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October 31, 2004

霜夜の寝床が見つからない

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山頭火のモノローグ

わしは労れた。――
歩くことにも労れたが、
それよりも行乞の矛盾を繰り返すことに労れた。
袈裟のかげに隠れ、嘘の経文を詠む、貰いの技巧を弄する、―― 
応供の資格なくして供養を受けるこの身に堪えきれなくなったのだ。―― 

わしは、あてもない果てもない旅の疲れを抱いて、
何年ぶりかの熊本へと戻ってきた。―― 
街は師走の賑やかさだったが、
わしの寝床はどこにもなかった。

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October 30, 2004

かるかやへかるかやのゆれてゐる

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カボチャ中さんの日記から
占いサイトを拝借してみた。

新感覚、右脳を計る性格分析ツール

あなたの分析結果がでました。
一言であなたの深層心理を暴いた結果です。
世の中で鍛えられたあなたより、昔の自分をイメージすると、よりいっそうわかりやすいと思われます。

<基本性格>
・世間体を気にせず、決して他人と同じようにしょうとは思わず、俗世間の事に関わらないで生きて行く人。
 ・超俗派、世俗を超越していて、俗世間の事に関わりなく超然としている人。

<男性性格>
 本当は悪気の無い人情に厚い人なのだが、愛想の無い横柄な態度が誤解を招き易い。独創的な発想をする為、ありふれた事には満足しない。好き嫌いや気分に左右される事無く、自分の信念に忠実な行動しか取らない意地の強さを持つ人。

<表層意識>
―他人から自分がどう見られているか―
あなたは、一人で過ごす時間や空間を何よりも大切にします。他人からの干渉を嫌い誰かを頼る事無く、自分で問題を解決しょうと言う姿勢を持っています。又、絶対に他人に媚びたりごますりをしたりする事はありません。その潔い態度はあなたの一番の魅力になっています。
人と違うオリジナリティをいつも心がけ、周囲との考え方が違いすぎて、変わってる、とよく言われますが本人はそれを個性的と受け取っています。そして生活の仕方、仕事の進め方に至るまで自分の流儀を持っていて、それを実行しています。それゆえ、突然の、臨機応変の対応を迫られるのが大の苦手のようです。そして何時もマイペースなのでそれを乱される事を嫌って、周りに自分のペースを押し付ける事もあり、それも弱い相手だと顕著になる傾向にあります。外見はさっぱりとしていて飾り気が無く、見栄をはったりおしゃれはしませんが清潔な印象を与え、開けっぴろげで人見知りしない態度や、相手の思惑や感情を気にしない率直さが印象的でもあります。
豊富な知識を持ち合わせ、頭も良く、感情に左右されないタイプですから、物事を客観的な視野で判断できる人ですが、結論を出すのには自分が納得できるまで時間をかけるタイプでしょう。また、誰の前でも自分の個性を上手に発揮出来るのですが、心の中では自分の世界を作っており、あまり他人を入れる事は好きでは無いようです。気まぐれで自由にしていたい気持ちが強く、その様な面は人から批判されがちですが、世間体など気にせずマイペースで生きていく人でしょう。
そしてまた、一人で居たい割には意外な事に大勢集まると仕切りたがりな面があり、しかも仕切りは上手なのです。その関係で世話焼き上手なのかも知れません。また、普通なら人が嫌がるような単純な作業の繰り返しであってもちっとも苦にならないのは、すぐに自分のペースを作り、その世界に没頭する事が出来るからなのでしょう。

<社会意識>
―社会の一員としての自分を活かしたい―
あなたは、常にムードメーカーとして周りに気を遣い、場を盛り上げる人でしょう。性格は誠実で几帳面、清潔感に溢れる好感の持てるタイプです。なんとなく陽気で場を明るくする何かを感じさせてくれます。そして、世間の常識や伝統に縛られず、自分の視点から今までに無いやり方を発見し、常に変化を求める傾向がある人でしょう。
新鮮な感覚のアイデアは豊富で、それをすぐ行動に移す実行力も備えていますが、飽きっぽく、行動が長続きしない傾向があります。が、後は根気さえ続けば言う事なしで、物事をいいかげんに済ます事ができないタイプであり、常によりよい状態を目指す人なので、落ち着きと強い信念とバイタリティで、必ず実現するでしょう。そしてまた、自分から他人に擦り寄る事が嫌いな潔い人ですが、人情に厚くてお人好しが多く、人に頼まれると嫌と言えず、何でも引き受けてしまうのも特徴であり、信用を重んじる堅実型なので、自分の時間を削っても解決の為に奔走します。利用されて金銭的な実害を受ける事もあります。でも、不思議な運勢に守られていますので、大きな災難は向うから避けていくようです。また、割と本心は外に出さない所があり、時として落ち込んだり弱気になったりする面があって、お酒に走ったり、異性に迷ったりする傾向にあります。そして、独特の雰囲気から変人っぽく見られますが、自分を理解してくれる人には愛情深く付き合う人でしょう。

<深層意識>
―自分の心の奥底に潜む自分を確認したい―
・好奇心が旺盛で、新しい事柄を常に吸収しようとする。情報に敏感。
・強引さを慎み、争いはなるべく回避する。従順で調和的。
・流れに身を任せる為、その場の勢いに流されがち。環境に左右されやすい。
・周囲の動向を気にし、自分の評価や評判が気になる。
・過剰な自意識が、優雅な身のこなしを作り出す。ゆえに、ストレスは溜まりやすい。
・褒められ、賛美され、伸びてゆく人。

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ぬいてもぬいても草の執着をぬく

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山頭火のモノローグ

昭和四年の三月だったか、――
北九州の海沿いの村を行乞したが、玄海からくる西北の風が吹雪となって、
みな雨戸を閉め、お経を読んでも対手にしてくれない。
日暮れ近くになって所得のない鉄鉢を掌にのせて、
若松の街へ入り、ある通りを行乞した。
いつのまにか吹雪が牡丹雪に変わっていたが、
どうしたことか左右から若い女が、手に手に米ではなく、銭を投げ込んでくれる。
それも五銭、十銭、なかには五十銭という大金もある。
重いほど貰ってよく見ると、そこは廓で、女郎がわしのお経で仏心を起こしたのだろう。――
そこまではよかったが、それからがいけない。もう一人の山頭火が姿を現した。
女たちに貰ったお金で、楼に上がって女郎買いをしたのだ。――
騒いで、呑んで、疲れて、寝た。――
朝、覚めてみると、女と一緒に寝ているではないか。
これでは熊本の老師に申し訳がない。仏弟子としてお釈迦様に相済まぬ、――
顔も洗わず飛び出して、寒い風の中を走るように逃げ出した。
――(自嘲の笑い) わしはそういうクソ坊主なのだ。

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October 29, 2004

死にそこなって虫を聴いている

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山頭火のモノローグ


 途上、愕然として我にかえる、―― 
母を憶い、弟を憶い、――
また父を憶い祖母を憶い姉を憶い、―― 
なんのための出家ぞ、なんのための行脚ぞ、――
法衣に対して恥ずかしくはないか、――
袈裟に対して畏れ多くはないか、――
万人の布施に対して何を酬ゆるか、――

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October 28, 2004

まっすぐな道でさみしい

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山頭火のモノローグ


旅の途中、放哉の死を知らされた
‥‥あの放哉が、死んだ、‥‥ 
あれほど逢いたいと願っていた放哉が    
‥‥もうこの世にはいない

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October 27, 2004

炎天をいただいて乞ひ歩く

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山頭火のモノローグ

行乞は雲のゆく如く、流れるようでなければならない。
ちょっとでも滞ったら、すぐ乱れてしまう。
与えられるままで生きる、木の葉の散るように、風の吹くように。
縁があればとどまり縁がなければ去る。
そこまで到達しなければなんの行乞ぞや。
―― やっぱり歩々到着だ。

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October 26, 2004

風の中からかあかあ鴉

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K師との40年-<2>

 K師は私の高校での国語の教師だった。
一年時では授業もなくなんの接点もなかったのだが
貴公子然とした端正な風貌でただでさえ目立つ存在なのに
戦時の旧制中学時代、志願兵として江田島の海軍兵学校に在籍したという経歴からか
背筋をシャンと伸ばし早足で堂々と闊歩する姿といい
当時としては珍しく蝶ネクタイをチョイと小粋に曲げ
スーツ姿で毎日登校してくるものだから、いやがうえにも生徒たちの注目を集める。
私とすれば、尊大なばかりか自意識過剰ともみえるダンディズムに加え
生粋の大阪人だというのに語り口調は標準語アクセントで
おまけに少し気取ったようなイントネーションもあるという
なんとも自信過剰のキザな奴という印象が強く
大阪弁丸出しの私などには、鼻持ちならぬとても好きになれないタイプだった。
ところが、なぜか生徒のあいだではすこぶる評判良く
校内一、二位を争う人気ぶりなのだから
此方には気にいらない奴なのになぜか気にかかる奴という
妙にアンビヴァレントな気分にさせられる不可解な存在だった。

