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March 31, 2005

うぐひすうぐひす、和尚さん掃いてござる

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<世間虚仮>


<愛知博-弁当持込解禁へ>

「当然だ」の一語につきる。

愛知万博への弁当持込が解禁へ」という記事が眼に飛び込んできた、その第一感。
ところが関連記事に、小泉首相じきじき「不便だから、検討を」と指示したという記事がある。
別段、我が国の最高首脳殿がわざわざ言及するほどのこともなかろうに、総理とはかほどの閑職なのかと苦笑とともに嘆息しきり。
そもそも、食中毒防止の為、弁当持込禁止なんて転倒した理由を付けて、
単なる業者への諂い、過保護の遣り口を、このまま会期中通そうものなら、
とことん不人気をかこち、閑古鳥が鳴き続ける結果をみること必定で、
早晩、こんなバカげた禁止は破棄せざるを得なかったのだ。

まあ、解禁になろうとなるまいと、観にゆく気もさらさらない私にとっては関わりないことだが、
多くの庶民が懐はたいてでも行きたいと考えておられるだろうから、大きな関門が一つ払われたことになる。
ゴールデンウィークまでにと言わず、直ちに解禁すべし。

思い返せば、70年の大阪万博も一度も足を運ばなかった。
85年だったか、筑波博ももちろん運ばなかった。
94年の大阪花博も、やっぱり行かずじまい。
この愛知博へも足を運ぶことなく、年を一つ重ねることになるだろう。


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March 29, 2005

仕立てを嗜めとは、懸かりをよく見せんとなり

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風姿花伝にまねぶ-<11>


物学(ものまね)条々-女

 およそ、女懸かり、若き為手の嗜みに似合ふ事なり。さりながら、これ一大事也。
 先、仕立見苦しければ、更に見所なし。
 女御・更衣など似事は、輙(たやす)く其御振舞を見る事なければ、よくよく伺ふべし。
 衣・袴の着様、すべて私ならず。尋ぬべし。-(略)-
 舞・白拍子、又は物狂などの女懸かり、扇にてもあれ、挿頭(かざし)にてもあれ、いかにもいかにも弱々(よわよわ)と、持ち定めずして、持つべし。
 衣、袴などをも、長々と含みて、腰膝は直ぐに、身はたおやかなるべし。
 顔の持ち様、仰けば、見目悪く見ゆ。俯けば、後姿悪し。
 さて、首持を強く持てば、女に似ず。いかにもいかにも袖の長き物を着て、手先をも見すべからず。帯などをも、弱々とすべし。
 されば、仕立を嗜めとは、懸かりをよく見せんとなり。
 いづれの物まねなりとも、仕立悪くてはよかるべきかなれども、殊更、女懸かり、仕立をもて本とす。

世阿弥は物学条々の第一に「女」の物まねを説く。
先ずは、徹底的に「仕立」つまりは「扮装」にこだわれ、という。
とりわけ、高貴の女人などについては、「すべて私ならず、尋ぬべし」である。
これは見かけだけの上でなく、きちんとした着衣や作法が演者の心に及ぼす働きを求めたものといえよう。
ただ、「舞・白拍子」以下、「帯などをも、弱々とすべし」と結ばれる段にて浮かび上がる仕立の姿は、現在の能楽における女のそれとは隔たりがあるのではないだろうか。
世阿弥の時代から今日までの600年の積重ねは、仕立の過剰を削りゝゝして、世阿弥が理想とした幽玄の美学へと結晶させてきた。

本文の急所は、「仕立を嗜めとは、懸かりをよく見せんとなり」
懸かりとは、風情や情緒と受け止めればそう遠くはないだろう。

世阿弥晩年の能作の書「三道」において、
「女体の能姿、風体を飾りて書くべし。是、舞歌の本風たり」
さらに「女御・更衣・葵・夕顔・浮船」などを言挙げ、
「貴人の女体、気高き風姿の、世の常ならぬ懸り、装ひを、心得て書くべし」と述べ、
その「世の常ならぬ懸り」とは「たけたる懸りの、美しくて、幽玄無上の位、曲も妙声、振り・風情も此上はあるべからず」ものであり、
それらを代表するものとして「六条御息所の葵の上に憑き祟り」、「夕顔の上の物の怪に取られ」や「浮船の憑物」など、「源氏物語」の世界から材を取った曲をあげる。
幽玄の美としての女体風姿の極意は
「梅が香を桜の花に匂はせて、柳が枝に咲かせてしがな」というのだが、
写実の精神からは到底及ばぬ、意(こころ)付けの妙味に奥ゆかしき美を見出す精神は、蕉風俳諧にも受け継がれ、現代の文芸精神にも脈々と生きつづけているだろう。

 -参照「風姿花伝-古典を読む-」馬場あき子著、岩波現代文庫


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March 28, 2005

窓あけて窓いつぱいの春

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<四方の風だより>


追記 <虚ろな王子・王女-松石俊夫の個展>

昨日、紹介した松石俊夫展について追記。
29日(火)PM6:00から、個展会場にてささやかなパーティ開催の予定。
ゲストイベントとして交友の音楽家たちによる演奏会もある由。
絵画と音楽のコラボレーションのひとときとして楽しめます。
どなたでも参加自由の無料。

勿論、私も参っておりますので、お出での節はお声掛けください。


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March 27, 2005

お天気よすぎる独りぼつち

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<四方の風だより>


<虚ろな王子・王女-松石俊夫の個展>

昨年9月、大阪府立現代美術センターで個展をした松石俊夫君が
今度は会場を中之島のアクサンギャラリーに移して、
虚ろな王子・王女と題した連作シリーズ個展を
今週、3月28日(月)~4月2日(日)の間、開催する。

インク、色鉛筆、パステル、モノプリントなどの混合技法を駆使しているという平面は
具象的なフォルムを媒介にしつつ独特の幻想世界を現出する。
人間の遥かな記憶や無意識へと遡行し、重畳する時間の迷宮へと誘う観がある。

