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November 30, 2004

まひまひひそかな湧いてあふるる水なれば

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これはtoshikiさんの「まつりがしたい」
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あそびをせむとや生まれけむ
-遊び、祭り、蕩尽-

幼い子どもたちは、いつでも、遊びに夢中になれます。
それすらも近頃は、事故防止のため公園の一部の遊具が使用禁止になったりして、
制約がかかり、遊びに夢中になりきれぬまま、エネルギーをもてあましている子どももいるだろう。

人は、自身のありあまるような生命のエネルギーを、
ある一定の周期で、<蕩尽>-燃やし尽くすこと、使い果たすことが必要なものです。
そして新しく生まれ変わる。生命とはそういうものです。
本来、<祭り>と云うものは、生命-エネルギーの<死と再生>の仕掛装置だった訳です。
ケとハレの、ハレの儀式だった。
<死と再生>のハレの儀式だったからこそ、<神に捧ぐ>という装置も必要だった。

現在、全国各地で展開される、観光イベント化された有名な祭りや盆踊りが、おそらく二十指に余ってあるでしょうが、おしなべて<蕩尽>-<死と再生>の<ハレ>の一大行事だった、という訳です。
ところが、現代社会では、まず<ケとハレ>の区別、境界がほぼ消失してしまっている。
個人の人生では、成人式、結婚式、葬式、ぐらいのものでしょうか。
一年の歳時記では、正月、ぐらいのものでしょう。
そこで、人はみな、日々、日常性のなかで、ほんのささやかな<蕩尽>、
-気の合った者同士で酒を飲むだろうし、休日ともなれば郊外へ出かけもするだろうし、時には小旅行もするだろうし、また人によっては欲望の捌け口を求めて夜の巷へと彷徨いもする-を繰り返すなかで、各々自身の<死と再生>を生きている、と云えるでしょう。

したがって、toshikiさんに限らず、<まつりがしたい>という欲求、
それも、一年に一度くらいでいい、みずからの全エネルギーを消耗しつくして、即ち<蕩尽>して、<死と再生>を生きたい、という潜在的な欲求は、人みな、心の奥底に秘めている、無意識の下部へと抑圧している、と断言できるのじゃないかと、私は思います。

子どもたちは、もっと悲惨です。就学前の幼な児たちは、まだいい。
児童期、少年期、若年期の彼らは、もう悲惨のきわみだと思う。
現在の我々、大人たちのように、いわば日々、ミニ蕩尽を繰り返し、ほんのささやかな死と再生を繰り返している若者たちは、お寒い限りだが、まだいいとして、
引き篭もりに至ったり、心を病んでしまったり、と自身をきわめて限られた世界へと押しやってしまわざるを得なかった、そのようにしか生きざるを得なかった、多くの人々の存在は、
我々が生きているこの社会に、<祭り>-<蕩尽>-<死と再生>の現代に生きる装置を、いまだ備えきれていないことが原因なのだ、と云ってもいいくらいだと思います。

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此花はまことの花にはあらず、たゞ時分の花なり

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風姿花伝にまねぶ-<4>

 十二、三より

「此年の比(ころ)よりは、はや、やうやう、声も調子にかゝり、能もこころづく比なれば、
次第々々に、物数を教ふべし。先(まづ)、童形(どうぎゃう)なれば、何としたるも、幽玄なり。声も立つ比也(ころなり)。-略-
児(ちご)と言ひ、声と言ひ、しかも上手ならば、何かは悪かるべき。さりながら、此花は、まことの花にはあらず。たゞ時分の花なり。-略- 
さる程に、一期(いちご)の能の定めには、成るまじきなり。此比(このころ)の稽古、易き所を花に当てゝ、技をば大事にすべし。働きをもたしやかに、音曲をも文字にさはさはと当たり、舞をも手を定めて、大事にして稽古すべし。」

十二、三歳、自覚と自負も生まれる少年期。
幼名鬼若といった世阿弥自身、
将軍足利義満に見出される幸運が開けたのは、童形十二歳だった。
なお幼さの影を残す少年の姿-童形の美-は、幽玄へと直に結びつく。
さらに声もしっかりと立ってくる。

ようやく謡の節回しも調子にのり、曲の面白味出てくる。
能の演技にも理解がついてくる頃なので、いろいろと基本にのっとって手数を教える。
声と姿の二つながらの美点のみが発揮されて、欠点はあまり目立たず、この時期特有の上手の花と大いに認められるが、
これは「まことの花」ではなく、「時分の花」だ、と。
だから、この時期の花でもって、能役者としての生涯の定まるものではない、ということ。
この年頃の稽古は、おのずとみえる童形の花は花として見せつつ、しっかりと技術の基礎を身につけさせる。
働き-キビキビとした強い所作-なども一挙手一投足を確かに、音曲も一語一語を大切に正確に、舞いの動きも一つ一つの所作事としてきちんと心にかけて身につけよ、と。

参照「風姿花伝-古典を読む-」馬場あき子著、岩波現代文庫

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November 29, 2004

さうろうとしてけふもくれたか

性転換する魚たち―サンゴ礁の海から

「性転換する魚たち-サンゴ礁の海から-」
桑村哲生著・岩波新書 を読んだ。

われわれ人間にとっては性の壁は越えがたいものとして厳然とあるが、
ある種の魚たちは、オスからメスへ、あるいは、メスからオスへと、
必要に迫られて性転換するという話で、豊富な事例が示され、なかなか面白かった。
性の垣根は、環境の変化によっては乗り越えられるらしい。魚たちにとってはそれも珍しいわけではなさそうだ。
話題になったディズニーの映画「ニモ」の主人公、あの可愛いカクレクマノミも性転換をするという。
ご覧になった方はご存知だが「ニモ」では、夫婦で卵を守っていたところ、獰猛な敵に襲われ、母親は食べられてしまい、卵もたった一つだけが助かる。それがニモで、この無事に孵化した息子を父親が育てるのだが、ある日ニモがダイバーに捕まり持ち去られてしまう。そこで父親はニモ探しの旅へと出かける、という設定の冒険アニメ。
この話、性転換をするクマノミ類としてはかなり事実に反するらしい。
まず、母親がいなくなると、父親がやがて性転換してメスになってしまうはずだという。
それに、卵から孵化した稚魚は浮き上がって流されていってしまうから、イソギンチャクで一緒に住むようになった稚魚は、母親が生んだ卵からかえった稚魚ではありえなく、どこかで生まれて流れ着いた稚魚と入れ替わっているはずだ、と。
しかも、稚魚の段階ではオス・メスの区別はまだなく、ニモを男の子とする根拠もない、とのこと。
つまりは、「ニモだと思って育てていた息子だか娘だかまだわからない養子の子どもをさらわれて、いつのまにかお父さんから性転換したお母さんがニモを探しに行った」となり、「探しあてた暁には、父親から性転換した母親と、オスに成長したニモは夫婦になる」はずだと。
カクレクマノミの性の実態に即せばそういうことにならざるを得ないらしい。