 ところが、二年時となり、初めて彼の授業を受けるようになって
K師への印象は一気に豹変するのである。

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松はみな枝垂れて南無観世音

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山頭火のモノローグ

 穏やかな味取の暮らしを堪能していたわしを漂白放浪の旅へと誘ったのは、
小豆島の南郷庵にいた尾崎放哉の存在を知ったことだった。

  こんなによい月を一人で見ている
  咳をしてもひとり
  いれものがない両手でうける
  底の抜けた柄杓で水を呑もうとした

こんな放哉の句がわしを捉えて離さなかった。―― 
そうだ、放哉は底のない柄杓なのだ。一生その底なしの柄杓を離さずにいるのだ。―― 
放哉も一人、わしも一人、だが放哉のこの徹しようはどうだ、死生を超えたこの境地は、―― 
二度も三度も自殺を図ったこのわしの、煩悩と悟達の間を揺れ動いてやまない、生への執着ぶりとは千里の距たりがある。―― 
放哉に逢いたい、逢って心ゆくまで、語り明かしたい、‥‥
そう思うといてもたってもいられないくらいだった。――

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October 25, 2004

寒い雲がいそぐ

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台風の国日本、地震の国日本。

四柱推命によれば
今年の私は大殺界にあたり
人生最悪の運気だということらしいのだが
待て、待て
自分の運勢の良否云々なんかより
日本列島そのものが大殺界なのではないか、と
危惧と云うより、私たちの平常心を根底から震撼させるような天変地異が
この列島に起こり続けている。

震度6強という烈震に見舞われ
多くの犠牲者を出した新潟県と周辺地域。
新潟中越地震の余震は間断なく起こりつづけ
今日の早朝も震源地近くの小千谷市では震度5強が観測されたとのこと。
毎日新聞の報道によれば、24日午後6時までに
本震を含め震度6強が3回、震度6弱が1回、震度5強が5回、震度5弱が1回、震度4が19回も頻発している、という。
震源は浅く、おそらくは活断層による直下型の地震と推定され
直下型ゆえになお強い余震は続く、と専門家諸氏は警告を発している。

夏からずっと毎週のように襲来した台風で
全国各地の町並みや家並み、農産物などは手ひどい打撃を蒙り
道路も、河川も、山林も、列島のいたる処が疲弊しきっているというのに
この不意打ちに襲いかかる過酷きわまりない震災には
高度な先端科学もなす術なく、絶望と隣り合わせに人はただ不安と恐怖に慄き震えているしかないのだろうか。

それにしても、この日本列島は
ユーラシアプレートと太平洋プレートが東西から押し合い
さらに北米プレートとフィリピン海プレートとが南北から干渉しあう
という地球上でも特殊な地帯にあり、地殻変動の非常に起こりやすい地形だというし
台風襲来にしても地勢上どうしても免れがたい位置にある、という。

こんなにも天変地異による災害を避けえぬ過酷な風土の、この列島が
鄙も鄙、大陸の吹き溜まりのような位置でしかない、この列島が
長い長い時を経て、いつのまにか1億2千万以上の人々が住み、世界の覇権の一翼を担わんとする
過密と過剰の列島に、どうしてなってしまったのか

私には、どうにもそれが不思議でならないのです。
私には、つのる不信を抑えがたく、いや増しつのるのです。

おい、日本列島よ、
お前は、ほんとうに、大丈夫なのか‥‥?

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分け入っても分け入っても青い山

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山頭火のモノローグ

 水は流れる、雲は動いて止まない。風が吹けば木の葉が散る。
魚ゆいて魚のごとく、鳥飛んで鳥に似たり。

大正十五年四月、解くすべもない惑いを背負うて、
わしは行乞流転の旅へ出た。

その二年前の年の暮れ、酒に酔っぱらったわしは、
熊本の公会堂の前を走る電車に仁王立ちとなって遮ってしまった。
急ブレーキで危うく大事に至らなかったが、車内の乗客はみなひっくり返ったらしい。―― 
近くの交番から巡査が飛び出してくる、押しかけた人だかりに囲まれる。―― 
大騒ぎになるところを熊本日々新聞の木庭という顔見知りの記者が、
わしを無理矢理引っ張って、報恩寺という寺へ連れて行ってくれた。
俗に千体仏と呼ばれる曹洞宗の禅寺だった。―― 
住職の義庵和尚はなにも云わず、この業深き酒乱の徒を受け入れてくれた。
過去はいっさい問わず、ただ黙って「無門関」一冊をわしの前に差しだしてくれた。―― 
長い間無明の闇にさすらいつづけていたわしは一条の光を求め、
座禅を組み修行に打ち込むようになった。

 出家得度は年も改まって二月だったか、―― 法名は耕畝、
遊蕩と自棄の病にこの身をゆだね、破産と破綻を繰り返した半生、山頭火四十四年の新生の一歩だった。
それから一月後には義庵和尚の計らいで味取観音堂の瑞泉寺へ堂守となって落ち着いていた。

 山林独住、静かといえば静かな、寂しいと思えば寂しい生活、
気ままな托鉢の日々は、わしに安穏な気を満たし、忘れかけていた句作を復活させてもくれた。

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さて、どちらへ行かう風がふく

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K師との40年 -<1>

 1963年(S38)の夏休みに入る直前ではなかったか。
私は、同志社大の1回生、第三劇場という劇団に入っていた。
その日は、OBとして高校の演劇部の稽古を観るため、久し振りに母校を訪れた。
今は校舎も建て替えられてずいぶんと変っているが、
昔の正門から入って校舎へと5.60メートルほどつづくアプローチを、
運動場で部活や遊びに興じている生徒たちを横目に見ながら歩いていくと、
校舎から出てくるK師にバッタリと出くわした。
こういう偶然を捉えて離さないのが彼の真骨頂で、
「おっ、いいところで会った、ちょっと話がある。
俺は今からバスで上六まで行くから、一緒にバスに乗って付き合え。」
と、まるで拉致するかのように、半ば強引に付き合わされてしまった。

K師の話は簡単明瞭。
自分を慕って集まるOBたちで、Actual₋Art(状況芸術の会)という集団を立ち上げること。
その集団では表現手段として創作劇を軸に演劇活動をしようということ。
ところが、ここに集まる学生を中心としたOBたちは、
政治的にしろ文化的にしろ、運動理念においてはそれぞれ一家言を有するが、
演劇の実践たるや未経験者が圧倒的で、今のところまったくの素人集団といっていいこと。
それが、近々に集中合宿を行い、秋の旗揚公演に向けての第一歩を踏み出すということ。
で、お前のような芝居バカも一人くらい欲しいのさ、
とは、さすがに教育者たるもの、そこまで露骨なことは云わなかったが、
要するに「よかったら、この合宿に参加してみないか」とのお誘いだった。

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October 24, 2004

青空したしくしんかんとして

教えること、裏切られること―師弟関係の本質

 師弟のあいだ、師匠と弟子の関係は、

 裏切る-裏切られる、の関係だ。

 と、山折哲雄氏は著書

 「教えること、裏切られること-師弟関係の本質」

 (講談社現代新書)のなかで云う。


師と弟子のあいだには、

抜きさしならぬ競合と背反の関係が生まれる。

教えることは、やがて裏切られる、ということ。

あるいは、教えられることは、

必然的に、裏切る道に通じている、と。


ここでしばらく、
昨秋急逝したK師と私のあいだの
来し方40年をふりかえりつつ
師弟のあいだについて考えてみたいと思う。

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安か安か寒か寒か雪、雪

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山頭火の妻サキノのモノローグ


 わたしには、あの人のことは、よくわかりません。
大種田の惣領息子だったあの人に嫁いだのは、二十一の時でした。
あの人は二十八。もうその頃には、あの大きな家屋敷もみんな売り払われて、大道(だいどう)で酒造りをしておりました。
あの人は口癖のように、わしは禅坊主になるのじゃから嫁は貰わぬ、と云うていたとです。
それをまあ、ろくに見合いらしい見合いもせず、両方の親で決めて、式を挙げてしまいましたよ。
あの人が夫らしく家に修まっていたのはわずか一週間でした。
それからは、いつも酒びたりで、世間様に
大迷惑ばかりかけて――。
月並みに生きる、ということがとてもできない人でした。
あの人の苦しい種も、嬉しい種も、それがわたしにはとうとう解りませんでした――。
あの人がわたしに残して呉れたものといえば、たった一人の息子と、
あの人が四十四にもなって出家する云うて、その時わたしに聖書を呉れよりました。
その二つきりくらいのものです――。
その聖書は、あの人にしてみれば、生きながらの形見のつもりだったかもしれません。