松石君は私と同じ高校同窓、5年後輩にあたる。
以前に触れたことのある、先年物故した、私にとって友であり先達でもあった辻正宏君との機縁に結ばれる人たちの一人。


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March 26, 2005

しぐるるや犬と向き合つてゐる

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<エコログのなかのある対話から-その6>


四方館

食は人間のみならずあらゆる生命体にとっての本源的な欲求であり、
すべての欲望の原基とも云えるものだろう。
貴女のこの一文は、そのことに基づきつつ、食への欲求から、愛や知の高度な精神的欲求までをも、<欲望>の連続性で捉えているところが、とてもいいと思う。
おそらくは、貴女自身が、自分の心の病について、その病因のよってきたるところが、
この<欲望>の並外れた過剰さゆえなのだと、うすうす気づいているに違いない。
愛の力といい、生きる力といい、喧嘩に強いといい、人間力という。
あるいは反転して、ぎりぎりの状態といい、守りきるという。
これら一語一語に、貴女の<欲望>が奔流し溢れかえっている。
貴女は、自分自身の内部から溢れ出す<欲望>のままに、正直に、ひたむきに<生き>たいと挑み続けてきた。
だが、どんな場合でもそうだが、その前にはつねに大きな高い<壁>が立ちはだかる。
人がみな通過してくる思春期におけるアイデンティティーの確立は、その相克の結果とも云えるものだ。
おのれの<欲望>と立ちはだかる<壁>のあいだでなんとか折り合いをつけることだ。
貴女は、どうやらこの折り合いをつけることを、徹底的に嫌ったらしい。
自分の<欲望>にどこまでも正直に生ききるためには、いわゆる<正常>と<異常>の境界を越え出てしまうしかなかったのだ。

と、非常に雑駁な物言いだけれど、このように考えれば、私自身、貴女の心の病について、少しく腑に落ちてもくるのだが‥‥。
(2004/12/07 21:40)


私は過食症(摂食障害)歴12年でもありましたし、食行動に始まるこのエコログは、私にとって非常に、それこそ本源的なものを示す文章であったかもしれませんね。

「生まれる」という受動形としてよく取り上げられるように、人間が生まれることそれ自体は「欲望」ではありえませんが、その後は、ひたすら様々な「欲望」と自己をかかわらせていくのが人生だともいえますね。

「欲望」の過剰さでいえば、何より仕事について、「大いなる勘違い」というか、「壮大な計画・目標」をもっていて、もちろん今から考えれば到底実現不可能なことばかりでした。ボランティアに明け暮れて、研究と現場(臨床)、それを出身である人文系とまったく畑違いの社会福祉学研究に出来れば持ち込みたいなど、もちろん福祉にとって必要と見たからではありますが、専門分野だけでも3つ以上はあるのは、単なる「気が多かった」だけでは説明できない「欲望」の過剰ですね。何もかもをやろうとした・・。

正直に、ひたむきに生きたいと挑み続けてきた、そうです。ただし、今は、挑戦、という行為が出来る力は、もう私にはありません。その意味でも目標は、ありません。精神障害を負った以上、仕方ないのです。

折り合いがつけることができない、ごまかしもできない、そして、たえず自分のしていること、自分自身の「正当性」を問い続けてきた、その意味では非常に「倫理的」な人間であったことも確かです。

そうです、だから、上記列挙しただけでも、人間的にも「正常」と「異常」の境界を踏み越えるしかなかったのだと思います。でも、どう考えても、勘違い人生の期間は長かったけれども、「失って形成された今の『私』という心」という「今」は勘違い人生ではないし、そして、悪い人間だった、ということもどう考えて も考えられないですね。

とにかく、16歳時から、大変色んな症状の出た(もちろん身体症状も)14年間の闘病であり、健常者世界で対等(以上)にやってきた12年ほどでしたが、
今 に至って固定化したのは、一にも二にも「不安障害」という、心の頭痛を耐えに耐えるような毎日の我慢大会、究極、もう耐えられないと思うのは、それだけですので。これが病の落ち着き方として、まだましだったほうなのか、やはりこれだけ悪化しているのだからましとは言えないのか・・。

私は今ももちろん多趣味・多関心な人間ですが、非常に「倫理的」な生き方をずっと考えている人間でもあるんですよ。今ならそう言語表現することを知った、ということで、昔からずっとそうだったと思います。倫理学はきちんとはまるでやったことがないです、カント『実践理性批判』を読み続けたくて、いつも目の前にお いているのですが(最近になって、カントの素晴らしさが実にわかってきた、文章にしてもなんにしても)。

ごまかしもだいぶできるようになったのですが、まだまだですね。でも上記の「倫理的な」人間性を持った以上、ごまかしがこれ以上できにくいのは致し方ないでしょう。

処方箋のない心の病、「この先」が大変厳しいと思っています。治らないんですからね。我慢大会と頑張れない病気であるのを無理して努力すること(日常生活に しても仕事への努力にしても)、何より、実は不安の我慢大会がきついんですね。身体障害と同じだと、今になって実感します。

どうもありがとう。今回も適切なコメントいただけて、また私自身をよりお話できたと思い、嬉しいです。
(2004/12/08 08:59)


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けふまでは生かされた足を伸べる

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<風聞往来>


<解読すすむX染色体>

ヒトゲノム-遺伝子の解明が進んでいる。
HOTWIRED-JAPANのニュースで<解明されるX染色体の秘密>を読んだ。
専門知識のない私に記事内容を充分に理解することは出来るはずもないが、
記事によれば
X染色体にある1098個の遺伝子の詳細な塩基配列データの集まりについて調べたところ、
調査対象40人の女性のX染色体のすべてが変化に富んだ遺伝子活性を示し、それぞれが独自の遺伝子発現パターンを有するという。
こうしたことは女性のX染色体独特のもので、すべて同じ発現パターンだといわれる男性のX染色体と対照をなすらしい。

ご承知のように、性染色体は、女性の場合XX染色体、男性はXY染色体と、
女性(すべての哺乳類の雌)はX染色体を二つ持っているが、男性は一つしかない。
二つあるX染色体のうち、余分な複製は必要ないから片方は不活性化されると従来は考えられていたのだが、不活性化即ち沈黙=無機能という訳ではなく、不活性化している筈の遺伝子が遺伝病などの抑制に大いに与っているようだ、というのだ。

X染色体に関連する遺伝病は、色覚異常、自閉症、筋ジストロフィー、白血病、血友病など、染色体のなかで群を抜いて多く、300以上の遺伝病因子がX染色体に関連しているというのだが、
その発症が、女性よりも男性にはるかに多くみられるのは、X染色体を二つ持つ女性において、片方が突然変異を起こしても他方が活性化して代替機能を果たし、発症が抑制されるというメカニズムになっている、と。
必定、X染色体の予備を持たない男性は発症が多くなるという訳だ。

X染色体は、人類の進化をも解き明かすだろうと云われる。
X染色体とY染色体は3億年前に一対の常染色体から進化したことが明らかとなり、
この染色体の遺伝子コードの解明は、人類の歴史にまつわる物語さえも語る、と。