何億年という進化のプロセスのなかで、この性転換する魚たちのことと、その延長としての哺乳類としての人類とのあいだの、その距離の近いとも感じ、また遠いとも感じさせてくれるユニークな書だ。

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けふもいちにち風をあるいてきた

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旧いノートから -四方館

身体表現、その水位に関する一考察 (1981.6)

 ○身体表現の[発生]への着眼

<文化の発生>の根拠
  群れ化 ―― 場 ―― 個体の遊動性 ―― 個性化
 (社会形成)      (相互交流)

ピアジェの<運動表象思考>から<直感的思考>へ
  ――主体と環境との相互作用――
  幼児の思考の起源へ・・・・・
  感覚運動的活動が、内面化され、
               構造化され
               社会化される
  癒合的状態 ―― 自己中心化 ―― 脱中心化

<リズムの発生>
 表現は自然に先行する―自然のとりこみ―自然の虚構化
    人が自己本質の外化の一形態として、
    リズム(表現)を定着しえた時、
    はじめて自然や生命現象のうちに
    リズムの規範性と共通するもの
    ― 周期性など ― を見いだす。

  文化 = 虚構としての第2の自然
    外化され<時=空>的に定着するものは、
    それ自体、表現であるところの
    <リズム=場面>である。

象徴化 = 特権化 = 様式化
  <能>は合理的な空間形成の芸術様式である。
  その舞台機構が有する、空間の不等価性によって
  演者の身体に特権性を帯びさせる。
  三方にひろがった正の空間と、
  それゆえ不当に限定された負の空間とが、
  結ばれ紡がれていくことによって
  <場面>を形成し、
  [リズム―内面化]されていく。


 ○仕掛けとしての方法的着眼

 ―[身体表現発生過程]としての循環論 ―
                         
    <共感・共鳴性>
    ゆすり・ふりの世界

    <自己中心化の過程>
    もの・ことに向かう世界

                     
    <構築性>自己の発見
       立つ世界

    <脳中心化の過程>
   脱中心化――中心化の往還
    集める・分けるの世界

                  
      <非中心化>
     世界を相対化する

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November 28, 2004

けふは凩のはがき一枚

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旧いノートより -四方館

身体障害者たちの身体表現-EVPの場合 (1992.3)

 肢体不自由、ダウン症、自閉症、精神薄弱など、さなざまな障害をもつ人々が、その家族や介護者たちとともに手を携えて、東大阪市障害者福祉キャンペーン「ふれあいのつどい」のステージに立とうと、身体表現に取り組んだ
 昨年9月の「ふれあいのつどい」実行委員会で、「障害者たち自身の手で表現を」と提案され、市内の各作業所に参加を呼びかけ、希望者を募ったところ、6つの作業所から30人余の障害者たちと家族や介護者たちが集まった。
 10月から週1回ペースで練習が始められ、しばらくは、障害者たちが、どういう場面で、また、どういうレベルで、自ら表現へと踏み出していくかが模索された。障害の異なる者同士が、共通の感覚や感性で表現へ向かう、などということがはたして成立するのだろうか? そんな無謀な企てに家族や介護の人々も初めは随分と戸惑っていた。しかし、練習の中でいろいろと試される身体訓練や即興的な課題に、それぞれ固有の刻印を帯びた、彼らなりの反応がかえってくる。彼らの世界では、いわゆる一般者のコモンセンスといった共同性や共通認識から逸脱しているため、周囲の状況や他者への関わり方や応答のあり方が、きわだった個有性をもつ。表面的にみればてんでバラバラな、気ままな世界に遊んでいる、としか見えない。だが、そこに彼らなりの個別の表出性、表現への深層の意識とでもいうべきものを見ようとしない限り、この企てはなんらの意味をなさない。
 やがて何回かの練習が経過する中で、この絡みあい難いような彼らの個別、バラバラな世界を包み込みうる共同性へのイメージ、彼らの持ちうる風土とでもいうべきものをどうイメージするかが、課題となった。そこから作品の構成へと想いが動きだした。魂へのキック、「キック・オブ・ソウル」と題し、4つの場面が設定され、それぞれ「結ぼれて」、「天空の飢え」、「おとぎ噺のように」、「周辺旅行」と仮に題した。
 今回の取り組みが、所期のテーマを充分に実現しえたとは言い難い。しかし、彼らの世界にも表現への可能性が充分に開かれているし、深層にうごめく自己の表出への欲求の確かな所在を実感しえたことは、同伴者として、得難い大きな経験をさせて貰えたと感謝している。

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November 27, 2004

お月さまがお地蔵さまにお寒うなりました

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6年前の
旧い手紙を引っ張り出してきた。
嘗て私と長きにわたって直接交わり、
最も影響を与えてくれた人物が二人いた。
一人は7年前に、
もう一人は昨年、
ともに鬼籍の人となった。
この旧い手紙は、
7年前に急逝したT.Mの一周忌の頃に、
私たち関係者で企画した追悼の会をした際、
(もちろん、私の山頭火もこの会で上演した)
いわばT.Mと親しい同僚のような関係だったN氏に宛てた書面。
長文だが、そのままここに掲載する。