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October 23, 2004

うしろすがたのしぐれてゆくか

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山頭火のモノローグ

 寒い、夜が更けて冷えてきたのか、‥‥ 
わしが望んできたコロリ往生も、もう近いのか、
ひたすら死場所を求めてさすらってきた人生だ、――
俳句のために俗を捨てたか、
俗に捨てられたゆえ俳句に走ったか。
所詮人生も俳句も無碍の非定型と、妻や子を捨て、
酒に溺れきった、アル中の山頭火よ、―― 
無能無才の山頭火よ、小心にして放縦、怠惰にして正直、
あらゆる矛盾を蔵しているおまえは、
恥ずかしいけれどこうなるより外なかったのだ、―― 

おまえの死を前にして、風が吹く、
心地よい涼しい風だ、
‥‥蒼茫として暮れてゆく。――

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春風の鉢の子ひとつ

ふうちゃんの詩―金子みすゞ《南京玉》より


みんなちがって、みんないい
と詠ったのは、若くして夭折した童謡詩人

金子みすずだが

みすずは、自死する直前の数ヶ月、
愛娘ふさえが3歳の誕生を迎える1ヶ月ほど前から
翌年2月までの、ほんの4ヶ月ほどの短い間だが
日々成長してゆく愛娘がカタコトで話す言葉を
採集収録し、「南京玉」と題された小冊子を遺している。
みすずは、この時、すでに死を覚悟していたのだろう。
翌3月10日、服毒自殺を遂げ、26年の短くも儚い生涯を閉じている。

さて、我が家の幼な児も、
この15日、3歳になったばかり。
みすずの愛娘とちょうど同じ年頃であらせられるのだが
此方は、最近、あれこれと、とにかくよく喋る。
いま、二語文から、三語文へと移行をはじめたばかり
昨日も、ママチャリの前に乗せての、保育所からの帰りの道すがら、
「るっちゃん、るっちゃん、……」
幼な児の名はKAORUKO、
で、通り名をるっちゃんと呼んでいるのです。
「るっちゃん、デカレンジャー、すきやもんねー。」
と、主語、目的語、述語、を使い分け???
見事に三語文を発せられておりました。

ところで
みすずが遺した愛娘のカタコト集に付けられた
「南京玉」
これって、おはじきやラムネの類の
この頃の子どものオモチャでしょうが
なんのことなのか
どんなものなのか
だれか、ご存知の方
教えてくれませんか。

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October 22, 2004

すすきのひかりのゆれてはふれては

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山頭火が1年余り堂守をしていた
熊本市郊外の味取観音堂門前にて

榊原温泉行

昨日の朝、台風一過とはいえ、
深夜近くまで風が吹き荒れたせいか、空はまだ厚い雲に覆われていたのだが、
かねての計画通り休みを取り、榊原温泉へと日帰り入浴の決行。
このところ、温泉効果でしばらく沈静化していた幼な児の症状=幼児性アトピーも
またぞろぶりかえしているので、やはり行くことにしたのだ。
台風23号が列島に残した爪跡は予想を越えて痛ましいものがある、というのに。
そんななかで勝手休日のミニツアー敢行とは、
少々後ろめたい気分を宿しながら、西名阪に車を走らせる。
奈良から三重の伊賀上野あたりまでは、時に雨もぱらつくほどで、
台風一過の青空を望むべくもなかったのに、
青山高原の峠道をぬけた辺りから、一気に清朗とした秋空がひろがる。
風は野分の名残りのせいか、ときに強く吹きつける。
名も知らぬ雑木林の樹々がざわめく。
芒の群生が大地に倒れんばかりにしなっている。

「ああ、秋だなー」と思わず口をついて出た。

隣の幼な児を抱いた母親も「ほんまや、秋やなー」と相槌。

待てよ、
こんなに季節そのものを感じ、その感触にひたりきるような感懐を覚えたのは、
いったいいつのことだっけ。
もう何年も何年もなかったんじゃないか。
いま、この時間、この感覚、
どこに秋の風物詩として見事な絵柄があるわけじゃないのに、
なにか特別な、えもいわれぬような感懐に包まれるのはなんだろう。
不思議な感触、
だが、気はゆったりと充ちている。
これは、何年もなかったんじゃない、
齢60にして、初めて出会ったもの、かもしれない。

出発が9:30、目的の湯元館着が12:30。
急がず慌てずのんびりした走行だった。
此の宿は、ふるい温泉なので男湯が広く女湯がずいぶん狭い。
これは、いまどきの女性客が多い温泉事情にはどうにもそぐわない。
だから日替わりで男湯と女湯入れ替えることにしている、という。
今日は広い湯はどっち? と訊ねると男湯だとの応え。
とすると、幼な児は私が面倒みなきゃ。
彼女の手を引いて階下へと降りてゆく。
成程、湯処は広い。目的の湯船、源泉の湯も広くとってある。
湯客も少ないので、幼な児の機嫌をとりながら、遊び感覚で浸からせる。
とにかく治療目的の温泉行なのだから、できるだけ長湯をさせること。
これ以外に私の任務はない。
退屈したとみえたら、洗い場へ移って、今度はシャワーで洗髪。
そして、またまた、源泉湯で、遊ぼう、遊ぼう。
「もうあがる」と云ったのが40分余り経った頃。
初手から一時間は無理だろうと思っていたから、この辺りで手を打つのが賢明かと、
「ハイ、ハイ」と脱衣場へ。
さてさて、源泉湯のご利益は如何ほどにあるのやら。

湯疲れは畳敷きの休憩室でゆっくりとる。
今日は、ビールを一杯飲みながら、遅い昼食も注文。
背中越しの大きな窓ガラスの向こうで、山際の樹々が時折の強い風に騒ぐ。
道すがら感じたさっきの感懐がよみがえる。
「ほんと、秋だな」とまた呟く。
「そうね、秋ね」とまた相槌。

滞在2時間半余で帰り支度。
帰路の沿道で風にそよぐあちこちの芒に、
なぜか眼が奪われる。
釣瓶落としの夕暮れに、だんだんモノクロ化していく景色のなかで、
「そうだよな、秋は芒だよ、一面の薄野がなんたって秋にふさわしいのさ」
と、こんどは心のなかで呟いていた。

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たんぽぽ散るやしきりに思ふ母の死のこと

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山頭火のモノローグ

 母さん、母さん、‥‥ああ、夢か、また母の夢をみた。
歯をくいしばった白い母の顔だった。‥‥
あの日、井戸から抱え上げられたのは母だった。
髪を振り乱していたが、怖い形相ではなかった。
‥‥眼を閉じていた、噛みしめた歯が少しのぞいていたっけ、――
 (母の位牌を懐から取り出して)
母さん、私ももうすぐそちらへ参りまする。――

 無駄に無駄を重ねたような一生だった。
それに酒をたえず注いで、そこから句が生まれたような一生だった。
ぼうぼうばくばく、六十年に至らんか、―― 
山頭火はなまけもの也、
わがままもの也、きまぐれもの也、
虫に似たり、草のごとし。‥‥

 あの日、わしは近所の子供らといつものように、裏の納屋で芝居ごっこをして遊んでいた。
―― 急に母屋の方が騒がしくなった、
走っていってみると、土間へ引上げられた母が筵をかけられていた。
冷たい身体だった、どんなに叫んでみても返事はなかった。――
親父はその日も家に居なかった。おコウという妾と一緒に別府に遊 んでいたらしい。
―― 親父は決して悪い人間じゃなかった。
むしろ良すぎて、女に弱かった。酒はあまり呑まなかった。
ところが妾 が三、四人いたらしい。――

 母は三十三だった。―― 
なぜ死んだか、‥‥ 親父の道楽ゆえか、守るべき大種田の家の重さに押しつぶされたか、‥‥ 
なにもわからぬまま、この春、四十九回忌を迎えた。――

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October 21, 2004

鴉とんでゆく水をわたらふ

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石川五右衛門だって?!?!

生年月日で日本の歴史上人物になぞらえて占うという
歴史占いをしてみたら

安土桃山時代に生き潔く散った極悪非道の盗賊石川五右衛門だって?!?!