ゲノム配列解析の道は、まだまだ続く。


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March 25, 2005

痒いところを掻く手はある

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<風聞往来>


<地底旅行寄席はいかが>


大阪市内の西部、港区と大正区を分かつ境界を流れるのが尻無川。
その港区側の尻無川沿いに、
40年もの長い間、剥き出しの鉄骨を風雨に曝したままの、6000坪に及ぶ古い大きな工場群跡があった。
工場群跡と書いたが、実際には此処では5.60名の人々がずっと働きつづけてきた生活拠点たる砦でもあった。
「田中機械労働争議団」の拠点である、
70年代当時、戦前からの精糖機械メーカーとして中堅企業であった田中機械の経営陣は突然会社を倒産させる。決して業績不振だった訳でもないらしい。たえまなく組合が要求し続ける労働条件闘争に明け暮れる経営に嫌気がさしたともいわれる。
大和田幸治委員長率いる田中機械労働組合は直ちに工場を封鎖占拠した。
以来、彼らは生活と職場を守るため自主生産を続け、この工場群を生活拠点の砦としてきた。

89年には、温泉を掘削。その温泉の水を利用してミネラルウォーター「地底旅行」の販売を始めた。もちろん、温泉も組合員たちや地域の人々にも開放している。
98年には、イタリアのプラントを導入して、地ビール「地底旅行」を生産販売するようになり、同時に工場内中二階にレストラン「地底旅行」を開業。
その翌年からだと思うが、二階食堂を改装した田中機械ホールにて「地底旅行寄席」を月一回ペースで始めた。
この寄席が日の目を見、現在まで続いているのには、一昨年、露の五郎に代わって上方落語協会の会長となった桂三枝と幼馴染だった田中機械一職員との友情秘話が背景にある。
この寄席、今月で60回を数えるから、もう丸5年続いたことになる。

現在、先年の債権者側との調停和解により、敷地6000坪のうち4分の1にあたる1500坪ほどを田中機械労組側が占有し、残り4分の3の敷地はキングマンションに転売され、高層分譲マンションが急ピッチで建設中、近く第一期分譲分の入居が始まるだろう。

町工場と小さな商店街がひしめく下町の雰囲気がまだなおプンプンと臭い立つような空間と
まったく不似合いな対照をなす真新しい高層の分譲マンション群。
滅びゆく大阪の下町風景のなかで、気鋭の落語家たちの熱演を鑑賞した後は、工場レストランで地ビールを一杯ひっかける。

「地底旅行寄席」 第60回
・日時 3月29日(火) 開演6:30 開場6:00
・場所 田中機械ホール
・前売 1000円 当日 1500円
・出演 桂都丸、桂三風、桂三ノ助、桂さん都
・電話予約有 Tell 090-8526--0327

みなさんいかがですか?


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March 24, 2005

けさもよい日の星ひとつ

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<風聞往来>

事務局広報部さんの「プレミアム会員制の一部制度見直しと激変緩和措置について」にトラックバックしています。

清水の舞台から飛び降りた!プレミアム会員制の見直し

事務局広報部の「プレミアム会員制の一部制度見直しと激変緩和措置について」を読んだ。
会員各位からいろいろと取り沙汰され、諸問題の指摘を受けて、
事務局広報部は、清水の舞台から飛び降りるような、とても大胆な制度見直しと緩和措置を講じた。
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第一に、記事の保存期間。
プレミアム会員・一般会員の別なく、保存制限は設けないことになった。

第二に、下書き保存件数。
3月31日以前の保存件数には制限なし。
4月1日以降については、プレミアム会員は100件まで、一般会員は10件までとする。

第三に、足跡参照機能について
3月31日以前のすべての会員は、プレミアム・一般に関わりなく、足跡参照機能を付帯する。
4月1日以降の新会員は、プレミアム会員のみ付加する。

第四に、「eなげっと」購入に係る決済方法について
セキュアパスのすべての決済方法(クレジットカード、銀行・郵便振込、コンビニ決済、イーバンク振替))を利用可とする。
さらに、セキュアパス利用の通常手数料率10%のところ、いずれの決済方法にても会員負担を5%とし、差額をEchoo!事務局側が負担する。

以上が見直しのあらましだが、
ちょっとやり過ぎじゃないかと思われるほどの内容に、些か心配が先立ってくるくらいだ。
現会員への行き届いた配慮が、4月1日以降の新会員との間に一部差別化が起きる問題も内包しているので、早速そのあたりの矛盾を指摘する声も挙がっている。

ここまでアドバルーンを上げてしまったのだから、
いまさら私などが退行するような意見を述べても引き下がれないだろうが

一の、記事保存期間については、プレミアム会員と一般会員に差別化あって然るべきかと思う。
二の、下書き保存件数については、問題なし。
三の、足跡参照機能については、現会員と4月1日以降の新会員との間に差別化が生じるのが問題だろう。従って、プレミアム会員のみに付帯し、一般会員については現・新共に不可とすべきではないか。
四の、eなげっとの決済方法については、各種決済方法が可能となることで充分だろう。
手数料率の半額をEchoo!事務局側が負担するというのは、会員にとってはありがたい話だが、果たして後々に過重負担となりはしないかと懸念される。


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March 23, 2005

けふはけふのみちのたんぽぽ咲いた

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<歩々到着>-4


山頭火こと種田正一が松崎尋常高等小学校高等科を修了し、
私立周陽学舎に入学したのは明治29年、数え15歳のこと。
周陽学舎は明治10年、防府野崎の有志により設立された私立校で
明治41年の中学校令で周陽中学校となり、大正4年、県に移管され山口県立防府中学校となる。
昭和23年の学制改革で、県立防府高校と改称され、翌年には防府高等女学校と統合され、現在の県立防府高校に至っている。
この周陽在学時に、正一は学友らと回覧雑誌の発行を始めていたらしい。
町の大人たちに混じって俳句の句会にも出ていたという話もあるようだ。
明治32年、数え18歳、周陽を首席で卒業し、県下随一の県立山口中学に4年編入している。
当時の山口中学は、高校への進学率が全国でも長らくトップの座を占めているほどの名門校。
立身出世主義に徹したスパルタ教育で名を馳せていたらしい。
文芸に名をなした国木田独歩、嘉村磯多、中原中也らも輩出しているが、彼らはある意味でこの全国有数のトップ校のはみだし者だったのだろうか。
天下の俊英・秀才の集う山口中学では、さすがに正一もあまり目立った存在ではなかったようだ。
途中編入でもあるし、同期生とのあいだに深い交わりもなく過ごしたのか、これといった音信も残されていない。
明治34年春、卒業時の成績は151名中22番だったという。4年編入というハンデを思えば優秀だったともいえようか。
同期生たちが、東京帝大、京都帝大へと進学していくなか、父親の放蕩やまぬ家庭内の問題もあってか、彼は進路を決めかねていた。
この頃、父・竹治郎は、妾の磯部コウを入籍している。彼女はサキ投身の以前から関係のあった女性。どうやらコウに女児が誕生したらしく、私生児にする訳にもいかず入籍の手続きとなったようだ。
同年5月、早稲田大学の初代学長になった高田早苗の遊説が山口市内の永楽座で催され、正一は高田の「国民教育論」を傾聴した。
この時の遊説は、大学設立の基金募集のために各地を廻っていたのだといわれる。
この講演を聴き、正一は早稲田へ行こうと決したようだ
同年7月、開通まもない山陽本線に乗って単身上京した。


