜めに溜め込んできた得体の知れないものの偶然見出された突破口なのだろうし、その意味では内的必然だったのだろうが、現れとしてはまったく偶然のようにしか起こり得ない。これでやっとひと山超えてゆくことができるだろう。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-9>
 人ぞ憂きかきなす琴の調べだに松の風には通ふならひを
                                 惟宗光吉

惟宗光吉集、寄琴戀。鎌倉後期~室町初期の人。惟宗氏は代々医家として名高い。和漢の才を謳われた。
「人ぞ憂き」の初句切れに、本来なら言外に感じさせるべきような主観的表白を、冒頭にはっきりと提示する趣向が、耳目を集める効果となろうか。

 わが前に住みけむ人のさびしさを身に聞き添ふる軒の松風
                                 夢窓疎石

正覚国師御詠。鎌倉後期~室町初期の臨済僧。天竜寺ほか諸国に多くの寺を開き、作庭にも優れた。
鎌倉山の旅中、人の住み棄てた侘しい草庵に一夜宿した折に詠んだとされる清韻の調べ。下句「身に聞き添ふる軒の松風」に観照の深さと語の工夫が感じられる。

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October 15, 2005

吹きしをる四方の草木の裏葉見えて‥‥

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-今日の独言-

塩野七生の「ローマ人の物語」
 一昨日、昨日と、気分転換に塩野七生の「ローマ人の物語」シリーズを久し振りに読んでいた。文庫版では現在すでに23巻まで刊行されているというのに、私が手にしたのは6巻と7巻。まだカエサルの登場以前である。まてよ、久し振りにというけれど、このシリーズは三年前から文庫版化されはじめたのだから、1巻~5巻までを読んだのはたしか一年半ばかりまえではないか。いやもっと以前かもしれない
紀元前二世紀半ば、第三次のポエニ戦役で強大国カルタゴを完全に滅亡させたその後から、BC63年、ポンペイウスのオリエント制圧によって地中海に面した全域がローマの覇権下となるまでを描く。グラックス兄弟、マリウスとスッラ、そしてポンペイウスと連なる約百年間、共和制下ローマの覇権拡大の道のりは決して平坦なものではない。軍事指導者と元老院たちとの対立相克が絶えずつきまとい、制度的な矛盾を露呈しつつ、ときに血の粛清が繰り返されもする。属領、属国の拡大は奴隷層の民をも飛躍的に増大させる。BC73~2年にはスパルタクスの叛乱も起こった。
著者はこれにつづくカエサルの時代をルビコン以前と以後に分け、8~13まで6巻をあてている。はて、これらを読むのはいつのことになるやら。きっとしばらくはツンドク状態に置かれたままだろう。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-8>
 さりともとつれなき人を松風の心砕くる秋の白露
                                 藤原良平

千五百番歌合、戀。九条(藤原)兼実の子。良経の弟。さりげなくも意外とみえる初句の発想。「砕くる-露」の新鮮ともみえる巧みな縁語。作風は地味だが詩心の味わいは深い。

 吹きしをる四方の草木の裏葉見えて風に白める秋のあけぼの
                                 永福門院内侍

玉葉集、秋の歌とて。作者はこの一首をもって「裏葉の内侍」と称されたと伝えられる。自然への緻密な観照に加えて、第三句の字余りがゆったりとした調べをもたらし、独特な風雅を生んで印象的。

今月の購入本
 鷲田清一「現代思想の冒険者たち-メルロ・ポンティ」講談社
 水村美苗「続 明暗」新潮文庫
 塩野七生「ローマ人の物語-8~13」新潮文庫
 L.ウィトゲンシュタイン「ウィトゲンシュタイン・コレクション」平凡社ライブラリー
図書館からの借本
 岡井隆「短詩形文学論集成」思潮社
 市川浩「現代芸術の地平」岩波書店

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October 14, 2005

入る月のなごりの影は‥‥

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-今日の独言-

ブロンボス洞窟の巻貝
 南アフリカのブロンボス洞窟で発見された巻貝の貝殻は、7万5000年前近く前に人類がビーズ飾りを作るために孔をあけられ、最古の装身具だったと推測されている。孔のあいた貝殻ビーズのほかに、骨器で文様を掘られたオーカー(赤鉄鉱)など、お洒落の道具や贈答品として使った可能性のある道具が多く出土したという。これらの出土は既にこの頃より人類は象徴的思考能力を有していた証拠となるとノルウェーの考古学者ヘンシルウッドはみている。
 考古学上は2003年、エチオピアで発見された化石から,現生人類はすでに16万年前に出現していたことが明らかになっていた。さらに今年2月には、エチオピアの別の遺跡で出土した化石の年代測定結果によって、は19万5000年前へと遡る可能性が出てきた。しかし,人類がいつ頃から現代人と同じような精神や高度な道具を持つようになったかについては、従来は約4万年前のことだろうと考えられてきたのだが、ブロンボス洞窟の出土類はこの時期を大きく遡らせることになる。
 参照サイト-
日経サイエンス「人類文化の夜明け」