N氏への便り

 取り急ぎ一筆計上します。
先日は体調思わしくないところに無理にと押しかけ、且つ長時間お相手をして頂き申し訳ありませんでした。
その上御馳走に与る始末で重ね重ね失礼を致しました。
35,6年の歳月を一気に埋め合わせようとでもするような、とりとめもない話に終始しましたが、あとでまたぞろ風邪をこじらせたのではないかと少々心配しております。
席上、少し話題に供しました「熊野逍遥」の舞台ビデオをご送付しますのでご覧ください。
時代は百年余り離れますが紀州熊野ゆかりの一遍と説教小栗の物語を輻輳させた作品です。
四方館とEVPの合同公演とありますが、EVPとは、Elan-Vital=生命の輝き、という意味で、
90年の秋、T.F(市岡19期で旧姓H、在学時よりK師に師事、3~4年間一緒に踊っていた元仲間)から東大阪市の障害者の集いの催しに出演の依頼を受けた際、
どうせなら、彼女らの関わる障害者作業所に通う身障者たちに、身体表現を取り組んでもらって舞台を作ってみたら、と逆提案し、取り組み始めた集団で、
以来6年間ほど付き合ってきたもので、いくつかの創作を経て、
昨年1月、最初にして最後の、四方館及び周辺の役者たちと競演してもらった舞台です。
EVPとして出演している者たちは、5つの作業所に通う身障者たちが約2/3、その介護指導員或いは父母たちが約1/3という構成で、総勢35~6名でしょうか。
障害者と健常者が常に混ざり合って稽古をしてきたものでした。
小栗判官役は友人でもある障害者の詩人K.Y氏に無理を頼みました。
四方館及び他の役者たちは適材適所、それぞれの芸風を発揮してもらうべく配し、ご覧のごとくの舞台となりました。
舞踊のシーンではメンバーになおレベルの差があり、納得のいく表現とはなり得ていませんが、舞台の構成全体としては概ね満足すべきでありましょう。
惜しむらくは、この舞台、容易に再現できるものではないということ。
とくにEVPの活動がこの舞台以後、継続困難になったことが、誠に惜しい。
T.Fの共鳴と努力で6年間継続してこられたのですが、自閉症、知的障害、肢体不自由、とさまざまに重複障害をもった人々とその介護者、父母らによる集団が、自分達の日常性のなかに表現を求め深化させていくというモティーフを燃焼させ続けるのは、これ以上無理であるという結論に達するのはやむを得ぬことだったのでしょう。
この舞台を最後に長い休止と相成りました。

 さて、話題を転じて同封の紙片、81年、四方館発足時の資料です。
78年秋が「走れメロス」でした。多分、天使館のM.Y君が大阪島之内で公演をしたのはその翌年の初夏ではなかったか。
彼に私の稽古場をほぼ一週間開放したはず。その折、一晩じっくりと合同の即興稽古をしました。
夜遅くまで、稽古場の電気を暗く落とし、延々とやったものでした。元天使館のメンバーで大阪に移ってきていたK.M女史(私と同年位だったか? ご亭主は合気道の師範ということだった)も参加していた。
その年の秋、ケチャのダンスを取り入れたK師の劇的舞踊の公演に、7,8名ほどの若手が応援出演をし、その東京公演に遠征した際、みんなで彼の国立の家を訪ねたことがありました。
ワゴン車で夜の東名を走り、早朝、彼の家で仮眠をさせてもらい、昼の稽古に駆けつけるという有り様でした。
という次第ですから、記憶を手繰り寄せると、私が即興による構成へと傾斜していくのはメロス公演直後からということになります。
即興といえば、K師においても相応に重視しているのですが、その狙いはあくまで、身体の動きの開放と発見にあり、即興のなかから構成を可能にしようなどということはK師の舞踊理論にはありえない。
若い頃からK師のオルガナイザー的で強力な指導力に惹かれつつも、演劇から出発した私はそれゆえにこそ身体表現の必要性を痛感したのでしたが、K師の実践におけるあまりにも物象的にすぎる舞踊につねに異和を抱いてきており、踊り手たちが自己表出としてもっと生き生きと振る舞いうる世界があるのではないかと考えていました。
勿論、物故したT.Mの影響が色濃くあってのことです。
T君の回顧によれば、若い時期のT.Mが三浦つとむを愛読していたとありましたが、偶然にも、この頃数年前から私も三浦つとむに耽っており、時枝誠記-三浦つとむ-吉本隆明と連なる言語論、芸術様式論。
そしてそのあたりから、当時を席捲する現象学における身体論へと関心が繋がっていくのです。
M.ポンティの一連の書、日本の哲学者、現象学者たちの身体論の書を漁るように読んだものです。とりわけ、市川浩の著書は私の混沌とする思考をかなりの程度整理してくれました。
菅谷規矩雄の詩的リズム、T.Mに倣って読んだピアジェなども忘れられない書ですが、なんといっても、安東次男の芭蕉七部集評釈が私にとって重要な書となっています。
この書はいま読んでもなお細部においてまったく歯がたたないのですが、いわゆる歌仙を巻く行為を支える座のありよう、連衆による即興吟という手法、勿論後に芭蕉が推敲補綴するということがなかったわけではないが、対等な個性が丁々発止と打ち合う即興吟で巻かれた歌仙の一つ一つを微細に丹念に読み解いていく安東次男の手際の鮮やかさは見事というべきもの。
この座をなす連衆によって紡がれる即興の句が歌仙となって成立してくる形式そのものが、私にとって舞踊における即興もこうありたいと、そのままモデルになっていると思われます。
しかしこんな世界が私という凡愚をして実現するなどとは到底叶わぬ望みではありますが‥‥。
 とにかく、そんなわけでその頃から私はぐっと方向転換をしていきます。
手法としては、基礎訓練の中にヨーガも取り入れました。当時の瞑想ブームのなかでのクンダリーニ・メディテーションも取り込んでみましたし、身体ブームの寵児となった太極拳などは自分自身で習いに行き、その後一般者のための教室まで開いたことがありました。
太極拳は自分自身の身体を内側から変え、日常の心のあり方をさえ少しばかり変えてくれたようです。
若い頃、陽性で外向的だが、余りにも攻撃的で自己中心的だといわれてきた私が、かなりの程度、その逆の要素を身に貯えてきたようです。
身体感覚なり身体形式なりの変容は精神のありようをも変えていきます。
近頃になつて私が自分自身をむしろ演者としてあらためて曝け出していこうとできるようになったのは、そういう自分の変容を自覚できるようになったからでしょう。
当時、幼児の造形あそびを方法として確立しつつあったT.Mが、お前は身体表現というこの上ない武器を持っているのだから、その手段を幼児の世界に是非持ち込んだらどうか、そうすれば自分と随分と共同作業が展開できる、と説き伏せるように誘ってくれたこともあったが、眩しいくらいに魅力を感じつつも私にそれができなかったのは、かような転換期を迎えた自分の行く手に、決して自信があったわけではなく、誰も頼らず自分なりに歩き出さねばならないと思っていたからでしょう。
それから20年近くも交叉しあうこともないまま、彼の死にあって初めて、これからずっとT.Mの果たした事どもと向き合わなければならないようになったのだと、
そういうことを覚悟するべく、この度の会は企図されたものだと、いま心の整理をしているところです。 
とりとめもないままに、乱文多謝。
1998.12.16

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November 26, 2004

鉄鉢の中へも霰

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山頭火のモノローグ<最終篇>

わしはの、放哉のように、
底の抜けた柄杓というわけにはいかなかったが、―― 
いわば、社会の疣みたいなものですよ、―― 
たとえば、顔に大きい黒い疣があるとすれば、
それは邪魔にもなろうが、
小さい疣なら邪魔にはならないでしょう。―― 
時には愛敬を添える疣なら、―― 