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けふはここまでの草鞋をぬぐ

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<世間虚仮>


<ライブドアとフジサンケイ騒動の陰で>

日経ビジネスによれば、
ライブドアとフジサンケイグループの対立騒動の陰で、
楽天もまたメディア進出に向け、潜行してフジサンケイに接近するなど
いろいろと潜行した動きがあったと報じている。
記事によれば、村上ファンドがニッポン放送の株引取りの話を楽天にも働きかけていたようで
三木谷社長は、敵対的買収の謗りを避けるため、またフジサンケイグループの感触を探るため、
フジの日枝会長に面会を申し込んだ、とあり、
その後の展開のあらましが書かれている。

この記事によれば、昨年の球団買収と同様、
新規参入へのライブドア・堀江氏の手法と楽天・三木谷氏の手法の対照が如実にあらわれている。

詳細は直接記事にあたられたい。


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March 21, 2005

人を見送りひとりでかへるぬかるみ

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「レター・オブ・グランド・ゼロ」余聞


<赤松比洋子さんを偲ぶ会>

大阪自立演劇連盟第9回合同公演の
「レター・オブ・グランド・ゼロ」の公演は
4ステージで計1000名程の観客動員で3月6日無事終了し、
2回の合評会(総括会)も先週で終えているのだが、
この取組みのさなか、1月8日深夜急逝した赤松比洋子(享年64歳、劇団きづがわ副代表)さんを
偲ぶ会が本日午後、たかつガーデンにて催され、
駆けつけた200名近くが彼女の突然の死を惜しみ交々哀悼の思いを述べあった。
写真は出席者に配布された追悼文集「夢と勇気と希望」の表紙。
活花を長年の趣味とした彼女の作品写真7葉がレイアウトされている。

出席者の構成は、遺族及び親族。元勤務先(三井住友火災海上保険)関係者。そして演劇関係者。
演劇関係の内訳は、まず彼女が所属していた劇団きづがわ関係者。
今回の合同公演をなした大阪自立演劇連盟の劇団関係者。
さらに、彼女が最近の10年をリアリズム演劇会議機関紙「演劇会議」の編集者として活躍していたということもあって、関東、関西各地からの遠来の関係者。
追悼文集の構成もまた本会に集った人々とほぼ重なっている。

赤松比洋子は本名古川弘子、赤松は旧姓。
比洋子はペンネームだが、ヒヨコと読むとこの席で初めて知った。

赤松比洋子の夫、古川忠彦氏は、劇団きづがわ(設立当初南大阪演劇研究会)を共に立ち上げた人。
創立当初は彼が脚本を書き、彼女が演出するというコンビだった。
その古川氏が、この文集に明るく力いっぱい駆け抜けた!と副題した
『弘子の想い出」という長文を掲載している。

その末尾において、
「私が近年最も気になっていて今も知りたいと思うのは、彼女がこの六年間、演出の仕事をしていないということ。これは謎である。
私は、弘子の演出が好きだった。いろいろとケチをつけたこともあったが、その誠実な舞台を観たいといつも思っていた。
ひらめきはなかったかもしれないが、彼女は演出を担当すると、実に脚本を読み込むことに時間と労力をかけていた。忠実に追い詰めていく姿は、求道者の感じさえしていた。
『なぜ最近演出をしないのか』と時に質問を発しても、彼女は笑って応えなかった。」
さらには、
「何が理由か知れないけれど、かなり前から自分が表に出るのをやめようとした節がうかがえる。
裏方、世話役にまわろうと、いつか自分に言い聞かせたのではないか。」
と記している。

このあたり実情ははかり知れないが、
発足から40年の長きを、第一線でつねに精一杯明るく前向きに多くの者たちを牽引するように活躍してきた彼女のひたむきさの影にひそむ悲痛と苦悩の深さがしのばれるような気がする。


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March 20, 2005

ほろりとぬけた歯ではある

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<風聞往来>


tosikiさんの「有料サービス」にトラックバックしています。

<エッ、エコーが有料制導入‼ プレニアム会員って?>

つい先日、<eなげっと>が導入されて
これなに? どう使うの?
とあれやこれや喧しく騒ぎ立てていたと思ったら
プレニアム会員と云う名の有料制導入の話。
またまた、私は迂闊にもページ内に掲載中の会員予約キャンペーンなる見出しを
気にも咎めずに打っ遣っていたところ、
Toshikiさんの記事に教えられるという羽目となった。

早速、件のキャンペーン記事を訪問。
成程、これはなかなか大騒ぎになること必定。
前段の<eなげっと>は、有料制導入の布石だったのか、
些かあざといじゃないかと、批判や不信の念を募らせている人たちも多勢いるようだ。
<eなげっと>がカード決済を前提としているだけに、
このことに対する懸念や反撥も相当強い。
エコー会員の差別化に抵抗感をもつという意見も多い。

プレニアム会員にならないと、ホームやエコログの足跡参照ができなくなる
というのはエコー参加者のすべての人にとって、あまりにも重大な出来事じゃないか。

4月1日からの新制度スタートだから、なかなか慌しい導入という感もまた強い。
この話、私のようにまだまだ気づいていない人たちのほうが圧倒的に多いんじゃないかな。

Echoo(エコログ)の将来を左右するほどの重要な転換点
と認識せざるを得ない一件だと思われもするので
さらに詳細を検証したうえで筆をあらためたい。


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あるひは乞ふことをやめ山を観てゐる

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<エコログのなかのある対話から-その5>


四方館
さて、ここで提案なのですが、
<保障性>についてリアルに考えていきませんか。
あなたを取り巻くものすべてをいろいろと勘案してみて、
あなたの今後の<生きざま>が将来どこかで破滅・解体するのではなく、
めでたく?<死にざま>として完結するためには、
いかなる<保障性>が最低限必要であり、より望ましいものがなんであるか、を。
このことを、あなたの学問知で分析採択するのではなく、実践知で見極めるべきだとは思いますが。

<愛>の問題について云えば、
求めて止まぬ愛は、必ず破綻しますね。あなたはそれを充分承知しているはずだ。
あなたに必要な<愛>はこの身に無尽蔵なほどに降り注がれる愛だと思いますよ。
とすれば、それこそ私にレスされた<固有・非固有>の問題で云えば、固有の愛に求めるのではなく、非固有の愛に包まれるべきじゃないか、と。

(2004/12/02 12:12)


四方館さん、昨日はほとんど眠れなかったので、今日の夜、やっと眠れまして、統合失調症の友人からの「Yさんどうか助けてください。もう死にそうです」 という、深刻な苦しみで私だけに、アドバイスをいつも求めてきてくれる電話で起きて、やっとこの病状でも彼の相談に乗れたので、よかった、とひとまず安堵しました。