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-7>
 すみなれし人は梢に絶えはてて琴の音にのみ通ふ松風
                                 藤原有家

六百番歌合せ、寄琴恋。平安末期、家隆、定家と同時代人。第二句の「梢」に「来ず」を懸けて、待つ恋の哀れを通わせ、下句「琴の音にのみ‥‥」と結ぶ味わいに「細み」の美を感じさせる。歌合せの右歌は慈円の「聞かじただつれなき人の琴の音にいとはず通ふ松の風をば」

 入る月のなごりの影は嶺に見えて松風くらき秋の山もと
                                 藤原定成

玉葉集、秋下。鎌倉時代、藤原北家世尊寺流、行成の末裔。玉葉集や風雅集の特色は、一首の核心を第四句に表して、風情の面目を一新する、という。この歌も第四句「松風くらき」が、月明りのすでに傾いた頃の闇深く、影絵となった山麓の松林という実景が心象風景ともなって幻視のごとく浮かびあがる。

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こほろぎに鳴かれてばかり

<古今東西-書畫往還>

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<人の欲望は他者の欲望である>

 人間の欲望は、内部から自然と湧き上がってくるようなものではなく、常に他者からやってきて、いわば外側から人間を捉える。
だがこのことはけっして人間の主体的決定の余地を奪うものではない。人間の主体的決定は、まさに、この他者からやってくる欲望をいかに自分のものにするかということのうちに存するのだ。フロイトの発見した「無意識」とは、そのような主体的決定の過程において、いいかえれば、他者から受け取った欲望を自分のものに作り替えていく過程において、形成されるものにほかならない。
 人が成長してゆくなかで、他者の欲望との出会いは繰り返される。人が幼少時から重ねてきたさまざまな決断や選択は、どれほどそれを自分自身で行ったと思っていても、実はもともと親や教師や友人といった他者から与えられたもの、あるいは伝達されたものにすぎない。だが、人はいつしかそれらの出会いを忘れてゆく。出会われた欲望がやがて忘れられてゆくのは、それが他のものに取り換えられるからである。一つのシニファン――というのも、他者の欲望は常に一つのシニファンのもとに出会われるだろうから――を他のもう一つのシニファンに取り換えること。ラカンは、フロイトの「抑圧」をこのようなシニファンの「置き換え」のメカニズムとして捉え直すのである。他者からやってきた欲望を抑圧することで、人はその上に自分の欲望を築いてゆくのであり、抑圧された他者の欲望は「無意識」を構成し、無意識において存続する。
 このように、精神分析における「無意識」とは厳密には他者の欲望の場である。それは他者の止むことなき「語らいの場」である。先述のように、欲望はシニファンの連鎖によって運ばれるが、その連鎖が形作るものを名指すのに「語らい」ほど適した言葉はない。それゆえラカンは、「無意識は他者の語らいである」と繰り返す。主体が生まれる前から常にそこにおいて語らっていた「大文字の他者」は、この語らいが運んでいる欲望が主体のうちで抑圧され、無意識を構成するようになった後も、けっして語らうことをやめない。私たちに毎夜夢を紡がせるのは、まさにこの「他者の語らい」にほかならないのである。

  ――新宮一成・立木康介編「フロイト=ラカン」講談社 P43-45

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October 13, 2005

ありし夜の袖の移り香消え果てて‥‥

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-今日の独言-

進まぬパキスタン被災者救出。
 パキスタン地震の被災者救出が遅々として困難を極めている。地震発生が8日午前8時50分、学校では授業がすでに始まっていた時間帯。さらには断食月に入った直後だけに家屋内に居た人々が多かった。丸4日経っても被災者の救出は一向に進まない。死者は4万にも達するかと予想されてもいる。また250万もの人々が野外に取り残されたままの避難生活が続いているという。
昨年末のスマトラ沖地震による津波災害においても大量の犠牲者とともに甚大な被害をもたらした。後進性と人口過密を抱えたアジア各地でひとたび大きな自然災害が起きると、これほどに犠牲者もひろがり救出・救援活動もお手上げのような状態となる。
現在のところ、救援活動として日本からパキスタンに派遣されたのは、国際緊急援助隊による救助チーム49名と医療チーム21名の計70名規模。
12日になって、防衛庁は陸上自衛隊120名の派遣命令を出し、早ければ13日にも出発させるという。これに先立ち現地調査のため先遣隊20名は12日成田を出発したらしい。
一方、イラクへの第8次自衛隊派遣部隊600名に対し、11日夕、防衛庁長官により派遣命令が出された。10月下旬にも現在駐留している第7次隊と交代のため出発する予定とか。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-2>
 ありし夜の袖の移り香消え果ててまた逢ふまでの形見だになし
                                 藤原良経