なにをするのも個性的で独創的

変わっているうえにマイペース。世の中の尺度なんて眼中になく、自分にとっての善し悪し、好き嫌いで生き抜くはぐれ者。五右衛門も並のワルじゃぁありません。強盗、殺人、おいはぎ等悪逆無道の果てに、時の権力者秀吉の命を狙って伏見城に忍び込み、あと一歩で御用に。しかも、「お前こそ天下を盗った大泥棒だ」と、啖呵を切りました。頑固で融通がききませんが、あなたの個性を磨くことでオンリーワンの存在になれます。

■頭脳・知識
コピー不能な芸術的思考の持ち主。全部がオリジナリティーに溢れている。他の人が真似できない独創的な分野を切り開き、後にも先にも、その世界でオンリー1の存在となる。

■センス
何が嫌って、他人の物差しで計られたり、一般的な常識に合わせて生きること。はなから合わせる気もない。一途で一本木なところがある。「孤高の人」でも、それはそれで男の美学を感じている。

■感情
他人に影響されず、頑固なまでに自分の中のルールとテンポを崩さない。ふだんは物事を冷静に観察してクールだが、いざという時、内なる闘志をメラメラと燃やす。

■外見・言葉
あまりにも個性的なので、「変わっている」と思われがち。無口だし表現力も乏しいし、初対面の人は取っつきにくいかもしれないが、気持ちは真っ直ぐで純情で、裏表がない。

■行動
群れるのが嫌いな一匹狼。たいていは一人、あるいは気心が知れた身内と一緒に過ごすことが多い。一旦、「コレだ!」と決めたら、回りの視線や評価など気にせず、トコトン突き詰めていく。

P.S
でもこれ、とてもまともに受取れないな。
だって、私には双生児の兄がいて、一卵性だったから、そりゃ容姿も気質も似ていて、いつも間違われてきたし、この年になってもお互い一緒にいれば、心の動きは結構手に取るようにわかるけれど、生まれが同じだからといって、どっちも同じ石川五右衛門だと言われてもね……。

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はだかではだかの子にたたかれてゐる

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人間の睡眠と覚醒の周期は25時間だと言われます。
これは地球と月との関係、いわゆる潮汐のリズムと関わっています。
これにたいし地球と太陽との関係、昼夜の周期は24時間です。
人間の睡眠障害や覚醒障害はこのずれから由来しているそうです。

 吉本隆明「心とは何か」-三木茂夫について-の章より

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October 20, 2004

笠をぬぎしみじみとぬれ

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山頭火のモノローグ

 わしの祖母はずいぶん長生きしたが、
長生きしたがためにかえって没落転々の憂き目を見た。―― 
祖母はいつも、業やれ業やれ、と呟いていた、―― 
祖母の業やれは悲しい呟きだった。―― 
わしもこのごろになって、句を作るとき、恥ずかしいことには酒を呑むときも同様、
業だな業だな、と考えるようになった。―― 
祖母の業やれは、悲しい諦めだったが、
わしの業だなは、寂しい自覚だ、‥‥ 
わしはその業を甘受するしかない、
むしろその業を悦楽するしかない、‥‥

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木の葉ふるふる鉢の子へも

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運動の知覚や印象は、
その要因間の相対的な強さによって決定される。

緊張と弛緩の周期は、
呼吸の周期と同じパターンで行われる。
緊張はつねに弛緩のなかに起こり、
弛緩はいつも緊張のなかに起こる。

演技が運ばれるということは、
たんに新しい玉が鎖につながれるのではなく、
前にきたものは、いずれもごにきたものによって、たえず変えられる。

時間には移行性がある。
どの時間も、それ以前およびそれ以後の時間を伴っている。
継続の表象は、独特な仕方で変様それ、
しかも刻々と変様されることによって、初めて成立する。

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October 19, 2004

ほんによい月のきりぎりす

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身体の運動とは、どこか潜在的な中心で、
あらかじめ足・腕・頭など、BODYの各部位のあいだで謀られている或るなにものかであり、
それがただ次の瞬間に位置の変化へと炸裂するにすぎない。

人間のすべての働き(身体的・精神的)の良否は、
肩や首の柔軟さによって決定される。

アンバランスを創りだす能力は、
動きのエネルギーを生みだす能力である。

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October 18, 2004

落葉ふる奥ふかくみ仏をみる

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山頭火のふるさと
防府の街では
いたるところこのような句碑
お眼にかかる

ちなみにGoogleで
山頭火句碑と検索したら
1670件ヒットした

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空へ若竹のなやみなし

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<呼-吸>は、まず息を吐け。
息の吐き方がわかったとき、そこに新しい可能性が生まれる。
すべての動きは、<呼-吸>によって決定される。

吸息は、集合であり、準備であり、貯蓄である。
保息は、結合し、化合し、集中統一され、方向づけられる。
呼息は、解放し、行動し、完成する。

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October 17, 2004

それもよからう草が咲いてゐる

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空間の異方性は、さまざまな形をとってあらわれる。
人間の感覚器官や操作器官は、前方へ向かって働くようになっている。
したがって、前方の空間は光に照らされ、
分節化された、明るい意識的な空間であり、
後方空間は暗く未分化な、無意識的空間となる。

<前-後><左-右><上-下>という生きられた空間関係は、
私の身体の現在の<向き>を基準にしている。
いま、私の<まえ>にあるものは、
向きを変えればたちまち<うしろ>になったり、
<みぎ>にあるいは<ひだり>になったりする。

向きを変えることは、他なる視点に移ることであり、他者の向き、
つまりは他者の生きられた空間に身をおいてみることと同じことになる。

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父によう似た声が出てくる旅は悲しい

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これまた山頭火ゆかりの
種田酒造場の跡あたり

-むかし、むかしの、文より-

「彼と彼女」 -承前-

 その診断書を添えてようやくことなきを得たのだが、これはもう保育行政のひずみとか貧困とかいう程度の問題ではない。
それもあろうが、問題はもっと広くて深いように思う。
人がどれほどいい加減ででたらめな眼でものを見、その判断を当て込んでいるかという証左に他ならない。
我々、大人社会となれば、たしかにほどよくバランスがとれているのは良いことではあろう。
しかし相手はまだ三歳に満たぬ幼児ではないか、とりわけ二歳児というのは乳児から幼児へと、知情意あらゆる面で加速度的に発達していく時期だ。
この時期、その三態がほどよいバランスをもって成長曲線を描いていくなどあるわけがない。
そんな一番不安定な時期に、いったいなにを言ってくれるんだ。
 彼(審査員)はその面接の折、なにを見たのだろう。
絵本の中の絵について適切な言葉で表現できなかったという一事をもって、彼の平均的二歳児像という枠組みからはみ出したものとして受け取ってしまったのである。
彼がもっと広く、彼女のことや付き添った母親のことを、その場の一部始終を眺め渡していてくれたら。
この母子が面接室へ入ってきた瞬間から、二人のあいだに交わされるちをっとしたしぐさや表情の変化、対応を、二人をとりまく周囲のありさまとその交感を、部屋を退出するまでの時間を通して、それらすべてを見るともなく見ていてくれたら――。
 人が人を見る、人がものを見る。見るということは一点集中で対象を捉えきれるものではないだろう。
おそらく全体を見尽くすことは叶わぬことなのだろうが、一点集中はその点に即しただけでほとんど見ないにひとしいのではないか。
人は人のなかにいる。人はもののなかにいる。人はその場のなかで生きている。
その人を取り囲んでいるものすべてを捨象して、その人だけを取り出せはしない。
見るとは、それらすべてを眺め渡すように、見るともなく見るようにしか、その全体を見ることはできないのではないか。
まさに、嗚呼、としか言いようのない嘆かわしい事件であった。
 さて、はじめに「このまま野に送り出してやりたいくらいだ」といった。
我々の社会では七歳と五歳の子どもをこのまま野に放つなどできない相談だが、そういう世界がほんとうは望ましいのだと思う。
今、彼女や彼に具体的なこれといった期待も願いもない。
だが近い将来、過酷にもそういう期待や願いを彼らに強いていかざるを得なくなるだろう。
否応もなくきっとそうなる。我々が現に生きている世界はそういう社会だし、世界の隅々までそれは大差ないのだろう。
彼らはこれからもずっとアンバランスな成長過程を生きつづけていくことだろうが、この社会はほどよくバランスのとれたのが良いという価値観が根強く支配的だ。
そこではほんの少しの違いが過大に受け止められ、性急に修正を求めてくる。そういう圧力がどんどん強くなる。
そういうことに、そういう問題に彼ら自身が気づいてくれること。アンバランスであることを決してマイナス価値で見ることなく、ことの全体を見渡す眼を持ちつづけてほしい、と願うのみだ。

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October 16, 2004

ころりと寝ころべば空

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身体はすべてを空間化する原初的な契機である。
頭化がはじまった動物は主にその頭の方角に前進し、
<まえ>は特権的な価値を有することになる。