四方館さんがここでずばり、出してくださった「保障性」という問題をリアルに考えていきませんかということ。ほんとに、四方館さんは私という人間の苦しみの 本質、病の本質、そしてどうなるのが良い道なのか、ということをずばり、言い当ててくださいますね。でも、私も友人に対してそうですが、本当にその人に沿って、理解しようとすれば、自然にそういった処方の道も発想として出てくるものなのでしょうね。ありがとうございます。

もちろん私も「生きざま」が「死にざま」として完結するようにとは願っていますが、自信がないんですね。そこでどんな「保障性」が最低限必要であるか。

エコログですでに書きましたが、私は実家などのお金の争い、自分の経済苦を経由して、経済・物質不安というものが病気と直結する弱点をもってしまったので、最低限の経済・物質不安のない、少ない状態で暮らす、ということは、他の方はともかく、私に関してはまず、条件になります、情けないようですが、本当のことですから。

それで、「愛」の問題ですが、求めて止まぬ愛、というのは、お察しの通り、私もこの歳になったからか、元々からか、やはりそういう愛し方をすることはないでしょうね。反面、私の身に無尽蔵に降り注がれる愛、今の夫も、ほんとに「無条件に」私を愛してくれたのです。
でも、人の「愛」には本当に、それぞれ魂の種類の違い、のようなものがあって、私は夫のそれを否定はけっしてしていませんし、私も夫を愛している、と書きもしたのですが、無尽蔵なほどに、そして無条件で、しかも「私と魂の種類を同じくして」愛してくれる人、そういう人との関係をもっていくことが、やはり大切なのだと、自分でも悩んだうえで、感得しました。

以前に私はそれを、「完全な愛」「守り守られるもの」と表現しました。四方館さんの言ってくださる、私が提示させていただいた固有・非固有でいうところの、非固有の愛、というのは、つまりは無条件の、上記のような愛のことですね。私は絶妙に恵まれているのです。あとは、「安心して行きなさい」ということだけなのです。すでに、その愛は私にあたえられているので。

今後、どんな生活形態、結婚形態をとっても、それこそ究極には心の次元で、その愛の関係をもっていくことは、私にたえず、経済・物質面の「保障性」どころか、「人間」 として生きる私への根元からの「保障性」を「たえずあたえてくれる」ものだと思っています。そう感じ続けている以上、それを大事にしなくてはいけませんね、そうしたいですね。

私の生は一刻、一刻歩み、苦しみもするものであって、「たえず人間としての最低限の保障性をあたえてもらうこと」 は、やはり何よりも大切でしょう、このような私にとっては。もちろん、あたえてくれる側がそのようなことを本当に望んでなければ、はじめにあった、求めて止まぬ愛、に過ぎないわけで、そうではないですものね。
ありがとうございます。

(2004/12/02 21:16)


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March 19, 2005

ぬくうてあるけば椿ぽたぽた

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<四方の風だより>


<お彼岸に琵琶の響きのひとときを-追記>

昨日紹介したように
筑前琵琶の奥村旭翠一門による琵琶の会が
大阪の国立文楽劇場にて明日(20日)開催されるが
その詳細についてあらためて追記。

第十五回
奥村旭翠とびわの会

とき-3月20日 開演AM11:30-終演はPM5:00頃
ところ-国立文楽劇場 3F小ホール

入場無料-予約なしで誰でも入れます

演目は第一曲末永純子の「藤戸の渡り」にはじまり
掉尾を飾る奥村旭翠の「川中島」まで全18曲
プログラム詳細はこちら
なにしろ長時間にわたるので、その間の出入りは自由にできる。


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March 18, 2005

春が来た水音の行けるところまで

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<四方の風だより>


<お彼岸に琵琶の響きのひととき>

琵琶の世界で唯一人の人間国宝である筑前琵琶の山崎旭翠さんは、
今年あたり白寿になられるような高齢のはずだが、
いまなおその詠唱ぶりは矍鑠として枯淡の響きを伝える。
この山崎門下の第一人者と目され、師の芸風をこよなく相承しているのが奥村旭翠さんであろうと、門外漢の私はみているのだが。
その奥村旭翠一門の演奏会が、明後日(20日)、国立文楽劇場の小ホールで開かれる。
入場は無料。
毎年、弥生3月のこの時期に開催されるが、
300席足らずの会場が満席になることはなく、
おさらい会のようなものだから誰でも自由に堪能できる。

この演奏会で演目の初頭に立つ末永純子は四方館の員。
彼女が奥村旭翠に師事するようになってすでに4年が経つが、
師事してまもなく出産の仕儀となり1年近くやむなく休んだとはいえ、
それでも石の上に三年の譬え、流石に初歩の粋を脱しつつあるか
詠唱も演奏も少なからずサマになりつつあるようだ。

詠ずるは「藤戸の渡し」。
おなじみ平家物語の巻十七にあるくだりで、
源平合戦記の瀬戸内児島、佐々木三郎盛綱を主人公とした藤戸の渡りの一段。
謡曲「藤戸」の世界とは趣向もまったく異なるが、
此れは此れ、愉しむべきようはそれなりにありましょう。


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March 17, 2005

物まねの品々、筆に尽し難し

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風姿花伝にまねぶ-<10>

「物学(ものまね)条々」

 物まねの品々、筆に尽し難し。
 さりながら、此道の肝要なれば、その品々をいかにもいかにも嗜むべし。
 およそ、何事をも、残さず、よく似せんが、本意なり。
 しかれども、又、事によりて、濃き淡(うす)きを知るべし。
 先(まづ)、国王・大臣より始め奉りて、公家の御たゝずまひ、武家の御進退は、及ぶべき所にあらざれば、十分ならん事難し。
 さりながら、能々(よくよく)、言葉を尋ね、品を求めて、見所の御意見を待つべきをや。
 その外、上職の品々、花鳥風月の事態(ことわざ)、いかにもいかにも細かに似すべし。
 田夫野人の事に至りては、さのみに細かに、賎しげなる態をば、細かにも似すべからず。
 仮令(けりょう)・木樵(きこり)・草刈・炭焼・汐汲などの、風情にもなるべき態をば、細かにも似すべきか。
 それより猶賎しからん下職をば、さのみには似すまじきなり。
 これ上方の御目に見ゆべからず。若(もし)見えば、余りに賎しくて、面白き所あるべからず。
 此あてがひを、能々心得べし。
 似事(にせごと)の人体によりて、浅深あるべきなり。

申楽の道を修する根本は「二曲三体」にあり、といった世阿弥は
「物学条々」において、各々九つの風体について如何になかべきかを説く。
即ち、女・老人・直面・物狂・法師・修羅・神・鬼・唐事の九体である。
此処では、その九体を書き分けるに先立ち、前提となるべき基本的なあり方を説いている。