六百番歌合せ、稀戀。一夜を共に過ごした相手の微かな袖の移り香だけが、唯一の愛の形見、追憶のよすがであったものを。読み下すままに簡潔にして溢れる情感が、結句「形見だになし」の激しい断念の辞と見事に照応する。

 夏衣うすくや人のなりぬらむ空蝉の音に濡るる袖かな
                                 俊成女

続後拾遺集、戀四、千五百番歌合せに。夏衣は「うすく」の縁語。思う人の情の薄く変わり果てたさまは、「空蝉」の語にも響きあう。晩夏、蝉の声を聞くにつけても侘しさに涙し、袖は濡れる。

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October 12, 2005

影うつりあふ夜の星の‥‥

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-今日の独言-

 高村薫の「レディ・ジョーカー」を読む。
二段組で上下巻850頁余の長篇はさすがに一気呵成という訳にはいかない。
前半は輻輳した運びに些か冗漫さがついてまわりなかなか読み進まなかったが、上巻の終盤あたり「事件」以後は太い縒糸のごとく緊密な運びとなって読むのも急ピッチに加速した。
著者は「グリコ・森永事件」に着想を得たというが、直接には現実の事件とは関わりなく、その構想力と構成の確かさはバブル経済下の政・官・財の癒着構造によく肉薄しえている。人物たちの設定や配置も巧みだし描写もしっかりし、些か観念的ではあるにしても、それらの関係の中であぶり出しの絵の如く現代社会の病巣を浮かび上がらせている。
読み終えてから今更ながら昨年に映画化されていることを知ったのだが、その勇気ある野心には敬意を表するけれど、映像化にとても成功するとは思えないのであまり食指は動かない。同じ著者の「晴子情歌」の抒情世界ならぜひ映像で見てみたいと思うものの、これはこれとてさらに難題だろう。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-6>
 影うつりあふ夜の星の泉河天の河より湧きていづらむ
                                 十市遠忠

遠忠詠草。室町後期の武将で歌人。大和国十市城主(奈良県橿原市)。集中に七夕を詠じた「天・地・草・木・蟲・鳥・衣」の七題の歌があるそうでこれは「七夕の地」にあたる。泉を天の河に見立てた趣向。上句と下句の対照は連歌の付合いを想起させ、室町後期というこの時代を思わせるか。

 露くだる星合の空をながめつついかで今年の秋を暮らさむ
                                 藤原義孝

藤原義孝集、秋の夕暮。平安中期、一条摂政伊尹(これまさ)の子で、後少将或は夕少将と称されたが20歳未満の若さで夭折した。「星合の空」とは彦星・織女が出会う七夕の空の意。上句の「露」は涙を暗示し、四句の「いかで」の語に暗澹とした思いがにじむ悲歌。

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October 11, 2005

狩りくらし七夕つ女に宿借らむ‥‥

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-今日の独言-
「キューポラのある街」の早船ちよさんの訃報。
映画「キューポラのある街」の原作者で知られた児童文学者、早船ちよさんの訃報が9日報じられた。享年91歳、老衰によるとあるから、天寿をまっとうした静かな往生であったろう。
原作の小説は1959年、雑誌「母と子」に連載されたという。日活で映画化されたのは’62年、主演は吉永小百合、共演に浜田光夫。浦山桐郎の初めての監督作品だった。以後、日活は主軸のアクション路線に加えて、吉永小百合を中心とした青春純愛路線の映画を量産していく。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-5>
 狩りくらし七夕つ女に宿借らむ天の河原にわれは来にけり
                                 在原業平

古今集・秋上、伊勢物語第八十二段。惟喬親王の桜狩に従い交野の渚院でものした歌とあり。「交野を狩りて、天の河のほとりに至るを題にて、歌よみてさかづきはさせ」との仰せによる。当意即妙の応酬を超えて、華やかで悠々たる詩情。枕草子に「七夕つめに宿借らむと業平がよみたるもをかし」との件ありと。

 ながむれば衣手すずしひさかたの天の河原の秋のゆふぐれ
                                 式子内親王

新古今集・秋上。七夕といえば織女と彦星の儚い逢瀬に寄せた調べの多いなか、式子は「ながむれば衣手すずし」と爽やかな季節感だけを表立てていかにもおおらかに直線的に詠み放った。それも星のきらめく夜ではなく夕暮れを歌うという間接的な手法など、新古今の七夕歌のなかで際立っている。

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October 09, 2005

契らねど一夜は過ぎぬ‥‥

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-今日の独言-

紀宮の皇族退職金? 1億5250万円。
 皇室経済法という法律があるそうだ。紀宮が結婚によって近く皇族から離れることになるが、その折に一時金として支払われる金額が1億5250万円と決まったことが報道されている。いわば皇族退職金のようなものだ。この額がわれわれの生活感覚からして理に適った妥当なものか、その判断は各々意見も分かれよう。
この額を決定する根拠となるのが皇室経済法なのだが、この法の規定に基づく最高限度額がこの数字になるらしい。件の法律がどんなものなのかNetで読んでみたが、平成9年以降の改正事項は有料となっていたので、さらに追うのはやめにした。
女性問題や年金未納のスキャンダルで相変わらず話題をふりまいてくれる小泉チルドレン杉村太蔵クンに、歳費と通信費等で年間3600万円支給されるのに比べれば、ごくつましいものと感じられもするから、この日本という国、なかなか奇妙な国ではある。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<雜-1>