<うえ-した> <みぎ-ひだり>についても同様となる。
これらを比較するに充分な感覚能力と、
いずれへも移動可能な運動能力をもつことによって、
独特の価値基準を有するようになる。

立位を取る人間においては、
他の動物と違い、頭の方向と行動方向が異なっている。
頭化の方向は垂直<うえ-した>であり、
行動方向は水平<まえ-うしろ>であるために、
<うえ>はより精神的な非実用的特権性を帯びてくるものとなった。

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秋風のふるさと近うなつた

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山頭火のふるさと
防府の街の細い路地塀に
そっとかかった句ひとつ

秋風に誘われて
今朝は家族でロードサイクリングと洒落込んだ。
木津川にかかる千本松の渡しと
尻無川の甚兵衛渡しと
ふたつの渡しに乗って
市内南西の三区をひとまたぎ。
所要時間約50分。
お嬢は渡しの舟初体験。
北京秋天の空とはいかないまでも
清朗として秋の風は涼感にみち
まことに爽快のきわみ。

 こういったささやかな出来事が
日々の営みにほんのひととき
厚手の書のなかの栞のごとく
そっと挿し込まれると
心地よさも全身に沁みわたる。

 ふっと、深呼吸を一回、二回。

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すずめをどるやたんぽぽちるや

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熊野逍遥
 -一遍上人と説経小栗より-

聞いたか、聞いたか
  聞いたぞ、聞いたぞ
一引き引いたは、千僧供養
二引き引いたは、万僧供養
罪障消滅
功徳じゃ、功徳じゃ
エイサラエイ
  エイサラエイ!
信、不信をえらばず、とや
浄、不浄をきらはず、とや
ともはねよ
  かくてもをどれ!
六十万人決定往生
南無阿弥陀仏
  南無阿弥陀仏
はねばはねよ
  をどらばをどれ!
補陀落浄土へ
ありがたやの、渡海の道は
あっちか、こっちか
  こっちか、あっちか
黄泉の国、熊野の道は
ありがたやの湯の峰は
あっちか、こっちか
  こっちか、あっちか
餓鬼阿弥陀仏
亡者の熊野参りぞ
エイサラエイ
  エイサラエイ!
ともはねよ
  かくてもをど!
エイサラエイ
  エイサラエイ!

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October 15, 2004

うまれた家はあとかたもないほうたる

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山頭火ゆかりの種田酒造場の跡あたり

-むかし、むかしの、文より-

「彼女と彼」

 もうすぐ彼女が七才、彼が五才。
彼女の保育所生活はもう六年だ。彼女は転校?二回のベテランである。
初めは一歳児として大阪市内のベビーセンター、次に二歳児で公立保育所へ、そして昨年この地に移り住んでM保育所へ。やっと卒園である、やっと。
彼の場合は、転校歴こそ一回だが、やがて彼女の保育所生活を上回ることとなる。なにしろ生後二ヶ月からの入所だったから、いずれ彼女の期間を追い抜いての長いものとなるのは必至である。
 いまでは、彼女はまさに女の子だし、彼もはっきりと男の子だ。
それぞれのらしさはいよいよ濃くなっていく。あたりまえのことなのだが「やがて彼女が女になって、彼が男となる」という確信が持てるようになったのは、実感として近頃のことである。彼女は彼女の世界で、彼は彼の世界ですでに生きている。このまま野に送り出してやりたいくらいだ。
 人間の成長過程、とくに幼児のそれはアンバランスなものだと私は思っている。バランスのよい平均的な成長記録なんてものはありえないだろう。その昔、誰かが提唱した期待される人間像というのが、絵に掻いたモチでしかなかったように。
 彼女が二歳児として公立保育所の面接を受けた時、「集団生活に適さない」と、要するに知恵遅れと判定されかかったことがある。その頃、彼女はまだ言葉をほとんど喋らなかった。彼女は五月生まれだから当時すでに満二歳と八ヶ月位だったろう。たしかに言葉の発達は平均的許容範囲すれすれだったかもしれない。とにかく面接ではカタコトくらいしか話せなかった。たしか絵本などを見せられて、先生が「これなーに?」
と指さした絵をほとんど答えられなかったので、チョッとおかしいということになったのだ。
 さすがに私も慌てたものである。少しばかりアンバランスででいいんだよ、と思っていた私も、こうハッキリと他人様に指摘されては、しかも入所の面接試験ではないか。悔しさと不安を交錯させながら、それでも「そんなことあるものか、この子を俺たちが一番観てきてるんだ。一度もそんな不安や疑いを抱いたことはないし、感情も豊かに元気よく育っている。そんなことはある筈がない。」とみずから元気づけ、専門医の門を叩いた。

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October 14, 2004

風のなか米もらひに行く

 パリーグ優勝を決めるプレイオフで、
リーグ2位だった西武ライオンズが接戦の末勝ち名乗りを挙げ、
1位のダイエーホークスが涙を呑んだと思ったら、
さらに追い風というより嵐のダブルパンチ。
親会社ダイエーの再建が、とうとう産業再生機構に委ねられることになった。
貸し手責任がとことん追及されないまま、主力三行の銀行側に押し切られた形。
ダイエーホークスの身売りもいよいよ現実味を帯びてきて、
近鉄・オリックスの合併問題に端を発した野球界再編騒動もいよいよ本丸か? 
いやいやそれどころか、嵐はまだまだ吹き荒れる。
今度は西武の堤義明オーナーが身の不始末の責任を取り辞任することになった、という。
西武お前もか、だ。
これで球界再編の乱は一気に天下分け目の騒乱になった感。
一つの穴を埋めるため、ライブドアと楽天に、
妙に姑息な臭いのする喧嘩をさせている球界のお偉方たちよ、どうするね。
ここまで一気呵成に問題が噴き出したのだから、
タニマチ気質丸出しの旧態依然たる球界に大鉈をふるう絶好の機会到来だ。
近年、失われた十年と、日本経済を揺るがしてきた不良債権問題処理の顛末が、
プロ野球界を根こそぎ変革の嵐に巻き込んで、
いやがうえにも日本中が注目する現象となってくるあたり、
対岸の火事とみるなら、近来稀にみるとても面白い見世物だ。

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秋風の、水音の、石をみがく

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熊野逍遥
 -一遍上人と説経小栗より-


疑ってはいないが、信じてもいない。
疑わないことと、信ずることとの間には無限の隔たりがある。
否、むしろ、疑いこそ、信に近いといえる。

出す息、吸う息の時々刻々、生死がある
想いの浮き沈みにも、生死がある
時のはじめが生なら、一刻の過ぎ去るところが死
朝が生なら、夜は死
日々不断に生死の境、臨終がある

南無阿弥陀仏には、臨終もなく、生死もない


身を捨つる 捨つる心を 捨てつれば
  おもひなき世に すみぞめの袖   一遍

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October 13, 2004

酔ふてこほろぎと寝てゐたよ

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秋山巖さんという版画家が
山頭火の句を題材にした
版画をたくさん描いている
あの棟方志功のお弟子さんだ
飄逸な味わいに満ちた世界

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すすきのひかりさえぎるものなし

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自我・自己の確立に向かう思春期は
第二反抗期からはじまるのだが
その初期段階
いわゆる自我の芽生えはといえば
ずっと遡った第一反抗期にある。
第一反抗期は、乳児から幼児への過渡期である
2、3歳の頃に顕著に現れる。
この時期の子どもがよく
イヤ、イヤと、
気に入らないとなればなんでも拒否するようになるのがそれで
いわゆる自我の芽生えというもの。
三つ児の魂百までや、
雀百まで踊り忘れず、
などと云われたきたのも、この頃の経験の刷り込みが、
自我の芽生え期なればこそ、
後々の生涯にわたってまで強く影響を与え続けることを、
先人の知恵がこのように云わしめた。
乳児の段階では、
母親-育児をする者-への全面的な依存の形で、育てられてきたのが、
立ち、歩き、喋り、遊び、学ぶ、
という人類の進化の過程を辿るようにして成長していくのが
乳児から幼児への過渡期なのだが
母親-育児者たち-の愛の保護に守られ包まれ
完全な被保護者として育てられていく乳児段階から幼児期へと移行するなかで、
気ままにならないいろいろな壁に衝突し
動物的本能に基づいた自由奔放の世界から
秩序だてられた人間社会へと参入していくわけである。
この頃の子どもを見ていると
それぞれすでに個有の人格ともいえそうなものを保持していることがよくわかる。

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やつぱり一人がよろしい雑草

 安保徹氏の免疫学的視点から書かれた
「医療が病いをつくる-免疫からの警鐘」によれば、

交感神経と副交感神経の機能バランスが崩れることが病として現象する、ということになるようです。交感神経支配が過度に強まるか、あるいは副交感神経支配が強まるか、どちらに傾斜するかであらわれる症例が決定されてくる、という訳です。
以下、本文より引用すると