その疣だと思って、
堪忍して下さい、―― よ。


  うしろすがたのしぐれてゆくか

  生死の中の雪ふりしきる

  わかれてきた道がまつすぐ

  涸れきった川を渡る

  ぼうぼううちよせてわれをうつ

  笠へぼつとり椿だつた

  てふてふひらひらいらかをこえた

  鉄鉢の中へも霰

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November 25, 2004

木かげは風がある旅人どうし

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丁度、一週間ほど前、劇団Oの演出家K氏から突然の電話。
来春3月初旬、在阪5劇団による合同公演へ、演出面での協力要請が主旨。
創作の戯曲は、原爆の子像のモデル、サダコのヒロシマと、9.11のグランド・ゼロが、Wイメージで構成されたものだ、という。
翌日、脚本が届いたので一読。成程、舞台へと形象化するのに工夫を相当要する。
サダコ、ヒロシマ、グランド・ゼロ、イラク紛争、――
時空を超えてイメージが錯綜、重畳する。メタファーがいっぱい詰まった世界だ。
容易に視覚化できるものではない。
身体表現を主軸に長年やってきた私に、演出面で相談にのつてくれないだろうか、
とK氏は云うのだが、どこまでやれるものか、いまのところ見当もつかない。
お互いに忌憚なく語り合い、刺戟しあいながら、生み出してゆくしかない。
荷は重いが、愉しみながらやろう。

今年の1月、新年早々、K氏が演出した舞台を観る機会を得て、
その感想として書き送ったのが以下の一文。

前略。
昨夜は「セールスマンの死」公演へのご招待ありがとうございました。
優れた戯曲の醍醐味というものを久し振りに堪能させて頂きました。
大阪労演の資料をネットで閲覧して見ますと、民芸・滝沢修の「セールスマンの死」は、
1954年5月、66年4月、75年10月、84年9月と、40年にわたってほぼ10年毎に上演されておりますね。
この記録によれば、小生が観た舞台は二度目の66年ということになるようです。
記憶というものは誠に曖昧なもので、これより三.四年は早い時期かと思っておりました。
といいますのも、(労演資料によれば)63年10月「狂気と天才」の滝沢=キーンが強く印象に残っており、また両者の表象世界から比較しても、これより前だろうと思い込んでしまっていたようです。
観劇後ついでに思い出されたのが、大阪市大の劇団「つのぶえ」が「セールスマンの死」を63年秋に上演しており、私的なつながりもあってこの舞台を観ております。
小生は高校入学が60年春、同時に演劇部に入り、高一の終り頃から労演や関芸さん(関西芸術座)の舞台を観るようになったのですが、60年代という<破壊と創造>の潮流が吹き荒れるなかで舞台人生を出発させておりますから、大学に入るやその波をもろに被り大きく変容していきます。
66年ともなると同志社を中退した時期でもあり、また、前年の秋から「9人劇場」という小さな劇団をはじめた頃でもあり、他所様の舞台は大層選り好みして観るようになっており、この頃を境に労演にかかる舞台からどんどん遠ざかっていきました。
若年ゆえの特権でしょうが、凡そ既存の表象世界はかくの如しと見定め、自ら試行錯誤を重ねるのみという構えで60年代を過ごしたように思います。以後の私は熱心な観劇家とは程遠い輩となったまま今日に至ります。
したがって、昨夜はほぼ40年ぶりの「セールスマンの死」に再会させていただけた訳です。
その観劇は初めに記したように、優れた戯曲世界を充分に堪能できるものでした。
前夜は些か寝不足でして、失礼にも居眠りなどしてしまうのではないかと心配されたのですが、結構の見事さ、緻密な運びの冴えは睡魔を寄せ付けず、三時間余の長丁場にも集中力を持続させてくれました。
この観劇の機会に恵まれたことに感謝です。
ついでながら、私は劇評家ではないのでとても丹念には書けませんが印象批評をいくつか。
1.破綻のない演出です。舞台機構から負担の大きい面がたくさんあったと思いますが、
美術の努力、それに呼応した照明とも相俟って、よく破綻なき舞台になったと思います。
2.ウィリーのTさんには、最初から最後まで薄皮一枚の違和感が残りました。
この方の台詞術と所作技法に、私はどうしても少しばかりの乖離を見てしまうのです。
3.痛々しいほど足が悪いのに、奮闘のKさん。はっとするような激しい場面に思わず心配が先立ちましたが、流石です。
若い時代の場面に一層の華やいだ香りが欲しかった。
4.パンフによればどうやらこの企画を持ち出したらしいK君という役者、終局この舞台にかける情熱が迸っていました。
全体の形象からいえば少々真摯に過ぎたのではないか。表象に幅が欲しい。
5.兄弟たちの少年時代、これはもう困難すぎますよね。ハイスクールとはいえ花形スポーツの雰囲気なんてアメリカンドリームそのもの。
その表象を望むなんて無駄なことはしないで最低限の形象にとどめるのが賢明かと。

乱文ご容赦願います。
      四方館 林田鉄 拝

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酒はない月をしみじみ観ており

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山頭火のモノローグ

ああ、‥‥ 
今日はことに手がふるえる、
昨日は、昨日の風が吹いた、―― 
今日は、今日の風が吹く、――
明日は、‥‥ 
このわしに、‥‥ 
明日も、
風は、吹く、‥‥ か、

    ――コロリ往生の山頭火

  もりもりもりあがる雲へ歩む

  もりもりもりあがる雲へ歩む

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November 24, 2004

蛙になりきつて飛ぶ

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山頭火のモノローグ

わしは来世を信じない、
過去を放下(ほうげ)する、―― 

わしは、ただひたすらに現在を信ずる、――
即―今、
永遠の刹那を充実すべく、
全心身を尽くす。

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November 23, 2004

水がとんぼがわたしも流れゆく

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山頭火のモノローグ

どこからともなくついてきた野良犬が
大きい餅をくわえていた。

犬から餅をご馳走になった。

  銭がない物がない歯がない一人

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その者自然とし出す事に得たる風体あるべし

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風姿花伝にまねぶ -<3>

 -七歳-

此の芸において、大方、七歳をもて、初とす。
此比の能の稽古、必ず、その者自然とし出す事に、得たる風体あるべし。
舞、働きの間、音曲、若くは怒れる事などにてもあれ、
風度し出ださんかかりを、うち任せて、心のままにせさすべし。
さのみに、善き、悪しきとは、教ふべからず。 -略-