 東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ
                                 柿本人麿

万葉集巻一、詞書に軽皇子の安騎の野に宿りましし時。あまりにも人口に膾炙した人麿の代表的秀句。
「炎-かぎろひ」とはきらきらする光。野の果てから昇りはじめる陽光の兆し、曙光である。
一望千里というか遥々とした眺めの雄大さは格調高い。結句は万葉集原文では「月西渡」と表記されのだが、まだ西空に月の残る景が<時間>を感じさせるか。

 契らねど一夜は過ぎぬ清見潟波に別るるあかつきの雲
                                 藤原家隆

新古今集、羈旅の歌。偶々縁あって駿河の国は清見の港に一泊、寄せては返す波と別れてゆくかのように、遥かにみえる暁の雲。その雲に漂白の身が重ねられているのだろうか。三句と結句の体言止めが結構を強めている。

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October 08, 2005

ここを墓場とし曼珠沙華燃ゆる

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<身体・表象> -14

<右-左と超越>

 子どもが右と左を区別するようになるのは、上-下や、前-後に比べてはるかに遅く、ほぼ6歳前後といわれる。これは右利き、左利きの利き手が安定する時期ともほぼ重なっている。利き手は文化による強制力もあるが、一般に右利き優位であり、それにともなって空間的にも右側に高い価値を与えられる傾向がある。ところが空間としての右-左は、向きを変えれば容易に逆転され、その非等質性は消されてしまう。したがって右-左は差異化されつつも、非可逆的な上-下と異なり、可逆性に富むということだ。
 多くの場合、右はプラスの価値とされ、左よりも高く評価される。「右に立つ」というのは上位・上席に立つことを意味することが多い。「右腕になる」「右に出る」「右にならえ」なども右優位の文化を背景にしている。それに対し、「左遷」「左前になる」など左はマイナス価値を帯び、劣ることや不吉なことを意味するようになる。
 世界中で右を重んじる民族や文化が多く、右は光、聖、男性、正しさ(right)を意味し、左は闇、曲、女性、穢れを意味することが多いのだが、古代の日本では左大臣が右大臣より上位とされ、左は神秘的な方向として右よりも重んじられる傾向があった。「ヒダリ」の語源は南面したときの東の方向になので「ヒ(日)ダ(出)リ(方向)」の意かと岩波古語辞典はいう。これは太陽神崇拝と関係して左が価値化したとも考えられる。そして中国文化の渡来とともに右優位の思想が入り重層化していったのだろう。

 ユングによれば、ラマ教徒の礼拝でストゥーバの周囲を廻るときは右回りに歩かねばならず、左は無意識を意味するから、左回りは無意識の方向へと動くことにひとしいからだ、としている。これに関連して湯浅泰雄は、仏教の卍は左回りであり真理のシンボルであるが、ナチスのハーケン・クロイツは逆マンジで黒魔術のシンボルだが、右回りが心の暗黒領域から出ていくイメージと結びついているからだろう、としている。ここには無意識-暗黒の根源へと降りゆき、それを自覚する超越と、暗黒-無意識の力の流出に身をまかせてゆく超越との違いがある。
 密教には向上門と向下門の対照がある。金剛界曼荼羅図は縦3×横3の九会に分けられているが、修業の過程をあらわす人間から仏にいたる向上門は、右下の降三世三昧耶会から左回りで暗黒領域に足を踏み入れてゆき中央の羯磨会=成身会にいたる。これに対し仏が人間をみちびくとされる向下門は、中央の羯磨会から右回りに向上門とまったく逆のコースを辿って降三世三昧耶会にいたる。すなわち向上門は自力の道をあらわし、正しい悟りにいたる修業の道は自力の修業のみで達するわけではなく、暗黒-無意識の魂の底からあらわれてくる仏の導きたる向下門-他力の道にすがらなければならないことを、この曼荼羅図はあらわしている。
入我我入-仏が我に入り、我が仏に入る-という相関-相入の関係において、左回りと右回りが価値において対立せず互いに相俟って、超越への道が開かれているのだ、と考えられている。

      参照-市川浩・著「身体論集成」岩波現代文庫

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秋といへど木の葉も知らぬ‥‥

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-今日の独言-

 漢字の歴史を塗り替える?  -参照記事-
そんな可能性もあるという中国最古の絵文字群が、寧夏回族自治区で発見されたと報じられている。
図案化された太陽や月など、約1500点もの絵文字が壁画のなかに見出され、最古のものは旧石器後期の1万8000年から1万年前のものとみられるというから、従来、漢字の起源とされてきた殷王朝の甲骨文字をはるかに遡る。
発見された絵文字は象形スタイルで甲骨文字にも類似しているそうだが、いまのところ解読されたのは
1500点のうちごく一部だけとのことで、解読作業の進捗が待たれる。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-4>