ここでは、力点を田夫野人の物まねに置くとしたほうが良いのではなかろうか。
「風情にもなるべき態」としての田夫野人の者たちの職のそれぞれ。
「遊びをせんとや生まれけむ」の「梁塵秘抄」をひくまでもなく、
催馬楽などの古謡が今様として変容されとりこまれ、貴族の謡い物となってゆく宮廷人たちの風流意識をみれば、ここには「いかに貴を脱して貴たり得るか」の詩精神がある、といえるだろう。
真に「貴」たるものの魂とは、野にあることを喜び、「鄙び」の情緒を磨き上げつつ、
「貴」の世界へと昇華してゆこうとすることのようにみえる。

<猿楽から申楽へ>
11世紀半ばには、すでに「新猿楽談義」という書があったという。著者は藤原明衡。
この頃の猿楽は、滑稽・曲芸の類が主であった。
「猿楽の態、鳴呼(おこ)の詞、はらわたを断ち頤(おとがい)を解かずといふことなし」という有様だから、常軌を逸するほどの戯れ事を演じて笑いの座興とするのが、その芸の本領だったろう。
猿楽から申楽へ、「新猿楽談義」の11世紀半ばからでも世阿弥に至るまで三百年の時を経て、
ものみな笑い興じる座と化した鳴呼の芸から、夢幻能の幽玄美にいたる形式にまで、その芸質を変容させてきた展開には幾たびの飛躍があったろうか。

 参照「風姿花伝-古典を読む-」馬場あき子著、岩波現代文庫


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March 16, 2005

はるばるたづね来て岩鼻一人

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<エコログのなかのある対話から-その4>

四方館
さあ、やるぞ-という発語のもとで、
なにかふっきれたものが確かにあるとしたら、
こんなに喜ばしいことはないと思う。
あなたはきっと自分自身の力で、この病いを克服できるはずだと、信じます。
やがて、求めるべき愛も、
その愛の形が変ってくるものと思います。

(2004/11/29 05:39)


四方館さん、ありがとうございます。
そうです、エコログを書いていて、私の「本領発揮」はどの分野でもよかったが、とにかく学問だった、とわかったのです。自分が一番目指したいもの、これが自分の道というものがわかった、そうすれば、それができなかった理由もはっきりしているのだし、自分に納得がいくんですね。長年、自分は何が向いているのだ ろう、何ができるのだろう、・・・そして、何もかも、挫折し尽した、と思っていた人生でしたから。

その意味で、ふっきれたのです。「喜ばしいこと」と言っていただいて、ありがとうございます。病気には負けてばかりですが‥‥。
そうですね、私が今体験している愛も、その愛の形が変わってくるときがくるんでしょうか。いつまでも、同じではありえませんものね。将来はみえませんが、歩んでいきたいとは思っています。

私の今現在の夢のひとつはですねー、四方館さんに大阪などでのいい演劇の上演情報をいただいて、演劇を観に行くことですね。

働くのは、その準備に向けて前進したいという意味で、何年後になってもかまいません。30代後半ぐらいになるのじゃないでしょうか、多分、実現するとしても。
(2004/11/29 08:34)

四方館
「さあ、やるぞ」から「天使」へ、
そしてこの「ごめんなさい」へとつながる変容は、
どうやら、矛盾する激しい心の揺れ、ではなく、
昂揚した気分から、ぐっと沈潜していく内面の変化のようですね。
未来に向けての「ごめんなさい」って、とてもよく判る気がする。
過去の、これまでのこと一切を、今の自分と云うものに流れ込んでいるすべてのことを、<限られた>自分の像として捉えこんで見ている。だからこそ未来への<可能な>自分がはっきりとしてくる。

そこで「ごめんなさい」なんだね。
(2004/12/02 10:23)


四方館さんからは、どんな短いコメントでも、いただきたいと思っていました。
このエコログばかりは、他のエコログよりさらにはるかに、「急に判ってきた事情の多さ」を説明しないと、なぜ私が「心配」してもし切れる強さのない人間として謝っているのか、意味のわからないエコログなのです。けれどもそれがエコ ログ上で説明できない理由ももちろんおお判りでしょう。明かしたくない人のプライバシーはひとつも明かしたくない、等など、それは、当たり前のことですよね。

けれども、四方館さんのおっしゃる通り、自分というものに流れ込んでいるすべてのことを、「限られた」自分の像として捉えこんで見ている、それは、その通りですね。そうです、病気の上に「障害」として固定化した「限界」が私についてきて、また関係というのは相手あってのもので、相手にも背負っているものがあ るのですから、未来への「可能な」自分がはっきりしている。

そうです。でも、それ=私の側の障害をも、乗り越えたいという気持ちすら、起こってきたほどの心の体験なのです。けれどもやはり、相手あってこその関係。相手のことでつぶれているようでは、未来で乗り越える時がくるかもしれないど ころか、・・・私も、今、どうするかについて、考えないでもないのです。未来、までもいかない、現在、ここしばらく、でさえ、私はそんな心の関係を保てる人間なのか? 好き、愛しているばかりでは、判断してはならないことではないでしょうか。

とにかく、結婚後ずっと、めまぐるしい変化の日々だったので、エコログがめまぐるしいものになるのも致し方ないのです。学問の一般の方への紹介のお話は、いつでもできますから。
(2004/12/02 11:13)


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March 15, 2005

春の山からころころ石ころ

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<風聞往来>

<む、む? トイレットペーパーの哲学書?>

トイレットペーパーに哲学書、東京の出版社が「出版」
ニュースの見出しに惹かれて覗いてみた。
読んでみると、仕掛け人は荒川修作氏とマドリン・ギンズ夫人のコンビだそうな。
荒川修作といえば、反芸術を標榜、60年代の前衛アーティスト。
以後、たえず現代美術をリードしてきた氏が、2003年の紫綬褒章を受章していたとは、ニュースを見逃したか記憶になかった。
近頃は「宿命反転都市」なる身体の知覚を呼び覚ます街づくりを提唱し
その作品行為は建築・環境のデザインにシフトしているらしい。
昨年9月に「建築の身体-人間を超えていくために」という書の出版が縁で
氏の発案から「トイレットブック」の出版?となつたらしい。
かの春秋社からの出版だから、決して洒落や戯れ事ではない本格的なものだ。
とはいえ、30メートルにも及ぶ長尺物に著作の全文を印刷することも叶わぬからと
抜粋要約の約3000字が、70センチ程の間隔で延々繰り返し印刷されているという。