稽古始めが数えの七歳、現在の就学年齢に相当する。
芸事にもよろうが、物心つく年頃を始めとするのは妥当だろう。
三つ子の魂、百まで。という諺もあり、
此の頃は、とかく早期教育にはしる傾向が強いが、
必ずしも良い結果を招くとも限らない。
物心がついてくる頃に相前後して始めるくらいが、何事によらず良いだろう。
「その者自然とし出す事に得たる風体あるべし」
その子どもが自然にふるまうなかに、自ずと天性に備わっている風体がある。
子どもの本来もっている資質を大切にしよう、よい風体を引き出し、引き立ててゆこうとする姿勢が大切。
「風度(ふと)し出ださんかかりを、うち任せて、心のままにせさすべし」
あくまで無理強いはしない、子どものあるがままに即して、やる気を起させ、引き出していく。
「さのみに、善き、悪しきとは教ふべからず」
あまりこまかく良し悪しを追求しない、させないことが肝要。
のびのびとおおらかに、
眼に見えぬ細心の優しさをもって見守ること-厳しさに通じる

―参照:馬場あき子著「古典にまなぶ-風姿花伝」
                岩波現代文庫

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November 22, 2004

へそが汗をためている

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山頭火のモノローグ

道後へ散歩した、
一浴一杯、そしてまた一杯、―― 
それがいけなかった、
また一杯また一杯でさんざんだった。――
ほろほろ、とろとろ、‥‥ 
ぼろぼろ、どろどろになってしまった、
ああ、わしの遊蕩は命がけだ、
だから、やるまいとしてもやるのだ!
酒乱の切なさよ、ああ、――

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November 21, 2004

いつ死ねる木の実は撒いておく

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山頭火のモノローグ

 朝湯こんこんあふるるまんなかのわたくし

感謝があればいつも気分がよい、
気分がよければいつでもお祭りだ。
―― 拝む心で生き、拝む心で死のう。
そこに無量の光明と生命の世界が、
わしを待っていてくれる。

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つかれた脚へとんぼとまつた

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ネパール・ポカラの岸本学舎 Photo-Album

一ヶ月余り前だったか、
学校に行けないネパールの貧しい子らのために
車椅子の詩人、岸本康弘の見果てぬ夢

と題してこのブログ上でご紹介した、ネパール・ポカラで小学校を運営している
「きしもと学舎の会」のホームページがこのほどやっと復活したので、あらためてご紹介したいと思う。
もともと開設していたホームページがさる事情から管理者の変更とそれに伴うプロバイダーの変更などによって休眠していたもの。

松葉杖を唯一の友として
日本中をさすらい、世界中をさすらった、その果てに
なお燃え尽きない、生命の火の、その末期の住処として
世界の最高峰ヒマラヤの山々に抱かれた、
ネパールの町ポカラに
貧困の子らの未来を紡ぐ、学校を建てようと――

ヒマラヤの山々に抱かれたネパールは世界でも最貧国の部類に入り、
国民の識字率もきわめて低い状況にあり、
日本からもさまざまなボランティアが、
学校に行けない子どもらや仕事に就けない貧民たちのために活動していますが、
この岸本康弘氏のように、自身が重度の身障者でありながら、
自ら先頭に立ち、自らの責任(経済的にも)のもとに、
学校を設立し運営しているケースは、
このきしもと学舎の会が唯一だと思います。

ご記憶の方もいらっしゃるでしょうが
2001年6月に起こった国王一家殺害事件に象徴されるように、
以後の政局はまことに不安定で治安も悪化、
人民戦争を標榜する反政府組織マオイストたちの行動はテロ化してきており、
日本の外務省が指定する危険区域も拡大する傾向にあり、
鎮静化の兆しが見られない状況で、旅行者は激減しています。
観光産業に頼る経済は長年強いインフレ状況にあり、
貧困層はますますひろがり、
国土全体としても最貧国ネパールへと落ち込みつつあるなかで、
ネパールの岸本学校は、岸本康弘自身の強い想いから、
貧困の子どもらに完全無償で教育の機会を提供してきているのですが、
現在のようなネパール情勢では、
日本の支援者らとの交流の輪を広げていくことも困難で、
学校の運営維持そのものもまことに厳しい状況にあります。

上段の見出し下線部分をクリツクすれば、
ネパール・ポカラ岸本学舎に学ぶ子どもたちの
Photo-Album をご覧になれます。

きしもと学舎の会ホームページ へリンク

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November 20, 2004

降つたりはれたりおのれにかへる

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山頭火のモノローグ

ああ、夢を見た、――
いやらしい夢だった、
省みて恥ずかしい夢だった、――

聖人夢なしという、
せめてこういう夢を見ないようでありたい、‥

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November 19, 2004

おちついて死ねそうな草萌ゆる

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山頭火のモノローグ

松山の友はみなこのわしに親切すぎるほどだった。――

御幸(みゆき)山の麓、御幸寺境内に
わしが最後の棲家一草庵を調えてくれた。
高台にあって閑静で清らか、市街や山野の見晴らしも佳い。
殊に和尚さんに人を得て、この上ない。―― 
六畳と四畳半、台所も便所もほどよく、
水は前の方十間ばかりのところに汲揚ポンプがある。水質は悪くない。
焚き物は裏山から勝手に採るがよろしい。
東向きだから真っ向陽が昇る。月見には申し分ない。―― 
東隣りは新築の護国神社、
西隣りは古刹龍(りゅう)泰(たい)寺、
松山銀座へ七丁ぐらい、道後温泉へは数丁。―― 
すべての点において老残のこの身には過ぎたる棲家だ。

わしは感泣して、この親切に甘えた。

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November 18, 2004

ひょいと四国へ晴れきつている

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山頭火のモノローグ

昭和十四年の秋、
わしは広島の宇品から船に乗って、四国へ渡った。――
まぶしいほど晴れ渡っている。―― 
船が港に近づくと、松山のお城がよう見えた。
死出の旅路にもったいないほどの日和だ。
流浪するほかないこの身に風がやさしかった。――

  秋風こんやも星空のました

  泊まるところがないどかりと暮れた

  ぼうぼううちよせてわれをうつ

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November 17, 2004

六十にして落ち着けないこころ海をわたる

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山頭火のモノローグ

鳥のように、獣のように、
せめて虫のように死にたい、――
わしにふさわしい死に場所を求めて旅に出るのだ。
―― 山頭火!
ルンペンはのう、ぬくい四国が好きだ、
あの放哉も四国の小豆島で死んだ。―― 

伊予の国だ、
昔、八十八ヶ所を巡礼したことがあるが、
人が親切で貰い物が多かった、
―― 芋、だんご、米、――

松山だ、―― 
正岡子規、高浜虚子、その他のよき俳人はみな松山の人々、――
あの風土が俳句的にできているのだ。

この身の故郷を捨て、心の故郷を求めて、
―― 松山へ、行こう!