 秋といへど木の葉も知らぬ初風にわれのみもろき袖の白玉
                                   藤原定家

拾遺愚草・下。定家33歳の作歌。「木の葉も知らぬ」、「われのみもろき」の修辞には冴えわたった味わいがあり、その対照も妙。体言止めの結句も簡潔にて意は盡くされているか。

 夕星(ゆうつづ)も通ふ天道(あまぢ)を何時までか
         仰ぎて待たむ月人壯子(つきひとをとこ)   柿本人麿

万葉集巻十、秋の雜歌。七夕の題詠。宵の明星が歩む天の道を、いつまで眺めて待てばよいのかと、織女が歎きながら夜の天空を司るという月読みの青年に訴えている、という趣向。「ゆうつづ」は古代の読みで、その後「ゆうづつ」と変化。「月人壯子」の擬人化が新鮮に映って楽しい。

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October 06, 2005

暮れゆかば空のけしきもいかならむ‥‥

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-今日の独言-

 ひらかたパークの菊人形   -参照-
明治43(1910)年、京阪電車の開通記念として始まり、96年もの歴史をもつという、ひらかたパークの菊人形が12月4日の最終日をもって幕が閉じられる。
敗戦時の昭和19(‘44)、20(’45)年の二回のみ欠かしただけで、毎年秋に必ず開催されてきた菊人形展は、その規模といい華麗さといい我が国屈指のものだったろう。
私の幼い頃は、このシーズン、田舎からの来客などがあれば必ずといっていいほど、家族連れ立って観に行ったものだが、それももう遠い昔、セピア色になってしまった今となっては懐かしいだけの光景だ。
今年で打ち切りの話を聞いた枚方市が「菊人形製作技術伝承会」を設け、菊人形作りの継承を模索しているようだが、是非ひとつの伝承工芸文化として守り育てていくことを望みたいものだ。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-3>

 たのめこし君はつれなし秋風は今日より吹きぬわが身かなしも
                                 詠み人知らず

後撰集、秋の歌に編まれているが、身細るばかりの哀切な悲恋を詠んでいる。秋は飽きの縁語ともなっている。待つ恋の女歌か。「今日より吹きぬ」が効果あって、現実の風の冷やかさが感じられ、苦しい恋に嘆く女の溜息が聞こえるほどの調べとなっている。

 暮れゆかば空のけしきもいかならむ今朝だにかなし秋の初風
                                 藤原家隆

新勅撰集、秋上。歌の中心は三句と四句。述懐の心、思いの深さが、「いかならむ」、「今朝だにかなし」によく籠もり、結句の体言止めが効果をあげて、確かな技巧と映る。

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October 05, 2005

珠衣のさゐさゐしづみ‥‥

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-今日の独言-

 有終の美、岡田阪神のリーグ最終戦。
今夜の試合が阪神の今季最終戦だったが、またも見事な試合で観客を魅了してくれた。
横浜を相手に、最多勝のかかった下柳が延長10回を投げ切って、鳥谷のサヨナラホームランで勝負を決めた。
すでにリーグ優勝して消化試合だというのに、4万7000人の観客を呑み込んだ雨の中の甲子園は沸きかえっていた。
岡田采配はほぼ完全に選手たちを掌握しきっているとみえる試合だ。
下柳に最多勝を取らせるべく、お定まりのJFK登板もせずに、勝利を呼び込むまでひたすら彼に投げさせ、チーム一丸の野球を見せた。
最後は劇的なサヨナラホームラン。これ以上の筋書きはないという最終戦。
解説の吉田義男氏が、阪神70年の歴史のなかで、こんなに見事な最終戦はなかったんじゃないか、と言っていた。
さもありなん、Vを決めた瞬間とはまた違った、胸に熱いものがこみあげてくる、見事な有終の美だった。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-1>

 珠衣のさゐさゐしづみ家の妹にもの言はず来て思ひかねつも
                             柿本人麿

万葉集巻四、相聞歌としてある。歌の心は下の句にいい尽くしてあまりあるか。上の句の「珠衣-たまぎぬ-のさゐさゐしづみ」はその心の形容だが、語感が美しく、妻に対する想いがたぎるように表出されている。と同時に、妻なるその人の容姿や服装までがほうふつと浮かんでくるような趣がある。

 春日野のわかむらさきの摺衣しのぶの乱れかぎり知られず
                              在原業平

新古今集・戀一。「女に遣しける」の詞書。「伊勢物語」の冒頭、男が春日の里へ狩に出かけ、姉妹を見初める件で贈った歌。この姉妹は、山城の新都に移っていった親にとりのこされてこの春日に留まっていたとの設定。源融の「みちのくのしのぶもぢずり‥‥」の本歌取りとされるが、調べも美しく情趣も深いか。