 生物は、呼吸やえさ取り行動のようなエネルギー消費する働きをする時には、交感神経を発達させ同調させている。
 逆に、えさの飲み込み・消化・吸収・排泄などエネルギーを蓄積する働きが必要な時には、副交感神経を進化させて同調させていく。したがって感受-分泌細胞の顆粒放出現象もすべて副交感神経支配になっている。この理由として分泌現象が本来排泄から進化したものであることが考えられる。
 副交感神経優位の時とは、食事をしたり、休息・睡眠をとったりするときの体調であり、内分泌細胞は活性化し、インスリンなどが出る。成長ホルモンやグルココルチコイド(副腎皮質から分泌されるステロイドの一種)も副交感神経が優位である夜間か早朝に分泌される。外分泌細胞も働き、消化液などが分泌される。リンパ球が働き、免疫能も高まる。神経伝達物質が出され、知覚神経などの働きも高まり、痛みなどに対して過敏になり、いろいろな物事に気が行き届くようになる。
 逆に、交感神経緊張の時は、感受-分泌細胞のすべての働きは低下する。内分泌細胞、外分泌細胞の働きは停止し、血糖値が上昇し、口が渇き、リンパ球の働きは低下する。神経伝達は抑制され、周りがよく見えなくなり、知覚が消失する。無我夢中の状態である。一方、えさ取り行動に関与する細胞群だけは働きが亢進する。呼吸、循環(血圧)に関する機能であり、防御細胞では顆粒球の働きである。発汗に関係する細胞もこの群れに入る。
①感受-分泌細胞の概念 ②顆粒分泌と排泄現象 ③これらの副交感神経支配 の三つの法則によって真の神経系、内分泌系、免疫系の連携が理解できる。

 と、読み込んでいくのにかなりハードな書ですが、対症療法一辺倒の現代医療への警鐘を、緻密に理路整然と展開されています。
一読に値する書です。

 私なりに本書の章立てに沿って簡略なMemoを作って見ましたが、よろしければこちらへ

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石に腰を、墓であつたか

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伏見稲荷界隈に
石嶺寺
という黄檗宗の寺がある
この境内には
江戸中期の画家
若冲が
下絵を描いて石工に彫らせたという
五百羅漢がある。

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October 12, 2004

水に影ある旅人である

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親友、心友、真友。

親友とは、第二反抗期を始めとする自我の確立期、いわゆる思春期の自立や自律を求める心性が、両親、とりわけ父権の相対化とともに、いわばその代償のように登場する、という意味のことを先に言った。

ここで、親友、心友、真友、と同音異語を三つ並べて考えてみる。
親しい友、心の友、真の友、との謂いようもあるのだから、あながち造語とも言えないだろう。それぞれの語感からは微妙な違いを感じさせるニュアンスがある。

親友が思春期において前述のように要請され登場してくるとすれば、それは父親への相対化のための媒介手段として求められる対象とも言いえるだろう。
家族間の縦関係の相克を、横関係のひろがりのなかで近しく親しい他者へと媒介を求め、対抗し克服してゆく構造には、無意識に甘えやもたれあいが潜んでいるように思われる。
その甘えは、家族へも、また親友として呼び出される友に対しても等しくあるのではないか。
およそ、思春期の頃に互いに親しく付き合い、親友と呼び合えた間柄は、時の風雪のなかでいずれ儚く遠い存在となってゆく。
あとに残るのは懐かしさばかりがいや増すだろう。

もし、自身の自立や自律を求めることが、父権の相対化を親友を生み出すことで解消し、実現していくのではなく、父親の像を家族以外の父権構造を有する他者、たとえばまず出会いうる身近な可能性として教師であったりするのだが、外部の父権的な存在と出会い、我が父親を相対的に、客観的に見ることができえたら、我が父親を社会的存在として、父権構造の類型のなかの一個として、社会のなかから捉え直していきつつ、横の関係へと、対等の他者としての友を求めるなら、それは心の友となり得る存在だろう。
この場合、父親以外の父性原理を体現している他者が、圧倒的な強さで自分自身に迫りくるような存在だったとしたら、対等の他者として求められる友とのあいだにもまた、それに対抗しうるような強い力を見出していかなければならない。
ここでは、父権的存在の他者に対し充分な尊敬が払われ、心の友としての他者をも同じように敬することができる。前者とは敬し-敬されるというわけにはいかないだろうが、友と自分自身のあいだでは、ともに敬し-敬される関係が成り立つのではないか。
こんなことはおよそ現実には叶うものではないのだが、親友ではなく心友とは、そういう地平でしか生まれ得ないのではないか、と思われる。

さらに、父性原理を体現する他者が、自分自身にとって絶対的なほどにまでその存在価値を強め高めるとき、この他者はもう神のごとき存在となる。そこではみずからのすべてを投げ出し、おのれを空しくして、ただひたすら帰依するしかない存在となるほかない。
対等の他者としての心の友を求める必然もないことになろう。
では真の友とは何処にありうるのだろう。それはおそらく他者のうちにあるのではなく自分自身の内部に生まれうるものとしてあるのだろう、と思う。
絶対的な神の如き存在に対して、おのれを空しくし、ひたすら帰依するほかない時、自分という存在には一分の主体もないし、自分という思慮さえもないのだから、自分とは相手からのありとあらゆる照射を一身に受容するのみの者であり、自分とはその一切を反照する存在でしかない。
その、照射と反照の内に、真の友が現前する、といえるのかもしれない。

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涸れきつた川を渡る

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防府にある「涸れきつた川を渡る」の句碑

親友というものが極めて優位なものとして、特権的な価値あるものとして登場してくるのは、誰にとっても思春期の頃だろう。
いわゆる自我の確立期、言い換えれば親という存在を相対化してゆく頃。
私の場合を振り返れば、俗にいう母親離れ、母親に対しての相対化を自覚し始めたのは、小学校の6年生頃ではなかったかと記憶する。これにはそのきっかけとなる具体的な或る事件が存在するのだが、この事件については別の機会に譲るとして、今はこのことに触れないでおこう。
父親に対してのそれはもっと遅く、中3から高校時代にまで待たなければならなかったように思う。私たちの子ども時代や少年期は、父親という存在はかなり怖い存在だったし、単なる煙たい存在というものではなく、どこか畏怖する存在であり、畏敬の念を持たざるを得ない対象だったから、このような存在を相対化していく過程は、相応の時熟を必要とする。この怖い存在だった父親を相対化していく課程とちょうど逆方向に、親友を求める心性が増大してゆく。
このあたり、近頃の若い人たちとは相当開きがあるだろう。若い人といってもすでに70年代頃から大きく変化してきているように思うので、いわゆる団塊の世代以降の人たちには、もうその兆候があったのではないだろうか。
父親を畏怖すべき、怖い存在から、怖さが少々薄められ、単に煩い、煙たいとしかいいようのない存在へと、さらにそれも変化し、ただうっとうしい、ウザイ存在へとくれば、ひたすら現在の父親一般像に近いものになる。
このように父親像の時代の変容を捉えてくると、親友像もまた同じように時代の推移のなかで変化しているのだろうと考えざるを得ない。
私たちの過ごした思春期では、父親の相対化と共に、親友の登場が必然としてあり、そこにはかなりのっぴきならない事情があるのだ,と云う得るだろう。
ところが、50年ちかい歳月を経た現在では、思春期の初期において父親の存在は容易に相対化され、ウザイ存在に堕してしまっている。最近の小学生は4年生、5年生ともなると、多勢の友だちのなかから、ひとりふたりの親友を選別、差別化しようとする。これは私たちがかつて求めた親友なるものとはまるで異なるものだろう。
私たちにとって親友とは、求めて、されど決してとまでは云わぬが、求め得ないものだった、というのがもっとも真相に近いのではないだろうか、と私は思う。
親友とは、思春期の真っ只中、幻想の彼方にしか存在しなかった、と云えば大袈裟に過ぎるだろうか。

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October 11, 2004

うどん供えて、母よ、わたしもいただきまする

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俳句のために俗を捨てたか
俗に捨てられたゆえ俳句に走ったか
所詮、人生も俳句も無碍の非定型と
妻や子を捨て、酒に溺れきったアる中の山頭火よ
無能無才の山頭火よ
小心にして放縦、怠惰にして正直
あらゆる矛盾を蔵しているお前は
恥ずかしいけれどこうなるより外なかったのだ