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November 16, 2004

花は心、種は態なるべし

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世阿弥の風姿花伝にまねぶ-<2>

花は心、種(たね)は態(わざ)なるべし

<態>=<技>、か
心と技の一体化した芸に、<花>は咲く。

花と、面白きと、珍しきと、
これ三つは同じ心なり。
散る故によりて、咲く頃あれば、珍しきなり。

咲くゆえにこそ花であり、また、散るゆえにこそ花である。
―― 人の目放しがたく思わせる変化そのものこそ、
―― 不変の花の真理であること。


  参照-馬場あき子著「古典を読む-風姿花伝」
                  岩波現代文庫

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鴉とんでゆく水をわたらふ

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山頭火のモノローグ

わしはの、―― 
笠も漏りだしたが、屋根も漏りだした、―― 
畳も破れたが、
馬鹿酒を飲み過ぎたせいか、心臓も破れたらしい ――
山頭火もあと一年の命かな、―― 
このごろはなんとなく死期が迫ったことを感じるのだ。
‥‥ 生きることよりも、死ぬることのほうが難しい、――
わしは、あちこちよく旅をしたが、鳥や獣の屍を見たことがない、
‥‥ 彼らは何処へ姿を隠すのだろう、―― 
わしも、あのように自分の姿を消すことができたら、
とつくづく思うのだ。――

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November 15, 2004

法堂あけはなつ明けはなれている

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山頭火のモノローグ

わしは、生死一如の内観を求めて、永平寺へと急いだ、――
数日後、ヨレヨレの浴衣一枚着たきりのあるまじき姿で、
山門の前に立っていた。――
洗え、洗え、洗い落とせ! ‥‥
垢、汚れ、乞食根性、卑屈、恥知らず、‥‥ 
洗い落とせ! ――

  水音の絶へずして御仏とあり

  てふてふひらひらいらかをこえた

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November 14, 2004

いつのまにやら月が落ちてる闇がしみじみ

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山頭火のモノローグ

鳴子温泉に二泊して、またまた酒と女に沈没した。――
朝さめるとすぐ熱い熱い湯の中へ、―― 
それから、酒、酒、女、女だった。―― 
普通の湯治客には何でもないほどの酒と女とがわしを痛ましいものにする。
―― ああ、アルコールがなければ生きていられない、―― 
無理にアルコールなしになれば、狂いそうになるのだ!――

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手がとどくいちぢくのうれざま

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今年は、K師について私とともに学んだ相弟子の
角正之君が精力的な活動をしている。
近々もイベントがあるそうで、彼からメールが届いた。
以下、ここに紹介しておきたい。

11/27(土)即興オールスターフェスティバル.神戸

緊急ダンスな日々案内のすみさんです。
皆さん、お元気ですか?
 このメールはお友達情報として案内させていただきます。
もし、ご迷惑であれば返信のメールをくださいね~よろしく!!

この企画はBIG APPLE 15th Anniversary 番組の一つです。
2年間に渡るマジカルダンスギィアの選抜オールスターに集まっていただきました。
8時間のロングランでコンサートいたします。
これは関西唯一の連続シリーズ、音と動きの即興ライブです。
どうぞお試しにお出かけください。
予約いただいた方はすべて前売りでご案内します、どうぞ~よろしく!!
ナビゲター/ 角 正之

BIG APPLE 15 Years Anniversary Live
MAGICAL DANCE GEAR by ALL STARS
2004年11月27日(土)
[DAY and NIGHT]ーfrom 16:00~to 23:00
[A] Pro/16:00~19:00.\2000(adv)/\2300(door)
[B] Pro/ 20:00~23:00.\2000(adv)/\2300(door)
[A+B]Pro/16:00~23:00.\3000


[A]プログラム
-参加ミュージシャン- ―――――――― -参加ダンサー-
[音.GEARS]
(1)大谷安宏(ラップトップ)-東京 (1)井口明子(ダンス)-大阪
(2)小島 剛(ラップトップ)-大阪 (2)小谷ちず子(ダンス)-西宮
(3)清野拓巳(ギター)-大阪 (3)田岡和己(ダンス)-大阪
(4)只津敦庸(エレクトロニクス)-三重 (4)ミキ.リン.テイラー(舞踏)-アメリカ
(5)HIROS (バーンスリー)-神戸 (5)三好直美(ダンス)-松山
(6)福西哲唯(サックス)-愛媛 (6)長谷川哲士(ダンス)-名古屋

[B]プログラム
-参加ミュージシャン-―――――――― -参加ダンサー-
[音.GEARS]
(1) 石上和也(MAC)-大阪   (1)小谷ちず子(ダンス)-西宮
(2)大谷安宏(ラップトップ)-東京 (2)斉藤瑞子(ダンス)-兵庫
(3)只津敦庸(エレクトロニクス)-三重 (3)ミキ.リン.テイラー(舞踏)-アメリカ
(4) 福西哲唯(サックス.フルート)-愛媛 (4)サイトウマコト(ダンス)-大阪
(5)山本公成(サックス.石笛など)-大阪 (5)長谷川哲士(ダンス )-名古屋
(6)村上和司(ダンス)-大阪

-参加詩人-
[A]+[B]プログラム
[言葉.GEAR]
(1)福永祥子(詩朗読)-神戸
[A]+[B]プラグラム.ナビゲター/角  正之


もう一つのシリーズ企画。

ZOYD-LOGUE(11) 案内です~

皆さん~お元気ですか?
ダンスの日々のすみさんです。
このメールは友達案内で送ります、どうぞよろしく~!
もう11回目になります、
ダンスライブ最先端ファクトリーZOYD-LOGUE(11)
やっとメンバーも成熟度を増しています。
どうぞ、30人でいっぱいのホールでの臨場感をお楽しみください。
お待ちしています、よろしく~
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ZOYD-LOGUE(11).11/28(日)-
Obscure Reflection (曖昧な映った影)-No3
Open/18:30 Start/19:00~21:30
Fee/\1000 . Door/\1500.ドリンク別
会場/音屋ー神戸市中央区加納町4丁目9-14 岩崎ビルB-1
078-393-2758(予約問い合わせ)
Office/D.C.P(角)-090-3622-1625(予約問い合わせ)

来月はさらに映像的な構造への関わりをふかくしたいと思います。
ゲスト作家は映像インスタレーションを得意とするー岩淵拓郎さんです。
動きと映像の関係を明確にだすことが可能になります。
ZOYD-LOGUE.ナビゲーター/ 角 正之

映像作家/ 岩淵拓郎(ビデオインスタレーション)
音の参加者>
Bernhard Wagner(computer+elec-guitar).-Switzrland
川谷誠人(elec-guitar)
原田英嗣(elec-violin)