参考までに、トイレットブックは2枚重ねで長さ30メートル。
1巻350円で東京・大阪・名古屋などの大型書店30店で販売中だそうな。


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March 14, 2005

この道しかしかない春の雪ふる

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<世間虚仮>

<大阪市は潰れるしかないか
  -果てしなき連鎖-破綻への道>

昨年、厖大な赤字を抱えるWTC・ATC・MDC・シティドーム・クリスタ長堀など大阪市の外郭団体が続々と特定調停手続に付され、市財政はもはや死に体とその深刻な破綻状況を天下に曝したが、年の瀬にはさらに追い打ちをかけるように、市職員のヤミ給与や手当、ヤミ年金、はては高価な制服支給など枚挙に暇もないほど厚遇問題が明るみに出され、それらの削減をめぐって労使交渉が激しく繰り広げられている。
この問題、大なり小なり全国の地方自治体が等しく抱えているのが真相だろうが、
大阪市の場合、オール与党で助役を市長にと選出してきた議会及び労使一体の40年余という長年にわたる根深い癒着構造が原因とみられ、厚遇問題の実態が他の自治体に比べて極端に突出しているという訳だ。

振り返れば、昭和38年(1963)4月、大阪に革新市政の誕生として華々しく登場したのが中馬馨市長。現大阪1区衆議院議員中馬弘毅氏(自民)の父。
この時の選挙は、社共推薦の中馬馨と自民党の和爾俊二郎と、元助役同士の決戦だった。
選挙支援の母体となった市職員労組の連合体である市労連との蜜月時代がここに始まる。
おまけに中馬市政の2期目からは支持母体は共産党を除いたオール与党体制に変わっていた。
中馬市長は昭和46年(1971)4月、3期目の当選を果たすも、同年秋に急死。
同年12月の選挙では助役だった大島靖氏がオール与党体制で当選、大島市長が誕生した。
以後、現職助役がオール与党体制で立候補するパターンで、
大島市政が4期16年(S46~62)。西尾市政が2期8年(S62~H7)。磯村市政が2期8年(H7~15)と引き継がれ、昨年11月の選挙で関淳一市長の誕生を迎えたのである。
実に、中馬市長誕生から現在まで、42年の長きにわたっているのだ。

ちょうど、中馬市長誕生と時を同じくして、高卒で市職員に就職した者が60歳定年を迎える年月に相当する期間を、営々として甘い罠-厚遇ネットを張りめぐらしてきたのだから、
一切の膿を出しきって病根を断つことが、当事者間のみで可能だとは誰も考えられないだろう。
おまけについ先頃は、関市長になって財政再建のため設けられた都市経営諮問会議の座長本間正明氏への一方的な解任騒動で波乱混迷に拍車をかけている。

もうここまでくれば、政府管理下におかれる「財政再建団体」への道を速やかに取るべしとの主張が声高になるのも無理はないというべきか。

以下、大阪市問題の参照となるサイト
Yomiuri on-line関西 大阪市職員厚遇問題
Yahoo!ニュース-大阪市職員厚遇問題
大阪市の過剰手当-毎日新聞
大阪市問題まとめサイト
 々 役人天国OSAKA
 々 関連サイト 凋落する商都・大阪民国ダメポツアー


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March 13, 2005

けさは水音も、よいたよりでもありさうな

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<日々余話>

kwamaさんの「「eなげっと」の考え方は地域通貨(エコマネー)が源流」にトラックバックしています。

<eなげっとに期す>

Echooで<eなげっと>なるものが始まっていたのに気づいたのは三日前。
このところグランドゼロの公演や私的事情も加わって、
落ち着いてエコログを読む時間がなかったのでうっかり見逃していたようだ。
発想はどうやら地域通貨のネット版ということらしい。

地域通貨については数年前から関心を寄せていた。
どういうものが展開されているのかネット探索も結構やってみた。
確かヨーロッパ各地では20世紀初頭から始まっていたのではなかったか。
スイスにはこのシステムの銀行もあり、かなり大きな規模で展開されているということも、何処かで読んだ記憶がある。
あの大ベストセラー「もも」の著者ミヒャエル・エンデの思想に倣い、また直接取材もして、
河邑厚徳氏が著した「エンデの遺言-根源からお金を問うこと」は、
地域通貨のバイブル的な書だろう。
また数年前から、柄谷行人・浅田彰・坂本龍一氏らが「NAM」というものを立上げ、資本と国家への対抗運動として本格的な地域通貨のシステムを構築しようと活動していたが、此方は惜しくも志なかばで頓挫したようだ。大いに関心をそそられもし期待していたのだが‥‥。

ネット上でのポイントシステムそのものは目新しくもないのだが、
この「eなげっと」ではEchoo内の交流に介在させることで、その輪はよりダイナミックなものなることが期待できるだろう。
使用規模がどんどん膨らめば、機能もまた広がる。
ネット上での地域通貨として、日常の経済行為の一面を支えるものにまで育つ日を期したい。


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March 12, 2005

おもひでは汐みちてくるふるさとのわたし場

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<日々余話>

<アート哲学カフェ>

昨夜、アート哲学カフェなる催しに参加してみた。
大阪大学大学院臨床哲学・倫理学研究室が開催する公開講座の一種で
哲学カフェと銘打った気楽な集いのようだし、
佐久間新というジャワ舞踊の踊り手を招いて、実演を通して感想を語り合おうというものだから、そう肩の凝らないものだろうと出かけてみた。
場所は新世界のフェスティバルゲート4階のcocoroomなるイベント喫茶室。
出席者15.6名だったろうか。
コーディネート役の本間直樹氏は大阪大学臨床哲学の教員ということらしい。
ナイーブでソフトな語り口は学者然としたものをあまり感じさせないし、一応好感を持てる。
10分あまりだろうか、ジャワの踊りが実演される。
踊り手の佐久間新、30歳前後か、少なくとも35歳まではいくまい。
さてどれほどのキャリアだろうか、練達の踊りというにはまだまだ遠かろう。
ジャワ中部に伝わる宮廷舞踊だそうだが、後の話で、この踊り自体は第二次大戦後の50年代にこの形に成ったということだった。
ゆるやかな動き、中腰による運びは、農耕民族に共通するものとみえる。
足の運びは太極拳にも通じるが、タイ舞踊などと等しく独特の手指の反りと同時に足指もしつかり反らせて運ぶあたりが異なるか。
この足指をしっかりと反らせることは、身体の柔らかい者なら苦もないだろうが、やや硬い身体にはどうしても必要以上な筋力を要するだろう。
それによってゆったりとした運びにも拘わらず下半身の強さに伴う硬さが残る。
些か下半身にかかるその無理と、上体のややしなやかな所作に、その身体内部の連携に若干の違和を感じざるえない。
音楽はテープだが、ガムランの演奏のなかに歌唱も挿入される曲。
伝承古謡の詩句が散りばめられているのだろうが、その意味のほどは詳しくは判らないという。
詩句の意味は不明だが、背景に物語世界を骨子としているのは明きらかだ。
起承転結もはっきりした構成だったように見受けられた。
これも後の話のなかで確認されたことだが、踊りのなかで視線はほぼ伏し目がちなのだということ。
そういえば、踊りの山場あたり、転にあたるだろう個所で、上手斜めに進んできて、少しく彼方を見やるところがあったのだが、その視線にずっと遠い彼方を感じることがなかったのだが、どうやら空間感覚的には此方も彼方も仄めかす程度に楚々と演じるらしい。
とはいえ、総じて癖のない清貧とした踊り方、身のこなし方には好感は持てる踊り手ではあった。
横道に逸れず精進すれば練達の域に達せられよう。
これまた後で確認したことだが、コーディネーター役の本間直樹氏はガムラン奏者としても活動しているという。
ダルマ・ブダヤを創始した中川真氏が現在主宰するマルガ・サリの一員らしい。
現在のダルマ・ブダヤは、93年9月のPlanet5の四方館公演「迷宮のシンメトリー」で演奏出演したグループの山崎晃男氏が代表となっている。