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曼珠沙華咲いてここがわたしの寝るところ

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今週末にも3歳の誕生を迎えようとしている幼な児は、
2歳になるかならない頃から、どうやらこれは今時の子は大概そうらしいのだが、
アンパンマンがお気に入りで、そのキャラクターの多くを空で覚えてしまった。
ビデオも繰り返し見るものだから、びっくるするほど覚えるのも早い。
ある絵本の付録についていた、あいうえお50音のキャラクターカードなど、
しばらくご愛用で、どのカードでもすべて名前を言い当てるようにまでなったりするから、
この子は神童かなどと、つい贔屓の引き倒し、
この時分の子どもは誰でもそれくらいのことをやってのけるのはあたりまえなのだが、
つい親馬鹿も顔を出す。
CDも買って聞かせてやると、これまたすぐにお気に入りとなって、
いろんな曲を歌い出す。
その歌のせいだろうか、数あるキャラクターのなかで、
彼女はドキンちゃんとホラーマンが大のお気に入りとなった。
26ピースのジグソーパズルなどはお茶の子さいさいという始末。

これが2歳6ヶ月も過ぎるようになると、アンパンマン一辺倒だったのが、
俄然、射程エリアも広くなって、トーマスもポケモンもくまのプーさんもキテイちゃんも、
最近ではドラエモンやデカレンジャーまで、お気に入りの仲間入りをしている。
まるで火がついたら止まるところを知らない。

人間の欲望が果てしのないのも、幼いこの頃からすでに身に付けているのだと思えば、
まったく得心のいくところだと、幼な児を見ていて、今更ながら悟らされた。

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水音の絶へずして御仏とあり

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防府護国寺の
山頭火墓前にぬかずく筆者

先週の土曜日の夜
昨秋、急逝したK師の夫人S女史の舞踊公演
を観に出かけた。
ビジネスパークにある松下電器のMIDホール。
地下鉄長堀線に乗るのは初めてだった。
軌条が狭く、御堂筋線などに比べて小さな車両で、
対面のシートに座る乗客同士、眼を合わせるのも気を使うほどで、少々息苦しい感。
住之江南港を走るポートライナー線とほぼ同じなのだろう。
地下鉄を降りて地上に出ると、これまたMIDの入り口が判りにくい。
ようやく探しあてて、半地下になった階段を降りようとすると、懐かしい顔に出会った。
詩人のH女史だった。もう卒寿に近いお年ではなかったか。
奈良・大和高田からわざわざのご到来なのだが、
近鉄上六駅からタクシーを拾ったものの、運転手が目的のホールが判らず、うろうろ回った挙句、ちょっと遠いところで降ろされて、ようやくホール入り口まで辿り着いたものの、この階段を降りないと入れない。
曰く、もうこの年で、自分の体力、病状はよく判っている。折角此処まで来たものの、これ以上の負荷には耐えられない。
きっと迷惑をかけることになるから、此処でこのままひと休みして、引き返すと仰る。
周りから、そう仰らずに、抱えていきますから、と執拗に云ったのだが、頑として聞かない。
そうまで仰るから仕方がなく、これ以上の拘泥をするわけにもいかず、やむなく其処で丁重にお別れをした。

会場は、ほぼ満席の盛況ぶり。
昨年の12月、K師の追悼の会が500人規模の盛況な集いとなったが、
規模といい客席の顔ぶれといい、それに匹敵する集まりで、かなりの部分が重なって、追悼の会の再現かと見紛うばかり。

それはいい。それで良いのだ。

昨秋、K師が急逝して、彼の功績を称え、その死を惜しむ心が、追悼の会へと結集され、
折しもその一年後に、遺されたS夫人が公演をするとのことでお招きを受ければ、
取るものも取り敢えず出向かざるを得ないだろうというもの。

円形会場の舞台中央に、幅一間半ばかりか、モノクロトーンの染布が一枚、6間もあろうかという天井から下まで垂れている。
舞台にはこれのみ、他には何もないシンプルなもの。
客席側にも、やはりモノクロデザインの染布が、これは4尺幅くらいか、二十数本、
同じピッチで垂らされ、ぐるりと客席を囲む恰好。
この美術は良い。担当T女の力作と云って良い。
色を使わずモノクロに徹して過剰とならず、しかも贅を尽くしている感あり。

上演は70分ほど。
構成は4つの場面から成っている。
イメージの根底には、山姥伝説が材として採られていた。

その作品の出来栄えは、さて。
あらかじめ私の予想しうる範囲の内にあったものの、
最も悪い予測に限りなく近いものだった。
なによりも残念というか、口惜しいのは、
S女史が、自らを舞い手として、踊り手として規定し、今次の舞台に臨まなかったことだ。
その逆に、彼女は自ら振付者として突っ張ってしまったことだ。
K師生前の40年の輝かしい舞踊活動は,つねに彼女と共にあったのだが、
彼女は決してK師のように非凡な作者・振付者ではないのは、彼ら夫妻を知るものは誰でも知っている。
彼女の才はソリストとしての独自の世界を樹立しえた、その表現力にあったし、
彼女が自ら紡ぎだす動きや構成の冴えは、絶えずK師のまなざしに晒されていることによって支えられてきたのだ、と。
いわば役割の違えた二人の協働作業で成ったのだと、私は思っている。
絶えず己の思考と表現への工夫、その術を、K師のまなざしのもと、彼との緊張関係のなかで、彼女は練磨し、体現してきたのだから、
K師が逝ったからといって、彼女がK師の代わりを務めようと、振付者として突っ張ってしまうのは、大きな錯誤としか云いようがない。
これにK師を敬い慕い、励んできた若い門弟たちにとって、今次の彼女の振付のもとで踊ることは、とても辛く息苦しかったろう。
K師の作品をかなりのレベルで体現していた彼ら門弟たちが、
この舞台ではとても非力な踊り手たちにしかみえなかったのは、偏にその振付者としての凡庸さに責めがあろう。

K師への追悼公演でもあろうこの舞台づくりへの根本姿勢はどうあるべきだったのか。
おそらくそれは、長い厳しい舞踊生活のなかで、すでに健常な身体とはほど遠く、膝や脚に重い故障があるとしても、
S女史自らがソリストとして舞台に立つことを決意し、彼ら若い門弟たちに協働を求め、
一個の己と、グループとしての彼らとが、協働者として限りなく対等に近い関係で、
一つの舞台づくりへ臨むこと、だったのではないのか。

その出発において、大きく舵を誤った。
その責めをだれに問えばよいのか。
問えるべき相手は不在のまま。
問うべきは自らの内にしかないのだと、
その悲惨な虚しいような現実を前に、心は塞ぐばかりの日がつづく。

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October 09, 2004

わかれてきた道がまつすぐ

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既に老境の門をくぐらんとしている者にとって
老後の理想の形をあれこれ考えることは難しい
選択肢はもう極めて限られているだろうから
と、これは一般論。

己の人生というものについて、成る程、ごく若い頃は、現役に対して老後や隠居について、漠とながら考えないわけではなかったが、いつのまにか行く手にひとすじの道しか見えなくなってしまえば、その区別も意味のないものになってしまう。
生涯青春かつ生涯現役なのさ、なんて言い草はちょいと歯が浮きそうで落ち着かない。
もうずっとそうだったし、これだけはただ往ききるしかないわけで、そうするしかない、と。

世阿弥ではないが、
老いの自覚のうちにこそ真の花を咲かせうるのだ、と気がつけば
老いてますます生きる甲斐もあるものだ。

今、これを書いていると、TVでは、台風22号が直撃した東京、関東方面の被害状況を詳しく報道している。
近畿に上陸の恐れと伝えられていたのに、大阪では何事もなかったので、どうしたことかと思っていたら、伊豆半島へ上陸していたのか。
JRの東京-新宿間が一部の土砂崩れで不通と伝えている。
大東京の都心中枢部にしては意外な脆さを露呈したものである。

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October 08, 2004

愚にかえるべし、愚を守るべし

 「山頭火讃」

山あれば山を観る  雨の日は雨を聴く
春、夏、秋、冬  朝もよろし、夕べもよろし
放浪流転の十五年  業深き身の果てなき旅は
賽の河原に石積む童にも似て
     酒に溺れつ、句行に溺れつ
有為転変として、濁れる水の流れつつ澄む
其は転一歩か、退一歩なるか
幾たびか止めむと欲し
     また、幾たびか死なむと欲す
嗚呼、汝、破草鞋なり、山頭火
生死を生死すれば生死なし
     煩悩を煩悩すれば煩悩なし
自性を徹見して本地の風光に帰入せむ
求むるなかれ  探るるなかれ
あるがまま、なるがままの、人の世ならば
己づからにして己れの姿
     愚にかえるべし、愚を守るべし
     愚にかえるべし、愚を守るべし

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あの雲がおとした雨にぬれてゐる

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その友のひとりが
以前の山頭火上演の際、寄越してくれた辞を此処に置こう