動きの参加者>
越久豊子.斉藤瑞子.小谷ちず子.荒川幸子.
北垣あや.金田めぐみ.三好直美.村上和司.その他
-------------------------------------------------------
Bernhard Wagnerの略歴
http://nosuch.biz/bernhardart/
ベネゼエラ生まれ、チューリッヒ在住。
13歳までベネゼエラで過ごし、その後79年にスイスへ移る。
82年にギターを始め、86年から数年間、チューリッヒにてジャズとクラシック ギターを学び、
フリーインプロビゼーションに開眼、傾倒する。
04年は Loopstock(USA),Cambridge Loopfestival (UK),NorbergFestival(Sweden),
Y2K4 Live Looping Festival(USA)など世界各地のフェステ ィバルに参加。
ソフトウエアエンジニアとしての側面では、Max/MSPやC++を使い、コンピュー ターによるインタラクティブな作曲、
演奏についてのシステムを研究、制作 し、ヨーロッパ各国での国際会議にて発表。
95~00年にはチューリッヒ大学の マルチメディア研究所(MML)にて勤務。
現在はフリーのソフトウエアエンジニアとして、そしてミュージシャンとして 世界各国を飛び回っている。初来日。

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November 13, 2004

草は咲くがままのてふてふ

古典を読む 風姿花伝

世阿弥の風姿花伝にまねぶ -<1>

<秘すれば花>

秘すれば花なり、秘せずは花なるべからず

花にも年経るにつれ折々の花あり、と。
 「時分の花」
 「まことの花」
 「老骨にのこりし花」
 「巖の花」
 「萎れたる花」
 「年々去来の花」
 「因果の花」
などについて記す。

芸の花の、その風姿は「声」と「身形(みなり)」にあり。
  芸能と云うものは、眼をよろこばせ、耳を楽しませ、
  心にひびくもの、とや。

    参照-馬場あき子著「古典を読む-風姿花伝」
                  岩波現代文庫

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やつぱり一人はさみしい枯草

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山頭火のモノローグ

 旅に出た、―― どこへ、―― 
ゆきたい方へ、―― ゆけるところまで。

  わかれてきた道がまつすぐ

  春の雪ふる女はまことうつくしい

  ほつと月がある東京に来ている

  あるけばかつこういそげばかつこう

  その手の下にいのちさみしい虫として

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November 12, 2004

ひとりの火をつくる

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被災地に無情にも追い討ちの雨が降る。

今、午前4時過ぎ、
ここ大阪では昨日来の雨が、
先刻よりひときわ激しく降りつづいている。
ネットの天気予報を開いて見た。
四国では豪雨で土砂災害の警告も出ているようだ。
この激しい雨が、余震が続く新潟の被災地にも、
まもなく、無情にも降り注ぐにちがいない。
新潟・中越の被災地に、とくに知人や友人が居る訳ではないが、
窓外の激しさを増す雨音に気は揺すぶられ心は塞ぐ。

今夏からうちつづく天変地異、
毎週のように襲来した大型台風と激しくも過酷な地震災害に、
人事を超えた天災ゆえに、怒りの拳も振るえず
人という存在の無力さのみがクローズアップされてくる。
ただただ、無事に過ぎ行くのを祈るしかないのが、
なんとも悔しく歯噛みするばかりだ。

酷い雨、惨い雨、
日本中が泣き出したくなるような暗澹たる気に包んでしまうような雨だ。

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けふも一日だれも来なかつたほうたる

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山頭火のモノローグ

 九月一日、今日は関東大震災の記念日、――
一瞬のうちに東京という大都会が焦土と化した、あの日、――
あの日のことを考えると、自分のだらしなさがはっきり解る。
―― あの日、わしは湯島を焼け出され、
友のいる早稲田へたどり着いた。
 社会主義者の大杉栄と、その妻野枝らが、憲兵隊本部に連行され、
憲兵隊長甘粕正彦によって絞殺されたのを知ったのは、ずっとあとのことだ。
―― 重い空気が充満していた。―― 
郷里のある者はひとまず帰ろう、まず東京から逃れることだった。
早稲田に身を寄せてきた友のなかに木部というのがいた。
その木部が、知人の家に預けている荷物を取りに行くという。
わしともう一人、三人で出かけた。―― 
その相手、高津正道が憲兵隊のブラックリストに挙げられていたとは知る由もなかった。――
わしら三人は、憲兵達に捕らわれたのだ。――
 一言の尋問もされないまま、わしらは巣鴨の刑務所に送り込まれた。
鉄格子の向こうでは、怒鳴り声と人を打つ竹刀の音が一晩中鳴り止まなかった。――
 
わしは留置場の中で恐怖に打ちのめされていた。
‥‥ うずくまったきり、言葉を失っていた。―― 
さいわい内務省に勤めていた知人の計らいで、わしの嫌疑は晴れて釈放されたが、
‥‥ 心は、広漠たる焦土と化した街の姿そのままにすさみ、無常の闇に包まれていた。

   
 ‥‥ あれから十三年、―― 浮いたり、沈んだり ―― 
 わしはいたずらに放浪し、苦悩してきたに過ぎないのではないか。

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November 11, 2004

風鈴の鳴るさへ死のしのびよる

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山頭火のモノローグ

世を捨てたなどとうぬぼれてはいない、―― 
世に捨てられた自分をみつめている。――

人間の心は、底のない穴のようなもの、―― 
一尺掘っても水は湧く、―― 
しかし、掘っても掘っても掘りきれるものではない。
―― 徹し得ないところにすべての悩みがある、
悲しい望みがある。――

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November 10, 2004

草や木や生きて戻つて茂つてゐる

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山頭火のモノローグ

自殺未遂! ―― 
多量過ぎたカルチモンに酔っぱらって、
わしは、無意識の裡にあばれつつ、
それを吐き出した、――

<死ぬる薬はふところにある草の花>

いつも最後の晩餐だ! ―― 

いつも最初の朝飯だ!

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November 09, 2004

このさびしさは山のどこから枯れた風

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山頭火のモノローグ

風、‥‥ 風、‥‥ 
いやな風が吹く、―― 
風吹く日の独りは、いろいろのことを考える、――

天も白く、地も白く、
―― そして人も白く光る、
白光は死である、
―― 死の生である。

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November 08, 2004

死をまへに、やぶれたる足袋をぬぐ

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-山頭火の墓-山口県防府市護国寺

山頭火のモノローグ

性欲をなくしたノンキなおじいさん! 
わしもどうやらそこまで来たようだ。――
あるのは命だけだ、まだ、命だけは残っている。


酔うて、乱れて、なにが母の命日だ、――
地下の母は泣いたろう、――
ああ、恥を知れ、恥を!