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またあふまじき弟にわかれ泥濘ありく

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'68年の公演チラシ、右側が当時23歳の私

<行き交う人々-ひと曼荼羅>

<堺市長選挙と長川堂郁子>

 本年2月、美原町との合併で人口83万人となり、15番目の政令指定都市をめざしている堺市の市長選挙が先の日曜日(10/2)実施された。結果は前市長木原敬介氏が再選され、来年4月にも誕生するとされる新政令都市堺の初代市長として二期目の市政に取り組むことになった。
投票率は32.39%。 確定得票数は以下の通りとされている。
   当89741 木原 敬介 =無現<2>自・民・公・社
    59146長川堂いく子 =無新 共
    55028 森山 浩行 =無新
     8280 山口 道義

 この結果から、共産党推薦を受けた無所属新人長川堂いく子の得票が、善戦したと評価できるのかどうかは、以前の選挙結果などを分析してみないことにはなんともいえないし、私は堺市住民でもないから実感をともなう材料とてないので不問としよう。

 本名、長川堂郁子、舞踊家、旧姓は毛利。私からいえば5歳年少で、現在56歳のはずだが、その旧知の彼女が堺市長選に候補者として名乗りを上げたニュースに接して大いに驚かされた。肩書きは舞踊家とされていた、そう、その昔は同門の徒であった。
 彼女を語るには40年近く時計の針を戻さなければならない。5年という年月の差を隔て私と同じ高校を卒えて、ということは当時まだ師のK氏が現職の教諭だった、その薫陶とともに感化を受けて、K師主宰の研究所へ入門してきたのは’68(S43)の春だった。彼女と同期の者たちは何人か居た。いま思い出すだけでも、HK女、HH女の顔が浮かぶ、輝くばかりに生気をみなぎらせた18歳の少女たちの姿が。
 この頃の記憶がかなり鮮明なのは、その年の6月、以前にも書いたことのある、K師夫人の茂子さんと天津善昭そして私の三人が、むろんK師の勧めもあってのことだが、ジョイントのリサイタルで、些か大袈裟な謂いになるが作家デビューしたからである。劇場は大阪厚生文化会館、現在の森之宮青少年会館の大ホールだから、当時としては晴れの舞台ではある。三人三様でお互いが三つの作品を創りあげるのに悪戦苦闘した数ヶ月だった。先輩にあたる茂子・天津の二人はこれまでにも若干の制作経験があったからよかったろうものの、私にとってはまったく未体験の未知なる世界だった。作品構成を「吼えろ吼えろふくろう党」-これは10人ばかりの群舞、「蝕」-踊り手に茂子・天津にご登場願い、私とあわせてのトリオ、「灰の水曜日」-8人4組の男女によるものとしたが、たしか彼女たちには「蝕」以外の二つに踊ってもらったはずだ。いまはもうない浜寺青少年の家で三日間ほどだったか呻吟に喘ぐばかりの制作合宿をしたのも懐かしい。どんな題が冠せられたものだったか失念してしまっているが、天津作品のなかにデュエット構成の作品があり、これを踊ったのが私と彼女であった。記憶をたどれば、はじめ私の相手役を務めていたのは高校時代からすでに研究生として経験を積んでいたHKだったのだが、如何せんHKは身長170㎝の偉丈夫?、私が165㎝だったからどうにも釣合が取れず制作イメージが遠ざかる。という次第で技術より雰囲気とばかり、まだ少女然とした彼女に白羽の矢となったわけである。
 この抜擢がその後の彼女にとって幸いしたか否かは微妙なところだったろう。おそらく彼女は有頂天になるほどに舞い上がっていたにちがいないが、彼女持ち前の芯の強さや勝気な気質とあいまって、周囲の先輩や同僚たちには生意気な子と映ることもあったのではないか。私の知るかぎりにおいて、その後の長い道のり、彼女の研究所での位置は決して温かい場所に恵まれたものではなかったように思われる。だが、彼女はその長い年月をよく持ち応えてはきた。あくまで自分は自分、他人の評価を意に介せず、マイペースを貫いて、自分なりの舞踊家としての矜持を保ちつづけてきたのだろう。
 初めの出逢いから何年経ってか、彼女は結婚して長らく豊中に住んでいた。そういえばいつだったか偶々会った時に、「新婦人の会の人たちとダンス教室を開いて教えている」と、そんな話を聞いたことがあったっけ。彼女の主宰するグループ駄々はそんなところから出発している筈だ。自分なりの舞踊世界の構築とともに、新婦人の会を中心に市民運動的な活動にも執心し取り組んできたのだろうが、その点に関しては私はよく知らないままに年を重ねてしまったが、彼女もまた敢えてあからさまに報告する気になれなかったともいえそうだ。’89(H1)年の中国公演にだって一緒に行ったりしたのだし、多くはないとしてもそんな機会は何度かはあったはずだから。彼女が堺市へと転居したのはいつだったのか、手紙などのやりとりでわかってはいたが、それがまたいつのことやらはっきりとしない。岸和田の住民で、作曲活動をしているT氏から、「オペラの振付を彼女にして貰ったことがありますよ」と聞かされたのは、今年の「グランド・ゼロ」合同公演の稽古場でのことだ。
 そんな彼女、長川堂郁子が堺市長選挙に候補者として立ったというのは、意外や意外、驚き入ったニュースだった。私の知るところではなかったが、数年前から新婦人の会の堺支部事務局長を務めていたらしいし、政令都市をめざしてひたすら走る堺市政に反旗をひるがえす住民運動もいろいろとあったろうから、新鮮な女性候補として彼女が浮上してくるのも、成程ありえないことではないのだが、少女の頃から知る我が身には思いもよらぬ仰天の出来事だったのである。