てふてふ飛んだ

鉄さんの傍らに座してみられよ。
さすれば、てふてふと聞こゆる羽型のその裡に、
あなたが切り取ってきた分だけのおおぞらと、
雲の墓標が視ゆるに相違ない。
臥しては狂酒、歩しては酒悲の人であったとの伝説に惑わされ度くなければ、の噺ではあるが。
否、むしろ、納音(なっちん)に由来せしめた「山頭の火」が、
春陽が老陽に合した状態を表す謂を想起すれば、
鉄さんはその時あなたの真横まで肉迫し、
眼前に生の本性たる闇あるいは表出の習性に重ねゆく幻視のあおぞらを垣間見せしむるであろう。
ゆえに語りの魂魄は、芸としての少年の叫びであり、術としての老いの囁きとなる。
陽炎い昇つ揮発体は彼の人の洲宇宙が醸す悲喜劇にして、
残されたうしろ姿こそ我らが今日の含羞である。
約すれば、五十歳の坂から幾山河越えなんとするご同輩、言うてはすまんがおっさんおばちゃん。
我らはここに鉄さんファン苦楽部を自称する。私設の勝手連である。
劇空間のひとときを人性の密か事にとり替え、うっそり微笑むのはあなたの番である。

   ―― 追っ駆け代言人 M.T記

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October 07, 2004

お手手こぼれるその一粒一粒をいただく

昨夜は久しぶりに、二人の友が訪ねきて
三人で近くの居酒屋で呑んだ。
気の置けない者同士、話は弾んで快い酒だった。
二人とも二歳年下の高校時代の後輩なのだが、
この年になれば、先輩後輩もない。

ずっと付き合ってきたわけではない。
若かった頃はTを介しての付き合いだったから
互いの遠慮もあって、深い付き合いになることはなかった。
先にも書いたが、そのTが先年逝ってしまって
彼の追悼のため、関わりのあった者たちが寄り合い、
残された者たちとして何かをしようということになった。
何度も何度も話し合った。
いつも集まるのは七、八人だったが、
私にとっては皆が三十年を越えての再会の人々だった。
嘗て、Tを通しての、Tあってこその友だった彼らに直に向き合うことになった。
互いに各々が各々のなかでTをどれほど大切に思ってきたか、
それがお互いの中で手にとるように判った。
遠い昔の既知の者たち同士が、こんどは真に出会った、と。
私にはそんな思いがするのである。
この年になって友を得たというのは、まさに至福という感がある。
こういう友は余命のある限り大切にしたいと、つくづく思うし、
またそうなるだろうとも思う。


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銭がない物がない歯がない一人

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山頭火は
捨てても捨てても捨てきれないものに涙がながれる

と云ったのだが

また別のところでは
徹し得ないところに、すべての悩みがある
悲しいのぞみがある

とも云っている

母は彼の幼い頃に自宅の井戸に身を投げて死んだ。
 -山頭火、数えの10歳。
他家へ養子に出された弟もまた後に、郷里近くの山中で縊死している。
 -山頭火、数えの36歳。

山頭火が背負った宿業の重さは計り知れないが
それによってかよらずか
放浪行乞に生き、自由律の句に生きようと
妻子をも捨てた
いや、そのように、捨ててしか生きられなかった

だが本当に捨てきったのか
最後の最後まで、捨て切れなかったのではないか
捨てきれないものに涙し
徹し得ないところに、悲しいのぞみを
どうしても垣間見てしまう山頭火自身は
結局、なにもかも捨て切れなかったのだ
と自嘲するしかない。

彼はよくおのれ自身の生を生きた
どうしようもない生だと自嘲しながら

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October 06, 2004

おとはしぐれか

ぐっと掴んでパッと投げる
添えるよりも捨つべし
言い過ぎは言い足らないよりもよくない
お喋りはなによりも禁物だ
言葉多きは品少なしとは、まことに至言
道として、行として、句を作るのだ

歩くこと - 自分の足で
作ること - 自分の句を

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October 05, 2004

こんなにうまい水があふれている

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学校に行けないネパールの貧しい子らのために

車椅子の詩人、岸本康弘の見果てぬ夢

松葉杖を唯一の友として
日本中をさすらい、世界中をさすらった、その果てに
なお燃え尽きない、生命の火の、その末期の住処として
世界の最高峰ヒマラヤの山々に抱かれた、ネパールの町ポカラに
貧困の子らの未来を紡ぐ、学校を建てようと

車椅子の詩人・岸本康弘氏の、この稀有な発心から、1997年に開校したネパール・ポカラの「きしもと学舎」は、全国各地から寄せられる暖かい支援のひろがりのなかで、三年前(2001)の春、ネパール政府公認の小学校となり、その名も「ネパール岸本学校」へと変身を遂げました。

ところが、ご記憶の方もいらっしゃるでしょうが2001年6月に起こった国王一家殺害事件に象徴されるように、以後の政局はまことに不安定で治安も悪化、人民戦争を標榜する反政府組織マオイストたちの行動はテロ化してきており、外務省が指定する危険区域も拡大する傾向にあり、鎮静化の兆しが見られない状況で、旅行者は激減しています。
観光産業に頼る経済は長年強いインフレ状況にあり、貧困層はますますひろがり、国土全体としても最貧国ネパールへと落ち込みつつあるなかで、ネパールの岸本学校は、岸本康弘自身の強い想いから、貧困の子どもらに完全無償で教育の機会を提供してきているのですが、現在のようなネパール情勢では、日本の支援者らとの交流の輪を広げていくことも困難で、学校の運営維持そのものも危うくなりつつあります。

岸本康弘のこの営為がボランティア活動と云うべきか否かは、ここで論じる気は毛頭ありませんが、先のイラクにおける日本人拘束事件や銃撃事件で非業の死を遂げた記者にみられるように、ボランティア活動のその最も先鋭的なところでは、つねにぬきさしならない生命を賭した闘いの場であることを、肝に銘じておきたいと思います。

因みに私は、詩人岸本康弘との私的な機縁から、ポカラの学舎設立開校の当時より、日本でのきしもと学舎の会事務局を担当し、現在に至っております。

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October 04, 2004

ホイトウとよばれる村のしぐれかな

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メイ僧のメンかぶらうとあせるよりも

  ホイトウ坊主がホントウなるらん

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ゆふ空から柚子の一つをもらふ

photo/kumano_syoyo_47tr

日曜日は四方館の稽古日。

二十数年間、ずっとそう。
以前は午後からだったのだが、
今年の春から、朝の9時から4,5時間程度。

ここのところ、YukiとJunに、
SOU-MON -相聞-
というシリーズでImprovisation-即興-を
およそ45分~60分するのを課題としている。
音はさしあたり、CRONUS-Quartetものを使用。
すっかり秋めいて涼しくなったので、汗の掻きようも少しく心地よい。
SOU-MONシリーズにしてから今日で4回目かな。
春先に、Junに心境が見られるようになり
夏に、N氏の個展で、即興Performanceをやって
この課題に取り組めるようになった。
カラダの壁を破る訓練が引き金となって
動きの発想に幅が出てきたからだ。

さて、それでこの二人
どんな SOU-MON の世界を表出してくれるか。

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October 03, 2004

やつぱり一人はさみしい枯草

 歩かない日は さみしい

  呑まない日は さみしい

  作らない日は さみしい

ひとりでいることはさみしいけれど

ひとりで歩き、ひとりで呑み、

ひとりで作っていることは、…… 

  さみしくない。

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October 02, 2004

その手の下にいのちさみしい虫として

福岡県大牟田の連続殺人死体遺棄事件

母親の北村真美容疑者が殺したと供述し、
父親の暴力団関係者が警察署内で拳銃による自殺未遂など、衝撃的な事が相次いでいたが、
どうやら真相は、20歳の息子による犯行だったということが濃厚になってきた。

報道されてきた内容からは
中高年に達した者の犯行とするには
乱暴すぎるというか、どうにも不自然さを感じていたが
20歳の若者となれば、その育ち方にもよるが
近頃の彼らにありがちな、その刹那性、衝動性ということから、
然も有りなんかと納得できる気がしている。

事件の全貌もやがて明らかになるだろうが
これもまた、昨今の激化する少年たちの犯行の一事例としてみたほうが、より真相に近く、処方箋を描きやすいのだろう。

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へうへうとして水を味ふ

私のお奨めの歌い手
「夢の翼」を唄っている
クラウンレコードの歌手松浦ゆみさんの
DinnerShowが近々にあるとのことで、
ご紹介します。


10月1日、プロバイダー変更のため一日の空白。
スイッチON,OFFのようなわけにはなかなかいかないものです。

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