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November 07, 2004

水音しんじつおちつきました

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山頭火のモノローグ

一つ、辛いもの好きは辛いものを、
甘いもの好きは甘いものを持参すべし。

一つ、うたふもをどるも自由なれども、
春風秋水のすなほさあるべし。

一つ、威張るべからず、
気取るべからず、鬱(ふさ)ぐべからず、
其中一人の心を持すべし。

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November 06, 2004

移つてきてお彼岸花の花ざかり

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山頭火のモノローグ

わしが探し求めていた其中庵は熊本にはなかった。――
嬉野にも、川棚にもなかった。―― 
ふる郷のほとりの山裾にあった。―― 
柿の木にかこまれ、木の葉が散りかけ、
虫があつまり、百舌鳥が啼きかける、廃屋にあった。

まさに、廃人、廃屋に入る、―― 

それは最も自然で、最も相応しいではないか。――

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November 05, 2004

どうでもここにおちつきたい夕月

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山頭火のモノローグ

やっぱりムリがあるのだ、
そのムリをとりのぞけば破滅だ!‥‥
ああ、ムリか、‥‥ ムリか、―― 
そのムリはわしのすべてをつらぬいて流れているのだ、―― 
造庵がムリなのじゃない、
――生存そのものがムリなのだ、

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November 04, 2004

水を渡つて女買いにゆく

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山頭火のモノローグ

わしは気を紛らすためになんとはなしによく石を拾う。
そのついでに、白粉の空き瓶を拾った。
「クラブ美の素」というレッテルが貼ってある。
洗っても洗っても、ふくいくとしてにおう、
――なまめかしい、なやましい匂いだ、‥‥ 
夢精! ―― 
きまりわるいけれど事実だから仕方がない。

昭和七年、この年の性欲処理は六回だった。
内二回不能、外に夢精二回。呵、呵、呵、呵、――

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November 03, 2004

花いばらここの土にならうよ

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山頭火のモノローグ

早くどこかへ落ち着きたい、

嬉野か、立願寺か、――

静かに余生をおくりたい。

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November 02, 2004

日ざかりの酔ひどれは踊る

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不登校児は不良品、と
福井県の副知事が発言したことが
物議をかもしている。
事の仔細はこうだ。(朝日新聞記事引用)

「不登校の子ども、不良品」PTA大会で福井県副知事

福井市内で10月に開かれたPTAの研究大会で、福井県の山本雅俊副知事が不登校の児童、生徒について「不良品」と表現していたことがわかった。県高校教職員組合は1日、「生徒や保護者、教職員の思いを踏みにじる問題発言」として、西川一誠知事に抗議文を出した。
 山本副知事は10月15日、日本PTA全国協議会などが主催して開かれた東海北陸ブロックPTA研究大会で、開会式の来賓として登壇。児童、生徒を工業製品にたとえながら「東海北陸6県の生徒数は120万人で、そのうちの(不登校の)1万4000人は不良品」と述べたという。
 大会には東海・北陸6県から約2000人が参加。大会関係者から指摘を受け、山本副知事はその後、会場で「不適切な発言だった」と釈明した。
 メールで抗議を受けた西川知事は「企業活動に携わってきた経験からの発言だったようだが、説明が至らず真意をお伝えできなかったものと思う」と返答している。
 山本副知事は米大手化学メーカー、デュポン日本法人の元社長。西川知事に請われ、03年8月に副知事に就任した。 (11/02 01:19)

 副知事という権威ある公職にあろう者が、
しかもよりによって全国PTA組織の東海北陸ブロックの研究大会という公の席上での、
このとんでもない発言に大いに驚いたが、
記事最後の件、副知事が民間企業の社長経歴者だったということで、
成る程然もありなむかと合点がいく。
どうやら問題の根は、元気宣言を標榜する福井県の行政姿勢と深く繋がっているのではないかと推測される。
というのも、県では近頃、この山本氏の副知事招請に限らず、
民間企業出身の転職組や退職組の登用にいたく熱心のようなのだ。
民間の知恵とキャリアを地域の行政改革や経済発展の強力な武器にしようという訳なのだろうが、
この話、どこやらの宰相とも似ていなくはないか。
偶々、高校時代の同期生が、今年の春、定年退職して、
県が公募した第三セクターの要職に就いたという話も身近なところであったからか、
(彼は退職時、松下系列子会社の社長だった。)
この副知事発言は強く私を捉えた。
民間キャリアの公への登用といった傾向は、公立高校の校長を民間から公募採用するのに始まって、いまや全国的にいろんな形で推進されているだろう。
民と公が交流し、協調し、知恵を出し合い、地域の活性化を図ってゆくことになんの異論があろう。
いつまでもお役人然と無風地帯で胡座をかいてないで、風雪に耐え抜いてきた民の知恵や活力に自ら洗われるべきは、不可欠とも云えるだろう。
だが、見落としてはならないのは、
民を支配する市場原理はどこまでも<力の論理>だということだ。
その力の論理が、公の、しかも子どもの教育という場面で、
その教育理念、根本姿勢に抵触するような発言を、副知事たる者が不用意にも産み落とした。
これは単なる勇み足程度の発言問題では、おそらくない。

 問題の根っこはもっともっと深い。

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雨だれの音も年とつた

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山頭火のモノローグ

わしは淀んで濁った水だ、―― 
淀んだ水はなかなか澄まないのだ、
このわしの濁りを澄ますには、流れる外ない、
水の流れつつ澄む、‥‥
わしは歩くしかないのだ、さすらうしかないのだ、――
わしはまた旅に出るより外はなかった。‥‥
何処へ行く、‥‥ 何処まで行く、‥‥
淀んだ水の澄むところ、―― わしが庵居とするところ、――
この山頭火が結ぶべき庵居、―― 
其中庵のあるところまで――

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November 01, 2004

暗い窓から太陽をさがす

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山頭火のモノローグ

―― へんてこな一夜だった、酔うて別れた妻のサキノを訪ねた、
―― そして、とうとう花園、じゃない、野菜畑の堰を越えてしまった。
今まで越えないですんだのに、しかし早晩、越える堰、越えずにはいられない堰だったが、―― 
それにしても、女はやっぱり弱かった。――
それから、しばらくは彼女の家に転がり込んでいた。――
家業の酒造りの破産で、故郷の防府を追われるように捨て、
この熊本へ流れきて、二人ではじめた額縁屋の店を、
サキノは細々と守りつづけていた。――
だが、その暮らしも束の間だった。
またしてもわしは、酒ゆえの失態を繰り返し、
この熊本にさえ留まることが出来なくなったのだ。――

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