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October 04, 2005

吹く風は涼しくもあるか‥‥

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

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-今日の独言-

 アタリ、ハズレ、どっち?
昨日(10/3)、プロ野球の高校生を対象としたドラフト会議で、籤引きの勘違いから二件ものドンデン返しとなる騒動が起こったという。ハズレ籤をアタリと勘違いして発表され、ご丁寧にも本人たちに伝えられ、喜びの記者会見もした後に訂正され、再度の記者会見を行なうというドタバタ。
ドラフト制度には悲喜こもごものドラマはつきものだろうが、このドタバタ悲喜劇、当事者の高校生二人にとっては、笑ってすませるものではあるまい。事実、一人は訂正の結果が意中の球団とあって喜びもひとしおだが、もう一人は逆に意中の球団指名に喜びの絶頂から急転直下、気の毒にも涙の再会見となった。心乱れてなんともいいようのないこの哀れな少年に、マスコミも学校周辺もあらためて感想を強いるという構図もまた些かいかがわしいものだと感じさせられた。

<秋-2>

 幾年のなみだの露にしをれきぬ衣ふきよせ秋の初風
                                ―― 藤原秀能

承久の乱で後鳥羽院は隠岐に流謫の身となった。その隠岐には作者の猶子能茂が随行していたという。流謫の後鳥羽院を想い日々涙したのであろう。
三句切れ、さらに命令形で四句切れ、そして体言止めによる終句。この重層によって哀感はより強められる。

 吹く風は涼しくもあるかおのづから山の蝉鳴きて秋は来ぬけり
                                ―― 源実朝

金塊集中、秋の部にある。破調二句切れの万葉に学ぶ心。まだ二十歳をいくらも出ていないだろう実朝の諦観、内に潜む悲哀が、些か肩肘を張ったかにみえる歌の姿に、かえって痛々しく一首を貫いている感がある。

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October 03, 2005

秋来ぬと目にはさやかに‥‥

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

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-今日の独言-

 10月1日、インドネシアのバリ島テロで、死者22名、負傷者107名にのぼると報道されている。
不幸にも犠牲となった死者のうち日本人1名(青森県)が含まれていた。新婚の旅先での不慮の災厄。誠にお気の毒である。謹んで御冥福を祈る。
東南アジアのイスラム過激派「ジェマー・イスラミア」による可能性が高いとされているが、現在のところ犯行声明は確認されていないようだ。


<秋-1>

 この寝ぬる朝けの風の少女子が袖振る山に秋や来ぬらむ
                            ――  後鳥羽院

初句から第四句半ばまで、「山に秋や来ぬらむ」へとかかる序詞の働きとともに、
第三句「少女子-をとめご」が生き生きと鮮やかに浮かび上がる。

 秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる
                            ――  藤原敏行

古今集秋歌巻頭におかれ人口に膾炙した著名な一首。
子規は理の勝った凡作とみたが、上句における視覚と、下句における聴覚の、対照は際立ち、爽快に理を述べたてたその姿と調べは、そのありようこそ古今集の特色ともいうべき世界かと。
「さやか」は「さだか」とほぼ同じ意。

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October 02, 2005

萩が咲いてなるほどそこにかまきりがをる

<身体・表象> -13

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<方向性と超越 -1>

 上-下、右-左、前-後という空間的・方向的な対概念から成る超越の座標について。
この座標系は、デカルト-ニュートン的な均質空間のそれではなく、
あるパースペクティヴに基づいて、方向性をもった非均質的な空間を構成する質的座標系である。
その原点にあるのは、身体性をもった私という存在-身体であり、心であり、私である<身>そのものである。