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March 10, 2005

お骨声なく水のうへをゆく

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<歩々到着> - 3

「私の祖母はずゐぶん長生きしたが、
 長生きしたがためにかへつて没落転々の憂目をみた。
 祖母はいつも「業やれ業やれ」と呟いてゐた。
 ‥‥祖母の業やれは悲しいあきらめであつた」 (第六句集「孤寒」所収)

山頭火こと種田正一数え11歳の時、母フサが投身自殺をしたのは前述したが、
この時、祖母ツルは61歳。当時としては相当の高齢だが、この祖母にフサの突然の自殺により、幼い五人の子どもの世話が託された。
12歳の姉フサを頭に、正一、8歳の妹シズ、6歳の弟二郎、4歳の末弟信一の五人である。
母が自殺した翌年(明治26)、弟の二郎は他家へ養子に出されている。
さらに、その翌年(明治27)には、末弟の信一が満5歳に満たず死んでいる。
たび重なる肉親の不幸のなか、少年正一は、いつも「業やれ業やれ」と呟く祖母ツルの声を聞いて育っていったのだ。
まだ幼い少年の心に、かような肉親との離別は、どのように孤独な影を落としていったろうか。

 この頃の山頭火年譜(村上護著「放浪の俳人山頭火」所収)に転じれば以下の如く。
明治18年(1885)  4歳(数え年)。 1月、妹シズ誕生。
 前年に「層雲」を主宰した荻原井泉水が生まれ、同年に尾崎放哉が生まれている。
明治20年(1887) 6歳。 1月、弟二郎誕生。
 この頃、新体詩による言文一致運動起こる。
明治22年(1889) 8歳。 4月、松崎尋常高等小学校尋常科に入学。
 同月、市町村合併で佐波村となった新村の助役に父竹治郎が就任。12月、弟信一誕生。
明治25年(1892) 11歳。 3月6日、母フサ自宅の井戸に投身自殺。享年33歳。
 この頃、父竹治郎は政治運動に狂奔し家政は乱脈。
明治26年(1893) 12歳。 3月、弟二郎、佐波郡華城村有富九郎治の養嗣子となる。
 4月、高等科に進級。
 この頃、正岡子規の俳句革新、発句の独立をめざす。北村透谷、島崎藤村ら「文学界」を創刊。
 透谷の人生相渉論など浪漫主義的文学を主張。
明治27年(1894) 13歳。 10月、弟信一死亡。
 この年、日清戦争はじまる。

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March 02, 2005

この道しかない春の雪ふる

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レター・オブ・グランド・ゼロ
  -世界のサダコたちへ-

大阪自立演劇連絡会議第9回合同公演

昨冬12月からつづいた稽古も大詰め。
いよいよ、週末は本番の上演を迎える。

● Date
2005年 3月 4日(金) pm6:45
5日(土) pm2:00 pm6:45
6日(日) pm2:00
● Admission
一 般     3000円 (当日券 3500円)
中・高・シニア・障害者 2000円 (当日券 2500円)
   (シニアは70歳以上)
● Place
エル‐シアター(大阪府立労働セン夕―)
地下鉄谷町線・京阪電車「天満橋」駅から西ヘ7分
● ローソンチケット
Lコード 59582 Tell 0570-663-005
● お問合せ 劇団大阪 Tell 06-6768-9957

劇中、「中継ぎの手紙」より 

ぼくは父の上に立つ
二本の足で
笑顔さえ浮かべて
父はそれを喜ぶ
もっと踏みつけろと

こんな詩が頭の中を巡る。
おまえの成長とともにわたしの内で静かに変わりつつあるものがある。
「戦後五十年の八月六日のヒロシマ」という歴史に参加したい気持に駆られたのも、有、おまえの成長と無縁ではないようだ。この夏、わたしはおかあさんとヒロシマへ行った。‥‥

元安川の橋のたもとにある「爆心地の碑」で足が止まる。空は青い。
原爆は地上から五百八十メートルのところで炸裂したという。
それはどのくらいの辺りなのだろうと中空を探した。‥‥

平和コンサートの感動を枕に安宿で一泊して、わたしたちはその朝を迎えた。
原爆ドーム前へ行くちんちん電車はずっと満員。大半が記念式典へ向かう人々‥‥。

原爆ドームの周辺ではダイ・インをするために人々が地面に坐って待っている。
その間を抜け人の流れに乗って‥‥

少し行くと、「原爆の子の像」があった。
折り鶴を頭の上に抱いた少女が両手を広げ空を見上げている。
空はやはり青く高い。‥‥

そして、八時十五分。黙とう。
まぶたを閉じても日差しの強さがわかる。
遠く近く鐘の音。蝉しぐれ。
身一点にこの時を感じる。
五十年前のあの日も蝉は鳴き、日差しは輝き、人々の生活があった。
ああ、今ここに原爆が落とされたなら一瞬にしてわたしたちの生命は奪われるのだ‥‥。

「有をここに連れて来ようね」
それが二人の共通した思いだった。
わたしがかつて叔父に連れられて来たように、有、おまえをここへ連れて来たい。
そしていつの日かおまえ自身の心と身体でこのヒロシマの夏を体験して欲しい。
式典のほうからはこの国の首相らしき人の声が聞こえてくる。

わたしはおかあさんと静かに語り合った。
原爆の恐ろしいのはあの日が悲しみの終わりではなく始まりであったということ。
そしてヒロシマの悲劇は日本の侵略の歴史を踏まえて語り継いでいかなければならないこと。

今、鳩が放たれた。未来の子どもたちの平和への夢を乗せて。
有、おまえが大人になった時には核のない時代、争いのない時代になるように。
わたしは‥‥、この手紙をおまえに送る。

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