[上-下への超越]
 上-下は、他の方向性に比べても特に非対称性、非可逆性が強いのが特徴だが、この非対称性が、象徴的にも大きな意味をもつことになる。
その理由として第一に、右-左や前-後は、身体の向きを変えれば容易に逆転されるが、上-下の逆転はそう容易なことではないこと。
第二に、上-下は重力の方向という強い方向性をもち、通常はこれを逆転できない。高い塔や高層建築の魅力は重力に抗う印象ゆえにともいえるだろう。また噴水の不思議な魅力も、自然の重力に抵抗する非日常性にあるだろう。
第三に、ヒトは直立歩行によって、頭化の方向=上と、行動の方向=前が分裂したことである。したがって前は実用的、行動的価値の方向であるが、上は非実用的なものとなり、精神的価値のみが強調される方向となる。
一般的にはこのように、上-空間は精神的にプラスの価値を帯び、下-空間はマイナスの価値を帯びる。<上>は神秘的なものの支配する空間、ミュトスの空間となり、神々や上帝、高天原、天国に比せられ聖化される。それにたいして<下>は地獄、黄泉の国、根の国に比せられ穢れた空間、マイナス価値の空間とされる。
しかし、仏教においては些か異なる。浄土は十方億土にあるとされる十方とは、上下二方のほか、東西南北とその中間の八方をいう。
また、農耕民族の地母神信仰や大地信仰のように、<下>である大地は産みの根源としてのプラス価値となるが、この場合、天は父なるものに、大地は母なるものに比せられる。概ね、多神教世界では<上-下>ともにプラス価値であり、天なる神=太陽神と地なる神=地母神のダイナミックな価値体系のなかで、地母神は生殖と死の象徴として両義的聖性を帯びることとなる。
ふつう、神への信仰は<上>への超越と考えられる。キリスト教的な信仰はそうだ。

 キルケゴールの実存哲学において「本来の自己すなわち実存は、神への超越、決断による飛躍を通じてのみ得られる」というのは<上>への超越がめざされている。
これにたいして、人間的生命の根底に向かって自己自身を取り戻そうとする、生の哲学は<下>への超越といえようか。。自己の根柢へ向かうとは、現象的自己を超え出て、自己が根づいている根拠へ遡ることであり、そのかぎり<下>への超越となろう。
<下>への超越を、より自覚的に徹底したのは、西田幾多郎である。
「我々の自己の底には何処までも自己を超えたものがある。しかもそれは単に自己に他なるものではない。そこに我々の自己の自己矛盾がある。此に我々は自己の在処に迷う。しかも我々の自己が何処までも矛盾的自己同一的に、真の自己自身を見出すところに、宗教的信仰というものが成立するのである。」(西田幾多郎「場所的論理と宗教的世界観」)という。この自己の底にある自己を超えたものは、いわゆる神のような超越者的な存在ではない。また単に自己に他なるものではなく、自己の内に潜む多数の或は無数の他者、いわばユングのいう人類に共通な普遍的無意識或は集合的無意識に通呈する世界といいうるのではないか。
キルケゴールにおいて、本来的な自己、真の自己は<上>への超越においてあらわれる自己であり、西田においては、自己を自己の底に超える<下>への超越において、真の自己はあらわれる。かように、自己を超え出ることによって、真の自己があらわれるという構造は同じだが、超越の方向は逆であり、対照的であるのは、たんに拠り所たるキリスト教と禅という発想の違いに還元しきれるのかどうか。

    参照-市川浩・著「身体論集成」岩波現代文庫

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October 01, 2005

落ちかかる月を観てゐるに一人

1998080200016-1

<世間虚仮>

<知らぬ顔の半兵衛?-靖国参拝大阪高裁違憲判断>

 9月30日、大阪高裁では、首相の靖国参拝を違憲とする判断が示された。
高裁レベルでは初めての違憲判断である。
この違憲判断の理由とされたもので見過ごしならない重要な点は、
小泉首相の靖国参拝は、首相就任前の公約があり、その実行としてなされていること。
そのうえで、小泉首相は参拝について現に、私的であると明言もせず、また公的立場での参拝を否定していない、との指摘である。-参照-
この二点について、虚心坦懐且つ真摯に受け止めれば、厚顔にも「分かりませんね、なんで違憲なのか」と憮然たる態度に終始することはできない筈なのだが、不満そうにそう応えつつどうやら年内の参拝機会を探っているようだ。-参照-

 ただ、その前日、29日の東京高裁では、私的参拝と判断し、憲法判断としては、公的参拝ならば違憲の疑いありと、としているようだ。
また、これまでの地裁レベルでは計7回の判決のうち、
公的参拝か私的参拝かについては、公的と判断したものが3回、私的と判断したものが1回、判断せずが3回。
違憲か否かについては、違憲が1回、その他は判断そのものに踏み込んでいない。-参照-
したがって、全体を眺めれば、公的か私的かについては、公的と判断しているのが多数派であり、
憲法判断には、慎重を期してか判断そのものを回避しているのが多数で、唯一判断に踏み込んだ場合は違憲とされており、
総体的にみるなら、公的参拝であり、違憲である、とするのが客観的合理的であるように見受けられる。

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